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2020-10-21

anond:20201021182706

知性のレベルってどう測るのかな

大学出てても頭が悪いはいるし、学歴という物差しだけでは測れない気がする

つの目安にはなるけれど。

2020-10-19

寒くなってきて鍋の増田シーズンだよダンズーシ出す魔延べな的てっ鳴く武佐回文

おはようございます

急に寒くなってきたから薄手の上着羽織るようにしたわよ。

油断してたらマジ風邪引くから気を付けないとって、

そう思う反面!

ベーナーこと鍋が美味しい季節到来じゃないかしら?

白菜も美味しくなってくるし、

キノコも美味しくなるじゃない。

私面倒くさいからって

シメジしか使ったこと無かったんだけど、

美味しそうなドン椎茸があったから、

それ煮てさ焼いてさ食って食べたらさもの凄く美味しいわけ!

ああ私は人生もったいないことドン椎茸してたわってしいたげられそうだけど。

結構キノコたくさん入れると良い出汁出るから

いろいろなキノコ具だくさんの鍋もいいかもしれないわね。

まあ鍋の話しはさておき、

たこんな時間になったのは、

コロナ禍のせいでより一層隣の部署の上の人たちが機嫌悪いらしいのよ。

らしいって言っても、

実際めちゃ悪いんだから

とばっちりマジ勘弁してくだ埼玉!って感じだから

まらないことで火の粉を浴びたくないわ!

土日休んだだけで、

やる気が無い!って、

なんかそんな物差しで全てを測らないで欲しいわ!って思うの。

土日出ていればいいのかよ!って言う問題もあるわけじゃない。

まあそれはさておき、

そういう所には近寄らないことが一番いいのかも知れないわね。

ご機嫌悪いのが染っちゃうわ!

みんなもきをつけてね!

うふふ。


今日朝ご飯

朝忙しかったので、

おにぎりだけは頬張りながら食べたわ。

デトックスウォーター

ちょっと寒くなってきたから、

昆布ホッツウォーラー

鍋作ったとき昆布水を作っておいた副産物としての

昆布ウォーラーよ。

寒くなってきたのでどうか身体冷やさないようにね。

自愛下さい。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-10-17

anond:20201017143210

純粋に聞きたいんだけども

自民経済政策じゃなかったら今より良かったってのはどんな根拠があるの?

他の政策を取った場合比較は出来ないわけで

自民政策だったら不景気をここまで押さえられたって可能性もあるわけじゃん

本当に自民ダメと言われてもピンとこないんだよ

どういう物差しで現状は不正解ダって言ってるのか分からんまじで

例の漫画が心をざわつかせる 己の無能世界の狭さを感じさせるから

例の漫画読んで最初の印象としては

ひでぇ扱いだしありえないわと思ってたけど

いろんな感想、とくにクリエイターと呼ばれる人達感想を読んでて、これは自分の見てる世界が狭かったし

もっといえば自分が正しいと思ってたことは、無能に対して正しいことでしかなかったことに気付かされ非常に心がざわついた

あれが例えば何でも描けるといって凄いクオリティだけど、仕様書無視した独断の内容を書いてきて、それではチーム作品としては成り立たないってことを学ぶ内容なら納得したんだけど

あの話ってそうじゃなくて、何でも描けるって言った娘は実際に何でも描けるし、仕様書ちゃんと目を通して要望通りのものを作っててそのうえでダメ出し食らってるんだよね

その上で「もっと具体的な指示を~」ってこれまた真っ当過ぎる正論返した上で、「そんなものあるなら自分でやってる」ってこれまたディレクションとしては最低としか思えないことを言ってる

正直自分常識じゃ最悪のパターンしか無いんだけど

全体見て優秀なクリエイター感想とか見てて理解ったが

恐らくこの最悪のやり取りがこの人にとっては正解なんだわ

一流の人だからこその期待とハードルの高さで、それを見抜いてるからこそのこの扱い

もっと人数増えた規模でディレクションやるとき、このリーダー絶対ほとんどのアーティスト指示書通りなら合格を出す

それは結局の所期待に値しない作業員からで80点とってればそれでいいくらいの扱い

自分が今まで経験してきた世界はこの80点とってれば合格の二流の世界で、二流しか見てないからこの一流のやり取りの正しさが分からなかっただけだった

あとバカ天才紙一重じゃないけど

豪語するバカと、豪語するに値する才能を持つ人は同じ振る舞いをする

二流の世界しか知らない自分にとってはこのリーダーみたいな振る舞いをわざわざしてくるやつは間違いなくただのバカ

そういう意味でも自分だけの物差しでは地獄しか見えなかった

そういうの気付かされるのが一番きつかったなこの漫画

良さが分からないこと自体が二流の証

2020-10-16

anond:20200813190424

まだ見てるかわからんけど一応

定量化はしてない。できない。ただ目盛りのない物差しくらいになればいいと思って書いた

・「現実世界における現実感のみを重視する」かどうか、というのはアとイの基準を重視するかどうか、と言って良いと思う

面白いものをつついてつまらなくしているのではなく、つまらないと言われているものをつついて理由を探っているにすぎない。

2020-10-07

anond:20201007200409

女の物差しで男を測ってレベルが高い低い言うこと自体ナンセンス

女の理屈頭が悪い

女の皆さん、もう少し知能の高い話をしてね。

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

anond:20201006215439

マッチングアプリ需要の有無を物差しにして、一体なんの意味あんねん。

非モテ女性存在というより、俺は非モテ男として苦しんでるという主張だけで良くて、非モテ女性存在なんて、あんたの苦しみとなんの関係も無いだろ。

2020-09-26

背中をさすってくれるバンド

はじめて増田になる。

この気持ちを書くことをとても迷った。それでも、たとえ匿名と情けない状態でも言いたくなったのでどうか怒らないで読んでほしい。

BUMP OF CHICKENギター直井さん(以下チャマ)の不倫報道についての私の個人的気持ちだ。

   

ラインニュースチャマ不倫を見た私は、まさか文春砲があのBUMPに!くらいの気持ちしかなかった。

正直どうせ嘘か、そこまで問題になるとはないだろうと軽い考えで記事を開いたのを覚えている。

 

しかしその気持ち記事を読むにつれて薄れ、心の底からチャマ嫌悪した。

 

 

家庭があることを浮気相手承知した上で不倫関係に及ぶことがある。

それは「私たちはこれから家族を苦しめますよ」という同一認識を持ってお付き合いを始めている。だからこそ不倫は人を故意に傷つける行為であり、慰謝料の支払いや世間体が悪くなることも覚悟の上でお付き合いをするものだと私は考えている。

そんな覚悟を持って、人を愛するなんてすごいなとある意味一目置いてしまう。もちろん、そんな考えなんて一ミリも考えずに、ダラダラと甘い蜜を啜りたい一心な人ばかりというのもわかるっているけれどね。

だってそんな覚悟があるならさっさと離婚して一緒になりなよとも思うから。前提として私には不倫理解できないものであった。

    

チャマ不倫上記のような不倫ではなかった。

被害者は知らぬうちに不倫相手にされていて、一歩話が進めば結婚詐欺になったのではと思う。

もしこの被害者が私のような考えの持ち主だとしたら「自分が人を傷つけていた」事実に悩むのも無理ないと彼女に心から同情した。

 

  

チャマは家庭がありながら、そのことを隠し被害者女性を騙している。妻子がいることを突きつけられたら、被害者女性小馬鹿にし別れを告げたとかかれていて、しか被害者女性の両親にまで会っていた。

女性の両親と食事をするって相当親密な関係だと思うし、妙齢女性であれば結婚意識もあったのかもしれない。そしてそのような状態であることを周囲も微かにわかっていて、被害者彼女だけではない様子…

週刊誌記事だし、ここに書かれていることが誇張された内容であることを祈っているけれど、はっきりと言って人として最低の行いであ倫理観が欠落している。

チャマからすれば短絡的な行動なのかもしれないけれど、しっかりと一人の女性人生を弄んで、故意に陥れていた。

また、周囲もそのような状況を容認していたとなれば彼の周辺環境全てが真っ黒に思えてくる。集団ゲームのように陥れていたのでは?と、悪いように考えることはいくらでもできてしまものだ。

 

もし、自分がそんな行動を起こされたら相手のことを「あん人間に引っかかるなんて運が悪かった。次は気をつけなきゃな〜」なんて軽く思えるだろうか。

自分価値を踏みにじられ、自尊心を傷つけられたのに、その男は今も笑ってその音楽は街中に響く。

そんな状況に耐えられるだろうか。

彼女泣き寝入りしろなんて言えるのか。

 

…こんなの私の憶測で、全部妻子がいると知っていて初めから週刊誌記事を売ることが計算だったのかもしれないし、本当のことなんてわからないけれど、私は彼女の起こした行動を責めるなんてできない。

  

  

彼女が心優しい人だった時、きっと彼女はこの記事を出そうと出さなかろうと悔やみ、悲しみ、自分のことを責めたと思う。

 

そっと声をかけたい。

お疲れ様でした。これから素敵な人生がありますように。前を向けますように。

 

「俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドなわけだから

BUMP背中をさすってくれるバンドだ。

私にとっての涙のふるさとを一緒に探しに行ってくれて、心が荒む時、どうしようもなく迷った時、一緒に泣いてくれるバンドだった。

これでもかとつらいことや、理不尽で、どうしようもならないことが、この世の中にはたくさんある。きっと被害者にとっては今回のことはそれに当てはまるだろう。それでも泣く場所をくれて、楽しませてくれて、元気に前を向くように促してくれるのが音楽で、私にとってそれはBUMP音楽だ。

 

残念なことに私は彼らの音楽が未だに大好きである

才能と人格は一致しない。音楽に罪はない。

そうは言っても今回のことを受けて、BUMPの曲を聴いて傷つけられる人がいる。

このことの被害者チャマ家族不倫関係にあった女性達だけじゃなく、メンバースタッフファンにも及ぶ。きっとファンだって彼らの曲を聴いて苦しくなる人が出てきてしまう。…きっと私がまだBUMP音楽を好きなことは、彼らの音楽がそういった人たちへ届く機会を増やすだろう。

背中をさすってくれた手が、他の人の心を殴って傷つけていたと知って戸惑わない人はいない。

それで嫌いになったって仕方ない。それでもやっぱり好きなら、それも仕方ないことだ。

 

Twitterでは、不倫相手雑誌に話をしたことが気に食わないだとか、バンドマンなんだから関係だらしなくて当たり前だとか、これで活動休止したらどうすんだ、なんて相手女性逆恨みするかのような発言が見えるけれど、悪いのはチャマだ。因果応報彼女を叩くのはお門違い。

そして、このくらいのことでファンをやめるなんて本当に好きだったのかと、人の好きの度合いを測ろうとする人の多さも解せない。

好きだからってなんでも擁護するのはおかしいし、それは盲信するただのやっかい信者だ。なんでも許される神様をつくろうとしてるだけ。

私は同じ人間として、彼らのことが好きだ。好きだからこそ許せないこともある。人それぞれの物差しがある。好きの度合いだって個人差だ。

反省するべきなのはチャマ本人だけ。活動休止、残念だけど私は少しほっとした。お咎めなしで帰ってこられても受け入れられないと思っていたから。

 

しっかりと自分を見つめ直してほしい。

そして帰ってきて、私たちに泣いてもいいよっていってくれていたみたいに、ファンとして彼の背中をさすっていきたいと思う。

長い日記読んでくださってありがとうございました。

2020-09-19

人は怒らない方が良い

怒る人が苦手です。

もう少し正確にいうと、怒ってる人が苦手です。

もうちょっと正確にいうと、怒ってることを態度に出す人が苦手です。

さらに細かくいうと、人が怒ってることを態度に出しているとき、苦手です。

もっというと、怒ればまわりが勝手自分気持ち良いように動いてくれると期待している状態の人が苦手です。


腹が立つことは誰にでもあります。(たぶん)

でも、それを表に出すかどうかって実は大事分岐点だと思うんです。


持論で恐縮ですが、人が怒る場面ってざっくり二つあって、ひとつは予想に反して悪かったとき、もうひとつは予想通り悪かったときです。

どちらにしろ、怒る人は相手の実力を見誤ってるか、付き合う相手を間違えてるんです。

また持論で恐縮ですが、人が怒る動機もざっくり二つあって、ひとつ相手に恐怖を与えたいとき、もうひとつ自分を落ち着かせたいときです。

前者の場合、残念ですが大抵の場合効果はありません。

あなたに怒られないようにうわべを取り繕うことはしても、不満が残るだけで根本的には変わりません。

他のことでまたあなたを怒らせるでしょう。

それでこの場は満足だと言うのならそれで良いのかも知れませんね。

後者場合、怒るのは時間無駄です。むしろ逆効果です。

散歩にでも出た方が良いのではないでしょうか。

怒るって、自分は変わる気がないという表明なんですよね。

いま自分が怒っている原因を相手だけに押し付けている。他責はなはだしい。

お前の行動が不愉快から改めろってことでしょう?

それって自分の方が正しいと信じている状態だと思うんですけど、その確信はどこから来てるんですかね?

自分常識の方が相手常識より優れてると思ってるんですよね?

それって恥ずかしくないですか?

相手がその言動に至るまでの全ての試行錯誤や思いやりや葛藤想像範囲内で、それには価値がないから俺の価値観を教えてやるってことでしょう?

失礼極まりないですよね。

いや自分が怒るとき絶対相手が悪いんだって言えます

それ自分物差し相手を測ってますよね?

いや、わかりますよ?どうしても価値観が相容れない人はいます

どう考えてもこいつはしょうもないって思ってしまうような人はいます

だったらもう怒るのはやめて関係を切ったらいいじゃないですか。

もしあなた事態改善を望むのであれば、あなたがやるべきことは怒ることではなく、環境もしくは自分を変えることです。

他人は変わらん。

もうちょっと正確にいうと、変わることはあっても、変えることはできん。

からの影響で人は変わらん。

だって不快からぶって赤ん坊と同じじゃないですか。

泣いたらまわりが気持ち良いように動いてくれるって期待しているんでしょう?

不快アピールしたらそれに居心地の悪い誰かがオムツ替えるみたいになんか良い感じにしてくれるって思ってるんでしょう?

残念ながらそうはならんよ。

あなたが守られる対象ではない場合、怒ることはあなたを大切に思ってくれている人を遠ざけることにしかならない。

自分改善に向かわなきゃ。

逆の立場で考えてみたらすぐわかる。

不満を撒き散らす人よりも、改善のために自分の行動を変える人のために動きたいと思うはずだ。

もしあなたが少しでも、自分は冷静で合理的ものを考えることができると思っているならば、いますぐ、金輪際、長期的に関係を続けていきたい相手に対して怒るのをやめるべきだ。

そして、俺はこんな文章を書いている場合じゃなくていますぐ素直に妻に謝るべきだ。

2020-09-14

若い頃の苦労は買ってでもしろ

みたいなことを言われるけどさ、あんたら老人に潤沢な資産があるように、俺の若い頃の時間資産なわけよ

それを自分たちに回ってきたお鉢がどうにも難儀しそうだからって、伝家の宝刀的にこの呪文を吐きつけるわけだけど、消費者がなにに資産を使って買うかが自由なように、俺の若い時間を使って買う苦労もこっちで選ぶんだから、いちいち自分若い頃を定規に変換した物差し突きつけてくるのはもうお腹いっぱいだわ

2020-09-12

同人ぼっちが本気でつらい

同人女の〜というバズりまくってるやつを見る度苦しくなる

あれは成功者物語

どんなに創作をして発表してもあのようにはならない人間一定数いる

仲間もファンもできない同人ぼっちにはとてもではないが夢物語しかない

ちなみに同人やってたら嫌でもTLが盛り上がるので自衛しろはもはや無理だから

Twitterやってりゃフォロワーや賛辞するマシュマロも定期的に増えるだろwっていうやつはお帰りください

マジでそんなのは絵師毎日交流しまくって義理マシュ交換やってるのくらいだから

こう言うと高尚様()って言われるかもしれんが、上手い人は素直に褒められるが上手い人しか褒めないと大手への擦り寄り()って言われてもう面倒過ぎる

界隈には恐らく嫌われて義理マシュも来ないのは良いが、ファンフォロワーも増えないしで最近段々つらくなってきた

私は人に読んで欲しくて同人誌を描いてる、で

イベントに行って本を出しても2桁出るかどうか

毎回買ってくれて楽しみにしてました!って言ってくれる人はただ一人

他にも毎度買ってくれる人はいるのだろうが、感想もなにもこないのでいないに等しい

そしてそのただ一人のために描くのがそろそろしんどい

私の作った本を読んでもらいたい、感想がききたい、そのために描いていたのに、仲間も増えずファンも一人

もっとワイワイキャッキャウフフできると思っていたのに、この物語はこういう考察意図があってとか語り合いたい

同人承認欲求に使うなと言われそうだが、そういうやつらこそ高尚様では?

あと趣味をどう自分の中で消化しようが自由でしょ

同人向いてないとか言うやつら、なにもわかってない

趣味に向き不向きなんて関係ないしお前の物差し勝手判断するんじゃねぇ

数年やって誕席も取れないなら実力ないとかいうやつら、同人は実力がなきゃやっちゃいけねぇのかよ

なんだか勢いだけで書いてたらとても支離滅裂になってきた

とにかく同人ぼっちはつらい

2020-09-03

anond:20200903183846

ていうか今でもポップな明るい作品は人気だし昔にも人気の病み作品はあっただろ

そして萌えという言葉はその両方を含んだり含まなかったりする

萌えという古いうえにぼんやりした言葉をむりやり物差しにして何か測ろうとするからよくわかんなくなってるだけでは

2020-09-02

anond:20200902125133

じゃあ卑劣かどうかという尺度がどう特別なの?

それは「本人が辛いかどうか」より重視される尺度なの?

違うよね。

小児性愛への批判を最大化できるような物差しを都度持ち出してきてるだけだよね。

2020-08-27

この素晴らしい世界

ゴキブリ駆除されるが、小型犬は捨てただけで法に触れる

理由なんて簡単さ、そこに美しさがなかったか

フィクション世界で、ゴキブリ人間駆除しようとしたり、猿が人間支配する惑星が出てきたりしたけれど

他を圧倒する種が存在すれば、その種族にとってどんな有効価値があるかによって、他の生き物の存在価値は決定される

群がる小蠅はシューッと殺虫しましょう

豚や牛は美味しく頂きましょう

愛玩用ペットは大切な家族です

減らし過ぎた種は護り、増えすぎた種は間引きましょう

別にアニマルライツを訴えたいわけではありません

だって根本的には人間同士でも同じだから

何千年もの間、隣接する地域では縄張りを主張し合い、殺し合い、

強者弱者を隷属させ、支配する

それが世界史で習った人間歴史です

殺し合う必要性がなくなった近代文明国でも、富や美貌や知能など

その社会構成員を傅かせるに値する、何らかの有用性を持った人間は、そうでない人間に較べ、貴い存在なのです

仕事に貴賎はありません、もちろん人間にも、その他の動物にも貴賎なんて存在しない

ただヒトの意識の中に貴賤があるだけです

有用存在か、そうでない存在かによって、いや意識的ですらなく、それは無意識のうちに既に峻別されています

大局的に見れば、人間もその他の動物も、この絶えず変化する森羅万象の一構成物に過ぎません

人間のカラダに多数の菌が常在し、血が巡り、細胞が分裂を繰り返し、やがては死に朽ちて、土の中に還っていくのと同様に、

莫大な宇宙から見れば、個の人間も菌や細胞と同じようなものです

物差しで自他を推し量りながら、最期はみな、有とも無ともいえない、かつて在りこれからも在り続ける所に還っていく

それは虚しさでもあり、優しい救いでもあるのです

2020-08-26

世の中ばしっとルールが決まってないものの方が多いんだなぁ。

社会的通念とか一般常識とか、そんなフワッとした物差しで可否を決めてる。

情報源テレビ新聞である程度限られた世界だったら統一見解を決めやすいけど、今後どのような情報に触れて育ったかによって価値観バラバラになっていくと、ルールが決まっていない物事については線引きを決めるのがものすごく難しくなっていきそう。

2020-08-23

コミュ障お悩み系テキスト、何回か書いてるけど、なんかいアドバイスない?(他力本願)(昼age

anond:20200823040256

anond:20200628203344

どうすれば話し相手が作れるのかよくわからない anond:20200628151842

anond:20200629204615

あと別の視点で言うと、

雇用話題でいうと「コミュニケーションだけできて何も実務ができない、専門スキルがない人間よりは、コミュ力に多少問題あってもスキルがある人間のほうが評価されないとマズくない?」という視点とか。

学校会社にかけての評価基準でいうと「頭が良くてコミュ力があるエリート暮らしやすいように自分物差し評価するわけだから、それにそぐわないものが低く評価されてしまうに過ぎない。だから気にしなくていい」という見方。(でもそのエリートの作ったテスト得点を取らないと実際生きづらいわけですが)

2020-08-21

私がこのブログで書く内容を簡潔にまとめると、高校の頃の担任に言われた呪い言葉についてだ。

彼は簡単に放った言葉だったと信じたいけれど、これから先の人生の中で何度も何度も私を引き止める言葉たちだから、どうせならここに全て置いていきたい。

どうかこのブログ担任アカウントまで届きますように。決して高校の目には止まりませんように。担任の鍵垢、知らないけど。

本題に入る前に私と高校、そして担任について説明をする。

私は去年まで高校生だった。3年間クラス替えが無いクラスで、結果的担任も変わらなかった。

まず最初に伝えたいのは、全国の女子高生がみんなJKブランドを持っていたら大間違いだということ。JKブランドを持てるJKは限られていて、少なくとも私の高校にはJKと呼べそうな子はいなかった。

当たり前だ。制服が泣きたくなるほど地味な偏差値60前後自称進学校なんてそんなものだ。みんなJKブランドなんか知りませんという顔をして、晴れの日は暑い、雨の日は重くなる膝下スカートを履いて登校する女子高生だった。たまに都心に出る時はスカートを引っ張るんだけどすぐに落ちていくし、ウエスト部分がゴムじゃないから巻くとお腹の部分が膨らんでいた。

校則も厳しかった。メイクをすることも髪を下ろすことを禁止していたため、中学校ほとんど変わらなかった。「ここを望んだのだからここのルールに従いなさい」こんなことを集会で言われた記憶がある。

こんな高校生活だったから早くに女子高生を諦めた私(周りはどうか知らないけれど)は大学では自由になりたいと願った。だから1年生の夏休みの宿題だったオープンキャンパス巡りで都内女子大を中心に巡った。

オープンキャンパス巡りは夏休み明けの個人面談活用する媒体だった。担任になりたい職業や行きたい学部を絞っていく。1年生の秋だったから、みんななんとなくの個人面談だった。

私は今のところの第1志望担任に伝えた。すると困った顔をされてこう言ったのだ。

「そこの大学に通う子と○○(私の苗字)は会話が合わないよ?うちと偏差値が5〜10違う高校の子が通うんだけど、わかりやすく言うと中学校の頃みたいな感じかな。その子たちと一緒に勉強してもいいの?」

ます志望校を変えろとでも言いたいのか。さもその女子大に通ったことがあるかのように担任は話していた。私は「会話が合わない」という言葉が何よりも悲しかった。16年間生きてきた中で会話が合わなかったことは無かったし、偏差値で人を測る担任が素直に怖かった。今の私だったらてめえの物差し勝手にはかるんじゃねえ、くらいのことは言う。

これが1つ目の呪いになった。

2つ目の呪いは2年生の修学旅行前に起きた(起こした)。前述した通り、私のクラスは3年間クラス替えがない。その中で1年半一緒にいた友人がいた。運動会文化祭もその子たちと回っていたし、修学旅行の班も

2020-08-04

ちんちんの話

なんとなく なんとなーく思い立って、

ロートークの最中彼氏

自分ちんちん好き?」って尋ねたら

「好きだよ」って即答された

私は自分の胸や性器好き嫌い物差しで測ったことが無かったから少し驚きつつ

「どこが?」って聞いたら少し考えた後に

「大きくなるところ」って答えた

そっかあ 私の胸と性器は大きくならないもんな〜

って納得は うーん できたのかな どうかな

みんなはどう思う?

2020-07-28

anond:20200728131956

人間はいろいろ物差しがあるから役には立つよ

でも実際オス同士メス同士だと生物的には繁殖の役に立つ確率ほぼゼロやん

ペンギンとかは同性ペアでも温め放棄の卵の世話したりするらしいけどな

2020-07-27

自己肯定感に目覚めたことはないけど自己否定感は克服した

自己否定感の正体に気づいたらアッサリ克服できた。

正体は今までかけられてきた呪い言葉の数々。

そんな他人を呪ってまわっている連中ってのは、自分物差し絶対だと思いこんでるまさしく無知蒙昧な輩。

世界を測る方法無限尺度が有るということを何万回も説明されてなお理解できていない能無し。

無知の知にたどり着くという中学校哲学時間で習うレベルのことが出来ていない連中の言葉などまともに受け取る価値なし。

そんな簡単なことに気づくのに時間をかけすぎた気もするが、まあつまり他人が無根拠適当に当てた物差しでどんな測られ方をしようとソイツの勝手思い込みだろって跳ね除ければいいというだけの事だったのだ。

ここに気づくと本当に楽になった。

必死自分が立派に見える物差しを探すのもいいけど、物差しの形も目盛りの振り方もあて方も無限存在するという事実を受け入れるほうが自分には楽だったよ。

でもこの道はこの道であらゆる価値観が絶対性を失ってしまうから絶対的な何かがこの世界にあってほしいと思う人には向かないかもね。

絶対的な解決策などないし、このやり方が完璧でもない。

それは間違いない。

でも自分にはこれが性に合っていたのはまあ事実だと思う。

あくま自分直感が出力しただけの頼りない論拠でしか無いがね。

2020-07-24

作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい

隠す意味いか最初に言うけどジャンプでやってる「ぼくたちは勉強ができない(以下ぼく勉)」の「武元うるか」ね。

ぼく勉がどういう漫画かっていうといわゆるハーレムラブコメで、唯我成幸という主人公と周りの美少女勉強を通して仲良くなってく話。

うるかがどういうキャラクターかっていうと中学校の頃からずっと主人公のことが好きでいっつも元気だけど恋愛には奥手なタイプ。まあいわゆる幼馴染枠で、よく敗北ヒロインって言われるタイプの子

の子もご多分に漏れず敗北者扱いされて、なんかある度ネットで敗北者敗北者言ってネタにされたわけよ。

まあネットネタにされたところで気にするようなことでもないし、ラブコメで好きになるようなタイプの子は大体振られちゃってるし、まあ髪型褒められて泣き笑いしてるところが最高に可愛かったからこの子応援していこうくらいの気持ちで読んでたわけ。

そんでまあ紆余曲折あったけど、成幸に好かれようと色々努力してきた、そんな彼女が長年の恋を成就させたわけよ。まあ喜んだよ。嬉しかったよ。大好きなタイプキャラクターで、絶対無理だろうなって思ってて、でも3年間見守ってきたんだから

センター試験怪我した成幸を助ける話とか、バレンタインで5年間伝わっていなかった気持ちが全部伝わったところとかいい話もあって良かったよ。そりゃもうこの上なく幸せだったよ。

まあその次の週にパラレルストーリーやります!!全ヒロインルート描きます!!って発表されたけど。

は? ってなったし日和ってんなとは思ったけど、まあ作品自体も好きだしとりあえず読もうかくらいの気持ちはいたよ。

うるか最終回最後の余韻を台無しにされてサプライズ前座扱いされたことはまあ不愉快だったけど、まあ落ち着いたから読んでみようかくらいの気持ちはいたよ。

それでまあ始まった理珠ルートうるかときは成幸が悩む話がほとんどであまりコメディ色がなかったから、この感じも久々だなと思ってそれなりに楽しんで読んでたよ。で、個別ルート最後の9話目の最終ページがこれだよ。

うるかと理珠の最終ページを比較してる画像

……まあ。まあまあ。まあまあまあ。あ、この演出うるかだけなんだなとわかったときに怒らなかったかどうかといえばキレたけど。だからってまあ作者がうるかが嫌いだとかそこまでは思わなかったよ。

最終ページを擁護できる余地は欠片もないけど、それでもまあ読んできた話を全て台無しにするほどではないからまあさすがにそこまでは思わなかったよ。

追記

単行本の表紙もこれだからな。

17巻と18巻を比較してる画像

追記終わり

次に始まったのが文乃ルートね。

うるかイベントに重ねるようにセンター試験では成幸をかばって文乃が代わりに怪我をして、バレンタインではうるかが同じチョコを渡しても成幸は5年間渡されていたチョコが誰からのものか気づかず、うるか告白しても迷うことなく即振られる。

………………………………………………うん。

一応言っとくと公式自体うるかと対比させてパラレルストーリー解説作ってるからわざわざ重ねてんのは間違いない。あとうるかチョコが気づかれなかった理由も描かれてるのはわかってる。

ぼく勉って各ヒロイン長編回というナンバリングがついてる回があって、そこで過去にあった不幸な出来事を振り返ってそのトラウマ主人公が手助けして乗り越えさせるみたいな構成してるんだ。

それでじゃあうるかがいつ長編やったかっていうとやってねえの。一人だけやってねえの。

一応過去振り返ったと言えなくもないのが最後個別の9話でやった成幸が中学時代を振り返ってうるかに助けられたことを思い返すとこだよ。他のヒロイン長編別に個別ルートで9話やんのにうるか個別しかないの。もしくは最後の9話でまとめられてんの。

んで長編なかったけどセンターとかバレンタインとかが一応うるかがメインだからそれが代わりなんじゃないかって言われてたのね。それ踏み台にされてんの。バカにしてんのか?

別にルートが違うんだから単に同じイベントやるくらいならどうとも思わねえよ? これで例えば文乃がなんか好かれようと行動してたんならいいよ別にうるかときに他のヒロインにも告白させてたらそれでも何も言わねえよ。

でも文乃は怪我して以降好かれるまで何もしてねえの。受験直前の大事な時期だけど怪我したら好きな人毎日家に通って介護してくれて、バレンタインチョコ渡せなくって川に捨てようとしたら風に流されてほんとに落ちたところを好きな人が拾ってくれて、特に自分から何もしなかったけど一緒にいる間にいつの間にか好きになってくれて、「成幸くんがいいんだよ」の一言で惚れられましたって。

これだけうるかイベント重ねといて、好かれようと色々努力してたうるかより何もしてない文乃を好きになりました、うるか告白されても一瞬も迷わず振りました、好きになった理由はただ一緒にいたからですってまあ素敵なお話ですね。うるか努力を何だと思ってんだ。

これで好きになるんならうるかときでも文乃が告白してりゃそっち選ぶんだろ? 同じように努力してるうるかを秒で振って、何もしてない文乃を好きになってんだから。読んできた話自体台無しされたらさすがにキレるわ。

まあここまでやられるといっくらバカでも察するよね。ここまでやらないと気がすまないのってくらいやられるとさすがに理解するよね。ありとあらゆる面でうるか蔑ろにしやがるんだからまあそういうことなんだとわかるよね。

話戻すけど最終回ほんっっっっっっっっっっっっっっとうにクソだったからな。

留学から久々に帰ってきたうるかのために歓迎会開く話なんだけど、うるか遅刻してくるから他のヒロインと話すの。その流れでヒロインたちは酔った勢いで成幸に胸押し付けたりそれに嫉妬してくっついたりしてんの。彼女いるのに。これから彼女来るのに。怖っ。最終回の半分以上がこれ。

そんでまあ案の定うるかがそれ見て嫉妬して成幸がプロポーズして、上にある最終ページで花火に焦点当てて1/5ドーン! 煽り文で「キミの笑顔のその先に--」。

意味分かんないと思うから説明するけどこの漫画って文化祭花火が上がったときに手を繋いでる相手恋人になる設定なのね。そんで別々の5人と手を繋いでましたって感じで分岐させてるの。

まり花火は他のヒロイン象徴なの。キミの笑顔の先に他のヒロイン象徴である花火があるの。

武元うるかの話の締めくくりでこいつの話は終わったからさっさと次に行こうってわざわざ描いてんの。欠片でも愛情があったら描けねーよこれ。どんな顔して描いたんだよ。

この最低最悪の締めをしたあとに、サプライズパラレルストーリーやりますって余韻すらぶち壊しの発表だぜ。悪意しか感じねえわ。

当たり前だけどその後の理珠ルートだと最終回ちゃんと付き合った後のカップルの様子描いて最後は成幸と理珠の幸せそうな顔で締めてるからね。最低限とすら言えない当然の前提のレベルからあえて言うまでもないはずなんだけど。

最終ページの前に何か描いてんじゃないのって言われそうだから先に言うけど描いてねえからな。せいぜい描いてんの花火バックにした引き絵だから。大して表情も見えねえやつ。描きたくなかったんだろうな。

5人分のエンド描きます! どれが本当の結末かは読者が決めてねとか言ってるけどどう見たってうるかに一番損させてんだろ。どの面下げてほざいてんだ。

最終回サプライズのだしにする。最終ページをうるかのためでなく他のヒロインのために使う。他ヒロインルートうるかイベント踏み台にする。

故に結論筒井大志は武元うるかを嫌っている。

別にネットネタにされてようがアンチが何言おうが他人物差しなどクソくらえって感じで大して気にならないけど、作者がここまで嫌ってると思うとさすがに応えるよね。描いてるのこいつだもん。どうせまたなんかネットで言われたらてめえの言い訳を都合よくキャラに言わせるんでしょ?

パラレルストーリーとかやってる人間が一番被害受けてる子に、振られたルートで「失恋ときで不幸にさせるな」って言わせるのマジでどんな邪悪さしてんの。性格悪すぎだろ。

いやわかるよ? ネットで敗北者とか言ってはしゃぐ風潮ほんとクソだと思うよ? 不幸扱いしてんじゃねえって思うよ? これ自体正論だよ?

でもパラレルストーリーとかやってる漫画が言えることだと思ってんのかお前。「この子が一番幸せになるのはこの子と成幸が恋人になるルートです」ってつもりで5人分も個別ルート描くのにどう両立させてんのこれ。

この漫画に限っては「失恋ときで不幸にさせてる」のは読者じゃねえよ作者だよ。作者自身失恋してもそれが幸せの全てじゃないってことを否定してんだよ。ここまで空々しいとほんと笑える。

加えていえばこの漫画では他のヒロインには恋愛以外に幸せになる目標が設定されてるし各ヒロイン長編でそれは達成されてるの。けどうるか目標自体が成幸の一番になることなんだよ。それを達成させねえくせになにが「不幸にさせるな」だ白々しい。

ぼく勉は「幸せになるために頑張ること」をテーマにした作品なんだよ。主人公の「唯我成幸」って名前からしても物語全体通して「幸せ」がキーワードなことからしても間違いなく。

そんな作品で唯一他ルートでは「幸せ」になる目標を達成できないキャラクターにあえて言わせるとか作為しか感じねえわ。

別にうるかはこういうこと言う子だよ? 当然言うしキャラ崩壊とは言わねえよ? 作者自身はこういう考えじゃないかもしれないよ?(いや失恋したら不幸だって考えてたらそっちのがヤバいから本心だと思うけど)でもこれ言わせるようなシチュエーションにすること自体がほんと無理。よくまあここまで無神経に扱えるわ。

無神経で思い出したけどパラレルやり始めてからパラレルストーリーとはどういうものかみたいな解説を毎回ジャンプでやってんだけど、そのときうるかの顔の上にわざわざ「完了」とか描いてんの。タスク処理か何か? どんだけ雑に扱おうとしてんだろうなこいつ。

それで理珠ルートが終わった後には「完了」やめて「Happy end」にしてんの。はーそうですか。そんなに嫌いですか。そんな細かいところでもわざわざやるかお前。いっそ笑えるくらいになればいいけどただただムカつくわ。

こんな感じに作者が嫌いなキャラ好きになると無限死体蹴りされるからな。お前らも気をつけろよ。

ゲスパー言われそうだから先に言っとくけど人の心の中なんかそりゃわかんねーよ? まして会ったこともないんだし。

からしかしたら本当は嫌ってないかもしれないよ? でも1個2個なら誤魔化されてもいいけどこれだけ続いたらもう無理だわ。こんだけやってりゃ本当がどうであれもう作者の意図だろ。

こいつは漫画家で、こいつが嫌ってんのは自分で描いてる漫画キャラクターなんだから漫画での扱い見りゃ想像つくよ。これだけ嫌いなんだと見なせる要素があんのにどうやって好きだと思えってんだよ。

「愛がなければ視えない」とかいって滅茶苦茶に荒れた作品あったけどあれですら作中作に対してだからキャラに対しての愛だからな。こんだけふざけた仕打ちしてるやつ本人の意図好意的に見られるわけねえだろ。つーかミステリーじゃあるまいし誰にでも視えない時点で論外だわ。

まあ仮に好きですなんて言ったところで寝ぼけてんのかとしか思わんけど。DVしながら愛してるって言ってるようなもんだから。言うわけないけどね。ああ、どのキャラも好きですよとかは言いそう。ははは。

8/9追記

単行本キャラクター紹介でうるか留学先がアメリカになっていたことについて。

うるか留学先っていう本編で何度も書かれてきたことでもこれだよ。作者が確認してこれだよ。

2020-07-22

政治献金について考える 日記.1

政治献金について考える~

Go Toキャンペーン

Go Toキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円献金

こう題した週刊文春記事が今ネットSNSを通じて話題を呼んでいる。

このタイトルだけ見ると、一見Go Toキャンペーン受託団体が4200万円の献金でもって自団体利益になるような政策を買ってきた」ように思える。が、しかし実際記事を読んでみると、この献金自体は分かっている分で2011年から2018年までの間に行ってきた献金額の合計というだけで、明らかにこの政策のための献金ではない。二階氏が過去に受けたとされる合計470万円の献金理由に今回の政策を押し進めたかのようにも書かれているが、それについてもそんな少額で2020年の今になって動く訳がないだろう。今回の政策を「長年の献金実績によって政治癒着した結果」として捉えるのならば確かに問題ではあるが、その癒着事実も現状真偽は定かではない。献金の有無で癒着判断するのならば全ての献金は容易に黒となる。ミスリードを狙うような記事の書き方も悪いが、まずは落ち着いて今後の追及を待つべきだ。

さて、話題となった記事について述べてきたが、私が今日ここで記しておきたいのは献金政治活動の繋がり、特に企業献金についてである上記記事のことはこれを考えるきっかけになっただけなので、何かを期待した方はここでブラバを推奨する。個人企業政治家に金を渡す、これだけ聞くとどうにも賄賂のように思えあまりいいイメージを持たないが、実際のところ献金とはどのようなものなのか。今回はそれを確認しておきたい。

そもそも政治献金とは~

政治献金とは何かはっきりさせておこう。最初確認したいのは、なぜ献金といったもの必要なのかについてである。これはズバリ政治には金が必要からである。まず議員になるための選挙活動費、選挙で勝つためには自分応援する人々を増やし、政治団体を作って運営していく必要がある。選挙期間中は選挙運動に伴う広告宣伝費用、人件費事務所に係る費用等一部公費で賄われるものもあるが、その負担は大きい。晴れて当選して議員として活動を始めてからも、給与として年間2000万円以上の歳費や様々な補助があるが、新たな事務所を構えたり自分の補助をする秘書を増やす中で追加の費用必要になってくる。こういった政治活動にかかる費用を賄うために、個人企業献金存在するのである

ではその政治献金にはどのような種類があるのか。詳しくは政治資金規制法を参照。政治献金には大きく分けて、個人政治個人政党献金を行う個人献金、そして企業政党献金する企業献金の二種類が存在する。

まずは個人献金について、これは日本国籍を持つ個人であれば今読んでいるあなたにも可能献金である相手は二通り、政治個人政党(及び政治資金団体)だ。ここで政治個人とすると各所から怒られそうな気もするので訂正しておくが、政治個人への献金原則禁止されており、政治家に献金する場合はその政治家が指定する資金管理団体後援会を通じて献金することとなる。ざっくりと理解の上では、個人献金には政治個人への献金政党への献金があるという程度でいいだろう。

次に企業献金について、この場合相手は一通り、政党だけである企業献金場合政治個人への献金特定企業に見返りを与えることに繋がらないよう禁止となっている、というところが「一見」大きな違いだ。ここで「一見」としたのは、実はこれには抜け道存在するためだ。企業献金では、先述のように政治個人への献金禁止されている一方で、政治家の所属する政党政治資金団体献金することは認められているため、一度企業政党政治資金団体を経由してしまえば、政治個人が間接的に献金を受け取ることは容易に可能なのだ。これは企業献金抜け道として指摘されているが、現在法律禁止されていない。もう一度、詳しくは政治資金規制法を参照。

私はこの企業献金について、大きな疑問を持っている。企業献金で一番重要なのは献金特定企業への見返りに繋がってはいけないという点だ。もし見返りがあれば、それは即時に賄賂と同じになる。だが、その見返りは本当にないのだろうか。先述したように、政治には金が必要である。そこで金を出す企業言うなればスポンサーだ。スポンサーが何も言わず、ただ社会貢献のためだけに金を与えるだろうか。そこには大きな疑問が残る。事実、この企業献金については調べればいくつも不祥事が出てくるので、気になる方は自分で調べてみるといい。

企業献金政治

ここまできてやっと本題。企業献金について記していこうと思う。ここからは私の纏まっていない考えを記していくだけになるので読みにくくなり申し訳ない。あくまで私の個人的な意見であることを念頭に置いてあなたも一緒に考えてほしい。

私ははっきり言ってこの企業献金の仕組みは実質的賄賂だと感じている。必要悪とでも言おうか、完全な悪だとは思わないが、仕組みについては再考するべきだと考えている。その一番の理由は、企業政治癒着問題についてである政治には金がかかる、それは紛れもない事実であり、何らかの形での資金提供必要だ。その意味において、企業献金大事政治ガソリンになっており、必要存在だと言えるだろう。しかし、やはりそれでも現状の仕組みだと企業政治癒着は確実に起きていくだろう。企業、そして業界政党を通じて政治家に資金提供することを通じて自社、自業会に有利となる政策提言を行っていくことは想像に難くない。それを各業界から意見集約として捉える見方もあるだろうが、そこに金の大小という一つの物差しがどうしてもできてしまう時点で、一部に有利な歪んだ意見となる危険性は無視できない。そして、もしそれがその業界の発展、ひいては経済の発展に寄与するものだとしてもまだ問題は残っている。それは企業利益一般国民である我々との利益は必ずしも一致しないということだ。もちろん全ての人々に都合の良い政治などあるわけはない。だが、私たち自分たちの暮らしを、国を良くする可能性のある政治家を選挙によって選出するしかない一方で、企業は金でもってその政治に大いに関与できるのである。もちろん全てそうだと言いたいわけではないし、企業社会の一員として政治に参加する権利があるのは分かるが、これではあまりにもアンフェアではないか。それなら私たちにより良い暮らしを訴える政治家ではなく、私たち暮らしをより良くする提言をする可能性のある企業から多く献金を受けている、政党政治家を選んだ方が意見が通りやすいというものだ。その通りだ、と言われればそこまでかもしれないが、私にはそれがどうにも納得できない。資本主義だ、金を多くもっている者が偉いのだとまでは言いすぎだろうが、政治にその側面が感じられるのはどうにも腑に落ちない。政党活動資金の多くは政党交付金で賄われているし、企業献金を全く受け取っていない政党存在する。企業献金の大小でもって1か10かのように語るのは言い過ぎかもしれない。私が潔癖すぎるのだろうか。まずは落ち着こう。

さて、ここまで私の考えを本当に思うままに記してきたが、私はやはり現状の仕組みを再考すべきだと強く信じている。政策提言を行いたい、経済活性化を願うのであればそれ専用の場があるべきだし、政治に金が必要であればそれはそれとして集める場所があるべきだ。その二つが混じり合うべきではない。もし奇跡的にこのただの日記を読む政治家、専門家、そして今読んでいるあなたに問いたい。あなた政治献金についてどう考えるかと。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後に)

これは一大学生がその日感じたことを記録しておくだけのただの日記です。

ここに書かれている内容は事実とは一部異なる場合があります。何なら全部間違ってると思って読むことをオススメします。ただの日記です。少しでも気になった方は自分で調べ、自分の頭で考えてください。ただ記載内容に誤解を与えるような明らかな間違いがある、誰かに意図せず不利益が生じる場合修正します。

また、Webに載せている以上いかなる批判もあるものとして考えておりますが、行き過ぎた誹謗中傷はおやめ下さい。

今後も日記.○のような感じで不定期で投稿をしていく予定です。次回はコロナ報道におけるメディアについて書きます。たぶん。ではまた。

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