はてなキーワード: 相撲道とは
貴乃花の会見でさ、「弟子たちがかわいいですから」とかさ、いい親方的なことを話しているんだけどさ、相撲って別に公式な国技ではなくて神事でもなくて興行スポーツだよね?古くからやってるプロレスみたいなもんだ。
2018年のこの世の中で師匠と弟子って超気持ち悪い。いやさ、高名な数学者とかに頼み込んで弟子にしてもらって、とかそういうのは未来永劫あっていいと思うのよ。でも、相撲部屋って勝手に弟子が来るわけじゃなくてスカウトするんだろ?んで、弟子が頑張るから師匠か食えるわけだ。こんなもんね、コーチとプレイヤーでしかないわけですよ。コーチは伴走者だから偉いわけでもなんでもない。プレイヤーの結果を出すのが仕事なわけで、仕事をしているだけなのに師匠って…いやまぁ実際問題先輩や上司に対する敬意は必要ですよ。でもそれを上から強要するのは今日の日本ではパワハラって言うわけです。「お客様は神様だろうが!」って凄むキチ客と同じメンタルですよ。
相撲協会はブラック企業的なよく見る馴染みのあるクソ組織。貴乃花は極右宗教の泥沼にはまった原理主義者で、ぱっと見は信念がありそうに見えちゃうよね。信念じゃなくて洗脳されてるだけだけどな。
悪気がなく友人の作品に飲みかけのコーラを置いた同級生に対し、「そういう意識の人は芸術に関わらないで」と言ったらしい。
この人は、自分の価値観が絶対で、受けとる側のことを汲み取れないのだなぁと思った。
相手にも事情があるかもしれないのに、一方的に断罪して逃げ場を作らない。
確かに「正しい」んだけどさ、でもってなるやん。
言い方がアレなのは本人も認めてたけど。
アナと話が噛み合ってなかったのを思い出す。
大多数の人が受信できない周波数の話をしていた。
彼も彼なりの「相撲にふさわしい心構え」てのがあって、それから外れるのはどんな事情があろうと許せない人なのだと思う。
グレーゾーンがないんだよ。
前々から、貴乃花部屋の力士のtwitterとか見てて、すごく意識が高くて純粋な力士が多いからなんとなく怖かった。
貴乃花の話を素直に聞けて信じることができる子たちなんだろうなと思う。
先場所も幕下上位の力士がtwitterでちょっとした騒動を起こしたりした。収まったけど。
以前若い力士や裏方さんが急にやめたこともあった。特に何も情報も無くて、何がこの部屋に起きてるんだと怖かった。
今回の騒動は水面下でくすぶってたものが一気に爆発したなぁと思ってる。
ギャンブルは、またやりたいと思ってしまうもの。野球賭博で相撲協会を解雇された後も、海外のカジノや国内の公営ギャンブルをやめられなかった。経営する飲食店11店の従業員約100人の給与を払えなくなる寸前まで金を使い、2年前にようやく断った。今も依存症と闘っている。
最初は、友達の誘いで軽い気持ちでやった。熱くなって人から金を借り、取り戻そう、借りた金を返そうとしてはまっていった。
10万円が1千万円になったら、快感でしょう? 海外のカジノで1日に5千万円勝つこともある。でも、負ける時は何もなくなるまで負ける。つぎ込んだ総額は5億円。飛び降りて死のうと思うくらい負けた。
ギャンブルや携帯電話などの依存症者の親から相談を受けている。「金を持たせないで。借金できる人を周りに作らないで」と助言する。依存症は治らないから、環境を与えないことが大切だ。私は、暇がないよう、あえて忙しくしている。午前6時に仕入れ、夜は各店舗に顔を出し、深夜まで働いている。
スポーツ選手には、違法賭博には絶対に手を出してはいけないという教育が必要だ。その一方で、頑張るものがなくなったら、もっと状況は悪くなる。依存症と闘うには支えが必要。バドミントンの2人には、挽回(ばんかい)するチャンスを与えてあげてほしい。(構成・後藤太輔)
柔道の危険性はデータを持って示されているが、武道は柔道を含んだままいまだ必修として続いている。
たとえ必修でなくても部活動としての柔道は変わることなく続いていくだろう。
しかし、柔道と言うのはデータを示されるまでもなく、それどころか部活動としてやるものとしても危険すぎる競技である。
主にそれは、近代までに日本で発展した人を打ち倒すための技術を競技化したものを指し、剣道を筆頭に、柔道、空手道、弓道、居合道、合気道、相撲道などを含む。
武道は、特に二つのカテゴリーに別れ、一つは演舞を持って競い合うもの、相手を敵とせずに的もしくは協力者を持って自分の技術を示し合う競技である。これには弓道や居合道、剣道や柔道の型などが含まれる。
もう一つは実際に敵を相手とし技を仕掛ける格闘技に類する競技である。剣道、柔道、空手、相撲などが含まれる。
前者の安全性は比較的高いものである。当然武器の目指す先が人ではない、もしくは打ち倒す目的ではないため、人を打ち倒すための技術を用いても危険性は低い。
一方で後者の危険性は高い。人を打ち倒す技術を人を打ち倒すために使うため、当然のことである。
後者の中で、柔道と相撲は主要武道の中でも特に危険な競技である。
その理由は、この二つの競技にはプロテクターが存在していない、ということに尽きる。
剣道であれば、慣れ親しんだ防具が思い浮かぶことだろう。
空手は、生徒であれば直接殴りあうフルコンタクト式ならプロテクターは必須であるし、寸止めであってもプロテクターをつけるのが普通だ。
武道でなくとも同じ格闘技のアマチュアボクシングは、ヘッドギアと大きなグローブの義務がある。
一方で、柔道と相撲にはプロテクターと呼べるものは存在しない。申し訳程度、柔道にはたたみがあるだけである。
しかし、中学高校で一般的な、スプリングの入っていない、床に敷いた畳と言うものは当然硬く、危険性が大きい。
締め技関節技等の制限が行われたとはいえ、戦前から一切変わらない安全基準で行われるスポーツと言って良い。
敵の攻撃から体を守るのは基本的に自らの習得した防御技術だけと言う競技だ。
ところが、その柔道、相撲の部活で競い合うのは、お互いに未熟な児童生徒学生たちである。
運動で体が熱くなり、試合や乱捕りで敵対すれば興奮し、普段よりも無茶な状態で無茶な技をかけることが多くなる。
プロテクターが存在しない柔道や相撲は、失敗した時に守ってくれるものは何一つなく、その時点で怪我が確定するといって良い。
柔道は投げ技で、相手の体を畳みにたたきつける打撃を行い、関節技で骨を痛め、締め技で意識を奪う競技。
相撲は張り手で叩き、投げ技で土にたたきつけ、押し出して土俵から落とす競技。
体験的な話で不正確だが、中学高校の柔道の試合では、1つの大会で必ず1人以上のけが人を目撃する。
大相撲で怪我をしていない力士だけでとった場所が近年存在しただろうか。
考慮すべき安全と言うものが、武道の伝統という言葉で覆い隠されている。
剣道は竹刀を作り、防具を作った。空手はプロテクターを取り入れた。柔道は本来着ていた防具を脱ぎ捨てて、身を危険に晒した。相撲は裸である。
当然プロやオリンピックといったレベルのものを変えるべきではないかもしれない。
しかし、そのアマチュアもしくは学校レベルの段階において有効に使えるプロテクターを考案すべきだ。