はてなキーワード: 羽織とは
風邪を引いた旦那に病院に行けといったら感情的過ぎる人にモノを頼む態度じゃないお願いするならどこそこの病院がいつなら開いていて診察券が要るか要らないかを伝え、などという。
何で感情的になるかって、小さな子供も居るっていうのに二週間も咳は所構わずする、注意するとお前は馬鹿か、見てんのかとキレるし病院に行って早く治してと云っても忙しいからいけるわけないと行かない。寒いのに家ではシャツと年中おんなじ綿の半そでの肌着でだらだらしてて寒いから上に羽織れとやさしく言ったり強く言ったりして何とか着たり着なかったり。挙句に自分のためにそういう事云ってるんだろと。
幼稚園児か。
今日は何も予定がなくいけると思って云ったらキレて俺を隔離したいんだろうなどと云う挙句には実家に帰るとか言う・・・
お前こそ馬鹿だよね~と思うが云わなかった。
きれい好きじゃないし仕事用のスーツも替えなんかいらないカネの無駄だとか云ってよれよれの着てるし一緒に住むまで気がつかなかったけどシャツの襟を下洗いする習慣もない家の人でそれでもきれいなほうを気に入ってこの習慣をいいと思ってくれればいいけどどうも余計なことしてると思ってる節がある。義母は普通に見えるのになぁ・・・でも実家では洗濯は義母だったらしいから・・・義実家訪問をすっごい拒否されるのは汚屋敷なのか????
何でこんな人を選んだのかというと一緒になることを選んだとき、ずっと鬱っぽくなってて自分に絶望してて自分を罰するような気持ちでいたからだ。
まあ、付き合ってたときからこんなこと全開ではないしいいところももちろんいろいろあるけどね・・・
後悔していないとは云わない。
体が弱いだけかと思ったら薬を飲むとか食事に気をつけるとか着るものに気を遣って悪化しないようにするという養生もしないする気もない言われてそんなことはしないといって延々げほげほずるずるとうっとおしい。
話す相手が知っている話題は適当に膨らますのに不向きだから注意ね。
まあ、気楽にね。
一人世界観が違うっていうか、世界観の方でねじ曲がってでも譲らざるを得ないキャラクター性だよね。話題になるよ。
・
(例)
北陸の帝王って、みんなヤクザだから普通にスーツとか着てるんだけど、千葉真一だけ毛皮(モコモコのヤツじゃなくて床に敷くようなヤツ)羽織ってるんだぜ。
(例2)
沖縄ヤクザ戦争って映画、冒頭で千葉真一の空手演武のソロシーンから始まるんだけど、延々と居酒屋で周囲を威圧してんの。理由は、本土のチェーン店が嫌いだから。
歩く迷惑。
しかも90分の映画で何分間も演武するシーンがもう一回あるの。
威圧されたヤクザは逃げちゃうんだけど、それをわざわざ追っかけていって車でひき殺す。
(例3)
ユニクロで売られているシャツ、なぜか着丈がベローンとやたら長いくせに袖丈が異常に短い。
サイズがS→M→L→LLと大きくなっていっても着丈はやたら伸びるのに袖丈はほとんど伸びない。
生地の無駄使いだ。ユニクロはコスト削減の鬼なのだから着丈をもっと短くするべきだ。
ゾゾタウンで売られている服とくらべてみなさい。
似たようなカジュアルシャツが、ゾゾでは着丈70cm袖丈63cmなのに対して、ユニクロでは着丈75cm袖丈60cmだ。
タックインするにしても長すぎるだろう。
似たようなシャツで腕が長い人がゾゾのMサイズ相当する袖丈63cmの服を選ぼうとすると着丈が76cmのものしかない。
服の説明で「インにもさっとはおってアウターにもOK」ってあるけどアウターに羽織ったら裾がベローンとして尻をまるまる隠すようになってしまい非常にみっともない。
着丈が長すぎて商品説明写真のモデルのように着こなすのは無理だ。
http://www.nissen.co.jp/sho_item/regular/8520/8520_45402.asp
日本人の服装が外国と比べてださく感じられるのはファストファッションがジャストサイズを提供できていないからではないだろうか。
家庭の事情などもあり、大学入学と同時に自分で商売をしてきた。
自分は飽きる事もなく小さな商売をしてきて。
それなりに結果も残せてきたし、
少し飽き足らないという思いがなかったらウソになる。
そんな時ちょうど自分の商売が行き詰まって、
これからどうしようかなと。
そんなことがあって、今の仕事と別の仕事をしてみようと思ったのがきっかけ。
かつらかぶって、セットして、ジャケット羽織るとどんな人でもそれっぽくなるものです。
1.お給料が低い
2.年功序列
3.好きじゃない
仕事はできないなぁと。
基本的に実力主義で、先輩後輩はあれど、実力があれば認めてもらえる。
たいてい水商売の女の人にお世話になっていたので、
もともとそういう仕事には抵抗がなかったのもある。
それで、写真を送ったらそれだけで2店ほど体験入店させていただけることになったのです。
だけど、友達でもホストとして働いた事がある人は一人しかいない。
そこで、はじめて説明を聞いてびっくりしたのが、罰金の高さ。
恥ずかしながら、こんなに高額な罰金制度が水商売に厳然と存在することを私は知らなかったです。
遅刻とか当欠。
これは多分やらかさずに済むだろう。
同伴ができないと罰金という日があるのです。
何人かの子にそれとなく話を振ってみました。
そしたら、
ホストクラブ行きたいと思ってるんだけどなかなかいけないんだよねー
みたいなノリで、来てくれる友達の多さには正直驚いた、驚きました。
料金も決して安くはないのに、
え、そんなんでいいの!
どうしていままでこの子たちと遊ぶ時全部払って来たんだろうってつくづく思いました。
女の人がよくわからないのは、
数百円数千円のことで凄く悩むのに、
数万円数十万円数百万円となるとほとんど悩まないこと。
これは本当に不思議。
とはいえ、
商売がうまくいっていたときは遊んで来たので、
やっぱしリピートしてくれるかどうかは心もとないし、
それだけでは一番にはなれない。
だから本当はやっちゃいけないけれど、
街中でいけそうな人に声をかけたりしてました。
いけそうな人の見分け方ですが、
歩き方がふらふらしてる感じの人(まっすぐ歩いてない人)で、
靴やバックが痛んでる感じの人がいいです。
そういう人は深く物事を考えていないから。
そういう人は、悩みを解決できないし、だから深い闇というか空洞みたいなものを心に抱えてる。
もっというと、胸は大きい方が良くて、
下唇が太くて、涙袋が厚くて、
全体的にあぶらっぽい感じのする人ならまず間違いないです。
これはどうしてか分からないけど。
欲が強いからかな。
そういう人に、それとなく
道迷ってる? とか
だいたい行ってみたいっていわれます。
これ本当に不思議です。
どうしてなんだろう。
ホストしている時期が長くはなかったので、
とりあえずこうすれば店に呼べるというのは分かったのだけれど、
どうして女の子がこれでひっかかるのかは正直最後までよくわかりませんでした。
(とまでは言わなくても男と話したくて)、
その言い訳を作る事を男に求めているだけなんだって思うようにしてます。
■ やればできる。
ああ、同伴罰金なんて無理だよなぁ。
やってみてわかったのは、やればできる、ということです。
ちゃんと本気で仕事にあたっていれば、たいていのことはできます。
これは別にその人の元々の頭の良さとか素質とかなんてほとんど関係ないです。
これは大学受験とかでもそうだけどね。
私だって風采は決して良くない方だと思うし、友達からもよくそういわれます。
その人が本気でさえあれば、どんなことだって大体できる。
指で石を削るような努力をすれば、どんなこともできる。
自分が選んだことを、結果として正しくしてしまうような力の強さ、やる気、本気さが大事なんだ。
ホストをしてみて、そんなことがよくわかった。
■ どんな仕事でもそうだけど24時間365日命を賭けて120%の力で突破しないと事は為せない
バイトなんていうのは無理で、レギュラーで毎日来てほしい、ということです。
ああ、これって大事なことだなって後で気付きました。
みんな世の中の人はなんだかんだ本気で生きてるんです。
したくない仕事をしている人もいるし、それでも必死に生きようとしてる。
商品を買っていただくお客様に失礼なんだ。
当たり前の事だけど、そんなことを、生まれてはじめて、身を以て痛感しました。
■ 与えて与えて与えた先にだけ、売り上げがある。
人と人が接して、
人には自分を認めてほしい、自分はこんな人間なんだ、自分はこうなるべき人間なんだ、
みたいな「器」があると思うのですが、
甘えたり甘えさせたり、誰も気付いてない内面褒めたり、構ったりすることで、
極力その相手の「器」みたいなものを大きくして、
そこに愛をいっぱい注いで満足してもらったところで、
相手を俗世間の荒波に戻して、愛がするする摩耗するのを見届ける。
それで、次に相手が愛を補充して欲しいと思った時には、
その愛には値札がつけてやる。
その値札がだいたいべらぼうに高いわけです。
それでも人は、その愛を買う。
高い値札のついた私の愛を買う。
骨を折って手に入れるよりは、遥かに楽に手に入る「値札がついた愛」を買うわけです。
あるいはエステもそうかもしれないけれど、
仕事をしながらこんなことを学びました。
それで、私が出した結論は、天職はいましてる仕事だなと思った。
自分がホストをやることには、なんの使命も競合優位性もないけれど、
少なくとも自分が今している商売には、使命も競合優位性もある。
ならその仕事、今している仕事、一度はつまらなく思えた仕事をもう一度本気でやってみようと思えたのです。
もう一つ思ったのは、
つまらない仕事なんてものはなくて、つまらない仕事の仕方があるだけだということ。
どんな仕事でも、降り掛かって来る問題に、
自分の今までの能力以上の能力を発揮できるような「やる気」「本気」を持って当たれば、
これはとてもよくないことだなと思いました。
別の世界を覗いたことで、本気でそう思えるようになりました。
■ そして私はホストを辞めました。
だから、お金に困らない限り、私が水商売をすることはこの先ないと思います。
とにかく水商売の仕事に24時間365日120%の力を持って当たれるようにするでしょう。
今の本業にもとても役立つなと思いました。
たとえば、名乗りを上げる、有名になることの大切さ。
あっさりしつこく何度も口説き続けることの大切さ。
これを学んでからいままで全然契約がとれなかったのが取れるようになりました。
あと、出会い系サイトに誘導するTwitterアカウントの運営の仕方とかも、
個人向けの集客システムを考える上では本当に良く出来た先行事例です。
ナショナルチェーンではなく一社多業態で攻めるやり方にも通じる戦略がそこにはあります。
これからは多分小さいNo.1を積み上げていく形でしか勝てないと思う。
実際、いろいろ研究してみて、集客を改善したら、一気に結果が良くなりました。
さらに勉強して、月に百万人が知って、月に十万人が興味をもって、月に一万人が新しく使ってくれるような
そんなサービスをつくることを目指して、
このまま突っ走りたいなと思います。
たまたま商売が行き詰まったように感じて、
いろいろ寄り道してしまったけれど、
本当にいい勉強になりました。
化粧室の鏡の前で、腰に手を当てて軽く伸びをしたら
十月からの衣替えで久々に取り出した、襟が邪色に染まった長袖を
ゴシゴシ汚れ落としをつけて洗濯機に三回かけて干して、
袖を通したときに、きついなとは思ってたのだ。
ツルツル点の二の腕のラインとか、椿のように花開いたボタンダウンの襟足とか。
だが、どれも似たような感じだったし、着れるからいいやと今週の土曜から
ローテーションを回し始めて、二回目の今日、胸ポチが浮かんでることを知った。
加齢した人間は一日の何処かで肩を回し、背筋を伸ばしたくなるものである。
私のような、体重が三桁までカウントダウンを切った化け物ならなおさら。
配置転換をして日が浅く、気軽に声をかけてくれる知人が職場にいなかったのは
最悪のタイミングであった。ただでさえ、歳をとった人間にとって、社会とは
海にひっそりと浮かぶ孤島のようなものである。似たものを探すのはただでさえ難しく、
心の架け橋をかけられるような人となると尚更であった。
容姿に無頓着のまま、だらしなく歳を取ったとはいえ、これは別である。
女性ホルモンが人よりあった私はマイ•サンの長さと引き換えに乳房が発達していた。
中休みに上半身裸で体操をする習慣(今もあるのか、凄いな……)が
ある学校に通っていた中学時代、ひたすら上半身を鍛えたものである。
ボディビルに出場できる歳になる頃には残念にも、もう辞めてしまっていたが、
その、なんだ、過去話で長くなったが、つまり今でもわりとこの胸周りは
そうだ、思い出した、このコンプレックスを前回刺激されたのは
あの人は人の劣等感を的確に刺激する術を知っている。
あのぽっちりを浮かべないようにするにはどうすれば良いか。
下着を厚くする、あたりがいいのかな、とそう思っている。
……注文した。日曜には届くであろう。
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。
・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra
池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本・甲本ヒロト・大江慎也(ルースターズのボーカル)がゲストとして登場。
グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド。
甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。
社長はいつも通りガウンを羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。
バンド内で社長の役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスのエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。
クラブ・ジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanovaと比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。
だからといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブ・ジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。
トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。
・怒髪天
普通のロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。
別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。
ちなみに、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。
みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。
モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。
今でしょ!と思い人生初ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。
今回二番目に楽しみにしてたバンド。
ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコートに涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…
CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい。
折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。
Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果でしかない。
2月に来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。
Twitterで小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。
音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。
しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。
ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギターも一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。
Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。
最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。
後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達の目的はCharaではなくテントの屋根。
静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。
しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。
Charaの声は生で聴くと尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。
もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。
「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらにノイズ成分を増していて、音程とかいう世界をもはや超越していた。。。
これは是非ライブで聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI
先日見た初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造。
このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル。
印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライング・ロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションなアジテーターだったことw
無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。
・Char
迷うことなく1日目のベストアクト。
ライブはなんとノープラン。Charが友人ギタリスト及びフジロックで出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。
ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。
Charはそれぞれのゲストとギターで会話。必要な言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。
ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。
奥田民生のソロの後にCharが「おっ、ギターも広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。
フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charはブルースギタリスト。
ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。
Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。
ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。
そして、Charはゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。
「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスをはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。
最後はWarの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏。
我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱。
裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。
佐藤タイジと奥田民生はハードロック、鈴木賢司はエレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharはブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。
Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。
ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。
どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。
まずは勝井祐二×U-zhaanの即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。
多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。
青葉市子はポンチョにサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。
青葉市子は弾き語りの音源とライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンとタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。
最後はその日が命日であったrei harakamiとU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二、U-zhaan、青葉市子の三人で演奏。
大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。
といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルなユーモアあふれるものだった。
後からYouTubeで原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。
しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらにやばい。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o
勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。
どうもお疲れ様です。
スーツなんて作業着、コードに服装は関係ない、と普段は無知を誇って言ってても、給料を出す側の論理で着とかないといけない状況もあります。小作人は辛い。
で適当に買うわけですが、この時期なら都内デパート各店の紳士服セールがありますね。
この紳士服セールへ行く時に、勝手のわかっていないギークあるいはモヒカンさんでも、1つだけやっとくといいことがあります。
それは、売り場のおばちゃんを無視すること。
彼女らはただのパートで、商品知識も客の体型を見分ける眼も持っていません。
ツーパンツだノータックだイタリー製だ、とどうでもいいことしか言って来ません。
出したハンガーをかけっぱなしにしたりして、客が自分でスーツをみることを想定した動きをしません。
デパートで働いているくせにコンビニ店員より気が利かない、ただの木偶の坊です。
特にO田急と京Oはひどいです。
売り場のおばちゃんに聞かないで値段の割に良いスーツを見分ける方法?
そんなの教えたら私が掘り出し物見つけるのが大変になるじゃないですか。
あ、すみません一点忘れてました。
先週の1月17日、やはり自分の観測範囲にもいくつもの震災の感想みたいな投稿が流れてきて、色々と自分でも思うところがあったので書いてみようと思う。記憶違いもたくさんあるかもしれないが。
1995年当時、自分は神戸市長田区に住む18歳の学生だった。いつのまにか震災前と同じ時間が経っているということに今気づいた。
あの日、1月17日に提出しなければいけない課題があったので、朝3時くらいまでかかって課題を片づけようやく眠りに落ちたころに、まったく経験したことのないほどの揺れで目を覚ました。揺れで目を覚ましたというより、目を覚ますまでそれが揺れであるとは理解さえできていなかった。古く狭い家で所狭しと家具や家財が並べてあったので、自分の上にも多数の本が落ちてきた。本棚でなく本程度でよかったと、後から部屋を眺めて思った。とにかく、階下で寝る親が大丈夫なのかと傾いた階段を駆け下りた。造りの古い家なので隣家と土壁が共有されているはずなのに、割れた壁のところどころから外からの光が入ってきているようだということに階段を下りながら気づいた。隣家との間に隙間ができたのだろうかとぼんやりと思いながらも階下へと急いだ。部屋は恐ろしく家具が散乱しいくつもの食器が割れているものの、幸い親も兄弟もとくに怪我もなく無事だった。とにかく外に出ようと身近にあった上着を羽織り家族で家の外にでた。壁を共有するはずの隣家は、我が家と隙間があいたのではなく、完全に倒壊して路上で瓦礫の山と化していた。すぐ近くにも、1階が倒壊し瓦礫の上に乗る2階、のような家屋がいくつかあった。自分の家が半壊で済んだのは本当にたまたまだったんだと思う。普段、挨拶することもめったにない近所の人たちと会話を交わす。幸い崩れた隣家の人は無事だったようで、すでにどこかへ行ったとのこと。まだ外は薄暗く「今何時ですか?」と今思うと少し間抜けな質問をした覚えがある。まったく現実味がなかった。
母に促され近所に住む祖父母の様子を見に行く。祖父母の家は我が家以上に古い建物で密集して立っている。徒歩で15分ほどだが必死で走った。家はかなり崩れかけていたが、幸いにも倒壊せずに原型を保ち、二人とも怪我もないようだった。あとでもう一度来るから注意して暖かくして、と言い自分の家へと無事を伝えに戻った。今ほど携帯電話は普及していなかった。
家に戻るころには空が白み始めていたが、すでにそのときにはあちこちに黒い煙が空高く登っていた。家にもどり再び家の前で近所の人たちと状況を交換しあっているときだったと思う、どこかから「裏で人が埋まっている」という声が聞こえた気がした。気がしたのではなく聞こえたはずだった。でも、自分にはまったく現実味がなくどうすればよいのかわからず動けなかった。このときの自分の行動、何もしなかったという行為を今でも激しく悔いている。
そこからしばらくはよく覚えていないが、午前中には祖父母も連れ、家族で近所の小学校へ避難しようということになったようだ。たまたまその小学校は何年か前に立て替えたばかりの新しい校舎で、大勢の人に安心感を与えていた。学校へ着いた時点ではまだ給水タンクに水が残っていたようで、とりあえず持っていた水筒に少しだけ水を入れた。すでに大勢の人がいたが、とりあえず手頃な教室へと入り、家族、祖父母あわせて6人で2畳ほどのスペースを拝借した。あとから知ったことだが、早い段階で小学校へと避難し、教室へ入れた人は恵まれていたようだ。午後には教室や体育館といった室内はすでに足の踏み場もないほどの混雑になり、大勢の人が階段や廊下で寒さに凍えることになった。
誰かがポツリとどうしたらいいのか誰か指示してよと言うのが聞こえた。まったくそのとおりだと思ったけれど、絶対にかなわないことだし、自分をしっかり持たなくてはと思った。
自宅も祖父母宅も、周りは火の海になっていて、家まで火が来るのは時間の問題だと思ったので、とにかく貴重品と身の回り品を避難先の小学校へと急いで持ち出した。途中、小中学校のころの同級生とすれ違う。お互いよかったと声をかけつつも精神的にも時間にも余裕がなくそのまま別れる。
いつの間にか夕方になっていたけれど、相変わらず現実味はわかなかった。いつのまにか、誰かからおにぎりを頂いていたので食べた。小学校の教室で2畳ほどのスペースで6人で寝る。隙間で横になるものの、興奮して眠れないので諦める。校舎の外ではすでに自然発生的にできあがった自警団のような人たちがたき火を囲んで輪になっていた。
翌日、翌々日と何をしていたのかあまり覚えていないが、とにかく顔を洗って歯を磨きたいと思ったことだけは覚えている。3日も経てばそんなことはどうでもよくなった。幸い、食事に関しては小学校へ十分な量の支援物資が届けられ、あまり困ることはなかった。毎日歩いていた街が完全に焦土になっていることに強いショックと悲しみを受けながら、なんとはなく道を歩いて過ごす。今でも火事のあとの匂いや解体現場の匂いがすると心が締め付けられる気がするのはこのときの記憶とつながっているからだろうと思う。
このころ、テレビの広告が公共広告機構のものではなく通常のCMに戻った。避難先の小学校の教室では常時テレビがつけられていたので、CMが切り替わったことに大勢の人が不快感をあらわにしていた。
5日目くらい経ったところで、母親の友人が家へと招いてくれた。最寄駅はすでに焼失していたので、20分ほどかけて隣の駅まで廃墟の街並みを歩く。電車に乗り3駅ほど移動すると、まったく地震なんてなかったかのように日常の街並みが広がっていた。母親の友人宅で風呂に入り、暖かい食事を頂く。普通の家庭というものをひさしぶりに思い出す。電車に乗って帰り、また30分廃墟を歩いて小学校へ帰る。滋賀の親戚が祖父母を預かるとのことで、祖父母を送り出す。
1週間を過ぎたころ、担任から来られる学生だけでも登校するようにとの連絡が入る。片道30分歩いて電車に乗り、久しぶりに学校へ。やはりここも地震なんてなかったかのような日常そのままが残っている。何人もの同級生と抱き合って無事を喜びあう。
電車に乗って数駅移動するだけでまったく地震の影響を受けていない街が広がり、みんないつも通りの生活をしているということに理不尽な怒りと焦りを感じる。
あちこち綻んだ家を親の友人の大工に応急処置してもらう。とにかく散乱した家具や食器を片づける。家の前で切れてぶらさがる電線を関西電力の作業員に直してもらう。そんなことをしながら2週間ほど経つ。ガス、水道はないので自衛隊の給水車へ毎日ポリタンクの水を入れてもらい、カセットコンロで最小限の湯を沸かす。不思議なもので、ポリタンクやカセットコンロがこのころには十分な数が普及していた。おそらく支援物資として大量に届けられたりしたんだろう。ありがたいことだと思った。
1か月ほどして小学校から自宅へと戻る。ガスは相変わらず出ない。そのころから毎日ではないものの通学も再び始める。
テレビでは震災特番だけでなく通常の番組が流れている。いつのまにかオウム真理教のニュースが増えている。世間全体が地震のことなんて忘れているんだろうとやはり理不尽な怒りと焦りを感じる。そう思いつつも、自分には帰る家が残っていたが小学校には帰る場所のない人たちがまだまだいるんだということに思い至り、自分の理不尽さを恥じる。
あれから18年。いつのまにか地震前と同じだけの時間が経っていた。忘れてはいけないと思う。今でも東北では大勢の人が震災の真っただ中にいることを。忘れられることが一番つらいことだと思う。
最後まで駄文を読んでいただきありがとうございました。阪神大震災、東日本大震災で被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます。
そういうことを語るならば、その前に幸せという言葉の定義を論じるべきかもしれない。
それをわかった上で、個人の価値観に基づいているということを踏まえた上でいうならば、斉木楠雄は非常に超能力者らしい不幸を、そして歪みを抱えているといえるだろう。
それは普通人が支配しているこの世に生まれ落ちてしまったところから始まっている。
このような超能力者は度々書に現れているが、おおよそどのような能力をもつにしろもたぬにしろ、普通人よりも一つ飛び抜けているはずの彼らは常に陰の存在として描かれている。基準が普通人として書かれるのであるから当然ではある。また、頭抜けたる者は何かを失うものなのだろうか。もしかすると平世、人というものは器の大きさが決まっており、入れられる才の数は限られているということかもしれない。
相容れぬ者どうしが隣辺に存在するとき、間隙には必ず軋轢が生じる。その摩擦を持ってストーリーたると人はいうが、それが痛快無比、快刀乱麻の人情喜劇ならいざ知らず、歪曲無惨の悲劇をわざわざ生み出す者の心など知りたくもない。
しかし古今東西奔走せずも、違うということただそれだけで忌むべき要素である類例は枚挙に暇がない。現実にしろ虚構にしろ、古典にしろ現代文にしろ、歌劇にしろ漫画にしろ、真剣味と剣呑さを演出するにはそれがもっとも効果的で、むしろ出過ぎるのだろう。
ただしそれが人間というものの本質基盤であるということなぞ認めたくはない。
人間が何者であるか、定義するのは己自身である。だまされてはいけない。
深淵夢幻をのぞき込むならば、その前に襟を正して山高帽をかぶり、インバネスを羽織って紳士然とするのが最前の友好策であろう。他者の瞳には常に己が映っている。
一切合切をまとめるわけではないが、彼ら非普通人が描かれるとき、一般書では特に不幸な立場に置かれることが多く、比較的空想人に易しいライトノベルや漫画類ですらも、こと彼らが主体になって真剣味を帯びた物語が進むとき、大抵その結末は自身の悲劇を伴って幕を閉じる。有り体に言ってしまえば、不幸である。大方の者は自身の不幸を声高に叫びはしないが、右手でつかみ取るものは冷徹なまでの現実でしかない。
寡聞にして多くは知らぬまでも、超能力者には何人か心当たりがある。もっとも超能力という力の定義をどの程度の物まで含めるかで大いに人数が違ってくるのだが、たとえば超能力者の中でもっとも長生な者の一人は超人ロックという名で知られている。名字はない。ただのロックだ。都合上波瀾万丈な面ばかりが取り沙汰されるのは仕方ないが、彼の世界でもやはり超能力者は特別な存在であった。少なくとも数千年の昔は。多くの超能力者が彼我の区別の狭間で悶え苦しむのをみてきた。現在でもそれに変わりはなく、ただ時の流れとでもいうべきものが普通人の意識を変容させ、超能力者の存在にゆっくりと順応しようとしている。
他人の思考を一方的に受けることしかできぬという、現在においては甚だ不完全なテレパシー能力しか持たぬ七瀬という少女がいた。少女期には他の能力者を知らず、ただ自身の存在を押し隠して息を潜めるように生き流れていた。気づけば世界は彼女に敵対し、理解できぬうちに絶望の刃がその身を襲った。彼らは自意識を普通人と区別し一段上に置いていたが、その使命感を達せぬうちに終世を迎える。
青木淳子というパイロキネシストがいた。正義と自我を混同し、能力と共に肥大させ、運命の糸を自らに縛り付けて燃え尽きる。
機械に見いだされ、人生を狂わされた少年がいた。名を浩一という日本人は、数多の超能力を獲得し、代わりに数多の敵を見いだし、当て擦られ、削り切れた末に孤独で寂しい余生を予言される。
幸福な人生とは何か。ドラッグで手に入れた身を滅ぼしかねない力でメトロポリスを壊滅せしめるほどの欠落を抱え、脳に埋め込まれた機械により生まれ落ちた直後からその身を9人の1人として世界の危機への奮闘に晒し、それでも彼らは幸福を求めていたのだろう。たとえ能力の有無で有象無象を仕分けることになったとしても、そうならざるを得ない世界の事情とでもいうべきものが彼らに働きかけているのだとするならば、これを作り出している元凶がいったいどこに起源を持つのかを問いかけることをやめてはいけない。
神はいない。ただ想う人がいるだけだ。
翻って斉木楠雄を見てみれば、独白は独断と過剰な自意識で満ちあふれ、他者を容認せざる態度は著しく哀愁を誘う。一人相撲の悲嘆さを嘲笑う者もいるだろう。
超能力者と名乗り数多くの力を有しはするものの、そのどれもが欠陥製品であり実用の域に達しない。にも関わらず全能感に溢れ、あまつさえ努力を知らず何事にも積極的に関わろうとしない。殊に超能力者らしいと言ってしまえばみもふたもないが、類例にぴたりと符合するわかりやすさが彼にはある。いっそ清々しいまでに超能力者である。
ところが彼の場合、人生の不幸な結末というものはおよそ想像がつかない。彼にはどこか超能力者としての運命に徹し切れぬ、殉じてしまえぬところがある。
普通人として救いの証を挙げるならば、彼のモノローグは一部下手くそな言い訳のように捉えることができるということ。これが大きく雰囲気を変えている。あまつさえ、彼の命運すらも変える力があるだろう。これは高校生という幼さ故か、無意識の人恋しさの表出か、いずれにしろ本人に指摘すると真っ向から否定されるものではあろう。ただ、彼は普通人を下に見て孤独に立っている現状を内心深くでは決して快く思ってはおらず、それ故に欄外へ投げかける語りが随分と螺旋くれて受け取れる、そういう表現として態度に、言葉になってしまうのだろう。
人間失格で超人としても失格の欠陥製品、はて彼は何者ぞと鑑みるに、もとより超越者として外れ者としては在るものの、故に他者なる世界への恋慕があるために、そこに不思議と人間くささが現れてくる。論理矛盾するようではある。だがしかし、この破綻こそがなにがしかの真理の一端を捉えているものと信じたい。
かわいそうな斉木楠雄はどのような終幕を迎えるのか。肌触れ合える少年誌的大団円を迎えるには過ぎたる能力存在ではあるものの、散々たる憂愁のうちに有終することは無いものと願いたい。
165cmに満たないような小さくてハゲたオッサンが、光沢のあるボディコンにカーディガンを羽織った
ハイヒールを考慮しても175cm以上ありそうなスタイル抜群の金髪ロングヘアの白人女性と手を繋いで歩いていた。
オッサンの薄くて細い髪は、脂のためか毛束になり、ゆるくカールして頭皮に貼り付いていた。
オッサンはピラピラした安っぽいグレーのジャンパーを着ており、首を引っ込めるような猫背で歩いていた。
身長の差、脚の長さの差…。年齢の差、顔の差、清潔感の差、自信の差…。
言いようの無い悲しい気持ちになった。見てはいけないものを見てしまったような気分だった。
家に帰ってすぐ阿部寛を画像検索した。さらに福山雅治と長瀬智也と岡田将生の画像を見た。
悲しさは、抜けない。
先日、オタな友人が人生初の合コンに行くことになり、僕はその友人から「見た目を改造(俗に言う脱オタ)したい」との相談を受けました。
(というのも、かくいう僕自身が(自称)脱オタ歴9年であり、見た目改造に関して、色々と試行錯誤してきたからです。)
今回、友人の見た目改造計画が、思いのほか成功を収めたので、その記念に方法をまとめてみることにしました(僕なんかがファッションや脱オタを語るのは10年早いですがご容赦ください)。
行動に移しやすいように、方法はできるだけ具体的になるように心がけたつもりです。脱オタを目指す方に少しでも参考になれば、(あるいは、目指し始めるきっかけになれば、)幸いです。
さて、見た目改造(脱オタ)では、服装改造と髪型改造が2大要素となりますが、ここでは服装改造方法に絞ってまとめようと思います。
これから具体的な戦略説明に移ります。が、その前に、1点だけ事前説明させてください。
紹介する服装は、2chの某板住人や、あなたの周りの本物のおしゃれさんには、笑われるかもしれません (セレオリ(笑)、大学デビュー(笑)とか)。
でもOKです。目指す方向は、あくまで無難。僕達は、服にはこだわりが無い人なのですから。
むしろ、今回ターゲットとする女性がどう思うかが大事です。その点、今回ターゲットとする女性は、そこまで気にしないと断言できます。下手すれば、オシャレさんと勘違いされる可能性だってあります。
セレクトショップと呼ばれるお店で買いましょう。ユニクロとブランド品の中間くらいの服を扱っているお店と思ってください。セレクトショップとしては、ユナイテッドアローズ(United Arrows)、シップス(SHIPS)あたりが有名です。
セレクトショップは、駅ビル型ショッピングセンター、例えば、ルミネの中に入っています(新宿駅だと、東南口のルミネやFLAGSあたり)。
セレクトショップに入ると、店員が話しかけてきます。臆せず「XXを探してるんですが、良いのありますか」と聞いてみましょう。(持論ですが、脱オタにおいて、店員のセンスを借りることは重要だと思います。)
「無難で合わせやすいもの」をおすすめしてもらえば、ハズレは無いでしょう。もし、すすめられたものが、よくわからなかったら、「検討します」とか「あとでまた来ます」と言って逃げましょう。
相手から見えない部分は、お金をかけても無駄なので、極力ケチりましょう。ユニクロや無印良品で購入すれば十分でしょう。ユニクロなら肌触りも良いので一石二鳥です。
まず、肌着の選び方です。 肌着はシャツの下に着るインナーとして使います。肌着は、ユニクロのVネックシャツ(無地)を買いましょう。色は、ピンク、黒、グレーあたりが良いでしょう。
肌着は、極力外から見えないようにしてください(そのためのVネックでもあります)。もし見えてしまう場合、肌着の色が、シャツや上着の色と同じにならないようにしてください。
次に、靴下です。靴下は黒系のくるぶしソックスを買いましょう。
最後に、下着(パンツ)と、ベルトは、正直、何でも良いです(つまり、新たに買う必要は無いです)。相手に見えないように気をつけさえすれば。
アクセサリー類(ネックレスや指輪、ブレスレット)などは、仮に持っていたとしても、身につけないほうが良いです。センスの良い代物なら良いんですが、少しでもダサい要素があると、それだけで相手の減点対象になります。逆効果になるくらいなら、つけないほうが無難です。時計やバッグ、財布、眼鏡も同様です。ブランド品だったり、強いこだわりがあったりしない限り、家に置いてくるのが良いでしょう。
とはいえ、バッグ、財布、眼鏡については、身につけていないと無いと困るという方も少なく無いと思います。その場合には、以下の対応を取るのが良いでしょう。
今回紹介した方法では、服装だけで合計予算\60000とコストはかかります。それでも、かけたコストに見合った価値は得られると思います。
実際、冒頭の友人は、この方法で、無事見た目改造をし、合コンに参加した女子から、「爽やか系男子」の称号を得ることができました(後日こっそり聞いた話によると)。
また、友人は見た目改造で自信を持ったらしく、普段は奥手な友人が、合コンでは驚くほど饒舌となり、 本人的にも楽しいひとときを過ごせたようです(外面の変化が内面にも、好影響をもたらしたようです)。
以上です。みなさまが実りある秋を過ごすきっかけになればうれしいです。拙文を最後までいただき、ありがとうございました。
自分の文章を晒す訓練として、駄文を垂れ流しただけだったので、正直ここまで反応いただけると思っていませんでした。(少々戸惑っています。)
自分の考えに対して、率直なご意見をいただく機会はあまりないため、非常に勉強になりました。(厳しいご意見は、正直胃にくるのですが、どれもおっしゃるとおりだと思いました。)
反応・コメントくださった方に感謝いたします。
いただいたいくつかのコメントに対して、追記させて頂きます。(また長くなってしまうのですが)
もっともなご意見だと思います。ただし、今回の方法は、ある程度お金をかけることも重要なポイントです。
こちらもごもっともです。僕自身、最近はチノパンを履くことが多く、ジーンズはめったに履きません。
でも、個人的に最初のうちはどうもチノパンを使うのに抵抗があった(難しかった)ため、今回はジーンズを挙げています。以下、理由です。
髪型や眉毛も重要な要素ですが、服装よりも失敗のリスクが高い気がします。そのため、今回は服装について買いました。
ただ、個人的には、ワックスの使い方やら紙質で相当悩んだので、機会があれば、そのあたりを含めてまた書いてみたいと思います。(戦略自体は服とだいたい同じですが。)
どなたかがコメントしていたのですが、服装を検討する上では、僕の文章よりも、それに対する他の方のコメントをご覧になったほうが、参考になると思います。(色々、勉強になりました。)
分かったこと
まどかが撃った不思議矢で最初に撃たれた緑の子がワルプルギスの夜の魔女化前の魔法少女
ただし、その魔女の性質が「他の魔女や魔法少女を取り込んで巨大化する」といった性質を持つなら、複数魔女とも考えられる
ほむらやまどかの魔女化後の姿だとしたら、同等同量の因果を持つはずだからループでの強さ増減はないと思われる
まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ
この願いに至ったのは、もちろんQBが「魔法少女が歴史に居なければ文明はなかった」と言ったのも一因としてある
ただ、それだけだったら「文明を残しつつ、魔法少女システムを消して、全宇宙全時間の魔女と魔法少女を全て消したい」と願うはず
なんでも叶う程の魔力量、因果律をねじ曲げるほどの力なら都合の良い改変だって可能だったはずだ
それをせずに、あえて魔女化する前に消す願いをしたのは、魔法少女の祈りを無駄にしたくなかったからだろう
「今日まで魔女と戦ってきたみんなを、希望を信じた魔法少女を私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい。それを邪魔するルールなんて壊してみせる、変えて見せる(原文そのまま)」
さやかも杏子もほむらも(巴マミは自身のために願ってるので少し違うが)
「誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪わずにはいられない」運命を背負ってしまった
まどかは願いを叶える事とその代償である魔法少女化(魂のSG化と戦う運命)は否定しなかった
願いと祈りを無駄にしたくなかったし、その代償を背負うのはしょうがないと思ったのかも知れない
それは契約直前の「絶対に今日までのほむらちゃんを無駄にしたりしないから」という台詞からも推測できる
その願いによって、まどかは「全宇宙と全時空の魔女を"生まれる前に"消せる」ようになる
それが願いだから、それが叶うまではSGの穢れと関係なしに全ての魔女を"生まれる前に"消せる
具体的な描写からすると、SGの穢れを吸収した上で、魂の入ったSGを消しているようだ
そして、消すと言っても肉体は残るようである
穢れを吸収するのは、そうしないと魔女が生まれてしまう為だろうと推測する
かくして全ての魔女分の穢れを吸収したまどかは魔女化してしまう
だが、まどかの願いが"全ての魔女"なので、自分自身すら消す事が出来た
(生まれる前に消せるのだから、まどかが魔女化したのは演出上の問題だと思われる)
まどかの願いが叶ったあと、まどかは誰にも認識されなくなり、ほむらの記憶の中にしか存在しなくなった
これは推測であるが
(もちろん、ほむらによってある程度の時間軸は集約されているが、時間軸は無限なので物の数ではない)
その為に、まどかは通常の時間軸や因果律が存在しない次元に存在せざるを得なくなったのだろう
なので、まどかは誕生の時点から存在することが出来ず、その為に誰の記憶にも存在しないのだと推測される
では、まどかは具体的にどのような振る舞いをするのだろうか
通常の時間軸や因果律がない世界にいるのだから、当然実世界における実体はない
それでも、魔女化する前に消す願いは有効であるため、意思に関わらずそれは遂げられる
結果として、まどかは物理法則や自然現象と変わらない存在になり、まさに概念の存在となる
再度書くが、まどかの願いは「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来の全ての魔女をこの手で(原文そのまま)」だ
まどかは概念体になり実世界には存在しなくなってしまったので、まどかを認識出来る存在は居ない
(アニメにいおいてまどかの存在を魔女化直前の魔法少女が視認出来ていたのは、まどかが概念体になる前である為だと思われる)
「穢れが一定量溜まると、SGが消える」という現象に認識される
もちろん、SGが消えるだけなので肉体はそのまま残る(魂はSGに入ってるために肉体は残る)
インキュベーターは、穢れを吸わせたGSを摂取したり、魔法少女が魔女になるエネルギーを回収していた
しかし、まどかが概念体となった世界ではGSも魔女も存在しない
魔女化する際にはまどかの願いの効果(以下、まどかシステムとする)によってSGが浄化された上で消滅する
また、GSをを生み出す魔女が存在できないので、GSを回収する事も不可能となる
世界に何の変化もなければ、インキュベーターは魔法少女システムによるエネルギー回収が不可能であるため、人類に接触する意味を失う
(ここからは例の流出した画像を元に推測するので、不正確である可能性が高くなる)
そこで、魔獣という存在が新たに生まれたと思われる
例の画像に記載されている文章の一部をそのまま書くと
「マジュウ
小粒グリーフシードは四角い
魔法とは違う力で動いている
ぐねぐねになった世界のバランスを戻すため、グリーフシードを集めている
とされている
12話において白いローブのような物を羽織った"マジュウ"と呼ばれた存在の説明だと思われる
「例え魔女の生まれなくなった世界でも、それで人の世の呪いが消え失せるわけではない。世界の歪みは形を変えて、今も闇の底から人々を狙っている」とはアニメにおけるほむらの言葉だ
世界の歪みとはつまり、人の世の呪いが生み出すマジュウだと思われる
悲しみや憎しみなどの負の感情、穢れが世界に溜まるとそれが魔獣となるのではないだろうか
SGの穢れが魔女を産んだように、この世界ではそういう法則と成ったのだろう
おそらく、まどかシステム以前も魔女はそういう形でも生まれていたのかも知れない
キュゥべえは「願いから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女は呪いから産まれた存在なんだ」 としている
魔女が魔法少女システム上のみの産物ではなく、自然発生的に生まれるものだとするのなら、ほむらの表現が自然な形となる
つまり、まどかシステム後の世界では魔女に変わり魔獣がその役割を担っていると考えるのが自然だと思われる
3.魔法少女はインキュベーターと契約し、絶望→希望の相転移によるエネルギーで願いを叶えて貰う
6.浄化をして穢れのたまったGSをインキュベーターが回収し、エネルギー回収をする
変わったのは、魔女化の消滅と魔獣の出現だ
分からなかったこと
あの描写はまどかシステムごの世界だろうか、それ以前の世界だろうか
まどかシステム後の世界であるなら、さやかはまどかを認識できないし、友人として知り合ってもないはずだ
にもかかわらず、さやかとまどかは知り合いのように会話をしている
しかし、その後の描写ではさやかが魔獣と相打ちになったとされているし、マミも杏子もまどかの事が誰だか分からないとされている
(ここでさやかの肉体自体がないと描写されてるが、魔獣のいる空間に取り残されたと解釈)
「さやかちゃんを救うには何もかもなかったことにするしかなくて。そしたら、この未来も消えて無くなっちゃうの。でもそれは多分さやかちゃんが望む形じゃないんだろうなって(台詞そのまま)」
また、二人の会話とコンサートがが終わり、魔獣が燃え尽きる描写の後にほむらが目覚めるような演出がされた
以上から、流れを推測する
有史以前からの魔女化を食い止め始める(ここでは自分を消してないので概念体ではない)
魔法少女になってない、何の因果もないまどかが誕生し、成長しさやかと友人となる(魔法少女となったまどかは別に存在する)
さやかが相打ちで魔女化、魔法少女まどかが出現しさやかと会話し、その後消滅(アニメのシーン)
まどかは概念体となり認識されなくなり、初めから居なかったものとして扱われる
ほむら目覚める
矛盾を少なくしようとすれば、この説明が適当だと思われる
ただし、杏子とマミとまどかがケーキ食べるシーンはどう考えてもあり得ない光景なので演出だと思われる
もしくは、死後の世界にまどかが行けるようになったと仮定するのが自然か
まどかがあれほどの力を持てたのは、ほむらが時間軸をまどか中心に束ねたからだ
時間軸と因果律を無視した領域に存在しても、その力の根源であったほむらは時間遡行者であることも相まって特別とされたのかも知れない
もしくは、奇跡が起こったのかも知れない
合理の対極、感情の暴走で、一見最悪の状況でしかない、さやかの魔女化が
そのあたりの、合理を越える不合理の積み重ねによる奇跡はテーマだと思うよ(まどかwikiのレスを引用)」
合理的でない、不確かでぐねぐねした無秩序な世界だからこそ、時としてあり得ないとされることでも起こってしまうのかも知れない
それは、秩序化された世界では存在できない"可能性"というものなんだろう
だからこそ悲しみや憎しみから呪いが生まれ、願いや祈りからマホウが生まれる
インキュベーターの文明において魔法少女システムが使えず、エントロピーを凌駕できなかったのは
理性や合理化の世界であるが故に、あらゆる法則をねじ曲げる"可能性"が存在出来なかったからだろう
よしじゃぁ学生時代にユニクロの店員やってたオレがアドバイスしてやろう。
今年はマリンだ。
どうだ爽やかだろう。
他にも色々これがいいとかあげてもいいけど混乱するし、わかりにくくなるからできるだけ絞って離す。
色だけど、まず紺色と白の組み合わせが基本。
それに黒やカーキ、ベージュ、グレーなんかの定番カラーを組み合わせればいい。
それだけ。
じゃぁ上から順番に。
■Tシャツ
UTはやめとけ。
おまえらどうせワンピースだのナルトだののTシャツにしか触手が伸びねぇんだから。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067374
これの69 Navyか00 Whiteか03 Grayのどれかをチョイス。
丸首かVネックかは任せる。個人的にはVネック推し。首もと涼しげな方がいい。
ポロシャツもいいけど、まだちょっと時期的に早い。
上になんか羽織ってオシャレに見せるのは上級者テクニックが必要。
■アウター
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/426792-69
もしくは
スウェットフルジップパーカ
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067273
もしくは両方。
まぁどっちかでいいよ。
で、色なんだけど、ここが大切。
さっきTシャツで00 White or 03 Grayを選んだならここで69 Navy。
もしさっき69 Navyを選んだならここで03 Gray。
■シャツ
単体で成立させたいならこれ。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067250
これの63 or 65のNavy。
これは若干ちっさめくらいでもいい。とにかく絶対オーバーサイズにならないように注意。
コーディネート見本が裾インしてるからって、無理して真似しなくていいからな。
もちろん出来るならできたらオシャレには見えるだろうけど、それには絶妙のサイズ感と、ベルトとかの小物のバランスとか
もし言われた通り、ジャストかちょっとだけ小さ目のサイズ感に落ち着いたなら、
その時はホントは綿100%のウォッシャブルコットンVネックカーディガンじゃない方がいいけど。
■ボトムス
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/066970
これの34 BROWN一択。
これは定番のチノだから、オールシーズン、どんなコーディネートにも合うから一本は絶対持ってたほうがいい。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/066979
これの32 BEIGEでもいい。
こっちのほうが若干ゆったりしてるから、ピザなおまえらにはいいけど、下手すりゃおっさんのコーディネートに見え易いところは要注意。
身体が細い貧弱オタはこっち。
http://store.uniqlo.com/jp/CPaGoods/067237
これの32 BEIGE
おれは実はこれ持ってるけど、若干股上浅いから、脚ほそいけど腹出てるヤツとか注意な。
■靴
靴はあれだ。コンバースのオールスターローカットとかジャックパーセルとかアディダスのスタンスミスとかスーパースターだわ。
色は白か黒。
■ベルト
色は焦げ茶な。
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/417952-34
こんなんとか。
あと、金あるオタは+Jもいい。
あっちの方がよりサイズ感がオシャレ。
まぁつまり若干細長いってことだけど。
でも相当なピザじゃない限りザラとかに比べたら全然大丈夫だと思う。
色は上にあげた通り。
ユニクルックス。
ユニクロの服を取り入れた世界中のコーディネートがいっぱい見れる。
参考にしろ。
今回あげたのはマリンテイストっていう、ほんのトレンドの一部だから。
賛否両論いいも悪いもあるだろうよ。
ワークテイストもいいし、ナチュラルテイストもいいし、ファッションなんてそこがおもしろいんだけどな。
じゃぁな。
胸元が開いた服を着ている女性がいたら、つい本能的に胸元を見てしまう。
その視線によって女性が不快感を感じたらセクハラになってしまう。
でも根本的には理性で制御できるのもではないから、書類に目を落としたり、
無理に顔を見て喋ったりして、挙動不審な感じになってしまう。
何か、理不尽なものを感じる。悪いのは俺だけなのか?
胸元が開いた服を着て、意図せずに異性の性欲を刺激するのは許されるが、
それによって本能的に視線を胸元に向けて、意図せずに異性に不快感を与えるのは許されないらしい。
これではどう転んでも俺は加害者で、女性は被害者になってしまう。
「あなたが今日着てきた服は胸元が大きく開いており、私は本能的に胸元を見てしまうけれども、
それはいわば条件反射のようなもので、あなたを性欲の対象としてのみ見ているわけではない。
もし私の視線が不快感を与えてしまうのなら大変申し訳ないが、上に何か羽織るかして胸元を隠して欲しい」
と、事前にはっきり言うべきだったのだろうか。
でも、こう言った時点で「胸ばかり見ていた俺」を確定させてしまうことになる。変態の烙印。
こいつを止めてやりたいのだが俺にはその力がない。それが悔しい。ので晒す。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1654396677&owner_id=12839825&comment_count=20
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1463326&media_id=20
まず、この記事に関して、当事者でもないし当事者から話も聞いていないことを前提に話を進めます
話には4つあります
あとは「ゆとり」について
通報した人
この人が誰かに危害を加えようとしましたか?(記事では写真撮影をしていたと)
おおよそ
「若いもんは」という観念と、日頃のストレスの捌け口として通報したのでしょう
確かに模造刀所持は違法なのかもしれません(確か証明書等が必要だったと記憶、不確)
さらに、成人を祝うというその場において
「法」などという低レベルな封建的なツールが優先されるのでしょうか?
されるのであれば通報したあなた(が二十歳以上と推定する)の時もそうでしたか?
紋付き袴を着ますね。例えば
それであればたしなみとして、かっこよくなるため
目立つために
刀を付けたい
これはバイタリティー溢れる人間にとって至って健全な思考ではないでしょうか?
それで多大な迷惑(中の人、市長等を殴ったわけではない)をかけたわけでもない
きっと彼や彼の周りにとって良い思い出になったに違いありません
言いたいのは
自分らの時には馬鹿騒ぎしても周りが何も言わなかった、でも最近の若いもんはダメだ、と
その思考は余りにも子供じみていないかと小一時間とうてみたいわけです
さらに
馬鹿な国民を映して、馬鹿な国民に見せて、馬鹿な国民をさらに馬鹿にさせる気ですか?
そんなストレスの捌け口がない、もとを辿ればストレス社会にしちまったあんたらこそ罪だろう?
どうですか?恥ずかしい大人は嫌なところを突かれてイライラしていることでしょう
次に「ゆとり」について
我々平成生まれをまとめて「ゆとり」と呼ぶのを辞めていただけませんか?愚の骨頂にしか聞こえません
ゆとり教育とは本来
奴隷のように働かされ
何の満足感も幸福感も味わえず
いつも辛くて苦労した酷い顔して
なのにせっかくの土日も家族から見放され、趣味すらなく金の使い方も知らない
ような人ができないように
決して馬鹿を無理矢理作るものではありません
現に、私を含めてもいいでしょう
私の友人、知り合いには
「ゆとり」には成功例があることも、あなたたち大人は理解して下さい
さらに、「ゆとり」と揶揄するのは自分の作った鏡に映ってるものを「不細工だ」と言っているようなものです、反省して下さい。
見るからに変態か基地のどっちかでどうしようか迷ってたらいきなり駆け足で目の前までやってきて、
「チンチンぶらぶらソーセージ!チンチンぶらぶらソーセージ!あひゅンあひゅン!!
みたいなかけ声を叫びながら腰をクイックイッて揺らしながら俺に裸体を見せつけて来たんで俺真っ青でオッサンを突き飛ばして逃げ帰った。
ちなみにこの奇声は半分くらいしか合ってないと思う。
俺も逃げるので精一杯だったんだが、ただ「あひゅん」みたいなニュアンスだった事は覚えてる。
アパート戻ったら慌てて家の鍵閉めて、怖いから布団に潜り込んでテレビ見ながら過ごしたら、
いつの間にか眠ってしまって起きたらもう昼くらいだった。
うわちゃんと目覚ましつけたのに!仕事始まってるだろ!!とか思ってがばっと起きたら何か違和感。
女になってた
信じてもらえないのは承知だけど確かに前の日までは普通に男だったんだよ。
乳が大きくなってて、チンコが無くて代わりにぐじゅぐじゅの穴があって
髪の毛が伸びてて顔も体型も普通に女。
ただ、身体以外の部屋とか服とかは変わって無くて、男だった頃のサイズやデザインのもの。
家族や友人、職場の仲間に訴えても「何言ってんの?」状態で頭狂いそうになった。
でも唯一母親と弟だけは男だった時の事を覚えてたんだが・・・それで会社辞めて実家戻って精神科通い。
大体「その男は貴方に何かしら影響を及ぼしたが、悪いものでも良いものでも無い。」って言われるだけ。
それ以外の事はバラバラだったり変にはぐらかされたりした。
やっと立ち直って来てバイトくらいは出来る様になった。
当初はオッサンを見つけて元に戻るとか、どうにかして男に戻る事ばかり考えてたんだけどな…。
何か今は、「元から女だったんじゃないか」って思う様になってて、男の記憶が薄れつつある。