はてなキーワード: 空手とは
この「想定イコール」概念って人を分類して学問にしようって頃からあるけど、系統があるからってすべて一緒ってことはないだろ。
善人は24時間365日絶えず善人なのかって言われたらそうでもないだろ。割合的に善意のある行動をする可能性が高いだけでその恩恵に与れない人もいるだろ。
ロリコンで他人の娘は犯すのに自分の娘だけは純粋で自由に生きてほしいとか言うやつもいるんじゃないのか?
犯罪者だって、自分の家族も犠牲にしようというやつから自分の家族だけは勘弁してくれという人もいるんじゃないのか?
イカが好きだと言ったらずっとイカばっかりおかずにしてくるみたいに、一旦好きだといったら全部埋め尽くしてやろう、これ好きなんだろって押し付けはちょっとうざい。
それが好きだと聞いたから、それをお預けにする理由を毎回毎度考えてくるのはその逆にみえる。
自分で行動せざるをえないようにお預けを続けて、行動させるように仕向けているのは、実際にはそういう犯罪なりが発生してほしいという望みなのか。
正義のためには悪が活躍しなければならないという思考によるものだとしたら問題だ。
自分の旦那に関して考えてみて、自分の通った学校と同じ女子生徒には全員恋愛になる可能性があったのか、同じ部活同じ趣味同じ髪型の人間に告白する可能性があったのか。
同じ時間、同じ物を、と考えるとすべて手作りでオリジナル創作の服、髪、行動、そしてそのタイミングでしか発生しえない事柄について欲求を出してもらえないと意味なくないか。
付き合い始めた時点のその時のそれにだけ欲求が高まったのなら、続いている夫婦生活はもう賞味期限切れなのか毎日恋を芽生えさせるための何かを継続して発生させているのかどちらかでないとすでに破綻しているはずだろ。
思い出と思い込みが現実の何割を示しているのかわからんが、人をなにかで分類するような考えで縛る視野の狭さでみれば意味のわからん不安な世界もあるだろうが、それだけ狭い視野は両手で塞ぎきれるだろうからみないようにしておけばいいんじゃないのか。
血液型A型だから科学者になってノーベル賞が取れる几帳面さがあるってのか?身長160センチだから空手では絶対に勝つことができないのか?
親が歌舞伎役者だから子供もそうなれるのか、またそうでなければ歌舞伎はできないしするものではないのか?
そんなに血統が大事なら人間にも血統書つけろよって思う。どうせ3代前も書けないんだろ。どこでどう生まれたか自分でもわかってないやつが他人の行動をよく予測できるもんだよな。
ディズニーのフィニアスとファーブというアニメで、世界一周の途中で日本に立ち寄るシーンが出たんだが、何だか物凄い誤解を感じた。
日系人キャラの祖母に会いに東京に行ったら、中国風のBGMがかかり、ビル街の中に中国風の古風な建物が建っていて、その前にはこれまた中国風の笠をかぶり何か違う着物を着た肌の浅黒い老人が座っている、主人公達が訪ねると空手選手っぽい男性がドラを打ちならし、家からセーラー服を着た肌の浅黒い少女が多数飛び出してくる、少女達は黒目が顔の半分以上を占めるくらい異常に大きい萌え系の顔でみんな同じ顔だ。
ゲームっぽいピコピコ音楽にあわせて電子音っぽい歌声で歌い、ウマウマダンスを皆で踊る。
もちろん、私(14)や弟(10)、妹(4)、そして父(36)が悪い所もあると思います。
ですが、それでも怒りす
ぎなんです。
例を挙げると
・部屋が片付いていない
・成績が悪い
・起きるのが遅い
これ以外にもたくさんあります。
このようなものを挙げると私が全面的に悪いようですが、違うんです。
部屋は、普通の中学生ぐらいには片付いてますし、勉強ができないといっても偏差値は53ぐらいで、高校はある程度なら選べます。
その他にも自分に非があることもありますがお母さんはすぐ怒ってきます。
それも前のことをぶり返して何回もです。
また、弟や妹にもすぐ怒ります。
弟や妹にはすぐ手を上げます。(私は空手を習い始めてから手を上げられることはなくなりました)
それが家にいる間ずっとなのでもう辛いです。
弟、妹はまだ小さいですし、父は頼れるほど強くなくしかもゲームをずっとやっているような人です。
家の中に助けてを求められる人がいなく、休む場所がありません。
休みの日も誰かを怒っている声で目が覚める。
いつもいつ怒られるビクビクしてる。
そんな生活はもう嫌です。
助けてください。
学校が終わって塾に行って、その後家に帰るのが本当に嫌で仕方がありません。
誰か助けてください。
本当にお願いします。
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2015-10-09 追記。
Yahoo!知恵袋(2015/9/2722:35:30)での質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12150826897
組み体操の是非が騒がれているので、自分の体験から述べてみる。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150528-00046097/
小学校6年生の運動会、演技種目は空手の演武だった。女子は当時流行っていたSPEEDのダンス。
組み体操の伝統もなかったので平和だったが、去年までは全員でのヨサコイなどの踊りだったので、とても珍しいなと思っていた。
その時、男子空手のお手本役になっていたのが、問題児のKくんだった。
どちらかと言うとガキ大将的なやんちゃな子で、すぐに暴力を振るう感じだった。
自分も5年生頃に1度ザリガニ釣りに一緒行ったことを覚えているが、
その後、何度かケンカして遊ばなくなったように覚えている。
ただ、そんな乱暴なことが禍してなのか、あまり友達が多くなかったようだ。
一度、机にくさったパンが詰まっていたのを見つけたことがあるが
自分で突っ込んだものなのか、だれかに入れられたものかは定かではない。
練習期間は演舞を教えることでリーダーシップも発揮していたし、
なにより、空手ができる彼はカッコ良く見えた。
私が知っているのはこれだけで、それまで彼がいじめられていたのか、
クラスで孤立していたのか、はたまた、その後の人生がどうなったのか、全く知らない。
卒業アルバムに、かっこ良く写って卒業していることは間違いない。
今になって思い出すと、このエントリのようhttp://anond.hatelabo.jp/20150920224758]に、
きっとうまく行ったのだろうと思う。
これをやればうまくいく。ではなくて、誰かを受けれてもらうために
安保法案をめぐるここ一連の流れは、今まで日本という国と国民が先送りしてきた諸々の問題が噴出してきた感がある。それは安全保障だけでなく、日本の行政機構の構造の問題や、ともすると太平洋戦争に至る過程・戦中の流れ・戦後の総括についての話題も含まれるようだ。
先に、これを書いている私個人の意見を述べておくと、憲法違反の疑念の問題を除けば、安保法案に消極的賛成だ。「後ろ向き」賛成ともいう。
たぶん、この3点は、程度の差があれども(で、程度の差によって意見が分かれるところだろうけど)、普通の日本国民の誰もが感じていることではないだろうか。
安保法案に憲法違反の疑念がある問題は、安保法案が主題としている安全保障とは別のところで、大問題だといえる。
乱暴に言えば、「オレオレ憲法解釈」で物事を進めてしまうことは、「オレオレ『コーランの解釈』」で物事を進めているISISと似たようなものだ(「オレオレじゃない『コーランの解釈』」=イスラム法)。ISISを非難できなくなってしまう。
本来は、安保法案を進めたいのなら、憲法を改正すべきなのだ。だが憲法改正に関しては、また別の、根の深い問題がある(後述)。
憲法違反の件を無視するなら、安保法案で示している内容には、傾聴に値するものがある。
それは「俺は殴るつもりはなかったし、むしろなだめようとしたんだけど、興奮した相手が殴りかかってきて……」というケースにどう対応するか、という問題だ。
基本的に、戦争なんて損ばかりだ。人道的にも、財政的にも、経済的にも問題がありすぎる。戦争せずに済むなら、その方がよいのは当然だ。
太平洋戦争を経て日本が学んだことは、第一に「自分から殴りかからない」ということであり、第二に「とりあえず、まずは話し合いをこころみる」ということだ。この2つをまとめると「揉め事には『大人の対応』で臨め! ガキじゃあるまいし、すぐに殴ろうとしなさんな」となる。
(まあアメリカも、「ABCD包囲網での締め上げ」とか「蒋介石にカイロ宣言で『無条件降伏』を要求させちゃった」とか、火に油を注いだところが結構あるのだが)
とはいえ、揉め事は自分だけでなく相手もいるから生じるもので、相手が最初から殴る気で仕掛けてきたら……と考えると、少なくとも護身はできないとマズイ。
この辺のバランスが、(当時の国際政治の状況やら何やら事情があったとはいえども)自衛隊の誕生の一端にある、といえる。
問題は、東アジアの各国が経済成長にともない軍事力も増していることと、経済成長により他国との摩擦が表出してきたことと、世界的な不況の影響で各国国民の不満がたまっていることと、その不満が経済成長による他国との摩擦で高まってきたナショナリズムの気運に流れ込んでいることと、そんなナショナリズムの高まりを各国政府が制御しきれるか否か、である。今の東アジアは、第一次世界大戦前夜のヨーロッパ並みにキナ臭い。
個人的には、政府の戦略として反日を主導している今の中国や韓国よりも、何らかの要因で政府の力が弱まって下からの突き上げを抑えきれなくなった場合の中国や韓国の方が怖い。戦前の日本にもそんな感じ(=下からの突き上げ)があっただけに。
しかも他国の軍事力が増加しているため、自衛隊との相対的な差が縮まることで、相手から「くみしやすい(殴っても問題ない)」と思われてしまう可能性もある。
日本の場合、四方が海で、防衛すべき範囲が広い。海上自衛隊か海上保安庁はともかく、今よりも備えを厚くする必要はあるだろう。現実問題として、離島地域では中国漁船の違法操業の問題があるし、竹島や尖閣諸島のような離島地域での領土問題も抱えている。
備えを厚くする場合、方向性として「自前で全てそろえる」と「仲間を呼ぶ」の2つが考えられる。安保法案は後者の「仲間を呼ぶ」の流れを汲んでいる。
実際のところ、日本の経済状況的に「海上保安庁や自衛隊を拡充して、日本全土を自前の軍隊で守る」というのは厳しい。先に書いたように、四方が海であるために、防衛すべき範囲が広い(というか広すぎる)。また、例えば対中国で考えると、装備や錬度でカバーするのが難しいぐらいに「数」の差がある。
ここで従来のようにアメリカと組むとして、アメリカ軍が度々行われてきた軍縮で縮小していることに留意する必要がある。この影響は、少なからずアメリカ軍の軍事力を頼りに軍縮していた同盟国に影響を与えている。日本も例外ではない。
あと安保法案の話で「自衛隊がアメリカの都合で起きた戦争に駆り出されたら――」的な批判がなされるが、同様の批判はアメリカ国内にもあるだろう。すなわち「他国の都合の戦争に、自国(アメリカ)の若者を送り出すって、どうなのよ?」ということだ。アメリカ軍を引っ張り出したいなら、アメリカ国内が納得する「(アメリカにとっての)大義やメリット」が必要だ。選挙のこともあるだろうし。
安保法案は、いわば「規模を縮小したので一度にカバーできる範囲が狭くなったアメリカ軍の協力をとりつけやすくする(アメリカから見た優先度を上げさせる)」ためのものだ。こうしておくことで、「ワイの後ろには○○の代紋があるんやで」効果で相手を怯ませることも狙えるだろう。
繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
(再三ならが、憲法違反の件を無視するとして)安全保障の点で、安保法案が示す内容は、良し悪しは別として、ある意味で現実路線と言える。
いえるのだが、しかし、実際に日本国民として安保法案に直面して感じるのは、「これ、悪用されずに適切に運用されるのだろうか?」という心配である。
私はとりたてて再軍備主義者ではないが、日本が再軍備化すると仮定した場合、重要になる点を1つだけ知っている。
一言で表すなら、それは「空手の有段者になれ!」ということだ。空手の有段者は強いが、強いからといってむやみに周囲に殴るかかることはない。むしろ、普通の人よりも強い自制が求められる。
仮に日本が再軍備化するとして、再軍備化したからといってすぐにやたらと殴りまわったら、それはガキの態度だ。大人ではない。軍隊を持つ平和路線の他の国家と同様に「(鍛えてますけど、むやみに殴りかかりませんよ。だって)大人ですから……」という方向が望ましい。
民主主義国家において、このような態度をとるには、第一に軍隊自体の暴走を防ぐためのシビリアン・コントロールが必要であり、第二に軍隊を統帥する政府の暴走を防ぐための「国民による政府の監視と、選挙による適切なコントロール」が必要であり、第三に「国民自身の自制」が必要となる。
日本の再軍備化を進めるなら、国民はまず自省して、過激な排外主義を排除しなくてはならない。排外主義は他国や他民族とのいらぬ摩擦を生み出し、火種となってしまう。これは大人の態度ではない。排外主義は排除されるべきだろう。軽挙妄動は許されない。高い倫理観を持つべきだ。
また国民は、日常的に政府の動きを監視し、選挙直前の動きや宣伝に紛らわされることなく、観察した記録にもとづいて投票を行い、政府の暴走の要因となりうる人物を当選させないように努めなくてはならない。
残念ながら、今の日本では、まず選挙による政府のコントロールが効いていない。例えば安倍政権の安保法案の一件は、2014年の選挙の時点で囁かれていた話だ。だが、結果はどうだろうか? 選挙の時、我々は直近の出来事にとらわれて投票していなかっただろうか?
次に、日本では政府の暴走の歯止めとなる公的機関が存在しない。例えば憲法裁判所がないため、憲法違反の疑念がある法律であっても、一度可決・公布されてしまえば、何か具体的な事件が起きて誰かが提訴しない限り、違憲性の審査は行われない。
最後に、行政・立法・司法の三権のどの分野でも構造的問題が指摘されているにもかかわらず、何の変化もないため、三権に対する不信がある。
例えば、仮に日本に憲法裁判所があったとして、安保法案に違憲の判断を下すことができるだろうか? 日本の裁判官の大半は実質的に最高裁判所の裁判官に任用されている。最高裁判所の裁判官は内閣によって任命されている。そして最高裁長官の任命過程においては、内閣の意向が少なからず反映されている。このような流れの中に憲法裁判所があるのならば、暗黙のうちに内閣の意向に影響された判決がでても不思議ではない(ことに、内閣の意向を受けた最高裁判所の裁判官の胸三寸で出世も更迭も決まってしまう一般の裁判官の身ともなれば……そして、内閣の意向によって出世の頂点(最高裁の裁判官)に立てるか否かが決まる最高裁判官の候補や、下手すると引き摺り下ろされかねない最高裁判官ともなれば……)。
行政・立法に関しては、外部から見て、どうにも組織に自浄作用があるように思えない。例えば何か問題が起きた場合、大抵はトップの更迭で済んでしまう。何が問題であったか分析し、具体的で効果のある改善案を提示し、改善を行い、その結果を問題分析や改善案を含めて広く公開する……というPDCAサイクル的なものが、組織外部の国民の目にはみえない。
そもそも我々日本人は、失敗を恐れすぎる。もとより人間は失敗する動物だ。何も考えずに突っ走って失敗するべくして失敗するのは、さすがにどうかと思うが……しかしある程度成功確率を高めたなら、その時点でチャレンジしてみて、失敗したならしたで反省会を行い、次に生かすべきなのだ。
だが実際には、なぜか最初から失敗を許さない雰囲気が強いし、失敗するとすぐに責任問題を言い出す(本来は、反省会で色々と分析した上での「責任問題」のはずだが……)。人格攻撃になることもしばしばある。そして早すぎる責任問題に決着がつくことで、本来開かれるべき反省会はなされず、有耶無耶に終わってしまう。
悪いことに、日本社会は失敗に厳しすぎる。一度更迭されたら、ずっとそのままだ。このような環境では、皆失敗を恐れるし、失敗したら隠そうとする。なぜなら、失敗したら、そして失敗したことが発覚すれば、この先一生どん底だからだ。
行政や立法の構造の問題は、この日本社会の「失敗への厳しさ」が悪い方向に作用しているために生じている気がしてならない。誰だって自分の身はかわいいものだ。少なくとも私はそうだ。あんただって、そうだろ?
ともかく、日本国民には少なからず三権への不信があるうえに、政府をうまくコントロールすることもできていない。この状態では、どのような法律であっても、適切に運用されるか否かの疑念が生じる。
特に、安保法案をめぐる安倍政権や自民党の動きはマズかった。政権による強引な進め方や、一部議員による乱暴な発言は、国民にとって「国民が政府・議会をコントロールできていない」という印象を与え、不信を高める結果となった。またオレオレ憲法解釈を持ち出してきたことで、安保法案そのものについて「将来、オレオレ『安保法案の解釈』を持ち出して、滅茶苦茶なことをやらかす政権がでるのではないか?」という疑念を与えてしまった。
「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景には、その内容の難解さだけでなく、「誤った運用がなされるだけでなく、将来、拡大解釈して無茶なことをやらかすようにならないか? そして誰にも止められないのではないか?」という三権への不信が見え隠れしている。
蛇足だが、安保法案を通すには、本来は憲法改正が必要だ。だが日本国民には憲法改正へのアレルギーがある。なぜか? 「あいつら絶対に余分な変更(=改悪)も入れてくるから」という政府・議会への不信があるからだ。自民党の憲法改正案は酷かったし、派遣法の改正もアレだった。こんな実例が山ほどあるのだから、不信が高まって憲法改正アレルギーになるのも無理はない。
日本国憲法に関しては、そもそも押し付け憲法論がある。個人的には、押し付けだろうとなんだろうと、ネズミを捕るのが良い猫だと思うのだが……。
仮に押し付け憲法だったとして、ではなぜ世界でも稀な憲法九条が存在するのか、という点を考えてみることは重要だ。世界的には、平和路線の国家でも(規模の大小はあれども)軍隊を持っているものだ。
要するに、大日本帝国は、当時のアメリカに「キ○ガイ」だと思われたのだ。あいつらに刃物を持たせたらあかん、何やらかすか分かったもんじゃねえ――ということだ。
例えば、現在生きている日本人たる我々がニュースで目にする自爆テロを理解しがたいように、当時のアメリカ人は特攻という行為を行う日本人を理解しがたかったのではないか? また国体維持のためだけに南方戦線で損耗率7~8割という無茶(現代戦では損耗率3割で全滅判定)をやらかしたメンタリティーも理解できなかったのではないか?
理解できないことが、恐怖をあおる。戦略的には、特攻も南方戦線での戦いも、大日本帝国の政府にとっては裏目に出てしまった。日本は軍隊を持つ資格はない、とんだキ○ガイだと認定されてしまったのだ。
しかしこれは、裏を返せば「まともな国になったなら、まあ、軍隊を持ってもええんじゃね?」ということにもなる。まともな大人は刃物を振り回しません、ということだ。
さて、「安保法案=戦争法案」と揶揄される背景をもう少し考えてみると、興味深いことに気づく。それは、日本国は未だに「キ○ガイ」ではないか、という疑念だ。これは中国や韓国の主張(実際に彼らの言っていることから類推すると、そういうことになる)のことではなくて、日本国民から日本国政府ならび議会への疑念のことだ。
というのも、「安保法案=戦争法案」という構図には、どこか「また『特攻』や『ニューギニア戦線での地獄』が繰り返されるのでは」という不安があるからだ。
これは、太平洋戦争について国民と国家をひっくるめた反省会(失敗の原因の分析、具体的な改善案の提示、改善案の適用)が行われなかった弊害だろう。
そもそも太平洋戦争は大失敗だった(戦争に懲りたということは、つまり、失敗だったということだ)。大失敗だったからこそ、三権と国民を巻き込んでの大反省会が必要不可欠で――もしかしたらどこかで行われていたのかもしれないが、残念ながら私は寡聞にして知らない。
国民と国家自らによる反省会(総括)が行われて、落とし前がついていたなら、ここまで疑念は膨れ上がらなかったはずだ。でも反省会無し・対策も無しなら、「またやっちゃうかも」という心配は残ったままとなる。
戦後に反省会が行われず、そのまま70年が経過した。その間、残念ながら三権への国民の不信が高まった。そしてここ20年ほどの政府・議会の混乱や暴走ともとれかねない動きは、国民に「政府と議会=我々がコントロールできない代物」という印象を強く与えてしまった(仮にも民主主義国家だというのに……)。
再度繰り返すが、戦争せずに済むなら、その方がよい。その一方で、万が一への備えそのものは必要だ。
必要だが、しかしまた「キ○ガイ」のごとく暴走してしまわないか? やむをえない自衛のための戦争ならともかく、暴走して要らぬ戦争を起こしてしまわないだろうか? 三権への根深い不信と、国民が政府と議会をコントロールできていないのではないかという疑念ゆえに、日本国民は、日本という国が「キ○ガイ」のままではないかという恐怖を感じているのだ。
私は憲法違反の疑念より安保法案に否定的であり、安全保障の面では安保法案に Permalink | 記事への反応(1) | 18:20
空手部の顧問など誰が喜んで引き受けよう。そもそも生まれてこの方体育系部活動など
やったことないのに、運動神経がトロくて、普通の人は絶対にぶつけない机のまわりの
ロッカーの角っこによく体をぶつけたりしているこの私が引き受けれるわけがないじゃ
ないか。しかも、土曜日に練習をするとか、土曜日出勤しても4時間でせいぜい手当が
2000円もらえるだけ、すなわち、時給500円って、年間40万近く持ち出しじゃ
ないか。ふざけるなという感じ。
それで、どうやったら廃部に追い込めるかいろいろ悩んだ末に、彼らに蜜月の部活動
を与えてみることにした。
1.練習は自由参加である。バイトのある人はどうぞ休んでください。
2.試合は、試合の時間までに来てね、開会式には無理に参加しなくていいよ。
3.練習は、自由に休憩してね、遊んでてもサボりとは言わないからね。
4.試合の日程は年度当初に渡しておくから、申込日の2週間前までに顧問に知らせてね。
忘れてたら君たちの責任だから試合に参加できないよ。
すると、生徒たちはどんどん練習をさぼりだし、試合にも参加できず、そして、今日の
練習は、何と、ありがたいことに、部員出席0となりました。ヽ(´ー`)ノ
あとは、「土曜日、生徒がきてないと困るので、土曜日練習するときは事前に知らせてね」
という一言を伝えるつもり。これで、部活動が自然消滅したらいいな。
現実に「スポーツマンの子がいいです。そう、賢すぎる子はいらないんですよ。
黙々と卓球の玉を何の疑問も持たず、ずっと、拾い続けてくれる、そんな子が
競技を通してつけた体力は工場での材料運搬などの単純労働に活用され、その
人格は、文句を言わず働き続けてくれることに生かされる。キャリア教育の機会
我が子のように大切な生徒が、キャリア発達の機会を失って、ブラック企業で安
月給で単純労働に従属し、進行するグローバル化の中で、その事実に気づかない
うちに賃金が低下し、孫会社・親会社の違いも業務請負も派遣も正社員も契約
この春顧問の割り当てがあり、なんと私の名前が空手部の顧問のところに入っていた。正直死にたい。
私は根っからのスポーツ嫌いである。どのくらい嫌いかというと、オリンピックや野球、サッカーなどのスポーツ中継は一度も見たことがなく、テレビで見かけようものなら一目散にチャンネルを変え、オリンピックの時期に盛り上がろうものなら新聞のオリンピックの記事を破り捨て泣きじゃくるぐらいに嫌いである。
なぜこのようになったのか。私は予定よりだいぶ早く生まれ、かつ、早生まれだったので、小さいときはまわりと比較して体の成長が遅かった。故にスポーツは苦手であった。ここまでは、ただのスポーツ嫌いで済んだのだが、ここにいくつもの事象が根っからのスポーツ嫌いに仕立てあげた。
夏休みになると、ABC放送ではパーマンなどのアニメがやっていた。ところが高校野球のシーズンになると、これがやらなくなる。高校野球は、私から好きなものを奪う最悪なものだと認識した。
中学校に入ると、科学部に入ろうと心に決めていた私に体育の女の先生が厳しい顔をして言った一言がコレである。「男子の人は基本的には体育会系クラブに入ってください」。中学生なりになぜ一覧にあがっている科学部に入るのはだめなのかと疑問を持ち担任に聞いたところ、科学部で構わないということだったが、なぜこんな事をいうのか意味がわからなかった。
中学校のとき、クラスのF君はサッカー部だったが、私から50円を借り返さなかった。ほかの連中も俺をからかってきてばかりでゴミクズみたいな奴ばかりだった。サッカー部の連中は人間性が下劣なことが圧倒的に多い。
中学校のとき、野球部の山本君は、圧倒的体力で、暴力を使って私にイタズラをしてきた。同じく、柔道部のI君は技をかけてきた。
高校は工業高校だった。工業高校に入って体罰を生徒らに加えてきた体育の先生が豹変し、おとなしくなったと思ったら言った一言がこれである「機械が好きで入って来ているような奴はおらへん。だから、俺と、サッカーやろう。」。
別の体育の先生が言った準備運動中、大の字で体育館で寝ているときに言った言葉がこれである。「寝るという行為は大地からエネルギーを吸収する行為なんですよ。」。科学万能主義の私には全く言っている意味が理解できなかった。
先の体罰を加えた先生は、体育の別の女の先生をひっぱたいてたし、バレーボールを土足で蹴ったことが気に入らなかったらしく、生徒が首に巻いていたタオルをつかんで地面に生徒をたたきつけていたし、体育館の入り口に靴が並べられていなかったのが気に入らなかったらしく、焼却炉で靴に火をつけたりしてた。
そんなこんなで、私は体育が完全に嫌いになった。
大学に入ってスポーツ中継が好きな友人に聞いてみたのだ。「スポーツってなにがいいの。なんのためにあるの。」と。すると彼は「スポーツは人々の注意が権力者に向かないようにしておくためにあるんだよ。」と言った。教職を取っていた私は、学習指導要領を確認し教科「保健体育」の目的を確認したのだ。すると「健康を増進することを目的とする」というようなことが書いてあった。ところが、現実には、体育には、ただそれだけではない、日体大の「団体行動」に代表されるような人々の教化する役割が与えられている。
これは、人類の歴史を紐解けばある意味当然なのである。お殿様が領内の体力のある者からクーデターを起されないためには、体力のある者をみつけだして褒美を与えて見方につけて置かなければならなかったのである。これは、憲法が制定され法治主義になった現代でも、人殺しのための武術だけでなく、「サッカー」「野球」のような新たな発明が導入されるようになった他は、戦国時代と何ら事情はかわらない。スポーツは、権力者が民衆を隷属させるためのツールにすぎないのだ。
おとなになってからもこの事情はかわらない。大好きだった同僚から言われた一言が「(付き合うなら)○○もなんかスポーツをして、さわやかなスポーツマンになってください。」である。付き合うのにスポーツができないとだめなのかよ。。。。。
そんなことを考えているうちに、単なる体育嫌いから、一切、スポーツに手を貸したくないと思うと共に、体育会系クラブの顧問は糞だと思い、これに参加する生徒は可哀想な人だと思うように鳴った。これは、正直私の中では、君が代斉唱よりもはるかに嫌悪感が高い。
こんど高体連の会議がある。民衆を隷属させるためにスポーツに手を貸すのは、心が汚れるようで、空手の技やルールが脳の神経ネットワークに刻み込まれるのは、体が汚されるようで、正直つらい。
SNSに「スポーツは民衆を隷属させるために開発されたツールだ」と正直に書いたら、いろいろな先生からひそひそ、「私はスポーツ観戦が好き」「スポーツはリクリエーション」とかいろいろなことを言われてしまった。そういう一般的な理解をしている人がいることはわかるが、今の自分が理解されないことが、もっと悲しくて辛い。
そんなことを夜な夜な考えていると本当に死にたいと思うようになってきて、ついSNSに書いてしまった、すぐに消したけど。
オートメーション化が進み、パワードスーツが開発され、AIで自動車が走り、グローバル化が進み、法治が進んだ未来においては、体力を持っていることなんて何の意味も持たず、地域で争うこともなく(スポーツは自分が属するチームを応援することなどを通して過当競争を促進する)、スポーツ自体が何の意味も持たなくなってしまうのではなかろうか。
死ぬぐらいならとっとと職業やめたほうがいいって冷静に判断がつくので、もう少し耐えてみようと思うが、スポーツに手を貸すのがつらくてしょうがない毎日。
漫画、小説、新書など一般的な人よりかなりの量を読んできましたが、一応漫画に限定して振り返っておきたいと思います。
BADBOYSシリーズの最新作が終了した。正確には連載中に別のシリーズタイトルのKIPPOが不定期連載していたので、最新作というのには語弊があるかも。
でもそんな事は小さな事だ。
焦燥感や欲望、破壊衝動なんかは誰の内にでもある。これを上手くコントロールして飼い慣らし、人は社会で生きている。
暴力を生業としている人間でもそれは例外ではない。人間は群れで生きるのだから、無制限に欲望をさらけ出して社会で生きていけるわけがないのだ。
端的に言えば排斥された上に壊されてしまうのだ。最初から壊れていたとも言えるけど。
排斥された少年達は何にすがって、その後にどうやって生きていくのか。
これは田中宏作品の通底するテーマだとは思うんだけど、寄る辺なく流れてきた少年達が自分の居場所を築き、社会不適合者が寄り合って社会を形成するまでの流れが美しかった。
また、大阪凶連合など、過去作品でほとんど名前だけしか登場していない団体の活躍もファンにはうれしい限り。
女神の鬼が終了するなり、田中宏は莫逆家族から居続けたヤングマガジンから、古巣に帰っていった。
女神の鬼が過去盤のオールスターだとしたらKIPPOは現代版の田中宏キャラ総出演だ。
かつての膨大なエピソードから引っ張り出して、一つずつ落ちを付けていくという芸風は超長期連載で一つの世界を書き続けた田中宏ならでは。
まさか野獣と不良少女の話で生まれた赤ん坊が大人になって登場するとは。ファン歴が長いほどわくわくする。
ただ、仲間とつるみ暴走行為に没頭する。すでに終わってしまった青春の切なさがすばらしかった。
数ヶ月の休載が三年にわたり、もう陰陽トーナメントは読めないとあきらめかけていた。
それが、当たり前の様に昔のままのおもしろさで連載を再開したのだ。
これはサプライズだ。そりゃ空手少女も煉獄を打とうってなもんだ。
内容の方は前哨戦と牽制で一年間を使ってしまったけど、その一つ一つも気にならないほどおもしろい。
ドンケツ……ヤクザ漫画というのは基本、こういう物であるべきだ。
塾生碇石君……これはひょっとすると勉強の仕方の解らない子供に積極的に読ませるべき良書なのでは。
セブンスター……作者お得意のモラトリアムからぐだぐだに迷走する感がない。
・
……モデルの輪郭より以上にその輪郭のなかに完全に自分を埋めこんでしまえばいかに厳しく情容赦ない規範とても彼女を受入れないわけには行かないだろうという、絶望にみちた彼女たちの状況を示すものに他ならない。そして、それでもなお、彼女たちが発見するのは、それでもやはり受入れてはもらえないのだという最後の絶望である。
それはおタクの肥満体が、この競争社会の選別の構図からの際限のない脱走と反逆を象徴する、いわば「ユダヤ人の黄色い星」であるように、彼女たちのこれほど受入れ、従順に従っていてもまだダメなのかという恐怖と錯乱の象徴である。
彼女たちは体重を減らしたいからダイエットをしているのではない。美しくなりたいから、男にもてたいから、新しいファッションが似合うようになりたいから、モデルになりたいからダイエットをし、20kgにも痩せ細って生命までも危機にさらそうとしているわけでありはしない。
彼女たちが深刻に求めているのは、「社会に受入れられる」こと、それ自体である。
選ぶ側であって選ばれる側でなかった男の子であるからこそ、それが選別にさらされ、東大出、一七五㎝以上、五十五kg以下、眼鏡なし、ハンサム、やさしい、都会的、同居せず、などという人肉市場に連れだされたと知った時女の子以上の恐怖にさらされる。
それはしかし、これまでは買手でこそあれ売手になることはまったくまぬかれ、だからこそ買われる側の屈辱や恐怖、ナルシシズムの危機、諦念、などをさえ笑い物にすることすらできていたからこそのパニックである。
男の子たちは、女の子たちをさんざんみめかたち、女性としての機能、家庭維持機械としての機能、付加価値、新品かどうか、で選別したい放題にしてきた。
いまや社会と女の子から男の子が選別されることになったとたん、自分がすべての選別の条件から落ちこぼれたと知った男の子はおタクと化してカタツムリの殻に逃げ込んだというわけだ。逆からいえばそれほどに男の子は驚き、恐怖にかられたのだ。男の子のほうがたぶん格段に、これまで優遇されてきた分弱いのである。彼らは自分たちが外見や標準体重によって裁かれ、選別され、ランクづけられるだろうなどと想像したこともなかったのだ。
そして、もしそんなことになったところで、自分は不細工なほうだけれども学歴はいいとか、車をえさにいくらでも女なんかひっかかるとか、不細工で運転免許もないけどなにしろ空手五段だとか、別のファクターのなかにいくらでも逃げ込めたのだ。逃げ込む先がまったくなくなったと知ったので、今度は彼らは内宇宙に逃げ込んだ。つまりは彼らはどうしても逃げなくてはならないわけである。
柔道の危険性はデータを持って示されているが、武道は柔道を含んだままいまだ必修として続いている。
たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。
しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である。
主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道、空手道、弓道、居合道、合気道、相撲道などを含む。
武道は、特に二つのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分の技術を示し合う競技である。これには弓道や居合道、剣道や柔道の型などが含まれる。
もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である。剣道、柔道、空手、相撲などが含まれる。
前者の安全性は比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。
一方で後者の危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである。
後者の中で、柔道と相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である。
その理由は、この二つの競技にはプロテクターが存在していない、ということに尽きる。
剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。
空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクターは必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。
武道でなくとも同じ格闘技のアマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブの義務がある。
一方で、柔道と相撲にはプロテクターと呼べるものは存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである。
しかし、中学高校で一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。
締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。
敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。
ところが、その柔道、相撲の部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである。
運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。
プロテクターが存在しない柔道や相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。
柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。
相撲は張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出して土俵から落とす競技。
体験的な話で不正確だが、中学高校の柔道の試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。
大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。
考慮すべき安全と言うものが、武道の伝統という言葉で覆い隠されている。
剣道は竹刀を作り、防具を作った。空手はプロテクターを取り入れた。柔道は本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険に晒した。相撲は裸である。
当然プロやオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。
しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。
◯
途中で虫除けスプレーを出してきて、足の裏に吹きかけて寝たが、今後どうすればいいのだろう?
蚊取り線香やベープも身体に悪そうだし。
殺虫ラケットでやっつけるのがいいのだろうか?
◯
起きてからはいつものように、焼き鮭のお茶漬けを食べて散歩に出かけた。
そのままシャワーを浴びたら、いい感じに寝ぐせも治ったので、今後のルーチンに採用しよう。
◯
数時間作業をした。
夏休みも始まっただろうから、これからは平日も混みそうだなぁ。
◯
さて「知的複眼思考法」を3分の1ほど読んだが、今のところは別に面白い内容ではない。
やはり知らない分野、今の自分にとって意外な分野の本を読むのが良いのかもね。
◯
段々1日の流れが出来てきたな。
犬の方も、あまりグイグイと引っ張らなくなってきたが、急に立ち止まることがある。
この隙間時間が暇なので、新しく肥田式強健術を取り入れることにした。
◯
肥田式強健術については、古武道の研究でお馴染みの甲野善紀さんの本「表の体育 裏の体育」で知った。
彼によれば明治の頃の体の鍛錬法は、西洋からの科学的な方法以外に、東洋的な鍛錬法があったとのこと。
その東洋的な鍛錬法は、科学から逸脱した一種オカルト的な空気を帯びていたらしい。
そしてその一例として、肥田春充の提唱する肥田式強健術を紹介しているのである。
◯
細かい説明は端折るが、病弱な肥田が体の中心に力を入れるというシンプルな方法で、超人的な力を得たという。
これはお尻の穴に力を入れるという中村天風の「クンバハカ法」にも通じると思う。
そしてこれの現代バージョンが、美木良介さんの「ロングブレスダイエット」とも言えるのではないかと思う。
◯
アイソメトリックトレーニングのトレーナーによれば、6秒以上力をいれるだけで筋繊維が傷つき、トレーニングになるという。
まぁなんでもいいが、とにかく息をゆっくりと吐きながら下腹部を中心にして全身に力を入れる。
◯
そんな感じで3回も息を吐けば結構疲れるし、気分的にもスッキリする。
その頃には犬も飽きてまた歩き出す。
歩き出さなかったら引っ張って無理やり連れて行く。
頑固に動かないときもあるが、そういうときは抱っこをして連れて行く。
◯
帰ってきて夕飯を食べたあと、なんだかだらけてたら時間が経ってしまった。
夜の散歩に行けば良かったが、タイミングを逃してしまったのだ。
◯
もしくは移民に賛成してください。ワタミ、ゼンショーのバイト不足による店舗稼動停止ばかりが話題になってますが
ぶっちゃけ中小の状況は更にヒドイです。ウチも、あと二人辞めたらお店が一軒とまります。社長の僕が自ら厨房に立ってるんですよ。
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http://anond.hatelabo.jp/20140406161839
■東京都心の求人状況がヤバイ。はよ移民入れろ、もしくはニート本気出せ。
不動産と飲食で事業を経営している者ですが、ぶっちゃけ都心の雇用状況がやばいです。
正社員も募集してるのに飲食事業の方は全く応募が来ない。(何故か不動産は多少来る。不動産営業の方がキツいのに…)
同業を眺めてみてもやはり事情は同じで、僕の会社は時給1500円~で募集をかけているからまだマシだけれど、
一般的な居酒屋ラーメン屋なんかの人材枯渇がとにかくヤバイ。それに煽られてこっちもだんだん厳しくなってくるという状況でございますよ。
確かに飲食がキツいっていうのは理解できます。(だからって不動産営業に空手で飛び込むのは狂気だと思うけど)
しかし、今は間違いなくニートにとってのボーナスステージになってます。
26歳フリーター、正社員経験なし、みたいなこないだまでゴミ以下の扱いだった労働者が
現在は都心の中小企業であれば即採用の状態になってると言っても過言ではない。
僕は不動産、それも築古狭小物件を専門に扱う外国人ウェルカムな(というか客の半分は外国人)業者なので、
ぶっちゃけ移民をさっさと入れて欲しい、というのが本音ではあるんですが。
僕が儲かったとしても、まぁ海外の状況を見ると碌なことにはならないというのは確実だとは思います。
そういうわけで、ニートの皆さん動いてください。土木、飲食、IT、なんでもいいです。すぐ就職してください。
特に、土木は今若くて健康というだけでサクっと採用されます。警備なんかの労働単価も信じられないほどハネ上がってます。
部屋のリフォームをやってくれる業者が捕まらないんですよ本当に。納期もやたらめったらに延びてるし…。
三月に依頼出して、出来上がりが四月って賃貸業者にとっては死活問題なのですよ。
そういうわけで、ニートの皆さん増田なんてやってないで働いてください。
今がチャンスです、上京してください。もしくは東北行って被災地で働いてください。
これ以上労働力不足が顕在化すると、移民は間違いなく加速します。ニートに全てが懸かってます。
もしくは移民に賛成してください。ワタミ、ゼンショーのバイト不足による店舗稼動停止ばかりが話題になってますが
ぶっちゃけ中小の状況は更にヒドイです。ウチも、あと二人辞めたらお店が一軒とまります。社長の僕が自ら厨房に立ってるんですよ。
ニートの皆さん働いてください。もしくは、移民を早く入れてください…。
もう、われわれ中小企業はそう長くもちません…。
創業して三年、「赤字を出さない」ことばかり考えてましたが、労働力不足による操業停止なんて恥ずかしながら考えたことがありませんでした。
高齢ニートの皆さん、動いてください。仕事はあります。ありますから…。
そりゃ確かに、ホワイト企業のデスクワーク求人は無いですよ。でも、そんなの新卒で就職しなかった、あるいは就職した会社を辞めたアンタが悪い。
中小企業は確かに底辺ですが、結果を出せばあっという間に幹部になれるメリットもあります。かくいう僕も、中小企業に飛び込んで
成果を出して子会社をまるっと貰って社長になった口です。一発はあるんで、ニートの皆さん野望を持って働いてください。
追伸
僕が事業を始めたのは3年前やで。
それ以前のことや、他の経営者のことまでまとめて僕をブン殴ってもどーにもなりゃしませんぜ?
経営者も労働者も色んなのおるねんで。その中で、どう立ち回るかってだけのお話でっせ。
そして、僕らみたいなのが死んでいって焼け畑化していった先で笑うのはどこのゼンショーか、わからんでもないでしょ。
経営者は給与を上げる、労働者はどっかで妥協する。それぞれが我慢できる範囲で収めるべきですぜ。
労働者なき企業が存在し得ないように、企業なき労働者も存在し得ないんですから。
まー、確かに「もうチョイ待てばまだ上がるから、今は売り時でない」と考えるなら、それは否定しにくいのでアリとは思うけど。
私は空手を12年やっていたこともあり精神論というものが大好きだ。
心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉を信じ、自分が強くこうだと思えば白も黒になり黒もまた白になると信じている。仕事であっても「辛い」「嫌だ」と考えず、困難に立ち向かう気持ちでのぞんでいる。
逃げようと思えば思うほどモチベーションは下がるため困難から逃げようとせずに立ち向かうことによって己を鼓舞してきた。
真に強いとは弱者を叩きのめすことではなく恐怖へ立ち向かう勇気だと思っている。
それを教えてくれたのははじめの一歩であり、ダイの大冒険であり、スラムダンクだった。
しかしながら今の世の中精神論というものがとっくに古い思想になっているものだと感じている。
なぜなら精神論というものは被験者がその効果を信じているときのみに効果を発揮するものであり、理解できないあるいは適正のないものに精神論をうたっても心に響くわけもなくただ虚しくなるだけである。
戦争中あるいは戦後の日本においては1つの思想に横へ倣えで精神論も有効に働いたかもしれないがグローバル化が進み多種多様な価値観がそれこそごちゃごちゃに乱立する昨今である。
どれもが正解ではないしと同時にどれもが正解である。
552 :量産型諜報部員:2014/02/10(月) 19:02:09 ID:lWgwOzyw
http://ameblo.jp/kyokushinkan-osakam-hp/image-11449355724-12377573431.html
553 :ソーゾー君:2014/02/10(月) 20:01:25 ID:88Jpo.y2
>>552
その為のネタ振りか?
お前達は毎回同じネガティブキャンペーンして楽しい?
だけど表層しか知らん柔道や空手をやってる奴に何て言えば良い?
確かに心は鍛えられるよ?
人気取りの為に利用してるだけだろ?良くある事だ。
創始者が健全だろうが腐ってようが中心メンバーは腐ってから何も変わらん。
利用できるものは利用したら良い。
↑違い解る?全員が腐ってるわけないだろ?大半は善男善女だよ?
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1387207762/