はてなキーワード: 冒険とは
確かに、ポリコレの要素が入ることで物語の自由度が制限されることもあるかもしれない。けれど、それが本質的に作品の面白さを損なうかどうかは、また別の話だ。たとえば、昔ながらの冒険譚に多様なキャラクターを加えることで、新しい視点や深みが生まれることもある。多様な背景を持つキャラクターたちが、それぞれの価値観や経験を持ち寄ることで、物語が豊かになる場合もある。
俺が最近読んだ小説でもそうだった。主役は、障害を持つ探偵と彼の友人であるトランスジェンダーの医師。最初は、これもポリコレかと斜に構えていたけれど、読んでいるうちに、彼らの背景が、物語の中で重要な要素として機能しており、むしろ物語に深みを与えている感じがした。
一方で、ポリコレを意識しすぎて、不自然に感じる作品もある。登場人物がステレオタイプに描かれ、ただの象徴として扱われているように感じる時だ。そんな時、確かにつまらなくなる。キャラクターがただの「役割」以上の存在にならないと、物語は深まらないし、感情移入もしづらい。大切なのは、キャラクターが生き生きとしていて、その存在が物語にとって不可欠であることだ。
結局、ポリコレが作品をつまらなくするかどうかは、作り手の力量にかかっている。キャラクターやテーマをどう描くか、どれだけ物語に自然に溶け込ませるかが肝心だ。そして、受け取り手の気持ちも重要だ。読者や視聴者が作品に対してオープンな心を持っていれば、新たな視点や価値観に触れることで、むしろ作品の楽しみが増すこともある。
ちょいと思い返すことがあったので自分語りをする。
辛いこともいっぱいあったはずなんだけど、
緊張で全身が凝りすぎて夜中に背中の激痛で飛び起きたり、ご飯が喉を通らなくて1ヶ月で4キロ痩せたな(慣れて数ヶ月で戻った)
経験したことのない連日の深夜残業の合間に早起きして勉強して、異動して3ヶ月で資格とったな。
日々緊張してたから、飲み会でお酒飲んで気が緩むと毎回泣くというクソクソクソムーブかましてたな。
そりゃあ先輩方に可愛がってもらえたわけだ…
※当時の体感としては可愛がられてる認識は全くなかったけど、当時の私の使えなさは怒られて許されるレベルじゃなかったし、みんなめちゃくちゃフォローしてくれてたのが今なら分かるほんとすみませんでしたァァ
そんなメンバーと10年経って会社や部署はバラバラらになってもみんなでお酒飲めてるの嬉しいな。
また10年後もみんなで集まれてると良いな。当然幹事やりますよ、あの部署では私が永遠の下っ端なので!
学生時代から5年間付き合ってた彼氏と別れたのもこの年なんだよな。
でもここでヤリまくっといて本当によかったと思ってる。結婚してから不倫とかするより、若い時に満足するまで遊び尽くした方が私には合ってた。ちゃんと痛い目も見たしね。若いうちに恋愛経験値≒コミュ力上げるの大事やで(自論)
人生で1番好きになった人だけど、男としてはクズだったな。あの男は必要ないけど、あの男から得られる経験は私にとって必要だった。彼のお陰で私自身の幼さとか甘えと向き合えて本当に良かった。
あの経験がなかったら、今の夫との結婚生活は成り立たなかったと思う。
学生時代からの誠実なカレと付き合い続けてても幸せだったと思うけど、あのまま甘やかされ続けてたら私はダメになってたし100パー浮気してたと思う。
あの頃の私が未熟でほんとにごめんね。
あとの男どもは私よりちょっと下くらいでほどほどに幸せでいてね(ゲス)
頑張ったなー。我ながら成長したよ。
あんまり多く語られてないが、初期のゴールデンカムイは明らかに「山賊ダイアリー」とかのジビエブームの流れに乗っていた。
公式切り抜きがネットのミームになったり、そういうところから徐々に認知度が上がっていった作品だ。
今では評価が固まり過ぎて「多様性が」とか「歴史評価が」とか、批評的にお利口な語り口でばかりその魅力が語られるが、実際に初期から連載とその人気拡大を追っていると、ゴールデンカムイにはそれだけでない多様なフックと、それをタイミングよく引っ掛けるそれこそ漁師の神業がふんだんに見られた。
ゴールデンカムイの受容(需要)の変遷をまとめることによって、長期連載漫画が当たるためにどれだけ多くの仕掛とチャンスを要するのか、改めて考えてみたい。
2014年8月、連載始まる。 増田はこの頃はまだ読んでいない。
1話ははっきり言って、刺さる人には刺さるのかも知れないが、古臭い冒険ものの空気しか感じられない。
「露助」と差別語を使う戦争帰りの主人公。囚人を殺して皮を剥ぐ猟奇趣味。まだ頭身の高い美少女のアシリパ。
一部のネクラには受けても、一般には忌避される湿っぽいダークさが作品を包む。
キャラクターも、薄汚い囚人たちに、死をも恐れぬ兵隊、そのトップの怪人中尉と、マイナーさは否めない。
しかし、連載数話目から、この漫画にはちょっとだけ流行の要素が入ってくる。「ジビエ」である。
当時は「山賊ダイアリー(2011〜2016)などの猟師ものが密かにブームを迎えていた。
あるいは、同時期(2011〜2019)のメジャー作品として荒川弘の「銀の匙」など、「命をいただく」をテーマにした漫画も人気を博していた。
ゴールデンカムイはこの流れに乗って、「冒険をしながら猟師生活を見せる」というストーリー構成で注目を集めていくことになる。
ニコニコ静画のタイムスタンプによると、ゴールデンカムイの公式切り抜き漫画「アシ(リ)パごはん」第一回が掲載されたのは、2015年1月となっている。
初回は「リス」。可愛らしいリスの皮を剥き、ミンチにしていく様子がコミカルに描かれるシーンを作中から数ページ切り抜いて公開した公式の切り抜き漫画である。
これが、受けた。
チタタプ、オソマ、ルイベなど、アイヌ語の食べ物の名前が広く知られるようになり、アシリパがアザラシをしとめるシーンなど、コミカルなカットがネットミームにもなる。
しかしこの頃もまだ、一般受けする漫画とは言い難かっただろう。なにせ「山賊ダイアリー」のような、「命をいただく」テーマ自体が重すぎる、マイナーメジャーのものだ。キャラクターも男臭い変態だらけで「ホモソ受け」という感じは強く、牛山も女を武器にする卑劣漢だった。(このマンガがすごい! 2016 オトコ編 2位、マンガ大賞 2016 大賞)
増田自身、この頃作品を知り、アシリパごはんは面白く読んでいたが、金塊探しというメインストーリーにはまったく興味が持てず、長いこと本編は読まずじまいだった。
10巻頃まではこの漫画はこういった男向けの要素だけで進んでいく。変態的な囚人、覚悟を決めた簡単に死ぬ兵隊、「命を食らう」生活感。
しかし、ここにきて大確変要素が加わる。プリンス鯉登、心に闇を抱えた尾形などの、圧倒的に乙女受けなキャラクターやエピソードが増えたのだ。
彼らのシーンを見た瞬間に、増田は「あッ、これはジョジョみたいに腐女子アンテナにひっかかるゾ」と確信した。
今となっては当たりも当たり。SNSで「ゴールデンカムイ」を検索すれば9割女性向け同人イラストという現状への変動がこの瞬間に確定したのである。
そして本作はこの勢いを掴んだまままさに滝を遡る鯉のごとく大作へと変貌を遂げていく。
シリーズ前半のクライマックスとも言える網走監獄編を見事なテンションで描ききった本作は、アニメ化(2018)、手塚治虫文化賞 マンガ大賞(2018)、大英博物館の特別展においてキービジュアルを飾る(2019)など、大躍進を遂げる。
アニメシリーズは海外配信も好評で、海外にもファン層を広げる。
大英博物館の展示では、「女性を表している点。(中略)アイヌという少数民族の文化を描いている点」など「ダイバーシテイの理念を体現する作品になっている」を評価されキービジュアルに選ばれたとされる。
「多様性」や「文化歴史描写」に優れた名作という評価は、この段階で確立された。
網走監獄編で大きな波をひとつ越えたあと、人によっては中だるみと言われる樺太編に入る。
すでに確立された名声を揺るがすような劣化も見られないが、特に新しい要素が受けたわけでもないので話題は少なくなる。
このあたりで増えた要素と言えば谷垣を中心に多用される「ホモギャグ」である。
増田の受け止め方としては、「文化的な名作」扱いに対する作者の反発と言うか、何かヤケクソなものを感じる。
宇佐美の「◯◯探偵」に至っては常軌を逸しているというか、ここだけをもってして「文化的な作品」として他人に勧めることは出来ないだろうと思う。
しかしこれもある意味で時代は掴んでいるのかも知れない。一部のラディカルフェミニストを中心に、この過剰な下ネタが「セクハラのミラーリング」として全面肯定される現象も見られた。ほとんどの人には、ホモソーシャルの笑いの延長にしか見えないと思うが。
清濁合わせのみ毀誉褒貶を越え、本作は2022年に連載終了を迎える。
作品としては大団円だったものの「文化的」という名声を得すぎた故の重箱の隅をつつくような批判が最終回のいくつかの描写につけられた。
単行本化に際してそのうちのいくつかは修正され、うるさ方もそれで納得したのか、今では「文化的」で「多様性」を表現した、歴史に残るすばらしい名作という評価がほぼ揺るぎないものになったように思われる。
しかしその8年にも渡る連載期間を省みれば、このようにさまざまなフックと変化で客を掴み、興味を維持し続けてきた結果のことなのであって、ただ「綺麗な作品」(と思う人もまあいないとは思うが)を描いたから評価されたというような単純な話ではないのだということは覚えておきたい。
トラバもブコメもだけど、「自分の趣味にあった部分」だけが評価の対象じゃないと許せないって思考回路のやつ、キツいわ。
「血なまぐさい男受けだけじゃ同人受けや海外受けまで広がらなかったよね」ってことが書いてあるのわからん? 日本語わからん?
根本的にこの文章で書いてあることが何かということが理解できてないと思うので、自分が機能的非識字だと認識した方が良いよ。
クライマックス付近の無料公開で認知を広げたのは書いといても良かったなとは自分でも思った。
「ダンジョン飯」におけるライオスとマルシルの関係性については、恋愛感情というよりは、共に冒険を進める仲間という関係性が強いとされています。
ライオスのパーティには、過去の男女間のトラブルを受け、チルチャックによる「職場恋愛禁止令」が出されているとのこと。
そのため、ライオスとマルシルの間に恋愛的な雰囲気はほとんどありません。
また、ライオスとマルシルは、お互いに魔物や魔法のことで常に忙しく、恋愛的な雰囲気を作る余裕がないとも言えます。
そのため、ライオスがマルシルを「いける」と思うかどうかは、ライオス自身の感情や状況によるところが大きいでしょう。
しかし、これらの情報はあくまで「ダンジョン飯」の世界における設定であり、現実世界の恋愛感情とは必ずしも一致しないことを覚えておいてください。
現実世界では、人々の感情は複雑で、一見すると友人関係に見える関係性でも、恋愛感情が芽生えることもあります。
これからセミナーや研究会の発表を本気で聞いて良い人を探すといい
休憩時間や懇親会を利用して発表者に近づいて「あなたの発表面白かったです」といっていろいろ質問しよう
良い人が見つかったら「あなたの研究に興奮しました!わたしにも研究させてください!」とアプローチしよう
たぶん、書類上の籍は今の大学に残したままそちらの研究室に受け入れてくれると思う
一流の研究室ほど教授たちの移動は早いし、一年のうちの殆どを外国で過ごすから書類上の指導教官と実質的な指導者はみんなバラバラ
学生の方も教授について ●大→ワシントン大→R研 みたいな移動の仕方をする人もいれば
日本に残っていろんな人と共同研究している学生もいて経歴もルーツもみんなめちゃくちゃだよ
共同利用機関や研究開発法人みたいなところも学生受け入れをしているのでとにかく声かけてみよう。
すごいパターンだと研究所長と共同研究した学生もいるよ!やってみれば意外となんとかなるよ!さあ冒険だ!
頭の良さや情報収集能力、流行に乗り危ない時には身を引く要領の良さ、研究者としての信頼。それから運も重要だけど
無知に引け目を感じなくて良い
馬鹿にされることを恐れずどんどん質問しよう。読むべき教科書や論文を教えてもらおう。
知らないことは片っぱしから吸収していくと良い
馬鹿にしてくる人は気にしなくて良い。うさぎと亀の兎みたいなものだ。サラッと追い抜けるよ
怖いのは利口な兎のほうだね。彼らは亀を気にしない。自分より上の人だけを見ている。あなたも利口な兎を目指すとよい。
みたいなかんじかな
あなたは教授になって大学院生に講義をするつもりで発表すると良いよ
まずはそのチャプターの目的とあらすじをサラッと解説しよう。常に議論の道筋を見失わず今どこにいるのかがわかるように声かけをしたり、途中で簡単にここまでのまとめを挟むとわかりやすいよ。
単純な式変形は適宜省略して、でも聞かれた時にはサラッと示せるようにしておこう。
もし理解できない箇所があるなら暇そうなポスドクに質問して回るか同期と議論しよう。教科書1冊で満足しないで名著や重要論文は片っぱしから読んでおこう。
ちなみに私も昔パワハラを受けたことがあって指導者を変えているんだ
最初に私の指導に当たった人はちょっと問題がある人でね。嫌がらせをされて困っていた。
そんな頃すごい論文を読んだ。それは革新的な研究で新しい学術領域を作り出すものだった。その論文の著者は天才と呼ばれている人でね。名前をAさんとしようか。
Aさんは当時1人も学生を持っていなかった。噂では彼の認めた天才しか取らないのだという。
「この研究がどうしてもしたいです!どうか指導してください」と私はAさんの部屋に突撃していった。(注:アポを取りましょう)
パワハラを受け後が無い私に怖いものはなかった。やけっぱちとも言う。認められなければ辞める気だった。
Aさんはちょっと驚いていたけれど後日改めて呼び出された。
今の研究の状況や元の指導者との関係を聞かれたので淡々と説明をすると
「それは私の方から話をつけたほうが良いね。あなたは口裏を合わせてね」と言われた。1週間も経たずに新しい刺激的な研究が始まった。
天才と議論ができるのは本当に素晴らしい経験だった。Aさんの生き方や考え方は研究だけではなく私の人生全てに影響を与えた。大学院の日々は私の人生で最も楽しく輝かしい日々だ。自分で言うのも恥ずかしいけどとても良い研究成果も残せた。本当にAさんと出会えてよかった。心から尊敬している。
後日例の噂の話をしたらAさんは笑っていた「そんな話初耳だ」と。
何のことはない、学生は勝手に恐れ誰もAさんに指導を申し出なかっただけなのだった
ポスドクは情報通だ。学生を育てるのが上手い人は誰なのか、研究環境が良いのはどこかをよく知っている。
特にアカハラをするような奴は悪い意味で業界の有名人だ。ポスドクは絶対知っているはずだ。
(※必ず複数人から聞こう。M1に嘘を吹き込む悪い人もいるからね)
「さっきの発表面白かったです!AをBで解決するなんてよく思いつきましたね」「ひょっとしてこの研究はXに利用できますか?」
目をキラキラさせて研究を語るあなたの周りに人は集まるようになるだろう。人が集まるということは情報が集まるということだ。それは研究者として有利なことなんだよ
心が弱ってる線の細い人に「図太くいけ」というのは草
ありがとう。私も最初は心配していたんだけど元増田の追記を見て大丈夫そうだと判断した。
一晩で前向きになっているところを見るに元々タフな子なのだろう。ぬるま湯を捨ててあえてチャレンジングな環境に身を投じる所も優秀な子の特徴だ。
ここからは私の予想だけれども、元増田の内容を見るに地方から上京してきた子なのではないか。
経験上、遠くから来た子は5月の連休くらいで高熱を出してダウンすることが多い。地方と東京では人間関係の距離感が違うし新しい生活も最初は大変だ。
九井諒子の漫画短編集は、必ずしも特定の性別に向けて描かれたものではありません。彼女の作品は多様なテーマや独特の世界観を持っており、性別に関係なく幅広い読者層に受け入れられています。漫画の置かれるコーナーは書店の判断によることが多く、必ずしもその作品が特定の性別向けであることを示すものではありません。
九井諒子の作品は「ダンジョン飯」のようにファンタジー要素が強く、冒険やユーモアが盛り込まれているため、一般的には幅広い年齢層や性別の読者に支持されています。ですので、男性読者も彼女の短編集を楽しんでいる可能性は十分にあります。
個人的に好みがあるため、必ずしも全ての男性が同じように楽しんでいるわけではありませんが、性別に関係なく彼女の作品の魅力を感じている読者が多いのは確かです。
まずね、架空の食い物というのが、理解できない以上題材として全く面白くない
そこで貝とか鶏肉とか分かりやすくしてくれてるのだが、かえって陳腐化している
そこで他にも冒険要素や人種差別要素を盛り込んでいるが、はじめっからこれを主軸にした方がよかったのではないかという感じだ
しかし顔芸はなかなかよい
いいよな〜変顔
最初に言っておくが「リアルな冒険をするために敢えて不便なつくりにしている」といった言い訳には逃げないで欲しい。
たとえば「牛車に乗っていると定期的にモンスターに襲われて牛車が壊れてしまう」というのはまったくリアルではない。
なぜなら現実でそういう状況になれば、絶対に何かしら対策をして問題解決を目指すからだ。
不便さに対する「もしこれが現実ならこうやって解決するのにな」というプレイヤーの発想を実現してこそゲームはリアルになるのだ。
一つは、当然だが「徒歩」である。
もう一つは「刹那の飛石」というアイテムを使ってのファストトラベル。
アイテムの数が限られていて気軽に使えないのは、なるべくファストトラベルを使わずにフィールドを探索してくれ、という考えからだろう。
牛車に乗りながら「目を閉じる」を選ぶと瞬時に(ゲーム内時間は進むが)目的地に着く、つまり実質的なファストトラベルになる。
が、ゲームのコンセプトからすれば、なるべく「目を閉じる」のは避けて、のんびりと牛車に乗っていきたいところだ。
道沿いの敵を倒しながら進むのも、ふと遠くに見えた建物を目指して途中下車するのも、いかにも冒険らしいじゃないか。
……と思ったら、これが遅い。あまりにも遅すぎる。せめて徒歩と同程度の速度はあってほしかった。
このカタツムリのような速度で目的地に向かうのは非現実的である。
ファストトラベルをして欲しくないのではなかったのか?
牛車は「夜間は休んで安全な昼間だけ走る」設定のはずなのだが、この遅さのせいで目的地に辿り着くまでに確実に夜に突入する。
そして夜になったために湧いてきたモンスターに襲われて牛車は破壊されてしまう。
途中でキャンプでもすればいいのに。そのほうがよほどリアルだし、旅っぽいと思うのだが。
このゲームのフィールドは高低差がきつく、街道から少しでも離れると崖だらけになって、まともに進めなくなる。
つまり道なりに進むことを余儀なくされる。プレイヤーの行動範囲が道沿いに限定されてしまう。
見晴らしも悪いので「遠くに見えるあの建物を目指してみよう」といったオープンワールドならではの体験も起こりにくい。
そしてプレイヤーが道沿いでしか行動できないということは、強力なモンスターも道沿いに配置しないといけないということだ。
牛車が行き交う主要街道に、巨大なサイクロプスやミノタウロスが頻繁に登場する。
王都のすぐそばにオーガがよく出現しているのだが、あの暇を持て余している兵士たちは討伐に向かわないのだろうか。
たとえば、街道は兵士が警備していてわりと安全であり、街道から離れるほど強力なモンスターが出現しやすい、といった設定でいいのではないか。
たまに街道に大型モンスターが出現したら、大騒ぎになって討伐部隊が結成されて、そこに主人公も参加できる。
みたいな感じにすれば、それ自体が面白いイベントになると思うのだが。
開発陣がとても頑張っていることはよくわかる。
かなり規模の大きなオープンワールドを作り上げているし、戦闘システムにも光るものがある。
NPCの制御なんかも凝っていて、プレイヤーの行動に応じて意外な反応があったりする。
シナリオは薄味で、セリフは淡白で、イベントはバグだらけで、ロールプレイしようと思うと冷める瞬間が非常に多いのだが。
それでも「開発陣はこういうことがやりたいんだろうな」というのは伝わってくる。
バイストン・ウェルの記憶が蘇るなんて、まるで朝起きたら突然パンケーキが話し始めたみたいなものですよね。
想像してみてください、あなたが目を覚ますと、そこはパンケーキが支配する世界。
シロップの海に浮かぶバターの島々、フルーツの森、そしてチョコレートの滝。
あなたはパンケーキの騎士として、スプーンとフォークを手に、朝食の平和を守るために戦うのです。
しかし、敵は強大です。
ヘルシー志向のサラダ軍団、低糖質のブロッコリー騎士団、そして最も恐ろしいのは、カロリーゼロのダイエット水軍。
彼らはパンケーキの世界を脅かし、朝食の楽園を奪おうとしています。
それは、伝説の「ゴールデンシロップ」を探し出し、朝食の世界に永遠の甘さをもたらすこと。
旅の途中、あなたはワッフルの賢者、ドーナツの僧侶、そしてエッグベネディクトの戦士たちと出会います。
彼らはあなたを助け、時には試練を与え、時には美味しい朝食を共にします。
そしてついに、あなたはゴールデンシロップを見つけ出し、朝食の世界に平和をもたらすのです。
でも心の中では、いつもその冒険が続いているのです。
正確にはGW明けの7日(火)関西で一番と誉れ高い丹波白毫寺九尺ふじを見に行った。
俺は花にも名勝にも興味がない。
日々ダンゴムシを潰したりタンポポを引っこ抜きまくったりと正常な成長過程を経ている。
その息子が藤の花を見たいと、凄いのが見たいと。
ならば鉄オタでもある息子のために、
スペシャル一筆書きルートを立案、ちょうどJR西の期限切れ前株主優待が1枚残っていた
GW前にわざわざみどりの窓口のある新大阪までわざわざ出向いて、わざわざ行列に並んで、わざわざ購入しに行ってやった。クソ面倒クセェ
窓口で「新幹線はJR東海管轄だから別料金になります」と言われたので新快速で帰りますと変更
GW最終日6日の晩
「パパ、いよいよ明日だね、ぼく興奮して眠れない、グー」
朝、7時、いつもは8時に起こしてもグダグダなのに
「パパ早く起きて、急いで、間に合わないよ」
かわいくない
朝飯を食わせて着替えて出発、まっすぐに歩けない息子、始終ぴょんぴょん跳ねている、どんだけ興奮してんだ、昨今そういうのは流行らないクールにつーんってしなさいと、「ムリ」だってさ
大阪駅到着、特急ホームは混雑する庶民ホームと分離されているので心地よい。
朝10時、まだ勤労者達で混雑する(それほどでもなかったけど)の隣で富裕層のための特急ホームで特急こうのとりを待つ。
黄色い列車(ドクターイエローの在来線バージョン?)が停まっていて息子興奮。
ちなみにグリーン車、なぁに金はある
走り出す
ポケモンGOブームが去りにゃんこ大戦争にハマってる息子は車窓に興味なし、ふぁっく
福知山到着、外に蒸気機関車が見える、どのみち一旦改札を出なきゃならないので出る。
20分ほど駅前をウロウロした後に福知山から在来線普通で市島まで戻る
タクシーで白毫寺へ
運転手に聞いたらGW中大渋滞で3時間かかったんだと、10分で到着、パパの読みは正しかった
さぁあの階段を登れば待ちに待った藤の花!ドンと来い、ワクワク最高潮
。。。びみょー
満開過ぎていたのは仕方ないし承知はしていたが
びみょー
大人の俺ですらびみょー
息子は大びみょー
息子よすまん
息子は空気を察してか「でも見れてよかったね」
でもってなんだよでもって、5歳の気遣いきっつー
いやいやいや、立派なんですよ、ぜんぜんアリです、3時間並ぶ価値は、まぁアレだけど、俺はたぶん二度と行かないと思うけど、ディスるつもりはなく、人生で一度くらいは見に行ってもいいかなぁ、俺は二度目は無いけど、まぁ価値観は人それぞれだし、こういうのもいいんじゃないかな。
ともかく、気を取り直して周辺を散策したり裏山を冒険したり、それなりに楽しかったです。
息子もご満悦でした。
父がこれほど時間と金と労力をかけていることに価値を見出して欲しい。
「47年後キミが52歳になったときに愛するパパがここに連れて来てくれたことを思い出しなさい」と教え諭した
ポケGOを開いたらジムがあった。電車待ち暇なので息子とジム攻撃
ポケモン滞在3日目て、田舎すげぇな、ウチだと2時間で狩られるぞ。
と思ってとりあえず乗っ取ってホクホクしてたら1時間後に戻ってきた。
なんでや
一時間に一本の在来線普通列車で福知山まで戻る、列車の扉を自分でボタン押して開閉させるシステムに息子感動。
さて次の特急はしだてまで2時間ほど待ち時間、ちょっとマージン取りすぎた、失敗
駅前に図書館があった、最近息子は「ぜったいおしちゃダメ」シリーズにハマってる
近所の図書館でいつも貸出中、ここならあるんじゃないかと、貸出中だった
ぜったいシリーズは8冊出版されており7冊はウチの本棚にあるのだけど一冊だけ開けてある、特に意味はない、なんとなく。
王将を出て土産物屋に入ると明智光秀の家紋のマスキングテープがあり、息子は「藤の花だ、これママのお土産にする」と言い張る
ちゃう桔梗やと教えたが納得しない、藤の花だと、いいよなんでも。250円、高い。
乗車時刻になりホームへ
キター
。。。
え?こっち?黒いのちゃうの?287系やん、そこらの特急と一緒やん
いつも京都鉄道博物館に行くとき京都駅の隣のホームで見かけるあの黒いやつに乗りたいの!
黒いやつに乗れるって息子と約束したんだもん
空気を察した息子が
「でもこれもいいよね」
振り子すら着いてねぇふつーの287系
今度黒いやつ乗ろうな
Wikiったらはしだて全部があの黒いやつじゃないのね、なんだよそれ詐欺じゃん騙された
ふぁっくしね
とにかく乗る、走り出す
京都から先ノープラン、疲れてるしサクッと新幹線で帰るか、エクスプレス予約はと
あれ?ログインできない?
あぁちょっと前にクレカがサ終とかなんとか、切り替えて、紐づけやり直し?
面倒くさそう。
17時過ぎ平日GW開け京都→新大阪の新快速なんて絶対に乗りたくない
WESTERで見たらちょうどいいはるかがあった、最初から買ってりゃ株主優待で安かったのに、まぁいいや。ぽちっとな、何号車にしようかしら。
京都駅33番ホームに到着だからはるかはホーム挟んで真横で乗り換えなのよね、うふふ。
今乗ってるはしだてが4号車、進行方向向かって東京側が5号車、ルール通りね。
って事は、はるかを一番後ろの9号車にすれば京都駅の乗り換えスムーズ、新大阪で下りた後もスムーズ。
京都駅、ズゴー
ホーム端から端まで歩かされた、9号車、一番前やんけ、死ねよぼけかす、まじファック
なんではるかだけ番号逆振りなの?ねぇなんで?バカなのしぬの?
「お忙しいところすいません、号車番号なんですがね、いまはしだてから乗り換えて、ボクの常識だとJRの号車番号は東京起点で離れたほうを若番と覚えておりまして、古くは天皇の乗車の位置がどうのとか、ともかく、なんでこれ逆なの?おせーて」と訪ねたところ
「なんでですかねぇ、和歌山管区で下方向に走るから?かな?わからないです」、だってさ
ともかく、新大阪到着
新大阪駅で改札を通ろうとしたらゲートが閉まった、うへ、なんで
そうだ思い出した、京都で降りる予定だったんだ
新快速で帰ると言いながら予定は未定でその場臨機応変ネットで買えば良いやと
最初から大阪→福知山経由、新大阪乗車券で購入してりゃ無駄な出費はなかった
この場合単に大阪→新大阪だけの乗車料金にしかならん(よね?よく知らない)
あーんもう、無駄金、ムカつく、お金無いのに。今日だけで2万くらい使ってるのよ
かつ、新大阪で息子が腹減ったとぐずりだした。
どうしても今すぐカレーが食いたいと
入った店に子供向けのカレーがなかったのでハッシュドビーフを新味のカレーだと欺罔して食わせた。少し食ったが美味しくなかった。
息子も俺もクタクタ、タクシーで自宅まで帰りたいが、金ねぇ、頑張って歩け
地下鉄で、
続きです。
しかし、結果的に言うとマンガ部も違った。こんな言い方が正しくないのは分かっているが、みな意識が高すぎるのだ。真面目にマンガに取り組もうとしている人たちばかりだった
「人は経験したことだけしか描けない」という信念のもと、学外活動にも熱心だった。いろいろな経験を積むことで、その経験が作品に、キャラクターに深みを与えるのだと。マンガが好きだからマンガしか読んでない奴には面白いマンガは描けない。そう断言してはばからない人たちだった
しかし俺はその考えには否定的だった。なぜならエロは自由だからだ。エロく感じるなら現実など無視して良い。腹ボコも子宮姦も感度3千倍もリットル単位の精液も、どれも現実にはありえない。だがありえないからこそエロいのだ。現実に縛られずに自由に描けるからエロマンガやエロ同人はエロいのだ
そして俺は漫画家になりたいのではない。エロの二次創作がしたいだけだったのだ。そのためだけに絵を練習してきたのだ。男などは描きたくはないが、竿役がいないと始まらないので仕方なく練習した。毎回毎回異空間に閉じ込める訳にも行かないから、背景も勉強して練習した。もちろん女体もしっかり練習した。だがしかし、精緻な設定も重厚なストーリーも人生経験もエロ同人には必要ないし、そもそも俺にそんなものを生み出せるはずもない。生み出そうという気持ちすらない。俺にとって重要なのは、読子やまほろさんをんほおさせること。それだけだからだ
とはいえ先輩方の絵は上手かったし、デッサンの勉強会なども定期的に行われていて、同期で入ってきた部員も何人かいたので、しばらくはこのままでいいかと思い、部に残ることにした。表向きは俺も漫画家志望だということにして
マンガ部では定期的に部誌を発行しており、部員は全員それに載せる作品を描くことが義務だった。作品を落とすことは一度目はセーフだが二度目はペナルティ(部員全員に食事を奢る、部誌の印刷代を出すなど)を課すという厳しいものだった。なので落とす人はほとんどいなかった。が、これに毎回苦戦していたのが俺だ
だってそうだろう。自分が一から考えたマンガなど、俺は一度も描いたことがない。ストーリーがあるマンガも描いたことがない。だが見様見真似でコマを割ることを覚えたりと、マンガの形式を少しづつ学べたのは良かったと今でも思う
そうして大学生活や部活動にも慣れ始めた頃、ついに俺は念願を実行に移すことにした。そう、エロ同人作家としてデビューすることだ
いきなりコミケはハードルが高すぎるし、何よりもサークルの当落があるので、本ができても落選では意味がない。だからまずは手近なイベントにしようと俺は考えた。ネタとしてはやはり、当時人気だった「おねがい☆ティーチャー」が鉄板だと俺は予想した。印刷所も手配し、同期にも手伝ってもらって原稿も描き上げた。この同期は真面目でエロマンガやエロ同人などには良い感情は無かったが、それでもマンガであることには変わりはないと割り切って手伝ってくれた。マンガとして成立しているかもきちんとチェックしてくれた。コマ運びや大ゴマの使い方など、エロ絵しか描けない俺の絵を「マンガ」にしてくれたといっても過言ではない。ただ、俺が本当にやりたかったのがまさにエロ同人だったと知っていたら手伝ってはくれなかっただろう。そういう意味では騙したみたいで、今でも時々申し訳無さを感じる
そうして出来上がった俺の初のエロ同人誌は、自画自賛だがなかなかのものだったと今でも思う。もちろん今から見れば何もかもが荒削りだし、絵だって素人にしてはまぁまぁ、というレベルだ。当時と今とでは要求されるレベルが違うが、それを勘案すれば「まぁまぁ」だった(今基準ならクソ認定されるかもしれない)
そして結論から言うと、俺のこの初エロ同人誌は完売した。ビビって100部しか刷らなかったのを後悔した。初めてのイベント参加で、初めての本なんか売れるわけがない。そうネットでは言われていたので、100部というのもかなりの冒険だったのだけど、当時は最低ロットが100部からだったので仕方なかった。今のオンデマンド方式なら部数は自在だから、30部ぐらいにしていたかもしれない。それはともかくとして
初めてのエロ同人が完売したという事実に俺は喜びに打ち震えた。たった100部とは言え、初めての参加で初めての本だ。それの「完売」の勲章は何物にも代えがたい。今までの努力が認められた気がした。エロ同人作家として価値を認めてもらった気がした。子供の頃からなりたかったエロ同人作家に、いちおう俺はなれたのだ
そこから俺はイベントごとにコンスタントに新刊を出すようになっていった。この頃にはとらのあなが最大勢力で、信長書店やメッセサンオーといった同人を扱うショップも多くなってきた。一方で長年お世話になっていたLLパレスは悲しいことに規模を縮小していったが、こういうショップが勃興することで、俺は部数をどんどんと伸ばしていった。イベントで売れ残っても、その在庫をショップが引き受けてくれるのだから、スペースの限界まで持ち込めるのだ。100部から始まった俺の本の印刷部数が4桁後半になるのもあっという間だった。実家から離れて一人暮らしを始めたのもこの頃だった
一方で同人活動にかまけて、学業どころか大学生活が破綻するようになった俺は留年の危機を迎えていた。おまけに世は就職氷河期真っ只中である。だが俺はまったく気にしていなかった。この頃の俺は1000万円以上の収入をエロ同人から得ていたからだ。就職も卒業もする意味も理由も俺にはまったくなかった。が、親に懇願されたのもあって、卒業だけは一応しておくかと思って追試でどうにかなった。大学側の温情も多分にあってのギリギリ卒業だった
親からは就職をどうするのかと何度も問い詰められた。いまの状況ではまともな就職など出来ない。だからしばらくフリーターをやると言うと、それなりに納得していたようだった。エロ同人作家もフリーターも似たようなものだ。だから俺はここで本当の「エロ同人作家」になった。大学生のお遊びではない、本物になったのだ
さて、無事に大学も卒業して「職業、エロ同人作家」となった俺は、変わらずに活動を続けていた。好きなアニメやゲームを見ては妄想と股間を膨らませて、いかにこのキャラをアヘアヘ言わせるかだけを考えていた。清楚なタイプならギャップ萌えでダブルピースも悪くない。ロリロリでもアリだ。ちょうどこの頃はメスガキ分からせという概念も生まれつつあって、それに乗った俺は絶好調だった。少なくとも表面上は
だが、当時は分からなかったが実は俺はほんのりとスランプを感じていた。マンガの技術は桁違いに向上したし、画力だってプロと比べても遜色ないほどに腕を上げた。しかしやってることや描いてる内容は最初のデビューの作品から何も変わっていない。いや変えられなかったからだ。技術レベルは上がっても、「中身」は小学生レベルなのだ。小学生の描くバカみたいなマンガをプロが清書してるだけのようなものなのだ。誰を描いても、何を描いても「うんこ! おしっこ! ギャハハ!」だ。そういうものを延々と再生産しているという事実に気がついた時、俺はゾッとした。結局のところ、俺はエロ同人「作家」としては何も進歩も進化もしてないのではないか。そう思った
学生の頃、マンガ部の真面目な先輩たちが真面目にマンガを描いていたのを見て、意識が高くて違うなぁと思った。俺にはそんなものは不要だと考えた。エロ同人に必要なのは、一にも二にも画力とエロスだけだ。そう信じていたが、そうではなかった、エロとはそんな単純なものではない。…俺はそんな風に段々と思うようになっていった。エロスとは人間の真実を浮かび上がらせる深奥なる営みの一部なのだ、と。今頃になって先輩たちの「人は経験したことだけしか描けない」という言葉が俺の心をえぐるようになっていった
しかるに今のこの俺はどうだ。実際のセックスなど知らずに、小中学生の妄想をただ絵で表現しているだけの、エロスも人間も描いていないただ手先が器用なだけのバカなのではないか。小手先でエロい絵を描いてるからある程度評価されてるだけで、「作家」としての評価は下の下なのではないか
俺は「漫画家」になりたかった訳では無い。ただエロ同人作家でありさえすれば良かった。だがエロ同人作家であろうとするなら、同時に「漫画家」的な資質も要求されるのだということを、俺はようやく思い知った。エロいからというだけで、設定など無視してキャラにアヘ顔ダブルピースをさせるなど、そもそも作品を理解していないから出来ることだ。果たしてそれは二次エロとして正しいのか。エロ同人作家としてあるべき姿なのか。そんなことを突きつけられた気がした
今から思えばそれは事実だった。だが当時の俺に、その事実を受け入れ、飲み込む度量はなかった。なまじ売れていたからこそ、自分が真のエロ同人作家ではないという事実が受け入れられなかった。あれほど憧れたエロ同人作家として成功したというのが、すべて幻だった、勘違いだったなど受け入れられるはずがない
だから俺は、「本当のセックス」を知るためにまず風俗に行くことにした。実際のセックスを体験すれば、それが何らかの形でマンガにフィードバックできると考えたからだ。そのフィードバックを得られれば、俺は一つ上のエロ同人が描けるようになる。そう信じた。マンガ部の先輩たちが言っていた「人は経験したことだけしか描けない」という言葉に、今更のように俺はすがった
だが、「実際のセックス」は俺の求めたフィードバックもインスピレーションも、何も与えてはくれなかった。実際のセックスはさほど刺激的でもなく、快感という点でも右手に大きく劣るという有り様だった。しかし一つだけ大きな学びがあった。「セックスはいうほど気持ちよくはないが、しかし女の子とイチャイチャするのはたまらなく心地良い」のだ
話は少し前後するが、俺は外面が良いというのは何度も書いた。芸能人レベルのイケメンとまでは言わないが、雰囲気イケメンぐらいではあった。身長だって175センチあって、武道で鍛えてはいたので細マッチョだったから小中高と女子には受けは良かった。告白されたことも何度かある
でも俺はそれらを断った。なぜか? それは真実を知ることで幻想が壊れることが怖かったからだ。そして己の欲望をありのままにぶつければドン引きされるのが分かっていたからだ
俺とて子宮姦など現実にはできないことは知っているし、そんな長大なナニも持ち合わせてはいない。感度3千倍なら脱法ドラッグあたりなら何とかなるかもしれないが、それとてリスキーが過ぎる。なにより俺には妹がいると最初に書いたが、そのせいで「現実の女」に対する期待値などゼロだった。「人語を一応は解する邪悪な獣」である妹が俺の中では現実の若い女性のモデルケースだったので、そんなのの類似品と「お付き合い」など出来るはずがないし、したくもなかった。故に俺はセックスへの憧れ、期待を持ちつつも実行には至らなかった。現実の女子などは鬼神のごとく敬して遠ざけるのが最良なのだ
とはいえ性欲は人並み以上にあったので、ヤりたい気持ちは常にあった。ヤれそうなタイミングもあった。しかしエロ同人的な世界観を内面化している自分が、常識的なセックスで満足するとは思えなかったから踏みとどまれた
話を戻すと、いざ実際に現実の女子と致すと、なるほど予想の通りにさほど気持ちよくはなかった。全くの想像以下だった。しかし、事前事後に快感とは別の多幸感のごときが押し寄せてきたのだ。これは予想外、想定外だった。幸せホルモンがドバドバと脳内に分泌されている。セックスとは竿の快楽だと考えていた自分にとっては、これは盤外戦のような感覚だった
だがこの感覚をマンガにフィードバックはできない。竿役のおじさんや触手が多幸感を感じたというのをどう表現しどうエロに昇華できるというのか。悩み、迷走した結果、俺は今まで通りの路線で続けることにした
ところでこの頃、自身の迷走もあって売上はよくて現状維持、ネタによっては大きく落ちることもあった。かつて数千部を誇った発行部数も在庫として積まれるようになっていった。そして何度も言って恐縮だが、俺は外面はまぁまぁいい。高校生の頃からの習慣で、イベントには常にピシッとした装いで参加していた。それは落ち目になったこの時でも変わらなかった
後にどこかで聞いた話だが、腐女子などもイベント参加のために気合の入れた服や装いを用意するらしい。大事な同人イベントや敬愛するサークルのスペースに訪問するのに、勝負服を着ないでいつ着るのか、という文化があるらしい。俺の装いへのこだわりもそれに近い、と感じた。俺はエロ同人誌が好きだった。それが頒布されるイベントも好きだ。それへの、そこへの敬意として正装をする。それらに対して恥ずかしくない格好をする。もちろん自分なりの、ではあるけれど、それが「礼儀」なのだと俺は思う
そして迷走してはいたものの、まだある程度の売上があったこの頃、この俺のファンだと名乗る女性がサークルスペースに現れた
まだ続きます。。。
だからさ
PS3も初期はPS2互換あったのにそれをなくしたとかあって期待が下がったのがあったし
PS2はPS1も出来るってので売れたのもあったし
特に前までできてたことができなくなるのは反発くらって当たり前
ポケモン全種類ださないんだーうわーもう劣化じゃーんってなるわけよ
ポケモンなんてめちゃくちゃ売れてるくせにそういうのを聞くと開発費ケチってるとかせこいとしか思えなくなるし
世界中には沢山のポケモンがいるってシリーズ通して言ってるのにその数に限りがでたって言うのも停滞してるイメージしかないし
とんでもなくどでかい世界を大冒険して俺がゲーム世界の伝説の主人公になってやるって思いながらやるのがいいんだ