はてなキーワード: タブーとは
ある日機会があって会うことに。お互いセックス目的であり、待ち合わせして会話もそこそこにホテルへ向かった。
体の関係だけでなく、ご飯、買い物なども行くようになった。いわゆるデートだ。セックスだけではないデートもするようになった。
彼は私を“パートナー“と呼び、良く尽くしてくれる。
すっかり私もその気になった。
ところが彼は既婚者だ。
彼は否定も肯定もしなかった。タブーかなっと思ってその場はすぐ流したが、
その時の私は割り切った関係だからどっちでもいいや。と本心から思っていた。
彼も隠しているのだろうと思ったし、今後とも言わない方向性だろうと理解していた。
あきらかにお子さんがいるという確証に繋がる物を持っていたりする。
隠す気ないのか?それとも、「察して」というサインなのか?
「あえて自分の口から既婚ですとは言わないけれど、察してわきまえてね」ということなのか!?
私はだいぶ悩んだ。
言う気がない、隠してる、のだとするとそれらはあまりにも不注意すぎた。
ならばやはり、察してということなのか。
そして触れるなと。
なんだそれは。
いや、なんとなく、想像することに、
私が彼に本気になってしまい、果ては結婚してと言い出すかもしれない。
そうすると、既婚の彼と勘違いした私とで揉めるかもしれない。そうなると大変面倒くさい。
だから、「察して」と。
彼の献身的な尽くす体勢により、それに彼のパートナー宣言もあり、かなり彼にのめり込んでいた私はその事実をことあるごとに意識するようになっていた。彼には決まった相手がいる。それも“妻“。オンリーワンだ。かけがえのない存在。愛するたったひとりの女性だ。
確実に事実だが、真実は知りたくない聞きたくないと思っている自分もいた。
原因は、やはり彼の不注意であった。
彼の名前が書いてあるものをうっかり私の前に出してしまったのである。
彼はその件には特に触れなかったが、あきらかに私の目に触れていた。
見てないかのように振る舞ってしまった。
この日一日は思考の外に出して過ごした。いや、それから数日は考えないようにしてたかもしれない。
悲しい?ようなー
その時の彼の返答はなんだったか。
その時の会話はどうだったか。
あまりはっきり思い出せない。あやふやにされたんだろうか。私が自らあやふやにしたのだろうか。
そして私の感情は遅れてやってきた。
この人に夢中になってはいけないと。のめり込んではいけないと。
遊び相手と思わなきゃいられないと。もうかなり好きだが、ほどほどにしないといけないと。
彼にぐちゃぐちゃと当たり散らした。
私が何故取り乱しているかは本人には言えないのでそこはふせて、
それでも彼は優しく、私の言葉に悲しみ、私を好きだと言ってくれた。
私は再度割り切ることにした。
彼は偽名だけど私にとっては彼を表す名前であることに違いないし、
何か事情があるのだろう。それは私の知るところではない。
でもいつか教えてくれたらその時には喜べるからいい。
既婚なのも万が一の時に私が不利にならないよう逃げ道を作ってくれてるのかもしれない。
それにもしかしたら奥さんにできないことを私にしてるのかもしれない。
そうでなくてもいい。彼が私と会う日、彼がセックスしたい、遊びに行きたい、ご飯を食べたい、と
何を考えているの?としょっちゅう思っていたし聞いたりもしてたけど、
それもいつしか止めていた。
今は私も楽しい。
それでも彼にはもっと気を付けて欲しい。
隠してる事が不注意で知られてしまうことは良くない。
それに私もこれ以上真実を知りたくない。
先日起きっぱなしのスマホの画面に女の人と赤ちゃん、らしき画像が見えた気がするが、
私の見間違いだということにしておいてる。
もっと警戒するべきだ。
もっとも、前述の通り、察して欲しくてわざと見せてるのでなければ、だけど。
たまに、急に、彼に対していわれもない不安が沸いてくることがある。
私はにそれをぶつける場はなく、そっと飲み込み落ち着くのを待つ。
実行し終えた時でないとそれは分からない。
いつかくるであろうその日を楽しみに
今日も彼を想って眠りにつく
大好き
「青年誌でやれえええ」的な、性的接触描写を回避しない漫画を少年誌で描いている漫画家が、「体面とか世間体を気にする必要がなければ、世の中の人は、みなエロや下ネタ大好きなのだろうと、ごく最近まで思っていた」的なことを言っていた、というような話を小耳に挟んだ。
というのは前フリ。
性的な表現が規制された近未来を描いた、とあるガガガ系のライトノベルがこの夏にアニメ化するので、マンガやアニメの宣伝にちょっとかかわる自分のところにも情報が回ってきた。それで想起したのだが、たしか出版当時、表現規制に絡めて「こういう作品が出せる世界こそ自由」「これが許さない人間こそファシスト」的なことを言っていた人がいたような記憶がある(出オチ的近未来ものといえば漢字が読めない妹とかもあったなあ)。
この作品で描かれている社会も極端だが、じゃあ、いま我々が身をおいているこの社会は極端ではないのだろうか、ということが頭に兆した。たしかに最近でも女性器をかたどったアートで逮捕される的なことはあるけど、性的な表現はわりあいフリーダムに思えるこの国の社会。
「18歳未満禁止」、「この作品には性的な表現が含まれます」といった、とりあえずの警告を「もちろんわかってますよ、皆こういうの大好きですもの。でも、体面とか世間体とかを気にするあなたは、ちょっと注意してくださいねえ」くらいの意味に思っているとしたら。
「わかってますよ、あなたがたの預言者を絵にしてはいけないんでしたね、でも、そんなタブーに何の意味もないんですけどね、周りの目もあるから怒ってるだけでしょう? まあ今のあなた方では難しいかもしれませんが、私たちが本当の自由を教えてあげますからね」
そんな感じに考えているとしたら。
あんがい我々も、大義名分を掲げ実力をつけた少数の性嫌悪者と、それに引きずられ、"体面とか世間体"を気にして"向こう側"についた多勢に焼き殺されることになるかもしれない(それとも、いざそのときになったら自由もなにもかなぐり捨てて"多勢"の方にもぐり込むのだろうか)。
心を病んだ奴をいたぶるなんて最低最悪の人間だ。
その通り。
元気に余裕があるなら、殴ってやってもいい!
実際殴ると、警察沙汰になりそうだし。
そうは言っても、気弱なメンヘラにとっては、正直なところ、仕返しが怖いんだよね…。
案外、超自己中な、いじめっ子って、自分がいたぶられる立場になると、急に元気なくなる場合があるよ。
いたぶってくるヤツそいつ自身のマウンティングというか、承認欲求が崩される状態に持っていく。
狙うなら、いたぶってくるヤツが弱っている時を狙え、だと思う。
斎藤芳乃さんの『自信を持つためには「怒りを感じる」こと』って記事は良かった。
だけど、自分の場合は、怒りすぎて、恨みになってしまっている。こじらせ状態。
2年ぐらい経つけれど、自分の身体が、不必要に緊張しまくっている。
これらの経験を通して自分の場合は、怒ることを自分自身に禁じていた。
タブーだと感じていたことを行うことは、どんな人にとっても、成長のポイントだと、思った。
コイツ、キレたら面倒だなって思わせることだよね。
広く一般の人は、相手に受け容れてもらいやすいように、表現を柔らかくあらわします。
『困惑しています』『ちょっと、困ります』『それは、どうかと思います』
『どうも誤解があるようです』
などの表現を使っているようですね。
アサーティブというらしいです。
結構、自分の気持ちを整理することとか、話して見ることって、私のようなコミュ障には、大変だな。
自分の気持ちを上手く話せない、
子供の頃や中学でもケンカしたこともあるけど、なんだろうな。中途半端だったな。
以下ループ。
みたいなさ。
キョロ充っていうのか、表面上は、物わかりのいいフリや優等生的な答えをしないと、嫌われるんだと考えていた。
自分の場合は、もっと悩んで悩んで、社会人経験が10年以上経ってから、やっと子供の時代に経験するべきような反抗期がきた感じだ。
寝られない日々が続いた。
心療内科に行ったが、上手く自分の納得できないモヤモヤを話せなかった。
やりたくても、なんかしてこなかったことや出来なかったことをやってみた。
というか、悪びれた行動をした。
髪の毛を茶髪にしてみたり。ヒゲを生やしてみるとか。シルバーのアクセサリーをつけてみたり。
さいわい、おしゃれに目覚めたぐらいで、済んでるのかもしれないが。
産業医の先生に『大丈夫、大丈夫。。それも良い経験だよー』みたいに、笑い飛ばされたり、した。
そういうもんかな、と思いながら、納得が出来ない部分もありながら、しばらくは、我慢していた。
その後で、心理的なカウンセリングを受けても、臨床心理士の人に対して、この優しい人からも嫌われないように「いい大人でいよう」なんて思って正直な気持ちを話せなかった。
少しづつ、心を開いても、いいんだって感じれるように、なりつつある。
いわゆる『こだわり』が強い人間なんだと、納得がいきはじめた。
アイコンタクトとかボディータッチされると、にやけたいのを、我慢しちゃっていた。
目を合わせて、笑顔で挨拶すること、3回以上も続けることは、出来なかったな。
なんか、緊張しちゃう。
今まで、色んな人との間に、誤解があったんだな、と最近になって、10年以上も前のわだかまりを思い出した。
涙が、にじんできた。
職場でも、我慢するだけでなくて、適切な方法で不満を表明するのは、さほど、問題にはならない。
自分の感じ方が、おかしいのかと思って、ますます、自分を嫌っていたというか、厳しく見ていたなぁ。
東京喰種、一気に読んでしまった。ひさびさに面白い漫画に出会った。謎が多くてわくわくする。絵の色気と不安定さも好き。
読んでいて何度もうしおととらに似ていると思った。作者はファンなのかな。
人食いにけっこうタブー感を持っているので今まで買わなかったんだけど(進撃の巨人も亜人も気になるが立ち読み…)デジタルだと気にならなないことに気付いたw
亜門が死んでショックだったけど、巷の予想では復活するのが当たり前になってて拍子抜け…うれしいけどさ。自分はジャンプ慣れしてないのかもしれん…。さすがにヒデは思惑があって金木に近づいたという予想は深読みしすぎだと思うけど。
気になる謎:神代、隻眼の梟の侵入経路、ピエロ、有馬なんでそんなに強いねん、黒ウサギ、金木は記憶をいじられてる?、六月何かやりそう
喰種が誕生した経緯はとくに触れずに終わるのかな。
うしおととらの世界の奥行きの深さは大好きなので今後の展開も(勝手にそっち方面に)期待。そういえばうしおととらも第2幕みたいにやってたなあ。
先日とある記事をはてなに書いたところ予想を超える反響があり、驚いたと同時に怖くなった。
自分の文章の書き方が悪かったせいもあり、意図しないとらえられ方をして記事が広まったり、どのジャンルかを突き止めようとされたり。
文章を書くのってやっぱり難しいな、と思いながら吐き出して単純に好きなことをする初心に帰りたいのでまた愚痴を吐く。
あくまでも私の近辺でそうなりつつあるという話で、どのジャンルでも誰のところでも同じことが起きていると言う話ではないのでうちのジャンルではそんなこと全くないよ勝手に決め付けるなという人もいるだろうそこはもうご了承ください。
私がここ数年同人関係でずっとモヤモヤしているってだけの話です。単純に時代の流れに自分がついていけていないというわけです。
人と人が関わるときの最低限のルールだと思うことを守っていると最近の同人関係での交流は難しくなった、ということと、この数年で創作が楽しくなくなったと感じることが多くてなぜだろうと考えたらこういうことか?と自分の中で思ったことについてダラダラ書く。
まぁ似たようなこと感じてる人もいると思う。
違うよって人も同人って所詮趣味なので、ここでそんなこというやつは社会でもダメだとかそういうこと言わないでいただきたい。仕事ならそれなりに我慢も対処もします。
同人は趣味であり、好きな作品で二次創作を行う上で人付き合いに悩んでジャンルを辞めるとか活動をやめるとかはバカバカしい。
でも女性向けでは誰とも交流なしで延々と萌を消化するのはなかなか難しくもある。
最近では数年前まであったサイトへ匿名で拍手や感想を送ったりという交流がなくなり、感想を伝えるにはピクシブやツイッターで、というのが主流になった。
受け取った相手に誰からメールや感想が来たのか伝わるようになった。
その分リプで直接やりとりが出来て、今まで声を掛けられなかった憧れの作家さんと交流できるようになったり、特定の言葉で検索を掛ければ同じ嗜好やCPの人を簡単に探せるようになった。
その延長なのかイベントでの本の買い方が変わった。
人気ジャンルではピクシブに作品を上げたりイベント前に告知をして、その人がどんな作品を描くのかある程度分かっていなければ本を買うことがほとんど無くなった。
距離無し、クレクレ厨、鍵を掛けないままのエロネタ、公式批判、二次創作垢での公式へのリプや不躾な質問など、ツイッターの中には今までの同人の中ではタブーとされていたことがたくさん溢れかえっている。
もちろんそれはツイッターが広まる以前からあったことで、単にそれが表面に出やすくなっただけのことで見たくなければブロックでもリムでもすればいい。
でもやっぱり以前と比べると好きな作家さんのツイッターを覗いたら予想以上にイタイ人だった…というようなことが増えてしまった。
作品と本人は関係ないからといえばそれまでの話だ。そうなんだけどモヤモヤはする。
とあるスレで最近の同人界での交流を『ヤンキーになる為というより ヤンキーに仲間と認めてもらう為に おかしい事と分かっているのに本当は吸いたくもないタバコ吸ったり
万引きしたり間違った努力をしちゃう そんな感じになってしまって疲れてしまった』ということを言ってる人がいて、これが実にしっくりきた。
自分もここ数年ずっとそんな感じで過ごしていた。
それは交流だけでなくて、一度関わってしまった相手の作品が実は軽く地雷だったり、キャラ解釈が違っていたり、もっと言えば知り合いの知り合い程度の人の作品が全く萌えなかったりしても、RTされれば褒める。TL上に作品が上がればとりあえずふぁぼする。
気づいたらそんなことをしていた。
同時に自分が描いたものに対しても同じことがされてるんだなと思うと虚しくもなった。
あれってふぁぼしたとして後でどれくらいちゃんと見るんだろうと。
毎日ふぁぼが増えていくとどんどん流れて行って、なんて言うのか完全に萌えの使い捨てポイ捨てみたいになっている気がする。
もちろん中には自分の作品を好きと言ってくれる人はいる。でもほとんどが通りすがりにちらっと見るだけ見てあとは噛んだあとのガムみたいにポイ捨てみたいな感じがする。
書き手の方も今まで長い時間掛けてひとつの作品を仕上げてピクシブに上げたりしていたのが、ツイッターで上げた落書きの方が手早くて話題になるなら、とそちらに傾くのも理解出来る。
そんな中で創作する側は萌語りやネタだしの段階で呟いたことに対する反応の数でこれはウケる、ウケないがわかってしまうから、書き手としてはどうしても反応の良くなかったネタを書く気にならずその段階で話が絞られて、じゃあそれが本当に今自分の描きたい話だったかとどこかで疑問が出たりするんじゃないか。
少なくとも自分は以前は描きたい話を描いて、本になった後で気に入ってくれる人もいればそうでない人もいてというのが当たり前だったのが、描く前からもう人の反応を気にするようになって、この数年で描くことが楽しくなくなってしまった。
あ、そうそれだ。と納得した。描く前にもう反応を気にしすぎてるから今描きたいものと描くものが食い違ってしまってるんだなーと。
多分上手い人はその辺の距離感をちゃんと掴めてて、左右されない程度にツイッターや支部を使ってて続けられてるんだな、と。
他人の目とか評価とか売れ行きとか、そういうのを気にせずに描いてた頃があったし、楽しかったなぁと。
それがわかっただけでも良かったと思ってしばらく休憩して、ツイッターを距離をおくことにした。
こんな当たり前過ぎること、いちいち言うのも嫌になりますが今回のクソコラがなぜダメなのかって不謹慎だからとか不快だからとかそんなんじゃありません。
実際にISISの人間がツイッター上で間抜けなオタクどもが作ったコラ画像を見ている。
人質の生殺与奪を握られている状況で、です。彼らが逆上して人質に危害を加えたらどうするのか。その程度の現実感覚すら持ち合わせていないのか。あるいは分かった上でやっているのか(もしそうなら本当に人間をやめている)
まあ彼らオタクに何を説こうが諭そうが無駄です。全てがネタの破滅型思考なので。それに巻き込まれる人間はたまったもんじゃないのですがね。
自分もそのオタクの1人です。でも今回の件でさすがにもう無理になりました。
今まではこういうことがあっても、「作品とそのファンは別なんだから作品だけ楽しんでりゃいいや」とか「全てのオタクがこんなんじゃないよな」
と自分をごまかしごまかし楽しみを失わないようにしていましたが、さすがにもう無理です。
ISISのクソコラは今のオタク文化圏をこれ以上なく的確に象徴しています。
自分はツイッターで好きな漫画家さんを何十人もリストに入れていて、それをついさっき遡ってみましたが、オタクどものクソコラを諌める声なんてありゃしません。
当然です。クソコラを作ってるようなオタクが彼らにとっての商売相手ですから。
でも彼らはずっと気付かないのでしょうね。そういう態度がどれだけオタク界隈のパイを削っているか。どれだけの人が辟易して離れていっているのか。
今に始まったことじゃありません。
例えばニコニコ動画のある系統のボーカロイドの動画につけられる「仕事を選べない初音ミク」みたいなタグ。わかる人にはわかると思いますが。
こういうものを見て離れていっている人は相当数いるでしょうね。
「そんなもの気にせず楽しめばいいじゃん」と言う人もいるかもしれませんが、そこまでクズに成り果ててまでオタク趣味をしたくないですよ。今のオタク界隈はどこまでクズになれるか、タブーを破れるかを競うような風潮さえありますけど。
そういえばISISのクソコラの中にアニメ「ご注文はうさぎですか?」の画像を使っているものがありましたね。じゃあ例えばそれをアニメの公式アカウントに知らせたら彼らは毅然とした態度が取れるでしょうかね? 今のオタク界隈を見るにかなり怪しいと思いますが。それくらい腐ってますよホント。
もうどうでもいいです。好きなことがこんな風に成り果ててしまうのは本当に悲しいですけど、人間やめてまでオタクを続ける気もありません。
他人の人権を平気で踏みにじって、ネタとして喜ぶようなカルチャーは滅びなければいけない。それで儲かるような人がいてはいけないんです。勝手にやってろってことじゃないんですよ。
手始めに各週刊紙にアニメごちうさの画像を使ったISISのクソコラを送ります。複数枚です。
ごちうさは自分の大好きなアニメです。だからこそこんな風に使われるのは許せないし、それを咎める人間がいないのならもう滅びていくしかないでしょう。
人命がかかっている時にこんな風に持ち出されて、ネタにされて、心ぴょんぴょん? ふざけんなって話です。
オタクは白い目で見られ続ければいい。
偏見? 差別? 違いますよ。見抜いてる人は見抜いてる。オタク界隈の腐り切った精神性を。
でも最後に少しだけ謝ります。ツイッターにもほんの少しだけ、ほんの少しだけですが良心的なオタクがいます。他のゴミのようなオタクにどれだけネタにされ、マウントされ、お花畑扱いされても、今回のクソコラ祭りを諌め、なんとか抑え込もうとしていたオタクの方々が。
彼らは言っていました。「オタクがみんな同じだと思われたくない」と。
ごめんなさい。こうやって腐らずにやっている人に対しては本当に尊敬を感じるし、逆張りしている自分が恥ずかしくなる。でも自分はそこまで根気強くはいられませんでした。
悲しいですけど早々と抜けさせてもらいます。
なぜライジングサンコーポレーションのSEってのはプログラマーに対して、仕様書に書いていない事をやらせるのか?
仕様書に記載していなかった事を作りこんでいなかったら、不具合扱いされた。
いや、書いてある事を実現出来なかったらそれは不具合と認めるよ。
「書いていない」というと「常識だろ」と言われる。あんたらの製品の常識かもしれないが、こっちには常識では無い。
ましてや、全てを底辺プログラマーのせいにして、なんとかという精神的追い詰め会議に呼び出すのはどういう事か???
それでも、「書いてくれ」と言い続けると、「全てを網羅出来ない」と開き直る精神がすごい。
なら「こちらも全てのエラー処理例外処理等を網羅出来ない」と言い返すのはタブーである。ここまで言うと、ライジングサンコーポレーションのエライ人達はキレる。
品質向上プロジェクトとかあるようだが、プログラマーをいびる事で品質が上がると思っていたら大間違いだ。
君たちのその開き直りを直す方が先ではないかね?
これは詰まる所、アイドルがウンコするとか、処女じゃないとかっていうのと同じな気がしてならない。
愛する彼女がイスラム教だったら別れますというような物にも近いかも知れない。
そう考えたら誰かが好きでも宗教上の理由とかタブーを犯してたら嫌いになるって人は
そもそもその誰かの事を好きじゃなかったんだと思われる。
彼女が今まで自ら学会員である事を発表する事に抵抗があったのは、
創価タレントというのが極めて下劣な存在だという見方が根強いためでもあり、
これまで築き上げてきたイメージが損なわれる危険性も孕んでいるからだろう。
井上真央の場合、そのような状況が酷く苦しいものだったに違いない。
それを察した実母が週刊新潮の取材にあくまで身内の第三者として答えるという
訳の分からない事態になってしまったのは、井上真央のイメージ低下を恐れたためだろうし、
記事にも書かれている広告塔としての選挙や大河でヒロインを射止めた事の相乗効果を期待してのものだろうと予想される。
但し、今度の発表は井上真央にとってはいい迷惑だったのではないかと考える。
そもそもこれまで本人が発表しなかったのは、件のイメージ低下を危惧してのことだったし
それなのに実母が、勝手に週刊誌にタレ込んだのは心外だったのではないだろうか。
筆者の家族で彼女の熱心なファンがいたが、この報告を見て彼女のファンである事を辞めると言った。
友達の友達がアルカイダと言った元大臣に嫌悪感を抱いたのと同じである。
創価学会というのはステータスにはならず、寧ろ現在ではネット上における嫌悪対象の一つとしてはあまりにも有名である。
そのような中でのこの報告はかなり負のイメージに捉えられる可能性がある。
現に同じく学会員の松山ケンイチ主演の大河ドラマ「平清盛」では脚本や演出の昏さのせいもあるが、かなりの低評価だった。
筆者も正直キッズウォーの時代から彼女のファンであったが、創価学会については嫌悪感甚だしい。
筆者のようなライトユーザー(最初に書いた事を前提とすればファンですらなかった可能性もあるが)ですらそうなのだから、ヘビーなファンが多い井上真央信者は今度の件が原因で遠ざかるのではないか。
そう思えてならないし、悲しい話である。
元記事はこちら。
http://www.bbc.com/news/magazine-30698640
【追記】こちらの訳よりずっと上手い訳が出てたので、そちらのリンクを張っておきます。
http://knagayama.net/blog/2015/01/08/bbc-why-hasnt-japan-banned-child-porn-comics/
【追記終わり】
BBC「何故日本では“児童(チャイルド)ポルノ”漫画を禁止しないのか?」 - Togetterまとめ
(数字)注釈付きの文はよく分からず無理に訳してるので誰か直してくれると嬉しい。
MangaやAnimeとして知られる日本の漫画やアニメは巨大な文化的産業であり世界的にも有名だ。でもその幾つかはショッキングで子供の露骨な性描写を特色としている。何故日本はこうしたものを禁止するのに反対することを決定したのか?
日曜の午後、東京、サンシャインクリエイションは活況だった。何千もの漫画ファン、その多くは男性、は展示センターに群がっていた。部屋の中を歩き回りながらテーブルの上に売り物として並べられたコミックマガジンを熱心に読みふけっていた。エルフ顔でメス鹿のような目のアニメヒロインのポスターの多くは肌もあらわであり得ない程均整が取れて海綿を色とりどりに変えている。(1)
「このエリアは主に性的な創作を扱っています。」とイベント主催者の一人Hideは説明する。
我々は二人のトップレスの少女がカバーに描かれたあるテーブルで足を止めた。私の目には彼女らは13,4歳か9,11歳に見える。ストーリーは彼女らが際どい性行為に及ぶ様を描いている。
他のいくつかの売店は似たような物を売っている。これらはUK、オーストラリア、やカナダでは間違いなく論争を呼び、おそらく違法になるだろう。しかしここでは大した問題ではない。
「児童虐待が良くないことだというのはみんな知っていますよ。」Hideは言う。「でもそういった感情を持つのは自由です。何らかの子供との性的な場面を想像し楽しむことは禁止されていません。」
彼の正直さに私は面食らった。そして彼は「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という言葉を私に紹介した。若い少女が性的に露骨な行為に及ぶ様を描いた漫画を意味する。それは近親相姦やレイプ、その他のタブーを含むこともある。Hideの嗜好は高校ロマンスにあるというが。
「私は若い少女の性的な創作が好きなんです。ロリコンは私の数ある趣味の中の1つに過ぎません。」彼は言う。
私は彼にあなたの妻が近くに立ってあなたの「趣味」をどう考えるか尋ねた。
「多分何も問題ないと考えると思います。」彼は返した。「だって彼女は若い少年が性的な行為を成すことが好きですから。」
こうしたものは日本の巨大なマンガ産業 - 年間約36億ドルの売上げ - の極一部である。しかしそれは多くの注目と論争を引きつける。
2014年の7月、衆議院は児童の性的虐待のリアルな映像を所持することを禁じることを可決した。これらの映像の制作と配布1999年から違法であった。しかし日本はOECD中で所持を違法化した最後の国だった。
その頃、漫画、アニメ、ゲームの18歳以下に見えるキャラクターの「ヴァーチャルな」性的映像を違法化する呼びかけもあった。しかし討論を重ねた後、衆議院はこれに反対することを決めた。この決定は児童保護の運動家やNGO、特に日本の外から非難を浴びた。
より理解を深める手がかりとして事実を示すと、Hideは私たちが会ってからたった数分で彼の「趣味」について楽しそうに討議しはじめた。とても幼い子供を含む漫画がある種の社会的烙印を取り付けられているように見えるけども、青春期の若者を含む性的なモノは確かに興味をそそるメインストリームだ。(2)
日本の国会議員は多数 - 潜在的に数百万 - の漫画ファンを犯罪者にすることを明らかに嫌がっている。
Hideの様なファンは主張する。我々は無害なファンタジーを楽しんでいるだけである。いかなる子供のモデルも役者も含まれていない。彼は言う。だから「性的テーマの漫画を創作することは児童虐待ではない。」
東京秋葉原は漫画界の精神的なホームである。ネオンサインとけたたましいポップミュージックが目と耳を圧倒する。高層の書店が街中に並び、太陽の下であらゆるテーマの漫画を販売する。
18歳以上に制限された大人用セクションではジュニアレイプや日本人プレティーンスイートといったタイトルの漫画を探すのは難しくない。
「あるモノに性的興奮した人はそれに慣れます。」ある大人向けストアのカウンター裏で働くTomoは言う。「だから彼らはいつも新しいものを探しているんです。そして若くて未成熟な女性に興奮するようになる。」
これが批評家が心配していることだ。- 性的に露骨な漫画の創作で誰も傷付けられていないとしても、正常化し助長させ、性的虐待のリスクを増大させるかもしれないという懸念だ。
これが真実かどうかは誰にも分からない - 研究は確定的ではない。しかし日本人の多く、特に女性も広く関心を寄せている。彼らは女性の品位を傷付けるような強烈なポルノや若者の性欲化への目を閉ざす社会としてこれらの映像を見ている。
日本では若者の魅惑を探すのに遠くを見る必要はない。若い少女のポップグループが成人男性の集団に向けて演技する。そして看板や広告から漫画までスクールガールの映像はどこにでもある。
Sex in the City, Tokyo風の本で若い女性に人気の作家、Lilyは彼女の学生時代について話す。男が彼女とその友達に近づき、彼女らの靴下やパンティのためにお金を差し出したのだ。
「あれは不快だった。とても変態じみていた。」彼女は言う。思春期の性への魅惑というのは「男が成し遂げたいという力が全てだ。強くて自立した女性が嫌になった男のね。」彼女は主張する。(3)
Lilyの親の時代の家族モデルはまだ日本では強い影響力を持っていた。 - 父親はお金を稼ぎ、母親は主婦として家にとどまる。しかし日本経済の弱体が現実化を困難にした。
「business-wiseで成功しない人達がいる。おそらく彼らはロリコン漫画というファンタジーに出会っている。」(4)
「私は大嫌いだ。本当に大嫌いだ。私はこうした性癖異常を日本から追い出して欲しい。子供達をこうした変態から引き離して欲しい。あなたのファンタジーの中であっても。」
しかし他の人達は政府が何が「良く」て「適切」なのか定まった指針を規定し強制するため関与すること、特にファンタジーという領域に、に懐疑的だ。
「批判的になる理由は十分にある。それはよいことだ。」漫画翻訳家で言論の自由支持者、兼光ダニエル真は言う。「しかし他人が何をし何を考えたかに基づいて他人を捜査する権限を人々に与えるなら、それは思想の取り締まりだ。」
それでは彼は小さな子供やレイプ、近親相姦のようなタブーを描いた漫画の創作者の権利を擁護するのだろうか?
「私はそれらが不快です。でも私には人々がどのように考え共有したいか言う権利はありません。」彼は言う。「他人の人権を侵さない限りはファンタジーライフを送って何が問題なのでしょうか?」
・日本は1999年子供の性的虐待の映像の制作と配布を違法化した。 - UKの21年後である。
・2013年、米国務省は日本を「児童ポルノの制作と取引の国際的なハブになっている」と記述した。
・日本の警察庁は2013年に1644件の法律違反があったと報告した。 - 1999年の法律が強制力を持ってからどの年代よりも多かった。
・2014年7月、日本は児童性的虐待の映像の所持を禁じた。国民は従うまで1年の期間を与えられた。
秋葉原の漫画ショップに囲まれ、児童保護運動家のKazuna Kanajiriはカートゥーンやコミックよりもっと大きな問題があるとある場所に私を連れて行った。メインストリートを抜けて階段を一歩一歩上り、大量のDVDが積まれた部屋に現れた。
Kazunaは棚から1枚引き抜いた。そこにはリアルな少女の映像が描かれていた。彼女が言うには少女は5歳で小さな水着を着せられ、大人のポルノの真似をして扇情的な姿勢でポーズを取っていた。ショップの中にある他の全てのDVDも本物の子供を特色としていた。
「私はこの子供達が気の毒に思う。」Kanajiriは私に告げた。
これら所謂「ジュニアアイドル」DVDは1999年に児童ポルノの制作が違法化されてからポピュラーになってきた。
これらは性器が隠されてさえいればこれらは法律を回避するのだ。しかしKanajiriは言う。7月に法律が強化されて、これらは今は違法となっている。
「搾取する人は適切に裁かれなければならない。」彼女は言う。「法律の下ではこれらは完全に違法だ。しかし警察は取り締まっていない。」
性的な場面で未成年者を特色としたマンガとアニメにおける幾つかのコンテンツはショッキングで注目を掴むものであるかもしれない一方、Kanajiriと私が話した他の運動家は私に告げた。今のところは彼らは現実の子供を保護するためにより重要なバトルにフォーカスするという。
しかし彼女は論争の的であるマンガとアニメを禁止する望みを諦めたわけではないという。
「私は消し去りたい。」彼女は言う。「2020年に日本で夏オリンピックが始まる時、みんなが日本を変態文化と呼ばない国に変えたい。」
それはマンガサポーターが強く拒否するような説明だ。しかしオリンピックが近付けば、外部の目が日本に注意を向け、「奇妙な日本(weird Japan)」より「クールジャパン」としてみんなが見るように、マンガやアニメへの強力な圧力が働くだろう。
(1)Posters of elfin-faced, doe-eyed cartoon heroines, many of them scantily clad and impossibly proportioned, turn the cavernous space into a riot of colour.
(2)Although manga involving very young children does appear to have some social stigma attached to it, sexual material involving adolescents is a fairly mainstream interest.
(3)The fascination with adolescent sexuality is "all about the power that men want to achieve, men who are tired of strong independent women," she argues.
(4)"There are people business-wise who are not successful, maybe they are running into fantasy with Lolicon manga.
地元から東京に出てきて、今年で13年目となった。年も30を越え、配偶者も、もちろん子供も居ないものの、仕事も生活も安定してきている。
でもふと実家に目を移すと、そこには愛する両親、そしてもう80を越える(けどまだ元気な)祖母が3人だけで住んでいる。
私の家は農家で、3人兄弟の長男である私が地元を離れて東京の大学に行きたいと言った時は家族中大騒ぎとなった。
いずれ家長(もうそんな制度無いけど)となるべき人間が家を離れ、もしかするともう帰ってこないかもしれないのだから当たり前だ。
だけど、やっぱり自分の人生だし好きに生きたいと思っていた私は両親と話し合いを持ち、結果的に「好きにしろ」という一言を貰う事になった。
(当時は当たり前だと思っていたけれど、今になってそのときの両親の気持ちを考えると、心が痛む。)
家の事を思わないでもなかったが、幸い3人兄弟だったので、2人の弟のうちどちらが一人でも家に残っていてくれれば、それで丸く収まる、家は存続する。他力本願もいいところだけど、そう思っていた。
でも、そうはならなかった。好きな事をやるために家を出て行ってしまった私の背中を見てか、弟二人も高校の卒業と共に家を出て行ってしまった。
それでも就職先が地元になれば、と淡い期待を持っていたけれど、そんな事は起こらなくて、二人ともそれぞれ首都圏の会社に就職してしまい、あの家に住む者は両親と祖母だけの3人となってしまった。
父親は私達兄弟が全員家を離れてしまった後しばらく、毎晩酒を飲みながらそのことを嘆いていたらしい。
その事を教えてくれた母親も、口には出さないけど祖母も多分同じ気持ちなのだろう。
私にとって帰るべき家はあの家でしかないと今も思っているし、若い頃は無くなってしまうなんて思ってもいなかった。
でも、もう時間切れが迫っている。
数年前には父親が大病を患い、その影響か最近は体力の衰えも顕著になってきている。母親はまだ元気だが、それでも今年はもう還暦を迎える年となる。
いつも元気な印象がある祖母も、最近は出歩く事が少なくなってきているらしい。やはり、寄る年波には勝てないのか。
このままだと、緩慢だけど、確実に、あの家は無くなってしまうのだろう。
私は家に帰るべきなんだろうか。近頃はそう思う事も多くなってきた。
でも、今の仕事も生活も捨てて、イチから地元で仕事を探しながら農家を継ぐなんて度胸は私には無さそうだ。
私にとって「家族」はあの家にしかないから、こんな風に悩むんだろうか。
配偶者を持ち、子供を授かり、家族が出来ればこんな葛藤も乗り越えられるのだろうか。
私はいつまでこんな悩みを抱えたまま生きていかなければならないんだろう。
全て終わってしまったら、後悔して生きる事になるんだろうか。
いっそ、投げ出してしまえば楽になるんだろうか。誰かが言うように、一度仕事辞めてみたら目の前が開けたりするのだろうか。
本当に私がしたかった生き方は今の自分なんだろうか。今ではそれも分からない。
書きたいことを書き連ねていたら眠くなってきた。寝よう・・・
追記:
トラックバックくれた方、こんな掃き溜めのような記事にコメントありがとうございます。
両親と相談すべきと言うのは本当にその通りで、臆病な私はこのことをタブーのようにしてしまっていて、まだ両親とこのことについて話し合った事はありません。
このままですと、状況は悪くなる一方なので、今度帰省したときに両親と膝を突き合わせてコの件について話し合ってみようと思います。
子供の頃、行儀良く品よくしなさいと親から言われて来たため、行儀よく品よくするように心がけていた。
たとえば、汚い言葉を使わないとか、椅子に座るときには足を閉じるとか、食卓には肘をつかないとか、そういうことだ。
そうやって育つと、自然と行儀悪く品無く振舞う事を恥じるようになり、そのような自分がそのような行動をする事に対する精神的なハードルが高くなる。
ところで、私は小さい頃からお世辞にも顔立ちが整った子供ではなかった。
親は私が行儀良く品良く振舞う事を良しとするのだが、子供はそれを良しとしないのだ。
行儀良く品良く振舞うのは顔の可愛い女の子の特権であり、私のようなブスがそのようにすると澄ましている・いけ好かないと思われる。
お前、ブスのくせになんで笑い取りに来ないの?なんでピエロ役をしないの?
自分のブス顔自覚して、ちゃんと役割に相応しい行動しろよ、と。
一つ人前で失敗すると、可愛い女の子は真っ赤になってうつむいたり泣いたりしたらOKなのに、
ブスの私は私が怒るか泣くかするか、一日が終わるまで失敗を笑われる。
一日経つ前に我慢が限界に達して怒るか泣くかすれば、怒ったところ泣いたところを数日間は物真似のネタにされる。
それを回避するためには、親から教わった正しい事(行儀良く品良く)を捨て恥を忍んでピエロになるしかない。
私は、恥を捨ててピエロになる事が出来なかったから、イジりは虐めに発展した。
顔が良くない子は恥を捨ててピエロに甘んじるか虐め被害者に甘んじるかの二択だと?
これが直ちに解決策になるとは思ってないけど、とりあえず言いたい。
女芸人・非イケメン芸人はテレビで不細工を売りに商売するのを止めろ。
テレビは不細工を指差して笑うのが正しい消費方法だと、視聴者に刷り込むのを止めろ。
***
カッとなって増田に殴り書きしてしまったけれど、ブコメありがとうございます。
id:mugi-yama いじめられてたことに同情はするけど、さすがにそりゃ逆恨みってもんでしょ
恨みっていうか、お前ら(不細工ネタ芸人)のせいで昔虐められた許さない!って思いじゃないんだ。
彼らは不細工ネタで沢山笑いを取ってギャラいっぱい貰ってるのかもしれないけど、
その代償を残酷な子供たちに囲まれて生活する不美人・非イケメンな子供が少しずつ支払っている側面は実際あるよな、と思ったんだ。
不美人・非イケメンな子供が、私と同じように嫌な思いをする機会がちょっとでも減ったらなあ。
不美人・非イケメンな子供でも、本人が望むならば自信を持って教わったとおり行儀良く品良く出来たらいいなあ。
アバンストラッシュや牙突の真似って誰かの自尊心傷つけたりするわけ?
id:crator 難しい問題だな。これ以上テレビ(もしくは表現全般)に規制が入るの嫌なんだけどな。普通言っちゃいけないことを弄るのっておもしろいし。
悪い事をテレビで流すのを全面的に規制したら、殺人事件が絡むサスペンス系などは全滅だろうなあ。
ただ、例えば上記の殺人事件は「社会的にタブーとされている」という前提を崩さないように演出されてるよね。
一方、不細工ネタ弄りは「さあ、みんなでいっしょに指差して笑いましょう」と言わんばかりのテロップや演出がなされているのが気に入らない。
昭和の見世物小屋だって、「こんなものに好奇心を持つ事は良くないことですよ」というメッセージ性のあるアングラ演出がされていたのではないかと思う(それがまた、好きな人にはそそるのだろうが)。
はてなはネットの中でも女性の権利を主張する人が多く、その手の話題を目にすることが多い。
どうやら女性の権利を尊重するためには、世間には恐ろしいほどタブーが多いみたいだ。
その手の言説を真に受けるなら、女性には 触らない・喋りかけない・見てはいけない・否定をしてはいけない ともはや自分の存在がタブー視されているようで恐ろしい。
その上、男女平等なもんで、女性は男性と同様に扱う必要があるという。要するに避けてはいけないみたいだ。
女性として丁重に扱う必要もあるらしい。もう何がなにやらワケガワカラナイヨ。
女性を必要以上に気にかけて、丁重に扱うと男性への逆差別な気もするのだけれど、まあ男だからいいのかもしれない。
男でごめんなさい。生きていてごめんなさい。
今のビジネスの流行は、「つまらないものを大事そうに扱って高く売り、安くて面白いものを捨てさせる」ことだと思います。高度経済成長の時代は「安くていいものをたくさん買う」ことが商売だったけれど。
断捨離って、無理じゃないですか?だって一回自分で「ほしい!」と思って買ったんですよ。面白いもの、好きなこと、ありませんか?
facebookって、怖くありませんか?私は、ページを開くだけで体が冷えて、死にたくなります。
Instagramって、なんで楽しいんですか?いいねって、どうして押したんですか?私は、ドキドキした時に押しています。
何で少子化って、進むんですか?みんな性欲ないんですか?少なくともあなたは、セックスの末生まれてきましたよね?うんこもおしっこも、しますよね?なんで拭くんですか?汚いって、なんですか?エロいって、なんですか?変態って、どういう意味ですか?政治と宗教の話って、なんでタブーなんですか?誰が何の為に決めたんですか?
素直って、正直って、頑張るって言葉の意味、辞書で引いたことありますか?言葉って、なんですか?
正しいって、どう言う意味ですか?正義って、悪って、なんですか?
若いって、悪いことですか?成人式って、なんですか?振袖着て写真撮影して20万って、苦しくないですか?
大人って、なんですか?化粧って、なんでするんですか?誰のために?おっさんの息がくさい方が嫌じゃない?セクハラって最悪じゃないですか?
性犯罪率って、どういう数字ですか?今の日本でレイプされたとか言えますか?
なんでレイプするんですか?何が気になるんですか?
漫画って、誰が描いてるんですか?架空の話って、なんのために描くんですか?かわいいものって、どうやってできたんですか?魔法?
勉強って、どう言う意味ですか?学校、楽しかったですか?不登校って、なんで悪いんです?先生や親の言うことって、本当にステキです?好きな科目だけ極めたら、だめですか?年号って、何の為に覚えるの?歴史って、なんですか?テストって、なんのため?
なんで、作文の内容先生に修正されるんですか?なんでみんな、朝起きれるんですか?
なんで私の学校のシスターは、神を信じてるんですか?神ってなんですか?宗教戦争ってなぜ起きたんですか?
お葬式って、なんですか?仏教ってどんな宗教ですか?お祭りってなんであの色なんですか?
Wikipedia見るの、楽しくありませんか?工場見学、行きたくありませんか?
今持ってるもの、本当にかわいいですか?悪口言うのって、最高に楽しくないですか?喜怒哀楽の感情、全て持ってますか?なんで人前で泣いたら、怒ったらいけないんですか?
みんな辛くありませんか?
なんで盗むんですか?もってないんですか?
勇気出したこと、自分で意見言ったこと、ありますか?恋愛以外になにか本気でやったこと、人に自慢できますか?
女って、なんですか?男って、誰ですか?人間って、なんですか?
なんで失敗したらいけないんですか?みんな失敗したことないんですか?ボランティアって、なんのためにするんですか?働くって、なんのためですか?
親孝行って、無料でできませんか?温泉旅行じゃないとだめですか?
なんでニュースって、暗くて意味が良く分からないものばかりなんですか?
なんで投票しても、無駄なんですか?民主主義って、なんですか?世論って、誰の言葉?
ふなっしーって、なんで人気なんですか?きりみちゃんって、かわいいですか?
きゃりーぱみゅぱみゅって、本当にかわいいですか?
懐かしいってなんですか?今の時代がそんなに嫌なんですか?それなら本音を言って、自力でなんとかしませんか!何もしないままで現状維持できますか?
芸術?は、爆発です。
テレビって、なんですか?新聞って、正しいですか?まとめブログに書いてあることって、正しいですか?
日本って本当に素晴らしい国ですか?間違ってるところ、ありませんか?放射能はどこに行ったんですか?なんでいじめが起きるんですか?いじめられる子って、死んだ方がいいんですか?
なんでスマホ触ってるんですか?ほかにやりたいことないんですか?スマホは誰が作ったんですか?人間じゃありませんか?キチガイって、犯罪なんですか?バイト、やめたくないですか?
リズムって、なんですか?踊るって、なんですか?
こういうこと、自分なりの答えが出るまで考えたこと、ありませんか?
コミュニケーションって、日本語で言うとなんですか?すぐ答えが出てこないのはなんでですか?
なんでなんで?何で?考えたらだめなんですか?起こったらダメなんですか?納得したくありませんか?今の私って、怖いですか?なんで怖いんですか?あなたは正しい人間ですか?
古人類学によれば、アウストラロピテクスは約300万年前に存在していたようだ。
アウストラロピテクスは石器を使う能力をもっている。
石器を使えたという知能から類推するに、クンニくらいは日常的にしていただろう。
つまり、クンニは少なくとも300万年前には誕生していたということだ。
ここで疑問なのだが、なぜ300万年たった今でも淘汰されずにマン臭女が現存するのだろうか。
年金問題よりも少子化問題よりも、自分の妻の、彼女の、セフレの、マン臭問題のほうが確実に重大だろう。
生まれて初めてクンニをした時、男性ならばみなこう思ったはずだ。
うっわくっっっせ・・・と。
話を戻す。
それは「あまり洗い過ぎないほうが良い」という迷信によるものだ。
たしかに昔だったら、公衆衛生も悪く、パンツを毎日履き替える習慣もなかったため、
あまりマンコを洗わないことが、マンコの衛生状態を一番に保つという知恵は成り立っていた。
しかし、高度経済成長期を終え、洗濯機が各家庭に一台ある今、マンコをしっかり洗わないことは愚の骨頂である。
こうなってしまった原因は、マンコの話はタブーという世論の雰囲気が大きい。
マン臭女問題は重大なのだから、もっとみんな日常的にマンコマンコ言っていき、雰囲気を変えよう。
マンコ。
我が愛するニコニコ動画を壊すからだ。衰退させるからだ。ついに滅亡せしめるからだ。
一般的な説明として「真夏の夜の淫夢」とは何であるかについて、ASCII.jpによる説明を引用する。
本文での「淫夢」とはこのゲイ向けポルノビデオを元として改変した動画群を投稿し、再生し、コメントを付け楽しむユーザーの総称だ。
最近ニコニコ動画を利用したことがある人ならば、いや、近年では2ちゃんねるやそのまとめやtwitterやはてななど、
オープンなインターネットコミュニティを利用する人ならば、彼らの独特の言葉を一度は目にしたことがあるだろう。
「あのさぁ……」「関係ないだろ!いい加減にしろ!」「(迫真)」
淫夢は独特の定型文を共有し、頻繁にこれを使う。全く関係のない動画であろうと、
少しでもこの言葉を使えそうなタイミングがあれば大挙してこの書き込みを行い、
自分たちだけが分かる世界を展開し悦に入り、理解できないユーザーを混乱に陥れる。
この行動によって、初心者がニコニコ動画に参入することを大きく阻害する害悪となっている。
淫夢は非常に活発で能動的であり、例えばニコニコ動画に新しく用意された玩具をいち早く見つけ、
それがどんなものであれ最大限利用しようとする。
今やニコニコ動画で最も能動的なコミュニティは淫夢であるため、ニコニコ動画が新しく何かを始めようとすると、
必ず淫夢の玩具になり初心者には使いにくいものとなるのは皮肉なことだ。
このシリーズは、まず退屈な製品の製造工程や、文化解説のビデオに「ホモと学ぶ〜」という目印になるタイトルを着けて無断転載を行う。
次にそのタイトルを目印に淫夢が集結し、思う存分前述の独特の言葉を付けて遊ぶというものだ。
その様子を見るに、動画の内容はほとんど関係がなく自らの定型文遊びだけが彼らの目的であり、
動画は動画として必要とされず、定型文遊びの媒介としてのみ使われる存在に成り下がっている。
このシリーズは典型的な例だが、概ね淫夢は本質的に動画を必要としていない。
そのため、高品質な動画を作ろうとするクリエイターと対立する存在であり、淫夢は今以上のニコニコ動画の発展を阻害している。
BBという文化がある。BBとはブルーバックのことであり動画編集ソフトで切り抜き合成をしやすいように素材化された動画のことだ。
しかし淫夢におけるこのBBシリーズはおよそ素材としては使いにくい部分ばかりが投稿される。
彼らはニコニコ動画の特徴的な文化であるMAD文化や2次創作文化を理解した上で、
それをまともには取り合わず「素材として使いにくい素材を作る」「その使いにくい素材を使って実際に動画を作る」という一種無駄な努力を楽しみ、
この例の他にも、概ね淫夢は色々なコンテンツや文化をよく理解しており、
その上にそれ自体を揶揄しパロディ化したコンテンツを生み出す傾向にある。
新しい楽しみ方を模索しているとも言えるが、この行動によって、コンテンツ文化はさらに複雑化し、理解されにくいものとなってしまう。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索する。
そうだ。その通りだ。 知っている。私達は彼らを知っている。
私達は彼らが何者なのかを知っている。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索し続ける。
その通りだ。ニコニコ動画だ。
実際のところ、淫夢は淫夢さえ必要としていない。淫夢が淫夢であるためには、淫夢が必要というわけではないのだ。
その証拠に、少し前、淫夢は淫夢ではなかった。少し前には、淫夢は淫夢ではなく、ビリー・へリントンであった。
問題は、なぜ彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になってしまったのかだ。
それは簡単だ。
ニコニコ動画がビリー・へリントンを認めたからだ。ビリー・へリントンをビリー・へリントンとして定義し、表舞台に上げたからだ。
すでに小野ほりでいが喝破しているように、その心性とは「理解されることを嫌う」ということだ。
彼らは、理解されるぐらいならば消えたほうがましだと考えている。
それは、特別でいたいという気持ちと、馬鹿に自分を理解できるわけが無いという上から目線が同居した気持ちである。
ビリー・へリントンが表舞台に立ったとき、彼らは彼らがビリー・へリントンであるまま理解されずに済むことは難しいと考え、
その瞬間から彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になったのだ。
同時に重要なことはこの「理解されることを嫌う」心性が、既存の価値を否定し新しい価値を生み出しやすいニコニコ動画のアーキテクチャーと
彼らは理解されることを避けるために、新しい価値を生み出している。
そして理解されることを避けるならば、最初から理解されていないもの、理解される可能性が低いものを題材に選んだほうが効率が良い。
だからこそ彼らはセクシャルマイノリティや、政治的タブーなどアンタッチャブルな題材を選び、
理解を巧みに避けながら安全にニコニコ動画を楽しんでいる。淫夢はそのような彼らにとって、安息の地であり約束の地なのだ。
しかし、淫夢はニコニコ動画であっても、ニコニコ動画は淫夢であるわけではない。
ニコニコ動画がニコニコ動画であるかぎり、容易に淫夢的なものに支配されうることは確かだが、それは淫夢を淫夢たらしめている性質からしても、衰退の道に繋がることは明らかである。
新しい価値を生むことで理解を避けるニコニコ動画がある一方、新しい価値を生み、その上でその理解を渇望するニコニコ動画もあるはずだ。
我々はそういうニコニコ動画を知っている。
彼らはニコニコ動画でありながら、ニコニコ動画を壊し、衰退させ、ついに滅亡せしめる存在だからだ。
ASCII.jp:ある意味とてもニコ動らしい淫夢動画の世界 (1/3)|myrmecoleonの「グラフで見るニコニコ動画」
http://ascii.jp/elem/000/000/873/873619/
淫夢語録とは (インムゴロクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B7%AB%E5%A4%A2%E8%AA%9E%E9%8C%B2
ニコる(淫夢)とは (ニコルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%82%8B(%E6%B7%AB%E5%A4%A2)
ホモと学ぶシリーズとは (ホモトマナブシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
BB先輩シリーズとは (ブルーバックセンパイシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
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