はてなキーワード: モレスキンとは
昔買ったモレスキンのノートを今でも使っている、残りページは半分くらい。
モレスキンを知らない人に一言で説明すると値段の高いノートだ、知っている人からすれば納得いかない説明だと思うけど伝わりやすさ重視ということでお目こぼしを頼む。
さておき、使っている、と言ってもその頻度は実に稀だ。
万年筆使いたいな、という気分の時に簡単な日記やメモを残す程度、むしろ極力使わないようにしている節さえある。
ただでさえ手書きで何かを書く頻度が減っている令和4年だというのに自ら頻度を落とそうとしている以上、全然ページが減らない。
購入時に千円以上した記憶がある、そのノートを無駄な落書きでガシガシ埋めるのは勿体ない、と購入当時から使用をセーブし続けて今日に至っている。
結果として雑な日記やメモに使ってるのだから構わず使えと自分でも少し思うのだが、それでもモレスキンだけはどうしても温存を意識してしまうわけで。
その代わりに雑な落書きが出来るノートを別途購入するともー本当に本末転倒以外の何者でもないのだ。
「ああ、これが学生時代にあったらヘビロテしたのになあ」と思いながら落書き帳とB5ノート、そして単行本ノートの3つを使っている。
特に単行本ノート、これが小学生~中学生の頃にあったら事ある毎に買ってただろうと思うほどにお気に入り。
強いて言うならサイズピッタリの下敷きが中々見つからないのがネックだが、俺は部屋に転がっているプラ板をカッターで切って自作した。サイズの合った下敷きがあるとやっぱり便利だ。
余談だが同じものをモレスキン用にも作って愛用している、つまるところプラ板はとても便利だという話に着地するわけだが、このプラ板も随分と長いこと転がしていた古いものだ。
モレスキンの下敷き作ったの数年前だったから……よく転がしていたなこんなもの。
「そんなにノート買って、今の時代使うの?」と思われるだろうが、実際のところ普通に生きていたら使わない。
なんていうか「使う為に使い道を用意している」と言うのが正確だと思う。
字の練習したり、パソコンでやったほうが効率いいよなと思いながらも手書きで1人ブレストしたり、そういう用途を主としている。
文房具好きな人には有名らしい?が2000円近くとノートにしてはお高めな奴だ。
得に必要ではなかったが、高いノートってなんかかっこいいな程度の動機で買ったのでまあすぐ飽きて使わなくなった。
2022年になった今でも現役で使えるし、高いだけあって紙の質はメモ帳の比じゃない。
そいつが、8年も経つのにあと100ページくらい残ってるんだよ。
そしてここに、数年前「ジェットストリームって高い奴もあるんだ」と衝動買いして以来全然使っていないボールペンがある。
当たり前だがボールペンも経年劣化とは縁遠い、今でも問題なく書ける。
おそらくまた数日、俺はご機嫌でモレスキンに雑な日記をつけるだろう。
そりゃまあ1月も過ぎて今後 買おうという人も圧倒的に見込めないわけで割引も頷ける
けどこれだけ割引されてるのだから、と何か買おうかなという気になる
欲しいと思うものはすぐにいくつか見つかる
後輩が使ってて、意外に便利そうな1日1ページ形式のスケジュール帳
分厚いけどたくさん書き込めるし、1年間はそのノートなわけだからメモも振り返ることができる
けどなぁ、、仕事の情報なんかを厚くて立派な表紙のダイアリーに後生大事に書き込むだろうか?私が。いつもノートに殴り書きだ、書く時は一度に何ページも使う。逆に打合せ等なければまったく書かない日が多い。
大きなノートもいいが、ポケットに入るサイズってこれまで使わなかったし、使ってみたいかも。
仕事で?こんな素敵な手帳をあの仕事で?いやいやいや。ちょっと覚えとくようなことならPC内のソフトやら共有のスケジュールアプリやらで事足りる。じゃあ日常の、、買い物メモとか。でもそれはスマホのメモアプリをもう使ってるなあ
空き時間を細かく確認できる手帳、これもいいかも。…でも仕事では打合せの予定すらろくにないし。プライベートの予定はそもそもそんなカツカツに入れたら回らない。平日の夜枠、土日の午前、昼〜午後半ば、夕方〜夜 くらいの単位にしかならない。それならスマホのカレンダー、予定アプリで十分だ。
改めて考えると、自分はまるで使いそうになかった。
欲しいけど、買ってもしょうがないのか。
2つの仮説がある。それは
◆Aさんにありがちなこと
腰痛クッションを敷いている(ツボ押し棒が椅子に引っかかっている場合もアリ)
社内でもらったキャラグッズを使っている(あげた人が驚く)
どんなにテンパってても人に話しかけられたら結構じっくり話し込んだりする
それでさらにテンパってたりする。
段取り下手すぎるけど、見かねたまわりの人が助けてくれてどうにかなる
余談が長い
周りにいる人をほっこりさせる
◆Bさんにありがちなこと
ミニマリスト(捨てることに抵抗がない)
あまり席にいない
メールがかなりの頻度で「iPhoneから送信」(iPadもあり)
テンパらず堂々としている
段取りがうまくてだいたい一人でやれる
やたら知り合いが多いが、外注先はけっこう毎回違う
打ち合わせが短い
まわりにいる人を怯えさせる
Aさんの机がつねに汚いのは、
常にやってくる「自分の外からのもの」を受け入れてしまうからだ。
Bさんの机がきれいなのは、
デキる人は物が少なくて机がシンプルっていうけどさ
ある程度の規模の組織においては、じつはAさんタイプのが強い気がするなあ。
ちなみに私の机は超きれいです。
5時にラジオが入り、NHKの特別番組が流れはじめて目を覚ました。うつらうつらしながら、いくつかの投稿を聞く。家で息子とホームステイのオーストラリア人の青年を亡くした人。二階に寝ていた2人は三階の梁の下敷きになったらしい。建材とベッドの間に挟まれて、ベッドをパタパタと叩く音がしていたという。投稿したお父さんにはどうにもできず、仕方がないので、その息子をそこにおいたまま、近所の家の救出を手伝っていたとのこと。これで、一人分だ。ホームステイの青年の話は出なかった。娘さんは無事で今2人の子供をなしている、という報告も添えられていた。ホームステイの青年はどういう人生を送ってきていたのか、娘さんは震災の後どう生きられたのか。この投稿をされているご本人は。想像を絶する。のんきに生きている自分のような人間とは別の「壮絶な」人生を送られたのだろうな、と心を閉じそうになる。
そこで思い直した。あぁしかし、この手紙はわたしの帳面と同じようなものではないか。布団の中でうつぶせになって寝る前に置いたモレスキンの場所を確かめる。父が亡くなって少し経つが、葬儀を終えたとき、様々な情報や感情がバラバラにわいてきて、これはどこかに拾っておかなければいけない、と思って、新しい帳面を出して、書き始めたのだった。2日前の葬儀のこと、今日の市役所への届け出のこと、父が死ぬ直前のこと、3つ上なのに容色いまだ衰えぬ従姉妹に久しぶりに会って俺脳内掲示板に「従姉妹が美人すぎる件」スレが久しぶりに上がったこと…思いついたものから採集するつもりで、白紙のページに、文やタイムラインや絵で書いた。
「充分に書く」「気が済むまで書く」ことなど最初から放棄していたから、どれも簡単なものだが、そのとき感じたいくつかの微妙な感情を拾うことができた。起きたことのなかに「ここは泣くポイントなのではないか?」という箇所を見つけて、そこをつつくようにエモく書きながら涙ぐむ(複数の時間をまたぐような表現をすると人間は簡単に泣く)こともあった。
わたしは、「はてな匿名ダイアリー」で改行たっぷりに書かれるような自己憐憫の文章が大嫌い(掲示板みたいに対話してる奴はもっと嫌い)なので、書きながら感情に埋没してしまわないように、帳面の構成自体も、書き始めは右のページから書いて左を空けておき、左は後から書き入れることにした。いくつかの声のパッチワークのような使い方をするのが自然に思えた。思春期の若者みたいに、自分が書いたエモいことで盛り上がってさらに書いて、それで方向性が絞られてそこに内面のことしか書けなくなって、じき熱がひいたら内面ほじくるのに飽きて、あとには5ページくらい書いた帳面が残る…みたいなのは、さすがに嫌だ。
極度に飽きっぽい自分の性格もある。深く突っ込まなくていいから、続けることを優先しなくてはならない。日常の時間と並行させながら、父の死やその周辺の時間を記録再生しなくてはいけない。そう思った。だから、いろいろ書いた、とは言っても、それぞれは、思い出しメモに毛が生えた程度のものを、日常の思いつきや飯のおかずメモに交えて、頁のあちこちに、ちょこちょこと書いていったにすぎない。
それでも、自分がウジウジしたことを文字にしたこと、そしてそこを読み返してメソメソできるということが、驚きであった。げぇ、そんなことするんだ、俺が。(あと、仏壇に手を合わせたとき、父に向かって何か言ったりすることがあるのも、われながら驚きだ。)
しかしそれは、やらずにはいられなかったことだ。ラジオで読まれる便りを聞きながら、これはわたしの帳面と同じだ、と思ったのはそういうことだった。死んだ人の人生がどうだったのか、残された人の人生がどれほど壮絶だったのか、知ることは難しい。壮絶ったって20年ずっと1秒も絶え間なく死者を背負ってきたわけではないだろうし、投稿されている文章だって20年かけて整理された心が書いたものなのだ。取捨選択も誇張も忘却もあるだろう。簡単に言えば、死者のことを思い続けるのは難しいことだ。わたしの帳面につまらない落書きや関係ないことが書き入れられ、ページが進むごとに書き物の性質も変わっていってしまうように。しかし、ページをめくって過去をたどると、今でもちょっとは、感情が動かされる。それはわたしに起きたことで、そのことが私を少し変えてしまった、それは確かなことだ。このエモいメモは、ことの一部しか見ていないし誇張ではあるだろうが、ともかくも、わたしはこれを書かずにはいられなかった。
※雑すぎるので期待しないで欲しい。
概ね満足しているが、唯一ペンの収納ができないのが不満。
ゴムの斜めがけ、2重斜めがけなどの手法もあるようだが
http://forever.pressbox.jp/blog/index.php?e=41
そこで、デスクにある道具で
用意するものは
・ホチキス
のみ。
1.ペンをポストイットで裏向き(普通に文字を各側を裏にして)はさむ。
3.これを2個作る
4.モレスキンの表裏の表紙の裏に、作ったポストイットをはって完成!
意外な事に、糊を使わなくても
閉じた状態では外れない。
本家バタフライストッパーの『開き防止』としては機能しないので
それを期待するなら糊かホチキスで留めてしまうのが吉。
とにかく、簡単に、取り返しのつく方法ということで。