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はてなキーワード: ハードカバーとは

2010-10-29

電子書籍化で小説家が危機感を持ちづらいたった一つの理由

台風が来るのでわくわくしてしまったので飲みながらだらだら書くことにする。

最初に断っておくと、単なる業界の底辺ラノベ作家シナリオ書いたり書かなかったりだから、詳しい人にはあんまり目新しいことはないよ。

漫画家さんが危機感を持って色々動くのにはもちろんいろんな理由があるけれども、

小説家が危機感を持たない理由は簡単だ。

良くあることだから。

漫画家の人は、判型が変わったからと言ってコマを割り直したり書き直したりすることは滅多にない。

単に拡大縮小するだけ。(書き直したりはするけど、それはサイズ変更にあわせた書き直しじゃない)

でも、小説ハードカバーから文庫本になるときに、大きく変わる。

一行の文字数も変わればページに入る行数も違う。

これは読みやすさに影響するけど、気にする人は滅多にいない。

(行にこだわる事で有名な京極夏彦先生電子書籍化に意欲的なのは、なんか象徴的ではある)

だから発行される媒体が変わることを気にする人ってほとんどいない。

たんに紙で読むかネットで読むかiPadで読むかの違いでしかないし。

電子書籍という形で小説を読んだことがある人は判るだろうけど、文字サイズも一行の文字数も変えられるよね?

あれを凄く嫌がる小説家ってたぶんあんまりいない。

でも、漫画家さんで勝手にコマ割変えられたりしたらたぶんイヤなんじゃないかな。

流しこみゃなんとかなるだろうって言われたらその通りだし、フォントまで指定して活字組に意見がある小説家もほとんどいない。

自分の本だって意識漫画家さんより薄いってのはある。だって原稿のままじゃ絶対に本にならないもの)

良く言えば柔軟性があるし、悪く言えば人任せが多いから、だからこそ危機感を持ちづらい。

それが、電子書籍ブームを前に小説家が危機感を持ちづらい、たった一つの理由。

2010-09-09

http://anond.hatelabo.jp/20100909021801

砂糖菓子の件は、文庫版とハードカバー版の部数を比べれば単価の差など問題にならないくらい前者の方が上で、印税も前者の方が上。

ハードカバー版はコアなファンのコレクションアイテムって位置づけだから当たり前。

イラストレーター作家印税折半というのも違う。

まあこっちは事実誤認だらけだからいいや。

ラノベ作家に「若い感性」が必要って話の方ね。

これはある意味当たってるけどある意味違う。

案外、読者は同じ作家の本を買い続けるものなんだよ。

具体的に言うと、思春期~二十歳前後に読んだ作家の本をずっと買い続ける人ってのが多いわけ。

そして大体の場合は、5歳~15歳年上の人が書いた本を読む。

これがびっくりするほど変わらない。

今15歳の人は、20~30歳の人が書いた本を読むし、今50歳の人は55歳~65歳の人が書いた本を読む。

もちろん全員がそうとは言わないが、ボリュームゾーンはこうなってる。

で。

だんだんラノベを読まなくなってくる年齢ってのがあるわけだ。読者側に。

そうなると、その年代ターゲットとしていた作家ラノベが売れなくなってくる。

作家と読者は同時に年を取る。

読者が30歳になったら作家は30歳向けの本を書くようになる。

読者が50歳になったら作家は50歳向けの本を書くようになる。

もうラノベじゃないのは明らかだよね。

年を取るにつれて年相応のものを書くように転進できた作家は生き残り、ラノベしか書けなかった作家は消える。

(もしくは一山当てた人なんかは作家なんてやめて悠々自適の生活を送る)

考えてもみてくれ。

親の世代に正論を言われると反発したくなるし、

年代・年下に正論を言われると生意気だと思うだろう?

だから5歳~15歳年上が書いた本ってのが一番するっと納得できるわけだ。

(これは実年齢ってよりは精神年齢かもね)

谷川流も今年40歳。

読者のボリュームゾーンが25-35歳と考えると、そろそろラノベ卒業するのも多くなってくる。

本人ってより、読者がラノベを去るんだよ。

ラノベから一般文芸への転向の理由

http://togetter.com/li/48558

以下、チラ裏

ラノベ作家が次々と一般文芸転向する理由

1.儲からない

結局は金。例えば桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」。富士見ミステリー文庫版では500円。3年後に再版されたハードカバー版では1400円。さらにラノベイラストレータ印税が折半になるので1冊当り25円の印税ハードカバーなら10%で140円の印税ライトノベルレーベルから出た文庫だと、6冊売れてようやくハードカバー1冊分の印税になる。

中高生が対象なんだから単価の低い文庫で出すのは当たり前」って言う人もいるだろうけど、でもラノベ界で一番売れている(という言われている)西尾維新の主戦場は、単価がやや高い講談社ノベルスハードカバー並みの単価の講談社BOX。これを考えると、文庫が主戦場だったのに長者番付常連だった神坂一て、ものすごい売れてたんだなって思う。「文学少女」の野村美月ですら未だにバイトしているっていうし。

さらに一般文芸作家には文学賞がある。直木賞吉川英治文学新人賞山本周五郎賞推理作家協会賞、あと純文学では三島由紀夫賞芥川賞ラノベ作家には本当に関係に無い文学賞なので除外)。これらは賞金が出る上に、受賞すると普段本を買わないような人まで買ってくれる効果がある。ラノベアニメ化すれば同じような効果があるだろうけど、深夜アニメ直木賞、どっちが効果があるかは自明だろう。

さらにこれらの文学賞を受賞すると、地方から講演の仕事が舞い込む。これが1時間ぐらい話すだけで100万円ぐらいもらえるというからバカに出来ない。また、ある程度キャリアを積めば新人賞や各文学賞選考委員になれて、それも収入源となる。純文学系の老作家の主な収入源はそれ(メッタ斬りコンビ福田和也が批判している、大作家福利厚生)。残念ながらラノベには、まだそこまでのシステムはない。

2.長い間書けない

角川スニーカー文庫が創刊してもう20年以上経つけど、創刊からずっと書き続けている作家ってどのぐらいいいる?50代で現役のラノベ作家は?しいて言えば、田中芳樹が現役といえなくもないけど、彼は遅筆というよりも才能が枯渇しているせいでまともに小説を完結できなくなっているように見える。

資料をあたる能力と知識が必要なファンタジーSFならば、ある程度年をとってもかけるだろうけど、今日日流行の学園モノって40過ぎたおっさんおばさんが、主要な読者層である10代の若者が納得するように書けるんだろうか。ここ数年で一般文芸転向した作家たちは、皆1970年代生まれ、いよいよ「若い感性」というライトノベルにとって必要なものが喪失し始め、小説技術を身につけた作家転向しているんだと思う。そういえば、2年以上発売延期している谷川流70年代生まれだった。多分彼もラノベ界を去るつもりなんだろう。

以上、思いつく限り。

2010-08-04

本を大事に!

ネット書評めぐりをしていたら、とあるブログにたどり着いた。

そのブログでは、表紙と背表紙と裏表紙が全部見えるように真ん中から開いて広げてテーブルに置いて撮った写真を載せていた。

その本は表紙のイラストに惹かれて、図書館で借りてきたというようなことが書いてあったが、ハードカバー単行本で、かなり力を入れて広げないと手を放した状態で平たく置くことはできない。

ハードカバーの本(特に厚めの本なんか)は開きすぎるとのりがとれてページが落ちる原因になったり、背表紙が折れ曲がってしまったりすることもある。

私が本好きで、本を汚したりしないように人一倍気を遣う性格だからかな。

自分で買った本なら誰も文句を言わないかもしれないけど、雑誌じゃないんだし、しかも図書館から借りた本を、ブログ写真を載せるためとはいえそういう風に雑に扱ってほしくないなあ、と思った。

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722181915

本棚なんて1畳分スペースあればハードカバー数百冊は収納できると思うけど、

本は重いから1畳ではハードカバー200冊くらいで限界。そして本読みにとって200冊は1年で埋まる最低ライン・・・

文庫にすれば、収納はだいぶましになるが、文庫はごく一部なのがヘビーな本読みの実態・・・

小飼氏のように2万5千冊の収納スペースを用意する、とかすればいいんですが一般家庭ではまじ厳しいです。

http://anond.hatelabo.jp/20100722180706

  • 専門書読まないんですか?
  • 本棚なんて1畳分スペースあればハードカバー数百冊は収納できると思うけど、子供いるとそのスペースすら確保困難ですか?

自己流の「効率的・知のインプット/アウトプット方法」

小飼弾氏が「本を読むなら新書に限る」と主張している。

http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html

http://b.hatena.ne.jp/entry/bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html

「知の効率的インプット、効率的アウトプット生成のためには新書ベスト

ということのようだが、

「本を読む時間も、本を置くスペースもない」自分場合

「知の効率的インプット、効率的アウトプット生成」の方法を

ここでおさらいしておこう。

※因みに、最近テレビすらマトモに見ていない・・・

 「時間がない」というより「チャンネル権が幼児にある」

 (幼児番組幼児DVD再生専用機に成り下がっている)情けない状態です。

【何のため?】

★「面白い内容は自分ブログに載せる(=アウトプット)」という目的意識

  知を採取(=インプット)する。

  目的意識がないと、知の採取が「のんべんだらり」となる。

★そのため、いつでもメモ帳鉛筆は肌身離さない。

 メモ帳忘れた場合ケータイメモ機能活用。

【何を?】

日経新聞をとにかく隅々まで読む。

 結構日経新聞ネタの宝庫なんだが、

 意外と日経記事をサカナにしたブログエントリは少ない。

 自分ネタにするのは「日経夕刊」「日経地域面」「経済教室」「書評」「大機小機」あたり。

 「日経夕刊」は、生活面が結構面白かったりする。

会社においてある「日経産業新聞」なんかもネタの宝庫なので、

 これも自宅に持ち帰って、電車内で読む。

  

小飼弾氏は「新書をオトナ買いしろ」と言っているが、

 新書書店立ち読みで充分。

 1分立ち読みすれば、なんとなく「どういうジャンルの本なのか」がわかる。  

図書館を活用しまくる。

 都区内なら、他館蔵書の取り寄せサービスがある。

 場合によっては、他区の蔵書も取り寄せてくれる。

 こうすれば自宅内書棚はゼロでいい。

 家族4人で、1人10冊借りることができる。掛け算して40冊だ。

 新書は確かに効率がいいが、逆に言えば「ポピュラーになる(であろう)知」しか載っていない。

 発行部数が少ない、「マイナー」なハードカバーは、

 「ポピュラーになっていない知」が存在している可能性がある訳であり、

 価値を生むのはむしろ

 「ポピュラーになっていない知」の方ではないか?

 図書館の本は、2000年代の本ばかりじゃなく、1990年代とか1980年代の本とか結構あるのだが、

 「1980年代には、こういう見方があったのか!」と新たな発見があるのが面白い

 たまに1970年代なんかの「お宝」もあります。

 

 地球温暖化を叫ばれていますが、1970年代なんか、「地球寒冷化」が叫ばれていたりする。

 そういうことも図書館にいかなきゃ判らない。

図書館にある「新聞縮刷版」はもっと面白い

 例えば「食品の偽装」なんて問題が、最近の話題と思い込んでいたら、

 1970年代にも似たような話題が出てきているのです。

 要は30年間、なーんも社会進歩していないのですね。

ネットではやはり「はてなブックマーク」が効率良い。

 自分は「新着ブックマーク」を常にチェックしているほか、

 「お気に入り」に5人登録しており、その人のブックマークナナメ読みすることで

 相当程度効率よく情報収集できる。

 言ってみれば「他人の褌」である。

 (お気に入りを10人以上にしてしまうと、シッチャカメッチャカで混乱してしまう。

  やはり5人程度に抑える方がいいのでは?)

  「Aさんは社会系でいいブックマークをしてくれる」

  「Bさんは科学系でいいブックマークをしてくれる」

  「Cさんは自分趣味の分野でいいブックマークをしてくれる」

  「Dさんは自分仕事の方面でいいブックマークをしてくれる」・・・のように、

  分野毎に「キーパーソン」を見つければ、非常に効率的。

ビジネス誌は車内中吊り広告だけでも「なんとなく」内容はわかる。

 (東洋経済ダイヤモンド日経ビジネスウェッジ・・・)

 というか、各社ともウェブにほぼ同内容載せているし。

地方出張した場合は、必ず地方紙を買う。

 場合によっては「地域経済誌」も買う。

 そうして「東京常識に慣れきった頭」に刺激を与える。

 地方紙場合広告ですら情報になりうる。

 (不動産東京の半額以下なんだなあ・・・とか)

 

【いつ?どこで?】

★晴れている日には新聞を歩きながら読み、

 雨の日には携帯で「はてなブックマーク」をサクサク読む。

★また、寝床内でケータイで「はてなブックマーク」を見る。

休日子供の付き添いで公園おもちゃ売り場とかに遊びに行くときなど、

 暇つぶし日経を持っていく。

 その場で捨てられるから。

地下鉄では電波が駅でしか拾えないので、駅到着時に

 「一気にデータダウンロード」して、駅間ではダウンロードデータを閲覧する。

http://anond.hatelabo.jp/20100722171408

出せませんw

ラノベが嫌で、一所懸命売り込んで、一般小説転向された方もいますが、結局それは実力が出版社に認められたからです。

ラノベ作家としての資質には、当然、他ジャンル小説でも通用する部分/しない部分があることとは出版社側もよく分かっていますから、

必ずしもラノベ作家としての成功と関わりなく執筆を依頼するか判断しています。

そこで、一般ライトノベル読者から見ると「なんであの人がハードカバーを(出せるの?/出してないの?)」ということになっているのだと思います。

http://anond.hatelabo.jp/20100722171122

森田季節のことか。

有川や壁井みたいにラノベである程度の数字を出した人が一般に行くのはともかく

最近ラノベで駄目だった奴がハードカバー起死回生を狙うこともあるようだな。

http://anond.hatelabo.jp/20100722170832

ラノベで売れなかった作家が、活路を求めてハードカバー出したり、ひっそりとハヤカワあたりで書いてたりすることもあるけど。

2010-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20100721153554

少なくともこの時期に裁断機やADFを導入してまで手持ちの本を電子化したいという人は、書物に関しては普通の人よりも一歩踏み込んだ価値観を持っているはず。

それはどうだろ。

俺も結構昔から漫画単行本スキャン趣味でやってるけど、電子化してしまうとハードカバーだろうが文庫本だろうが大判だろうが違いが分からなくなってしまうんだよね。

以前、同じ趣味の奴から「面白かったから読んでみろ」と彼の自家製PDFファイルが送られてきた事があって、確かに面白かったんでオリジナルを手元に置きたいと思って本屋に足を運んだら、そこで初めてその本がA4サイズ大判だった事を知って愕然とした事があった。画面上で読み尽くし、その本の全てを知ったつもりになっていたけど、最も基本的な「物理的な大きさ」を全く知らなかったわけだ。

電子化に走る人達というのは、逆に言えばそういった部分にかなり鈍感な人達でもあると言えると思う。それを「一歩踏み込んだ価値観」と言えるかどうかは、俺には何とも言えない。

2010-07-19

・水が飲みたいと、戸口を叩いていた女は言った。もう随分と何も飲食していないのだという。こちらと人里離れた山小屋住まいだから、人に分け与えるほどの食料など持ち合わせていない。女が水だけを要求してくれてありがたかった。真夜中の真っ暗闇の森のど真ん中で、ごくごくと喉を鳴らした女はにっこり微笑み礼を言うと、そのまま闇の中に溶けていった。夏虫が鳴いている。べったりと背筋に汗をかいてしまっていた。

・犬を殺してしまったんだそうだ。泣きじゃくる歳の離れた弟は、どれだけあやそうとも泣き止む気配を見せなかった。埒が明かない。疲れてきたので背伸びをした。一体何があったんだ。何度も答えが返ってこなかった問いをもう一度口にしていた。眦を二三度拭ってから、しゃっくりと一度、それからようやく弟はもごもごと何かを言い始めた。溜息が出る。面倒くさいと空を見上げたら快晴だった。

・生え育った手のひらの上で、少女は胡坐をかいていた。しばらく経つと親指と人差し指の間から足を投げ出してぷらぷらさせ、またしばらく経つと今度はやわらかく曲がった中指に背を預けて瞼を閉じた。荒涼とした周囲には、乾いた風鳴りばかりが響いている。手羽のように尖った枝先を細々と伸ばす枯れ木が、もぞもぞと幹を揺らしていた。少女は本を読んでいる。ハードカバーの、分厚い本だった。背表紙には解読不明な文字が並んでいる。無論、それは中身にしても同じで、少女意味のわからない記号の羅列を熱心に、ときには嬉々として読み続けていた。やがてひとつの章を読み終えた。重たい本を閉じ、胸の上に置く。再び目を閉じた。てのひらがぐしゃりと少女を潰した。

・その日、少年は無闇に声が大きかった。話している相手が顔をしかめてしまうほど大音量で、叫ぶようにして会話をしていた。また、少年はどうやらこちらの言葉が理解できていないようでもあった。どれだけ文章を変えてどうなったのかと訊ねてみても、ずっと同じ事ばかりを、昨日変な夢を見たんだ、としか口にしなかった。やがて、ある医者少年に適切な診断を下した。いわく、今少年の耳には大量の音食い虫が潜んでいて、そのせいで耳が聞こえなくなってしまっているのだと。ためしに小型カメラ少年の耳の穴をのぞいてみれば、モニタリングしているテレビに黒光りする無数の蠢きを確認することができた。音食い虫を殺すためには、完全なる静寂を用意しなければならない。医者に言われると、少年を気の毒に思っていた人々は一様に口をつぐんだ。物音ひとつ立てないように、彫像のように固まった。車も動かさない。電気を使うものは全て電源を落としてしまった。少年は石の世界でひとりぼっちになった。

タバコが好きで好きでたまらなくて、とうとう調理して食べるようになった。目玉焼きに降りかけてみたり、炊きたてのご飯に混ぜ込んでみた。どれもこれもそれなりにうまかったのだが、一番気に入ったのが煮出しタバコであった。お茶のように、珈琲のように、タバコの葉に熱湯を注いで飲むのである。これがなかなかに効いた。苦味で舌は麻痺し、喉は痺れ、胃は爛れていくかのようだった。鼻腔に強烈なにおいが通り抜け、あやうく気を失いかけた。最高に気持ちが良かった。よく臨死体験をしたなどという者がいるが、そう言った人たちもこの快楽を味わっていたのではないだろうかと思った。そしてそうなのだとすれば、彼らはあまりにも意地汚い人間であるように思えた。このような快楽経験しておきながら、それをわが身ひとつだけの実体験に留めておこうなどという考えが理解できない。どうして周囲に広めようとしないのだろうか。共有してこその財ではないか。憤然とした気持ちでタバコをばらし、粉末を茶漉しにあけた。熱湯を注ぐ。芳醇な香りをいっぱいに吸い込んでから、一息に飲み込んだ。

・割れたコップに男が映った。散り散りになった破片のひとつひとつに、そいつはにやにや顔で写りこんでいた。君も変なヤツだね。そいつが話しかけてくる。わざわざガラスのコップを七つも割ってさ。一体何がしたかったんだい。思いっきり叩きつける訳でもなく、あくまで自然に割れたように見せかけるのには随分と苦労したんじゃないのかい。そのとおりだ。全てのガラスを同じ場所で、誰が見ても不自然と映らないように割り続けてきたのだ。投げつける訳でもなく、高いところから落とすのでもなく、持ち寄ったガラスをことごとくその場で割り続けたのだった。わからないね。君はいったい何がしたかったんだい。そうにやにや顔が言うので、お前には関係ないと答えてやった。だからさっさと消えやがれ。魂が消えるように、ぽつりぽつりとにやにや顔は消えていった。ガラスの破片の中に溶けていった。本当に君も変なヤツだね。そう言って最後までにやにやしていたそいつは消滅した。逆剥けた大地に囲まれて、素足のまま歩き出す。

・びっくりした。そしたら、右目と舌べらが落っこちてしまった。とんでもない痛みを感じながら、真っ赤に染まっていく地面に晒された右目と舌ベラを見下ろす。さっきまで、右手で押さえている窪みにはまっていたはずの球体はぼんやりと視線を上げてきていて、指の間から、そしてぽかんと開けた口から鮮血を滴らせているわたしを観察しているようだった。観察。そうだ、わたしは観察をしていたのだった。その最中に悲しくなって、怒りっぽくなって、しばらく気分が落ち込んで、最後にびっくりしてしまった。びっくりしてしまったから、右目と舌ベラを落っことしてしまった。参った。全部わたしの問題だ。とにかくいまは右目を拾ってはめよう。そして舌も口に含んでいよう。思い左手を伸ばそうとしたらばしゃんと音がした。左手も落ちてしまった。肩からどんちゃんと。ぶしゅうっと壮大な音を立てて血が噴き出し始める。どうにかしなくちゃ。あせればあせるほど頭は混乱していく。もうあたりは一面に血の海だった。血の池地獄って、一体誰の血の中を泳いでいるんだろう。白血球とか赤血球とか、そういったものにとっては毎日が血の池地獄なんじゃないだろうか。考えていたら、膝から下が潰れてしまった。血に倒れこむ。頬を強打して顔をしかめてから、右目が私を観察していることに気がついた。

2010-04-01

書籍電子化雑感

scan snap買って本をスキャンするという内容のサイトがいま注目を集めています。

なので、これまでに触れられてない切り口で書いてみようと思います。


私もPK-513とscan snapを買ってスキャンを始めました。

最初に同人誌から始めました。これは失敗でした。

何が失敗かというと作業時間に対する捻出体積が少なく

モチベーションが落ちてしまったのです。

いくらやっても空間が増えない。


それもそうだ。同人誌なんて10-30ページぐらいの薄い本が多いし、

そのたびに裁断しフォルダ作成し誌名とサークル名を入力するのは非情に手間でした。

サークル名も分かりづらいから確認するのに時間がかかるし。


そういったことがあって方針を変えました。

とにかく作業時間に対する捻出体積が高いものをやり始めたのです。


独断と偏見によるランクをつけてみた。

成年コミック漫画雑誌漫画単行本四コマ単行本>その他雑誌>その他書籍小説ハードカバー書籍同人誌


成年コミックは厚い紙を使ってるのでページ数の割に異様に分厚い。

ハードカバー書籍が低いのはバードカバースキャンが面倒だから。

ハードであるフラットベッドでスキャンするのは面倒。


■その他思ったこと

自炊技術のページにはファイル名とページ数を合わせろ(10ページ目なら010.jpg)と書いてあるけど

無視して大丈夫。重送されたかを確認するときは役に立つけど、scan snap s1500の重送検知はほぼ完璧だから必要ない。


縦線が入るのも無視。自分が見るだけなので気にしない。

気がついたら掃除するし、よっぽどお気に入りの本なら再スキャンするけど基本は気にしない。


サイズを縮小するのも無視。でかくていいじゃん。ハードディスクが今いくらか知ってる?

ファイルアプリケーションドラッグドロップするだけ?

行程がひとつ増えるだけでも大変なのに、スキャン予定の本が1000冊なら工程がx1000になるんだよ?


重要なこと

アドバイスや方法論に盲目的に従うのではなく自分なりの方法でやりましょう。

じゃないとあなたの本はいつまでも減りません。

細かいことが気になる方はやらない方がいいでしょう。

私の場合ブックオフに売るよりマシというスタンスなので適当にやってます。


good scan life!

2010-01-21

ttp://umashi.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/bookweb-4b5f.html

送料無料になってから初めて紀伊國屋書店Webストアを利用した。

ハードカバー単行本を2冊、アマゾンならば確実に佐川宅配便になるところを、ヤマト運輸の「速達メール便」で送付してくれた。

時間帯がデタラメで、当日再配達申し込み時限が早い佐川に比べて、メール便ということもあってポストに放り込んでくれた上に速達便だから発送翌日には届く(注文→翌日埼玉発送→翌日都内)サービスは昼間仕事に出ている身にとってはとても使い易くありがたい。

本についてはアマゾンで購入してもポイント対象にはならないしプライム契約するつもりも無いので、在庫状況次第にはなるが、今後本をオンラインで購入する際には紀伊國屋書店を中心に購入していくことにする。

2009-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20091027181046

同感。

一次や二次を通過しただけで喜んでいる輩のなんと多いことか。

本当の戦いは、ラノベ作家になったあとでハードカバーを出せるかどうかにかかっているというのに、そこが分かっていない。

ラノベ作家はたくさんいるけど、まともな文章が書けているのはほんの一握りだよ。

その一握りにあっさりと負けているんだから、一次通過で喜べる奴の気が知れない。

日本語になっていない文章を書くラノベ作家が多いのに、その人たちに下読みをしてもらおうだなんて愚の骨頂。

ラノベに応募する人たちは、「てにをは」が狂った本を読んでいることに気づかないのかね。

ハードカバーがすぐに出せるジャンルに来ればいいのにね。

「本をたくさん読め」と言われてラノベを読んでどうするんだろう。

だいたい、小説自体が斜陽産業だというのに、質の低いラノベが増える一方なのは解せない。

"hello world" が出力できるなら、プログラマになった方がよほどいいというのもそのとおり。

この業界に来る前に一度道を踏み外しなさい。

2009-10-09

二段組で読みやすかった本の四方の余白と行数と文字数を教えてくれ

二段組の本ってあんまり見ないからサンプルが少なくてこまる。

もし読みやすい本に覚えがあったらぜひ教えて下さい。

追記

明日までに何とかしなければならないので、藁にもすがる思いだったんだが、トラバがついていてありがたかった。

  • 二段組の本なんかいっぱいある

「あんまり見ない」の「あんまり見ない」は私が見ないだけで、世間に少ないと言いたかったわけではないです。

誤解を生んでしまったようで申し訳ない。

読書量が絶対的に少ない上に、書棚にあるのはなぜか文庫本や一段組のハードカバーばかりです。

まったくその通りなんだが、助けてください。

デザインについては門外漢のため(この整形もワードでやってるレベル)、少しでも教えてもらえればありがたいです。

趣味でもないんだが、本来は自分仕事の範疇でもないんです。

2009-08-06

書籍から見るゼロ年代

今年でゼロ年代が終わる.2000年が始まったときはミレニアム!と晴れ晴れしい気分であり,まさかゼロ年代なんてカタカナで時代が表されるだなんて思っても見なかった.そんなことを近頃思っていると「そういや,2000年とか2001年ってどんな本が平積みにされてたっけ?」と思ったので,簡単にまとめてみた.これは客観的な統計データのまとめではないし,選んだ本やその解説には恣意性だって含まれてると思うけど,はてブ等でフォローしてもらえたらと思う.

一般書では『だから,あなたも生き抜いて』がベストセラーであった.閉塞感のあった90年代において日本経済社会システムも崩壊が始まり,これまでのような一億層中流社会は望めなくなった.そんな時代に単なるサクセスストーリーとしてだけでなく,「生き抜く」ことを薦めるこの本がゼロ年代最初の年のベストセラーであったことは興味深い.

経済書では『経済ってそういうことだったのか会議』がよく書店平積みされていた.お金のことは銀行専門家にまかせておけばよい,といった価値観から自分の身は自分で守ろう,そのためには少しずつでも知識をつけようという価値観へ既に変化し始めているように思える.

また,9.11以前に文明の衝突論を展開していたという点でハンチントンが後にもてはやされた.『文明の衝突』は1998年

また,ソーカル事件を発端とする科学論者と科学者間の間の論争である『サイエンスウォーズ』『知の欺瞞』が出版された.一連の流れにより,科学は正しいものという固定観念が崩れ始めるが,その悪影響として疑似科学が隙間に入ってくることとなる.

2001年は一般書・自己啓発本として『チーズはどこへ消えた?』や『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーとなった.これらは自分探しブームの終焉でもあり,ありのままの全肯定でもある.その他の一般書では『声に出して読みたい日本語』のような日本語ブームが始まる年である.

ゼロ年代を象徴する批評家東浩紀が『動物化するポストモダン』を出版し,アカデミズムからサブカルへの転向,遅れてやってきたエヴァ批評として有名となった.その後の現代思想批評界は東浩紀とそのフォロワーによって進められることとなる.

また,疑似科学論争の大きなきっかけとなる『水からの伝言』がブームとなり,教育界では道徳の授業で使われたり,科学者集団がその疑似科学性を啓蒙したりする騒ぎとなった.

2002年は一般書では『生きかた上手』や『声に出して読みたい日本語』,『常識として知っておきたい日本語』がベストセラーとなった.また,『本当の学力をつける本』で陰山メソッドが有名となり,公立校進学校化など各々が一律である必要がなく,教育にも個性や多様性を認めるような社会風潮となっている.とはいえ,これらの風潮は後の格差社会と繋がらないとは言い切れない.

格差社会といえば,玄田の『仕事のなかの曖昧な不安』は社会安定を失った日本の将来を予見する内容であり,当時の日本社会空気を表す本としてピックアップすることができる.

不況下における人々の意識を表すかのように森永の『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーとなった.この年を前後してエコノミストと呼ばれる人々が盛んにマスメディアに出るようになり,銀行に預けるのではなく,個人が投資する時代になったと盛んに喧伝した.

9.11以降の社会を分析するかのように,ネグリハートの『<帝国>』やチョムスキーの『メディアコントロール』などが読まれた.特に『<帝国>』は左派に大きな影響を与えたといえる.

2004年は『バカの壁』が大いにベストセラーとなり,養老孟司ブームが到来する.その続編でもある『死の壁』も同様にベストセラーとなり,これらと時期を同じくして,新書ブームが到来.多くの出版社新書に力を入れ始める.

仕事のなかの曖昧な不安』を受ける形で『13歳のハローワーク』が出版され,自分探し(何がやりたい?)と自己肯定(何をやっても自分らしい)が同時に薦められるような時代となった.その一方で堀江貴文『稼ぐが勝ち』が売れ,Tシャツ姿で六本木ヒルズで新進気鋭の社長となっているホリエモンが多くの若者共感と多くの大人の反感を買った.この共感した若者は『希望格差社会』において希望が持てない若者たちであり,株取引による一発逆転という大平光代サクセスストーリーとは別の形の逆転劇を夢想させた.

新書ブームを背景に『頭がいい人、悪い人の話し方』,『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』がベストセラーとなった.特に『さおだけ屋~』はタイトル売りという技を駆使し,その後多くのフォロワーを生んだ.また,これまで『仕事のなかの曖昧な不安』『希望格差社会』といった「労働」というジャンルハードカバー本であった内容がついに『下流社会』と新書の形をすることで大衆化し,格差社会というゼロ年代キーワードを体現した.

また,東一辺倒であった批評界において,『嗤う日本ナショナリズム』によって社会学の北田が登場し,2ちゃんねる批評というものが生まれた.これはゼロ年代が徹底的にサブカル批評へ偏ることを決定づけた.

相変わらずの新書ブームで『国家の品格』『人は見た目が9割』等がベストセラーとなった.『国家の品格』は養老孟司から続く理系人ブームを引き継ぐとともに,後の品格ブームを起こした.『人は~』は『さおだけ~』のフォロワーであるタイトル売りであり,『なぜ、社長ベンツは4ドアなのか?』といったフォロワーも生まれた.

また現在まで続く重要な流れとして『ウェブ進化論』『Google』『「みんなの意見」は案外正しい』といったWeb論が生まれ,Web2.0玉石混淆,群衆の英知といった言葉がよく聞かれるようになった.これらの著書により,これまでYahooを使っていた人々がGoogleに移行したり,Wikipedia大衆化したりするようになった.これらのWeb論はあまりにオプティミスティックであると当初から批判されたが,アーリーアダプターにしか知られていなかったWebの様子を大衆化したその社会的影響は計り知れない.また,『フラット化する世界』がベストセラーとなり,インドの台頭が認知され始めた.

品格ブームを引きずって『女性品格』,○○力ブームを引きずって『鈍感力』などが一般書としてベストセラーとなった.また,理系人による本として『生物と無生物のあいだ』が読まれた.

データ重要となったことを示すような本として『その数字が戦略を決める』がよく書店平積みされていた.Web時代においてGoogleが大規模DBデータをため込むようになり,既存の専門家よりもデータが多くを語るような時代が幕開けしたことを告げた.

その一方で,「炎上」という言葉が一般用語化し,梅田オプティミストによるWeb論に対して,Webの負の面を大衆化させるような本として『ウェブ炎上』や『フラット革命』が登場した.

また,格差社会論は「ワーキング・プア」や「ロスト・ジェネレーション」といった言葉を生み出し,ワープア論壇やロスジェネ論壇と呼ばれるものが生み出され始めた.特に「『丸山眞男』をひっぱたきたい----31歳、フリーター希望は、戦争。」という赤木の論考は衝撃的であった.

どういう流れからか,『×型 自分説明書』という血液型本がバカ売れした.これも疑似科学ブームの一端なのだろうか.そして,はてなー大好きの勝間本『効率が10倍アップする新・知的生産術 自分グーグル化する方法』がついにベストセラー化した.いつの頃からかライフハックという言葉がよく聞かれるようになり,多くの自己啓発本書店平積みされていた.また,サブプライム問題までは外資系コンサルが重宝され『地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」』が売れた.

批評界では東にケンカを売る形で宇野ゼロ年代の想像力』が,東のフォロワーとして濱野『アーキテクチャ生態系』が現れたが,どちらも東の影響を多分に受けており,ゼロ年代批評が東一辺倒であることを決定的にした.

ロスジェネ論壇ではその名の通り『ロスジェネ』という雑誌が創刊し,蟹工船ブームが生まれた.また,秋葉原通り魔事件が起こったことにより,多くのメディアによって事件が消費され,それらは常にロスジェネ論壇,フリーター論壇とともに語られた.

##せっかくISBN記法したのに,増田だと使えないのね.

文字ばっかりでごめんなさい.

2009-05-31

物事の相似形を探すのは面白い.

聖書やお経など,宗教に絡む抽象的な文章は

身近な具体的な出来事と絡めて,トレースができるほど

それの文章は汎用的だと言えるのではないだろうか.

屍鬼という小説の作中,静信というお坊さんが書く小説が面白い.キリスト教7つの大罪の一つ.憤怒を象徴する,カインとアベルお話ベースになっているのだが,彼自身,自分身の回りの村や寺,そしてその中にいる住職としての自分や父,村人との関係性となぞらえて,小説を書き出している.

彼には何故,と考え続けていることがある.

私にもなぜ,と考え続けていることがある.

そこに私もトレースしてしまうのだろう.

このところ,このテーマとなってる話ばかり見ている気がする.

・ザ クイズショウ:番組司会者とそのプロデューサー関係物語のキーとなっているのだが,そこにあるのが「憤怒」だった.これを見て私は,怒りすぎるのも考え物だと思った.

・ストレイストーリー:主人公は,危篤の兄の知らせを受け,トラクターに乗って兄に会いに行くのだが,道中立ち寄った教会で,カインとアベルの話に自分と兄の関係をなぞらえていた.きっと,カインがアベルに抱いた怒りに近いものを持ってしまった(怒りすぎるのも考え物だ)という罪として主人公にひっかかりがあったのではないかと思う.最後は兄と和解したようだった.

そう,それでカインとアベル関係について調べていくと,ヤフー知恵袋屍鬼についても触れられていたため,あの分厚いハードカバー2段組み 2冊を読むことにした.もともと屍鬼自体はジャンプで連載されている漫画を友人から借りて4巻まで読んだことがあったため,ひぐらしバトロワなどの村での惨劇物語として認識していた.ブログでの評価を読むと,カインとアベルについての新解釈だと書いてあるものもあった.

さて,静信の書く小説と静信自身については本を読んでもらうとして,私自身に起きたごく個人的なことについて話を進める.

ありきたりな人間関係についての話だ.

自分に好意をもった男性がいて,それに絡まれた私はどうしようもなく絶望的な気持ちになり追い返してしまった.その後それを仕組んだ友人からなぜ断ったのか責めるような目で見られ,とても悲しい気持ちになった.もう5年も前の話だ.

なぜ,私は絶望的な気持ちになったのか.

なぜ,悲しい気持ちになったのか.

この出来事の直後,私は精神体力ともに虚脱してしまい,このような状況整理も問題把握もできずに,ぐるぐると悩んでは泣き悩んでは泣き悩みすぎたことにまた悩んでいた.

あとから考えると抽象的で荒唐無稽な話ほど,自分の周りの具体的な事象に重ね合わせてしまいやすのかもしれない.

結局私は彼をねたんでたんだと思う.

仕組んだ友達は私に対して親切というわけではなかったけれど,

彼に対しては親切にしていた.

それを私はねたんでたんだと思う.

今思い出すと,彼に対してしたことは後悔している.

つきあう付き合わないは別にして,私の話も聞いてもらえばよかった.

話した後はそれでお開きになっても,その後会えば何かしら話すこともあったかもしれない.

ねたんでしまってごめんなさい.

それにしても自分を好きだと言ってくれる人を妬んで嫌がらせするなんてどうかしてる。

調べたらそういう病気もあった…自己愛性人格障害

悪化させないようにしなきゃ…。

2009-04-12

維新政党新風真実

東京行ったときの話。

西麻布カフェ眼鏡をかけて、春物の格好いいジャケット着て、チャンドラーハードカバー読んでた人がいたんだよ。

驚いて良く見てみたら、新風連代表の瀬戸弘幸だった。

サイン貰おうと思って声かけたら、気さくに応じてくれた。

blogと印象違いますね」って言ったら、「演出なんですよ・・・。僕は嫌なんですけど、スポンサー関係で断れなくて・・・。世間の人にイヤな思いさせて、本当に申し訳なく思ってます」だって。

その後お礼言って、しばらくお茶飲んでたんだけど、帰ろうとしたら店の人に「お代は頂いてますから」って言われた。

オレの分だけじゃなくて店にいた人全員分払ってくれたみたい。

それからホッテントリで見るたびにぶくましている。

youtubeであの姿を見ている人には、信じられないと思うけど、全部作り話

2009-03-21

小説を読む姿、漫画を読む姿

小説を読んでいると頭よさそうに見えるけど、漫画を読んでる姿はそう見えない。」

もちろんこれはバカな話で、これに当てはまらない例なんてたくさんあるし、大体「頭がよさそう」と言うのがあほらしい。

ただ、失礼な話ではあるけど、それぞれの姿を見るとなんとなくこんな印象を受ける。何でだろうか。

どっちも内容はピンキリなのに、小説漫画という、内容に関係ない分類でそういった差が生まれるのがどうもしっくりこない。

それで、最初に考えたのがページをめくる時間間隔。これは小説の方が漫画より長い。

この静止してる時間の長さと言うのが、頭がよさそうに見えるかどうかに大きく関わっているのではないか。

確かにペラペラめくってるよりは、じっと本に見入ってる姿の方が賢そうに見える。

次に、本の大きさや紙質も関係してるよなと思った。

これは根拠無いんだけど、文庫本サイズって、なんか「頭良く見えるサイズ」な気がする。

これが少し大きくなって新書漫画単行本サイズになると、それほどでもない。

さらに大きくなって雑誌とかハードカバーとかになっても、しっくりこない。

かといって豆本とか小事典みたいに小さければいいかというと、それも違う。

文庫本のサイズってのは、情報が丁度いい具合に詰め込まれているように見えるんだろうか。

あと、全体として小説の方が漫画より紙質いい気がする。これはあんまり関係ないか。見えないし。

カバーの有無もあるかな。カバーしてあると何の本か分からないし。難しい顔して読んでたらそりゃあ賢そうにも見えるか。

何でこんなこと考えたのか。自分が本を読む側だったらこんなのどうでもいいんだけど、自分が本を読んでいる人を見る側だったら、絵になる人を見るとほわーっとするので、それは何でだろうなあ、って感じだろうか。

2009-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20090304100108

A4で10枚もの内容をもったビジネス本なんてまずねえなあ…。

新書で4、5枚。まともなハードカバーで余裕みて10枚か。

ペラビジネス本ごときは名刺サイズ1枚で充分。

2009-02-26

ラノベ的なもの、ラノベ的でないもの

 ライトノベル・ブームなどと一部では言われているものの、実際には現在、まともな関心に値するライトノベルはほとんどない。そもそもここ数年間(〇四年以降)で、一部マニアの関心を超えて認知するに足るラノベ作家は、有川浩冲方丁、それに桜庭一樹の三人くらいしかいなかった。しかも皮肉なことに、その彼らの作品の質は、むしろラノベ的なもの(ここではあえて漠然とした表現を使っておくが)から距離をとることで維持されてきたように思われる。

 どういうことか。例えば有川。『空の中』『海の底』の二作で決定された彼女メジャー路線・一般文芸路線は、それ以前の作品、例えば『塩の街』が豊富に持っていたセカイ系想像力の抑圧の上に成立した。ハードカバー版『塩の街』を読むと、有川がその切断を意図的に行ったことが確認できる。また冲方の『マルドゥック・スクランブル』は、ラノベ特有のキャラクター小説とは対極にある自然主義リアリズム、およびのちに獲得した日本SF大賞という名声からして、ライトノベルの状況からある程度独立制作された作品だと考えてよい。つまりSFであるがライトノベルではない。三人の中では最もゼロ年代ラノベに深く関わっていた桜庭でさえ、メタフィクション的な志向の強い『桜色ハミングディスタンス』を発表した後はミステリ作品や一般文芸作品を精力的に執筆するようになり、結局『赤朽葉家の伝説』で「ライトノベル」「キャラクター小説」と完全に決別してしまう。ゼロ年代後半以降、ラノベ作家たちのほとんどは一方で低品質な異能バトルを、他方で、急速に整備されたネット環境をフルに生かした一部マニア向けの、ただ萌えキャラが登場するだけの作品を無批判に生産する閉塞した状況に陥っていた。上記三人がかろうじて良質の作家たりえていたのは、彼女らがともかくは、そのようなラノベ特有の作り手と受け手が一体となった閉塞した空間(ラノベサイトこのラノニュースサイト2ちゃんねる)に荷担することを拒否しえていたからにほかならない。つまりライトノベルは、ジャンル全体として、ここ数年圧倒的に―――その市場の巨大さと比較すれば信じがたいほどに―――不毛だったのである。

 ライトノベルという表現ジャンルは、上遠野浩平以後、急速に量的拡大と質的分化を遂げた。あらゆるジャンルと同じように、ライトノベルにもまた「ラノベ的」としか言いようのない物語や文体が存在する(例えばそこには、SF冬の時代の数少ない遺産がある)。にもかかわらず私たちはここ数年、ライトノベルジャンル特有の諸規則を生かした、つまりいかにもラノベ的でかつ高水準の作品というものを何一つ手にしていない。これは驚くべきことだ。ラノベジャンルとして死んでいる。

 おそらくこの問題を、いままで最も真摯に受け止めてきた作家桜庭である。彼女出世作『赤朽葉家の伝説』は、その意味で徴候的な作品だった。物語から「萌え」的要素を排除し、オリエンタルマジックリアリズムイメージ社会科学系タームを大量に投入して作られたこの作品は、評論家受け・一般文芸受けの戦略に満ちたかなり空虚な作品だ。にもかかわらずそれは、桜庭のかつての傑作『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』やライトノベルミステリ最高峰『GOSICK』などよりも評価されてしまう。桜庭はそのことをよく分かっている。彼女は、ライトノベルというだけでは、誰も作品をまともに見ない。逆を言えばちょっと文体を変えエサをばらまけばすぐに文学的・一般文芸的(「もはやラノベではない」)とされるその現状を、アイロニカルに追認して『赤朽葉』を書いたわけだ。その所作は悲劇を通り越して、滑稽というほかない。僕はそんな桜庭を見ながら、ますますライトノベルの終わりを痛感している。

2009-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20090208215931

富士見ミスはな・・・いい作品も多いんだけどどうしても

ミステリってレーベル名前にしてるのとそのマイナーさゆえに売れないのが多いんだよな。

富士見ミス繋がりでヤマグチノボルの描きかけのラブレターとか富士見ファンタジア貴子潤一郎12月のベロニカや眠り姫、あとはハードカバーになるが桜庭一樹ファミリーポートレイト、荒野、少女には向かない職業

ひとつ言える事は少なくとも本屋平積み特集されてるような作品には心に来るような作品は少ない。

そういうのは単発物の方が多いよ。

まあ、ラノベ初心者には単発系を漁れってのは結構な難題だけど(作者の当り外れの知識的な意味で)

2009-02-01

積ん読」を防ぐ本当の方法

自分にとって読むべき(読みたい)章だけを、本からちぎって、常にかばんに入れて持ち歩く」

自分の場合、これが一番有効だった。特にIT関連。ほとんどの場合、かばんに入れてから

2日以内に読んでしまう。

IT関連の本は大体重いから、一冊まるごと持ち歩くのはちょっとつらい。

あと、ちぎるなんてことまでしたのだから読まなきゃ、っていう心理が働いた。

それにこの状態なら線を引いたり書き込んだりするのも全く抵抗がない。これ

も大きい。

本をちぎるのは抵抗があるというか、本は大切にしなきゃって考える人もいると思う。

この大切にっていうのは、小説とかには当てはまると思う。特にハードカバーだと、

本全体が一つの芸術作品、みたいな気がするし。

ただ、そういう味わう為の本じゃなくて、知識を得る為の本に関していえば、一番

もったいないのは、せっかく買った本から知識・知恵を得られないこと。

自分も正直最初は抵抗あったけど、仕事の要求が厳しくなってきた&自分にとって

本当に必要なことは何かということをよく考えたら、ある時ふっきれた。

これを実践するようになってから、無駄にしていた時間を有効活用している、という

実感はある。

あと細かいTIPSメモ

・なるべくまだ読んでないものを常に入れておくこと。

・その為にはちぎったまとまりを、あらかじめたくさん作っておくこと。

・根元からゆっくりちぎらないと失敗するので注意。

かばんを開いたら必ず目に入る場所に入れること。

・読んだ範囲については、自分の理解したことをPC入力して、必要な時にすぐ

見られるようにしておくこと(たまに読み直すのがベスト)。

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以下を読んでから書きました。

本を買ったが読まずに積んでそのままにしてしまう「積ん読」を防ぐ10の方法

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090130_stop_accumulating_books/

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