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2023-11-06

中村天風言葉を裏を返していえば、

人生とは、かなりの確率で波や嵐に揺られ、遅かれ早かれ確実に沈没する船に乗って旅するようなものである

2014-07-21

2014/07/21肥田式強健術

今日二度寝をしてしまった。。

つの間にか蚊に刺されていて、痒くて寝られながったからだ。

途中で虫除けスプレーを出してきて、足の裏に吹きかけて寝たが、今後どうすればいいのだろう?

蚊取り線香やベープも身体に悪そうだし。

殺虫ラケットでやっつけるのがいいのだろうか?

起きてからはいものように、焼き鮭のお茶漬けを食べて散歩に出かけた。

今日暑かったので、けっこう汗をかいしまった。

そのままシャワーを浴びたら、いい感じに寝ぐせも治ったので、今後のルーチンに採用しよう。

昼ごはん後はサンマルクカフェへ。

時間作業をした。

やたら人がいるなあと思ったら、今日海の日だったんだな。

夏休みも始まっただろうから、これからは平日も混みそうだなぁ。

さて「知的複眼思考法」を3分の1ほど読んだが、今のところは別に面白い内容ではない。

弁護士和解についての本のほうが色々と勉強になっている。

やはり知らない分野、今の自分にとって意外な分野の本を読むのが良いのかもね。

今日夕方には帰ってきて犬の散歩へ出かけた。

段々1日の流れが出来てきたな。

犬の方も、あまりグイグイと引っ張らなくなってきたが、急に立ち止まることがある。

この隙間時間が暇なので、新しく肥田式強健術を取り入れることにした。

肥田式強健術については、古武道研究でお馴染みの甲野善紀さんの本「表の体育 裏の体育」で知った。

彼によれば明治の頃の体の鍛錬法は、西洋から科学的な方法以外に、東洋的な鍛錬法があったとのこと。

その東洋的な鍛錬法は、科学から逸脱した一種オカルト的な空気を帯びていたらしい。

そしてその一例として、肥田春充提唱する肥田式強健術を紹介しているのである

かい説明は端折るが、病弱な肥田が体の中心に力を入れるというシンプル方法で、超人的な力を得たという。

これはお尻の穴に力を入れるという中村天風の「クンバハカ法」にも通じると思う。

また、空手の奥義にも似たようなものがある。

そしてこれの現代バージョンが、美木良介さんの「ロングブレスダイエット」とも言えるのではないかと思う。

アイソメトリックトレーニングトレーナーによれば、6秒以上力をいれるだけで筋繊維が傷つき、トレーニングになるという。

まぁなんでもいいが、とにかく息をゆっくりと吐きながら下腹部を中心にして全身に力を入れる。

そんな感じで3回も息を吐けば結構疲れるし、気分的にもスッキリする。

その頃には犬も飽きてまた歩き出す。

歩き出さなかったら引っ張って無理やり連れて行く。

頑固に動かないときもあるが、そういうときは抱っこをして連れて行く。

帰ってきて夕飯を食べたあと、なんだかだらけてたら時間が経ってしまった。

夜の散歩に行けば良かったが、タイミングを逃してしまったのだ。

明日は、ちゃんと散歩に行こう。

そしてその後の時間有効に使えるといいな・・・

2010-11-07

取り越し苦労はやめよう

内田 ぼくの師匠多田先生のさらに師匠中村天風という方がいらっしゃるんですが、その先生の教えの中に「取り越し苦労をするな」というのがあるんです。

取り越し苦労というのは、未来予測可能であるということが前提になってますよね。こうなって、こうなったらどうしよう……と起こり得る可能性を羅列的に列挙して、その中の最悪の状況を想定して、そのときの困惑や苦悩を先取りする。でも、まだこれから何が起こるのかもわからない時に取り越し苦労をしてしまう人間というのは、失敗を宿命づけられているんですよ。だって、人生って必ず予測もしなかったことが起こるわけですから(笑)。もっと未来の未知性に対して敬意や畏怖の念を抱かないと。

未来に向かって開かれているというのは、未来の可能性を列挙して安心したり不安がったりするということではなくて、一瞬後には何が起こるかわからないという覚悟を持つことだと思うんです。ですから、「取り越し苦労をするな」というのは、楽観的になりなさい、ということでは全然なくて、「何が起こるかわからない」のだから、全方位的にリラックスして構えていないと対応できないよ、ということなんですね。

でも、悩んでいる人というのは、ほぼ百%が取り越し苦労で苦しんでいる。こうなったらどうしよう、こうなったらえらいことになる……って最悪のシナリオを事細かに想定して、どんどん細部まで描き込んでゆく。自分のことをリアリストだと思っている人ほど取り越し苦労しがちですよね。

でも、先ほども言いましたけれど、最悪のことを考えて、あらかじめいろいろな策をきちきちと講じておくと、そういうふうに最悪の場面に備えて対策を講じていた自分努力に「報いてあげたい」と思うようになるんです。せっかく最悪の事態に備えたのに、最悪の事態が到来しないんじゃ、取り越し苦労した甲斐がない。だから、取り越し苦労する人は、その最悪の事態の到来を願うようになるんです。


春日 そうそう。鬱病の人の特徴の一つが、まさにその「取り越し苦労」なんですよ。それからもう一つ、彼らが一番つらいのが「もはや取り返しがつかない」ってこと(笑)


内田 なるほど。


春日 未来を先取りして失敗して、「もう取り返しがつかない」って言っているわけです。


内田 未来過去もないんだ。現在リピートしているわけですね。でも、過去って取り返しがつくものでしょ。だって、新しい経験をしただけで、過去意味なんて一気に全部変わっちゃうんだから。すべての行為は文脈依存的ですからね、新しい行為によって、経験の文脈が変われば経験解釈も自ずと変わってくる。あとになって、すでに経験したことの意味が「ああ、あれはこういうことだったのか」と解釈が一変することなんてしょっちゅうじゃないですか。

過去は可変的であり、未来は未知である。だから、過去についても、未来についても、確定的なことは何も言えないというのが時間の中を生きる人間健全な姿でしょう。過去はもう取り返しがつかないし、未来はすでに先取りされて変更の余地がないというのじゃ、出口なしですから、もうどこにも行き場がない。


春日 鬱病にかぎらず、どうも見ていると患者さんが感情的に一番つらいのが、もはや取り返しがつかない、という気持ちみたいですね。彼らには、内田先生のおっしゃるような「過去を変える」という柔軟性は持てないわけです。それで、ああもう駄目だということで悔やんで、自分を追い詰めてしまう人は非常に多いんです。


内田 取り返しがつかないこともたしかにありますけど、日常的な経験のほとんどは取り返しがつくんですよ。取り返しがつくというのは「リセット」ということではなくて、文脈を変えることによって、過去意味が変わってくる、ということなんです。

悲劇の条件には二つあって、ひとつは“I must go”、ひとつは“It is too late”だと中学生のときに習ったことがありますけれど、これは未来過去も「変更の余地がない」ということですよね。現在に繋縛されていること、それが悲劇の条件なんです。

苦しんでいる人の原因のかなりはこの「未来が予見可能だ」という思い込みにあるとぼくは思います。未来なんて予見不可能なんです。それがわかっている人には、思いがけなく遺産が転がり込んでくることもあるわけですが(笑)。予見できると思い込んでいる人が思い描く未来って、たいていチープなんです。


春日 楽観性の欠如みたいなところもあるわけでしょ。


内田 「一寸先は闇」って言いますけど、それは逆に言えば、「一寸先はバラ色」かもしれないという不確定性のことでしょう。でも、未来予測するリアリストは、選択的にネガティブな事態を予測しがちですよね。たしかに最悪の事態に備えるというのはそれなりに合理的なことなんですけれど、未来の不確定性を低く見積もった上で、最悪の事態の到来を無意識的に待望するという二点を割り引くと、やっぱり先のことなんてあんまり考え過ぎない方が正解という結論になると思うんです。



健全な肉体に狂気は宿る  ──生きづらさの正体

 内田 樹   春日 武彦

より。

2009-08-11

http://anond.hatelabo.jp/20090811022955

丹田呼吸なつかしい。

10年以上前中村天風の本読んで知ったけど続かなかった。

基本的に俺は何に対しても怠惰でやる気がないくせに、

自己啓発本とか仕事術本とか成功本すきなんだよね。

部屋も汚いし、身だしなみも(゚ε゚)キニシナイ!!。食事もインスタント。早寝早起きもしない。

基本的な生活習慣がみだれて、引きこもり

本気で人生ヤバいはずなのに、なんで俺は暢気なんだろう?

いわゆる怠けウツなのか?人格障害なのか?発達障害なのか?

病気のせいにして逃げるメンヘラなのか?

逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!

 
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