2014-11-20

全ては承認欲求の為に

承認欲求を満たすために、この文章を書いている。

最近では全てが承認欲求の為ではないかと思うようになってしまった。自分の一挙手一投足が承認欲求の為だと思えてならず、意識する度に死にたくなる。

好きな作家の新刊を手に取る。恐らくこれはSNS感想をアップして感情を共有し、承認欲求を満たすための行動なのだろう。そもそも好きな作家というもの承認欲求から来たものだ。「新刊買いました!」とでもtwitterでつぶやけば、エゴサーチをしている作者にfavoriteしてもらえるのだ。2000円足らずのハードカバーで1fav。なんて安い出費だろう。そしてそういう思考が頭をよぎったことに気が付き、本を棚に戻す。買ったとしてもどうせ読まないのだ。購入報告の1favで、きっと私は満足してしまうから感想を共有するなんて面倒ことをしなくても、承認欲求は満たせる。

そういう思考をしている限り承認欲求が満たされることはないし、一生本を買い続ける生活をするだけで終わるんだろう。そして「満たされない!満たされない!」と叫びながら死ぬ。なんて無様な人生だ。承認欲求がある限り、そのくびきからは逃れられない。首をくくりたい。今すぐ死んでしまいたい。でもその自殺という行為すらも、憎むべき承認欲求を満たすための行為であることに気が付いて、ロープを結ぶことすらも出来ない。

承認欲求がある限り、全ての行動は承認欲求を満たすために行われる。全ての感情承認欲求を満たすためにある。こんな唾棄すべき人生、どうすればいいのだろうか?きっと、一生こうして半匿名のような形で、承認欲求を満たしていくしかないのだ。ガス抜きするしかないのだ。あー死にたい承認欲求を満たして死にたい戦争か、シリアにでも行けば救われるのか。

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