はてなキーワード: 賢明とは
今年はベイキャンプに行かなかったので実際に見たわけではないので気になったので書く。一個人の意見なのでふーんで読んでもらえれば。
煽るつもりで言ったならまだしも(それでも大森靖子は激怒すると思うけど)、特に悪意はありません!ごめんなさいってそれ逆にやばいんじゃないかな。
ツイッター見てるとMCでいつも言ってるし!っていう人とボーカルが言いそうなことだなあ〜って言ってる人に分かれてて事実どっちなんだよって思う。いつも言ってるならタイミングが悪くてかわいそうだなって思うけど当日初めて言ったんならちょっとなあ…って思うよね。ましてや大森靖子の魂こもったステージを見たら言えないと思う。
ヨギーを批判しちゃったのは良くなかったけど引用くらいならいいんじゃないかなと思ってしまう。引用された方のトラウマになったらどうすんの!とか言う人いたけど意見を発信するならある程度覚悟して言ったんだと思うから自己責任なんじゃないかな。
でもヨギーを傷つけるようなこと言っちゃいけなかったよね。
怒ってる時はカッとなって言っていいこととわからないことあるけど、さすがに悲しくなる。
大森サイド
ヨギーのことダサいとか言っちゃいけないよ。盲信的になってる部分もあるし、大森靖子を信じてるからと言って傷つけたヨギーは敵!って批判したり度を越した発言したりするのは良くない。
ヨギーサイド
割とこちらも盲信的だなと感じた。やってることそんな変わらないと思う。傷つけられたから大森靖子は敵!で殴り合ってても仕方ないよね。ヨギーのこと悪くいうな!って言って大森靖子とそのファンをメンヘラとか言ってバカにしてる時点で両者変わらないじゃないか。
④謝罪について
謝罪の焦点そこでいいか?ベース借りました、発言に起こってるのその時は知りませんでした。リハも被ってたみたいで仕方ないと思うけど、状況を把握していたら失礼に当たるため楽器は借りませんでしたって、まず失礼だと思うなら借りる前に謝罪するとか別の方法があったよなあ。
あと大森靖子が本当は魔法だと言いたいと思ったから言ったんだみたいなのツイッターで見かけたので探して見たけどよくわからない。謝罪の中にあったかな?頭悪いから読み取れてないだけかもしれないけど、もし本当に言ったならそれこそヨギーをかわいそうと思う心はない。本当ならね、もう喋るのやめたほうが賢明だと思うレベル。
⑤楽器のこと
準備してきてください。楽器でもいいしスペアの弦でもいいし、持ってきてよ。これにつきたい。なんか貸し借りの部分は大森サイドも連絡取れず貸しちゃうし、ヨギーサイドも借りちゃうあたりお互い様かなというところも見えたけど楽器借りて弦の交換してもらうとか子どもじゃないんだから。さらに他のバンドから弦もらうとか。なにしにきたの?
これに関してはヨギーが嫌いとかそういうことじゃなく、自分も楽器やってるのでこんなことされたらブチギレ案件。
他人を否定するだけのロックは死ねであって、ヨギーみたいなロックバンド死ねではないのにヨギーに死ねって言った!って怒ってる人は落ち着いて欲しい。
あと汚い言葉使ってるから大森靖子は悪!みたいに言ってる人も落ち着いて欲しい。怒ってる時に言葉汚いのなんか仕方ないじゃんって思う。
あとヨギーと大森の出番逆でお互い魔法発言してもヨギーは怒らないみたいなこと言ってるけど、多分逆ならヨギーは言わないと思う。勝手なイメージだけど、謝罪からそんな感じする。普段から言ってたとしてもあの場で言わなそう(あくまでイメージ)。
どちらも悪いことには変わりないけど、やっぱりファンが相手方を悪く言ったりしちゃいけないと思う。別に自分の好きな方を悪く思えないのはいいと思う。だからと言って大森はメンヘラ、被害妄想って言ったり、ヨギーはダサいって言ったりしていいものではない。お互いにお互いの良さがあるし認められないならそれまででいいと思う。純粋な評価としての批判ではなく今回のことをフィルターをかけて悪意のある批判しかできないのであれば結局その人はそれまでで、バンドのことも個人のことも考えられない人なんだなあと自分は思う。
この騒動のためだけにツイッターのアカウントを作っている人もいる。意見を発信するためならいいけれど、バンド側に悪意と皮肉を伝える為だけのアカウントがある。すごいバイタリティですね。もっと別のことに使ったほうがみんな幸せになれそう。
ブログでこのことについて書いているヨギーファンの方もいた。ヨギーは煽ってないしベースのことも尾ひれをつけて大森が話した、と書いてあった。
本人に煽るつもりがなくても、あのタイミングで言えば煽りにしかならないしボーカルはピースフルとか言われてもいや知らないよ…としか思わない。
尾ひれをつけた〜ということに関しては若干の否めなさはある。ベースのえらさんには無断でギターの人が貸してしまった(であってる?はず)のは確かに本人の無断ではあるけれどギターは許可してしまうというなんとも言えない流れがある。
これらをイラついてるからいちゃもんと言われても仕方ないことは仕方ない。でもファンじゃないと見えない部分があってそれをさも共通の認識であるかのように言うのは違うと思う。それは大森もしかり。
なんか色々書いたけど言いたいことはこれに尽きる。
警察はクソ...
などと、一時の感情に任せたコメントをするブクマカが多いようだが、
賢明なる増田諸氏は、既にこの事件からも何らかの教訓を得ていると思う。
今回の事件では、専門学校生がいつ、誰と、何をやりとりしたのかすべて記録し、証跡として残していたら、
専門学校生を真犯人とすると不自然な状況が明らかとなり、拘留初日に釈放されていたかもしれない。
曖昧な記憶に頼らない明確な説明は、警察官への心証をずっと良くするものである。
ヤフオクやメルカリ、各種SNSの発達により、これからも増え続けるであろう個人間取引の現場において、
手軽で確実な証跡管理手法として、私はスマホによる撮影をお勧めしたい。
従来から行われているような、手書きのノートに時系列的に記録を残してゆく手法は、そのめんどくささ故に
小保方女史のような手抜きを生じさせやすいので、几帳面な性格の人間にしか実運用は難しいと思う。
一方、スマホであれば、SNSの画面、入金画面、訪れた郵便局、梱包した荷物、配送記録を撮影するだけなので
時間も掛からない。機種によっては、撮影場所情報まで残すことも可能だろう。
ツイッターのように用が済んだら消してしまうメッセージなどは、警察でも確認不可能なことが判明したので、
消す前に必ず写真を撮っておく習慣を身に着けておくと良い。
初めて匿名ダイアリーを使って自分用メモ。これは推奨する記事じゃないです。
自宅のある駅から少し離れた都市へ行き、マクドのポテト(大好き)を食べながら会員制出会い系サイトの掲示板に内容と場所、何時頃までいるかを書き込み募集をかける。
ガンガンくるメールを見て、条件の良く今から会える人をピックアップし返信、約束を取り付ける。
サイトの掲示板を見る限りたくさんお金をもらって体を売ってる同年代の子もいるみたいだけど、自分は手コキまで。
で、わかりやすい駅やランドマークを拠点に周辺でちんこ握らせてくれる男の人をはしごする。
疲れたら帰る。
相場はよく分からないけどだいたい3〜5千円くらいでやってる。まあ10代で黒髪なんで高校の時の本物の制服を着て行くこともできるから、色つけてくれる人もいる。
車の中や多目的トイレを指定されることもあれば、ラブホでやる人もいる。ホテルは若いおにーさんに多いかも。
「人肌が恋しい」と言ってキスして自分を抱きしめて自分はホテルの映画見てるだけで1万円くれた人もいた。変わった人だなと思った。
コツは自分のキャラをちゃんと決めること。SかMかはもう演技力がダイコンすぎて変えられないと自分は思ってるので、上京したばかりで怖いですう〜とか言ってた田舎っ子なのにちんこ握ったら超ドSとか、黒髪ボブの大人しそうな優等生なのにオラオラ系とか、なんかギャップがあるといいかもしれない。普段の自分とは全く違うキャラだと色々傷つかない。
気をつけてるのは世間話に色々聞かれてもフェイク入れられるように架空のプロフィールを考えておくこと、携帯は身につけとくこと。
自分は大学の専攻が割と特殊な学問なんで「文学部です」とか、世間話程度ならごまかせる程度に知識のあるどこにでもある学部を言っとく。実際、司☻遼太郎が好きすぎて死にそうだった時期があるのでだいたい大丈夫。坂の上の雲とか燃えよ剣とかベタだけど最高だよね!携帯は普通に危ない時使うと思うし、金取られても携帯あれば通報できるから。まだないけど。あってたまるか。
どうでもいい自分の話でなんでプチやってるかっていうと、自分は金遣いが荒い。というか、管理がうまくできない。(どうでもいいがこれはADHDってのもあるかもしれない)
しかも多趣味だから金がガンガンなくなるんだけど、それを賄う為に始めた。接客バイトの給料が入るまでのつなぎに、月数日って感じ
将来どうなるかわかんないけど自分レズでちんことかまっっっっったく興奮しないしおっさんがイく為に乳首いじらせてとかほんと不快すぎて2万くらい吹っかけで断られたら帰るくらいだし、ちんこ握って食って行く気はさらさらないんで大学のうちにやめると思う。お金の管理ができるように訓練してるけど、なかなかうまくいかない。
なんで発達障害の話になったんだろう。以上です。
良い子は真似しないでね。悪い子もできたらやめた方が賢明だよ。
この文は人を不快にさせると思いますので、読まない方が賢明だと思います。ただの愚痴とワガママを無様に晒してるだけの文です。
それでも読んでくださるという方がいれば、みなさんに最初にお伝えしたいのは、これは私が勝手に卑屈になってるだけの文章だということ。大和亜季は何も悪くないし、立神あおいちゃんも悪くない。ましてや村中知さんにも関係がない、ただの1人の人間の卑屈でワガママな文章です。もしこの文を読んで不快な気持ちになったとしても彼女たちには何の罪もないから、どうか悪い方に見る目を変えることだけはやめてください。
大和亜季、本当に素敵な子です。ミリタリーアイドル、軍人口調、筋トレ好き、ステージの裏側まで見てお手伝いする強くて優しいところ。あとナイスバディ。他にもいっぱい素敵なところがあって大好きです。
ありがたいことに村中さんの声をお借りすることで出番が増え曲も歌わせていただき、そしてライブに出演しその歌やダンス、村中さんの人柄や、挨拶でみんなでやる敬礼などが話題になり、たくさん注目されるようになりました。ソロ曲期待できるな、楽しみ、と担当ではない方が呟いてるのを見たときは思わずリプライをかましたいほど嬉しかったです。本当にありがたいことだし、彼女たちを好きでいてよかったと心から思います。
本題に入ります。
村中知さんは今現在、プリキュアのメインキャラ、俗に言う青キュアの立神あおいちゃん、キュアジェラート(とてもかっこよくてかわいい)も演じていらっしゃいます。だからか、私が観測した範囲では、の話ですがニコニコ動画のコメントでよくこう言われます。
もちろんこの文だけでなく、例えばライブの振り返り動画でも「プリキュアの人だからやっぱり歌上手いよな(これは中の人に向けての発言ですが)」や大和亜季が動画内に登場すると「おっプリキュアかな?」というコメントもよく見かけます。
最初の頃はちょっとあれ?と思いつつも、村中さんと大和亜季が評価されるのが嬉しかったです。
そして、しばらくするとそのあれ?の正体がわかりました。ひとつひとつのコメントではなく全体をざっと見てみると、先ほどの振り返り動画の大和亜季に対するコメントは半分くらいがプリキュアのことでした。ワートリもちょっと見るかな?そしてなんだか、もしかして大和亜季は大和亜季として見られていないんじゃないか、とこの時思い始めました。
そして少し前、幸子ちゃんのストーリーコミュが追加され、大和亜季もストーリーに参加させていただきました。(担当の方こんな文に巻き込んですみません)
そこで幸子ちゃんを鍛え上げる軍曹としてトレーニングを始めた大和亜季。ボクはムキムキになりたいわけじゃ…と言った幸子ちゃんに大和亜季が言った言葉、みなさん覚えていらっしゃいますでしょうか。少し意訳させていただきます。
「鍛えるのは自分のためじゃない。大切な人を助けるためです」
「カワイイプリンセスも結構、でもかわいくて強いプリンセスがナシじゃないでしょう?」
という感じのことを彼女は言いました。私はこの時とても感動しました。大和亜季があんなにトレーニング好きなのにはこんな理由もあったのか、と。まあもちろん彼女自身がトレーニング大好きだし肉体派公務員の兄に仕込まれたとも言ってたのでこれだけではないとは思うんですけどね。
大和亜季の根っこの部分が見えた、フォワードチアーでも見せてくれた肉体的、精神的な強さをもう一度見せてくれた、本当に好きなシーンです。
そして、このコミュがニコニコ動画にアップされ、このシーンの時に流れたコメントに頭の中で除夜の鐘が鳴ったようなガーンとした衝撃を感じました。
「流石プリキュア」
私はこのコメントがどうしようもなく悲しかったです。今まではもやもやするだけでしたが、これははっきりと嫌だ、と思ってしまいました。だって、今までは大和亜季の『声』がプリキュアだと言われていただけでした。でもこれは大和亜季の『言葉』が、大和亜季じゃない誰かのものとして解釈されたと、そう感じました。誰かというかジェラートですね。
分かっています、ニコ動のコメントなんてそんなもんだと。深い意味はないんだと。それだけの事をいちいち気にするならインターネット向いてないよってことも。私よりもっと色んな動画で傷ついてるアイドルのプロデューサーもいることも。
そんなことをここ最近ずっと頭の中で考えています。以前友人にこのことを話す時勢い余ってマジ泣きする程度にはショックでした。
ただここでワガママっぷりを発揮しますが、実は私は中の人ネタは結構好きなんです。この子とこの子は声優さんが同じ方だ、もしも会ったら気が合いそうだな、とか。ギャグ漫画の「お前◯◯じゃん」「それ別の世界線!」みたいなやつとか。あと衣装チェンジとかもかわいくて好きですね。
だから上の出来事は『私の気に食わなかったから晒した』それだけの話です。言ったでしょう、ただの愚痴とワガママだと。私が勝手にこれはダメだと線引きして、わざわざコメントにいちいち目くじら立てるような人間の独り言です。聞いてくれてありがとうございました。
もしこの文を読んで何か思うところがあれば…とかそんなものも全くありません。だから見なかった事にして、よろしければこれからも彼女たちを応援してください。
テレ東の人気アナウンサーだった大橋未歩が退職するとかいうことで、ちょっと話題になった。そういえばこの人、一度倒れてなかったっけ、と思って調べてみると、旦那の介護もあって数ヶ月で復帰したものの、その後離婚、ほどなくして若い男性と再婚という経歴になっていた。
この経歴を見て一部の人は大橋について「献身的な旦那を捨てた悪女」みたいな評価をしている。自分も最初そう思ったが、自分の周りに似たケースがあることを思い出した。自分の両親だ。もしそれと同じだったとすると、評価は逆転する。
自分の父は、いわゆるモラルハラスメントで、とにかく人にケチをつけるのが好きだった。人が弱音を吐くとすぐに叱りつけ、質問をすれば「自分で考えろ」と撥ねつけ、失敗すれば「よく考えればわかるだろう」と嫌味をいう。とにかく取り付く島がない人間だった。
そんな父と結婚するような母親なので、気は弱く、自立心のない女性だった。
そんな母が50の頃にガンになり、放射線治療始め様々な抗ガン対策を受けることになった。ご存知のように抗ガン治療は身体の負担が重く、一人で外出できない状態になることもしばしばだ。母は若い頃から腰が悪く、40代で杖をついているような人だったから、なおのことフォローが必要だった。自分の家は三兄弟だけど、どれもすでに自立していたので、母の送迎などは父が担った。
モラハラ家庭に生まれた人ならわかるかもしれないけど、モラハラの男性は、一度義務感を覚えると、機械のように動き続ける。なので、会社と都合を合わせながらなんだかんだで父がずっと送り迎えをしていた。
そして五年間治療を続け、母は亡くなった。それでは、母が父に感謝していたかというと、そんなことはなかった。母の携帯のメールに「離婚したい」と彼女の姉(僕の伯母)に送っているのを僕は見つけていた。結局家に近寄らなかったので詳細がわからないけど、結局父はいつまでも嫌味を言い続け、母を小言で責め続けていたのだろう。
その後、父の母(僕の祖母)も父が面倒をみることがあったが、これも何かあるとすぐ怒鳴るということでひどく評判が悪かった。祖母が亡くなった時、親戚は葬儀が終わると挨拶もろくにせずにさっさと帰ってしまった。父と話したくないという態度がありありと伺えた。
大橋の元旦那はプロ野球のコーチだ。プロ野球というのは、一年の半分近くが試合で、それ以外の日も練習や準備に追われる。そんな生活をやり抜くには、自分に厳しいルールを課し、きついスケジュールを組んで、身体をスケジュールに同化させる必要がある。そんなプロ野球関係者は、おそらく普通の人から見れば鬼のような性格をしているはずだ。
石井一久のような例外はあるけど、たいていのプロ野球関係者は、奥さんに厳しい。奥さんがきつく叱られるエピソードなんて、たくさん聞いている。意味があるとはいえ、一般家庭から見たらモラハラも同然だろう。
大橋の元旦那は、大橋が脳梗塞で倒れて以後、賢明に看病していたらしい。でも、それが優しさに基づくものではなくて、僕の父のように、義務感から生まれたものだったとしたら? そうであれば、彼女は病気以前から、昼夜を問わず責め立てられていたかもしれない。
大橋と僕の母が違うのは、大橋は十分に魅力的でかつ自分で稼げる立場だったこと、病から復帰することに成功したことだ。もし僕の予想通りであれば、僕の母と同じように、大橋がどこかの段階で離婚を考えるのも無理はない。そして彼女は脱出に成功した。
これはあくまで自分の予想に過ぎない。もしかしたら、この予想は外れていて、大橋は本当は男を捨てるのに躊躇がない悪女なのかもしれない。でも、自分の予想もそこまで間違っていないのではないかと思っている。
まぁ、簡単な話マーケットの魔術師とかその辺の本を読んでいる賢明な人には無意味な話だけど。
http://toushi-kyokasho.com/housewife-made-6million-in-7months/
こういうの読んで私も、俺も、僕も、おいどんも!って飛びついて始めたらたいてい大失敗するから、
なぜなら、じゃんけんに必勝法がないのとほぼ同じで、投資のも必勝法はない。
よく本で出ている、株で必勝法!とかFXで大儲け!的なのはただ単に、
ずーっとパー出してたら勝ったんだよね!実はこれには3分の1の法則があって云々。。。
と何にも変わらないからね。
あまりに最近こういう記事が多く、さらにたくさん読まれているようなので、
失敗して大損する人がたくさんでないように、書いておく。
しかも今回のはオプション取引なので、本当にたくさん借金を一気に抱えるくらいの損失を出す場合もあるので、気を付けてください。
現代の中間層の現実・調和派というのは、昔の「ふつう」に於いて獲得できていた物事のうち、どれを諦めるか、諦めないか、の取捨選択を迫られているわけなんだよね。
・専業主婦を諦めて共働きをすることで世帯収入を増やす。でも出産子育てで数年するとキャリアは終わるので、リスタートしたあとの妻はワープアを強いられる。
など。
諦めずにすべてを獲得できるのは上級国民だけで。野原ひろしみたいな。
貧困層に目を向けると、そういった中間層の取捨選択の自由すらなくて、ワープアでひたすら全方位に貧しい生活を強いられるんですよね。
中間層だったが、取捨選択を誤ったりリソース管理に失敗して貧困層に陥ってしまうというケースも多いと思う。人生を常に賢明に運営できる人たちばかりでもないからね。
中間層の非現実・強硬派は、ステレオタイプな「旦那は年収1000万じゃないと結婚しない」と言いながらいつまでも売れ残り婚活して社会に憤り続けてる人みたいな。あとアイドルとしか結婚したくない!みたいなのとか。
なんかそんな感じ
股関節に近い部分とかはやっぱり少し生えてくるとチクチクして嫌な感じになりますが、それ以外のところはそうでもないかなって感じでした。少なくとも剃刀で剃るよりは全然マシ…(剃刀でそったときのあの不快感はきっと彼女さんに聞けばわかるのではないかと)
後日談というかさっきも除毛クリームをキメてきたんですが、1回目よりもきれいに毛がなくなりました。多分継続してやればサロンレベルとまでは言わずともそこそこ綺麗なパイパンになりそうです。
ただ除毛クリームは毛を溶かすものなので刺激が強いのと、使う部位がデリケートなので間隔は4〜5日空けたほうがよさそう。後から知ったんですけどデリケートゾーン専用の除毛クリームとかも売ってるみたいなので、そういうのを選択するのが一番賢明だと思います。とお伝えくださいませ〜。
https://anond.hatelabo.jp/20170814183313
>モバPには辛い時代だと思うのですが、もう黙って滅びるしかないのでしょうか。
これはもう、その通りですとしか言いようがないです。
シンデレラガールズというコンテンツのメインはモバマスからアニメ、そしてデレステへと移っています。
今後もデレステ、もしくはその先のコンテンツがメインにこそなれ、モバマスがメインになることはまずありません。
モバマスからのPの中にも、大なり小なりの不満を抱きつつも、どこかで折り合いを付けてデレステ路線を受け入れている人はいます。
しかしリリースから2年経つのに、デレステの要素に一つも満足できないのであれば、今後もデレステを受け入れるのは難しいでしょう。
現代の社会で都市生活を営む男にとって、性欲は人生の大きな脆弱性、遺伝子のバグとも呼べる存在になっている。よって性欲を沈下させ、断捨離して穏やかな生活を目指す方法を考察しよう。そして、そのうえで楽しい人生を送る方法を考えてみよう。
まず始めに、性欲がもたらす危険性を見ていこう。
そこらにいる女の子を男がデートに誘い、男がプランを練り、金を多めに出し、女を楽しませて、そのうえで女に評価される、という行為自体が端的に言って時間と金の無駄である。その分をほかの趣味に使うなり、いっそのこと風俗に使ったほうがはるかに有意義なことは疑う余地もない。何よりこの構造がまず男女平等じゃないので、「デートだるい」という意見自体は女性やフェミニストにも賛成されることかと思う。
さらに言うと、デートでも食事でも、誘う相手と誘い方を間違えると取り返しがつかなくなる。転職が難しくやり直しがきかない日本社会では、一般の男性にとってこれは人生を左右するリスクと言わざるおえない。賢明な男性はこんなリスクは取るべきではない。
「食わしてくざんすよ…!結婚したら生涯…!いずれ必ず…飽きる女を…!しかも年々…相手の態度はでかくなるという…オマケつきざんす…!アホくさっ…! わけのわからぬ制度ざんすよ あれは…」言うまでもなく、これこそが最大のリスクである。
性欲に惑わされることの危険性が認識できたところで、ではどうやって性欲に惑わされずに穏やかな社会人生活を送るか考えていこう。ここで目指している状態は女性を敵視することではない。無駄に敵を作ったら社会人生活がやりにくくなるだけである。そうではなく、性欲抜きで女性とフラットに一人の人間として接することが目標であることは明言しておこう。
日課のようにオナニーをして、昼間は常に賢者状態を維持するというのはいい方法かと思われる。おかずは二次元を推奨、それも現実世界ではとうてい無理なものを選ぶのがよいだろう。ケモノ、ロリ、強姦ものなどがよいかと思われる。自分の指向を現実世界で達成困難なものにすることで、リスクを取って女性に手を出そうという気がなくなっていくはずだ。
さんざんやったし、もういいや。という賢者モードを目指す。
体を動かすことはいいストレス発散になり、健康にもなる。種目はなんだっていいかと思われる。ジムでひたすら体を鍛えるもよし、ロードバイクやマラソンをするもよし、水泳や格闘技などもよさそうである。楽しめそうなスポーツを見つけたらガチ勢になってみよう。スポーツに本気になることで、色恋沙汰より楽しめるものを見つけよう、という方向性である。
登山、旅行、釣り、写真などの趣味の深みにはまってみよう。その際に選ぶ趣味はなんだっていいと思われる。人生を楽しむために趣味はあったほうがいい。
男性の生涯未婚率が30パーセントに登る社会である。独身で時間と金が余ってる、そしてそれを自分のために使いたい(割り勘なら付き合いがいい)、ゆえに男友達とばかりつるんでいる、そんな友人を見つけることなど造作もないことである。
どれもそれほど難しいことではないことがわかってもらえたとだろう。そして、こんな生活をしばらく続けているうちに、本当に心から色恋沙汰とかどうでもよくなっていくのである。みなさんも、一時の性欲におぼれることなく、穏やかで楽しい人生を過ごそうではないか。
脱毛スプレーという名前ですが、できるのは「除毛」のようです。
良い口コミではしっかり除毛できた、綺麗に除毛ができた、とあります。しかし、お肌が荒れている方もいるので心配ですね(^^;)ムダ毛を溶かすような薬剤って何が使われているのでしょうか・・・。
スプレー式で塗るのは楽だけど、まんべんなく塗るためには手で広げなくてはいけないってなんか矛盾しているように感じました。除毛したくないところにかかってしまったら大変ですよね。
と思ったら悪い口コミの方にピンポイントで塗る事ができないとありました。やっぱり・・・。脱毛クリーム・除毛クリームと変わらないような印象を受けました。
合わない方は本当に合わないようで、肌荒れしまくっています。お値段の割に内容量が少ないのも残念ですね。
結局できるのは除毛なので、脱毛とは違い、一生続けなければいけません。コストが大変な事に・・・。本当に一時的に使う分にはいいかもしれませんね。
(壊れてないとか言うやつは近年の音楽に注がれる様々なリソースのスケールダウンを把握してない。スタジオは軒並み潰れて技術レベルは低下し人的リソースも金銭的リソースも激減、まったく儲からない世界に嫌気がさして才能が枯渇し新人発掘もままならずデビューするのはその先に“芸能人”になって地方営業で小銭を稼ぐようになる素養のある人間のみ、純粋な音楽家はバイト暮らしかゲームアニメに嫌でも関わらないと生きていけない、ライブで物販が売れない音楽家には存在価値がないも同義、多様性の失われた画一的なBGM製造業界になってしまった現状を本当に望んでいたのか)
じゃあ映画界はゲーム界はユーザーのことを考えてないのか?DVDの複製を私的複製とは別の角度で封じている映画界ゲーム界はユーザーのことを考えていないのか?
ユーザーのことを考えるというのは何も日常的な利便性の部分だけに拠るものではない。いかにしてその先の投資を見据え利益を確保し次の製作に生かすかまでを考えなくてはならない。毎日シャンパンを開ける為ではなく、次の作品、次の才能に最高級の技術を投入するために利益が必要なんだ。それが文化を富でブーストするために築かれた効率的なシステムだった。より広い多様性を確保しつつ、より高い技術を注ぎこまれた高級な文化を目指すために先人たちが作り上げたシステムだった。
それが、自分で製作もしない第三者のオサレIT企業にぶち壊されてしまった。
おまえらマジコンはボロクソに叩くくせになんでiPodはOKなんだ。マジコンが消えたのはゲームやDVDが利益を確保するために禁じている部分を無視しているからだ。それは当然の対策だろう。そこをガードしないと業界が死ぬのは明らかだからだ。もちろん私的複製権というものは存在するが、それを重視するあまり製作のためにかけた投資が無駄になるような構造が許される訳がない。
そのマジコンはボロクソに叩くクセにiPodに関しては手放しで喜んでいる姿が納得が行かない。マジコンとiPodの違いは複製する際にその時点で違法な操作が含まれていたか否かというだけだ。メディアに鍵がかかっていたかどうか、それをリッピングの際に解除する必要があるかどうかそれだけだ。ゲームと映画はたまたまメディアに鍵をかけていたから無事だった。(とは言っても今でも常に複製とは闘ってはいるだろうが。映画館でみるあのダサいCMでも毎回流せば一定の効果はあるだろうしその努力をしている)
ほぼすべてのユーザーが法的な事など何も知らず結局はただただ「自分が得をできればよい」という理由でiPodを賞賛する。
確かに音楽はその部分の対策が遅すぎた。法的に複製に制限をかけるための行動が遅すぎた。だからといって他人のビジネスをぶち壊しにするような夢のマシン(笑)を本当に作って売り始めるとは思っていなかったのだろう。どう考えても、それまでCDというメディアを“印刷”する事で成り立っていたビジネスの中では、こんなにデタラメ無限コピーが可能なデバイスが世に出回ったらすべてが壊れることくらい賢明な人間ならすぐ気づくことだ。そして、アップルもそれを分かっていながら、しかし自分の腹は痛まないのをいいことに詭弁に詭弁を重ねて売り上げそしてのし上がった。
俺が気にくわないのはそのアップルの詭弁っぷりだ。「音楽のために」などとうそぶいてすべての音楽家を騙し、その利便性の先には破滅しかないのを知った上で覚せい剤を売りさばく売人さながら、世の中に「便利は正義」という恐ろしい価値観を植え付けた。そのドラッグハイは音楽に留まらず、様々なコンテンツは無限に複製しデタラメに享受できて当たり前という価値観を世に定着させてしまった。複製を制限するとユーザーの事を考えない傍若無人なクソ企業であるなどという極めて愚かな意識が世に広く浸透してしまった。
自分は、客単¥5,000~¥10,000程度の中級店にて10年ほどフレンチ中心にイタリアンもちょっと経験した(元)料理人。
サイゼのメニューについて「雑に」「適当に」感想を述べてみる。
(元)「料理人」であるからして基本的には自分の好みではなく、料理としてどうなのかという点から感想を述べてみたい。
(自分の好みによるコメントも含まれるがあくまでも「基本的に自分の好みではなく」な。)
もちろん、あの値段・業態なのだからそれらを無視して評価することはナンセンスと思っている。
(パスタはアルデンテであるべき!とかステーキの焼き方を聞くべき!とか、そういうのおかしいでしょ。)
■サラダ
サラダは総じて悪くない。お好みで(自由に使える)粉チーズや黒胡椒をかけても楽しめる。ドレッシングもよい。
やわらかチキンは本当にやわらかく臭みもなくうま味も残っている。個人的なおすすめはシェフサラダ。クルミを使う等がワンランク上っぽいね。
■スープ
コーンクリーム、パンプキン共に悪くない。いずれも滑らかで素材の味を十分に表現できている。
食べたことないんで評価できないが、ミネストローネは期待できない気がしてしまう。
後述もされるが、サイゼ含め廉価店ではトマト系は総じて火の入れ加減が甘く、トマト嫌いが嫌がる香り・味を残した状態のまま提供されることが多いので。
(トマトはクーリのようにフレッシュな状態を残すか、しっかり煮込んだソースのどちらかがよいと思っている。
中途半端な火の入れ方のソース(料理)を食べた結果トマト嫌いが増えると経験上思っている。)
■パン
パン類は総じて悪くない。
ちゃんとオーブン(パントリーにトースターがあるのかな?)で焼いてくるところは評価できる。
■おつまみ
野菜ソースは玉ねぎの硫黄化合物系の臭いが残り、残念ながらサイゼでは最も評価できないものと思っているが、
グリルソーセージは秀逸。古典的なソーセージの味に近い。このソーセージが好きな人はシャルキュトリを楽しめる人だ。
野菜ソースやめて更には芋もいらないから、ディジョンマスタードを添えてくれないだろうか。
エスカルゴもよい。フォカッチャよりむしろミニフィセルを合わせることをお勧めする。
以前の自分のスペシャリテでもエスカルゴはバジリックのソースを合わせた。
ペルノでフランベして生クリームも使ってくれればそれに近づくが、サイゼではまぁ無理だな。
ほうれん草のソテーは、れん草が西洋種(苦みがある)と思われるので、若干ポーションを減らしてでも
東洋種(甘味が強い)を使ってもらえたらもっとよくなると思う。
残念だが評価できない筆頭はムール貝。そもそもムール貝ではなくパーナ貝だし。
パーナ貝は食感が固くうまみ自体も乏しいので(しかも野菜ソース使用)、メニューから外してしまってもよいくらいだと思ってしまう。
■イタリアの味
■パスタ
残念だが、これは全体的にいただけない。
食感は業態を考えれば致し方がないことなので評価対象としていないが、ソースがどれもだめ。
トマトの扱いについて前述しているが、どのソースも煮詰めが甘い。高級な素材を使用するのではなく、単にもっと煮詰めるだけでおいしくなる。
ただ煮詰めた分歩留まりが悪化するので、ギリギリのバランスで提供していることは分かるが。
火を通したニンニクの良い香りはせず、人工香料に見られるような悪しき臭いのみが鼻につく。
ドリア・グラタン系は総じて悪くない。この値段にしてベシャメルはかなり頑張っていると思う。
低価格なベシャメルだと香料の粗悪な臭い(粉乳系のあれな)が鼻につくことが多いがサイゼではそのようなことがない。
このベシャメルが実現できるのにパスタ系ソースの出来が悪いので残念に思う。
■ピザ
ピザ系は総じて良い。生地についてはなんとも言えんが、業態を考えれば大変よくできている。
個人的感想で申し訳ないが、コロコロ(ルーレット)いらない。ナイフとフォークの方が食べやすい。(大人数で食べるならしかたないが。)
でもああいうところでコストダウンしてるから、あの値段で提供できるんだよね。
■米料理
ごめん。食べことないので評価できない。どうなんですかね?増田諸君。
■肉料理
これらは妥当というしかないね。値段を(考えてはいけないんだけど)考えれば非常によく出ている。
前述しているが、野菜ソースはサイゼで最も残念なものなので(素材の悪いところしか出ていない)
それを使ったメニューについてはお好みならどうぞという他ない。
どうでもいい話だが醤油ベースのソースをガルムソースと名付けた意図はなんなのか。
ガルムとは古代ローマの時代から使われた魚醤(ナンプラーとかしょっつるとか)のことだが(ブオナッシージによる)、
こんなマニアックな名称を使うのなら、サラダはインサラータと言ってほしかったし、ミネストローネもミネストラと言ってほしかったし(ry
■デザート
ごめん。ほとんど食べことないので評価できない。おそらくいずれも妥当と思われる。
■(おまけ)酒類
サイゼのワインについては言わずもがなだが、グラッパ(少々癖がある)も悪くない。
興味がある人は一度食事(飲み)の最後に飲んでみることをお勧めする。
メニューには「ぶどうの焼酎」などと書いてあるが、普段日本の焼酎を好む人が好むものではなく、
ワイン、ブランデー等ブドウ由来の酒をたしなむ人は気に入る可能性があると思う。
■(おまけ)その他
オーリオピカンテではテーブルをベトベトにされてしまうだろうし、タバスコでは酢が立ってしまい辛味のみの提供とならない。
タバスコをテーブルに置かなかった、しかし用意はされているのは大変に賢明であったと思う。
自分の好みだがベシャメル系の料理に卓上でタバスコをかけて食べるのが好きなので。
ちなみに、ベシャメルは古典的には塩とカイエンペッパーで調味するものであり白胡椒は使われなかった。(ベシャメルに限らず白いソースはほぼそうであった)
タバスコをかけることとは全く違うけどね。
以上
幸せな生き方をするために、「見返りを求めるな」などとよく言われる。
しかし見返りを期待しない行為などそもそも存在し得ないのではないだろうか。
たとえば、見返りを期待することせずしてビジネスは成り立つまい。
投下資本以上の収益(=見返り)が期待されないのでは、ビジネスは存続できない。
その結果、場合によっては多くの人が路頭に迷い、不幸になる。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
ビジネス以外の場面でも同様だ。
せっかく意を決して譲ったのに何らかの理由で拒否されたら、いかなる人であっても残念な気持ちになるだろう。
譲るほうは「座って少しでも楽になってもらえれば」「喜んでほしい」などの「見返り」を期待しているからこそ、その思惑やアテが外れて残念な気持ちになるのだ。
見返りを求めないなら、そもそも席を譲ろうなどと考えもしないだろう。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
https://anond.hatelabo.jp/20170713211145
http://mainichi.jp/articles/20160726/ddl/k02/040/014000c
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160609-OYTNT50382.html
「無事故・無違反だが、8年前に亡くなった夫の遺言もあり、更新時期に合わせて返納した。いつ事故を起こすかもしれないし、自転車でも不自由ない」と話した。
自動車運転必須という不便で魅力のない地域から次々と脱出しており、自転車が便利な都市部への移住が進んでいる。
先進諸国共通で日本も含め、都市部では田舎より自転車の交通分担率が高い=自転車利用が多い。自動車よりも自転車のほうが都会的な乗り物だという統計の現実が見えてくる。
田舎、郊外、僻地住まいほど自動車中毒、自動車依存により拠点分散化の害や、運動不足による致死性の高いメタボリック症候群合併症に苦しんでいる。
https://web.archive.org/web/20150617110848/http://ovo.kyodo.co.jp/ch/mame/a-595239
近所の買い物や子供の送り迎えに使うママチャリ、子供の自転車から、通勤や休日の遠出に使うロードバイクまで、自転車に乗る人が明らかに増えている昨今。
そういえば、マンションの駐輪場はいっぱいだ。一昔前の集合住宅では、駐車場の抽選に必死になっていたけれど、今や駐輪場争い。仕方なく部屋に一台持って上げる、という人も多い。
「マンションの駐輪場に関するアンケート」調査でも(つなぐネットコミュニケーションズ・東京)、マンションの駐輪場を利用している居住者の半数が、駐輪場に不満を感じているという結果が出た。
そもそも、自転車の所有台数が多い。マンション居住者の76.8%が自転車を持っていて、そのうち約60%が複数台を所有(2台が35.4%、3台が16.9%、4台以上が8.6%)。
94.5%の人は、マンション敷地内の駐輪場を利用しており、「スペースが狭くて出し入れしにくい」「2段式のため出し入れしにくい」「重くて上段へ上げられない」など、自転車の出し入れに関する不満が目立った。
電動自転車など自転車の大型化や、1世帯あたりの台数増加に関する問題が主流。
自転車は「申し込み多数で順番待ちだが、逆に駐車場が余っている」など、駐輪場が設置された当時と現状の自転車利用状況にギャップがあり、ライフスタイルの変化が如実に現れているようだ。
http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-11318.php
運転免許の受験者数は2004年の387万人から2013年には290万人へ減少している。
20―24歳男性の自動車の利用率は26.3%(平成12年)から20.4%(同22年)に減少。
反対に自転車の利用率は18.9%から31%増加している。40歳までの男性の自動車の利用率はすべて減少しており、自転車の利用率が大幅に上昇している。
世の中には一概には言えないことが多い。
いろいろなニュースを読み、一概には言えないと思いつつ他の人のコメントを見ると、「これはひどい」などのタグを使って断定的に語っている人などもいて、「この人は一概には言えないとは考えないのか」などとぼんやり思ったりする。何か自分もコメントを書こうとする。しかし一概には言えないと考えて書くのをやめる。その繰り返しだ。
一概には言えないのだから無責任な100文字コメントなどするべきではないと考える。ただし私のこうした態度についても一概に言えないところがあって、一概に言えないとはいっても態度を保留するのではなく何らかの立場から積極的にコメントしておくことも必要であるという考え方もあるだろう。しかしこれについてもやはり一概には言えず、一概には言えないということだけは私は言うことができるが、何らかの立場からのコメントは私にとってやはりどこまでいっても一概には言えないものでしかなく、私はその意見について100%の責任を持つ自信がない。そういった無責任な参加がどこまで許されるのか。
ある一概には言えない事象について断定的なコメントをしたとする。そのとき私は他の人から「一概には言えない」と批判される可能性がある。そして私はその批判が一概には言えないとは言えないだろうということを知っている。何か発言するたびに私は「一概には言えない」と他の人から批判を受けるだろう。そしてその批判は正しいだろう。一概には言えないのだ。
そこで私の選択肢は以下のとおりだ。
一般的には3番目を選ぶ人が多い。自分が考えたことをある意味で無責任に書く。もちろんその行為には「一概には言えない」という批判がつきものである。
すこし注意深い人になると4番目を選ぶ。一概には言えなさに自分は気づけるだけの知能を持っていると示すことができる。しかしこのときもまた「一概には言えないとわかっていて、さらにわざわざ〈「一概には言えない」と書く〉というアリバイ工作のごとき責任逃れをしてまで発言するべきではない」という批判を受ける可能性がある。「一概には言えない」と書いておくことによって批判をかわしつつ言いたいことを放言するというこういった手法はあまり紳士的ではないだろう。
2番目にも問題はある。「一概には言えない」というコメントにどこまで価値があるのか。多くの場面で多くの人は一概には言えないということに気づいている。仮に多くの人が一概には言えなさに気づいていない場合に「一概には言えない」というコメントをすることには価値がある。明白な真理だと思われていたことに対してそれが実は一概には言えないのだということに気づくこと自体に価値があるからだ。ただしこういった状況はかなり限られる。多くの場合「一概には言えない」にはほとんど情報としての価値がなく、そういった場合「あなたは何が言いたいのか」「あなたの意見はどういったものであるのか」と聞かれることもあるだろう。その場合「一概には言えない」という態度の保留を放棄することをせまられる。つまり「一概には言えない」とあえて書いたことによって、そこから自然なコミュニケーションの流れとして踏み込んで断定的なコメントをするように求められるという逆説的な状況が生じる可能性がある。
そういったわけで私は1番目を選ぶことが多く、一概には言えないと考えている場面では「一概には言えない」とも書かない。私は何も書かないのだ。私が何も書かないということは私がその場に参加していない、存在していないことにほとんど等しく、私は他の人から私を発見されて、一概には言えなさの放棄をせまられることはないだろう。ひとまず安心する。ただし私が思うのはこういった態度が賢明なのかどうかということである。もちろんこれ自体も一概には言えないだろう。誰にも発見されず、自分の頭の中でただ「一概には言えない」と考え続けることに価値はないと考える人もあろうし、誰にも発見されずとも一概には言えなさを貫くことによって自分が一種の偏見によって堕落することもなかろうと考えることもあるはずだ。
私はうなってしまう。一概には言えないのだ。しかし私は語るべきであるのか。「一概には言えない。しかし……ということは部分的に妥当するように思われる」などといった語り方がどこまで有用であるのか。多くのことは一概には語れず、つねに例外はあり、何かを語ることはむずかしい。「一概には言えないし、例外は無限にあるが……」
私は何かを語ろうとするとき一概には言えないということはよくわかる。私以外の多くの人もわかっているはずだ。それでも彼らは語る。そこにはリスクがある。彼らの語りが正しいかどうかは一概には言えないのだ。
「ある程度」「そういった傾向」「……の一部は」「かならずしも……というわけではないが」「何時何分何秒地球が何回回ったとき、そのときにおいてのみ」
私にはわからない。一概には言えないということだけはわかる。
ジャズの一回性というものが語られることがある。私は一種のインプロヴィゼーションに身を任せるべきなのであろうか。私はいつでもでたらめの神託をでっちあげることができる。だがやはり私はそういった風なことはやらないだろう。一概には言えないのだ。私は自己完結してしまう。むしろ自己未完結とでもいうべき状況かもしれない。私は一概には言えなさに拘束されている。私の翼は鎖で縛られている。
まず最初にですが、有害マンガが子供に悪影響を与えるのは事実なのです
これはどうやっても否定できません
簡単に説明すると、4歳の子供の目の前にマシュマロを置いて15分我慢すること、我慢できたら2個あげる事を伝えてから部屋に1人にする、という実験です
それは我慢できた子供のほうが学校の成績がよく、また社会に出てからも成功者が多かったのです
参考
https://allabout.co.jp/gm/gc/455379/
でも規制する親は自分の子供はマシュマロを我慢できない自制心の弱い子供だと信じています
「万が一何かあったら」と思うこと自体、子供の成功を心から信じていない証拠なのです
だからマシュマロを見せないようにすれば、マシュマロ実験に失敗することはない、とこういう親は考えるのです
まあそんな失敗させてもらえなかった失敗者レベルの子は、大人になって我慢させられた分を取り戻すようにハマるんですけどね
話を戻しますが、結論として自分の子供にマンガを規制する親は、マンガによって悪影響を受けてしまう自制心の弱く、将来社会的に成功する確率の低い子だと確信しています
マシュマロ実験の成功者は1/3、半分より多くの子供は失敗者なので、その考えは確率の期待値としてはとても正しい結論なのです
また親自身も2/3の半分以上の失敗者なので、そういう考えに至っても仕方ないのです
最後にこれだけは伝えたい