はてなキーワード: 私大とは
体力ない、肌荒れひどい、注意欠陥多動障害の女だけどなんとか生きてるよ。
発達障害持ちということだけど、自閉圏の人は記憶力がよくて勉強得意なことが多いので学習障害か何かだろうか?
ぶっちゃけ、経済的に私大に行かせてもらえる家庭なら、二年頑張ればMARCHまでならなんとかなる。
早慶上智以外の文系私大なら全員が三科目全て得意な人の方が少なくて、社会か数学が得意+英語が足切りされない程度できれば受かる。
私は英語がめちゃくちゃ苦手で、英単語のe,o,cが見分けつかなくて目がチカチカするので英単語が全然覚えられないクチだったので、社会は山川の用語集を一冊完全に暗記+古文は必ず枕草子か源氏物語から出るので現代語訳でストーリーを覚えたら受かった。
正直、最初は国公立行かないととセンター5教科7科目やろうとしてパニクったけど、私大に絞ってからはすごく楽になった。
大学に入れば見た目で判断しない人が周りに増えるし、一科目でも必死に勉強したことが生きてくるから自信にもつながる。
人より覚えられる範囲が狭いとか、対人関係が不器用とか、大学でても人生が人よりハードモードなのは変わらないが、4年間は損得抜きに味方になってくれる友人を作れたという意味で私には大きな意味があった。
「就職」とアドバイスするトラバもあるし、長く続けられそうなちょうどいい仕事があれば良い選択肢だと思うのだけど、いかんせん高卒の求人倍率は三割とかで男性だと中小企業しか正社員の雇用がなかったりするので進路の先生にはよく相談した方がいいと思う。
あと、顔は整形しなくてもけっこう変わる。
十代の頃は頬や瞼がパンパンに腫れた自分の顔が嫌いだったけど、肌荒れが収まり顔全体の脂肪が落ちてきて相対的に鼻筋が通ってきた今ならそこそこ鏡を見れるようになった。歯を治療したので出っ歯も少し引っ込んだ気がするし。
16日の昼、埼玉県春日部市にいた。たまたま入ったレストランで、隣に座った60代と思われる女性2人の会話が耳に入ってきた。「…もう結果が出ているからね」「そう。だから〔投票に〕行ってないの」。
メディアは投票日に向けて、選挙結果の予測を「世論調査」の名のもとに執拗に行ってきた。投票日に向けて何度も世論調査を行い、「自民単独過半数の勢い」(『東京新聞』12月13日付)、「自公300議席うかがう」(『朝日新聞』14日付)、「自民勢い変わらず」(『読売新聞』同)…という調子だった。映画が始まる前に、その結末を大声で話すようなものである。これでは映画館に行く気力も失せる。
午後8時。開票が始まると同時に、「出口調査」を根拠とした当選確実が次々と打たれ、朝刊一面トップの見出しがほぼ決まってしまった。メディアが予測していた以上の劇的な結果となった。民主党の地滑り的、壊滅的大敗北、自民党の単独過半数、自民+公明(or/and)維新で3分の2(320)を超えることが確実になった。
いま、開票速報を聞きながらこの「直言」を執筆しているが(16日午後9時現在)、何とも不思議な気分になった。まるで開票が終わったかのようである。『東京新聞』12月15日付「こちら特報部」は、「世論調査が醸成する『空気』」を分析している。この不思議な「空気」のなかで投票日を迎え、春日部市の女性たちのような会話が、全国各地で行われていたのではないか。勝負が決まっている試合や、「オチはこうだ」と事前に知らされたサスペンス映画、表紙の帯に結末が書いてあるミステリー小説に食欲がわかないのと同じだろう。今回の世論調査については、「世論調査が予備選的な役割を果たした」という評価もあるという(『東京新聞』同上)。だが、これは楽観的評価に過ぎよう。調査報道が世論誘導的に機能した可能性は否定できない。しっかりした検証が必要である。
投票率は前回よりかなり低くなった。戦後最低の投票率になりそうである。現時点で推測できることは、結末が見えた試合に行く気がしないで棄権した人々だけではなく、多党乱立、節操のない政党間移動、党内のドタバタ、内容空疎な「マニフェスト」や「公約」などを見せられて、選挙そのものに嫌気がさした人々がかなりいたことだろう。そのなかには、あえて選挙に行かない積極的棄権派(ドイツの現代政治用語では「非選挙人」(Nichtwähler)という)も含まれているのではないか。多党乱立とメディアによる「結果はもう出ている」という報道の連鎖のなかで、一票を使う気力を失せさせてしまったところに、別の意味での「一票の軽さ」があるように思われる。「非選挙人」の選択の結果は投票率の低さであり、それは自民党に圧倒的に有利に作用したと言えよう。
なお、それまでの支持政党の不甲斐なさに怒り、極端な主張をもつ他の政党に乗り換えることを、ドイツの政治用語で「抵抗選挙人」(Protestwäahler)という。今回、「日本維新の会」が「抵抗選挙人」の受け皿となったと見ていいだろう。もっと言えば、民主党政権に対する怒りと絶望の最大の受け皿、「抵抗選挙人」は40%を超える棄権者ではないか。自民党はこの「抵抗選挙人」によって大勝を得たとも言えよう。選挙結果がまだ確定していない段階なので、個々の具体的な指摘は控えておこう。
6年前、直言「『失われた5年』と『失われる○年』――安倍総裁、総理へ」を書いたが、彼はわずか1年で内閣を投げ出した。政治生命が終わったかに見えたが、それから5年で、再び「わたくしの内閣」(安倍氏の口癖)が誕生することになる。安倍氏のいう「美しい国へ」の危なさは、当時、次の3つの点にあらわれていた。(1)「5年以内の憲法改正」、(2)集団的自衛権行使の合憲解釈、(3)「教育改革」と教育基本法改正、である。
(1)は、出来の悪い付帯決議をもつ憲法改正国民投票法の制定である。(3)は教育基本法「改正」と「教育再生会議」による執拗な教育介入であった。5年前、「安倍色の教科書検定」に対して沖縄では県民大会まで開かれたほどだった。今回の総選挙公約には、教科書検定の強化が掲げられているので、沖縄の危惧は深い。ちなみに、安倍氏は大学9月入学を6年前にすでに打ち出していた。私は「『大学9月入学』と『ボランティア』のセットは曲者である。軽薄な私大経営者はすぐに飛びつきそうだ」と当時指摘していた。(2)の集団的自衛権行使を可能にする解釈変更については、「合憲解釈」の報告書が出る2カ月前に安倍氏が退陣してしまったので、しばらく後景に退くことになったが、今後一気に勢いを増すだろう。
「送別・安倍内閣」を書き、安倍氏の復活はほとんどないと踏んでいたので、今年9月の安倍総裁誕生は大変驚いた。「総理大臣の職責にしがみつくことはしない」という奇妙な言葉を使いながら内閣を投げ出した人物が、再び内閣総理大臣になる。この国は何とも不思議な国である。
危惧されることは、石原慎太郎「日本維新の会」代表が選挙中(12月10日)、自民党と組んで憲法改正を行うことを宣言したことである。「9条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。9条が自分たちの同胞を見殺しにした。…あんなモノがなければ(拉致被害者を)返してくれなかったら『戦争するぞ』『攻めていくぞ』という姿勢で同胞を取り戻せていた」と述べた(『東京新聞』2012年12月11日付)。「日本維新の会」が衆議院に進出したことで、自公連立政権が、今後の展開によっては、公明党の代わりに「維新」が入って3分の2を確保し、「壊憲連立政権」となるおそれなしとしない。
歴史は繰り返すのか。2006年の安倍内閣誕生で憲法改正への動きが進んだ。一度目は憲法にとって悲劇だったが、二度目の安倍内閣は、喜劇(茶番劇)どころか、憲法にとっては命取り(惨劇)になるかもしれない。来年7月の参議院選挙が、最後の防波堤として重要性を増してきた。
そもそもこの選挙は、最高裁によって違憲状態とされた公職選挙法に基づいて行われた「違憲状態選挙」であった。選挙終了と同時に選挙無効訴訟が起こされ、最高裁が「選挙無効」判決を出す可能性もある。選挙で圧勝したかに見える自民党は、小選挙区比例代表「偏立」制に助けられ、小選挙区(4~9人という異例の多数立候補)における大量の死票の上の勝利であることを知るべきである。
「一票の軽さ」の問題は、単に議員定数の不均衡の問題にとどまらない、より多面的で深刻な問題となっている。
《付記》
17日午前5時半に新聞各紙やネットを見ながら、書かねばならないことがたくさんでてきた。選挙結果は、自民党294、公明党31で計325の3分の2超え。民主党57、維新の会54、みんなの党18、未来の党9、共産党8、社民党2、国民新党1、新党大地1。開票作業を見ながら書き上げた上記「直言」をアップすることにしたい。最低限注目すべき点を指摘しておくと、まず59.32%(共同通信推計)という前回よりも10ポイントも低い、「戦後最低の投票率」になったことである。これは本文で書いた。それから、自民党の安倍総裁が、憲法96条(憲法改正条項)を3分の2から過半数にすることについて、「維新」と連携していく考えを示したことである。また、「維新」の橋下代表代行が首相指名選挙で安倍総裁を支持すると発言し、「(首相指名で)独自の候補を出すのはばかげている。日本は多数決の原理が根付いていない。多数決の教育をしてこなかった弊害」と述べたという。これに対して「維新」の石原代表は、「政党の体をなさない。(首相指名選挙で)党首を出すことが政党の沽券だ」と反発した。それにしても、橋下氏の一面的な多数決論、民主主義論は末恐ろしい。指導者民主主義論と接合する兆候がすでに随所に見られる。これらの問題は、折にふれて論じていく。
先週の水曜日、1年くらい会っていた男と別れた。身分違いだった。遊ばれていただけだが、私は確かに恋をしていた。既に2回くらい泣いて諦めてたつもりだったのに、今は「基本的な生活」ができなくて昼職をなんとか遣り過ごすのがやっと。会っていた期間・今までの生き方に対して後悔がたくさんある。
「失恋からの立ち直り方」などを読むと、失恋直後は泣いて愚痴れ美味いもの食えあとは時間が解決すると書いてあるが、いくつかの事情が重なり誰にも(カウンセラー等の秘密厳守してくれる人にしか)ありのままを話せないので、増田に吐き出すことにした。半生、風俗、恋愛が絡んだゲロなので脈絡がなかったり長すぎたりあなたのモラルやポリシーに反したりは目を瞑って欲しい。胃の上と心臓がぐるぐるして気持ち悪いままあまり食べられず、呼吸が浅くて、吐き出さないとこれがずっと続きそうで。
世の紳士たち、遊びを仕掛けて本気になられて面倒になって棄てるなら、いいタイミングを選んでください。そもそもきちんと予防線を張ってください。それが上手にできないなら風俗の場合は最初から時間内だけの遊びにしてください。野暮でも関係の確認は明確に。気まぐれな優しさは凶器です。空っぽの人形に心を植えて、外界に連れ出して置いて去るようなのはやめてください。源氏名の鎧が外骨格なこともあるんです。剥がすなら覚悟をもってください。
要は失格風俗嬢が院生に遊ばれただけの話。
企業家家系で、家柄は武士とか軍人の流れとは聞いた気がするが、家を継ぐだの良家だのとは現在は無縁。
兄弟は上と下にひとりずつ。下が障がい者(突然変異系)で心臓の手術などのため私は早い頃からあまり構って貰えなかった。父方祖父母宅に預けられた時に言われた「ジュースを欲しがるなんて図々しい」は幼心にも傷ついた。幼児だからわからないなどと侮るなかれ。迷惑をかけてはいけないと過剰に思う癖がついてこれまでもたくさんの失敗をした。
小学生の頃に両親が離婚。風俗嬢にありがちな母子家庭育ち。母が会社をやっているので経済的困窮はなかった。片親家庭の毒は、なにも経済的なことだけではないと思う。男女観は多少であろうが歪む。私の場合は自分の女性性を受け入れ「女性」になるのが遅れた。「ちゃんとした恋」の経験値が足りなかった。
上の兄弟は国立最高峰の大学を卒業直後にかなりの年上と結婚。母は子が全員成人した頃にやっと死別独身(成人子あり)のパートナーをつくって入籍せずに一緒に住んでいる。
女子中高を経て、音楽大学へ。多少はみ出してはいたが結構な真面目ちゃんだった。同級生みたいにもう少しちゃらちゃらして男を見る目を養えばよかった。大学は奨学金(自立を促すため)と親の資金で。大学の頃にはすこし恋もしたしすこし病みもした。処女喪失は20歳を越えてから当時の彼氏と。特に感動もなかった。卒業してもまず食えないので事務で零細企業に就職。稽古には現在も通っていて、欧州への留学を希望しており貯金中。
昼職の正社員で留学のため真面目に順調に貯金をしていたが当時勤めていた会社が傾き、会社自体を整理することになって放り出される形で無職になった。初めは社員の求人に応募してみたり派遣で働いてみたりしていた。しかし景気的時期的になかなか厳しく、月末月初のみの事務アルバイトをしながら、貯金の進まなさに焦りを感じ時給の高さでホステスに応募。お酒が弱くてあまり売れず。もう数年若ければキャバクラでジュースでも稼げたのだろうが、もう20代中盤に差し掛かっていたので。派遣ホステスなども数回やったしお化粧おしゃべりは多少うまくなったのだが毎晩お酒を飲んで煙草に曝される生活に1ヶ月で無理を感じた。ほんの短期間だけ肉体接触なしの愛人ごっこみたいなこともして自分には向かないことを確認した。
ある日アフターののち始発待ち早朝のネットカフェで、最高に疲れた頭で風俗店の求人を調べた。何の職種がどこまでやるのか等を調べメンズエステ(マッサージ)までが私の限界と認識。求人と営業HPとの齟齬が少ない感じのところに投げやりに応募、後日面接へ。この時の私は疲れていろんなことが麻痺していたのだと思う。貞操観念は大人になるまでは強すぎるほどだったのに。講習で服を脱いだとき、堕ちたなーと乾いた笑いが出た。私大出して貰ってさらに留学資金なんて言えない、とか思ってたけど、風俗にまで行けるならまず親に言えばいいのに。足りなければ奨学金とか片っ端から応募すればいいのに。留学はどうしてもしたかったが、親に頼ったり甘えたりするのは怖かった。失恋後に母の胸を借りて泣いた時にやっと頼っていいのかなという気になれた。
斯くして私は去年の秋に渋谷の老舗店のホテルエステ嬢になった。たまたま新人ラッシュ期で店プッシュは分散、若い子巧い子(ヘルス上がりとか)に流れて新人期間でも本当に売れなかった。新人キラー(表立って言わないだけでみんなやってるよと過剰サービスを要求したり、押さえつけて入れてしまおうなどとする)だけは初めの1ヶ月間によく付き戸惑ったが対処法を身を持って会得。入店から一度も事故ったことはない。店側も私がこんなに続く(現在勤続1年と3ヶ月くらい)と思わなかっただろう。サービス内容はオイルマッサージとトップレスでの手コキ。パンツを脱ぐことも、キスもフェラもない。トップレスも初めは抵抗があったが、とりあえず粘膜ではなく皮膚だからと考えて慣れた。売れなかったので、何か武器があればいいかとマッサージを勉強した。リンパと筋肉ほぐしとツボ。開業の予定はないがマッサージスクールのショートクラスのディプロマも取得。
風俗にもいろいろあるけど、時間貸しの菩薩と思うに至った。精神的に受け入れて貰うのを飛び越えて膣に執着する男性が理解できない。
金銭感覚と貞操観念の狂いにはとても神経質になっていて、ストッパーに今も月末月初の昼職は続けている。事務の期間以外は結構な鬼出勤かつオープンラストなどもしていた。待機時間で譜読みや勉強ができるのはメリットだった。風俗の給料はとりあえずまず奨学金を返して、留学貯金の続き。日払いなので千円札しか使わない。万札・五千円札はやむを得ない場合のみ。清算時になるべく大きいのに両替する。お給料がキリのいい数字の時は何も買えない。万札が財布に3枚以上溜まったらすぐ口座へ。数字が増えていくのが幸せ。
恋人なんて嗜好品だと思っていた。あったら幸せだけどなくても死なない。留学(希望期間が長いので)できるようになったら置いてくか待って貰うかだから現状すぐは結婚とか考えられなかった。興信所での調査が必要な良家に嫁ぐなどは片親、障がい者家族、年齢的にないと踏んでいた。むしろ風俗に入った時点で、まともな普通な結婚は9割諦めていた。自分が結構放っとかれて(習い事だけはいろいろやった)育ったからちゃんと子供を育てられる自信があまりないし、留学できて行って帰って結婚出産したら高齢出産に片足ひっかかりそうだし、子供も積極的には望んでいない。
嫁が妊娠してセックスできないからと来店した客の「ここは最後まで手でなでなでしてるだけだから後ろめたくない、やましくない」説をとって、風俗嬢だけど別にたいそうなことやってるわけじゃないと表層では思うようにしていたが世間的には賎業なのも知っていた。
自分は自分の人生を生きなきゃいけないから、何かによってブレーキがかかるならそれは天秤にかけて本当に要るか考えるべきと思っていた。ぐらつくほどの恋なんてしたことなかった。
奴が来店したのは12月の頭だった。フリー一見はインパクトがなければ正直2ヶ月くらいしか覚えていられないから、その前にも来ていたかは定かでない。うちの店はメール交換を推奨しており(トラブルの種にならないのか疑問)、新人期間が終わる頃でもっと指名を作りたかった私は客の一人としてあまり深く考えずにサブ携帯のアドレスを交換した。そう頻繁でもないペースで他愛ないメールをし(メアド蒔きすぎて客とのメール自体めんどくさくて私があまり返信しなかったから。でも奴はたくさんメールをくれたし、待ってくれたし、返信を喜んでくれた)、そう頻繁でもないペースで来店し、私が中抜け(で稽古へ)から戻るのが遅れた時に奴が40分待ってくれたこともあった。「外で会いたい」と言われた時には「出勤時間を削って会うならお小遣い貰わないと無理w」とか冗談で断ってたな。2歳サバ読んでたから奴をオッサン扱い。実際外で会う気なんてなかった。事務の期間は事務が忙しいからって断れるし。風俗関係の人は風俗の期間だけにしたいし、その風俗の期間は休みを入れてなかったし。
奴はアカポスを目指す年上の院生(D2)で、数駅のところに奴の所属する研究室はあった。別にイケメンではない。実家暮らしでスポーツ好きで男子校育ちで男性の多い専攻。風俗に来れる程度の収入は得ていた模様。結婚とかせっつかれ始めてると言っていた。結婚したい、ではなく結婚しなきゃ、のような口振りで。
やることはやってたけど(プレイの範囲で)気持ちはちょっとずつ惹かれ始めていた。女とか風俗嬢とかそういう「枠」じゃなくて「私自身」を見てくれた気がしたから。褒められ慣れてなくて、客に「かわいい」とか言われても「ありがとうございますぅー」だの「そんなことないですよぉー」だの「えへっ知ってるw」だのとしか言えず、どうせその場限りの口先だけだって知ってるからスルーできたのだが、奴に言われて嬉しくてどうしていいかわからなくて「ポーカーフェイス頑張っても口角がちょっと上がるよね」などと指摘された時なんてエンドルフィンどばーであった。喪女か。
1月の末、ラストまで勤務後に出張帰りの奴と初めて外で会った。出勤を削らなければ私は機会損失ないからと思って。「好き」だとか「付き合おう」だとか「セフレでよろしく」だとかそういう言葉は出なかった。こちらからは出せなかった。その後食事だったりプラネタリウムデートだったり映画デートだったり普通のデートもしたが、ホテルにも行った。奴が非常に疲れている時や隙間時間で会った時にはホテルだけの場合もあった。マッサージとお昼寝だけもあった。1日一緒にいても全然窮屈じゃなかった。デートの日は必ず店を休んだ。「忙しくても何日に会えるって思ったら頑張れる」と言ってくれて、私もどんな痛客相手でも中断は決してしないでプレイタイム内は頑張れた(その後はもちろんNGをかける)。会って2回目くらいで本当の年齢のことも言った。初めの頃はほんとにバカップルみたいだった。メールに書いた話題のフックは漏れなくキャッチしてくれた。遊びならちゃんとそういう感じにしてくれればいいのに、本当に大切にしてくれた。
処女じゃないし、経験人数は片手で余裕で足りるが、ちょっといい雰囲気になるくらいなら数人いた。今までのはこちらからはそんなに本気で好きじゃなかったのかもしれないと思った。好きな人とのセックスがこんなに気持ちいいものとは思わなかった。ぞくぞくして痺れて溶ける感じ。濡れにくくて苦労はしたが。本当にかたちとか大きさじゃない。店に入ってから持ち前の「興味を持ったら調べる、やってみる」気質で手技だけはあったしananの特集等でフェラチオのイメトレもできていたから、申告人数より実際はもっと経験豊富と思われたかもしれない。
4月にはD3になるし論文の準備だったり学会だったりで忙しいだろうし、あまり構って構ってとは言わなかった。2月に一度だけ「この間会ったばっかりなのにもう会いたくなってる」と言って予定を調整して貰ったくらい。あとは相手からの予定打診待ち。3月頃にメールが1ヶ月開いて、次に会った時に「自然消滅狙いだけはやめてね。すっぱり切ってくれないと待つつもりなくても待てちゃうタイプだから」と頼んだ。誕生日には奴の利用店のプリペイドカードを負担に思われない程度にチャージして贈った。
会えば優しかったしいろんなことを話した。メールが途切れたら2週間くらいしてこちらからネタメールを送った。モテ期3回が三重解だったり虚解だったりするやつとか、バストカップ別褒め方一覧とか。追撃せず、返信や会うことは求めず、相手の都合でよかった。「飽きちゃったのかと思った」「飽きないけど、将来がないからねー」とかいう会話もあった。婚活市場で優良物件すぎて以前年上の女性にギラギラされたことがあって苦手、と聞いていたからこちらからは押せなかった。エイプリルフールに「あのねあのね!だいっきらい!あと処女です!」とか、満月にかこつけて「月がきれいだよー」くらいしか言えなかった。たぶん通じてないけど。漱石だよ。
半年もするとだんだん雑談メールが減って、近況つきだが予定打診メールの率が高くなった。会うペースも下がって月に1度くらいになった。忙しいならしょうがないし全然待てた。だが徐々にキスも減った。手もこちらから繋がなければ繋がなくてそのうちに遠慮した。うざいと思われたくなくて常に半身ほど引いていたが、もし言われれば即風俗あがって付いていきたい程度には好きだった。
明確な言葉なく付き合うカップルっているとは思うが、セフレっていう関係がこの世に存在する以上は関係の定義なり宣言なりが必要だと思う。それがないってことは明確に気持ちがあるわけではない、所詮は都合のいい女だということに2回ほど泣いて「何もなくて終わるより何かあって終わった方がいいと思って外で会ったんだから」と思った。より迷惑をかけちゃいけないと思って近づけなくなった。
9月に会ってから途中で奴の多忙による予定変更を経て2ヶ月ぶりに会った。予定変更への返信に「充電は既に切れてるけどまー死なないから私のことは忘れてていいよ」と書いてから2週間後。稽古の後に奴の乗り換えの都合上いつもの新宿へ。風邪気味の奴と西口で待ち合わせアルタ裏から出て歌舞伎町のホテルまで歩いた。バリアンじゃなくてそこそこきれいで割券使えるところ。普通に入ってコートとか脱いで普通に座って。
「真剣な話があります」ひとつは奴の今後の進退に関することなど。もうひとつは「今日で最後にしましょう」。
なんとなくそんな気はしてました。「えっしてた?」
しかしなんでまた。「結婚もしないのにこういうことしてるのが負担」
そう思うに至ったきっかけとかあるの?「論文の審査とかだよね」「あとー…○歳になっちゃったし、見合いとかするかもしれないし」「他に女の人がいるとかそういうのじゃないけど」「結婚できないじゃん?」「結婚しない相手と中途半端に付き合うのはやめる」
ていうか付き合ってないじゃん?セフレとか付き合うとか関係の定義なり宣言なりをしてないし最初から中途半端だったよ。「最初から中途半端、かぁ」
……………。(言いたいこと終わり?)
「泣かそうとしてる?」泣かしたって面白くないじゃない。
「なんか女々しいな、俺…」
………………………………………。
うん。でも。それなりに楽しかったよ。「それなり?俺は」だってちゃんと好きになっちゃいけないって思ってたから。「なんか…すごいなそうやって」
ていうかそれでも結構好きだった。でも迷惑だよね、と思って。2回くらいちゃんと泣いて割り切ってたよ。「そう言われちゃうと…」
最後に、します?「男が最後にやらせてっていうのはあるけどそっちから言うんかいw」
云々、奴にとってはあっけなさ過ぎて拍子抜けだったかもしれない。セックスはしなかった。泣けず、縋れず、意思表示もできず最後まで強がってしまった。でも最後になってやっと好きって言えた。以前一緒に見た映画の前作DVDを私が持っており双方ともに途中までは見たとのことで最後の1/3くらいをベッドで(離れて)ごろごろしながらエンドロールとメイキングまで観て、「じゃあ、出ようか」。「明日の朝喉痛くならないでね」(風邪だから)。
歌舞伎町から新宿駅まで歩く。奴の左耳、好きだったけど見納めかあ。最後にぎゅーってだけしてって言えばよかったな。駅で埼京線に乗る奴に改札の手前で「友人のバーでべろんべろんになってから帰るから!」と言って別れ、ウコンとカシミヤティッシュ持参で行った友人のバーで実際べろんべろんになって泣いて数年ぶりに記憶を飛ばし、隣席のオッサンにも迷惑をかけ便器を抱えおそらくタクシーで帰宅、風呂場でもトイレでも吐きまくって喉の痛い翌朝を迎えた。翌日の昼職は体調不良で休んで、夜になって迷惑かなと思いながら奴に最後のメールをした。
風邪大丈夫?お大事にね。留学資金を結婚資金にまわしてついて行っちゃいたい程度には好きだった。元風俗嬢とか嫁にいらないだろうけど。家は成金だし躾はなってないし。
昨日は女優だったでしょ?飲んで潰れて別の意味で喉の痛い朝を迎えると思えないくらい。
私をここまでしたんだからいい嫁見つけてちゃんと偉いセンセーになってよね。楽しかった。ありがと。
もちろん返信はなし。
何をやっていても涙が勝手にぼたぼた出てくる。過呼吸にも数度なった。職場のトイレで声を出して泣いた。事務の速度が1/3くらいになった。気を張ってる何か作業中はいいが途切れた時に何度でもフラッシュバック。何をしてても奴を連想する。母の胸を借り、恋愛論・男女論を泣きながら交わした。元客だったと打ち明けた風俗の同僚にもLINEを占領して慰めて貰いながら画面がぼやけた。夢に見た。魘されて数時間ごとに目が覚めた。日付の感覚がわからない。食事がとれない。食べても吐く。食べなくても吐き気。涙で流れるから化粧は一週間できなかった。男性に優しくされても泣いた。毛の処理や洗濯や基本的な生活ができなくなった。稽古に遅刻もしたし、演奏もできなかった。デパスを調達した。
奴に会えると思うから嫌なことでも頑張れた。これから何をご褒美に生きればいいのやら。そうまでして行く留学に意味はあるのか。
時間が解決する、いつかは忘れられると言われてもその時間を過ごす自信がない。
依存してたつもりはないけど、ガソリンが切れた。
ひたすらに楽天のメルマガがうざい。iPhoneでgmailとyahooのメールも未読有で出るから。放っといて欲しい。
奴のコミュニケーションスキルに不安はないので、若くて可愛いくて心の広い良家の令嬢と結婚して子供も作って幸せな家庭を築き出世していくんだろうとは思うものの、容姿体質(体質については私は許容できるが遺伝する内容)で弾かれまくったすえにやっとした見合い結婚で失敗して即効離婚してしまえとか、学歴に寄ってきた見合い女とくっついて有期雇用っぷりに幻滅されろとか、ポスドクで長ーく放浪して嫁に愛想尽かされろとか、助教で燻って65歳を迎えろとか、とっととインポになればいいとか、早くはげろとか、奴の幸せはまだ願えない。論文全然通らなくて心が折れてすごい凋落すればいいのにと思ってしまう。私のいないところで幸せになる奴を許せない。英語もできるから海外にも行けるし給料でてるし専攻的にも研究室的にも可能性は低いだろうけど。いま学位とれそうなところでその年齢で見合いとか早くない?とも思うがそれは体のいい理由なのでしょう。直接会って別れてくれただけまだ誠実なのかもしれない。パフォーマンスの低下した状態で考えているのでまだ頭の中はぐるぐるしているけど、風俗に入らなければ奴に会わなかったが、風俗女だから奴と本気で向き合う資格がなかったという循環参照みたいなところで行き詰る。
正直未練はまだあるしまともな生活はリハビリ中だけど、今日泣きながらこれを書いていて少しだけ吹っ切れた。結局遊ばれてたんだよね、と客観的に見られた。きっと恋をして何でもできそうな浮かれた気持ちと、すごくすごく幸せだった約1年と、別れて得た絶望とは自分の演奏に活かさなくてはいけないんだと思う。燃えるよりも灼けるように好きになれる人を運命がほんの短いあいだ貸してくれたと思うよりない。間違いなく、スイッチを切り替え私を「融かして」くれたのは彼だった。ここで討ち死にしたら負け。
2月にオーディションが2部門ある。受かれば履歴書に書けて2年くらい拘束。去年は「本気で行って落ちたらベッドで慰めてあげるから楽しんでおいでー」などと言ってくれた人がもういないので、ふたつとも落ちたらすぐに欧州へ飛ぶ準備を始めようと思う。目標額到達まで単独だともうしばらくあったけど、今回母に泣きついでに留学のことを直訴したら(当然風俗のことは言えなかったがアルバイトを掛け持ちしているとは言ってある)私の貯金と同額までは用意してくれることになったので、タイミング的には来年の秋頃から。奨学金にも応募してみる。
風俗は来年春か夏までにあがる。私に刻まれた風俗嬢の過去は変わらないが欧州に行って帰って来る頃には従業員名簿も破棄されている。
言っても言わなくても結局終わるなら、好きって思ったら言ったほうがいい。
欲しいものは欲しいって言う。だめかどうか決めるのは相手。
初動は早いほうがいい。
フィクション?そうだったらいいのに。それか1年前に時間巻き戻したい。
びっくりしたことがある。
いわゆる現代文や小論文の分野あると思うんだけど、あれを教えるにあたる授業が、ない。
古文や漢文はがっつりあるんだよ。ミミズみたいな変体仮名をひたすら読解するだけの授業とか、漢文をみっちりやる授業とか。
でも現代文は、ない。ここでいう現代文ってのは、読解力とか論理的思考とか、基本的な現代思想(これは倫理でやるからスキップされてるのか、いやでも倫理って選択制だよな)とか。
強いて言えば日本語学くらいだろか。これは現代日本語の文法が中心で、「てにをは」とか修辞とかそんなん。
あとは模擬授業をやる授業で「その教え方だとわかりにくい」とか指摘されるくらい。そこでも論理についてとやかく言われることはなく、テキストの内容がうまく伝わってるか、が判断される。
で、これで何が起こるかというと、だ。論理性とか読解力の教育に関して、完全に先生個人の感覚にまかされることになってしまう。
つまり、未だになくならない「現代文はセンス」みたいなナンセンスな考えが地味に拡散してくわけだよ。
いやね、仮にも国語の先生になろーなんて人が「現代文はセンス」とかナンセンスなこと言ってるわけねーよwwwって思ってたんだけど、教育実習に行って、その考えはガラガラと崩れ去ったよ。
皆、自分が得意だった科目で先生になるもんね。それと教師になるのに学力制限はないものね。
難しいことはわかんないけどとりあえずそこらの私大入って、そのまま先生(公務員)になって……って妥当な人生設計だから、こりゃまた多いんだよな。
勉強家で修士とかもってる先生もいるけど、「company(こむぱんわいと発音)ってどういう意味?」「俺英語嫌いだからワカンネwwだから国語にしたしw」「だよねーwww」みたいな会話が実習仲間で繰り広げられている現実もあるんだよ……。
国が、生徒にはこんなこと教えてね、って方針がまとまってる指導要領には、はっきりと読解力とか論理的思考を育てる、みたいなことが書いてるんだわ。
でもこのままじゃ先生の良心と向学心に祈るしかなくて、真反対な教育が野放しになってる……。
これは、やばいと思うんだ。
11 :卵の名無しさん:04/01/26 10:55 ID:QxfYqAlS
そんで、つつましくしてるとケチだと思われるし。
12 :卵の名無しさん:04/01/26 11:32 ID:rkVwCccw
風呂もろくに入らなかったらしい。
15 :卵の名無しさん:04/01/26 11:44 ID:cmxYjD42
親父が3代目
兄と弟は進学校
落ちたらプロボクサーになろうと考えていたが
親族が家に来るたびに
「将来はお医者さんかなー?」
マジでぶち殺そうかと思ってた
19 :1 ◆fSAb5cRqRI :04/01/26 15:37 ID:nKt4UP2E
>>15
超わかる超わかる
私は父は二代目。私は進学校へ。しかし挫折、中退。下の子が今進学校でトップ。
それまでは親戚とか知人とかさ『将来はお医者様かな?』とか言ってたけど、進学校に行っても父を見てたら医者になりたいと思った事は一度もない。
んで中退したら親戚ん家行く事なくなった。近所の目とかあるし私は臭い物に蓋状態。それまで順調な道を歩んでた私が崩れる様を明らかに喜んでる近所のばばぁとかいたし、いるし。
てかやっぱり同じ事考えてた人いたんだなぁ。
いつまでも金持ちと思われるのも確かにアレだよね。小泉内閣から行政変わって医者も前より稼げてないんだよー!!
確かに得なのは風邪ひいてもただで治療して貰えるからね。怪我でも。
父は尊敬してますが、早死にしそうで心配。祖父が医者で早死にしたから。
………メンヘラーも多いのかな…
73 :おいは精神科医でごわす(^^;笑):04/01/28 12:32 ID:Zi1EEEHH
なんか身内に医者がたくさんいたから、高校卒業時何気なく医学部を受けました。
他の道はあまり考えなかったね。でも今は少し後悔してるわ。
卒業の時には、身内のものが誰もやっていなかった今の科に入りました。
医者の子はそれなりに苦労しているとおもうよ。医学部に行かなかったら、周囲か
らなぜ?と言う形でみられるし。いったらいったで、親族の知り合いの医者からは
◎◎の息子さんという形でみられるから、そのプレッシャーはきついよ。
89 :卵の名無しさん:04/02/01 03:49 ID:tU1HHKfK
父と母が医者。小学校からずっと公立に通ったけど楽しくやってた。
最近、中学時代仲良かった子に、当てつけのように嫌味を言われてしまって
後になってから、その子が医者の家にすごく憧れてたとわかった。
だから自分と仲良くしてた面もあったんだと気づいて尚更ショック受けた。
思い返してみて、自分と同じような状況の友達って一人もいなかった。
なんかそれに気づいた時さみしかったー。人付き合い嫌になっちゃった。
137 :卵の名無しさん:04/02/04 00:27 ID:aAw30SZE
実家は開業医だが、いたって質素だし、普通に厳しくしつけられた。
父も母も地味で普通、でも
だから、人のねたみを買わないように振る舞う癖がもう身についている。
医者の奥さんでこれ見よがしに威張って気取る人を身近にみて、
カルチャーショックだった。本人は玉の輿気分みたいだけど。。。
みっともない、、、
150 :卵の名無しさん:04/02/04 13:15 ID:7T6tQXj3
父・母ともに医者で、指定校推薦で医学部に進学する事を薦められていた。
「これからは医者も厳しい時代だし、女の子なのだから尚更向かない」という
理由?で止めるように言われた。私大に進学したけど
自分のやりたい事がさっぱり見えない。それ以来鬱ぽくなってしまった。
一人だけ「自由に生きていいよ」といわれると、見捨てられた気分だったな。
273 :卵の名無しさん:04/02/10 15:37 ID:XafxB9uo
医者の子ってだけで、親戚や近所は口を揃えて「将来はお医者さん
だよねー」と子供だった俺に言ってきた。
こともあった。
406 :卵の名無しさん:04/02/21 22:29 ID:RPtawQCp
開業医の長男に生まれ文系行くといったら村八分。脅迫されて一浪して今年旧設私立合格。私立なんて恥ずかしいと親が泣く。…もうどうでもいいや……
414 :卵の名無しさん:04/02/22 02:34 ID:w+jdgvEx
かなりのプライド持ってる。ほんとに苦労して憧れてなったんだと思う。
そのへん私立出身だったり、二代目以降の人だと余裕もあるのだろうな。
状況として>>406さんに近いかも。医者以外は仕事じゃない、くらいの勢い。
そうやって育てられちゃうと、いざ医者になれなかった時に辛いんだよね。
自分は女で逃げ道があったけど、男の人、それも長男だったりすると
肩の荷も重いだろうな。
この手のスレは絶対に変なやつが沸いてくる
主な仕事だと、楽器の選定、楽器指導、自主コンサート。録音の仕事
なんて年に1回呼ばれればいい方というか、1回しか呼ばれたことないし
楽器の選定は5000円くらいのもらえるイシ●シ楽器の試奏と選ぶ仕事。
このツテのお陰で楽器教室の先生にはなれた。コンビニの時給の倍くらい。
楽器指導は中高生の吹奏楽ボーイやガールへの楽器指導。1回5000円~8000
円くらいが相場。家から近ければ交通費込みだし、交通費別でもらえても
+5000円ぐらい。あとは飲み物とか夕食は出してもらえるケースが多い。
自主コンサートは自費でいろいろ客寄せしなきゃいけないから、自分の
ポートフォリオや経験としては良いけど。1回のコンサートで持ち出しいれ
れば+5万円行くかどうか。1年に1回くらいはできる。
時間が取れないから、定期的なバイトは入れられないのが厳しい。
これが現実
僕が行っていた中学校はそらもう荒れていた。30人クラス二つの内僕も入れて10人くらいが不登校になってた。
人格を貶されて、殴られて、唾をはかれて、階段から落とされた。大津の子ほどはひどくは無かったけど。
目が覚めたら学校なんか消えてるか、にくいあいつらが死んでるか、いっそ目が覚めないことを祈りながら布団の中ですごしていた。
あ、いじめの体験談をちゃんと書こうと思ったんだけど当時は頭がいかれてしまっていたから何されたかについてはあんまり記憶が無い。
精神科で安定剤をもらって飲んでたという話を最近親に聞いたんだけれど覚えがまったく無いくらい。
不登校になるにも、最初親にいじめられてるなんていえないから、学校に行きたくないというとパソコンやりたいだけの
サボリだと思っていた親に(実際それが理由で不登校の子もいた)外に力づくで引っ張り出されて、
僕はキチガイみたいに泣き叫んでという悶着がずっと続いたりまぁいろいろあったんだけど。あれだ、ニュースで長田さんとかが流行ったころだったしね。
晴れて中学校を不登校になったけど高校はレベルの低い学校になんか受かった。高校から心入れ替えてやるぞと思ったら
初日に自分をいじめてた奴が同じ学校にいることに気がついて、結局4日でいかなくなった。あと同学年の人と話すのが怖くなってた。
で、高校に行けと自分を引きずりだす親と、インターネットに逃げる僕。昼夜逆転して、親が寝てる時間に起きて、パソコン読むか本を読むかして、親がおきてきたら寝る生活を始める。
本当にインターネットで見るテンプレみたいな引きこもりの生活。親にはすぐ切れてたしね!
でも親はこりゃただ事ではないということに気がついて、素人の手にあまると見て、いろんなカウンセラーに話を聞いていろいろ社会復帰のやり方を調べてくれて、
それを聞いて将来のことを考えると絶望しか感じていなかった僕は切れてた。
で、高2相当の頃に高卒認定(大検ね)を受けた。そしたらなんか無勉で受かった。
そんで、高3相当の頃に予備校通わせてもらったりして一から英語と政治経済の勉強始めた。そんでまぁ名前の通ってる私大文系に受かった。
その大学で、運動音痴が集まる運動部に入って、引きこもりだったので人よりやんなきゃと思って死ぬ気で練習した。
そしたらなんかキャプテンになってた。就活ではその運動部の話した。んで引きこもりとかもう関係ないっすって言ったら偉いねって感じで一社だけ受かった。一部上場企業。
つまり何が良いたいか!僕は運が良い。親が理解してくれた。あと引きこもりを更生させてくれるだけの金持ってた。
勉強ができた。部活のみんなが優しかった。引きこもりだったけどとってくれる会社があった。
あのまま学校行ってたらもっとエスカレートしてて死ぬ気にはなってたかもしれない。でも、不登校になったときの自分の無価値感はすごかったし、死にたいなーが常態になってた。
だけど大学四年で、彼女もできて、就職も決まった今もなんとなく自分に自信が無くて、増田にこんな文章書いちゃう。
Studygiftと坂口綾優さんの諸問題に対するホームイン君の感想文
http://ieiri.net/archives/2954
の内容と、日経新聞の記事
http://www.nikkei.com/article/DGXBZO42176240U2A600C1000000/
同じ1987年生まれで地方理系短大出身 都内企業勤務*年目の僕が、リアルに坂口さんをうらやましいと思った内容を書いて行く。
あー羨ましい!!!
というのもさ、俺は親がもう救いのないクズなわけ。現在、生活保護を普通に受けちゃってるわけ。
そんで、俺は最近やっと商売が上手く回り始めて金に余裕が出て来たところ。
いや、ホント困るんですけど。「扶養義務」とかホント困るんですけど。
そりゃさ、確かにね「親が子どもを成人するまで扶養する義務」ってのはわかる。自分でヒリ出したんだから
「出したゴミは片付ける」くらいの義務として理解出来る。まぁ、ガキって育てられないと死ぬし、そりゃわかる。
でもさ、こちとら生活保護世帯から必死で勉強して抜け出してやっとのことで人生の表街道に返り咲いたってのに
あのゴミ二人扶養するとか、俺の人生ツラっと終わるんですけど。余裕で終わっちゃうんですけど。
高校の学費すら出して貰えず、必死で奨学金とバイトで手に入れた学歴と現在のお仕事。
これをあのゴミがウンコを製造するコストとして支払うとか、マジ冗談じゃないんですけど。
アレに払うくらいなら、中学までちょくちょくお世話になってた施設に払いたいんですけど。
いやさ「三親等以内の扶養義務」ってさ。俺、脳裏に我が一族(ほぼ例外なくクズ。生活保護受給率8割)が
浮かび上がってしょうがないんですけど。つーか、誰しも三親等まで追ったら「クズ」って一人や二人いると思うんだが。
なんでこんな「扶養義務を果たせー!」の大合唱になってんの?これ、厳密にやったら親がクズだとガキ即死ちゃうの?
つーか、仮に年収1500あったとしたってだ。ガキ二人私大に入れて家買ったら、ゴミを扶養する余裕なんてないっしょ。
世の中誰もが親Loveじゃないのよ?「機会があったらというか、むしろ最大限積極的に死ね」って間柄だって相当あるんじゃないの?
俺なんかクソ親との手切れ金に借金肩代わりしてんだけど、これ以上俺から取ろうたってムリっすよ。
つーか、わかった。「扶養義務」ってのはわかった。その代わり、法的に「絶縁」する方法作れ。それだけでいい。
冗談じゃないっすよ。ホント。このカネの無い若い世代に「扶養義務」が厳密に適用されちゃったら、
どうにもならない人が相当出るってことくらいわかるじゃないっすか。頼むから、法的に「絶縁」する方法作ってください。ムリです。ふざけんな。
そろそろ大学も始まるころ。
新入生勧誘活動の時期においては、なかには履修相談をやるサークルもある。
私は勉強のことくらいしか助言もなにもできないんで、とりあえずここに履修相談の草稿のようなものを。
理系のおはなしもいろいろ聞いてはいるけれど、私自身は文系私大生。
とくに1年生の前期くらいはまじめにやっておいたほうがいい。
手の抜き方を誤ると進級等々にかかわるので。
ゼミナールがある場合、GPAなどの成績評価を用いるところもあるので、そのあたりも念頭おいておく。
勉強会を開くなら、ちゃんと講義に出ていたひと人、頭の切れる人とやるべき。
新歓期の履修相談では、楽な講義を紹介することも多々ある。それはそれで悪くないのかもしれない。
個人的には、興味の持てる講義を受けたほうがいい。
試験が難しいと噂されていても、面白ければ講義に集中できて、結果良い成績を得られたりする。
単位の取得が楽でも、講義そのものがつまらないとサボることになる。もともとサボるつもりなら問題ない。
この先生の下で指導を受けてためになるか?楽しいか?面白いか?よく考える。
決めて入ったあとは、自分の選んだゼミがいちばん、と思いこむ…
もちろん文献資料にあたらなければならないので読む力も必要だけど。
作文できないと話にならないから、読み<書き、という重要度だと思う。
レポート論文の書き方、といったhowto本は1冊持っていてもいい。
ぜんぜん違う。
向き不向き、好き嫌いがはっきり現れるので分野の選択が重要。
田舎から上京して東京のとある著名な私大に在籍。その1年目にして叔父がまさかの倒産。両親が保証人になってたせいで、家族全体として多額の借金を背負う。学費稼ぎのためにコンビにバイトを始めるが、逆に単位を落としがちになり、その結果、育英会の奨学金が止まった。生活で精一杯のため大学を中退することにした。なぜか両親の逆鱗に触れ、勘当される。このとき2000年、成人式を終えたばかりの春だった。
大学中退は高卒扱いだ。学歴を武器に仕事しようと思っていたために、どうやって生きていけばいいのか目標を見失った。一人暮らしだから無職にもなれない。まずコンビニバイトをやめようと思った。
最初は新社会人の就職活動と同じような感覚でマイナビをひとしきり見てたのを覚えてる。ここで給料の相場観を掴み、フロムエーとかanで求人を探した。技術が身につくなら何でも良いと思っていたが、求人からIT技術者人口が相当薄いんだろうという事を感じた。その結果「IT企業で雑用ができる」「初心者歓迎」のような説明のある企業に応募することが多くなった。
IT企業ではないが「システム部門での雑用」ができる中小企業があったので応募。「残業できますんで働かせて下さい、中退した理由は色々ありますが、とにかく仕事がしたいんです」と素直に申し出たところ、賞与がないという条件付きで採用された。月給17万前後。新入社員歓迎の飲み会で全裸になったのが大ウケしたのが良かった。バカ田大学のバカが来たと言うような感じでバカにされながら仕事したが、それでも真面目に雑用をこなしているうちに徐々にシスアドの仕事ができるようになってきた。
DreamWeaverで【「更新情報」ページの更新】という作業を任され、HTML学習のキッカケになった。
「とほほ」を参考に、JavaScriptが少しずつ書けるようになった。
携帯向けサイトを作ることになり、無理してPHPもPerlも覚えた。画像の圧縮処理も覚えた。
PHPを覚えるとデータベースへのSQL発行もそれほど抵抗なく身に付いた。
Windowsネットワークの調整を進めるうちにActiveDirectoryの知識がついた。
中小企業なので専門のネットワーク技術者がおらず、Ciscoコマンドを勉強できた。
この結果、最終的には社内で使うサイトを構築から任されることになった。資格でもプログラム言語でもないが「仕事する人にとって使いやすいWebサイト(GUI)を作る」というデザイン技術は確実に身についたと思っている。
働き始めて2年目で初級シスアドと基本情報に挑戦して両方とも合格した。このとき情報シスアドも挑戦したが午前科目で不合格。これは翌年も挑戦して合格した。
コツコツ貯めたはした金で、株式にも挑戦する。ちょうど紙幣バラ撒きのパフォーマンスで有名な「あしぎん株」騒動に乗っかり、30万円の大損をする。ここで自分には儲けるセンスがないことを思い知る。しかし仕事に対するモチベーションを大きく上げることになったと思う。
この会社では色々な知識が入ってきてレベルに応じた仕事ができるいい環境だが、入社条件があるだけに、どんなに頑張っても昇給はなさそうだと考えるうちに将来が不安になった。クレジットカードのショッピング枠のリボ返済がきつくなり、返済に追われるように転職を決意する。2006年。
ここで参考にしたサイトは Re就活 と マイコミ。物は試しと色々なIT企業に面接に出向くも、ほぼ全滅。採用されたとしてもマルチまがい商法に参加するような会社だったりして、入社後すぐ辞めたりした。
面接に落とされた原因は恐らく4点。
例えば「ワン側の設定もできる?」「経験のあるフレームワークは?」と言われても曖昧な返事ばかりしてた。仕事場で身につけたノウハウと、その内容を指し示す用語が頭の中で全然リンクしておらず、チグハグな回答しかできないのである。それを説明するために専門用語があるのだ、と思いながらとにかく用語を勉強した。
活舌が悪いこと。
自分の声をマイクで録音し再生してみた。そしたら実際恥ずかしい活舌だった。こんな努力は誰にも見られたくないと思いながらも、とにかくマイクに録音して治す作業で、苦手なサ行を治した。まだ治りきっていないけれど、自分の声を聴いて「自分の声じゃないわぁ」と言っているうちは自分の声を理解してない、そう思うように頑張った。
人相が悪いこと。
まずマユゲを整えるようにした。知り合いに会うたび「印象変わったねー、マユゲ剃ってるーwwwおっかしーwww」と屈辱を受けるも、なんとか耐えた。そして、2ヶ月に1回は美容室に行き短髪にするよう心がけた。最初は入るの出るのも恥ずかしかったが、2回目、その美容室のお姉さまに「久しぶりー!伸びるの速いねー!」と可愛く言われたのが妙に嬉しくて、それ以降美容室に抵抗なく行けるようになった。あと、自分の顔はヒゲがあったほうがカッコいいらしいと言うことも分かる。第三者の意見は大事だと思った。
自分に自信がないこと。
高級デリヘルを頼んだ。即解決した。あの150分は今でも強烈に記憶に残っている。
今までやってきた仕事をどう面接で表現するのか、何が目的で働きたいのか、今から働こうとするその会社に対してどのような手段で貢献するのかを正しく話すことができれば、それだけでいいんじゃないか、と思うようになりました。その結果、会社のニーズとマッチしていないことが分かれば、素直に他あたるのも大事だなぁとも思うようになりました。
上場を目指す会社に運よく入ることができ、年収が1年目350万。しかし社内システム関連業務全体における役付きの地位がまわってきて、このご時勢で入社3年目にして900万まで伸びました。そして今に至ります。
ぼっち向け大学選びマニュアルとか作ったら需要ありそうだな、と思った。
俺もかつてとある国立大学を辞めてる。そこまでのぼっちではなかったけど、とにかく「みんなでやる!」という
カリキュラムがウザすぎた。個人的に思うところは、規模小さめ偏差値わりと高めな大学に
そういうコミュ力命系の大学が多い気がしている。地方旧帝やら駅弁に多いんでなかろーか。
またこの手の大学は地元出身者が多く、人間関係はスタートラインからかなり固まってるってのもあるだろう。
そういうわけで、再入学or編入を狙うなら早稲田文系をお勧めしとく。
基本ボッチでも困ることはゼロで、むしろ「馴れ合う奴キモい」という空気さえある。
大学周りに本屋もメシ屋もいくらでもあるので、学食で苦しむことも暇つぶしに悩むことも全く無い。
また、変人率が高めで年齢層も多様なので再入学時の年齢がかなりアレでも全く問題ない。
+2で入学した俺でも全く浮かなかった。卒業後も学歴としては(その入学難度の低さのわりには)
それなりに評価されるので、わりとおすすめ。
これから入学して延々公務員対策しとけば就職もなんとかなると思うし、
奨学金も(おうちが相当の金持ちでなければ)取れるので、その辺の問題さえクリアになるなら
早稲田をお勧めしとく。いや、マンモス私大ならどこでもこういう特徴はあるだろーけど、自分が通ったとこ以外は
自信を持って進められないので。
http://anond.hatelabo.jp/20111230232131
確たる才能もないつまらない人間であるぁたしゎ結婚相手への最低限の条件としてぇ~
・首都圏に4LDKの自宅マンション、子供には小学生から中学生にかけて1~2年置きに海外旅行に連れて行く
・子供には中高一貫の私立中学に行かせ、比較的金のかかる私大に行かせ、塾とピアノとスイミングの習い事もさせる
・妻は専業主婦で、手芸や料理などの習い事の教室によく通い、ジムにも
・お金のかかるアウトドア系の趣味にお金を使っても生活に支障なし
・年収1000万以上稼ぐ
で、まとまったかな?
私の場合、自分のことは自分で稼がないと、と思ってた(多分そう育てられた)ので、相手に何でもクレクレはありえなかった。結婚で退社とかありえない。定年まで働くし、もし給与が足りないならバイトもする気でいる。生きていくため、自分の理想?の生活のためならやれることはやる。
「働かざるもの食うべからず」とまでは言わないけれど、両親とも働いていたし、祖父母もかなり高齢にもかかわらず、ずっと働いていた。社会とのつながりを絶ちたくないというよりは、祖父母こそが「働かざるもの食うべからず」的な発想だったようだ。
祖母はかなりいいところのお嬢様だったが、家族の中では末っ子で乳母に育てられた。が、親だか兄弟が金遣いが荒く、家が凋落し、幼少期に親戚の間をたらいまわしにされたらしい。そこで彼女は生きるためには手に職をと考えたようで、高齢になっても年をごまかしてまでパートに出ていた(ぉ
祖父はある土地の大地主であったが、家を継がず、考えがあって大学に行き、公務員になってた。
祖父母の家は祖父の実家よりも劣悪な家庭だったと思うが、親を見るとそれに対してどうこうというのはない。祖父も自分で決めた人生に対しては特に親がこうだったからという考えは持っていなかった。
親からの庇護をアテにして生きてきた子供は、ずっと誰かの庇護をアテに生きていくしかないんだろう。そういった教育を受けてしまったのだから。↓これにはぞっとした。
社会に出たら(20代になったら)多様な生き方は周囲にあるし、選択肢も見えてくるはずなんだけどなあ・・・