「陰険」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 陰険とは

2019-12-15

普通の人しか出てこないループもの

『恋はデジャブ』って映画がすごく良かった

ちょっと陰険な感じのお天気リポーター田舎の町での出張リポート中に謎のループ現象に巻き込まれて、雪に閉ざされた田舎町の1日を繰り返すうちにいろいろやっていく…って話 ループ現象の原因とかが一切明かされないのが逆によかった

ループものってけっこういろいろあるけど、だいたいループだけじゃないんだよな ループの原因は何なのかっていうのを話に組み込むとどうしても何か劇的なSFファンタジー要素を入れないといけなくなってくる

そういう劇的さが少ないループものってなんかないかなあ 普通の人が同じ一日を繰り返す中でなにかやる それ以上の奇妙なこと(宇宙人とのバトルとか)はない ってやつ

2019-11-15

差別区別とを混同するな

マスコミ韓国人が、韓国に不利なことを言えば差別、と騒ぎまわるからだろうか

最近差別区別とを意図的に分けて考えられる人が減ったと思う。

あるアメリカ人が言う。

「米政府は日系移民は殺せ」

これは生存権利日本人であると言うだけで、アメリカ人全体として奪うのだから差別と言っていい。

日本人シャイだらか難しい。会いたくない」

これは日本人と言う属性対応して自分の行動指針を変えているだけだ

似たような事で

「当社は日本人採用しません」=差別(的だろう、たかだか就職が天与の権利と言えるかどうか)

「当社では日本人採用に当たっては、特に英語力の高い方のみです」=区別

ということになるだろう。


反日韓国人は嫌い」、「韓国人約束を守らない」

これは差別ではない。区別だ。

韓国人と言うレイヤーにたいして、まずはこいつは反日に違いないし、約束を守れない奴だ、という閾値をもって接するという事でしかない。

そこから時間をかけて関係改善されることも、されないこともあるだろうが、韓国人は何も奪われてはいない。

努力によって変わる事がない国籍人種と言うレイヤーであっても、だからこそ、基準が変わるものなんて幾らでもある。

就職氷河期世代は可哀そう」、「ホモは性欲が強い」、「鉄道オタク危険」、「沖縄県人は時間ルーズ」、「京都人陰険

どれもこれもレイヤーに対する個人判断基準や、行動の指針を大雑把に決めるための閾値しかない。


差別と言えば怯むと思ったら大間違いだぞ

2019-10-14

anond:20191014220642

この文脈で出てくる笑いはお笑いとは別じゃない?

増田の言う陰険さって言い換えれば社会圧だし。

anond:20191014220051

弱いものが強いものに対して笑う

ってよりも

集団規範からはみ出した少数をみんなで笑う

って方が圧倒的に多いとこが陰険なんだよね。

本来お笑い趣旨って前者だったはずだと思うけど。

2019-09-09

世の中に馴染めない

さびさに人間と共に過ごして辛くなってきた

自分自分でなかったら、とこれほど思うことはない

今日もまたジャニーズの話になってしまって、無言でお茶を飲んでいた

ああこの人たちがジャニーズの話なんかしなきゃいいのに、と思うが

会話の内容まだコントロールする権利など無いわけで

他人が思い通りにならないことに苛立ちを感じることは、一体何歳になれば卒業できるのか

(この歳までダメだったのだ。生涯このままの可能性の方がが高い)

悲しいことに未だ苛立ちという感情封殺することが出来ないので、せめて隠し通そうと2人が話している間私は疲れたふりをして無言でいたのだ。(本当のところ拗ねていただけだ)

コントローラブルからは程遠い人生翻弄され、他人が思い通りにならないことを赤ん坊のように苛立っている自分にも、この無力な人生にもうんざりするし

ただなんの意味もない気がする

きっともっと人間に近い人間に生まれられれば、こんな風に自分から一歩引かずに「どうして私が興味ないってわかってるのにジャニーズの話するの!💢」とか言って不機嫌になれてたかもしれない

そうすれば優しい友人のことだから、私に気を使って別の話題に移ってくれただろう

結局のところ、言うべきことを言わないことで人生が思い通りにいかないのだ

しかし、他人が思い通りに動かないことには苛立つが、思い通りにしたいとは思わないし

幼稚な事を言えば、後から幼稚な発言をした自分にも嫌気がさすことは目に見えている

他者と関わる事で自分を感じるとは言うが、この臆病で陰険で幼稚な人間性を感じたくないから、人付き合いは嫌いだ

人間自体は好きなのだ。話すのは好きだ。人肌も好きだ。副次的に発生する自己認知が嫌いだ。それは特に自分他者が違えば違うほどはっきりと感じられる。

ああなぜ私は私なのだろう。友人すら他者と呼ぶほど他人との距離が遠い。人に心を開かない。パーソナルスペースは広くとりたい。近づいてこないでほしい。肉親の葬式でも泣かなかった。泣くべきだったのに。大事なのだが、大事分の執着がもてない。他人に興味がもてない。そして一応アスペではないのだが、軽度にその傾向が入っているのは確かで、興味のあるフリすらできない。

人は色々なものに執着していられるので羨ましい。好きなものがたくさんあったら幸せだろう。どうして好きでいられないのだろう。その辺のオスを運命相手だと信じ込んでヒロインになれる動物的に正しい人生があってもいいじゃないか

羨ましい。他人のことが好きで、興味を持てて、人間と常に過ごすのが苦でなく、同族と群れを作り生きる人々が。

一方で彼らのようになりたいとも思わず、彼らを嫌い嫌悪している自分もいる。

人とは仲良くしたいが、距離を置きたい。でも都合がいい時はそばにいてほしいと思うのだから傲慢だ。自分自身の傲慢さを許容できればよかったのだが、残念なことに健全精神の育成に失敗した半生のせいで理想には程遠い自分を許すことができない。こんな傲慢自分を人に見せるわけにはいかないので、他人とは取り繕えるだけの短期しか会いたくない。

自己の中で色々なことが相反し、それを処理しきれない。処理しないまま傍若無人に生きている人もいて、そうなりたい気持ちと、別にどうでもいいような気持ちと、ああはならないようにしなくてはという強迫観念から逃げきれずにいる。

それはジャニーズを好きになりたい気持ちと(人間の女に迎合したい)、別にどうでもいいような気持ちと(生来興味がないのだと思う)、あん馬鹿っぽい奴らを(と母がいつも言っていた)奴らを好きになってはいけないのだという観念によく似ていると思う。

どうなってはいけないか、どうしたらダメか、といつも考えるのだが、肝心の自分が「どうしたいか」ということはよくわからない、というかあまりその欲求がない

どうにもなりたくない。

しまなければそれで良いのだが、幸せを勝ち取ろうとしない限り+1どころかマイナスに陥るのが人生だろう。(下方婚増田系の増田はその辺を理解していないのではないかと思う)

人生が0に近づければそれでいいのに、漸近線で永遠に0には近づかない。プラスを望む人間は少なくともマイナスはいないように見える。

生きていくのはよくわからない。あと10分生きること、あと10年生きること、何が違うのだろう。終いには全てなくなる。自分死ぬことを私は観測できない。よくわからない。この溺れ続けるような人生意味が。

上へ、水面へと、もがかなければ沈み続ける。

しかし、どれだけもがき続けようと最終的には沈む。早く沈んだほうが楽ではないか

しかし、それは間違った考えで、世の中というのは皆が正しいということの方が大抵正しい。私だって昔は多くの間違った考えを持ち、それを正しいと信じていたいたが、成長するにつれて自分の間違いのほうが圧倒的に多いと気づいた。

まりこの死生観は間違いである。少なくとも、幸せ人生を送るためにはニヒリズムを捨て去る必要がある。

だが、ニヒリズムとの付き合いは遡ること幼稚園の頃からのことであり、エラーのように生まれてくるニヒリストの1人が私であった不幸はもう取り返しがつかない。

意味がない人生に、「意味を見出すことが幸せである」と信じながら、見出せずに生きていくのだろう。

世の中に馴染みたい。だがそれにもなんの意味もない気がする。このような思考こそが全く意味がないことであり、今は明治時代のように人生意味など考えている暇があったらタピオカの列に並ぶのが正義である時代だ。ああつまらない。人など皆死ねばいい。

せめてこの世に絶望することぐらいは否定しない世だったらよかった。しかし、嘆きは文句と取られつべこべ言わず幸せになるなり死ぬならしろというのが今の世だ。

黒板の上に学級目標の「ポジティブに」の文字に押し潰されそうな気持ちでいた頃から何も変わっていない。

ただ私だけ禅問答のドツボにはまり人生を嘆いている間に、人は実態幸せを手に入れたり捨てたりしているのだ。取り残されていくように思うが、初めから私は同じところにいなかったようにも思う。

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-08-23

anond:20190823220424

いじめを受けている子は気が優しい生真面目な子が多い。

1つ言わせてもらえば、いじめを受けた子はなにも悪くないし、

いじめたほうは、心が悪に染まってしまっていて

成人しても誰にもいい影響を与えない、なまけで陰険卑劣なだけ。

死んだら地獄に行く。

2019-08-10

貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか

というツイートに対して、

https://t.co/3wqZGCqLzd"

所詮個人の(特定集団の、というべきか)感想だし何を言おうが勝手だが、胸の悪くなるような悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪いので、人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人だな、と思った。

という罵倒ブコメを書いたところ(陰険でよくない習慣だ)、

特に胸糞悪くなる様な文章では無いと思うのだけれど、どのあたりがそうなのだろう。もちろん、胸糞悪いというのも、個人感想なら勝手だし、ブコメを書いちゃ駄目な人だとも思わなのだが。

という質問を頂いた(冷静でよい質問だ)。

私の書いたことを反復してやり返されてるあたりに煽りを感じなくもないけど、

上記ツイートを読んで胸が悪くならない人にとっては正当な疑問だと思うので、

説明を試みる。

 

1) 「キッタネ少女像

「キッタネー」なんて言うのは、論評の範囲を外れた軽蔑吐露しかないと思うが、

ここは文頭でもあるし、多少どぎつい表現で書き出して読み手を引っ掛けるのは、

穏当ではないにせよ、表現手法の一つと言っていいと思う。

ぎょっとするけど、まぁ何を言うのか読んでみるか、と思わされるところはある。

ただし問題は、後段で「キッタネー」と思う理由言語化を試みていないところにある。

あえて斟酌するなら、技術の不足や表現杜撰さによって不快を感じた、ということで、

イラストレーターの鋭敏な美的感覚からすればそういうこともあるだろうと思う。

別にイラストレーターじゃなくても言って良いんだけど)

「そんな重いもの表現するのに、そんな適当仕事でいいのか?」という方向で、

表現意図を(賛同しないにせよ)酌んだ上で、その実現における難点を、

実物に即したかたちで(つまり実際に観察した上で)言語化しているのであれば、

「キッタネー」と文頭で言うことぐらいは許されると思う。

でもそれをしないで「キッタネー」とだけ言ってるので、やはり論評とは言えない。

単に政治的文脈に対する不快感を、仮構した芸術的不備に転嫁しているように読める。

ただしこれだけなら「感想」の範囲ではあって、明確な悪意までは感じない。

単にぶっきらぼうで露悪的な言動を好む人なんだな、と思うだけ。

 

2)「かの国のプロパガンダ風習 まるパク!」

天皇写真を燃やし〜」という作品についての論評として書かれているのだが、

ここで「風習」という語を選択するところには、明確な悪意が込められている。

この文脈作品表現引用元を指摘する)で「プロパガンダ」と連結しうる語は、一般的には

手法」、次点で「技術」「様式」、あるいはちょっと意味を拡大して「文化」といったところである

しかしそれらの語を選ばず、あえて非標準的な「風習」という連結語を選ぶことの含意を分析すると、

プロパガンダ」に「風習」という語が含む土俗的、前近代的イメージを付着させ、

かつそれを、発言者揶揄対象としている(おそらく)東アジアの一民族が古来から持つ習俗

と考えていることが見て取れる。

言い換えるなら、特定民族に対して「未開人」「土人」などと呼称するのと同型の差別的認識を、

しっかり内面化し、かつ機会があれば表現するのをためらわないからこそ、

風習」という語が(「手法」や「文化」を押しのけて)ここで選択されているわけである

作品についての論評の一部(引用元の指摘は端的な論評と言える)ということで、

ギリギリ許容されうるのかもしれないが、婉曲的なヘイトスピーチである

婉曲的、は外してもいいかもしれない。

 

3)「低俗ウンザリしかない」

現代アートに求められる」もの(あまり一般的ではないようだけど)を列挙して、

それらが皆無である、という論評のあとに書かれた慨嘆である

これは個人感想であって、自由発言されるべきものだとは思う。

ウンザリしかない」で済むはずのところを、

より辛辣にすべく「低俗な」と付け足すところに、悪意の奔出が感じられるのだが、

低俗ウンザリしかない」と乱暴につなげてしまたことで、

発言者ウンザリすること」自体を「低俗下品で程度が低い)」だと言っている、

とも解釈しうるので、「(作品が)低俗なことにウンザリ」と補うべきだったと思う。

悪意が先走りすぎて言語が崩れている箇所、と言える。

揚げ足を取るみたいだけど、見てて気持ちのいいものではない。

「胸の悪くなる」とまで言ったのは、こういうところである

 

4)「育つのを期待していたんだがなぁ……」

言うまでもなく、展覧会の将来を勝手に先取りして否定して悲観してみせるのは、

現在行われている展覧会あるいは個別表現の評としては、意味のあるものではない。

気に入らないからって勝手に潰すな、ということ。

発言者としても「これは良くないな」と思ったからこそ、自己リプライ要望を書いて、

自分の望むようなものであれば応援したいのに、というポーズを見せているのだと思われる。

それはそれで独善的無礼な話だが。

あと、ドクメンタ瀬戸内芸術祭だって発言者不快に思うような

プロパガンダ解釈しうる展示がまったくないとは思えないけど(なにしろ大きいから)、

それはまた別の問題である。耳に入らなければOKなのかもしれないし。

ただし、勝手によその芸術祭権威を借りてきて論難の武器に使うようなのは

まり責任感のある言動とは言えない。虎の威を借るなんとやらに見える。

名前を出すなら、せめて一つくらいはモデルケースを挙げて論じて欲しいところである

(例えば前回のドクメンタ出展された、佐川一政を扱った

ドキュメンタリー作品……の話は余談に過ぎるのでやめよう)

 

ついでなので、上記ツイート自己リプライで書き足されている部分についても、

悪意を感じる箇所を指摘しておく(埋め込みは省略)。

 

5)「いかれた協賛メディア

別に協賛メディアが展示の内容を指示しているわけではないし、

いかれた」というのは不穏当な表現である

どのメディアを指していってるのか知らないけど。

 

6)「プロパガンダアートに仕込む行為も全く否定しないけど正直

アートとしての魅力は俺には全く響かなかった」

アートとして失敗してると思うなら、プロパガンダとしても効力は薄いと予測できるわけで、

ひっそり敵失を喜んでいればいいんじゃないでしょうか。

そういうわけにもいかないのかな。

 

以上のようなわけで、拙ブコメ

「悪意でグジュグジュの言語感覚が本当に気持ち悪い」

「人の目に触れるところに文字を書いちゃ駄目な人」

というのは不当で過剰な個人攻撃だったかも、という視点から検討してみたんだけど、

主に2)の理由によって、撤回するほどでもないな、という結論になりました。

もちろん露悪的な言い方であることは進んで認める。

今後ものを書くときには、ヘイト部分を矯めるよう気をつけたほうがいいと、

老婆心ながら心配申し上げるものである

ツイートは見ないけど作品は楽しみにしています

2019-07-26

モラ夫のトリセツ

~1つでも当てはまったら要注意~ 

1、モラ夫の印象は、「かゆいところに手が届く人」

2、モラ夫は、「不幸アピール」が強い

3、モラ夫は無視暴言を得意とする「最強ドS男」

4、モラ夫のモラスイッチ予測不能タイミングでオンされる

5、モラ夫はなすりつけ男。思考回路は「すべて相手のせい」

6、モラ夫は否定されることが大嫌い。

7、モラ夫の爆発は密室で起こる。周囲へ届かないSOS

8、モラ夫は人をけなすことでプライドを保っている

9、モラ夫は自慢が大好き

10、モラ夫は「NGワード」を見つけ出す天才

11、モラ夫はどんなときでもマイルールが最優先

12、モラ夫はとにかくしつこい。そして陰険

13、モラ夫は都合よく自分暴言を忘れる

14、モラ夫はハネムーン期とモラハラ期を繰り返す


第2章 何でモラ夫になっちゃったの? ~モラハラの原因を探る~

1、モラ夫は自信がないのに、プライドだけは高い。

 「自分は本当は愛されていないかもしれない」「必要存在じゃないかもしれない」という強い不安を持っている。

2、モラ夫にとって奥様は自分の「所有物」

3、モラ夫の暴言無視は、相手尊重する心がない

4、モラ夫の中身は小心者



5、モラ夫は幼い頃に愛された記憶がない

①条件付愛情テストで一番だったら何でも買ってあげる」 

比較される愛情「弟はおりこうさんなのに、あなたはどうして・・・」ゆがんだ愛情を受けて育つと、「親に甘えたいけど、その甘えが許されない」「親の顔色を伺う癖がつく」「素直な愛情表現ができない」「人を信用できない」「人を愛することができない」などの感情連鎖し、モラ夫が出来上がってしまう。モラ夫は愛情に飢えて育ったので、愛情表現の仕方がわからない。表現できるのは自己愛のみ。

6、モラ夫には大きな仕事ストレスがある

7、もらっとはいつも自分が一番だと思っている

8、モラ夫は別世界に生きている「宇宙人


第3章 手のひらで転がす魔法テクニック ~モラ夫への対処法 その1~

1、モラ夫は褒めて伸ばそう。

モラ夫をほめるポイント

①3つの褒め言葉を覚える。「ありがとう」「すごい」「嬉しい」

②逆をついた褒め言葉を駆使する。「ありがとう。優しいね」「ありがとう。頼りになる」

③裏づけのある褒め言葉を使う。「__だからすごい」「__できるってすごい」

褒め言葉たっぷり感情を込める。

2、モラ夫は怒らずに叱ろう。

叱る・・・7種類の言い方を口から発する

①ほめる。②問題点を指摘する。③おだてる。のサンドイッチトーク

3、ハネムーン期には、モラハラ期のことは忘れよう。

ハネムーン期には、「無視されて寂しかった」「怒鳴る声が強かった」という自分気持ちだけを伝える。

4、モラ夫はヒゲの生えた子どもだと思って接しよう。

モラ夫の精神年齢は、7歳下どころではなく、考え方がすべて3歳の子どもだと思ってください。テレビなどを見ている時に話しかけて、「うるさい」と怒鳴られたら「話しかけない」「話しかけてくるまで待つ」ことが得策です。でも、その間も、無視するのではなく、お茶を出したりするなど、「あなたを気にかけていますオーラ」は出しておくこと。モラ夫は子どもから無視されていると不安になってしまう。

また、間違ったことも否定せずに認めておくことが大事


傾聴とは、ただ聞くのではなく、14の心を傾けて深く聴くこと。

1、美しい心で聴く

2、新しい心で聴く

3、広い心で聴く

4、楽しい心で聴く

5、嬉しい心で聴く

6、面白い心で聴く

7、微笑みの心で聴く

8、素晴らしい心で聴く

9、悲しい心を聴く

10、苦しい心を聴く

11、愛しい心で聴く

12、労わる心で聴く

13、憂う心で聴く

14、感謝する心で聴く

共感する方法

同意して繰り返す 「仕事が嫌なんだ」「そう、仕事が嫌なんだね」

自分言葉に言い直す 「仕事にやる気が出ないんだ」「仕事行きたくないんだね」

相手感情自分言葉に置き換える「今日会社休みたい」「疲れてるんだね」

自分言葉に言い直して、相手感情自分言葉に置き換える

今日会社休みたい」「疲れているから、会社行きたくないんだね」

5、モラ夫に「ありがとう」魔法をかけよう

6、モラ夫との会話には、男心をくすぐるキラーワードを盛り込もう

7、モラ夫の話を聴くときは、聖母マリアの心で共感しよう

8、モラ夫の的外れサプライズを、大げさに喜ぼう

9、モラ夫への反論は、9割ほめて1割本音

女性新規開拓が大好き。男性一般的に変化よりも安定を求める。「常連」という言葉が大好き。

本音ストレートに言わず、まずは相手の話を9割認めて、ほめて、本音を入れるのは1割だけにする。

男をうまく操縦する女性織田信長の妻、濃姫豊臣秀吉の妻、寧々。多くの歴史上の偉人の影には、素晴らしい妻がいた。

10、モラ夫には感情的に話さず、冷静に向き合おう

11、モラ夫には笑顔で戦おう

https://ameblo.jp/office-imacoco2015/entry-12171198639.html

2019-07-06

anond:20190706030229

着眼点が、卑屈で陰険ですよ。若い方はもっとゆとりがあるでしょうに。同年代と遊ばず、くたびれた年代を笑い者にするという行為は、陰険以外の何でしょうね。

2019-07-05

anond:20190705162211

笑えるにしても、笑えないにしても、(中年男性プリン文句言ってる時点でおかしいから。)

それはその人たちの本質だし、もう今さら、なにか考えをかえたりしないでしょう。

彼女らのお育ちが知れるというだけの事。

必死で人を見下すことしか楽しみがないとは、陰険で優しくなく信用できない人たちだね。

気の毒と思ってあげればいいよ。

当たり障りない事だけいっておくといいでしょう。

増田さんのようなやさしい正義感については、心の中でちがうよと思っていればいいんです。

ひとをけなす人は、とにかく何でもいいので笑いたいんだよ。

その人自身空っぽから、同じような考えの人しかいないとしか思ってないだろうし

優しくも豊かでもないので、一緒にいて疲れるね。

そんなどーでもいいことを、楽しそうに陰険な話しかしない人はほっておきなよ。

2019-06-28

パンティーの裏すんません

いやー、昨日のセカンドはやられました。被りました。

第一ロッター・・・・・スキャンティ

第二ロッター・・・・・ブラジリア

第三ロッター・・・・・Tバック

第四ロッター(俺)・・・パンティ

見事パンティロットです。今思うと前の三人、パンティ泥棒だったと思う。

知り合い同士みたいだったし(てかよく見る奴らw)、第三ロッターのメガネが俺のパンティー見た後、前二人とひそひそ喋ってた。

あいつ、パンティー乱しにして恥かかしてやらない?w』こんな会話してたんだろうな・・・

いつもパンティーを被ってる俺に嫉妬してんだろうな。。陰険なやり方だよ。正々堂々とパンティーで勝負しろよ。

正直ロットタイム心臓バクバクだった。でも俺は覚悟決めた。この卑劣なやつらに勝負挑んだよ。

ロット乱して店主に恥かかせるわけにはいかないし、一応ここの常連看板背負ってるしね。

焼け石に水かも知れないけど、一応体育館に並べコール

三人もさすがよく来てるだけって(あえて常連とは呼ばない)素早いフットワークだった。

やきもきしながら俺も遅れて戦闘開始。タイムラグは二分近くはあったと思う。

今俺がすべきことはパンティーを味わうことや、ロットリズムを楽しむことではない。

いかに早くこのブツを頭にぶち込むか』

これだけを考えた。

結果ですが、なんとか三位に入ることができました。。あいつらの唖然とした表情は俺の最高のデザートだった。

平常心を装ってさりげなくいつも通りの『ごちそうさま』と警察に軽く会釈

その時、警察と目があった。警察の目は少し笑っているようにも見えた。俺もついに警察に認められたかなw

馬鹿トリオがその後どうなったのは知りません。しか一言だけ言わせてもらう。

パンティーを被る時は相手を選べ』

以上レポっす。パンティーの裏すんません

2019-06-22

anond:20190622112102

異性を攻撃するのは男だけ

そんな陰険なことする女性なんていない

2019-06-14

1つだけ

陰険なのも捻くれてるのも認めるから1つだけ言いたい

顔だけ可愛い無能店員、消えて欲しい

手際がいいおばちゃんの方がよっぽどいい

下手くそな包装にやったら時間かけるな可愛い店員が「店長〜これどうすればいいですか〜」とか言ってさ、だらだら喋り出すのをレジ前で待ちながら思うのだ

顔だけ可愛ければ無能でもいいのだな、と

女の社会なんて、結局顔よ。仕事結婚子供の顔も顔面偏差値が多少なりとも影響を与える。男も似たようなところはあって、イケメンのほうが能力が認められやすいし、堅実なブサイクより劇団員イケメンのがモテる。でも、女の方がより顕著だろう。整形せず生まれ持った顔で生きる以上、自分顔面偏差値上の限界は痛いほど感じながら大人になる。

でも、受け入れられないものではない。そもそも、顔なんてただの顔の皮に過ぎないわけで、それが全てではないわけで、化粧で誤魔化せる時代なわけで、恋愛においては美人であることより相手の好みであることの方が大事なわけで。

という、綺麗事の方を向いて、どうにもならない「顔」というステータス差を誤魔化し誤魔化し生きている。女同士で、顔の優劣の話が御法度なのも、それを浮き彫りにしてしまわないためだ。

無能美人店員は、そんな曖昧模糊に誤魔化された見たくない現実を、否応が無しに押し付ける。無能でも、顔さえ良ければいい。女の子は可愛ければ馬鹿でいい。

そんな世界であるのはわかる。可愛い馬鹿を好む男が多い世界だ。店員可愛いだけで売り上げは上がるし、1人のイケメン店員のおかげで賑わう店もある。

だけど、そんな現実を見たくない。辞めちまえとか、無能を雇うなとか言えない。彼女らの顔という武器で戦うのは悪いことでないし、顔で売り上げを伸ばすのも店の戦略だ。

だけど、切実に消えて欲しい。美醜なんてつまらないもの見たくない。

anond:20190613213926

この文章全体から増田陰険陰湿さがあふれ出しており…

まあ愛されたければ性格はよくないとね…

2019-05-30

anond:20190530225912

 それでよかったんだよ。

明治時代に家のオヤジがガキを殴っていたかツイッターや2chみたいな

悪が出なかった。昭和時代にはロリを犯すことが許されていたか痴漢や、こんにちのようなエロ画像

跋扈存在しなかった、昔は「えろいことをしつつ発展していた」からな。

 その後、国家が腐れて、青少年健全育成とかなんとかほざいて、エロ禁止たかネットがこういうふうに

なったわけで、しか平成がガキを殴っていなかったから2chがこうなった

 普通に、クソガキは殴り飛ばし、えろいことは巧妙にやっていた昭和がよかったんで、その後、陰険にも国家

エロ禁止し、犯罪者放置していたからこうなったんやぞクソカス

 自然な性衝動に従わずに、老人がエゴイズムで、でけもせん、自制を強いたから無理すぎて爆発したわけだ

反省しろカス

2019-05-03

カルチャー顔って炎上するような話か?

塩顔しょう油顔と何が違うの?

あれだってよく考えたら定義わからんフワッとした話だが、今回のカルチャー顔と同じようなもんだろ

件の編集者は、みんなGWで暇だから運が悪かったねーとしか言えない

しかし、今回の件を見てて思うのは、ネットもすっかり学校教室のようになったということだ

周囲の支持が高い人気者が、弱者にどうでもいい難癖をつけて吊るし上げ、いじめて遊んでいる

ワンピースとか大好きで、仲間とか絆とか友情とかそういう言葉が大好きなのに、

やってることは180度真逆陰湿陰険思考停止で、今回の件で噴きあがってる正義の人たち本当に気持ち悪い🤮

2019-04-19

anond:20190419172742

ちょっとまえに増田でまんさん叩きつつお前らまんこ絶対気を許すなよって書きまくって

家では嫁とイチャイチャして楽しくやってるよーーんてヤツいたけどこんな小銭稼ぎしてたのか…

匿名だしIDあるわけでもないから合間の息抜き関係ないこと書いても怒られるわけじゃないもんな

陰険なヤツなら得意の悪口ちょちょっと書いて小銭貰えていい内職だ

2019-04-09

anond:20190409113254

じゃあ、あの家の人は作法が分かってないわって影でコソコソ言われてたんだろうな。

程度の低い陰険クソ野郎と縁を切ることが出来て良かったな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん