2014-09-13

 ……モデル輪郭より以上にその輪郭のなかに完全に自分を埋めこんでしまえばいかに厳しく情容赦ない規範とても彼女を受入れないわけには行かないだろうという、絶望にみちた彼女たちの状況を示すものに他ならない。そして、それでもなお、彼女たちが発見するのは、それでもやはり受入れてはもらえないのだという最後絶望である

 それはおタク肥満体が、この競争社会の選別の構図からの際限のない脱走と反逆を象徴する、いわば「ユダヤ人黄色い星」であるように、彼女たちのこれほど受入れ、従順に従っていてもまだダメなのかという恐怖と錯乱象徴である

 彼女たちは体重を減らしたいからダイエットをしているのではない。美しくなりたいから、男にもてたいから、新しいファッションが似合うようになりたいからモデルになりたいからダイエットをし、20kgにも痩せ細って生命までも危機にさらそうとしているわけでありはしない。

 彼女たちが深刻に求めているのは、「社会に受入れられる」こと、それ自体である

 選ぶ側であって選ばれる側でなかった男の子であるからこそ、それが選別にさらされ、東大出、一七五㎝以上、五十五kg以下、眼鏡なし、ハンサム、やさしい、都会的、同居せず、などという人肉市場に連れだされたと知った時女の子以上の恐怖にさらされる。

 それはしかし、これまでは買手でこそあれ売手になることはまったくまぬかれ、だからこそ買われる側の屈辱や恐怖、ナルシシズムの危機、諦念、などをさえ笑い物にすることすらできていたからこそのパニックである

 男の子たちは、女の子たちをさんざんみめかたち、女性としての機能、家庭維持機械としての機能付加価値、新品かどうか、で選別したい放題にしてきた。

 いまや社会女の子から男の子が選別されることになったとたん、自分がすべての選別の条件から落ちこぼれたと知った男の子おタクと化してカタツムリの殻に逃げ込んだというわけだ。逆からいえばそれほどに男の子は驚き、恐怖にかられたのだ。男の子のほうがたぶん格段に、これまで優遇されてきた分弱いのである。彼らは自分たちが外見や標準体重によって裁かれ、選別され、ランクづけられるだろうなどと想像したこともなかったのだ。

 そして、もしそんなことになったところで、自分不細工なほうだけれども学歴はいいとか、車をえさにいくらでも女なんかひっかかるとか、不細工運転免許もないけどなにしろ空手五段だとか、別のファクターのなかにいくらでも逃げ込めたのだ。逃げ込む先がまったくなくなったと知ったので、今度は彼らは内宇宙に逃げ込んだ。つまりは彼らはどうしても逃げなくてはならないわけである


中島梓コミュニケーション不全症候群ちくま文庫, 1991年

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