はてなキーワード: 課長補佐とは
例の文書に関して、菅さんとかが、怪文書だなんだのとおっしゃっておられました、今日の朝日が追撃を出してきました。これは内閣府側が審議官と参事官、文科省側が課長と課長補佐が対応した、という構図ですが、この時点でもうお叱りであることが明らかですね。審議官は、藤原内閣官房審議官ではないかと勝手に思っておりますが、官房審議官であっても、課長職よりはだいぶ上、参事官でも統括課長級です。文科省側の対応は当然高等教育局でしょうから、対等のカウンターパートであれば松尾審議官ですが、文科省側の黒塗りが長いので、おそらく高等教育企画課長、専門教育課長などの名前が入っているのだと思います。
ちなみに玉木議員が「詠み人知らず」の文書を作成することはよくあることだ、とおっしゃっていましたが、内部のメモの共有では当然誰が作成したかというのはそれほど重要ではないので、まずここは当然です。機微に関することで、署名がされていると、「いったい誰がこんなこと書いたんだ、俺は言っていない」というクレームが政治家から出たときに困ります(いままさにこういう状態ですが)ので、当然誰が作成したかはわからないようにするということもあるでしょうが、ここはおそらく単に課内あるいは局内での共有が目的で、理解されればいいのは、この件について、誰に聞けばわかるのか、というだけなので、課長、補佐までしか書いておらず作成者名がないというだけだと思います。作成者はおそらく係員、係長クラスだと思います。彼らが審議官、局長クラスから直接事情を聞かれることはないので、個人名は不要です。
官僚同士のやり取りで、相手側に四の五の言わさないために、偉い人の名前を出すこともよくあります。これ自体は本当であったり、本当でなかったりするでしょう。たとえばですが、答弁書作成のデマケで、原課以外の人に担当してもらいたいとき、相手は指名が直接なかった以上、早く帰りたいわけですから、答弁書作成のモチベーションはゼロで、片側だけがとにかく帰らずにやって欲しい状況です。こういうときに下っ端が、「審議官のほうにもクリアもらってますからお願いします」とか言うときはほんとに了解を取ってなかったりもするでしょう。これは嘘つく側が切羽詰ってるからです。しかし、今回の場合内閣府そのものに嘘ついてまでやるモチベーションがないので、おそらく官邸側から要請されてる話だというところに嘘はないでしょう。なぜなら嘘つく必要がない場面だからです。
予想でしかありませんが、「獣医学部新設にかかる内閣府からの伝達事項」は、カッコ位置のズレがあったり、概要的であることから、おそらくネガチェックもやっていないメモ取りの書いたものでしょう。それに対して、「■■内閣府審議官との打合せ概要(獣医学部新設)」のほうは、課内、あるいは局内共有用に体裁を整えたものでしょう。
今朝になって、北村直人元議員からの石破、麻生大臣の情報を得た旨の情報がかかられた文章の件に関して、モーニングショーが確認を取っていて、「自分が書かれている部分はおおむね紙の通り」と取材に対してこたえているようです。ちなみにこの文書作成者は専門教育課課長補佐(26年8月から現職)だと思われます。(十中八九この人がリークしたわけではなく情報共有されていただけでしょう。)最低限この文書の正当性は確認されたといっていいでしょう。
・党プロセスは今後どうなるのか。党プロセスを省くのはおかしい。
・総務会には上がってくるマターではないのか。もし議題に上がってこないなら、私が総務会の場で持ち出すことはやぶさかではない。タイミングを教えてくれ。
と書いてあります。これは要は義家副大臣のレク概要と合せて考えると、のちのち、この獣医学部の新設によって需給が崩れて問題化したときに、文科省が責任を取らなくてもいいような体裁を求めているわけです。玉木議員質疑の中で、需給の問題は誰が確認したのか、と文科省が聞かれたさい、「それは農水省に聞いてください」ふっていて、おそらく農水省は完全に蚊帳の外だったのでしょうが、これは新たな需要だから、既存需給に影響は与えないから知らない、と答えて、内閣府が「概略的な確認」をしましたー。という答弁に顕著に現れています。つまり文科省も農水省も責任を取りたくないので、内閣から省に対して出た話ではなく、自民党の中でのクリア(問題化したときに石破さんや麻生さんから非難されないように)をとった上で、成田の医学部と同様(平成27年7月31日付け)三省合意文書のような体裁を整えてほしい、というのが、文科省の目論見だということが見えてきました。そのために、前大臣である石破さん、広く反対者として知られていた麻生さん(なぜ麻生さんが反対かというと、日本獣医師会の会長である蔵石氏の長男を福岡県連から擁立しようとしていたのが麻生さんだったから。)、あるいは、安倍さんに批判的な村上さんあたりに働きかけていたことが伺えます。この10月18日付けの北村直人さんに関する文章はおそらく、9月28日(だったと思う)の内閣府からのお叱りで、「党の部会で話しては、といったら官邸から怒られた」ということで、党のプロセスはすっ飛ばして、いいからさっさとやれ、といわれたことへの抵抗なんでしょう。振り返って考えれば、当初の森ゆうこ議員や、桜井充議員の質疑のなかでも、文科省の役人から3省の共同告示に向けての省内での議論はなかった、というような話を持ち出していたのも、文科省としては頭ごなしに内閣府ががめてきたことに、相当怒っていたということだったんでしょう。想像ですが、森議員が追及していたように、3大臣合意文書もやっぱりなかったということでしょうね。
この文書があるかないかなんて、共有フォルダで検索かければ1分でわかりそうなもんだけどね。
「9月28日に、内閣府と文科省で会議をもったことをはありますか、という質問です。ペーパーの真偽とは切り離して答えていただければ。」
義家
「日程を確認しないとわかりません」
「日程はわからないけれども、この前後で、こういったメンバーで、話し合いをされたことはありますか」
義家
「正式な会議ではなくて、さまざまな協議、さまざまな話をしていたことは事実であります」(この辺まではちょっと評価してたんだけどねー)
「この文書内閣府○○審議官と書かれている。特区担当の藤原裕審議官だと認識しておりますが、藤原審議官にも本日おいでいただいておりますが、藤原審議官は9月28日の会議をもたれたことはございますか」
「報道にありますこれらの文書につきましては、文科省にも確認をしておりますが、でもとがわからず、信憑性も定かではないということで、内閣府としてお答えをする立場ではございません(いやあんたの日程を答えるのは公務員の義務だろ)。ただ報道にあるような昨年秋ごろということであれば、第一回目の今治市分科会が行われたこともありまして、各省庁と事務的な議論を行ったことはありました。ただその日程、内容につきましては確認がとれておりません。また内閣府として、官邸の最高レベルが言っているとか、総理のご意向だと聞いているといったことを申し上げたことはございません。また総理からそういった指示もございません。」
「確認します。一連の報道によると、官邸の最高レベルの指示だとか、総理の意向だということは内閣府側から発言されたことになっております。内閣府側であれば、藤原審議官、ご本人であれば総理の意向だとか、官邸の意向だとか、官邸の最高レベルの意向だとかそういったニュアンスも含めて、一切発言をしたことはないということで言い切れますか」
「えー総理からのご指示を受けたり、総理、私個人で言えばですね、政府内の一職員でございますからそういった総理から指示を受けたり、ご意向を正確に確認する立場ではありません。仕事をする上で、支障をきたしてはいけませんので、総理のご下命そういったことには一切言及しないことを心がけております。私ども事務方としましては、総理のご発言、ご指示を受けられる、唯一の機会は、特区の諮問会議でございます。高い頻度で月に、1、2度、総理にもご出席ただきまして、指示を頂戴しておりますけども、かなり2回に1回ぐらいはですね、これはー特区の規制改革、これはスピード感をもって進めるべきだという旨のご発言をされております。個別のプロジェクトに関わらず、全体といたしまして、スピーディに行うようにご指示を受けておりますので、私どもとしても関係省庁と連携しているところでございます。」
「最初のほうを聞くと、言ってないような答弁なんですが、後のほうを聞くと、言うこともありえるような答弁でしたね、(略)私も総理から藤原審議官に直接指示があったといっているわけではないし、報道もそのように書いていたわけではない。ただ総理、官邸から内閣府に強く伝えられたのではないかということを裏付ける文書が出てきたな、ということでお伺いをしている。義家副大臣10月7日、副大臣と、文科省側が、萩生田副長官と面会をされましたでしょうか」
義家
「萩生田副長官とは常に政治のお話をしております。制作のお話も。10月7日がどうであったかということですが、私自身さまざまな声が届きますので、調べてみましたところ、別の日程をしておりました。お会いしておりません。10月7日には。」
「その日はお会いしていないと。10月7日萩生田副長官ご発言概要とありますが、必ずしも義家副大臣の名前が出てくるというわけではありません。そこで当然同席しなかったということがいいたいのかなと思います。萩生田副長官、10月7日、こういった話し合いをされたということはございますか」
義家
「昨日報道から、こういった文書があることは承知しておりますが、その文書については、その内容が精査をされている最中でありますので、現時点でお答えをする立場ではないと考えております。日々、各省庁の担当者と頻繁に連絡をとりあっておりまして、その日に文科省の皆さんとあったかあわなかったかは確認してみないとわかりません」(注:萩生田さんは浪人中加計学園にお世話になってた人です)
「通告済みです。明確に10月7日に会ったか会わなかったか、通告文に明確に書いてあります。お調べいただいているものと思います。お答えください。」
萩生田
「私の公式日程につきましては、法令にのっとって、一定期間保存した後、処分しておりまして今日はこの委員会に出席するまでの間に確認で着ておりません。」
「今のは処分したという意味ですか、調べなかった言う意味ですか。」
萩生田
「昨日報道があった時点で自分なりにその日はどんな日だったカナと手帳などで確認してみたんですが、確認はできません。」
「副長官は公務で、他省庁の人とお会いするときに、ご自分で手帳などに書く以外に、記録取らないんですか。そんなことないでしょ。夜の会食で会う、こういうときには記録取らないこともあると思いますが、昼日程で、官邸であうとか、文科省に出かけていくとか、ご本人じゃなく記録取られるんじゃないでしょうか。これは官房に聞いていますので、お答えいただけないでしょうか」
萩生田
「日々の公務で、さまざまな人たちとの面談、あるいは決済等々日程にのっとって、一連の表がございます。これは昨年のことですので、今日の段階では確認ができなかったということです。」
「廃棄したという意味ですか」
萩生田
「廃棄した可能性もありますが、現時点では確認が取れていません」(これから廃棄するということだねwwちなみに、内閣府の内閣の庶務に関する関係行政機関等との協議等に関する経緯に関する文書の保存期間は5年でございますよ)
「意味がわかんないですよ。時系列順に連なった公文書でしょ。そのページ開いてあるかないかじゃないですか。開いたんですかそのページ」
萩生田
「昨日ご通告をいただいて、事務方のほうで、確認をいたしましたが、今日の時点で確認がとれていないということです、廃棄している可能性もございます。」
「はなはだ不誠実な答弁です。官房副長官が公務として、官邸で、あるいは文科省に出向いていって、話をする、夜呑みながらという話じゃないんですよ。その有無を確認している。廃棄しているといってもひどい話だが、廃棄したかどうかもわからない。これは確認してないってことじゃないですか。この文書は、本物か偽者かもわからないというものなんですよ。だから聞いている。義家副大臣のほうはお調べになって、そういうことだと思うんですが、まだ本物とも偽者ともいえないんですよね。それはまだ、新しい文書がこれから出てくる可能性もありますから、軽々に偽もんだといって本物だったら困るということだと思いますけども。今の萩生田副長官の答弁は不誠実です。」
(略 やり取りの内部の妥当性について、記憶にない、通常の扱いじゃないからおかしな文書だなと思った、文書の信憑性に疑問を提示する、こういう話をした記憶はないという萩生田)
義家さんにも打ち合わせの有無を聞く、わからないという義家、宮崎、4,5人に確認したら、他省庁との面会は役付は必ず保存されているので、ご確認くださいという宮崎。
さらに、10月4日のレク概要の内容(斉藤農水副大臣との話)について、確認したかという宮崎。日々レクを受けているといって、10月4日のレクの内容は確認していないという義家さんに対して
「確認してくださいという質問通告ですから。確認していないということはどういうことでしょうか。確認したがわからなかったのか、確認していないのかどちらですか」
「そもそもですね、この文書が事実の文書であるかわからないわけでありまして、仮にじゃあ私がこれを指示をしたとしましょう、しかし私はこういう指示をしました、この文書でよろしいですね、という決済さえしていないわけですね。つまり何月何日に何をいったか、つまりこれは正式な私の副大臣レクで私がこういっていたとしても、正式な文書でもなんでもないわけですよ。仮に私がこういっていたとしても。さまざまな指示は、特にことの時期は、連日のようにレクを受け、連日のように指示を出している、この資料に基づいて、こういうレクがあったんですかといわれましても、連日のようにやっていましたので、あったのかもしれないし、なかったかもしれないしこの文書は正式な文書ではないということです」(そういうことをレク担に聞くことを確認するというんですよ、義家さん)
「信憑性について確認したいから質問している、このレクの内容が本当かはまだ聞いてないんです。10月4日にレクがあったのかどうか確認してくださいと質問通告に明記したので、あったかどうかは答えていただかないと困ります。」
義家
「質問通告を受けたという認識がございませんので、私の公務日程は調べておりませんが、随時レクをうけ、随時指示を出していたということであります。(切れ気味)」
「通告文読み上げましょうか”義家副大臣は、10月4日に本件でレクを受けているか”こういう文ですが、通告していないということはないでしょう。調べなかっただけでしょう。」
義家
「今事務方からレク通告を見せていただきました。通告ありました。(いいわけつらつら)」
「私副大臣の個人のプライベートな手帳のことを言ってるんじゃないんです。役所が管理している、公的なスケジュール、公的な記録として記録をされるんでしょう。そのことについてお伺いをしているので、ちゃんと副大臣日程作られていると思いますよ。別に、なんかプライベートで誰と会ったとか聞いてるわけじゃないんです。副大臣のづきの職員の方がちゃんと管理しておられる。そのことについて聞いているんです。」
ちゃっちゃと確認して、本物かどうかを明らかにするのは政府の責任なので、さっさとやってください。この書類が捏造されたか、ではなく、話し合いの事実があるか、ということについて答えることは、朝日新聞や民進党や共産党ではなく、当然政府の責務です。ここんとこがわかってない人が多すぎてびっくりしますが。もちろん、調べた結果事実はない、ということでもかまわないけれど、確認なんかすぐ終わるんだから、文科省高等教育局の共有フォルダで同名ファイルを検索してください。ないならないで結構ですけどもね。こういう話。まぁ田崎スシローはこれをリークしたのが文科省の役人であることは特定していると、暗に信憑性を高める発言をされていましたけれども、応援団のかたとしても応援の仕方は間違えないほうがよろしいかと思いますよ。
今日の法務委員会は、開始10分ほどで、野党議員からの鈴木淳司法務院長への不信任動議(追記:よく考えたら解任決議案の提出ですね。不信任動議しろってずっと思ってたからタイトルから間違ってら)で、おそらく9日の本会議でその採決を行うまでは、「暫時休憩」となります。これを与党議員やネトサポが「審議拒否」といっていますが、ちゃんちゃらおかしいですね。審議拒否っつーならまずお前らの親分どもの答弁拒否をなんとかしろ。
民進党が現在対応を求めているのは以下の三点のはずです。GW中に開催するなとかいう話じゃない。
(2) 1を解決しないまま委員長が職権で委員会を開催し続けること
第四十五条の二 委員会が審査又は調査を行うときは、政府に対する委員の質疑は、国務大臣又は内閣官房副長官、副大臣若しくは大臣政務官に対して行う。
第四十五条の三 委員会は、前条の規定にかかわらず、行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査を行う場合において、必要があると認めるときは、政府参考人の出頭を求め、その説明を聴く。
階猛議員が、立法趣旨や、立法事実、捜査の開始時期といった、法案の骨子、基本的事項について、政務三役への質疑を行ったところ、林刑事局長を指名する、ということを繰り返し行っています。45条の2の主語は委員会ですので、政府参考人の登録までは、当然、委員会、つまり多数決、委員長職権で決めることはまぁ仕方がないかな、と思いますが、基本的に質疑は政務三役が答弁する、を無視するならばは衆議院規則違反との批判は妥当だと思います。さらに、政府参考人の登録は、毎回委員会の合議で決めてきていたところを、審議期間中ずっと登録することとする、というやり方も姑息です。なぜ政務三役が答えないといけないのか、というのは、それが議会制民主主義の根幹だからです。官僚はあくまで、政治家の意思決定に基づいて、その意志を具現化するための機構にすぎません。政治家が、その法案の骨子について説明できないという法案は、もうその時点でだめなんですよ。実際には、法改正や法整備は議員立法や、重要法案を除けば、そのほとんどを、課長補佐クラスでなされる弾出しを元に作られます。しかし、大臣はじめ、政治家がそれをチェックし、問題ないことを確認するからこそ、大臣名で署名し、公布するんでしょうが。大臣がわかってない法律を通す、ということは、建前ですら、議会制民主主義を放棄するということを意味するから、大臣が理解しているか、説明する能力があるかどうか、ということそのものが、審議マターになるんでしょう。
前に書いたように、この法案の理解をし、説明をすることに関しては、盛山副大臣>井野政務官>金田大臣の順です。金田大臣の答弁をまずさせると、それが政府参考人の答弁とも矛盾するし、盛山副大臣が質疑にまじめに答えると、それも金田大臣や安倍総理大臣の答弁と矛盾する、という事態が起きています。これをさらしたくないから、安倍さんは、通告がないから答弁しない、とか民進党の批判、自分の支持率の話とかで話をそらす、といったことを繰り返すし、金田大臣は成案が出た後にと先送りしてきたのにも関わらず成案が得られてもまともに答弁できない、刑事局長にまず答弁させて、「○○議員にお答えをいたします。××××とのご質問でございましたが、ただいま刑事局長が答弁したとおり、△△△△であります。」という時間稼ぎをしてるんですよ。これを正常化しないまま、審議がつくされた、とされたらたまったもんじゃないよ、という民進党、共産党の主張は真っ当そのものではないですか。
(2)について言えば、委員会の開催は、基本的に与野党の合意によって行われます。委員長は議事運営を公平中立に行うこと、というのは、与野党の申し合わせにおいて確認されていることです。まぁ委員長も人間ですから、そりゃあ完全な公平中立なんて幻想だということはお互いにわかってるわけですが、ものには限度というものがあるでしょう。求めてもいない答弁者がたって、政治家とは違う答弁をする(「一般の方々が捜査の対象とはならない」とかね)、政府参考人の登録は必要に応じて最低限行われるべきものという原則に反した通期での登録、土屋正忠議員の不規則発言の説明を求める階猛議員の要求を退ける等、とにかく早く委員会採決に入りたいという欲求しか見えませんよ。
(3)の土屋正忠議員の不規則発言、階猛議員の質疑中、呼んでもいない林刑事局長が答弁しだしたので、質疑を終了し、次の質疑者である枝野幸男議員と階猛議員が質疑の打ち合わせをしていたら、土屋正忠議員(法務委員会理事)が「テロ準備行為じゃないか」といったことに、階猛議員が激昂し「誰だ今言ったのは、誰に向かっていったんだ」と土屋議員の肩をついて、つめよった件です。この土屋議員の肩をついたことに関しては、階猛議員は先週金曜の質疑の中で正式に謝罪をしています。私は、今日の法務委員会がセッティングされてるのをみたので、せめて理事会の中でぐらい謝罪してるのかと思ったら、民進党のブリーフィングによると、謝罪どころか、「階議員がやったことそのものがテロ等準備行為なんだと、ご本人も発言されていた」(逢坂誠二・談)だそうで。微塵も反省しとらんどころか、「林局長の机をたたいたので、やりすぎと思い、発言したが、内容は覚えてない」というコメントも嘘じゃねぇか。この発言が出たのは、階議員が、枝野議員とこそこそ話していた場面なので、要は「こそこそ話しているからテロ等準備行為だ」というアホみたいな主張をこの段階でも引っ込めてないってことでしょう。当然、委員会の場なり、院外でも結構ですが、何らかの謝罪があってしかるべきでしょうが、どうもご本人が反省していないということの模様。
もし、私が書いてきた共謀罪に関する記事なり、共謀罪関連の委員会質疑をご覧になっていれば、この共謀罪に対する政府側答弁ですら安定していないことはご理解いただけるかと思うんですが、東京新聞によると、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201705/CK2017050102000116.html
「共謀罪」法案は、四月末までに衆院法務委員会で参考人質疑を含め約二十二時間の審議を行った。与党は同法案を採決するには、三十~四十時間の審議時間が必要だとみている。
ということでした。実質審議入りの前の段階で、与党議員が「衆院では30時間も審議すれば十分」と発言していたと報道され、また逢坂議員もそういう発言をされていましたので、これはまぁ多分事実でしょう。私の個人的な予想では、GW前に、この法案を衆議院で採決してしまいたかったんだろうと思っていました。どんなに強引なやり方でも、皆さんすぐ忘れてくださるので。今日の審議予定時間9:00-12:00、13:00-17:00ということで、7時間の予定でした。これまた私の勝手な予想では、今日の審議が終わったら、採決の動議がされてたんじゃないのかな、と思っています。大体30時間なので。わざわざ5月2日に職権開催したのは、ここで強行採決すれば、一番目立たないと考えたからじゃないのかなと。単なる予想ですが、参考人質疑も終わっていますから、この、政権側がまともに答弁もできない状況でも、もうほんとにいつでも採決されうる状況だということはどうぞ知っておいて欲しいです。
ときどき「ふつうにおいしい」とか「ふつうにかわいい」とかが褒め言葉かどうかでトラブることがある。
これによく似た事例に特急がある。
これは「特別急行」の略称に過ぎなかった。なぜなら「普通急行」があったからだ。
国鉄時代、ホームでは「N番線に××行き特別急行△△M号がまいります」と構内放送が流れたものだ。
しかしJRが「特別急行」という表現をすることはおそらくないと思う。現在特急は特急であり、それ以外のなにものかであってはならない。
略称ではもうないのだ。なぜなら「普通急行」つまり急行が存在しないから、何が特別なのか問題になるためだ。「普通に特別な急行」といった感じだろう。
はてなで絶筆して久しいが、あまりにアホ、または意図的なミスリードが多いので書く。
ひさしぶりすぎて記法を忘れているので読みにくさはご勘弁願いたい。
https://togetter.com/li/1097174
これのブコメに
「同行するだけなら問題ない」
といったコメントが多くついている。
総理大臣夫人付という役職が作られたのは第二次安倍政権になってからであって、
その公務の内容については、辻元清美による質問主意書への公式回答がある。
曰く
「安倍内閣総理大臣の夫人が内閣総理大臣の公務の遂行を補助することを支援する」
SPはどうだというが、SP関連は国会事務局警務部所属の特別職公務員であるため
3人まで公費で雇うことができる。
政策担当秘書は資格が必要であるが、公設第一秘書、ならびに公設第二秘書をおく場合は特に資格は必要ない。
政治家が大臣となると、大臣秘書官1人を省内に置くことができる。
大臣でも規模が違うが同じようなもので、その政治家の懐刀感がある。
こいつらが、いわゆる大臣秘書官であり、一般に政務秘書官と呼ぶ。
彼らは特別職公務員であり、人事院規則に定められた政治活動の制約を受けない。
一方官僚側としても、大臣とのコミュニケーションを図るために、人柱がささげられる。
○○国務大臣秘書官事務取扱という役職を拝命することになると悲惨なもので、
基本門外漢の大臣に省内事情を説明しては怒鳴られたりしながら大臣交代まで務めることが多い。
もちろんメリットもないわけではなく、覚えがよければその後の出世がしやすいというものだ。
副大臣、政務官にも当然つくわけだが、大臣付はキャリアで、課長補佐を何年かやったものが担当する。
「ぜったいに」同行しない。
なぜなら彼らは一般職公務員なので、人事院規則に定められた政治活動の制約の範囲内の仕事を振られては対処に困るわけで、
大臣側も「いいから来い」などとは言わないし、引継ぎで必ずその点には政官両面で釘が指されるからだ。
同行しないとはいっても彼らの週末は基本的に地元に帰る政治家の留守を預かる役になるため休みはない。
おそらくそのような引継ぎをしてくれる先輩政治家も先輩秘書官もいなかったものと推察する。
キャリアで課長補佐以上の大臣秘書官と比べるとそうとう格が落ちるといわざるを得ない。
これはおそらく想像だが、安倍総理は、夫人の活動のほとんどを把握していなかったのではないかと思われる。
「かかわっていれば議員も総理大臣も辞める」という発言をするとは思えない。
どうしようもなく、うかつだが、「知っていながらどうとでもごまかせると考えていた」とはちょっと考えにくい。
これも完全に推測だが、おそらく、夫人が「わたしもなにか仕事がしたい」というので、
自分の秘書官である、今井に頼んで、経産省のノンキャリを何人かつけてもらって、
夫人のやりたいことを好きにやらせてやってくれ、程度のことを頼んだのではないかと思われる。
おそらく安倍総理本人も、そうたいそうなことはやらないだろうと甘く見積もっていたのだと思うが、
法的根拠もなく、あいまいなまま、やっていることは完全に大臣クラスの陳情処理なので、
いちいち掘られるともう事後的に取り繕うたびに頭のおかしい答弁を閣議決定するはめになっているというところだろう。
この場合『リストラ⇒会社都合の解雇』と混同しているのだと思うのだけど、そうではなくて本来の意味で『リストラ⇒組織の再構築』は長い間行われている。
例えば、ちょっと調べると解ると思うけど大抵の自治体は人員の削減に関する計画を持っている。
それに従って、着実に職員を削減しているし、なんなら職員の大幅削減を掲げて首長選を闘う者もいる。
とはいえ、公務員は身分の保障を受けているため、簡単に解雇できない。ではどうするかというと、これは単純に採用の抑制を行って居るのだ。
退職者世代が100人居るなら、新規採用を5人しか通さなければいい。そうすれば95人削減したことになる、というまあ短絡的な計画だ。当然、人手は不足するし、職員の高齢化も進む。技術の継承もされない。
もう、十数年にわたってそんな計画が続き、職員を半分に減らした自治体もある。
極端な職員の高齢化によって、課長の下に課長補佐ばかり何人も居てその下が居ない部署もある。
されど仕事は減らない。
それで、外部委託だ。
窓口や司書業務、その他の雑用など昔は職員がやっていたことが現在は委託業者が行っていたり、派遣、あるいはアルバイト、嘱託などの臨時雇用者が受け持つ。
彼らの存在は頻繁にネットニュースで『官製貧困』の被害者として取り上げられるので知っている人も多いだろ。
さすが日本、貧しくても彼らが不正に手を出すことは少ないが、それでもマイナンバーなどの流出事件自体はこれから増えるだろう。
と言うわけで大多数の自治体は疲弊しているし、アンバランスな体制で回しているのが現状。
だからどうしたって、それは市民の民意なわけだから別にどうもしないけど、ただ「公務員はリストラがない」発言は若干バカに見えるので辞めた方がいいな、と思います。
明朝体のテロップを入れつつも説明する気がまったくなさそうな速度で切り替わっていくカットに専門用語を早口でまくしたてるセリフ回し、そして未知の恐怖としてのゴジラ。
もーかっこいい。ヤバい。中盤ぐらいまでこれでもかと言わんばかりに詰め込まれてて眼福。
ほらシン・エヴァはこねくり回してもはやよくわかんないことになってんじゃん? だから何のしがらみもなく「ぼくのかんがえたこわかっこいいごじら」を素直にやれたからこれだけの品質になったんじゃないかな。
・ゴジラ怖え
vsシリーズを経て日本映画の顔となっていたゴジラは知己みたいなもので、恐怖の対象ではすっかりなくなっていたけれど、今回のゴジラはふつーに怖い。何してくるかわからない未知の巨大生物感がモロに出てて怖い。ほんと怖い。
このゴジラのっそのっそと歩く。人を見ても襲ってこない。てか視界に入ってない。だから食われるとかそういう怖さはないんだけど、その分どうあがいても止められない。何でいるのか何をしようとしているのかどこに向かっているのかどうやったら駆除できるのかわからない。何もわからない。
わからないって怖いこと。それを存分に教えてくれる。
劇パト2は国内でテロがあれば日本は変わるかっつーメッセージがあったけど、本ゴジラはもっと直截に3.11という国難に立ち向かった日本と政府を描いてるんで。
3.11の後はじめて核の落とし子たるゴジラを描くのにそこを無視するわけにいかんのは事実だけど、そこにフォーカスしてどーのこーのと場外乱闘してほしくはないなーと思った。
超巨大怪獣あらわれたー! プラレールどーん! を本気でやってる映画なんでね。ガキかよマジで最高だな! と俺は思った。
環境省かどっかの生物得意系女子で、いわゆるはみ出し者。この映画どの人物もだいたい早くしゃべるが、それに輪をかけて早口。優秀だけどそのぶんINT全振りみたいな感じで誰に対してもつっけどんで常に真顔。
で、この子、物語の終盤に一度だけ笑うんですよ。ゴジラが撒き散らした放射性物質が数年内に消え去る可能性があることを突き止めて。今までニコリともしなかったその子が見せた心からの笑顔がもう可愛いのなんのって。天使ですよ、マジで。これは日本中が恋に落ちる。
与えられた任務にただ忠実な優秀だけど冷たい感じの子かと思いきや、東京は甦るって知って、心の底から嬉しくなって笑うんですよ。実はぐう聖でしたってどんな大正義だよ。もう大好き。
新卒で入った会社は、PCサポート兼事務職で、約10年間ずっと議事録を作る仕事をしていました。
会議ごとに自分の所属している部署とは別に会議名の付く委員会があり、その会議の末席でひたすら議事録を書く仕事をしていました。議事録書きといっても単純な記録であれば、慣れればそれほど難しくはないのですが、この会社はがちがちに組織が硬くて、組織の意思決定の議事録というのは人間関係にとても気を使いました。
私が書いた議事録はまず主査と主任代理にチェックをもらって直しを受けます。そして主任、調査役、課長代理、課長代行、課長補佐、課長、担当課長、別部署の主任代行、課長1、課長2、部長代行、部長補佐、部長補佐2、担当部長、副部長1、副部長2、部長、本部長代行、本部長補佐、本部長、常務、専務と順番に稟議されていくわけですが、当然1人でも却下されたら、また最初からやり直しとなります。その度に議事録の修正票を起票し、そのための稟議を上げたり、修正稟議を修正するための稟議を上げたりすることもよくあることでした。さらには議事録の内容を精査するための「案件担当者会議」とか「議事精査会議」を開催して、その議事録も要求されて同じように稟議を受けたりと、わずか2時間の会議の議事録が最終的に完成するのに2~3か月がかかることも珍しくはありませんでした。掛け持ちで書いている議事録の数は多いときで50件くらいになりました。時には議事録がまだできていないのに、次の会議でそれが否定されて、でも記録として残すために議事録を書き続けなければならないということもありました。まさに私はプロ議事録屋さん兼書類整理屋さんとなり、歩く議事録と呼ばれるようになりました。
この会社は左前の会社で、採用が自分の年以降まったくなく、後輩が入ってこないので、自分がずっと同じ仕事をしていました。10年間仕事をしてきたので32歳になっていましたが、実質的にヒラ社員のままでしたし、自分の部でいえば、私と雑務係のおばさん、そして派遣できている3人以外の全員は何かの役職がついていました。ひとつしかない部なのに、その上に本部があって、本部長、本部長代行、本部長補佐という役職があり、結果として部長が4人いるのと同様の認識になっていました。昔は他にも部があったそうですが、事業縮小で廃止になったとか。でもそれを数十年も引きずって、部の上に本部があるなんておかしいですよね。社員構成としては課長以上の社員が70人(色々な兼務があるがこの場合は人間の数です)いるのに、主任以上課長未満は20人、ヒラは5人という逆ピラミッド型の構造となっていました。公務員でもないのに専門官とか審議官、参事官、調査役、考査役、審査役、相談役、特命役とかよくわからない役職が多くて、新聞を読んでいるだけの人?も多かったし、今から思えばなにかが腐っている会社でした。
何をいっているのかわからない業界用語とか、それまでのやりとりを理解している前提であったりとか、発言した人間しかわかっていないこととか、みんな理解もしていないのに理解をしているふりをしているとかは当たり前のことです。「じゃあそういうことで~」で終わっても、まさか「そういうことに決定した。」と議事録に書くわけにはいきません。じゃあ会議の時にきけよという話なのですが、末席の自分に発言権はなく(本当に発言権がないといわれた「ヒラなのに失礼だよね」)といわれました。発言を求められること(過去の記録について議事録を見返すのが面倒だし誰も覚えていないけれども、私は書いているのでその過程で内容を覚えている)はありました。さすがに会議の前半と後半で結論が違っているときは、きいていて分かるので、嫌がられても許可をもらって発言をしました。でないと、あとから大変なことになるからです。また理解できずにうつらうつらしていた人が突然あてられて、しどろもどろになることがあります。こうした場合、あとから自分の意見を議事録に追記するということも非公式に認められていました。多忙な人も多く、そういう部分がすべて出来上がらない限り議事録は完成しませんでした。
ところで議事録ってなにをもって議事録というんでしょうかね。みんなのすべての発言から咳払いとか「えー・・」だとかどうでもいい言葉を除いたもの、たとえば議会の議事録はそういうことになりますよね。うちの会社ではこれは議事録明細といって、8割以上の議事録には付けるルールになっていました。でも明細を見ても要点や背景がわかりませんよね。それで、要点をまとめて、発言していない部分まで補足してまとめたもの、これが議事録の本編です。これに日時や場所、出席者などの情報をまとめた前文を付け足して、ようやく議事録になるんですね。大体1時間の会議でA4用紙で20ページくらいになるでしょうか。もちろんこれを仕上げるには1日では足りません。でも私の場合なんとかしてこれを1日に収めることが目標でした。でないとたまりまくってしまいますからね。今でもタイピングと自己流ですが速記には自信があります。
今回の議事録は適当でいいよ。とか、決まったことだけ書けばいいよといわれて、そのようになることはまずありえません。なぜならひとりひとりの意見を聞いていったときにひとりでも異論があれば、その都度書き直しをしなければならないからです。「てきとーで」といわれて本当に少しでも手を抜いたらものすごいダメ出しを受けたことがありました。私ではなく別の人が書いた議事録であればそこまでは言われないことが多いので、このあたりはその人の性格との相性もあると思っています。「てきとーで」と言われた時の行動パターンとして、初めて言われた時には、絶対に手を抜かずにむしろきれいに丁寧に仕上げます。それで何も言われなければ万歳。逆にこれだと時間がかかりすぎるでしょ、本当に適当でよかったのにとか、読むのも大変なんだと逆に怒られるようなことがあれば、そこで初めてその人用に「手を抜いた」ふりをした別の資料を用意します。(手を抜くけれどもほかの人には手を抜けない場合が多いので隠れて別資料を用意するか、用意ができる準備はしておきます。)つまり、「手を抜いて」といわれるとそのあたりの調整を含めてかえって仕事が増えるのです。
会議が始まる前とか、会議の最中に「今回は議事録を書かなくてもいいよ」と言われて、それにみんなが同意してもこれは全くの嘘です。議事録とはいわれなくても、会議の後に誰かから、悪いけど決まったことだけは証跡として残しておいてと言われます。そしてメモ程度の証跡を残すと、必ずそれを送ってと言われます。ただこれだとほかの人に見づらいし何か言われるに違いないから、念のためにきちんと文章にまとめておいてとか、会議に参加していなかった人も含めて誰が見ても分かるように念のために「こういう関連情報を補完しておいて」といわれます。そしてこれが印刷されて他の人に回りだすと、体裁が気になって上の人には見せられないので、フォーマットもしっかりさせてといわれます。また俺の発言がないとか、この部長の発言は全部を書かないと失礼だろうと言われます。文書のタイトルが抄録となっているのに「これは議事録ではない、ちゃんとした議事録を書かないとだめだろ」といわれ、ひどい場合は今回はさぼちゃったねと嫌味を言われます。その嫌味を言った人は、「議事録はいらないよね。」といったのとはさすがに別の人物ですが、その会議に同席していた以上、それをきいていたはずです。でも会議から1か月ほど経過していることも多いので、おそらく忘れちゃっているか、私が嫌いかのどちらかなのでしょう。でも上司の命令に逆らうことはできません。仮にここで私が「たしか会議の中で議事録がいらないということになったと思います。」というと、大変なことになります。議事録がいらないのは公式の議事録がいらないのであって、確認するための議事録は当然必要なんだとか、先輩のいくことに従えないのかとか、いろいろ言われて終わりです。
つまりです。最初は何もいらないといわれたのに、いつの間にか議事録を書く羽目になっているのです。従って、会議に出たらもうその時点で議事録を書くことは確定なわけです。ここまでくると最初に議事録はいらないですよねといった人の立場がありませんから、一つの会議で決定事項メモ、概要、抄録、議事録、議事録明細の5種類の文書を用意して、それぞれを要求した人に、それぞれ他の資料の存在を隠して送付をしていました。面倒ですが人間関係を円滑に進めるために必要な作業でした。だから「今回は議事録いらないから書かないで」と言われても「いえ、書きます」といっていました。その人からしてみれば楽をさせようと思っていっていることになのに、なんて真面目で変な奴だという認識なのでしょう。しかし私の立場では、ピラミッドの一番底辺なのに、指示をしてくる人間が30人くらいいるわけで、その30人の指示をきちんと受けるために、できるだけ楽をするために、むしろ議事録を書くという選択になるのは仕方がないことでした。ちなみに会議が重なって一方の会議に出られなくても、議事録が要求されることがあります。出てもない会議の議事録が書けるかというとこれが書けるのです。
会議の場でいろいろいっていても、それがすべて会議の中で頭の中に入るわけではありません。誰の頭もそんなによくはできていません。というわけで会議終了後に何をいっていたのかということを、会議に参加している人から聞かれることが多くありました。歩く議事録係は、歩く議事録マスターでもありました。既得権益といいますか、業界自体が保護されている部分があって、昔ながらの(いわゆる昭和型の)組織構造がエスカレートして、身動きがとれなくなっている印象がありました。そして上の人があまりにも仕事をしませんでした。正確にはなにかをしていたのだと思いますが、下の人間にはあまりそれが見えませんでした。この会社は定年が60歳で、雇用延長で65歳まで働けます。ある部長が定年で雇用延長したときに、私と同じ部署に配属されました。私がやっている仕事を少しはやってくれるかなと思ったのですが、何も仕事は与えられませんでした。ヒラとはいっても昨日まで部長をしていたヒラです。部長としてバシバシ指図をしていた人をがある日突然、指図をしたり、議事録書きのような「シモ」の仕事をやってもらうわけにはいきません。というわけで事実上なにもしないお飾りになって、結局私の仕事を手伝ってくれることは一切ありませんでした。ましてやPCなどが弱い世代で、単純な作業すら手伝ってもらうこともできません。つまり私の部署には余計なお小言をいう人がひとり増えただけで、何の戦力にもなりませんでした。この人は本当に何もしませんでした。というよりもできませんでした。家にいても奥さんにも相手にされず、そもそもこの会社は上に行くほど昇給の上り幅が小さかったので、もっと働くことを期待されているとのことでした。でもそんな人でも働いてもいないのに私とさほど変わらない給料をもらっているので、違和感を覚えました。8年目に初めて主任代理という役職がつきました。役職手当が毎月3000円もらえるようになりましたが、課長待遇という給与明細にも書かれないようなカッコ書きの役職がついていたので、管理職ということになり、残業代は一切支払われなくなり、実質的に給料はマイナスになってしまいました。下の人間はもちろん同僚すらいないのに管理職というのはさすがにおかしいと思いましたが、当時は何も言えませんでした。
会議の中ではずるずるいくか時間がないか議長がしっかりしていないかといった理由で、「なあなあ」になってしまうことがあります。問題はあとから人によって認識のずれが生じてそれが議事録とその人の記憶との間でズレが生じてしまう場合です。ひどい場合は議事録の中で結論が完全にずれていることがありました。たとえば、じゃあそういうことで、といってほかの話題になったあと、再度誰かが「これの件は?」と言い出した後で決まったことが前半に決まったと思われた結論とずれている場合などです;。これを解決するのも議事録係の大事な仕事です。個人的に心の中で地雷処理と呼んでいました。慣れた私でもできれば処理をしたくないところですが、これを片付けないことには議事録は完成しないので、プロとしてがんばって調整をしました。1.対立する意見の当事者に話を聞く、できれば当事者同士で解決してもらう(融和) 2.一方の発言自体をなかったことにする(廃棄) できるだけ1を選択したいところですが、やむをえず2を選択することも年に10回くらいはあったと思います。問題になったことはありませんでした。みなさん完成した議事録をきちんと見るほど時間はないのですよね。
この会社の文化として、礼儀だとか建前に固執する結果として、時間的ロスがとてつもないことになっていました。みんなおかしいとは思いつつも長い間そのようにやってきた歴史から、続けてしまっている面がありました。見積は最低10回。業者から見積をとるときには、必ず最低10回は見積をとることになっていました。これは相見積の回数も数えるのですが、文房具ひとつについてもそれをしなければいけないので、わずか数百円の買い物にかかるコストはおそらく人件費を含めると万を越えるのではないかと思いました。「これは商慣習です」と先方に伝えて理解を示してくれるところもありましたが、そうでない会社は逃げていきました。見積を10回取らせる目的は、できるだけ安く買うというだけなのですが、結果としてそのような慣習があるおかげで高く買うことになることもよくありました。A*a*onにも電話したことあります。合計で1万円ほどの買い物でしたが、「10円ずつ金額を下げた見積書を10回作ってください。それぞれ社印を押印して、1日ずつ時期をずらすか、日付を変えて郵送してください。トータルの値引き額は100円で結構です。」と正直に要件をつたえました。「そのようなことは致しておりません」で終わりました。仕方なく8000円ほど高くなりましたがそれをやってくれる代行屋に依頼しました。その代行屋はおそらくA*a*onから買っているのですからバカ見たいですね。あと税込金額の1000円未満を切り捨てにするように指示をすることも公然と行っていました。今から考えるととんでもない殿様商売だと思います。
私は10年間、組織の一番底辺にいましたので、あまり関係がなかったのですが、この会社では、下の人から間違いを指摘されることを嫌がる文化がありました。あ、そうだね、ありがとう!と素直に言ってそれで終わりということがないような感じです。誰も気にしないのに誰もがなにか偏屈な(と私は思っていた)感情をもっている人が多かったです。みんなうまい具合に手を抜いて、仕事をしているのですが、私にはどうしてもそれができませんでした。怒られることへの恐れからです。議事録にしてもそもそも必要性から含めていろいろ議論したり、調整をしていけばいいのですが、そういった複雑な人間関係の中で仕事をすることの苦手感を12年間ついに拭うことはできませんでした。この人にはこの話はできないとか、人間関係の中での複雑な例外事項は本当にストレスでした。
このころから議事録をつくるという仕事自体は変わらないのですが、様々な雑用が舞い込むようになってきました。議事録の作成だけに時間を取られるわけにはいかずにどうしようかと思ってました。そのとき発見したのは、ICレコーダーの音声データをインターネットで送って、それを文字お越ししてもらうサービスです。ためしに自腹を切って利用してみたのですが、これなら議事録(詳細)を半分の時間で仕上げることができます。とても魅力的でした。そこで自腹で試したことは内緒で提案をしてみたのですがそのような経費をかけることはできないと誰に聞いても却下されました。誰にも頼むわけにいかず、その頃頭が少しおかしくなっていたのではないかと思うのですが、自腹のテープ起こしを続けてしまいました。時には月に10万円くらいも。1年間続けた結果、トータルで40万円くらいは自分のお金を使い込んでしまいました。それでもその空いた時間にいろいろな仕事が舞い込むので、結局のところ残業時間は変わりませんでした。
私の会社では所属部署とは別に、様々な大小の委員会制度が設けられていました。風紀委員会とか衛生委員会とかくだらない委員会もありましたけど、○○プロジェクト事務局とか、部署を超えて招集されるプロジェクトに複数ついていて、そして私にはもれなく会議時の議事録書きという仕事がついてきました。辛いのは、こういうプロジェクトがあるせいで、直接指示を受ける上司が増えることです。上司同士は面識は当然あるわけですが、それぞれが私を自分の部下であって、自分の仕事を100%請け負っていくれると思っていたらどういうことになるのかということです。君はこのプロジェクトにどれくらい時間を割けるかな?ときかれたときに5%くらいです。週に2時間が限界です。と正直にいったときに、チッと舌打ちした部長代行の顔を私は忘れることができません。
妊娠して、負担の軽い業務を希望したら、希望どおりの負担の軽い業務に変えてもらったのに、副主任から1つ降格させられて訴えているというニュースをみた。
裁判の結果がどうなるか知らんから、そこには触れないが、これで訴えられるなら、未婚の女は採用しないし、採用しても妊娠するまで昇格なんて怖くてさせれんわ。
って言う考えが広まるだけなんじゃなかろうか。
副主任だと分かりにくいけど、例えば、「課長補佐」という役職だとして、その人が「課長を補佐する仕事は一時的にせよ身体的に出来ないので、課長を補佐しない仕事を希望します」と言って、その希望がかなって、それで「課長補佐」って役職から降格させられたら、同じように訴えるのだろうか。
何かよくわからない。
4月1日に「2020年迄に都内の木造密集エリアを解消」なんて見出し記事が流れてた。
(荒川区町屋、世田谷区太子堂など。大震災時に大規模火災の危険性・消火活動が困難)
見出しだけしか読まない人は、2020年に木造密集エリアが「解消される」と解釈してしまうだろうが、
関係者である自分に言わせれば、完全な「見出し詐欺」としか言いようがない。
正しくは「解消するように努力する」、いや「解消できればラッキー」程度のシロモノでしかない。
タテマエは政策目標として「2020迄に解消」と国土交通省は発表するだろう。
しかし、実際に2020迄に木造密集エリアが解消するとは、当の国土交通省が思ってないだろう。
内心、「半分、いや3割が解消すれば御の字」程度の認識じゃないか?
そもそも阪神大震災の時に、散々「木造密集地の早期解消を!!」が叫ばれた。
あれから19年。19年間解消しなかった課題が、急にあと6年で解消する訳がない。
強制収用でもするのか?
いわゆる木密エリアの解消政策に、何か新たな特効薬でも用意したのか?と調べてみたが、
本気でやるなら「木密特区には、ドーンと1世帯辺り2000万円の全額補助金を付けます」位の
予算の大盤振る舞いをしないと2020年の木密解消は不可能
また役所の悪い癖で、
「建て替え費用の全額を役所が補助金で負担する」という思い切ったことはせず、
「役所は半額負担するから、あなたも半額負担してね」的補助金で、木密解消が進むと思い込んでる。
そういう手法が通用するのは、太陽光発電補助金みたく、「本人がやりたい意欲マンマンな場合」のみ。
太陽光の補助金などは、自ら「太陽光を付けたい」という「水を飲む気がマンマンな馬」が相手だから、
一方、木密エリア建て替えは、「水を飲む気がさらさらない馬」に水を飲ませる作業。
木密エリアの問題点というのは、「不燃化されてない」ということ以上に
「前面道路が4メートル未満で、建替え時にセットバック必須(敷地の一部が削られる)」な点。
敷地の一部が削られることで、建物も従前面積が建たない、狭くなる可能性もある。
つまり自分の土地財産の毀損を伴う訳で、「仮に全額補助金がついても、やりたがらない人が多い」。
それこそ
「町屋尾久243ヘクタールの不燃化に、総額1兆円を投入する」のような大盤振る舞いをしないと、
2020での100%不燃化という「政策目標」達成は不可能だろう。1兆円掛けても可能かどうかわからないが。
また、木密エリアの事情として、権利関係が錯綜してる点がある。
土地の底地権者、建物所有権者、借家権者がバラバラ、というのがザラ。
しかも借地上の建物だと、取り壊したら借地権が消滅したりするので、絶対建替えに応じない、というケースもありえる。
2020年迄に解消させるには「このエリアに関しては借地借家法の特別法を作る」くらいの荒業が必須になるが、
そういう話は聞こえてこない。
更に、木密エリア住人は相対的に年収も低く手元資金も少ない。そして高齢化している。
「自分が生きてる間に大地震が来る訳ないから、対策しない」「地震で死ぬなら天命」と諦めてる高齢者も多い。
1.「カネが掛かる」以外に
先日から木密エリア解消ニュースのツイートチェックしてるが、100はあろうか、というツイートの中で、
殆どのツイートは、単純に国交省発表の大本営発表を、そのままツイートしてるだけ。
都市防災の専門家や不動産関係者なら「2020迄の解消は不可能」と気付く筈なのに、誰も指摘ツイートしない。
マスコミが国土交通省の画餅の政策目標を無批判に垂れ流し報道し、防災関係者や不動産関係者が誰も突っ込みを入れない。
「おっ、国土交通省が2020迄に木密解消か、国土交通省もなかなかやるなあ」と勘違いして感心するのでは、と心配してしまう。
ただ、今回の木密解消ニュースは、自分が業界関係者だったから「こんなの画餅だろ?」と嘘を見抜けたが、
仮に「農水省が2020迄に●●を達成する」「厚生労働省が2020迄に●●を達成する」というニュースがあっても、
農業・厚生畑は素人である自分には画餅を見抜く能力はない。大本営発表を盲信するだけ。
そう考えると、日経辺りの役所発表記事は、相当程度「画餅」が混ざっていたんだろうなあ。
本来の日経の役割は、役所の大本営発表に対して「それは画餅だ」と突っ込みを入れることではないのか?
しかし多分、国交省内部では「固定資産税減免が木密解消の切り札になる」と「大真面目」で議論してるんだろうなあ。
議論に参加させられる若手官僚は「こんなの焼け石に水にもならない」と内心思ってるが、正論を吐くKYなことは出来ない
課長だか課長補佐辺りのキャリアが、「固定資産税の減免で、オリンピックまでに木密解消ですよ!!」と絵空事言っているのを、
「2020年までに、固定資産税減免程度で、木密解消なんて無理じゃん」と思っているんだろうが、
※でも、実は「国土交通省が2020年という目標を自ら設定」したんじゃなくて、
連載開始時は年上だった主人公が今ではすっかり年下に…なんてことはよくあるけど、
ふと、有名どころのアニメにでてくるお姉様方って何歳の設定なんだろうと気になったので調べてみた。
27歳(アニメ版では24歳)、専業主婦。夫はマスオ32歳(アニメでは28歳)、会社員・係長。
3歳になる息子、タラオがいる。
48歳(アニメでは52歳)、専業主婦。夫は波平54歳、会社員・課長。
高齢出産ですね。
24歳で長男第一子のしんのすけを出産、29歳で長女第二子のひまわりを出産。
姉さん女房なのか。
年齢不明。夫はタツオ32歳、非常勤講師。
26歳。パン屋の奥さん。
43歳、社会人学生。夫は靖也45歳、図書館司書(本業・郷土史家)。
長女汐、18歳。次女雫、14歳。の母。
50代前後、空賊頭領。
長男シャルル、30歳。次男ルイ、25歳。
バブル経済最後の頃、Sラン大学を卒業した。大学時代、サークルでイベント企画とかしていた関係でマスコミを志望していたが全滅。結局某端くれの都銀(当時はこういうカテゴリーがあった)に就職した。自分なりに頑張って仕事をしたつもりだったが、社風が合わなかったのか俺がウンコだったのか、やることなすこと全てが裏目に出て、会社から完全に浮いてしまい、鬱病になって1年で退職した。
その後、Ⅰ種国家公務員試験を受けて官庁訪問しまくって、なんとか1箇所だけ引っかかり、今は某省職員として働いている。
「Sラン卒、キャリア官僚、非童貞」って書くと、一般的にはギリギリ勝ち組、中の上くらいの扱いなんだろうか。
でも、全然そう思えないん。むしろ、不幸のどん底にいるような気がしてならない。
この前、Ustで自殺した人がいたけど、彼は現役銀行員だっけ。俺と似たような感じだったのかもしれない。
まず、仕事のきつさの割に給料が少ない。もうすぐ40歳だというのに、額面45万、手取り30万台だ(これでも一応課長補佐である)。残業はほとんどサービス。季節によっては役所で朝焼けを見ない日はない。ってか今頃がそうなんだけど。今日この時間に家にいられるのが奇跡。役所のロッカーには汗まみれのワイシャツと下着が腐臭を放ちながら溜まっている。しかも給与は、毎年、定期昇給分くらいカットされるので、全く増えない。
これでも恵まれてる、とお前らは言うかもしれないが、民間企業に就職した友人は軒並み60万~100万。司法浪人くずれの予備校講師でさえ、手取り50万は超えている。俺は一応それなりの大学を出て、それなりに難関の公務員試験を受かったはずなのに、なぜこうなるんだ。
第二に、仕事がつまらない。何かを企画したり制作したりするクリエイティブなプロセスは全て有識者に丸投げ。役人がすることといったら、ひたすら利害集団との調整と国会議員への根回しとその結果を法律の条文にすることだ。しかも、議員根回しと条文作りには無意味なルールが山程あって、しかも民主党が政治主導とか言ってややこしい調整ごとだけやらずに残してくれているので手間だけはかかる。
第三に、転職が無理。資格もない、職歴は1年でやめた銀行と公務員だけ、留学こそしているけれど、もう少しで40歳、という条件では、このご時世まともな転職はほぼ不可能であると思う。なんだかんだ言って、墓場のような今の職場で飼い殺されるのが、現時点では最もマシな選択なのだ。
こんなはずではなかった。民間に就職した友人は、会社幹部候補の有力若手として業界に名を馳せる存在だったり、労働組合の委員長だったり。学者になった友人は、グーグルで名前を検索しても数万件のヒットがある。起業した友人は、事業が軌道に乗ってきて会うたびに表情が輝いている。外資に行った友人は、資産5億円を余裕で越え、都内の立派なマンションを資産運用と称して買った。
そこまでエリートになれないとしても、もうちょっとマシな人生はなかったのだろうか、と考えてしまう。自殺して一からやりなおせるなら自殺したい。
どこで間違ってしまったのだろう。国立文系を選んだ時点? マスコミを志望した時点? 都銀辞めてしまった時点?
他人に相談しても「キャリア官僚なんて恵まれてるんだから、贅沢言うな」としか言われないので増田で愚痴らせてもらった。この死ぬまで続く絶望から逃れる方法はあるのだろうか。
永住権者に対する地方参政権の付与に関する議論の参考になればと。
法務省より
http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan50.htmlなど。
永住許可に関するガイドライン
1 法律上の要件
(1)素行が善良であること
法律を遵守し日常生活においても住民として社会的に非難されることのない生活を営んでいること
日常生活において公共の負担にならず,その有する資産又は技能等から見て将来において安定した生活が見込まれること
ア 原則として引き続き10年以上本邦に在留していること。ただし,この期間のうち,就労資格又は居住資格をもって引き続き5年以上在留していることを要する。
イ 罰金刑や懲役刑などを受けていないこと。納税義務等公的義務を履行していること。
ウ 現に有している在留資格について,出入国管理及び難民認定法施行規則別表第2に規定されている最長の在留期間をもって在留していること。
※ ただし,日本人,永住者又は特別永住者の配偶者又は子である場合には,(1)及び(2)に適合することを要しない。また,難民の認定を受けている者の場合には(2)に適合することを要しない。
2 原則10年在留に関する特例
(1)日本人,永住者及び特別永住者の配偶者の場合,実態を伴った婚姻生活が3年以上継続し,かつ,引き続き1年以上本邦に在留していること。その実子等の場合は1年以上本邦に継続して在留していること
(2)「定住者」の在留資格で5年以上継続して本邦に在留していること
(3)難民の認定を受けた者の場合,認定後5年以上継続して本邦に在留していること
(4)外交,社会,経済,文化等の分野において我が国への貢献があると認められる者で,5年以上本邦に在留していること。
「我が国への貢献」に関するガイドライン
次のいずれかに該当し,かつ,5年以上日本において社会生活上問題を生ぜしめることなく滞在してきたこと。
1 各分野に共通
○ 国際機関若しくは外国政府又はこれらに準ずる機関から,国際社会において権威あるものとして評価されている賞を受けた者
例:ノーベル賞,フィールズ賞,プリッカー賞,レジオンドヌール勲章
○ 日本政府から次のような賞を受けた者
国民栄誉賞,勲章,文化勲章又は褒章(紺綬褒章及び遺族追賞を除く,)日本国際賞
○ 日本政府又は地方自治体から委員等として任命,委嘱等されて公共の利益を目的とする活動を概ね3年以上行った者
○ 医療,教育その他の職業活動を通じて,日本社会又は地域社会の維持,発展に多大な貢献のあった者
2 外交分野
○ 外交使節団又は領事機関の構成員として我が国で勤務し,日本とその者の派遣国との友好又は文化交流の増進に功績があった者
○ 日本の加盟する国際機関の事務局長,事務局次長またはこれらと同等以上の役職として勤務した経歴を有する者
○ 日本の上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業の経営に概ね3年以上従事している者又はかつてこれらの企業の経営に概ね3年以上従事したことがある者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者
○ 日本の上場企業又はこれと同程度の規模を有する日本国内の企業の管理職又はこれに準ずる職務に概ね5年以上従事している者で,その間の活動により我が国の経済又は産業の発展に貢献のあった者
○ 我が国の産業の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者
例:グッドデザイン賞(財団法人日本産業デザイン振興会主催)の大賞又は特別賞
○ 先端技術者,高度技術者等としての活動により,我が国の農林水産業,工業,商業その他の産業の発展に多大な貢献があった者
○ 文学,美術,映画,音楽,演劇,演芸その他の文化・芸術分野における権威あるものとして一般的評価を受けている賞を受けた者
例:ベネチア・ビエンナーレ金獅子賞,高松宮殿下記念世界文化賞,アカデミー賞各賞,カンヌ映画祭各賞,ベネチア映画祭各賞,ベルリン映画祭各賞
○ 文学,美術,映画,音楽,演劇,演芸その他の文化・芸術分野で指導者又は指導的地位にある者として,概ね3年以上日本で活動し,日本の文化の向上に貢献のあった者
5 教育分野
○ 学校教育法に定める日本の大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授,助教授又は講師として,日本で概ね3年以上教育活動に従事している者又はかつて日本で概ね3年以上これらの職務に従事したことのある者で,日本の高等教育の水準の向上に貢献のあった者
6 研究分野
○ 研究活動により顕著な成果を挙げたと認められる次の者
① 研究活動の成果としての論文等が学術雑誌等に掲載され,その論文が他の研究者の論文等に複数引用されている者
② 公平な審査過程を経て掲載が決定される学術雑誌等へ研究活動の成果としての論文等が複数掲載されたことがある者
③ 権威ある学術雑誌等に研究活動の成果としての論文等が多数掲載されている者
④ 権威あるものとして一般的に評価されている学会において,高い評価を受けて講演等をしたことがある者
7 スポーツの分野
○ オリンピック大会,世界選手権等の世界規模で行われる著名なスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督,指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,日本における当該スポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者
○ 国際的規模で開催されるスポーツ競技会その他の大会の上位入賞者又はその監督,指導者等としてその入賞に多大な貢献があった者で,概ね3年以上日本においてスポーツ等の指導又は振興に係る活動を行っている者
○ 我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者
8 その他の分野
○ 社会・福祉分野において,日本社会の発展に貢献し,全国規模の選抜の結果として賞を受けた者
例:ワンモアライフ勤労者ボランティア賞,社会貢献者表彰の各賞
○ 日本における公益的活動を通じて,我が国の社会,福祉に多大な貢献のあった者
我が国への貢献による永住許可・不許可事例(平成18年1月1日現在)
○永住許可事例
(事例1)
科学技術研究者として活動し,科学技術誌に研究論文数十本を発表した実績が我が国の科学技術向上への貢献があったものと認められた(在留歴9年5月)。
(事例2)
我が国のアマチュアスポーツ選手として活躍し,その間にW杯への出場やスポーツ指導者として我が国のスポーツの振興に貢献があったものと認められた(在留歴7年7月)。
(事例3)
音楽分野の大学教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,無償でアマチュア演奏家を指導するなど我が国の教育や文化の振興に貢献があったものと認められた(在留歴5年10月)。
(事例4)
日本文学研究者として勲3等旭日中綬章授賞のほか各賞を受賞し,文学の分野での貢献があったものと認められた(通算在留歴9年,入国後3月)。
(事例5)
長期間にわたり我が国の大学教授として勤務し,高等教育に貢献が認められた(在留歴7年)。
(事例6)
大学助教授として我が国の高等教育活動に従事し,その間,科学技術研究者としての成果も顕著であり,多数の科学技術誌への研究論文の掲載の他,各種学会,研究グループの指導等を行い,我が国の産業,教育等の分野に貢献があると認められた(通算在留歴9年5月,入国後7年11月)。
(事例7)
システム開発等の中心的役割を担う立場として顕著な実績を挙げており,その実績は高く評価されていることから,我が国の情報技術産業に貢献が認められた(通算在留歴10年9月,入国後6年)。
(事例8)
長期間にわたり在日外交官として勤務し,国際関係分野において貢献が認められた(通算在留歴6年3月)。
(事例9)
本邦での研究の結果,多数の学術誌に掲載し,国際会議での招待講演を要請される等,その分野において国際的に認められている他,国内の企業・研究所との共同研究に携わっており,我が国の学術・技術分野に貢献が認められた(在留歴7年9月)。
(事例10)
我が国の大学助手として4年以上勤務しており,高等教育活動に従事しているほか,派遣研究員として第三国で研究活動を行う等,研究面においても一定の評価があることから,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴7年3月)。
(事例11)
我が国の大学の常勤講師として3年以上勤務しており,我が国の高等教育(外国語)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴8年1月)。
(事例12)
我が国の大学助教授として5年以上勤務しており,高等教育(外国語)の水準の向上に寄与しているほか,大学入試センター試験等各種教育活動に参画していることなどから,我が国の教育分野において貢献が認められた(在留歴7年2月)。
(事例13)
我が国の大学助教授として3年弱勤務しており,我が国の高等教育(情報技術)の水準の向上に貢献が認められた(通算在留歴17年4月,入国後4年11月)。
(事例14)
我が国の大学の助教授及び教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育(国際法)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴5年6月)。
(事例15)
我が国の大学助手として3年以上勤務し物理学の研究指導等をおこなっているほか,基礎物理学の研究を行いその成果は学術雑誌に多数掲載されている等,我が国の学術分野において貢献が認められた(在留歴11年2月)。
(事例16)
我が国の大学教授として3年以上勤務しており,我が国の高等教育(国際政治学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴13年7月)。
(事例17)
入国以後,我が国の大学で約9年にわたり勤務し,我が国の高等教育(外国の教育学,外国文化)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴8年11月)。
(事例18)
我が国の大学で教授として通算約22年間勤務し,我が国の高等教育(神経心理学)の水準の向上に貢献が認められた(在留歴7年6月)。
(事例19)
生物学研究者として活動し,その研究の成果が実用面への利用されていること等,十分な結果を出していることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴10年10月)。
(事例20)
入国以後,我が国の大学で教授として8年以上勤務し,我が国の高等教育(情報技術)の水準の向上に貢献が認められるほか,研究分野では国内外から高く評価されていることから,我が国の教育・研究分野において貢献が認められた(在留歴9年9月)。
(事例21)
医療関係の研究を行っており,関係機関から表彰を受ける等,国内外から高く評価されていることから,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴9年8月)。
(事例22)
在日外国公館に通算約10年勤務し,その間に我が国と派遣国の国際交流に貢献があったものと認められた(在留歴8年)。
(事例23)
入国以後,我が国で先端技術に係る研究を行い,その成果は国内外の学術雑誌への掲載,学会での発表等しており,我が国の研究分野において貢献が認められた(在留歴8年3月)。
(事例24)
入国以降,一貫して地方における英語教育に従事する一方で,地方の方言で語りながら伝統的楽器を演奏することで伝統文化を内外に宣伝する活動あるいは大学での講義を通じて外国人の視点に立った我が国の地方文化を内外に広める活動を行っており,文化・芸術分野における貢献が認められた。(在留歴7年)
(事例25)
我が国の大学の医学部整形外科学講座で3年以上勤務し,整形外科学に係る学術雑誌において多数の論文が特集で掲載され,著名な専門雑誌にも論文が引用されており,研究分野における貢献が認められた。(在留歴13年4月,就労資格変更後3年)
(事例26)
我が国の大学の農学部助教授として5年以上勤務しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献が認められたほか,国内及び国外の学会においてその研究成果が高く評価され,著名度の高い外国雑誌に掲載されるなど,研究分野においても貢献が認められた。(在留歴5年7月)
(事例27)
入国以来6年間にわたって,独立行政法人に所属しながら我が国の研究所において研究活動に従事しており,専門分野の雑誌に掲載されている論文も多数あり,我が国の研究分野における貢献が認められた。(在留歴6年)
(事例28)
我が国の大学の常勤講師として6年以上勤務しており,独自の語学教授法を開発し,教科書の編纂や講師の教育にも従事し,我が国の教育分野における貢献が認められた。(在留歴6年2月)
(事例29)
本邦内で,日本応用磁気学会,日本セラミックス協会,日本応用物理学会等において学術活動をし,磁性薄膜及び応用分野の学術・技術発展に貢献し,多数の論文と特許出願を行っており,我が国の研究分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月)
(事例30)
本邦内の会社員として勤務しながら,電気学会において多数の論文を発表し,学術雑誌等において表彰され,権威ある賞を受賞していることから,研究分野での貢献が認められた。(在留歴10年4月,就労資格変更後4年3月)
(事例31)
本邦内の国立大学工学部の教授として約8年間勤務し,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴8年3月)
(事例32)
入国以来,本邦内の大学で,専任講師,教授等として,約7年間英語教育に従事し,我が国の高等教育の水準の向上への貢献が認められた。(在留歴6年9月)
(事例33)
本邦内の自動車生産会社に勤務し,粉末冶金関係の論文を多数発表し,日本金属学会誌等に多数掲載されているほか,権威ある協会から表彰されており,産業の発展及び研究分野における貢献が認められた。(在留歴8年6月)
(事例34)
本邦内の大学の経済学部博士課程を修了後,大学の教育職員として採用され,約3年間助教授として講義を担当しているほか,国際的ネットワークを構築するためのプロジェクトのメインコーディネーターを任されるなど教育分野での貢献が認められた。(在留歴7年)
(事例35)
オリンピックに出場した日本人選手のコーチを勤めていたほか,現在も次期オリンピックに出場する見込みのある選手のコーチをしており,その他の活動等を通じて,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴6年7月)
(事例36)
約20年前から日本国内でスポーツ競技大会に出場し,日本において競技生活を続けている者で,権威ある協会から,日本における同競技の発展に大いに貢献している旨表彰されており,我が国におけるスポーツ等の振興に多大な貢献のあった者として認められた。(在留歴7年6月)
(事例37)
留学生として約14年間在留し,以降大学の専任講師として約4年間,異文化間コミュニケーション等の授業を担当しており,我が国の高等教育の水準の向上に貢献したことが認められた。(在留歴18年1月,就労資格変更後4年8月)
(事例38)
本邦内において,ナノテクノロジー,フルカラー半導体ナノ粒子の合成等に関係する多数の論文を発表しており,日本化学会,高分子学会等において,独自の研究成果を発表していることから,研究の分野への貢献が認められた。(在留歴8年8月,就労資格変更後3年7月)
○ 永住不許可事例
(事例1)
日本産競走馬の生産・育成,輸出,馬産農家経営コンサルタント,講演等を行っているとして申請があったが,入国後1年半と短期であることから不許可となった。
(事例2)
画家として多数の作品を製作・保有し,美術館の建設後に寄贈するとして申請があったが,在留状況が良好とは認められず(不正な在留に関与),不許可となった。
(事例3)
外国人の子弟の教育を行う機関において教師の活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないものとして不許可となった。
(事例4)
約1年間,高校で教師をしている他,通訳等のボランティア活動を行っているとして申請があったが,当該活動のみをもって社会的貢献等には当たらないとして不許可となった。
(事例5)
本邦で起業し,当該法人の経営を行っているが,その投資額,利益額等の業績からは顕著なものであるとはいえず,我が国経済又は産業に貢献があるとは認められず,不許可となった。
(事例6)
大学で研究生として研究活動を行っているが,教授等の指導を受けて研究している通常の研究生,学生等の範囲内での研究活動であり,研究分野において貢献があるとまでは認められず,不許可となった。
(事例7)
投資関連企業の課長相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。
(事例8)
システム開発関連企業の課長補佐相当職にある人物であるが,当該勤務のみをもって我が国経済に貢献があるとは認められず,他に貢献に該当する事項もないことから不許可となった。
(事例9)
約9年間,本邦に在留し,作曲活動や自作の音楽作品発表会を行い,我が国と本国との音楽分野における交流に努めているとして申請があったが,文化・芸術分野における我が国への貢献とは認められず,不許可となった。
(事例10)
約9年間,本邦に在留し,我が国の芸能人による本国での公演の実現,我が国と本国の企業交流にかかるイベント実現等を理由に申請があったが,我が国への貢献とは認められず,不許可となった。
(事例11)
入国後,3年間は留学生として在留し,その後,我が国の大学の医学部助手として5年間勤務していたが,我が国の高等教育の水準の向上に貢献があったものとは認められず不許可となった。
(事例12)
語学指導助手として入国し,3年間は本邦内の中学校で,それ以降は高等学校において約4年間英語教育に従事していたが,日本の大学又はこれに準ずる機関の常勤又はこれと同等の勤務の実体を有する教授,助教授又は講師としては認められず,高等教育の水準の向上に貢献のあった者とは認められなかった。(在留歴6年11月)
私は「デジタル・デバイド」などというものが意味のある概念だとは思いませんが、今回の選挙を見ていると、老年層がバラマキ福祉の負担を若年層に押しつける構図が、与野党ともに見え見えで、世代間のエイジ・デバイドとでもいうべきものが拡大しているような気がします。
たとえば私が「日の丸検索エンジン」や「スパコンの戦艦大和」などの政策を批判すると、局長級以上は怒るのですが、課長補佐や当のプロジェクトに参加している企業の社員は「事実はおっしゃる通り」という。特に企業の社員は「ペーパーワークだけで補助金がもらえるので楽だが、こんな仕事をしていて日本のIT業界は大丈夫なんだろうか」と心配しています。こういう業種を超えた「断層」が、40代なかばぐらいを境に見られます。
このデバイドの上のほうは、会社や役所に「貯金」した金を回収する時期なので、今さら終身雇用や年功序列の改革などといわれても困る。年金にしても税金にしても、今の構造を守ったまま、なし崩しに次世代の負担を増やしていくのが賢明な戦略です。「4年間は増税しない」というだけで5年後の政策のない民主党は、あからさまに若者から老人への再分配をめざしています。それに対して自民党も「景気対策」を掲げるだけで、どちらも長期の政策が欠落している。
これは当然です。鳩山氏や麻生氏のような60代の老人にとっては、人生はあと20年前後しかないので、日本経済の長期の問題なんてどうでもいいのです。バラマキを続けて国債を発行していれば、10年はもつ。その後は財政破綻かインフレが起こるかもしれないが、そのころには自分は引退して、「貯金」は十分回収している。あとは若い人が、自分たちの遺した資産で解決すればいいじゃないか――という、それなりに合理的な行動です。
今の日本で最大の対立はこのエイジ・デバイドですが、年功序列で若い世代には意思決定の権限がなく、彼らは投票率も低いので、利益代表を送り込むことができない。この状況を打開するには、井堀利宏氏の提案する年齢別選挙区しかないと思います。各選挙区を地域だけでなく年齢別にもわけ、30代までの「青年区」、40~50代の「中年区」、それ以上の「老年区」にわけるのです。
これだと若年層の投票率が低くても、彼らの代表を選出することができます。青年区を全部とれば自民党や民主党に対抗する「第三極」になることも可能でしょう。そのスローガンは「世代間の公平を!」
「東大卒の「人生格差」 100人の転職、年収…」の記事の後半部分を見やすいように表形式でまとめてみた。自己満足
学部 | 卒/中退 | 東大で良かったか | 転職回数 | 年収 | 現職 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
小林至さん | 経済 | 92年卒 | ○ | 3 | - | 福岡ソフトバンクホークス取締役・江戸川大教授 | 「東大だったからプロ野球に入れた。実力と話題の差はわかっていたけど、それでもよかった」 |
階猛さん | 法 | 91年卒 | ○ | 2 | 2193(歳費) | 国会議員 | 「司法試験をあきらめなかったのは、大学で負け続けた借りを返したかったから」。70連敗はトラウマで、野球チームに誘われても断った |
横内光さん | 法 | 91年卒 | ○・× | 0 | - | 都市銀行 | 「小林さん同様、野球漬けの毎日で、教室に行くのは試験の時だけ。「出身大学を聞かれたら、東大法学部ではなく東大野球部といっています」 |
江口夏郎さん | 農 | 89年卒 | ○ | 2 | - | ライトワークス代表取締役 | 「東大は米国の大学と違い、どういう人材を世に送り出すかの定義がなされていない。グローバルで東大ブランドは通用しない」 |
小幡績さん | 経済 | 92年卒 | ○ | 1 | - | 慶応大学ビジネススクール准教授 | 「東大でよかったのは、いい授業と先生、友人。東大に幻想を持つ人に会うと、驚かれて得をする。たとえば合コンとか」 |
藤井良太郎さん | 法 | 97年卒 | ○ | 2 | - | コールバーグ・クラビス・ロバーツプリンシパル | 「資格試験は情報戦。東大生は情報を持っていた」(夫) |
藤井恵美さん | 法 | 03年卒 | ○・× | 1 | - | 東大医学部生 | 「友人は様々な分野で活躍していて良い相談相手」(妻) |
赤池敦史さん | 工 | 94年卒 | ○ | 2 | - | アドバンテッジパートナーズ パートナー | 「今の仕事は東大出身者の比率が高い。同じ背景を持っていれば関係性も築きやすい。ただ大学として国際的な評価を高める必要はある」 |
竜剛馬さん | 法 | 05年卒 | ○・× | 0 | 80 | プロレスラー | 「東大法学部卒というキャラクターはそれだけでファンの関心をひける。でもそれが『東大のくせに』という非難に変わることも」 |
須田良規さん | 工 | 00年卒 | ○ | 1 | 450 | 雀荘店主 プロ雀士 | 「連載コラムのタイトルに編集者の希望で『東大を出たけれど』と入れた。それで読者が目をとめてくれるのがメリット」 |
男性 | 工 | 89年卒 | ○ | 0 | 1200 | 自動車メーカー・主担 | |
男性 | 工 | 85年卒 | ○ | 2 | - | ヘッドハンティング会社・コンサルタント | |
男性 | 工 | 86年卒 | ○・× | 3 | 2500 | 経営コンサル会社マネジャー | 東大に落ちた私大の人が学歴コンプレックスを持っている場合が多いようで意地悪された。私自身は、学歴コンプレックスを持たずに済んだ |
男性 | 法 | 88年卒 | ○・× | 2 | 5000(売上高) | 公認会計士(自営) | |
男性 | 工 | 91年卒 | ○ | 3 | 2000 | コンサル会社・執行役員 | |
男性 | 理 | 89年卒 | ○・× | 0 | - | 証券会社・次長 | |
男性 | 工 | 81年卒 | ○ | 0 | 2000 | 自動車メーカー・主管 | |
男性 | 法 | 91年卒 | ○ | 3 | 2000 | 外資系人材コンサル会社・クライアントパートナー | 日本経済を支えるお歴々と接する機会も多く、個人の信用が問われる職業のため、東大ブランドを「パスポート」として使っている |
男性 | 法 | 90年卒 | ○・× | 2 | 6000 | パートナー弁護士 | 裁判官になりたくて司法試験を受けていたら受かった。子どもが受験する際などの周囲からのプレッシャーはマイナスかも |
男性 | 文 | 90年卒 | ○・× | 1 | - | レコード会社 | |
男性 | 工 | 93年卒 | ○・× | 1 | 1500 | IT会社代表(起業) | 会社経営における銀行や証券などの対応の際、「東大卒」で第一関門クリア。学歴コンプレックスのある人には東大というだけで敬遠される |
男性 | 教養 | 91年卒 | ○ | 2 | - | 投資ファンド・パートナー | |
男性 | 法 | 93年卒 | ○ | 0 | - | 鉄道会社 | |
男性 | 法 | 95年卒 | ○・× | 1 | - | 外資系証券・部長 | その時々の「時価」と一致しないこともあるが、国内ではそれなりに頭が良いと思ってもらえる。一方で世間知らずだと誤解されたこともある |
男性 | 法 | 95年卒 | ○ | 0 | 800 | 政府系金融 | 公共性の高い仕事がしたかった。ふざけていても「実はこいつは東大なので、深い考えがあるはずだ」と深読み(誤解)してもらえる |
男性 | 文 | 99年卒 | ○ | 0 | 800 | 情報通信会社 | |
男性 | 工 | 95年卒 | ○・× | 2 | 1200 | 保険会社副社長(起業) | |
男性 | 法 | 99年卒 | ○ | 0 | 650 | 内閣府 | |
男性 | 法 | 95年卒 | - | 0 | - | パートナー弁護士 | |
男性 | 法 | 98年卒 | - | 0 | 900 | 都市銀行 | |
男性 | 経済 | 99年卒 | ○ | 0 | - | 外務省・課長補佐 | |
男性 | 法 | 99年卒 | ○ | 0 | - | 宗教法人 | |
男性 | 経済 | 95年卒 | ○ | 0 | 1300 | 都市銀行・部長代理 | |
男性 | 文 | 98年卒 | ○・× | 0 | 400 | 旅行会社 | 営業先で、やけに腰が低いと感心された(笑)。一方で、理屈っぽいとかカタいやつだと先入観を持たれてしまう |
男性 | 法 | 96年卒 | ○ | 0 | 3000 | 弁護士 | |
男性 | 法 | 98年卒 | ○ | 0 | - | 鉄道会社 | |
男性 | 工 | 95年卒 | ○・× | 0 | 900 | 建設会社・グループ長 | 学術には興味がない自分に気付き就職。会社派遣で留学するきっかけをつかめたことはプラス。東大卒としか見られないマイナスも |
男性 | 法 | 98年卒 | × | 0 | 1200 | 生命保険・課長補佐 | とがった意見を言うと「やっぱり東大卒は協調性がない」とか言われがち。自分を殺してでも周りに合わせるのが日本文化… |
男性 | 法 | 95年卒 | ○ | 0 | 800 | 経済産業省・課長補佐 | |
男性 | 工 | 96年卒 | ○・× | 2 | 1600 | 技術コンサル会社・バイスプレジデント | 学生時代のネットワークは以前に独立して会社を立ち上げた際、資金不足を補うくらいの威力を発揮した。学生時代のアルバイトでは正直浮いた |
男性 | 工 | 96年卒 | ○ | 0 | - | 電機メーカー | |
男性 | 工 | 99年卒 | ○ | 1 | 1100 | コンサル会社・取締役 | |
男性 | 法 | 01年卒 | ○ | 2 | 800 | ITサービス会社代表(起業) | 大学時代の友人から仕事上での専門的なアドバイスを気軽にもらえる。ガールフレンドの親からの受けは常に良い |
男性 | 理 | 95年卒 | ○ | 2 | 1000 | 国立大准教授 | |
男性 | 経済 | 98年卒 | ○ | 1 | - | 外資系金融・マネジャー | |
男性 | 工 | 98年卒 | - | 0 | - | 外資系機械メーカー・グループマネジャー | |
男性 | 医 | 94年卒 | ○ | 0 | 1000 | 国立大特任助教 | 他の研究機関との共同研究を提案する際などに、初対面の人からも丁重に相談に乗ってもらえる気がする |
男性 | 法 | 99年卒 | ○ | 0 | 1700 | 外資系コンサル会社・シニアマネジャー | |
男性 | 農 | 97年卒 | ○ | 0 | 700 | 食品メーカー | |
男性 | 工 | 95年卒 | × | 0 | 1300 | 鉄鋼メーカー・副工場長 | 物作りの現場は完全実力主義。肩書でできる仕事はほぼ皆無。ただ「東大出てて、そんなこともわからんのか!」と言われることも |
男性 | 教養 | 96年卒 | ○・× | 2 | 0 | フリーのキャリアアドバイザー | |
男性 | 工 | 98年卒 | ○ | 0 | - | 国立大講師 | |
男性 | 文 | 98年卒 | ○ | 2 | 650 | 独立行政法人 | |
男性 | 教育 | 99年卒 | ○・× | 1 | 2400 | 情報サービス会社代表(起業) | |
男性 | 農 | 00年卒 | ○ | 0 | 600 | ITコンサル会社代表(起業) | 卒業前に起業し、いまは複数の会社にかかわっている。どのような地位の人と話すときも臆する必要がない点はメリット |
男性 | 経済 | 99年卒 | ○ | 0 | 1200 | 総合商社 | |
男性 | 教養 | 97年卒 | ○ | 2 | 750 | 国立大准教授 | |
男性 | 法 | 97年卒 | ○ | 1 | - | 外資系投資ファンド・バイスプレジデント | |
男性 | 法 | 98年卒 | ○・× | 0 | - | 外資系証券・エグゼクティブディレクター | 早くから金融スキルを身につけられ、また給与水準が高いため外資系証券に。失敗を知らない人間、保守的な人間と見られがち |
男性 | 法 | 02年卒 | ○ | 0 | 2000 | 弁護士 | |
男性 | 法 | 02年卒 | ○ | 0 | 570 | 出版社 | |
男性 | 経済 | 02年中退 | ○ | 0 | 1500 | ITコンサル会社社長(起業) | 学生時代、銀行に「東京大学の学費に使います」といったら金を貸してくれた。起業資金を集める上でもプラスに作用したと思う |
男性 | 経済 | 04年卒 | ○ | 0 | 600 | 電機メーカー | |
男性 | 工 | 04年卒 | ○ | 0 | - | 建築設計事務所代表 | |
男性 | 教育 | 00年卒 | ○ | 1 | - | 情報サービス会社代表(起業) | |
男性 | 法 | 02年卒 | ○・× | 1 | 500 | 地方公務員 | 人よりも準備や苦労をせず就職、転職できたことがプラスだったと思う。「東大卒なのに」という前置きがついてまわるのはマイナス |
男性 | 法 | 01年卒 | ○ | 1 | 0 | 学生 | 最初に勤めた外資系証券では、カウンターパーティーが東大卒で仕事が進みやすかった。9月から政府系金融機関に勤務予定 |
男性 | 経済 | 05年中退 | ○ | 0 | 720 | ITサービス会社代表(起業) | マーケットを作りたいと思い在学中に起業した。東大卒ではない偉い人から勝手に「すごい」と思ってもらえる |
男性 | 経済 | 04年卒 | ○ | 0 | 800 | 広告会社 | |
男性 | 農 | 01年卒 | ○ | 2 | 800 | 民間研究所・執行役員 | |
男性 | 法 | 99年卒 | 1 | - | 国会議員 | 国際社会で積極的な役割を果たせる日本を創ろうと大蔵省に。能力面での信用は得られるが、「頭でっかち」の先入観も持たれる | |
男性 | 法 | 00年卒 | ○ | 0 | 700 | 経済産業省 | |
男性 | 工 | 01年卒 | ○ | 0 | 400 | 私立大専任講師 | |
男性 | 経済 | 05年卒 | ○ | 0 | 600 | 損害保険 | |
男性 | 教養 | 02年卒 | ○ | 2 | 800 | 企業再生会社 | |
男性 | 経済 | 02年卒 | ○・× | 1 | 700 | 情報サービス会社 | 新卒就職と転職の時に、書類選考で落とされることがなかった。仕事のパフォーマンスへの期待値が高くなることはマイナス |
男性 | 経済 | 00年卒 | ○ | 2 | - | 外資系経営コンサル会社 | |
男性 | 法 | 02年卒 | - | 0 | - | 内閣官房 | |
男性 | 農 | 00年卒 | - | 0 | 600 | 外資系コンピューター会社 | |
男性 | 薬 | 02年卒 | ○ | 0 | 500 | 化粧品メーカー研究員 | |
男性 | 経済 | 03年中退 | ○・× | 5 | 300 | フリーライター | インパクトはある。へらへらしてても、やればできると思われる。しかし、壁ができる。東大君という目でみられる |
男性 | 法 | 02年卒 | ○ | 0 | 680 | 外資系人材サービス会社 | |
男性 | 文 | 00年卒 | ○・× | 1 | 0 | 人材サービス会社社長(起業) | |
男性 | 経済 | 03年卒 | ○ | 0 | 950 | 証券会社 | |
男性 | 工 | 00年卒 | ○ | 1 | 2000 | 企業再生会社・ディレクター | |
男性 | 文 | 03年卒 | ○ | 0 | - | 広告会社 | |
男性 | 工 | 04年卒 | ○ | 0 | 800 | コンサル会社 | |
男性 | 医 | 04年卒 | × | 0 | 400 | 勤務医 | 私たちの職場では、「東大ならこれくらいできるだろう」「東大のくせに」などのような逆差別のほうが多い |
男性 | 工 | 05年卒 | ○ | 2 | - | 投資会社設立準備中 | サラリーマンで一番給料が高そうなところで働きたく外資系証券に。でも、サラリーマン組織でつまらなかったので退職 |
女性 | 法 | 84年卒 | 1 | - | 人事コンサル会社社長 | 女性には総合職がなかった時代、東大卒はプラスだった。東大出に対する社会のニーズがより高く、より深いのだと解釈 | |
女性 | 文 | 90年卒 | ○ | 2 | 750 | 出版社 | |
女性 | 経済 | 92年卒 | ○ | 0 | - | 地方労働局・総務部長 | 学歴を言うと実力より上に見てくれた。優秀な友人にも出会えた |
女性 | 法 | 97年卒 | ○・× | 1 | 2000 | パートナー弁護士 | |
女性 | 工 | 96年卒 | ○ | 2 | 1100 | 証券会社・部長代理 | 大学院卒→ポスドクという高学歴ワーキングプアまっしぐらの経歴でも今の会社に転職できたのは絶対に学歴のおかげ |
女性 | 法 | 00年卒 | ○・× | 3 | 前職では750 | コンサル会社代表(起業) | ビジネス上なめられることがあっても、大学名&学部名を知った途端に相手の態度が変わる。会社設立後の営業では助かっている |
女性 | 文 | 03年卒 | ○ | 0 | 500 | 外資系製薬 | 重要顧客となる教授クラスの医師には東大卒が多く、大学時代の話で会話が弾むことがある |
女性 | 法 | 03年卒 | ○ | 0 | - | 弁護士 | 周囲に流されてダブルスクールをした結果、司法試験に運良く合格。東大卒ということは、就職活動の際に考慮されていたと感じる |
女性 | 法 | 06年卒 | ○ | 0 | - | 外資系証券アナリスト | |
女性 | 教育 | 02年卒 | ○・× | 0 | 550 | 裁判所調査官 | どんな人なのか興味を持ってもらえるが、「勉強しかできないのでは」「プライドだけ高いのでは」というようなイメージを持たれやすい |
女性 | 教養 | 06年卒 | ○・× | 0 | 1100 | 外資系証券アナリスト | 就職においては優位性がある。一方で、付き合う相手が限定される。東大出身の女性は男性から対象外にされてしまう |
女性 | 教養 | 07年卒 | ○・× | 0 | 800 | 外資系証券アナリスト | 投資銀行業やファンドなどは東大卒の人が多く、共通の話題などで関係を深めやすい。「頭でっかち」のレッテルはマイナス |
女性 | 工 | 99年卒 | ○・× | 1 | 700 | 外資系ITコンサル会社 | 論理的で思考レベルの高い先輩、後輩と一緒に議論できたことは貴重な経験。ただ女性としては偏った見方をされることが多かった |
女性 | 文 | 05年卒 | ○ | 1 | 600 | 人材サービス会社 | 自分の力が試される「何も整っていない企業」を経験したくて、新卒の時には設立間もない社員10人ほどの会社に就職した |