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2013/5/5名古屋市教育館にて鈴木邦男氏の講演会が開催された。
新右翼一水会の最高顧問でありながら、現在は思想的にはリベラルであると自他ともに認める鈴木氏。「右からの脱原発」をテーマに講演会はこの日14時に始まった。
ゲストは地球上で唯一人封建主義者を自称する評論家、氏の過去の著作名の如く「危険な思想家」である呉智英氏だ。
彦摩呂似の司会者の合図で先ずは鈴木氏が登壇、呉氏がゲストという事で近著「真実の名古屋論」、「吉本隆明という共同幻想」を紹介し話は呉氏との過去の逸話や他の作家の話などを織り交ぜ、終盤思い出したかのように脱原発の話をして30分ほどで鈴木氏単独の公演は終了。公演は3部構成、2部は鈴木、呉両氏の対談形式で話が進められ、3部は質疑応答の時間。参加者は30~40人程度といったところか。新右翼の代表的人物である鈴木氏の公演であり、過激な発言で知られる人気作家の呉智英氏がゲストであれば会場は満員になっても何らおかしくはない。しかし、この公演に関してほとんど告知がなされていないせいか、最大収容人数200人の会場で二人はマイクを置いて地声で話していた。それほどに参加者の数は少なかった。
筆者がこの講演会を知ったきっかけは毎週欠かさずチェックしている鈴木氏のHP「鈴木邦男をぶっとばせ!」の今週の主張という毎週月曜に更新される記事によってだった。しかもこの講演に関してはその長~い記事のそれこそ最後まで目を通さねばわからないほど下の方に告知が載っているだけ。筆者は知らないが鈴木氏はTwitterをやっている為、そこでは告知をしていたのかもしれないが…。他にも一水会のHP、会場の名古屋市教育館のHPを覗いてみたが、特に告知らしきものは見当たらなかった。因みに筆者はイチ鈴木邦男ファンとして今年2月同じく名古屋の日本キリスト教団名古屋教会で催された鈴木氏による講演「いま、“愛国”について考える−排外主義への異論−」に参加したがその時は会場は満員であった。あくまでその教会のいち催し物である為に信者がほとんどであったし、一概に比較出来ないが…。何より福島原発事故から2年以上経てそれは既に風化し、もはや「反原発」というスローガンに訴求力がない事の証明であったように思う。20代の参加者はおそらく筆者1人であったし周りを見渡すと皆頭に白いものが…、中には自ら朝鮮人を名乗る者もいたし、聴講者の多くが戦後民主主義・人権主義思想に凝り固まった、言ってしまえば絶滅危惧種のサヨクだったと見える。そうなると呉智英氏の天敵が集まったことになるが…。筆者は思想的には新右翼寄りと勝手に思っている者だが、少なくとも一般聴講者の中に右派、保守系の人は見受けられなかった。新右翼の代表的論客・鈴木氏の講演であるし題目は「右からの~」だし、呉氏が来るのだからてっきり右の人がたくさんいるのだろうと思っていたのに意表をつかれた形になった。
今回の講演会のテーマは脱原発。しかし、おそらく遅れて呉氏がゲストに決まったと思われる為、急遽テーマからの脱線は止む無し、むしろ脱原発は公演の一要素に過ぎないといったところだった。2部の両氏による対談形式の講演は1部以上に話題は多岐に渡った。呉史は現在名古屋在住、名の売れた作家であるにも関わらず今は家賃7.9万のマンションに住んでいるとか、ライフワークである儒教についてや思想から政治、氏の私生活までその著作と違わぬ軽妙で鋭い語り口で会場を盛り上げていた。中でも印象的だったのは改憲についてだ。9条は戦略的に活用せよというもの。メモを忘れた為うろ覚えだが、憲法9条が現行のままである限り安全保障は続くのであるから改憲せず、これまで日本がやって来なかった謀略戦に特化しお隣りの2つの国を戦争させて漁夫の利を得よといった内容だった。もちろん危険極まりないラディカルな意見ではあるが、常々自衛隊の国軍化は必要だと考える凡人右派思考の筆者はそんな考え方もあるのかぁと目からウロコだった。もちろん本旨の脱原発についても忘れていない。呉氏は反原発派でありながら既存の脱原発デモを批判し独自の方法論を提示していた。封建主義者の面目躍如とばかりに鈴木氏の出る幕もないほど冗舌に語っていた。筆者にとって2部の二人の対談はとても勉強になったし何より刺激的でとても楽しく拝聴していた。
先に述べたとおり、参加者の多くは戦後民主主義・人権主義思想に洗脳された方々である。そんな彼等との質疑応答はまぁ無意味で退屈で不快なものだった。二人の質問者が、呉氏が講演の中で何度も口をついた「支那」という言葉を取り上げて「中国を『支那』と呼ぶことは差別でないのか?、石原慎太郎の真似でないのか?」(およそ60代の女性)続いて男が大声で「『支那』は不快!相手が不快に思うのなら中国と言うべきではないのか?」といった質問をぶつけた。呉氏はこれまで民主主義を否定し続け、ソ連解体で共産主義の崩壊とともに民主主義も終焉を迎えたと語る危険な思想家である。併せて氏は30年余り「支那」と呼ぶべき理由を、その正当性を、論理的に、何度も何度も口酸っぱく唱えてきた男である、石原なんかよりずっと前にだ!!その主張は呉氏の数々の著書に幾度も書かれている為詳細は省くが、中国を「支那」と呼ぶ事が差別であるかはともかく、氏は30年もそれを訴え続けているのである。何を今さら言うか!筆者は考える、参加者は今回の講演会に参加する限りは呉智英という男がどんな危険思想を持つ人間であるか少しでも知っておく、いや参加するには著書の2.3冊読んで予習しておく、それが無理ならさらっとウィキペディアでも覗いておく事が必要ではないのか?もちろんそれを強制するつもりはない。しかし知識人である呉氏への無理解、自身の無知を醜くさらけだし、それに気づかずにヒステリックに喚き立てる姿は憐れですらあった。他にも40代と思しき男が「反原発デモで左右連帯というが、グローバリズムを旨とする左翼が中国・韓国を非難する右翼と連帯するのは難しい、それについてどう思うか?」といった事を回りくどく長々と言い、鈴木・呉両氏を論破せんと意気込むも「じゃぁ別々にやれば良い」と冷ややかに返答されていた。当たり前だ。右翼が反原発に取り組む動機は、現在進行形で福島の大地が放射能に汚染され続けている現状を憂いての事であって最早ナショナリズムがどうとかそんな事は関係がない。サヨクの男は、今後中国・韓国を巻き込んでの反原発運動がどうたらこうたら言って、今そこにある危機を無視して下劣なイデオロギーの次元に落とし込む事を考えている。全く恐ろしい…呆れてものも言えない。右翼を非難し自分の論理を展開する事によって連帯の意味を履き違えている事を露呈し、さらには逆説的に左右連帯が不可能である事を自らが明らかにしてしまった。右翼は最初から反原発に限っては左右は関係ない、むしろ反原発の一点、そこだけ一致すればどんな思想の持ち主だって構わないという姿勢であるのに…。
そして最後の質問者の老婆は鈴木氏に対し「ウヨクってなんですかー!?全ッ然わからないんですけどー!!今日来た意味ないです!払った千円返してください!」だって。鈴木氏は最初はまともに返答しようとしたがとにかく態度と声のデカイ老婆の勢いに困ってしまい、封建主義者の呉氏がフォローを入れるという事態に。あぁそうそう、なんか8年前ぐらい前だっけ?騒音おばさんっていたじゃない、もうまさにあんな感じ…。両氏はもう顔を見合わせて苦笑い。そこでもう時間切れ、司会者が強引に中断して参加者一同二人に拍手。筆者はこれでもかってぐらい、もうババァ黙らせてやるって気持ちで拍手しまくってやった。それでも老婆は懲りずに怒声を発し続けていたけど。
今回講演会に参加して感じたことが幾つかある。先ずは主催者側の問題点を言いたい。やはり呉氏がゲストだからといってテーマは「右からの脱原発」であるからには、あくまでそこを中心に講演するべきであったように思う。脱原発の講演を期待して来場した人がほとんどのはずだから、その点で考えると参加者のほとんどが満足のいく内容でなかったはずだ。それに告知、今のご時勢ネットを活用すればもっと集客できたに違いないし、単純に参加者がもっと増えればより質の高い講演となったと思う。次に参加者について。まぁ誰が参加しても当然問題ないんだけど予備知識くらい入れてから来いよと言いたい。呉智英氏の事を少しでも知っていれば、氏が百万回くらい経験しているであろう不毛な「支那」問答に時間を取られる事も無く、参加者も不快な思いをせずに済んだのになぁ…。呉氏の思想を知っていれば来なかった人もいただろうに。まぁ本当に残念な講演会だった。最後の質疑応答さえ無ければ笑顔で帰り道を歩けたのに、あんな事になっちゃって全て台無し。参加者には文句言うまいという気持ちがあるにはあるが無知と無理解に無自覚なオソロシイ数人の人を前にして味わった事のない恐怖体験をしてしまったから、つい愚痴のひとつやふたつ言いたくなるよ。
私は以下のことについて、自明のことではないにせよアメリカ独立宣言やフランス人権宣言以来の人権概念が積み重ねてきた権利体系に基づく真実であり、日本国憲法を含め自由主義国の憲法で当然守られるべき権利であるものとみなし、ヘイトスピーチ規制はその自由に根本から抵触するものとして断固として反対する。
すなわち、英国の食事、ドイツのユーモア精神、フランスの天の邪鬼、イタリアの勤勉さ、ロシアの酔っ払い、中国の爆発、韓国の犬食、日本人のカメラ好きをジョークのネタにすることは平等に自由であるべきこと。
「在日米軍は犯罪者」を訴えるデモ、「在日朝鮮人は犯罪者」を訴えるデモ、「日本人は戦争犯罪者」を訴えるデモ、「ヨーロッパ人は侵略者」を訴えるデモは平等に自由に開催されるべきこと。
映画の中で教会を爆破すること、寺院を爆破すること、神社を爆破すること、モスクを爆破すること、孔子廟を爆破することは全て平等に自由に描かれるべきであること。
風刺画において無能な白人をサルに喩えること、無能な黒人をサルに喩えること、無能な東洋人をサルに喩えること、無能なアラブ人をサルに喩えることは平等に扱われるべきということ。
異性愛者を題材にしたポルノと、同性愛者を題材にしたポルノと、獣姦者を題材にしたポルノと、幼児性愛者を題材にしたポルノと、サディズム・マゾヒズムを題材にしたポルノは、実在の未成年が出演しておらず特定の人物をモデルにしていない限りは平等に扱われるべきこと。
以上のことについて私は自然権としての表現の自由に基づくものであることを内心の自由に基づいて信じ、言論の自由に基づいて表明する。
飛行機のトランジットを待っていて暇なので、ちょっと昔のことでも書いてみようと思う。数年前、この空港にはじめて来たとき、僕は今とはまったく違う人間だった。あの頃の僕は、希望と理想と好奇心に満ちあふれていた。でも今は? 僕の心は冷たく凍っている。そしてこれには訳があるのだ。
僕は父親を早くに亡くし母子家庭で育ったが、まじめに勉強したので成績はいつも一番だった。そのまま東大法学部に入ったあとも、僕は常に一番だった。東大を主席で卒業したとき、母はどれほど喜んだことだろう。その後、僕は外務省に入省し、上層部の大きな期待をうけて、ドイツの大使館に派遣されることになった。当時のベルリンはいまだ東西ドイツ分断の爪あとも生々しく、その一方で、新たな統一国家を創りあげるのだという若々しいエネルギーにもまた満ち満ちていた。その高揚感に僕は目を見張り、自分が今歴史のまっただ中にいるのだということに感激を覚えた。僕はドイツ語とフランス語がとてもよくできたので、大使館でも重宝された。そして、これはすでに上層部の許可を得ていたのだが、大学に籍を置き、仕事の合間にはさらなる勉学に精を出した。
あっという間に三年がすぎた。僕は相変わらず真面目に働き学んでいたが、心の何処かに落ち着かないものがあった。激動の時代を経たベルリンの大学にはさまざまな思想が渦巻いていた。その気風にあたって、僕の心になにがしかの変化が生まれたようだった。それまでの僕は、ただ真面目に生きてきただけだった。母親は僕を歩く辞書にしたかったのだろうし、今、官僚となった僕は歩く法律書であることを求められている、そんな気がした。僕が、自分の頭で物を考えること、そんなことは求められていなかった。そのことに気付き、僕は少しずつ別のことを学び始めた。歴史や文学を学ぶことで、自分なりの思想を作り上げようとしはじめた。
上層部の人間がそれをおもしろいと思うはずもなかった。彼らは僕が機械の歯車であることを望んでいたのだから。そもそも僕は同僚たちの間でも受けがよくなかった。彼らが飲み歩いて遊んでいるとき、僕はそれに加わらず、ひたすら勉強していたのだから。上層部の不興と、同僚たちの嫉みによって、大使館のなかでの自分の立場は危うくなってきていた。
僕が遊び歩かなかったのは、実のところ、僕が臆病だったからというだけだ。僕は子供の頃からずっと優等生だった。僕はまるで処女みたいなものだった。僕はただ極端な臆病者だったのだ。少しでも道を踏み外すのが怖かった。だから敷かれたレールの上を必死で走ってきたのだ。ばかにされてもしかたがないと思う。だが、うらやまれるのは納得がいかない。僕は遊ぶことができなかった。旧東ベルリンのすさんだ地域で、けばけばしい化粧をした娼婦たちに声をかけられても、それを買う勇気すらなかった。
ある日のこと、家に帰る途中ベルリンの壁に程近い、そんな貧しい地域を通りかかった。教会の廃墟の前で、一人の少女が泣いていた。十五、六歳に見える。ジーパンはは着古されているけれど清潔で、パーカーのフードからこぼれる髪は、明るい金髪だった。僕の足あとに気づいて振り返ったその顔を、どう表現したらいいのだろう。真っ青な目は清らかで憂いをたたえていて、その長いまつげからは今まさに涙のしずくが滴り落ちようとしていた。
僕は思わず声をかけていた。
「どうしたのですか。なにかお助けしましょうか」
彼女は驚いて僕を見つめたが、僕が真摯なのがわかったのだろう、こう答えた。
「助けてください。パパが死んだのに、お葬式をあげるお金がないの。私が言うことを聞かないから、ママは私を殴るの」
「こんなところで泣くのはおやめなさい、人目もあることだし」
「ごめんなさい、あなたはいい人ね。頼りにしていたオーナーに、借金を断られたんです。私は彼のところでもう二年も働いているのに。身体で払えと言って来ました。ねえ、お金を貸していただけませんか。かならずお給料からお返ししますから……」
彼女は涙ぐみながら上目遣いに僕を見た。なんともいえず色っぽかった。
僕は財布にたいした現金を持っていなかったので、時計を外して彼女に渡した。
「これをお金に替えなさい」
彼女は感動してポロポロと涙をこぼしながら、僕の頬にキスをした。
その後、彼女は僕が渡した名刺を頼りに僕のアパートを訪ねてきた。僕たちは頻繁に会うようになった。やがて、このことは同僚たちにも知れ渡るようになった。僕が場末のストリッパーと交際していること、もともと僕を快く思っていなかった連中は、それをあることないことで脚色して大使の耳に入れた。僕が学問をつけ生意気なことをいうようになったことが気に入らなかった上層部はこれをいい機会と僕を免職した。
本当は、このころ僕たちはまだ身体の関係をもっていなかった。彼女とその家族は社会主義下の東ベルリンで貧しくも慎ましく生きていたが、壁崩壊後の資本主義の流入で食べるにも困る状況に陥った。そんな時新しくできたストリップクラブでストリッパーとして働かないかと声をかけられたのである。昼は稽古、夜の舞台とこき使われて、そんななかでも努力が実り二番人気まで上り詰めたが、それでも少ない給料で家族を養うのにはとてつもない苦労があったようだ。
僕が首になったことを伝えた日、僕たちははじめて結ばれた。はじめて見たその日から僕は彼女のことを愛していたのだけれど、その気持ちを抑えこもうとしていた。僕の免職をきいて悲しみに震える彼女の姿をみて、僕ははっきりと自覚したのである。彼女を愛している、と。
僕は困窮した。給料はとめられ、滞在許可の期限も切れようとしていた。そんなとき僕を救ったのは、Aという友人だった。
Aは大学時代の同期で大蔵省に勤務していたが、僕が困り果てているのを人伝てに聞いたらしい。知り合いの新聞社の編集長に頼んで、僕をその新聞社の特派員という形にしてくれた。なんとか滞在許可を延長できたものの、給料は雀の涙であった。今度は彼女が僕を助けてくれた。僕はアパートを引き払い彼女の家に転がり込んだ。僕は彼女と、彼女の母親の住む部屋で、互いの少ない給料を持ちあってそれでも楽しい日々を過ごした。僕はもう学問にも本にも見向きもしなくなった。けれど、いわゆる世俗的なもの、今まで見向きもしなかった、見ないようにしていた世界が、僕の前に広がった。
冬が来た。ある日僕はAから電話をもらった。今、大蔵省の次官に同行しベルリンに来ているという。「君の名誉を回復するチャンスだ」、彼はそう言った。彼女にそのことをいうと小躍りして喜んで、戸棚に仕舞いこんであった僕のスーツに念入りにアイロンをかけて着せてくれた。Aが与えてくれた仕事は次官の通訳と翻訳だった。そして、ロシアへの出張の同行を打診された。まとまったお金が入ったので帰ってくるまでの生活費として、僕は彼女にそれを与えた。彼女の体調が優れないようなので、それが気がかりだった。
ロシアへの出張はすばらしいものだった。なによりも国際政治の舞台に再び立っているということが、僕の心を高揚させた。彼女のことを忘れていたわけではない、けれども、僕は迷い続けていた。日本に帰ってふたたびキャリアを積み重ねることができたなら……
ようやく出張から帰ったその瞬間まで、僕はそんなことを考えていた。けれど、彼女が戸口から飛び出して抱きついてきたその時、そんな迷いは吹き飛んでしまった。彼女とともに生きよう。僕は彼女を愛しているんだ……部屋のテーブルには、編みかけの靴下があった、それも、ミニチュアのような靴下だった。彼女は幸せそうに微笑みながらいった。「どう?」
数日後、僕は次官に呼ばれた。彼は言った。君の能力はすばらしい。ポストを用意するから、日本に帰ってこないかね。
僕はとっさに思った。このチャンスを逃したら、僕はこのまま落ちぶれて、日本に帰ることもできず、異国に散ることになってしまう。その瞬間、僕は、「光栄至極です」と言っていたのだった……
真冬のウンター・デン・リンデンを、僕はさまよい歩いた。僕の肩には厚く雪が積もった。固く凍った路面で、何度も滑り膝を着いた。ようやく家に帰ったとき、僕はまるで死人のような有様でそのまま床に倒れこんでしまった。
それから数日間の記憶はない。高熱を出してうわ言をいっているのを、彼女は必死に看病してくれていたらしい。そんなときAが訪ねてきて、僕が次官に帰国の約束をしたことを告げた。意識を取り戻したとき、僕は彼女の変わり様に驚愕した。Aは彼女を精神的に殺してしまったのだった。彼女は、「なんていうこと、そこまで私を騙していたなんて」と叫び、倒れてしまったのだという。ふたたび目をさましたときには、もう正気を失っていて、僕の名を呼んで罵ったり、髪をかきむしったり、小さな靴下に頬ずりをしてさめざめと泣いたりするばかりだった。
僕のほうの病気はすっかり治った。日本に帰国する際には彼女の母親に、幾ばくかの金を与え、可哀想な彼女の胎内の子供のことも頼んでおいた……
こういうテキストは得てして不幸自慢や感傷に浸りがちになってしまうものが多いから
そうならないようにできるだけ書いていこうとおもう。もちろんこれを書く目的はそんなことのためではないし、
最後までかけるのであればこれはむしろポジティブな、読んだ人に何か得るようなものがあるものになってほしい。
両親はとある新興宗教の出だった。二人はその教会の教祖の祝福という名のいわゆる合同結婚の元、結ばれた。
自分はその5番目に生まれた三男末っ子だった。(長女は里子に出されたらしく、実質4人兄弟)
物心がつく前から教会にも行かされていたが、一般的な保育園や幼稚園にも行き
特に当時はうちが変わっているということも意識することはなかった。
それから母と子の4人の子供との生活が始まった。かろうじて離婚は母が嫌がったのでしていなかった。
一応、住んでいる地域も父に合わせ、父の住んでいる地域に家族も引っ越していた。
そのため月末にお小遣いをもらったり誕生日プレゼントなどでその頃まではまだ父と関わることができた。
ただ、住まいも違えば、両親が家族の前で顔を合わせている瞬間を見ることもそれからはなかった。
物心ついてから理由は分かったが、父が宗教を去った、いわゆる還俗によるものだった。
養育費などもないため、母は働くことになり、やがて子供たちが教会に連れて行かれることもなくなった。
教会では私達のような存在を二世と呼び、年頃になれば両親と同じように祝福とよばれる合同結婚をする。
その後、三世、四世、、、などと続いていくのだろうと思う。
小学校に入ると自分の境遇が特殊であることになんとなく気づき始め、
学校の友達とは一種違うこと、宗教という概念はどこかタブーなんだということも静かに悟った。
それから小学3年生になる頃、人生の岐路ともいえる出来事が起きた。
その頃になると家族内で信仰しているのはもはや母だけであった。私も教会のことは口にはしなかったものの小学校はとても充実していた。
その母が敬虔すぎたあまり、小3の夏に布教活動に出ると言い出した。
行き先は 家 族 で アメリカであった。
当時はなんのことかも分からず、旅行気分で帰ってくるものだろうと、旅行など両親の不和から一度も行っていなかったので
私は脳天気なまでに楽しみにしていた。
そのまま父を日本に残し(もはや家族間の交流はなくなり見送りすらなかった)、私達一家は渡米した。
現地での生活はその教会の保有する宗教施設で、自分らと似たような一家が何家庭か集まり、共に暮らす特殊なものだった。
うちの家族は母以外は教会から離れていたので正直まわりの人々としばらく温度差があった。それでも幼かったので多くの他の大人や子供たちとの生活は新鮮で楽しかった。
学校は州の公立の学校に通った。いまでこそ帰国子女という肩書きではあるものの、
一般的な帰国子女というのは現地の学校と併せて、日本人学校に土日通ったりする。
しかし、それはもちろん私立であり、シングルマザーで、かつ他にも兄姉がいるうちのような家庭には
公立学校で経済的にいっぱいいっぱいであった。(姉だけは女の子という理由で無理して通った)
母には話していないが、もちろん人種差別もあった。その分、優しい人々の思いやりにも触れることができた。
日本では禁句であった宗教の話は、無宗教であると伝えると逆に大きく驚かれたのが印象的だった。(これすべて小学校の段階での話である)
住んでいた地域は移民が多く、学校でもESOLの他にスペイン語なども必修科目に含まれていた。
アメリカ人は白人というイメージをしてしまいがちだが、今でこそ言えるが、そんなことは決してなかった。
その地に4~5年暮らし、中学校3年になる頃、宗教ビザが切れ帰国した。
今度の日本での引越し先は父のいた地域とは別で、母の教会でのコネによって貯金がなくとも引っ越すことだけはできた。
正直、日本人学校にも通っていなかった自分はゆとり教育云々依然に日本の勉強に着いて行くのがやっとであった。(漢字や理科など)
英語だけは生い立ちに恵まれたものの、自分だけ答えて授業を進行させてしまうと他の生徒が学べないことを悟り、あまり積極的に参加することも避けた。
一般的には苦手とされるものが、できてしまうとやはりいじめられた。さらに帰国子女という肩書きも裕福な家庭を連想させていたらしい。
しかしそれは人種差別を体感していた自分にとっては人間の本能なのだと甘んじることができた。
間髪いれず続いてきたのが『受験』という壁であった。欧米では高校は義務教育とされており内申のみで入れるものだったのでこればかりはどうしていいのかすら分からなかった。
周りの友達がどうやら塾や予備校というものにいっていることを知った。あれは一種日本の文化といってもいい。
もちろんうちにはそんな金は無かった。もはや家の光熱費すらままならないといっても過言じゃなかった。(学校の友だちにはもちろんそんなことは言えない)
それからしばらくして、当時、担任であった先生からある話を持ちかけられた。それは『帰国子女制度』というものを使う方法であった。
現地での滞在年数や帰国してからの期間などいろいろと条件はあったものの見事にパスした。
その制度を利用すると、体裁としては一般受験をするものの、その制度枠を設けている高校に空きがあれば、ほぼ確実に学力関係なしに入れるという最強チートであった。(大学にもあり)
それのおかげで高校に入学することができた。
アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt] 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサミラ、1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。
よくわかりますよ、あなたの気持ち。自分も似た様な感情に悩んだ経験があります。
自分は、西洋の古典的な小説に感銘をうけて、もっと知りたいと思うと同時に
日本の土着の信仰につても魅力的に感じて、これは両立できないなぁ…と困っておりました。
そんな感情を背景に持った状態で、ある時、人生に大きな困難が降り掛かりまして
変な新興宗教に掴まる前に、自分が納得する宗教宗派を選ぼうと思い立ちました。
せっかくなので、かねてより興味のあったキリスト教にしようと決め
宗派による違いを調べ、教会が近くにある場合は足を運び、最後に一つの宗派を選びました。
日曜のミサにしばらく通い、その後に洗礼の準備のための聖書の勉強会にも通いました。
その後、人生の困難が落ち着くにつれ、教会からは足が遠のいてしまい、
結局洗礼は受けませんでしたが、今でも良い経験だったと思います。
以上のような経験をふまえ、増田に伝えたいことは、以下の通りです。
●日本におけるキリスト教コミュニティは西洋のそれとは大きく異なる
宗教的である以前にマイノリティ団体としての側面を強く感じます。
都心部なら、まだ増田のイメージに少しは近いところもあるかもしれませんが
少し郊外や田舎になると、老人ホームとボランティアのような雰囲気も珍しくありません。
教会のコミュニティは代々キリスト教徒として育った人が大半を占めます。
大人になってから自ら門を叩く人は、大変珍しいです。
あなたが教会で仲間として認められるためには、洗礼をうける必要がありますし
洗礼をうけた後も、教会員としての役割を人一倍こなすことが求められるでしょう。
キリスト教的には、私のような日本の伝統的宗教に価値を持ってる人も無神論者のようなものです。
それでも、事情を話して知りたいと言って訪ねて行けば、みなさん丁寧に対応してくれました。
そして、だんだんと足が遠のいても、ほっといてくれました。
時間のある学生のうちに、実際に自分の目で見て確かめてみるのも悪くないと思います。
ブコメ等で指摘されてる、恋人ができれば解決する、ってのもまた事実でしょうが
どうやら入る大学を間違えたらしい。 2010年12月24日10:20
TMは『どうして、うちの大学には製造業に入る学生が極端に少ないのか?』と疑問に思っていたが、どうやらこれは大学側の意図らしい。
大学にはそれぞれのパイプがある。僕の大学の場合はなぜか、小売と金融の就職者が異常に多かったのだが、これは実は大学側がパイプを持っているから。
そして、そのパイプは実はインターンシップの時にはっきりしていたことに今更気づいた。そして、TMにとって何の役にも立たない。
まず、金融業のパイプがあることについてだが、金融というのはすごい学閥・学歴社会です。でも、メガは人手がいるから下の方の仕事をさせる人は割りとコネとかで取っちゃうのです。
(地方の国公立だと地元の企業に就職する事が多いけど、それが地元の地方銀行だったり、信用金庫だったりするのです。そこでもその学校の人が学閥を気づいているわけです。)
←こうして、出身校以外にアイデンティティーを持たない無能が生まれるのです。
立正なんてFランの学生が金融業会は行っても一生奴隷です。小売・サービス業は場所さえ選べば10年すればそれなりにもらえる管理職になれるけど、基本すごく大変です。
肉体的に大変な仕事を定年ギリギリまでやらされ続ける可能性は十分にあります。
話を戻そう。
実はインターンシップの際に講演しに来たおっさんの経歴を今日になって書類整理中に調べたのですが、この人が名乗っていた団体、
日本インターンシップ推進教会の会員を調べた時にはっきりしたのです。商科大学、家政科がある大学、偏差値が低い工業大学、就職難民予備軍(社会学部、文学部、宗教系の学部)が強い大学しかないのです。
立正の場合は文学とか心理とか宗教系が強いため、一番最後の大学に当てはまります。
インターンシップ協会の偉い人がそのホテル業界のオッサンなのですが…その人の肝いりで立正にはホテルのインターンが極端に多かったわけです。
(薄利の上に、自分ではどうすることもできないこと多すぎるのよね~色んな投資家やお金持ちに目をつけられ易いし、経済不況や感染症などの社会問題になって真っ先にダメージ食らうし。)
だから立正のインターンは極端に提出物が多くてうんざりでした。こういうことするから自主性が失せていくんだ。(何するにも手間がかかるなら何もしなくなるもんだよ。)
ここ数年のOBの履歴をキャリアサポートセンターで見るには電子メーカーはほとんどいない。
…こいつは手ごわい就活になりそうだ。
他の日記で最寄り駅は戸越か戸越銀座で自転車通学してる、って書いてたし、自分のこと底辺私立だって呟いてたから確定。
青二才は2012年卒なので2008年入学。その当時の立正大学経済学部の偏差値は
河合塾偏差値 | 45.0 |
マーク偏差値 | 46 |
駿台偏差値 | 44 |
あー。偏差値45か。ごめんな、増田で叩いたりして。痛かったよな?
ほんとごめん。いや、正直もう少しマシな学歴だと思ってたんだよ。まさか偏差値50切ってるとは思いもよらなかった。
と、いうか立正大学という大学が存在することを初めて知った。申し訳ない。
会話が通じるレベルじゃなかったんだよね。よしよし。ほら、泣いちゃだめだよ。こわーいウォッチャーが君を指さして笑いに来ちゃうよ!
立正大学の就職率は全国平均の八割を下回っている上にSPIの偏差値も平均が50いかないんだって?そんななかよく就職できたね。えらいねー
学費も高いのなー。初年度だけで\1,167,000。これ四年間でしょ。総額いくらよ。
そんな高い金払ってたのに結局足立区のブラック企業に勤めるはめになって、そこも追い出されて…
涙なしには語れまい。
あと本題とはずれるんだけどマイミクで大学の同期らしき人が一人も見当たらないんだ。
…あの、昼休みは毎回大学外でぼっち飯で友達いないし、彼女もいないって書いてたのは冗談かなんかだと。サークルに入った形跡もなし…
もしかして、本当に、(##(株)はてなによって検閲されました。##)
(女子閲覧禁止)真面目に子供がほしくなったぜ! 2010年05月16日21:29
※TMが暴走するので、女の子は絶対に見ないほうがいいと思います。
話は品川区のとある銭湯に行ったときのことです。幼女がパパから離れて一人で男湯に入ってました。
…幼女といってもかなり痩せていて、胸とかがぺったんしてて、神もくくったままで背中まで届くほど長髪でした。(小学校低学年?)
結論から言いましょう。湯あたりした幼女が露天風呂のベンチの俺の前に座って、タオルとか特に持ってなかったので、
胸から割れ目(尻じゃない方)まで余すところ無く、私の前で見える羽目になりました。
(真正面にいたんです。目のヤリどころもあれも無いですよ。紳士たるもの冷静を装って、だな(ry)→見てる分には何の違法性も無いからな!連れ込んだのだって俺じゃない!
月に一度は銭湯に行きますが、こんな体験は初めてです。(同年代のガキもいっぱい男湯にいるのに父親もいなければ、タオルも持ってないんだから…けしからん!)
背中から見るとまたごつごつした骨とぬれた髪の毛がいいんだ。未成熟だから骨が描く線の量が多い。
大人の女性のあのはっきりとしたプロポーションは無いからこそ、じっくりと見入ってしまう。前から見ていいのはもう言うまでも無いが、
ぺったんでその上に無駄な脂肪どころか、必要な志望も無い無駄の無い体つき…華奢って言えばいいのかなぁ…。
熱い温泉に飽きて、露天風呂に行くところの窓にハートマーク書いてニコニコしてたのが、すごく可愛かった。
ある程度目に焼き付けたところで、『風呂どころじゃねー(下半身的な意味で)』と思ったので、出てきました。
追記
ロリコンで何が悪い。見たいもんは見たいんだよ!!(見られたくない、子供の安全がどうとか言うなら連れてきても女湯に入れればいい!それだけだ!!)
mixiではロリコンキャラなんだ!はてなでは隠すから知らなかったよ…
こんな孤独な低学歴を曲がりなりにも東大生だったありむーと同じように叩いてはいけません。
生息環境の保全、場合によってははてな民の直接介入(保護活動?)が必要なのです。
よく観察すると嫌がってるじゃないですか!
実力派×ユニークって人生生きていく上で辛いわ。どこ行っても歳だけはとって出世だけは遅れている人と戦わないといけないから辛いわ。
はてな村に言及したら褒めてやり、経済用語を使った記事を書けたら褒めてやり、しょうこりもなくアニメ論評をしたら褒めてあげましょう。
打ち込んだ文字数やはてブ数、ブログへのアクセス数を自慢したら褒めましょう。決してtm2502のように論理的にかつ徹底的に追い込んではいけません。
同人誌が爆死したら慰めてあげましょう。決してfut573のように具体的な数字を使ったり、的確で親切な()批評をしてはいけません。
ただただ青二才ちゃんが常に正しい、よくやった、結果なんて見る必要はない、
悪いのは会社であり社会であり世間であり同人誌を買わない顧客たち、そして諸悪の根源はてな村!といってあげましょう。
彼女ができなくて…と嘆くのならば、hashigotanを派遣してあげましょう。
きっと彼女なら青二才の他人のプライベートを安易に暴露する口の軽さにめげず、逆に青二才の下半身事情まで赤裸々に綴ってくれることでしょう。
そうすれば自意識と体重の肥大にかけては誰にも負けないドブ野郎はすくすくと育ち、
絶対的な自身への信頼感、他者の妄言などには一切耳を貸さない強い意志、豊富な知識と実戦で磨き上げた商売感覚を併せ持つはてな最強のFXトレーダーになるでしょう。
その時こそ彼は総はてブ数4000に届き、カノセ村長を打ち破り、はてな村の新たな歴史を切り開いた偉大なる革命家として君臨するであろう。
青二才本人も薄々気づいているとは思うがtorowaruはツイッターとはてなでの言動を見る限り、友人のフリをして青二才をハメ殺そうとするクズ野郎にしかみえん。
住宅街におけるネズミの増加が深刻だ。どこで深刻かというと我が家だ。
昨晩日も暮れ雨戸を閉めようとしたところ戸袋に隠れていたねずみが驚いてそのまま家の中に入ってきた。
部屋を密閉して家族総出で1時間以上探したが見つけられない。もうどこかに行ってしまったものと諦めつつもねずみ取りシートを設置し、部屋を後にしたら小一時間して超巨大なねずみがかかっていた。コレほどの巨躯なものがいったいどの隙間に隠れていたというのだろうか。なんという罰ゲームなのか。ネズミシートをパタンと畳んで新聞紙でくるんでビニール袋へぶっこんで燃えるゴミへ。なんだこれは。命とはなんなのか。
2~3年ほど前からネズミが屋根裏を歩くようになり、まもなくして家への侵入を許した。ネズミのダニは酷く噛まれるととてつもなく痒いうえ数ヶ月消えない跡になる。最初に異変に気がついたのはダニに噛まれたせいである。
天井に埋め込んでいる照明に通風口があり、そこから落ちてきたものと推測される。トタトタと歩く音に気が付き、これはもしやネズミなのではないかと気がついた。部屋に黒い紡錘状のちいさな糞をみかけたのと時期を違わず、まもなく食害にあった。ネズミにより齧られたビニール袋を見ればいかな楽天家でも対応をせざるを得まい。
天井の埋め込みライトを数十万かけて工事してもらい侵入口を家の周りに探したが僅かな隙間もみつけられなかった。木造建築ではない家の隙間を探すことは人間には難しい。ネズミ一匹とはいうが、きっと下水あたりのトラップを食い破って経路をつくったのか、もしかしたら屋根側の通風口からはいってくるのかもしれない。木造ではない建築がかえって対応を困難にさせる。ビルにも出るというので個人宅の努力など柄杓で海を救うが如くなのやも。
祖父母の代からこの地域に住まっているが、ついぞねずみなどというものを見掛けたこともなかった。しかし近隣に10階以上のビルも増え住宅の密集度があがったことが原因か、我物顔で庭を歩くネズミを見かけるようにもなってしまった。日中に道路を横切るねずみを見かける。わずか数年でだ。どこぞで殺鼠剤でも食ったであろうネズミが庭先で死んでいることもあった。いったいなんだこれは。
都内の地下鉄の線路の上をねずみが優雅に歩いているのを見かけるようになったのは10年ほど前だろうか、朝早くにはJRの線路でも見るようになったと思ったら、いつの間にか我が家にまでご来場されてしまった。フリーパスなど発行した覚えはない。他人ごとと思っているかもしれないが、都市化が進む以上、時間の問題だ。ゴミの夜間集積などでカラスがいなくなったと思ったら今度はネズミがやってくる。
色々試したが、有効な対策方法は駆除以外にない。粘着シートが一番だ。
殺鼠剤はダメだ、どこかで嗅いだこともないような匂いがすると思ったら徹底的に探せ。どっかの誰かが殺鼠剤を食わせた死骸があるはずだ。死骸からダニが広がる。早めに見つけて殺虫剤をまいておけ。天井裏や床下で死なれないよう万全を期して天に祈れ。
ネズミ忌避剤は人間にも香りが強い。しかも、すぐもどってくる。
超音波の装置は2~3個買った。「クマネズミとドブネズミに対する超音波防鼠器の効力試験」を読んだのは最近だ。数万円を投じた身には寂しいことが書いてあった。なんという。
ネズミの家族が引っ越してくるたびに捕獲をする。家に入られるまえに庭先のスノコの下などで捕獲する。滅ぼしても滅ぼしても半年ぐらいするといずれかの場所で増えてきてまたやってくる。全滅しても王様のもとに戻るだけだとか教会があって復活させてくれるのかもしれない。いったいトムの相手のねずみは何代目だというのだ。青いタヌキがネズミ相手に地球破壊爆弾を使いたくなる気持ちもわかろうってもんだよ。
この1ヶ月で3匹捕まえた。これを捕まえておかないと1ヶ月後に況や不逞の10匹を攻防戦を繰り広げ斃すことになる。我軍の被害も甚大だ。地域ぐるみで共同戦線を張らないといけないのだが都市部ではネズミの波状攻撃がヒトの連携を上回る。これではねずみごっこである。
1970年以前はほとんどがドブネズミであったものは現代はクマネズミであるそうだ。
クマネズミの商業地域から住宅地域への分散が1990年半ばより急増し2000年ごろをピークに相談件数が減っている。
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/hoken_eisei/eisei/nezumi_gaichu/nezumi/index.html
しかし、確実にその勢力範囲は広がっているのだ。
ねずみはいつかやってくる。
覚えて置いて欲しい。やられる前にやっつけろ。君の大事な耳を齧られる前に。
オナニーの直後、まずやってきたのが虚無感。勿論今までに数えられないくらいオナニーをしてきたわけですが、これ程の虚無感を感じたことは無いです。
「これぞ賢者タイム」という感じでした。ホンモノの賢者タイムを感じたい人は試してみてください。
次に途轍もない罪悪感と自己嫌悪に苛まれました。
キモオタの前でも明るく笑顔で向かってくれる天使になんてことをうわああああああああああああああああああああああああああああああ
彼女の笑顔を裏切ってしまったうわああああああああああああああああああああああああああああああああああ
てな具合です。どういう風に裏切ったのか自分でもよく分かりませんが。
オナニー前はハイな気分でした(ハイな気分だったから「オナニーしちゃおうYO!」みたいな感じで軽い気持ちで始めちゃったのです)が、一気に死にたくなりました。
そんなわけで死にたくなった私は、まあ死にたいと言っても「教会で生き返るなら死ぬかー」くらいの死にたさだったので、そのまま布団に潜って寝ちゃいましたとさ。
私は、取り敢えず眠ると暗い気分から復帰できるので、次の日もう一度好きな声優でオナニーしました。
すると、前日のような虚無感も罪悪感も自己嫌悪も襲って来ませんでした。
あれは最初に教会で主人公とヨヨをイチャイチャさせて、主人公とヨヨの名前をつけさせたのが一番の間違い
あーこいつが主人公でこいつがヒロインねって誰でも思う
きっと自分の名前と好きな女の子の名前をつけて辛い思いをした子供が山ほど出たはずだ
ヒロインの為に戦う主人公を支えて、成長していく主人公に惹かれて恋に落ちるキャラを爺にしたのも大きな間違い
ヨヨは帰ってからはNTR男とセックスしとるし、周りのキャラはNTRれた主人公を憐れみまくりながらもイチャついとるし
あげくに爺にすら「ワシ…姫の代わりじゃないよ?」って捨てられるし
早起きに挑戦しようと最初に決意したのは、もういつの頃でしたっけ?あなたはいつまで経っても、起きる時間が変わっていませんよね。また月曜から、懲りずに4時〜6時の間くらいに起きるつもりなんですか?
今回もこの記事読んだんでしょ?
『早起きの常識を覆したら、毎朝5時に起きられるようになったお話』
そして、この部分。
つまり、「早起きは"目を覚ます問題"ではなく、"立ち上がる問題"である。そのためにはハードウェア(目覚まし等)ではなく、理由(ソフトウェア)が必須である」と問題を再定義しました。
を読んで、あなたはどう感じたんですか?こういうアプローチを考えたことすらなかったですよね?そしてあなたは、この記事の学びを生かして「今回の『立ち上がる!』を意識すれば、思考は現実化して、きっと早起きできるはず!」と意気込むんでしょうね。もちろん数日は予定通り起きられるでしょう。でもあなたはいつの間にか二度寝するようになって、ギリギリに朝支度するようになりますよ。やっぱり駄目なもんは駄目なんです。
一ヶ月に一回くらいホットエントリ化される定期的な早起き記事を、あなたはまたしても題名に釣られてブクマしちゃったんですね。本当に可哀想に。社会人の典型的な挑戦と挫折は、貯金とダイエットと早起き(追記:と英語学習)です。あなたもその典型例であり、相変わらず同じ失敗を繰り返しそうですね。「月曜の朝からは、起きた瞬間絶対立ち上がる!」とか考えてるだけで、本当に早起きの習慣が身につくとか、そんな美味い話がある訳ないじゃないですか。
そして寝る直前に部屋を暗くしたって駄目。シャワー浴びるつもりでも、朝に運動をするつもりでも、結局また挫折するんだから。一週間もすればiPhoneのリマインダがうざったく感じます。“Quit 1 thing”したはずのTV視聴も、無意識にTVでアメトーークとか観つつ、「いやー、今週の〇〇芸人は絶対観なきゃ!今日は特別な日!」などと言い訳を重ねて、いつの間にか24時を過ぎている現状に気付き嫌気が差すんですって。
そしてその時、結局早起きを継続できてない現状と、それまでに挑戦と挫折を繰り返した過去の経験を重ね合わせて、あなたはこう思うんです。「やっぱり早起きは自分に向いてない」と。
考え方や、やり方ばかりに目を向けても、所詮成功者の話を聞いたり、本やネット記事を読んでメモ(クリップ)する自己啓発オタクと変わりません。よくよく自分の現状を見つめて下さい。数ヶ月〜数年前から全く何も変わってないですよ。“変え方”を知っても、“変えた”ことにはなってませんよね。
そもそも早起きをすれば、きっと仕事の効率が上がって、夢や目標を確実に達成させるスペシャルパーソンになれる!みたいな願望があるんじゃないですか?でもそれってただの願望ですよね。
もし「朝の時間を活用したい!」などの単純な理由から早起きに挑戦している人は、なぜ「早起きすれば、それだけ時間を有効活用できる!」と考えているんですか?早起き=良い習慣なんですか?
そしてその返答に「健康に良い」「朝は静か」「成功者はみんな早起きしてる」とか誰もが述べてる抽象的な理由を自分の理由に当てはめないで下さい。正直聞き飽きました。
“早起きへの気持ちを導いた、あなた自身が考え抜いたメリット”って説明できますか?
本当に早起きしたいんですか?じゃあなぜ自分は早起きすべきか、早起きを推奨するビジネス書やブログ記事の内容を思い出さずに、自分の心に問いかけながら即答できますか?
まず私が言いたいのは「『早起きが良い(と言われている)』からあなた自身も早起きに挑戦してないか、もっとよく自分に問いかけた方が良いですよ」という点です。あなた、自分の気持ちに無理してませんか?
上記のブログ記事を参考にして言葉を拝借しますが、もし早起きに挑戦したいなら、まず「早起きは立ち上がることだ!」を“知る”のではなく、「定義を変えられる人間」に“なって”下さい。自分の常識をいつも打破構築する人間になって下さい。
あなたの常識(現状)は「早起きの習慣を確立できず、はてブ記事を読んでは丁寧にブクマする」であり、「結局早起きのために何も変化を起こせず、起こしても継続できず、最終的に達成できてない人」です。自分は早起きできる人間だという“妄想”を捨てて、現実を直視して下さい。
「何となく早起きって良さそう」といつも通り思考を流され、その早起きの「定義」「やる意味」「方法」まで人に頼ってしまう早起き願望者のあなたには、正直、早起きなんて向いてません。
そもそも人は信奉する自分の定義に従って生きる動物です。人生という物語を、聖書の定義に従って生きる人はやっぱり悩んだ時は聖書を開くんです。教会に行って説法を聞くんです。それがその人にとっての当たり前なんです。
早起きに関しては「どうせ自分は早起きに向いていない」「本当は夜型人間なんだ」などという、潜在的に思い込んでいる定義に従って、強固に生活習慣が構築されています。
まずその定義を変えられる人間になりましょう。そのために、「早起きとは両足で立ち上がる」なんて人から聞いた定義を自分に当てはめることなく、自分で自分の定義を発明しましょう。
成功例を頭に入れてばかりで、望んだ結果を導けず習慣化できない人。彼らはいつも「なぜできなかった」のか原因分析ばかりして、できなかった過去の印象に囚われてしまい、何か悪いキッカケが起これば言い訳をして続けられません。彼らの潜在的な意識は常に「今でも、私は変化できていない(そして将来もきっと変化できないだろう)」です。
しかし、現状を見つめて常に行動が早く、成果の段階的な向上と持続を習慣化できる人。彼らはいつも「どうすればできるか」と改善策を構築して、明確な未来像(この場合早起きしている自分の様子)を現在に具現化していきます。彼らの潜在的な意識は常に「今、私は変化できる(そして将来も変化し続ける)」です。
つまり、早起きの記事をブクマなんかするから早起きできないんですよ。その継続的なブクマの習慣が、何も変化できてないあなたの強固な潜在意識を物語っているじゃないですか。
大切なのでもう一度言いますが、「早起きの記事をブクマなんかする暇あるなら、自分で工夫して早起きしろ!」ということです。
さて、早起きしたいあなたへ。まず、この記事を最後に丁寧なはてブ行為は辞めましょう。そしてTwitterのつぶやきやFacebookのコメントで「この記事は〇〇だ」みたいな批評もせず、すぐにネットを閉じて下さい。そしてこの記事を読んで感じた気持ちに素直になり、その気持ちをすぐに行動にしてしまいましょう。
早起きが身に付くまでネットで情報収集なんてしなくて良いです。『インターネットやめたほうがいい』ですよ。そうすれば、きっとあなたは早起きできますから。
6/3(日)の4時半頃に投稿したこの記事。
私はこの記事を夜更かしして書いたのでしょうか。それとも、早起きして書いたのでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120421213045
絶対禁欲主義と同じ危うさを感じるなー。
アメリカの保守的な地域ではかつて、結婚前の性交渉を禁止する一環として、性教育の中で避妊を教えないことにした。
「避妊を教えると、避妊すれば大丈夫とばかりに性交渉を持つに違いない」という理屈である。
しかしその結果、避妊の知識を持たないたくさんの若者が望まない妊娠をし、若いうちに結婚することになった。
10代の親は大学にも行けず、その結果低収入の仕事しか得られない。子供によい教育を与えようにも収入が少なく断念せざるを得ない。
シェルビー・ノックスという女子高校生はそんな現状に不満を抱き、青年会の活動を通じて性教育で避妊を教える運動を始めた。
というドキュメンタリーを「松嶋×町山の未公開映画を観るTV」で見たよ。
この番組はドキュメンタリーそのものと同じくらい、町山智浩の解説が勉強になる。
ブッシュ政権下では絶対禁欲主義に多額の税金が投入された。その際、絶対禁欲主義にもとづく性教育を行う学校には国から補助金が出るが、そうでない学校は自費で性教育を行わなければならないしくみを作った。
資金不足に悩む学校は、絶対禁欲主義を受け入れるか、独自に不十分な性教育を行うかの選択を迫られることになった。
さらに、絶対禁欲主義の教育をする牧師は教会から派遣されてくる。税金は彼らに流れることになる。つまり国民の血税が宗教団体への資金流入を招いたのだった。
(その後オバマはこの流れを絶ったとのこと)
18 :ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro :2011/07/14(木) 23:01:01.45 ID:ztvJLUlT
②「非課税団体の課税化」
非課税だからこれ等の団体はマネロン・資産家達の脱税に使われます・・・
「え?不正がないように監視する機関があるからそんな事は出来る筈がない?」
「残念ながら税の管理、非課税団体の管理をしているのは行政府=役人です・・
この役人の天下り機関が非課税団体なのです・・・だからやりたい放題です・・」
「え?役人の不正を監視する機関があるから役人は不正ができない?」
「残念ながら役人の不正を監視する機関の人選は役人がします・・・グルです・・
警察を監視する機関は公安委員会でしょ?人選するのは警察庁の人間です・・・監視できると思う?」
義援金を集めてる団体あるでしょ?あれを認可し設立したのは役人です・・
当然、役員は役人のOBばっかです・・・俺が散々言ったでしょ?「寄付をする」なって・・
今何が起きてる?約2500億円集まったが一割も被災者に届いていない・・何処に言ったのかな?
「集まった義援金は必ず余るからアフリカにつかいますねwww」と・・・
アフリカ?アフリカの何処なの?「リビアです・・・国連軍とリビア国内で暴れる自称民間人のテロリストの資金になります・・
て言うか・・既に大半が戦費に使われました・・・米軍が行ったトモダチ作戦の費用もここから出ています・・」
「寄付はするな!絶対にだ!」
19 :ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro :2011/07/14(木) 23:01:32.84 ID:ztvJLUlT
寄付はする必要はない無駄だから・・では財務、お布施は?同じです・・・
バチカンも層化も統一もオウムも同じです・・やってる事は同じ・・・
>>712で説明したように非課税だからやりたい放題です・・100%ゴロツキと繋がってます・・
て言うか所属してます・・・で・・臓器移植の為に誘拐・麻薬製造・密売・マネロンをしています。
キリスト教が布教された国は児童買春が横行してるでしょ?あれキリスト教団体がやってるんだよ?
孤児を引き受けるでしょ?衣食住の費用はお布施ですwwで・・売春させるんです・・・所属しているゴロツキが・・
ボロ儲けでしょ?w課税されたら足が付くでしょ?非課税だから問題なしww
20 :ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro :2011/07/14(木) 23:02:14.23 ID:ztvJLUlT
アフリカでエイズが爆発的にふえたでょ?エイズは人工的に作られた事は知ってるよね?
銀行家に出先機関「赤十字」が開発してワクチンと嘘付いてばら撒いたのです・・
同性愛者の楽園バチカンはコンドームの使用を嫌がりますwホモやレズ行為をしても妊娠しないからね必要ないよねww
で・・この絶倫無双の馬鹿共は自分達の乱れた性癖は隠して「生殖行為を伴わない快楽の為のS○X禁止w」と
意味の解らない事を信者に言いました・・エイズ保菌者と生でやったら感染のリスクはグンと上がるよね?
「キリスト教の神父=工作員達はエイズが流行しているのにコンドームの使用を信者に禁止していました・・今もしています・・」
「ゴム禁止=孤児が誕生=児童買春=臓器提供」←素晴らしく繋がってるでしょ?ww
孤児院の経営者は大半がキリスト教関係者でしょ?wコレが現実です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
20 :ソーゾー君 ◆0aWIMuV0Ro :2011/07/14(木) 23:02:14.23 ID:ztvJLUlT
アフリカでエイズが爆発的にふえたでょ?エイズは人工的に作られた事は知ってるよね?
銀行家に出先機関「赤十字」が開発してワクチンと嘘付いてばら撒いたのです・・
同性愛者の楽園バチカンはコンドームの使用を嫌がりますwホモやレズ行為をしても妊娠しないからね必要ないよね
で・・この絶倫無双の馬鹿共は自分達の乱れた性癖は隠して「生殖行為を伴わない快楽の為のS○X禁止w」と
意味の解らない事を信者に言いました・・エイズ保菌者と生でやったら感染のリスクはグンと上がるよね?
「キリスト教の神父=工作員達はエイズが流行しているのにコンドームの使用を信者に禁止していました・・今もしています・・」
「ゴム禁止=孤児が誕生=児童買春=臓器提供」←素晴らしく繋がってるでしょ?
孤児院の経営者は大半がキリスト教関係者でしょ?wコレが現実です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/