2012-08-06

ばあちゃんのドラクエ

小学校のころ両親が共働きの僕は、ばあちゃんが面倒を見てくれていた。元小学校先生をやっていたばあちゃんは、体力も他のお母さんたちに負けないくらい元気で、一緒に歩いていると親子によく間違えられた。田舎夏休み連れて行ってくれるのもばあちゃん。算数や国語を教えてくれるのもばあちゃん。なにか学校で困ったことがあると来てくれるのもばあちゃんだった。

小学校4年の時、2回分の誕生日クリスマスのお願い計4回をあわせて、ようやくファミコンが解禁となった。発売日に出たドラクエ3を買い、すぐに没頭した。はじめてのファミコン、はじめて自分家で楽しむドラクエ。どんどん強くなる「自分名前を付けた」勇者ピラミッドでは苦労しながら黄金の爪を手に入れ、賢者の書を使い、ダーマの神殿賢者にはじめて転職した時、事件は起こった。

僕がプレイしている間、ばあちゃんが掃除機をひっかけてファミコンにぶつけてしまった。深夜のテレビ砂嵐のように画面が激しく揺れると、ぷっと電源が切れた。僕はあわてて再起動すると、「おきのどくですが、ぼうけんのしょはきえてしまいました」の文字。自分の血の気が引いていく感覚を感じた。

やり場の無くなった、怒りと悲しみは、ばあちゃんに向けられた。自分がどんだけこのゲームをやりこんでいたのか。消えたセーブは二度と帰ってこないのにどうするんだ!!と。それからずっと怒り、泣き叫び、ばあちゃんを罵倒し続けた。ばあちゃんは「ごめんね。ごめんね。」と謝っていた。その日はずっと、僕はばあちゃんと口を聞かなかった。

僕とばあちゃんの状況がおかしいことに気づいた父親は、ばあちゃんから事情を聴きだした。そして、「ゲームで怒るなら、もうお前からゲームを取り上げる。」結論がくだされた。死ぬほどハマっていたドラクエ3もファミコンも隠されてしまい、僕の前から姿を消した。


それから、年月はあっという間に経ち、僕は社会人6年目になった。ゲームを取り上げられた反動ゲームへの想いを募らせたのか、ゲームを開発する仕事についた。ゲーム会社就職するときも、訝しげな顔をする両親を「この子ゲーム本当に好きだから。長い間、やれなかったゲームへの想いをここまで残せるのは、この子の才能だから」と説得してくれたのはばあちゃんだった。

そんなばあちゃんが先月入院した。進行性のアルツハイマー病だった。半年くらい前から物忘れと約束を破ることが増えており、看病しつづけるのが困難になってきていた。思った以上に、入院が長引きそうだったので僕はばあちゃんの部屋の荷物を病院にいろいろと届けることになった。

ばあちゃんの部屋で荷物をまとめていると、1冊の日記帳が出てきた。

「昨日、○○のゲームを壊してしまった。ファミコンを買ったお店へ電話してみたが、直せないらしい。戻す方法は同じようにゲームを進めるしか無いらしい」と書かれてあった。それから、ばあちゃんは親戚のいとこに電話して聞いてみたり、電気屋さんに聞いてみたりとしながら、ゲームを進めようとしていた。でも、解らない。進めないという事が書かれていた。僕のファミコンがなくなっても、いつか返してもらえた時に消してしまったセーブデータを復活させるためにこっそりと進めてくれようとしていたようだった。

僕は、たまらなくなり父親にファミコンを、ドラクエ3をどこに隠したのか聞いて見つけ出した。何年も使っていないホコリの被ったファミコンドラクエ3をさたちあげてみると、僕の名前の入った冒険の書があった。

レベル21のレーベ冒険の書は始まっていた。仲間はおらず、勇者だけ。そうびも何もしていない状態だった。

トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20120806234156

記事への反応(ブックマークコメント)