はてなキーワード: 親友とは
センター試験まであと3ヶ月のタイミングで突然告白されて私は一番の友達でいたいって言ったらそれは無理、恋人になるか友達ですらなくなるかの二択だって言われてそれは嫌でいろいろこじれたけど結局友達のままに収まった
学部は違えど大学も一緒だったのでその後も「友達」として付き合いがあった
一年後その子から「彼氏できた」って言われて一番最初に思ったのが「は?私のこと好きだったんじゃないの?」だった
高校時代その子のことが本当は好きだったんじゃないのか、と一瞬頭をよぎったが全然そんなことはなく、ただ私は自分に好意を向けてくれる人をストックしておきたかっただけだったんだなってその時気付いた
ネタバレ満載なので未見の人は見ないように。
甲賀弾正×お幻
「バジリスク」という名称自体が、死んでも殺す的な意味合いで付けられたものと思われるので最終的に壮大な相打ち物語なのだが、
その初戦を飾る戦い。
かつて愛し合った二人の戦いであり、物語のラストシーンとの対比となる名シーンである。
とはいえ、ここでお幻の鷹がいなければ勝負は恐らく一方的に甲賀の勝利に帰したであろう事を考えると、実質的にお幻の勝ちに近い気もする。
甲賀弾正は巻物をスリ取った上に不意打ちでお幻を倒して、かなり甲賀有利の状況を築いたにも関わらず、一瞬の油断から相打ちに持ち込まれた上に、結果的に巻物は鷹の翼によって先に伊賀方に届いてしまい、その後長きに渡る伊賀のイニシアチブを許すという、踏んだり蹴ったりな結末であった。
■FF7
FF7のストーリー上、クライマックスと言っても良い名シーン。
ここでの神羅カンパニーの社長退場と、その後のシスターレイを巡る一連の戦いによって、物語の最初からストーリーを牽引してきた神羅カンパニーは組織的な統率力を喪失し、物語の舞台から退場する事になる。その引き金となった戦い。
超長距離での大火力の撃ち合いによる相打ちだが、シスターレイの標的がダイヤウェポンではなくセフィロスの張ったバリヤーであった事や、ダイヤウェポンが倒れた後にその攻撃がミッドガルを破壊するなど、超長距離での戦いゆえの見せ場がカッコいいシーンである。
一方、本来ジェノバ(セフィロス)を攻撃するはずのウェポン達が、神羅カンパニーを攻撃したり適当にウロチョロしてるだけでイマイチ仕事してない感がある事や、
北の大空洞とミッドガルの直線上にダイヤウェポンが重なる偶然(神羅側はそのタイミングを狙ってたのかもしれないが)等、ややストーリー上の強引さを感じるのがマイナス要素である。
結果的に、サファイアウェポンやダイヤウェポンは神羅カンパニーを攻撃してセフィロスをアシストしてたようなものだし、アルテマウェポン・ルビーウェポン・エメラルドウェポンはあの有様なので、ウェポンは使徒を出したかっただけやん感が強い。
アルミサエル×零号機
前半でせっせと株を上げて、後半で一気に落としたTV版エヴァンゲリオンのエヴァ対使徒の実質最終戦(最後のシ者は、エヴァ対使徒って感じじゃなかったし)
前話でみんなのヒロイン惣流明日香ラングレーさんがアレな感じで退場した直後、嫌な雰囲気全開の中で行われた戦いの中で、やっぱり嫌な展開で発生した相打ちである。
レイ2号機の最後の回想が我らが主人公碇シンジくんではなく、ネグレクト総司令碇ゲンドウ氏であった事も含め、視聴者への嫌がらせが頂点に達した瞬間でもある。
思えば第一話から「勝てなきゃ自爆」がデフォの使徒戦だったので自爆では死なない印象があってもおかしくなかったのだが、黒ジャージ戦以降、物事が悪い方向にばかり進んでいたので、もはや出撃しただけで死にそうな感じが漂っていたのが印象的である。
しかもこの辺の戦いは、ゼーレやゲンドウが暗躍しまくってるせいで、初期の「使徒に勝たなければ世界が終わる」という背景が形骸化し、なんか消化試合みたいな雰囲気すらあった。
という事で、視聴者に嫌がらせするために行われたと思われる壮絶な相打ちシーンである。
■FSS
KOG×ジュノーン
ストーリー上重要な相打ちのはずだが、なんか全然重要じゃない気もするワンシーン。
設定変わっちゃってよく分からんけど、MHはレッドミラージュだけあればいい気がするんで相打ちになった二機が割とどうでもいい感じがしてるのと、
パイロットも割とどうでも良くて、重要なのは2人のファティマのはずなのだが、
それもなんでそんな所で相打ちになってるのか良く分からない感の漂う、良く分からない相打ち。
なんの意味があったのか。
言わずとしれた名シーン。ドラえもんの道具を使えば簡単に直せそうな気がするが、それは言わぬが花というやつである。
22世紀から来たドラえもんがいる以上、世界が滅びるはずがないのだが、それも言わぬが花である。
>相打ちはお互いに攻撃を仕掛けてお互いに致命傷を負うことであって、バギーちゃんみたいなのは自爆やろ
↑まあ、そんな気もするけど、鉄騎隊はポセイドンが操ってたみたいなんで、一応両方攻撃したよ、という体裁で一つ。
>バギーちゃんがしずちゃんの涙の雫に反応して奮起する名場面、水中では雫ができないはずだが、それは言わぬが花というやつである。
↑言われてみるとそうやな。まあそこは、おいらの心の胸は、お空の月の星の涙よおいらの胸の心の切なさよ、雨が降れば胸の心の頭もぬれるよって事で一つ。
スパイク×ヴィシャス
戦闘開始時点ですでに疲労してボロボロかつ腕に被弾していたスパイクと、無傷で座って待ってたヴィシャスではフェアな戦いとは言えない気もするが、
まあ殴り込みをかけたのがスパイクである事と、拳銃使いのスパイクに対してヴィシャスは日本刀使いというハンデがあり、更にスパイクはヴィシャスの部屋に爆弾投げ込んでるっぽいので、その辺込みで「堂々たる一騎打ちであった」と評して良いだろう。
かつての親友同士だったが女を巡って争った挙句、女は雑な感じで死亡済み、という背景もハードボイルドで良い。
最後、お互いの武器を押さえあった状態から相手に武器を渡しての相打ちであった事も、救いのないはずの戦いに花を添えている。
ラストシーンで入り口でスパイクを待ち伏せしていたマフィアが、既に戦える状態にないスパイクを見て銃を下ろすシーンがお気に入り。
ダイヤのJ×北家
2位以下は全員死亡というルールの中、逆転できるわけでもないのにアガって(しかも国士)そのままゲームオーバーとなった北家に対する、
「どこで運使っとんじゃあああああ」というダイヤのJの最後の叫びは、この作品一のお気に入り。
まあ、既に勝ち目が無いに等しかった北家と南家は、良くても東家のチシヤをトップにしてダイヤのJを道連れにするしかできない状況だったので、
そういう意味では北家は良くやったと言えるのだが、あんまりそんな雰囲気ではなく単に当たり牌が来たからアガった感の漂う北家の空気も良かった。
ゴルツィネ×フォックス
同作の組織戦としては最終決戦のクライマックスに起こった名シーン。
致命傷を負いながら裏切り者のフォックスを倒したゴルツィネの最後の心境はどのようなものだったのか、
その重点が裏切り者を許さないマフィアのプライドだったのか、自分の手に入らないならばアッシュを誰にも渡したくないという執着だったのか、
色々なものを想像させ愛憎入り混じったBANANA FISHの最終ボスを飾るにふさわしい男であったと言えるだろう。
片や主人公陣営を散々に苦しめた大ボス・ゴルツィネを用済みとばかりに軽く裏切って片付けたフォックスも、
その悪役らしいあっけない退場の仕方も含めて途中出場でありながら存在の軽さを感じさせない名悪役であったと評価したい。
なお、同作で相打ちといえば、言わずと知れた最後の名場面があるわけだが、ラオの存在がちょっと軽いので、相打ちというよりは「アッシュの最期」という印象が強い。
あと余計な事ではあるが、ふつーに考えると腹刺されて失血死する場合、床は数リットルの血でグチョ濡れで魚市場のようなムッとした臭気が立ち込めている上、顔はゾンビのような土気色のはずで、良い夢見てるようには多分見えないのではないかという疑いが強い。
※ブコメを見て
知らないのもあるけど、知ってるのもあるなあ。
□幽遊白書
飛影×時雨
あったなあ。解説の躯さんがいるので野暮な解説はしたくないが、
この時点で飛影と互角だった時雨がなぜトーナメントで蔵馬といい勝負ができたのか、原作読んだだけだと疑問しかない。アニメだと何か説明があったのだろうか・・・
なお、このトーナメントの逆トーナメント覇者は俺たちの柘榴であり、「自分に勝った奴は許さねえ」という柘榴の執念を感じる。
あった。勝てない相手に対してでも、何が何でも殺すというネテロの執念の一幕だった。
あの一撃でメルエムだけでなくユピーとプフにも致命傷を与えており、「当初はネテロの負けに見えたが、実は勝ってたのはネテロで、後からその凄さがわかる」という冨樫先生の演出の妙が光る。
一方、ネテロは立場上自爆を選択しただけで、一武術家として戦っていたならそのような戦法はとらなかったのでは、とも思わされる。
□北斗の拳
ファルコ×名も無き修羅
あったあった。修羅の国への期待値を爆上げして、後からパワーバランスが良くわからくなる原因を作った一戦。
それだけファルコが弱っていたと言えなくも無いが、刹活孔注入してからも一発喰らわせてるし、ケンシロウにも一応かすらせてるので、紫光のソリア程度の強さはありそうな気がする。
□マヴァール年代記
しかしあの一戦のせいで、あんまり英雄と知将の戦いという読後感がなくなったのも惜しかった。
孫子曰く「凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るはこれに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るはこれに次ぐ」というやつで、
お互い全滅するまで戦って最後に大将同士で一騎打ちして相打ちって、お前ら何やってんだという感が強い。
しかし今にして思えば、アルスラーン戦記の最後の相打ちに比べればまだマシだったかなーという思いもある。
相打ちすりゃ良いってもんじゃないんやで。
■BASARA
揚羽×夜郎組
最終決戦の裏側で、敵方の暗部夜郎組を一手に引き受けて散った、タタラ軍の縁の下の力持ち揚羽。
敵も倒し、崩れる城も支え、友人の太郎ちゃんの仇も討ち、と八面六臂の大活躍だったのだが、その最期は崩れた城の下敷きであり、見届けた者はいない。
物語の最初から更紗を救い続けたものの、その更紗は敵将朱理とできてしまい、それでもBSSとか泣き言を言わずに支え続けた男の中の男である。
なお、この物語にはもう一幕の相打ちシーンがあり、作中最強の暗殺者である柊と朱理・今帰仁コンビによる一戦。一交錯で決着がつき、双方死ななかったものの双方片腕を失うという痛み分けの結果となっている。
つまらない深読みをするなら、作品として物語前半で悪逆非道をなしている朱理を無罪放免というわけには行かず、華を持たせつつも贖罪的な意味合いで片腕を落としたのであろうと思われる。
早期にマーズランキング2位が退場した戦いであり、読者に絶望的状況を知らしめた。
レーダーよりも遠くから敵を察知するアドルフさんの謎能力がヴェールを脱ぐときの説明文のカッコよさに加え、
雷で倒す→避雷針で避ける→側撃雷で倒す→心臓マッサージ→銃を電磁場で防ぐ→電磁場の通じない投石で殺害→自爆
という二転三転する状況が、希望を見せてはまた絶望に落とすという、一筋縄では行かなさを演出した良い戦闘だった。
なお、状況的には相打ちというよりアドルフさんの負けであるが、多くのゴキブリを殺害及びボスに重傷を負わせ、結局何も渡さなかったという点と、
数話後にこの時のボスゴキブリが討ち取られた際に、すでに側撃雷で内臓に重傷を負っており、生き延びたけど長くはなかったであろう、という説明が入ったので、相打ちと判断したい。
余談だが、単行本には収録されていないが、YJ連載時の『雷帝、戦闘体勢(アドルフ・スタンバイ)』という煽りはかっこよかった。
アニメ版など無かった。
私が本書で語りたいことは、他人はけっしてあなたの孤独を解消してくれないこと、一時あなたの孤独を巧妙に隠蔽するのを手伝ってくれるかもしれないが、あなたの孤独自体を根絶してはくれないことである。このことを心底から自覚するとき、人は孤独から逃れるのではなく、孤独を選ぶようになる。孤独を嘆くのではなく孤独を楽しむようになる・・・。こう書けば簡単であるが、じつは孤独になる技術を学ぶのはなかなか難しいのである。
まず、問うてみよう。どんな人が孤独であろうか? 親も兄弟も友人も恋人もいない人は天涯孤独である。しかし、その人になすべき仕事があれば、孤独はその仕事を育て上げる大切な養分である。その仕事さえない人は? いや、だれでもぎりぎり自分の孤独を直視すれば、何か手応えのあるものを求めるはずなのだ。
それは、哲学かもしれない、宗教かもしれない、芸術かもしれない、ボランティア活動かもしれない・・・。こうした広義の仕事に邁進できる人は、すでに孤独を利用できる技術を体得したことになる。
だが、私に切実な手紙をよこすのは(たぶん)こうした極限的孤独に陥っている人ではない。うめき声とともに自己表現技術を体得した人でもない。彼らには親も兄弟もあり、そこそこの友人なりそこそこの恋人なりいるのだろう。だが、孤独なのだ。彼らにはそこそこの仕事も与えられているのだろう。だが、孤独なのだ。つまり、すべてがぼんやりしており、自分が何をしてよいのか、何をしたいのかわからない。あるいはわかっているとしても、それができない。
人生の折り返し点を過ぎた人の多くは、自分に与えられた小さなものあるいは自分の獲得した小さなものを黙々と守るだけの生活を続けている。そして、まもなくーー高々三十年後にーー死んでゆくのだが、そのことはひたすら考えないようにしている。たしかに時折無性に虚しくなるが、そんな落とし穴に落ち込むほど青くはない。思考をぐっと現実的な対象に向け変え、気持ちを整える。今自分が考えるべきこと、それは息子の大学入試であり、娘の結婚であり、自分の昇進であり、もっと広いマイホームを手に入れることだ。だが、その後はだって? 年金はいくらもらえるのか、老後の世話は誰がしてくれるのか、たしかに心配は残るさ。それは二十一世紀の大きな問題だなあ。地球温暖化という大問題もあるし・・・。
ごまかすのはやめなさい! あなたはまもなく死んでしまうのだ。あなたをまもなく襲う死をおいてほかにもっと大切な問題があるのだろうか? あなたは死とともにまったく無になってしまうかもしれないのだ。そして何億年たっても二度と生き返らないかもしれないのだ。もうじき終わってしまうこの人生が、あなたに与えられた唯一の生きる機会、考える機会、感じる機会なのかもしれないのだ。もうすぐ死んでしまうあなたが、必死に日常的な問題にかかずらっていること、それはたぶん最も虚しい生き方である。死を目前に控えて震えている死刑囚よりも虚しい生き方である。キルケゴールとともに言えば、日常に絶望していないことこそ絶望的なのだ。
私に手紙をよこす人々は、こうした日常を守りながらも「どうにかしたい」と考えている。彼らは日常生活の虚しさの背後にーーたとえ自覚しないとしてもーー死を見ている。いかなる他人との交際の後でもふうっと虚しさを感ずる。恋人や親友に会っても、一抹の後味の悪さが残る。こうした体験を知っている人は、勇気をもってだらだらした生活をどこかで打ち切り、少しずつ孤独になるように努めよと言いたい。もし、あなたが死を最も大切な問題だと考えているなら、孤独になるしか方法はない。そして、孤独になるには、日常生活を犠牲にするしか方法はない。少しずつ日常生活から遠ざかるしか方法はないのである。健全な日常生活を守りながら、孤独を獲得することはできない。あれかこれかしか得ることはできないのだ。
具体的に、孤独になるとは、他人に時間を分け与えることを抑えることである。自分の生活を整理し、なるべく他人のためではなく自分のために時間を使うことである。多くの読者は「そんなことはできない」と言うであろう。しかし、私が強調したいことは、頭で考えるのではなく少しずつ実際に石を動かしてみることだ。生活を変えるように努力してみることだ。すると、たぶん思わぬ手応えを感ずるであろう。あなたは、次第に孤独であることに喜びを見出すであろう。他人に囲まれていなくとも、寂しくなくなるであろう。そして、自分固有の人生の「かたち」が見えてくるであろう。
そんな曖昧模糊としたことは信じられないという人に答えたい。それなら、あなたは死ぬまであなたのぬるま湯の日常生活を続けるがいい。そして、小さな薄汚い世間体を抱えたまま「これでよかった」と呟いて死ねばいい。
2巻までの二人はただ相手が好きで、それだけで良かった。
3巻での山田は市川を求めているし、市川に求められる事を望んでいる。
しかし当の市川が自分の本心から目を背けているせいで望みはかなわないのだ。
だからこそ karte.43 で市川が絞り出した本心は尊い。
不器用で臆病だが精一杯山田を求める気持ちがこもっていて、ようやく山田は互いに求めあう事の充足を得た。
3巻は全体的に、山田の心が市川でわちゃわちゃする様を愛でる話が多かった。
単話ごとで見ると、山田が初めての恋に振り回される様はとても微笑ましい。
一方で3巻全体を通して見ると、すこしずつ山田が不安定になっていく様子がうかがえる。
求めるにつれ自制が失われ、年相応の性欲が芽生え、不安が募り、ついにはナンパイ彼女というストレス要因によって弾けてしまう。
この不安定さは最終盤、仲直りのハグ(2回目)とLINE交換によって肉体・精神の両面から満たされる事で一旦解消。
幸せの中で4巻に続いている。
市川は2巻中盤以降から相変わらずで、山田ほど恋に振り回されてはいない。
自分の恋心を「病気」と断じて未来への希望を排除しているため、より親密になりたいという欲求自体が抑制されているのだろう。
これはもちろん欺瞞であり、ポーカーフェイスの裏で溜りに溜まった歪みが終盤ついに吹き出して初恋を破たん寸前まで追い詰めた。
市川が歪みの正体に気付き乗り越えた事で二人の関係は一歩前進できたが、まだまだ色々な事(欺瞞そのものとか)から目をそらしている事は変わりなく前途は多難だ。
市川とのつながりが欲しい山田はLINEの交換を持ちかけるが失敗。
逆に成り行きで萌子と市川がLINE交換することになり激しく嫉妬する。
自分も市川に妬かせるためにクラスの石室君とLINE交換せざるを得なくなるが、すんでのところで市川が(意図的ではないが)阻止。
図書室以外での接触を避けたい市川は距離を取ろうとするが山田は一緒に走りたい。
なんだかんだ山田が気になってほぼ一緒に走り、結果はビリだった。
授業終わりでみんな教室に帰っているし、まぁいいかと手を貸す市川。
返したと思ったのは市川のジャージで二人のジャージが入れ替わっていた。
市川の名札が付いたジャージを山田が着てしまう事を危惧する市川。
市川は挙手して黒板前に進み出ると、問題を解きつつ山田に「名札みろ」とジェスチャーを送る。
が、山田は二人だけの秘密を楽しんでいるかの様に受け流すのだった。
ようやくの昼休み、図書室に市川が入ると山田は先に来ており、山田から返されたジャージの襟元にはご飯粒。
市川はいつもの食べこぼしだと思ったが、それは口元にご飯粒を付けた山田が市川ジャージに顔をうずめた痕跡なのだった。
ネットで山田がEテレ「コロンブス学園」なる番組に出演している事を知った市川。
丁度放送日だった事もあり気になって視聴する。
山田が皆に知られてしまう事を危惧する市川だったが、実際のところ山田はひな壇のその他大勢に埋もれ、しかも出番はほぼカット。
市川はホッとしつつも山田の傷心を思い「コロ学」の話は避ける事にした。
最近の山田は昼休みに宿題している事を知ったちい(小林)が図書室を訪れ、なりゆきで市川が問題の解き方を教えることに。
素直で裏表のないちいが市川とも距離なく話す様に、親友とはいえ嫉妬が隠しきれない山田。
市川の方でも「山田とだけは普通にしゃべれる」事をちいに指摘されて動揺。
その日の昼休みは終始かき乱される二人だった。
代わりに山田が市川に勉強を教わる事にして、図書室の二人は並んで座るようになった。
三者面談。学校で母親と接触したくない市川は面談室前の様子を隠れ見る。
順番が山田家の次だったようで、廊下の椅子には山田母・山田・市川母が。
隣に座るのが市川の母と気付いた事から緊張しつつも軽く談笑する山田と市川母。
面談終了後、玄関に向かう市川親子を見つけて後ろから駆け寄る山田。
そのとき「面談前にすごく綺麗な子とアメを交換しちゃった」との市川母の言葉に、一部始終を隠れ見ていた市川は「山田」と即答。
すごく綺麗な子=山田という市川の答えに顔が赤くなった山田はまともに話しかける事ができず、「ば、バイバーイ」とそのまま駆け去った。
萌子にちいの代役(椅子)を頼んだ山田だが、椅子萌子が山田の乳を揉んだだめ憤慨。
それなら、と黒板に「山田触っていい場所マップ」を書かせることに。
その日の図書室、市川がマップを見たと知っている山田は触って良いよとばかりに距離が近い。たじろぐ市川。
三者面談の話をしているところに司書の先生が入室し、慌てて距離を開けた。
ふと見ると山田は宿題ノートの端にアメを出しっぱなしにしていて、市川はマップ上「触って良い」になっていた肩を軽くたたき「アメ、隠せ」と耳打ち。
突然のささやきに山田は耳をおさえて赤面、超絶動揺してしまう。
後日、山田のマップには耳が「触るのNG」として追加されたのだった。
小雨かと思ったらドシャ降り。
冬の冷雨に打たれながら自転車で家路を走る市川はコンビニを出た山田と鉢合せした。
市川の濡れた髪と面貌に見とれて思わず手を伸ばしてしまう山田、たじろぐ市川に気付いてギリギリ未遂。
後ろで傘を持って2人乗りしようとの山田の提案もあったが、仕事の予定もあって結局断念。その場で解散となった。
ようやく家の前まで帰り着いた市川は、自転車の前かごに山田のコンビニ袋が入ったままになっている事に気付く。
袋の中にはお菓子の他に生理用品もあり、慌てた市川は再び雨の中を駅へと急ぐ。
何とか間に合った市川、大声で山田を呼び改札越しに袋を渡そうとする。
山田はわざわざ改札を出ると、袋を受け取りながら濡れた市川の髪を拭いた。
市川が慌てていた訳に気付いた山田は顔を赤らめつつも市川の耳にそっと顔を近づけて
続く「ママに頼まれた」という言い訳に市川は「あのキレイなママがなぁ・・・」とキモい妄想にふけってしまい、それと知らない山田はここぞとばかりにハンカチで市川を撫で続けるのだった。
前回の雨で風邪をひいた市川は学校を休み、平日昼間の一人の家を満喫。
そこに給食のイチゴババロアをもった山田がお見舞いでインターホンを鳴らす。
玄関先で少し言葉を交わした後、体調を気遣っておとなしく帰ろうとする山田を、市川は咄嗟に「あ、お、お茶でも、飲んでいっ、たら・・・?」と引き留める。
表情を明るくする山田。
自宅に山田がいるという緊急事態にテンパる市川、お茶の用意をしかけたところで汗まみれの寝間着が気になり着替えることに。
朦朧とした意識の中で「大丈夫、大丈夫」と答える市川だったが、上着を着せようとする山田の腕の中で再び気を失った。
熱に浮かされる市川は、山田に抱き寄せられるやけにリアルな夢を見ていた・・・。
頬を撫でる手の感触に市川が目を覚ますと、手の主は山田ではなく姉。
市川にはどこまでが夢なのか分からなかったが、イチゴババロアと置手紙から山田が来たことだけは間違いないようだった。
チョイ役だが一言だけセリフもあるそうで、唐突に冷たい声で「マジキモい」と映画のセリフを披露する。
山田が発したその言葉にセリフと知りつつ心底の劣等感が震えてしまう市川。
その後もセリフの練習を続ける山田だったが、周りの目を気にする市川の提案で人気のない場所に移動することに。
公開日は卒業直前の再来年春だといい、市川は否応なくその時の二人の関係について考えてしまう。
(再来年の春に)映画を観てくれる?という山田の問いかけに、市川はわからん、善処する、としか答えられない。
が、ほんの少しだけ覚悟をきめると「観られる(自分になる)よう善処する」と、初めて二人の未来について真剣な言葉を発した。
その顔を見た山田は胸がいっぱいになり、セリフの練習が続けられなくなった。
前回を受けてイチャラブ度がピークに。周りに隠す気あるのか?というレベル。
席替えの結果市川は廊下側2列目、山田はその左斜め前とギリすれ違い。
足立が山田と教科書シェア作戦を画策、市川が阻止。嫉妬が嬉しい山田。
山田の長身で黒板が見えない市川が原さんにノートを写させてもらう。頬を膨らませて拗ねる山田。
休み時間「原さんが隣でよかったねと」弱気な山田に「山田がデカくて黒板が見えない」とも言えない市川。
つい「授業中、山田しか見えない(から黒板が・・・)」と口走ってしまう。
結局席順は山田と市川を入れ替えて、最前が足立・市川、2列目が山田・原さん、となった。
市川は山田から借りた「君オク」を読んで山田から自分への好意に気付きかけるが、あり得ない希望を持たないようにその考えを打ち消す。
その場はちいが追い払うも、昼休みの図書室に今度はナンパイ彼女だけが登場。謎の正妻アピールで山田をけん制する。
市川に誤解されたくない山田は暴走してしまい、彼女に連れられて図書室を訪れたナンパイに、市川とのキスシーン(のふり)を見せつける強硬策に出る。
山田からするとかなりの覚悟を要した行動も、山田から市川への恋心を「あり得ない」と考える市川には「好きでもない男を利用する行為」と映ってしまった。
それは「市川のネガティブな世界観」と「山田が隣にいてくれる現実」のギャップを埋める説明としてこの上なく適切であるように思え、
市川は足をガタガタと震わせつつこれまでの全てが「ただ利用されただけの関係だった」と結論。自ら絶望する道を選んでしまう。
その選択はまた、内心抱えていた恐れから解放され、元の自分に戻るという逃避でもあった。
山田を拒絶し昼休みの図書室にも姿を現さない市川、山田は不安を募らせる。
2日目にして耐えきれなくなった山田は、放課後の市川に強引に詰め寄った。
山田はここ最近市川との接触を求めすぎていた事に負い目があったようで、
「おこってるの?なんで?」「私が距離近すぎるから?」と涙目で問いかける。
涙をぬぐおうと取り出したのは、いつかの「ご自由にお使いください」ティッシュだった。
それを見た市川は「山田はそんなヤツじゃない」と分かっていながら気持ちを偽っている自分自身に気付く。
市川は「欲しくてたまらないのに決して手に入らない山田」を想う気持ちが日増しに強くなる事から逃げる口実を求めていたのだった。
自分の本心を知った市川は山田に歩み寄り、たまたま用事があっただけ、と弁解する。
山田は安堵から思わず市川を抱き寄せるが、接触を求めすぎたことが原因だと思い出してすぐ離れ、仲直りのハグだったと言い訳。
市川は精一杯素直な気持ちを振り絞って「嫌だなんて言っていない」と返した。
山田は再び市川を引き寄せると、ようやく心置きなく、愛情のままに市川を抱きしめる事ができたのだった。
その日の帰り道。
浮足立つ山田と賢者タイムの市川の会話はイマイチかみ合わず、市川はやはり山田との相性は微妙と嘆息する。
逆に、君オクの感想を市川から聞いた山田は好きな場面が一致した事で心を弾ませた。
とその時、突如IQが高くなった山田に天啓が降り、君オクの続きを月曜に持ってくると市川に約束した。
はたして終業式の月曜、山田は君オクを持ってくるのを忘れる。
まだコロナのこともあって仮らしいけれど、延びても今年中には東京へ行ってしまうらしい。
早くて7月。この状況なら、7月にはいなくなってしまうだろう。
まあ2~3年にはまた地元に戻ってくるらしいけど、それまでは遠距離恋愛が確定で、3年後には私は29歳、彼は27歳。
まさか、新卒に毛が生えたような子が転勤させられるなんて思ってなくて、一ヶ月前には想像もしていなかった。
本社も地元にあるのに。転勤が多い会社ってわけでもないのに、しかもこんなコロナが流行っている時期に彼が選ばれるなんて。
これから、遠距離になったとして、東京へ会いに行けるのだろうか。
彼には「大丈夫!こっちと違って、たくさんデートスポットあるから、むしろ楽しみだよ」と話しているけど、正直すごく不安だ。
彼がすごくつらそうにしているから、私くらいはポジティブにならなきゃと思って明るく振る舞っているけど、仕事中すら思い出して泣いてしまいそうなほどつらい。
私の方が年上だから、「あなたは適齢期だし、僕と付き合うのは時間の無駄では?遠距離は大変ですよ」と何かと言われる。
そりゃあ、どうでもいい男なら次の男探しでもし始めているだろうけど、彼は何故かどうでもいいと思えなくて。
別に探せば彼の上位互換なんていくらでもいるだろうけど、それでも彼じゃなきゃ嫌で。
この気持ちなんて恋愛し始め特有の熱病みたいな状態だって、理解はしているけど、何故か割り切れない。
「大丈夫。私ってほらモテますし、どうしてもしんどくなったら別の男に乗り換えられますよ!心配しないでください」
とへらへら話している。別に今アラサーだから若い頃みたいにモテないし、きっとしばらくは男なんて作れないだろうけど。
彼には言えないけど、彼とならなんとなく友達みたいに付き合って二年とか三年目くらいで「そろそろ結婚かもね~」って雰囲気になって、
なんとなく結婚して……みたいに付き合うのかなってずっと思っていた。
それくらい私は彼のことを特別に思ってる。こんな気持ちになったのは初めてなんだけどなあ。
彼にとっては私なんて、親友みたいに話せる女でしかないのかもしれないけど。
その会話を思い出しては、嬉しくなるけど同時に悲しくもなる。
こんなことを考えちゃいけないとはわかっているけど、コロナの感染者数が増えて転勤が延期になるなら、ずっと収束しなければいいのに、と思う。
そうしたら、いつまでも彼がここにいてくれるのになあ。
これは元増田さんへの返信というより、私の抱えている「腐女子」全般への偏見の告白なんだけど、「夢」への抵抗感は、自己評価の低さが鍵になっているんじゃないかな、と。もっと言えば心理的安全性に関する事柄にも思える。
すでにブコメでid:kemononekoさんがそれに類することを述べているので当該箇所を引用しておく。
私もこのブコメと同じような見解を抱いており、以下はそれに基づいて綴る。強い言い方をするなら「下衆の勘繰り」なので不快にさせかねないことをあらかじめ申し添えておく。
元増田さんは二次創作において主人公としてふるまうオリジナルキャラクターについて、
一見もっともな理由だ。しかし腐女子向けの二次創作ではしばしば公式には明示されていない、「特定のキャラクター同士の関係性」が描写される。厳密に言えば、これも完成された世界に介入する異物といえそうだ。もちろん「新しいキャラクター」と「新しい関係性」は別物だ。ここではむしろ、前者に強い抵抗感を示しつつ、後者は受容している点に注目するべきだろう。大仰に述べたが、新しいキャラクターは当然その人物自体が評価の対象になるが、新しい関係性の導入にはその恐れがない、ということだ。
と述べる。
これらはすべて、自分自身が評価の対象となることを避けようとする傾向の表れに見える。
であると述べる。その見解を否定したいわけではない。むしろ同意する。これはその背景にあるものについての見解、というより偏見の告白だ。
さらに続けると、「本題」は、元増田さんの友人の親子のエピソードであるという。これも自己評価や心理的安全性にかかわる事柄にみえる。小学生である子供が「オリジナルのセリフ」を考えることを拒否した理由は、
というものだった。もしこの子供の言葉を課題を避けるための言い訳ではなく真に心からのそれであると仮定し、その心情をやや大げさに解釈するなら、「すでに親友がなぐさめているにもかかわらずさして仲が良いわけでもないのにしゃしゃり出てわかったような口をきいて二人の間に入り込む」ことを恥じている、といえそうだ。これは「物語を外から見ている」のではなく、むしろ自分自身を「物語の中に置いている」視点だ。
では逆に、課題を避けるための言い訳としてみるとどうだろうか。これは親子間の心理的安全性が担保されておらず、「自分の考えたセリフが評価の対象になること」を恐れているように見える。親の望む答を用意できない、あるいは、自身の答えが親から評価されなかったとき、子は自尊心を傷つけられたと感じるだろう。そのリスクが不当に大きく感じられている、つまり心理的安全性が低い、とも、そのリスクを冒してでも答えようと決意する動機付けがなかったとも言えるだろう。
ここまで遠慮なくつらつらと書いてきたが、元増田には他者の心の中の在りようを断定できるほどの要素は含まれていないと思う。結局のところ、「腐女子には自信がないんだろう」という偏見の告白であり、私の心理を元増田さんやその友人の子供に投影したものだ。
はてなをはじめ、ネットの反応見てると「リモートワーク最高!」な意見がよく見られ、早く会社で働きたいという意見をあまり見かけない。
満員電車に1〜2時間乗車するのが嫌で会社から徒歩10分の物件に引っ越したのにこれでは意味がない。
行きたがってる理由は2つ。
1. 生産性上がる時と下がる時の落差がはげしい。
1は、自分は発達障害な部分があり過集中してしまうため、寝食忘れてがっつりやる時もあれば全く手が進まない時がある。
誰かいると話しかけられて程よく中断されるから、集中しすぎず立ち止まることができる。
ちなみにタイマーとかリマインダーとか使ってみたが無意味だった。
2のほうが深刻で。
元々ポジティブな性格だったはずだが、何か漠然とあった幸せ思考が薄れてる。
漫画やアニメ観てもそこまで心揺さぶるものがないし、推しメンの映像観ても前ほど盛り上がらない。
「おめでとう」の一言でも送ればいいのに、なんにも湧き上がるものがなくて「あ、産むの?」ってクズ男みたいな発言をしてしまった。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
こっから始まってちょっと言及したくなったことが出たけどその前に
https://tkrtht.hatenadiary.com/entry/2019/06/04/195908
このへんとかを合わせて読んでポルノとしてのR18BLと性的消費が主題でないBLは分けて考えた方がいいんじゃないかと思った話をします。
(不可分って言ったのに分けて考えるというのもなんか変な話なんですが)
そもそもBLになぜハマるかについては人それぞれ理由があるので全部ひとまとめにはできないわけですが、それでもやっぱり大まかな傾向っていうのはあります。
ありますが、その大まかな傾向も当然ながら一つにまとまるようなものではなくて何種類かに分かれるはずです。
そういう中でBL=ポルノとかBL=性的消費とか言い出すと、いや確かにそういう部分があることは否定しませんけどそれ言い出したら恋愛小説は全部性的消費かっつったらんなことねぇだルルォ?ってなるじゃないですか。
ポルノとしてのBLについての考察は個人的にはかなり当たってるところはあるんじゃないかとは思いますし、そのあたりを否定するつもりはないんですけど。(受けが女体化したりするのはまさにそういうとこだと思ってるしなんなら自分も受けに投影してポルノ的な消費の仕方をするBLもある)
普通に男女の恋愛ものとかも少女漫画もガンガン読むし、少年漫画とかで主人公×ヒロインを推しまくって恋愛フラグのないサブキャラをくっつけてキャッキャしたり主人公攻め、主人公受けの場合も主人公に明確な恋愛フラグが立ってないからこそ男とくっつける時もあるので「それだけじゃないよ!」っていうのは声を大にして言いたいわけです。
例えば自分はマジモンの「性癖」として悪堕ちモノとか洗脳モノとか催眠モノとか好きでして、リアルの世界でそういうことをされたいかと言えば絶対にノゥ!なんですけど、安全が保障された妄想の世界であれば征服される側になってみたいというM志向があって、かと言って自分自身の容姿やら何やらには割とコンプレックスがあって自分がそういう目にあってもまあ興奮するどころか萎えるので、美形同士のMC系コンテンツはガチでポルノ消費してます。(キモオタとかモブおじがかわいい子をあれこれしちゃうのは好みでない)
「犯される」ことがかなりウェイトが高いみたいで、レズものでもふたなりだったり触手とか使ってまあつまりインする類のものであればとてもにっこりして読めます。増田じゃないとこんなこと書けねぇわ。
じゃあBLは全部ポルノとして消費しているかと言えばそうでもなくて、そもそもR18じゃないBLとかも普通に読むし好きなCPでもそこまで積極的にエロ妄想しないCPとかもあるんですよね。
あとこれは本題とは無関係ですが「必ずしもポルノ消費するのが目的ではないけどポルノ消費もできるCP」についてはABの場合BAもCBもNGですがBC(恋愛感情はないけどいわゆる連鎖堕ち、快楽堕ち要員としての攻めのBと落とされるC)はアリです。ポルノ消費しない場合のBCはやっぱり無理です。おまけにポルノ消費を目的としていない部分の自分がたとえポルノ消費であろうとAとBの間に必ず愛情を求めてきます。(歪んだ愛情は可)
何かの参考になるかと思って書いたけど業が深いなこれ。
それで「じゃあポルノ消費を求めないBL」について何を求めているのかという話ですが、多分突き詰めると本当は愛や情ではあっても恋愛である必要はない、互いに求めあう心だとか、こころのふれあいって奴を求めているんだろうなあとは思っています。
それは別に恋愛でなくとも家族や親友といった間柄でももちろん表現できるものではあるんですが、そこでなぜ恋愛関係にもっていくのかについては自分の中の固定観念として「結婚とかは基本的に面倒臭いことだし誰かと一緒に生活するのって何かとしんどいけどそのしんどさを許容してでも一緒にいたいと思える相手は本当に想っている相手だ」みたいな感覚があるんですね。
それが必ずしも正しいものではないことも理解はしていますし、常に一緒にいることだけが愛ではありません。
ですが一つのモデルケースとしてとても分かりやすく、「いいことばっかりじゃないけどそれでも一緒にいたい相手と一緒にいることを選ぶ二人の話」はあれこれ考えずにするっと頭の中に入れられるので気楽に人と人との心の触れ合いを楽しみたい時は恋愛に行くのだろうなあと思います。
それ以外でも家族の絆とか友情とかももちろん好きですが、なんだかんだ恋愛ものってやっぱりコンテンツとして大きいしその分洗練されてて安定した品質を確保しやすいのはあるよなあと。
だから自分は別にBLに限らず男女でも百合でもなんでも自分の感覚に会えば見ます。その時に必要としているのはSEXではなくて心のふれあいなので。
そのような背景を前提に、二次創作で同性CPを妄想する時になぜそこをくっつけたのかという自分の思考の流れを追います。
まず最初に既存のコンテンツや公式CPではなくて二次創作による捏造CPを生み出す理由として、自分が考察厨で妄想癖があることが原因かと思います。
受け取ったコンテンツを消費する時に、そのまま受け取っておしまい、ではなくてなぜそうなったのかの裏を考えたり、間の空白をそれっぽい何かで埋める遊びが大好きなんですね。だから二次創作CPも無から有を生み出すのではなく作中の描写を元にそれを拡大解釈して捏造するのが好きです。これは好みの問題ですのでもちろんそれが正しいとか言うつもりはないです。二次創作なんて全部捏造。
この、考察厨亜種としてのBL好きの存在は実は結構いると思っています。特に二次創作をやってる人は考察勢と言うか、CPとして成立する根拠を持ち出す人が多く、顔カプと言われるような原作で接点のないキャラをくっつけるのを嫌う傾向にある人が多いと思うので。
そしてそれが男同士になる場合、一つは「恋愛が主題ではない作品の場合、主人公とヒロインのフラグが薄い、あるいは明確なヒロインが存在しない場合がある」ことにあります。
先程も言いましたが、自分は恋愛要素があるコンテンツは(複数ヒロインの際にどのヒロインを推すか問題を抱えることはあれど)ファイナルファンタジー(最終回発情期)やら連載途中で後付けでフラグが立ったりとか作品に入る順番を間違えた(うっかり終盤のネタバレを踏んでそこから入ったとか二次創作から入った場合)といった事故を除けばそもそも主人公×ヒロイン推しの人間です。FFシリーズ(PS以降)とかテイルズシリーズなんかは主人公の同性CPは考えたことないです。
ところがそういった関係性が明示されていない場合、「この作品好きだけど心のふれあい要素が少ないんだよなあ。あれ、そういえばこの主人公このキャラと仲がいいよなあ、ふむふむ…」といったあたりから始まって妄想が始まっていきます。
もう一つは「恋愛フラグが立っていないメインキャラ同士のCP」であるケースです。
この場合、性的思考は割と異性寄りなので男女で見ることの方が多いですが、最終的にときめいた関係性のキャラをCP視するので、メインキャラに男性が多い作品だったりすると軽率にBLに走ります。
また、主人公が無個性であり主人公と自信を同一視するようなタイプのゲームだと自分とキャラの恋愛は「そもそもこのキャラが自分を好きになるはずがない」と解釈違いを起こすので主人公とのCPは除外されます。
とは言えCPの女性側や受け側に自己投影をしていないとは思いません。(二次含めて創作する場合)登場人物全てある意味では自分のペルソナだと思っているので自己投影を全くしていないキャラなどいないという意味で。
ですが「そのCPが互いに心惹かれるに至った動機」だとか「相手のどういった部分を好きなのか」といったこころのふれあい部分に自分のパーソナリティなんぞが入ってきたら邪魔というか異物でしかないので、キャラに自分の一部を重ねることはあっても自分のパーソナリティを重ねることはないです。
そういう意味では攻め視点・モブおじ視点は自分のようなタイプの腐女子とは相容れないですね。(もちろんそれが悪いとは言ってません。分類が違うということです)
ところで書いていて思ったのですが、腐女子が受けに対しての「自己投影」を否定するのは、人によりけりですが「私は受けと自分のパーソナリティを同一視したりはしていない」の意味が強い思ってます。
単に共感するかどうかではなくてそれこそ自分自身が作中に入り込んだのかのような、それこそ同一視というやつになるんでしょうか。それはやってないよという意味だと思ってます。
昔からアイドルに対しての「ガチ恋勢」とかキモイってよく言われるじゃないですか。住む世界が違う相手に本気で恋い焦がれる、まではまだしも彼女かなにかのように振舞うとかキモイ、ってやつです。
それと似たような感じで、住む世界どころか実在しない相手に対して本気で恋い焦がれて彼女面するとかキモイ、妄想乙、って話だと思うんですね。
つまり「ヒロインに自己投影=ヒロインと自分のパーソナリティを同一視するような奴」は「架空のキャラに対して本気で恋愛感情を抱いており」「架空のキャラをまるで現実の人間であるかのように扱い、恋愛感情を抱くなんてキモイ」というという三段論法なんじゃないかと。
誤解されないように言っておきますが、私個人がガチ恋勢をキモイと言ってるのではないし、ヒロインとパーソナリティを同一視することが必ずしもキャラとの恋愛にイコールで繋がるわけでもないし、夢女子がガチ恋勢とイコールで繋がるわけでもないし、自己投影を理由に相手をバカにするような行為は本来許されてはいけないものです。
物語が誰の視点で語られるか、の問題ではないと思われます。受け視点のBL二次なんて腐るほどありますが、なら受け視点の物語であれば自己投影を疑われるかと言ったらそんなことないです。
なぜ架空のキャラに対して恋愛感情を抱くことをキモイと感じるのか、あるいはキモイと言われてバカにされるのかについての根源的な部分についえは残念ながらよく分からないのですが(現実と架空の世界を混同していると思われているのかな)、実際に夢女子に対して「キャラと恋愛する妄想とかキッモww」というたぐいの罵倒は見たことがありますし、自分にもバカにするとまでは言わずとも昔になんとなくガチ恋勢を下に見ていた時期はあったなあという黒歴史があるので。
で、二次で受けのキャラ崩壊が激しいと、もうそれこそポルノ目的で快楽に弱いえっちな子にされるのは逆にそういうものだと納得?できるのですが(キャラ崩壊そのものが嫌な人もいるが、それはそれとして理由が明確である)、明らかな性的消費というわけでもなさそうなのにこのキャラがこんなことやるかよみたいなことをしたりすると、キャラの性格を改変した理由に自分の中で何かしら説明をつけるために「この人は受けに自分のパーソナリティを反映させているのでは?」という仮定が出てくる、と。
更に他ジャンルの二次創作でもどんなキャラであろうとも常に受けの性格が一定のテンプレに押し込まれていて原型がなかったりすると倍率ドンですね。
そして原作と性格がかけ離れてしまった(と読者が感じた)キャラが優遇されていると、そのキャラが好きで優遇したと言うより改変後のキャラが好きで優遇されたと判断され、改変されたキャラは作者のパーソナリティ的な分身だと認識される、と。
当然ながらその仮定は仮定でしかないし(単純に二次作者の力量の問題であるパターン、実はむしろ原作に忠実であり読者の方がむしろ受けを美化しているパターン、性癖ではあるがパーソナリティを反映しているわけではないパターンなど色々あり)、仮に事実であったとしてもそれを理由に相手をバカにしたりするのは言語道断なのですが、思考の流れとしてはそう特別なものではない気がしています。
要は「飛影はそんなこと言わない」なんですよ。もはやそのキャラはそのキャラではなくニセモノとみられているのです。
壁になりたい、空気になりたい腐女子については単なる第三者というだけではなくて第三者かつ彼らを至近距離からのぞき見したい現れなのではないかと思っています。
というか物語を楽しむ視点の話ではなくて「そのCPの私生活やら何やらをあますところなく全部至近距離でじっくり拝見したい」んですよ。
だから「空気になって24時間推しCPに密着したい」になるんですね。空気視点で作品を楽しみたい、とはちょっと違う気がします。
日々のくだらない話から趣味話、知人の噂話から今晩のおかずまで色々メッセ投げ合うグループが最近死んだ。
どうやら私のせいっぽい。止まってしまったのはそれほど痛くなくて、ただ私のせいっぽい、というのだけが気に入らないので吐出しに来ました。
死んだ理由を簡単に言ってみると、知人の知人と急につながったので、あれ?なんで?なんか見張られている?と思いそうグループに投げた。
メンバーからはグループ外ではあるが私の知人と最近盛り上がってたからじゃん?などと指摘があった。ふーんと思いつつ、知り合って2年越しにつながられたのが腑に落ちないでいると、別メンバーが親友のXXさんとお前の趣味で盛り上がったじゃん忘れたのかよ?親友様を悪く言うとかむかつくんですけど、とキレられた。なので私は、盛り上がったの2年前だよね?2年越しで急に来られても思い当たる節がなかったからびっくりしただけ、悪く言うつもりはありませんでした。
って軽く謝っといたけどいやぁ、それからスレはびたいち動かないしもう死んだねこりゃ。
って感じ。
その親友XXさんを悪く言った!と切れてきたメンバーはそもそも時折メンがヘラってるタイプで、
その後数日間荒れに荒れた様子を自陣では見せていたけどさ。
その人と私以外の他のいつメンも関わらんでおこ、面倒だしと遠巻きにしてるっぽいし、
私は私がそれほどに悪いことを言ったつもりはなくただ面倒なことになったなと。
メンがヘラってる子のキレ芸に過去面倒な思いをちょっとしたこともあったり、
謝ったりとりなしを頼んだりする方が余計に面倒になるなーこれ、とか
下手に出て仲を保っていたいのか?自問しても答えは否。
基本的にはキレ芸かまされた後から何も言わんし遠ざかってるし、
もうどうでもいいや、と
おとなしくしていますが。
何処に地雷があるのかわかんなくて不安定なタイプと付き合うのはほんと難しいし地雷踏んだから潔く散っといたって感じなんですけど、
地雷にびくびくしながらでも付き合いたいわけでもないしさ!
ていうか、あんたこそそもそも親友様とか言ってるその人の事悪く言ってたことあったじゃん!
いちいち、メンがヘラってる人のテンションの上がり下がりを読んでそれに沿って丁寧なお付き合いをしなきゃいけないなら、
だから戻らないです。
とりなしを頼みもしません。
本当にどうでもいいです。
お前がそう思ってる以上にこっちもどうでもよくなりました。
もうこの先どこが地雷なのか探りながらでもつながっていたい気持ちが無いです。
昔の良かった時はそれはそのままで、
この先はもう、無くていい。
さっぱりした。そういう意味では、もともとめんどくさいなと思ってたから丁度良い潮時だなということです。
でもいいよもう、どうでも。バイバイ。
夫が落ち込んでいる。
理由は、私がGW中と昨日、サークルやら会社やらのzoom飲み会をしていたかららしい。
「僕にはそんなことする友達いない」
ですって。
えーでも、しょっちゅうLINEしてる親友がいるじゃないですか。
それに確かにGWの飲み会はサークル友だちだったけど、昨日のは会社の飲み会ですよ?
そりゃうちの会社は仲良しだから盛り上がりましたよ?でも友だちじゃないし。
ずっとリビングの机でPCを触ってるだけで話しかけてもこないし子どもの相手もしないし、なのに暗いオーラがでてるし、いっそどこか行ってきてほしいけど新型コロナのせいでお出かけも微妙だし。
こちらが話しかけても返事が元気ないからこっちまで引っ張られるし。
こういう時どうすればいいんです?????
https://twitter.com/NetflixFilm/status/1256632290802728960
レズビアンとして最初の喪失は,女性ではなく,男性だった。頭のてっぺんからつま先までストレートな白人男子。「この男が私の親友になる」などとは思いもしなかった。でも出会いというのはそういうものかもしれないし,始まりがどうであれ,うまくいくことはある。同性愛について何も知らなかった当時,自分をゲイとして受けいれるとき,彼は私を支えてくれた。二人して彼女探しに精を出し,彼に彼女ができた(これでとりあえず孤独な老人は一人減るわけだ。よかった)。そこからは苦難の道だ。彼女は私たちの関係を疑った。私がゲイなのは知ってたんだけれど。私たち二人の,か細く編まれたつながりは,ゆっくりとほころんでいった。元に戻せないくらいに。ある雨の夜,私たちは車の中で泣いていた。「どうして? 私たちの間に何かあるんだったら,とっくの昔にやってるでしょ」「あの子は恐れているのは,僕らが寝ることではなくて」「仲がいいことなんだ」思い出すのはいつもそのことだ。
The Half of It は当初ティーンエージャーの映画ではなく,20代の親友たちの物語だった。お互いのつながりを十分に理解できないまま,レズビアンとストレート男子が愛を理解しようとする物語だ。そこで私は壁にぶつかった。(100ページもない話に)私が納得いく形でみんなを満足させられるようなエンディングを書けなかったのだ。自分の経験をもとにすれば破局になるし,自分の経験を書き換えて理想のお話にすることは,できそうにない。あの時,愛をつなぎとめるためにどうすればいいのかわからなかったし,今もわからないままだ。行きづまって,「これをハイスクールの話にしたらどうだろう」と考えた。あらゆるものが色濃くあらわれるのは,ハイスクール時代だけだ。そこで感じることは初めての,そしてそれゆえ一度きりの経験になる。それに,恋愛については,みんなティーンエージャーに回帰していくのでは? とも思う。書き進めるうちに登場人物たちがひとりでに動き始め,三角関係ができあがり,完全に別の物語が生まれた。
私の現在地は,中年期におののきながら,ティーンエージャーの映画を作り終えたところだ。一仕事終えて,よく見えるようになったことがある。一つ目:私はかつて愛のかたちは一つしかない,と考えていた。A+B-C=愛,みたいな。愛にはいくつものかたちがあることは,この年になってわかるようになった。私が想像してきたよりもずっとたくさん。
もう一つ:エンディングが難しいのは答えを求めるからだ。15年前の最初の作品 Saving Face では,「このエンディングはやりすぎではなかろうか」とずっと自問していた。登場人物たちにふさわしいと思う一方で,現実世界でもこのハッピーエンドがありえるだろうか,と言わねばならなかった。でも一人のクイア女性として,それが私にも訪れるのだと信じるために,私はあのエンディングを欲していた。あれでなければならなかった。* この The Half of It では,登場人物たちは一緒になれるのか,これはハッピーエンドなのか,という質問をよくされる。私からは,この映画はだれかとだれかがくっつくという話ではないのだ,と伝えたい。これは,3人の若者が人生のある時点でぶつかり合う中で,あるべき自分になろうと思ってよいのだ,という確信を得て,別々の道を歩みだすまでの物語だ。映画の終わりは,彼ら一人一人の始まりを意味している。最高のハッピーエンドだと,私は思っている。
(*註:15年後の今,だれもあのエンディングがやりすぎだとは思わなくなった。世界は変わったのだ。そのことがとてもうれしい。
そして私はあの友人を思い起こす。私は The Half of It を,あの友情の喪失を乗り越えるために書いたのだ。振り返ってみれば,私が解こうとしていたのは間違った方程式だったのかもしれない。あの関係をつなぎとめるには,この喪失を避けるにはどうすればよかったのかと苦しみ続けてきた。でもたぶん,そこに答えはなかったのだ。何が起こったにせよ,あの関係があって今の私があるのだから。かつての深夜の恋愛作戦会議で大事だったのは,彼女とか,恋愛とかそういうものではなかった。おバカな二人が,互いに気遣い,理解し,受け入れたこと。エリーとポール,エリーとアスターたちが愛おしいのはそういうところだ。そして彼と私も,そうだったのだと,今になってようやくわかる。
無気力人間とは呼ばれなくとも活力の無い人間だと言うのは分かっていた。だから負けず嫌いが本当に羨ましい。昔からつまらない子供だと言われた記憶はあって自分自身で子供なら燃え上がる物に冷めていた自覚はある。小学校の頃から毎日校庭に遊びに行く友人の誘いを断って毎週二〜三回は図書室に行きたい人間だった。これは友人に関しても近い事があって、人と話したいのに話していると急に人と話すのが億劫になる癖があり人と会話を続けられなくて、友人との距離は極端に近いか遠いかの二択になってしまう。これには自分なりの解釈がある。「友人と言うには一定のラインがあって顔見知りから親しい仲まで、どうもそのラインのちょうど良い位置にいる人間が周りにはいない」コミュニティ能力のある人間ならば友達以上親友未満の都合のいい人間を囲んで毎日の充実をある程度保証された様な生活を送っているはずだと思う。恐らくそれは正解に違いないはず。少なくとも僕の彼女はそちら側の人間であるから。僕にはその付き合いを継続する気力も無ければ魅力もない。今の時代はコミュニティ能力が低い人にもインターネットによって多くコミュニティを形成出来る筈なのに残念ながら僕はインターネットで話す事も退屈だと感じてしまう人間だった。聞こえて来るのはLINEのトーク。聞こえて来るのは二時間の立ち話。そんなものの何が楽しくてやってられるって言うんだ。社会的に排斥される意見を僕は考える。決して声を大にして唱えられる訳ではないが。
気が滅入っているときに決まって思い出すことがある。
当時DVをしていた彼氏が殴ったあとに決まって吐いていた言葉である。
一人だけ毎日出社している。
派遣社員という働き方になっているのも、
昔DV彼氏に入れ込んで大学の授業にろくに出ず、アルバイトに明け暮れて過ごした結果である。
今はこんなご時世なのに雇い続けてくれている派遣先に感謝するべきなのかもしれないが、
当然の報いだとも感じる。
とてつもなくめでたいし、心の底から祝福している。
しかし一方で、私は何をしているのだろう?と自己嫌悪に苛まれる。
「仕事で昇進したいとかそういう夢はあるけど、旦那さんになるという夢はない。」
と断言するモラハラ気味な元彼(前途のDV男とは別人)と別れて一年以上経つのに仲良くし続け、
これまたモラハラ気味の4つ下の男の子となんとなく友達以上恋人未満な関係を続けている。
誰の一番にもなれないんだと思う。
じゃあ私自身が誰かをそうしているかというと、そうでもないんだと思う。
悲劇のヒロインぶるな。
まさにそうなのかもしれないが、じゃあどう考えて生きればいいのかを教えてほしい。
というツイートを見て、、、うわぁ、となった。
(その分しっかり働いた)
良いにも悪いにもどっちも大きくふれた船旅だったから
正直、冷静にこのニュースを見ることができない。
もちろんお金払った人ほどでは無いけども。
やる気を買ってくれた。
難しい。
この船に乗らなかったら、今の私のキャリアはないし、
お世話になったスタッフの方達の顔思い出すと、
胸が痛むけれども、帰国後1度も会ったことがない人達でもあるし
もはや過去のつながりなんだよな。
22年の出港は難しいんじゃないかと思う。
風あたり凄い強かった。
今もけなげに貼っている人たちいるだろうけど、きっともっと難しくなってるんだと思う。
もしかしたらこの先何年かしたら、私にとって一生の思い出だった
この船の事は口にできなくなるのかもしれない。
世界を見せる場としては、私はとても素晴らしいと思っていたのだけど。
難しいんだろうなぁ。
思うのは、私がお世話になった人たちが、批判や中傷の的にされないこと。
万が一解体されることになったとしても、彼らの行く場所がちゃんとあること。
ただそれだけです。