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2018-11-22

[] 2017 台湾旅行記 第三部分

anond:20171012191320






3


3日目 午前


旅先では余り眠れない事が多い。

今日が今回の台湾旅行最後の朝だけど、グッスリはいかず、7時前に目が覚めた。


ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。

お客さんかな?ベッドメイクかな?

それにしても、楽しそうによく笑う。



朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳japan walker、烏龍茶を買った。

japan walkerは鎌倉特集

昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。

昨日、台北車站の地下街を歩いているとき中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。

わかれば本屋も覗いてみたかったんだけどな。

烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。

ペットボトルのものでも、日本のものとは香り全然違う。

あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香り重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。


ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。

台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。

雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。

あと数時間でチェックアウトだ。



午前9:45分。


雨はとっくに止んでいる。

定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。

空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。

ベッドに上に「謝謝」と書いたメモを1枚残してホテルを出た。




3日目 午前


世界に展開するグローバリズム象徴スターバックスはここ台北にもある。

わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカル微妙な違いを見るもの楽しいものだ。

150元を支払い、アイスカフェモカグランサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。

世界のどこに行っても、スタバでやる事といえばコレらしい。


スタバで注文するのが苦手な人は一定数いる。

もしあなたがそうでも、安心してほしい。

台北にはドトールもある。

コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。

入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーバツ印が書いてある。

その下に「禁止打牌」。

ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。


ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。

少しがっかりして、70元を支払ってアイス紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。

台湾の人はアイスドリンクをなんでも甘くする。



旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾suica、悠遊卡についてだ。

エリーさん曰く、チャージした金額有効期限は2年だし、デポジット100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。

複雑な購入手続き切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK

交通機関現金決済したのはタクシーだけだった。

多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。


帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄台湾北部の景勝地、淡水に向かった。




3日目 午後


淡水は異国情緒ある海岸の街。

日本でいうところの横浜とか神戸といったところらしい。

駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。

ふと見ると赤い看板

台湾ではコーションは赤い看板に書かれるらしい。


「本河岸遊客衆多

 為維護遊客安全

 本路段禁止甩竿汉示」


「この海岸には観光客がたくさん来ます

 観光客安全のため、ここでは釣竿は振らないでください。」



さて、初日寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。

千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。

海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。

昼時で丁度いい、食おう。

おばちゃんに「肉圓 QQ〜」と描いたメモを見せる。40元。

「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。

こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。


海も見て、肉圓も食って、煉瓦造りのキリスト教会も見た。

歩き疲れたので、台北に戻ろう。



台北についたのは午後14:00過ぎ。

今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。


地下街中山站方向に歩く。

やがて中山站を過ぎると、右手地下街にそって長い本屋が見えて来た。

中山地下書街」

やった、本屋だ。


「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」

女性生き方に関する本らしい。

台湾Sex and cityか?はたまた中国ジェーン・スーか。


しばらく歩くと、料理本一角

料理本って、みてしまう。

ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。

美しいイラスト作ってみたくなる写真

これならなんとか分かるかもしれない。

からなくても、開いているだけで楽しそうだ。

買って帰る事にした。300元。



地下街を歩いていると「新光三越」の文字

台湾にも三越はあるらしい。

三越があるなら、正真正銘デパ地下があるはずだ。

これは是非行かないといけない。


新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。

色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁蓋碗ディスプレイされている。

日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかたから丁度いい。

560元は、多分日本より安い。




3日目 夕方


あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リスト最後の項目がまだだった。


サツマイモが入った台湾式の清粥を食べる。


台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。

最近アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。

しかし、別に飲んでなくても問題ないだろう。

17:00ジャストに、「無名子 清粥小菜」に入った。


この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。

どれにしようか?

ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。


席に着くと、鍋一杯のお粥

さあ食うぞ。

しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。

それは「牡蠣豆豉炒め」だった。

もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。

これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。

最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。

恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。

これで、「台湾でやりたい事リスト」はコンプリートした。



無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路しっとり濡れていた。

参ったな、あと一息で雨だ。

でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。

意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。

この調子で、願わくば牡蠣にも当たらないでほしい。




3日目 夜


ホテルフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。

「この近くに喫煙所はありますか?」

日本語だ。

そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。

自分は今夜、日本に帰るが、今日日本からたかもしれない人がいる。

ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。


しばらく待っていると、また日本から家族連れがフロントにやって来た。

お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロント男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。

「えっと・・・簡単に言うとですね、『ゴキブリ』です。」


またしばらくすると、20人程の旅行客がやって来た。

話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。

一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。

この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。



嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。

ガイド若い男性で江(チャン)さんという。

英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。


チャンさんは人当たりが良く、風貌イケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。


空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。


台湾男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代伊達メガネブームがあった事。

台湾男同志性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。

ドトールトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。

ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。

やっぱりちょっとチャラかった。


チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。

台湾出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。


もう直ぐ台湾を去る。

台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。

言葉にすると陳腐だけど、これ以上正しい表現が思いつかない。

「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」


チャンさんは日本語が堪能で、何を言っても理解してくれる。

でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。

「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後メモを見せた。


「太棒了、台湾

2018-11-16

anond:20181116011215

尊重する、承認するということ=性愛生殖という考えは少々短絡的すぎるのではないでしょうか?

それにパートナーを選びの決定権は女性だけでなく男性にもありますよね?まるで女性けが男性を選別する悪の性別であるかのような書き方ですね。

2018-11-07

anond:20181106135303

はやりの発達障害持ちか、幼児性愛者で自らの幼児性愛肯定したい奴なんだろうな。

正直キモイわ。

2018-10-24

顔面の造形が悪い異性を性愛対象として見ることができない顔面の造形が悪い人間が異性から性愛を求めるのは無理筋ではないだろうか

2018年アニメ2話までほぼ全部観たか感想書く その1

 毎期アニメが終わるたび一生分のアニメを観たような気になるので、今期もまた新作アニメPVニュース憂鬱な目で見ていたはずなのだけれど、気づけば今期もまた新作アニメを浴びるほど観る毎日に身を投じていたので風呂敷を広げすぎないうちに感想を書く。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。

 ちなみにここに書く作品すべて2話まで観ているわけではなく、まだ1話しか観ていない作品もいくつかある。あと解説の中に殆どキャラクター名(固有名詞)が出てこないのは、単に全く記憶していないからだったりする。表題キャラ名(グリッドマンとか)や2期のキャラを除くと、真面目に「伝説山田たえ」くらいしかフルネームを覚えていないかも。

2018年秋アニメ2話までほぼ全部観たから感想書く その2

2018年秋アニメ2話までほぼ全部観たから感想書く その3

2018年秋アニメ2話までほぼ全部観たから感想書く その4

配信情報について

~独占…対象サービスしか配信してない

~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信

~のみ最新話無料対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信

言及なし…複数サービスで全話見放題/最新話無料

 私はTVアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。

感想(上の作品ほどモチベ高め)

やがて君になる

 良い最終回だった百合百合でもガチ百合。花の学生生活を描くアニメ

 今年観た百合アニメで非常に印象的だった「citrus」と比較すると、citrus主人公性愛の目覚めに至ってから物語が始まるのに対して、本作は自分気持ちにどんな意味があるのか?というところにフォーカスしていく物語みたい。「やがて」という言葉を冠しているところからも、同性愛に至るまでを描く内容なのだろうか。「わからない」っていうセリフが控えめに言って最高。あとcitrusにもあったけれど、最初に「男性から告白されて(恋愛対象とみなされて)、それを断った上での百合展開」というのがよりガチっぽくて好き。特に2話以降で言えば、同性愛の目覚めがけっしてみんな一緒のタイミングではなく、キャラによって気づきの早さが異なり、それゆえのすれ違いが描かれているところが最高に良い。

 本作の脚本を手がけるのはあの花田十輝。「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督がどこかのインタビューで「花田脚本は絵で語る表現がうまく、例えば誰かが喋っているとき、そのキャラの顔をアップにするのではなく別のキャラの顔をアップにするとか、そのキャラの手元を写すなど「行間を読ませるような演出」に優れた脚本」と評価していたけれど、本作もそういった意匠のある演出になっている。「響け!ユーフォニアム」「宇宙よりも遠い場所」などでも見られるモノローグなど、花田十輝の良さが出ている作品キスシーンめっちゃエモかった。

 大島ミチル音楽が非常に良い。校舎や制服が少し時代を感じさせる一方で、すごく特別で隔世感のある華やかな雰囲気に包まれていて、それを音楽が加速させている。また、パリッとしたわかりやすさを持たない、複雑な心情とよく合っていて痺れる。

 それにしても制服デザインがめちゃくちゃ好き。「ゆるゆり」「あまんちゅ!」の制服に似た優雅さがある。

色づく世界明日から

AmazonPrimeVideo独占

 制作P.A.Works、背景:スタジオ・イースター(監修・東潤一)、音楽出羽良彰脚本柿原優子ゴリゴリP.A.Works作品高校生青春を描く物語。割とやさしいせかい

 なんやかんやで色が見えなくなった女の子がふさぎ込んじゃって、魔法使いのおばあちゃん彼女のために云々・・・というシナリオ色覚異常テーマにした作品と聞いて「聲の形」が一瞬よぎったけれど、扱っているテーマが違う(あっちはいじめが大きなテーマになっている作品)。

 演出的には「主人公を見守るような視点」が多く描かれていて、全体的に優しさに包まれている。魔法日常に溶け込む世界感は「凪のあすから」くらい生活感のあるSFに仕上がっている。

 生活感といえば1話の「魔法ショップの店内の様子」みたいなシーンを見て「ふらいんぐうぃっち」を思い出す人もいたと思うけれど、それもそのはず、本作の劇伴出羽良彰ふらいんぐうぃっち劇伴担当していた人なので、圧倒的ふらいんぐうぃっち感のある、優しさに包まれ作品になっている。透明感のあるビブラフォン骨身に沁みる。劇伴買おうかな。

 それにしても、背景美術クオリティが異常。一旦OPEDを観てほしい。タイトル通り本作は「色」が大きなテーマになっていて、物語キーとなる背景が主役になるカットが多い。「(世界はこんなに美しいのに)主人公の目には世界灰色に見える」という、暗闇の中にある思春期心象風景説得力を持たせるためには相当美しい背景が必要なのは分かるのだけれど、それにしても書き込みや彩色がエグく、特に彩度については主人公の心象とリンクして白黒〜極彩色まで変化するくらい凄まじい仕上がりになっている。なので、1話ラスト抽象的な、印象派のような絵画っぽい心象風景によって世界が彩られる演出は痺れた。

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない

 湘南ご当地アニメ舞台湘南なのは原作者鴨志田一曰く「湘南青春の日々を過ごすことに憧れてたから」とのこと)。

 鴨志田一といえば「Just Because!」がアニメ放送されたのは2017年10月だけれど、本作も学生ヤキモキした感じが漂う青春群像劇(ボーイ・ミーツ・ガール)になっている。

 タイトルは章ごとに変わるらしい。ひたぎクラブまよいマイマイ→…的な。なお原作も各巻ごとにタイトルが異なる仕様だっため、先日発売された新装版は「タイトルを見ても巻数が分からない問題」が修正されている。ちなみに、2話で登場する少女CV.水瀬いのり)のエピソードは、来年劇場作品として公開が決まっている。

 バニーガール先輩も青春豚野郎も非常にクレバーキャラなので、ライトノベルっぽいタイトルバニーガールキービジュアルから想像し難いような会話劇だったりする。「サクラダリセット」に近い。ともに主人公を演じるのは石川界人。彼の淡々とした口調がすきだなあ。ってティラミス見ながら思った。

 本作は「思春期症候群」という都市伝説テーマ。例えば「根も葉もない噂」とか「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」とか「なんとなくみんなに合わせないといけないような、ハブられないようにしないといけない、という空気」とか「いじめを受けたことによる、目には見えない心の傷」など、特に学生時代に抱えやすい、可視化の難しい問題を「思春期症候群」という舞台装置によって可視化しているのかな。ある意味残酷ではあるけれど、逆に救いのある物語だよね。

 会話の意味のなさが良い。「サクラダリセット」に出てくる相麻菫と浅井ケイの会話を思い出す。哲学に片足を突っ込んでるあたり特にツボ。1話なら「ありがとう」「ありがとう」という意味が無いとか、2話なら「キスしよっか」が「キスしよっか」という意味を持たないような。そんなバニーガール先輩を見ていると「打ち上げ花火」のナズナちゃんを思い出す。会話にほとんど意味がないために、彼らの感情をうまくキャラクターの表情で表現しているのが言葉の軽さと対照的になっている。エモい

 特に2話は、問題解決と同時に解消されるであろう二人の関係を思うと、どこか漂う諦め、虚無、寂寥感がある。

 音楽担当するFox capture planはシンセの曲が多めかつ特にEDのようなジャズっぽい

雰囲気があるので、「Just Beacause!」と比べて本作は精神年齢高めな作品に仕上がっている。

風が強く吹いている

 三浦しをん小説原作制作production I.G大学生10人がある日突然、箱根駅伝出場を目指してみた話。

 原作一般小説なので、大学生たちがアニメっぽいキャラクター性を持っていない。性格が地味な子が多い。しかキャラの表情やしぐさにコミカル表現(今期「うちのメイドがうざすぎる!」みたいな動き)をほとんど使用していない。なのに表情が非常に豊か。しか10人とも顔のデザインがかなり異なっているのに(双子を除く)どのキャラも表情含め丁寧に描き分けしている。

 アパート飲み会中後ろでガヤガヤしている人(アドリブ)とか、アニメならキャラ同士のイチャコラを中央に据えて順番に映して「ガヤガヤしてる感」を演出しそうなのに、全くのガヤになっていて「仲がいいキャラクター同士のあつまり、という空気感」として描かれている。2話では特に青竹荘の日常が描かれていて、朝食のシーンなんか「大学生の住んでる古いアパート日常風景」がそこにある。そういうリアル空気が「見える」作品

 カットの特徴で言えば「やや見下ろすような視点」が多い印象。その場の雰囲気を描くためなのかな。

 あと背景の情報量が多い。特に1話ラストランニングシーンとか見ると何枚街のカットがあるんだ。全体的に黒っぽいのも実写っぽさがある(普通アニメでは夜の暗さを青色表現する事が多い)。

 ランニングシーンで言えば、走りモーションの躍動感とチャリ立ち漕ぎしてる体の触れ具合が好き。

ゾンビランドサガ

 死んだ女の子アイドルとして歌って踊る佐賀日常異世界転生する話。大人が本気で悪ふざけしているアニメ大人の悪ふざけxアイドルアニメで今年放送された作品だと「魔法少女☆俺」が思い浮かぶけれど、本作はあっちよりもずっとアイドル寄りに仕上がっている。不和→衝突→団結を繰り返しながら一つになっていく物語の中にライブパートが含まれており、毎話ライブエモい特に2話は、ライブシーンのアニメーションもさることながら主人公を演じる本渡楓めっちゃすごかった。日本語ラップ抵抗のない人なら楽しめると思う。

 概ねギャグアニメになっていて、ゾンビというB級モチーフも相まって福田雄一っぽさを感じる。特に宮野真守が演じる巽幸太郎だんだん佐藤二朗に見えてくる不思議(「全部宮野さんにおまかせで!」っていうディレクションだったらしい)。

 ゾンビというモチーフを積極的に使った作品で私が観たことのあるアニメは「さんかれあ」くらいなのだけれど、どっちも「ゾンビ化」→「第2の人生」みたいな、特にこの作品では「異世界転生」みたいな機能を持っているみたい。つまり佐賀異世界

 ちなみに「さんかれあ」では、ゾンビについて「生きているのか、死んでいるのか」「魂はどこに?」「自由意志はあるのか、ただの反射なのか」「自己同一性」「どこまで肉体は不変なのか」「どれくらい肉体が朽ちると、彼女彼女でなくなるのか」みたいな視点に触れているややハードめな作品なのに対し、本作は(2話時点で)そういう視点がざっくりスルーされているので、安心して観られる。

 なぜだろう、ただ若干肌が土気色で目のくぼみが強調されているくらいなのに…なんだか…あれ?…かわいいぞ…?

SSSS.GRIDMAN

 すすすすっ。”SSSS.”は発音しない。グリッドマンアニメ特撮ヒーローアニメ(ーター)見本市から長編アニメ化(過去長編化したのは「龍の歯医者」だけ?)。監督美術音響効果など一部スタッフが続投している。アニメで観る特撮ヒーロー

 作品のコンセプト的に子供向けっぽいのかな、と思っていたけれど、OP見ると本来あるはずの白文字テロップ歌詞が無いので、なんか大人向けっぽい。

 作品雰囲気象徴している背景美術フェチズムがすごい。何あの電柱書き込み。他にも教室雰囲気や町並みなども懐かしさを感じる雰囲気

 強烈なのは日常と非日常交錯する日常パート。「なんかヤバそうなんだけど、別にみんななんともないし大丈夫なのかな」という正常性バイアス支配された日常っぽくてしびれる。特に1話日常パートには音楽がなく、緊張感がある。

 それはそれとして、モブ同士の会話がすごく良い。文字通り何気ない会話なんだけど、モブが活き活きしている。なお公式では毎週期間限定でボイスドラマを公開していて(脚本雨宮監督)、内容としては各話の幕間を描いている。1話4分位なので聴きやすい。

 そんな日常パートが終了するキッカケとなる怪獣の登場シーンがまた強烈。デザインとか暴れ方はまさに特撮ヒーローに出てくる怪獣のものって感じだけれど、直接怪獣を描くのではなく「混戦する無線通信」「燃える街」「ビルの向こう側でなんか大変なことが起きてるみたいだけど見えないのであんまり慌てていない電車乗客」等、雰囲気を描くことで怪獣の怖さを描いている。私はあんまり特撮ヒーローモノを観ないけれど、これを観てて「シン・ゴジラ」と同じ感動を覚えた。本作の音楽鷲巣詩郎であり、無音から劇伴勝利BGMという演出が見事に決まっている。

 グリッドマンアクションシーンもやはり特撮ヒーローライクな演出(というか再現)になっていて、重量感のある着地や舞い上がる瓦礫はまさにという感じ。特にアニメで見るライダーキックは迫力がある。アニメなのだからもっとデフォルメして空高く飛んだりしてもいいのに、中に人間が入っているような動きで繰り出すキックらしい迫力がある。これを観たかった。あとたまにフィギュアが動いているように見えるのは、監督含むトリガーの人たちがフィギュアオタクからなのかも(職場が足の踏み場もないくらフィギュアで溢れているらしい)。

うちのメイドがうざすぎる!

 心・技・体の揃った「未確認で進行形」の紅緒お姉さまロリ小姑を追い詰める。

 動画工房の持ち味であるヌルヌルコミカルアニメーションを観ることができる。特に本作はチーム太田監督太田雅彦、副監督大隈孝晴シリーズ構成音響監督あおしまたかし音響監督えびなやすのり音楽三澤康広代表作は「みつどもえ」「ゆるゆり」「琴浦さん」「さばげぶっ!」「干物娘!うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」等)による新作であり、作品ベクトルあんな感じの日常コメディ。ついニコニコ動画で観ちゃう

 メイド身体がすごい。絵に描いたような筋肉もりもりマッチョマン変態。あれでコミカルな動きをするのはなんか新鮮。

anond:20181024182616

そう感じたことを素直に記事にすれば良いんでない

そういうのが潰されるんであれば、辞めるか染まるかしかいかもだけど

ところでLGBTが掬い上げられることで生じるマイノリティって具体的にはどんな話があるの?

普通性愛者だから聴かせてくれると嬉しい

パッと思い付くのはケモとかロリコンとかかなあ

2018-10-18

ポリコレは一番辛いとき何も助けてくれなかった

ポリコレ大国アメリカイギリスですら無能には優しくないんだよな、むしろクビ切りやすい分日本りある意味厳しい世界

どーせポリコレなんて政治的な正しさしかなくて、俺らみたいな救う価値も救って気持ちよくなれるだけの大義名分のもないキモくて醜くて無能金もない男は政治的な正しさのもと殺される。


俺らみたいな性愛から労働から排除されている人間が生きるか死ぬかをさまよってる中で、

ポリコレの人たちは俺らを排除するメリットを最大限享受しながら白人浴衣着るのは人種差別だの公衆便所ピクトグラム性差別だのクッソどうでもいい議論を交わしていく。

どうせ俺らに救いなんてない。救う価値がないのは自分でもわかってるから救ってくれなんて言わない。

ただお願いだから私達はいかに平等でいつも正しいことを下していますみたいな顔をするのはやめてほしい。

2018-10-14

それでいうと

バイセクシャルでもない10代の少女に男の格好をさせて性愛を匂わすような演劇をさせているのは中年女性による性的搾取なのでは?

2018-10-12

anond:20181012051234

「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」

に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?



 『悪いものはなくなるべき』の思想には断固として反対でいいんじゃないでしょうか。なぜゾーニングまで反対するん?

 私はロリ好きとかハイエースとか小学生は最高だぜとか膣(なか)に出すぞとかをネット民ネタとして堂々と消費してきたのを見てきました。

 小学生時分にそれを見て不快まりなかったし、そういう環境小学生性愛対象とすることに一切の後ろめたさを感じない人達が大量醸成されていくことに危機感を感じました。

 創作物の影響を軽く見ないでください。

 創作物を何よりも愛好するはずのオタクが「創作物の影響なんてない」と言い切る欺瞞に腹が立ちます

 私はどんなにヤバい創作物でも『現実ではダメ』の意識があればいいという意見ですが、しかし隠さないで堂々と出してくる人達、おおっぴらに消費できる人達にはたしてその意識はあるんでしょうか。隠すのは「ちゃんと悪いことだとわかってますよ」という意思表示になるんです。

 隠されていれば受けとる側も「こっそり楽しむ特殊趣味なんだな」と理解できるんです。

 キズナアイ性的かに関しては、私個人の感想では「そこまで気にならない」が答えですが、あなたの『無邪気』な意見は認められません。

 

 

2018-09-30

こいつらって頭がイカれてるんじゃないだろうか

レビューした人の迷惑になりそうだから直接ブクマつけたくないから、こっちで書くけど(文字数も足りねえし)

若おかみは小学生映画レビューに頭オカシイブコメが見られて失笑してる

tsubo1 タイトルから少女性愛とか職業性差別とか、そんなことを感じ取ってしまい、観る気が削がれる。

mouseion その若おかみが映画館に来てくれた禿散らかしたオタク男子性的消費されてる事に対して何を思われてるのか、わたし気になります

まぁたぶん、他の記事でも似たようなコメントつけてるガイガイのモノなんだろうけど。


女将小学生って初めて出たのが15年前の作品児童向けの本なんだわ

児童向けで、児童感情移入やすいように主人公小学生な事を少女性愛ガ~とか言ってるのはヤバいだろ

黒人が出てれば名作。黒人が出てないか駄作っていうタイプだろ。ブラックコーヒーじゃなくてカフェオレ飲んでそう。カフェオレ白と黒が混ざって政治的に正しいからな。

あと性的消費マン(君らの言葉だと性的消費ピーポーか?(笑))はそういう事言う場じゃないってこと考えような。てかちびまる子ちゃんにも同じこと言うんだろうか。

百合カプの沼に沈んだ

こんなに女の子同士のカプにハマったのはじめてだ。

かわいいかわいい幸せ

オタクで、腐女子です。

BL好きだけど、乙女ゲーとかも好き。自己投影が激しいタイプだと思う。キャラ自分を重ねるというより、自分のもの物語に投げ入れるような楽しみ方をしてしまう。なのでグッズとかより、円盤買って設定資料集買って、考察とかして遊ぶ。

オタクのくせにあんまり想像力が豊かじゃなくて、自分キャラとか考えられないから、「一般人(=自分)から見た○○(キャラ)」みたいな妄想する。

そういう妄想に、BLはわりと都合がよかった。男の人のこと、感情とか関係性とか、詳しくはわからんし、ファンタジーで押し切れる。

女の子キャラも可愛くて好きだけど、リアル感情の動きとか共感しすぎてしまったり、逆に違和感を覚えたりして、没入しきれないところがあった。

でもかわいい女の子や美しい女の子は好きで、女性アイドルも好きだし、宝塚とかも好き。乙女ゲームの主人公は、自己投影じゃなくて「この子友達になりたい!」って思ってた。女の子がたくさん出てくるアニメも好き。ガルパンとか、ストライクウィッチーズとか見てた。アイカツプリパラも履修している。いわゆるハーレムアニメも好き。サムライガールズは義仙ちゃんかわいい

女の子同士の友情に「尊い……」って思うこともたくさんある。プリキュアは初代みたいに手を繋いで変身してほしい。その友情とか、憧れがいきすぎて、疑似恋愛みたいになっているのも可愛くてすてき。

でも、「真に性愛」として女の子ふたり関係を見たことは一度もなかった。

今の推しカプに出会うまでは。

性愛っていま書いたけど、正確にはちょっと違って、このふたりの間には、親愛も信頼も友情性愛も、すべてのことが起こりうるし、起こってほしいと思ったのだ。お互いがお互いの唯一。そこに男はいらない。いや、いらないとかじゃない。必要ない。ううん、必要ないも違うな。存在しない。この娘たちがお互い以外に「恋愛に陥るかもしれない存在である男」は、同じ世界線存在しないのだ。

男女の関係否定しているわけじゃないし、区別しようという意識もない。

だけど、推しているカプは、「同じジャンルで競い合っているライバルであり仲間」という関係性なので、どうしても同性の必要が出てくる。異性だと、そこに壁が生まれしまうからだ。これはもう、物理的にどうしようもない。ふたりには同じステージに立っていてほしいし、そんなふたり関係からこそ、私はこんなにズブズブにハマってしまっている。

このへんのハマりかたはBLに近い気もするけど、他のGLにハマったことがないので比較ができない。

GL好きさんに聞いてみたいところだ。あと、BLも楽しめるよ!っていう男性、私と真逆立場の人にも聞いてみたい。

そんな、過酷環境で己を磨く2人だからこそ、私は彼女達が好きなんだけど。

それはそれとして、かわいい女の子かわいい女の子らしくしながら、お互いを大好きなのって、しんどいほどに可愛くてつらい。

かわいい女の子かわいい女の子と素晴らしい関係にあって、ふたりは満たされて幸せで、私はそれがかわいくて幸せで、世界平和。エブリバディハッピー

ふたり友達になりたい。いや、友達とかそんな近い存在じゃなくていい。隣のクラスとかがいい。ふたりが話してるとことか遠目に見ながら「仲いいな。何話してるんだろう」って思いたい。

部屋のぬいぐるみかになりたい。ふたりがすれ違って、ケンカしてるときにちぎれる勢いで八つ当たりされたり、涙を受け止めたり、仲直りの際には存在邪魔にされてベッドの下に蹴り落とされたりしながらそっとふたりを見守っていたい。

ふたりで仲良くショッピングとかしてほしい。

スイパラ行ってほしい。

可愛い下着贈りあってほしい。

今日推しカプが可愛くて飯が美味い。

2018-09-26

LGBTと性欲とゾーニングのこと

まず、昨今のLGBTQの動きと性の多様性を認めようという動きにわたし賛同している。

休刊が発表された新潮45ではLGBTと題しながら、同性愛クローズアップされて語られた。それは、同性愛が性欲の話になるからだと思っている。

両性愛からすると恋愛を、同性しか愛せない、異性しか愛せないと語ることは、人格ではなく性別恋愛対象をふるいにかけることを肯定しろという発言性差別にも思えるある種暴力的な言説ではあるが、それでもその言説が支持されるのは、性的欲求対象個人の理性でコントロールすることは、人間もまた性的動物であり不可能であることを認められているからだ。

人間の性欲を尊重しようということだと思っている。

フランス1789年人権宣言宣言したように

第4条(自由定義権利行使限界) 自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることにある。したがって、各人の自然的権利行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利享受を確保すること以外の限界をもたない。これらの限界は、法律によってでなければ定められない。
第5条(法律による禁止) 法律は、社会有害行為しか禁止する権利をもたない。法律によって禁止されていないすべての行為は妨げられず、また、何人も、法律が命じていないことを行うように強制されない。

他害しない限りは自由は守られるべきことであり性欲はその人そのものに根差すものだ。だから性愛対象区別する権利、性欲を他者に抱かない権利、すべての対象に性欲を抱く権利、性欲を抱かない権利を、加害性がない限り肯定されるべきことだと思っている。

日本明治以前は同性愛に寛容だったのは性欲を悪とする価値観がなかったからだ。明治以降のキリスト教的な価値観によって性欲が恥ずべきものにされていった。

まり生産目的ではない快楽を求めるためだけのセックス道徳的によくないという価値観だ。このセックスを楽しむためだけのセックス道徳的でないといった価値観新潮45の論説に繋がる。

彼らにとって痴漢同性愛もはしたない行為であり道徳的ではないから同じなのだ

そして昨今のラノベの表紙もまた同じ問題になる。

子供性的ものを見せない配慮とは、責任を果たせない子供セックスをすることを推進しないためなのと、過激暴力描写現実ファンタジー混同やす子供には良くないといった理由であり、それは必要であると思っている。

ただ、それらを推進していない女性の体が強調されているだけの絵については、問題はないと考える。

気持ち悪いと切り捨て道徳を持ち出すことはかつて同性愛者を弾圧した言説と同じだ。

サイゼリヤボッティチェリヴィーナスの裸体のレプリカ絵が許されるように、露骨性的表現がされていない表紙も許されるべきである

性欲で誕生した我々が性欲を否定することは愚かでしかない。

日本では明治以降に抑圧された女性の性欲を漫画が勝ち取ってきた歴史がある。

ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性ポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。

今でこそ形骸化してる雑誌アンアンセックス特集最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。

気持ち悪いと道徳モラルを持ち出して性欲と性的まなざし否定し、ゾーニングを推奨する人々をわたしフェミニズムだとは思わない。

anond:20180926105206

いやだからヤオイBLとなってその創作物自体卑下する段階を抜けて、それを愛好する自分への自虐に移行していったことを言ってるので、同一視はしてない。

JUNEがまた別であることもわかっているよ。

アンアンの衝撃については鴻上尚史著作と当時の新聞評論からなので、間違ってたら申し訳ない。あとアンアンについてはポルノとは言ってない。

anond:20180926113659

24年組風と木の詩からの流れを持ったJUNE女性二次創作が爆発的に増えたキャプ翼聖闘士星矢で広がったヤオイが元々が別なのはわかっているよ。

ここらへんの知識中島梓の「コミュニケーション不全症候群」の影響が強いので絶対とは言えないが、違ったことは知っている。

ただそれらがBLに吸収されるより前にまだヤオイと広く使われていた時代腐女子自虐の広がりは同時期だったと認識してる。

追記14:21

性的まなざしを通した視点性的欲求自身に齎す存在表現することを「主体性のないモノ」扱いにしていると否定規制させようとすること自体が、性的抑圧行為同意味だと思っている。

そして性的まなざしを通した表現は男女に差がなく溢れている。なぜそれが正常な状態ではないと断言できるのかその根拠がわからない。

2018-09-20

anond:20180920105816

「無性愛者ではないが、その10人(自分以外全員の19人でもいい)の中に自分好みの人がいなかったので、誰ともセックスしたくない」

って人の存在可能性も無視

anond:20180920105605

同性愛者や無性愛者の存在無視してるよな

10人いたら最低1人くらいはいるだろうに

「男が女を選ぶもので、女が男を選ぶ事はない」

「男は皆女とセックスしたがり、女も皆男とセックスしたがっている」と言う謎の前提

anond:20180920102728

男性女性の性を消費するパターンを考えてみよう。

世界に10人の男性と10人の女性が居たとする。

話しがややこしくなるので、LGBTや無性愛者、独身主義者はこの世界に居ないものとする。

それから一夫一婦制を前提とし、一人の男性は一人の女性によって性的に満たされるものとする。

この場合、10人の男性は10人の女性とツガイになるのが本来状態ね。



ここにエロ本が1冊やってきた。。

※このエロ本には、女性一人分に相当するエロスがあるものとする。

すると・・・

9人の男性は9人の女性とツガイになり、

1人の男性は、エロ本に夢中となり、女性が1人余る。


本来女性10人全員に向けられていた性欲が、9人に減ってしまった。

男性1人分の性欲がエロ本によって消費されてしまった。



まり、1冊のエロ本男性1人分の性欲を消費している。

余った女性エロ本に対して文句を言うのは自然なことだろう。

2018-09-18

anond:20180918141531

もともと少女漫画同性愛物は性的ものは避けたいが性愛は描きたいということに対する代替方法として出てきたところがあるが、

性的ものを避けたい理由自分性的コンプレックスだったり、単に中学生とかだから恥ずかしいみたいなのだったところを、

フェミ的な被害者意識が入ってきて、女性性的に抑圧されてるからBLを求めるのだ、故にBL男性性的消費にならない、みたいなことになったのだと推察。

2018-09-13

anond:20180913205737

うそう、だからよりいっそう胡散臭くなるんだよな

男性も男らしくに拘る必要はありません」なんてもっともらしいこと言ってたエマ・ワトソンが結局自分は男らしさの象徴みたいなハンサムばっかと恋愛してて反フェミに叩かれてたみたいな。

いや恋愛自由からそこは別に全く叩く気ないんだけどさぁ。

結局そのポリコレ率い手だってあんなしょーもないエロラノベに頼ってるキモヲタ恋愛対象として見れるかって言ったらそりゃそんなわけないわけで、

そういう薄く伸ばしたポリコレにも問題視されないレベル差別性愛生殖から完全排除されてる性的弱者がああいうもんに頼ってる背景があんだろうに、

で、結局ポリコレ的な優先度で言えばエロ本であれやこれや妄想せざるを得ない弱者よりも架空女性性的消費されることによる性差別()が優先されちゃうんやろ?

なーんか歪な形だなぁって。

結局ポリコレの言うこと厳格に当てはめていったら性的弱者女性も皆が救われる社会がやってくるの?んなわけねーだろって。

anond:20180913205136

障害者生殖性愛から排除されるのも、それはそれで強烈なポリコレ違反だけどな

率い手は、女性LGBT障害者笑顔になろうって言ってる

2018-09-03

いろいろな恐怖症があるんだね

クモ恐怖症

血液恐怖症

結婚恐怖症(Gamophobia):同棲結婚に対する恐怖。社交不安障害一種

口臭恐怖症(Halitophobia):口臭に対する恐怖。

高所恐怖症(Acrophobia):高さに対する恐怖。

幸福恐怖症(英語版)(Cherophobia):幸せになることへの恐怖。

魚恐怖症(英語版)(Ichthyophobia):魚に対する恐怖。死んだ魚も含むことがある。

失敗恐怖症(Atychiphobia):失敗することへの恐怖。

死亡恐怖症(英語版)(Necrophobia):死ぬことへの恐怖。

社交恐怖症(Sociophobia):社交に対する恐怖。

醜形恐怖症(Dysmorphophobia):自己の見た目に対する恐怖。

集合体恐怖症(Trypophobia):小さな穴の集まりなどに対する恐怖。

女性恐怖症(Gynophobia):女性に対する恐怖。

女性器恐怖症(英語版)(Eurotophobia):女性器に対する恐怖。

書籍恐怖症(英語版)(Bibliophobia):書籍に対する恐怖。

性愛恐怖症(Erotophobia):性行為など性的事柄への恐怖。

性恐怖症(英語版)(Sexophobia):異性や性行為など性に対する恐怖。

性交恐怖症(英語版)(Genophobia):性交に対する恐怖。

性的暴行恐怖症(Contreltophobia):性的暴行に対する恐怖。

性同一性障害トランスジェンダー恐怖症(Transphobia):性同一性障害トランスジェンダーに対する嫌悪

重増加恐怖症(Obesophobia):太ることへの恐怖。

男性恐怖症(Androphobia):男性に対する恐怖

若者恐怖症(英語版)(Ephebiphobia):若者に対する恐怖。

笑われ恐怖症(英語版)(Gelotophobia):笑われることへの恐怖。

2018-08-07

みんなが武器を持たない社会理想なのか

広島知事「お隣吹き飛ばす爆弾子供説明できない」

https://www.asahi.com/articles/ASL863389L86PITB00G.html

この記事ブコメを読んでいると、以下のようなものがある。

hakuoh 理想論だと言われても、少なくとも広島市長と長崎市長はこうであるべきだと思う。そういう立場を取る人も必要

grdgs 提言努力必要だろう。嘲笑ってるやつらは現状を追認するしか脳のない思考停止のアホ。大人ぶりたいガキだな。

medakamaster 究極の目指す姿がこれなのは間違いない。この姿を忘れてはいけない。 知事は今すぐ全廃しろなんて言っていない。

「全員が武器を持たないで仲良くできれば理想社会ができるね」というようなことはよく言われるのだが、そもそもそれは理想なのだろうか?

まず「全員が仲良くできれば」というのは、その思想自体はいいことのように聞こえるが、構造的には全体主義である。「全員が仲良く」を実現するには方法は、私が考えたところだと三つ。

どちらにせよ「お前らとは仲良くしない」という、現在社会に当たり前に偏在する多様性を何らかの形で間引くことでしか「全員が仲良く」は成立しない。これが果たして人類が目指すべき理想的な社会なのだろうか? 一番最後選択肢が実現すれば、まあ「武器なき世界」にソフトランディングできそうな気はするが、それはもはや人類ではないかもしれぬ。

フィクション世界では、「全員が仲良い社会」というのは何度か実現しているが、どれもろくな結果になっていない。

例えば貴志祐介に『新世界より』という傑作があるが、あの世界では進化した人類が個々に強力な力を持ってしまったがため、お互いを攻撃できないように思想洗浄がなされている。ボノボ型の性愛文化も取り入れられ、あらゆる形で争いが起きないように制度設計がされている。おかげで仮初めの平和社会が保たれているものの、その過程で発生する不穏な因子は排除されるわ、イレギュラーな外敵から攻撃には極端に弱いわと、その社会のありかたは歪で脆弱だった。

アラン・ムーアの『ウォッチメン』はどうだろうか(以下結末に触れるので未読のかたは読まないように)。あの作品でもある形で世界平和が実現するのだが、それは本当によいものだっただろうか。仮面を剥ぎ取ったロールシャッハのあの表情は、何を表していたのか。

かように、全体主義に基づいた人類兄弟的な平和はよく理想だと言われるが、本当に理想なのかがそもそも疑問だ。それは浦沢直樹の『20世紀少年』のラストで、全員がグータララーと歌って仲良くなるような不自然社会だと考える。イレギュラーが許されない清浄社会よりも、利害関係スパゲッティのように絡まり、多様なプレイヤー価値観で溢れかえり、汚物まみれのゲロだらけのそびえ立つクソを、それでもなんとかかんとか運用していく現在社会のほうが人間的というか、私にはよほど理想社会に見えるのだが、どうだろうか。

2018-08-03

もの凄い乱文

自分も一応は○リコンの端くれというか、某二次元女児キャラや某アーティスト某曲の幼児性を売り出した表現が好きで、ああロリコンなのかもって自覚して生きてきたんだけど

ついさっきSNSガチアカウントに遭遇して、純粋キモい死ねって思ってしまった

街で見かけた○○を○○してる、子ども合法的に〇〇できるバイトに応募した、キャプ画貼り付けて子役の○○ちゃんやらジュニアアイドルの誰々がどうのこうのって、気持ち悪すぎる。こんなこと書くと、「差別するな、キモいというだけで排除しようとするな、嫌なら見るな」とか言われるんだろうし、多分そうなのかもしれない。現実の子どもと犯罪を結びつけるものがあるからキモい」という感想に至ったわけだけど、そういうことが冗談?とかネット特有のノリで許されてることも苦手(その人のリプ欄やフォロワーがそんな感じだった)。「そういう系のイベント行ってこういう奇行を仕掛けてやりました」という投稿純粋に引いてしまいもうこの人の他の投稿全部無理だなってだけの話でもある

面倒臭くなるので幼児性愛者というだけで全員まとめて敵に回したくはない(でもジュニアアイドルとかはかなり危ない気もする)一応誰が誰を好きかなんて自由ではあるんだし ただ大人子ども関係なく本人が不快に感じたらアウトなだけで

結局その子供でも親でもない自分がどうこう言っても何の意味もないし無駄だな

2018-08-01

anond:20180801115433

そもそもの話として、バイセクシャル等に対して、どういう性的嗜好であるか?という理由異性愛者には適用されない特別公的支援をする必要があるっていう理屈がよく解らない。そもそも個人性愛傾向なんて確認しようが無いんだから、「私はバイセクシャルです」と主張しても確認しようが無いだろうし。

たとえば、非モテ支援みたいなもんで『そりゃ何かしてくれるならしてもらいたい』っていう当事者は多いかも知れないが、だから公的支援必要である事とはイコールではない筈だけど。LGBT運動に関してはそういう主張が多いのも不思議

2018-07-31

人の性愛なんて「無関心」でいいんじゃない

なんで理解して共感して差別せず認めて受け入れないといけないんだ。

アメリカの対物性愛者の中でも銃性愛者は

今、愛する対象全面的社会から消え去るか(それかアンダーグラウンドに潜る)、ギリギリ表に残るかの瀬戸際だよね。

銃って異性愛者の間ですら性愛アナロジーでよく引き合いに出される存在から、銃の対物性愛者の愛は計り知れない。

愛する対象がみんなに迷惑をかけるものからという理由で奪うのは、自分自身が愛する対象危害を加えるから禁止されるよりもつらいものがあるよね。

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