はてなキーワード: 上りとは
とん、とん、とん、とん、って感じの人ね。1段ごとに落下のエネルギーを受け止めるの大変じゃないの?
降りるときの落下の勢いに任せて膝から下を回転させるようにタタタタタタ、って降りたほうが早いし楽だろ。上りでゆっくりはわかるが下りでゆっくりな人はなんでなんだろほんと不思議
追記:意外に伸びて驚き。んで階段が怖いって人が想像以上に多くてビビった。矢受け過ぎだろ
降りるのゆっくりな人が悪いってことはないぞ謝ることもない。んでハイヒールや足の悪い人や妊婦さん、またそういう人と一緒なら全然ゆっくりがいいと思う。ただそうでもなければ手すりを構えつつトトトト降りたほうが足の負荷小さくない?もっと楽しなよって話がしたかった。でも同意する人ほとんどいねえな。ゆっくり降りたほうが疲れるんだけどな
てか階段でコケる人多いんだな。世間一般もそうだったりするのか?俺は階段で転んだことねーし降りる行為自体や階段の遠近を意識したことはなかったがこれは若いからなのか。用心しつつ残りのトト降りライフを満喫するわ
ちなみに降り方がわかりづらかったみたいだが、回転させるというか下半身を脱力すると自然と交互に膝が前に出るって感じレッツトライ
いやいやと。
レスリングでもあったね。こういうの。
世の中にこいつの予備軍は大量にいる。
もっというなら、この若手選手をこきつかう、元名誉軍人、老害、それにもなれなかったその他多数。
こいつらが原因や。
あと一般人。
こいつら全員予備軍や。
これが、世の中の構図や。
なんでこういう皆さんのいう”ありえない事件”が起こるか。
せこいな、後出しじゃんけんで言うなよ。
原因のほとんどの人間はこいつらに”関与”すらできなかった、なにもできなかった奴らや。
有能な若手、そいつらを統率するための歴史をもった、”元”カリスマリーダー。
そいつらを統括する若手コーチ。こいつらはすべて一芸を持った人間や。
こいつらは結局こうや。
アメフト監督:こいつは老害や。みんな思ってた。こいつ使えない、カス。でも、いうこと聞かないと怖い。
なぜか、、
過去の功績や。それは本当に勲章もん。脳死しても聞かないといけない。
マイナー競技でもメジャー競技でも結局なかなか、上り詰めている昔の人間がまっとうな
尖り続けた狂気の人間が、そらこの層にはいるよ。仕方がない。ちゃんと分析しろ。
カリスマは年月がないと慣れない。どれほどあたまおかしくても、年月が味方しないとカリスマは作られない。
競技人口の増えつつある競技ではありえないぐらいのカリスマ性を過去の人間は”レバレッジ”して持っている
こんなんどこの業界もそうやろ。
ビットコインみたろ。最初は10倍、20倍があたりまえや、その後の倍数は1.2ぐらいがせいぜいや。
先行者の有利性は半端がない。
若手選手: こいつも有能や。一番有能、働き盛り、いろいろ迷いまくりや。こいつは有能だからなんでもしよる。
若手コーチ: こいつもよういるパターンの中間管理職や、少し有能、若手のカリスマ、若手選手の尊敬はあるやろ。
で、こいつアメフト監督にたてつくなんてありえない。これまでも意味不明な監督のわけわからん助言を
つーか、こいつらの光景が異常だったというなら、世の中異常だらけ。
世の中で意見をもつこと、決断すること、カリスマとなること、物事を推し進めること、これらや大小狂気が潜んでいる
それがゆえに、狂気が増幅されやすい組織は存在してしまうし、大小世の中の組織はそうなっている。
レベルの近しい同年代の意見より、レベルの低くても、年月のレバレッジを味方につけた老害の意見は飛び越える。
これは記者クラブでも、政治の世界でも、どーーーの世界でも本質。
でも年齢が1 : 1.2 なのは最高に判別がつく。35歳と、42歳、全然違うね。
一芸を持つこと自体がとても難しい。
過去の有能とされた人と今の有能な人はまったく比較下にはないが、
世代間競争はとても、わかりにくく、とても不条理な関係を生み出す。
”レバレッジ”がきくのだ。
ほとんどの人間は、この有能な若手、有能な中間管理職、有能なカリスマ老害
そいつら、いびつな人間をまとめたら、それらの統一をはかるようなメンバーが本当は必要。
そもそも、ほとんどの人間はそれにすらなれなかった、がゆえに、何故この問題が起きたかわからんやつらや。
ビットコイン後から買ってたらよかったー っていいながら、もうビットコインの話題全く感知してない奴らと同じや。
こんな組織は山ほどあるし、そうなってなかったら本当にえらい。
増幅されやすい組織も山ほどあるけど、そいつらは結局結果が出てたりするし、
今は、こういう衝撃的な事件ということで盛り上がったが、本来、ありえない事件なんてあんまりない。
なにかの構図がたまたま結果につながっただけであって、ありえないをありえないと批判して留飲を下げているのが
一番間違い。
後出しで今どや顔で話しているやつらは1年後、間違いなく忘れいている。
俺は忘れない。
対策を練るには目標の性質を正しく理解する必要があります。そのために偏見や誤解は邪魔になります。
まずは典型的なレイプ魔の描像を知ってください。私の理解する限りですが以下に解説します。
ひょっとして世間には「性行為できない/もてない人間がレイプ魔になる」という認識があるのでしょうか?
もしそうだとすればこれは誤りです。多くのレイプ魔は彼女がいます。結婚して子供のいる人もいます。
彼らは性行為の機会がない人ではなく、残虐な行為でしか満たされない人なのです。
また、そのような嗜好のある人の全てがレイプ魔になるわけではありません。
私たちは自分の欲望をうまくコントロールし社会に適応し生きているのです。
「残虐な性嗜好」「欲望をコントロールできない」2つの特徴を持ちあわせ、ある境界を超えてしまった人がレイプ魔になるのです。
これは、お酒を飲む人の全てがアル中になるわけではないのと同じです。
「このままでは捕まってしまう」「明日はやめよう」「こんどこそやめよう」
そうやってズルズルと続けるのがレイプ魔の典型的なパターンです。
ネトゲ廃人が以前話題になりましたね。ネトゲをレイプに置き換えてみればわかりやすいかもしれません。
「レイプをしやすくするために拘束時間の少ない職に転職した。手取りは減った」「レイプするために会社を辞めた」
以下はまとめサイトの記事ですが、痴漢を名乗る人の告白です。理解の助けになるかと思うのでリンクします
http://blog.livedoor.jp/hitosoku/archives/4309584.html
誤解を恐れずにいうと、典型的なレイプ魔は「性依存症」という病気です。心療内科で治療できます。
異常な性は病気なのか?特徴の一つなのではないか?治療して良いのか?
発達障害などでも繰り返される議論ですね。よりセンシティブに書くなら
「本人が社会に適応できず悩んでいるのなら心療内科で手助けできる」
といったほうが良いかもしれません。
先の事件には強い憤りを感じていますし、そしてレイプ及び殺人被害者を減らせないかとずっと考えて来ました。
そして私のたどり着いた結論は「被害者を少しでも減らす方法は、レイプ魔を治療につなげ救うこと」でした。
検索すると性加害者を積極的に受け入れている病院も出て来ます。
もしあなたが、もしくは周囲の人が、異常な性に悩んでいるのを見つけたら病院に繋げてあげてください。
私の願いは、自信の異常な性に悩む人が気軽に心療内科を訪れ治療し社会生活を送ることができる未来です。そのために一人でも多くの人に性依存症に関する知識を持って欲しいと願っています。
そして性依存症に悩む人はそれをコントロールし社会に適応している限り、迫害されてはならないと考えています。
なぜならば、上述のように「本人が悩み治療したいと思っている」ということが大事だからです。
レイプする可能性のある人でも本人の意思に反して投薬することは人権問題になるのです。
そして「会社をクビになりたくない」は治療の十分な動機付けになるはずです。
重要なことを書き忘れました。
まず、以上に書かれたことは私個人の意見であり、性被害に遭われた方を代表するものではありません。
それから、性被害の多くは身近な人からの犯行といわれていますがこの記事では扱っていません。
それは私がそれらの被害を軽んじているわけではなく、単に語る知識を持たないからです。
(ここで述べたレイプ魔と me too されている人たちは別物です。後者はそもそもレイプしている自覚も罪の意識もなさそうに見えます。)
おそらくレイプ魔に関する描像が私と違っていただけです。
被害者を守るつもりで書いてる方に妨害するようなことを書いて申し訳なく思います。
どうか、怒らずに協力していただけたら嬉しいです。
ちょっと最近思うところがあり、ふとこの想いを書き留めておきたいと思ったため初投稿。
自分がいるところは本社ではなく、ほぼ入社した時期と同じころに発足したばかりの支社。
入社したばかりのころは支社の社員も少なくて帰社会も強制参加ではなく、わりかし自由度が高くてお金を稼ぐ点だけで考えれば不満はなかった。
客先常駐型の会社の問題点はさておき純粋に仕事を仲介してくれるだけのウィンウィンな感じだった。
しかしここ最近急激に人数が増え、今では気付いたら帰社会も業務になり参加は強制である。
もちろん業務になったからといって会社が派遣先の企業に話を通すわけでもなく、
帰社会への出席にあたっての調整は現場にいる人の責任で行わなくてはいけない。
従業員のほとんどは転職組だ。支社の方針として応募があるだけでうれしいらしく、業界の業務に未経験でもほぼ採用される。
その甲斐あってか現在進行形で従業員数はうなぎ上りに増えている。
つい最近、営業の人が新しく入った。その人はIT業界は未経験で営業の経験もゼロらしいけど採用された。
客先常駐型の会社の為、自社に常に居るのは支社長と事務、営業、あと新卒と自社待機または持ち帰りの人たちのみで4~5人程度である。
自分は常に自社に居るわけではないけど事情があって午前中は自社に出社することがたびたびある。
営業の人はやっぱり入社して色々面食らったらしく、従業員数も増えていく中で組織改革が必要だと考えたらしい。
そこで「自分に何かできることを」と考え思いついたのが朝会の導入だそうだ。
また、営業の人以外、いわゆる他社から引き抜かれてきた人たちも様々な考えがあるらしく、気づけばさまざまな決まりやら活動が出来はじめた。
個人的に興味深いのは皆、以前いた会社にそれなりに不満があって転職するなり引き抜かれたりしているけれど、
「何かを変えよう」とか「組織改革をしよう」と実行に移したとき、以前いた会社のやり方やルールをほぼそのまま踏襲してしまうところだと思う。
たぶん、今自分が働いている支社も行き着くところは、決まりがどんどん増えるし、自社に居れる時間が殆どない以上プライベートの時間を使うような組織運営になるのだろうなと思っている。
ちなみにその朝会も、支社としての強みを引き出せるようなものでもなく連絡事項もままならないスピーチ会になっている。
さらに進行は言い出した営業の人がやらずに新卒に押し付けているのが現状になっている。
もちろん朝会みたいなものがまったく必要ないとまでは言わない。同じ会社で働く人の顔と名前を覚えるとか、その人の考えをスピーチで知るとか、そういったことを促進する効果はあると思う。
けれど、客先常駐型の会社故従業員の大半が自社で勤務することはありえないため、「なぜ行うのか」という部分に関して明確な理由がある訳ではないと思う。
突き詰めれば「以前勤務していた会社がやっていたから」以上の理由は恐らくないし、先に述べた効果のことなど考えてすらいないと思う。
結婚して子供は二人。妻は専業主婦。都内の持ち家に住んでます。
よほどの物好きでなければ読みもしないでしょうが、よほどの物好きのために書き起こします。
少し年の離れた兄が2人。
父親は高度経済成長期に鉄くずで一山あてて、わたしが物心ついた頃には外車を乗り回して手広く商売を始めていたいわゆる実業家だった。
兄たちは私立高校に通うも大学には行かずに親が与えた飲食店のそれぞれのオーナーになった。
学校が終わると遊びに出かける友人たちを尻目に店を手伝わされる毎日。
日付が変わる頃家に帰ることもあって遅刻の常習犯。授業中も居眠りが基本。
ところが与えられた商売がうまくいくはずもなく、飲食店はいつも閑古鳥。
それをいいことに給料はろくにもらえず、そのくせ毎晩の様に遊び歩く兄を見てフラストレーションを貯める毎日だった。
エスカレーター式で高校に行くも、そんな生活サイクルでは勉強がうまく行くわけもなく高2で単位をとれず留年せずに中退。
ところが世はまさにバブル崩壊直後。
手堅い商売だけを続けていればいいものを、株式投資に手を出した父親は持ち家から事業の全てを一瞬にして失う。
兄たちの飲食店も当然のように廃業。兄弟それぞれがそれぞれに肉体労働を始める。兄弟とはこの頃に絶縁状態になった。
修行期間という理由でボロアパートの一室を与えられた以外に、給料は3万円のみ。
免許を持っていなかったので現場までの移動はかろうじて眠ることが許された。
ところがこの仕事も、1年後に職人がこぞって夜逃げしてしまったために職人部隊のみ解散。
退職金(とはいっても今まで手渡されてなかった自分の給料だが)を80万受け取って、補償もなしに家を追い出される。
財産を失ってから口を利かなくなった両親が住む葬儀場のようなアパートに身を寄せるも、口を開けば喧嘩が始まる両親に挟まれることが限界になり自室に引きこもる。
ダイヤルアップとテレホーダイでインターネットを始めて昼夜の生活が逆転する。
引きこもりを始めて1年。夜間の日雇いで食いつないぎつつも20歳になったときに貯金が底をついてしまったために日中の就職を考える。
まだ個人でパソコンを持っているのが珍しい時代だったために、ハッタリだけでソフトウェア系の会社に入社。
プログラマーではなく営業職だったために、そこでタイピングから文書作成などの基礎をみっちり教わる。
しかし務めていくうちに社長がキャッチセールス(ソフトウェア抱合せ販売系就職斡旋詐欺)方向に傾倒しはじめ、会員からの指摘で警察が介入する事態になりあえなく倒産。
22歳にて再び露頭に迷う。
その後再び1年間引きこもり。フレッツISDNが始まった頃で、起きたいときに起き、寝たいときに眠る生活をするうちに日にちの感覚を失う。
その後、パソコンを使えるという話を聞きつけた親戚(工務店とは別の親戚)からぱちんこの事務を頼まれる。
急遽事務員が長期間の入院をすることになり替わりの人間を探しているとのこと。
当時、ぱちんこそのものを見下してはいたが、寮を与えられ正社員として採用してくれるという言葉に心が動いた。
一日でも早く家を出たかったし、高校中退引きこもりの自分が正社員として働ける日がくるとは思ってもいなかったからだ。
入社して早々にわかったことは、会社全体としてかなり管理が杜撰ということ。
オーナーはものすごく人がよいのだが、その人の良さにつけ込んで働いている人間かかなり好き勝手やっている状態だった。
一応引き取ってもらった恩があるのでできることから少しずつ改善を始めるも、当たり前のように古参と衝突した。
人は人、自分は自分の精神で、自分の受け持った仕事だけはきっちりと無駄なく効率化した。
当然働いているふりをしていた人間はそれが明るみになり、オーナーも少しずつおかしいことに気づき始める。
入社して1年で事務周りの全てを見直して最低限度の効率化を達成。
それと同時に働いているふりをしていただけの人間は勝手に居場所を失いいなくなった。
その頃には自分がいなくても事務が回るようになっていたので、その実績を買われてか今度は店舗に異動。
20店舗近くのチェーン店を持つグループ企業の、旗艦店のリニューアルがあるということだった。
いざ入ってみるとここも上から下まで相当腐敗していることがわかる。
ぱちんこ業界としては最も隆盛の頃で黙っていてもお金がどんどん入ってくるような時代だった。
とはいっても競争が激化してきていることもあり、そのままでは当然おいていかれてしまう状況だった。
リニューアルを目前にして、やらなければならないことは山積みのまま。
オープン直前の2週間は職場で数時間の仮眠を取るだけの生活が続いた。
リニューアルはなんとかうまく行ったもの、オープン後も課題は山積みのままで誰よりも早く出社して誰よりも遅く帰る日々が続く。
当時はなんて無責任な!と憤ったものだが、今思えば働いているフリをしていれば守られていた地位が突如脅かされたのだから当然のことなのかもしれない。
ここだけの話だが、教えられる相手もいないまま手探りでぱちんこの釘を担当することになったことで、この旗艦店ではしばらくの間、全くの素人が釘を担当していた期間が存在する。
当然毎月の利益は破茶滅茶で、リニューアルの人気だけで売上が保たれていたような状況だった。
ただ、そのせいで、今度はとうとう休みすらまともに取れなくなってしまった。
毎日出社して数百台の釘の打ち替え、勤務日はホールのシフトに組み込まれてしまうため、事務作業は公休日に行った。
(一応断っておくが、釘の打ち替えは直ちに違法ではない。無承認変更にならないために適正を維持することもホールの義務といえるからだ。)
広告の手配から店舗の販促、部備品の発注からセキュリティまで事務作業のほぼ全てを一人で行っていた。
休み無し、一日の労働が17時間を超える日が3年ほど続いた頃、とうとう身体を壊した。
その頃には店舗のナンバー2まで歴代最速で上り詰めていたが、逆を返せばまったく後戻りができない状況に追い込まれていた。
その後は一ヶ月間自宅療養になった。
絶対に休めないと追い込んでいたのは自分だけで、休みから明けてみると(満足できるか出来ないかは別として)業務のほとんどは滞りなく行われていた。
それをきっかけに、部下を信じて、6割の完成度でも容認できるようになったことで、やっと休みを取ることができるようになった。
そのさらに1年後、28歳のときに新店舗立ち上げのリーダーに選ばれた。
準備期間を経て新店オープン直前の1ヶ月から1年間、再びまともに休めない生活が始まったが、以前のように一人で背負い込むのはなく、部下たちにうまく割り振ることで精神的な負担はうまく分散することができた。
営業も安定したオープン2年目、十分に下が育ったと実感できた31歳のときに本部に異動になり店舗業務から外れ、グループ全体のマネジメントを担当することになった。
家族手当や住宅手当などを含めて初めて年収が一千万円を越えた。
ただ、結婚するまで貯金はなかった。ほとんどが部下たちとの交際費で消えてなくなっていた。
自分が上り詰めると同時に居場所をなくした上司達が次々に辞めていったために、今では親族役員を除けば実質社内で1番の地位、本部長を務めている。
ただ、ぱちんこ業界の先行きは暗く、今のままではこの収入を維持することは難しいだろう。
ここまで目を通してくれた物好きな方はお分かりの通り、わたしの人生から学べることなんてものはない。
学歴なんてものは持ち合わせていなかったし、かと言って中退後に真面目に働いたわけではなく、むしろ社会と断絶した生活を送っていた。
成人した後、必要に迫られてがむしゃらに働いた時期はあった。しかし、今思えばそれは行き過ぎていたし、実際に身体を壊す直前には死ぬことばかりを考える毎日だった。
あの時、ぱちんこを見下したまま誘いを断っていれば、今の自分は絶対に存在していないだろう。
ただ、自分の後にも先にも、この会社でこんな働き方をした人間は一人としていなかった。
それが自分の生き方が他人の模範にはならなかったことを端的に表していると言えるのではないだろうか。
言いたいことは一つ。
どんなに成功していようとも年寄りの話なんて良くも悪くも半分も聞いていれば十分だということだ。
なぜなら、彼らは努力の結果生き残ったのではなく、生き残った結果、自らを肯定しているだけだからだ。
どんな道を進もうとも、そこには必ず運がいたずらをする瞬間が存在する。
そのちょっとしたいたずら次第で、人の人生なんてものは簡単に変わってしまうものなのだ。
努力が無駄とは言わないが、努力に見返りの約束を求めることだけは無駄だと断言できる。
ただ、もし付け加えるなら、何かの選択を迫られた瞬間、それが自分にとって燃え上がることのできる選択かどうかを考えて欲しい。
その覚悟がなければ、運によってもたらされた結果に後悔を繰り返す人生になってしまうからだ。
自分にしてみれば、今の生活がどうであれ、青春時代を親兄弟に台無しにされたことが今でもくやしくてならない。
あの時あの瞬間しか味わえないものはいくらお金を積み上げようとも買い戻すことはできないからだ。
なぜあの時にもっと親兄弟と戦わなかったのか。その結果が例え無駄だったとしても、戦うという選択をしなかったことだけが今でも一番の後悔として自分を苦しめ続けている。
他人は関係ない。自分がより輝ける選択を続けられることが、辛くても苦しくても、例え早々に死を迎えることになったとしても、幸せと言えることかもしれない。
父は短気で神経質だ。教科書が玄関に置きっ放しだとか、洗面台が水浸しだとか、どうでもいい、些細なことで私を叱りつける。大抵の場合、ほぼ100パーセント私が悪いのでそれは一向に構わないのだが、命令されたことは是が非でもやりたくなくなる捻くれた根性をしている私は、お決まりの「やりたいやつがやればいい」節を繰り出す。父は正論を振りかざして怒鳴ってくるので、私は意味不明の持論で対抗するしかない。そうするとすぐに、怒りっぽい父の頭に血が上り、私の両手を強く掴み、引っ張って連れていく。一生腕に痣が残るんじゃないかと思うほど強く掴む。意地でも服従したくない私は掴まれた両手が振り払えないと分かると、父の右腕に思い切り噛み付き、踵に力を入れ正面から腹を蹴る。興奮で心拍数が上がって、頭が熱くなる。父親相手でも手加減はしない。もうすぐ成人とはいえ、女の本気など通用しないだろう。父の右手から左腕が解放されると、その勢いにまかせてろくに狙いもつけずに殴りつける。父も負けずに殴る。殴られながら殴りまくる。身体中の産毛が奮い立ち、相手を殴るたびに快感で頭がいっぱいになる。脳と視界が興奮で揺れる。諦めた父が両手を私から放したら殴り合いは終了である。掴まれた腕と殴られた胸がヒリヒリ痛むが、快感はなかなか覚めない。自室に戻っても立ったまま腕を組んで余韻に浸る。こうして毎度の殴り合いは私の勝ち逃げに終わる。普段の私たちは普通に2人で釣りに行くレベルの仲良し父子であるが、月2回ほどの頻度で勃発する親子喧嘩は毎度殴り合いになることを友人に言ったらドン引きされたし、冷静に考えたらただのヤバい奴でしかなくて草。
インターネットタレントなんてかっこいい()肩書つけてるけど、YouTuberってただの無職だからね。
他に仕事してるよって人は、そっちの肩書が書かれるだけで、YouTuberは別に休みの日はYouTuberやってまーす程度の主張だよ。
あれはただの動画遊びの延長で、よっぽど売れてTVにも出る事ができるくらいになって初めてタレントの階段上り始めるだけで
配信したことがありますってだけじゃ、ただの動画配信者です。タレントでもなんでもありません。
無職が職業YouTuberってドヤ顔で言ってるのを見かけるけど、あー…あいつ無職って言うの恥ずかしいから誤魔化してるんだろうなぁ…しか感じられないよ。
室町時代の風呂は蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたものが起源であるが、現在の風呂敷にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。
足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りにはこの絹布の上で身繕いをしたこという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。
江戸時代に入り、湯をはった銭湯が誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包まれるようになったのが、現在の風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。
この記事は過去二つの記事を前提としていることを、最初にお断りしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
https://anond.hatelabo.jp/20180403003916
うつの揺り戻しの勢いで後日談を投稿した後、自分で読み返して「これ書いた人相当病んでるな」と他人事のように引いてしまった。
可哀想な元派遣社員が身も心もすり潰されて不幸のドン底にいる、という筋書きの方が読み物としては面白いのだろうが、実際はそうでもないので、もう一つの後日談を綴っておく。「同情や心配して損した!」と思って頂ければ幸いである。
仕事を辞め、諸々の手続きを終えて少し経った頃、タンポポを堀りに行った。
子供の頃使っていた植物図鑑を見つけたのだ。野草を使った遊びが色々書かれており、ほとんどは試したことがあるのだが、大きな刃物を使うもの、食べるものは母が許してくれなかった。
で、そこに書かれていた「タンポポの根のコーヒー」を大人の力で作ってみようと思い立ち、近所の土手でタンポポを探した。長い根を掘り出して、洗って晒して刻んで炒って煮出す、二日がかりの大仕事である。
手間暇かけてようやく出来上がった飲み物は、格別に美味しいわけではないが、喫茶店で「そういうブレンドです」と言われれば納得するような、中途半端な味がした。いっそまずい方が、ネタ的に美味しかった。
この話を友人にしたところ、「そんなにお金に困ってるの?」と心配された。好奇心ゆえとの主張も空しく、彼女からは誕生日プレゼントとしてコーヒーチケットを頂戴した。
同じ野草を食す行為でも、「山菜狩りに行きました」「自分で摘んできて七草粥を炊きました」はSNSのイイネを集めたというのに。美しい言葉には、現実を捻じ曲げる力がある。
粥に使ったお米は、親戚の田植えを手伝ったお礼として貰ったものだ。
手伝いと言っても、PC仕事にしか携わったことのない私の貢献度は、その辺で虫取り網を振っていた子供たちと大差なかったと思われる。だがお婆ちゃんは「遠いところを来てくれただけで嬉しい」と、後日お米を送ってくれた。
親戚の家の最寄り駅までは、着替えと文庫本を鞄に詰めて、特急料金の掛からない電車を乗り継いで行った。
大学生の頃、そうした小旅行を何度かした。本を読みながら電車に揺られ、行ける所まで行って、適当な店で夜を明かす。知らない街を少し見て回って、また本を読みながら帰ってくる。あれは結構楽しかった。
貧乏旅行は年を取ると辛いというのが一般的見解だろうが、今の私は完全インドアだった学生時代よりも体力がある。
働き始めてすぐの頃、背中が痛むようになった。病院で「体の前面の筋力不足で背面にばかり負担がかかっている」と指摘され、ジム通いとジョギングを始めた。
以前は多くて週二回だった運動が、最近は三回に増えている。体組成計の表示はもちろん、筋肉が補修材を欲するらしく、味覚まで変わってしまった。豆腐や卵がすごく美味しい。こういう時は肉を食べたがるのが普通じゃないか、とは思うのだが、安上りなので助かっている。
先日、桜吹雪の中を走るのは気持ちいいに違いないと思って川沿いのコースを選んだら、花びらと同じくらい大量のトビケラが舞っていて閉口した。文字通り、という納得と、しょうもねぇ、というツッコミが交錯して、一人でフフッと笑ってしまった。
この調子なら仕事も出来そうな気がして、求職活動に挑戦する度に泣いたりゲロ吐いたりするものの、生活自体は概ね楽しい。
あなたの「頑張れば必ず良くなる」は、視野狭窄と思考停止だ。「雇用主はそんなに悪い人じゃない」も同様である。そう考えているのは既に危険な兆候なので、転職先を探すか、休職も視野に入れた方がいい。
嫌だと思ったら、それは表明しておくこと。この人は多少薄暗くても嫌がらない、周囲がうるさくても集中出来る、汚れた場所なら掃除をする。そうした自他からの評価の積み重ねは、あなたの労働環境を改善するどころか、より暗く、うるさく、汚い場所へ連れて行く。
安心して逃げていい。収入はないし夢見は悪いし、揺り戻しで病んだ文章を垂れ流す夜もあるが、一年後も生きている。
逃げるタイミングの判断を誤ったのは自分のくせに悲劇の主人公気取ってバカじゃねーの?とか、そういう自責、全然要らない。ズタボロのメンタルに自分でトドメを刺すのはやめろ。自己憐憫も陶酔も、心の麻酔としてはすごく効くから、痛みが引くまでは好きに使え。中毒や廃人化の危険を伴うのは体の麻酔と同じだから、そこだけは気を付けような。
まだどうにかなりそうなら、上記を参考にして欲しい。
自殺を考えるほど追い詰められている場合、別に死んでもいいと思う。「生きてて良かった」は文字通りの生存バイアスに過ぎない。
ただ、私は「この世から消えたい」という感情のピークに文章を書く作業で手が塞がっていたため、なんとなく死に損なった。結果、なんとなく生きている。
そういう風に、死ぬことは確定だが今は保留にしておく、という選択肢もあることは覚えておいて欲しい。私は近々好きな作家の新刊が出るし、友人の誕生日も祝いたいので、少なくともその間は保留だ。たぶん自ら死ぬより先に、事故か病気か寿命で死ぬ。
当時の私は、「死にたくない」と「消えたい」の間でグラグラしていた。今でもよくする。生き延びて良かったのか怪しいとも思っている。
それでもやり直しの利く方を選び続けて来られたのは、あなたのお陰だ。厚くお礼を申し上げたい。
一週間前の自分へ。
いいから早く寝ろ。もう少し暖かくなったらザリガニ釣りに行くんだろうが。
野草食ったりザリガニ釣ったり、心の病とは別の意味で可哀想で心配されるかも知れないが、私自身は割と楽しい。さすがに用水路で釣ったザリガニを食べる勇気はない。
仕事をして途中トイレに行って泣いています。声に出して泣く方法もない。これだけじっと立って目から出てくる水を流すだけである。
これ泣くのかも分からない。ただし、目から水が出てくる。それさえも、誰かにバレるかと思って続けて目元を拭いたり、息を殺して足音を聞く。
無限に悲しい感情を感じる中でも、完全に自分自身に集中できず、他の人を気にする私幻滅を感じている。
上の文は、私がその当時書いた日記の一部です。 精神的限界のほか、物理的異常も検出し、このままでは本当にいけないと思いました。
その中の世界観とキャラクターに対する愛着が強く、どの方向にシナリオを進めることができだろう。キャラクターの話も書き続けることができだろう。
そのような考えをしました。しかし、もうこれ以上希望も見えなかったすべてのことを放棄して逃げたいだけでした。
退社したい意志は、10月に明らかにした引継ぎとか。ウェプトゥンプロジェクトなど私ボルリョノトは、物事だけ終えなければという考えに
3ヶ月程度がかかりされ、1月に出るようになりました。世界観やキャラクター設定は確かに整理しておいて行こうと努力したが、 それなり取りまとめると取りまとめたにも関わら
抜い食べにジャグリングします。より多くの話をして見ている必要に精神的に不安定だった時だそうだったようです。後任のシナリオGM方すみません。
5.
会社を辞めた後でも、代表とディレクターの方からご飯でもよう食べよう電話が来ておいて一度会ったことがあります。
二人退社したGMとの飲み会を持つのを見たことも何度あって、どうせ終わるだろ感情傷つかず良く仕上げたかったので何気なくいきました。
アークベアーズの代表の方は、私の会社を通って娘が生まれることも見て、。いつも自分の娘がどのよう美しいの誇り、
私の娘は、あなたのように育てたい方だったので、なおさら油断もあります。
そして二人のように(最初はGM明治様のようにあったが、戻って会社に入ってました)酒を飲ん酔いが上がった状態で
君いいとか、私は気違いという柱(余談だが、狂気の音だということを知って口に出さ飲んだUDの)音をして
家に行くには私を強制的に捕らえ座らせ、自分ラングよりおり異なりたり。携帯電話やコートを奪うなど、脅威的な行動をがしました。
その後も継続連絡がきました。 代表はアドレスと学校を含む第すべての個人情報を知っており、キー187cmで100kgを超える巨体でした。
毎日登下校するたびに、家に入るたびに、これまでの代表が私を訪ねて来た。とても不安何度も周りをサルピョトた。
だから悩んだ末のメールを書き、私の声の録音を持っていることがわかりました。その後では連絡が消えました。
もしその日の記録をしていなかっどうなったかわかりません。
信じていた職場の上司に裏切られたことはさておき、私は私が2年以上の間、雇用されたは理由があると思いました。
私は仕事をある程度よくやったからだと思いました。ところが、実はそうでは「ただそばに置いてやっていく良く「そうだったのか?
そんな疑問が絶えずました。私は懸命に働いたし、引き受けたことは、すべての最善を尽くそうとしました。
のように働いた人々の中で、誰も私」大まかに働いた」とは言わないでしょう。
第自身の能力が足りないと思っていたので、なおさら難しいしようと努力しました。
しかし、それだけ...そんな自分の信仰...職場の同僚への信頼...すべてが... 崩れる感じがしました。
その頃は盛んに新入及び経歴公開採用があった時期でした。しかし、 私は自己恥辱感とトラウマのために履歴書一枚すらせんでした。今後の組織の生活をすることができるかについての疑問も聞いたんです。かつてこれから会社生活をしていない決心までしました。私が今までこのことを言わなかったのは、 残っている女性職員の方が代表ラング不適切な関係はないか。 あの子にもジョレトヌンデ 他の女性職員たちにはないそうかい。そのように話が出てくることがありますので、また私と同僚たちが最善を尽くして作ったゲームが打撃を受けるかと思って。
少なくともゲームサービスが終わるまでだけでも埋めておこうとしました。 しかし、私と似たような被害者がまたあるかもしれないし、 今後も他の犠牲者が 出てくることができると考えて苦痛ながらこの仕事を睡眠から引き出ししようとします。是非再びその時の私のような従業員がないのを願います。会社に通いながら良いものも非常に多かった。そして他の人が私をたくさん 配慮して譲歩してくれたこと、よくしようと努力されたのことを知っています。中小企業だから仕方なかった状況にも理解します。 だからこそ、私は最後のものを引き出し、私の会社および従業員の皆さんに火熟したくなかった。 しかし、継続して私に関連する話が上り下りこと、代表が何も考えず「昔の恋人のような綾」という言葉を「公式放送」で すること... そんなものも大変です。このことは多少の不熟す苦しむことができるとことは覚悟しています。 就職が決まった 会社で切り捨てられることもあり、告訴を受けることができでしょう。しかし、それだけ埋めておく円... 私いくら努力しても継続聞こえる言葉が絶えず私を傷つける受けるしました。私はすでに心の整理をしました。私が欲しいのは、静かに忘れられていることだけです。ありがとうございます。
既に原文を読んでいる人は読む必要はありません
騒動について詳しく知らないから知りたいという人向けの文章です
制作会社とゲームは関係ないと割り切れる人や騒動について詳しく知りたい人向けのものです
決して茶化していいものではないということを日本ユーザーに伝えるために記事を書きました
三行で読みたい人向けに簡単に書くと
シナリオ担当として採用されたAに対しシナリオモードのことを聞かされていなかった社員は必要ないと言い、社長はシナリオを書けと命じ続けました
結果ユーザーにはシナリオモードの実装をしないことを伝えられたのに自分には伝えられず給料泥棒扱いされたことに心が折れて退社
送別会の帰りに既婚者で子持ちの社長であるBによって帰り道を塞がれ不倫関係を求められたことが書かれています
ブログを書いた理由は先日の生放送でAが担当していたキャラクターに対しBの元恋人のような、という表現がされたことに対してのAの現状の告発です
Aの主張は今後生放送やその他を含む場所でAの名前をあげるのをやめてほしいというものです
この時点で嫌な予感がした方はここで読むのをやめてください
ここから先はブログを簡単に要約しながら和訳したものになります
まだ会社がAを含め7人しかいない2014年から2017年1月までの間Aは該当の会社に勤めていました
今回Aがブログを書いた理由は先日の生放送で該当Aの担当していたキャラクターに対しBの元恋人と揶揄された事に反論するためです
まだ7人しか会社に人が居ない頃にシナリオ担当として採用されたAに対し、Bは周囲の社員にその説明をせずシナリオを作れと命じました
社長のBにそう命令されたため、シナリオを書いていたAはその説明をする会議でシナリオは必要ないと周囲の社員から反対されました
それを繰り返されながらも良いシナリオを作るのがAの仕事だとBに言われシナリオを作り続けるAのことを周囲の社員は仕事をしていないとみなしました
Aは会社用のPCを与えられず個人のPCで2年間業務をこなしていたそうです
人数が少ないためシナリオ以外の雑務やイベントの物販、通販の管理などもAはやっていたそうです
ゲームがリリースされ、会社の規模が大きくなると共にAの席はなくなり、机がないので会議室で1日仕事をする日もあったそうです
提出するシナリオは全て却下され、会議は途中で中断され、机はなくなり、それでも社長であるBはシナリオを書けと命じます
そんな日々を繰り返すうちにうつ病になり会社のトイレで涙を流すことが増えたそうです
一度シナリオモードの実装の検討がされ、それに向けてAは立ち絵を表示してキャラクターが会話するアドベンチャー形式のものを提案した直後
Aには伝えずに公式生放送でシナリオモードの未実装をユーザーに伝えられました
シナリオモードを実装すると思っていた矢先に白紙にされ自分より先にユーザーに伝えられたことがショックだったと述べています
シナリオモードが未実装になった理由はローカライズ(多言語対応)のコストが高くなるためでした
それならば何故自分をシナリオ担当として雇ったのかと自問自答する日々だったそうです
その後Aは2016年10月に退職の意思を表示、1月に退社できました
Aの送別会の最後に既婚で子持ちのBが不倫関係をAに求め、逃げようとするAのコートを奪ったりドアを塞いだりしました
Bは生まれた娘をAのような人間に育てたいと語っていた人間だったためそういう行為をされるとは思ってもいなかったと語られています
それ以降転職しようにも職歴を書こうとするだけで思い出してしまうため書けず今に至るそうです
Aは会社を辞めた際に一度日記を書き、会社を辞めたけれどこの会社が作るゲームが成功することを祈っているという文章を綴っています
この話も先日の生放送でAの事をBの元恋人と言われなければゲームが終了するまで表に出すつもりはなかったそうです
社長であるBについての言及はB側の意見がないためAの主観的なものとなります
タイムラインの一部の情報のみを切り取ってAやBのことを面白半分でいじるのは不謹慎極まりない行為だと思っております
ゲームそのものとそれを制作している会社の人間がひどい人間であることは関係ありません
自分が課金したことによってこれらの行為に加担している人たちの給料になるのが嫌だという心理は当然わくと思います
この記事を読んだ人間がゲームをやめてしまうのは悲しいことだと思っています
これは筆者の主観ですが 本国の方が荒れているのは 向こうが日本以上に共感文化だからだと思っています
ですが だからといってそれを日本人が面白半分で取りざたするのもまたモラルを問われる行為であると思います
ただ 筆者はこの件に関して軽率に取りざたするのはやめてほしいと思っています
A自身もまた、この話に関しては触れずにそっとしておいてほしいと述べています
また この記事を書くことでもう一度この話が話題にのぼること自体も心苦しく思っています
どうか 最後まで読んだ人は拡散せずにこのままブラウザを閉じてください
最後に簡易翻訳機を通したAの原文訳を下記に記して終わりとします
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こんにちは、2014年度10月から2017年1月までにアークベアーズで働いていたGM彩です。
以前に書いた記事(http://gall.dcinside.com/board/view/?id=blacksurvival&no=277774)以降にすべてのことを整理して、
しかし、知人から2018年4月5日に行われた公式放送でGMに生かしオニムが「昔の恋人のような彩になったら良いだろう」という発言をされましたことと、
アークベアーズ内で複数の言葉が回っているという話を聞いて、この文を上げる決心をしました。
私はこれ以上のアークベアズ関連した仕事に私の名前が上がることを望んでいません。
会社で経験したことのために、うつ病とトラウマを得たからです。
1.
私は2014年10月アークベアーズに採用されました。ディレクターさんから私すべきことについての説明を聞いて、そのまま作業をしました。
そしてチームメンバーに私が作ったシナリオの説明をしていた中、発表が中断され 、「だからこれはなぜ必要があるのか?」という言葉を聞きました。
内部的にシナリオの計画や合意が全くない状態で、私を連れて来たということを、その時初めて知りました。その後も「シナリオをなぜ必要なるか」というツーの 反応が継続聞こえてきて、私は私でさえも、その答えを知らないまま黙々と作業をしなければならいました。また、「ゲームのような要素を追加してみるのはどうだろうか」とディレクター様の提案をしたとき、言葉により企画書にしてとみろいただき pptにして行きました。そして 、その企画書をレビューする過程でた従業員の方に 「なぜさせることもないことをしている」という言葉を聞いたことを覚えています。過ぎ去ったように言った言葉だ本人は忘れかもしれません。しかし、2年3ヶ月の間に、その言葉はずっと第頭の中に駆け巡った。 言葉あえて取り出さなくても、みんな、同様の考えをしてだろうという不安感が消え脂質んでした。 私のシナリオをはじめとする多くの企画をするたびに、「あれ、代替なぜしようというのですか?」「あの子あれ、またしようそうだね。他の仕事が多い」という考えをするつもりだろうか。
そんな気がしてとても辛かった、人と親しみも大変でした。
しかし、その言葉をされた二人を含めて、代表を除くすべての従業員の方々に悪感情はありません。
私を傷つける与えるためにした言葉ではないと思うし。概ね良い方であるということを、長い時間のように働いて知ってきたからです。
とにかく、私は 私の仕事に自信を持たないし、会社によく適応していないしました。 いつでも切らざるを得ないたい
コンピュータ支給を拒否して(小企業と資金がいろいろギリギリだと思いました)、2年の間に、個人のノートパソコンを持ち歩いて会社の仕事をしました。
いつでも残すことができるよう、机の上には何も置かないまま空置きました。
2.
私入射したときにアークベアーズは企画担当がディレクター様一人。アートを担当する方が二人。プログラマー三人。そして代表まで7人が会社の人員のすべてでした。
PVPモード以外のモードを開発する余力がなく、別の工数をかけずにシナリオを置くことができる方法を見つける必要がありました。
一度はチュートリアルに壮大を入れること。そして手紙やロビーのコメントを介して世界観を伝えることが最善でした。
また、GMレオン様が入射するまで会社に企画担当者は、ディレクター様と私はすべてのだったので... シナリオプロジェクトが暫定的に中断された期間中には、
続いて、他の計画と雑務をしてきました。 LogポリシーやUIの改善、戦闘時の処理の問題など、ゲーム内の企画から、
イベント検収やグッズ制作。販売店買物や包装などのゲームほか雑務まで。
広すぎると細かいことであるうえ、「シナリオのGM職を持っている人が担当していることだと見ることができないことだと、
私に何をしているかどうかが明らかにみても「シナリオGMがシナリオはない作っなぜあんなことをしているのか」音を聞くことがポンヘ明らかでした。
また、ユーザが「GM彩はシナリオもないし何をしているのか」と聞くたびにディレクター様も、ただ「GM彩さんはいろんなことをするのに忙しい」とだけ言って
確実に私は何をしていること、具体的に明らかにすることしたくないだ と思いました。
いろんなことをするのは楽しかったが、誰も知らずに、どこに行っても認められないことをしているという考えが続いました。
しかし、誰かがやるべきことであり、私が物事を熱心にすることにより、ゲームの発展に貢献することができると考えました。
しかし、やはり私はもともと引き受けた仕事(シナリオ)を継続していないためにについて。そしてこの会社に私は必要な理由について
確信を持たないたため 私の仕事に対する疑問と不安になりました。ディレクターの方に何度これに関連する話を取り出したが、
「よくしている」や「そんなプレッシャーは自分が打ち勝つことだ。会社はしてくれることができるものはない」という言葉を聞いたことを覚えています。
だからこれが普通だね。何とか自分で解決して勝たなければならな。する考えをしました。
アークベアーズはますます大きくなって、ますます多くの人々をかけました。人員を増やす過程で机が不足
空っぽの会議室に追い出され 、単独で 作業をしました。一人で部屋の中に埋め込まれている見て、私を除いて、オフィスの人々が
共にご飯を食べには、単独で残る時もしばしばありました。
しかし、その後ろには涙が多くなったことを見れば。 そして今、この記事を書きながらも涙が出るのを見ると、実際には大丈夫かとします。
多分その時から何かが間違っているということを直感したのかもしれません。
3.
そして、ある程度の時間が経って、一度触れたシナリオモードを再企画してみようという話が出ました。
私は恋愛シミュレーションゲームのようにキャラクタースタンディングが出て会話をするバージョンでは、簡単なカットシーンが出てきて、ビジュアルノベルのように
、テキストだけ浮かべて話を進めるのバージョン等... いくつかの企画したそのうちの1つのバージョンを採用してシナリオを書き始めました。
そのシナリオを作っていた渦中、カフェに上がってきたパッチノートを使用してシナリオモードが再びオプオジンことを知りました。
それまで私はどのような言質も聞いていないし、パッチが上がってきた次の出勤をしたら、「シナリオモードでは、空輸があまり含まれて伏せになった。
空輸はあまりかからないストーリーテリングをすることができる方法を見つけよう」という言葉を聞いたことた。
会社に通いながら一番大きく失望した瞬間ではないかと思います。
事実シナリオモードがなくなったことがこのような大きなことはありません。開発工数を減らすという言葉も当然できると思います。
しかし、中間過程を私に共有してくれず、ディレクター様と開発者の数人の相談だけですべてが決定され、その決定さえも
私に先に通知するのではなく、ユーザーに浮かべる通知を先に上げたのが、本当に傷がされました。
「この会社では、私何?」「私の役割は何ですか?」「私はどのように扱われているのですか?」...そんな思いがした瞬間に押しかけ頭が複雑でした。
初めて仕事を始めた時からずっとゲームと会社に愛情を持って最善を尽くして働いてきたのより衝撃を受けました。
その時から適切に仕事を進めていない。 何でもよく忘れてしまい、ぼんやりている時間が多くなり、
文字をよく読めないしセネ回の行を読んでいました。今もその以降退社直前までのものは、 記憶の中で退屈たように、よく思い出せません。
ただし頼まれた企画をか食べるか、ウェプトゥン作家様コンテを提供するのが遅くなったり。 データを誤って入力して、他のチームメンバーの方に申し訳ない感情が入っただけ覚えています。
第個人の心情が、とにかく。新しいコンテンツの追加が必要だった状況だったので、日誌や図鑑などを企画して、テキストを詰めました。
後で他の社員の方からプログラマ分の一人が「GM彩さんがあるかのようなものも、必ずしなければならと言い張っ
開発したところ、ユーザーは誰もいないならない」という言葉をしたことを聞きました。
私未熟してみると、開発者の方々に手が多く行ったことも、いろいろ足りないコンテンツを企画したことも知っています。
しかし、その代わりに仕事を引き受けて行うことができる人も、どのように作ればいいのか教えてくれる人もいませんでした。
方法は知らないのに、とにかくしなければならいました。私引き受けたすべてのものがそうでした。私はしなければならてすべきことをしただけです。
そしてそもそも、私はシナリオGMでした。シナリオGMがシナリオを入れてくれとお願いしたのが間違っているとは思わない。
シナリオが必要でない場合、あるいは持っていないとすれば。私を雇わないのが当たったと思います。
入社当初は与えられた仕事を一つずつして出て行く見てください。だからゲームをより硬くなって会社が大きくなる。
私が行くべき道を見つけることができないだろうか?私必ず必要な部分が生じないか?そんな希望がありました。
その考え一つで約2年余りの時間の間、会社を通ったとしても過言ではありません。
しかし、 その瞬間から、すべての信仰が消え、私自身と会社の疑問は確信に変わりました。
私はこのゲームをより良くすることができず、これ以上の成長可能性がありません。私が行ったことは、埋葬されるだろう...
そしてその時から、うつ病の症状が急激に激しくなり始めました。
4.
内臓がドキドキが感じられる。頭の中の血管が破裂しそうだ。胸がどきっと降り座ったときの、そのサハン気持ちが 24時間
一緒にしている気分だ。大嫌い。大嫌い。今、私が仕事をしなければジョトドゥェルだろうという事実を知るも何もする気力がかからない。
手が冷たく足冷たく泣きたい。ますます体になっていく感じだ。水分さえ抜けてしまえば本当に請求書になってしまいそうなので
、涙は首に戻ります。たまに太ももや目の下部のような部分が痙攣を起こす。