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2023-12-22

anond:20231217183346

>何年もかけてイスラエルを油断させつつ武器を溜め込み、

誤認がある。「何年もかけて」ではない。「2年半にも満たない短期間で」だ。前回の大規模衝突は2021年5月NHK中東解体新書が素晴らしくよく出来たサイト作ってるので貼っておく。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/new-middle-east/gaza-israel-conflict-2021/

当事者の2万字インタビューとか、ハマス反省会とか、10.7攻撃調査報告書とかがあるわけじゃないから断言はできないが、ハマス専門家100人いたら99人は、この衝突の終了後から今回の攻撃計画が始まったと答えるだろう。

>何百人かのイスラエル人や他国の人を殺害し、拉致した。その結果として、イスラエルがマジギレしてパレスチナが壊滅的な被害を受けている。

これは過去の衝突で何回・何十回と起きた事で、意外性はゼロハマスによる攻撃第一報を聞いた国際政治専門家100万人いたら、100万人が(程度の差はあれ)この展開を予想できたはずである

>僕はてっきり二の矢三の矢があるのかと思ったけどそうでもなかった。もしかしてそれをイスラエルに阻止されたの?

あるかないかで言えば、物理的には兵器、例えばロケット弾とかは相当数あったと思われる。ただし、人手が絶対的に足りなく、また、イスラエル空軍が大っぴらに介入してくる状況で、ロケット弾の飽和攻撃(大量一斉発射)は不可能であり、さりとて小規模な発射であれば、それへの対応イスラエルにとっては日常業務であり、阻止されるのは攻撃から誰でも分かっていたはずである普通に考えれば、ハマス第一撃に全力をベットする決断を下し、そして、それは十分な成功を収めたと言える。

>それとも、あの10/7の攻撃が最大の攻撃目標を達成できなかった?

目的が何か、というのを素人部外者深読みしがちであるが、そもそもハマスの存立基盤は(腐敗して頼りならないファタハと違って)反イスラエルを貫き続けることであり、攻撃を行ってイスラエル(がスルーできずに大規模反撃に乗り出す程度)に損害を与えれば、それで「目標を達成でき」たとしか言えない。それに付随した成果・結果は色々とあるが、それは極論すれば外野勝手評論であって、ハマス的には二次的な要素に過ぎない。

たとえばアブラハム合意以来進んでいるイスラエルアラブ諸国の接近の阻止が云々、というのは指摘されがちだが、じゃあ交渉が不調だったら攻撃をしなかったとか、逆に交渉が順調だったら攻撃を早めたのかと言えば、それはどちらも寝言は寝て言えである攻撃が最大の成功を収められるタイミング(それが50年前と同じくヨム・キップルの日になったのは偶然だが必然でもある)に攻撃した、以上の意味は(たとえばそれがハマス人間から出た言葉だったとしても)すべて後付けでしかない。

>あるいは、世界の注目を浴びることが目的だったのならそれは成功はしていると思うけど…

まあ広い意味では目的だとは言える。ハマスが存続するためにはパレスチナの人々(ガザに住む人だけでなく)から支援以外にも、主にイスラムからやってくる経済的な援助や政治的な同情も必要であり、それを得る手っ取り早い手段は、イスラエルに損害を与え、報復攻撃を受けてパレスチナ人が被害を受けることである

残念ながら過去75年間、パレスチナ人は酷い目にあいつづけており、イスラム圏では「同情疲れ」とでも言うべき状況にある。パレスチナ難民の総数は600万人以上で、その大部分が国籍も何もない難民暮らしを強いられ、二級国民未満の扱いに甘んじている。無論、受入側の国にも事情があり、彼らに安易国籍を与えると忽ちそこがパレスチナ人の国となり、そうなるとまず間違いなくイスラエル(とその後ろ楯であるアメリカ)は、パレスチナ問題の「最終的解決」として、西岸ガザパレスチナ人をその国の国民位置づけた上で全員追放してしまうだろう。これは勝手想像ではなく、少なくとも40年前、レーガン政権当時のアメリカイスラエルの一部で、ヨルダンパレスチナ化を和平の手段として探っていた。

話が逸れたが、そういうわけで、パレスチナ問題を人々の意識に浮上させるために、ハマスは「成果」と「被害」を適宜発生させる必要がある。現時点での印象をまとめると、

アメリカの若年層など、事前に想像された以上に反イスラエル感情が噴出したことは予想外の成果。ただし、肝心要のアラブ諸国政府の反応は期待よりも低い」

ぐらいだろうか。ここは詳しく書くとキリがない(過去の反応との差分を全部出す必要がある)ので省く。

>何年もかけて準備した結果、「相手に痛い目見せてやりましたぜ。一矢報いた。その結果俺達ぼろくそやられることになったけど知るもんか」ってことなのかな。この辺が全然からない。

を正しく書き換えると、

わずか2年半の準備でイスラエルに前代未聞の大損害を与えられた。予想通り民衆を大量に巻き込む攻撃を行ってきたが、予想以上に国際世論が反イスラエルに傾いてて正直ビックリアッラーアクバル!」

ぐらいになるだろうか。

2018-08-18

自分幸福を喜んでくれる人がいるのは幸せなことだというけれど、

わたしにとっては、自分の不幸を誰も悲しまない状態に持っていくインセンティブのほうが高い。

苦しみは喜びと相殺せず、

喜びもそれが消え去るときには苦しみに変わる。

私見だが、生きるという状態にはもともと傾斜がついているのだ。

坂を登れば喜びが増え、

坂を下れば苦しみが増える。

しかし、だれもが最後には坂の上で一人で立っている力を失って、

坂を転がり落ち、苦しみの底を踏み割って、

最後にようやく安寧を得ることが出来る。

生きるとは変化することだ。

そして、何もしなければ坂の下に向かって引く力によって、自動的に苦しみが増えていくことになる。

わかりやすいのが飢餓だ。何も食べなければ飢えに苦しむことになる。

いつか、ディック小説に「キップル」という言葉が出てきた。からっぽのマッチ、ガムの包み紙、きのうの新聞、いつかそういう役に立たない無秩序から使者が、人生をまるごと埋めてしまわないだろうかと危惧する男性台詞があった。

あるいはこれを、エントロピーと呼びたがる人もいるかもしれない。何もせずとも増大していく無秩序を取り除いて、快い状態を保つのは骨が折れる仕事だ。取り去っても取り去っても、床の上には髪が落ち、埃が積もる。わたしたちは秩序を快いと感じる。しかしわたしたちの体や生活は、継続的努力なしでは無秩序へ堕ちていく。

実のところわたしディックのような想像力はないし、エントロピー概念をきちんと理解しているともいえない。わたしに見えているのは、単に「ひとたび生を得たなら、何もしなければ苦しみは増える一方だ」ということだけだ。

生についている傾斜の角度は人それぞれだ。その勾配を決めているのは生まれや育ち、能力容姿親の金、生への適性といった要素のように見えるが、それでも傾斜が付いているということには変わらない。どの人間平等に、「何もしなければ苦しむ」のだ。そのルールだけはどんな金持ちも器量好しも変わらない。

あなたがもし死にたがっている誰かを前にして「生きることは素晴らしい」と主張しようとするならば、自分相手の間にある生の勾配の差には留意したほうがいいかもしれない。勾配が大きければ大きいほど、「ただ生を維持する」ための労力は増大する。

あるいは、人間脳みそには現状を肯定する強いバイアスが掛かっている、ということにも注意を払ったほうがいいかもしれない。

わたしには、「苦しみがあるからこそ喜びがある」「苦労したからこそ今がある」という考えはまさにこのバイアス産物のように思える。

連休明けの出勤のように、喜びもまたそれが失われるときには苦しみになる。苦労はその「今」が永続することを保証しない。いつ不運が巡ってきて、労苦を支払って手にしたものが水泡に帰さないとも限らない。わたしにはむしろ、「恍惚の一瞬には苦悩で支払いを」というディキンスンの詩のほうがしっくりくる。

我々は変化する。

その方向は我々が外から力を加えない限りにおいて、決まっている。

どんな人間最後には苦しみの底に落ち、その底を突き破って死なねばならないと決まっているならば、わたしわたしの苦しみが、せめて誰かを苦しめないようにしたい。

そこで話は冒頭に戻るのだ。

わたし幸せを喜んでくれる誰かが多い状態というのは、裏を返せばわたしの不幸を悲しむ存在が多いということでもある。

からわたしにとっては、わたし幸せを喜んでくれる人が多い状態より、

わたしの不幸を悲しむ人が少ない状態のほうが好ましい。

シャーデンフロイデ。いい言葉だね。上等だ。少なくとも、わたしにとっては。

 
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