最近では全てが承認欲求の為ではないかと思うようになってしまった。自分の一挙手一投足が承認欲求の為だと思えてならず、意識する度に死にたくなる。
好きな作家の新刊を手に取る。恐らくこれはSNSに感想をアップして感情を共有し、承認欲求を満たすための行動なのだろう。そもそも好きな作家というものも承認欲求から来たものだ。「新刊買いました!」とでもtwitterでつぶやけば、エゴサーチをしている作者にfavoriteしてもらえるのだ。2000円足らずのハードカバーで1fav。なんて安い出費だろう。そしてそういう思考が頭をよぎったことに気が付き、本を棚に戻す。買ったとしてもどうせ読まないのだ。購入報告の1favで、きっと私は満足してしまうから。感想を共有するなんて面倒ことをしなくても、承認欲求は満たせる。
そういう思考をしている限り承認欲求が満たされることはないし、一生本を買い続ける生活をするだけで終わるんだろう。そして「満たされない!満たされない!」と叫びながら死ぬ。なんて無様な人生だ。承認欲求がある限り、そのくびきからは逃れられない。首をくくりたい。今すぐ死んでしまいたい。でもその自殺という行為すらも、憎むべき承認欲求を満たすための行為であることに気が付いて、ロープを結ぶことすらも出来ない。
承認欲求がある限り、全ての行動は承認欲求を満たすために行われる。全ての感情は承認欲求を満たすためにある。こんな唾棄すべき人生、どうすればいいのだろうか?きっと、一生こうして半匿名のような形で、承認欲求を満たしていくしかないのだ。ガス抜きするしかないのだ。あー死にたい。承認欲求を満たして死にたい。戦争か、シリアにでも行けば救われるのか。
満たそうとするんじゃなくて、満たせなくても強く生きていけるようになればいいんじゃないか
自分で商売やってるか有名人やってるか以外でネットで自己主張が激しい人はリアルがオワコンであることがほとんどだょ★
すげえ。全く理解できない価値観だ。 承認が欲しいならなんで自分で何か作り出さないの???
無人島に行って1人で暮らすといいよ