「於いて」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 於いてとは

2019-12-27

たくさんセックスをして自己肯定感が湧いた話

35歳男。世の中に自分の居場所があるのか、いつも自分に問いかけていた。

ここ数年、たくさんセックスをした。そしたら自己肯定感が湧いてきた。

相手は様々。女子大生もいるし、社会人もいる。彼氏持ちもいるし結婚している人もいる。おしゃれな人、太っている人、裕福な人、不幸な人、色んな人がいた。色んな人と会話をして、キスをして、セックスをした。セックスに詳しくない女性に性を教え込んだこともあったし、お互い協力して最高のセックスを追求することもあった。癒やされるセックスも、溶けて無くなるかのような激しいセックスもした。

そういう経験を経て女性人間というものが多少わかってきた。なかでも一つ知見として得られて良かったことがある。男性女性を強く求めるのと同様に、女性男性を強く求めていること。そのことがわかったし、自分を求めてくる女性結構たくさんいるということもわかった。自分を求めてくる人がいること、それはこの世の中に自分の居場所ができたことと同義だった。

たくさんの女性セックスしたことは、おそらく世間的には良しとはされないだろう。彼氏持ちや夫がいる女性とのセックスもしたので自分のせいで不幸になっている人がいるかもしれない。全部公になったら罵詈雑言を浴びせられる側になるだろう。でも、それはもうどうでもいい。他人の顔色を伺うより自分の居場所を作ることのほうが遥かに重要なのだから。たとえ誰かを怒らせても、罰則がつくことになっても、自分セックス依存症だと診断されることになっても、それらは些末なことなのだ。

セックス観も変わった。以前の性に疎い頃は、どうも男性女性搾取しているような感覚があったが、少なくとも自分セックス於いては全くそうではないと思った。むしろ女性からセックスを求めてくるほうが多いと思う。世の中の女性はこんなにもセックスに飢えているのかと驚くくらいだった。搾取ではなく協力。それがセックスだ。

そして無事、自己肯定感のある健全精神を手に入れた。

今はもう昔のようにセックスをしなくても良いと思ってる。でも、女性から求められたら断れない。女性も恥ずかしい中セックスを求めてくるわけだから、それを断るのは人間としてひどい行為からだ。さて、仕事納め今日セックスだ。

2019-12-09

[] 承知しました

相手要望に対する返答に用いる。

「(相手要望の)趣旨理解しました」との意味

しかし、相手要望に応じた行動はとらない。

https://buzzap.jp/news/20191204-wakarimashita-naikakufu/

  

「承諾」は、「承知」が「聞くこと・知ること」がポイントであるのに対し、「承諾」は単に聞く・知るだけでなく、

最終的に「引き受ける」ことがポイント

相手事情を「承知」した上で「積極的に引き受ける」ニュアンスがあります

https://news.mynavi.jp/article/20190517-824604/

  

※「承知ではなく承諾してください」と言質とらなきゃあかんかったんか?

 でも承知の例文だと、

  

(例文)

承知しました。すぐに在庫確認して参ります

承知いたしました。準備出来次第、お届けいたします。

かしこまりました。明日までにご用意いたします。

https://news.mynavi.jp/article/20190517-824604/

  

認知だけでなく行動が伴ってる。

 行動はあくま忖度サービスであって、「承知」に於いてマストではないってこと?

2019-11-18

香港の話 民主デモ あと共産党 要約すると『香港は誰の物?』問題

ついに煮詰まりつつある香港デモですが、まあ難しいよね。

日本民主国家であり、中国社会主義看板を掛けた独裁国家なのだ

一党独裁体制と言われるのだけど、強大な権限を持つ指導部がけん引していくことを前提に組織が出来上がっている。

共産党にとって、中国国内は全てシマウチであって、指示に従わない方が変だという姿勢なのだ

対して、香港は100年近くもイギリス支配していた。領有特有のあれやこれやはありつつ、それでも少なくとも民主主義が建前だった。

まずこの、主権の在処が大きく齟齬を生み出す。

民主制於いて国民は、何より尊重されなければならず、一党独裁体制では尊重されるべきは体制の存続だ。

今、日本は『成功した社会主義』なんて陰口をたたかれつつも個人財産権自由保障されている。デモだってハロウィンだって蘇民祭だってやっても殺されることはない。

同じ感覚中国へ行き、反体制デモに参加すると結果は哀れなものになる。

その中間民主主義が育ち、独裁に組み込まれ香港ではどうなるか。

はっきり言えば『香港は誰の物なのか?』という問いへの答えが出るまでデモは続くのかもしれない。

共産党は、返還されたのだから当然自分の物だと思っている。

香港とそれが醸す民主主義で育った香港青年たちは当然、それを構成する自分たちの物だと思っている。

互いがその思いを譲れない以上、共産党軍は守るべき国民に銃を向けることになる。

香港大勢知識階層産業施設を失うことになる。

市民駆逐することは出来ず、禍根は後を引くだろう。

共産党市民香港はどちらの手に握られるのだろうか。

2019-10-24

田中亜以子さんの論考が滅茶苦茶

「感じさせられる女」「感じさせる男」という役割は、いつ生まれたか(田中 亜以子) | 現代ビジネス | 講談社

これな。中を読めばなるほどと思わされる近現代面白いトピックがたくさん書いてあるんだけど、それはいいんだが、総論があまりにおおげさじゃね? 「男性女性を『感じさせる』セックスデフォルトとする価値観誕生は、20世紀初頭の西欧に見出すことができる」とある。マジかよ、と驚いた。

とはいえ女性受動的、男性能動的とする当時の性別観は強固に維持された。(中略)『感じさせられる女/感じさせる男』の誕生である」ともある。そこに至る論旨がよくわからないんだが、なんか「女性受動的、男性能動的とする性別観」イコール「感じさせられる女/感じさせる男、という性別観」であり、そんな価値観19世紀以前の地球人類には存在しなかった、と言ってるように読める。そりゃいくらなんでもおおげさじゃねーの。

そんなに最近まれ特殊価値観だとしたら、「昔のセックスは男女対称だった」という例が,いくらでも挙げられるハズだ。しかしどこまで読んでも、それは、ない。ないのはどう考えてもオカシイんだが、そう指摘するブコメもない。春画では男女が対称的に絡み合ってる、という仄めかしが冒頭にあり、全体の締めに「性的快楽平等は、女性リプロダクティブ・ライツ保障はもとより、社会的女性男性と対等な存在となることなしに、ありえない。そして、そのときこそ単純な『感じさせられる/感じさせる』という性役割消滅しているのではないだろうか」とあるが、その割に、江戸時代町人男女は社会的に対等で性的に対称だった、のかどうか、踏み込んだ検証もない。なんでないの。ないならなんで仄めかすの。

オスがアプローチし、
諾否の決定権はメスが持つ。
オスが攻めでメスが受け。

その構図が、西暦1900年以降の西欧発明されたものだっちゅーの? アホか。地球上の大抵の虫も鳥も、カメレオンクジャクラッコカメも、そういうふうになってるじゃないか。それでも普遍的とは言えない、というなら別にそれでいいけど、数億年単位歴史があるものを「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

精子は貧弱だが活発で無尽蔵、卵子は富栄養だが不活発で希少である。種の生存戦略としてそれが普遍的な正解だとは言わない。原初地球原初の海の所与の条件下で、たまたま結果としてそういうタイプ勢力を拡大した、ということなのかどうか、まあとにかく事実としてそうなった。そういうタイプ生物於いては、オスが遺伝子を残す確率は、ほぼ、孕ませたメスの数に比例する。要するに、片っ端からヤリたがるのが正しい。

一方、メスはいくらヤッたって、一繁殖期当たり、通常一体のオスの子しか孕めない。当然、遺伝子を残す確率を高めるには、相手を厳選しなくてはならない。クソみたいなカスみたいなオスに孕まされたら一巻の終わりだ。なにせ卵子は希少なのだからヤリチン英雄だがヤリマンは愚か。例外は「タマシギ」くらいしか知られていない。

ヒトの場合で言うと、オスは1年で300人を孕ませることだって(3000人だって原理的には可能だが、メスはその間、一度しか妊娠できない。クソみたいなオスのアプローチを、時にかわし時に撥ね付け、同時に一方では懐妊のタイムリミットも気にしつつ、落としどころで妥協して決断して受諾するしかない。人気ブコメに「女が『やらせてあげる』(男が『やらせてもらう』)っていう表現意識絶滅してほしい」というのがあるけれど、そういう意識の根源はここにあり、絶滅はなかなかむずかしいと思う。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

昔のブンガクの話をする。好色一代女は、「堂上家の姫君に生まれた一代女が、その道を踏み外して、快楽と苦悩とのないまぜになった売春生活の末に、次第次第に転落し、太夫から天神私娼へと堕ちてゆく」話で、1686年刊、とWikipediaにある。

あるいは八百屋お七。これはどこまでが史実でどこが創作文学なのかわからないんだが、大火で焼け出されたうぶな少女が、避難所遊び人にヤラれちゃって忘我の境地を知りメロメロになり、そのオトコに逃げられて想いを募らせ罪を犯すという話が、当時も、現代においても、深い同情と共感を呼ぶ。

あるいは竹取物語。男たちが求婚し、諾否の決定権は女が持つという、まさにそういう構図の話だ。

あるいは「逢ひ見ての のちの心にくらぶれば 昔はものを 思はざりけり」とか「つれなのふりや すげなのかおや あのようなひとが はたとおちる」とか、どうですか。エロいでしょう。西洋寓話には「眠れる美少女イケメンキスで目覚める」というのが多く、男女逆のは聞いたことがない。あれも、そういうことじゃないんですか。

あるいはオウィディウスの「恋愛指南」(複数和訳があるらしい。以下はネットで拾いましたすみません)。「私は[女が]自分の喜悦をついもらす声を聞くと嬉しくなる。私に待ってくれとか、こらえてくれとか、いってくれるのは嬉しい。女の愛の狂的な、もう参ったという目つきを見たいものだ。彼女をぐったりさせたい。もうさわってくれるなと拒ましめたい」「目当ての女性の膝に塵が落ちかかるようなことがあったら、指で払い取ってやらねばならぬ。たとえもし塵など全然落ちかかってこなくとも、やはりありもせぬ塵を払い取ってやりたまえ。なんでもいいから、君が彼女に尽くしてやるのに都合のいい口実を探すのだ」「接吻を奪ってからは、満願成就までなにほどのことがあろうか。ああ、なんたることぞ。そんなのは恥じらいではない、野暮というものだ。力ずくものにしてもいい。女にはその力ずくというのがありがたいのである。女というものは、与えたがっているものを、しばしば意に添わぬ形で与えたがるものだ」紀元前の書らしいよこれ。

これらに接して素直に浮かぶ感懐は、オレの場合、ああ、エロ事情って二千年前から変わらねえんだな、というものです。お前ら様はどうですか。ちなみに怪人小谷野敦は、怪著『もてない男』の中で「近代以降と中世以前との違いばかり強調するのがいまどきの流行だが、共通点だって普通にある(大意)」と述べている。「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、ないわー

◉◉

まあブンガクは置いとくとして、「ほとんどの生き物が、オスが性的アプローチし、諾否の決定権はメスが持つ」というのは、珍説でもなんでもなく、大抵の人が知っているはずの事実だ。「ほとんどの生き物で、まあ控えめに言ってもほとんどの哺乳類で、メスは交尾の間、ただじっとしている」というのも「ヤリチン武勇伝として語られがちだが、ヤリマンは呆れられる」というのも、大抵の人が知っている。「男の性欲は視覚からでも、あるいは内なるリビドーからでも一瞬で火が点くが、女の身体時間をかけ手順を踏んで優しい接触から始めてもらわないとなかなかスイッチ入らない」とか、「多くの男は射精快感自然に知るが、多くの女は上手な男に上手に開発されないとなかなか目覚めない」とかいうのも、まあ俗説かもしれないが、フェミ勢を含む多くの人が直感的に、かつ体感的に、認めているのではないか

若い女可愛い」というのも、無視できない。もちろん筆者なら「それこそまさに社会押し付けジェンダーロール」と言うだろうが、本当にそうか。「ヒトは、小さくてすべすべでふわふわで声の高い生き物を可愛いと感じ、愛でたくなるようにチューニングされている。子育てに有利だから結果としてそういう特性が優位になった」という仮説は、そんなにおかしくないと思うんだが。写真を見るとこの筆者自身、明らかにオレより可愛い

「オスが攻めでメスが受けなのは性器の形状から考えても当たり前」というような一見バカっぽい主張だって、「いつ生まれたか」を本気で考えるなら、当然アタマをよぎるはずのファクターだ。

なぜ、それらをすべて無視して、20世紀初頭の西欧なのか。

それは、「いつ、なぜ生まれたか」を、本気で考える気がないからだ。

この人は「それは社会的刷り込みに過ぎない。それもごく最近の、特殊な」という結論ありきでものを言ってる。だから、その結論に都合の悪い話は無意識スルーする

◉◉

ホニャララという価値観はなんら普遍的ものではない」式の主張は、確かに快刀乱麻感があって気持ちいいが、そもそも価値観というものはすべて何らかの偏りであり、したがって「普遍的ではない」のは当たり前だ。それだけでは「価値観価値観だ」と言ってるのと変わりない。

それが意味を持つのは、ホニャララフリー世界も意外に広い、という事実とセットの場合だけだ。例えば「チョンマゲはカッコイイという価値観」に対して、「チョンマゲを奇異に思う世界の方が圧倒的に広い」と提示することには意味がある。また例えば「食事というもの主食とおかずから成る」と思い込んでる人に、そうでもない文化圏存在を示せば、有益な目ウロコ落としになるだろう。だが「感じさせられる女」の論考には、男女が互いに感じさせ合う文化圏も意外に広い、というような例は、ぜんぜん出てこない。

そんなら、最初からこう言えばいいんだよ。「普遍的かどうかとか、いつ生まれたのかとか無関係に、私はその価値観が嫌いだ」と。「想像してごらん、男女が対称的なセックスを。私を夢想家だと笑うかい?  But I'm not the only one. I hope someday you'll join us」と。

オレは「セックス快感の授与と受容において、男女はもっと対称的であるべきだ」という、なんとなくジョンレノンっぽい主張を、批判する気はない。特に賛成でもないが反対でもない。そう思う人はそう主張すればいいと思う。少なくとも、悪い意見じゃない。

また、男女の性行動の非対称性自然根拠があるからと言って、「自然根拠があるから肯定・維持すべきだ」とも思っていない。例えば「痴漢は男が多い」ことには、生物としてもっともな理由があると思うけれど、だからといって痴漢擁護する気はない。いくら本能的にもっともであっても、否定されるべきことというのはある。

からね、その主張自体は、べつにいいんだよ。ただ、その主張を強化するために、客観を装ってもっともらしい嘘を述べ、あるいは誰かのもっともらしい嘘を本気にし、それをあたかも確定した事実であるかのように無批判引用し、自分の主張の根拠とし、都合の悪い要素はスルー、という、その姿勢がイヤだ。恥ずべきだ。

◉◉

オレの方こそ些細な点をおおげさに問題にしてるのだろうか。

例えば「そういう価値観は太古からある。ちょっと20世紀初頭の西欧から概観してみよう」とでも書いてあれば何も文句はないんだし、脳内さらっとそう読み換えて流すのが大人のたしなみなのかも知れない。だけどさー、「いつ生まれたか」というタイトルで、いやまあタイトルなんてものはね、著者の意向無関係編集者が後から勝手につけたりするもんだけどね、これの場合は本文中に「本稿では、『感じさせられる女/感じさせる男』という役割が、そもそもどのようにしてつくられていったのか、その歴史的経緯を概観したい」と書いた上で、直後に「誕生は、20世紀初頭の西欧」って、はっきり書いてあるんだもんよー。長くてごめんねー。

同一個体・同一意識で、いままで一度も滅んでいない生命は、

こ の 宇 宙 だ ー ッ ! !


かっこ 但し観測可能範囲内に於いて

2019-10-20

正直「リッチな」シナリオソシャゲは追うの本当に疲れる

……ので、キャライラスト(と3Dのゲームなら3Dモデル)といくつかのフレーバーレベルな規模の小さな台詞などのテキストだけお出ししてもらえば、あとは漫然とゲームするだけで自分には十分だなと最近本気で思うようになってきた。

物語キャラクターに興味がないからという訳ではなくて、むしろ逆で、気に入った作品物語キャラクターにどっぷりはまり込んでしま人間からこそ、「リッチシナリオの」「ソシャゲ」は本当に消耗してしまうという愚痴です。

リッチシナリオソシャゲって大抵期間限定イベントテキストにも力を入れているので、限定ガチャ特に限定イベント提示される情報量がそうでない作品に比べてあまりにも大きく、その情報を取り逃してしまった場合、たとえ継続してゲーム自体は遊んでいても、場合によっては途端に作品に関して致命的な情報弱者に転がり落ちてしまうかもしれないという焦りが生まれしまって、これが思ったよりモチベをガリガリ削りに来る。

限定イベントシナリオが終わった瞬間にすぐアーカイブに入ってくれればまだ良いが、基本的には期間を置かなければそのシナリオは復刻しないし、復刻したとしても一時的な復刻に終わることが多いし、復刻したシナリオ修正の結果以前とは完全に別物になっていたという例もあるし(基本的には修正してよりベターシナリオにするためと言っても、実際復刻前のシナリオ再現されないという事実自体存在する)、そもそもすべての限定シナリオが復刻される訳でもない。

それなのに基本ほぼ唯一恒常で読むことが出来る『メインシナリオ』的なコンテンツ於いても、当然のように以前の限定イベント提示されたであろう情報を前提に話が進むことがままあったりするので、そうなってしまうともう追いつけない、のでモチベ急降下、みたいな。

でもこのあたりの要素ってスマホゲームゲーム(というより物語コンテンツとして、か)として質の向上を追求すると必要になってくる部分の話だと思う。

結局プレイスタイルの違いなので合わないコンテンツには無理に触れる必要ないですよって話でしかないと思う……ので、あくまでも愚痴です。

自分自身、最近スマホではストーリーの薄いライトゲーム(探せば滅茶苦茶ある)を遊んで、シナリオを楽しむのは完結が確定しているコンシューマー買い切りゲームでというスタイル意識して変えたら大分精神的に楽になったので。

ただ、やはり期間限定イベントシナリオは、シナリオ重視のコンテンツならば尚更早めのアーカイブ実装があると良いなあとは思う。

アクティブ収益ダイレクトにかかわってくる部分だろうから難しいのはわかるんですが。

2019-10-18

宇崎ちゃん表現不自由展について

ずっともやもやを抱えていて、アート界隈の方の上から目線の「アートを知らないお前らを啓蒙してやるよ」的なエントリなどいくつか読んだのですが、

全くしっくり来るモノがなかったので、自分なりにまとめてみようと思いました。なお私はアートについて全然詳しくありません。


まず大前提として、これから話されるのはすべて自主規制の話です。公的検閲の話ではありません。

あいちトリエンナーレ補助金交付取りやめなどといい出したことは完全にfuckです、あれは表現の自由侵害以外の何物でもありません。

そういった話とは別に他者を傷つけるような作品クレームを受けたら取り下げられるべきか?どこからがアウトなのか?という、自主規制についての話をしようと思います

宇崎ちゃん献血ポスター表現不自由展も、どちらも市民からクレームに端を発する話でしたよね。



マーケティング界隈の言葉ですが、世の中の情報は大別すると「pull型」と「push型」に分かれます

「pull型」というのは、対象者自分から見ようとしなくても目に飛び込んでくるたぐいの情報で、広告ポスターテレビCMなどがそれに当たります

push型」というのは、対象者がそれを目当てにして自分からアクセスしなければ目に入らない情報で、映画演劇美術展などはそれに当たります

前者はパブリックな物で後者プライベートな物とも言えるでしょう。



欧米ではジェンダーロールの強化を招くような要素が入ったもの苛烈批判さらされて、掲示を取りやめさせられたりすることがよくあるそうですが、

これは主に「pull型」の、テレビインターネット広告などに於いての話です。黙っていても目に飛び込んでくる情報からということですね。



そう聞くと、「その程度で規制するのか」とギョッとする方もいると思いますが、日本で言えば東日本大震災映像などはそれに当たるでしょう。

2011年3月11日から数日間、テレビは繰り返し被災地悲惨な状況を流し続けました。それは報道の使命であるという矜持に基づいたものだったでしょうが

まり惨状に心を痛め、PTSDになる人が多くいたことが国立病院機構災害医療センターの調べで報告されています

そのような事態を受けて、BPOは各テレビ局に「震災報道ストレスについての注意喚起要望」などを出していますし、実際テレビ局内部でもそのような懸念から配慮が話し合われたことでしょう。

かと言って、震災についてもっと詳しく知りたいという人間書籍や記録映像などでその情報アクセスすることは規制されるものではありません。

前者が「pull型後者が「push型」ということですね。

嫌でも目にしてしまう「pull型」の情報規制が厳しいが、自分から見に行かなければならない「push型」はそうでもないよ。ということです。

宇崎ちゃんポスターは前者、表現不自由展は後者に当たると思います



というわけで「pull型情報には自主規制がつきもの」ということは納得いただけたと思います、ではどこから規制されるべきなのかという話です。

「宇崎ちゃん献血ポスター」は「pull型」の情報ですが、あれは規制されるべきなのでしょうか?

かつては、ゴールデンタイムテレビでも女性の裸が平然と出ていましたが、いまはそういうことはありません。出すべきだという人もあまりいないでしょう。

チャタレイ夫人の恋人」という小説が「わいせつ過ぎる」という理由で発売禁止を受けた時代もありました、いまはあの程度の内容でそんなことにはならないでしょう。

まり、何を規制すべきかすべきでないかは「その社会市民意識によって絶えず変わっていく」としか言いようがありません。

宇崎ちゃんポスターについては、あれを性的過ぎると思う人もいれば、そんなことないと思う人もいて、単にオタク気持ち悪いと思う人もいるでしょうが

その綱引きで決まるというのが実情だと思います

個人的感想を言うならば、「あの程度で性的消費なら男女ともにアイドルとか表で活動できないよな」と思いますけどね。)



と、大体このような補助線を引くと議論に筋が通りやすいのではないかと思いますが、どうですか?




ただ、

・「pull型」と「push型」に明確に峻別出来ない情報はたくさんある。(雑誌の表紙はどっちなのか、大きく広告を打ち出しているような大作映画は本当に「push型」でいいのかなど)

・「push型」でも規制される場合はある(暴力的ゲームなど)

という二点は一応付記しておきます

anond:20191016150214

この手の話は程度問題だって事を増田は分かってない。

程度問題というのは、性的な消費の為だと「意図しない場合」に於いても、だ。

増田はそれが分かってない。

増田は、「私が思う性的な消費は、製作者の意図あるかないかだ」と言いたいんだと思う。同じ体型でも、製作者の意図表現に現れて、卑猥な物が出来上がる。それは見ればわかるではないか。と言いたいんだろう。

しかし、「製作者が性的な消費を意図しない表現」においても、国・地域時代などによってそれが性的過ぎるとか問題無いとかは変わってしまう。絶対的基準などは無い。もちろん増田が決める事でもない。

ではどうやって線引きするのか?それは多数決しかない。その時の結果を、その時の基準にするしかない。

増田意見は単なる1票としてカウントされる。あなたはどんなに頑張って自分が正しいと主張しても、ただの1票にしかならない。

2019-10-14

新潟市死ね

死ね」本当はこんな言葉使いたくない。

でも使わなければ、この国の政治家地方国会も)には届かないんだろうな…

何なんだ。この世の中…

今回の台風19、僕の故郷長野千曲川決壊した。

千曲川は、故郷の誇り。

心が痛い。悲しい。

昨夜のフジ系のMrサンデーを見ていた。

コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」

これが、いまの我が国の「治水行政」だという。

そして、この事実をきちんと公表していないという。

下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。

海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます

かに都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。

はい長野から新潟に住んで4年が経つ。

過去3回の知事選新潟市長選、参院選などを見てきた。

米山隆一、花角英世、篠田昭、中原八一塚田一郎、石﨑徹。

その中でも特に、花角英世、中原八一篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。

この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。

新潟拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…

これらの公約について否定するつもりはない。

しかし、彼等の口から一言治水行政特に上流地域への配慮言葉を聞いたことなど一度もない。

信濃川水系下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民行政は、上流にいる人間責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設自分達の出来る範囲のことで努力してきた。

このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命財産は守られている。

その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味犠牲を背負ったのだ。

これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…

そのような人がいてもおかしくないと考える。

下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全生活環境や経済活動が保証されている…

今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…

話が反れるけれど…

新潟市は、これまで多くの地域犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。

国鉄の大赤字オイルショック最中であったのに、上越新幹線は造られた。

大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。

浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。

ホームドアだってこの時代には熱海新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。

そのツケが、国鉄解体民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線運営を押しつけられたのだ。

長野場合、あるパターンでは運賃JRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。

学割適用されない。家計にとってはかなりの負担になる。

長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川金沢など整備新幹線沿線地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。

しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。

それによって、いくつも疲弊した地域地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。

そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。

今月、消費税10%に上がった。

この増税で、キャッシュレスサービスが始まっている。

JR東日本管内では、モバイルSuica鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元キャッシュバックされるようだ。

しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。

随分話は反れてしまったけれど。

そう考えたとき選挙於いて上流地域治水問題に一切触れることなく、新潟拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。

中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。

被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!

あんたたちが、安全生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力結晶なんだからね!

感謝しなさいよ!

上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!

感謝気持ちを忘れるな!

長野県の行政関係者にも一言言わせていただきたい。

今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画策定することを求めます

今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…

長野県民も、下流地域首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります

市民ファースト県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。

新潟県や新潟市が、財政難からと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。

勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。

しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることな建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…

長野には雀の涙程度の予算しか配分されないのに…

ホント、そんなにお金があっていいよね!新潟県と新潟市は。

のしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから財政難理由補償支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。

かに、花角知事中原市長は、財政再建に向けて給料ボーナス20%削減した。

しかしながら、所詮20%。知事市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!

加えて、ボーナス支出され、退職金支出される。

我々庶民目線被災地出身目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!

これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革努力をしていると思いますか。

財政難であるというのならば、ボーナス退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!

名古屋河村たかし市長みたいに、ボーナス退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!

大阪府松井知事吉村市長みたいに努力しろよ!

新潟県の人口名古屋市の人口と同等である

当然出来ない事ではないですよね!

軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!

どうせ最後は保身に走るんだろ。

2019-10-13

民主主義手続きというのは、権威づけのために必要なのである

かつての為政者は神の代理であったが、神の死んだ現代では為政者とは民衆代理である

まつりごとに於いて「これは主権者様のご意向である」という建前は、今も昔も変わらず重要なのである

2019-10-03

anond:20191003121055

詰めたというか

上下関係なら

上司を下の立場から動かせる

・部下を発奮させる

ツールとして使えるし、

利害関係が薄そうな人を自身利害関係者にする

こともできるので

ビジネスパーソン於いて煽りスキル必須だともいえる。

2019-09-26

anond:20190926115521

から結城優奈は勇者である(その形についた名前がどういうものなのかが重要なんだからそこで終わらすなや)」ってことで、増田の挙げたのだと「信号機で会話する」もそうだけど、そういう形にそういう名前が付いているのまではいいとして、

「どうしてその描写執拗に入れてるんだ」まで推論でも憶測でもいいから入れろよハゲってことだよ。

ただのポーズ(見栄え)だったら本論に於いては無価値やし、「愛情っていう形のないもの伝えるのはいつも困難だね」を表現してるってんならそれはそれで一つの宮崎モティーフでええやろ。

記号として入れているものと好き・思想等でいれてるものをまず判別えっちゅーねん。

2019-09-13

[]絵師さんに表紙を頼んだ話

https://anond.hatelabo.jp:443/20190519061244

絵師さんに表紙を頼んだ話

これは私の愚痴であり、悲しかたことを並べているだけの話だ。誰かにとって有益情報もなければ、注意喚起意味もない。

ただ、こういうことがあって悲しいという、けれどこれを話せる友人もない、寂しいだけの女の話だ。

時間のある人はつきあってほしいが、私はこの件について意見を求めているわけではない。

かに聞いてほしくて、少しだけ慰めてほしくて、こうして綴っている。

私は同人生活が長く、小説を書いている。

初めて人様に表紙を頼んだのは、10年近く前だ。

以降、特定が怖いので、年数などに関しては明記はせず、フェイクも入れていく。

表紙を初めて頼んだ時には、どきどきした。

だが、出来上がった表紙を見たとき、「これじゃない」感がすごかった。

私はハッピーエンドが好きだ。そういう話を書いてもいる。

だが、その表紙はものすごく暗かったのだ。

キャラは浮かない顔で、背景も暗い。

見ていてめちゃくちゃ沈んだ気持ちになる絵だった。

けれど、せっかく描いてもらったものを「描き直して」とは言えなかった。

表紙サイズが違っていたからそのことだけ指摘して、絵の暗さについては触れなかった。

その後も、何度かそういうことがあった。

私が事前に「楽しい感じで」「笑顔で」と指定を入れておかないと、キャラは必ず浮かない顔で描かれる。

ハッピーエンドなのに、なんでだろうと思った。

ついでに記しておくと、背景もほとんどなく、たいていグラデかテクスチャが貼られているだけだった。

なぜ、指定を入れないと、いつもいつも似たような表紙になってしまうのだろうと思った。

絵師さんに表紙を頼むようになってから数年がたち、この間にもかなり悲しいことがあったのだが、それらを並べて記すと完全に身バレするので詳細には触れない。

ただ、人間不信になりそうなことはあった。

私は絵師さんに好かれるタイプではないのかもしれないと思った。

ちなみに私は、私の作品について好意的感想をくれた絵師さんにしか表紙を依頼していない。

全員がTwitter相互フォロー状態だった。

一方的に私が片想いをしているということはない。

私のことを知らない絵師さんにはまず頼んでいないのだ。

それでも、悲しいことは起こる。

さて、さきに記した初めてから数年後の話だ。

とある絵師さんに表紙を依頼していた。

あるていど事前に指定も入れていた。

〆切には余裕もあった。

ある日曜日、私は映画館に行っていた。前売りを何枚も買って楽しみにしていた作品だ。その日も二回は観るつもりだった。

そこに絵師さんからメールが入った。

ラフ確認をしてほしいというのだ。

私は、「出先だから帰ってから確認させてほしい」と返した。

しか絵師さんは、さらメールを寄越した。

その内容はこうだった。

今日中にやっつけちゃいたいから、いま確認して」

私は一瞬、自分が受けとったものが何であるのか、よく分からなかった。

やっつけって何? と思った。

意味が分かったら悲しくなった。

反論する気力もなく、スマートホンでモノクロラフ確認し、映画の合間にメールのやりとりをした。

悲しみや動揺で、映画を楽しめなかった。

映像を見ながらも、絵師さんからメールの文面のことを考えていた。

そして、私が帰宅したときにはもう完成原稿が送られてきていた。

それは本当にやっつけ感あふれる代物で、チェックしていて悲しくなった。

言葉の綾でもなんでもなく、まさに「やっつけ」だったのだ。

私の指定はほぼ守られておらず、まず表紙の色から違った。

●色と指定したのに、「▽色にしておいた」と原稿に添えられたメールにあった。

▽色は、私の嫌いな色だ。相談もなしにその色に塗られた。

解像度が違い、フォントが違い、うちのサークル名が違った。

ミスだらけだった。

指定したものが驚くほど蹴とばされていた。

これもキャラは浮かない顔をしているし、背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られているだけだった。(この本に於いてはそれ自体はいいのだが、この先のために記しておく)

とても悲しかった。

怒りより悲しみだった。

なんで彼女はこんなことを平気でするのだろうと思った。

記したもの以外にも頼んだことがあったが、それも彼女は実行しなかった。

だが、「今日中にやっつけちゃいたい」と言ってきた相手に、リテイクは出せなかった。

直せるものはすべて自分で直した。

文句は言わなかった。

原因はこの件だけではなく詳細を省いた部分にもあるのだが、ともかく傷つきすぎて誰かに表紙を頼む気になれなくなってしまった。

悲しくてしょうがなかった。

そこからまた数年がたつ。

相変わらず、人様に表紙を頼むことには怯えていた。

またあんな目に遭ったらと思うと怖かった。

けれど、絵師さんに表紙を頼んで傷ついたものは、結局、やはり表紙関係で満たされない限り癒えないのではないかとも思った。

他の文字書きさんが絵師さんに表紙を頼んで嬉しそうにしているのを見るのが辛かった。

好きな絵師さんが他の文字書きさんの表紙を楽しそうに描いているのが羨ましくて苦しかった。

ぐるぐる考え込んでいたが、羨んでばかりの状態健全ではないなと思えた。

そして数年ぶりに、絵師さんに頼んでみることにした。

その絵師さんは、にぎやかな楽しい絵を描く人で、この人ならキャラを浮かない顔では描かないのではと思えた。

それに、他の文字書きさんの表紙で、すごく緻密な書き込みをしていたのだ。

作中に記された背景、建物自然物、小物等々、キャラクターだけではなく、いろんなものを丁寧にひろって描いていた。

羨ましかった。

私の作品もこんなふうに描いてもらえたら幸せだろうなと思った。

思いながら、でもきっとそうはならないんだろうなと、半分あきらめもあった。

ここまでの間、そんなことをしてくれた人はいいからだ。

依頼を受けてもらえて嬉しかった。

しかし、送られてきたラフを見たとき、失敗したと思った。

私は「笑顔で」との指定を入れ忘れていたのだ。

キャラクターは、浮かない顔をしていた。

背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られる状態になっていた。

まただ、と思った。

また似たような表紙になってしまった。

何でだと思った。

過去絵師さんに頼んでいた表紙のことを思い返した。

私はハッピーエンドが好きだが、そこに至るまでは苦しかったり切なかったりする展開をさせることが多い。

私自身は大事なのはラストだと思っていた。

だが、どうやら絵師さんたちは私の話の苦しい部分こそが重要だと考えているのではないかと、そこでようやく思い至った。

数年も分からなかったことが氷解したのだが、肝要だと考えている部分に私と絵師さんとでは大きなズレがあったことをここで思い知った。

表紙のイメージが合わないはずである

私が思っている以上に私の話は暗いと思われていたのだということも理解した。

イメージの擦り合わせをしていないのだから、ズレるのも当たり前だった。

この点については反省した。

事前に指定も話し合いもしていないのがそもそも間違いなのだ

ラフから、まだ直せる。

しかし先方が忙しいことも知っている。

みはしたが、絵師さんに罪はないのでラフokを出した。

思い通りにいかなかったことは悲しかったし、暗いと思われていたらしいことも悲しかった。

だが指定を入れなかった私が悪いのだ。

勝手な夢を見て、敗北しただけだ。

己の過ちに気づいてから、いろんなことを考えた。

なぜ私の本の表紙に背景を描き入れてくれる絵師さんがいないのか、とか。

これまで頼んだ絵師さんは、他の文字書きさんの表紙では背景を緻密に描いていたりする。小物を大事表現したりしている。

でも、私の本ではテクスチャなのだ

指定がない限り、基本的キャラクターだけしか描いていない。

結局のところは、描く気がないかなのだろうと思った。

別の文字書きさんの表紙では、描きたいから描いているのだ。

ほとんどの絵師さんにとっては、私の本の表紙は頼まれたから描いているだけで、積極的に描きたい物ではなかったのだろう。

他の文字書きさんの表紙を見て、「こんなふうに作品大事にして描いてもらえたら幸せだろうな」と思った。

でも、私にはそれはないのだ。

私の作品からひろいあげたい背景も、小物も、動物もないのだろう。

「やっつけちゃいたい」と言い放った彼女など、本当に描くのがめんどくさかったのかもしれない。

いろいろ考えていて、これはキツいなと思った。

気づかなきゃよかった。

好意的感想を送ってくれる絵師さんでも、別に私の話の全てが好きなわけではないし、それは理解している。

けれど、こんなにも他の文字書きさんと比べて違うことをされるのかとショックも受けた。

しかもそれが、一人や二人ではないのだ。

例外もあるが、これまで頼んだ絵師さんのほとんどがそうしている。

依頼されて描いているだけでも、私のために時間を使ってくれていることには感謝もしている。

皆さん、忙しい合間を縫って描いてくれているのだ。

文句を言えるはずもない。

ただ悲しいだけだ。

単純に、私の書くものにそこまでの魅力がないということなのだろう。

悲しいけれど、それだけのことなのだ。

それなりに面白くはあるから好意的感想をもらいはするけれど、でも、その絵師さんの「描きたい気持ち」を引き起こせないでいるのだ。

ほんっと、気づかなけりゃよかったな~~~~!!!!

これが何年前のことなのか、はっきりとは記せない。

私は現在小説を書いている。

特定とかはせずにそっとしておいていただけるとありがたい。

かに表紙を頼むことは、この先、あるかどうかは分からない。

いい出会いがあったらするかもしれない。

だけど、そのときには私はうるさく指定を入れるめんどくさいやつになっているだろう。

イメージの擦り合わせから始めなくてはならない。

キャラ笑顔で、背景も小物もしっかり描いてほしいと伝えなくてはならない。

これまでの失敗を全て取り返すくらいの気持ちでやるだろう。

リテイクを出す勇気も持ちたいと思う。

悲しい思いはしたが、学びはあった。

傷ついたことは否めず、今も癒えずにいるが、書くことだけはやめなかったし、やめるつもりも現在のところ、ない。

冒頭に注意喚起はないと記したが、とりあえず、すべての文字書きさんは絵師さんとのイメージの擦り合わせはしたほうがいいとだけ伝えておく。

当たり前のことができていなかった文字書きの愚痴でした。

ここまでつきあってくれてありがとう

2019-09-09

anond:20190906081327

過去於いての苦い記憶。まさにこれ。水沈したら、思わず水ん中に、棒の先端を!かろうじて執り行うことが出来たが、。。。。

2019-09-04

今の日本の状況ってデッドロック状態にある。

民主主義というシステムに忠実で真摯姿勢であればあるほど、未来が無くなる結果になる。シルバーデモクラシーから

絶対に勝てない土俵馬鹿正直に相撲を取っているようなもの

そりゃあ局地戦闘部分最適、ワンイシュー於いては、まだ民主主義有効だと思うよ。

でも一番デカくてクリティカル問題解決するのは無理だよね。

民主主義というシステムバグですかね。


ミクロ民主主義には希望があるが、

マクロ民主主義には未来が無い。

そんな感じ。

いくら小さい戦闘勝利を収めても、大勢は変わらない。焼け石に水

この状況って、孫子兵法でなんか、あるんですかね?

2019-08-19

anond:20190819094536

「『セクハラ』と感じたらセクハラである」という現状の定義於いて

セクハラ絶対にしない人間」というのは論理的存在しえませんね。

「『セクハラ』と感じたらセクハラである」と「お前がセクハラって感じるのが悪い!」は常に表裏一体であり、

前者が罷り通ってる現状では後者も常に正しい。

点と線

現代って親がいないほうがアドバンテージなのでは?若いころに親を亡くすとか。

婚活市場於いて親の存在や年齢は不良債権パラメータなので、それが無いというのはかなりの市場価値プラスとなる。

結婚しないしろ、支えられもしない無理な負担であることには変わりがないのだし。

世代と現役世代は、時代が変わりすぎて価値観が違いすぎて話が通じず不仲がデフォなのだし。

凡人には到底超えられないような試練を課せられたら、そら、ほとんどの人が越えられないのも仕方がない。

親が悪いわけでもないし、現役世代が悪いわけでもない。誰も悪くはない。


いままで完全にスルーしていたけど、自分結婚しなくても

婚活市場の状況がどうなっているか」の学習社会勉強の一環として

役立ちそうな気がしてきた。ゲーム理論だよね、これ。

↓を読んでて思った。

40代KKO必死婚活アプリを一か月間使ってみた結果

https://anond.hatelabo.jp/20181110151336

30代前半女だけど嫌だと思った部分を書く

https://anond.hatelabo.jp/20181111172157

完全童貞の32歳が彼女を作ろうと婚活恋活アプリを使ってみた結果

https://anond.hatelabo.jp/20181111063412

あと市場以外の結婚パターンも並行して見ていったほうが良いと思う。

婚活市場けが結婚の唯一の手段」などでは決して無いからね。

どうやってその情報を得ればよいのかよくわからないけど・・。

国勢調査で「結婚きっかけ」とかあるのかな。婚活サービス業者にとってそれは不都合な真実だろうけど。

フラットファクトを把握していくのが大事だと思う。

就活市場婚活市場って性質が似てるじゃないですか。

欲しがる側はいかに上澄みを得るか」「もっといい条件の物件があるんじゃないか

某社が就活市場に対してあんな酷いことをやらかしてるので、

まり婚活市場にもどんだけ酷い裏の仕組みがあるのか、と恐ろしくなるんですよね。


国民皆婚の時代は、ほとんどの人間人生キラーコンテンツ結婚子育てになっていた。

から、それ以外のことをやる時間や労力があまり無かったのだと思う。

人生ゲームハードに喩えるなら、それちゃんとやっていこうとするためのコンテンツ必要となり、

そこに「結婚子育て」があてがわれていた。

いい会社入っていい結婚して美味しい思いして、という、いわゆる人生のレール」

それは否定的に捉えられるようになって久しいけど

「それなりに幸せになれるし、そのテンプレ攻略法で前向きに人生をやっていくぞ」というモチベーションたりえた

(もちろん、肩に力を入れすぎてしまって、死に際になって「もっとやりたいことやっていればよかった」という話もよくあるけど・・)

コンテンツが手に入らない、あるいは魅力がなければ、ゲームハードにも魅力がなくなる。

まり

人生、どうしたらいいかからない」

人生ってなんだろう」

「みんなどうやって生きてるの?」

そんな空気が漂ってる。



卵が先か鶏が先かわからないが、国民皆婚が解体されるにつれて、趣味世界が拡大していった。(と思う。たぶん)

そりゃあ、今まで時間や労力やカネを占めて満たしていたコンテンツがなくなったのだから

毎日たくさん水を飲んでいれば、余計なジュースや酒を飲むのが減るぶん健康になる。みたいな理論と同じで、

「別のもので満たしてやれば、もともと満たしていたものが要らなくなる」という、わりと単純な法則

逆を言えば「もともと満たしていたものが無くなると、別の何らかの満たすものを渇望するようになる」わけで。

それが承認欲求暴走だったり、SNSで狂ってしまう人だったり、「無敵の人」を育てる遠因だったりするのだろう。

独身男性ウサギを配る」は的を得ている。

テロが活発だったころ、「テロリストに萌えアニメでも見せて満たしてやればテロしようとか思わなくなるんじゃね?」って

割とまじめに考えていたけど、これもあながち間違いではなかったのか。

ひどいものよりは、いくぶんかマシなもので満たしてやったほうがベターだと思うんですが。パターナリズム思考なのでしょうけども。

なんかのマンガアニメで見たな、幼いころに親を亡くして絶望してしまった子供不憫に思った人が、

自身に憎しみを向けさせるようなことをして、「たとえ憎しみでもいい、生きる意志を持ってほしい」みたいなことを仕向けるの。

わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい理論だ。



性犯罪目的は性欲でなく支配欲」ってよく言われる。

非モテ童貞風俗に通っても、嬢にガチ恋してしまってひどいことになる」みたいないわれと通じるものがある。

生身の人間承認が欲しいんだ。


夏休みの終わりに気が滅入ることをあまり深く考えたくないんで、推敲もそこそこに寝る

2019-08-13

anond:20190812141826

>ちなみに、「サッカー相手協働する必要があるのでコミュ力につながる」という論は、「明確な目的があり自他の能力がわかる状況に於いて、次の行動の選択肢は限られているので、それを選ぶことなんて、コンテクストの共有が曖昧日常生活に比べれば遥かに容易で、僕でも出来る」のでコミュ力なんて必要ないと思う

ここ気になったか言及するね。

コンテクストが限られているからこそ、実生活練習台となり得るわけで、いきなり本番と同じ情報量練習しろって言われても非効率だよね。

2019-08-05

anond:20190805114336

我々の読み順感覚於いて、31LTの次が21LTで次に11LTだったとして、駅の個体識別がつかないかというと全くそんなことはないし、規則性にはすぐに気が付くだろう

2019-07-21

女がブラの試着してカップが大きくなって嬉しそうなブログを読むとやっぱおっぱいは大きいほうがいいという点に於いて男女平等が既に実現しているのではないかと思わざるを得ないし、ちっぱいを愛でたがる弱者女性に寄り添痛い系男子の皆様に於かれましては「よし、次はくびれと尻だ」勢と速やかに合流していただきたい次第。

2019-07-03

https://rkyudo-riron.com/rky/profile-2

弓道三段なのか。

三段くらいになって何でもかんでもわかった気になって指導ちゃう人っているけど、結構ろくでもないなぁ。

弓道家を名乗るなよ、少なくとも弓術家を名乗りなさいよ。

この人、間違った解釈がすごく多いから、この人に習うと「現代弓道」では昇段できなくなっちゃうよ。

きっと自分が癖射で、射癖の修正ができなかったもんだから、古来弓道に逃げて自己完結しちゃったかわいそうな人なんだろうけど、弓道普及に於いてこのような指導無視姿勢害悪しかないよ。

ちなみに古来に逃げるのも良いけど(まぁ、その解釈も間違ってるみたいだし、読みの不正確さを指摘されてもいるみたいだけど)、現代弓道は「目標がまったくとりかえられている」んだよ?

異なった目標に立って記述されている過去書物のおいしいとこどりして自己満足とか先がないなぁ。

2019-06-27

anond:20190627100559

ジム於いて最強の生物は「(イケメン?)トレーナーに群がるスタジオおばちゃん」と「おもむろに腕立てを始めるサウナの主」であってどんなに筋肉があっても勝てない。

2019-06-25

ホリエモン叩きに勤しんでいるツイッタラーの愚かしさといったら目を覆わんばかりだ。

洞察力と先見性に於いて彼の足元にも及ばない。

炎上商法で有名になりたいなら、他人に火を焚べるのではなく自分を燃やしてみせろ。

2019-06-04

NTRは最早エロ業界では成立しないジャンルになってしまった。

もう一度いうがNTRは最早エロ業界では成立しないジャンルになってしまった。

必然的描写される間男ヒロイン情事において,俯瞰するプレイヤー(読者)は男でも女でも「気持ちいい」立場目線に立ち,もはや寝取られ主人公に没入せず敗北者と見下すことしかできない。

NTRというジャンル於いて抜くシーンはエロに非ず,それは絶望する主人公の心情であったはず。

まりNTRにおいてエロシーンは本来不要であり,あっても覗き見るまたは見せつけられるワンシーンのみで,間違っても「回想モード」なんてもの実装できる量ではない。

愛する人を失って絶望の淵に立つ主人公に没入するのはどうしようもなく「辛い」。できれば間男ヒロインの「気持ちいい」立場になりたいと誰しもが思うだろう。

しかしそれでもその絶望と苦しみに酔うマゾヒズムと,ある種のホモセクシャル地味た共感力を持っている人こそが「NTR(作品が)好き」と名乗れるんだと思う。

今のエロ業界には実質寝取りなNTRゲーと寝取りしか許せない自称NTR好きしかいないために,誰もが寝取りゲーをNTR,NTRと褒めそやす

今更エロシーンがない真のNTRゲームなんて博打を打てるメーカーもなく,またユーザーは「NTRなのにエロシーンがないなんて詐欺だ」と余裕なく必要以上に叩くだろう。

詐欺がどちらかなんて考えもせず。

さて,エロ業界NTR描写が難しいとなるとエロシーンがなくても文句を言われない一般誌になってしまうが,

ハーレム至上!

アクセントとして異種姦(寝取り)!!

・または寝取りレイプ未遂!!!

が全盛期であるこのなろう時代に誰がそんなもの描こうというのか。

現役エロ漫画「板場広志」が一般誌でそれはそれは見事なNTRを描いたが,案の定レビュー炎上してしまった。もはや一般誌においてもNTR存在を許されていない。

エロも駄目,一般も駄目。ぶっちゃけいるのかも不明NTR好きはどこに流れるのか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん