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はてなキーワード: 聖人とは

2021-02-13

理解力のある彼氏くんを生で見ていて思うけど何考えてるんだろうって思う

うちのねーちゃんリストカットオーバードーズ救急車呼ぶわ自分がこんなんなったのは家族のせいだと暴れるかなりやばいメンヘラだけど

顔はよかったせいか彼氏ができたんだわ

それ以降我が家の女版英一郎の世話はその理解力のある彼氏君に任せてるけど、彼氏くん、リゼロのレムを男にしたような幾らねーちゃんに殴られようが職場突撃されて営業妨害されようが、勝手貯金200マンくらい引き下ろされて浪費されても宥めて見捨てないってマジで世の中聖人がいるんだなって思った

なんでこんな頭おかしい女を引き取ってくれたんですか?とは流石に聞けないので動機不明だけど

顔がいいだけなら他にマシな生物がいると思うんだけどな

2021-02-12

必読書コピペマジレスのやつのパクリ海外文学

パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317

だって楽しそうだったから...(自分文学的教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)

ネタバレありだけど、ちゃん確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。

ホメロスオデュッセイア

オデュッセウストロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通おっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチ理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?

旧約聖書創世記

途中で読むのをやめた記憶がある。

ソポクレスオイディプス王

エディプスコンプレックス父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対シェイクスピア悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね

唐詩選』

タイトルすら知らないやつ、その1

ハイヤーム『ルバイヤート

いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。

ダンテ神曲

地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代詩人だか哲学者かに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャララブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。

シェイクスピアハムレット

シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットシェイクスピア戯曲の中でも登場人物精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。

セルバンテスドン・キホーテ

パルケエスパーニャにいた。

スウィフトガリヴァー旅行記

巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセス存在しないので無限無為を繰り返してた。

スターントリストラム・シャンディ』

タイトルすら知らないやつ、その2。

サド悪徳の栄え

「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。

ゲーテファウスト

最強天才ファウスト博士悪魔契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士普通精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。

スタンダールパルムの僧院

面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人若者恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。

ゴーゴリ外套

うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気ナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。

ポー盗まれた手紙

タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

主人公女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン主人公)やヒースクリフ主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリック意味不明言動キャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。

メルヴィル白鯨

クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船物語体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーン映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。

フローベールボヴァリー夫人

間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...

キャロル不思議の国のアリス

ディズニー映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニー子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。

ドストエフスキー悪霊

ドストエフスキーノイローゼ死語患者独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。

チェーホフ桜の園

由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄り使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分チェーホフ戯曲より小説のほうが好き。

チェスタトンブラウン神父童心

タイトルすら知らないやつ、その3。作者名も知らない。

プルースト失われた時を求めて

5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。

カフカ審判

読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカ基本的キャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話自分には楽しめないのだな、と思った。

魯迅『阿Q正伝』

読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。

ジョイスユリシーズ

読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。

トーマス・マン魔の山

結核患者の療養施設であるところのサナトリウム生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物精神性についてバリエーション豊かで不思議リアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。

ザミャーミン『われら』

タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。

ムージル特性のない男』

タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。

セリーヌ『夜の果ての旅』

このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手自分定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分感情もっとわかりやす説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。

フォークナーアブサロム、アブサロム!

このお話はすごい好き。南北戦争前の南部黒人バリバリ奴隷として使われてる時代地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさん人生全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ短編から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレから後に回すのがおすすめ

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』

タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4

サルトル嘔吐

そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。

ジュネ『泥棒日記

読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。

ベケットゴドーを待ちながら

なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。

ロブ=グリエ嫉妬

タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5

デュラス『モデラートカンタービレ

読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹小説登場人物の行動を感情的にしたような感じ。

レム『ソラリスの陽のもとに』

タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学研究者なのにSF全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラテンアメリカ文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議リアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人感性日本人ヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリー意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないか個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。

残り全部

詩はたしなまいから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。

終わり

ちなみに、「哲学思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。

神が嫌いになった

 神がジャンル移動してから神のことが大嫌いになった。

 

 自ジャンルアニメ化してから何年も経っていてもうほぼ供給がない。アニメ放送時のピーからどんどん人が減っていて、3年ぐらい経った頃から大手や中堅が供給がなくて冷めてきてるような状態だった。

神もその頃には飽きてきている雰囲気公式に対する不信感をただよわせていた。

 

 自分は出不精でそこまで同人にもはまっていなかったけれど、神の速筆なところと人柄が熱狂的に好きで、神がいるから初めてイベントに行った。

イベントで神の本を机にある分だけ全部買った。神の既刊が全部あったわけじゃないけど、神はイベントがあると新刊を必ず作って参加してたので、結構な量があり、全部で2万円になった。初めて神に会えて本当に嬉しかった。

 

 神は絵柄に癖があるけどピーク時には1日3、4枚も絵を描き、ほぼ毎日投稿してくれるような速筆だった。

それなりにうまかった絵がどんどん上手くなっていって今はもう多分プロだ。(漫画家のアシと漫画系の大学助手をやっているらしい)

神は表の垢と裏垢をしっかり分けるタイプで、表では聖人君子のような人柄だった。

裏垢は成人式家族などのプライベート写真や表で言わないような愚痴ツイッター上の話題に対するツッコミなどをしていた。

 表の神の女神のような雰囲気が好きだったので裏垢の神が嫌いだった。

新しいジャンルにハマってから宗教か?というぐらい大袈裟キャラアニメにハマって周りにも布教しているのも嫌いだった。

漫画アニメ批評を裏垢でよくしていて気に入らない作品は仲間内で共有してこき下ろしてるところも嫌いだった。

ジャンルを手がけた監督担当した他のアニメが気に入らなかったらしく、Twitterでキレているのを見た時は本当にうんざりした。自分思い込み価値観に自信があるらしい。

東京住みを鼻にかけてるところや、都内で遭遇したかっぺをでこき下ろしてるところや、自分はそこらへんのキモくてコミュ障オタクとは違うといっているところが嫌いだった。

同じジャンルだった頃は許容できていた神の性格が、他ジャンルに行ったことをきっかけに一気に無理になった。

 嫌なものほどつい見たくなるようで今でもたまに神のツイッターのぞきにいく。

自分は好きになればなるほど嫌いになったとき反動が大きいようで神のことがほんとに大嫌いになってしまった。

神を見に行くと疲れるのでやめたいけどやめられない。

神が嫌いになった

 神がジャンル移動してから神のことが大嫌いになった。

 

 自ジャンルアニメ化してから何年も経っていてもうほぼ供給がない。アニメ放送時のピーからどんどん人が減っていて、3年ぐらい経った頃から大手や中堅が供給がなくて冷めてきてるような状態だった。

神もその頃には飽きてきている雰囲気公式に対する不信感をただよわせていた。

 

 自分は出不精でそこまで同人にもはまっていなかったけれど、神の速筆なところと人柄が熱狂的に好きで、神がいるから初めてイベントに行った。

イベントで神の本を机にある分だけ全部買った。神の既刊が全部あったわけじゃないけど、神はイベントがあると新刊を必ず作って参加してたので、結構な量があり、全部で2万円になった。初めて神に会えて本当に嬉しかった。

 

 神は絵柄に癖があるけどピーク時には1日3、4枚も絵を描き、ほぼ毎日投稿してくれるような速筆だった。

それなりにうまかった絵がどんどん上手くなっていって今はもう多分プロだ。(漫画家のアシと漫画系の大学助手をやっているらしい)

神は表の垢と裏垢をしっかり分けるタイプで、表では聖人君子のような人柄だった。

裏垢は成人式家族などのプライベート写真や表で言わないような愚痴ツイッター上の話題に対するツッコミなどをしていた。

 表の神の女神のような雰囲気が好きだったので裏垢の神が嫌いだった。

新しいジャンルにハマってから宗教か?というぐらい大袈裟キャラアニメにハマって周りにも布教しているのも嫌いだった。

漫画アニメ批評を裏垢でよくしていて気に入らない作品は仲間内で共有してこき下ろしてるところも嫌いだった。

ジャンルを手がけた監督担当した他のアニメが気に入らなかったらしく、Twitterでキレているのを見た時は本当にうんざりした。自分思い込み価値観に自信があるらしい。

東京住みを鼻にかけてるところや、都内で遭遇したかっぺをでこき下ろしてるところや、自分はそこらへんのキモくてコミュ障オタクとは違うといっているところが嫌いだった。

同じジャンルだった頃は許容できていた神の性格が、他ジャンルに行ったことをきっかけに一気に無理になった。

 嫌なものほどつい見たくなるようで今でもたまに神のツイッターのぞきにいく。

自分は好きになればなるほど嫌いになったとき反動が大きいようで神のことがほんとに大嫌いになってしまった。

神を見に行くと疲れるのでやめたいけどやめられない。

2021-02-11

あれだけ五輪にふさわしくないと叩いたのだから、後任はさぞ過去どこを掘り返しても荒のない聖人君子なんだろうなあ

2021-02-10

anond:20210210135626

いわゆる聖人君子であることと、曲になんの関連性があるんだ?

教会でうたったら、いい音楽

小屋で歌ったら馬鹿作品け?

心に残っているパンティランキングベスト

あと4個は順位微妙なのが多数なので、記憶辿り中

6位 猛疾走するJK

当時の俺は高校生だった。普通の生徒はバスで通う距離だったが、実家が貧しかったので、バス代を節約するために、自転車通学を選んでいた。

加えて言えば、小5以来自転車を買ってもらってなかったので、中学時代も、なんか後部車輪の横にかご付けるタイプの、ハンドルからサドルまでまっすぐ伸びたフレームの途中に前後に動く6段変速のやつがついてるやつに乗ってて、新しい自転車が欲しかったのも理由

普通ママチャリちょっといいやつを買ってもらい、朝が弱いので毎日の通学でいつも遅刻ギリギリで、かなりの脚力が鍛えられた。

ママチャリ最速を誇っていた。

が、ある風の強い日。俺に並びかけてくるチャリがあった。明らかにチャリだ。バイクでもない、勿論車でもない。最速を誇る俺はペダルを踏みこむ速度を速めた。

今は時間に追われているわけではなかった、俺の本気はまだまだ出していない、俺が最速だ。

が、上り坂に差し掛かった時、すっと俺の横を通り過ぎる影。

どう見ても女子高生、どうみてもママチャリ。その女子立ち漕ぎで颯爽と俺との距離を離していった。

その時、風にあおられてマントのようにたなびくスカートの中で輝いていた、真っ白な、なぜかパンティ自体も風をはらんで、カボチャパンツみたいになってたあのふわふわもこもこのやつ。

5位 布団のしたから出てきたパンティ

自宅のシングルベッドならぬ、普通の敷布団で夢とかSさんとか抱いた後、Sさんが寝てしまった。

仕方がないので一緒に寝た。起きて、やばい、早く帰らなきゃと焦るSさん

が、シャワーを浴びて、まず身に着けるべきパンティーが見当たらない。掛け布団をひっくり返したり、その辺のゴミとかなんだかんだまさぐっても一向に出てこない。

最終的に、やはり布団周辺を重点的に調べようということになり、まさかと思いながら敷布団を持ち上げた時に、ぺちゃんこになったパンティーが申し訳なさそうに顔を出した。

二人で「コーヒー飲む時間なくなっちゃったね」と笑い合った。パンティーの皺を伸ばしながら。

4位 安心しください、履いてますからパンティ

その日はえらくミニだった。S2ちゃんが着ていたのは、ワンピースというかニットで上からスポっとかぶって長袖で、裾丈が短めのスカートみたいになってるやつ。

スカートみたいにはなってるが、スカートとしての機能には少し足りてないやつ(伝われ

ちょうど寒くなってきた時期で、寒いけど生足だね、大丈夫? って聞いた流れで、下は何履いてるの? って聞いた。

レギンスとか、ショートパンツも好きだ。そういうのを期待してた。

「えーっとね、ズボン履いてる(短いキュロットみたいなやつ)」とスカートめくられると、そこには生パンティー)があった。

「それパンツじゃない?」「あ、履き忘れた! てへ」

3位 洗面台のドライヤー上で踊るパンティ

数か月前だろうか。急におんなのこのひになってパンツが汚れてしまった。休憩でホテルに入っていたが、Rちゃんは洗って乾かすといって洗面台に消えた。

出てきた後もずっとブオーってドライヤーの音が聞こえており、どうしてんの? って聞いたら、こうすれば多分帰る前には乾くと。

後で、洗面台利用する時に見た、パンティーを被るドライヤー。それに踊らされるパンティー。

2位 昨日初めて興奮を覚えたTバッグ

より正確にいうと、Tバック込みでの尻かもしれない。

そのこのケツはスレンダー貧乳なのに、妙にエロく、ここ数年のエロランキング1位だった。が、俺はオッパイ聖人

尻は社交辞令程度にしか撫でない、舐めない、諦める。すぐに裏がえしておっぱい意識が向かってしまう。

だが、紫だしエロ下着から見て、と言われたので、さすがに短時間スルーしてしまうのは気が引けた。

加えて言えば、セットだったブラジャーが、刺繍とかレースとかあるタイプじゃなくってツルっとしているタイプだったので、それはそれでまあ悪くはないのだが。(ぶっちゃけそんなに良いとは思わない)

下着姿の間は尻に意識が向きやすかった、普段より。

元々知っていたエロい尻に、一本の紐が付与されることによって、より深みのあるエロい尻になるということを知った。

その勢いでバックに挑戦してみたが、中折れした。あ、パンティーの話でしたね……。

1位 小学1年の時のM子ちゃんパンティ

俺は、スカートめくりは基本的にやらず、付き合いでやっていたぐらいだった。何故か仲がよかったというかなんだかんだちょっかいかけてきた、クラスメイトのM子ちゃんが家に遊びに来た時に、家の裏庭で、「スカートめくっていいよ」って言ってきて、その時に見たパンティー。もうどんパンツだったか覚えてない。白のグンゼ系だったのが朧気に記憶にあるぐらい。赤かオレンジの丸っぽい動物プリントがあったという記憶が後年定着してきた。生まれて初めてパンティーをパンティーだと認識した日。ただし、そこからパンティーに興味を覚えるまでには数年かかった。

anond:20210209100954

ポリコレあほくせぇ

いやほんと、ポリコレは何の努力もせずに「自分他人より上の人間だと思い込むためのツール」になっちまったよな

自己実現できない人間が手軽に正義に酔えるというか

「良いことをしてる」と思い込めるというか

その結果として、反ポリコレならどうしてもいいっていう悪の権化となってしまってる

そのわかりやすい表出がBLMな

あれ、略奪批判謝罪させられたろ

本来ポリコレって大変なんだよ

だって自分たちは差別とか偏見とかハラスメントとかそういうのから潔白でなきゃいけないんだから

でも、実際にはそんな解脱することはできない

から「悪」を叩く「正義」になる

もっともらしい御託を並べて、差別者と同じことを行い

自分行為正義から問題はないと嘯く



絶対確信できる、差別は無くならねぇよ

だって楽しいだろ、他人侮蔑するの

気持ちいいよな、正義を発露するの

本当は、ポリコレ側こそこういうのを排除しなくちゃいけないんだけど

自分たちの味方だし、敵をやっつけてくれるから、そうだそうだってなるやん



から、殴り合いだよ

誰も、自分が殴るのをやめる「最後聖人」になどなれないんだよ

争いは無くならない

2021-02-09

anond:20210209101431

確証ってw

それまでは幻想を持ってたってことじゃないの?

医者って免許持ってるだけのただの人間なんだからネットスラング使うようなやつから聖人みたいなやつまで色々いるって、普通にわかるよねw

2021-02-07

anond:20210207174305

今まで見てきた中で一番醜い顔をしてたけど、聖人かよってくらい良い奴で大手メーカーに勤める知人は結婚できてたなあ。

2021-02-03

anond:20210203211912

えっだって密告したら罰則なしなんだろ?

そんなん結託して恣意的悪用するに決まってんじゃん

聖人か?

2021-02-02

anond:20210202194944

その割には雑かな~って思う

インセルが言う「理解のある彼女がいない」ってAU契約並みに※つきで、

トロフィーワイフならぬトロフィーハズバンド場合は含まない。

これが家事もしないヒモに相当して、具体的に言えばホストだったりバンドマンだったり俳優だったり。

まぁこれの男女ミラーキャバ嬢に貢いじゃったり、女の思い付き投資話に投資ちゃう男なんで、「理解のある彼氏」ではないわな)

後、最初は通常だったけど、付き合った後に発病した場合は含まない。

もともとどんくさかったとはいえ、付き合った後に発病した元増田微妙ライン

ストーリーと例が絶妙に外れてるんだよね。

あれの逆張りをしたいなら、もうちょっとド直球に元彼女聖人であるようなストーリーにするかなって思う。

2021-02-01

anond:20210201180607

お金を払うことで救われているのですよ(聖人顔)

2021-01-31

企業にお褒めの言葉を送る方って神かなんかなの?

自分はBtoCの仕事をしていて、接客にもそれなりに関わる職種なんだか、いわゆるお客様のご意見会社ホームページから送れるようになっている。

大抵の意見は難癖に片足を突っ込んだようなクレームが中心でまあ対応もそこそこに流したり注意するように周知程度で済ますんだが、たまにそのご意見フォームを使って接客が良かった等のお褒めの言葉を頂くことがある。

そうなると職場長がみんなの前で褒めてくれ、皆で拍手をして……という感じで結構な騒ぎになるしかなりモチベーションが上がる。

そんなだから自分もっといいご意見貰えたら良いのになーとか脳天気なこと考えていたんだけど、この間職場で「わざわざ会社のご意見欄で褒めてくれるなんて凄くいい人に間違いないよなー」って話になったのでふと自社のご意見フォーム確認したんだ。

「誠にありがとうございます!お問い合わせはこちら!よくある質問こちら!注意事項をよくお読みください!個人情報の取り扱いには同意いただけましたか?ならば下のボタンを押してね!じゃあ内容ですね!返答はいますか?姓は?読みは?名は?読みは?性別は?住所は?メアドは?ご年代は?我社の商品はどこで?どう使ってます?あっご意見の内容聞きますねー」


いやいやいやいや

わかる、わかるよ?

意見だもんな、クレームの方が多いって想定で注意事項とか色々堅苦しく書くのはわかる

書きすぎて本当は意見来ないでほしいオーラバリバリなんですけど!?

これを乗り越えてお褒めの言葉くれるお客さんまじでなんなの神様なの聖人なの!?

神様ありがとう!!! いつも元気を貰ってます!!!


みんなもっと軽率に褒めてね!むっちゃ嬉しいから!

しかクレームならこの注意事項と質問の嵐を軽々越えてくるのが笑えるというかないというか…

2021-01-30

ニューヨーク 親切なロシア料理店」

見に行ったけれど、正直期待外れだった

邦題が合ってないって言われていたけれど、客足を集めるための苦肉の策だったんだろうなという印象

この邦題からだと、ロシア料理店に転がり込んだ主人公シングルマザー住み込みで働いて逞しく生きていく、

周りの人達も少しずつ変わって元気になっていく…みたいなのを想像ちゃうじゃん

そういう話が見たかったよ

それが実際には主人公シングルマザーは盗みを何とも思わず子供を守れず働く気もない

DV旦那から逃げた矢先ですぐ別の男と良い雰囲気になり

子供が嫌がってるのもお構いなしで男といちゃつき最後も男といちゃいちゃして終わる…と、

女性監督とは思えないくらい、今時珍しいくらいに男の助けがなければ何もできない弱くてバカな女

顔の良さと股の緩さだけで渡り歩くという悪印象だけが残ってリアリティも無いしほっこりも出来ない

看護師アリスは良かった

メサイアコンプレックス気味の職業人で聖人だけど独身の悲哀…なんでこっちを主人公にしてくれなかったんだ

ロシア料理店のオーナーも良いキャラだったけれど影が薄い

ロシア料理店と、その常連看護師彼女の周りの人々の話、という切り口でよかったような

anond:20210129154616

叩かれたんだから叩くんだ、ハムラビ法典

という姿勢でいる場合全然いいんだ

はてサに多く居る中道気取りのリベサは

僕が叩くのは正義だが、君が叩くのは悪だ

って真顔でやる、吐き気を催す邪悪から

あれすげぇよな

んで、君が怒ってる内容な

これよくオタクが言われる奴なんだわ

君も口汚くののしっているね、君には他人を口汚くののしる権利はない

みたいにね

いつも思うんだよ

なんで、オタクは「黙って殴られ相手を許容し社会正義として道義に反しない正しい在り方」という聖職者のような存在にならなきゃならんのかと

それはむしろポリコレ陣営がなるべきなんじゃないのか?

なんでオタクが言い返さな最後聖人でなきゃならんのだと

さぁ、殴り合おうぜ

2021-01-28

女一人を救うために全世界破壊した少年を拒絶せずにいられるか?

エヴァQなんだけどさ。

ヴィレのみんなは碇シンジが女一人のために全世界犠牲にしたの知ってんだぜ?

しかもそのせいで家族友達が死んでるんだぜ?

更に奪還作戦中に目からビーム撃ってんだぜ?

おまえらそんな生命体に優しく接することが出来るか?

「お前が碇シンジに行きなさい!って言ったんだろうが」って言うのは簡単だけどさ、まさか女一人のために全世界犠牲にするなんて思わないじゃん。

そして自分が「行きなさい!」って背中を押したヤツが全世界をぶっ壊したら、そりゃ拒絶するでしょ。

二度と危ない使われ方しないように確保はするけど、極力突飛な行動させないように最低限のコミュニケーションしかしないようにするでしょ。

あの拒絶は普通の人の普通の行動だよ。

おまえらヴィレの人たちに聖人君子を期待しすぎ。

2021-01-27

anond:20210127105707

ブクマこえぇな

死んだら聖人だとかいうつもりはさらさらないが

盲目的なザマァ多すぎんだろ・・・

2021-01-26

ファクトチェック」って、何を検証の題材に選ぶか、という時点で恣意的になり、どの事実記事に取り上げ、どの事実を伏せるか (紙面、文字数の都合で削るか) という段階でさら恣意的になり、誰が行うか、という段階で懐疑的になるから、成立しないよなぁ。

いくら中立的第三者が、とうたっても、そのメンバー過去に一切の過ちを犯していない、清廉潔白聖人ではない (社会にそんな人はいない、という意味で) し、出身大学指導教員、偶然取材を受けたメディアスタンスまで含めた色眼鏡で全方位から見られるし。さらに、どの角度から見ても真実だったとしても、陰謀だ、と受け付けない層もいるわけで、「事実検証した結果、〇〇だった」なんて言っても、「あなたが選んだ題材で、あなたが取捨選択した情報をもとに〇〇と主張しているんですよね」としか捉えられないよね。

2021-01-23

anond:20210123160438

親を聖人と思ってるだろ。はい大間違いです。そこらへんのただの人です。キリストでもブッダでもありませーん。あん子供育てたことないでしょ。

X日後に死ぬ

◎前置き

X日後に死ぬことが分かっているとしたら、僕は残された日々をどう過ごすだろうか。

いくつかの仮定を置いたうえで思いついたことを書き連ねてみる。

・X日後に死ぬことは確実であり、僕はその事実を受け入れている

 この前提がなければ、僕は何とか生き延びる手段を探すだけで、残りの時間を使い切ってしまうかもしれない。

死ぬのは僕だけである仮定しよう。

 何か災害天変地異で多くの人が死ぬわけではないということだ。僕以外の人々や環境は、僕の死以外は何一つ変わらず日々が続く。そのため、他の人を救うために時間を費やす必要もない。

 この2つの前提を置くことで、僕は残りの時間純粋自分が満足するためだけに使うと想定する。

◎1日後に死ぬ

 平日なら、仕事を休まなくてはならない。仮に大事仕事があったとしても、何かと理由をつけて休むだろう。残念ながら、僕にとって今の仕事は、24時間しか残されていない状況で時間を割くには及ばない。事情説明して別れを惜しむほど、会社の面々とは親しくない。みな僕の死を知ったら驚くだろうと思いながら、事務的部長有休申請を行うまでだ。

 明日死ぬと思って毎日を生きよう、そんな格言を聞いたことがある。そう思うことで、本当に望むことに取り組むことができるという意味だそうだ。しかし、本当に1日しか残っていないとしたら?できることはあまりに少ない。選択肢はとてつもなく刹那的になってしまいそうだ。僕には好きな友人や家族はいるが、特別日々を一緒に過ごす類のパートナーはいない。仮に恋人や妻がいれば、最後の1日を普通に過ごして見送ってもらうだけで終わるかもしれない。だが、そんな相手はいない以上、個人的に満足に過ごす方法を考える必要がある。

 僕はきっと24時間を一人で過ごすだろう。もうすぐ死ぬことが分かったうえで、友人を呼びつけて一緒に過ごしてもらう気まずさには耐えられそうにない。両親との関係は悪くないが、この状況では会うには気が引ける。そんなことができる距離感相手なんて、それこそ恋人か妻か子供ぐらいしかいないのではないか。残念ながらそんな相手はいない。誰かに電話くらいはするかもしれない。でも、友人には普段電話などしないので、何か問題ごとでもあるのかと勘繰られてしまいそうだ。何かの用事にかこつけて、母親の声でも聞ければそれで十分だろう。

 最後の1日を刹那的快楽のために使うか、何か意味のあることに使うか、悩むところだ。刹那的快楽を得るならば、とにかく美味しいものを食べるとか、綺麗な景色を見るとか、性欲を満たすとか、そんな過ごし方になるだろう。できるなら最後食事は美味しいものが食べたい、でも一人で食べるなら何でも一緒に感じてしまう気もする。そもそも残り時間を考えれば、栄養にもならない食事時間と労力を割くのはもったいない食事に限らず、もう何も思い残すことがないと思えるほどの快楽なんてあるのだろうか?どんなに刹那的快楽を満たしたとしても、最期の1分1秒には、どこか虚しい気持ちになってしまうのでは?

 そうだとしたら、死ぬ瞬間に満たされた気分になる1日の使い方とはなんだろうか。やはり「善いことをした」「この世界に良い影響を残した」と思うことで、自らの人生肯定できるようになることではないか。残念ながら、僕が仮にこの文章を書いている今この瞬間に死ぬとして、僕は何かこの世界のために役に立ったのかと問われると、自信をもってイエスとは言えない。たいして他人迷惑をかけずに生きているという自負はある。しかし、周囲との干渉が少ない故、特別人助けをしているわけでもない。仕事だって給料に見合う働きを提供するだけの等価交換で、社会に対してプラスを与えている気はしない。そんな認識を塗り替えるようなことが、24時間で成し遂げられるだろうか?

 一つ、すぐに取り組めそうで最も「自分が」やる意義がありそうなことは、近しい友人たちに手紙を書くことだ。僕は29歳で、同年代の友人たちの多くは、若くして死ぬということに実感がないと思う。僕自身もそんな実感はない。そんな友人たちに向けて、身近にいる人間として、心を込めたメッセージを残せば、きっと彼らは限られた生を実感して、より有意義に過ごしてくれるのではないか。そう思いながら昇天するのは悪くない気がする。

 一応、死因は自殺ではないことが皆に分かるように手配しておきたい。僕の世代の死因に占める割合自殺が多いはずなので、事情を知らない人には勘違いされる可能性もある。僕自身はこの際どう思われても構わないが、勘違いのせいで周りの人が嫌な思いをしてしま事態は避けたい。

◎1か月後に死ぬ

 1か月は新しいことを始めるには短いが、1か月はちょっと長い。休まず有意義に使い切ろうとしたら息が詰まりそうだ。それでも、1日でも労働に費やすのは惜しいと思ってしまう。やっぱり仕事は無理やり辞めるしかない。お金必要でないのなら、働かないに越したことはない。そもそも現状で何故僕は、嫌だと感じている労働に多くの時間を割いているのだろうか。

 別にかに命令されるわけでもなく、僕は自分意志一挙一動選択してきたはずだ。その積み重ねで生きてきたはずなのに、何故不本意な結果となっているのだろうか。僕は必要に駆られて働いているのであって、労働から精神的な充実を得られると期待するのが筋違いなのかもしれない。とはいえ身の回りを見渡してみれば、仕事を楽しんでいる人はそれなりにいる。今の職場就職した理由に思いをはせると、僕は仕事の内容や会社の状況について多くの誤解をしていた。さらに言えば、自らが求めているものもよく理解できていなかった。分からないものが多すぎたので、正しい選択ができていなかったのだ。そして、今も自分が求めているものはよくわからない。

 1か月もあるのなら、できるだけ面倒を残さないように、いろいろな手続きを済ませておきたい。仕事を辞めて、部屋を片付けて、もろもろのサービスを解約しておけば、あとに残された人も困らない。ついでに恥ずかしい日記処分しておこう。あと、年に1度ぐらいしか帰省はしていなかったが、顔ぐらいは見せておこうと思う。

 口座に200万円はある。これを一体何に使えばいいだろう?1週間で使い切るとすれば、なかなかの贅沢ができる。どうせならぱーっと使ってしまいたい。僕の貯金社会に影響を与えるには雀の涙すぎるし、このお金寄付するほどの聖人ではない。それに、個人的に残してあげたい相手がいるわけでもない。しいて言えば、会社勤めをしながらイラストレーターの夢を追う弟にはちょっと残してあげてもいいだろう。全部残すと重たいし、あぶく銭は彼のためにもならないかもしれない。残高を気にせずに、旅行したり、いいものを食べたりして、残った分は弟に渡すくらいでちょうどいいかもしれない。

 僕はかねてから死ぬ前に一度バンジージャンプに挑戦してみたいと思っていたが、1か月のうちの半日ほどを費やすに値するほどではなさそうだ。リストに入れるべき項目は、手紙を書くよりは重要でなくて、バンジージャンプよりは重要なことにしよう。残り1か月があるなら、無理を言ってでも友人たちに会って、直接思うことを伝えることができる。

 そういえば、残り24時間しかない場合を考えているときは、お金のことには思い至らなかった。僕にとってお金は最優先事項ではないのかもしれない。ある程度長い期間生きるとして、なくてはならないものであって、それ以上のものではないのだろう。少なくとも、残されたお金の使い道を考えながら死にたくないとは思う。

◎1年後に死ぬ

 1年残っているなら、少しはきれい仕事を辞めてもいいかもしれない。2週間ぐらいは引き継ぎに費やしてもいいし、そのほうが残りの1年間をすっきりした気持ちで過ごせるだろう。残りの期間で仕事関係者に出くわす可能性が上がるので、あまり気まずい思いをせずに済ませたい。これくらいの長さがあると、「将来のために今は多少我慢をする」といった発想が生じてくる。

 きっと、仕事を辞めた理由を誰もに聞かれるに違いない。親しい人たちには正直に話すほうが良さそうだ。残り1週間ならともかく、1年間あれば段階的に別れを受け入れることができる。何度か会ったとしても、そう重苦しい雰囲気にならずに済みそうだ。でも、どうやって伝えたらいいのか分からないし、伝える瞬間の気まずさに耐えられなさそうだ。Twitterにでも書き込もうか。

 貯金を取り崩すだけでも、何とかやりくりして生きていけるだろう。まず、会社に行かなくていいなら、家賃はできる限り節約しよう。決して余裕があるわけではないので、計画を立てて、慎重にお金を使っていくことになるだろう。食事だってそんなに贅沢はできない。それでも、僕にとってはお金よりも時間のほうが大切であって、贅沢をするためにより長く働こうという発想にはならない。

 1年もあるならば、全く新しいことを始めたとしても、何かを成し遂げられる気がする。果たして僕は特別に何か成し遂げたいことがあるのか?と考え始める。そして、今までの日常の延長線上でしか考えられないことに気づく。思うに僕は無趣味なのだ無趣味な故、急に働かなくてよくなったら、何をして過ごしたらいいのかわからなくなる。働きながらだって休みはあったけれども、寝て体力を回復したり、家事をしたり、友達遊んだり、ランニングしたり、漫画アニメをダラダラと見たりしていたらあっという間に時が過ぎた。漫画アニメを見るのは好きだが、あと1年で死ぬとしてずっとそれに時間を費やしたいとはあまり思いつかない。それはリラックスを兼ねた娯楽であり、積極的に取り組んでいるというよりは、消去法的な時間の過ごし方だった。

 もともと、人生を捧げられるような対象が欲しいと思っていた。しかし、そんなものは見つからず、とにかく生活のために労働し、疲労と惰性で考え事をするのもままならず、暇な時間ができたら途方に暮れる有り様だ。そんな対象がなくても、愛すべき人がいて、その人と過ごすだけで楽しく満ち足りた日々になるなら、それまた幸福だ。しかし、1年しか残されていないのが分かっていながら、新しく親密な関係相手を探すのは残酷めいている。残される相手のことを考えると、残り1年で愛すべきことを見つけるなんてハナから期待すべきでない。

 愛する人もいないし、やりたいこともない。そんな自分の現状は不甲斐ないが、ないものはないので仕方ない。とにかく何がしたいのか考えてみよう。かといって急に机に向かって考え始めたからといって、何か思いつくわけではない。12か月もあるのだから、1か月ぐらいは思い切って、考えるために時間を使ったっていいではないか。いったん、何もかも放り出して、どこか海沿いの旅館にでもこもって何をしたらいいか考えることにしよう。それ以上のことは今は思いつかない。

10年後に死ぬ

 10年間生きるならば、すぐに仕事を辞めるわけにはいかない。自分がやりたいこととは別に生活費を稼いでいくということを主軸に据える必要がある。仕事をどうすべきか、という問題に正面から向き合わなくてはならない。この問題については、大きく二つの方向性を考えることができる。一つは、多忙でもハードでも、とにかく給料の高い仕事転職してお金を稼いで、一日でも早く仕事を辞めようとすること。もう一つは、仕事をしている時間無駄と感じずに済むくらい、意義のあるものにすることだ。残念ながら、現状の仕事はどちらにも当てはまらず、ただ金を稼ぐため、辞めて履歴書に傷をつけないために惰性でぶら下がっている状態だ。よって、残り10年間を前提とするならば、すぐにでも転職活動をして、より有意義時間を過ごせるようにしたい。

 例えばかなり無理をして、3-5年間ハード場所で働いて、残りは働かずに暮らせるのなら、悪くはない。この選択肢は、どう転んでも仕事をすることは苦痛なので、とにかく短期間で済ませるという考え方に基づく。貴重な10年間のうち多くの時間を割くに値するような労働はあるのだろうか?そんなものが見つかりさえするのなら、すぐにでも飛びつきたい。そもそも、そんな仕事があれば、残り10年とか関係なくやってみるべきなのではないか

 10年あれば、適当理由をつけて別れることを前提に、恋人を作ってもそこまで罪深くはないだろう。すべてを語るような深い関係にはならないかもしれないが、一人で過ごすよりは日々に彩りが生まれそうだ。それとも、ふとした瞬間に虚しい気持ちになるだろうか?

◎30年後に死ぬ

 10年ではなしえず、30年かけてしかできないものというのはそう多くはないはずだ。仮に僕が職人か何かで、同じことを一筋やり続けるのであれば、その時間の差は歴然となって現れるのだろうか。そんなことを考えると、今すぐ何かの道に入門して、極めてみたいものだという気持ちが湧くが、僕は飽きやす人間であることをすぐに思い出す。僕はタイムマシンがあればすぐに30年後に行って、知識経験の蓄積による果実を得たいと思う怠惰人間だ。その蓄積の過程自体を楽しみ、こなしていくことができるなら、とっくに僕は何かを身に着けているはずなのだ

 残念ながら職人道を極めることはできなさそうだが、それでも少なくとも2つほどは新たな可能性が思いつく。まず、結婚して子どもを育てることが選択肢に入る、30年あれば、子どもが成人するまで面倒をみることができる。そして、家を買うかどうかも真剣検討する必要がある。

 僕は子どもが欲しいのだろうか?正直、残りの人生の期間について考えなければ、そんなことをまじめに自分に問う機会もなかった気がする。具体的に結婚するような相手ができて初めて、欲しいかどうかを考えればよいと思ったのだ。しかし、成人するまでは面倒を見ておきたいという条件を付ければ、残された時間結構短い。相手ができたとして、すぐに子どもができるかどうかだってからないのだから、30年のうちの最初の5年くらいで、一連の仕込みを済ませておく必要があるだろう。そのような前提を置くと、恋愛結婚は残り時間から逆算したうえで、極めて計画的で無駄のないプロセスで行う必要がある。そう考えると窮屈に思えてきたが、女性であれば出産できる年齢が限られている故、同じような考えを持つのだろうか。一通り考えを巡らせたところで、そもそも子どもが欲しいかどうかすら分からないことに気づく。別に、残りの30年を考えたうえでそれが最優先事項というわけでは無ければ、窮屈な思いをしてまで計画的に「仕込み」を行っていく理由もない。

 30年もあると考えると、途端に今すぐには現状を変えなくても良いかという思いが芽生えてくる。僕は現状の生活に満足しているわけではない。それなのに、変えなくてよいと思うのはなぜだろうか?変化にはきっかけとエネルギー必要なのかもしれない。そこそこのストレス孤独があるにせよ、安定しており、ある種の均衡状態となっている僕の生活を変えるには、何らかの外的なショックが必要なのだろう。

◎53年後に死ぬ

 今29歳の僕は、52年後に日本人平均余命といわれる81歳になる。すなわち、52年後くらいに死ぬという前提は蓋然性が高く、それをもとに人生計画を立てることはひとつ筋が通っている。しかし、正直なところ、年老い自分がどう過ごすかなんて、今から計画を立てるのは馬鹿げている。そこに至るまでの不確定要素が多すぎる。

 とはいえ、一つ考えるに値することは、日本にずっと住み続ける前提で人生を考えるか?ということだ。何せ、この時期までに日本人口は2-3割くらい減る推計になっている。今だって社会保険料と所得税消費税が大きな負担になっているが、今後ますますその負担が増えることは間違いない。5-10年先の未来だけ気にすればよいのなら、別に自分にとっての影響は大きくない。でも、より長い期間を考えると、例えばまともに医療が受けられなくなったり、預金没収されたりするリスクだってあるかもしれない。少なくとも、今現在高齢者が受け取っているのと同等の価値年金をもらうことは全く期待できない。

 僕は家族や友人たちがたくさん住んでいて、最高のアニメ漫画を生み出す日本が大好きなので、できることな日本に住み続けたい。しかし、生活があまりに苦しくなるようなら、泣く泣く国を離れるというのは、世界中のどこにでもある話だ。かといって今すぐに海外移住することが賢明というわけではない。とにかく英語くらいはできるようになっておき、いざとなればよその国でも食べていけるような能力は身に着けておく、それくらいの「投資」は残り53年くらい生きるなら、多少今を犠牲にしてでもやっておいたら老後の安心に繋がるかと思う。

あとがき

 現在僕は、感染症が広がり外に出られない状況で、友人と会う機会も減り、社会とのつながりが徐々に切れていく感覚を味わっている。もともと、仕事に追われて、生活のために生きているような感覚を覚えていたが、そこから抜け出すことを難しく感じていた。一日中家で仕事をして、終わっても何もしたいと思えることがない。あまり空虚自分生活一種絶望を感じている。

 そんな中いつものようにTwitter目的もなく眺めて時間をつぶしていると、「友人は少なくていい、3か月後に死ぬとしたら一緒に過ごしたいと思えるような相手さえいれば十分」というような記事にたどり着いた。そこから着想を得てふと自分生活を振り返ってみると、3か月後に自分死ぬのならやらないであろうことであふれていた。短い間に自分死ぬことを考え出すと、僕は気が楽になった。これは僕自身にとってのセラピーになった。ある種のミニマリズム断捨離に近い感覚で、「3か月後に死ぬのであれば不要」と思えることを生活から切り捨ててみる。例えば僕はいつか読んでおこうと思っていた大量の本をその基準に従って捨てた。すると、僕の人生は前よりも少し方向性が定まったように感じたのだ。

 とはいえ、それと同時に、自分空虚さを改めて実感するきっかけにもなった。自分寿命の想定をどんどん伸ばしていくほどに、可能性は広がっていくはずなのにやってみたいと思うことが思いつかないのだ。まるで、遠方ほど霧が濃くなっていくような感覚だ。この問題は僕が、「いつかは役に立つだろう」と思われる仕事資格勉強時間を費やしがちだったことと関係があるかもしれない。その時々に自らの欲求に耳を研ぎ澄ませてこないできたら、欲求をとらえることができなくなってしまっていた。

 平均寿命から想定して、老後の安心や家庭を持つ可能性なども考慮した貯金やらライフプランとやらをある程度は考えなくてはならない。それでも、僕のようなタイプ人間は、3か月後に死ぬというぐらい過激な想定をしてでも、素直に最もやりたいと思えるようなことを考えていくべきでは、というのが今のところの結論だ。

 僕の文章は思いつきを並べただけでまとまりのないものになってしまったが、もっと多くの人にこの思考実験をやってもらって、その結果を読んでみたいと思う。ぜひこれを読んだあなたも試しに3か月後に死ぬとしたら何をするか考えて、記事を上げてみてほしい。

2021-01-22

anond:20210122065720

しろここでマウントって単語が出てくるのが意味不明

意味不明だが敢えて増田文脈に乗るとしたら

作者の性格と作中の登場人物性格がかけ離れてこそプロフェッショナルでは?

 

聖人やかっこいいキャラを描くが作者は畜生って結構ある話

ほんで創作者(作者)と作品は分けて考えるべきって

よく言われるやんけ

2021-01-15

anond:20210114171220

何かを重ねて見知ったような物言いですが

・言い換えてみた

価値観は人それぞれ

・事を知れ

とし内容のないものを長々と形容で論ぜられています

発言した委細を言葉として取り合うために話すことではないので文中にあるとかないとかで言った言わないは勘弁してください

まず最初に名乗りをあげている身上ですが、これは何か必要あることでしょうか

教徒のどんな立場であるかを相手に告げて言説になにかの意味を含ませようとするのはその言葉立場によっては意味がない言葉であるということでしょうか

乞食に化けた聖人乞食が行ったこであるので聖人のそれとは関係がないはずだとするならばそれはその価値観をお持ちであることについて理解できます

物乞いに施しをする姿をみて聖人がとされない理由は何でしょうか

次に事例を引用するにあたって出典を前述の教養からとしやすくしただけであれば自ずと宗教関係の事例を挙げてこられると思います

過去の事例からして正しい行いをしたと評価してあげるために何かしら評価にまつわる根拠のない話をいくつかされています意味があるというそ意味が何である宗教を出した上でされているのだから自身範疇でその評価をしてさしあげるのが道理ではないでしょうか

それぞれ個人の何か大切なものを見つけていけるし見つけていってください と突き放すのではそれを支えるべく教えを用意しているはずの宗教の救済の意味がすべて喪失していませんか

当人個人判断自身を救えるのならば初めからそんな長い話を聞かせて要点が何点ありどうすべきで基準のそれを「基準」と呼んでいるそれは何なのかひけらかす必要はないでしょう

相手情報押し付けることについてのみ思考されているため視点が抜けているように見えます

相手選択肢存在を示すのであれば自らの身上を述べ参考にしてもらうだけで充分ではないでしょうか 自分が信じているもの自分を信じてもらえたら出来ること等あるはずです

最後にいろんな方の心の内を勝手に想定してイタコをされていますがどのような宗教でどんな戒律があればそのような事が行えるのでしょうか

生きている人の本音を霊体を呼び寄せて聞くという宗教もあるかもしれませんがそれでしょうか

少なくとも浄土真宗は死者の例を呼び寄せ思考を読み代弁できるという能力存在したという話はないと思いますがこれはもの知らずの浅知恵でしたでしょうか

仏教というものに僅かでも関わり僧侶という立場にあるのだとしたら頭をまるめ結婚をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞うて生きるの意味くらいは深くご理解があるかと思います

そもそもそのための組織といっても過言ではないしその意義によって成り立っている組織ですよね

坊主になるのは個を無くすため ファッションや外見的特徴で教えの元にある者を区別しない 僧侶の格好をしていればみな同じ教えの元に対応ができることを示す

どの坊主が良いとか悪いとか誰のせいだとかどんな格好をしているから偉いとかありません 皆が同じ仏の教えの元に集っているのです

至らぬ者があればほかの同門がそれを補う 個人で新しく独自路線開拓したわけではない 常に仏に帰依する現実的スタンスが外見的特徴の喪失ですよね

髪の毛はやしてますか? ファッションに気を付けてますか? アクセサリーとかつけてますか?

まさかと思いますがそんなことはないですよね

結婚せず肉食をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞う

人の里にあって人の営みをするものと離れて生活します 里の人と同じ世界という規模で共存するにあたってそれらを得るという選択肢を無くしま

もし僧侶と娘が結婚したら 人の里において娘と結婚する人が一人減ります 私財を蓄えるとその取引によって人の里から失われるものがあります

営利目的僧侶をやっていいなら営利団体宗教的なものを発布してもよいはずです 従業員がまるで宗教のような企業労働を強いられていることもあると思います宗教となれば「その労働者の家族も含め」となります

価値があるものとしてその知識を村や人が保有するために支払うコスト必要ならばそれは村や人が金庫にいれたり資産を投じて運用すべきです

そうすると運営元が恣意的に内容や情報を変更する可能性があります 伝承歴史が歪められる可能性があります

できるかぎり中立で正確な情報を残していくため それを得ることができるようにするのには公平で自由に接することができなくてはなりません

だれかの資産運営するわけにはいかないのです だれか一人のトップ僧侶能力で人の判断を歪めてはいけないのです 独立した公平な組織となるためにはその戒律必要なのです

肉食は生物を殺さないという根源的な保証のために行っているものです 実際にはどうのという話ではなくただのタンパク質ならどうなのかという話でもなくだれも殺さない むしろ殺すくらいなら死ぬというものであることの証明のためです

これらをこなしたうえで極楽浄土がある 死後に苦しむことになるので現世での苦しみを耐えよの言葉意味がでてくるわけなので 意味のない言葉を聞きかじったままに伝播するのでなければ当然されているかと思います

自身が常に戒律によって自覚しているあたりまえの日常の最低限の事ではあるでしょうけれども 人に道を示すのにこれだけしておかなければ中立であると言えない 恣意的利己的に利益を求めて助言をしていると言われないようにできないですよね

名乗られている浄土真宗はそんなものではなく営利目的団体で 顧客獲得のためのセールス手段の一つをここでお話させてもらうと良い話なので是非聞いてくださいというのならば納得もしま

あくま浄土真宗の何派かわかりませんが宗教にあって僧侶をされている方の立場名誉について 今一度そんなに金がほしいのか人に知がありと説いて健やかなれと願っているのかお聞かせいただきたい

なぜ一人を救うのに何人も汚名の淵に蹴落とさなければならなかったのか その判断は公平で平等判断したその何かにおいて当然だったのか

anond:20210114225222

いや坊さんってそんなもんだろ。聖人とは逆側にいると思うよ

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