はてなキーワード: 陰険とは
数年前に辞めた会社の話。
自分は第二新卒で入った比較的若手で、地方の中堅都市にある地元では大きめの会社に入った。
現場仕事中心だったこともあって自分のいた部署は9.5割が男性で、女性は経営者の縁故で事務やってる人畜無害な50代くらいの人だけという状況だった。
部内のメンツは大きく地元から出たことない高卒~高専卒組と、UターンもしくはIターンでそこそこの大学を出た組に分かれていて、数的には地元組が8割くらいでグループっぽいものを作ってた。
自分は後者の方だったが、あまり目立ちたくないということもあってできるだけ空気のように働こうとしていたが時々地元組の年長者から当たりが強い言い方をされることとかあった。
それでもまあまあ数年くらいはそれなり順調に仕事をしてきたのだが、あるときから急に周囲に無視をされるようになった。
何か仕事でミスをしたという覚えもなかったので最初は挨拶をしても無視されるのを気のせいかと思っていたが、どうやらそうではないということをあとから人畜無害の事務の人から教えてもらった。
もともと自分の言葉遣いとかが気に入らないと陰口を言われていたようだが、少し前の仕事で先輩社員を通さずにミスの処理をしたということが知られてそれからグループぐるみで無視しようぜということになったらしい。
ちなみに言葉遣いというのは四字熟語とか、漢字2文字系(「組み立てる」を「構築する」みたいな言い方するような)とか使うのが気に入らなかったとか。
その無視というのが40過ぎのオッサンがやることかよというくらい幼稚なもので、こっちが挨拶をしたらわざと無視して、自分が席についたら後ろからクスクスと笑い声を聞こえるようにやったり、冠婚葬祭のときに「部署一同」として出すようなお金に声をかけてくれなかったりとかいう感じ。
必要な用具を隠されたこともあったし、ベテランでも難しいような仕事を「○○大学を出た増田君なら余裕だよな」と言って放り投げてきたりというようなこともあった。
結局そんな職場にしがみついているのが馬鹿らしくなってそのあと少しして辞めた。
んで、そんなことがあったということを少し前に姉につい酒の勢いで愚痴ったところ冒頭の「女みたいな男がいる職場だね」というようなことを言われたというわけだ。
自分がいた職場はどちらかといえば体育会系な男ばかりの場所だったので、そういう感想が出たのがちょっとおもしろいなと思ったので書いてみた。
その場の会話を読んでみると「問題ない続けろ」みたいに許容されるのをちらほら見かける。
でも、女子側からすると女子が男性に変わったら受け入れられるかというと無理。
男性だって同じかも知れないけど、とにかく女子はTSとかそういうものに夢を見ない。
性格の話になってしまうけど、どうして男性は大丈夫かと思ったのは、
たぶん男性が求めている女子の理想をTSした時に自分自身で演じることが出来ると思うから。
女子と違って、男性はリセットしたいような気分が多いんじゃないかなって感じた。
理想の女子に自分がなれたら、きっと男性の時は無頓着な人だったとしてもいろんな事に努力するんじゃないかな。
悲しいけど中途半端に夢見る人もいて、王子様みたいな喋り方になったりして変になる。
女子がちょっと不思議な喋り方をしても許されるのは、女子だからであって男性になったら、ただの変人にしか見えない。
もし良かったら読んでください。
私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。
髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことはほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。
(背中のニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)
小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。
今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識も攻撃性もなく、学校の先生が家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まいで5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。
家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜や冷凍食品ばかりだし誕生日もほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテストや定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲームや必要なものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。
母の少女趣味で、4歳からバレエやピアノの習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。
そんな子供だったから、小学3年生のとき、給食の牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。
私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識がシフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめのパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。
いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由で土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。
運悪く、担任の先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちらから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児とクラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。
たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分の下駄箱に他の男児の上履きが突っ込んであった。
これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履きを適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。
そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。
「何してるんだぁ!」と担任が一喝すると、クラス中の注目が集まった。
みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。
担任に話を聞いてもらい、事態は理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。
私は他のクラスメイトとは自分と感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。
自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。
友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。
成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導をいただき、都道府県で公立トップの高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分をいじめなかった。とても驚いた。廊下で男子にぶつかったとき、気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。
中学生ぐらいからは、部活の友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通に友達や仲間ができた。
しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分は高校生からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。
流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。
頭の中の時間感覚がおかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。
結局ほとんど絵も学問も勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生の身分となった。
浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系の勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。
高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年間ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。
それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市の地方公務員として働いている。
陰険な上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれて毎日が過ごしやすい。
20歳頃からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正をマメにかけるようになり、あれほど男子に不細工、キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代の男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。
過去のことは忘れないと思う。
というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。
幸せな子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。
今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。10〜20年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分の人生を大切にすべきだった。
私の母は中高大と女子校に通っていたらしいけど、「もっと男の人と遊んでおけばよかった」と還暦間近のくせに愚痴ってる。大学ではなかったらしいけど中高時代はいじめや陰口が当たり前だったという。とにかく聞いていて嫌だったのは教育実習生と生徒が付き合うとか、講師と生徒が付き合うとかいう話。卒業したから問題ないでしょ?ってスタンスであったと。
...察しの良い方はお気づきかもしれないが、うちの両親がまさしくそれなのだ。私は狭い男女の環境だけでおさまるなんてまっぴらだ!しかも母は愚痴を言うわりに「他の女生徒ではなく自分が先生に選ばれた」という点にプライドを持っている。その話を聞くたびに私は絶対共学に行って、普通に男女問わず交友関係を保ちたいと思っていた。中学は公立に行きたいとゴリ押しして、勉強を頑張ってMARCHレベルの大学に行ける見込みのある高校に行けなければ両親のいた中高一貫校に行かなくてはならなかったので、勉強はとにかくひたすら頑張った(私がいたときには中学入学と、高校編入のどちらのパターンもあったので気を抜けば入学させられる状況だった)。
晴れて志望する共学校に通うことになった私は楽しくはつらつと通学した。共学に行けてほんとによかった。
そんな自分なので女子校に対するネガティブなイメージが半端ない。女子校なんて無理、絶対無理。ドロドロした陰険なとこなんて誰がいくか!異性への自意識ばっかり高めてさ。絶対いきたくないんだ。
これさえ覚えればどんなに正しそうな内容を言っていても人の神経を逆撫でできる文章が書けるぞ。
まず例文。
「増田に人の悪口を書く人って、当人に見つかってしまう可能性を考えていないのかな……?🤔
そういう人ってどんどん周囲から人がいなくなっていくと思うんだけど、本人は理解していないのだろうか……。
すごいな……私だったら絶対に耐えられないな〜。
私はそうならないように気をつけよう」
以上だ。
1. 一文目。言いたいことは疑問系で書くこと。詳しくは後述するが、疑問系にすることでその人間の思考が理解できないというニュアンスを出せる。この顔文字も高ポイントだ。
2. 全体敵に、自分の一意見である、という謙虚なスタンスを崩さないこと。ここを誤ると叩かれがちなので、間違っても主語を大きくしてはいけない。
3. 「すごいな」とにかく理解が及ばない人種であるということを強調する。
4. 「私はそうならないように気をつけよう」。とにかくこれを最後につけることで自分と相手は違う、自分には理解できない相手であるということを再度アピールできる。
自分の一意見であり多様性を認めているようにも一瞬は見えるスタンスだが、明らかに人の悪口であり大抵の場合はおせっかいな内容である。田舎の嫌味なおせっかいババアが新参のよそ者に対して使うイメージがぴったりなので、これを田舎のおせっかいババア文法と名付ける。人を煽りたい時に使ってほしい。
https://webnovel.jp/n/1541741088988
「世界は踊り、取り残されて」
大学四年生の女の子が単位を落とし、すべてがいやになって海を見に行く。自分を包み込んではくれない海に中指を立てて、そして自分に中指を立てるシーンでこの作品は終わる。自分が許せないから、日常の風景が許せなくなる、そんな話だ。恐らく、実際に単位を落とした作者が、自己投影しながら書いた作品なのだろう。
「世界は踊り、取り残されて」には、浅野いにおや花沢健吾の青年漫画、あるいはハードカバーの一般小説によくみられる、都会の鬱屈した日常が感じられる。僕はこういった雰囲気が好きだ。
ではなぜ、人々は陰鬱な物語を愛するのか。暗い物語の担う役割とはなにか。一つ目は「啓蒙」だ。
厨二病まっさかりの中高生は、血なまぐさいファンタジーや社会の闇など、アンダーグラウンドなものに惹かれていく。
なぜ少年少女が一様に残酷な物語を求めるのか。僕は、いずれ来たる残酷な現実に備え、苦しみを知るための本能的な衝動だと思う。
ほとんどの子供は親の庇護の中では無敵だ。苦しみや痛みや面倒事は親が振り払ってくれる。
しかし、大人になるとそうはいかない。痛みを知らないまま大人になってしまい、社会に出て初めて、人間関係や生活の不条理さ、世界の残酷さを覚えてもまともに戦えないのだ。だから、苦しみと戦えるだけの体力や精神力のある若いうちに、陰鬱な物語を求める。
物語を必要としない人間は、現実世界で理不尽さを経験することで成長していく。
残酷さや苦しみは確かに人を傷つけるが、人間の魂はそういったものを克服しなければ成長できない。
暗い物語は、僕達が傷つかない程度に、傷の痛みを教えてくれる。
明るさだけが人の救いになるわけではない。小説家になろうなどでは、鬱屈した生活を送る主人公が異世界に転移し、自分をいじめていたクラスメイトに復讐するという作品がある。こういった作品は「今の自分から抜け出したい」「惨めさを払拭したい、強くなりたい」という読者の、魂の叫びを癒してくれる。
また、僕の友人は、暗い物語を読むことで、「ダメなままでも生きてていいんだ」と肯定感を得られると話していた。その時、彼女らは陰惨さに救われている。
また、僕はイラストが趣味で、その繋がりからインターネットで小説の書き手と交流させてもらうことがある。そこでわかるのは、陰鬱な物語の書き手は、陰険と言うよりはむしろ、人間の営みの醜い部分を分析し、受け入れていけるだけの強さがあることだ。そんな作者から与えられる陰惨さは、苦しみを抱えた読者にとって、ある意味で慈愛だろう。
慈愛は「小説を読む読者」ではなく「小説を書く作者」に向かうこともある。防衛機制でいうところの「昇華」だ。
この場合は、作者の苦悩が物語にリアルに反映される。誰もが知る有名どころだと、太宰治の「人間失格」がこれにあたる。
「世界は踊り、取り残されて」では、単位を落として内定を逃し、堕落した生活を送る主人公は、海に向かって中指を立て、そして今度は自分に向かって中指を立てる。
これは象徴的なシーンだ。
「癒し」として生み出された作品において、作中の苦しみや悲しみは主人公ではなく、作者に課せられる。中指は海――作品の対象ではなく、自分――作者自身に向けられているのだ。
もちろん、この二つにあてはまらない暗い物語もある。だが、根本に人間の醜さへの受容のない陰惨さは、読者の野次馬根性を煽って購買意欲を掻き立てたい・閲覧数を稼ぎたいだけだ。それはエンターテインメントであっても物語ではない。
陰鬱な物語において、中指は誰に向くのか。その中指は同時に、救いの手となるべきである。
「世界は踊り、取り残されて」:https://webnovel.jp/n/1541741088988
最近は陰険な攻撃をされ続けて気が滅入っている。昼飯のときに横で鼻すすりながら飯食べたり、帰り支度の時に俺の横でぶつぶつつぶやいたり(俺が陰険なオタクだと言いたい皮肉ったパフォーマンスだろう)。ガススタで車から出てきた俺の真横を走るかのように車が通り過ぎたり。本当に怖いのでやめてください。
まあ俺って嫌われるんやろなーと思い当たるコトはあるが。
放っておいてくれないかな。俺だって迷惑かけたくないとは思っている。そのくらいは知っているだろうに。文句があれば治す努力はしているはずなのに。
それを知っていてこんな嫌がらせをされるのだから、まあそれだけ俺が嫌いということなのだろう。
勘弁してくれ。底辺で行くアテも無いっていうのに。
こんなのコソコソ描いてる陰険さ心の狭さ
期限をきらした私が悪いんだけどさ。 pic.twitter.com/xNnn74QzXh— おつゆ (@anoneoame) 2018年9月24日
いやいやいや、あり得ないでしょ。
安倍ちゃんと石破さんの二人を見比べた場合、安倍ちゃんの前歴抜きにしても、安倍ちゃん一択に決まっている。
その最大の理由は、石破さんのツラだよ(容姿差別だという批判は見逃してね)。
麻生財務相が「石破の顔は暗いし気持ち悪い。どちらが日本の顔としてふさわしいか明らかだ」と発言した。
麻生さんが政権交代前に総理をやっていた時、閣内で公然と麻生降ろしをやったのが石破さんだったから、相当恨みがあるんだろう。
そのことを差し引いても、国会議員の中にも石破は日本の顔ではないと思っている人が多いのではないか。
仮に石破さんが総理になったとして、G7会議でトランプ大統領やメルケル首相達の中に石破さんの陰険な顔が並んでいたら、日本の恥だよ。
安倍ちゃんも少し単細胞なところがあるにしても、あの面々の中では全く見劣りはしていない。
私個人的には、石破さんが小泉総理の下で大臣をやっていた時から、「こんな犯罪者みたいな目つきのヤローが何で政治家なんかやっているんだ」と普通に思っていたし、石破総理論みたいな話が出てきても鼻で笑っていた。
anond:20180717001642 を読んだのですが、丁寧な口調の割にいまいち的を外した意見かなと思ったので、あのデレぽに問題があると思った側からの意見も書いておこうと思います。
①卯月の発言を満開メンバーが次々に肯定し、多対一の構図になっている上に、清美へのフォローが無い
この2点が問題であり、デレぽを見た人の多くが「何となく怖い」「清美がかわいそう」という感想を抱く原因になっています。
先の記事には
まず、多数を持って1人に圧力をかけているような構図に見えることを問題視しながら、「皆でこの件を問い詰めよう」と拡散を呼びかけている人がいます。
その構図こそ、この件を問題視した人がけしからんと言っている行動に近いのではないでしょうか。
SNSにおける数の力による圧力を醜いと思うのなら、自分もSNSを使った数の力で圧力をかけるのではなく、個々で意見を送ればそれで良いと思います。
①「多数をもって1人に圧力をかけること」と「同じ印象を抱いている人に呼びかけてゲーム運営に問い合わせすること」を
②「問い合わせを送ろう」という呼びかけを「皆でこの件を問い詰めよう」という表現に改変している
という2点が自分としては引っかかりました。
なぜ1人の個人に圧力をかけることとゲーム運営に意見を送ろうと呼びかけることを同一視されなければいけないのでしょうか。
また
「この件を問題に感じない人は、他者が傷つく気持ちに鈍感である」という中傷を行なっている人がいることです。
ですが、果たして、本当に他者が傷つく気持ちに敏感であれば、相手の意見も聞かずに一方的に「こういう人は鈍感だ」と非難するでしょうか。
という記述がありますが、これは「否定派→肯定派に対する人格攻撃しか行われていない」という誤解を与える表現だと思います。
あのデレぽで何か不快感を感じるってことはそいつがそういう陰険なことを思い浮かぶカスでしかないってことだと僕は思うんだけどなぁ
デレぽ炎上してたみたいだけど俺からしたらどうみても解釈する側が悪いしそんな細かいことでグチグチ言ってんだったらさっさとP辞めちまえって感じだ😅
杏botの件で「いじめのように見えて胸糞悪い、ライターの正気を疑う」とか評してる人達。
何気ない女子の会話を「女子同士のいじめ」という解釈をする、発想の飛躍が可能な柔軟な脳をお持ちのようで。
僕にもその脳分けてくださいよ〜
など「肯定派→否定派」の人格攻撃も多く行われています。あのデレぽを見て不快な、もしくは悲しい気持ちになった清美Pや、満開スマイル組のPには
こういった人格攻撃をされるような謂れは全くありません。
「デレぽを見て悲しく思った」だけでこういった人格攻撃に晒される、アイマスコンテンツ特有の「否定的な意見を許さない」空気は多くの人を傷つけていると思います。
先の記事は丁寧な意見ではありましたが、微妙に論点をずらしたり、また「否定的な意見を言う人」のネガティブな側面を大きく取り上げたりしていてることには注意する必要があると思います。
コンテンツを肯定的に捉えることは全く悪いことではありませんが、不満に思った点、悲しく思った点があったならそれを口に出したり、運営に問い合わせたりしていかないと、同じ失敗が繰り返されてしまうと思います。悪いことは悪いと言える空気が、アイマス界隈にも流れるようになることを望んでいます。