はてなキーワード: 中学生とは
私は傷付いたことがないんですよね。
「傷付く」って中学生ぐらいの頃に少女漫画とか女性向けコンテンツによく出てくるのを見て「これなんなんやろう?」と思ってました。
なんやそれうざったい。気に食わないことあって拗ねとるだけやん。
と思っていました。
いや今でもそう思っています。
「傷付く」っていったいなに?
私も中学生時代なんか人並みにいじめられたり頭おかしい教師と激突したりもしましたが
「傷付」いたことなんかないんですよね。
ムカついたことは沢山あるけど。
みんなに聞きたいのは
本当に「傷付」いてるの?ってことなんです。
陶器かよ。
いや泥沼のベトナム戦争に放り込まれて一週間もベトコンにおびえながらジャングルをさまよったり
爆弾で吹っ飛ばされた戦友のはらわたかき集めて脚を探したりしてたら
それはなんか後遺症とか出るのかもしれない。
でもさあ、普通の社会の人間同士のやり取りで「傷付いた」ってなんなの?
リアルで「傷付いた」とか言ってる奴って、少女漫画の恋愛をリアルの恋愛で生かそうとしてるのと同じぐらい痛いでしょ
なんか傷付いたらすごい人生全体にデバフがかかることになってるんですよ。
いやそれ自分でそうやってるだけじゃん。
自分で自己憐憫して浸ってそういう方向に自分で向かってるんじゃん。
「傷付いた」っていうののほとんどは単にむかついただけだと思う。
むかついたら一旦そのむかつきに正当性はあるのか、相手と立場ひっくり返したりして考える。
それでもむかついてるならやりかえせよ。
私はなんか電車で結構おっさんに絡まれる方で2年に1回ぐらい強めのトラブル起きてるんだけど
相手がどれぐらいの気持ちでやってきたかに関わらず本気で「殺すぞ」の勢いで瞬発で行くからね。
まあ身体も大きんだけどさ。小さくても負けることは無いと思うね。
顔中汗かいてブツブツ言いながら逃げていくおっさん、走って逃げていくおっさん、いろいろ見てきたし
ほんとに深夜で人通りが無かった時には口から血をボトボト出させてたやったこともあるね。(そのへんは今後の人生で2度と通らんからいいやと思ったし。)
でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
そんなこと言って自分を縛ってどんどん人生を暗い方に自分で持ってってるんでしょ。
まあそういうことをする余裕がある人なんだろうなとも思うけど。
なんも余裕なくて必死に生きてる奴は傷付いたーとか言ってられんし。
ただムカついたりビビったりするだけ。
>でもそのあとは全く引きずらないし、傷付いたことなんかない。
それにしては詳細に覚えてるし、それをわざわざ書くのはむしろ引きずってるように見える。
なんで覚えてるかって、印象的だからだよ!
私は結構暴力的な事件に巻き込まれる方ですが、それでもエキサイトした体験は一件一件印象には残ります。
ていうか、
「何人も〆てやった」「相手はおっさん」「一度口から血がどばーって出るほどしばいたことも」
程度の記述は言うほど詳細か?
人を〆ながらきみは傷付いていたんだよ!って言われても、それどんな奴なの。
やっぱり「傷付く」って言葉を擁護する人間は少女漫画文化にやられてる気がする。
厄介イケメンてだいたい人間としてめっちゃ悪質だと思うんだが、彼は傷付いてるの!的に免罪されるの謎すぎるよな。
髪の白い悪質イケメンじゃなく髪の黒い真人間イケメンのほうにしとけと。
自慢じゃないけどわりと円満でゆるくて裕福な家庭に育ったんだ。
ていうかさ「傷付いた」の内容物、コンテンツはなんやねん、ほんとはそんなんないやろ、という申し立てをしてる人間に対して
「君は幼少期に傷付いたのではないか?」って質問は日本語噛み合ってなくないか?
「傷付いたとはこれこれこういうことなんだ、だから君のご指摘は当たらない。」
という風に、傷付くってことの説明をまずせーよ。
あんたの無茶な理論で行くと、印象的な思い出は全部「傷付」いてたことになっちゃう。
でも「傷付く」ってそれぐらいガバガバであいまいな言葉なんだよね。
使ってる奴らもよく考えてないでしょ絶対。
今から書くこと全部外れてて欲しいんだけど
とか言いながらこんな雑な心理分析もどきでなんとか煽ろうと顔真っ赤にして頑張っちゃってるじゃん?
要するにあんたは私にムカついたわけよ。
簡単に言えば「こいつなんかエラそう」っていう反発だし、
もうちょい深く言えば「定義不明コンテンツ不明な言葉を振り回してる自分の日頃の無考えを指摘されてカチンと来た」わけ。
これは単に「ムカついてる」んだと思う、私は。
でもあんたの理論だとすべて「傷付」いてることになるんだっけ?
増田を書くのは傷付いてるからで、おっさんを〆てるときも傷付いてたと。
それに対してめっちゃ煽ろうと頑張るあんたは私が傷付けてしまった被害者なのだと。
世の中傷だらけすぎかと。アホかと。
そんななんでも全部「傷付」いてることになるんなら、
「ムカついてる」よりはるかに乱暴で大雑把な概念じゃない?「傷付く」って。
sds-page 感情が無い設定のキャラ、だいたい感情がある 増田
2020/09/08
人の話聞いとるんか。
感情がないなんてどっこにも主張してないだろ。
「傷付く」ってなんなんですか?「ムカつく」とか「ビビる」じゃないんですか?と言ってる。
私は情緒は豊かな方だしなめてきたおっさんにムカついてカッとなって〆たことは何度もあると供述もしてる。
pptppc2 傷ついたことがない増田 VS ギザギザハートの子守歌に出てくる触るものみな傷つけた奴 VS ダークライ
2020/09/08
けどあんなん要は「やなことあってイライラしてて弱いやつ狙って当り散らしてる」ってだけじゃん
イケメンだから許されてるけどきたねえおっさんがやってたらどうなの
alpha_zero alpha_zero 幼少期にこういった繊細な概念を学ぶ機会がなく、まとめて「ウザい」「ムカつく」等の大雑把な表現しか出会わないと自分の感情が理解できなくなり、キレやすくなるケースがあると児童心理の本で読んだことあるなぁ
2020/09/08
お前らと私とどっちが思考が細やかかをフェアに見比べてほしいわけ。
脳が粗雑だと難しいだろうけど。
何でもかんでも「傷付いた―」に放り込む人間と
「いや、それはムカついただけ。それはビビっただけ。
傷付いたってなんだ?ほんとにそんなのあるのか?」って懐疑を提示する人間と。
今回の文はつまり「傷付いたーとか言ってるやつは雑に生きてるせいで頭悪いんちゃうか?」と疑ってるんです。
「俺はお前らよりタフガイ」ではなく「私はお前らよりは頭いい」と言ってるんです。
反論は大歓迎だけど、ちゃんと問題文読解したうえで反撃してほしいな。
それは貴方の傲慢と人生経験の不足です。他人の心の中は文字通り想像を絶する程わからない。貴方には嘘としか思えないクソみたいな理由で人は傷ついたり自殺したりします。他人の心中を嘘と断定できる訳が無いのです
うんだからそれはただのアホでしょ。
傷付いたーって深刻ぶっみたせいで始まっとるでしょ。
「ムカついたから自殺します」ならこれただのアホやんけって気付いて自殺しなくてすむでしょ。
あと「じゃあムカつくってなんだよ」という質問が結構あるから答えると、要するに怒りですよね。
怒りってなんなのか、「自分の思う通りでない」ってことです。
例えば女に告白したのにフラれてムカついた。
思う通りでなかったことへの瞬間的反応です。
でもフラれる可能性なんて当然あったのになんでムカついてんだ?と。
そこを掘り下げると、
もしくはなんかうぬぼれてたんだなとか、
もしくは告白しながら実は相手の女のこと見下してるとこあったんだなとか、
客観的に見れるでしょ。
そしたらこのムカつきは単に自分でやってるだけじゃんてなって終わりでしょ。
これを「フラれて傷付いた」にしたら大変で、自己陶酔したまま逆恨みで相手をストーカーしたり悪口言ったり刺したり、自分が死んだり、大変でしょ?
ムカついてる自分を平易にムカついたんだねって認める人と、
大袈裟に傷付いたーって言い出す人と、
どっちが人に迷惑かけず自分の人生を無駄に暗くしない人間ですか。
みたいに一生懸命煽ってる奴、
要するにこんな話でムカつくーとかムカついたーとかを「傷付いた」扱いしえ頑張ってるわけで、
私の懐疑である「単にムカついただけのことを大袈裟かつよくわからん感じにするために「傷付いたー」って言ってない?」はますます当たりなんじゃない?
そういう攻撃性や「ムカつく」という感情の背後、識閾下には深い悲しみがあることが多い。怒りはあくまで第二感情。その悲しみが意識されれば無駄に少女漫画に切れるというようなことも多分なくなる。
逆だと思うな。
怒り、「思い通りでないこと」に対する不満が全てで、悲しいって言うのは怒りの亜種だよね。
身内が死んでなく人は「ずっといてほしかったのにいなくなった」っていう現実に不満で泣いてるわけ。
ていうか感情を意識してないのは、そういうことをきちんと分析して考えることがなく「傷付いた」ですませる雑な人達の方では。
思考が雑な人の特徴は明瞭で、語彙が雑。あと辛抱して読む力がない。これは怠惰なのではなくてやろうとしても出来ない。
この文にしたってどの辺で少女漫画にキレてるのよ。
ちゃんとした読解力や洞察力ある人ならむしろ「こいつ相当少女漫画好きやろ」と気付く。
少女漫画というのは精神的快楽をすごい突き詰めて分析して再構築する勝負なのであんな面白いものはなかなかないし頭のよい人間が読むに足るコンテンツだから。
少女漫画の文法や約束を現実にそのまま適用しようとするのは毒されててキチガイじみてるからやめろと言うだけ。少女漫画自体は卑下してないだろ。
mozukuyummy 勝てると思ったおっさんに反撃されて血ぃドボドボにされたら傷つくのではないかな?
2020/09/08 リスト
それはどうだろうなー
ていうか反撃しとるのはこっちだし
ただああいうことって色んな状況を想定しながらその瞬間に全力で行くわけ
後から傷付いたとかゴニョゴニョいうならその瞬間に全力でやってみなとは思ってる
やっていくうちに慣れてくるし慣れてるからこその緩みとかも出たりする
勝つか負けるかじゃないんだよ
汗流して逃げてったおっさんも口から血がドボドボ出たおっさんもその体験をどうとらえるかは
別に毎回必ずやり返せとか言ってるんじゃなくてちゃんとやれと言いたいわけ
ムカついたけど考えたら自分にそんなに理はないなってときはやるべきではないしさ
そういうことをちゃんと考えずに全部「傷付いたー」
瞬間に全力で当たらずに後からぐずぐずぐずぐ「傷付いた―」
それは雑に生きてるだけじゃない?
「傷付いたー」って言ってるだけの人間がなんで自分をなんかとても繊細でよく考えてるかのように思い込めるのかがわからんのよね
「熟考したけどそんなんないやろ」って言葉を尽くして疑問を提起する人間が、
傷付いたとは何なのか説明もできないのになんでも傷付いたー処理のやつより粗雑って
そんなことあるか?
konikko 関係ないけど過去の暴力行為をペラペラ喋る奴はマジキチ認定されるからリアルでは言わないように気をつけてな!まともな奴は去ってマジキチとペテン師に取り囲まれるぞ。
2020/09/08
ak248 傷ついたと言ってまわる若い女はうざいのはよくわかる。アイツらは地雷。同時に静かに黙って色々なところで涙を流して悲しむ人がいるのも事実。人の心は自分にも他人にも正確にはわからない。
2020/09/08
それどっちも等しくアホちゃう?って思う
imash 傷心:悲しく思うこと
悲しいって要するに思い通りにならんて泣いてるだけで
大したこっちゃないよね
2020/09/08
むしろ傷付いた傷付いたっていうのを中学生ぐらいで学んで盛んに言うようになるじゃん?それやるのが好きな奴はさ
そんで大人になってもまだおんなじことをやってるんなら、
「本当にこのやり方は自分の人生を豊かにしてるか」って一度真剣に検討した方がいいと思うんだけどね
同じでしょ
たとえばはてなとかでよく見る、痴漢のおっさんのことずっと恨んでる女
曖昧な「傷付いた」よりずっと精度が高くて対処しやすく分解できてると思うけどなこれ
unigame 傷ついたことなくて増田よかったじゃん。そんないい人生歩んでる上に他人の事嘘つき呼ばわりして傷つけるとかマジ許せんな。お前それ新型コロナかかってないからって「新型コロナとかいうデマ」言う奴と同レベルやぞ
だから傷付けてるんじゃなくて怒らせてるんでしょ
ムカつく―!ってなってるだけやん
違うんならムカついてるのと傷付いてるのが厳然と違うってことを説明してみなよ
違わんからろくに反論も出来ずにムカつく――っ!キーーーーっ!ってなってるんでしょ
作品を受け取るとき、どのような経緯でその作品に出会うかは作品の中身より大事だと思います。
例えば、本屋が選んだベスト1の本と、親しい友人からおすすめされた本。
僕なら後者です。
しかし、できるだけ人から勧められて読むのではなく、自分が新しい畑を開拓したい。
何をするにしても人から勧められて始めるのではなく、自分が第一人者になり、人にすすめる側になりたい。
自分が読んで人に勧めた結果面白かったと言われたら自分まで肯定されている気がする。
たぶん僕がこじられて性格が曲がっているだけなのですが、自分が知らないうちに流行って自分がまるで取り残されているように感じてから聞いた曲はいくら聞いても好きになれません。
なんでこれが?って斜めから見てしまうのは自分が変な生き方をしているからだと思います。
例を上げていいものかわかりませんが、ドルチェ&ガッバーナの香水の曲も、自分が知らない間にみるみる流行してどこのどいつかもよく知りません。
ちゃんと聞いてみましたが、良さがわかりません。万人受けするから流行っているはずなのに自分には刺さりません。
対して、Official髭男dismはついこの間まで全く興味をそそられませんでした。流行っっているのは知っていたので手を出さないようにしてました。
しかし、コンフィデンスマンJPを見てから180°変わりました。やたら好きになったのです。
流行っているから聞く。みたいな曖昧な理由は自分の中ではNGが出ているのです。
コンフィデンスマンJPが面白いから、その主題歌だからという理由では自分の中でOKが出ます。
コンフィデンスマンJPを見た後に聞くOfficial髭男dismはコンフィデンスマンJPを見たことがないのに「ヒゲダンサイコー」とのたまっているミーハーどもを下に見ることができる気がします。
そもそもミーハーなやつが嫌いなのかもしれません。いや、ミーハーになるのが怖くて流行りものを避けているのかもしれません。
コンフィデンスマンJPを見るきっかけはミーハーの友人から勧められたのがありますが、結果的にとても良かったです。
いや、違うな。勧められてもしばらく見なかったのですが、テレビでやっているのを知り、映画版を録画していたのがきっかけでした。
そもそも好きな映画や音楽、漫画や本を人にすすめるという行為は自己開示だと思っています。
自分はこういう作品が好きだと人に伝えることは自分はこういう人間だと言っていることと同義なのではないでしょうか。
その作品を受け取り、摂取するとその人の感性が伺えます。少なくとも作品を受け取る前、後はおすすめしてくれた友人の顔が浮かびます。
好きな人が聞いていた音楽を久しぶりに聞くとその人を思い出すように。
対して、自分が新しく開拓した作品ならば自分のものになります。
人に勧められた作品をこれは自分も好きなどど言えるだろうか。果たして本当に自分が好きな作品なのだろうか。人に勧められたからその作品を見たのであって、内容が良いから好きなのだろうか。
一番ダメだと思っているのが世間的に「一番」流行っている曲、映画を自己紹介で書く行為は自分をあえて殺しているのだと思っています。
今、「一番」流行っているとされている物を自分が一番好きなものと言った時点で自分はそこにいないのです。
流行りものが好きな自分。つまり大勢の中に紛れてしまうただの人に成り下がる。
お笑いで言うなら、「EXIT」など第7世代と言われている芸人や「ミルクボーイ」がそれに当たると思います。
音楽で言うなら「米津玄師」「瑛人」「RADWIMPS」などがそう。
よく売れてない頃は好きで売れたら好きじゃなくなる心理がありますが、あれはまんまこのことだと思っていて、ボカロPの「ハチ」は好きだけど「米津玄師」はそうでもないがこれにあたります。
米津玄師も「MADHEADLOVE」あたりまでは好きでした。
アニソン総選挙があったみたいですが、LiSAが紅蓮華で2位だそうです。
LiSAは好きですが、流行っている紅蓮華はそうでもない。さらに鬼滅の刃も流行っているからという理由で見ましたが、全く楽しめませんでした。
流行っている流行っていないをさしおこうとして見ましたが、内容だけみても僕の感想は「面白くない」でした。(アニメ11話まで視聴しましたが、つまらなすぎて視聴をやめた)
僕にとってアニソン総選挙などと言うものは心底つまらなくて、アニメ好きが選んだアニソンには興味はないのです。
自分が好きなアニソンが好きなので順位をつけられて初めて知る曲でも自分は好きになれないと思います。
逆に自分が好きな曲がランクインしていないとなんでや!になるのでわざわざランキングしてしまうことは悪いことしか生まないと思ってしまいました。
AppleMusicが選んだウィークリーベストは全く信用していません。
自分の中では、得意分野と言うものがありその分野は譲れないというものがあると思います。僕は比較的映画には疎くて大した映画を見てこない人生でした。
そこでこれ面白いよ、と言われ見てみてもああ、これが面白い映画なのか。と思うだけで映画を得意分野とする人が勧めて自分はこれが面白いということか、と納得するのでWinWinです。
ところが得意分野同士ならどうでしょう。
自分よりもアニソンを聞いてこなかったであろう人からアニソンを勧められても刺さるでしょうか。しかも自分が知っているアニソンを勧められたらどうでしょうか。
自分が知っている好きなアニソンがどっかのランキングで上位に上がっているのをみると抱くこの気持ち、親元を離れる小鳥のようではないでしょうか。
Dアニメストアというオンデマンドサービスを利用しているのですが、そこで今日のアニメのランキングがあります。そこにあるアニメはすべて自分の好きなアニメではなく、不特定多数の一般が好きなアニメなのです。
見てみて面白いな、と思ってもそれは自分が選んだアニメではなく、人気のあるアニメなのです。
数ある中からいかにだれも見てないようなマイナーな中から自分好みなアニメを見つけられるかが自分さがしになるのではないでしょうか。
最近三月のパンタシアというグループの音楽をよく聞いています。
その中でも「街路、ライトの灯りだけ」という今日が異様に気に入りました。そんなこと言っている人は今の所周りにいません。これが良いのです。
検索すれば、同じようにこの曲が好きな人もいるかも知れませんが、それではだめなのです。自分じゃなくなってしまいます。
中学生の頃、好きな食べ物を書く欄に「みたらしだんご」と書いたことがあります。
その後、クラスに同じように「みたらしだんご」を書いた女子がいました。
その時点で僕の負けを感じました。今後「好きな食べ物はみたらしだんご」はそのクラスメイトのものです。
これを好きと公言できるラインが自分の中に知らぬうちに決められています。
ギャルと恐竜は漫画が連載されていた頃から読んでいたので好きと公言できます。アニメが始まった今も好きと堂々と言えます。
流行ってから見たソードアート・オンラインは好きと言えません。実際好きじゃないです。
LiSAはライブに言ったので好きと言えます。幻影ヲ駆ケル太陽を見ていた頃からLiSAが好きだったので好きと言えます。紅蓮華は言えません。
幻影ヲ駆ケル太陽はテレビで録画してみていたので好きです。ダエモル。
流行っているからと言って見たもので内容がよく感じたものはほぼない
最近SEKIROというPS4のゲームをしています。これはゲームオブザイヤーという名誉ある賞をとったすごいゲームだそうです。
ダクソライクというジャンルのゲームらしいのですが、全く触れたことがありませんでした。つまり専門分野外のゲーム。結果めっちゃおもしろい。
ただ、僕がこれおもしろゲームだよと布教するのは違います。僕の好きなゲームじゃないから。発売日に買ってないから。
最近、映画好きの友人からジョン・ウィックがおもしろいよと言われ見ました。面白かったです。洋画は全く専門外なのでおすすめを見ることに抵抗はありませんでした。
結果これが洋画の面白さなのか。と思ったくらいでちゃんと楽しめました。
ゲームでいうとFallGuysが流行っていますが、すでに遅いので出来ません。
PUBGは流行り始めのころやってましたが、Fortnite、荒野行動、APEXあたりはもうダメです。流行りすぎたから。
今度発売される3Dマリオコレクションは全部原作でクリア済みなので堂々と発売日に買おうと思います。
僕の生きにくそうなこだわりわかっていただけたでしょうか。
最後にもう一つ変な考え
流行りのワードを検索するとき、他にもたくさんの人が検索しているであろうからその中のひとりになるのが嫌なので検索を躊躇う。
周りと違うことをしたいことがすでに普通。
以上です。
振返ると、他人と自分の明らかな差分を、明らかな差分と認識できていなかった。自分を客観視できないわけじゃなく、人は人をどう見ているものなのか、普通とはどういうことなのか、の認識がゆるゆる。たとえるなら犬も猫もミニブタも、4本足で哺乳類だからおんなじだよね、みたいな非常に緩い境界で、かなり下位のものも許容範囲に入れてしまって、まあ及第点だろうと判断する価値観。さすがにトカゲは違うにきまってるじゃん、あれ爬虫類じゃん、という区別はつく。多分、昔はつかなかった。さらにその昔は、生きて動いてるから生物は全部同じくらいの価値観だったかもしれない。例えです。
小さい頃って自分の服装や髪形なんて気にならなくて、親が買ってきてくれたものをそのまま着るだろう?そしていつかはそれがダサいということに気付いて、自分で服を買いに行くようになる。
それは何歳くらいからなのか、なぜそういう意識が芽生えるのか、その判断は何を基準としているのか、は多分「普通」があって、それが早い人はおしゃれな人生を送るはずで、おそらく周囲からの指摘で、ああこれはダサいらしいなと気づいていくんだと思う。
それに気づかないと、俺みたいに中学生になってもパジャマみたいな恰好で街をうろうろすることになる。それに気づいたあとも、どう見られるのがよいか、を理解しておらず間違った方向性に走る。これはあるあるだと思うのでいいんだけど、さらに時がたっても、どうしたらよい方向に見られるか、がわからず混乱。別におしゃれじゃなくてもいいからダッサーと思われない、普通の格好がしたいんだけどそれがわからない。何かが違うことはわかるんだけど、何が違うかがわからない。
今思えば、服がしわしわとかよれよれとか、汗臭いとか足が臭いとかそういうところがもうヤバかったはずだし、ひげをそったことすらなかった気がする。
社会人になって私服を着る機会が減ったので一安心。とりあえず吊るしのスーツ着ておけばなんとかなるかなと思ってた。が、ワイシャツの生乾きとかそういう臭いに無頓着で、靴下も連続で履くなど、多分臭かった。なんで臭いって気づかなかったのか、いまだに謎。人ができる普通の格好ができない。
私服は洗濯の仕方がよくわからなくて、すぐ服がくしゃくしゃになってしまって買いなおしてた。くしゃくしゃの服を着ているのはよくない、ということは理解できたらしい。
その後、清潔感を高めれば多少の事は許される、という学習をしたのでワイシャツや靴下、下着は毎日変えるし、歯も朝晩は磨くようになった。ひとまず事なきを得て、社会人として生活できているが、40になって社会的地位が向上しても全身ノーブランドで腕時計もせず、毎日同じスーツと同じ靴を装備している。知識として、スーツは毎日異なるものを装着すべし、と聞いたことがある気はするし、革靴はなんかボロボロになってきたらまだ履ける状態でも変える、サイズがあってないスーツはカッコ悪いからセミオーダーメイドくらいする、ネクタイピンやカフスボタン的なものもこの世には存在する、という知識はある。王様の仕立て屋さんというマンガによるとその辺は基本も基本のキでそこから先になんかTOBだかOJTだかに合わせたなんちゃらのマナーなりセンスなり、こいつわかってるなという洗練の領域があるらしいけど何言ってるのか全然わからないし、それが普通なのかどうかがわからない。普通よりずいぶんと背伸びした上位2-3割の話だとしたら自分には関係ないし、世の中の大多数がわかってることだとしたらわかっておいたほうがいいんだと思う。多分関係ない方の話だと思う。
今は平均値の下限くらいに収まっているつもりだけど、これもあと5年10年くらいしたら、なんであの時俺はひとりであんな安いスーツやボロボロの格好をして何も恥ずかしくなかったんだと思う日が来るんだろうか。なんせ、ブランド物のなんちゃらとか、時計のよしあしとか、全くわからないから興味もわかない。
横だけど、わりと同感。
小学3年生のときSM雑誌を大量に見て、緊縛、肛門性交、露出調教などは言うに及ばず、四肢欠損愛、轢殺愛など数多くの性癖・フェティシズムを知ったけど、「フーン、世の中いろんな人がいるな」という感想を抱いただけで、長じた今もそうした欲求は何もない。SMはじめ各種の変態性愛自体に対する好意も悪意もなく、無関心といっていいと思う。
もともとその「素質」を持っていた子供が、ある表現に触れたときに「目覚める」のであって、それを促す作品は別に18禁とも限らないだろう(トラバにもそうしたことを言ってる人がいるな)。一種の運命だろう。まあだからといってなんでもかんでもあけっぴろげにすべきでもなかろう(中学生にみさくらを与えていいのかどうか)。個人的にゾーニングは必要だと思うけど、それは未成年に対する配慮というより、性表現に接するときは誰にも「さあエロを見るぞ」という心構えのためのワンクッションが必要なのではないかと考えるゆえである。
みさくらなんこつに対してはハースニールの検索汚染しやがってとちょっと思う。
(隙自語)
ひなどりの如くインプリンティングが行われたとか、あるいはみさくらなんこつの実際以上にハードな性表現が自分の性常識を狂わせた、という主張なのだと思いますが
中学生の時点でみさくらなんこつに興奮した時点であなたは十分狂っていた、という可能性もあるので、あなたの狂った性常識とみさくらなんこつの間に因果関係があると立証はできていません。
むしろ(自覚なく)狂っていたあなたは、もし中学生の時点でみさくらなんこつに出会っていなければ、自分の欲求を求めて果てしなくさまよい、犯罪に走っていた可能性すらあります。
ブレーキ効果のある前頭葉が、ある程度発達するまでは、制限しますよというものだと思う。
お酒やタバコのように、その年齢になった瞬間に、脳や体への悪影響が少なくなるわけではないが、法律的にはOKというか、自己判断でどうぞとなるだけ。
そもそも、制限されているのは、子供ではなく、販売する側の大人の方。
18禁のアダルトコンテンツも、法律や条例で制限しているのは、販売をする側の大人の方。
酒やタバコのように、18禁も、外ではおおっぴらにやっては駄目だと分かればいいのです、的なニュアンスで考えている人が多いようですが、
そうではなくて、実際に発展途上の子供の脳への影響が大きいからなのでは?
ただ、いくつになったら大丈夫なのかは医学的にもまだ解ってはいないと思う。
少なからず影響があると、人類が経験的に学んでそういう法律ができているのだと思うのです。
実際、前頭前皮質の成熟は20代後半まで進行すると言われていて、
だからこそ、若い人のほうが、いろんなことにチャレンジできるのですけどね。
そして、ブレーキがかけられずに犯罪を犯してしまうのは、この前頭葉がちゃんと発達しいないからとも言われるのです。
といっても、脳はまだまだ解明されていないのですから、実際はよく解ってはいないのですけどね。
あと、ラブドールは、オナホの延長で単なる製品だと思っている。
普通は中学生、高校生でこの同級生とセックスしたいという感情が芽生えるわけで、その感覚は大人になっても残るものだと思う。
ただ、大人になると状況的に接点もなくなるし、そもそも法律でも未成年との行為は禁止されている。
ここでいうセックスしたいは、単に性欲を満たしたいではなく、お互いに好きな関係だったり、お互いに気持ち良い状況を
中学生でみさくらなんこつに触れた結果、みさくらなんこつ系の激しい(婉曲表現)エロでないと抜けなくなったので、「子供だった当時18禁をみていたので今の子供たちも18禁じゃんじゃん見てほしい」とは言いにくい。現実にはあんな喘ぎ方する女も男も居ない…。
【追記】
https://anond.hatelabo.jp/20200906063519
ソースソースうるせえわボケ!調べりゃ出てくる言うとるやんけ!
まあ俺が参考にしたやつはブコメの人が書いてくれてるんだけれども。
それを見たうえで、疑似相関では?とか因果関係が逆では?とかそういう感想は当然でてくると思うのよね。俺も思った。
元増田も指摘しているとおり、どの程度のポルノが、どんな行動にどう影響しているかまではわからないというのも間違いない。
でもその段階ではまだただの感想で、論拠にするならさらに踏み込んだ調査が必要になるよね。俺には見つらなかった。
元増田のトップブコメが揃いも揃って何か言ってるようで何も言ってないふわふわブコメばっかりで。ああ、これは俺がかつて嫌いだった大人達だ。と思ったんだ。
だから、真面目に聞いて、真面目に考えて、真面目に答えようとする大人もいると知ってほしかった。その内容が本当に正しいかは別として。
俺は正直ゾーニングなんていらないんじゃね派だったんだけれども、調べてはじめて「あ、これ必要なのかも」ってなった。
大人になってからも学ぶことはたくさんあって、そのためにはやっぱりまずは自分で調べるというのは大事だよな。
とはいえ俺もインターネットで検索しただけのただのおっさんなので、本当に詳しい人がいたらぜひ教えてほしいし、教えてあげてほしい。
【追記の終わり】
まずポルノが青少年に与える影響については1000人規模のきちんとした調査研究がある。
その結果、事実として、露骨な性表現を伴うメディアに接触する機会が多い青少年は、セックスする確率が高く、またその年齢も低くなる傾向にある。
さらに、肛門性交やアルコール、ドラッグを伴う危険な性行為、性行為の強要なんかも増える。
これらは数パーセントとかではなく、数倍のレベルで違う。調べれば出てくるのでぜひ調べてほしい。
どうだろう、何かしら規制しないとまずいんじゃないの?っていう人の気持ちもわかってもらえるだろうか。
ゾーニングというのは今言ったような悪影響の話、それと児童虐待防止の観点からも必要だと言われている。
あなたや周りの人は大丈夫かもしれない。でも今見ている18禁コンテンツを、中学生に見せても何の問題もないと自信をもって言えるだろうか?小学生なら?幼稚園児なら?
トラウマになるようなものも含まれているんじゃないか?そして子供にそういうコンテンツを見せることを快楽だと感じる大人もいる。
だからそういうコンテンツは見せたらいけないよ、と提供側を規制する。これがゾーニング。
何歳から良いのかっていうはとても難しくて、なんでかっていうと肉体や精神の発達というのは人それぞれ違う。
日本では18や15という数字が設定されているだけで、それは国によって違ったりする
これはあなたのためではなく、広く子供全体のため、もっというと、社会のためのものだ。
だからあなたが、私には必要ない、と感じることと全く矛盾はしない。
そういうわけでコンテンツ提供側は君ら子供に対して「俺は見るなって言ったかんね!」っという意味で18歳以上ボタンを設置する。
条例なんかでは「見せるな」って言ってるだけで「見るな」とは言ってないんだから、あなたは自身を持って「18歳以上です」のボタンをクリックもしくはタップすれば良い。
悪いのは雑なゾーニングをするほうだ。
我々大人も「18歳以上です」のボタンを押して育ってきた。それで悪影響はなかったのかというと、おそらく、あったんだと思う。
人ひとりへの影響を観測することは限りなく不可能に近い。ポルノに触れなかった私はこの世に存在しないからだ。
しかし統計的な調査が影響を報告している以上、私が特別だと思うよりは、私も影響を受けたと考えるほうが自然だろう。
そのうえで、私自身のお気持ちも唱えておこう。きちんとした大人とは事実とお気持ちをしっかり分けて、お気持ちはお気持ちではっきりと伝えることができる者なのだ。
まず、ゾーニング自体は必要である。しかしそれは精神の未成熟な児童のためのものであって、ポルノや変態性欲に嫌悪感をもつ狭量な大人のためのものではない。
そしてゾーニングは、興味を持った児童が勇気をだせば踏み越えられる程度の壁でよい。その勇気を持った時点で、該当のポルノに接する精神の準備が持てたものと私は考える。
そして壁の向こうでは、ロリコンもショタコンも死姦も獣姦も人形姦もあらゆるポルノが、貴賤なく、自由に平等に存在するべきである。けっして気持ち悪いなどという理由で更なる壁を作るべきではない。利便性の面から属性は表示すべきとは思うが、義務ではないだろう。
件のお人形遊びについては、特段ゾーニングをするほどの露骨なポルノではないと私は考える。嫌悪感のみでゾーニングするべきではない。
この速度なら言える。
小学生から中学生にかけて似たような経験をしているので俺もしゃべってしまおう。
まず前提として俺は他人に命令されたら絶対に断れないタイプのか弱い男の子だったということを念頭に置いて読んで欲しい。
お前は氏ねと言われたら本当に氏ぬのかとよく親に怒られていた。
また子供の頃は自我というものがほとんどなく、あのおもちゃが欲しいと初めて言ったときは親にすごく喜ばれたと聞いた。
女の子みたいな体だったという自覚はないが中学のときに女子の先輩に体を入れ替わって欲しいと何人かに言われたことがある。
前提はここまでだ。
それでは始めよう。
小学1年の頃
プールで着替えるとき一緒に行った近所のお姉さんに連れられて女子更衣室で着替えさせられるが、服を脱いだのになかなか海水パンツを渡してもらえないという意地悪をされ周りの人にずっとちんちんを見られ続けるという羞恥プレイをさせられる。
周りの人は助けてくれるわけでもなく興味深い目でじろじろと見られていたのを覚えている。
小学2年の頃
クラスでスカートめくりと抱き付きが流行り先生に盛大に俺だけ怒られ1日女装させられる。よく考えたら他の先生が誰も止めなかったというのはどうなのか。
授業中にお漏らしをして羞恥プレイを自爆する。これは自分が行かなかったのが悪いのである意味仕方ない。
小学3年の頃
親の知人宅に預けられたとき1年から6年生くらいのその家と近所の女の子たちと男俺ひとりで脱衣カードゲームをしたが、自分が弱かったのかハメられたのか自分だけ全裸にされ大人たちが帰って来るまでずっとそのままの格好で家で遊ぶという羞恥プレイをさせられる。
トイレに行くときも年上の女の子が付いてきてトイレットペーパーで拭いてくれたのを覚えている。
また別の家では年下の男の子に服を脱ぐように命令されてそのままの格好で住宅街を通って近所の児童公園に連れて行かれるが偶然誰にも会わなかったため事件にはならなかった。
家族と海水浴で横になって砂に埋められるという遊びをしていたとき、偶然居合わせたクラスの女子二人が来て一緒に俺を埋めてくれていたのだが、途中で海水パンツの中に手を入れてちんちんを触りまくられるという痴漢プレイをされる。
抵抗しようとすると親に動くなと言われたので最後までされるがままに我慢した。もちろん何があったのかは言っていない。二人が狂気の目で楽しそうにいじってた。
小学4年の頃
校舎裏でクラスの男女と脱衣じゃんけんをしてこれも簡単に裸にされてしまう。記憶が定かではないが次に出すのは何か言わされてたような気がする。
小学6年の頃
教室でパンツを脱がされるなどの性的いじめに定期的にあうようになる。
中学の頃
卒業するまでいじめにあうが肉体的なものではなく教室や校舎裏で服を脱がされたり脱ぐように命令されたり全裸歩行させられるなどの性的ないじめが多かった。
女子の間でも部活の先輩に謝罪するときは部室で全裸正座させられたと言っていたのでそういう意識の学校だったのかもしれない。
そして。
記憶を辿ってみても高校以降学生時代はとくに何かあったということはないと思っている。
その頃からだんだんと自我が出てきて自分のやりたいことをやるようになったと親から聞いた。
ちょっと魂が遅れてきた感じ。やあ、俺。
無感動な性格が幸いしたのか俺の場合はとくに他人を恐怖に感じたりということはそれほどなく普通に暮らしている。
もちろん今でもチンピラとすれ違うときは怖いけどこれはみんな同じだよね。
ただこのような経験が影響しているのか分からないけど当時のことを思い出してしまうので性癖がかなり歪んでいる。
ここには書いていないこともあるのでそっちが原因かもしれないけど。
そして社会人になってそれを自覚するようになってからまた事件は起きる。
満員電車に乗っていると女子中学生や女子高生が股間をすりつけてくるという事件が起きるようになる。
顔は覚えてないけど目立つ制服だったのでそれが同じ学校だということだけは分かった。
転勤で東京を離れてそれは終わったんだけどあれは何だったのだろうか。
自分が子供の頃、いわゆる「ロリもの」は割とありふれていて、18歳以上ですか?なんて質問に答えるまでもなく目に入ってくるものだった。パロディ動画とかもたくさんあった。まあ元増田とは世代が全然違うと思うけど。
だからといって影響を受けて実際にどうこうというわけではないが、「ロリコン」という言葉は割と身近で気軽に使われていたし、中学生くらいまでは「超年の差カップルいいじゃん、年上の人って憧れるな」くらいの気持ちはあった。あの子が高校生と付き合ったとかその子が大学生と付き合ったとか、そういう話はいつもどこかでされていた。
私は運良く10も20も年下の未成年に手を出すような大人には出逢わなかったけれど、成人した今10歳下の子供たちを見ると、この子達に「君はもうちゃんとした大人だ」とか「君を尊重してるんだ」とか言って手を出すことの醜悪さというのはとてつもないなと思う。
子供だった私は18歳以上ですか?の質問に「はい」と答えることもあったし、そんなんで子供をブロックできると思ってんのか!って言うのは本当に賛成なんだけど、だからこそ子供には「あなたを性的に見てくるひとが、必ずしもあなたを尊重したり大人扱いしているわけじゃない」ってことをわかりやすく教えておかないといけないんじゃないかな。
自分が5歳くらい、物心はつくも常識も分別もないころ、兄と姉は中学生〜小学高学年になっており、幼稚園〜小学低学年の自分は散々馬鹿にされた。
漢字が読めない、言葉を間違える、バカだから遊びにも連れていけない、バカだから話しかけても無駄だと思われる、家族旅行でも自分にスケジュールや遊びを合わせなくちゃいけないから邪魔だと言われる、晩御飯が足りないのはお前のせい、お前がいるせいで面倒を見なくてはいけないなど言われ、毎日毎日生きづらさを感じていた。
自分がこういう不遇な目に合うのは自分が末っ子だからだと思い、欲しくもないのに両親に弟か妹が欲しいとせがんだ。
一年後、年の離れた弟が生まれ、弟を世話することでなのか、姉と兄のターゲットは変わり、攻撃はすぐになくなった。
自分がせがんだのがきっかけだったのかは分からないが、もしそうだとしたら、こんなつまらない理由で生まれてきた弟に申し訳なく思う。
女性に対する性的暴行のニュースを見ると自分のことのようで心が痛みます。
自分の経験を元に、男性の被害実態も知ってほしくて書いてみました。
男性の被害は声を上げづらいと思うので、こういうときに匿名サービスがあるのは本当に助かります。
大きく分けて3回。
最初の被害は小学校1年生のとき、5つ年の離れた姉によるものでした。
食べ物やさんごっこと題して、姉がお客さん役、自分が食べ物役でした。
姉は食べ進むたびにわたしの服を脱がせ、最後に裸になった時点で食べ終わったことにして終わります。
親は共働きで日中家にいませんでしたので、姉と二人での留守番の間、1日に数回、1ヶ月ほど続きました。
なんとなく恥ずかしい感じはありましたが、そういう遊びだと姉に言われれば従わざるを得ませんでした。
おそらくは姉が異性に対して興味を持ちはじめて、手っ取り早く年の離れた弟で色々と試してみたかったのだと思います。
これが性的虐待だったと気がついたのは大分経ってからになります。
性別を入れ替えてみればこれが性的虐待だということは明らかです。
姉はいま海外に住んでいるので会う機会が少なく、たまにあっても当たり障りのない会話しかしません。
姉が当時のことを覚えているかわかりませんが、結局これを訴えたところで何かが変わるわけではないので、おそらく今の当たり障りのない関係が死ぬまで続くのだと思います。
次の被害は小学校5年生のとき、民間のスキー合宿に参加したときのことでした。
夜、寝ているときに股間がムズムズするので目が覚めると、スキーの男性講師が隣に横たわり、こちらのズボンに手を入れて局部を触っていました。
こちらが目を覚ますと「成長具合を確かめていたんだよ」といったようなことを言っていたように記憶しています。
そういうものなのかなと思いつつ、トイレに行きたいといってその場を離れ、(実際に尿意があった)戻るといなくなっていました。
これについても、これが痴漢行為だったと気がついたのはずっとあとになってからでした。
当時はそういうものなのかなと思い込み、特に誰かに告げ口をするようなことはありませんでした。
都内の学校に通っていましたが、使っている路線は有数の混雑列車で、ラッシュ時には全く身動きが取れなくなります。
そんなとき、いつからか50を過ぎたくらいの細身の、よれよれなスーツをきたおじさんがいつも横にいることに気が付きました。
最初はただ横にいるだけでしたが、だんだんと体の向きが変わり、そのうち股間を押し付けてくるようになりました。
しかし、相手はただ股間を押し付けているだけ。証拠が残るわけでもなく、声を上げることははばかられました。
被害に合わなければいいと、乗車位置や時間を色々と変えてみましたが、どこで見張られていたのかわからないまま、いつのまにかそのおじさんは自分のすぐ近くにいました。
この、大したことではないけども受け入れるわけにも逃げることもできない状況は大きくストレスになりました。
その後、学校を遅刻する時間になればいなくなることがわかり、学校に説明できないまま遅刻を繰り返しているうちにいなくなりました。
ただし遅刻の理由はだれにも相談できず、成績と評価は大きく下がりました。
これが痴漢というものなのかと自覚したと同時に、過去2つの事件も同じく性的虐待だったのではないかという疑念が沸き起こりました。
それと同時に、性への猛烈な嫌悪感が湧き上がりました。
思春期のど真ん中にありながら、この日を堺に、自分は人間不信と過剰な男性嫌悪に陥ります。
とにかく男性が近くにいること、肌が触れることが嫌で嫌で仕方なくなりました。
加害男性と他の男性は違うということを頭で理解していても、体からの拒否感を説得することは不可能でした。
年頃になって周囲から性的な話が始まると、猛烈な嫌悪感からその輪には入ることはできず、テレビにニューハーフといった男性を性の対象としている男性が登場すると、まともに目を向けることができなくなるほどでした。
いわゆる正常な恋愛のアプローチによって性的な行為に至ったわけではなく、こちらの意図しない状況で、しかも同性から性的なアプローチを強要されるということは、次のような副作用をもたらします。
「同性を嫌悪感とともに見るときに、必ず性的な被害にあったときのことを思い出す」というものです。
これはつまり、1日に締める「性的な思考」を考える時間の割合がかなり高くなってしまうことを意味します。
嫌悪であれ、好意的であれ、常に「性的な思考」が意識にあるわけです。
言い換えれば、「性的な思考」から逃れられない状況にあると言えます。
私自身は、幼少期の性的虐待の一番の被害とは、身体的・精神的な痛み以上に、この部分にあると思っています。
街を歩く女性を見ても性の対象にしか見れないばかりか、男性でさえも、加害者としての性の対象として見えてしまいます。
とにかく、通行人すべてがポジティブであれネガティブであれ、「性の対象」としか見えないのです。
そうした自分の思考の傾向とも向き合えるようになり、人間不信と男性嫌悪はかなり和らいだと思っていますが、それでも会話の節々で、湧き上がる思いと、実際に返すべき言葉をひねり出すまでにどうしてもワンテンポ遅れが生じてしまいます。
自己診断ではありますが、おそらく今の自分はセックス依存症です。
何もセックスを実際にしているわけではありません。性的な思考から逃れることができないという意味においてです。
未だに、異性を性の対象としか見ることができず、日々、すれ違う人にそうした視線を送って不快感を与えないよう自らを抑えつける毎日を送っています。
思考の呪縛から逃れる術がないのです。笑い事ではなく、十分すぎるほどに生活への支障をきたしているのが現実です。
幼少期、性的な刺激を正しい恋愛のアプローチによって得られていたら違っていたかもしれません。
自分が加害者にならないように、産業のお世話になっている状況ではありますが、自らに対する嫌悪感でいつも死ぬことばかりを考えてしまいます。
世の中の被害にあわれている方々から比べれば、自分があってきたことなんてなんでもないことかもしれません。
だけど、こうして一生背負って苦しんでいる人間がいることも事実です。
自分の脳からその時の記憶だけすっぽりと抜き出してくれれば、どれだけ生きやすい世の中になるだろうと思います。
性的なことを意識せずに色々な人と会話ができたらどれだけ楽しいだろうと思います。
肉体的にも成長して、高校生になってからはそうした被害は皆無になりました。
そう考えれば、やはり性的な被害は、反抗を受けづらい弱者が対象になるのは否めないと思います。
また、ちょっとした好奇心を満たしたいだけという思いから、気軽に手を染める人間も少なくないと思います。
でも、加害者にとってちょっとした好奇心でしかなくても、被害者にしてみれば一生尾を引く問題に十分になりえるのが現実です。
たったこれだけのことで?
あなたにとってたったこれだけのことが、わたしにとっては人生を大きく変えるのに十分な出来事だったのです。
被害者視点から、もし、そうした加害者になるべき人間のちょっとした好奇心を満たすことができるなら、個人的には非実在少年少女にて解消できる環境は必要なのではないかと思っています。
そうしたことに反対している人は、実際に被害にあったことがあるのでしょうか。
そうした存在があれば、自分がそうした好奇心を満たす対象として消費されてしまうことを回避できたのではないかと思うと、心がざわつくことを止めることができません。
話が脱線してしまったかもしれませんが、それでも、こうした被害者が一人でも減ることを目的に議論が進んでくれることを願います。
今日みたいな終わりかけの夏を感じる晴れた日はどこかしんみりとした気持ちになってしまう。
女子校あるあるなのだが、みんな「好きな先輩」がいて靴箱経由でお手紙交換したり、バレンタインには気合を入れてお菓子を渡したりしていた。
上下関係が厳しく、上級生の廊下、ましてや教室まで行くのはタブーとされており、階段や廊下で同じ部活の先輩に会ったら通り過ぎるまでお辞儀をし続ける、そんな「伝統」のある女子校だった。
私はハンドボール部の日焼けした肌と切れ長一重のショートカットの先輩が好きだった。
運動神経抜群な先輩の体育の授業をひと目見ようと休み時間ギリギリまで粘って校庭を眺めたり、先輩が生徒会に入るという噂を聞けば立候補したりした。(結局ただの噂で先輩は生徒会に入らなかった)
今では先輩のプロフィールなんてほとんど覚えていないが、長めの前髪から覗く目と視線が合ったときのドキドキは今思い返しただけでも心がキュルンとする。
2年ぐらい片思いを続けた私が中3、先輩が高2のときのバレンタインには張り切ってブラウニーを作り、かわいいラッピングをして先輩の移動教室のルートを把握した上で、待ち伏せして渡した。
すると1ヶ月後のホワイトデーにお返しとしてプーさんのマグカップをもらったのだ。
中学生の身分からすると千円以上するものを買うなんてすごい買い物だったし、先輩から形の残る、しっかりとしたプレゼントをもらった私はクラスのみんなから羨ましがられ、だいぶ誇らしい気持ちになった。
このマグカップは家宝にしようと強く心に誓い、大切にしすぎて実際に箱から出して使ったのは自分が大学生になってからだった。
その後、私は高校を卒業する前に転校してしまい、先輩とはそれっきりになってしまったのだが実家に帰ってプーさんのマグカップを見るたびにふわふわと心がくすぐられるような気持ちに浸っている。
いつかこのマグカップが割れてしまったら私の中のこの小さな思い出も消えてしまいそうで、考えただけで涙が出そうになる。
先輩への好きという気持ちは未だにあるけれど、思い出の中の先輩が好きだから今会ってもきっと何も話せず、もやっとした気持ちになるのがわかっているからFacebookも検索したことがない。
あのボーイッシュな先輩が髪を伸ばして母親などしてたらきっとそれはもう私の知っている先輩じゃないだろうなぁと思いつつ、元気にしているのかなぁと淡い気持ちを思い出している。
先輩が悲しい気持ちになっているときがあれば、どこかで私のような人がいつもあなたの幸せを願っていることが通じるといいなぁと思って晩夏の空を眺めてる。
※一部汚い話になるので注意
きっかけはダイエットだったんだけど、もっと根本的な原因があったんだと思う。
よく摂食障害は母親との関係が原因とか言われてて、認めたくないけど本当かもしれん。
自分は母とわりと仲がいい方だと思ってたし幸いお金に困るような家庭じゃない。だけど小学生の頃、やたらと私の体型をいじってきた。お尻大きいとか、足太いとか。今思うといたって普通体型だったし写真を見てもそう思う。むしろ他の子より痩せてるくらい。でも母の言うことを気にして、小5くらいからカロリー計算を始めた。小学生のくせに食べ物とか栄養にやたら詳しいっていう(笑)
中学生になったらもっと気にして、減量を始めたら面白いほど落ちて、気付いたら自分でも引くほど痩せてた。数字よりも体の脂肪が嫌で、そのことを考えるとものが食べられなかった。ガリガリになった私を見て母親は「ちょっと痩せすぎちゃっただけだよね?もう少し食べなさい。」と言った。そのことに何故かイライラして部屋で泣いた。30kgしかないの知ってるくせに。
高校進学して過食症に転じてしまってからは食べる量がめちゃくちゃ増えて体重も戻った。ある日私が食べたパンの包装(ゴミ)を見て母は「またこんなもん食べてる!だからブクブク太るんだよ」って言ったんだ。その日を境に吐くようになった。
半年かそれくらい続いた。最初はもうあれもこれも食べたい!って頭がいっぱいで、とにかく好きなものを食べた。1日の終わりにはいろんな人に申し訳なく思って泣いて、そのくせ翌朝はまた食べ物のこと考えてた。自分じゃセーブできない。歯も心配で必要以上に磨いていた。(止めれば済む話なのに)
とはいえ何故かだんだん飽きてきて、食べたいものがなくなってった。あんなに食べたかったのに、もうめんどくさかった。脳が、受験勉強の方がやばいよって思ったのかも。進学校だったし周りに負けたくなくて勉強に集中した。
運良く大学に進学した今では本当に不思議なくらい食べ物への執着がない。カロリー計算もしようと思えばできるけど、前みたいに無意識にできない。
自分がなんで摂食障害だったのかすらわからないし、もう戻らないだろうと思っている。完治はしない病気と言われているが、私はもう二度とあんな風にならないというか、なれない。正直、摂食障害患ってたときはすごく頑張ってた。勉強も部活も何もかも頑張ってた。今はあの頃に比べたら怠けすぎて無理だ。だからああはなれない。無理に食べないようにするのも、異常なほど食べるのも吐くのも泣くのもすごく疲れる。
Twitterには長く苦しんでる人の声が沢山あって、偶にそういったツイートがバズるたびに少しだけ思い出してしまう。自分はあくまでギリギリ引き返せただけだから、もっと苦しんでる人たちの痛みはどれほどのものかと考えると泣きそうになる。彼らのほうが泣きたいはずなのに。
成人してからやっと母と喧嘩もできるようになって、その精神性というか人間性がやっとわかってきた。私に言われたくないだろうけど、子供のままなんだなって思った。
そういう意味でも反抗期ってあったほうが絶対いいやつやん〜親は完璧じゃないし完璧を求めちゃいけないんだって早く気づくべきだった。
まーでもあの頃は親が全てだったから無理か。
長くてすまん
読んでくれた人(もしいたら)ありがとう
今年のペラコンはひどい。
オープン参加になってどこかの専門学校が課題にしたのか、ゴミみたいな、企画書の体すらなしていない紙切れがわんさか。
こんなのプリントアウトして持ってこられたらその場で紙ヒコーキにするレベル。
こりゃゲームの神様が「業界から消えろ」って吠えるのも無理ない。
で、それを見た専門学生さんたちは「業界人たちは若者に厳しすぎる」と萎縮気味。
うーん、どっちの気持ちもわかるなあ。
試しにペラコン関連のツイートをしている学生さんらしき人たちのプロフやツイートを見て回ったら、みんなゲーム好きだねーって印象。
プロフィールにゲームタイトルを羅列して、好きなゲームはこれです!みたいなアピールが多くて多くて。
まあ、わかるよー。
ただまあそんな出来損ないの企画案に「業界から消えろ」って有無を言わさず突っ放すのもかわいそうな気もするので、クソみたいな底辺ゲーム専門学校からゲーム会社に就職してなんとか20年以上生き残ってる自分から、底辺な専門学生さんにアドバイスしてみようと思います。
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(1)まずはゲームをやめよう
君がゲームで遊んでいても「ゲーム会社に入りたい」という目的には一歩も近づかない。
来年から親に頼み込んでプロゲーマーの専門学校に入れてもらうんだ。
瓶の中で船の模型を組み立てられるくらいの根気があればきっとプロゲーマーになれるはずだ。
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(2)努力をやめよう
大好きなゲームをやめて、頑張ってコードを描く、頑張って絵を描く、頑張ってアイデアをためる。
それがまず第一歩だ。
で、しばらくして一息ついたときに「あー、俺・私、頑張ってるなー」と思った君。
努力してゲーム会社に入れたとしても数年でドロップアウトして他の仕事をしているだろう。
もしいまゲーム会社で働いている人が君と同じ立場だったら寝る間も惜しんで作業を進めてるだろう。
なぜなら「モノ作り」が好きだから。
有名なスポーツ選手が小中学生から「何を頑張ったらいいですか?」って聞かれたら
「そのスポーツを好きになってください」って答えるだろう?
「ゲーム作りを好きになる才能」がある人は頑張ろうと思わなくても頑張れる。
自身を省みて「やっぱり自分はゲームで遊んでる方が好きなのかも」と思った君。
ゲーム会社に入ることは諦めてゲーム配信YouTuberを目指そう。
1円玉ドミノでギネスを更新するくらいの根気があればきっと有名なYoutuberになれるはずだ。
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(3)作りきろう
ここまでたどり着いた君はクリエイターの素質がある。
プログラマーコースの君は、よく言われることだが作品を完成させることが重要だ。
夢で広がった大風呂敷はきれいに畳んで、現実的に作れるものを作っていこう。
最初はまんまテトリスをコピーしてそれに1アイデアプラスするくらいのレベルでもいい。
個人的にはチーム製作ではなく、かつミドルエンジンを使わないC/C++でスキルを磨いたほうがいいんじゃないかとは思うけど、今はそんなご時世でもないのかな。
いつまでもファンタジーキャラクターばっかり描いてないで、おっさんや婆さんも描くんだ。
人物を描いたら背景も描くんだ。自然物を描いたら人工物も描くんだ。
苦手を克服して得意なものを伸ばしていこう。
おそらくみんな「自分はゲーム作りが好きなんじゃなくてゲームプレイが好き」って気づいて、プロゲーマーになる準備を始めているはずだ。
もし「そんなことはない!俺・私はゲーム作りがしたいんだ!」っていうプランナー志望の人がいるなら、逆に聞きたい。
プランナーコースが掃き溜めなのは、自分の経験からもわかるし、有名な鈴木みそ先生の「オールナイトライブ」(ゲーム専門学校から見た風景)が真実だ。
でも、もし、そんな掃き溜めにも本気でゲーム会社を目指しているやる気のある生徒さんもいるのなら━━━━。
・ツクールでもスクラッチでも何でもいいからとにかくゲームを作れ
ゲーム作りへの情熱はあるんだろう?プログラムは捨てたくせに。
だったら、どんなツールでもいいから1個でもゲームを完成させろ。
「僕の壮大なゲーム企画はスクラッチじゃ表現できない?」うるせーばーか。
だったら、プロットや設定だけで満足する中学生は卒業してゲームに落とし込め。
紙と鉛筆がありゃできるぞ。
・企画書は、、、頑張らなくていい
そもそも、君たちが考えるアイデアでプロが「おおっ!」ってなることは殆どない。
企画書はアイデアよりもプレゼン能力が重要になってくるし、恐らく君たちを教えてる学校の先生もその能力は低い。
ぶっちゃけペラコンみたいにペライチでまとめるのはゲーム会社で働いてるプランナーでも全然できない人もいる。
とはいえ、壮大な20ページにも及ぶ企画書は、そこに注ぐ情熱も印刷する神も無駄だ。
多くても5ページ。だらだらと設定を書いてる時間があったら別のネタを考えろ。
この「企画書のページを削るスキル」はゲーム会社に入ってから身につけても遅くない。
それよりもネタを出せ。
そしてそれをどう相手に伝えるかを考えろ。
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とまあこんな感じ。
よく言われるけど「ゲーム好き」かどうかよりも「ゲーム作りが好き」かどうかが重要で、前者なのにゲーム専門学校に居てカスみたいな企画書でペラコンに参加した人はゲーム配信Youtuberを目指しましょう。
整形手術で二重まぶたにした中学生が一部で話題だ。母親は手術ではなく、一重のあなたも素敵だよというべきだったとかいう意見があった。
ねえこれトランスジェンダーの中学生にも同じこと言うの?「オカン私トランスジェンダーやねん。この体じゃ無理すぎて学校も行きたくないし病む」と言ってきた娘に、今の性別のあなたも素敵よ、とか言うの?一気に「わかってない親」認定されそうじゃん
トランスジェンダーと整形、なぜこうも違うのか。顔は生まれたままでなきゃダメで、性別は生まれたままじゃなくてもいいって?でも歯は生まれたままじゃなくてもオーケー。よくわからん
当時中学生だった自分はさっぱり『愛国者達』の意味が分からなかった
その頃の自分にとって愛国者という言葉は、黒塗りで街宣車を乗り回す変な人達であって、現実がまるで見えていない、ちょっと可愛そうな人達というイメージだった。そんな影の権力を持つ結社の名前として、あまりにもダサく感じられた。
しかしナショナル・アイデンティティの高まりに伴って、今ではアメリカの歴史の裏側に『愛国者達』が存在し隠然と影響力を行使してきた、という設定を違和感なく受け入れることができる。これはもちろん「フィクションの設定」として、ということであり、現実にどうかではない。
ただ、2001年の当時は、なぜ黒幕として『愛国者達』という言葉を当てたのかが分からなかったのが、今ではよく理解できるようになったのだ。