はてなキーワード: タブーとは
高校生の時、国語の先生に「大人になったら、政治の話と宗教の話と野球の話は親しい友達にもしない方が良い」と教わった。
でも、時にその3つが話題にあがることがある。
政治の話は、ニュースで取り扱われている内容のさらに上辺だけをちょっと話すくらいで、あまり盛り上がらない。安倍さんまた顔疲れてるよね。老犬みたいだよね。くらいには上辺しか話さない。
野球の話は、めったにしない。したところで、私は出身が宮城だから楽天応援してるよ。とか、カープ女子って流行ってるけどアレなんなんだろうね。とか、そんなかんじ。同じスポーツでもサッカーの話題の方が盛り上がるし。ウッチーがかっこいいって話だけで30分は持つ。
で、宗教の話。
でも、お互い探り探りでオーラを感じ取って、特に何も信じていない事を確認すると、宗教コワーイ神なんてシンジナーイ!といったふうに話せるようになる。
でもふとしたきっかけで、仲の良い友人が有名どころの信者であることを知ると、どう対応すればいいか分からない。
統一教会では、韓国の山を走る合宿があるらしく、その合宿費用のために修学旅行には行けないのだという話を聞いた。
その言葉にどうリアクションをとればいいか分からず、ほー大変だね。とだけ言ってスルーした。
また、以後彼女との会話での宗教の話題は私の中でタブーとなった。
高校2年生の私は、よく分からない宗教といえば創価学会、エホバの証人、幸福の科学、あとパナウェーブ研究所くらいしか知らなかったので、ウィキペディアで統一教会のことを調べて、どんなものなのか、少し学んだ。
今でも彼女とはとても仲が良い。
最近の話題は専ら、彼氏欲しい、結婚したい、子供産みたい、の3つで盛り上がる。
彼女ともその話をする。
彼女にはまだ彼氏ができたことがなく、このままだと結婚できない!どうしよう!といつも話しているのだが、私が当時学んだウィキペディア情報によると、統一教会は知らない人と野球場かどっかで結婚させられるんじゃなかったっけ?
ガチガチどっぷりの信者だけその制度に従うの?信者に結婚させられるさせられないの区別ってあるの?んん??
なんか色々とよく分からない。どうなっているのか気になる。
でも、聞きにくいし。でも、知りたいし。
そこに何があるって、癒やしがある。癒やし。
もし10年くらい対戦ゲームにブランクがある人は是非行ってみて欲しいんだ。
まずプレイヤーの基本水準が高くて驚く。
どんな対戦ゲームにも共通するような攻防の基礎みたいなのがすごいハイレベルになってて、当時なら有名プレイヤーって呼ばれそうなくらい巧いプレイヤーばっかりなんだ。
当時けっこうガチでやりこんだゲームのイベントがきっかけで久々に対戦をしたのだけど、連続技の決定力とかゴリ押しの知識とかでなんとか最初は連勝してたのだけど、相手側がそれをどんどん吸収していくのが目に見えてわかるんだ。
対戦相手は何人もいるはずなのに、目の前のプレイをみて次々に吸収していくんだろうな。
結局10連勝くらいで負けてしまったのだけど、あぁ、もう次まけるなっていうのが予想できるくらいの上達ぶり。
さらに感動したのは、当時ならハメとかいって嫌がられそうなプレイが内容に対しても誰も批判とかしないんだよね。
そういうのも含めてキャラクターの性能って割り切ってて、そのゲームの中で起こり得ることは全部受け入れるみたいな土台ができてるみたいだった。
当時だって十分ガチでやってるつもりだったけど、どこかにはタブーというか制約みたいのがあったんだよね。
性能差が大きいキャラでの乱入は嫌がられるとか、そういうのも全然ないんだ。
何に遠慮することなく、持てる力を全部注ぎ込んでいいんだって思ったらすげー楽しかったの。
あぁ、ゲームって本来自由なんだよなぁみたいな感じのことを実感できたんだよね。そう思ったらリアルに涙でた。
途中ハメ殺されたりもしたけど、結局その状況に持って行かれた自分が悪いんだって思えたらすんなり状況を受け入れられたんだよね。
それで気がついてまわりをみたら、もうみんな超楽しそうにゲームしてるんだ。
今、自分は好きなことに熱中してます!みたいに目をキラキラさせて。
ゲーセン業界ってピンチらしいんだけど、だからこそ集まってる人間って本当にゲームが好きな人間ばかりなんだろうなぁ。
色々な事情でゲーセンから遠ざかってる人って多いと思うんだけど、そういう人は是非行ってみて。
っていっても、こういう対戦ゲームとか充実してるゲーセンって本当に一握りしかないからちょっと調べたりとかしたほうがいいかもしれないけど。
この間自分の増田にNettouochiさんがコメントしてて思わず二度見してしまった。
最近ではこの方にスルーされることも多かったので、久々にブクマ付いたとおもったらコメント付きでかなり焦った。
増田のタブーにでも触れたのかと思ってガクブルしてたんだけど、この方のブックマーク見に行ったら実にまれにコメントしてるのね。
漫画とかで無口設定かと思ってたキャラが突然喋ったりすることあるけど、そういう系?
高い精度でシステム化された人間とbotを判別することは難しいってことですかね。
ついでに聞いてみたいのはNettouochiっていうのはやっぱり「熱湯落ち」かな。
熱湯風呂の上で「押すなよ!押すなよ!」って叫んでるけどまわりに誰もいないような虚しさの増田を落としてくれる優しい人って意味?
とあるアーティストのライブのチケット(6000円くらい)を自分と彼女の分で2枚買った。
楽しみにしてたんだけど諸事情で二人とも行けなくなってTwitterでほしい人いませんか
ってつぶやいてみたらリプライが50近くも来てとてもびっくりした。
なかには◯万で2枚買います!みたいな情熱的な人もいて、そんなにかーと少し引いた。
少し引きつつも◯万×2で売れるならそれはそれで嬉しい気もする。
これが世にいうチケット転売というやつかー、とタブーに触れるような気がしたが、
売りたい人が売ることを示して、買いたい人が買いたいなりの料金を提示してるわけで
昔の彼氏との思い出なんか聞きたくない。
苦言呈したら逆に怒られた。
その彼がいなかったら今のあなたはいないかもしれない。それはわかる。
だけど、そのストーリーをいちいち教えないで欲しい。
嫉妬しすぎだろうか。心狭いだろうか。
福島の現状について非常識なことばかり言う人の中に、特定の何某を趣味にしてる人がいるとたまに
「周りもこいつをいい加減何とかしないと、その趣味に興じてる人全体がそんな奴だって思われるぞ」
みたいなご意見を見かけることがある。
確かにその通りだよねーっと思うし自分もそういう人にはいい加減にしてほしいと思ってるんだけど、
じゃあ何かたしなめる意見をそいつに言えるかっていうとまあ無理。ごめんなさい無理。
趣味で人が集まる時って大抵その手の話はタブーで踏み込まないし、そんな相手に直接言ったらこっちが何されるかわかんないし。
その手の変態って声がでかい人が多いから自分のことをどこで何て言われるかもわからない。
もし相手が趣味の集まりでキチガイな発言をしてくれれば追い出せるかって言うとそうでもなくて、
高々タブーに触れたくらいのことだから周囲の人が少し距離を置くようになるだけ。
まあやり過ぎれば多少は問題視されるだろうけど、あくまで敵失に頼ってるだけだし、
たしなめる人がいたとしてもそれで少し収まるかと言えばそんなことも無い。
あと、この手の人って往々にして趣味とか学歴の類を「理知的な自分」を印象付けるための飾りにしちゃってることがあって、
飾りだから趣味の会合とかにも殆ど顔を出さずそもそも直接会うこと自体難しい。
Twitterなんかやってると割とマトモそうな学者をフォローしてたりもするんだけど、あくまで飾りだからそういう人のツイートとかたぶん読んでない。
以前自分と同じ趣味で、福島じゃ放射能で大量に人が死んでるけど隠ぺいされてるみたいなことばかり呟いてた人が
少しはマトモになるのかなと期待してたけどここ5年間で大して変わってない。
科学史っていろんなジャンルの人が見るしなんか賢い感じもするし、
本業の人は座学だけじゃ厳しいだろうけど既存の知識をそのまま披露するだけの知った風なことを言う素人にとっては飾りに使うのに持ってこいな感じ。
あ、科学史やそれに注目する人がそういうのを飾りに使ってるという意味じゃなくて、これも一部の変な人の話ね。話がずれたけど。
大半を占めるのが真っ当な感想。
ポエム、全く反省していない、被害者に無断でなぜこのような本をだすのかetc
その中で少数意見が出てくる。
断言しよう。
過度に飾られた、ちょっと文学に浸って己を過信した、中二病の文章だ。
中二だ。これが高校になるとこのくらいの文章を書く奴は少し増える。
大学になるともっと増える。皆そういった恥ずかし気を越え一周して簡素な文章になる。
目立って特別な文才ではない。
ただ元少年Aの文章がそこまで囃し立てられるわけは「ゲテモノ」だから。
タブーを犯したゲテモノが書いた文章だから、専門家はそのー言葉に意味を見つけたいのだ。
少し頭が良くて少し文章が書けて。自分が犯した行動を抑えきれない自己顕示欲で、オナニーを見せつけるのだ。
誰かがはっきりと言ってあげなくてはいけない。
ネットの評価では文学的だとか一部ではそんな意見があるけれど。
賞に出しても一次で落ちる。バイトが選考するのにも引っかからないね。
これ以上表に出てはいけない。
出家して、人の目が届かないところで一生許されることない罪と対峙してほしい。
誰にも見えないところでね。
もう2度と世間に出てこないでください。
http://anond.hatelabo.jp/20150614100601
http://anond.hatelabo.jp/20090622091939
18歳から28歳の一番いい時を吸い尽くされた元嫁さんはどんな相手と結婚するんだろうね。
俺だったら、子どもを育てるためだけにそんな女と結婚したくないな。
異性の価値は若さ、人間の価値は経験~10代から30代まで付き合ってみて
http://anond.hatelabo.jp/20090622081819
真っ向から批判するコメントやブクマコメントが多いことにすごくびっくりした。
そんなに触れちゃいけないタブーだったのか。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
同じ女性と、10代から20代という変化の多い10年を共にすごした経験から言わせてもらうと、
「女の価値は若さ」というのは、一面的ではあるが絶対的な真実だ。
もちろん逆説的に言うなら、「人間の価値は経験」というのも真実である。
10代のガキよりも、30代のお姉さんの方が、深い話をするなら絶対に面白い。
でも、それは人間として、なんだよね。
恋愛対象の異性、という、センチメンタルかつ性的なニュアンスを含む場合、
やっぱりピークってのは、10代後半から20代前半なんじゃないかと思う。
デートのドキドキ感などは、新しい相手と付き合えば、確かに毎回味わえる。
でも、若い時にしか経験出来ない人生のイベントってのは間違いなくある。
そのイベントの多くは、若さと恋愛とセックスが微妙に重なり合った部分にある。
もちろんセックスへの貪欲さも、感度の良さも、開発された30代の方が素晴らしい。
でも、初々しさから貪欲さへの飛翔、好奇心と恐れの板ばさみからの脱却、肌の手触りの変化、
現在進行形で育って行く身体、セックスの成長を共に味わうこと、などは10代の処女の時代から30代近くの
成熟する時代までを、1人の(もしくはそれぞれ同年代の複数の)女性と共にすごさないと、味わえない。
女性の変化のダイナミズムを味わうなら、10代後半から20代後半の間だと思う。
細かいことは省くが、圧倒的な真実としてひとつだけ言いたいのは、肌の手触りの変化。
元嫁が20歳になってしばらくしたある日、肌の感触が今までと明らかに変化したのに気づいた。
それまで、しっとりと吸い付くようだった肌触りが、べつに吸い付かなくなった。
最初は体調かなんかのせいかと思ったくらい、ある日突然起こった劇的かつ不可逆的な変化だった。
これは、女性自身の方が良くわかる感覚なんじゃないだろうか、例えばシャワーの水が
肌で玉になって転がる時代があったということに。
異性として、より生物的な価値、もっと言えば恋愛市場での商品価値としては、
何故なら男性は金や権力で、恋愛市場での自らの商品価値を引き上げることが
自分と元嫁とは、お互いの若さに惹かれて付き合っていたんだと思う。
元嫁は、夢を語り、追いかけ、実現して行く俺の姿に惹かれていたと思うし、
俺は、色んなことを吸収して、日々変化し、成長していく元嫁が魅力的だと思った。
そして、セックスも存分に楽しんだ。お互いの若い身体をむさぼった。
でも、色々なことを経験し、色々な人に会って、若い時と目線が変わった今は、それぞれが
別の道に歩き始めるようになったし、人生の伴侶となる異性に求める条件も変わった。
人生におけるマクロな価値観と、ミクロな生活感覚が近いかどうか。
違っていたとしても、お互いに認め合い、尊重し合えるかどうか。
元嫁とは今も仲がいい。
でも、マクロな価値観も、ミクロな生活感覚も、10年の間で徐々にその差が開いて行った。
人生の中でももっとも劇的に変化する10年を超えた時に、お互いの人生の立ち位置が
同じままってのは、本当にありえない奇跡なんじゃないかと思う。
自分たちの場合は、それが少しづつ変化して行った。バンドなら、音楽性の違い、だ。
だから、別々の道を歩むことに決めた。
たぶん、子供を産んで育てれば、半強制的にお互いの立ち位置は同じになる。
世の多くの夫婦は、意図的にせよ、無意識的にせよ、その道を辿る。
それは、凄く正しくて良い事だと思う。
自分たちの場合は、20代ではそれぞれの夢を優先させていたので、あえてそれをしなかった。
周囲の友人を見ても、子育ては人生中盤以降の最大のやりがいであり、楽しみだと思う。
個人的にも、自分の人生でその最大の楽しみ(苦しみも)が残っているのは、凄くわくわくする。
そもそも結婚って制度は、子育てをしないと何のメリットも無いし。
結婚ではなく、出産と育児で、今までの人生ってのは一度リセットされるんじゃないかと思う。
でも厳密に言うならば、夫婦間で「若さを消費する恋愛」の経験に大きな差がある場合、
それを後から埋めるのは結構難しいんじゃないかとも、ふと思う。
だって、それは人間の価値を決める「経験」の圧倒的な差でもあるわけで。
「若さ」という万人に等しく与えられた資産を、適切に自己投資して来なかった人なわけで。
それは、無駄な嫉妬や劣等感やルサンチマンや浮気や不倫や出会い系や風俗やスワッピングや
ロリコンへの傾倒や韓流ドラマブームの原因になるんじゃないかと思う。
ここらの暗いパワーを、持ち家のローン返済や子育てへの前向きなパワーに変換出来れば、
幸せになれるのかも知れないけど。
まあ、長くなっちゃったけど、一番言いたいことは。
「若い身体は素晴らしい。成熟した精神は素晴らしい。」ということ。
そして、もうひとつ。
「若い時の経験が違いすぎる人同士は、結婚しない方がいいと思う」ってこと。
いまさらそんなことにこだわるなんて馬鹿馬鹿しいことだからこそ、
逆に誰にも相談できずに悩むんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20090621154203
外見だけの話じゃない。
20代で散々遊びほうけてスレ切った女が、30代40代になって理想とする男は、遊ぶことを自粛してきた高学歴高収入の男。
全く反吐が出るわ。
そして思う存分若い女と遊べばいい。
罪悪感というより自分への嫌悪感かもしれない。自尊心が傷ついた。
誰に何をされたわけでも言われた訳でもないのに自分にショックだ。
もともと、物語やキャラクターにそこまで入れ込めないほうだった。
映画を見ても「俳優が頑張っているな」、マンガを見ても「漫画家が頑張っているな」という感じで、
キャラクターについては単に「絵」という認識で、人がキャラクターについて語っているのには付き合えても、
自分が主体的に熱烈に語れるかというとそんなエネルギーは無かった。
いわゆるオタクに目覚めるというか、絵に描かれた異性に恋すること(腐女子化を含む)の初体験の年齢って、
一般的には小4~中2くらいの時期に集中しているように見えて、
恋とまでは行かなくても「そのくらいの年頃でチュンリーで抜いた」的なエピソードはネットのそこらじゅうに転がっている。
私はそういうのは「ナシ」と思っていて、いや、そういうのが好きな人は自由にすればいいんだけど、
私はそういう風に思おうとしても思えない体質なんだなみたいに思っていた。
そのまま大学まで卒業して社会人になって、こんな年齢になったら今更二次元にとはならないと思っていた。
それに、小中学生で二次元に目覚めても、成長して生身の恋人が出来たら二次元は忘れていく、
そういう経験談がネット上ですら多いものだから、三次元から二次元という「逆行」は起こらないんだと思ってた。
でも私に起こったのは完全にその逆行で、中学の頃からずっと三次元の好きな男や彼氏が居たのだけど、
いま彼氏と別れていて、そのタイミングで唐突に二次元のキャラクターにハマった。
原作のそのキャラクターを見ているだけでも「もうなんだこの人、えっちすぎる」という感じで、
いや人じゃないし、絵だし、それに原作でえっちすぎる描写とか無いし、えっちすぎるとしたらそう解釈する頭の問題だし、
そう冷静に思おうとするのだけど、ブレーキがかかりきらずに滑りながら突き進んでいるような感じで、
暇さえあればツイッターでキャラクター名を検索しまくり、ファンが描いてる絵を見ては「ああああーーーーかっこいいーーーーー」とか、
「かわいいーーーーーー無理ーーーーーーーーー」というテンションで、脳がバグってるような感じになった。
オタク話がわかる友達など一人もおらず、この話を共有しようものなら心底気持ち悪がられて軽蔑されそうで、
でもツイッターからあっという間にpixiv依存症になり、こういうの「○○沼」とか言うんだってね、ファンフィクションのR18にどっぷりになった。
そのキャラクターのR18作品の新しい投稿を待ち続けるような感じで、こんなの人としてダメだろと思うんだけど、
そのキャラクターのR18が幸せすぎて止められなかった。「BL」でも「NL」でも単体のエロでも、そのキャラさえ居れば全部幸せだった。
生身の恋愛でもこんなテンションになったこと一度も無かったのに。
女性オタクの間でも好きなキャラクターをオカズにするかってところになるとタブー感があって、
「私はそこまでじゃないです」的な一線を引きたがる人が多いように見えるし、
オタク暦の浅い私が急速にハマって一気に一線を越えてしまったみたいなの、すごくみじめというか、
やっぱり少数派なんだろうか、エロ絵は描いたり楽しんだりしても「かわいいね」と愛でるもので、
オカズとかそういうのは引くわっていう女性が多いんだろうかと、普通を探してもどうしようもないんだけど、
思うばかりで、なんか混乱のさなかだ。
ただ冷静に思うのは、私はストレートなんだけど、女性の創ったものでしたんだなと……。
そして男性のオタクはこういう同性内エコシステム(???)的なものの中に、ずっと前から自然と居たのだなと。
子供を大人の世界に連れて行くっていうのは、よく「子供がかわいそう」と言われているけど本当にそうなんだろうか。
さすがに大人でも公言するのはタブーな場所(風俗等)は良くないとは思うけど、居酒屋とかイベントとかそういう大人たちが楽しむ場所。
自分の親が酒を飲むのが好きで子供の頃にたまに居酒屋に一緒についていったけど、あまり嫌だとか眠いとか思わずに大人の世界に興味津々だった。
お酒はさすがに飲めないけどおつまみ美味しいし、世の中にはうまいものがいっぱいあるんだなあと思った記憶がある(無論口にあわないものもあったけど)。
あとは他のお客さんたちの雰囲気、店の内装、親たちの料理や酒に対するうんちくなどなど、面白いことばっかりだった。
はじめに、百合の花が咲いていた。
長い年月が過ぎ、天変地異、地殻変動の後に、人類の住まう地に大きな塔が聳え立った。
この塔はなんとも不吉であった。
姉妹たちは皆、この聳え立つ塔に恐怖した。
勇敢にもその塔へと登って行った。
これは私の住んでいるこの世界の神話『キマシタワー物語』の一説である。
小さい頃おばあちゃんによく聞かされたが、当時から好きではなかった。
今では学校の授業でもさんざん聞かされるこの話はネィロ教であるこの町の住人なら殆どが知っている。
塔の中でセーナに生きる喜びを与え、人類の救世主として現れたのが
ネィロ教の始祖シコッテ・ネィロ様なのだそうだ。これが町の歴史。
現在、奇間市の中心には町のシンボルである奇間市タワーが立っている。
この塔は教団の本部でもある。
とても大昔の地殻変動で出来上がったには見えない、おそらく神話に因んで建造された塔。
この時まで私はあの物語をただのお伽噺だと思っていたのだ。
父親は物心つく頃にはいなかった。ちなみに祖母は父の母親で、母とは血のつながりはない。
複雑な事情があるのかわからないが、家でそういう話はなんとなくタブーになっていた。
祖母はネィロ教団の元幹部で、今でもご意見番として影響力をもっている。
それが直接の原因ではないが、私に対して同年代の風当たりはキツく、
不登校ぎみで家に籠ることが多い。
そんな私の楽しみはインターネットで知り合った友達とのチャットやネットゲームだった。
同じように不登校で悩みを打ち明けあって仲良くなった小豆ちゃんとは3年ほどの付き合いになる。
お互い男性に対しての免疫がなく、同年代の男子ともろくに会話をしたことがない。
しかし、アバターを通してならなんとか男子とも会話ができるのだ。
小豆ちゃんとは自撮りの写真を送りあったり、ビデオチャットもたまにする。
不登校になったのも、男子から人気だった小豆ちゃんにクラスの女子が集団で陰湿ないじめをしたのが原因らしかった。
いつものようにビデオチャットしていると、小豆ちゃんの後ろに映る部屋の本棚が気になった。
しかし、そこに写るその本は見たことのない本だった。
「どうしたの、セーナちん」
「その右端のネィロ様の本…」
「えっ!??」
「・・・え?」
「あぁ、ごめんごめん。セーナちんが『ネィロ様』なんて言うからwwwそりゃあ好きなんだろうけど」
「え?どういうこと?」
「だってセーナちんもネィロ先生の小説好きなんだよね?だってHNもセーナだし・・・・」
「ん?・・う~ん??」
なんだか微妙に会話が成り立たない。
「へ???」
「あずにゃん?何言ってるの?ネィロ様は大昔の人だよね?」
「wwwそりゃあけっこうご高齢だけど、大昔ってwひどすぎww」
「え~と、ゥイキにも年齢は載ってないみたいねぇ。『この街の真実シリーズ』で人気になった作家...→(URL)」
この時、小豆ちゃんはネィロ様についての詳細が書かれたゥイキのURLを貼ったらしいが私にはアクセスできなかった。
「ん?どうしたのぉ~?セーナちん。」
「さっきの本、どこで買ったの?」
「どこで、っていうか普通に書店でも推してたし、あ○ぞんでも売ってるじゃん。レビュー凄い数だし、→(URL)」
これもアクセスできず。
「・・・」
小豆ちゃんはふざけて言ってるわけではなさそうだ。
「ごめん、ちょっとはしゃぎすぎた?何だかセーナちゃんと好きな本の話できて嬉しかったから…」
「ううん。そうじゃないの。なんか今日は疲れてるのかも、もう寝るね」
「そっかぁ。おやすみ~ノシ」
「おやすっみ~ノシ」
混乱していた。
自分を取り巻く世界が、ガラス細工のように音を立てて壊れていくような、なんとも言えない気分だった。
つづく
とあるリアルかかない漫画家のブログは「モデルを見て書く人間は所詮二流」と断じ、かたやアイシールド21の作者は絵描きにタブーはないと言った
奨からプロになれなかった巨瀬クンは今回の電王戦の後「アマチュアの手をプロがさすなんて」とインタビューに答えた
その前のPVにて「コンピュータ将棋を見ていると何でも指す。定跡に捉われる必要もない」と世界が広がったようなこと言ってたのにね
半端モンほどナニナニは斯くあるべしと自分から世界を狭めるのはなんでだろう
電王戦後のインタビューで「事前貸し出しについてどう思うか」という質問に対して開発者が色々言っているなかid : ponanzaこと山本サンは「ponanzaは強いのでなんでもいいです」と笑いながら言っていた
まさにそういう話ですね。
文化的な習慣や倫理というのは、それなりの根拠や(主に集団の)利益に資するところがあって成立しているわけですが、
一旦文化として確立してしまうとその根拠と関わりなく「それが自然で正しい」という思い込みを生み、場合によっては
法制化されたりもするわけです。
実際にその習慣の根拠が成立している間はそれで構わないわけですが、それが失われて別の利益を損なっていても
その思い込みはなかなか払拭されないわけです。
近親相姦タブーの場合は「人的交流の閉鎖性」が失われて「個人の自由意志の尊重」という価値が認められてきた、
という社会変化をどう反映するかで扱いを考えるべき問題でしょう。
近親婚が障害の率を上げるのは事実。
だが、それを以てして近親婚を「重大な」タブーと看做すのは実は現代医学の観点からすると根拠薄弱。
近親婚による遺伝的障害の発生率上昇というのは実は何代も続かなければそんなに高くはなら無い。
純粋に障害問題の観点から近親婚を問題とするならば、兄妹婚、姉弟婚よりも、高齢出産の方を問題としないと辻褄が合わないくらいの話でしかない。
近親婚をタブーとするのは、人の交流が現代に比べると遥かに閉鎖的で、意識しなければ長期に渡っていわゆる「血が濃くなる」状態に陥りがちだった時代の知恵であり、そのためにあえて実際の危険以上に強調されて固定された文化的タブーであると言っていい。
別に「近親婚万歳」と主張するわけでは無いが、実際の確率以上に近親婚のデメリットは強調して認識されすぎているきらいがあり、障害発生率を根拠にするのは筋悪。
知らずにタブーを犯した男が、なんとか運命に抗おうと試行錯誤する。
土着の神の話。
おぼすな様と言われると、どうしてもひぐらしのオヤシロ様が思い出されるけど、一昔前、あるいは今でも田舎だとある話なのかなあ。
非科学的なことなんか信じない派の主人公が科学的手法でしきたりを暴く!的な話ではなく、あっさり不思議現象に身を任せちゃうのがなんとも。
まあ実際見た以上、下手にあがいても見苦しいだけだけど。
3巻使った割には終始ふわふわして浅く、特にどんでん返しもなく静かに終わってしまった。
面白くなかったわけじゃないけど、また読みたいかと言われるとNo。
「あの」土田世紀のマンガだと思って構えて読んで悪い意味で拍子抜けした。
まず現金を燃やす会ってのが全体を通したテーマになってると思ったから最初の2話くらいは???って感じだった。
途中でタイトルに現金を~ってのがあって、ああこれまでのは現金を~には関係ない短編だったのかと気づいた。
オチも弱い。
表題の現金を燃やす会も、現金を燃やすことというよりかは、一日をループする人間の集まりって方に主眼が置かれてる感じだったし、タイトル詐欺に近い。
終盤の少年の冒険やらの話もあっさりしすぎててまるで深みがない。
ケータイマンガだからライトな感じにしたのかもしれないけど、この人には向いてないと思った。
死んだ人間が天国地獄やらを振り分けられる前に行く場所が死役所。
オムニバス形式の中で、死役所のシステムも少しずつ明らかになる。
割と淡々とした描写が続き、作者のおこがましい主張を押し付けられるように感じなかったがゆえの感動があった。
改めて思い返してみればありがちな話ばっかだったのになーと思うくらいなのに不思議。
2巻以降も読みたくなった。
先日某ソシャゲの宣伝ブログでケモミミ娘をケモナー向けと紹介して炎上する出来事がありました。
よくある、そのジャンルのオタクを煽ってPVを稼ぐ炎上商法だと思っていたが
謝罪したブロガーがツイッターではケモナーにマジギレしていたので炎上商法ではないと判明。
ただよく考えてみれば「ケモミミ娘→ケモナー向け」がケモナー達に「煽り」と捉えられてしまう図って意味わかんないすよね。
動物使ってるんだから同じじゃねーの と考えるのはそりゃそうだ。
なので今後無用な炎上騒ぎが起きなければいいなと思ってわかる部分だけでも書く。
(注・ケモナー、ケモノの定義って何?ケモノとケモミミの違いは?とかいうとさらにクソめんどくさいのでググってください)
追記
(ざっくり言えば、ケモナー達が望んでいるのはFFのフライヤやキマリとかポケ○ンみたいなので、
ケモミミは犬日々やホロなどを想像してもらえればああ両者は違うんだなとなんとなくわかると思います)
Q,
A,
・ケモナー向けと称した本やゲームがケモミミだった事例がこれまでいくつかあったので、
ただでさえ供給が少ないうえに期待をしたら裏切られ続けたというコンボでケモナー達が疲弊のあまり怒りに転じた。
・同人レベルではケモミミとケモノで住み分けているのにごちゃ混ぜにされるとジャンル存続に関わる。
(昔はみみけっとでもケモナー向け同人を配布していたが今は同主催でも独立したイベントがある)
・まとめブログ全盛期にケモノやポケ○ンのエロ画像が「ケモナー向け」「ケモナー歓喜」などのタイトルでマジキチネタとして
馬鹿にされ続けたため、ケモミミ娘とか関係無く『「ケモナー向け」「ケモナー歓喜」などと使うブログは煽り』という認識が生まれた。
・まとめブログが好きなような人達は何故か「狼と香辛料のホロ好きだから俺ケモナーだわww」とか言うし、
そういう人は元来のケモノジャンルに理解を示さないどころかマジキチ扱いをしてくるので、安易に「ケモナー」と使う人を警戒している。
・マイナージャンルなので統制が取れていない、若い世代が多く煽りに慣れていない。(発端のブログは煽りの意味をこめてはいなかったようで申し訳ないが)
Q,
A,
・ケモミミ娘のエロが好きな人でもケモノエロ画像を見るとドン引きしちゃうのでジャンル分けたほうが無難。
・ダイ大のクロコダインをおかずにする連中とケモミミが一緒くたになるとケモミミ側が怒るんじゃないか。
Q,
A,
ケモミミ娘がどうこうというよりも別ジャンルと混同されると訂正に走る模様。三次元獣姦とケモナー混同されるとか。
Q,
A,
「ケモナー向け」って書かなければわざわざ批判するために寄って来ないんじゃないすかね。
Q,
なんでケモナー達は偉そうなの?「ケモナー」なんて最近出てきた言葉なんだしブレがあるのは当然じゃん。
A,
・商業よりも同人で賄ってきている、オタクからもマジキチと嘲笑されてきたジャンルなので、
ジャンルを守ろうと自負する保守層が多く「俺ケモナーだからwww」とあけすけもなく言いまわるような新参には排他的。
・「ケモナー」の同人としての語意は90年代に「ケモナーズ」という同人サークルが既にあり(ケモノジャンル自体はもっと前から)、
ケモノジャンルにいる人には紆余曲折ありつつもまぁだいたい通じる言葉(少なくともケモミミと混同させない)だから、
新しく定義されるとまためんどくさいことになるので出来れば勘弁してください。
Q,
A,
「ケモナー向け」と使わなくても食いつくから判断に迷ったら使わないほうが無難。
要はそもそも「ケモナー向け」とあけっぴろげに宣伝されること事態に当のケモナー達が警戒していることと、
(例で言うと、ケモナー向けぬいぐるみラブドールは正しくケモナー向けではあるんですが
広く宣伝されてしまうと「うわーケモナーって頭おかしいんじゃねぇの」とか言われて悲しくなるので)
結局今回の事例はジャンル区別の認識が違っただけみたいでブロガー側に悪意は無く、
過去の酷い仕打ちを受けてきたケモナー達が今回の件も煽りに違いないと思って突撃したようなのでそこは申し訳ないです。
でも「ケモナーの自覚はなかったけど、俺ケモナーだわ!よろしく!」の文は面白かった。
2017-03-01追記
アニメ大ヒットおめでとうございます。この日記書いたときはこんな未来になるとは思わなかった…。
それより、東大院生にケモナー研究家がいて驚いたしインタビュー記事にこの日記が引用されてさらに驚いたというか、
まぁなんかこの日記書いたのも無駄ではなかったんだなぁということでよかったです。
最近では版権公式側の方々も、ケモナー側に理解を示してくれているような発言をツイッターでされていて本当にありがたいです。感謝。
(その人ご本人がケモノ趣味じゃなくとも、ジャンルのタブーみたいなのを知ってくれていて、それに配慮してくれているのは感謝しかないです。)
http://am-our.com/sex/231/11150/
セックスすることに意味なんてない、女性はカラオケ感覚でセックスするんだ、と書かれている。
だが、この座談会の中心人物は、恋愛マニュアルやセックス指南本などを執筆している作家であり、
世の童貞たちに素人女性との(快楽を目的とした)セックスを推奨している人物でもある。
(立ち読みですが、同作家が執筆した作品内容を確認した結果、そのような作家だと感じました)
仮にこの女性作家が本音で「セックスすることに意味はない」と考えているとすれば、
なぜ女性経験のない男性たちを無意味な行為に駆り立てるのだろうか。
無論、それは単なるセールストークに過ぎない、というならば確かにそうだろう。
だが、彼女は恋愛強者の男性に対して「セックスは意味がない」とうそぶく一方で
女性経験のない男性には、さもセックスに意味があるかのような幻想を振りまいている。
しかし、セックスすることに意味がないと考える人がいるのならば、
セックスしないことにも特に意味がないと考える人がいるもいるはずだろう。
実際、童貞の多くは、気付いたら女性経験が全くないまま大人になってしまった、という例がほとんどだ。
ひどく童貞をこじらせていない限りは、セックスしないことに大きな意味付けなどしていないはずだ。
(もし誰もが意味付けをしているとすれば、童貞卒業のための恋愛指南書が売れるわけがない)
実を言うと、私は「セックスをすることに意味はない」という考え方にはおおむね賛成だ。
一方で、セックスしないことにも意味はないという意見をも主張したい。
男性であれ女性であれ、何となくセックスをしたくないと思うならば、別にしなくても良いし、
周囲が躍起になって性風俗に連れて行ったり、女性であれば彼氏をあてがったりする必要は全くないと思う。
性の自己決定権という概念がこれほど人口に膾炙し、非常にカジュアルにセックスを行う男女が一般化しているにも関わらず、
かえってセックスをしないという選択肢が過剰なほど貶められている非対称性に奇妙さを覚えている。
これは性のタブーが強い時代に「セックスをすること」の意味が過剰に貶められていたことと似ている。
しかし、その欲求は個人差が大きく、何か大きな犠牲を払ってまで充足したいと思う人ばかりではないだろう。
(特に食欲や睡眠欲、排泄欲などとは異なり、充足しないことで健康に被害はもたらさないため)
そう考えると、そうした選択をする人々を貶めるような風潮、
例えば、幻冬舎新書『ルポ 中年童貞』における当該男性たちの描かれ方に強い疑問を感じる。
積極的であれ、消極的であれ、性愛に関わること避けるというのも一つの自由意思の選択であって
性抑圧の強い時代ならば人格異常の一種とまで扱われてきたセックス依存症の人々が
そのような選択を避ける人たちの生き方も認められても良いのではないかと考えている。
ぜひ皆さんの意見を賜りたい。