はてなキーワード: 親友とは
「僕」っこさんて、嫉妬の電波で震えそうな長文で、怖すぎるよね。
自称さっぱりしてる「僕」っこ、がどうみても六畳の御息所キャラにしかみえない。
「親友」と言われる男は、「僕」っこさんとうまくいけばいいじゃん。
計画性もなく男の家に押し掛けてって、大した職歴もなくダラダラするだけの同棲生活を送っていた知り合いの女が突然養ってくれていた男に放り出された。半年ぐらい前の話だ。
食品や日用雑貨を買うための毎月の生活費を使い込んだのが原因だと聞いている。
彼女は手に職もない、職歴もない、路頭に迷ってる。もう半年立つのに仕事が決まらない。毎日いろんなゲームを朝から晩までやっていて、たまに日雇いの短期派遣やバイトの面接に行く。月末に近づくと明日の食費がないと嘆いている。
いつかまたあの男が迎えに来てくれる、お金さえ作れば許してくれるなど、女から送られてくるラインの端々から謎の期待値の高さをバシバシ感じる。
僕はずっと相談に乗っている。ふたりが付き合って別れて親友が携帯番号を変えるまでの、一部始終を知っている。男が僕の親友だからだ。
いいように金銭を吸い取られていく親友を見兼ねて、別れたほうがいいと進言したのは僕だ。
親友は何度給料のうちの大部分を使い込まれても女がいつか改心すると信じていた。
だが僕には女が口にする次はもうしないという言葉の信憑性も感じなかったし、改心の兆しも、働いてキャリアを積もうとする意欲も感じなかった。
一度親友と別れた直後にその女から告白されて僕の家に押しかけられたが追い返している。女はそんな過去は無かったかのように無神経に相談といって僕のところに連絡をよこす。それも解せない。
会話が成り立たない。価値観が合わない、理解できないレベルで身勝手でキツイ。
「同棲していた期間中趣味のものを我慢して、物を買うのを最低限に抑えて、相手の望むように振る舞って、どうしても欲しかったアニメの初回限定Blu-rayも買えなくてキツかった、20代捧げたのに32で放り出された」
って言われても自業自得だ。仕事をその当時からしてたら欲しいものも買えたし旅行にも行けたはずだ。みんなそうやってたまのご褒美を糧に努力して生活をしている。
女の若さをさも価値のある物のように言う事が嫌いだ。努力するなら後に残るものにすればいい。外見的な若さや美しさはいつか失われていく。それだけを振り翳して親友から20代の時間と貯蓄を吸い取ったのはあなただ。
長いこと彼女とは知り合いではあるが、僕は僕のしょぼい義憤心と、親友を廃人のようにした女への憎悪を抱えている。だから、あえて教えてやることはしない。
僕の親友は女と別れてから、だんだん生気が戻ってきている。一緒に遊びに行って、財布を出すと必ずちょっと多く払う癖がなくなった。いいことだと思う。
※この話はすべてフィクションです。実在の企業・人物とは関係ありません。
ブクマ数に驚きました。
いくつか補足させてください。
本文で書いたとおり、私個人は小上さん(仮名)に対して良い印象がありません。
ただ、今回の小上さん(仮名)たちの行動自体は好意的に捉えたいと思ってます。
今回の報道がなければ多くの人があの会社のことを知ることはなかったでしょうし、私もOさんの件を耳にしなかったはずです。
これまで私があの会社のことで辛い思い出を抱えつつも発信できなかった理由のひとつに、「自分が感じているほど大した問題ではないんじゃないか?」という疑念があったんだと思います。
ただ、今回の件に対する世間の反応をみて、また記事を客観的に読んだ私個人の感覚としても、やはりあの会社はめちゃくちゃだったんだと、ようやく確信できました。
今回の件、小上さん(仮名)たちが主張している内容が真実かどうかはわかりません。
でも、以下に書いたような私個人の体験と照らし合わせると、彼らの主張の多くに真実味が感じられます。
それと、社長よりも小上さん(仮名)から叱責を受けることのほうが回数としては多かったと書きましたが、心の傷の深さでいえば、社長によって負わされたもののほうがずっと大きいです。
本文にも書いたように、回数こそ数えるほどでしたが、1回1回が大きなトラウマになっています。
ネットの関連記事でも小上さん(仮名)の写真は見れても、社長の顔は未だに正視できません。
私はあの会社を離れて以来、関西弁を喋る男性自体に苦手意識が芽生えてしまいました。
(関西の人、ごめんなさい)
本文で、辞めた理由、気持ちが途切れた理由をいくつか挙げましたが、ひとつ大事なことを忘れてました。
ある営業先の担当者の方と1対1で打ち合わせしていたときのことです。
改まった口調でこう言われました。
「あなた方の会社は・・・怖いんです。普通は私たち担当者と話をしてから順番に進めていくのに、いつもいきなりうちの社長との間で結論を出してしまって、それから私たちのところに話がトップダウンで降りてくる。だから怖い会社って印象なんです」
ショックでした。
業界を良くするための仕事と言われて、それを信じてやってきたのに、実際のところ私たちは営業先へだまし討ち同然の行為をしているだけなんじゃないか。
営業電話も、ほとんどの相手先で嫌がられながら何十何百件と片っ端からかけている。
(後になって、別の職場で営業電話を一日に何度も受けては断る立場を経験し、あらためて営業電話の鬱陶しさを実感しました・・・)
あのときに言われた言葉が、自分のしている仕事に疑問を抱く大きなきっかけでした。
(追記ここまで)
9年も前なので私の記憶違いもあるでしょうが、ショッキングなことが多く、その後何度もフラッシュバックしているので大筋は間違っていないと思います。
当時、その会社では新卒の営業職を募集しており、私を含めた数名が、選考の過程で在学中にインターンで営業の実務に携わっていました。
インターン自体は珍しくないと思いますが、この会社では「職業体験」ではなく、「採用条件」でしたし事実上の「労働」でした。
リーマンショック直後だったので当時の就活はみんな必死でした。
ただ、ES選考で大半の人がふるい落とされて、面接まで行った人はごく一部だったようです。
社長は大柄で存在感はありましたが、話してみると関西弁の軽快な口調で物腰柔らかく、第一印象は悪くなかったです。
アニメや漫画の雑談が中心で、面接通過の連絡をもらったときは、どこで合格が決まったんだろう?と不思議でした。
私は大学3年の冬にインターン入りしたので、ひとつ上の学年にも4年生で在学中の内定者が3,4人いました。
私の同期は最初6,7人くらいいたと思いますが早い段階で抜けた人もいたので正確な人数は覚えていません。
2も3も最終的な目的は4です。
今はわかりませんが、当時の会社の事業は求人広告がメインだったと記憶しています。
(他にもクリエイター支援やゲーム攻略サイトなどもやっていると説明会で聞きましたが、私たちはノータッチでした。)
1日に数十件かけるのは当たり前でした。
電話代は申請すれば出るみたいな話もあった記憶がありますが、(当時はかけ放題プランが無かったので)電話代の請求額に青くなった覚えもあるので、本当に電話代を貰えていたかどうか曖昧です。
事務所から電話することもありましたが、出先でも自宅でもどこからでも電話をかけてました。
初めての会社宛でも社長と知り合いであるような調子でかけるよう指導された覚えがあります。
上の営業電話の流れで、会社が不定期に開催している業界内交流会への案内をすることが多かったです。
どこかパーティー会場で交流会をやっていたそうですが、私は運営に参加できなかったので詳細を知りません。
「こういうことができる会社と知り合いたい」と言っている会社に他の会社を紹介する仕事です。
私自身に何も伝手がなくても、上司には名の知れた会社との付き合いがあったので、このマッチングは喜んでいただけることも多く、やりがいがありました。
一番大事な仕事ですが、安くはない金額の契約なので一番苦労しました。
ここで成果を上げることが採用の条件でした。
なので、広告を出してもらうことが事実上のノルマだと解釈していました。
全員に契約書を渡されてその場で印鑑を押しましたが、ちゃんと読む人はいなかったですし、詳しい説明もなかったと思います。
時給ではなく日給です。
先に書いたように第一印象は悪くなかったです。
私たちに気前よく食事を奢ってくれることも多く、客先に同行してもらうと大抵の交渉も良い方向に進みました。
ただ、気に入らないことがあったときの身内への当たり方はすさまじかったです。
私のイメージでは社長とまったく同じ思想・行動原理の人で、社長よりむしろこの人のほうが私たちに厳しく当たることが頻度でいえば多かったです。
当時の印象しかないので、この人が社長に反旗を翻すとは思ってもみませんでした。
この人も社長同様に激昂型でした。
同期の男性がめちゃくちゃに怒鳴られている現場に何度か居合わせたことがあります。
今はこの会社にいないのでしょうか。
新卒の1つ上の先輩だった人が副社長になっていたので驚きました。
9年前の時点でリーダー的立場だった覚えはありましたが、小上さん(仮名)より上になっているとは思いませんでした。
アニメや漫画などの趣味をオープンにできる環境だったので、最初から打ち解けやすかったです。
知り合うタイミングが違えば親友になれていたのかもと思う人も多かったです。
まず、営業電話の件数も広告の獲得も事実上のノルマがありました。
フルタイムでもこなすのが困難なくらいなのに、大学に通いながら達成するのは厳しかったです。
ただ、それでも同じような趣味をもった同年代の人たちと仕事できるのは楽しかったし、あこがれのアニメを作った会社に自力でアポをとって行けたときの喜びも大きかったです。
あの会社に入っていった人たちはそういう気持ちが持続したんでしょう。
でも私は途中でその気持ちが途切れました。
内定者の先輩の中にいきなりいなくなった人もいました。
「他の仕事に就くため」と説明された気がしますが、入社間際に急にいなくなるなんておかしいと他の人と噂しました。
同期もどんどん減っていきました。
その様子をみて「あの人たちはこの程度で辞めてしまって情けない、私たちはこんなに頑張れているのに」と思ったこともあります。
私の人生であれだけの恐怖を覚えたのは後にも先にもありません。
その時点でパニックです。
直接的な暴力は振るわれません。
代わりに、わざとらしく大きな音で机や物を叩く。
社長の大柄な姿から威圧感が放たれるので、その拳や脚が自分の身体に直接向かってきたら……と思うと頭が回りません。
何を言われたかもよく理解できず、自分を罵倒する言葉にただ「はい」としか返事できない。
彼らにとっては日常だったのでしょうが、私にとっては生涯忘れられないトラウマです。
これだけ恫喝されても「もっと頑張らなきゃ」と思った人たちもいます。
同期は恫喝された後にもっと重いノルマを達成するための誓約書を書かされたそうです。
私には無理でした。
いろいろな負担がかかっていたところに恫喝でとどめを刺されました。
というのは冗談ですが、前々からこの会社について書こうと思っていました。
いつか書こうと思いつつ自分の中でうまく消化しきれずにいました。
私はあの会社に傷つけられましたが、争ったり告発したりすることはしませんでした。
この9年間、彼らと距離を取り続けていただけです。
一種のPTSDなんでしょうか、ネット上でたまに彼らの会社名やサイト名を目にすると思考が止まってしまうことがありました。
何かの拍子に当時のことを思い出し、怒りや恐怖が心が満たされることが、9年経った今でも時折あります。
ただただ、距離をとっていました。
いくらなんでもあの当時よりはまともな会社になっているだろう、と心の隅で期待していました。
私の頃は新卒採用を始めたばかりで、いろいろな仕組みづくりが追いついていないのだろうと好意的に解釈していまた。
私はOさんと同期で、もちろん面識もありました。
とてもいい子でした。
今回、9年ぶりに彼女の名前を目にしたときのショックは言葉にできません。
私もOさんのようになっていたかもしれない、という恐怖よりも、私に何かできたんじゃないか?という悔しさが先にありました。
当時、ただ距離をとるのではなく、たとえば労基署とか、駆け込むべきところに駆け込んでいれば少しは彼らのめちゃくちゃな行為に歯止めをかけることができたのかもしれない。Oさんの件も防げたのかもしれない。
たらればの話に過ぎないのはわかっていますが、そう考えると無念でなりません。
今回の件がどう展開するにせよ、最終的な結果が出るまでかなりの時間がかかると思います。
時が経つうちに、今回のニュースも自然と忘れられてゆき、彼らはまた何事もなかったかのように誰かを追い詰めてしまうかもしれない。
この件が簡単に風化してほしくありません。
それでこの文章を書いて公開した次第です。
記事には目を疑うような記述が多く載っていますが、(あくまで私個人の感想では)いずれもありえる話だと思いました。
後になって気づいたことですが、彼(ら)は社内に常にスケープゴート役になる人物を用意して自分たちの怒りのはけ口にしたり、他のメンバーの優越感の材料にしていたんじゃないかと感じました。
Oさんの話を読んでいてそのことを思い出しました。
当時の私もそうなっていたのかもしれません。
先に書いたように、私は小上さん(仮名)からも厳しい言葉を受けたことがあります。
当時の小上さん(仮名)もいわゆる洗脳状態にあったのだとしても、彼に対する個人的な不信感はぬぐえません。
なので、単純にどちらが正しくてどちらが悪いかの判断はつきません。
両者の言い分に差異があるようですし、それは今後明らかになってゆくことでしょう。
ただ、事実がどうあれ、あの会社の発信しているメッセージに違和感を覚えている人は多いようです。
個人的には、会社側の文章の最後に書かれた、実名にせよ匿名にせよ虚偽の情報を流した人物には訴訟を辞さない、という旨の記述に恐怖を覚えました。
この機に乗じて会社のことを告発するなんて許さないぞ、と私たちに向けて恫喝しているように感じました。
彼らは今も自分たちにとって都合のいいスケープゴートを探しているのかもしれません。
最初に書いたとおり、この文章はフィクションです。実在の企業・人物とは一切関係ありません。
具体的にどの会社のどの件を指して書いたのかも明言しておりません。
ここから先に書くのは凡人から見た天才の話であり、天才を妬む凡人の醜い嫉妬だけが書き連ねてあるだけなんです。だから気分を悪くする人は見ないでください。
知り合いに本当の天才がいて、本物の天才で、私はそれを見てるだけの凡人でしかなかったという話です。
もう誰にも聞かせることなんてできなくて一生涯胸にしまっていようと思うほどに汚くて醜い嫉妬の話。
ただ、私にとって原点とも言える大切なもので、記事に残したいと思ったから書かせてもらいます。
軽くフェイクあり。
それでもお付き合いいただければ幸いです。
携帯から書いてるので字下げとか無しのがばがばです。よみづれーな!と思ったら読むのをやめて、他の面白いものを読んでください。
天才を妬み、嫉むだけの凡人の記録です。
私も文字を書く人間なのだが、その人間も文字を書く人だった。当時所属していたサークルで文字を書く人間というのは珍しく、私と彼女は意気投合。仲良くなった。
人懐っこいような、それでいて人付き合いに慣れていないような女の子だった。私は、彼女が大好きになった。
彼女も私を好きでいてくれているんだと思う。
彼女の口癖は、「私は天才だから」というものだった。正直な話、自他共に認める天才というやつだった。
なんというか、世間一般が想像する天才、という感じの子で、それ以外は何をしてもドジなところがあったりするのに、文章を書くことにおいて彼女の右に出るものはいなかった。
小説家になりたいとあの子は言っていた。私も小説家になりたくて諦めた人間だったからこそ、彼女のことを応援したいと思っていた。
神様や天使という存在によほど近かったし、私は彼女のことを神格化していたのだと思う。
それが間違いだった。
世間一般では虐待されているのだと思う。割とそれに気づくのが遅くて、その状況を甘んじて受け入れてはいるのだが。
常日頃から、呼吸するだけで呼吸がうるさいと言われ、醜い、臭いなんていうのは勿論、何をしても「お前には何もできない」「お前がやることは全て無駄だ」「言われたことだけやればいい」と言われ続けてきた。
唯一まともに出来ると自負していたのが小説を書くことだけだったのだ。
私は、両親への憎悪を込めて、幸せになりたい一心で書いていた。
認めてくれない周囲への憎悪や、どうしようもない「絵を描くことが出来ない」というコンプレックス(私は本当に絵を描くのが苦手で、当時二次創作で活動していた私にとってそれは酷いコンプレックスになっていた)、そんなものを筆に乗せて私は一心不乱に憎悪で文章を書いていた。
そんな私のことを認めてくれたのは天才の彼女と、その周囲の文字を読むことが好きな人間だった。
今思えばその時が一番幸せだったのかもしれない。
私はそのコミュニティの中で、尊敬する彼女に認められ、彼女の周囲の人間にも認められ、初めて文章を書くという行為を肯定された。
天才の彼女と会話することも、何もかもが楽しくて仕方なかった。
小説の話をすることも好きだったし、前向きに小説家を、もう一度目指してみようと思えたこともあって、色々なことを頑張っていた。
そんなある日、サークル主の交代の時期がやってきました。
ほとんど上下関係はないサークルだったのだが、一応、代表者みたいなのが存在していたので、そういうのの交代の時期だったんです。
サークルの活動自体には私は熱心ではありませんでした。なんとなく所属して、なんとなく戯れるのが好きだったし、代表者なんて役回りも似合わないので私は普通に過ごしていました。
それでも、その日、ふと。
共通の知り合いから、天才の彼女がサークルの代表者になるという話を聞いた。
私は、喜んだんです。
彼女はそういうのは苦手だと思うけど、それでも彼女に相応しいと思ったし、そういうことを頑張れる子だと思ってた。
だから、そのまま彼女のところに言って。でも、私は私が彼女の親友だと思ってたから、別の人から聞いたのがちょっと悔しかったんです。ちょっとじゃない。すごく悔しかった。すごく悔しかった!
だからわざと、「次の代表者って誰になるんだろうね」って聞いて見たんです。ただの出来心だった。彼女が教えてくれると信じ込んでた。
嘘をつくのが、すごく下手な可愛い人は、「えっ!?し、知らない。全然教えられてないから〜!」って答えたんですよ。
そんなことあるわけないんだ。だって、私が聞いた「共通の知り合い」というのは、現在のサークルの代表者だった人なんだから。
私は彼から、「次は天才の彼女が代表者になる。もう了承も取ったんだよ」という話を聞いたんです。
私の大好きな人が私に嘘をついたとき、感じたのは大きな絶望と圧倒的な失望でしかなかった。
そこで気付いた、初めて知ったことがあった。それは、"天才の彼女も人間でしかなかった。下手な嘘をつく、哀れな人間だ"という当たり前の事実だ。
それ以来私は、彼女と接触することがなくなりました。本当に現金な話なんだけど、そうする必要を全く感じなくなったからだ。
当時私は親からの圧力に耐えられなくなっていた。就職の話や卒論、別に入りたくもなかった大学の押し付けられた学部での勉強に飽き飽きして、両親のいうことは全て「私たちが楽をするために働け」というものだと気付いてしまったからだ。
夜中に両親の寝室に包丁を持って入って、真冬の最中、眠る両親の枕元で正座して三時間過ごしたとき、限界が来てることを知った。
まだ話が出来る父親に全てを正直に話した。その頃の私は完全に精神を病んでおり、外に出れば永遠と私を詰る声が聞こえるなんて状況だった。
だが、その当時の彼女は全く芽が出ていなかった。
天才の彼女は、家庭にも恵まれていたように見える。小説を書くことを認められていて、私と違い自信に満ちていた。
きっと、両親にも愛されていたのだと思う。
そんな彼女でも小説家の芽が出なくて、だからこんなに認められていない私が芽が出るわけがないと安堵していた。
大学を休学して1年が経った頃、風の噂で、天才の彼女が小説家としてデビューしたことを知った。大きな出版社だった。私でも知ってるような場所だ。
そのとき、全てががらがらと音をたてて崩れていく感じを味わったのだ。
恵まれた彼女は、その才能を十全に発揮し、そして、天才であることを世に知らしめた。
完全に私は折れてしまった。
私は彼女ほど恵まれていてもデビューできない"小説家"というものを、狭き門だと思っていたのだ。だから、何にも祝福されぬ私は通れなくて当然だと。
どこかで夢に向かって愚直に進む彼女を嘲る気持ちもあったのだと思う。
妬み、嫉み、嘲笑。そんな彼女に向けていた感情は全てがぽっきりと折れて、後に残ったのはどうしようもなく渦巻く嫉妬だけだった。
小説ではないものになったが、それでもそれは、世の中で一定数評価されたのだと思う。
憎悪に満ちた筆を止めることはなく、嫉妬と怨恨の詰まった筆を進め、世界を愚弄して、そしてハッピーエンドを踏みにじることで精一杯になっていた。
そうでもしなければ。
私は、筆を折ってしまうと思った。私の見下した彼女が、天才の彼女が、私を否定すると思って読めなかったのだ。
大学は、もうやめてしまっていた。価値がなかったからだ。私にとって、"彼女"という存在を無くした場所は、本当にひたすらに何の意味もなかった。
久しぶりに飲まないか、という連絡だった。天才の彼女もいるという話で、私は当時の憎悪が彼女を殺してしまわないかと心配になったが、それよりも彼女がどうなったかが気になって仕方なくて会うことにしたのだ。
当日、待ち合わせ場所で待つ私に彼女が声をかけた。抱きついて来た。久しぶりだと笑った。
彼女は、何も変わっていなかった。
何もかも昔と同じで、ああ、と心の霧が晴れた気分だった。
あの時嘘をついたのは何か理由があったのかもしれない、と思えたのだ。天才であることを世に知らしめた彼女は、それでも変わらずに私という凡才に声をかけて、笑ってくれた。
だから私は彼女が好きになったのだと思い出した。嘘をついたかもしれないが、彼女は、私という凡才を、愛してくれていたのだ。
愛しかった。そんな彼女が、大好きだった。私を見下さない彼女が好きで好きで仕方なかったのだ。
だから私は、あの子の本を読む決意を固めた。読まないと、失礼だと思ったのだ。
天才である彼女が書いたものだから、私は読みたかった。本当はずっと読みたかったんだと思って、何件も何件も本屋を駆け回った。しかし、田舎なせいか何件回っても無くて、読みたくて気が狂いそうになったときやっと見つけた。
冗談じゃ無く、手が震えた。
その本を手に取り私は、一気に読み終えた。そして、涙した。
豊かな状況描写。
飽きさせない展開。
そして、ハッピーエンド。
本当に、天才の所業だった。嘘じゃない。この本を読むために私はこの世に生まれて来たのだと錯覚するほどに良い本だった。彼女に長文の感想をしたため、私は本当に、本当に、幸せな気分になったのだ。
今までの自分の恨みが全て浄化されるような気がした。私は、許されてもいい、と思った。
その小説の中で、天才の彼女は、創作をすることの喜びを語っていた。創作をするときに悲しんではいけないと語っていた。
それは胸に響き、今までの怨恨を原材料として書いて来た私に、幸せな気持ちで書いていいと許しをくれた気分になった。
早速私は、筆を取って。
そこで、絶望した。
先ほどまで許しだったものは明確な否定として私に牙を剥いたのだ。
私は、怨恨と絶望と嫉妬と、そんな汚い感情を原材料にしてしか物を書けない人間だった。天才の彼女のように、幸せで美しく綺麗な気持ちでものを描くことなど出来なかった。
汚い感情を原材料にして描くという、私に唯一ゆるされたことを、私に無邪気で無垢な笑顔を向けた彼女が一番に紙面で否定したのだ。私の大好きだった文章で否定したのだ。
ただの思い込みだとわかっている。
彼女はそんな気分で書いたのではないと知っている。それでも私は、それに気づいてしまった。
凡人と天才の間にある圧倒的なものに気付き、狂うほどに嫉妬した。
私にないものを持っている彼女があまりにもどうしようもなく遠い存在であるとそこで初めて認識したのだ。
今でも彼女の本は手元にある。
枕元において、ページがへろへろになるまで読み返した。
どんなになっても読み返した。何度も同じシーンで泣いてしまう。
それでも私は、勝手に彼女を許すことが出来なかった。勝手に彼女に対して憎悪の念を抱いた。
こんな素晴らしいものを世に生み出した人間を憎むことしかできないのだ。こんなに、素晴らしいのに。
私はその素晴らしさと尊さを正しく理解している。それでも尚、私は許すことが出来ない。
私という凡人を踏みにじった天才に対して、圧倒的な憎悪を振りかざしている。
私はこれからも、そういった憎悪と嫉妬と、そんな汚い感情を持ってハッピーエンドを踏みにじって行くのだろう。それは、天才の彼女に私が出来る唯一の復讐なのだ。
誰かにわかるものでも、理解されるものでもないとわかっている。
彼女が悪いわけではないことも理解している。だからこそ、私は彼女に対しては今でもにこにこと、本当に彼女が大好きだと言い続けられる。これは本心だ。本心から私は彼女を愛している。
それでも私は、彼女が無意識に踏みにじった私のために復讐を続ける。彼女という天才を憎悪し続けるし、嫉妬しない日はないのだろう。
天才の彼女がハッピーエンドを、素晴らしく描き続けるのであれば、私はそのハッピーエンドを何度も何度も何度でも踏みにじりたい。
わかりきっているのだ。
天才の彼女が、何も思わないことなど知っている。そして、これを残す意味は、どこかで私のこの歪みきった感情に気付いて、認めて、謝ってほしいということなのだということにも。
それでも、もし万が一これが彼女の目に入ったとしても、私は知らないふりをし続けるのだと思う。
長々と読んでいただいたが、これらは全て私の妄想だ。私の大学時代に"天才の彼女"というものは存在しない。存在しない。
よく書けてると思ったら、どこかで笑ってあげてください。一瞬でも本当のことだと思って騙されたのだとしたら、失笑してください。
私という凡人に騙されたのだと、少しだけ腹を抱えて笑ってくれたら幸いです。
私は今でも、憎悪に満ちたペンを握っているけど、きっとそれを架空の誰かのせいにしたくて、これを書いたのだと思います。だから全てフィクションなんです。本当だよ。
たっけて
1話まで視聴
懐かしくて変な気持ち
ミンハイがかっこよかった
林原めぐみにまだ慣れない、「レザァマシオー!」と「アルルカーン!」が弱い気がする、前やってたCMは良かった
2話まで視聴 ◎
(リアルっぽいようでいて、創作お約束みたいなので『はずす』から気軽に見れていい)
2話まで視聴 ◎
見る気なかったんだけど、ドラゴンが面白くて結局見ることにした
気軽に見たい
2話まで視聴 ◎◎◎
今期のダークホース
現時点で一押し
なんだけど、何というか色々すごかった・・・好き
あとゾンビなのに皆かわいい、作画が全シーンかわいい、アニメとして色々つよい
これギャグしかやってないのにいきなり突き落としてくるやつだゾ(疑心暗鬼)
(百合に期待)
1話まで視聴 ◯
2話まで視聴 ◎
見る気なかったんだけど結構よかった
すげー丁寧に作ってるな・・・って思ったらTRIGGERだった
さもありなん
まあ割と「特撮をアニメにしました」って言えばそれまでなんだけど
あと皆かわいい
(ちなみに俺は特撮どころかロボすら苦手)
百合度 ★★★☆☆?
1話まで視聴 ◎◎
別名「ぎんいろモザイク」
正直これだけで今期生きていけるくらいのパワーが有る
百合度 ★★★★☆
1話まで視聴 ◎
尾崎由香、相変わらずネジ3本外れた砂糖みたいな声してて脳に響く
ほっこり系かと思ったが割と笑えた
親友の黄色がガチ百合っぽくてにっこり(名前まだ覚えられてない)
1話まで視聴 ◎
主人公に好感が持てた
1話まで視聴 ◯
阿部氏の演技が熱いなあ
百合度 ★★☆☆☆
1話まで視聴 ◯
百合度 ★★★★★?
1話まで視聴 ◎
1話まで視聴 ◯
「あ、ここからー」枠
ほとんどてさぐれの続編
1話まで視聴 ◎
こういう絵柄って女子向けでストーリーが苦手なパターン多いんだけど全然そんなことなかった
もふもふだった
ケセパサだった
男がかわいかった♂
百合度 ?
1話まで視聴 ◎
脚本家?が不穏とのことでどうなるか未だ様子見
1話まで視聴 ◯
黒髪のほうが即落ちするの可愛くて変な気分になる
でも一気に事が進展するのはあまり好きじゃない、そこはやっぱこれ系ジャンルっぽい
原作では一気に襲われてるシーンとか、マイルドになってるらしい
他の状況
でびどる → 悩ましい、ひもてはうすと同時期にあるの趣深い
SAO → どこまで見たか忘れた、これも悩ましい。個人的にSAOは1期が一番好きなんだよね
妹だけど妹じゃない → これ見るなら先にエロマンガ先生見るべきだと思うんだけど合ってるのかな(そして見ない)
ジョジョ → 前期で止まってる
逆裁 → 前期で止まってる
ゴールデンカムイ → 前期で止まってる
豚野郎 → 俺向きではない、たぶん宇宙より遠い場所とか見るタイプの人向けと予想
ソラとウミのアイダ → 少しだけ見た
閃乱カグラ → 友人が「モロ出しやんけ!」と言ってたがdアニメストアは規制有りだった
多すぎるって
そう言えば、今回全部ニコ動とAmazonプライムで完結してる、ついにこの時代が来たか
大半のSNSには登録し、作品を投稿したり次イベントで頒布する同人誌の宣伝に使用したりしている。
上記のような使い方+同じ趣味や作品、CPを好きな人をフォローし、時にフォローされて交流を深めることにも利用している。
しかし、最近ツイッターアカウントを消してしまおうかと私は悩んでいる。
私は同人活動を始めたのは数年前からだが、ツイッターはそれ以前から利用していた。
ただ、頻繁に呟きをするわけでもなく、本当に登録しているという形だけのものだった。
それが今は、朝起きたらツイッターを開き、昼休憩でツイッターを開き、夜就寝前にツイッターを開く。ご飯3食食べるのと同じようにツイッターをしている。
自分でもツイッター中毒なのだろうなとは思うけれどもやめられない。(中毒なんだからそりゃそうだ)
やめられない理由のひとつに、ツイッターの「いいね」や「リツイート」の機能があげられる。
これ自体はいい機能だと思うし、この機能に私もずいぶん救われた。
原稿の進捗を呟く。
単純に気分がいい。
満たされたような気持ちになった。
「いいね」や「リツイート」というのは、大半が「あなたに共感しますよ」「あなたのこの作品・呟きいいね!」という意味合いで使われているだろう。(リツイートの場合はリツイートされた先での反応にもよるけど)
最初は、自分の創作したものがいいねやリツイートで広まり、感想をいただき、共感してくれる人、自分が共感する人と交流を深められ、なんて最高なんだという思いでいっぱいだった。
なにせ、私がWebで創作をしだした頃は個人サイトに溢れ、サーチやBBS、Web拍手やメールフォームなどを積極的に設置するスタイルで、イベントなどに出ない限り同じ趣味の方と交流できないだけでなく、感想ひとつ貰える機会もなかなかなかった。
それだけに、ラフに感想を送り合え、なおかつ思いを言葉にするのが難しい人や直接感想を送るのが難しい人は「いいね」や「リツイート」で好意を示せるのだから、ツイッターはすごいと思う。
だからだ。だからこそ、手軽に人と繋がれるこのツールにのめり込み、疲れ果て、今そこから離れようとしている。
「いいね」や「リツイート」、「フォロワー」の数が目に見えるのだから、もっと欲しい、もっと、もっとという欲求が生まれた。
それがいつしか、以前よりも反応がないと「あれ、今回のは良くなかったかな…」とあれだけかきたかったネタのはずなのに、ひとつの作品を作ったというスッキリとした気持ちにならなくなってきてしまったのだ。
『感想が欲しい』『反応がないから辞めます』系のツイートが定期的にバズる度に、「自分が楽しいから創作してるだけで、感想貰えなかったから辞めるというのはどうなの?」という意見が出るけれど、私は心の中で「そうだよね。私もそう思う」という思いと、「でも感想はやっぱり欲しいよ…」という思いに苛まれる。
感想別にいらない、系の人の話を見ていても、正直、「ツイッターや作品投稿サイトにあげている時点で、やっぱり誰かに見て欲しいんだよ。承認欲求あって当たり前だよ。人だもの」と思ってしまう。
そうじゃない、と言い続ける人もいるだろうけど、人が見る場所に投稿しているのだから、少なからず承認欲求があるはずなのだ。
そういうものだと思っているし、駄目なこととも思わない。
でも、そんな思いとは裏腹に「承認欲求があることが見えるのはなんか嫌な人間みたい」という思いも同時に抱えてしまう。
それが私は最後までどこかしっくりこない事があった。
同人仲間でも、私の本名を知っているのはひとにぎりの仲のいい人たちだけだ。
そんな中、ツイッターで知り合って、お泊まりし合うような仲になった友人。
LINEでもやり取りするし、本当の親友だと思っているが、最近その友人がツイッターの裏アカウントを削除した。
そのアカウントは身内のみ招待している状態で、私もその中の1人だった。
それが、別でもアカウントを作っていて、その裏アカウントはさらに少数の人としか繋がっていないようだった。
それにものすごくショックを受けた。
裏アカウントをかなり転々としていたその友人だけど、私のこともずっとフォローしてくれていたのに、どうして。
嫌になったのかな。
何かしたのかな。
そんな思いがぐるぐると渦巻いて、しんどい。
相手にとって私はボタン一つで離れられる存在だし、他に仲良くしてた人(中にはちょっと愚痴を言っていた人)とは繋がっていて、私との繋がりはもういいんだ、と思った。
そう考えてしまう自分が嫌だし、なんだかその友人に執着しているようでそれも苦しい。
リアルだと、直接何かを言い合ったり出来る。
でもあくまでも始まりはネットからだし、直接会うには距離も離れすぎている。
LINEで連絡を取っても、裏のさらに裏垢を教えてもいない人間が知っていたとなったら、それはそれで相手も気味悪がるだろう。
表垢では繋がったままなのが、またしんどい。
いっそ全部すっぱり切ってくれればいいのに。
ああ、でもそれはそれで精神的ダメージは大きいだろうな…とか思ったり。
ツイッターの恐ろしい面だと思う。
ツイッターは本当に素晴らしいツールであるというのは、私の本当の気持ちだ。
知らない世界を教えてくれるし、気軽に心が救われることもある。
でも、なんだか疲れちゃったなぁ。
こんな気にし過ぎな性格ではなかったのにな。
ああ、これがツイッター疲れか。
初めて我が家にやって来た時、私はまだ小学生だった。箱の中からこちらをじっと見詰める姿も、家に着いて心配そうにワンと吠える姿も、未だに鮮やかに記憶に残っている。自分で言うのも何だけれども、彼女は私の事が大好きで、幼い頃も老いてからも常に傍にいてくれた。病気がちで苦労の多い犬生ではあったが、私に頭を撫でられている時はいつも幸せそうに見えた。
出会った日から15年以上が経ち、いよいよ死が近づいた晩のこと、病気でぐったりと横になっているのを見て何か悟ったのか、私はその日一睡もできなかった。夜更けに様子を見に行ったところ、痙攣を起こしているのに心付く。それから翌朝旅立つまではずっと一緒だった。体に優しく手を置くなり痙攣が止み、また暫くして歯をカチカチと鳴らしたが、最期の数分間は、健康な時と全然変わらない心地良さそうな寝息を立てる。私もそれにつられてとろとろしていると、ある時呼吸のリズムが変わった気がして、名前を呼んだら、ふーっと息を吐き、もう最後だった。生涯においてこれ程愛情を注いだ対象は他に無い。闘病は短くなかったから、予め覚悟を決めていたけれども、自然に湧き出る感情を我慢せず、あとに後悔を残さないためにも私は思い切り咽び泣いた。これでスッキリした。以後は殆ど悲しみを感じなかった。
いなくなってからちょうど一年の命日。一年前の朝は雨だったが、その日は快晴だった。不思議なことに、私は布団の中で涙を堪えられなくなった。もう別れはとうに過ぎ、泣くだけ泣いて気持を切り替えたつもりでいたのに、どうしてだろう、悲しくて仕方が無い。驚くとともに少し嬉しくもなる。なぜなら、私の心の中ではまだ彼女が生きていることを、自分で確かめることができたからだ。青い空に向かって手を合わせ、彼女と心が通じ合った気がした。
私の好きな人というのは、まさにその日、私が休みの職場に新しく入ってきた。死んだ犬に思いを馳せつつも、そろそろ始業の時間だな、どんな人なのかな、と期待と不安を交えながら考える。実際に対面したのは翌々日、親友の誕生日だったからこれもよく覚えている。美人、目が綺麗、笑顔が素敵、というのが第一印象だった。よろしくお願いします、と頭を下げたところ、私のことを既に聞いていたらしく、「この人…」と呟いて、懐かしいような安心したような笑みを浮かべたのが印象に残る。でもちょっと自分とはかけ離れた存在に思えて、すぐには恋愛感情が湧かなかった。
それから数ヶ月、彼女とすっかり仲良くなった私は、以前から考えていた所に従い、今の職場を退職し、離れた地で生活を始めることに決めた。勿論寂しい。もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。でも、「最後だから」と初めてのデートに誘い、一緒に食事をした別れ際、後ろを振り返ると、満面の笑みで見送ってくれている。それを見た私はなんとなく、この人と一緒に生きて行くことになるのかな、と思ったのである。
しかし現実は儚い。退職の時に渡した連絡先には、待てど暮らせど連絡は来なかった。
最後に会ってからの数日間がどれほど辛かったかを表すのは難しい。会えるうちにもっと積極的になるべきだったとか、たとえ一生会えないとしても幸せになってほしいとか、考え続けては涙を流す始末で、退職時に頂いたプレゼントも、敢えて目につかないところに仕舞うようにした。諦めようとしても諦めきれず、また会えると信じようとしても苦しくなる。こんな有様では新しい環境でやっていけないのではないかと不安でならなくなった。
犬の墓参りに行ったのは、ちょうどその頃のことだ。引越しの挨拶とともに、好きな人との素晴らしい思い出を与えてくれたことへの、感謝を伝える意味もあってやって来た。思い返せば、私たちはよく散歩に出掛けて、夜空の星の下、「ずっと一緒だよ」と約束したものだった。いや、約束したなどと言っては彼女が迷惑に思うだろう。彼女は早く帰ってドッグフードを食べることしか頭になかったに違いない。しかし私は真剣に祈った。それはこの日お墓の前でも同じだった。
さて、出発の日、まさか自分が彼女に会いに行くという、突飛な行動を起こす決意を固めることになるとは、前日には想像ができただろうか? 我ながら不思議でならない。私の記憶が正しければ、彼女は今日は早めに退勤するはずで、いつも通りなら駅の近くの道を通る。そういえば先日短い旅行に行った時の土産がまだ僅かに残っていた。それを渡すのを口実にしよう。慎重な自分からは想像もつかない無理矢理な計画を吟味する暇もなく、私はすぐに土産を袋に詰め、出発の準備を整える。いても立ってもいられず、早すぎるものの家を出た。着いた先で適当に時間を潰す間も胸の鼓動は鳴り続ける。
ようやく時間になろうかというところで腹が減り、駅近くのコンビニで菓子パンを購入しようとする。レジのお姉さんに手渡す。支払いは電子マネーで。と、ふと後ろを振り返ったら、コンビニの外を歩く見慣れた姿があった。「すみません、これ戻しといてください」。走る。お姉さんは呆気に取られたようだった(申し訳なかった)。ともかくも、会えた。会えた、会えた。俺は彼女に会えたのだ。
2度目のデートは、ほんとうに夢の中にでもいるみたいだった。覚めるのではないかと真剣に疑って皮膚を抓ったりした。彼女もとても楽しそうなのが喜ばしい。途中、今までの人生で一番輝いていたのはいつか、という話題になって、私は適当に小学生の頃と答えたけれど、本当を言えば、今この瞬間に決まっている。世の中にこの様な幸福がある事を生れて初めて知った。
別れ際、彼女は前と同じく素敵な笑顔で、私の姿が見えなくなるまで大きく手を振ってくれていた。「送る」と言ってくれたのに、今のところ連絡はやっぱり来ない。彼女が私のことをどういう風に思っているかは分らないし、離れてしまった今ではこの先新たな展開があるかどうかも見通せない。もしこれきり会えないとしても行動した分悔いは少なくて済むだろう。ただ私はどうしても、彼女のことを大切にしたい、幸せにしたい、という気持を捨て去ることができずにいる。それは天国にいるあの子に対する祈りと通じているようにも思う。
また涙が出てきたからそろそろ止めにしよう。
https://anond.hatelabo.jp/20171016202910
の4つ目です。
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/22913
その芸能会復帰に合わせた手記のゴーストライターとして、本人から指名された売れない小説家が主人公。
「なんで俺が?」と怪訝に思いながらも、彼女の話を聞く中で距離は縮まっていき……。
と、あらすじだけを読むと平易な内容に見えるものの、描き方が圧倒的。
女優・真咲遥の天真爛漫さと冷たさを上手く絵に落とし込み、密度の高い内容をテンポよく読ませるのは染谷先生の力量あってこそだと思う。
2冊読み終えた後にはいい邦画を1本見終わった後のような感覚を得られる素晴らしい作品。
https://viewer-bookstore.yahoo.co.jp/?cid=840990
虫愛づる姫君をテーマにした昆虫ホラー『エンブリヲ』の小川幸辰の描く、民俗学に着想を得た河童バイオレンスホラーアクションマンガ。
作者の地元でもある千葉のニュータウンを舞台に、原住民である河童たちと、土地の有力者との軋轢が徐々に広がっていき・・・という、
どこか「平成狸合戦ぽんぽこ」を想起させるようなストーリーライン。
まさにこの人にしか描けないであろう内容と、描線の古っぽい手触りが上手くマッチしている。(女の子の描き方は大分変わってましたが。)
本当は5巻くらいで読みたい内容が2巻にまとまっており、2巻のジェットコースター感が凄まじく読後に謎の爽快感が残る。
https://viewer.bookwalker.jp/03/3/viewer.html?cid=2b96f115-5160-44ee-a6bc-9750a0817bb0&cty=1
妹に連れて行かれたライブをきっかけに男性アイドル「ハピネスハニー」にどハマりしてしまった男オタクの日常を描いた作品。
「好きなものは好きでいいんだ!」ということを全力で肯定してくれて、読むたびに清々しい気持ちになる。
メイン曲が「チュルチュルうっど〜ん」という最高のセンス。
こんなに面白いのに2巻が出ておらず作者さんのツイッターも止まってしまっていてとても残念。
http://www.moae.jp/comic/hyoujounocrown
クアドラブルアクセル(4回転半ジャンプ)に挑む主人公と、彼に影響を受ける冷静なヒロインを描くフィギュアスケートマンガ。
この伸びやかな線でスポーツマンガを描きあげた事自体素晴らしい。
ロマンを追い求める主人公と、ソツなく演技をまとめるヒロインの対比と物語の中でのバランスが良い。
ジャンプの解説もわかりやすくて、フィギュアスケートの見方が多少なりわかったのも個人的には良かった。
https://www.alphapolis.co.jp/manga/official/798000187/1907
おっかない魔女に恋心を持たれてしまった女義賊を描く、中世ヤンデレ百合ダークファンタジー。
ヤンデレ側と受け入れる側の心情それぞれに説得力があり、それぞれの正義を貫こうとするほどにボタンの違いで最悪の展開になっていくのが最高。
売れれば続刊が出るとのことなので、お気に召したら買ってみてください。
https://comic.pixiv.net/viewer/stories/16119
高校の頃から片思いしてきた本命の親友と、彼の代わりに抱いている今のセフレが入れ替わったら?という作品なのだけど、
タイトルの通りでそう単純な話ではなく、予想を裏切って展開した後の最終話がストレートに良くて普通に泣くという。
自分の抱いていた愛情は何だったのか?を問う、繊細ながらも重厚な作品。あととにかく絵がきれい。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_AM01000002010001_68
友人が隠れオタクであることを偶然知り、彼が持っていた同人誌を馬鹿にしてしまい、
その場にいたオタ仲間の少女・ハイジにビンタされてしまうところから物語は始まる。
脳筋テニス少年を主人公に据えた同人青春マンガといった趣で、誓がオタクの側に歩み寄り、
同人制作に触れる過程の中で描かれる誓の人間関係の再構築と、それぞれの姿勢で二次創作というものに向き合うキャラクター達は見るべきものがある。
上で挙げている『ハピネスハニー』にも通じるところはあるのだけれど、好きな作品を好きと言うことを全力で肯定してくれる作品だと思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/10833497643049550329
語り継ぐべきジャンプGIGAの遺産。1巻、全4回を無駄なく研ぎ澄ませた作品。
スポーツならなんでも器用に「こなせて」しまう主人公が、男性の鬼門とも呼ばれる薙刀と出会い、選び取るまでを描く。
ストーリーが濃密でありながらメインキャラ以外の作り込みや台詞にも手抜きなく、とにかくマンガとしての完成度が高い。
マンガってやっぱいいな!と思わせてくれる。
今年はこんな感じで。
何度かに分けて、金を貸していた。金額は伏せるけど、合計すればまあそれなりの額だ。
今思えば貸したのは間違いだった。親友のためを思えばこそ、貸すべきじゃなかった。
金が自分とそいつを繋ぎとめてる気がして、それがなにより嫌だった。なのにそいつの生活は一向に改まる気配がない。このぶんだと全額返してもらうには20年以上かかりそうだった。
別に是が非でも返してもらおうなんて思っちゃいないけど、20年以上もの間ずーっと嫌な気分を頭の端っこに抱えたままこいつと付き合っていくのか、と考えた時、もうダメだ、辛い、と思った。
「絶交する。アホには付き合いきれん。金は返してもらわなくていい。もう連絡してこないでくれ」と矢継ぎ早にLINEで伝えて、しばらく待ってブロックした。アホはお互い様だけど…
私は魔法先生ネギま!およびUQ Holder!が好きなのですが、それをTwitterで好きだと言えません。
理由は簡単。これらの作品がフェミ的にNG作品だから。そして私の相互フォローの人たちは進歩的な女性が多いからです。
別にその人たちが嫌いじゃありません。むしろ好きな人たちだからこそ繋がりを続けてるわけだし、オフでも知り合いだったりします。
みなさん素敵な人たちです。
先程もUQの新刊が発売になるというツイートが流れてきてファボりたかったのですが、付いている表紙絵が登場人物の女の子たちの入浴絵。あかん!ファボすら他人のタイムラインに名前付きで流れる現状でこれはファボれない!と言った感じなのです。
個人的には魔法先生ネギま!もUQ Holder!もエロコメの皮を被ったとても優しい物語なのですが、ガワは間違いなくエロコメなのは認めざるを得ない。
女子ファンの目から見てもお約束として女の子たちが意味もなく脱がされる姿は正直擁護のしようがないです。そこだけは。
でも!でも!
ネギまの主人公ネギ君、そしてUQの主人公刀太君をめぐる100年単位の叙事詩はとても面白いのです!
それに出てくるヒロインたちもとても魅力的です。個人的には夕映っちとのどっちのコンビがとても好きです。ネギまの頃の同じ人を好きになってしまった親友同士という関係も非常に良かったですが、UQに出てくる二人の友情すら超えた相棒である関係も好きです。それと最近のイチオシは桜雨キリヱ!いわゆるツンデレなんだけど、その能力とか過去とか役割とか葛藤とか色々と味わい深いです。早く彼女の能力が必要なくなればいい。残酷すぎるから。
しかしながら、ネギまとUQを読んでいると作家の背負ってしまう属性的なところって本人の意思だけではどうしようもないのかもなぁと思います。
正直ネギまのラカン戦の頃の熱気と人気がずっと続いていればと思うこともあります。そうすれば、女性ファンでももう少し堂々と好きだと叫べる作品になっていたかもしれない。
でも、私は本当にネギまとUQが好きです。どんな困難な状況にあっても必ずハッピーエンドが待っている。それが確信できる稀有な物語だからです。それは赤松健という作家に対する信頼でもあります。
私がネギまにハマったのはもう10年以上も前のことで、最初はその必ずハッピーエンドが待っていることに気づいていませんでした。けれども、何年も読んでいるうちに気づきます。この物語は、誰も悲しい思いをして終わったことがないことに。どんなキャラクターにも救いが待っていることに(カトラスだけは今もまだ飲み込めていないけれど)。
それは、物語という架空の世界に何かを求める私にとって、最上のもののように思えます。
ここまで素晴らしい物語なのに、好きだと叫べないことが。もっとこうであったら、なんて酷いことを思ってしまうことが。
こういう性根もあってあまり堂々とファンです!と言えないのですが、それでも好きです。魔法先生ネギま!とUQ Holder!が。本当に。
私は、三十代半ば年齢イコールなんとかというやつ
尊敬できる親友はいるし、楽しい職場の仲間たちに囲まれて、割と幸せ
コミュニケーション能力が特に低い訳ではないと思っている
外見は正直よくなく、その外見に対するコンプレックスや自信のなさが、パートナーがいない原因だと思ってた
ただ、最近は齢とともに自分の外見をある程度受け入れられるようになって、特に何も変わらないけど楽にはなってきている
おそらく自分は結婚はできないだろうし、それでいいともう長いこと思っていた
ただ、今日、改めてつきつけられることがあった
職場の数名で申し込んだイベントに、同僚Aが参加できなくなるかもと、個人的な理由をグダグダ羅列し始め、お前が参加でも不参加でもどっちでもよいから、黙ってくれないかなと…幹事の私は正直、イライラしていた
1週間ほど続き、私も大人気なく、全体連絡のついでに参加するもしないも自由だし、どちらにしても理由も説明する必要はないし、理由を言われるのは、無理に誘ったようで落ち込むとか、余計なことを書いた
さすがに気がつくと思った
だけど、同僚Aは全然気がつかず、イベント参加にあたってのTips的なことを書きやがった
同僚B,Cは私とAの情報に感謝を述べるとともに、ちょっとした冗談と、誘ってくれてありがとうまで書きやがった
Aはパートナーがおらず、B、Cは既婚者だ
この差なのだろう
小さくイライラさせ続け、ついに言われても気がつかないA
明らかに当てはまらないのに、場の空気を和ませ、フォローするBとC
どちらも普段は楽しい同僚だけど、Aとは一緒には過ごし続けられない
私もA側なんだろう
パートナーいないことへの直接的なコンプレックスは麻痺してきたけれど、人間性の差の結果であるとしてつきつけられて苦しくなった
30手前にもなって、まさか女に振られて号泣するとは思わなかった。
相手には彼氏がいた。だが彼氏が忙しくてあまり会えないと言っていた。
俺がその子の家に泊まって、そのあと彼氏と会う予定だったけどめんどくさいからやめた、なんてこともあった。
同じ職場だったので、多いときは週に5日くらい会っていた。誘うのは俺からと相手から、半々だった。
一緒に住むとしたらどこがいいか?なんて話もした。間取りが送られてきて、絵を飾ろうなんて話もした。
その子が、古くからの親友に俺の話をして、付き合うんなら会わせて!なんて話をした、とも言われた。
そんで、いい加減にこの関係もよくわからんから、一回会わないようにして考える、という提案を受けた。
その間も連絡はとっていた。
そして一ヶ月。
だんだん連絡の返信が雑になってきた。
で、知人を通じて、どうやら最近は彼氏と上手くいっているという話をきいた。
ただの都合のいい男だったのだ、俺は。
思ったまま書くから散文で失礼する。
ここ何年か、うつ病をはじめ、精神病とか生まれつきの知的障害(っていいのか分からないけど)に対する味方は変わってきてると思う。そういう病気は甘えじゃないっていう意見をよく見るようになってきた。でも正直、うつ病と甘えの違いがわからない。新型うつとかも出て来て本当に病気なのか、性格なのか、甘えなのかわからなくなってきてる。あるいは明確な境目なんてないのかもしれない。うつ病だけど、サボりたいだけの時、本当に症状が出てしんどい時ってのがあるかもしれない。ここで困るのは、そういう時の対処だと思う。本当にしんどいなら薬飲んで休む、けどサボりたいだけなら頑張って行く。自分は何となく辛い気がする、でも行かないと罪悪感があるから行かないといけないって事が多過ぎる。自分の事なのにわからない。会社に行きたくないのはうつ病のせいなのか性格のせいなのかあるいはサボりたいだけなのか。
多分今感じてるのは甘えなんだろうな。昔、ストレスがやばすぎて字が読めなくなった事がある。それを考えると、そうなってないから甘えかなって思う。
甘えるのは甘えられる環境に恵まれてるからであって、どん底の環境だったら自分も死にものぐるいになるだろう、だからこれは甘えだって思う時もある。この環境に感謝して何となく休んだ時の罪悪感のために働き続けないといけないのか。
昔は分からなかったけど大人ってすごいな。何となく辛いような気がするけど休めないから頑張るっていうことを何十年も続けていくのか。正直、今まで勉強もソツなくこなして来て、あまり努力しなかった結果かもしれない。人生に盛り上がりもなく、平凡で、親友もいない。このまま流されながら生きて、すごい世界を知ることもなく、老いて行くのかな。
タイトルからはかなりズレちゃったけど、書いてるうちに気持ちの整理ができた気がする。自分はまだ大人になりきれてなくて、うつ病だから休んでいいよって誰かに言って欲しくて、ずっといつまでも好きなことだけして、責任を負わないで遊んでいたかっただけなんだろうな。