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2024-03-22

結局ここまで共働きが増えた理由って何なんだ

女性社会進出!とか言ってるけどシンプル共働きしないと家計が賄えないくら日本が貧しくなったって事じゃないの?

2024-03-21

anond:20240321182851

女性社会進出に反対しているのは男性達ではなく、勉強についていけない普通以下の女性なのではないか最近思うようになった。

2024-03-20

時代実力主義へ変わってるよね

「楽して稼ぐ」「努力ダサい」「ノリと感覚が大切」「辛い事から逃げて自分らしく生きる」などの、ここ数年の価値観から形成される成果物が見向きもされなくなる日はもうすぐ来る、というか来ている。

演技の出来る役者、内容のしっかりした脚本、練られたカメラワーク映像ドラマが支持されている。

歌の上手い歌手ダンスの上手いアイドルクオリティの高い楽曲が取り上げられつつある。

ネタ面白い芸人が持て囃され、TVに出ている漫才師ほとんどがM1準決勝進出者だ。

お笑い芸人や、かつてのおバカキャラは、論理的思考戦略を表に出し、バラエティが巧妙なプロレスである事を認知させている。

これは、エンタメに限った事でなく、一般社会でも起こりつつある。

Twitter社は、技術スキルが高くないが、立ち回りが上手い人達を一挙に解雇した。

今後の企業追随するかもしれない。

中身は空っぽだが、キラキラ外装でコーティングされた物は使い捨てされる。

享楽的時代は終わるのだ。

技術知識経験資格思考力を努力で勝ち取らなくてはならない。

若さ愛嬌とノリで世渡りしてきた私は、恐々としている。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

2024-03-19

女性障害者もいよいよ本格的に社会進出してきただけじゃねえの

車椅子映画館スタッフ拒否られたどうたらとか、女性待遇がどうとか、最近炎上騒動を見てるとさ

それって今まで家に引きこもるしかなかった車いすユーザーが、女性出世も望めなかった社会が変わってきて

いよいよ本格的に車いすユーザー女性社会進出してきた

健常者と障害者男性女性の差がなくなってきた

からこそさ、俺もお前も別にどっちかが圧倒的に強者でもなくなってきたんじゃねえのか

俺が圧倒的に強者で、お前が圧倒的に弱者だなんて絶対に言わせないからな

俺には俺の苦労があって、お前にはお前の苦労があるんだろうってことは分かるよ

でもさ、それは俺達がお前たちの苦労が本当に意味で分かるという意味じゃない理解を示すことは出来るってこと

からさ、俺達はまず俺達はお互いに苦労してるんだと理解するために分かち合う必要があるんじゃねえのか

それをよ自分たちが圧倒的に弱者だって思ってる奴らがさ、自分たちより圧倒的に強者だと思い込んでる相手

相手自分理解があるのが当たり前だともって相手理解を示さずコミュニケーションを甘えているのが実態じゃねえのか

本質的には俺達はお前たちの苦労はわからように、お前たちは俺達の苦労はわからない

から、俺達はまず俺達はお互いに苦労してるんだと理解するために分かち合う必要があるんじゃねえのか

anond:20240318143150

異次元少子化対策と言うなら、家計を支えようとしない女性賃金を下げ、女性社会進出抑制し家庭で家事育児に専念させる、くらいやってほしい

2024-03-18

アンチリベラルからずっと日本共産党投票してる

俺はフェミニズムリベラルも大嫌いなんだけど、

からこそ日本共産党にいつも投票してるんだよな。

なぜかというと日本戦争に巻き込まれてほしいから。

戦時下で健常者は車椅子映画館で運べだの美少女絵を広告に載せるなだの主張してる余裕はないからね。あんもの平和時代余暇に過ぎない。

今のウクライナを見ればいい。国威発揚のために義足をつけてリハビリする傷病兵や前線で戦う女性兵士の絵はあっても、国土防衛よりも自分を優先しろという活動家の姿はそこにはない。

あれこそが俺の理想障害者差別解消や女性社会進出であって今の日本のそれじゃないのよ。

で、日本戦争状態に陥るためにはパワーバランスが崩れる必要がある。

今の日米同盟vs中国軍ではバランスが保たれてしまっているため、台湾有事が起こる可能性は低いと言わざるを得ない。

から日本共産党政権を取ってもらって日米同盟解消と自衛隊の戦力低下をやってもらう必要がある

そうすれば東シナ海パワーバランス中国軍圧倒的有利になるから台湾有事、そして日本有事になるだろう。

そうなればリベラル左翼普段言っていることが所詮平時の余裕があるときの娯楽に過ぎなかったことが明らかになる。

から俺は毎回日本共産党に票を投じている。ざまあみろ。

anond:20240318195946

女性社会進出が進めば進むほど男女の寿命の差は縮むという研究結果はあって、

労働健康を阻害して命を削るっていう端的な事実無視するのはフェミニストの都合によるところが大きいと思う。

https://arc.asahi-kasei.co.jp/report/arc_report/pdf/rs-824.pdf

anond:20240318191719

子供を作ることなんて多少なりともその人の人生犠牲にしないと成り立たないのだから、「人生を豊かに」「不幸な人をなくそう」「女性社会進出応援」とか言ってないで、

子供を作ることこそが人生幸福」「女性産む機械」「家庭を持って初めて一人前」のようなオールスタイル価値観を復活させなければいけない

イオンモール立地規制した青森県八戸市20年後どうなったのか

anond:20240313123638

青森県八戸市(はちのへし)。

県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路工業港を有し、東北新幹線八戸駅東北自動車道八戸線三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。

しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドー2024年の夏に閉店する。

八戸市映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。

2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長イオンモール反対を表明するも次の選挙市民の支持を得られず落選

イオンモールを待望した市民は、官僚出身新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端イオン開店した。

さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センター建設土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。

その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。

車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。

街の顔である中心市街地は、税金補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。

かつて市民デパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。

古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。

市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。

中心街仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルマンションはいくつか建設された。

市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーユニバース本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパードラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターサンデー、ヤマダ、ケーズデンキユニクロGUしまむら、西松屋ワークマンもある。日常の買い物には困らない。

しかし、市民は屋内一体型モールイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターボーリング場や、未来書店や、東京アパレルテナント東京話題のある飲食店フードコートが欲しかった。

前置きが長くなったが、この街歴史をみるとする。

明治大正

鉄道忌諱と中心街の大火

明治時代日本鉄道東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。

当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念軍部要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅現在本八戸駅を開設する。

そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまり市街地から離れすぎた立地のため、郊外地方空港様相であるかのように、22万人都市玄関口としてはお察しくださいの状態である

大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。

昭和

中心市街地の復興産業の発展と栄華

太平洋戦争では基幹産業日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害ほとんどなかった。

市の北側位置する旧日本軍飛行場基地米軍接収され、3,200人の米兵により飛行場拡張基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。

八戸中心市街地は、戦後しばらくして、東映東宝、テアトルなどの7つの映画館開店し、地元百貨店開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー地元資本ファッションビル開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。

八戸昭和30年代に新産業都市指定され臨海都市建設工事が始まり八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場八戸火力発電所、非鉄金属精錬所、鉄工所、造船所が建設された。

漁業栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑区画整理が次々と進み新興戸住宅地住宅団地郊外市街地は拡大し、市営バス路線網を拡大し小中高校増設を続けた。

一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。

青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。

平成

大店法改正の波、産業構造転換と商業施設郊外

1991年長崎屋郊外移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋開店

1994年 年末三陸はるか地震震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害

1995年 隣町にイオンモール下田開店現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。

1996年 中心市街地のニチイが閉店

1997年 中心市街地の市民病院郊外移転し、いよいよ中心市街地の危機地元紙で叫ばれるようになる

1999年 八戸臨海部神戸製鋼敷地ピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントイトーヨーカドーホームセンター、のちにヤマダ電機スーパー銭湯開店

2000年 人口過去最高の24万9000人になる

2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める

2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン市民映画館開店

2009年 臨海部八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店

イオンモール立地攻防

2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる

当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼ区画整理し、中心街から八戸市病院移転した付近に立地計画

市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。

しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。

地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街シャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り八戸三社大祭という由緒ある山車祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶

かに市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。

その後、市長は1期で落選し、新市長が当選立地規制条例を制定

2012年 郊外イオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)

中心市街地活性化施策

新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設

2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店

2016年 ガーデンテラス竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビル拠点開設

2018年 市営の八戸まちなか広場 マチニワ屋内広場が開設

令和期

少子高齢化人口減少時代水産業斜陽化、縮小する経済

2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園建設

2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町竣工 13階建で2階以上はマンション

2021年 中心街に新八戸市美術館竣工

2022年 地元百貨店三春屋コロナ経営不信でで閉店

2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定

2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)

2024年夏 イトーヨーカドー八戸沼館店が閉店予定

2025年 青森銀行とみちのく銀行合併青森みちのく銀行設立予定

おわりに

東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーホームセンターがあちこちにできた。

中心市街地は市営の観光施設や屋内広場箱物と、市営書店ができて大変モダン空間になった。

地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンファミマが合計6店舗できた。モスドトールしかなかった街中にタリーズができた。

しかし、市経済の低迷も相まって中心街商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルマンションへ建て替えが進む。

商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモール建設してもよかってのではないか

結果、GMSは衰退し臨海部ヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部シンフォニープラザ2012年開店イオン田向(リテール)のみになる。

よく巨大郊外モール撤退したあと社会問題になるため開発抑制必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベル規制誘導しない限り、一自治体規制をかけても無意味だった。

結局、市民1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。

中心市街地の地権者コンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化施設建設資金が投入され続けている。

2050年までに、八戸市人口社会保障人口問題研究所推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)

人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住コンパクトシティ形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからイオンモール下田に通うことにになる。

せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離イオンモールに遊びに行けただろう。

2024-03-14

サルベージした日記

 私の故郷は、海抜六〇〇メートル丘陵地に佇む半農半漁の村で、後方は形のよい峯が三つ並び、前方には大きな入江があって多島海に伸び、子供の頃は、その入江で魚つりに興じました。

竹の棒に糸を張った粗末な釣具で、餌もミミズでしたが、満潮の時などは入れたら釣れ、入れたら釣れで、一時間もすれば小鯛などバケツいっぱいになりました。

腹が立つのフグで、五回に一度はかかり、フグに毒があることは子供にも分かることでしたから、腹立ちまぎれフグの白い腹を石にこすりつけるとみるみる大きくなり、このガキッとばかりに思い切り石に叩きつけと、パーンという音がして腹が裂け、溜飲を下げました。

 私は五人兄弟次男として畑仕事や魚釣りに勤しんでいましたが、田舎の貧しい暮らしから豊かな生活を夢見て、一足先に日本へ行った八歳年上の兄祥雨を追いかけて◇◇へ来ました。

その時十七歳で、一九三九年でした。兄は布施(東◇◇市)でセルロイド工場経営し、腕輪やクシを作っていました。

その兄の元へ身を寄せ、普通学校四年を卒業したものの、価値ある社会活動をしていくためにはさらに学が必要だと感じ、向学心に燃えて◇◇・東成区夜間学校(◇◇商工実務学校)へ通うことにしました。

工場住込の私の仕事はまず、朝五時に起きて無煙炭をおこし、六時半に出勤する職人さんの仕事に間に合うように湯を湧かしておくことでした。

そして、仕事が終わるのは夕方の六時。急いで自転車を走らせ学校へ行き、帰りは一〇時で、それから夕食をとり、深夜の一時過ぎ、二時過ぎまで勉強して、寝るのが連日三、四時間でした。

休日は一日と一五日でしたが、それも畑仕事に追われました。

 その死にものぐるいの努力が効を奏して、成績はトップとなり、幸か不幸か、級長をやらされました。

戦時中でしたから、訓練ばかりで、「前へ進め」「全体とまれ」と号令をかけるのが級長の役目でした。

ところが、私は強度の「どもり」でしたから、その号令の文句がなかなか言えず、落ち込んでしまって、《死んでしまおう》と何度線路に寝込んだかわかりません。

星の光が目に入るたびに、《ちょっと待て、死ぬんだったら、もういっぺん努力してみよう》という気持になり、「どもり」の矯正学校を五つも修了して、死ぬほどの努力を重ね、矯正しました。

こうして、《ヤレバデキル、ダメナコトハナイ・・・》の信念を貫いて苦節の日々を克服したことが、大きな自信となりました。

 終戦後の一九四八年のことですが、体を悪くして、マイシン注射を打ったところ、耳に障害が発生し、聞こえなくなってしまいました。

これまた、苦節の日々で、断食をしたり、いろんなことをやってみましたが、完治するまでには至らず、補聴器の世話になる毎日となりました。

ところで、戦争は激しくなり、私も協和会の勤労報国隊に徴用されて、九州炭坑で二ヶ月ほど働かされました。

石炭を掘って出てきたら顔は真っ黒で、目が辛うじて見え、つらい日々でした。

そうこうするうちに戦争が終わり、兄はそのまま日本に残りましたが、私は里心がついて故郷へ帰りました。

ところが、祖国はとても住める状態ではありませんでした。

日本兵が釜山の港からどんどん引き揚げて行くさなか、私も小さな船で玄界灘の荒波を掻き分け、決死覚悟日本へ戻ってきました。

一九四八年に兄と、資本金二〇万円の◇◇グリップ化工株式会社設立し、自転車ハンドルグリップセルロイド製造し、販売しました。

以来、資材をセルロイドからプラスチックに変え、◆◆◆グリップの普及に努力しました。

その途上、兄を交通事故で失い、私が会社を引き継ぐことになりましたが、中小企業信用保証協会や育成協会から資金融資韓国人業者としては第一号だと思います

 一九九〇年に◇◇グリップ化工から◆◆◆技研に社名を変え、現在では日本全国の占有率九〇パーセントを獲得し、一億人以上の人に◆◆◆グリップを握ってもらっています

私は、金属木材等で作られている従来の物をプラスチックに代えて作るという物づくりを企業の基本理念の一つにしてきましたから、事業の発展に伴い、グリップの他にも車輪、カゴ、チェインケース、泥除け等、タイヤ以外のものは全てプラスチック化し、その間の特許も数百にのぼって、◆◆◆製品世界ブランドとなりました。《継続は力なり》の精神で、より精度の高い関連商品の開発に努めています

 一九六〇年頃、日本韓国との間にはまだ国交はなく公式には往来できない時で、金融機関祖国産業視察団の一員として、初めて祖国訪問しました。

公式の日程を終えて、私の生まれ故郷に帰りました。

懐かしい山河景色幼なじみの顔、感激の涙に浸るばかりでした。

その感激もさめやらぬ時、町からキロも離れていず、一六〇戸もあるわが懐かしい村には電気水道設備もないことに気づき、昔と変わらぬ貧しい古い部落がそこにありました。

故郷のために何かしてやりたい》という衝動かられ、その後、回を重ねて訪問する毎に藁葺きの集会所を二階建の近代的な建物にして

事務所や老人らの憩いの場に使用できるようにし、また、電気架設の資金協力や子供たちの遊び場等も寄贈し、植木スピーカー等も添えて故郷の人の心を癒やすことに努めました。

 人間は誰しも食うがため、生活するがために働き、事業するものだと思いますが、私もご多分に漏れ世間並みの生活を夢見て渡日し、口では言えない苦労と努力を重ね、一応の目的は達したと、自分を顧みています

これまで、通産大臣府知事税務署長などの表彰を受け、韓国政府から国民勲章冬柏章を受章しましたが、私の企業活動に対� =キる評価だと喜んでいます

現在、◆◆◆ー技研のグループ企業として◆◆◆販売韓国◆◆◆があり、◆◆◆技研は私の長男に任せています

◆◆◆販売は兄の息子が取りしきり、ヘルメットを中心としたオートバイスポーツ用品製造販売し、韓国◆◆◆は弟の息子が社長を務め、スキー水泳用品を主力としたスポーツ製品製造販売し、輸出による外貨を稼いで祖国経済発展寄与しています最近中国青島にも進出し、六〇〇人ほど雇用しています

 兄の処世訓は《まず、自分自身が立派になり、次に家族の支えなり、その次に身近な社会に貢献する》ということでした。

私は、兄の遺志も引き継いで、家族会を設け、年一回会合を開いて、十親等以内の全学徒に、成績に応じて奨学金支給しています

その家族会の会長は私ですが、弟の息子がすべて代行してやってくれています

いわば、祖国故郷で私の夢を実現してくれる代理人のような存在です。後は、全家門の子孫たちが末永く仲良くしてくれればいいと願うばかりです。

振りかえってみれば、私の人生は苦しいことのみの連続で、喜びや楽しみというものがあっただろうかと思う時がありますが、◆◆◆販売の新社屋落成式(一九八四年)に、私が挨拶をし、息子夫婦、兄の子夫婦韓国の甥夫婦を紹介し、その三人を後継者として披露しました。

三人はそれぞれに立派に成長してくれ、私の夢を実現してくれる後継者になってくれたことが人生最大の喜びです。それに子孫たちが、私の喜寿(七十七歳)をニューオオタニホテルで祝ってくれたことも忘れられない喜びです。

 外孫まで入れると四十五、六人になりますが、アメリカに行っている七、八人の子孫たちもその日(一九九八年九月一八日)にはみな帰っ� =トきて祝ってくれました。

私たち韓国人は、税金人一倍納め、社会に貢献しているにもかかわらず、後ろ指をさされる傾向が強いのですが、人間というもの生存競争なかにあってライバル意識を持ち、自分より事業を大きくやっていたり変わったことを大きくやっていたりすると、ねたみの心が出てきて、あらぬ中傷に走るのではないでしょうか。

私たち韓国人の側にも虐げられたひがみ根性というものが抜けきれないのではないかと思いますが、真面目に生き、社会に貢献していくことが肝心で、価値ある社会人になるためには自分自身が努力し、そのためには人の話を聞くことです。

何か疑問を感じたら、聞くのが一番の近道で、その疑問を解いてくれる人が見つかるまで聞きつづけたらいいのではないでしょうか。聞くことにお金はかかりませんし、それが私の処世訓の一つです。

2024-03-12

anond:20240312010706

猛烈な少子化時代にお子様ウェルカムは随分思い切ったなあと思ったけど、なんか都心店を減らして郊外地方進出してるっぽいな

それならスタンスはよくわかるわ

2024-03-10

anond:20240310091950

男女格差是正のためにも、今こそ女性建築業進出必要だな!

さあ!フェミのみなさん!声を上げましょう!

anond:20240310085430

そうだよ、共同親権女性社会進出もどちらもいらない。

男は仕事、女は家事育児がいい。

anond:20240310084638

そんなことを言い出したら、女性社会進出だって男性絶対領域に入って好き勝手踏みにじる野蛮な行為と言う話になるよ。

2024-03-07

ショップパーキングガードマンブルーズ

・右折で入るな右折で出るな

交差点内は駐停車禁止だぞ

・急加速進入急発進出庫こわい、とくにEV音ちいさいからよけいに

・「おうわりゃなかのそこがあいとるじゃろうが、そけぇたいきじょにしちゃったらえかろうが!まえのんはやってくれちゃったでなんでせんのじゃ!もちいとかんがえんかいばかたれが!」

↑それ駐車場内のショップさんの専用区画の手前のスペースだからムリっスよ、停めたら中で切り返しできなくなるしー、だいたい待機場所にしたところで駐車待ちなのはいっしょですよね?それともそんな無理難題難癖いうほどなのに交差点内で待ってるのは道交法違反してる意識はあるんスかぁ?

クルマ運転するニンゲンって運転してる自分以外をニンゲンとおもってなくない?

・我々は歩道上を通行するニンゲンのためにはたらいております(^^ゞ(キリッ

人口子宮の開発を急ぐ」以外にフェミニストが本当に目指すべき中間ゴールなんてあるの?

全ての問題は「受胎~出産までが女性固有の役割になっている」に端を発しっているのは明らかじゃん。

女は妊娠出産する

戦線離脱リスクが男より高い

女は出世させにくい

女というだけで幹部候補としての育成から外れやすくなる

組織トップ層が男だらけのホモソーシャル化する

その中から政治進出する奴らが出てくるので政界ホモソーシャル化する

男に有利な法律が増え、維持される

社会全体での女の立場が弱くなる

そこにつけこんでセクハラ野郎勘違い男(「日本人世界で褒められているので、日本人である俺もまた凄いのだ」と同じ勘違いを「男のほうが出世やすいので、男である俺は女より偉いのだ」でやる感じのアホ)がのさばる

全てはこの流れの中にあるわけじゃん?

じゃあ根源である出産」を女から独立させればいいんじゃないの?

妊娠したらさっさと人口子宮に預けてしまえば母体負担は今よりずっと減るでしょ。

人口子宮に預けたあとはもう男も女もないんだから、今までの「出産入院育児」という流れも否定されるようになるよ。

妊娠してすぐに子供が離れたら産まれる頃には母乳も出なくなると思うし。

なんで「人口子宮を作ろう!そのために出資しよう!」ってことに注力しないの?

一番現実的解決策じゃん?

なんで?

2024-03-06

ソフトウェア開発で予実管理するな

何度も何度も言ってるしいろんなところで言われてるのに

ソフトウェア開発を予実管理しようとするアホ経営者が多すぎてしんどい

ソフトウェア開発はその全てが不確実性との戦いであって

予測可能な部分なんてただの1つもない

営業分野で言うと過去に誰も進出したことがない新規市場開拓をずっとやってるのと同じ

それに対して

「今期の営業目標は〇億円な」

と言っても意味がないのと同じな

「頑張ります」とは言えるけれど実績がどうなるかなんて誰も分からない

ソフトウェア開発もこれと同じなのに

「このソフトウェアを1ヶ月で作ってな」

って言ってくる奴が多すぎる

確約できるのは「1ヶ月後に出来上がったもの生産物になります」ということぐらい

家や機械と違ってソフトウェアはその都度全然違う新しいものを作るし

使い回せる部分や市販のものを利用する部分はあるけれど

それらを利用する部分は不確実性しかないので全体は結局不確実になる

なのでマネジメントするなら

「出来上がっているもの

ベースにしてどうするかを考えるべきで

「これから出来上がるもの

ベースにして計画してはいけない

何度この手の話をしても

とはいえ予算もあるので計画を決めて」

と言ってウォーターフォールしようとするアホが多すぎてホントアホかと思う

anond:20240306015206

単に女の正規が減ったんじゃないの

女性社会進出幸福とは程遠く社会混乱と男女の不幸を推進する結果になったのは明らかだし

2024-03-05

メタブページ非公開の人増田にまで進出してんの?

円安と株高

中国調子悪いので中東の莫大なカネの一部が流れ込んだらしい

なんせ安いし

イラン以外はドルを大量に持っているので、いろんなところに唾を付けられる

特にインド中国とかは西側半導体ロシアへの中継地になっている

でもさ、イスラム教においては利子すら取ることを禁じられているのに、金融市場進出してたりして

矛盾この上なし

サウジとかUAEとか


ほんま、ヒトってご都合主義だよ

今はイスラームシオニズム資本主義と、民主主義人道主義がないまぜになってややこしい

そこらへん、AI解決してくれるのかもしれない

たぶん、ビッグブラザー同様機械を信用しているわけでもないとは思うが

2024-03-03

https://anond.hatelabo.jp/20240301195723

2014年あたりからというと、家事育児への参加が影響ありそう。

年々男性家事育児への参加が求められるようになってきているにも関わらず、仕事の大変さは変わっていない。

もう疲弊しきってるのでは?

女性社会進出して、専業主婦が前提だった時代と比べ、その分男性家事育児をしないといけないとなると

その分仕事を減らしてくれれば良いんだけど、現状そうはなってないから。

しかし原因解ってないのにカウンセリングとかできるの?

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