幸せな生き方をするために、「見返りを求めるな」などとよく言われる。
しかし見返りを期待しない行為などそもそも存在し得ないのではないだろうか。
たとえば、見返りを期待することせずしてビジネスは成り立つまい。
投下資本以上の収益(=見返り)が期待されないのでは、ビジネスは存続できない。
その結果、場合によっては多くの人が路頭に迷い、不幸になる。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
ビジネス以外の場面でも同様だ。
せっかく意を決して譲ったのに何らかの理由で拒否されたら、いかなる人であっても残念な気持ちになるだろう。
譲るほうは「座って少しでも楽になってもらえれば」「喜んでほしい」などの「見返り」を期待しているからこそ、その思惑やアテが外れて残念な気持ちになるのだ。
見返りを求めないなら、そもそも席を譲ろうなどと考えもしないだろう。
それでもなお「幸せに生きるために見返りを求めるな」と言えるのか?
「他人に期待するな」
なるほどそういうことなのか…。 他人に期待するなとはいえるが、他人は期待する。 そして俺はそれに答えようと最大限のことをしてしまう。 結果として、俺からの見返りを受ける。 ...