「ハードカバー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ハードカバーとは

2014-11-20

全ては承認欲求の為に

承認欲求を満たすために、この文章を書いている。

最近では全てが承認欲求の為ではないかと思うようになってしまった。自分の一挙手一投足が承認欲求の為だと思えてならず、意識する度に死にたくなる。

好きな作家の新刊を手に取る。恐らくこれはSNS感想をアップして感情を共有し、承認欲求を満たすための行動なのだろう。そもそも好きな作家というもの承認欲求から来たものだ。「新刊買いました!」とでもtwitterでつぶやけば、エゴサーチをしている作者にfavoriteしてもらえるのだ。2000円足らずのハードカバーで1fav。なんて安い出費だろう。そしてそういう思考が頭をよぎったことに気が付き、本を棚に戻す。買ったとしてもどうせ読まないのだ。購入報告の1favで、きっと私は満足してしまうから感想を共有するなんて面倒ことをしなくても、承認欲求は満たせる。

そういう思考をしている限り承認欲求が満たされることはないし、一生本を買い続ける生活をするだけで終わるんだろう。そして「満たされない!満たされない!」と叫びながら死ぬ。なんて無様な人生だ。承認欲求がある限り、そのくびきからは逃れられない。首をくくりたい。今すぐ死んでしまいたい。でもその自殺という行為すらも、憎むべき承認欲求を満たすための行為であることに気が付いて、ロープを結ぶことすらも出来ない。

承認欲求がある限り、全ての行動は承認欲求を満たすために行われる。全ての感情承認欲求を満たすためにある。こんな唾棄すべき人生、どうすればいいのだろうか?きっと、一生こうして半匿名のような形で、承認欲求を満たしていくしかないのだ。ガス抜きするしかないのだ。あー死にたい承認欲求を満たして死にたい戦争か、シリアにでも行けば救われるのか。

2014-10-12

コーチャンフォー若葉台店雑感

マララさん本が3タイトル、地味ながら面陳で並んでましてね。

とりあえず並べてみた感まんさいながら

やれることはやっとる姿勢の健闘はたたえられるべき、

と思いました。

レベル的には

・1タイトルも1冊も在庫がない

・なんかたしか1冊、棚にさしてあるかも

ラッキー人文台に5冊まるっと残ってた

ストッカー探したけど返品しちゃったんだよなー

などなど

いろんなお店があるなか

複数タイトル在庫

まがりなりにも複数冊あるのは

開店時の取次みはからいも馬鹿にしたもんじゃないっすな。

というか、商圏の文化的不毛度との見合いで折り合っていくのが

地元になじんでいく」ということなのであれば

1年後には人文系ハードカバーをどのぐらい置いておけるか、は

商売というよりは意地の世界なわけで

  多摩センターの丸ジュンも、聖蹟アカデミアも、立川オリオン

  それぞれに・それぞれの棚の個性

  置く

  と決めたタイトルは硬かろうが高かろうが

  並んでいる。

  そして

  そのことこそが書店ファンにとっての心のよりどころなわけですが。

そう考えてみると

床面積では圧倒しているとはい

北海道コーナー」にせよ、なんか派手な多面出しにせよ

過去ノウハウしかなく

いま、マララさん本をどう出すか、というあたりが

「生鮮品としての書籍売り」の腕の見せどころで

そういう意味では「ふつー」やなあ、と。

2014-08-19

独身サラリーマンの盆休みありがちなこと

普段あくせく働いているのにお盆からといって半強制的にまとまった休みをとらされるのも考えもんである

妻子持ちは帰省彼女のいる奴らは海だのBBQだの…。独り身かつ彼女もいない俺はめちゃくちゃ時間を持て余す。

まぁ休みだしと朝方までテレビをダラダラ見ながらうとうとして昼過ぎに起きて近所のラーメン屋で半ライス餃子ラーメン漫画読みながら食らう。

本屋立ち読みしてまぁ休みだしと普段読みもしないハードカバーを買って茶店で煙草ぷかぷかしながら本を読む。

……さて、いよいよやる事なくなってきた…家に帰ってワイドショー見ながら昼寝………嗚呼時間を持て余すなぁと思っていたところで、似たような境遇の旧友からLINE

俺は地元実家暮しだけど、出て行ったやつらというか、同じく盆休みなんだけど独りだしやることもないからなんとなく帰省ってやつらが毎年このシーズン帰ってくる。

まぁ、時間潰せるにこした事はなから、落ち合って飲みに行く。

まだ早い時間だし、盆だしでスッカスカで快適な居酒屋エアコンに冷えたビール飲みながら旧友の愚痴聞くのも悪く無い。

明日休みだしなーって事でキャバクラに行ったら失敗した。

キャバ嬢大量帰省で、盆すら持て余したBBAしかいない罠。早々に退散。普段は行かないスナックに流れたら出た!高校の頃の同級生光臨。myマドンナヤンキー烈風隊。

テンション急浮上な旧友に泡盛飲ませまくってバーストバーストした旧友をママBBA)とのカラオケデュエット放置して、スナック階上マイルドヤンキー宅へ凸乳。

出たコレ。子供寝取るがな。まさかシングルマザー。そっから朝まで生・身の上相談

嗚呼フォーエバーユーラブ。









みたいなお盆過ごしたかったわー。

2014-08-17

卒業文集を破って捨てた

別に思い出したくない何かがあるわけではなく、
単に荷物だから捨てた。

手を放したら二度と戻ってこないんじゃないかと
何もかも大事しまっておきたい時代もあったけど、
取り返しの付かない「物」などこの世にはほとんど無いことが分かってきて。

本もスケッチブック手紙も文集もすべて捨てた。

卒業文集ハードカバーはとても硬かった。

2014-08-05

ダイソーモレスキンノートがなかなか売ってない

A6よりすこし小さい手帳サイズノート

黒い表紙のハードカバーで、ゴムバンドがついてて、ひものしおりがついてるやつ。

探してるんだけどなかなか置いてない。

赤とか花柄のやつはいっぱいあるんだけど、黒一色のが全然置いてない。

見つけたら買いしめたい。

これよくなくない?

モレスキンとなにが違うのかほとんどわからない!

2014-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20140506095606

わかる。

ぼくは漫画はあまり読まないけど、小説が好きでよく読む。

学生時代上下巻の作品わりと読んでたんだけど、いま再読しようと思わない。

若いとき短編のよさがわからなかったんだけど、いまは短編が好きでよく読む。

モンテクリスト伯とかレミゼラブルとか戦争と平和とかカラマーゾフかいさら読む気がしない。

アヴィニョン五重奏翻訳完結したら読む予定ではいるけど、長いのはそれくらいかなあ。

ピンチョン全集みたいなのが出たけど、ハードカバー上下巻とか見て読む気なくして、結局買ってない(重力の虹くらいは買おうかな)。

漫画アニメ見てジョジョが気になったんだけど、ウィキペディア見たらなんかワンピースよりも巻数多いみたいで読む気なくした。

むかしZETMAN読んでて、いまどうなったのかなと思って検索したら20巻近く出ててやっぱり読む気なくした。

子供ときるろうに剣心を全巻何回も読み返してたんだけど、まあああいうことは大人になるとできないね

芸術性でいえば短編長編だし、大人になるにつれて長いのを好まなくなるのは当然のような気もする。

ストーリーパターンもだいたい頭の中に入ってていくら長いの読んでも目新しさってものがないし。

で、ストーリーじゃなくて作家表現力を味わうだけなら短いので十分だしっていう。

2014-04-24

昨晩、十一時半過ぎまで残業が延びたが、ホテル代の申請のためには更なる非人道的な頑張りが必要らしく、仕方なくオフィスを後にした。

埼玉の自宅への終電はとうに出てしまい、帰れない。仕方なく、八ヶ月ぶりに実家に帰った。

学生時代、午前一時近くに池袋から終電が出る西武線を乗り過ごしたことはなくて、終電乗り過ごしちゃった///という台詞を言ったことは最後までなかったとどうでもいいことにあたる。男の私だが、一度くらいは言ってみたかった。

いつからか始まった駅の高架化工事はまだ終わっていないらしい。

来るたびにちょっとずつどこかが変わってる。前回は泥酔二日酔いろくろく周りを見る余裕はなかったから、さらに少し前、前々回から一年間の変化を目の当たりにしていたのだろう。

家路に着く。変わらない門戸を開けると、自分が知らない甘い香水香りがした。

今年から務め出した妹の'体質改善'だそうだ。その妹が後少しで帰ってくるというのでそれまで母と雑談する。

妹の年俸は、二年目で自分年収を超えるらしい。うわ、自分会社はやっぱりブラックだな。おどけて言うと、添削教師を務める母が、「十年以上続けてるが土曜に初めて出社することになったからあの会社も遂にブラック企業になった」と愚痴話を始めたので笑って流しながらも黒いモヤモヤを抱えずにはいられなかった。

実家だという安心感と何かしらのコンプレックスは、この家ではセットだ。それが苦しい。

その第一号にして、家を出る理由にもなった、今ボストンに赴任中の父……それを知って帰る気になったのだが……に会いに半月家開けるから、何かあったら宜しくねと楽しそうに予定を話す母に、自分はやはり何も言えない。相槌を打つしかない。

妹が帰ってきた。社会人になった妹は学生の頃よりさらにケバくなっていて正直ヒビった。お水とは無縁の業界のはずだと思っていたのだが、母は今娘は全身狩猟モードなのよと好意的目線。全く問題ないらしい。SEとして働くうち、自分の見識が遠く狭くなったのだろうか……

カビの巣と化した自宅のユニットバスに湯船を張ったのは数回しかなく、久々のお湯に、浴びるように浸かった。体を洗おうとしたが、ボディタオルは、父と母と妹の三枚しかない。石鹸も、シャンプーも。消去法で全て妹のものを借りた。

よくよく見れば至る所が"3"つのペアだった。歯ブラシタオルケット。マグカップ。いつの間にか新調されていた居間ソファセットの席の数。この家に男は今一人しかいないのだなと思った。

寝間着は、横も縦も大きい父よりも上背があまり変わらない妹の方がちょうどいい。何も言わなくても用意していただいた母の親切が心に響く。

朝、出かけに、実家に残していった本棚から軽く読めるものがないか探す。そこだけは自分が家を出た時から時間を止めていた。わざわざ持っていくまでもないと置いていったネットランナーズの表紙に2005年ネット用語と大きく書かれたポップが堪らなく懐かしい。あの時読みたいと段ボールで持ち出した単行本のいくつかは既に手放した。電子書籍化したけど、バックアップに失敗して誤って消した後それっきりの文庫もある。だが、ここにある本だけはあの日選り分けた当時のままだ。最近続編が出版された梨木香歩の家守綺譚(ハードカバーの方)と蟲師の5巻で迷った挙句、隣の父の書棚から冬目景漫画「ももんち」を抜き出して、鞄に入れっぱなしになっていたKindleWhitePaperを代わりに突っ込む。頭がどうかしていた。

電車の中で開くと、図らずも漫画の内容は家族の話だった。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140420200750

面白そうだから答えてみったー

ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?

他の小説も読む。最近歴史小説が多いけど前はミステリーが多かった。

レーベルでいうと講談社ノベルスカッパノベルスとミステリーフロンティアが多かったんだけど、最近では戦国時代モノの小説読んでる感じ。BASARAとか戦国無双とかの影響じゃないよ。本屋さんで平置きしてて面白そうだったからだよ。ゲームほとんど出来ない。

読む理由は単純に面白いから。今度映画化する超高速!参勤交代なんかはまんまラノベっぽいというか少年漫画っぽい雰囲気面白かった。勢いあったし最後主人公俺TUEEEEEEEEEEEEEEだし。話自体が魅力っちゃー魅力。

ラノベファンはラノベを一般娯楽小説定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?

どちらも小説には変わりないんだし同じだと思ってる。

そんなこと言ったらハヤカワはハヤカワという何かだしガガガガガガという何かだし。一般娯楽とおんなじだと思う。レーベル移動をした砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけないとか彩雲国物語とかどうなっちゃうのって話だし。

歴史小説だけど金ケ崎の四人とかすっごくラノベっぽかったなあ、キャラ付けとかも含めて。あれは一般娯楽小説の範囲に入ると思うけど雰囲気的にラノベっぽい。でもどこのレーベルっぽいかと聞かれたら即座には言えないので強いて言えばカテエレーベルガガガっぽい。

あんまり挿絵重要視しないで文字列文字列として飲み込んで読んでるのでそんなに違いを感じない。ラノベレーベルから出てても挿絵ないのとかも多いしね。

ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?

あんまりきじゃない。でもパロディ元ネタがわからなくても面白いのは好き。

普段活字ばっかりだからあんまりアニメネタがわからないので、元がわからなくとも面白いのが読みたい。

警視庁草紙で半七出てきた時は半七捕物帳を読んでいたから嬉しかったけど、あれよく考えたら二次創作というかパロディというか、そういうもんな気がする。

ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?

ライトノベル呼称は、主人公若い小説っていうカテゴリ分けとして見てる感じなのであればあるで便利。

ラノベを主に買う理由が、最近では新刊が文庫で出てくれるに偏ってきた。ハードカバー置き場ないんだよなー。歴史小説で読みたい奴はだいたい文庫化数年後だし。タイトル買いしたくとも置き場がない。

2013-07-19

大の大人が本を読む必要がどこにあるの

http://anond.hatelabo.jp/20130718220603

はてブの新着に上がってたこの記事を途中まで読んで勢いで書いた文章だけど。

スマホちょっとした新聞記事を読むのはまだ分かるんだよ。

俺が電車の中で時間潰しにネットを見るのと同じことだし。

でもハードカバー文庫本新書本を読む理由はどこにもない。

仮想現実空間なんかに没頭するより、現実世界の方が楽しいだろ?

海外に行くまでもなく、日本、いや、自分生活範囲でさえも、新しい発見をすることは、何歳になってもできる。

本で何かに気付いたりしても、所詮本の中のことだ。

それよりも、現実世界で体を動かしたり、実際に手にすることができる道具なりガジェットなりを触るほうがいいじゃないか

体感覚のないことをして、何になるのだろうか。

ストーリーのある小説のことになると更に分からない。

子供の頃漱石・鴎外にハマったが、大人になって、あまりにも小説時間を奪われたことに、恨みに近い感情を抱いた。

軽薄な癖して、何十時間時間ばかり奪っていく。

こんなコストパフォーマンス最低なこと、アホらしくてやっていられない。

本なんて読む意味が、どこにあるんだろう。

うまく改変できませんでした

2013-06-04

まねして新書の紹介

http://yuma-z.com/blog/2013/06/shinsho-10/ のまねをして、今度は新書の紹介をしてみる。(それにしても新書の紹介なのに、女性が手に持っているのが新書でないのが納得いかない)いままで紹介した本の紹介は以下のリンクからどうぞ。以下のリンクはいままでに自分が読んで面白かった本の紹介です。

自分が紹介する新書リストは以下の5冊。10冊並べようかと思ったけど、数学入門や理科系の作文技術日本人英語あたりは元のブログに取り上げられているし、それらを除くと以下の4冊が残ったので。

翻訳家仕事

英語日本語に限らず、様々な言語翻訳家の人たちのエッセイ集。「なぜ翻訳家になったか」というテーマエッセイが多い。翻訳家といっても文芸翻訳の話で、技術翻訳の人は登場していないはず。だいたいが学者系の人たちで、日本に紹介したい本があるからやっているという人が多い。(逆に外国日本の本を紹介したいという人もいる)

日本文学海外に紹介する人の話が楽しかった。日本に限らず、世界各地にはその地に根ざした習慣や文化があるわけだが、そういう習慣や文化をどうやって翻訳するのか。知らない人にわかるように説明すると、地の文よりも訳注が長くなってしまうとか、そういう問題点がある。そういったことを配慮しつつ翻訳するのは並大抵のことではないようだ。

加えて、英語日本語翻訳する人と、日本語英語翻訳する人では、前者が日本人ならば圧倒的に楽なのだそうだ。該当する言葉イメージ母語の中から探すというのはできるけれど、逆はとても難しいそうだ。

翻訳というとどちらもできそうな感じがあるけれど、他の人が読むに耐えるレベル翻訳はどうやらそうではないらしい。

本へのとびら

宮崎駿さんが著者。前半は岩波少年文庫の中で自分が読んだ本を挙げつつ、その本を紹介するという内容。後半は宮崎さんの思い出話だ。本の紹介が上手で、読んでみたくなる。

紹介する本は岩波少年文庫のものに限られるので、ほかの書店の本は一切載っていないのが残念だ。しかし後半は宮崎さんがなぜ児童書を読み始めたのかということや、映画作りに与えている影響にも話が及んでいて、とりたてて宮崎さんのファンではない自分のような人にも楽しめる。最近ジブリ映画はつまらない、と感じている人は、この本を読んで興味を持った児童書を読むと楽しい時間を過ごせると思う。

宇宙は本当にひとつなのか

村山斉さんが著者。最新の研究成果を元にして、宇宙はどうなっているかについて説明した本。最新の宇宙論を大まかに説明する本だ。なので、「どうしてそうなっているのか」ということよりも「今こんなことがわかり始めている」という説明が多い。

村山斉さんは最近多くの本を出していて、ほかの本と似た内容になっている(=かぶっている)という指摘がAmazonにある。自分はほかの村山斉の本を読んだことがないので、判断できないが、最新の宇宙論に興味のある人が手に取ってみると楽しい一冊であると思う。

もともとこの本は村山斉さんの講演が元になっているようで、各章の終わりには講演での質問が載っていて、それに対して村山斉さんが答えるというところがある。この質問に対して答えるところが良い。質問の内容をくみ取って的確に答えるのは難しいことだが、村山斉さんはしっかり答えているし、まだよくわかっていないところはよくわかっていないと曖昧にしないで答えている。質問も基礎的な話から宇宙論のかなり専門的な質問もあって、それぞれに解答している。

脳が冴える15の習慣

築山節さんが著者。生活習慣を改善することで、なんとなく調子がでない状態から脱却する方法を説明する。タイトルはありきたりだし、書いてある内容もそんなに真新しいものはないのだが、読むと納得する。

大事なことは寝る時間を削らないとか、運動する時間を設ける、などだ。大変なときにはこういう基礎的な習慣が崩れやすく、そういう点を疎かにすると、短期的にはうまくいく。かもしれないが、それが長引いて長期にわたるとだんだんいまいち調子が出ない…という状態にはまりがちだ。その状態になったり、ならないようにするためには習慣を見直すことが第一で、習慣を改善するだけでうまくいくことも多いというような話が載っている。

ときどきこの本を見直して、うまくいっているときタイムスケジュール生活習慣と今の状態を比べてみるということをすることが良いだろう。その具体的なチェックポイントを挙げてある点が本書の良いところ。

新書とは何か(自分にとって新書イメージ

ここからは余談。

新書というカテゴリーは、文庫でもないしハードカバーでもないというちょっと特殊なジャンルだと思っている。

昔読んだ高村薫さんのインタビューにこんなことが書いてあった。かなり昔には、

というすみ分けがあった。しかしこれは何十年も前から崩壊してしまったようだ。文庫ハードカバー出版された書籍が何年か経った後に、再び出版社が同じ書籍を売り出したいがための「文庫化」される本が多数を占めるようになったためだ。(そうではない本もあるが、全体の傾向としてそうなってきた)

くわえて、

  • 新聞は世の中の新しい出来事を総花的に紹介する
  • 雑誌はある分野ごとに、新聞よりももう少し掘り下げて説明する

というような区分けがあったように思う。新書は、上の新聞雑誌の間を縫うような「新聞のような時事的な問題を、雑誌と同じくらい詳しく、かつできるだけわかりやすく」というニーズがあって発展してきたものだと思う。要するに、今の池上彰さん的な立場新書は担っていた。

新書には、もう一方で「学問の初歩を紹介する」という役割もある。これらは新書が出はじめた当時は多かったが、最近はそんなに多くない。(元のブログでは数学入門はこの手の新書だ)○○学と呼べるような大きな学問領域を一手に扱えるほど権威のある書き手が少なくなってきて、各学問領域内でも細分化された結果、一概に「こうだ」と言えるようなことが難しくなりつつあるからだと思う。加えてそれらを説明しようとすると、新書では紙面が足りないからだと思う。

そのためなのかどうかは知らないが、最近特に、何か一つのテーマをなんとなく紹介する新書が多くなってきた。こういう新書は読むとそのとき何となくわかったような気がするけれど、時が経つと忘れてしまったり、素人目にはその紹介にはつじつまが合わないような時事問題が現れたりする。で、その結果として、その時々で「今」をなんとなくわかりたいときには役に立つ。けれども、全体としてみると、(特に経済問題や時事的な社会問題系は)役に立たないものが多い。陳腐化する。

まとめると、新書は以下のようなジャンルがある。

理科系の作文技術」について思うこと

個人的には、「理科系の作文技術」よりも、同じ著者の

の方が良い気がする。というか普通大学生ならば、新入生の手引きとかにレポートの書き方の説明や参考文献が載っているのではないか?大学講義にそういうものがあるはずだ。なので、「理科系の作文技術」は名著だけれど講義に出て練習を積めばいいように思う。もちろん一気に上手くなるわけではないけれど、ノウハウ本を一冊読むよりも、一度学んだも講義資料を読む方がはるかにわかやすいと思うのだが。講義教授木下是雄氏で、「理科系の作文技術」が指定教科書ならばともかく。

2013-05-30

まねして本の紹介 その2

http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。

名人に香車を引いた男、八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語記憶の切繪図, 弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖

影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人自伝だ。

「名人に香車を引いた男」は昭和将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。

生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。

「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中戦闘機設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作きっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。

升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。

記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。

この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。

こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。

弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか

決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法のものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。

気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。

からくり民主主義

この本は学生時代に講義で先生おすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。

高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者インタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。

元のブログでは物事には多様な見方解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。

ニュース番組新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画台詞の反対で、むしろ事件は会議室しか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。

自分単行本ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)

堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。

冬のデナリ

著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。

デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)

厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。

今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。

この本も最後一言(だと思ったけど)が良い。

この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。

パタゴニア―あるいは風とタンポポ物語

この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイ世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。

冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。

全体として、椎名さんが書く紀行文自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。

から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバー装幀自分にはしっくりくる。

カヌー犬・ガクの生涯

カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。

その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。

カナダユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。

犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)

ピアノ調律師

著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)

小さな女の子主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子ピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。

あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。

「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい

数学ワンダーランド

中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。

数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学プロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)

そんな風にだんだん一般人数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。

この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学ドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。

同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。

元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)

心地よく秘密めいたところ

この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳山崎淳さん。

この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。

Amazonレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。

この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。

東チモール県知事日記

著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本大学卒業されたあとにインド民衆グループリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)

こういう日本人って(自分不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。

ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。

外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。

そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。

ニッポン貧乏旅行

著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。

生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊ほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素ものだ。

本のはじめに藤本研さんの歩行ルート日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しいたんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。

たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。

自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。




(まだつづく、かも。)

2013-05-29

まねして本の紹介 その1

http://yuma-z.com/blog/2013/05/student_books/ という人のエントリを見て、自分も(学生じゃないけど、)読んで楽しかった本をまとめてみたくなった。

この長い本の紹介を読んで、読んでくれる人や、ほかにおもしろい本を紹介してくれる人が続いてくれたら自分はうれしい。まだ微修正中で、加筆・修正するかもです。

これから紹介する本の順序について、あまり意識していないけれど、なんとなく読んでいる人が多そうな順。下に行くにつれて、読んでいる人が少なくなっていくと(書いている自分は)予測してます

このエントリで紹介するのは以下の本です。つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

火車

宮部みゆきさんの小説。一人の女性が婚約後にいなくなってしまう。主人公はその女性の捜索を頼まれて、懸命に消息を追う。そして、調べていくうちに、現代資本主義社会の底しれぬ闇が見える――。

とても有名な作品で少し前にテレビドラマにもなったようだ。物語の始まりが冬の寒い時期のせいだろうか、自分は冬の時期に読みたくなる。三日間くらいで読了できるとおもしろさが持続すると思う。

読まれる方は、Wikipediaのあらすじにネタバレの要素があるので注意されたい。Amazon書評にも、ややバレる要素があるかな。この小説についてはあまり詳細について語ると魅力が半減してしまう気がする。読まれる方はできる限り事前の情報収集を避けて読んでください。

フェルマーの最終定理

1995年にそれまで350年にわたり証明されなかったフェルマー予想が証明された。そのフェルマー予想をテーマにしたノンフィクション。著者はサイモン・シンさん。翻訳は青木薫さん。

著者のサイモン・シンさんはこの後紹介する「ビッグバン宇宙論」においてもそうだが、説明がとても丁寧だ。わからないことを教えてもらおうとして、わかっている人に聞いたときに下手な比喩でたとえられて、全くわからないという経験をした人は自分以外にも大勢いるだろう。サイモン・シンさんの比喩はわからないという気にならない。なぜなのだろうか。

数学テーマにした本なので、数学が嫌いな人は手に取ることもないかもしれない。しかし、そういう人もぜひ読んでみてほしい。というのも、この本は数学の「問題そのものを解く」ということが主題ではないから。むしろ数学の問題はどのように生まれるのか、それを解こうとして350年にわたり数学者たちがどのような試行錯誤を続けていったのか、そのもがき苦しんだ歴史の本だからだ。

海外の本はしばしば翻訳調とでもいうべきか、文が堅く読みにくい感じがすることもあるけれど、この本はとても翻訳が丁寧で読みやすい。青木薫さんのすばらしい仕事だ。

自分は単行本ハードカバー)で読んだ。文庫版だと新しい翻訳者あとがきなどがついているかもしれない。

一九八四年

ジョージ・オーウェルが書いた小説ユートピア物質的・精神的に豊かになる、健康長生きできるといったような人間社会幸せで良い方向に向かう社会小説の反対、ディストピアを描いた小説

ここまで暗く描かれるとむしろ読む方の気分は明るくなるような、そんな気にすらさせてくれる小説。ただし、それは読後の感想であって、読んでいる最中は暗いままだけれど。

村上春樹さんの1Q84はもしかしたらこの小説に関連があるのかもしれない。今ググったら、どうやらそうらしい。自分は村上さんの方は読んでいないので何も言えません。(すみません

この小説が書かれた時期も意味があるし、この小説の中で登場するニュースピークという言語体系の設定は、そもそも言葉とは何なのかを考えるきっかけにもなるだろう。

火車と同じくWikipediaはあまり見ないで読み始めた方がよいだろう。

将棋の子

大崎善生さんの小説純粋小説というよりも何割かはノンフィクションかな。

自分は将棋のことは駒の動き方くらいしか知らないのだが、羽生善治さんやほかにも何人かくらいは将棋指し(棋士)の名前を知っている。この棋士の方々は、奨励会という将棋プロ養成する機関の中で勝ち上がってきた人たちだ。勝ち上がってきた人は晴れて棋士になるわけだが、では、「敗れ去った人たち」はどうしているのだろうか。その人たちをテーマに据えた小説だ。

この小説はけっこうずしりとくる。最初に挙げた宮部みゆきさんの「火車」は小説範疇ということもあるせいか、なんとなく怖さを感じることはあるが、現実的な切実さ、哀しさまでは感じないかもしれない。この「将棋の子」は、何かを一生懸命やってうまくいかなかった人の哀しさがよくわかるし、そういう体験をしてきた人(あるいは今そういう一生懸命何かに取り組んでいる最中の人)にはこたえるものがある。

冗談でしょう、ファインマンさん

ファインマンというアメリカ物理学者自伝エッセイ集。著者はリチャード P. ファインマンさん。翻訳は大貫昌子さん。この本もすばらしい翻訳だ。

エッセイ集ということもあって、好きなタイトルから読み始めることができる。エッセイ集なんてつまらんだろう、などと思っている人は読んでみてほしい。物理学者とは思えない言動の数々と、物理学者からこその言動が少々。そして、その間に驚かされるような洞察が垣間見えるのだ。場合によっては論語みたいな読み方もできるかもしれない。

全般に明るく楽しく描かれているけれど、これは意図的なものだろう。第二次世界大戦のロスアラモ時代には、自分の心にとどめるだけの悲しい出来事も数多くあったのではないか、と自分は想像している。

最後の「カーゴ・カルトサイエンス」の節はできれば最後に読んでほしい。この節だけは特別だ。物理学がわかれば、もっとファインマンさんのことをよく知ることができるのだろう。それができないのは残念だ。

プー横丁にたった家

プー横丁にたった家」は「くまのプーさん」の続編だ。「くまのプーさん」というと、単なるハチミツが大好きな黄色っぽいクマだと自分は思っていた。そうではなかった。

この本は子供向けの童話だと思われるかもしれないが、読んだことのない大人の方も読んでみてほしい。自分も大人になってから読んだ。著者はA.A. Milne。翻訳は(童話ジャンルでは高名な)石井桃子さん。

プーさんはもともと、著者が自分の息子に聞かせるためのお話だったようだ。こんな話を子供時代に聞かせられたらすごいことだ。

ところどころでプーさんが代弁する著者の考え方は、Amazonレビューにもかかれているけれど中国の思想家のような、どこか超然としたところがある。このクマがほかの動物たち(と一人の子ども)に向かって話しかける姿が良い。それとプーさんと行動をともにするコブタピグレット)が健気だ。自分は大人になってから読んだせいか、出てくる動物たちの役割に目が向いた。すなわち、物語の筋よりもおのおののキャラクター人間のどういう面を強調したものなのかを考えてしまいがちだった。子供の頃に読んだならば、もっと無邪気な読み方ができただろうと思う。

ビッグバン宇宙論

サイモン・シン氏の2作目の紹介になる。翻訳も前に紹介した「フェルマーの最終定理」と同じ青木薫さん。(本自体は「フェルマーの最終定理」→「暗号解読」→「代替医療トリック」(共著)→「ビッグバン宇宙論」、で四冊目だ)

大人になるにつれて、子供の頃に「なぜだろう」「どうしてだろう」と単純に不思議に思えたことへの興味がだんだん薄れていくと思う。すくなくとも自分はそうだった。どうして鳥は飛べるのに人間は飛べないのだろう、なんでお風呂に入ると指がフニャフニュになってしまうのだろう、どうしてテレビは音が聞こえたり絵が見えるのだろう、泥だんごはうまく丸くなってかちかちに固くなることもあるけど、そうでないこともあるのはなぜだろう、カブトムシはかっこいいけど、クモはすこし気味が悪いのはなんでだろう…、などなど。

そういう疑問の中で、人間がずっと追いかけて考えてきた疑問の一つが「この人間が生きている空間はどういうものなのか」だろう。その考え方の歴史をまとめたものがこの本だ。この本をひもとくと、この百年の間に予想もし得ないことが次々に見つかったことがわかる。ビッグバンという言葉ほとんどの人が知っていて、宇宙は一つのから始まったと言うことは知っているだろう。意外に思えるけれど、今から百年もさかのぼれば、ビッグバンという言葉すらなく、そう考えている人も科学の世界において異端扱いされていた。

宇宙論という非常に大きなテーマを扱っているため、「フェルマーの最終定理」よりも分量があって読むのが大変かもしれない。ただ、自分が読んだ単行本ハードカバー)には各章にまとめがついていて、おおまかな筋はそこを読めば追えるように配慮されていた(これはうれしい配慮だ。)文庫版のタイトルは「宇宙創成」のようだ。

読み終わったら、ぜひ上巻のカバーと下巻のカバーのそれぞれの色に着目してほしい。

モンテ・クリスト伯

今まで見てきた本を読むとわかるかもしれないが、あまり自分は昔の小説を読むことがなかった。一つには風俗文化が違いすぎて、いまいちぴんとこないからだろうか。そう思って昔の小説を読むことがほとんど無かったけれど、このモンテクリスト伯おもしろかった。著者は三銃士でおなじみのアレクサンドル・デュマ。翻訳は竹村猛さん。自分は上に挙げた岩波少年文庫版を読んだ。

復讐劇の代表的な作品だそうだ。「それってネタバレでは?」と思う方もいるかもしれない。そうと知っていてもやっぱり楽しい。引き込まれるようなおもしろさがある。

少し前に「レ・ミゼラブル」が映画になって、そちらの原作も良かった。境遇何となく似ているのだけれど、「レ・ミゼラブル」が愛の物語なのに対して、モンテ・クリスト伯純粋復讐劇だ。その痛快さ。モンテ・クリスト伯超人的な活躍が楽しい

自分はまだ一回しか読んでいないせいか、下巻の最後の方のあらすじはうろおぼえになってしまった。もう一度読む楽しみが増えた。今度は岩波文庫版で読もうかな。

喜嶋先生の静かな世界

森博嗣さんの小説。もともと「まどろみ消去」という短篇集の中に「キシマ先生静かな生活」という短編があって、それを長編ににしたものだ。

(科学系の)研究者世界とはどういうものなのかを丹念に追った小説であり、若干の事実が含まれているのかな?と思っている。森博嗣さんは某大学研究者であった(今では退職されたようだ)人で、その知見がなければ書けない小説だろう。

Amazonレビューを見たら、「自分には残酷小説だった」というレビュー内容もあった。自分は、心情、お察しします、という気持ちだ。ただ、主人公は喜嶋先生と出会えたことは僥倖だったに違いない。この小説の中で登場する喜嶋先生名言は、本家よりもむしろ心に残る。

自分の中では「将棋の子」と双璧をなす青春小説だ。

謎のギャラリー

北村薫さんが選ぶミステリーを中心とした選集。あるテーマを設定して、そのテーマの中で北村さんが編集者と対談形式でさまざまな物語を紹介していく形式だ。テーマは「リドルストーリー」であったり、「中国の故事」であったり、「賭け事」であったりと様々だ。

編集者との対談は実際の編集者ではなくて、北村さんが頭の中で生み出した架空の「編集者であるけれど、この対談がとても読んでいて楽しい気持ちにさせてくれる。いろいろな本が紹介されて読みたくなる。そういう罪深い(?)本だ。これを元に幾冊か叢書が組まれた。

その叢書の中で、自分が気に入ったのは「私のノアの箱舟」と「なにもない猫」だ。このシリーズはまだ全部読んでない。だから、気に入ったものは変わるかもしれないし、増えていくだろう。

自分は中国の故事や旧仮名遣いの本は読みづらく感じてしまうので、「真田風雲録」は読めないかもしれないなあ。

伝記世界を変えた人々 (いろんな人の伝記 図版が多く読みやすい)

海外の人を中心にした伝記シリーズ。主に子供を対象としているためだろうか、シリーズ全体として、文は平易で図や写真を多用している。そう書くとありきたりな伝記に思われるかもしれないが、装丁、ページの中の文と写真の配置の良さが際立つ伝記集だと思う。

全体として、割とマイナーな人も取り上げていたりするし、平和に貢献した人たちを取り上げている点も特徴だろう。気になった人がいたら、その人を読んでみてほしい。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一は、多くの人がショートショートと呼ばれる一連の作品群で読んだことのある作家だろう。その人の評伝だ。著者は最相葉月さん。

星新一さんはその作品を読むとところどころに冷徹さが垣間見える。その冷徹さがどこから生まれたのかがわかるだろう。もともと幸せ境遇に生まれ育ったが、途中からどうしようもない災厄に見舞われるからだ。それだけが冷徹さの理由ではないだろう、ほかにもこの本を読めば思い当たる点がいくつかある。それらも書くと紹介としてはやや度が過ぎるのでやめておく。

最後の方で著者は有名な芸能人にもインタビューする機会を得て、実際に星新一さんについて尋ねる。そこも印象に残る。その芸能人はちょうど星新一さんの逆の人生をたどるような状況になっている。

自分はこの評伝を読んで、がぜんショートショートに興味を持つようになった。

リプレイ

SF小説はあまり読んだことがないのだけれど、この小説は良かった。著者はケン・グリムウッドさん。翻訳は杉山高之さん。

SFのよくある設定として、「もし過去に帰ることができるとすれば、その人の人生はどう変化するのだろうか」というものがある。その王道設定を利用して、すばらしい小説になっている。

この小説が書かれた時代1988年なので、やや風俗文化の描写が21世紀の現代と比べて現実離れしている点があるけれど、それを差し引いてもすばらしい小説だ。

まりあらすじをかかない方がよいだろう。http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で紹介する「心地よく秘密めいたところ」と全然違う話なのだけれど、自分には似たものを感じる。

自由への長い道

この本は近年読んだ中で最も良かった。

自由への長い道は南アフリカ共和国アパルトヘイト人種隔離政策)が撤廃されるまで闘った人々のノンフィクションだ。著者はネルソン・マンデラさん。翻訳は東江一紀さん。

アパルトヘイトという言葉とその意味何となく知っているけれど、それが具体的にどんなものかを説明できる人は日本の中で多くないのではないかと思う。ネルソン・マンデラさんとその仲間たちは、それをなくそうと政治活動を繰り返す。そしてその度に時の政府の激しい妨害に遭い、その結果そういったグループを作ること自体が違法になり、グループの首謀者たちは収監されてしまう。そこからが圧巻だ。

いかにしてそういう逆境の中で自分の政治信条を保ち続けるか。自分たちの仲間を増やして支持を広げていくか。そして時の権力機構に対して、アパルトヘイトの「非道さ」をアピールし、撤廃にこぎつけるか――。

仲間の反乱分子スパイへの対処国際社会へのアピールなど、常人には思いもよらない方法アパルトヘイト撤廃に向け前進してゆく。ところが、前進したと思ったら後退したりすることが何度も繰り返されるのだ。

この本はネルソン・マンデラさんがアパルトヘイト撤廃後の大統領に選出された直後に出版された本なので、結末に近づくにつれてかなり筆が鈍って、慎重な言い回しが増えていく。現在進行形のことを縷々書くと信用問題になるからだろう。それでもこの本は読んでいて楽しい

この本を読んだ人は「ネルソン・マンデラ 私自身との対話」もぜひ読んでほしい。自分もまだ途中までしか読んでいないが、より素直なネルソン・マンデラさんの言葉と考え方がわかると思う。(「自由への長い道」についての言及もある。)

ほかにも映画インビクタス」や、「マンデラとデクラーク」など、映像作品もある。後者の「マンデラとデクラーク」は「自由への長い道」と同じテーマだ。ついでに、youtubeにあった国連広報映像日本語訳付き)もリンクしておく。


つづきは http://anond.hatelabo.jp/20130530045256 で。

2013-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20130528174227

いや、売れている本だというから、買ってみたら。 

読んで数ページで、ドンパチで、数ページでセックスしていて、(いわゆる文芸)本を読むのがバカバカしくなったけどな。

ケータイ小説 ケータイ小説小馬鹿にしてるけど、ハードカバーだって馬鹿げた内容のものは多い。

 

本なのか Webなのか それともテレビなのか、映画なのかは ゲームなのか、語り部の朗読なのか は 関係ない 内容の問題だ。

難しい表現をされてたって 馬鹿げた内容の物はあるし、

砕けた表現でも、真面目な内容のものは有る。

2013-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20130511224233

オッス、元増田です。ご検証ありがとう礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。

「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。

また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。

ここで全称命題の話にしますか(笑)前世代、前々世代比較すればあながち的外れ考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。

1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオン凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。

たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイ本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチ岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。

漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったもの想像します。

いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日週刊新潮週刊文春のみというなら別ですが。

ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件リクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります

特に80年代は、週刊文春花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディア漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。

ブコメで「サンコミックス昭和40年代に出るまで単行本ハードカバー普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります

80年代記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。

純粋ハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画ハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。


赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います

2013-05-11

手塚治虫などについて

http://anond.hatelabo.jp/20130510192931

1971年生まれが事実関係を指摘するエントリです。

手塚マンガを読んでいない世代

「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。

また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。

マンガハードカバー

ブコメで「サンコミックス昭和40年代に出るまで単行本ハードカバー普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります

80年代記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。

一般週刊誌に連載されたマンガ

たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイ本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチ岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。

漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったもの想像します。

いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日週刊新潮週刊文春のみというなら別ですが。

余談

このエントリを書くにあたって事実関係を調べるためにWikipedia手塚治虫やその作品、藤子不二雄赤塚不二夫などの項目を読んで懐かしい気持ちになりました。赤塚不二夫コロコロコミックの連載が「チビドン」だなんてすっかり忘れてましたが画像検索で思い出しました。

日本人共同幻想体をシェアしてた」という表現はまさにその通り。

元増田がどういう心境で元のエントリを書いたのかはわかりませんが、この年になるとこうやって昔をふり返るのも悪くないものです。

2013-05-02

http://anond.hatelabo.jp/20130502124129

全くだ 同じ値段でいいから、電子書籍で出してほしい。

何かって、コレクションの邪魔なんだよ。装丁がいい本=ハードカバー印刷なのはわかるが、単行本は何百冊って行く人は行くんだから本棚を圧迫するだろうと。さっさと電子化してほしい。

2013-04-14

最初から文庫で出せよ

なんでクソ重くて値段も高いハードカバーで出すのか。

せめて同時に出せ。最初ハードカバー時間がたったら文庫って流れをやめろ。

2013-02-17

コミュ力よりも、なければ生きていけないのはリテラシー能力だと思う

つのからか、文章が書けなくなった。

まともな構成の、まともな分量の、まともな文章が、書けなくなった。

苦労して書いた文章は、意味なく長いか意味を生み出せないほど短いかどちらかだった。

構成はないし、公正でもなかった。

同じように、読むこともできなくなった。

筆者が何を云ってるのかよく解らなかった。分かった振りをするので精一杯だった。

これは比喩でもなんでもないし、何も暗示はしていない。

ただ、能力が衰えた、それだけのことだった。

あるいは、然るべき成長をとげなかった、それだけのことだった。

そして、それでも問題がない環境にいたということだった。

いや、本当は問題があったのかもしれないけれど、それに目を瞑っていたのだった。

もっと正直に云えば、怠けていたのだ。書くことを、読むことを。考えることを。生きることを。

でも今私は、ちゃんと生きたいと思う。そう思うようになった。

理由は別に云う必要はないし、たいしたことじゃない。

ただ、そう強く思った。

から考えることを、読むことを、書くことを、もう一度。初めから始めなきゃ。

というわけで、先日から日記を書き出した。

ブログとかそういうんじゃなくて、紙に。

ハードカバーの人文系専門書で、落丁・乱丁本というのかな、全てのページが真っ白なのがあって、

売れないしどうしようもないしあげるよ、ということで以前頂いたそれを日記として使って。

私は四捨五入したら30で、もう若くはないけれど、やはり現代人、キーボードに慣れすぎたのかな。

ペンで文章を書くのは困難だ。漢字がスッとでてこない。腕が疲れる。

字に自我が現れて、自分のものなのに気持ちが悪い。

ペンで書くことに拘りがあるわけじゃない。ただ、辛いほうが頑張ってるような気分になれるからってだけで。

そういうのってどうなの?って自分でも思うんだけれど。まぁ、いいか

とにかく、文章を書くことは難しい。

まるでどこにも辿りつけそうもない。

こんなことして何になるんだという気がする。

でも、だからこそ、意味がある行為のような気もする。

書くとは、読むとは、そういうことなのではないか、と。

執筆とは、読書とは、闘いなのだ、と。

考えること、生きることとはそういうことなのではないかと。

ああ、ならばその辛苦と歓喜を私にも。

とかなんとかいって、別に私は、執筆とは、読書とは、何ぞやなどと云いたいわけではないし、

その苦しみだとか、楽しみだとか、知らないよ、そんなこと。

何で私はこうまでしなきゃまともに読み書きすらできないんだろう、って。

何でみんなそんなにすらすらと文章が書けて、読めるんだろう、って。

ただただそれが不思議なんだ。

2011-11-01

電子出版を巡る出版社立場(続お金編)

http://anond.hatelabo.jp/20111029232710

の続きね。結構気になっている人が多いのだなと思ったので、さらに追加解説を。

最初に書いておくと、Amazonアコギだけど、ユーザーには(短期的に)歓迎される可能性が高い。

それ故に対応を間違えると、日本電子書店太刀打ちできずに壊滅するだろう、

それはAmazon世界最大級の小売りで十分利益を上げているからだ、という話。

出版社に同情的なコメントが少ないなと思ったので、

(あくまでも友人が出版社につとめていてその話を聞いた中から)さらに説明しようと思う。

迷惑かからないようにぼかして書いてあるし、版面権や絶版DRM市ヶ谷方面の話題は煩雑すぎるので割愛している。

一ツ橋出版社の全てみたいな話をするな!とか気になる人も居ると思うけれども、大枠で読んで欲しい。

(それに、これがググらずに判る人は、たぶん説明は不要で十分判ってると思うので)

最初に「経費圧縮による分は、安く出来るはずだ」というところから

取り分は、作者(10%)→出版社(60%)→取次(8%)→書店(22%)→読者

例えば講談社がOnline書店を新たに作ったとして、取り扱いの本が講談社だけなら、取次8%分は削れる。

なぜなら、取次とは「多数の出版社と多数の書店を繋ぐ役割」だから

ここで「多数の出版社と、講談社Onlineを繋ぐ役割」だと、0%ではできない。

利益ゼロにしても経費がかかるから

そして、経費が削れても、利益を上乗せする方向にいっちゃいけないって事はない。

ネットでの課金徴収、データ管理バックアップサーバ管理で、コレぐらいの値付けはしても使ってもらえるだろう」

という見込みがあってやってしまっても悪くはない。

それは「そこは消費者還元しろよ」という感情はわかるけれども、商売としては別。

元々「電子出版なら安くなるはず」と圧力のある状況で売っても、一冊あたりの利益は薄い。

倍売っても紙の出版と儲けが同じなら、敢えてやる意味が無い。

すると、その面倒なところ(他の出版社への声かけ、販売対応サーバ管理等々)を、既存出版の割合でやってくれるなら、ギリギリなくはないかな、

といくつかの出版社は考えてもおかしくない、というのが前回のお話

まずは、お金の流れの一般論として再販制度の仕組みについて触れておこう。

(矢印がお金の流れ、その逆向きが本の流れ)

判り難いので、具体例で列挙すると以下のような感じになる。

ある本を、1000円で1万部出版し、5千部売れたとする。

  1. 出版社が、作者に 1000円x10%x1万部=100万円 支払う。
  2. 取次が、出版社1000円x1万部x70%=700万円 支払う。
  3. 取次が、本屋群に 1万部 を卸す。
  4. 読者群が、すぐに 5千冊 買う。(読者群が、本屋群に 1000円x5千部=500万 支払う)
  5. 本屋群が、取次に 1000円x5千部x78%=390万円 支払う。+5千部返本する。
  6. 取次が、出版社に 5千部 返本する。
  7. 出版社が、取次に 1000円x5千部x70%=350万円 支払う。

出版の70%は作者の10%含み。本屋群の78%は、本屋の取り分の22%を引いたもの

これに月末締めの翌月払い、条件返本相殺締日とかが絡むけども、胃が痛くなるので割愛した。

……ついてきているだろうか?

差し引きで見てみよう。

  • 作者:+100万円
  • 出版:ー100万円+700万円ー350万円 = 250万円
  • 取次:ー700万円+390万円+350万円 = 40万円
  • 本屋:+500万円ー390万円 = 110万円

ほぼノーリスクで作者は100万円を手にするのに対して、本屋は頑張って110万、出版社も250万。

クリエイターに対する印税10%が低すぎると思っている人は、少しだけで良い。お金の流れを追って欲しい。

(ただ、返本率は、実際には4割程度だろう)

また、取次の集金機能にも着目して欲しい。

配本流通集金と、色々やってるのが取り次ぎだ。

さあ、管理煩雑、処理も大変、もはや本が札束に見えてくると言う悲惨な状況下の中、Amazonが提示したのが55%という数字だ。

さて、例のリーク記事のAmazonが提示した契約書とされている部分、実はあの式にはちょっとしたポイントがある。

Amazonは当月中の各本件電子書籍顧客による購入の完了につき、希望小売価格から以下に定める金額を差し引いた正味価格出版社に対して支払うものとする。

推奨フォーマット提供された本件電子書籍については、希望小売価格に[55%](100%-正味)を乗じた金額

先ほどの金額の流れを見た後だと、気がつくことがないだろうか?

そう、これは「出版社に対してAmazonが支払う金額」についての式なのだ。

具体的に見てみよう。

1500円のハードカバーを、出版社が「電子版だから、じゃあ1000円にするよ」と希望小売価格を決めたとする。

Amazon.com でのKindle版の価格から鑑みるに、おそらく、500円で売るだろう。つまり50%OFFだ。

すると、希望小売価格 1000円x55%=550円差し引いた金額、450円Amazon出版社に支払う事になる。

希望小売価格出版社が決められるが、紙の本より高くは出来ない。

そして、Amazon希望小売価格から55%を引いた額を出版社に払えば良い。

50%OFFで売れば、Amazonの儲けは、一冊あたり5%になる。

どういうことになるか、火を見るよりも明らかだろう。

Kindleが8000円、Kindle Touchが1万円ぐらいで発売されてしまったら、どうなるだろうか。

紙の本には手に取れる書き込みできる、そして所有する喜びがある。

しかし、紙の本 1500円 vs kindle本 500円 ならどちらを選ぶだろうか。

10冊買えば本体代の元がとれると思った時に、Kindleデバイスを買わない自信があるだろうか。

なぜAmazonがそんな赤字まっしぐら路線をとるのか?

Kindleデバイスを売る為だとか、ロングテールで値下げせずとも良い本から利益を回収する為だとか、色んな理由があるだろう。

でもきっとAmazonは、市場で無視できないサイズとなって十分利益が回収できるようになるまで、じっくりゆっくり粘り強く低調に成長を続けるだろう。

なぜなら、オンライン小売の巨人は、他で利益を出せば良いからだ。

そんな真似が、日本のどの出版社なら出来るだろうか。

もちろん出版社は、1500円の本を、他の電子書店には1000円で卸して、Amazonには1500円で卸すことだって出来る。

Amazonは50% OFFの750円で売るわけだ。

忘れてならないのは、Amazonは1500円x45%=675円を出版社に払うことだ。

他の電子書店は、1000円で卸された本から20%だけとって800円払うこともできる。売れればだが。

そして、Amazon対抗のためだけに他の電子書店に750円で卸したとして、電子書店側も決意の10%として675円を出版社に払っても良い。

1万冊売って75万円利益電子書店しかも様々なフォーマットデバイスも様々で、本当に継続できるだろうか。

読者が安い本を買うことは止められない。非難も当然出来ない。

安いKindle版を出さずに独自の電子書籍を出す出版社に、文句を言わないだけの理性があるだろうか。

そして、(アメリカペーパーバックがでかくて重いという理由があるにせよ)電子版が紙の本を売り上げを上回る世界で、

Amazonを無視して自己流を貫く事での機会損失を、オーナー株主は許容できるだろうか。

流石にアマゾン、(アメリカ市場からの推測でしかないが)相当にえげつないことをする。

出版社は、既存電子書店に卸してもAmazonに卸してもそう代わりはないが、消費者は安い方から買う。

そして、Amazon限界まで値引きをして売るだろう。ダンピングにならないように5%程度の利益を抑えた上で。

黒船Amazonが、日本電子書店と違う点は、既に成功したネット上の小売業である点だ。

赤字ものともせず待ち続けられるのは、アメリカ市場証明済みだ。

商売なんだからきちんと儲けてくれよ、金なら払うから経費圧縮分は利益にしてくれよ、

そう消費者が言ってくれないことは判ってる。

でも、電子書籍は安くて当たり前、デジタルなんだから薄利多売で消費者還元してくれ、

そういう意見一辺倒だと、現状ではAmazonは無視できる存在ではない。

そしてこれは、Amazonの用意したハードルを乗り越えて契約できる出版社が増えれば増えるほど、

残りの出版社には世間圧力が重くのしかかってくる。

既存制度が良いとは決して思わないが、Amazonの50%OFFは夢物語ではなくて既に見えている脅威だ。

それが現在出版社立場で、太平の眠りを覚ます蒸気船は、もうそこまで来ている。

2011-10-24

伝記「スティーブ・ジョブズ日本だけ上下分割3990円

伝記「スティーブ・ジョブズ」の主要国での価格設定

米国 電子書籍 11.99ドル=912円 ハードカバー 17.88ドル=1359円

ドイツ電子書籍 19.99ユーロ=2099円 ハードカバー 24.99ユーロ=2624

日本 電子書籍 ハードカバーとほぼ同額 ハードカバー 3990円

高いな-、ハードカバー嫌いだから電子書籍買おうと思ったのに紙と同額とかひどい。

日本って電子書籍後進国なんだと改めて認識した。

DVD国内の値付けとか見てもそうだけど、海外との差がありすぎてビビる

なんでなん?

2011-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20110728145323

そういえば、自分高卒なんだと言ったらすごくびっくりされたな。

「私が知らないような言葉をよく知ってるし、いつもなんか難しそうな本を読んでるし、大卒かと思ってた。」と、大卒の人から

やっぱりそういう偏見はあるのかね。

その「難しそうな本」と言われたのはナントカ学の入門的なハードカバー本(素人にも分かりやすく書いてる、和訳のもの)とかなので、全然難しくないと思うんだけどね。

こういう本を難しそうだと言う大卒の人に出会うと(割といる)、結構がっかりする。

2010-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20101208180742

つの間に「1500円の電子書籍リーチしてる人」の話になったんだ?

「1500円のハードカバーリーチしてる人」の話でしょ。すり替えよくない。

2010-10-30

電子書籍についてグダグダと書き綴る

テレビ電子書籍について報道していたので、またいろいろグダグダと書いちゃうぞ~。

という軽いノリで。酒飲みながら。

つか本当に『電子』としての『書籍』という意味では、

今まで散々それに該当する商品は世に出ていたと思う。

弟切草』から始まるサウンドノベルだって、

分岐はあるけど文字であり小説でありエレクトロである点を考えると

立派な電子書籍だ。エロゲだって、フリーソフト

アドベンチャーソフトだって、その類だろう。

小説PDFにしてダウンロード販売していたサイトだってある。ボイルドエッグとか。滝本竜彦は元気かな。

でも、そういう一連の流れは無視されて、

キンドルipadと連動する書籍のみが、『電子書籍』として認知され、

黒船』として恐れられている。

その違いは一体何なのか。

いろいろ考えたけど、最終的にはやっぱり『形』かな、と。

考えてみれば、『本』は非常に優れた形状と質量を持っている。

どこへでも持ち運びできるし、いろんな体勢で文字を読むことが出来る。

寝転がりながら。椅子に座りながら。飯を食いながらでも読める。右手に箸。左手に本。

ハードカバーでは多少きついけど。

これまでの『電子』な『書籍』は、その点を考慮していなかった。

ゲーム機パソコンなどといった端末で再生され、可搬性や可読性については議論さえされていなかった。

それがキンドルの登場で変わったのだ。端末自体が変わったのだ。

そしてipad。そして、さまざまなメーカipadを真似し始めている。

これは凄いことになりますよ。出版社さんは覚悟したほうがいいですよ。

ネット上の動画展開はまだまだ先のこと」と思っていたらYouTubeの登場で慌てふためいた

テレビ局さんのようになりますよ。いやマジで

こういうパラダイムシフトは、マジで予期しなかった時期にいっきに来ますよ。

音楽業界は、もはや目も当てられない。もっとも~、これはこれで面白いけ・ど・ね!(ファッキュー!)

まぁでも、パラダイムシフト自体が悪いことではないですからね。

むしろ、新しい文学の可能性も否定できないわけですよ。

文学の可能性というか、文字の可能性ですね。

『文字の可能性』と聞いて思い出すのは、やっぱり2001年に起きたテキストサイトブームですかね。

あれは面白かったわけですよ!あれだって一種の電子書籍なわけですよ!(酔いが回ってきた)

文字ポイントを拡大して、オチが放たれる。文字の色を変える!

いやー、面白かったな。『侍魂』とか、当時は特に面白かった。

空白でページをスクロールさせて中身を稼ぐという手法は、有名人ブログで定着しましたけどね、

ありゃあひどいもんですよ。辻ちゃんテレビ番組で『スペースをあけてページに

内容があるように見せかける』というのをやっていましたけどね、ありゃあひどい。

やっぱりある程度の文章の量は必要なわけですよ!

やっぱり精度の高い文章を読むと興奮するわけですよ!

でもま、電子書籍なら電子書籍ならではの、『演出』というのも欲しいわけですよ!

たとえば、音楽が流れるとか。挿絵が美麗なアニメーションで表示されるとか。

何か、村上龍が作った電子書籍は、著名な方の音楽が流れるらしいですよ?

でも、音楽アニメーションも、出来れば文学的な演出がいいですな。

心に染みるようなやつをね、僕は望んでいるわけなんですよ。

私小説』は、『エンターテインメント小説』とは違って、やっぱり心の中で反響するような文字列であって欲しいわけなんですよ。

だったら、その電子的な演出にも、私小説性、心の中で反響するような演出が宿っていて欲しいわけなんですよ。

エンターテインメント映画と違って。

文学性というのはバズワードだと思うけど、でも、それでも、僕は『文学性』を求む!

エンターテインメント』という言葉自体に『マジョリティを拒絶する』という意味が宿っているような気がしてつらい。

そろそろ終わろうか。グダグダと書き綴っちゃって、ごめんね。ごめんね。

酔っ払っていてごめんね。

2010-10-29

電子書籍化で小説家が危機感を持ちづらいたった一つの理由

台風が来るのでわくわくしてしまったので飲みながらだらだら書くことにする。

最初に断っておくと、単なる業界の底辺ラノベ作家シナリオ書いたり書かなかったりだから、詳しい人にはあんまり目新しいことはないよ。

漫画家さんが危機感を持って色々動くのにはもちろんいろんな理由があるけれども、

小説家が危機感を持たない理由は簡単だ。

良くあることだから。

漫画家の人は、判型が変わったからと言ってコマを割り直したり書き直したりすることは滅多にない。

単に拡大縮小するだけ。(書き直したりはするけど、それはサイズ変更にあわせた書き直しじゃない)

でも、小説ハードカバーから文庫本になるときに、大きく変わる。

一行の文字数も変わればページに入る行数も違う。

これは読みやすさに影響するけど、気にする人は滅多にいない。

(行にこだわる事で有名な京極夏彦先生電子書籍化に意欲的なのは、なんか象徴的ではある)

だから発行される媒体が変わることを気にする人ってほとんどいない。

たんに紙で読むかネットで読むかiPadで読むかの違いでしかないし。

電子書籍という形で小説を読んだことがある人は判るだろうけど、文字サイズも一行の文字数も変えられるよね?

あれを凄く嫌がる小説家ってたぶんあんまりいない。

でも、漫画家さんで勝手にコマ割変えられたりしたらたぶんイヤなんじゃないかな。

流しこみゃなんとかなるだろうって言われたらその通りだし、フォントまで指定して活字組に意見がある小説家もほとんどいない。

自分の本だって意識漫画家さんより薄いってのはある。だって原稿のままじゃ絶対に本にならないもの)

良く言えば柔軟性があるし、悪く言えば人任せが多いから、だからこそ危機感を持ちづらい。

それが、電子書籍ブームを前に小説家が危機感を持ちづらい、たった一つの理由。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん