初めて我が家にやって来た時、私はまだ小学生だった。箱の中からこちらをじっと見詰める姿も、家に着いて心配そうにワンと吠える姿も、未だに鮮やかに記憶に残っている。自分で言うのも何だけれども、彼女は私の事が大好きで、幼い頃も老いてからも常に傍にいてくれた。病気がちで苦労の多い犬生ではあったが、私に頭を撫でられている時はいつも幸せそうに見えた。
出会った日から15年以上が経ち、いよいよ死が近づいた晩のこと、病気でぐったりと横になっているのを見て何か悟ったのか、私はその日一睡もできなかった。夜更けに様子を見に行ったところ、痙攣を起こしているのに心付く。それから翌朝旅立つまではずっと一緒だった。体に優しく手を置くなり痙攣が止み、また暫くして歯をカチカチと鳴らしたが、最期の数分間は、健康な時と全然変わらない心地良さそうな寝息を立てる。私もそれにつられてとろとろしていると、ある時呼吸のリズムが変わった気がして、名前を呼んだら、ふーっと息を吐き、もう最後だった。生涯においてこれ程愛情を注いだ対象は他に無い。闘病は短くなかったから、予め覚悟を決めていたけれども、自然に湧き出る感情を我慢せず、あとに後悔を残さないためにも私は思い切り咽び泣いた。これでスッキリした。以後は殆ど悲しみを感じなかった。
いなくなってからちょうど一年の命日。一年前の朝は雨だったが、その日は快晴だった。不思議なことに、私は布団の中で涙を堪えられなくなった。もう別れはとうに過ぎ、泣くだけ泣いて気持を切り替えたつもりでいたのに、どうしてだろう、悲しくて仕方が無い。驚くとともに少し嬉しくもなる。なぜなら、私の心の中ではまだ彼女が生きていることを、自分で確かめることができたからだ。青い空に向かって手を合わせ、彼女と心が通じ合った気がした。
私の好きな人というのは、まさにその日、私が休みの職場に新しく入ってきた。死んだ犬に思いを馳せつつも、そろそろ始業の時間だな、どんな人なのかな、と期待と不安を交えながら考える。実際に対面したのは翌々日、親友の誕生日だったからこれもよく覚えている。美人、目が綺麗、笑顔が素敵、というのが第一印象だった。よろしくお願いします、と頭を下げたところ、私のことを既に聞いていたらしく、「この人…」と呟いて、懐かしいような安心したような笑みを浮かべたのが印象に残る。でもちょっと自分とはかけ離れた存在に思えて、すぐには恋愛感情が湧かなかった。
それから数ヶ月、彼女とすっかり仲良くなった私は、以前から考えていた所に従い、今の職場を退職し、離れた地で生活を始めることに決めた。勿論寂しい。もしかしたらもう会えなくなるかもしれない。でも、「最後だから」と初めてのデートに誘い、一緒に食事をした別れ際、後ろを振り返ると、満面の笑みで見送ってくれている。それを見た私はなんとなく、この人と一緒に生きて行くことになるのかな、と思ったのである。
しかし現実は儚い。退職の時に渡した連絡先には、待てど暮らせど連絡は来なかった。
最後に会ってからの数日間がどれほど辛かったかを表すのは難しい。会えるうちにもっと積極的になるべきだったとか、たとえ一生会えないとしても幸せになってほしいとか、考え続けては涙を流す始末で、退職時に頂いたプレゼントも、敢えて目につかないところに仕舞うようにした。諦めようとしても諦めきれず、また会えると信じようとしても苦しくなる。こんな有様では新しい環境でやっていけないのではないかと不安でならなくなった。
犬の墓参りに行ったのは、ちょうどその頃のことだ。引越しの挨拶とともに、好きな人との素晴らしい思い出を与えてくれたことへの、感謝を伝える意味もあってやって来た。思い返せば、私たちはよく散歩に出掛けて、夜空の星の下、「ずっと一緒だよ」と約束したものだった。いや、約束したなどと言っては彼女が迷惑に思うだろう。彼女は早く帰ってドッグフードを食べることしか頭になかったに違いない。しかし私は真剣に祈った。それはこの日お墓の前でも同じだった。
さて、出発の日、まさか自分が彼女に会いに行くという、突飛な行動を起こす決意を固めることになるとは、前日には想像ができただろうか? 我ながら不思議でならない。私の記憶が正しければ、彼女は今日は早めに退勤するはずで、いつも通りなら駅の近くの道を通る。そういえば先日短い旅行に行った時の土産がまだ僅かに残っていた。それを渡すのを口実にしよう。慎重な自分からは想像もつかない無理矢理な計画を吟味する暇もなく、私はすぐに土産を袋に詰め、出発の準備を整える。いても立ってもいられず、早すぎるものの家を出た。着いた先で適当に時間を潰す間も胸の鼓動は鳴り続ける。
ようやく時間になろうかというところで腹が減り、駅近くのコンビニで菓子パンを購入しようとする。レジのお姉さんに手渡す。支払いは電子マネーで。と、ふと後ろを振り返ったら、コンビニの外を歩く見慣れた姿があった。「すみません、これ戻しといてください」。走る。お姉さんは呆気に取られたようだった(申し訳なかった)。ともかくも、会えた。会えた、会えた。俺は彼女に会えたのだ。
2度目のデートは、ほんとうに夢の中にでもいるみたいだった。覚めるのではないかと真剣に疑って皮膚を抓ったりした。彼女もとても楽しそうなのが喜ばしい。途中、今までの人生で一番輝いていたのはいつか、という話題になって、私は適当に小学生の頃と答えたけれど、本当を言えば、今この瞬間に決まっている。世の中にこの様な幸福がある事を生れて初めて知った。
別れ際、彼女は前と同じく素敵な笑顔で、私の姿が見えなくなるまで大きく手を振ってくれていた。「送る」と言ってくれたのに、今のところ連絡はやっぱり来ない。彼女が私のことをどういう風に思っているかは分らないし、離れてしまった今ではこの先新たな展開があるかどうかも見通せない。もしこれきり会えないとしても行動した分悔いは少なくて済むだろう。ただ私はどうしても、彼女のことを大切にしたい、幸せにしたい、という気持を捨て去ることができずにいる。それは天国にいるあの子に対する祈りと通じているようにも思う。
また涙が出てきたからそろそろ止めにしよう。