2019-09-13

[]絵師さんに表紙を頼んだ話

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絵師さんに表紙を頼んだ話

これは私の愚痴であり、悲しかたことを並べているだけの話だ。誰かにとって有益情報もなければ、注意喚起意味もない。

ただ、こういうことがあって悲しいという、けれどこれを話せる友人もない、寂しいだけの女の話だ。

時間のある人はつきあってほしいが、私はこの件について意見を求めているわけではない。

かに聞いてほしくて、少しだけ慰めてほしくて、こうして綴っている。

私は同人生活が長く、小説を書いている。

初めて人様に表紙を頼んだのは、10年近く前だ。

以降、特定が怖いので、年数などに関しては明記はせず、フェイクも入れていく。

表紙を初めて頼んだ時には、どきどきした。

だが、出来上がった表紙を見たとき、「これじゃない」感がすごかった。

私はハッピーエンドが好きだ。そういう話を書いてもいる。

だが、その表紙はものすごく暗かったのだ。

キャラは浮かない顔で、背景も暗い。

見ていてめちゃくちゃ沈んだ気持ちになる絵だった。

けれど、せっかく描いてもらったものを「描き直して」とは言えなかった。

表紙サイズが違っていたからそのことだけ指摘して、絵の暗さについては触れなかった。

その後も、何度かそういうことがあった。

私が事前に「楽しい感じで」「笑顔で」と指定を入れておかないと、キャラは必ず浮かない顔で描かれる。

ハッピーエンドなのに、なんでだろうと思った。

ついでに記しておくと、背景もほとんどなく、たいていグラデかテクスチャが貼られているだけだった。

なぜ、指定を入れないと、いつもいつも似たような表紙になってしまうのだろうと思った。

絵師さんに表紙を頼むようになってから数年がたち、この間にもかなり悲しいことがあったのだが、それらを並べて記すと完全に身バレするので詳細には触れない。

ただ、人間不信になりそうなことはあった。

私は絵師さんに好かれるタイプではないのかもしれないと思った。

ちなみに私は、私の作品について好意的感想をくれた絵師さんにしか表紙を依頼していない。

全員がTwitter相互フォロー状態だった。

一方的に私が片想いをしているということはない。

私のことを知らない絵師さんにはまず頼んでいないのだ。

それでも、悲しいことは起こる。

さて、さきに記した初めてから数年後の話だ。

とある絵師さんに表紙を依頼していた。

あるていど事前に指定も入れていた。

〆切には余裕もあった。

ある日曜日、私は映画館に行っていた。前売りを何枚も買って楽しみにしていた作品だ。その日も二回は観るつもりだった。

そこに絵師さんからメールが入った。

ラフ確認をしてほしいというのだ。

私は、「出先だから帰ってから確認させてほしい」と返した。

しか絵師さんは、さらメールを寄越した。

その内容はこうだった。

今日中にやっつけちゃいたいから、いま確認して」

私は一瞬、自分が受けとったものが何であるのか、よく分からなかった。

やっつけって何? と思った。

意味が分かったら悲しくなった。

反論する気力もなく、スマートホンでモノクロラフ確認し、映画の合間にメールのやりとりをした。

悲しみや動揺で、映画を楽しめなかった。

映像を見ながらも、絵師さんからメールの文面のことを考えていた。

そして、私が帰宅したときにはもう完成原稿が送られてきていた。

それは本当にやっつけ感あふれる代物で、チェックしていて悲しくなった。

言葉の綾でもなんでもなく、まさに「やっつけ」だったのだ。

私の指定はほぼ守られておらず、まず表紙の色から違った。

●色と指定したのに、「▽色にしておいた」と原稿に添えられたメールにあった。

▽色は、私の嫌いな色だ。相談もなしにその色に塗られた。

解像度が違い、フォントが違い、うちのサークル名が違った。

ミスだらけだった。

指定したものが驚くほど蹴とばされていた。

これもキャラは浮かない顔をしているし、背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られているだけだった。(この本に於いてはそれ自体はいいのだが、この先のために記しておく)

とても悲しかった。

怒りより悲しみだった。

なんで彼女はこんなことを平気でするのだろうと思った。

記したもの以外にも頼んだことがあったが、それも彼女は実行しなかった。

だが、「今日中にやっつけちゃいたい」と言ってきた相手に、リテイクは出せなかった。

直せるものはすべて自分で直した。

文句は言わなかった。

原因はこの件だけではなく詳細を省いた部分にもあるのだが、ともかく傷つきすぎて誰かに表紙を頼む気になれなくなってしまった。

悲しくてしょうがなかった。

そこからまた数年がたつ。

相変わらず、人様に表紙を頼むことには怯えていた。

またあんな目に遭ったらと思うと怖かった。

けれど、絵師さんに表紙を頼んで傷ついたものは、結局、やはり表紙関係で満たされない限り癒えないのではないかとも思った。

他の文字書きさんが絵師さんに表紙を頼んで嬉しそうにしているのを見るのが辛かった。

好きな絵師さんが他の文字書きさんの表紙を楽しそうに描いているのが羨ましくて苦しかった。

ぐるぐる考え込んでいたが、羨んでばかりの状態健全ではないなと思えた。

そして数年ぶりに、絵師さんに頼んでみることにした。

その絵師さんは、にぎやかな楽しい絵を描く人で、この人ならキャラを浮かない顔では描かないのではと思えた。

それに、他の文字書きさんの表紙で、すごく緻密な書き込みをしていたのだ。

作中に記された背景、建物自然物、小物等々、キャラクターだけではなく、いろんなものを丁寧にひろって描いていた。

羨ましかった。

私の作品もこんなふうに描いてもらえたら幸せだろうなと思った。

思いながら、でもきっとそうはならないんだろうなと、半分あきらめもあった。

ここまでの間、そんなことをしてくれた人はいいからだ。

依頼を受けてもらえて嬉しかった。

しかし、送られてきたラフを見たとき、失敗したと思った。

私は「笑顔で」との指定を入れ忘れていたのだ。

キャラクターは、浮かない顔をしていた。

背景の書き込みはなく、テクスチャが貼られる状態になっていた。

まただ、と思った。

また似たような表紙になってしまった。

何でだと思った。

過去絵師さんに頼んでいた表紙のことを思い返した。

私はハッピーエンドが好きだが、そこに至るまでは苦しかったり切なかったりする展開をさせることが多い。

私自身は大事なのはラストだと思っていた。

だが、どうやら絵師さんたちは私の話の苦しい部分こそが重要だと考えているのではないかと、そこでようやく思い至った。

数年も分からなかったことが氷解したのだが、肝要だと考えている部分に私と絵師さんとでは大きなズレがあったことをここで思い知った。

表紙のイメージが合わないはずである

私が思っている以上に私の話は暗いと思われていたのだということも理解した。

イメージの擦り合わせをしていないのだから、ズレるのも当たり前だった。

この点については反省した。

事前に指定も話し合いもしていないのがそもそも間違いなのだ

ラフから、まだ直せる。

しかし先方が忙しいことも知っている。

みはしたが、絵師さんに罪はないのでラフokを出した。

思い通りにいかなかったことは悲しかったし、暗いと思われていたらしいことも悲しかった。

だが指定を入れなかった私が悪いのだ。

勝手な夢を見て、敗北しただけだ。

己の過ちに気づいてから、いろんなことを考えた。

なぜ私の本の表紙に背景を描き入れてくれる絵師さんがいないのか、とか。

これまで頼んだ絵師さんは、他の文字書きさんの表紙では背景を緻密に描いていたりする。小物を大事表現したりしている。

でも、私の本ではテクスチャなのだ

指定がない限り、基本的キャラクターだけしか描いていない。

結局のところは、描く気がないかなのだろうと思った。

別の文字書きさんの表紙では、描きたいから描いているのだ。

ほとんどの絵師さんにとっては、私の本の表紙は頼まれたから描いているだけで、積極的に描きたい物ではなかったのだろう。

他の文字書きさんの表紙を見て、「こんなふうに作品大事にして描いてもらえたら幸せだろうな」と思った。

でも、私にはそれはないのだ。

私の作品からひろいあげたい背景も、小物も、動物もないのだろう。

「やっつけちゃいたい」と言い放った彼女など、本当に描くのがめんどくさかったのかもしれない。

いろいろ考えていて、これはキツいなと思った。

気づかなきゃよかった。

好意的感想を送ってくれる絵師さんでも、別に私の話の全てが好きなわけではないし、それは理解している。

けれど、こんなにも他の文字書きさんと比べて違うことをされるのかとショックも受けた。

しかもそれが、一人や二人ではないのだ。

例外もあるが、これまで頼んだ絵師さんのほとんどがそうしている。

依頼されて描いているだけでも、私のために時間を使ってくれていることには感謝もしている。

皆さん、忙しい合間を縫って描いてくれているのだ。

文句を言えるはずもない。

ただ悲しいだけだ。

単純に、私の書くものにそこまでの魅力がないということなのだろう。

悲しいけれど、それだけのことなのだ。

それなりに面白くはあるから好意的感想をもらいはするけれど、でも、その絵師さんの「描きたい気持ち」を引き起こせないでいるのだ。

ほんっと、気づかなけりゃよかったな~~~~!!!!

これが何年前のことなのか、はっきりとは記せない。

私は現在小説を書いている。

特定とかはせずにそっとしておいていただけるとありがたい。

かに表紙を頼むことは、この先、あるかどうかは分からない。

いい出会いがあったらするかもしれない。

だけど、そのときには私はうるさく指定を入れるめんどくさいやつになっているだろう。

イメージの擦り合わせから始めなくてはならない。

キャラ笑顔で、背景も小物もしっかり描いてほしいと伝えなくてはならない。

これまでの失敗を全て取り返すくらいの気持ちでやるだろう。

リテイクを出す勇気も持ちたいと思う。

悲しい思いはしたが、学びはあった。

傷ついたことは否めず、今も癒えずにいるが、書くことだけはやめなかったし、やめるつもりも現在のところ、ない。

冒頭に注意喚起はないと記したが、とりあえず、すべての文字書きさんは絵師さんとのイメージの擦り合わせはしたほうがいいとだけ伝えておく。

当たり前のことができていなかった文字書きの愚痴でした。

ここまでつきあってくれてありがとう

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