はてなキーワード: 陰険とは
森爺さんの女性が増えると〜の発言、あれは俺もダメだと思うけどさあ、
昔、自分の会社でも世の中の流れに従ってなのか、女性が活躍できるようにしていきましょう、って色々と施策をうったことがあったのよ。
女性の管理職を増やします、女性だけのチームを作って女性のための事業を考えます、みたいな。
それでそう言った施策についてどう思うか職場でも考えてみましょうみたいな話になったんだが、割と仲が良かった後輩の女性が、疲れた顔して「増田さんは会社の中で女性の活躍が増えることどう思いますか」って聞いてくるわけよ。
俺は特にそこに異論があったわけでもなかったので、女性の意見とかが増えてくると多様性も出るし良いんじゃないのみたいな返しをしたんだけど、そしたら、「そうですかー.....」って暗い顔して言うわけよ。
続けて、「女ばっかりになると陰険になるし、口うるさいし、話は長くなるし、私は嫌なんですよねー.....」と。
つまり森爺さんと同じようなこと言ってたわけよ当の女性本人が。
彼女はその女性だけチームにアサインされてたんだけど相当苦労してたみたいね。
男性多い方が楽だし良いことばかりじゃないんですよねとか言ってた。
そんなことを森爺さんの発言見て急に思い出した。
だからって森爺さんの発言が許されるわけでもなく、そもそもその発言に至る思考プロセスが全然違うんだが、
なんか世の中うまくいかないもんだなと思った。
天体観測好きな不思議っ子大正帝、水着ロリっ子安徳帝、ヤンデレ崇徳帝、年齢不詳のお局後白河帝、文武両道だけど反抗的なヤンキーの首領後鳥羽帝、家族思いの心優しいおっとり少女土御門帝、おっぱい大好きですぐハニトラに引っかかる残念なイケメン称徳帝、ロリっ子揃いの中に時折紛れ込むトラップのショタたち、よりどりみどりじゃないか。なんで歴代天皇を性転換しないんだ。
歴代総理も女体化ならさして燃えなかっただろうしな。陰険でケチケチしたメガネっ娘東條ちゃん、デブ専御用達キャラの高橋ちゃん、太まゆげの村山ちゃん、勉強はできないけどカリスマがある田中ちゃん、セーラー服を着こなすスラッとした美女米内ちゃん、弟の彼女とクリソツな岡田ちゃん、一匹狼のサバサバ系芦田ちゃん、と並べれば大抵のオタクは食いつくだろう。
イオンのフードコートのお客様からの声を読むと良い。紙コップの熱々ココアを飲みながらそれらを眺めていると自然と笑みがこぼれてくる。
まず言葉遣いが丁寧で文字の綺麗な陰険な文章、これはババアが書いてるんだろうと想像する。
ユニクロの店員が洋服を叩いてから渡さないのは感じが悪いとかそんなような内容。(叩いてから渡せとか意味がわからん。)
それから行を4段くらいぶち抜いてすげーデカイ文字で怒りまくるやつ、これはたぶんジジイ。最後の方文字が死ぬほどデカくなっていて怒りパワーがここでマックスになったんだなというのがビンビン伝わってくる。
インターネットも全部手書き文字だったらいいのにな。そしたらたぶん陰険なやつとか怒ってるやつの文章にもちょっと笑っちゃうくらいの余裕が持てるんだろうにな。
そいつは私が入社した時から私が気に入らなかったらしく、話しかけても無視、仕事で必要な会話も最後まで聞かずにシャットアウト、会話が成立しない。
会話をせずに仕事が進むのなら、それでいいし余計なコミュニケーションを取らずに済むのだけど、会話がないと成立しない仕事なのでどうしようもない。
その態度は私にだけであり、同年層の同僚には饒舌に話、オタク話に盛り上がるくせに、私と会話の機会があっても無視、無反応、やっと声を出したかと思うと話の途中で切り上げる。
私がミスしたわけではないことさえ、話を最後まで聞かないので全部私の責任で起こったと誤解をしたまま、勝手に怒り散らし始める。
そして最悪なのは、嫌いな人間に対して徹底的に陰険な嫌がらせをしてくる。周りの人を巻き込んで悪者にし、姿が見えなくなると誹謗中傷を繰り返す。
これを続けられて、もう限界が来ている。いつ相手をぶん殴るかわからない。仮にぶん殴り始めたらどこでストップできるかもわからない。
どんなに嫌なやつでも人を傷つけたくない。手を出したら人として駄目な気がする。
だから、自分が死ねばいいんじゃないかと思う。毎日こんな苦痛を感じるのなら死んだほうが良いのだろう。まだ仕事は終わらない。まだこれから明日の昼まで仕事が続く。30時間以上もこの息詰まる職場に居ないといけないのは辛い。
女性ってよく面食らったりハッとしたりびっくりしたりしてるけど、なんていうのかな…。
この増田の「面食らった」はあまりにも当事者意識が欠けていると思うし、Twitterでよくハッとしてる人は自分の見たいものを見てハッとしてるだけで、別に気分よくなってるだけじゃね?って思うし。
フェミがびっくりしてる時は大抵キレてるし、それ怒ってるだけじゃね?って思うし。
何て言うんだろう。びっくりしてなくね?って思う。
まあ男でもあるのかなあ。どうでもいいことに衝撃受けてるYouTuberはいっぱいいるよね。でもあれPV稼ぎだからなあ…。
俺がびっくりするときって足踏み外して階段から転げ落ちそうになったりとか、ホラー映画観てるときに地震起きたときとか、そういうのしか思い付かない。
なんかそれと前述のびっくりって違くない?
いやどうでもいい。どうでもいいんだけど。
これは伝わらないかなあ。
まあ今はないのかもしれないけど、明らかに女性が誘ってる感じあるのにデート申し込んだらびっくりしたりするじゃん?
いや予想の範囲内じゃね?って思う。
まあはてブで言っても勘違いだって言われちゃうからあれだけど。
何かこうびっくりしてる時の女性の目開いてる表情の、その瞬間この人なに考えてんだろうなって思う。
それとは違うじゃん。目見開いて、そこで考えてることって、なに?あの、なんていうか、「え!?わたし!?」みたいな。
いやお前以外にいないだろって思うじゃん。
いや知らないけどさ、その瞬間になに考えてるのか。
絶対伝わらないなあこれ。
もしちょっとでも思うところがあれば、みなさんのびっくりした瞬間を教えてください。
・ サイレント魔女☆リティの発祥は男性ですが…/男だが、公文書の改竄や無茶苦茶な詭弁、上級国民の不起訴、Go Toキャンペーンの前倒しとかにびっくりさせられっぱなしです。
あー、なるほどねぇ…。
・ 熱いので炊飯器の蓋開けておいて、そろそろ冷めたかなと思って釜を取り出そうとしたら中から巨大なアレが飛び出してきた時かな。最近ならソファの下に蟻が20匹くらいモゾモゾしてた
地獄やな。
・まあ女性の反応が大袈裟に感じることは多々あるが、感情表現をあまり出さない自分よりマシかと思う
大人だなあ。
・相手の反応を勝手にこうあるべきみたいに決めつけてんでしょ。
・女の外見してるからって舐めてきたやつにやり返すと、皆さん一様に「びっくり」するよ。びっくりしないのはヤクザとキチガイ位かな。常識と礼儀の想定外のことを女がされやすいだけなんじゃないの?
うーん…。それは「(男性の主観的には)目の前の人間が突然キレてきた」わけだから、階段踏み外したのとカテゴリーとしては近い気がするなあ。
想定内のことをびっくりしたと言い替えてることが多くない?という。
それびっくりっていう感情なの?って疑問なので。
・「よくわからない」は「びっくりする」とグラデーション的につながってると思うけどな。
あー。読んだ瞬間は繋げてないなあと思ったけど、うーん。思い返してみたら難しいところ。
よくわからないことをびっくりしたって言い替えることへの違和感なのかなあ。
・気配りをすることが社会的要求として存在→主観でTPO設定やプロファイルを行う事の習慣化→規範や倫理観を超えた事象に驚くというのを考えたけどある程度は性差なくあるような。主観への信頼が強いのかな。これも主観
・「びっくりする」とは「想定外の事が発生した時に使うべき表現方法であるはず」だから「発生する可能性を予測できる事象に対して使うのは不思議だ」という主張なのかな? でも予測できる範囲って人に依らない?
まあそうなんだよね。主観だし人によるんだよ。
・家の洗面所とかで夫に突然話しかけられるとビックリしちゃう。「あぁ!びっくりした〜!」とか結構大声で言ってしまうので一度夫に「一緒に住んでるんだからそんなびっくりする必要なくない?」と言われた。
でもこれよくよく考えたら俺もやってたわ。若い頃。
後ろから声かけられることよくあるんだけど、とりあえずびっくりしてたら女性に謝られたから、それ以降しなくなったな。
・「相手の行動は、私がびっくりしてしまうほど非常識なことです。驚かされた私は被害者なので優遇しなさい」ってことだよ。
さっきのと「とりあえずリアクションびっくり」とは違うびっくりは、ほぼこの意見なのかな。嫌だとか不快の言い回し。
まあこういうことなんだろうな。
・婉曲表現だとすると、その婉曲は、びっくりするくらい、伝わっていない。「ああ単純に驚いたのね」と思うだけで、なにかに配慮するとか、慮るとかはできない。
これもわかる。びっくりをそのまま受け止めるとそうなる。
てか素朴な疑問なんだが、嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?
嬉しいときにびっくりした!って言わなくなったなら、びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思うようになるけど。
・久しぶりにしたとき、久しぶりだからびっくりしたって言われたことある。俺はその発言にモヤっとしたよ。
この感覚になるよね。100%嫌だっていうことなら素直に受けとめることも出来るかもしれないけど、実際どっちなのかなんて分からないからねぇ。
・そうかね、日本のメンズだって女子と同じくらい、バレンタインチョコ貰うとか童顔の可愛い女子からの告白とか女子からのセックスのお誘いとかいちいち大分びっくりしてる気がするけどなあ。
そうなんですか…。世界線が違いすぎてびっくりするわ。
あるわ。
・ビジネスの場で「とてもびっくりしました」と書いちゃう女性がいて、今までびっくりしてれば誰か助けてくれてたんだろうな、と残念な気持ちになった。
まあ他人任せにしてる感じは受けるよね。
・失礼なことをされたとき、対応を間違えると「ヒステリー起こした!」って言われるので、婉曲的に「びっくりした」って言うしかないんよ
・増田を読んで、男側の例として本人が「男の話」だと思っているもの(趣味や仕事が多い)に、女性が口を挟むと「びっくりする人」が思い浮かんだ。性別よりも、その人の視野の問題が大きい気がする。
なるほどだわあー。この男のびっくりは、女性からしたらムカつくよねぇ。
・男性も使ってる。明らかに格下でない男性・上司・ヤれる可能性を期待する女性等失礼を避けたい相手が自分の常識から外れる言動をした場合とかに。女性が多用するのは女性の身で直言するとキレられる可能性が高いから
こういう男のびっくりに女は違和感を感じるけど、女の他人任せにするびっくりに男は違和感を感じるのかなあ。
・男性って女性よりいい意味で単純でさっぱりしてると思ってたんですけど、増田さんみたいにネチネチ陰険な男性もいるんですね~そういう男性って私あんまり会ったことなかったのでびっくりしました!←こんな感じ?
こんなにびっくりできる文章もないわ。
・HSP ハイリー・センシティブ・パーソン。こう言う人もいる。20%だ。差別すんな。
なるほど。多いなあ。
・増田の「びっくりしてなくね?」が「え〜?!それびっくりしてなくね?!」になっただけのような。感情の振れ幅とか表現方法のクセとかの違いに感じる/追記見ると増田も呆れのびっくりを使ってる。わざと?
わざとです。
表現方法のクセもあるんだろうけど、含まれてる意味が結構違うなあと。
・ニュアンス読み取りに命かける従来の日本語コミュニケーションからもう脱却した方がいいと思うんだけどね。語彙減ってるのにそれやるから意思疎通でリソース無駄に使ってる。
せやな。
・女性の「びっくりした」に、怒りを悟ってほしいという文脈が込められている事に増田は憤るのだろう。増田の「よくわからない」に「ウザい腹立つ」的文脈が込められてるのと同じだね。よく判ってるじゃん。
「びっくり」に引っ掛かるんだったら「よくわからない」にも引っ掛かれよという話。気をつけます。
・言われてみると、結構場面によって色んなニュアンスを含む言葉だなと思う。単純に驚愕というより、何かしら感情が揺り動かされていて、でも自分の価値判断を含まずにそれを表明したいときに使うイメージかな。
なるほど…。純粋びっくり派ですね。
・追記の「嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?」に対する回答が見当たらない。やはり「びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思う」のが順当ということか。
これね。ホントにないのかなあ。
自分で考えてみて一番それっぽいのは、買ってた馬券が無理だと思ってたら当たった時だけど…。「わー!びっくりしたー!」とはならないからなあ。
・例えば急に後ろから声かけられた時に、不審者と勘違いして怖かったって言うと角がたつ。キレられても怖い。でももうやめて欲しいので、こう言えば次はやらないでくれるかな~って期待と共にビックリした~って言う。
それは…伝わってるのかなあ…。
それこそ女性に言えば伝わるもんなのかね。
・びっくり≒私は崇高なる理想社会を前提としているので汚らしい男性が引き起こす現実社会との落差に驚いた を意味しています
なんか笑ってしまった。
所属する会社はコロナ対策に素早くて、3月上旬からずっとリモートワークだった。
午前:仕事
午後:仕事
しかし、3月末に、政府が緊急事態宣言を発令するだのしないだので事態急変。
我が家は流行りの住職近接を実践しており、会社は徒歩圏だ。しかし、家は狭い、古い、高いの三拍子揃ったジャパニーズウサギ小屋。
子供の遊びは公園や児童館。家は食事と睡眠だけ。家事は家電に課金して物理で殴れ。こんまり最強と割きっていた。
そんな状態で、非常事態宣言→保育園休園になったら、仕事は子供に邪魔され、ストレスから家庭内が険悪になるのは目に見えていた。
迷うことなく、非国民の謗りを受ける覚悟で疎開スタート。コンクリートジャングルから、限界集落一歩手前の実家へ。
老親だけで暮らす実家は広い。1階は車庫と農作業場、2階は生活空間、3階は使用者のいない子供部屋。そして離れの倉庫。かつては酒を密造していたらしい。この広大な空間に3人ばかりが増えても何のことはない。
そして家に潜む沢山のモノ。それは、私が昔遊んでいた汽車や飛行機、トラックのオモチャだったり、小学校の教材だったり、五月人形だったり。今の自分なら間違いなく断捨離しているモノたちが、子供達に娯楽を与えている。
さらに家の周囲は、山の裾野まで広がる田畑に囲まれている。仕事の息抜きがてらに少し家から出ても、他者との濃厚接触や3密など望むべくもない。まあ、疎開者に厳しい目を向けられているのは感じるが。
しかし、これらの環境は老親による維持の賜物である。長男の私をはじめ、兄弟全員が都会を選んだ我々は、早晩訪れる親の死によりこれらを失う訳である。
田舎を出た時点で取るに足らないと切り捨てたはずの価値を今、見せつけられている。
私は、何もない、閉鎖的で、陰険な風土の田舎を憎んで、都会に出たのではなかったのか?そして良い学歴、良い職歴を得るために努力したのではないのか?
しかし、僅かばかりに高い給与を得るために、狭小で閉鎖された都会にひしめき合い、消費を強要されながら生きている。
コロナが終息した後には快適で便利な都会は戻ってくるのだろうか?
COVID-19の疫病は特異な歴史的コンテクストに現れました。まず、グローバル資本主義と自由民主主義の折り合いをつけるには他に解決策(ソリューション)がないと30年間も信じてきた後で、人類は自らに課した昏睡状態からしだいに目覚めつつあります。状況が改善するかもしれないが、急激に悪化するかもしれないという考えにもはや誰も驚きません。
他方で、これまでの4年間、ブレグジット、トランプの大統領当選、ジェレミー・コービンの登場と失脚――じきにバーニー・サンダースも同じ運命をたどることになりました――といった出来事から、グローバル資本主義がかなりしぶといものだということが見えてきました。世界主義から排外主義へ、ネオリベラリズムから社会民主主義へ、イデオロギーがたんに変わるだけでは、社会的・経済的な諸関係は変わりませんでした。資本主義の完全な作り直しという課題に直面して、かつてはあれほどラディカルに見えたイデオロギーが無力で陳腐なものであることが明らかになりました。
現在の健康上の緊急事態をどう考えるべきでしょうか。COVID-19の引き起こした危機が世界を変えて開放する可能性に希望を抱く人は、すぐに失望することになるかもしれません。私たちの期待が過剰だというのではありません。ユニバーサルベーシックインカムやグリーンニューディール政策は妥当だし、まさに必要なものです。ですが、私たちは現行のシステムのしぶとさを過小評価し、また同時に、思想が堅固な技術的・経済的インフラなしで世界を変える能力を過大評価しています。そうしたインフラがあってはじめて思想を作動させることができるのに。
「ネオリベラリズム」のドグマは諸悪の根源とみなされることが多いですが、このドグマであらゆることの説明がつくわけではありません。知的には「ネオリベラリズム」には似ているものの、これとはまた別の悪について、10年ほど前から私は指摘しています。それは「ソリューション主義」といいます。
このイデオロギーは、ポスト・イデオロギー的であることを標榜しており、グローバル資本主義が生み出す問題や矛盾を解決しながらこれを動かし続けるために、いわゆる「実践的」な、個別の対応策をまとめたものを勧めます。そして驚くべきことに、こうした対応策には美味しい利益がついてくるのです。
ソリューション主義のもっとも有害な帰結は、スタートアップではなく私たちの政府がもたらします。ソリューション主義国家とは、その前の時代の監視国家が人間的になりつつもより巧妙化したもので、二重の使命を帯びています。イノベーションを引き起こす人々(デベロッパー、ハッカー、起業家)は御しがたい存在ですが、これらの人々がその能力と既存のリソースを〔現在のグローバル資本主義とは異なる〕他の社会組織を作る実験に用いないよう、ソリューション国家は気をつけていなくてはなりません。AIやクラウドコンピューティングの恩恵を十全に受けたいのなら、資金的に余裕のあるスタートアップを作らなくてはいけないようになっているのは、偶然ではありません。逆にそれは意図的な政治的努力の結果なのです。
その帰結。非商業的なしかたで社会を編成する制度を生み出す可能性があり、既存の体制を転覆するおそれのある試みは、頓挫する。そういったものは胚子の段階で殺されます。そういうわけで、ウィキペディアの流れをくむ団体はもう20年以上現れていません。とにかくデータが欲しい多国籍企業が世界を完全にデジタル化してゆく時代に、国家は自分の分け前を手に入れようと目論んでいます。監視が完全に行き渡ったことに加えて、企業が世界をデジタル化してきたことで、諸国の政府は市場を利するかたちでソリューション主義的な数々の介入を進めることができるようになりました。
ナッジ (nudge)の技術はソリューション主義の完全な実践例です。ナッジのおかげで、問題の原因は変えないまま、取り組みやすい作業の方に集中することができる。それは、個人の行動を不可変の現実(それいかに残酷な現実であっても)に「合わせる」という作業です。
ソリューション主義者のみなさん! COVID-19はソリューション主義国家にとって、9/11のテロが監視国家にとって持っていたのと同じ意味を持っています。しかし、ソリューション主義が民主主義的な政治文化に対して示す脅威は、〔監視国家よりも〕陰険とはいわないまでも、より微妙なものです。
COVID-19の危機にさいして中国、韓国、シンガポールがとった独裁主義的な戦略は評価されました。3国ともに、市民が何をしてよいか、してはいけないか決めるために、アプリ、ドローンやセンサーの展開をトップダウンで決定しました。西洋で民主主義的な資本主義の擁護者を標榜する人たちは予想通り、すぐさまこれらの国を批判しました。
エリートの臆見をもっとも雄弁にうたう詩人たるユヴァル・ノア・ハラリがファイナンシャル・タイムズのコラムで表明した代替案は、シリコンバレーのプロパガンダマニュアルからそのまま出てきたようなもので、知識によって市民を自律的にしよう! というものでした。
人道主義的なソリューション主義者はみんなに手を洗ってほしいと思っています。それがみんなにとって、社会にとってよいことだと知っているからです。中国政府が暖房や電気を切るぞと脅したように、みんなを力ずくで束縛するよりは、そのほうがよいと思っているのです。このような言説は、政治のアプリ化〔アプリで市民を監視し行動を制限する方向性〕にたどりつくだけです。手洗いの奨励をめざして作ったアプリがその人道的な見地によって報酬を受けたとしても、そうなるのです。
認知行動的な介入によって市民を自律的にしようというハラリの呼びかけは結局のところ、キャス・サンスティーンやリチャード・セイラーに代表されるようなナッジの擁護者が推奨するステップとたいして変わりません。こうして、過去数百年で最大の健康上の危機への政治的な対応は、石鹸や手洗い槽の自販機というかたちで「実践的な」言説に還元されてしまいます。これはサンスティーンとセイラーが〔共著の『ナッジ』で事例として紹介しているアムステルダム〕空港の小便器の形をめぐる思考〔小便器の底に蠅の絵を印刷するというナッジにより、男性利用者がトイレの床を小便で汚す率が大幅に減るというもの〕の系統にある発想です。
ソリューション主義者の想像の中では、あらゆる中間団体や制度は、歴史と同様、政治のシーンからほぼ消えてしまったので、他にできることはあまりないのです。ハラリやサンスティーンのような人たちにとっては、世界は本質的に、消費者としての市民、企業、政府で成り立っています。労働組合、アソシエーション、社会運動、そして感情と連帯で結びつけられたあらゆる共同的制度のことをこの人たちは忘れているのです。
「知識による自律化」というお題目は古典的なリベラリズムの根底にあるものですが、今日ではひとつのことを示しているだけです。もっとソリューション主義を、ということです。だから諸国の政府は、去年私が「生存のための技術」(survival tech)と名付けたもの(つまりスペクタクル(見せ物)としての資本主義が、その主要な問題を緩和しつつ続くようにするデジタル技術の総称)に大金を投資するものと予期しておかねばなりません。そうやってソリューション主義国家は自分が「中国の道」は採らないことを標榜しつつ、自己の正当性を強化することになります。
この危機から脱するためには「ポスト・ネオリベラリズム」の政治が必要なだけでなく、とくに「ポスト・ソリューション主義」の政治が必要です。まず、スタートアップか、中央集権的な計画経済か、といった人為的な二項対立はもうやめてもいいでしょう。この考え方は、私たちが今日、イノベーションや社会的な協力を考える仕方を規定しています。
新しい政治的議論の中心となる問題は、「社会民主主義とネオリベラリズムのどちらの勢力が市場で競合する力を制御できるか?」ではなく、「社会的な協力と連帯の新しいかたちを追求するうえで、デジタル技術がもたらす巨大な機会をどの勢力が活かすことができるか?」でしょう。
「ソリューション主義」とはだいたいのところ、「他に選択肢はない」(There is no alternative)というマーガレット・サッチャーの有名なスローガンを応用したものにすぎません。このようなロジックは残酷で実践できるものではないことを、左翼の思想家は過去40年間にわたって明らかにしてきました。とはいえ、〔このサッチャー的なロジックが〕破綻していても、政治的な権力を持つようになるうえで支障はなかったのです。結果的に、私たちの暮らす技術的な世界は、市場が支配する世界秩序を逸脱するような試みはぜったいに制度化されることがないようにできています。私たちの議論の輪郭〔つまり議論の組み立て方〕そのものが、そのような〔逸脱の〕可能性を排除してしまっています。
COVID-19への技術的な対応策を考えるさいに直面する困難は、ポスト・ソリューション主義的な政治の方向性が私たちにどれほど必要か示しています。イタリアのような国では――私はローマで外出制限の3週間目に入るところです――提案されるソリューションは酷いほどに野心を欠いたものです。私生活と公衆衛生のあいだで妥協点をめぐって議論が繰り返されており、さらには、これはハラリが示した方向性に従うことですが(「反抗または生存」を参照)、「生存のための技術」を使ってスタートアップがイノベーションを引き起こしやすいようにしなくてはいけないという議論になっています。
他の選択肢はどこに行ったのかという疑問が浮かぶのはもっともなことです。なぜ公衆衛生のために私生活を犠牲にしなくてはならないのでしょうか。テクノロジー企業や通信事業者が作った現在のデジタルインフラが、それを提供する会社のビジネスモデルにかなった利益をもたらすようにできているからなのでしょうか。
現在のデジタルインフラは、私たちを個別に消費者として識別し、ターゲティングを行うようにできています。集団の行動についてマクロなレベルで匿名の情報を提供するようなインフラを実装する努力があまりされてきませんでした。なぜでしょうか。そのような〔匿名のデータ〕分析をする必要について検討した政治的プロジェクトがなかったからです。非商業的なしかたで社会を編成する形態の中でも、とりわけ〔社会主義的な意味での大規模な〕計画はネオリベラリズムが用いる手法ではなかったからです。社会民主主義を信奉する人たちのなかでも、そのような手法を用いるべきだと主張する人はいませんでした。
現在のデジタルインフラは残念ながら個人が消費活動をするためのインフラであり、相互扶助や連帯のためのインフラではありません。デジタルプラットフォームと同様、現在のデジタルインフラは、アクティヴィズム、人の動員や協力といったさまざまな目的に使うことはできますが、そのような使い方は、たとえそう見えていなくても、高くつくことになります。
ネオリベラリズム的でもなくソリューション主義的でもない社会秩序の基盤としては、これはじつに脆いです(さらにこうした基盤には、消費者、スタートアップ、起業家とは違う働きをする人が必ずいなくてはなりません)。アマゾン、フェイスブック、あるいはあなたがお住まいの国の通信事業者が提供するデジタル基盤のうえにこの新しい秩序を建てる誘惑にもかられますが、そうしてもろくなことにならないでしょう。それは良くてソリューション主義者が跋扈する新しいフィールドになるか、悪くすれば、監視と抑圧に基づく全体主義的で押し付けがましい社会となるでしょう。
この危機的事態を権威主義的な体制よりも民主主義がうまく収拾できると熱く説く声が、左翼方面からさかんに聞こえてきます。このような呼びかけは無意味なものに終わる可能性があります。現在の民主主義は民主主義的でない私的な権力の行使にとても依存しているので、名ばかりの民主主義になっているからです。これぞ「民主主義」と考えるものをほめたたえることで、潰れかかっているスタートアップの見えない持ち分を意図せずほめたたえたり、スタートアップほどには無害でなくソリューション主義国家を構成するテクノクラートの持ち分をほめたたえたりすることになります。
もしこの生ぬるい民主主義がCOVID-19を生き延びることができるのなら、私企業の権力から完全に自由になるためにポスト・ソリューション主義の道をまず選ばなくてはならないでしょう。そうしなければ権威主義的な体勢への道へまた踏み出すことになります。それは「民主主義的価値」、「規制の機序」、「人権」について、以前にもまして偽善的なエリートの支配を許す道です。
Covid-19, le solutionnisme n’est pas la solution
*ナッジとは、「行動経済学や行動科学分野において、人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法を示す用語」(株式会社日立総合計画研究所)
『恋はデジャブ』って映画がすごく良かった
ちょっと陰険な感じのお天気リポーターが田舎の町での出張リポート中に謎のループ現象に巻き込まれて、雪に閉ざされた田舎町の1日を繰り返すうちにいろいろやっていく…って話 ループ現象の原因とかが一切明かされないのが逆によかった
ループものってけっこういろいろあるけど、だいたいループだけじゃないんだよな ループの原因は何なのかっていうのを話に組み込むとどうしても何か劇的なSF・ファンタジー要素を入れないといけなくなってくる
そういう劇的さが少ないループものってなんかないかなあ 普通の人が同じ一日を繰り返す中でなにかやる それ以上の奇妙なこと(宇宙人とのバトルとか)はない ってやつ