はてなキーワード: 楽曲とは
なぜ意味がないのか?
どうせ来年はしきにゃんが選ばれるし、再来年は奈緒、その次は高森でしょ?
やる前から結果が見えてんですよ。こんなん毎回仰々しくやる意味ないって。
キリのいい今年でスパっと辞めて、10位まで入選したやつら全員CGで終わりでいいでしょう。
ていうか歴代CG全員参加楽曲とか作り出すあたり、運営も畳みに入ってるんじゃないですか?
なんかみんな毎回「今年こそは〇〇(自担)にガラスの靴を~」とか白々しく言ってるけど、本気じゃないのうすうす自覚してるよね。
毛利家が毎年「今年こそは打倒徳川幕府」ってやってたのと同じで、『プロデュースしてる感』の演出でしかない。
ある時、舞台化が発表された事…
そして、漫画化が発表された事により、音楽とドラマCD以外の場にも出る様になった為だ。
別にこれは作品に非がある訳ではないと思うし、当然、作品に携わった人達に非がある訳でもない。
そう思わないと、耐えられそうにない。
作品のせいにしようものなら、作品のファンから砂かけ行為と言われてしまうから。
とはいえ、自分が冷めてしまった原因は、作品にあるという事を言いたい。
もう一度、ハマった当初の様な盛り上がりが欲しいので、作品自体が打ち切りになる様な事を言うのは避けるものの…
不満だと思う事は、書かせてほしい。
作品を出す上で、世界観の設定を徹底して作り込んでほしかった。
暦(元号?)が日本と異なる世界だというのに、曲の歌詞の中に当たり前に登場する「令和」という言葉。
音楽は物語には関係ないと言いたいのかもしれないが、声優が声優の名で歌うのではなく、キャラクターとして歌うのだから、歌詞もキャラクターのいる世界に合わせてもらいたかった。
これは歌詞を書くアーティストに問題があるのかもしれないが、それで許可(GOサイン)を出してしまう制作陣にも問題があるだろう。
何故世界観を大切にした物を作らないのか、疑問だ。
二次創作で世界観を崩したら、晒されるわ荒らされるわの悲惨な末路を辿ったと思うが、公式がやると許されるんだな。
母に貰ったお守りなのか、妹に貰ったお守りなのか、そのくらいは確立させてほしい。
ブラック企業に勤めているという割に、帰宅したり休日に釣りに行ったりしているというのも、リアリティに欠ける。
女性がガッツリ権力を持っていった状態なら、警察官も弁護士も医師も教師も、皆女性がやっていそうなものだが、何故どれも男性なのだろうか。
そもそも、後付けの設定が多過ぎて、初期にあった設定がいつの間にか消えているのは、どうかと思う。
それがないなら、壁を壊す必要性もないのでは…?
わざわざ面倒な壁を壊す必要、ないだろう。
あの手この手でお金を集めたいのかもしれないが、キャラクターの勝敗を決めるのは、CDを購入しないと得られないコードを入力した人の投票というのが、色々と酷い。
iTunesの様な配信サービスで購入しただけでは、そのシリアルコードを得られないのだ。
CDを買わないといけない。
そして、CDを買いさえすればいくらでも投票出来るので、祭壇を築くくらいの財力がある人なら、CDを買い占めて大量に票を入れる事が出来てしまう。
お小遣いの範囲内でやっている学生や、実家暮らしの人は、CDを買うのも一枚がやっとだろう。
だから配信サービスで曲を買うしかない、家にCDを置いておけない人は、キャラクターを応援する資格すら得られない事になる。
CDを買うだけで「無駄な物を買い込んだ」と、周りから怒鳴られる人間には、キャラクターを応援する資格が与えられない。
買える人が羨ましい。
配信サービスでこっそり音楽を楽しむ人は、駄目な人間なのだろう。
…金さえ集められればそれでいい、という事なのだろうか。
それなら、作品を追う気にはなれない。
写真集を買ったり、他の作品での活躍を応援したり、他の作品にお金をかけたりした方がいい。
音楽とドラマCDだけでいいなら、同じ様な雰囲気の作品が他にもある。
パクリかと思う程にサイトの中身さえ寄せている、あの作品がある。
そっちは曲で世界観を崩す事はしてこないので、安心して曲を楽しめる。
何故音源がメインだったはずの作品なのに、その音源で世界観を壊しているのか、本当に分からない。
自分には、ついていく事が出来そうもない。
応援するだけ虚しくなる。
ゲームも不具合の連続でガタガタ、この間のVR配信も配信アプリそのものが既にガタガタ。
他の作品に触れる時間を削ってまで、今のこの世界観ぶち壊し楽曲を聴く気にはなれない。
声優の演技というか、歌い方も、最初と今とでは違い過ぎて、パッと聞いても誰か分からないのもいるし。
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私は小渕さんの書く詩が苦手で、若いころに作った曲はともかく最近の曲はアラフォーが書いたと思うと特に恋愛系の歌詞にはゾワっとしてしまう。
コブクロの楽曲のほとんどが小渕さん作詞作曲なので、コブクロの歌詞のほとんどが苦手ということになる。
じゃあどうしてコブクロの曲を聴いてファンになるまでハマって今までライブに通い詰めてきたのかというと、曲のメロディーや伴奏、歌声が好きだから。
そして何より黒田さんの作った楽曲、詞が好きだから。(小渕さんの曲で好きな曲ももちろんある)
黒田さんの曲は人情的で、泥臭く足掻いていて、時にはとても繊細で臆病で、遊び心があって、そんな楽曲たちが大好きだった。
DOOR(https://www.uta-net.com/song/19060/)には何度励まされただろう?人生の節目には特に刺さった。
ライブで聴いた時の衝撃も忘れられない。力強い歌声と命を削って歌う姿には身震いした。
それに呼応するかのようにバンマスである福原さんのギターソロも特別熱がこもっていたように感じた。
そんなDOORとは変わってTo calling of love(https://www.uta-net.com/song/82451/)の繊細な詩と歌い方は涙が出そうなほど感動する。
CALLINGツアー(2009年)が初めてのコブクロライブ参加だったのもあり、最後のサビのアレンジには度肝を抜かれた。
バックバンドのピアニスト、よっしーさんの伴奏も好きで、弾き語り用の楽譜を買ってきてピアノで弾いた。
ピアノといえば休養前のツアー(2011年)、喉を患っていた小渕さんだけではなく黒田さんの喉の調子も悪そう、というか悪かった。
最初から声が出てなかった。正直聞くに堪えないくらい辛そうだった。
そんな中でのSTAY(https://www.uta-net.com/song/81761/)、よっしーさんが黒田さんの歌を庇うように力強い演奏をしはじめた。
その和音は黒田さんの声を掻き消すくらいに大きく鳴り響いて、大胆なアレンジも入れて。
でも黒田さんはそれに負けないよう声を張り上げて歌っていた。
2人のコンビネーションに目が離せない(耳が離せない?)ほど引き込まれた。
その後、最後黒田さんの歌から入って伴奏が追いつく箇所で(これはSTAYではなく流星かも?)、黒田さんの声が詰まって曲が止まってしまったときには素早く察知して溜めに溜めて様子を伺いながら伴奏を入れていた。
(それに対してMCの際に黒田さんが「変な入りしてごめんなさい」とよっしーさんに謝っていた)
サポートメンバーがここまでミュージシャンに寄り添って、大胆なアドリブ演奏をすることはそうそうないのではないか?(本当のバンドならともかくコブクロはデュオ)
そう考えるとコブクロとそのサポートメンバーには強い信頼関係が築かれているのだろうなと私は思った。
だからピアノ伴奏のみのOverflow(https://www.uta-net.com/song/29980/)をライブで聴きたかった。
話は戻って、CALLINGリリース時期(2009年)の音楽雑誌でのインタビューでTo calling of loveについて小渕さんがこう答えていた。
「愛されたいとか、●●されたいという受け身なところが黒田っぽい」(記憶が曖昧なのでなんとなくこんなことを言っていたなという意訳)
これを読んだとき、そんな人ならスキャンダルになるような問題を起こすようなことはないだろうな~とのんきに思ったのを覚えている。
……それでこれ。
黒田さんの詩に励まされてきた身としてかなりのショックを受けた。
報道を見て1日経ち、いったん冷静さを取り戻したところに福原さんのツイート。
「人生いろいろある」
https://twitter.com/gt_fukuhara/status/1392477617194868738?s=20
文脈的に黒田さんひいてはコブクロへの言葉と見受けられるけれど、人生いろいろあるのは奥さんとお子さんであるわけで。
福原さんのツイッター・インスタを見ているとコブクロにかなり熱量をいれてサポートしているように感じていたし、前述のようにコブクロとサポートメンバーには強い信頼関係があると思っていたから、山口メンバーに対してのTOKIO達のように、アンジャッシュ渡部に対しての児嶋さんのように、黒田さんのことを叱ってほしかった。被害者である奥さんとお子さんを慮ってほしかった。
ここまで全て私が勝手に思い描いてた人物像・組織図であって、そういう対応を期待したり、この件でたかがファンであるモブの一般人が裏切られたと思うのはおかしい話で、ましてや小渕さんではないサポートメンバーにそこまで求めるのだっておかしい。
リプライ欄に否定的なツイートがわずかながらあったけれど、福原さんの言葉に意見を述べるのはともかく黒田さんへの否定的な意見をそれこそサポートメンバーに送り付けるのはお門違い。
バンドマンはクソ
ああ、黒田さんを叱らなかったのってそういうことかな……と、自分の中で憶測が憶測を呼び勝手にまた傷ついて、そもそもそんな憶測だらけの勝手な想像でこの件を受けて裏切られたと思うのはお門違いで(以下略)
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ということをコブクロファン会員サイトの交流系SNSに投稿しようとしたけど、投稿するのをやめました。(えらい)(でも吐き出したかった)(会員はやめる)
これを読んでくれた方はどうか、私の自分勝手に描いた人物像や関係を鵜呑みにしないでください。
特に福原さんはとばっちりで一般人のモブ1人に勝手に虚像を描かれてがっかりされているだけなので……
モブ1人ファン離れしても何の支障もないと思いますが、モブから見たら今まで何度も助けてもらった主人公に背中から刺された衝撃はでかく悲しいものです。
きちんとした取材をしようとすると費用がかかるが、フェイクニュースはそれに比べれば費用はかからない。
有料ニュースサイトの記事は読めないが、フェイクニュースは無料で読めるので拡散する。
オープンソースも持続しなくなってきた。
管理をしなくなればすぐに使われなくなったり、マルウェアの餌食になる。
有名なオープンソースでも開発費を維持できず、寄付を募ったりでなんとかしのいでいるが、金策をなんとかするのに労力がかかる。
それでいてAmazonが実装すると、Amazonにはお金が流れるがオープンソース開発元には直接お金は流れない。
広告もひどくなってきた。
YouTubeプレミアムのようにお金を払わなければいくらでも広告を表示してもいい、というふうになったし、
その広告すら詐欺まがいのものでも表示されるし、お金を払ってなければいくらでも酷い広告を表示してもいいとなっている。
ターゲッティング広告だと個人情報をトレースするのを禁止したのだから、酷い広告を表示してもいいという論理になっている。
ネットはどんどん酷い場になっていく。
酷い場になればなるほど、GoogleやFacebookの一部のサイトの中に閉じこもらないと安全ではないとなる。
検索エンジンとしてのGoogleは、いかにGoogleという検索サイトから他のサイトに移動させるかが使命だった。
いつの間にかGoogleは色んなジャンルを買収し、Googleの中で閉じるようになった。
ネットが酷い場になればなるほど、人々はGoogleの中に閉じこもることになる。
広告で無料で使えるというのが増え、無料で利用できるのが当たり前になり、適正価格というのがわかりにくくなった。
自分がお金を払わなくても、誰かがお金を払っているから維持出来ているとか、裏でデータを売って稼いでいるとか、そういう認識になっていく。
実際そういうことをしないと食っていけないのもどうかと思うし、倫理観からやっていなければ馬鹿を見る。
クリエイターに優しいようでいて優しくもなくなっている。
ミュージシャンはYouTubeくらいしかMVを上げて効果のある場所はなくなっているが、YouTubeに上げると無料でMVから音楽部分だけを抜き取ってYouTube Musicで聴かれる。
サブスクリプションを解禁していないアーティストも、どこかの誰かがYouTubeに上げた楽曲が聴ける状態だった。
結局、曲を売るだけでは食って行けず、ライブでグッズを売って食いつなぐしかなくなった。
プラットフォーマーが積極的にクリエイターを宣伝してくれない。広告で食っているのだから。
広告を出した側に利益が生まれ、その一部が広告費として回るのならわかるが、そうはなっておらずアクセス数のみで決まる。
広告を出す側はもっと効果のあるシステムを求め、広告配信システム側はより個人情報を求めるようになった。
広告で稼いでいる媒体はアクセスのみで稼げるので、いかに広告を踏ませるかに工夫を凝らす。
まだ市場が拡大しているときは良かっただろうが、もうフロンティアはない。
最初、音がごちゃごちゃしていてうるさくってナルシスティックでなんて気に触る曲だろうと思った。
でも音の抜き方が絶妙でおしゃれでどうしてもやるせなくてかっこいいと思ってしまった。
ベスト盤を借りてきてひと通り聞いてその一枚で充分で、ほかのバンドと同じようにそのまま記憶の隅に眠ると思った。
それでも他のデータがウォークマンの残り容量を食っていってもたまに取り出しては聴いて、私は椿屋四重奏を消せなかった。
彼らを見つける前の話をする。
もし音楽に物心がつく時があるならば私の場合志村正彦に出会った時だ。
シンプルなのに予想と異なり期待を上回る音が大好きだ。だからこそ限られた曲をすべて聴く勇気が今でも出ない。すべてが予想通りの志村正彦の音楽になってしまうのが恐ろしくて堪らない。
必死になって代替品を探した。彼のルーツ、好きだと話した音楽、同年代の音楽。分かったのは私はロックがあまり好きではないということと同じものはないということ。
閑話休題。
月日は経ちひょんなことからノイジーな音楽が入り用になった。私のウォークマンの中で一番うるさいのは椿屋四重奏だった。周りの音を掻き消せば事足りた。
深紅なる肖像、薔薇とダイヤモンド、TOKYO CITY RHAPSODY、CARNIVAL。
アルバム一枚分ずつ椿屋四重奏がウォークマンを侵食していった。彼らは欲しい音を激しい音も穏やかな音も確実に鳴らしていった。
孤独のカンパネラを鳴らせ、一枚だけが残っても躊躇はなかった。その名の通り椿の落ちるような鮮やかな解散はただただ美しく見えた。
椿屋四重奏が残した映像はあまりにすくない。音も画面もバキバキでみにくかったが中田裕二の歌だけは際立っていた。ナルシスティックに聞こえた歌は、つぎはぎだらけの架空のかっこよさではなくそのまま彼から出ているものだということを数年ごしに知った。
もっとその声が欲しくなってしまった。中田裕二は生きているから。怖々と私はソロの楽曲を試聴した。椿屋然とした曲は最初なじまなかった。それでもやわらかであでやかさを増した楽曲達は椿屋四重奏よりもずっと好みだった。
椿屋四重奏と同じ数だけのアルバムがウォークマンに収まる頃には私は椿屋四重奏よりもむしろ中田裕二に魅入られていた。
いつから手遅れになったのだろう、とたまに思う。
ギターの弾き語りだとその声がよく引き立つことに気がついた時から?
école de romantismeのさみしさを孕んだうつくしさに聞き入ってしまったから?
ライブごとに曲のアレンジを変えた最高の状態で演奏しつづけるさまを見せられたから?そもそも椿屋四重奏をきいた時からだろうか。
春あたりに一年に一回のペースで出るフルアルバムとそれに伴うバンド編成によるツアー、全国での弾き語り、年によってはトリオなどのトリッキーな編成のツアーをこなされたらほかに気がうつる暇もない。去年はひまだからなんていって二作品もアルバムを出してしまった。
ワイン、ウイスキー、日本酒と忙しなく熱を注ぐのを見てしょうがない人だなと思う。調味料の話します!と話してもの足りなさそうに切り上げるのを見て面倒な人だなと思う。
でも、アルバムが出るたびライブを見るたび、何度でも魅入ってしまう。最高の演奏の後、これからも好きなようにやりますとへらへらと笑っているのを見たらお願いだから好きなようにやってくれと心から思うのだ。
まるで炎のように常に揺らめいて姿を変えて魂ごと取り込まれてしまいそうなほど、見入ってしまう。
血を吐き出すようだった椿屋四重奏という季節に囚われないでいい。
でもたまに歪んだエレキギターをかき鳴らすのも聴きたい。
おだやかなPredawnも激しい群青も全部等しく愛している。
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
少し前にヒプマイにハマって、バトルシーズンも緩やかに楽しんでたけど、中間発表後のオオサカのオタクたちの様子がおかしい。それに感化されて他ディビ推しのオタクたちの様子もおかしい。
積む、積まない、積んだ方がえらい、積まないやつは要らない。
そんな同調圧力や排他性、趣味を楽しむのに必要か?日常の息苦しさから逃れるために、人生を楽しむためにオタクやってるんじゃないのか?
生活費削って投票するというツイートも少なからず見かけた。それに大量のいいねやリツイートがついているのも見た。欲しがりません、勝つまでは、か?戦時中か?支持してる人達同士で仲間意識を持ち、支持しない者の不安を煽る。
悪いのは商法です。まだ運営の金の使わせ方に疑問を持てている人はいっそお金を使わないという選択をしてみませんか?黙って金だけ出し続けていたら運営体制は変わらないまま。コンテンツありきなのは分かってる。それを支えるためには金を出さなきゃいけないのも分かってる。でも消費者側にもお金の使い方を選ぶ権利はある。同じ金額を使うのでも、もっと別の使い方があるのなら、バトルのようなシステムとは別の使い道があるのなら、そちらを選ばせてほしい。
声をあげれば、体制を変えることはできるんじゃないだろうか。できなければその体制の中で生き残ったオタクだけが金を出し、その他のオタクは離れていくだけだろう。いずれにせよ、こんなに消費者側が消耗しているジャンルの息がそう長く続くとは思えない(そもそも最初から運営側もそういうつもりなのかもしれないが)。コンテンツはオタクの人生を保証してくれない。どんなにお金を出しても勝ちは約束されていない。お金を使い切ったあとで残るのは貧しい自分の生活だ。
投票しないのは不買運動と同じだ。商品は良くとも企業理念を肯定できなければ起こる不買運動と同じ。商法に賛同できないから投票しない。この理由で投票をしないという選択肢もあるのではないか。
色々言ったが、この商法嫌だよ〜…とかおかしくない…?とか思ってる人はいっそ投票しないでみるのはどうか、という提案です。
ヒプマイは運営がキャラクターを人質に取っている、なんて比喩も散見されますが、このシステムのままでは金で推しが解放されるわけではなく、どんどん縛られていきます。推しが息しやすい環境にするために声をあげてみるのはどうか、今回であれば投票しないのはどうか、運営に問い合わせてみるのはどうか。(運営への問い合わせは私もやります。)
投票を扇動する文章を書くような人たちは文章が上手だし、推しのために心込めて書いてるからそれに心動かされた人がいるかもしれませんが、一度冷静になって最初にあった違和感を大事にしてください。他人に強要し始めたらマルチや宗教になってしまいます。推しを信仰する気持ちは分かりますが。
ただ、キャラクターや楽曲はもちろん舞台やVRなどのコンテンツ自体はすごく良いのでそれはお勧めします。それだけにこのバトルの商法(によってオタクが色んなダメージを受けていること)が悔やまれるというか、コンテンツ豊富なので無理に手を出さなくてもいいはずなのにバトルに積まないとファンじゃないという空気があることがしんどいというか、資本主義クソ喰らえだぜというか…。
トクマルシューゴの「canaria」がYouTubeに上がって間もなく1年。
360度手描きアニメーションのMVで、映像と音はリンクし「右」の光を追いかけて顔を向けると右の音が正面になるなど、この世界に入り込んでる感がめちゃくちゃ凄くて、初めて観た感動は今も鮮明だ。
しかし、このMVは未だマイナーだ。まだたったの3.5万回しか再生されていない。
2年前に出たやくしまるえつこの放課後ディストラクション(こちらも360度MV)の219万回と比べると悲しくなる。
楽曲的に決して劣っているわけではないし、MVのクオリティとしてはcanariaが圧倒的だと思うが、どうしてこれほどまでの差がつくのか。
元々の知名度を考えれば確かに彼女のほうが上なので、それは仕方がない。
しかしこの差の原因は、おそらく放課後ディストラクションがVRゴーグルかけなくても良いように作られているのに対し、canariaはVRゴーグルかけてイヤホンなりヘッドホンなりで聴かないと魅力がかなり減退するところではないかと思う。
マイナーなアーティストのMV観るためにVRゴーグル準備するのはダルい、というのはわからなくない。
とはいえ、埋もれさせるにはほんとに惜しい作品で、どうか多くの人に観て欲しいと願っている。
なぜならYouTubeのMVなので、音質は高が知れている。多くの人が観て評価してくれれば、高音質版を単独販売する可能性もあるんじゃなかろうかと思うからだ。
最近プロセカが流行っているからなんとなくアーケードのDIVAとゲーセンついての覚え書き。
私はprojectDIVAが好きだ。それこそガチ勢とされる方々にはまったく並べるものでは無いが、長い間ほどほどに楽しんできた。ライトユーザーである。そしてその記憶にはゲーセンの記憶が色濃く残っている。私が初めてDIVAアーケードで遊んだのはおそらく8年ほど前で、まだ毎月のように楽曲が増えていた時代だった。200円で1曲保証がプレイできるという今思うと訳の分からない価格設定である。現在はちゃんと100円で2曲できる。
ある時期、初めてプレイしたのとは別のゲーセンに家族の影響でよく行くようになった。そこは音ゲーが沢山ある場所だった。そして1つちょっとおかしな所があった。そのゲーセンには確実に店長の趣味とかであろう、DIVAのコーナーがでかでかとあったのだ。ほかの音ゲーより思い入れが確実に違う。なんかスペースがでかい。2つのDIVA筐体と机と椅子。それだけだと普通の場所と変わらないが、衝立で区切られたそのスペースの入り口付近にはでかいクリアケースが置かれていた。自分の身長より高いその2段のクリアケースの中にはボーカロイド関連のフィギア(主に初音ミク)が敷き詰められており、一種の展示場のようになっていた。そして机の上には色鉛筆や消しゴムなどの筆記用具、ゲーム内で撮影したフォトを保管するファイルやコミュニケーションノートが置かれていた。コミュニケーションノートって廃れた文化なのではないのかと思ったが、そこには当たり前のように置かれていた。東京とかそういう場所ではよくある光景なのかもしれないが、ここはまぁまぁの田舎である。スーパーの中のゲーセンが主流なこの地では、そこはとても異質で、魅力的に映った。
私は2週間に1回くらいのペースで土日の昼頃にゲーセンに通った。学生なのであまりお金も無かった。DIVAを数回楽しんで、終わったあとに内容が増えている交流ノートを眺めて色んな人が訪れているんだなぁと感動していた。上手い絵を描いている人に触発されて、下手くそながらイラストを残してみたり。遊んでいるよりノートを見ている時間の方が長かったかもしれない。こういうのオタクはみんな好きでしょ。しかし書き込んでいる人は確かに居るのに、1回も会ったことは無かった。なんでだろうと読み返してみると、会社帰りに遊びに来た、とか平日休みで1日中遊んだ、などと書かれており、大人の人が多いのだと納得した。
交流会なんかもあったらしい。私は参加するまでの勇気は無く、何日何時にありますという貼り紙を見て、どんな感じなんだろうと想像を膨らませていた。交流会のあった次の日に訪れてみると、机の上には参加者が持ち寄ったお土産が残っていたりして、それを食べながらノートを書いたりしていた。
DIVAアーケードは最近廃れている、と思う。最近でもなく、2,3年前からかもしれない。なんでまだ生きているのか謎に思うことがよくある(大好きだったビーストが消えてしまったように)。運営している会社元が倒産したり、DIVAnetが終了したりしても、何故かまだ生きている。楽曲追加ももうどれだけされていないのだろう。DIVAが他の音ゲーと違うところはやはり、"ボーカロイド"がメインなところにあると思う。キャラがメインなのである。何百種類のモジュールや凝ったMVはまぁ他の音ゲーではまず見ない。そもそも一緒のジャンルだと考えるのがおかしいのかもしれないけど。パンピーはきっとやらないだろう。目にも入らないかもしれない。私のようなボカロオタクしかやらないものだから、オタクが減れば同様に廃れる、と思っていた。しかし、最近プロセカがとても人気である。こんなに人気が出るとは思っていなかった。どうやらボカロをあまり知らない人が、プロセカを通してボカロの楽曲を知る、事例が結構あるらしい。プロセカの楽曲は、当たり前だけどDIVAと同じものが沢山ある(最近激唱が追加されて少し小躍りした)。そしてそれぞれのセカイにクリプトンの6人がちゃんといる。今まであまり注目されてこなかったMEIKOやKAITOが知名度をあげたのではなかろうか。プロセカをプレイしている人達が、ゲーセン内でDIVAから流れる楽曲に、キャラクターに、あっとなって遊んでみたりとかはしないだろうか。プロセカとコラボなどしたら、確実に新規層の獲得ができると思う。まぁ運営がどうなっているのかよく分からないのでなんとも言えない。
私は今でもゲーセンでDIVAをやっている。たまにだけれど。そのゲーセンも、DIVAのスペースは少し小さくなったが、録画台をどの音ゲーより最初に取り入れ、ゲーセンの入口に設置されたテレビにはDIVAのデモ映像が永遠に映し出されているという安定の贔屓っぷりを発揮している。コミュニケーションノートは流石にもうなくなった。
廃れまくったDIVAだけれど、愛している人はまだいるので、細々とでも続いてくれれば良いなと思う。
最近スーパーで流れてた、いかにも最近のネットから登場したような曲は、
自分の存在理由が分からないとか、なんかそんな感じでぐだぐだした歌詞で、
ただ売れてる、聴かれてる、若い世代にウケてるというのだろうから、だとしたら刺さってるんだろうけど、
自分は、何で自分は生きてるんだろうとか、自分が存在する理由なんて考えたり悩んだことがそもそもないので、
オウム真理教の事件のときにもあんまり共感できなかったんだよね
というか、オウム真理教の事件でよくインテリほど騙されやすいみたいな話で、
それをアルカイダだのビンラディンだのに重ねる話もよくあるし、そういうこともあるんだろうけど、
オウム真理教にかぎって言うなら、あんまり大義みたいなのを感じなかった
オウム真理教で感じたのは、大義より義憤というか、この社会を恨んでいるような感情を感じた
日本の医療や科学技術のあり方に疑問を感じたからといって、だったらエコでもロハスでもスピでも勝手にやればいいし、
そうやって生きている人たちだっているわけで、まあ、それがオウム真理教予備軍っぽくもありはする
でも、予備軍は予備軍であって、暴走しなければ人畜無害でしかない
小林よしのり氏でさえ今はコロナは風邪とか老人はポアしろとかオウム真理教みたいなことを言ってる
言ってるけど、これも自分がオウム真理教に感じたのと同じで、どこか「私怨」を感じる
そう、あなたは色々御託を並べてるけど、結局はそれって「私怨」だよね?という感じがある
それから、オウム真理教事件の犯人って意外とそんなにインテリは多くないんだよね
上層部をなんだかんだインテリで固めてるのが社会の鏡写しみたいで皮肉さえ感じるのだけど、
実行犯とかはインテリではない、武闘派とか呼ばれる信者は高卒、中卒がメインで、
寧ろ社会的階層が低いことから日本社会を恨んでいる方が望ましいと思われていたのではないか
話を戻すと、そのオウム真理教なりの「私怨」とそれを隠す「御託」みたいなもので、
スーパーで聴いた歌詞も、最近話題になったうっせぇわだのみたいな歌詞も、なんか自分には刺さらなくて、
それはどっかから持ってきた歌詞、過去のリスペクトかもしれないし、
過去の楽曲を聴いてるうちに意図せず学習したのかもしれないけど、
「私怨」と「御託」で言うなら、やっぱり「御託」で隠してる、綺麗に見せてるように思える
端的に言えばナルシストでもあるんだろうけど、他人の言葉を拝借して重武装しているだけに思える、
ネットから文章をコピペで切り貼りしているんだけど、切り貼りの跡が見えるみたいな、
そんな感じがするんだよな、だから、尚更聴いててウンザリするんだと思う
ほんとうのこえをきかせてくれよ
だと自分は思うんだけど、そうでないものが売れるのはそれはそれで分かる気はする
自分も歌詞なんて楽器の音と同じであって、特に意味があるとは思っていないところもあるから
でも、なんか強烈な歌詞でインパクトを与えたいんだな、と思うことはあって、
「方程式」で歌詞検索して出てきたなかからアニソンの歌詞をいくつかピックアップしてみよう。
どの方程式も当てはまらないこの問は解こうとするたび溶ける まるで魔法にかかったマリオネット
離れたほうがいい 繰り返す呪文のように唱えるほどに落ちてゆくの
「好きだという気持ちを認めたくない」「離れたほうがいいけど近づきたい」といった恋心のジレンマが歌われている。
そもそも「どの方程式も当てはまらない」すなわち「問題の定式化」ができていないのだから元増田の批判には当たらない。
幼き頃の寂しさがまだ絡む方程式 例え明瞭な数式でさえ導けない
この歌は後半では
一人きりじゃないわ 共に行く仲間ができたの
となる。
彼女はセーラー戦士になったことで孤独から抜け出せたのである。
Mathsをうめても解けないTEST
嘘で炎上(もや)してHORRIBLE FEST
社会を変革するために犯罪にも手を染める主人公を描いたアニメ本編を見ればわかるように、
たとえテストの正解が出せなくても「明日を変えてく方程式」を推測でも実行していくことを歌うものである。
元増田の言うとおり近似解を出しているのだから批判には当たらない。
歌詞の後半では「恋はイコールじゃ括れないわ」とも歌っており、「問題の定式化」が不可能であることを示唆している。
Can not? Can not? できないの?
「これから知らない世界に飛び出していく君たちがどんな夢を選んでもきっと叶う」ということを歌っており、受験勉強を描いたアニメ本編に合わせた歌詞となっている。
後半の歌詞では「全てが正解な答えはどこにある? 満点の未来じゃなくてもやりとげるんだ」とも歌われており、
元増田の言うとおり近似解を出そうとしているのだから批判には当たらない。
もうヤ・メ・テ
らしさの押しつけとかヤ・メ・テ
方程式で縛るのはヤ・メ・テ
ここでの「方程式」とは未来の可能性に溢れた若者に対する「こうしたほうがいい」という押し付けの喩えであり、
むしろ「定式化」を拒否して自由に生きていこう、ということが歌われている。
解けない方程式どころか「僕たちにしか解けない」と断言されている。
その他の作品も眺めているとほとんど二つのパターンに当てはまることが見て取れる。
「解けない方程式」として扱われるのは多くこのパターンである。
しかし恋愛における「近似解」となると「彼女とは友達で我慢する」とか「他の似た女性と付き合う」といった話になってしまう。
そうではなく「君じゃなきゃダメ」だから「恋の方程式を解きたい」のであり、近似解ではダメな理由が十分に示されていると言える。
だいたい「きっと解ける=将来は上手くいく」となるか、「方程式なんていらない=自由に生きろ」となることが多い。
以上から「アニソンの歌詞は解けない方程式に固執し、有効な近似解を求めようとしない」とする元増田の批判はまったくの的外れである。
作品に罪がないということと、積極的にクリエイターを支持しないということは両立するんじゃない。この場合、推しをフォローするのやめてアウトプット(動画とか楽曲とか?)を楽しめるようだったらしたらいいのでは。
低収入のフリーター、アラサー、あるいはアラフォーでも、つまり弱者男性でもモテる。それがバンド・マジックだ。
面倒そうでおすすめこそしないが。
あるいは対バン(共演者)やお客、スタジオの店員やライブハウスのスタッフ等とできちゃう話も「あるある」だ。
ライブ後の打ち上げという行為はアマチュアが集まって演奏した後の合コンだと思ってくれて構わない。
そうすれば趣味の合う若くて寂しい異性と自然にマッチングできるというわけ。
そして真実を話そう。
別にプロ志向である必要はない。楽曲がオリジナルである必要もない。
ベースは重いし目立たない。やめとけ。
キーボードは高いし、DJは音楽センスとコネが必要だ。やめとけ。
その点ドラムは叩ければよい。
初期費用にかかる機材代も安い。
ミスチルやブルーハーツ、ジュディマリのコピバンくらいはできるだろう。
それで十分だ。
合法的に物を殴りまくれる。
デカい音が出る。
ストレス解消にもってこいだ。
太っててもいいのも強い。
そしたらメンボ(楽器屋でもネットでも色々ある。探せ。)で人と合え。
ドンパンドンパン叩けてスタジオ代を折半できる人間なら十分だ。
CDが売れなくても、世の中には音楽をやりたい人が多い。誰かと一緒にしたがる人と出逢え。なるべく下心を隠せ。
ヘタでもいいと言ったが、別にKing Gnuや東京事変のようなバカテクバンドをやろうとしなければの話だ。
うっせぇわやYOASOBIみたいなのあるだろ。
メンバー募集の掲示板を見ればいっぱいあるだろう。好きなのにしろ。
あるいはアコギやピアノに合わせてジャンべ(パーカッション)を叩くでも良い。
ただ、客になるな。下に見られる。
関係者になれ。
とにかくバンドを組め。
キモくて金がないおっさんことアラフォーの弱者男性でもモテる。
コロナ禍で他のバンドだってライブも練習もできてない。条件は一緒だ。
ただ、これは東京都の話。
漫画のアンソロジーとか楽曲のリレー(メドレーとはちょい違うかも?)みたいな複数の専門家が集まって成果物を作れるのがちょっと羨ましい
プログラムは基本複数人で作るじゃん って言ってもたいていプログラムはシッチャカメッチャカになるし成果物はプログラムじゃなくてソフトウェアになることが多いから(組み込みの分野はちょっと違うか)手にとって眺めるとかもできない
なんか自分はこれを作ったんだ! みたいな達成感を得たいのかな?
プログラム書くのは好きなんだけどこれはこれで別の話みたいな気分になっている
あのさあ。
どうしておまえらは二つ以上の単語で検索するということをしないんだ?
「戦艦の名前で画像検索するとゲームの絵がー」「競走馬の名前でアニメの絵がー」って騒ぐけど
「金剛 戦艦」「スペシャルウィーク 競走馬」で検索すりゃいいだけだろ。
簡単な話じゃねえか。
なんでそんなこともできないんだ?
たとえば誰かからいきなり「ディープインパクト!」とだけ言われて
競走馬のことなのか映画のことなのか探査機のことなのか楽曲のことなのかお笑いコンビのことなのかプロレス技のことなのか
おまえらには分かるのか?
おまえらに分からないことがどうしてGoogleに分かると思うんだ?
「何も言わなくてもGoogle様は私の調べたいものをエスパーしてくれる」というナイーヴな考えは捨てろ。
「ディープインパクトといえば競走馬に決まってるじゃん!」なんて甘えはGoogle様には通用しないんだよ。
そもそも勘違いしてる奴が多いがGoogleの長所は「検索精度」じゃない。
一時期「Googleの検索精度は高い」と言われていたのは他の(クソザコ)ロボット型サーチエンジンとの比較にすぎない。
本当に「価値の高い」ウェブサイトだけを見たいならディレクトリ型サーチエンジンのYahooでよかった。
Googleが素晴らしいのは「検索範囲の広さ」と「充実した検索オプション」なんだよ。
Googleのクローラはゴミみたいな個人サイトの情報まできっちり拾ってくれる。
それを検索オプションを駆使してフィルタリングすることで欲しい情報を見つけ出せる。
もとより口を開けて待ってるだけで欲しいものが降ってくるサービスじゃない。
いいか、おまえらは「検索汚染に苛まれる哀れな被害者」じゃない。
エコテロリストかよ。
どうしてもGoogleを使いこなせないなら人力検索はてなでも使ってろカスども。
それでも消さないでくれというなら「完全一致」を選択すればいいだけ。
その程度の手間さえかけられない雑魚だから情報弱者なんだよおまえは。
金剛と言えば艦これの金剛のことだと思う人が多数派だとgoogleに示されるのが、母屋を乗っ取られた感じがして、心情的に受け入れ難いのでは?
そういう心情が異常だって言ってんだよこっちは。
これのことなら、好きな馬の名前を検索欄に入力したら「嫌い」がサジェストされてショック受けたって話だから検索結果関係ないよね。
何でその話だと思ったの? ねえねえ?
まあたかだか「嫌い」と出てきただけでショックを受けてしまう繊細ヤクザはネットに向いてないってのも事実だけどな。
「神はサイコロを振らない」って誰の言葉だっけ?と思ってググっとちょっと面食らった。「誰」まで付けて半々か。
「神はサイコロを振らない 誰の言葉」でググれよカス。
「誰」って誰だよ。
バンドのメンバーが「誰」かもしれんし、ドラマの出演者が「誰」かもしれんだろ。
ここで「いや誰といえばアインシュタインが出てくるべきでしょ」というのはおまえの中でしか通用しないルールであって、そんな思い込みは捨てるんだよ。