2020-05-06

病んでしまった時の支離滅裂日記

無気力人間とは呼ばれなくとも活力の無い人間だと言うのは分かっていた。だから負けず嫌いが本当に羨ましい。昔からまらない子供だと言われた記憶はあって自分自身子供なら燃え上がる物に冷めていた自覚はある。小学校の頃から毎日校庭に遊びに行く友人の誘いを断って毎週二〜三回は図書室に行きたい人間だった。これは友人に関しても近い事があって、人と話したいのに話していると急に人と話すのが億劫になる癖があり人と会話を続けられなくて、友人との距離は極端に近いかいかの二択になってしまう。これには自分なりの解釈がある。「友人と言うには一定ラインがあって顔見知りから親しい仲まで、どうもそのラインのちょうど良い位置にいる人間が周りにはいない」コミュニティ能力のある人間ならば友達以上親友未満の都合のいい人間を囲んで毎日の充実をある程度保証された様な生活を送っているはずだと思う。恐らくそれは正解に違いないはず。少なくとも僕の彼女はそちら側の人間であるから。僕にはその付き合いを継続する気力も無ければ魅力もない。今の時代コミュニティ能力が低い人にもインターネットによって多くコミュニティ形成出来る筈なのに残念ながら僕はインターネットで話す事も退屈だと感じてしま人間だった。聞こえて来るのはLINEトーク。聞こえて来るのは二時間の立ち話。そんなものの何が楽しくてやってられるって言うんだ。社会的排斥される意見を僕は考える。決して声を大にして唱えられる訳ではないが。

  • ねこに肉球でも触らせてもらうといいかも。 その程度のふれあいしか望んでいないんじゃない?

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