はてなキーワード: 物差しとは
https://anond.hatelabo.jp/20210126012231
こっちの歴史の流れをざっと説明しただけでこんなに反響があるとは思わなかった。
後で書くように、そちらとは現代の情勢がいろいろ違うのでレスポンスが遅くなってしまった。
まず、いろいろとツッコミが並んでるけど、そちらの世界線とは前提が違うからこそ西軍が勝ったわけで、そちらの物差しであーだこーだ言われても困る。
それから、ツッコミの中にそちらの世界の悪いところを全部抜いた世界だ、みたいなのもあったけど、こっちはこっちで悪いこともある。
せっかく興味を持ってくれたみたいなので、少しだけ補足しておこうと思う。
ちなみに、歴史修正主義者の悪質な書き込みだというような反応もあったけど、相手にしないでね。彼(?)のいうことも全部が全部間違いというわけではないのだけれども、彼(?)のようにいまだに野蛮な武士を崇拝するカルトがごく少数ながらこちらの世界にもいて、そちらのネトウヨと同じようにネット上でだけいろいろと騒いでるというだけのことなので。
それから、はてな記法は使えないので見づらいかもしれないのは勘弁。
じゃあ少しだけ前の記事に補足して失礼することにしようかな。
・石田三成について
前に書いた通り、そちらとは前提が違うので関ケ原の戦いも徳川家康と石田三成の戦いというわけではなかった。というわけで石田三成はこっちの世界ではそれほど目立った存在じゃない。関ケ原の戦いで勝利に貢献したのは間違いないけど、1607年に出家してからはどうなったかよくわからない。
・天皇について
小早川秀秋や豊臣秀頼が関白になったのだから、当然その時代には天皇はいた。これは間違いない。しかし、その後商業が発展していくにつれて国民代表議会から「なんで我々の収入から税金を彼らに支出しなければならないのか」という不満が高まっていった。天皇は何もしない・生み出さないわけだから。しばらくの間は国民代表の議会と貴族代表の議会との間でせめぎあいが続いたけど、APS設立後しばらくして天皇は退位した。今も天皇の子孫というか、天皇家みたいなものはあるけど、「だから何?」という程度の扱い。
関東平野が何で開拓されてないのか?というツッコミもあったけど、こちらは良くも悪くも商業中心なので、いちいちそんなくだらないことはしない。前にも書いた通りここに至るまでの前提が違うので、自然的な条件も違う。周辺の標高の高い山(名前があるのかは不明)が頻繁に噴火して灰まみれだし、あんなところを開拓する価値なんてこれっぽっちもない。それでも関東に住んでいる・住んでいた人はもちろんいる。こっちはリベラル化していったと話したけど、当初はそっちの世界でいうところの古典的リベラルであって平等主義的リベラルではなかった。というわけで、関東に住んでいる・住んでいた人に対する差別はひどいものだった。そちらの世界ではとあるアルピニストの野蛮人が外国で子猫を射殺した挙句、それをとがめた友人の脚をも撃ちぬいたという痛ましい事件があったらしいけど、こちらでは19世紀半ばころまで、関東平野に猟銃を持って出かけていく人がたくさんいた。何をしていたかは説明するまでもないと思うのでご想像にお任せする。関東地方の人間は「バン」(坂東の別称?)とか「アズマ」(東日本の別称?)とか「エビス」(これはよくわからない)とか言われて蔑まれ、わざわざ関東から連れてこられて顔にこういう差別用語を焼き印されたり、20世紀の後半くらいまで就職すらできないということもあった。今でもお年寄りがこういう言葉を使って顰蹙を買うことがある。
もちろん、他の連合国家にも差別的な構造はある。そっちの世界と同じように研究は進んでいるけど、やはり周縁部の人に対する中心部の人の態度は冷たい。これは増田も心を痛めてる。
・今の社会について
こちらは母系社会で、近代ヨーロッパの父系主義と激しく対立したこともあった。というか今も対立している。ヨーロッパの人に言わせれば、ふしだらだとか家族像が理解できないとかそういうことらしい。ヨーロッパの人はそこまで潔癖なのかというとそれもよくわからないし、言いがかりなんじゃないかと思わなくもない。こちらでは割と早い時期に子どもを作って働く人が多い。大学に行く人はあまりいない。大学まで行かないと就けない仕事はそこまで多くないので。そっちの世界はどうでもいい仕事をするためにわざわざ大学に高いお金を払って行かなきゃいけないっていうのは本当にかわいそうだと思う。しかもそこまでして就職してもつまらない仕事して不味いご飯食べて結婚もできないって本当にかわいそう。しかもそっちは昔のヨーロッパの真似と武家社会の慣例をミックスしてめちゃくちゃな家族制度つくって、父親にも母親にも訳の分からない責任がのしかかってるんだよね、本当にかわいそう。あんまりかわいそうを連呼すると反感をかいそうなのでこのくらいでやめます。こっちはこっちで子どもがたくさんいて大変だし。
こちらは原発がなく、火力発電と風力発電がメイン。原子力はほとんど理論研究で、これを発電やら何かに応用する研究は全然ない。それと関係があるかどうかはよくわからないけど、そちらほど技術は発展していない。スマホもない。いろいろ反応があったのになかなか返答できなかったのはこういう事情がある。しょっちゅう停電するし、ネットはいまだにPCに回線をつながないとできないし、1人1台所有するのはちょっと厳しい。まあスマホみたいな小さい画面でネットして何が楽しいのかよくわからないけど、もう少し発展したらこちらでも同じようなものができるのかな。ネットの速度はADSLと同じくらい。今これを書いているPCは妻の母のもの。起動に3分くらいかかる。メモリは500メガ。時々接続が勝手に切れる。ちなみにこれを書いてるときも2回切れた。うっかり更新ボタンを押してしまって書いたデータも消えてしまった。
そっちの世界の人ってほんとに首都とか中心がどこなのかとか、権威的なものが好きなんだね。ちょっと理解に苦しむけど、今の首都は京都や大阪じゃない。APS設立当初は広島が首都だったけど、そっちでいうところの日本海側の方が便利ということで首都機能は福井にある。これもこっちの人間からすると「だから何?」なんだけどね。何から何まで福井に集まってるわけじゃないし。そっちの首都は昔江戸だった東京ってところなんでしょ。東京って変な地名だよね。笑える。あんなところに1000万人も密集してるとか信じられない。どうやって暮らしてるの?ブタ小屋にでも住んでるの?あ、失礼。あんまりバカにするとまた怒られちゃうね。こっちの前提が違うのと同じようにそっちの前提も違うんだもんね。ネットの接続が切れたりしてイライラしてたみたい、ごめん。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODF276MJ0X20C21A1000000
経団連の中西宏明会長は27日、連合の神津里季生会長とオンラインで会談し「日本の賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構(OECD)の中で相当下位になっている」と語った。26日に開いた労使フォーラムによって2021年の春季労使交渉が始まり、連日で労使トップが意見を表明した。経団連は新型コロナウイルスの影響で一律の賃上げ方針は見送ったが、業績の堅調な企業には積極的な対応を求める。
徒に日本アゲをしたい訳ではないが、日本のGDPは先進国の中で〜位とか、こういう上のようなニュースを見ているとモヤっとするところがある。
日本の給与水準や物価が海外諸国と比べて安くなっているのは事実なのだが、実際にヨーロッパなどに旅行してみるとお世辞にも日本より治安が良いわけでもないしインフラや生活が快適なわけでもない。むしろ日本での暮らしが諸外国と比べても快適なのもまた事実だと思う。日本の給与や物価が低く抑えられているのは、為替の要因も大きいだろう。それはつまりここ30年くらい経済成長をして来られなかったツケでもある。
今から20年も前に東南アジアの発展途上国に行くと、物価が日本の1/3以下で小銭で豪遊できたのを思い出すが、一方でいまたとえばオーストラリアなどに旅行すると日本より物価が何倍も高いので目を剥くことになる。経済成長著しい諸外国から見て、今の日本の立場はむしろ20年前の東南アジアのように映るのだろう。しかし、インフラのまだまだ貧弱だった昔の東南アジアと、一度は世界一まで迫る経済発展をし今でも曲がりなりにも高い工業力を維持している日本とを同列に見ることには少し無理がある。良かった時代の残照とはいえ、日本がいまだにいくつかの分野で競争力をもった快適なハイテク国家であるのも事実だ。日本は一回りして今の位置にいるのだ。
思うのは、実はこうしたGDPや給与水準といった単一の経済貨幣による社会の豊かさの比較というのが、日本のような一回りして独自のポジションを築き上げた老成国家に対する物差しとして機能していないのではないかということ。だいたい世界の経済や教育の水準を測るスタンダードはイギリスのような標準規格作成大好き国家が自分たちが知っている範囲の狭いクオリアの中から作り出したもので、残念ながら日本をはじめ後発のアジア国家はそういったスタンダードに唯々諾々と甘んじている現状がある。
日本がもう一度世界の中で強いリーダーシップを示したいのなら、DVDなどの工業規格でそうしたように、日本の本当の良さを正当に評価できる新しい指標を提唱してそれを元にランキングを発表してみるべきだと思う。そういう新しい価値の提案というのも、日本のような老成国家の世界に対する責任の一つだろう。
才能やセンスは確かに存在する。要領の良さや適性とも言い換えられるだろう。例えばこれが、ジャマイカ出身の黒人なら目に見えて足が速そうであるとか、メガネで小太りのインド人なら綺麗でバグの少ないコード書きそうとか、見た目から滲み出ている場合もあるが、大抵の場合見た目はおろか、3日間一緒に過ごしたところでどんな適性や才能を持った人物なのかなど到底分かるはずもない。
就職面接はもっと短時間だ。書類と面接と適性試験だけではどんな才能があって、どんな人物なのかは分からない。というか分かるはずもないので、提出された資料から採用不採用を決めていかなければならない。
そこで一番分かりやすい物差しが、学歴である。日本国民なら等しく義務教育を受けているはずなので、家庭環境によって多少ブーストされることがあるにしろ、おそらくこれ以上平等な物差しは無いだろう。小中9年と高校3年の計12年で大体このくらい勉強ができるようになりました、僕の頑張りを大学受験に発揮すると大体このくらいの大学に相当します、というとかなり分かりやすいかと思う。どっかの人事部の完全に他人のエラそうな無教養のおっさんでも多分大学受験くらいはしてるだろうし、自分があの時あのくらいだったから、という比較もしやすいので選考もスムーズになるだろう。
特に大企業ともなれば応募人数も多いので、人事部がいくらデカくて有能だったとしても、応募者一人一人にそんなに時間をかけている暇は無いはずだ。短時間で大量の選考を行う場合、履歴書においてそれまでの努力や学習能力が一番分かりやすく記載されているのが学歴の欄だ。だからまずそこを見る。
いわゆるデカい仕事に高学歴の人が就いているのは、デカい仕事を受注できるようなデカい組織に所属しているからで、デカい組織に所属する為には母数のバカでかい採用選考を勝ち抜かなければならない、故に書類選考の時点で一番インパクトを与えることができる高学歴である必要があるから、である。
デカい仕事がしたいなら高学歴であるべきだし、自分の才能で飯を食いたいならそれを活かせる場所で仕事をすれば良い。
一応某増田に触れておくと、高学歴=善人とはなり得ない。女を殴る慶応生もスーパーフリーもいわゆる高学歴と言っていいし、白日の元に晒されなければ彼らは大企業で善人が持つべき権限を持つような人材になっていただろう。おそらくバレていないだけで悪人が大きな権限を持っている事例は既にたくさんあると考える方が自然だ。
今一度、お付き合いいただければと思います。
まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。
「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」
「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」
とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。
お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。
一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります。
たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。
しかし同時に、私が一方的にご親族を非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。
元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗の教義や宗旨そのものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております。
身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体と言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。
今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。
ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。
そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないかと検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。
また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います。
お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。
合掌
お釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、
と仰せになりました。
お釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実 = 悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。
100人いれば100通りのものの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事をねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。
信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。
信じてくださった方には、
とお伝えしたく思います。
法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。
どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。
という言葉を遺しておられます。理想的とはいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法は平等に一切に施されるべきなのです。
これは浄土真宗の三大経典のひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に対して、
と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております。
我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています。
さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。
たとえば、もしもあなたが、
「世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」
と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?
「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)」
「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね」
と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?
我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。
世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門の尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通の人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗の僧侶なのです。
という言葉で表され、また
と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。
であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。
ありがとうございます。しかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。
もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間と人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議な現象は、なぜ起きたのでしょうか。
今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり、私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。
すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています。
私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています。
と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対の事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき、今日まで生かされております。この歓喜と慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます。
真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります。南無阿弥陀仏。
件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。
「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」
と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。
結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏。
現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います。
準備ができ次第、こちらの投稿に言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。
最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれるきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます。
立食パーティーみたいな会場があって俺は警備をする係りになってた
エリアの外れにあるテントに料理があって何人か向かって行ったから俺もついて行って警備してたんだけど、一人がアンケートに記入してる途中に怒り出して、隣にいた黒人がなだめてたんだけどおさまらず、振り切ってどこかに行こうとしてるから、とりあえずそばにあった分厚いアクリルの物差しを武器にして追いかけて行って何かあったら止めるの命懸けだな・・・と思いながらついて行って
途中ロッカーに八つ当たりしてたので止めに入ったんだけど、英語できないし猛虎弁で止めてたら向こうも下手くそな日本語で怒ってる理由を説明してきて、なんとなくその場がコントみたいな雰囲気になって外人も収まってきたところで目が覚めた
Spotifyで2020年に海外で最も再生された日本の楽曲10曲のうち、8曲がアニメのOP
アニメが上位に来るのは外人も「アニメは見てる」ってことを意味してる。
同時に、「ドラマは見てない」ってことだよね。
日本人は洋ドラ見てるけど、外人は日本のドラマは海外ドラマとして全く興味ないってわけ。
そりゃそうだよね。
俳優ネタばっかだし、最近受けてるのは「バブル時代は~」「日本はすごかった~」「最近の若者~」ばっかで日本に住んでなきゃ微塵も面白くない。
そもそも単純な話として日本の実写ってアキラ・クロサワ以外は海外じゃ全く評価されてないから。
オサム・テヅカ、カツヒロ・オオトモ、ハヤオ・ミヤザキとアニメ映画に関しては海外でめっちゃ評価されてる。
でもそりゃそうだよね。
「バブル経済期の日本にいたパワハラ野郎に土下座の強要を倍返ししたらあ」とかそんなん言われて盛り上がるの日本のオッサンだけじゃん。
サウスパークやシンプソンズの日本人が「は?ちょっと今のついてけんかったわ」ってなるシーンだけでドラマの全パート構成した究極の身内ネタよね。
つまる所、日本製の実写は日本人向けの蛸壺の中でしか生きられない訳よ。
そしてその実写文化や日本のテレビ文化に寄生した日本でしか受けない番組群と、アニメ・マンガっていう海外でも生息できるクールジャパン群があるわけ。
その差が如実に出たよね。
別に悪いとは言ってないよ。
実写で海外と真っ向勝負なんてしても、胴長短足の日本人が主役で予算もろくについてないんだから返り討ちにあうだけ。
だから細々と日本人向けの日本でしか受けない作品を作ることで同じ物差しの上に並べられることを回避します。
でもそこに自覚的にはなるべきだと思うわ。
「センター試験でいいじゃん?」
それは違う。
まず何が違うかと言うと、試験勉強や運動は生まれついての能力による影響が大きすぎる。
試験勉強の場合は科目分けがされてしまっていて総合力の戦いにならない所がよくないし、能力に上限が決められてしまうのがよくない。
スポーツの全国大会はマッチングが機能しておらず、多くの選手にとって単に上位チームが下位チームを轢き殺すだけにしかならず大切なことが学べない。
大事なのは「自分と同じランクのプレイヤー、自分とは別の形で総合力を鍛えた結果、同じランクのライバル・仲間であるのだ」という事実を学ぶことだ。
動体視力、記憶力、知識、戦略立案力、情報収集能力、コミュニケーション能力、ムードメイク、メンタル、行動力、冷静さ、ゲームで強くなるための手段は非常に多岐にわたり、多くのプレイヤーが得意な分野と不得意な分野を持っている。
逆に得意な分野も不得意な分野もないプレイヤーはそれこそが、強みであり弱みという形でプレイヤーとしての個性を獲得してしまうほどだ。
その中でランクアップを目指し戦い続けるウチに人は死の受容にも似た段階的変化を起こす。
否認と孤立「俺の仲間はクソ過ぎる!こんなプレイヤーと一緒に遊ぶことになるのは何かが間違っている!皆クソだ!死ね!NOOB死ね!」
怒り「味方が弱すぎて俺の良さを引き出せない!このゲームはマッチがおかしい!敵が強すぎる!チーターだ!」
取り引き「暴言吐くのもキレて抜けるのも辞めるからもっとマトモな奴らと遊ばせてくれ」
受容「結局こいつら俺と同じランクってことは能力のバランスが違うだけで俺と同じ程度の総合力ってことなんじゃん」
ハッキリ言うが、この過程を経て無い奴と一緒に何かをするのはマジでキツいものがある。
特に仕事で自分の強みの素晴らしさばかり主張して弱みはどうでもいいことであると抜かし過度に自己を評価して他社を批判するやつは、カスだ。
チームの士気がクソほど落ちる。
すごく優秀なのにしょぼい企業にいて、そして物凄く性格が悪いというタイプがいるのは、結局ソイツの総合力が低いからに他ならない。
逆に性格はいいけど能力がしょぼい奴であっても、自分の性格の良さに対して周りがクズすぎるのが総合力の低さから来ていることを自覚していない人間はチームメイトとして考えると微妙だったりする。
自分の価値を正しく判断する能力を現実で身につけるのは難しい。
結局、勉強やスポーツといった物は一部の能力が秀でていればその一本だけで勝負してしまえて、価値観がタコツボ化してしまうのだ。
自分の能力すべてをぶつけ、その上で自他の持ちうるスキルの多様さに気づく機会を現代社会でまともに得られるのは、ランクマッチ式の多人数PvPゲームくらいしかない。正直ゲームを義務化するなんて主張がイカれてるのはよく分かる……。
逆から考えてみればいい。
つまるところ人間(生物)が持つ性質の大部分は自然淘汰に対して有利な物ばかりだ。
ここでデブ(バカ)向けに補足をすると、これらは「生き残ろうとする意思の結果」ではなくて「たまたまランダムに持った性質のうち生き残りやすいものが残った」というだけだ。
そうだな……君が無造作に粘土を捏ねて作った物体をお盆に並べてそれをグラグラと揺らしたとしよう……するとその中で球体に近いものや滑りやすいものは下に転がっていき、より摩擦を獲得しやすいものや傾きにくいものがグラグラに耐えてお盆の上に残るだろう。
しかし、それに対して、丸いものよりも角張った物が形として全面的に優れていると論じるのは暴論でしか無いことは肥満の人(頭悪い人)でもご理解頂けるだろう。
自然淘汰に対する耐久力を優劣として判断するのは、単なる物差しの一つでしかないのだ。
しかし、自然界においては子孫を残せなければそもそも存在できないので、いま地球にいる多くの生き物は、自然淘汰を乗り越えるような性質をいくつも"持ち合わせられてしまっている"のだ。
人間がカロリーが高いもの美味いと感じるのは、人類が子孫を残すのにおいて非常に有利な性質だ。
人間が甘いと感じる糖が多く含まれたものは栄養価の吸収効率が高く、それを積極的に求める生物はカロリー不足に陥って死ぬリスクが当然のように低くなる。
だが今度は逆にそういった食べ物によって肥満化しやすい連中が子孫を残すのが不利になるという逆転現象が起きている。
これもまたある種の淘汰によって獲得した性質だ。
必要以上のカロリー摂取は無意味な体重の増加という形で余計なカロリーの消費を生み出し、群れ全体にとっての餌場の効率(ナワバリの範囲と生活可能な日数の比率)を低下させることになる。
もう一度逆から考えてみよう。
つまり、人間が本能的にカロリーが高いものを美味いと感じることなど、「自然界で生き延びやすくなるにはどちらが有利なのか』という物差しを当てて考えれば、自明でしかないのだ。
遊びには2種類の側面がある。「現実」と「非現実」である。 ~俺~
俺が求めていたゲームってのは現実から離れて自由に遊べる非現実空間だったんだ。
何も考えてない人向けなJ-POPで歌われる「リセットボタンで全てが終わるテレビゲーム」こそ俺のやりたいゲーム。
そこに帰ってくるのに10年の歳月を要した。
いつからかチームプレイゲームで勝ち負けを全てとする割に自分は下手くそで、それを認めたくないばかりに味方のせいにしてばかりいる荒らしになっていた。
気晴らしに一人プレイゲームをやっているときでさえ、実績の達成率が気になってしまい動画攻略をなぞってクリアしては「この実績持ってないやつの発言とか無意味やぞ?」「動画見てクリアの何が悪いんだよ努力ってそういうものだろ?」と掲示板やチャットで連投する荒らし行為を続けていた。
違うんだ……俺が求めていたゲームはこんなんじゃない……5年前にはそう気づいていたが、今ここで逃げたら敗北を認めるような気がして必死に誤魔化しながら自分の中のゲーム像と戦っていた。
ようやく答えが出た。
俺はJ-POPの歌う「リセットボタンで全部が終わるヌルい世界」が好きなんだ。
「現実と地続きでもって生まれた動体視力、計算能力、情報収集力、コミュ力、それらを複合した総合的なゲーム力によって優劣が決まる世界」は、間違って渡ってしまった橋の先にある別の島だったんだ。
『横断歩道の信号待ちで、本当に渡りたい側が赤信号だった。そこと直角に交差する別の信号が青だから、折角出しさっきにそっちを渡った。でもそこでそっちを渡ったのは完全に間違いで、でもそれを認めたくないから目的地の近くまで反対の岸をあるき続けたら、引き返すタイミングがなくなってしまった』そういった経験が誰にでもあるだろう?
ヌルいより、ストイックが偉い。1人プレイより、複数プレイの方が高度。実績を持ってる奴が正しい。ランクが低いやつはノイズ。勉強してない奴は発言するな。本当に好きならやり込める。結果を出すのが愛の証明。そういったゲームコミュニティのなんちゃってマチズモに振り回されて、間違った場所でずっとゲームを遊んでいた。
かわいいキャラクターと一緒にスローライフを送るゲームを、やたらノンビリ遊んで周りから「Aさん。もしかして行き詰まってますか?ゲーム内時計を弄ると~~」みたいな余計なアドバイスを貰うようなペースで遊んでも良いんだ(この話はフィクションです)。
実績が意味を持つ世界を生きるかどうかは、プレイヤーが決めるものだ。
ランクってのは同じ強さのプレイヤー同士がマッチするためのもので、高い人が偉いってものじゃないんだ。
でも、そういうのはもういい。
俺はもう現実と非現実の間にあるパイプラインを徹底的に切り落とし始めたから。
1人でのんびり遊ぶから、急いでトレンドを追うこともしないし、感想を誰かと語り合うことだってやめる。
プレイした本数でマウントを取るために有名ゲームを片っ端からやるのだってもう辞めた。
自由だ。
やりたい時にやりたいゲームをやる。
俺だけの世界にこもるための触媒としてだけゲームがあり、その世界のことを他人と比べることもなくした。
癒やされる。
どうせゲームの世界なんて開発者の手垢まみれなんだから、別のプレイヤーなんて居なくても孤独になんてなりようがないんだよなあ。
いっそ寂しさを感じたかった。
なんか今度は、開発者の残した自己主張や価値観の声が煩く聞こえてくるよ。
どこまでも現実と地続きではあるんだなあ。
まずわたしは女で、ATSUGIのタイツやストッキングを愛用していたオタクです。
今回の炎上を萌え絵(と括るのも抵抗はありますが総称として)使用以前のディレクションという点でまとめたいと思います。
理由としては、主要顧客であった女性が引いてしまい同社の製品を手に取ることを躊躇う状況ができてしまったためです。
新規顧客を掴むためにうったPRでであれば従来の顧客にそっぽを向かれるのは本末転倒です。
性的か否かは個人の物差しなので、その目線は極力排除して、ディレクションという点で考えたいと思います。
2)商品が見えない
3)ファッション性
完全にディレクションされていないと感じた部分の1つです。
これは絵柄についてではなく、季節感やシチュエーションの統一についてです。
PRは11/2の「タイツの日」に合わせたもので、PR先はこれからタイツを購入する人たちです。
これが通年の「ATSUGIという社名・商品を知ってほしい」というPRならおおよそ合致しているとは思いますが、だとしたらむしろ秋〜冬のイラストが多すぎると感じました。
また、シチュエーションの貧相さも気になります。多くが「働く女性」か「学生」で、例えば友人と遊びに行く私服のイラスト、1人の時間を楽しむイラストなど、女性の私生活に寄り添ったイラストが少ないのが気になりました。
こんなに沢山のイラストラーターに発注するのですから、出来うる限りシチュエーションが被らず、いろいろな趣味・仕事・生活をしている女性を満遍なく配置したいと思うのがディレクションでしょう。
またツイート方法も違和感があり、ATSUGIアカウントではなくイラストレーターのアカウントでツイートする方法は会社のPRとしては不適切です。全て統括して企業アカウントでツイートするべきだったと思いますし、イラストには企業ロゴを入れ「企業の企画であること」を主張するべきです。
2)商品が見えない
次にこの問題ですが、イラストを見て商品の良さや特性が分かりにくい問題があります。
イラストを見て「この商品は電線につよい」「足が細く見える効果がある」「おしゃれにみえる」など、タイツやストッキングの付加価値が分からないのはファッションPRとして不十分です。
これは1で書いた「統一性」ともリンクするのですが、ほぼストッキングか黒タイツといつシチュエーションの少なさも問題だと思います。
商品・服装の指定をしたとの説明も見ましたが、ならば企画側が商品の見せたい部分・特徴をきちんと説明してその部分を見せられるイラストに修正しなければいけないと思います。
イラストレーターさんも商品が指定されていたのなら特徴部分を隠して描くとは考えにくいので、指定の有無についてはきちんと明言してほしいところです。
(今後、イラストレーターさんが「あの人は指定を無視して納品してくる人」と思われてしまうのはかわいそうすぎます)
3)ファッション性
これは声を大にして言いたいのですが、ファッションにリアリティがないものが多すぎます。
今年のトレンドを入れたほぼ皆無です。
たしかに今年のボトムスのトレンドはロングスカートやワイドパンツ、女子高生のスカートも長めなどのタイツが見えにくいトレンドですが、だからこそ「どうやって着たら良いのか」を提案するべきです。
全てを今年のトレンドにする必要はないと思います。これも色々なシチュエーションが欲しいです。
メイド服もメイド喫茶で働く方やコスプレをしたい方には刺さるでしょうし、タイトなミニスカートもショートパンツもその服を好んで着る方はいます。でもそればかりでなくロングスカートとカラータイツの色合いで楽しむイラストや、エキセントリックな色の組み合わせのイラストや外で子供と遊ぶお母さんのイラストなどがあった方がATSUGIの商品の幅も見せられてよかったのではないでしょうか。
イラストレーターさんの中にはもともと女性向けに描かれている方やファンタジー系の絵が得意な方もいらっしゃいました。その得意分野を活かしたイラストをディレクションしてあげられなかったのは悲しいなと思います。
最後にこの問題ですが、少し感情に訴えかける部分があり、わたしもまとめきれていません。
ただ、主要な消費者である女性はちぐはぐな季節感、使用方法、シチュエーションの少なさに対し敏感に「自社製品に対する愛のなさ」を感じたのではないでしょうか。
それは使用者のリサーチ不足や雑さを感じさせ、疎外感を覚えたのではと思いました。
タイツやストッキングは「仕方なく着用するもの」や「防寒着」であり「自分を美しく見せるもの」でもあります。
「自分を美しく見せるもの」は男性の目線を気にするということではなく(その場合もあるでしょうが)「自分のテンションを上げるため」という側面があり、それは仕事や通学以外にもいろいろな場面で発生します。
そのリサーチがされていないように見える企画に一歩引いてしまったという印象を受けました。
おそらく適切なリサーチ・企画・ディレクションをされていないために起きた問題だったのではないでしょうか。
広告は「美しいイラスト」だけでは成り立たず、運用方法や魅せ方がとても重要です。
もっと慎重に企画を練り打ち合わせを重ねてPRをして欲しかったと思います。
最初に言ったようにわたしは女でありオタクです。萌え絵もかわいいと思いますし今回のイラストをオタクとして見た場合は素敵なイラストだなと感じると思います。
この企画がうまくいっていれば「萌え絵とファッション」という分野が確立され新しい広告の打ち出し方が出来たのではないかと残念に思います。
肌感覚ですが、10代の方達は上の年代よりイラストに対して柔軟に捉えているとは感じます。
その若い年代にファッションを紹介するという点で、萌え絵と呼ばれる分野は武器になる場合もあると思うのでその方向が炎上してしまったのは悔しいです。
まとめきれていない上に長ったらしいですが、今回の炎上は広告屋目線で興味深い案件でしたので、メモとして残しておきます。
どこにも書けなかったけどタイツの売り上げをあげたいのならリモートで家からあまり出なくても着用したくなるようなPRイラストも欲しかったなぁ。
地元は人口10万足らずのしょぼい町だったので勉強はできた方だったけど、「お勉強ができても〜」から始まる言葉は耳にタコができるくらい聞かせられた。
もちろん正論もあった。お勉強ができても遅刻する奴は信頼を失う。でもその2つって関係なくね?なんでそんな否定から入るのか疑問でならなかった。
そして勉強できない奴ほどいつだって無能だった。言われたことを理解し解釈する能力は総じて低かった。総じて、だけど。
こういうレッテル貼りってのは他者を理解することから最も遠い行為であることは重々承知しているがそれでも疑問に思う。学歴の機能は消えないのでは。
大学に出てきて、僕とは違う境遇の人や、他大の人も含めて色んな交友を持って思った結論がある。学歴は「積み重ねられること」の指標なのではなかろうか。ぼかした表現だが、ある程度の学歴を手にするには、よっぽどの天才や舐めプ㌠を除いて積み重ねが肝要なはず。学がなくても成功している人(卑近な例はアスリート)もその能力はかなり高いはずだが、一般的に分かりやすい物差しがお勉強ができるかどうかなんだろうな。Upper sideの選別よりもDowner sideの足切りとしての機能の方があるのかもしれない。
…とここまで書いて思ったのはこれってブラック企業の思う壷でしたね。