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はてなキーワード: 桃源郷とは

2017-09-01

「にげていいよ」

この時期になると逃げていいよ、という言葉が目につく。

いじめられている子を助けたいというそ一心なんだろう。

耳触りのいい言葉だしね、たしかにそのとおりなんだろう。

死ぬくらいなら逃げた方がいいよね。

けど、逃げた後のことをきちんと考えてあげないと、社会からドロップアウトするだけ。

何人か逃げた人を知っているけど、まともな納税者として社会人になっている人は一人しか知らない。

そのまま引きこもりになってる人が圧倒的に多い。

いじめられて、転校して、また次のところでいじめられてるパターン結構見る。

どこ行ってもいじめられる人ってのはいじめられるからなぁ。

それがわかっている人に、逃げていいよと言っても逃げる先は現実じゃなくて死の向こう側にある桃源郷になってしまうんじゃないだろうか。

2017-08-15

ネット右翼をはじめとするネオナショナリストはとても進歩的な人たち

日本国民の「右傾化」が叫ばれて久しい。現政権は「保守政権」と自称している。

なるほど、保守。たしかにそのネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る。

しかしながら私はこの保守、あるいはネオナショナリストこそ日本国において最も急進的で未来希望を託している人種なのでは無いかと思えてならない。

現代日本さながらラピュタのようだ。我々の足元には確たる基盤がなく、ゆらゆらと宙に浮いている。それには様々な原因があるだろうが、今回は三つの思想的敗北によるということで話を進めていく。

まず、第二次世界大戦敗戦がある。明治以来国民支配してきた全体主義国粋主義が間違いであったことを身を以て知った我々は頼るべきイデオロギーを失った。1回目の敗北である

次に我々が依拠せんとしたのは共産主義であるソ連や他の共産国秘密主義のためにその惨状を知らない日本人共産主義桃源郷に夢を馳せた。東大闘争に始まったこの熱は日本中をのぼせ上らせたが、セクト間争い、連合赤軍、そしてソ連崩壊と暗黒面が目につき、我々は夢から醒めた。

バブル崩壊アメリカ式資本主義敗戦からずっと生き残り続けた。奇跡復興宗主国アメリカのど真ん中の大きなビルを買えるくらい、日本資本主義化において成功を収める。しかしそれは文字通り膨らんで行く泡であり、遂には弾け、資本主義さえも信じられなくなった。

主義無思想無宗教日本に残されたものは、敗戦国という烙印と無機質なハコモノだけであった。今までならば誇るべき別の点のお陰でさほど気にしないで入られた「戦後レジーム」が今更になって癪に触る。

こうしたアイデンティティ喪失によって創り上げられたのがネオナショナリズムである

先に「ネオナショナリズム過去に立ち戻るような考え方のように映る」と書いた。しか歴史上どこに立ち戻るべき過去があるというのか?日本帝国政治体制が戦禍を巻き起こし(彼らが全てアメリカの陰謀であると主張したところで同じことである米国にまんまとしてやられ冷静さを失う体制のどこが間違っていないというのか)、華々しい経済も泡沫と消えた。立ち戻るべき場所本来どこにも無い。では彼らはどうするか?

過去を作り出せ」ばいいのである

美しい日本日本帝国真実書店に立ち寄れば過去を美化している本が並んでいる。しかし彼らの言葉の指す「かつての日本」は過去ベースとしたファンタジーなのである

かの有名な江戸しぐさを思い出して欲しい。教科書にも掲載されたデマであるが、あれは全く過去ベースとしたファンタジーである。いわばベイマックスフランシストーキョーや銀魂大江戸のような「そうであったかもしれない日本」の姿であり、それは過去存在していない以上幻想以外の何者でも無い。

当たり前の話だが、戦前日本を知るものはもはや生きていない。戦争の怖さは子供にもわかるだろうが、怖い社会を感ずるためにはある程度の年齢が必要から誰も知らない、ということは現在の我々が過去を思う時、そのほとんどは幻想に頼るしかないということであるモニターの奥の二次元世界となんら変わらない。現在過去との間には次元を隔てる障害があり、こちからあちらへは干渉できない。

しかアニメネオ日本は格好がいい。しかしそれを現実で語ればアニメ脳、ゲーム脳と言われるのがオチだろう。同じようなことをやっているのがまさにネオナショナリスト達なのである

ネオナショナリストは現時点での閉塞感を解消するためにカッコいい幻想過去投影した。そして「これに戻るのだ」と主張しながら未来を作ろうとする。

結果、彼らは前しか向いていない。過去を省みてはいないではないか。これがいわゆる保守こそが進歩的な人たちだという理由である

私は右傾化否定肯定もしない。戦後から不安定さの解決のために右往左往してきた日本人を思えば、当然の帰結だろうと思う。お粗末な思想、主張だが、日本国民がそれを望むのであれば、それも良かろうと思っている。なに、高い授業料になったって構いやしない。

ただ、一つだけ加えておきたいことがある。私は先程からネオナショナリスト思想根本幻想ファンタジーアニメ的だと主張してきた。幻想現実ではない、ありえないものなのである。つまりは霊的なもの、神的なもの呪い的なもの、それらと変わりないオカルティズムだ。オカルトによって国が動くのだとしたら、あなたは怖いと思うだろうか、素晴らしいと思うのだろうか、それを尋ねてこの紙片にピリオドを打ちたい。

2017-06-09

ビアガーデン増田プレイベントん米レプダ酢魔飲んでーが浴び(回文

みかん花咲く丘公園駅前の繁華街百貨店に勤める知り合いがいて、

ビアガーデンオープン前のプレイベントがあるから

関係者のみのそういうに招待してもらったの!

ルービー飲み放題よ!

やったー超ラッキー!!!

こういう日は、

その百貨店のお偉いさんも来るってことなんで

料理長料理気合い入ってるのよ!

だいたいのビアガーデンのチラシの料理写真って

現地に行ったら下回ってるところおおくて、

期待したほど、なんというか。

平常時は、そんなしけたたけしな顔しないでよ!ばりの料理じゃない。

まあ、文句はここではナッシングにしとくけど、

からそんな日は超豪華なのよねー

焼きたてオージー手斧みたいなステーキ

北海道産ホタテの貝柱バター焼きの包み蒸し揚げのおろしポン酢かけ返し風味盛りの海産、

から揚げだって

揚げたての気合いの入ったやつが美味しそうに並んでるの。

あふれ出るそのから揚げ無限の美味しさ!

焼きソバだって焼きたてよっ!

そんな、イモばっかり食べてないで、

虎ばりに肉かじる様に、虎虎虎!

肉行きましょ、肉!肉!肉!

究極虎のごとし!

まさに、文字通りの

血湧き肉躍る酒池肉林みたいな。

からぶら下がってる肉に飛びつく虎のようよ。

目の前つるされニンジン馬の肉版ね。

贅の沢をつくしつくした、

春先に恥ずかしそうに、

つくしも咲き乱れる桃源郷のような感じだったわ。

まあ、今の時期夏本域の暑さじゃないので、

まだ夜寒いのが玉に瑕だったけどね。

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドポテサラサンド

いつも一生だわね。

変わらないのがいいことなのかもね。

なんでもないようなことが、

幸せだったと思う。

255章まで歌っちゃうわ。

デトックスウォーター

最近果物系と言うよりすっかりお茶系に染まっている、

それなんだけど、

今日ジャスミンティウォーター

口の中でフレッシュに広がる香りがいいわ。

茶葉って混ぜてもいいものかしら?

今度試してみようかな?

うふふ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2017-02-09

ADHD発達障害)の、つまずきながらも終わらずに生きられた半生

ADHD診断済の者です。

ここ最近借金玉氏のブログhttp://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事話題を呼ぶのを見て、にわかはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、

http://anond.hatelabo.jp/20170206102543

↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています

そのコメントとは、id:Outfielder 氏の

知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないか高校受験で詰んでしま人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある

というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。

自分がそれ、と言っても結局中学公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています

でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます

(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD衝動によるもの本心です)

小学生時代中学受験でつまずく)

子供の時から自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります

絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)

問題ポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいか中学受験に向けた塾通いをするようになります

しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験しか提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境自分ストレス耐性がピークに達してしまった気がします。

と同時に、なぜ今の小学校友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。

結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達安心感たるや今でも思い出します。

中学生時代(内申でつまずく)

この公立中学地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…

が、

心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。

まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネット桃源郷見出ししまいました。

テレホタイムは親のPCでこそこそチャット掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)

今思えば、このあたりもADHD衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。

高校時代公立高校でつまずく)

はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。

中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)

そして、1年ももたずその高校を辞めました。

なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。

気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。

多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・

その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校一年から入り直すことになります

ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。

それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)

そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。

特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分特性に合ったジャンル先生見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります

大学時代ADHD完熟期)

その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。

2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクしょうが世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。

そして自分学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います

興味のある授業内容、自由雰囲気キャンパス、そしてどことな普通じゃない人達の集まる文化系サークル出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分人生が本格的に始まった感じがしました。

色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。

就活は例に漏れ苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。

社会人のはじまり(つまずき続けつつそして現在

そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・

といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます会社に数日行けなくなりました。

体が動きません。会社メールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。

それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。

メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。

ADHD的に特にしかったのは、やはり外部とのコミュニケーションスケジュール管理企画書作成といったところでしょうか。

これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。

それがここ1年ほどのことです。

再びクリニック通いを再開し、軽うつ対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。

そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。

それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。

その後、自分ADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります

振り返ると

中学受験高校社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師理解サポートたまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度回復させていけるようになりました。

中学受験成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います

一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。

まぁ、今はどこのクリニックも発達障害の診断で激混みという話も聞きますけど…

空前の発達障害ブーム(?)に備えた人生設計の、一つの参考例にでもなれば幸いです。

2016-12-20

便利 = 忙しくなる

1日必要だった事が1時間で出来る様になった結果、23時間浮くのではなく23時間他の事が出来る様になった。

人々は便利になったと言うが、逆に忙しくなってる。

今も世界は便利を求めてどんどん加速に力を入れている。

日本で開通するリニアもそうだ。

東京大阪間が短縮されれば、これを行き来する芸能人もっと仕事ができるようになる。

これからもどんどん世界は便利を求めて忙しくなっていくのかな

ロボットがより高性能になったら人々はホリエモンの言うように

働かなくていい時代が来るのかな。

もし本当にそういった時代が来るのであれば

今働いてる僕らは桃源郷行きの船を一生懸命漕いで漕いで

辿り着いた時にはもう死んでるのかな

あと二世紀程、後に生まれたかったな.

どらえも~~~~ん







のびた

2016-08-17

VRマジ最高!

HTCのViveを買ってVRを試してみたけど

3DSとかの3D表示とはわけが違って

たかも本当にそこに存在するかのように表示される!

しかルームスケールなので自分が動けば動くので

本当にそこにいるように見える!

 

そしてもちろんのこと一番プレイたかったのはエロゲー

VRに対応したというカスタムメイド3D2(以降CM3D2)を買ってみた

 

プレイした結果だが・・・そこは桃源郷だった

 

自分の好きなように女の子カスタマイズして

事に及ぶ事ができる訳なんだけど

PC画面で見るCM3D2と

VRで見るCM3D2は別ゲーと言えるぐらい別もん

 

特に発売されて時間が経ってるおかげでそれなりにMODも充実していて

かつまだ作ってる人がいたりするので

好きなキャラとかが配布されてたりする!

 

大体のゲームは1、2回プレイしたら

そのまま終わっちゃうんだけど

 

このゲームだけは今のところお世話になりっぱなし!

 

マジでVRオススメ

特にViveがオススメ

CM3D2最高!

 

恋人なんてお金時間精神だってすり減らすものなんか作らず

みんなで新しい世界へ行こうぜ!

 

AI進歩デバイスの発達によっては

最終的に本当に恋人を作るよりも

こっちの世界に入っていきそうな未来がしてならない

2016-03-17

この年度切替え時期の激務を乗り越えるために、百合漫画を見て英気を養うのじゃ~

男性という概念が抹消され、純真無垢乙女しか存在できない桃源郷、その世界が! 時には涙し、時にはキャッキャウフフ、興味と背徳感の狭間で揺れ動く甘美な青春を送るあの白百合たちが! この現代社会に摩耗したワイの醜悪な心を救ってくれるんじゃ~

浄化してくれるんじゃ~

ただ、浄化されつつも、無垢乙女と対比する自分があまりに醜くてたまに落ち込んだりもしま

2015-12-29

インターネット万能論者とかいゴミ

地方東京情報格差問題提起がなされると「いやいや、今はインターネットがあるからどんな情報でも手に入るよ」

と嘘をつく輩が決まって現れる。

ネットには最先端情報は流れて来ない(流れてきても非常に断片的だ)しヤバイ情報も当然ない。

そしてなにより東京には国会図書館がある。

なんだよアレ。初めて行ったとき桃源郷じゃん…」って国会図書館トイレで悔し泣きしたぞ俺は。

2015-10-04

YUCALIのダンスが好きだった。

一昨日こんな記事があった。

http://www.huffingtonpost.jp/qreators-/halcali-yucali_b_8225570.html

 

これだけでは完全に引退するのか分からないけど、最近は歌を歌っても、ダンスはおまけ程度だったので、YUCALIの新しいダンスを見る機会はもうないだろう。

HALCALIは、歌がうまい方じゃない。

HALCAは昔より随分上手くなったけど、その魅力だけで客が寄ってくるかというとそこまでではなかったと思う。

結構長い間活動できたのは曲の魅力が大きいように思う。時々とてもユニークでいい曲にめぐり合えていた。

いい曲にめぐり合えていたのは、事務所の力なのか、HALCALI人徳なのかは分からない。

いい曲にめぐり合えて、活動が続く一方で、二人はあまり踊らなくなっていったと思う。

ライブなどにいっていたわけではないので、全部を知っているわけではないが、PVなどは初期の頃のようにダンスをするPVではなくなっていった。

自分はYUCALIのダンスが好きだった。

ダンスにそこまで詳しくないので、素人個人的意見になってしまうが、YUCALIのダンスリズムを外さず、適度に力が抜けているのにキレがある。そんなダンスだったと思う。

キレといっても動きが素早いとかではなく、無駄な動き、汚い動きが少ない感じ。

テレビネットで話題になるダンスを見ると、分かりやす難易度が高いダンスほど高評価を受けているように思う。

でも、ゆったりしたダンスでもYUCALIのように踊るのはものすごいテクニックがいると思うんだ。

ネットでYUCALIのダンス評価する声をあまり聞かないので書いてみました。

いくつか動画URLを貼っときます。良ければ見てください。

 

ギリギリ・サーフライダー

https://www.youtube.com/watch?v=e6uHEsa41aI

 

ストロベリーチップ

https://www.youtube.com/watch?v=w-1GMngUoRQ

 

画質の良い動画全然なかった。

 

マーチングマーチ

桃源郷

It's PARTY TIME!

 

ダンスも良いよ。

2015-07-04

人間は常に相対性の中に生きている。

ガリバー旅行記がふと押入れの中から見つかった。巨人小人物語だ。

ふと、自分巨人だったら、と思う。

今のまま性格も体格も変わらず、人類全員が小人だったら、俺はヒーローだ。

仕事もてんで出来ない、異性からモテない、無気力人間の俺でも相対的に最強だ。

そんな世界で、小人たちから頼りにされ、小人の1万倍もの能力仕事ができるだろう。

そうすれば、今の精神空虚も和らぐのではないか。いや、きっとそこは桃源郷だろう。

相対的自分が最強だと思える場所に身をおけば、精神的に満たされるのかもしれない。

2015-05-26

バター不足について調べたこと

はじめに、私は酪農のことも乳製品業界の事も、何も知らない。

そのくせ少し調べただけに過ぎないが、僅かに得た物を披露したい。

正しい知識のある人は補記(訂正)して欲しい。

バター、年7100トン不足も 15年度末で在庫4割減 - 離農者多く生乳足りず

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDJ25H2B_V20C15A5QM8000/

まず生乳についてだが、最初ナマモノである飲用に供される。

ついで生クリームヨーグルトチーズに振り向けられる。元々調整弁の役割果たしていた日持ちのするバター最後

バターには12円の補助金がついていた。新たに、チーズに15円の補助金がついた。

酪農家は乳価が最も高い飲用で買い取られることを望んでいる。余剰はせめて加工乳バター)で買い取られないと経営が苦しいと思っている。

が、現実は最も安いチーズ用にされてしまっている(後述する)。

さて、日本酪農コストが高い。経営努力が足りないのだろうか。

ほんのちょっと調べてみたところ、ニュージーランドは牧草地は北海道の約20倍、夏涼しく冬温かく、牧草も年中生える。

北海道から見たら桃源郷のようだ、と言われているらしい。

要するに、北海道戦略SLGやまもといちろうプレイレビューするような大地だ。資源の差は圧倒的だ。

牛は暑さに弱いので、夏は飲用の需要が増えて供給が減る。

冬は逆に、需要が減って供給が増える。結果、生乳が余る。

通常、生乳の余剰はバター脱脂粉乳に回される。が、バターを作り続けるにも限度がある。

在庫過剰となって限界を迎えた2006年3月末、生乳900トンが廃棄された。

これが大きく取り上げられて社会問題となり、袋叩きに遭ったため、重くみた農水省生産制限をすることにした。

牛乳の消費も年々下がり続けており、当時は余剰廃棄は必至の情勢であった。

そこでホクレンは、乳業各社に呼びかける。

乳製品で唯一消費が伸びているチーズ工場を作りませんか?」

ナチュラルチーズは2ケタ成長の市場であり、廃棄乳の問題もあり、メーカー各社は応じた。

これが現在ホクレンが最も乳価の安いチーズ用に生乳を供さざるを得なくなっている事情である

これを背景に、2008年バター不足が起こる。

ロシア中国などの需要が急速に増え、豪州干ばつにより供給が激減、EUも輸出を絞り、国際相場は跳ね上がった($2000/t(H18), $4000/t(H19))。

乳製品の国際価格http://www.j-milk.jp/gyokai/kokusai/berohe000000357n.html

……本当にバターの輸入規制撤廃したら解決するのだろうか?

平時は生乳の生産コストが25~50%である海外からバターが入ってくるかもしれない。

が、世界の需給に変動があった場合バターが入ってくる保証はない。

そのとき国内バターとその副産物である脱脂粉乳は、既に海外勢に駆逐されて誰も作ってはいないかもしれない。

市場の縮小、飼料の高騰(http://www.milkland-hokkaido.com/special/page1.html)、更新できない設備高齢化……酪農の現状は厳しい。

参考:

http://lin.alic.go.jp/alic/month/dome/2008/feb/wadai1.htm

http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=25787

http://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2014/mar/spe-02.htm

http://www.nyukyou.jp/update/20140717_4.html

http://toyokeizai.net/articles/-/1328

http://daskek.hatenablog.com/entry/2015/05/26/083026

http://www.milkland-hokkaido.com/special/page1.html

http://www.tokachi.co.jp/feature/special.php?k=1691ログインしなくても1~4は読める)

※追記

補助金が乳業メーカーに入るからチーズが作られるのではない。

乳価が生産コストを割っているバターや(特に乳価が低い)チーズ用に補助金が出ている。要するに生産者に出ている。

なお、生産者には配乳権がない。

バター利益率が低く、メーカー生産者も作りたくない。

縮小市場なので利益率の高いものが優先される。真っ先に切られるのがバター

> 輸入を一手に担っている独法がいったい何をしているか

生産者保護

バターの独占業務の利益は、酪農農家の加工原料乳生産者補給金に回る。

国家貿易機関として、国際約束数量(カレントアクセス)の指定乳製品等の輸入・売渡しと国内需給に応じた

指定乳製品等の追加輸入・売渡しを行っており、その輸入乳製品売渡収入平成24 年度13,358百万円)がある。

> ウ 加工原料乳生産者補給交付金交付業務

> 加工原料乳生産者補給交付金交付業務については、指定生乳生産者団体から

> 請求のあった175 万トンに21,291 百万円を支出した。

※追記2

バターの小売販売重量を確認した。

https://www.alic.go.jp/content/000115897.pdf

バターが不足した2014年2013年比較して、10月から12月末までの間の各集計で販売量が400~500トン多い。

供給に大きな問題があったというより、不安による買い込みの方が影響が大きかったのかもしれない。

※追記3

> 完全自由化して夏と冬で牛乳価格差2倍とかになる未来

バター自由化すると、価格差から国産死ぬのは皆の予想通りだと思う。

すると、酪農家廃業で「冬でも多くはダブつかない供給量」(本州のように、9割近くが飲用となる生産量)に落ち着くというパターンが考えられる。

ということは、夏には供給が完全に不足し、不足分は輸入ロングライフで補う。2倍というのは十分に考えられる。

当然ヨーグルトチーズアイスクリームも影響を受けるだろう。

※追記4

>(よく見る理屈

その通りだから放置していたが、やはり書いておく必要があると思い、既に誰も見ていないだろうが追記する。

国際価格の乱高下は、需給の不安定さによるものだ。

今も1万トンを輸入すると報じられているが、日本需要はおよそ7万トン強である

国内生産が壊滅した後、現状で既に需給の乱高下を繰り返している市場からの安定供給に疑問を思わないのは、あまりに楽観的すぎる。

乳業メーカー自身不安を抱いている(http://www.snowseed.co.jp/yukitane_news/news_hokkaido/nh2014_09/nh2014_0903.pdf)。

バターだけでも見通しが不透明だが、自由化によって追記3のように全乳製品まで怪しくなる可能性がある。

農業ジャーナリストは手放しで問題ない、自由化で解決するのだというが、成算の根拠がなく、賛同できない。

※追記5

参考資料って調べたもの全てを載せてるワケではないけど、概要だけならNHKのこれ一つで良いかも。

バター不足でモ〜大変!? どうなる 私たち食卓  http://www1.nhk.or.jp/fukayomi/maru/2014/141220.html

2015-01-04

スチャダラパー彼方から手紙」を聴き、僕はすべてを把握した。

就職活動は乗り切り、まあまあの収入と貯蓄、家族を得た。

もう若くない。仕事では評価されなかった。

会社経営がすぐ傾くことはないだろが、徐々に厳しくなるのは目に見えている。

職場上司、部下後輩はものすごく優秀でがんばり屋。翻って、僕はお荷物

かといって誰も、そのことを面と向かって言ってくれない。

直接冷遇されているわけではないけれど、わかるんだ。

これから「先」を考えたってしょうがない。

自分の「ルーツ」を考えたってしょうがない。

腹が減ったら飯を食おう。

ここに来なけりゃ、僕は一生、わからずじまいで過ごしていた。

案外、桃源郷なんてのはここの事かなって想ったりした。

君も早く来たらと想う。

それだけ書いて筆を置く。

2014-09-11

とある勝ち組現在と、とある業界のことを語るよ。

今回の主人公はT京大学大学院生のT君だ。

T君は地上波テレビ番組で取り上げられた。

どういう内容かと言うと、彼はFXで金を儲けた現役T大生という触れ込み。

ここでFX業界で儲けている人を大きく分けて3つに分類しておくよ。

一つ目は言うまでもなく、投資あるいは投機で儲けている人。

そして2つ目は為替業者のように、手数料で儲けている人。

最後グルと呼ばれる人。このグルってのは簡単に言うと情報を売る人。セミナー屋とも言われる。

ここまで書くともうお分かりかと思うんだけど、T君はこの3番めに当たる。

恐らく過去にT君は1番目の勝ち組にいたかもしれないんだけど、今の彼を見ていると確実にグル

投資投機でもいいけど)業界にはこの手のジョブチェンジは良くある。

投資で勝ち続けるのは非常に難しい。勝てなくなった勝ち組グルジョブチェンジする。

勝ち組偽装なんてのもやろうと思えば難しい話じゃない。短期間であれば。

分かる人が見れば彼がグルで、今は大して稼いでいないことは一目瞭然。

でも、彼のセミナーを受講する人はそんなこと分かる訳がない。

T大生の肩書に、よく作りこまれキャラクター、その話術と地上波お墨付き

恐らく彼は数百万くらいは稼ぐだろうか。そのうち出版なんかもするかもしれない。

だけど、虚像を保ち続けるのは決して容易なことじゃない。

嘘をつき続ければ必ずボロが出る。

さて、彼はいつまで、そしてどこまで歩み続けることが出来るんだろうか。

投資業界はとってもシンプル

金を持ってる奴と、金を生み出せる奴が偉い。

それ以外はゴミも同然。某N村証券では資産千万未満の客はクズゴミと言うそうだよ。

そんな世界虚像を作り、偽物の栄光武器に歩くその先が桃源郷でないことは想像に難くない。

がんばれT君。

2014-09-10

ニッポンポルノ帝国

2014年ニッポン帝国には、エロティックムービーが百花繚乱、山のように乱立していて、それらの多くが無料という夢のようなお国である。この世はそのまま極楽浄土桃源郷が本当に実現してしまったレベルだと思う。

モザイクなんて野暮ったいモンを排除した無修正ムービーも、法律抜け道からスルスルと僕のケータイにやってくる。あるいはこんな時代は異常なのかもしれない。あと数年もしたら、電波サーフィンするエッチ動画はみんな爆撃されるのかもしれない。けれども、2014/09/10日本の闇夜は、おピンク活劇を平然と傍観してるわけである

我が国と時代に幸あれ。

2014-05-09

職場暴力を受けてから三年

職場暴力を受けてから半年

http://anond.hatelabo.jp/20130306041028

というエントリを随分前に書いた。

つらい時に書き捨てたもので、トラバやらコメントやら、いい言葉ばかりではなかったがそれでも温かい言葉を貰って改めてありがたいと感じた。

その時の増田達への軽いお礼方々、後日談とその後の雑感を書く。

やくざみたいな難癖をつけて暴力を振るってきた上長は、後述する理由で改めて、腫れ物を触るような対応をしてくるようになった。

パワハラをしてくる先輩には、他人も聞いている中で面と向かって「あまりしつこいと訴える」と言ったところ、腫れ物を触るような対応をしてくるようになった。

軽んじた態度を取る後輩達は、暴力を振るってきた上司の目の前でその増長した態度をきっちりと叱った。部下の僭越を嗜めるのが仕事上長は、一切口を挟まなかった。(その後輪をかけて、腫れ物を触るような対応をしてくるようになった)

中でも一番調子に乗っていた下っ端は、まるでしぼむように勢いをなくし、唐突に別の同業他社行きの道を選んだ。

暴力を振るわれた直後に真っ先に病院へ行き高い金を払って取ってきた診断書を、「雇用主に出さないでくれ」と懇願してきた上長は、暴言を吐くのをやめて腫れ物を触るような対応をしてくるようになった。

職場は音をなくし、静かになった。

要するに、「誰かを犠牲にする事で成立する平和」を破壊した、という事なのだろう。

もう、後輩のおしゃべりには付き合わないし、先輩にもコミュニケーションを計らないし、上長とも業務連絡しかしない。

今は“俺のターン”みたいなものだと捉えている。

自分の方が圧倒的に優位だと思い見下していた相手に盤面をひっくり返され、プライドが高くまた職場しかわがままの言えない彼らは、虎視眈々と反撃の機を窺っていると思う。

書かなかったことだが、ここに登場する以外の先輩にも三年間至近距離で毎日毎日皮肉を言われ続け、最終的に、このままこの態度を続けるならパワハラ告訴すると言って黙らせた事がある。

先輩はその後ほとんど皮肉や嫌味を口にしなくなったが、その仕返しのつもりか、後輩がなめた態度を取ってくる(取らせる)ようになった。

そもそも人格者ばかりが集う業界だと思い、この仕事を選んだ。

なのに、職場のほぼ全員に対して結局は、子供相手のような警告をきっちりしない限りは、普通職場生活と当たり前の平穏すら手に入らなかった。

その事実が、何よりもむなしい。

もちろん、これで一件落着ではない。執念深いのがこの業種と田舎者の特徴だ。これまでに二、三あったように今後も相手からの反撃はあるだろう。

今の状況的には、同業他社へと移る後輩を共通の攻撃対象と設定し、職場全体で盛り上がり、残る者の連帯を強める事も可能だろう。

だが、それをする事はない。愚かなことだからだ。

やられそうになった事を相手にそのままお返しするのはきっと自業自得というもので、ペナルティもないのだろうが。

やらないし、やりたくない。これ以上少しでも関わりたくない。

そもそもこんな下らない諍いに巻き込まれる為に仕事をしている訳じゃない。

しかし世の中、桃源郷などどこにもないし、青い鳥もどこにもいない。

仕事に対する熱意は就職当初からないし、職場人間にもそこまで期待はしていなかったが、これだけ酷い目に遭ってもやはり辞めようとは思わない。

仕事に嫌気が差し職場を退いて実家引きこもり、親にいたわられつつ職場に対する恨みを何年も抱えながら心療内科に通い続ける生活とか。

何か代替物を求めて新しい職業へと転職し、今まで味わった不幸せの対価を得ようとするかのように目を血走らせて幸せを求める生活とか。

そういう未来と、今の現実生活とを交換する気にはやはりなれない。どうしてもなれない。

今貸したお金ならば、今ここで、貸した相手本人に、少しずつでもいいから返して貰うのがやはり筋だろうと思うからだ。

やられ損にはしたくない。

そう思い、職場を避けるのをやめ、むしろ積極的職場をあれこれと個人的に利用するようにしている。私物もだいぶ増えた。

職業に期待しない。職務に期待しない。職場に期待しない。求めるものは求めるだけ、何を利用してでも自分で得る。

社会に出てから心に決めた基本姿勢ではあったが、曖昧だった部分が消え、一層鮮明になった気がする。

暴力を振るわれた直後、職場の近くの総合病院(その日は専門医休み)へ行って診察を受けようとした際、ケガの原因を聞かれて職場で振るわれた暴力ですと答えたら、専門医ではない医師自分では診断書が出せない(だから勝手治療もできない)と言われ、やむなく専門医の住所だけ聞いて、隣接する市まで40kmほど車を走らせた時の、シートベルトと胸の傷のこすれる痛み。

あの時の痛みと、自分の置かれた境遇に対する惨めな思いだけは、きっとこの職場を退くまで忘れられないだろう。

2013-06-17

こんなに泣いた映像作品は初めてだった

さっき、NTV系列で放送された「二人の桃源郷」というドキュメンタリーを見て、大泣きをした。

作品を見てこんなに泣いたのは生まれて初めてだ。

ニュー・シネマ・パラダイス」よりも「トイ・ストーリー3」よりも「ショーシャンクの空に」よりも「汚れた血」よりも「ぐるりのこと。」よりも「ゾンビ」よりも

ブラックジャック」よりも「火の鳥」よりも「ジョジョシーザー死ぬシーン」よりも「寄生獣」よりも「ハイスコアガール1巻ラスト」よりも

星の王子様」よりも「火垂るの墓」よりも「ライ麦畑でつかまえて」よりも「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」よりも「罪と罰」よりも、

比べ物にならないくらい感動して泣いた。


話は、山で暮らす夫婦と、それを支える家族23年間の記録。

ストーリー紹介はここで省くが、将来子供に見せたいし、色々な人に見てもらいたい作品。

どんな創作物よりも心に響いた、リアルな老夫婦生き方

思い出して、また、号泣

2013-01-04

http://pinokojack.blogspot.jp/2012/12/blog-post_6582.html

やっぱり日本人組織を作るとダメ

インターネット桃源郷でないとわかって久しいが、

有志の集まりだというのによくもまあここまで腐敗できるもの

日本語Wikipediaもそうだし

青空文庫もひどく腐敗しているとは知らなかった

けっきょく何が問題かって、多様性を認められない=曖昧さを許容できないことだろう

狂信的にWikipedia百科事典です(キリッ)を目指す必要なんてどこにあるのか

船頭多くして船山に登る結果になるのは最初からわかりきっているじゃないか

曖昧さ、多様性を認められないことはいろいろな問題の根源だと思うがそれは割愛

追記

腐敗というのは言葉が違ったかもしれない。

Wikipediaのところ構わず貼られる要出典の嵐や、挙げられていた青空文庫のケとヶのような、烏合の衆が決めたものしかないのにルールルールとして信奉することに強い違和感を覚えた。

たとえば犯罪は悪いことだから罪なのではなくて、人間がそう決めたから罪であると、それをタブー視しないで考えるところからしか本当の理解はできないのではないかと思う。

2012-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20120705001252

ん、あれ? 元増田じゃなかったんか。てっきり本人かと。

似たような思想的背景を持つ曲が大いに支持されているから、それにおもねってその潮流に乗っかるってのは、発信する側の手抜きじゃないですか。少なくとも「ランキングにある多くの楽曲が同様の思想的背景を持っている」ということは「同様の思想的背景を持った楽曲がそれほどたくさん供給されている」わけで。供給者の絶対数が多いのもありますけど、単純に手抜きじゃないのかなぁと。

で、その思想的背景というのも、嫌だ嫌だと言って、その実言っても変わらないのも知ってて、ただ駄々を捏ねて、ありもしない桃源郷に浸る、ないしは嫌だと思ったまま諦める。それをそのまま歌にして共感を得たからって、それは別に生産的でもなければ前向きでもないじゃないですか明日への活力になるわけでも、気持ちがリセットできるわけでも、何でもない。ただ消費者を甘やかしてるだけで、もっと言えば、消費者を甘やかしている作曲者側の自己満足にすぎない。だってただの傷の舐め合いじゃないですか。それが元増田の言う「暗い」の根幹ですよ。そんな程度なら別にわざわざ多大な一手間を加えて歌にしなくても、ブログを書けばいいわけで。

ここらへん、前半はその通りだと思う。

手抜きっていうか、ランキング見てウケる歌詞の傾向を探りつつ割り切ってロジカルに作ってる奴いそうだなーみたいな気はします。というか自分音楽やってたらそうやって作りそう。自分がウケた曲を見よう見まね換骨奪胎で吐き出しそう。

そう考えると「世の中」とか「世間」に浸透しづらくて子どもにウケてるのも理屈がつく気がする。ある一定の層の中でグルグル巡っているだけなんですね。

ただ、傷の舐め合いであり甘やかしだからアカンというのはどうなんでしょう。先述したように「自分は助けてもらえないかも」という不安絶望が身近にふよふよしてるような人間にとって、一人で傷舐めてるよりはナンボかマシなのではないでしょうか。逆に化膿するかもわからんっていうかランキングでは化膿してるようにしか見えないけど。でも(曲にもよるけど)「またきました」「再生○回目」「癒される」「元気出る」みたいなコメントついてるのって結構散見されるので、それなりに活力とかにはなってるんじゃないスかね。

あと傷の舐め合いであから歌でなくてブログでよいというのは意味不明な暴論だと思います別に歌でもいいじゃんっていうかブログである必然性はない。作り手が己の最も長けた表現形式を選択してるだけのこと。

別のやりようと言っても「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな歌」とでも言うのか。それは別に現実と戦う必要はなくって、遠まわしで皮肉で嫌味な歌でもいいと思うんですよ。「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」みたいな。そういうのがあって、そういうのを選び取らないのは消費する側の問題だし(能動的に生きる、という意志放棄しているように取れます)、そういうのを選び取らせない社会の問題でもある(理想化された友人がたくさんいるって、具体的にどうこう以前に社会が相当マズいというのが一目瞭然だと思います)。これが反映されているのが「そしてこの根の暗さの根本的な原因は、当事者の方々そのものにあるのではなく、その環境を用意した世代の方にあるのだろうということ」という一文ですが、同時に「それもまた無自覚になされたことであり、ただ噫と溜息をつくばかり」なものでもあるわけです。どっちからも変えられるんで、消費者の側から変えても良いし、生産者の側から変えてもいいんですけど、たぶん「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな曲」が流行る、というのが一番手っ取り早い構図のように思います

「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」ってスタイルは既に一世代前がやってることのような気がする。ロックとかパンクとか?

ロックパンクは失敗してるわけですよね。「好きに生きる」スタイルでは結局いろんな問題が解決しないであれこれ行き詰ってくる。

からボカロは歌うんじゃないでしょうか、「いーよ勝手にやれよ。俺らは好きに生きて好きに死ぬわクソが」と。

「好きに死ぬ」までが彼らの「前向き」に含まれた答えになってる。「後ろ向き」とは他人や運命に象徴される非自由意志的なもの蹂躙されて死ぬことであり、それを克服し脱して「好き」に殉じる、自分で死に方を選ぶことが持ち上げられてるという構図です。ぼやぼやしてると「見捨てられる」「助けが得られない」という非常に消極的な形で殺されるみたいな不安感があるのかも。さしずめ氷山で仲間のペンギンに押されてしまって怖い捕食者のいる海に落っことされるぼっちペンギンといったような。

もはや世の中「前」がどっちかよくわからん様相を呈してきているのもあって、従来型の単純な「前向き」って中身がないと判断されてあんまりウケない気がしますね。萌えとか理想恋人友達で飾って「浸るための夢」という位置づけを確立してるような感じ。

何年か前は現代厭世観を背景にカオスに助走してそこからいろいろ飛び越えて突き抜けるのがもっともオシャレでスマートな解決法ってことで小説あたりで流行ったものでしたが所詮は虚構ということか、虚のうちに消えてしまった感があります

個人的には「ポスト現在」、「好きに殉じる」をもっと突き詰めて煮詰めてほしいです。

http://anond.hatelabo.jp/20120704080829

後半部分については、現代厭世観とか言うんでしたっけ。現代無気力だったか。あぁなるほどなと思いました。確かにその通りです。見えてるようで見えてなかった部分を明文化して頂けたので、理解が進みました。

前半部分については、言われてることがそもそも論だということにようやく気がつきました。本当に頭が悪くて申し開きのしようもありません。

じゃあそもそも論の何が問題なのかと言うと、非常に単純なお話として、この現代厭世観はけっこう重厚歴史的背景を持った立派な思想ではあるんですが、その歴史的背景は、例えば日本革命が起きたことがないとか、そんな感じの背景です。歴史学を多少かじってる方だと「あぁ」と思われると思います。けっこうマズいと思うのですが、いかがでしょう(分量が多いので端折れてたらラッキーという「いかがでしょう」です。端折れてなかったら次の機会に付け加えます)。

そんな赤くて大きな問題を出さなくても、単純に「後ろ向きで暗い」んだから、そうじゃない書き方で、もっとやりようがあるだろうというお話もあります。似たような思想的背景を持つ曲が大いに支持されているから、それにおもねってその潮流に乗っかるってのは、発信する側の手抜きじゃないですか。少なくとも「ランキングにある多くの楽曲が同様の思想的背景を持っている」ということは「同様の思想的背景を持った楽曲がそれほどたくさん供給されている」わけで。供給者の絶対数が多いのもありますけど、単純に手抜きじゃないのかなぁと。

で、その思想的背景というのも、嫌だ嫌だと言って、その実言っても変わらないのも知ってて、ただ駄々を捏ねて、ありもしない桃源郷に浸る、ないしは嫌だと思ったまま諦める。それをそのまま歌にして共感を得たからって、それは別に生産的でもなければ前向きでもないじゃないですか明日への活力になるわけでも、気持ちがリセットできるわけでも、何でもない。ただ消費者を甘やかしてるだけで、もっと言えば、消費者を甘やかしている作曲者側の自己満足にすぎない。だってただの傷の舐め合いじゃないですか。それが元増田の言う「暗い」の根幹ですよ。そんな程度なら別にわざわざ多大な一手間を加えて歌にしなくても、ブログを書けばいいわけで。

別のやりようと言っても「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな歌」とでも言うのか。それは別に現実と戦う必要はなくって、遠まわしで皮肉で嫌味な歌でもいいと思うんですよ。「いーじゃん勝手にやってりゃ。俺らは好きに生きるから」みたいな。そういうのがあって、そういうのを選び取らないのは消費する側の問題だし(能動的に生きる、という意志放棄しているように取れます)、そういうのを選び取らせない社会の問題でもある(理想化された友人がたくさんいるって、具体的にどうこう以前に社会が相当マズいというのが一目瞭然だと思います)。これが反映されているのが「そしてこの根の暗さの根本的な原因は、当事者の方々そのものにあるのではなく、その環境を用意した世代の方にあるのだろうということ」という一文ですが、同時に「それもまた無自覚になされたことであり、ただ噫と溜息をつくばかり」なものでもあるわけです。どっちからも変えられるんで、消費者の側から変えても良いし、生産者の側から変えてもいいんですけど、たぶん「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな曲」が流行る、というのが一番手っ取り早い構図のように思います

あとはどちらかと言うと「元増田がどっち方向での解決を望んでいるのか」という問題な気がします。自分の疑問に解答が提示されれば良いのか、その上で何か「ポスト現在」みたいな理想像が提示されれば良いのか。前者だとすれば「それは現代社会では達成され得ない」と答える他ありません(特に理想化された友人に関しては、最早根本的な治療が不可能です)。後者であれば、それに対する私の答えは「現代厭世観を背景に持ちながら、その上で前向きな歌」です。この辺は言いだしっぺの意見を拝聴したいところです。

2012-07-03

http://anond.hatelabo.jp/20120702071300

増田レス付けるのは初めてなんで、これで付いてるのかよくわからないんですけど、そんな前置きはさておき。

一人で作っていることは、当然世界観が「狭いことの理由」にはなっても、根本的に世界観が「狭くていい理由」にはならないと思うんですよ。

この論におけるボカロ曲と同様のものに、恐らくフォークソングが上げられると思います。ただ、フォークソングとは「背中合わせ」のもので、背中だけは引っ付いてる(同質である)けど、向いてる方向は真反対ですが。

私自身は、生活者として自分世界を円滑に運営していくミクロ世界の中心主体としての自分と、社会人(これは社会に参画する人という意味で、労働者という意味ではありません)として社会を円滑に運営していくマクロ世界参加者としての自分は、あくまで別でなければならないと思っています。当然、音楽を作って世間に公表する以上、一定程度「マクロ世界」のことを考慮しなければなりません。

しかしながら、フォークソングは概して一個人の話です(南こうせつ神田川」、かぐや姫「赤ちょうちん」など)。ただ、フォークソングにはマクロ性がちゃんとあって、それは、フォークソング世間の多数のミクロな生活実感に直接訴えていた、というところにあります日本人が皆同じだったとは言いませんが、似たような経験をした人がたくさんいて、全体の中で「訴え」を体感的に受け取れる人が多かったんです。

他方最近ボカロ曲は、作詞者がミクロな一個人の世界を描いている点までは一緒なんですが(これは最早事例を挙げるまでも無いと思います)、そのミクロ世界観世間で共有されているかというと、そうではない。フォークソングで言えば「お金は無くて苦労したけど、今から思えばああいうのも良かったなぁ」みたいな世界ですが、結局聴き手側のミクロ世界考慮することなく、誰かの持ってる何某かのミクロ世界世間に向かって発信してしまうから、聞く人が聞けば「世界が狭い」とか「根が暗い」とか、そういった印象になるんだと思います。それに加えて、これは最近オタク文化全体の傾向ですが、時間的な奥行きが欠落していて、一つの桃源郷を提示して「こんな世界あったらいいなぁ」というところで止まってしまっている。先にあげたフォークソングの例だと「ああいうの」自体が時間的な奥行きを持っているわけですが、そういうのはボカロ曲に無いですよね。

こういう見地から見るならば、「仰りたいこと」というのは作詞者全体に対する一般的な問題提起になるのではないかと思います

仮に歌詞のある曲を作りたいのなら、現代社会にある何かしらの現象を自分自身の生活の上で解決して、それをもっと一般化して、最終的に言葉にして曲に乗せる、という作業をするべきだと思います。それを経ずに「こういう世界っていいよね」っていうのは、いろんな意味で反則だと思います

なんかもう、お前フォーク好きなだけだろ、みたいな文章になっちゃいましたが、「いまいちピンと来なかった」部分にお答えできたのではないかと思います

2011-10-13

学校に行きたくなかった人間の末路

オチ無し注意)

近年中国製品に押され気味の中なんとか頑張ってる陶器産業でなりたっているド田舎生まれる。

田舎から学校や進路は引越しなどがなければ中学まで必然的に決まる。少子化社会もあって、1学年保育園から中学までをほぼ同じたった50人程度の中で過ごしてきた。

みんな顔馴染みで互いが互いをかなり知っていてドロドロの関係だった。

自分場合は両親が子供にあまり投資したくない類の人間だったので、服は近所から貰ってきたお古のものだったし、クラス流行っていた何かについて話題に乗る事もできないし、勉強ができない割りに近所にある数少ない塾にも通わせてもらえなかったから全ての時期を「可愛そうな子」「近づいてはならない人」として扱われた。

10年近くもぼっち生活で、はっきり言って虐められていて苦痛だったし、親の方も母の家系カルト宗教で父が「それに子供を巻き込むな」と制止していたのもあって結構な頻度で喧嘩が続いていたか精神状態も荒んでいて誰とも関わりあいたいと思わなかった。

今でも自分は将来惨めに孤独死するんじゃないかと思っている。

中1の頃、ネットが開通した。

それまで独力でどこに行っても手に入らなかった理工学系の書籍amazonで購入できるようになった。

当時人工知能にあこがれて森北出版の「強化学習」を買ったり、基礎的なアルゴリズム勉強しようと「アルゴリズムイントロダクション」「アルゴリズムデザイン」を買ったりした。

今と比べると些細な情報しかなかったものの、技術情報ネットでぼちぼち調べる事ができるようになった。

学校での成績は悪かったが、情報工学に対して自分なりに勉強するようになった。無論、終わった人として扱われる学校になんて行きたくなかったか引きこもり不登校児にになった。

親は発狂した。2回PC破壊された。

それでも自分は諦めたくなかった。自分見出し情報工学という桃源郷を手放したくなくて、「学校に行くから」「(提示された以上の成績を)取るから」としつこくPCをせがんで型落ちながらもその都度PCを手に入れた。

何度も裏切る内に親も諦め、何も言わなくなった。

高校は2つ向こうの市にある遠い定時制に進んだが、案の定DQNばかりでトイレで薬物を吸っていたり平気で授業を妨害したり先生も何も言わなかったりで絶望して1ヶ月で辞めた。

そこから5年間、何度も自分人生は終わってるんじゃないかとか、いつ死のうか思案を巡らせながら引きこもって過ごしてきた。

生まれてから20年が過ぎた。金がない。学校にも行けない。働き口なんてない。人脈もない。何もかも終わっていると思って現在も生きている。

長年引きこもっているせいで親に精神科へと通院させられているが、とうとうそこで障害者2級の認定を受けてしまった。年金の6万5千円の内5万は生活費として親に取られている。

最近twitter技術系に詳しいリア充共をFollowして観察している。

寝て起きて食事をしてはてブトップページTwitterタイムラインを覗いて一日を過ごしている。精神が安定してきたらプログラミングもしているがあまり芳しくない。

親の脛を齧ってニート生活を送っているだけ。こんな自分にも未来があるといいな。

2011-05-19

首都圏に行きたいんだけどどうしたらいいかな?

ここでの『首都圏に行く』とは『旅行に行く』ではなく『定住する』という定義

俺が住んでるのは割と田舎(近所のマックまで車で30分程度)なのだけれど、「こんな田舎は嫌だ!もっとこう都会に行きたい!!」って気分が日に日に強くなっている。もちろん都会に行ったところで娯楽を楽しめるのは金持ちだけというのは分かっているけど、便利かつ大量の娯楽というのは俺にとって桃源郷。そんなところに住みたい!

はいえ、東京家賃が高い割に部屋が狭いので個人的に今ひとつ。なので俺としては埼玉のような中途半端な都会に住みたい。

ところが、中途半端な都会があるからといって迂闊に今の会社をやめる気になれない。というのも、「もしも仕事が見つからなかったら」という感覚が強すぎるから

今のところなんのスキルもないうえに新卒でもないので会社を辞めてもいい仕事は見つからないと思うし、入社して数年で辞めてしまったら転職しづらいイメージがある。しかし、まだ20代だからこそいっそのこと転職するのもアリなんじゃないかと思う自分もいる。

自分一人だけなので低賃金でもいいかといえばそういうわけでもない。なぜなら借金(ていうかローン)があるから。車のローンと奨学金を合わせて4万円/月。というわけで、それを踏まえて俺の求める条件は次のとおり。

<俺が求める環境

自転車で片道20分圏内にファストフード店・スーパーマーケットがあり、片道30分圏内にツタヤホームセンター漫画喫茶・巨大本屋があり、自転車で片道1時間圏内に映画館がある。

●月に4万円/月を返済しつつASDL以上の回線が利用でき、ガラケーパケホーダイが使える。

正社員

で、こういう仕事に就くために何を勉強したらいいのかな。ていうか勉強してもすぐに就職できる気がしないんだけど。いくら貯金があっても会社辞めたら次の仕事が見つからいままに貯金を使い果たしそうな気がするけれども、今のうちに転職しないと年取ってから手遅れになりそうな気もして(ループオチ

2011-04-20

SCRIBBLES IN GRAVEYARD

この器官、いや機関がこういった音楽弾幕の形式にたどり着くのは自明の里であった。

というのも、これまで何千という模倣者が探求してきた果てに、結局のところ主観と客観の合を一にする

もっともてっとり早い方法は音楽の合わせた強制的なパターンの羅列、それも熾烈なまでの弾幕においてである

この天球の音に合わせて光るメリーゴーランドに、

または儼かな生きものたちがざわめく瀑布のように、

あなたは強制的な移動を強いられる。

ただその強制は完美なまでに美しい音楽調和して、

まるであなた弾幕を避けているのか、

弾幕あなたにあわせてダンスしているのか、

からなくなってくる。

これがかの機関目的永遠の調べ。プレイヤーたちの理想桃源郷

2010-12-19

ノルウェイの森を再読している。

これを初めて読んだのは大学一年生の頃だったか無駄自分に肯定感があって、それでも醜い気質みたいなのは底流していて、それが絶妙に混ざり合って本当に醜悪な人間だった頃だ。(今では自信だけをなくし、卑屈に醜い気質が溶け合った生き地獄主観を生きる人間になっています。この七年間に何があったのか!何もなかったけど、こうなるには充分の時間が経ったのだ)

初読の時、ふんわりとした「よかった」感覚はあったのだけど、内容は一切として具体的に覚えていなかった。それはいつもの村上春樹と同じように。読み終えた直後から内容が思い出せないのだ。

今回村上春樹小説を手に取ったのは、タイミング的に随分久しぶりのことで、一応大学一年という自分精神史的に輝いていた時代に読んだものだという記憶もあったので、すこしばかり腰を据えて、というか幾分力んでこの小説に臨んだ。そして分かった。そりゃあ当時の自分がこの作品に好感を抱く訳だ。

自分は他人とは違う、誰しもが一度は通る通過点なのかもしれないが、その思いを強く持っていた当時の自分には、この作品が非常にマッチした。世間一般からは浮いている、でもその存在は“ただ在る”だけで肯定され、少なからず魅力的な人たちが寄ってくるんだ。こんな桃源郷があるかってんだ。

今となっては、この作品の傲慢さがすごく目につく。自分自分の好きなように生きていく、孤独に悩むことはない、こちらが動けばいとも容易く他人を懐柔できる、そしてその人たちは単なる背景として存在しているだけで、そう、それは完全にその人たちを「見下して」いるのだ。ある人が他人と接しようとするときに持っている“トライ精神(えいやと飛び込む度胸)”とか、一緒にいたいと思うから好感をもたれたいからする努力とか、全てを自分への陶酔に還元しているだけで、他者への思いやりなど一片もなく、それでもそういう生き方が魅力的に捉えられ、時たまナルシスティック孤独に浸る(←完全にパフォーマンス)だけで、せっせせっせと慕う人たちが寄ってくる。

もうこりゃ最強でしょ。

そしてこれは、誰しもが当たり前に持っている願望のようにも思う。自分は世間とは違和を感じる、そして誰かに自分のことを分かってもらいたい。時には誰かから必要とされたい。不十分な人間かも知れない自分だけど、誰かに求められ、認められたいんだ。

村上春樹世界の住人たちは、その夢のような願望たちをいとも簡単に実現していくんだ。ナルシズムを漂わせながら、とても格好よく、いとも容易く。

謙虚さなど、一切ない。傲慢に存在し、周りを見下すだけの人間

だって自分は周りと異なっているように感じるんだよ。それに苦しんでるんだよ。そしてそれでも誰かと分かりあいたいから、外に向けて努力をして毎日懸命に動いているんじゃないの?そう思うんだよなぁ。

そんな風に、初めて読んだ時とはえらく作品のとらえ方が変わってしまったので、驚きのあまりこのように綴ってみた。今の自分精神状態はそりゃあもう完全に病んでいるから、これがどの程度一般的な意見なのか分からないけれど、こう感じる人っていないのかな。

と、まぁ、まだノルウェイの森の上巻しか読んでませんがね。下巻買ってこよう。

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