「ハードカバー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ハードカバーとは

2016-08-30

自炊を初めてみた感想

漫画で白黒読み取りは読みづらい。

グレーならいくらか読みやすいが、カラーデータ量はあまり変わらないので手間を考えれば全部カラーで読み取るのが楽。

作業ハードカバーからこなして行った方が労力に対してスペース確保の割がいい。

作業を労務としてではなくて趣味として捉えれば心が楽。

2016-08-04

http://anond.hatelabo.jp/20160804160617

それは全く把握が逆で、欧米では書籍一般(=ハードカバー)の値段が非常に高かったんだよ。

安価書籍(=ペーパーバック)は酸性紙で印刷クオリティも低く読み捨てるならまだしも保存できるようなものではない。

から競合商品としての電子書籍が普及したんだよ。

逆の視点で言うと、日本では書籍製本印刷クオリティが高すぎ、文庫を中心に安すぎるんだよ。

もうすでに十分安いので、値段面でも電子書籍にそこまで競争力がない。

日本電子書籍が普及しない単純な理由

わりと普及している英語圏では、本を作るとき最初から電子書籍フォーマット作成し、それを紙でも出版しているという状態

日本場合、極少数の出版社を除き、まず紙ベース書籍作成し、その後何らかの方法電子化するという手順を踏む。

もうこの時点で電子化がオプショナルな扱いを受けるにきまっている。

で、なんで紙ベースで作るかというと、英語圏だと紙の出版物だとハードカバー装丁がしっかりした本くらいしか売れなくなってるんだけど、

日本だとまだ紙で作られた安価書籍がまだまだ売れるから別に電子化前提で作らなくともよくね?という現実があるから

ようは日本人はまだまだ紙の本を買ってるんだよ。英語圏安価な紙の本(ペーパーバックとか)がほとんど売れなくなった結果、

電子化しないと採算が取れないレベルまで追い込まれて、むしろ電子化が進んだ。もちろんOCRの精度の問題もあるけどね。

2016-07-21

田中康夫『なんとなく、クリスタル

ハードカバー文庫本では注釈の載っている位置が違うのだけど、文庫版の注釈の載せ方の方がこの作品の持つスノビズムを前面に押し出すことで描いている時代の空気をより強く感じることが出来るので読むなら文庫本お勧めです。

2016-06-05

ハードカバーの本って読みづらい

値段一緒でいいか最初から文庫サイズペラペラにしてほしい

サイズもまちまちだから整理にも困る

2016-04-05

[]東野圭吾流星の絆を読んでいる

ドラマ化されたりしてるのは知ってたけど話は全然知んなかった

でもハードカバーの帯。てめーはダメ

ネタバレしてんじゃねーよマジで

あと感動とかなんとか安っぽい言葉使いやがってそれでも編集者かてめーは

閑話休題

久しぶりの東野圭吾は、あー東野圭吾だなあとしみじみしながら読んでる

一般受けするジャンクフードって感じだ

するする読めるけど一過性面白さっていうか

物語を楽しむ上ではそれで十分だと思ってるから別にdisってるわけじゃないよ

そのときがよければいいってのもありだと思ってるから

帯のアオリに、張り巡らされた伏線!みたいに書いてあったけどそこまで大仰にイウほどの伏線はないなあ今のところ

登場人物も最低限だし、ヘタに難しい言葉使わないし、著者の主張を押し付けてくるようなこともほとんど感じられないし、いやー東野圭吾たまに読むといいわあ

クスリにもならんけど毒にもならん

ただ合法麻薬的ないっときのぬるーい快感けがある

あと半分がんばって読んでこ―

2016-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20160310011457

いくらなんでも乖離が激しすぎるし、書店棚の傾向を分析するにしても「ハードカバー棚はラノベか?」みたいな判断は入るよね、という話なんだけど。

まずもって本当に書店棚の統計的傾向を尊重するなら、実際に全国の書店を調べるまでは「このレーベルラノベ」なんて誰にも言えなくなっちゃう。

2016-01-12

テンプレラノベアニメを量産しているアニメ業界のやばさ

ライトノベルテンプレート的な作品が良く話題になる。

まとめサイトなんかじゃ、よく馬鹿にされたりする。


ラノベ業界やばい


なんてのはたいていどこ言っても見かけるもんだ。

特にアニメファンが口にすることも多い。

ところが、このテンプレラノベ一見した多さというのはライトノベルではなくて、アニメ業界の危なさを象徴するものだということに気づいていない。


現在ライトノベル業界はかつてないほど盛り上がっているといってもいい。

ライトノベル過去に書いていた人たちはライト文芸や少しターゲットを大人向けに絞ったレーベルに新作を書き下ろすパターンが増えている。

また、なろうに代表されるWeb小説が増加し、かつてない盛り上がりを見せている。

既存ライトノベルレーベルだけを注力しているとその豊穣さに気づかないことが多い。

年間2~3千冊が刊行され、かつないほどに多様なジャンルが生み出され、市場規模ハードカバーなどを含めるとどんどん拡大して言っているのが現状だ。


ところが、アニメファンからライトノベルテンプレ作品が多すぎるという発言をよく耳にする。

「最弱無敗の神装機龍」がテンプレートであるという批判も耳にした。


しかし、冷静になってアニメーション作品と、ライトノベル作品を見比べれてみると強烈なまでにアニメ作品テンプレート塗れなのに気づく。

テンプレラノベアニメといわれる作品がまさにそうなのだが似たようなラノベばかりアニメ化するのだ。

また、日常系ロボットアニメなどの作品も毎回のように作られておりその画一的作風にあまりにもおどろかされる。

そして気づく。


「ああ、アニメってこんなに似たような作品ばかりなんだ」


と。

はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作作品漫画大衆小説ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。

それははっきり言ってしまえばある程度売れることがはっきりしている作品しかアニメ化できないからだろう。

テンプレラノベアニメ石鹸枠から透けて見えるのはアニメ業界の危なさなのかもしれないなと思った。

2015-12-24

本のカバー邪魔

本のカバーって邪魔じゃない?読む時に邪魔になるから、いつも外してから読むんだよね。

でも、カバーを捨てるのは忍びないから、どこかに置いておく。

本を読み終わっても「どうせ後で読むから」と、そのままにしておく。そうすると、家中カバーだらけ。

これって俺だけなの?

カバーでカッコイデザイン作らないで、ちゃんと本自体デザインしてほしいって思うんだけど、そんな本はハードカバーしかないよね…。なんで?

2015-12-15

スマホカバーソフト派?ハードカバー派?

俺は落としたときの衝撃緩衝ってのを考えるとソフトカバー一択

ハードカバー本体守られてもカバーが壊れたりするリスクあるし

落とさなきゃいいってのは置いといて

2015-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20151119124356

値段のことはおいといて、本の情報ってよっぽど注意していないと入ってこない。

昔は本屋行ったり新聞書評本の雑誌を読んだりして「むぉー。あの本もこの本も読みてえ。金が足りない。文庫化はよ!」

って思ってた時期もあったけど、一人暮らし新聞ネット、惰性で買ってた雑誌も一切やめて、ちょっと本屋から足が遠のいたら、

どれが面白い本かわからない。

高い本買ってハズレるのも嫌だからハードカバーは手が出ないし、かと言って文庫化されても今さらなあと思うと、やはり手が出ない。

なんか解決方法ないもんかねえ。

2015-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20151119183357

一読者としては、文庫本は小さすぎて文量のわりにページをめくる回数が多くて嫌、

ハードカバーは重すぎて、楽な姿勢で気軽に読めない、

ソフトカバーが本として手にフィットして読みやすい みたいな理由で、ソフトカバーが好きなんだよね。。

でもまぁ、紙の量、重さで漠然と値段が変わるイメージはある。。

http://anond.hatelabo.jp/20151119145752

「なぜ最初から文庫本で出さないのか? 」を書いた増田です。

質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。

ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロ日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランス可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。

前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。

さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層から理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバー文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズ問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間コストがかかります

角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、

基本文庫で時々単行本ソフトカバーとかのレーベルってどういう戦略なんですかね?

さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。

いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)

この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。

新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています

日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的もの推理小説ライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格バランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社判断たからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社レーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。

はいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます

なぜ最初から文庫本で出さないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20151118225408

 業界内部増田です。

 まず、本当にどうしようもない(不可抗力ではなくしょうもないという意味理由として、その作者さんと編集者さんのアクセスできるラインに制約があります文庫しかアクセス出来なければ文庫で出しますし、文芸書的な編集部ならその判型で出すというのはあります作家編集者は、どんな装幀の本でも自由に出せるかと言えばそんな事もなく、編集部の主戦場にしてる判型や書店本棚というものがあるのです。営業が影響力を発揮できる範囲書店全域ではありません。まあ、これは後付けのところのしょうもない理由ですね。

 より本質的理由としては、「想定読者数(≒初版部数)」の問題があります。もし、新書四六判文庫など自由な判型が選びうる編集部企画が進んだ場合問題になるのは、この本を何人くらいの読者が求めてくれるか? という点です。本を作る編集デザイン作業というのは、どんな装幀でも実はさして大きくコストが変わるわけではありません(紙代や印刷費は変わります。部数が増えれば安くなるので、文庫本で部数が多いもの負担少ないです)。つまり書籍の値段の本質は「(作者が著述に要したコスト編集デザインにかかったコスト必要利益)を初期読者がシェアして負担する。」ということなのです。

たとえば「5000人しかかってくれそうにない」「だったら3000円にしないとまずいな」「じゃあ判型は文芸で表紙もハードカバーにするか」というような展開で判型は決まります。この段階で幾つか疑問が発生すると思います

Q.3000円の文庫本じゃだめなの?

A.読者の皆さんは3000円の文庫は買ってくれないです。読書体験文庫でも四六判でも(内容という意味で)大差はありませんが、物質商品としては購入してもらえなくなります出版人として自分が関わった3000円の本がソーシャルゲームガチャ6回に劣るとは思っていませんが、やはり売れない物は売れません。

Q.値段を下げて、つまり判型を最初から文庫にして薄利多売を狙う企業努力はしないの?

A.もちろんそういう戦略判断をする場合もありますベストセラー著者が最初から文庫に殴り込みなどと言うのはそう言ったパターンです。しかし大多数の著者において「値段を下げる」というのは部数増加には結びつきません。たとえば作家Aさんの本が欲しい人というのは値段に関係なく買ってくれる傾向があり、逆にこのAさんに興味がない人や知らない人は、値段を下げても買ってくれません。

 以上のような条件から出版ビジネスの値付けは「初期読者(=おおよそ初版部数に相関)で製作費用と最低限の売り上げを確保する」という方向性になっています増刷文庫化というのは収益ボーナスステージであって、その段階になると利益がどんどん出て黒字になるわけです。しかし、おそらく読者の皆さんが思っているほど、このステージに行ける本は多くはありません。多くの本は、最初の売り上げ確保のステージに失敗して赤字になるか、もしくはなんとかトントン程度の収益になります文芸畑ではより顕著ですが、ライトノベルなどの文庫でも、一部の売れっ子作家さんの書籍とそうでない多数の作家さんの書籍二極化が深刻です。

 こういう状況に問題を感じないのか? といえば個人的には感じています。本をもっと安くすべきだという問題意識ではありません(日本の本は世界的に見ても安価だと思います)。どちらかというと、初期読者の人に十分報いていないと思うからです。ある作家を(ひいては編集部出版社を)支えているのは初期読者(=初版で買ってくれるような読者)です。彼らの数が予想部数を通して本の値段や判型を決める基礎材料になっているのです。しかし、実際には彼らは文庫化ではなくその前の段階の大きな判型で購入するなど、経済的負担を大きく受け持つ構造になっています映像作品などには「初回限定特典」のような概念がありますが、出版では一般的ではありません。その点は不公平で歪だと考えています元増田氏の言及したコメントは、この不公平感にたいして「初期読者はいち早く読める」という点を解説たかったのだと思いますが、それに対してどこまで価値を感じるかという点は読者次第だとも思っています。このへんは個人的感想なので、出版業界の中にもいろんな意見があると考えて下さい。

 読書にたいしてお金を使う習慣のある方、書店日常行動の経路に含んでいる方、読書家という人種ある意味非常に高尚で「紙の書籍を手にとる楽しみ」「装幀を愛でる楽しみ」という点に価値を感じて下さっています。それはすごく嬉しいしありがたいことです。そういう文化があるおかげで命脈を保てる出版社存在することも事実です。しかし一方でそれに甘えてこなかったか? といわれればたぶんそういう部分もあると思います。こういった読者の方は、読者であると同時にパトロン的な性格さえ持っているのです。

 今後十年から二十年かけて、その文化も徐々に変わっていくと思います。どうなるかはまだ判らないのですが、そういうアーリー読者&パトロン的な文化を完全否定する方向ではなくて、リスペクトコミュニティに対する利益還元出来る方向の出版方式企画などが(もちろん試行錯誤の残骸の中からの芽生えとして)産まれてくることを願っています

2015-10-31

http://anond.hatelabo.jp/20151031233315

文庫本がそうだろ

ハードカバーで出したあと文庫で値下げ+加筆してまた売る

昔の名作だって表紙だけ挿げ替えてぽいぽい売ってるじゃん

2015-10-02

こういう作品を探している

児童書国産

絵本じゃなくて小学生が読むハードカバーお話の本。

おしいれのぼうけんみたいな仕立てのお話だったと思う。

普段通りの生活が途中から冒険なっちゃう。

何人か子どもたち、とちょっと若めの叔父さん?とかも一緒に行くんだったか

あと飼い犬が出てきた(冒険中はしゃべったりするかもしれない)。

そりすべり的なシーンがあったように思う。

冬っぽい舞台だった気がするけどこたつみかんで読んでたせいかもしれない。

ああでもクレバスって単語は出てきたような気もするからほんとに寒いのかな。

タイトルあんぱん号の冒険みたいな感じだった気がするんですよ。

検索ノイズしかからないの。姪っ子が大好きなやつ。今だけはつらにくしい。

だれか思い当たる方いらっしゃらないかなあ。

2015-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20150917020953

ちょっと違うけど ステキっぽいアイテムを配置したイラストがもはや嫌い

15年前くらいから感じていて最近全くイラストなんて見てないから曖昧イメージしか持っていないし今まだそういうものが生き残っているのかわからないけれど

たとえば女の子の横顔かなんかの周りに各種ステキっぽいものを配置して何かシャレオツっぽい雰囲気はあるんだけどよくわからない 多分何かの影響を受けている

うまく説明できない 伝わるだろうか

例:

屋上 図書館 セーラー服 魚 リップクリーム 毛糸 子猫 水中 カメラ 花 花弁 ぬいぐるみ ケーキ クッキー ドーナツ カラーシュガー 万年筆 手紙 マニキュア 鹿 切手 標識 旗 石膏像 額縁 窓枠 鯨 鍵盤 鍵 楽器 歯車 鏡 香水 学ラン 剥製 鞄 家電 拡声器 果物 瓶 時計 靴下 調理器具 主にハードカバーの本 バス停 食器 ポット ティーカップ 切り抜き レコード アンプ ひも状のもの コード 譜面台 看板 金平糖 ベンチ 工具 箒 爬虫類 人形


魚は本当に多い

2015-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20150912160639

一般書として出て売れたやつ、最近だと「君の膵臓をたべたい」かな。ハードカバーで出た。

作品の出来自体評価できないけど、それなりに売れてるのは確か。

2015-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20150906074938

あれ俺行けんじゃね? と一瞬思いかけたが一番の問題として自分は37になったばかりのキモメンのゲーヲタおっさんという部分を思い出して冷静になる。

というか元増田もうすぐ30って妹と同年代だよキモメンとか置いておいても年離れすぎやで…

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150415001747

ハードカバーをつけて大切に使えば、2,3年経っても結構な値で売れる。

iPhoneしろMacしろ売ること考えて大事大事にアホみたいに使う

クズ共は何が楽しいんだろう?

ただのレンタルじゃん。

そんな貧乏人がそんなもん使うなよ。

WindowsからMacへの乗り換えを検討している

Apple製品中古買い取り価格が値崩れしにくい。

ハードカバーをつけて大切に使えば、2,3年経っても結構な値で売れる。

スペックの安いWindowsマシンを我慢して長く使うよりは、ミドルハイエンドクラスMacを2~3年使って売り飛ばした方が得なのではないか?

円安で今のApple製品は割高感が否めないが、円高になったら買うかもしれない。

2015-03-20

久々にやられた

シリーズもので買う予定の本が、いきつけの本屋に寄ったら欲しい巻だけない。

児童書でやられたんだよね、あんな商品回転の遅いしかハードカバーの本が次行ったらなぜかこれから読む2巻だけ欠品。

取り寄せになったよ。

なんだろね、人の読んでる本が欲しい人っているのかね。

しかも同じ本屋で。絶対あれ、買うとこ見てた人がおったわ。

読書の習慣のない親が、子供押し付ける用なのかな。

そこまでしないと子供は読まないのかな。きっと親の子で本が嫌いなんだろうね。

その延長線上で隣のアイツが一巻ずつ楽しそうに読んでいる本を自分も買うのかな。

そんなやつはピケティでも買ってろよ。マジで

2015-02-03

コレクションが破損してから

http://d.hatena.ne.jp/REV/20090810/p1

これ読んでて思い出したけど、自分は昔すごく本を大事にしていた。漫画から小説まで古本で買った本もすごく大事にしてた。本が好きだったから、本は大事に扱うもので、本は自分の知識の宝庫で、楽しみの象徴だったから。友人に貸した本にポテトチップスが挟まっていて、汚されて帰ってきた時はかなり怒ったこともあった。

子供のころはおこづかい漫画小説につぎ込み、図書館に通い、大人になってからハードカバーの本を買って…幸せだなあ!って思っていた。

子供を産んで、子供がちいさいころに、ゲートをうまく越えたのか、いつもは入れなくしていた部屋の本をぐちゃぐちゃにしてたことがあった。すごく大事にしていた一群の本。一瞬かなりカッと来たけど、まあ、そんなのしまってない自分が悪いのはわかった。本より大事なのは、息子。当然である

でもそれからは、本をあまり大事にしなくなってしまった気がする。本を買う分も減った。単に子育て生活が忙しいからかもしれない。

でも、本がぐちゃぐちゃでカバーが全て外されていて、そしてその光景と、赤ん坊に怒りかけた自分を思い出すと、あの本に対する純粋な熱情みたいなのは自分やいろんなことに良くないような気持ちになるし、そういう自分もいやになる。気持ちにけちがついてしまったような。子供のころの熱情を思い出して余計に悲しいなら、もう大事にするのはやめたい、みたいな。混じりけが無いような感動にけちがついてしまったら反動でもうどうでもいいやーってなったのかもしれない。

という息子がもう中学生になった。一緒に絵本を読むこともあったし、図書館にもいった。だんだん本を読むことが復活していった。今は私が昔読んだ本を息子が読んでいたりする。昔のような気持ちではないけど、本を読むこともまた増えた。私が昔読んでいたラノベの作者の本を息子が読んでいた。

本を集めはしなくなったけど、読むことは今でもやはりすばらしい。たのしい。

2014-12-19

コブラに30万持ってこいって言われた夢

今朝、嫌な夢を見た。

それはフラッシュバックのような断片的な夢の集まりだった。最初自分第三者的視点で眺めている夢だった。ビデオ早送りのように自分生活が映し出されている。会社、家、会社、家、たまに土日、まれ飲み会。それはちょっと年式の古いガソリンエンジンアイドリング時のノイズのように、不安定さの中に一定リズムを保っていた。そしてそれが改善する見込みは全くないように見えた。

次の夢では、床に古びた大判ハードカバーの本が置いてあった。布地の装丁の青い本だ。表紙が伏せてあったので裏返してみると「人生、思い通りに生きるのが一番の幸せと金箔でタイトルが刻まれてあった。著者の名前自分本名だった。言っていることは一見立派だが、実質を伴っていない点、むしろ安っぽく見えてしまう点で今の自分にそっくりだった。

また次の夢。グレイトフル・デッドのように小型のバンで各地を回るミュージシャンになっていた。暮らしは厳しいが毎日楽しいギター現実でも夢の中でも顔から火が出るほど下手くそだったが、夢の中ではグルーヴという謎のキーワードで裏打ちされて一定の評価を得ていた。

どこで足を踏み外したのだろう。自分自分の好きなように生きると大昔に決めたはずだ。今は派遣社員として見事に社会歯車にハメられている。なぜだ。なぜ抜け出せない。

気が付くと監獄囚人移送車のようなところで寺沢武一の「コブラ」の主人公と2人きりになっていた。「困ってるようだな。現ナマで30万持ってきな。あとは何とかしてやる。」と頼もしそうにコブラは言った。30万? はした金じゃないか。一瞬そう思った。しかし次の瞬間、バブルの余韻から抜けだせず、会計をなんでもクレジットで済ませている自分に気がついた。30万だと? 俺は今同じくらいの借金をしてるじゃないか。これか。これを止めればいいのか。こんな生活が俺を歯車にハメていたのか。

たった30万で何ができるっていうんだ。そう訝ってる俺にコブラは言った。

心配すんなよ。任せておけ」

「分かったよ。半年ほどは掛かるがちょっとまっていてくれ」

俺は答えた。

夢のお告げを信じるなどバカげているかも知れない。世には1億貯金しようなどという連中がいる中で30万の貯金など噴飯物かも知れない。けどいいんだ。どうせこのままだと同じ生活の繰り返し。信じてみようじゃないか。俺は生まれつき毛色が薄く、天パで猿顔をしている。俺はあんなにカッコよくないが、昔から、彼には一定の親近感を得ていた。あれは俺の中にいる別の俺だったのかも知れない。

今度こそ、今度こそ抜けだすんだ。この同じ循環から

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