はてなキーワード: 感情移入とは
美人で年齢不相応に若々しくて家事万能で息子のことを何より優先するがその他の人間を蔑ろにするわけでもない人格者という、単なる完璧超人でしかない。
表紙しか見てないが、あの異常な若々しさを通り越した若さ(まあオタク向け作品の母親は大抵あんな感じだが)はリアリティを全く感じさせないし、
子離れせずに高校生の息子にくっついて一緒にゲームってのも幼稚さを感じさせる。
それに専業主婦な時点で、今時のリアル母親から見た「理想の母親」には程遠い。
現実の母親界だと「良き母親=仕事と家事を両立している」が最低条件で、専業主婦な時点で底辺扱いだよ。
幼い子がいるならともかく、子供が高校生にもなって専業主婦ってその時点で見下される。
まあどっかの佐藤ママみたいに教育面完璧なら別だけど、息子の設定はそんなんじゃないでしょ。
この設定を見て「こんな完璧な母親を求められるなんて息苦しい」と感じるリアル母親がいるんだろうか。
他に出て来る母親も、「ホスト狂い、教育ママゴン(死語)系モンペ、ギャンブル依存症」と言うこれまたテンプレな毒母のようで、
逆に(元増田も言ってるけど)こんな毒親とは引き離した方がいいだろという意味で燃えるのを心配した方が良さそうだけど。
別にリアリティなんか最初から求められていないであろう作品だし、対象読者も息子側に感情移入する中高生か大学生か大人のラノベオタク男であって
母親側に感情移入するであろう人が読むようなもんでもないだろうし、
前戯をちゃんと見たいから、痴漢モノのAVを見ている。ゆっくり丁寧に前戯をしてくれて、クリをしっかり丁寧に時間かけて触ってくれるシーンが痴漢モノのAVには比較的多いので、私は仕方なく(?)痴漢AVを見ている。同じ理由で、マッサージ系もよく見る。
私はクリでしかイったことがない。そういう女性は多いんじゃないかなーと思う。以前気になって女性の自慰の自撮り投稿動画を見比べてたけど、中でイけてない人の方が多かったように思う。
クリを時間かけて触ってくれるAVは少ない気がする。たぶん男性はクリを触ることにあんまり魅力感じないんだろうな。乳首を魅力的に撮ったり描いたりする作品はいっぱいあるけど、クリを魅力的に描くR18作品は少ないと思う。構造的にペニスに近いので、男性も感情移入できそうに見えるけどなぁ。
今朝、「痴漢ものAVを見る女は痴漢対策のために見ているのだ」とかいうとても頭の悪いツイートを見かけた。
そんなことあるわけがない、痴漢ものAVを見ている女性はそれが興奮するから見ているのだ。
もっとも痴漢もののAVを見ている女性が実際に痴漢にあいたいと思っていることはまず無い。
私の場合AVの視聴を始めたのは20代前半で、上京し地元に残った彼との遠距離恋愛が時間経過とともに自然消滅しかかっていた頃だった。
女性向けAVがあるということはなんとなく知っていて、なんだか異様にムラムラした夜にネットで検索してそれを見つけた。
かっこよく少し幼い感じの顔の男優さんがAV女優相手にこれでもかと優しいHをしているのを見てすぐにハマった。
私がハマった男優の鈴木一徹さんのAVを片っ端から見る日々が続き、そのうち出演している女優に嫉妬しだして
買いはするものの一度も見られないという頭がとても悪い状況に陥って、このまま追っかけをするのはとても無駄だと気づいてやめた。
だけどAVを見ながら一人でするというのは私の中で習慣づいたようで、月額制の見放題サービスに加入し
今度は自分に似た女優さんの出ているものを中心に見るようになった。一人、自分にとても似ていると思う女優さんがいて
その人のものを中心に、他には髪型が似ているとかそういう基準でAVを選んでいた。感情移入できるかどうかはとても大事なので。
ただどうしても生理的に無理な男優さんが1人いて、見る前に見本写真を見てその人が写っていないかはチェックしていた。
私が見つけたときにはまだデビューしたてだった、そのとても良く似ている女優さんは最初は甘い感じの作品に出ていたのだけど
1年、2年と経つうちにレイプものや3P、輪姦ものとだんだん内容が過激になっていった。
おそらく世間の清い心を持った方々はそういった物に女性蔑視だ!とか女性の性の商品化だ!などと
嫌悪感や怒りを覚えるのではないだろうか。私もレイプや複数人のものに対して嫌悪感があって避けていた。
だけど目ぼしいAVがすぐに見つからないある日、レイプものを試しに再生してみると
びっくりするくらい良かったのである。
私は20代OLとしては信じられないほど高い部屋に住んでいる。月の家賃が15万円弱で、給料の半分は家賃に消える。
これは通勤電車に乗って知らない男性と密着するのが嫌なためで、徒歩で通勤可能なほぼ都心と言えるような地域に
買い物が不便だとか食べ物屋さんが意外と無いといった不便さを我慢して住んでいる。
とにかく好意を持っていない男性とは服の上からでも触れるのは嫌、職場で偶然男性社員と手が触れてしまったりすると
早く手を洗いに行きたくて集中力が思いっきり失われるくらいには潔癖な方だ。
だけどその女優さんが無理やり犯されているAVを見たときに「私がされたかったのはこれだ」と確信した。
いや、現実では絶対にされたくないのだけれど、一人Hをするくらいに興奮するときだけは無理やり犯されたい、汚されたいとなぜか思う。
以前は嫌悪感しか持っていなかった輪姦ものとかそういったジャンルのAVも見てみたら、一つの確信に達した。
こういうレイプ系AVって女性が見るために作られている。私は興味が無いのだけど痴漢のAVも女性に支持する層が多いかも知れない。
複数の男に乱暴にHされている女優さんには感謝と羨望を感じる。自分は絶対されたくないことをカメラの向こうで代わりにされているのだから。
そしてその映像は私を興奮させ、同時に一人Hの最中だけは「私もされたい」と強く感じている。
繰り返し書いたけれど、自分に似た女優さんというのが私が興奮するためにはとても重要なことで
最近話題のパラリンピックのポスターだけどさ、あれって結局の所はスポーツ選手の人生にやたらと感情移入しまくる風潮の成れの果てんじゃないかな?
スーパープレーにすげーすげーと驚くだけで良かったのにいつの間にか、『ベーブルースがホームラン打ったら手術をするよ』みたいな事をメディアと視聴者が繰り返しまくって何かあったら『勇気をもらった』になっちゃうからこんなに話が拗れるんじゃないかね。
もし皆がスポーツに対してもっとドライだったなら「せやな。まあ頑張れよ」で終わったんじゃないの。
まあでも、もしもそうなら今ほどスポーツ観戦って分野が盛り上がってなかった可能性は大いにあるよね。
スポーツの観戦において、勇気を貰いたいからルールはよく分からないけど試合を見に行きましったてにわかファンがどれだけいるんだろうか。
今ファンになった人の何割が最初はそういった形で入ってきたんだろう。
そういう人たちが払った入場料とか寄付とかでスポーツ業界の何割が支えられているんだろう。
そして、パラリンピックなんてまさにその「勇気をもらいたい」の集大成じゃない?
運動会で脚の遅い子が頑張って走るのを応援するような気持ちの延長線上にある感情を多くの人がぶつけてると思うよ。
そうじゃない人もいるだろうけどそれはきっと少数派だね。
大部分の人は可愛そうな人たちが頑張って体を動かす姿に感動したくて応援しているのが分かるよ。
少なくともメディアはそういう方向に誘導しているし、「障害があるからじゃなくて純粋に凄いんですよ」と口にするときでさえも「障害があるのに障害を抜きにしたプレーが出来るなんて凄い」が見え隠れしてる。
そしてその中には「あの人も(障害があるのに)頑張っているんだから自分も頑張らなきゃ」がタップリと含まれているんだよね。
そうして「私も頑張ろうって気持ちを貰いました」の応援が降り注ぐがゆえに大きな大会を開いてもらったりサポートを受けている立場にいるのに、「アレはあくまで私の個人的な感想」って言うのはなんか酷くない?
じゃあ今まで「障害があるけど頑張る人たち」に対して「苦手な事があるけど頑張って生きる自分たち」を重ねたからこそ応援していた人たちはどうなるの?
今更、まるごと切り捨てるの?
それって流石にちょっと酷じゃない?
まだ未消化のや未放送のが多いがひとまず。
あくまで1話の感想なんで、2話以降どうなってるかは関係なし。
特に気に入ったのは◎、まあまあ気に入ったのは○。
<あらすじ>
インスタントラーメンを発明するらしい。
<感想>
15分では特に良いとも悪いとも。
アラサー安藤サクラは役柄の18歳に見えるとまでは言わないにせよ年齢不詳な感じに頑張っているが、姉のアラフォー内田有紀は素で下手すると安藤サクラより年下に見えるくらい年齢不詳なので、なんだか不思議な感じになっている。
<あらすじ>
<感想>
一人芝居の分量が多い分、説明ナレーションを多用したり、主人公の推理の酷さを本編内でツッコまず予告でメタ的にツッコんだり、かと言って一人芝居を貫くわけでもなく……ならずっと二人芝居にした方が無理がなかったんじゃ。
<あらすじ>
王子様キャラの男達が伝説の王子の座を競う現代逆ハーレムものってことでいいのか?
<感想>
逆ハーレムに興味なくても楽しめる程度にきちんと馬鹿馬鹿しい。
1話のメインの王子の、死んだ母親から酷い夫の代わりに理想の王子として育てられたという設定はグロテスクな呪いに思えたが、作り手は自覚的っぽく、ヒロインについて心酔する母の生まれ変わりかもなどと多くの女性が引くであろう台詞まで彼に言わせてるあたり興味深い。
14人の王子のドミノ倒しみたいな壁ドンのアイキャッチは絵的には面白いが、王子の、延いては女性の好みの多様性の否定に思える。
<あらすじ>
ざわざわ賭け麻雀。
<感想>
麻雀がわからないとやっぱりもどかしさがあるのと、人生を賭けたドキドキとかべつに味わいたくないなぁというのと。古川雄輝の役も、思い上がった若者が鼻っ柱を折られてスッキリという役割なのだろうがあまり酷い目にあってほしくない。おかやまはじめの追い詰められた小市民役はハマっていたが。
<あらすじ>
<感想>
下世話な面白さは『ブラックリベンジ』同様。夏恋(字面込みで憶えやすい役名だ)って女優がスキャンダルの餌食にならなかったのは都合が良すぎだが。整形前のヒロインの松本まりかの熱演もいいが、悪役平岩紙の「しろなんて言ってないよぉ」「夏恋、頑張って」の言い方がツボ。
<あらすじ>
<感想>
出来あがった実写作品(とあれで言えるかはわからないが)よりも制作過程のアレコレがメインで、テレ東一連の人気役者を使ったドキュメンタリー風ドラマっぽいな。……このシリーズ、わざとらしくて苦手。
『ガラスの仮面』でキャストにド素人集めて上手くいく話があったけど、やっぱり素人は素人だと思った。
<あらすじ>
<感想>
主題歌が『オトナ高校』と同じ高橋優っていいのだろうか。こちらの暗さの方が彼に合っているかもしれんが。
シリアスな分、非現実的な設定が飲み込みづらい。いや、現実にあの法案が通ることはなくても、本音では肯定しちゃうような政治家は結構いそうではあるが。
主人公に真面目に申し上げておくと、恋愛できなくても欠陥品ではないし、合コンの女は酷いが、劣等感を埋める為に結婚を強いられる社会を望むのは相手のことを考えてなくてアウト。
<あらすじ>
だめんずぶったぎってすっきり。
<感想>
うーむ、原作から大きな改変はないけど、原作の面白さが再現されてるかは微妙な感じがする。「もうちょっと聞いて貰えます?」って、ほんと、何故もうちょっと聞かずに話の流れを止めたのだろう。あと現実感がないとすっきり感も薄れるという点で、コメディ的な誇張も注意が必要だと思った。
<あらすじ>
<感想>
原作の海外ドラマは知らない。織田裕二が少々ダーティなのだが、準主役的な子分の中島裕翔もぶっとんだ設定かつ強かさも気の毒さも欠いた微妙な問題児で、感情移入のやり場に困った。
<あらすじ>
<感想>
仕事の能力が低いからといって恋を成熟させる資格がないわけではないが、しかしヒロインを応援したくなる要素が恋敵が悪女であることくらいしかないのはつらい。
<あらすじ>
<感想>
やたら地味な企画だが、『ざんねんないきもの事典』のヒットあたりからの企画だろうか。まったりと楽しくはある。あの宿題は調べるなと言われてもみんなネットで調べちゃうだろうと思ったが。あと動物行動学+人間ドラマって自然主義的誤謬っぽくなりそうと思っていたが、1話は童話のうさぎと亀って動物行動学と関係なかった。
<あらすじ>
高校じゃなく中学の教師と生徒と恋愛もの……って今までにあったっけ?
<感想>
センセーショナルに思われそうな題材だが、パスワードが盗まれたりとかボヤ騒ぎが起きたりとか、高尚ぶらず普通にセンセーショナルな作りであった。
夏川結衣が池谷のぶえと紛らわしい感じになっているのは役作りだろうか(年相応なだけではあるが)。
<あらすじ>
<感想>
会話劇としてクスリとくるところはあったものの脚本の妙を感じるまでには至らず。男二人の髪型被りに意味はなかったんだな。
<あらすじ>
恋人も社長も同僚も営業先も両親もみんないっぺん母ちゃんの腹の中からやり直してきな!!とぶち切れられない理性の人。
<感想>
いや父親は死んでるし母親は縁切ってるし会社も最後に少し救いが見えたが、それにしてもヒロインの境遇のしんどさに震える。救いが見えたと言ってもタイトルからしてどこまでヒロインが戦えるかわからんし。ぐいぐい引き込まれたのはさすがの野木脚本で、今クールの本命だろうという予想はクオリティ的には全く裏切られてないけど、次回以降の視聴率は大丈夫か。いやここで脱落する方が後味悪いからみんな見続けようぜ。
<あらすじ>
<感想>
主人公に珍名を付けようと思いながら小鳥遊というド定番を選ぶ思考回路の謎。
初回の題材が痴漢冤罪なのはいいとしても、自称被害者は真面目な女子大生「と見せかけて実は」ホステスで金目当ての狂言でしたって世間のバイアスに全乗っかりだな。次回予告でもハニートラップなんて文字が踊ってたのはまあ、次回を見てからコメントすべきかもしれないが。
<あらすじ>
『Pure Soul』とその韓国リメイクの『私の頭の中の消しゴム』は憶えてるがその日本リメイクの『私の頭の中の消しゴム』というのが思い出せないが本作はべつにリメイクじゃない。
<感想>
合理主義的な松岡昌宏と婚約する戸田恵梨香も合理主義っぽいが、癒し系のムロツヨシにほだされていくのかな……と思いきやムロツヨシは捻くれてて、なのによくわからんけど戸田恵梨香が菊地・獣・凛子もびっくりの理性のなさでムロツヨシに突っ走ってて理解不能だったのだが、あれはひょっとしてアルツハイマーの症状として理解不能な感じなの? それとも単に大石脚本のヒロインだから理解不能なの?(『コントレール』の肉食系で済ませられないヒロインを思い出した)
<あらすじ>
大変旨~私は忘れる君を。
<感想>
婚約破棄、小説家、長谷川朝晴、そして忘却……って紛らわしいけどアルツハイマーものではなく、グルメものというあまり興味のないジャンルだが、たしかに美味しそうだし、グルメ以外のパートのコミカルな演出も効いている。
えらく評判だったので見に行ったが、画竜点睛を欠くとはこのことかという感じでした。
背景は美麗だしキャラもいい。笑いも含めながらテンポよく進むので飽きない。皆言うようにおっこに感情移入しながら見ることができた。あのシーンまでは。
両親の幻想や「両親は生きてると思う」というセリフから、おっこが両親の死を全く受け入れられていないことを全編を通して描いている。
それから過呼吸やフラッシュバックの描写(やたらとリアルでエグかったが)から、早急にカウンセリングが必要なレベルのトラウマを負っていたことも示していた。
だからてっきり俺は、客がトラックの運転手とわかった時、すなわち両親の死と心の傷にいきなり直面させられたときには、感情の爆発や失感情といったかなり酷い精神状態が描かれるのかと思っていた。
しかし実際は、おっこは取り乱しはしたものの、水領の車で落ち着く。このあたりから違和感が出始めた。
そして例のシーンである。トラック運転手に対して「花の湯温泉は誰でも受け入れる」とおっこが言うシーンだ。おいおいちょっとまてと。
あれは両親を亡くしたばかりの小学生としてではなく、若おかみとしてのセリフだ。一体どれだけ自分を押し殺せば、あの状況で、あの年齢の子が、あの相手に、あのセリフを言える?両親を殺されたと感じてもおかしくない相手に、両親を殺したことは許す、かつ客人として自分にもてなさせて下さいと言うようなものである。しかも彼には家族がいる、さらに言うなら彼が去ろうとしているのは「自分が辛いから」だ。そんな相手にに対しておっこのようなセリフを言える人がいるだろうか?
百万歩譲って客がトラック運転手だとわかり宿を飛び出した後、水領の車で両親の死を受け入れていたとしても、それに加えて、トラック運転手が両親を殺したのではないこと、さらにその人間の家族まで含めて世話するという2つの心理的ハードルをこえる必要がある。
いやいやさすがに無理あるでしょー。周りのキャラは「立派だ・・・!」とか言ってて音楽もこれでまとめようとしてる感じだしマジかー。
と思ってしまい興ざめだった。ここまでの心理描写は良かったのになー。
あと、「おっこは一人じゃない」というセリフが印象的に描かれており、かつその他の描写からも、「一人じゃない」ことが作品のテーマの一つのように思える。だけど実際はおっこが一番誰かにいてほしい時、すなわちトラック運転手(=トラウマ)と対面した時には、幽霊たちは見えず、宿の人間も出てこず、やっと会えたのがスピリチュアルな理由で駆け付けた、他の登場人物たちに比べて交流の少ない水領だ。これじゃ「一人じゃない」の説得力も薄れる。
完成度が高いだけにほんと残念だった。そもそも冒頭で両親が死んで、90分できれいにまとめあげるなんて無理なんだと思う。テーマが重すぎる。
30を過ぎた頃から、泣く頻度を減らすようになった。減ったのではなく減らした。たとえば映画を見て泣くとき、涙の分だけどうしても自動的に加点されてしまうことや冷静な判断力を失うことが嫌だったし、何より安直な涙は思慮が浅く頭が悪い印象が強かった。
飛内源一郎さんは、私にとって別格だった。「久保みねヒャダこじらせナイト」の最終回で飛内さんが自らの手紙を音読するのを聞いたとき、私の中の何かが強烈にゆさぶられて、嗚咽レベルの号泣が止まらなくなった。
飛内さんは青森で旅館を営む一般人だ。「とびない旅館」の宴会場は、飛内さんがこれまでに収集した昔のおもちゃで溢れかえっていて、宿泊客に80年代の漫画やアニメ、かつて流行したおもちゃのことを息つく間も無く話しかける。
かつてはクリエイターとして妖怪祭りをプロデュースしたり、活躍していたらしい。だけど日のあたる場所には人間関係の軋轢も多く、活躍に対して心ない声もあったようだけどそれはよく知らない。
(多くのテレビ製作者は、きっとその詳しいエピソードを下品に掘り下げネガティブなBGMをつけて感情移入の材料として存分に活用するんだと思う。経緯はわからないけど「そんな飛内さんに対し、心ない声も。」の一言でさらっと終わらせた久保みねヒャダの番組構成がとても良かった)
最終回の手紙は、ひたすらに出演者たちに対する感謝と労いの言葉でうめつくされていた。
自身と先生たちとの関わりが「カンダタに垂らされる糸のよう」と表現されたその手紙は、武骨な文字とともに彩り豊かな優しい絵のようだった。
母の介護を経たこと、番組と出会えたことで起きた奇跡について。
詩的だけど率直という不思議な手紙に、抑えても抑えても止まらない涙があふれた。
察して余りあるような経験を経て、60近くになってそれでもこんな言葉を紡ぐことができる人がどれだけいるんだろう。それはどれだけ社会的に成功するよりも困難なことのように思えた。
人からかけられた心ない言葉や、介護という現実ですりへる部分は確実にあると思う。それでも、心の中の宝石のような部分を大切に守ってこられたのは、飛内さんが何かを好きでいることをやめなかったからなのかと思った。人を恨み心を閉じるようなやり方で自分を守ろうとしなかったから起こりえた奇跡なのかもしれない。
(青森旅をふりかえって久保ミツロウと能町みね子が「とびないさんにはハッピーオーラがあふれてる」と言ってたのが最高の表現だと思う。)
変わり者まるだしの風貌で、周りへの感謝と思いやりにあふれた言葉をまっすぐに伝えるとびないさんを見て私が感じた気持ちは、多分憧れという形容が一番近いんだろうなと思った。
多分ファミレスの各テーブルの後片付けに行くのとか、ヤマザキの新製品のイチゴを乗せ続けるのとか、単価が低すぎて機械化する方が馬鹿らしい仕事を請け負って生きていく。
私の世代はそんなに極端になるまでいかないかな。いまの仕事のように、脳みそ溶けたままできることを続けてギリギリ逃げ切れるかも。
頭使えよって言われても、頭悪いんだから仕方ないじゃない。最低限の仕事も遅くてごめんなさい。
差別も偏見も、脳みそ溶けてるから抵抗するなんて面倒はいいや。
お茶いれるくらいするさ。お客さん向けにスカート短くしろも、受け流すよ。
同期が勉強していて、本当に偉いなあと思う。きっと昨日のガッキーに共感しまくっていることだろう。
私の脳みそは溶けてるから、ドラマ見てヘラヘラ生きる。昨日の上野くんの方に感情移入して、ごめんなさいってなったことも、忘れて生きていく。
ジャニーズみたいなイケメンとメンヘラビッチ(精神的なやつ・身体的なやつ)とかがgdgdうじうじひっついたり離れたりすねたりあてこすったりするマンガ
2巻の後半からやっとまともに読めるようになってきて、3巻からはもうかなりまともに読めるようになった
4巻あたりかな、かなり放浪息子っぽいコマ割りとセリフ運びになってきた
ラストはすげーぶつ切りで終わる
あとがきで、1巻を手にとったらおもわず全部読んじゃうようなマンガになってるとうれしいっつってたけど、それは無い
途中主人公に少し感情移入して自分と重ねてすげーうんざり・胸糞悪くもなったけど、なんだやっぱりこいつは自分とちげーわと思ってからは冷めた目で見てた
結局どうしてそうなったのかみたいなところが書かれないから、もやもやしたままだらだらした日常を読まされる
なんかこの胸糞悪い面白さは木尾士目の四年生とか5年生、陽炎日記と似てる
世間一般はこうなんだろうなと思うともう取り返しのつかない自分がみじめでほんとに死にたくなるタイプのやつ
単純にあんなちゃんかわいいとかいってキュンキュンできてた放浪息子のあとに読むマンガじゃなかった
『若おかみは小学生!』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨です。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向け。またこの作品は書籍版漫画版アニメ版あるけれど、それらは横に置いといて映画の話します。
これは120点っすな。点数の基準は「上映時間+映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」なので、「見れて大満足! もうちょいお布施したい」でした。
演出とは裏腹に内容的にはかなりヘビー(というのを見越して爽やかで明るい演出を用いていた)なので、児童文学原作でお子様向け痛快娯楽活劇とは言い切れないんですが、個人的にはクオリティさえ伴えば子供を思いテーマや悲しい作品でぶん殴ってもええやないか、いてもうたれ、子供ってのは子供なりに受け取るんだ派なので、クオリティでぶん殴ればいいと思います。ふるぼっこだドン。
この映画に関してはTwitterで児童労働がどうのこうのという話もちらりと耳にした程度で事前情報収集もなく見に行ったんですが、そういう物語じゃなかったですよ。
じゃあ、どういう物語だったかといいますと、大きく2つの柱が絡み合うストーリーでした。それは大きなテーマで言えば「喪失を乗り越える」と「自分自身と居場所を見つける」という話。
初っ端から重いですが、主人公である女子小学生・関織子(通称おっこ)は、本作冒頭の交通事故において両親を失います。もうこの時点で軽い話になりようがないわけですよ。にも関わらず事故被害のシーンはグロカットされ、葬儀とそれに続くドタバタのシーンも描写はされず、おっこは新生活の場であるところの、祖母の営む温泉旅館「春の屋旅館」へと向かいます。トランクひとつ持って別に落ち込むわけでもなく、ちょっと大変なだなあくらいの顔色で一人旅をして、到着し、新しい部屋(いままでのマンションとは違う昭和的な和室)を与えられ、転校して新しいクラスメイトに挨拶をして、ひょんなことから家業である温泉旅館を手伝うことになります。
『若おかみは小学生!』って言うタイトルだから当たり前ですが、こうして女子小学生おっこの若女将修行生活が始まるわけです。
「春の屋旅館」がある「花の湯温泉」は歴史のある温泉街で、古都然としたまちなみに浴衣姿の観光客が歩く割合賑やかで、カラフルな町です。この辺音楽や美術の演出とあいまって、しみじみと明るく暖かく描かれていて雰囲気良いですね。美術のレベルは高かったです。
でも、この明るく爽やかなあたりが(とうぜんそれは演出意図に沿ったものなんですが)、ある意味ホラーでもあるわけです。
小学生の児童にとって、両親を失うというのは、最愛の家族を失うということであるのみならず、加護者も生活基盤も導き手も失うということです。もう、それは世界の崩壊とかいうレベルでの悲哀なわけですよ。
にも関わらずおっこはそこまでの苦しさを見せない。両親を思い出してちょっとうつむくことはあっても、笑うし、日常生活を送るし、新しい出会いにも前向きでいる。それはよく考えればとてもとても異常なことなわけです。
異常なおっこの新生活は、やはり物語後半に向けて徐々に破綻してゆきます。「両親がまだ生存していて自分と一緒に暮らしている」という幻想を何度もみてしまうおっこは、あるシーンにおいて事故の原因となった(もちろん別のですが)大型トラックを見て、事故のフラッシュバックから過呼吸になってしまう。おっこは、両親の喪失という悲しみを乗り越えたわけではなくて、ただ単に今まで封印をして日常生活を演じていたに過ぎなかったわけです。
あらすじなんかにおいて本作は「主人公おっこの成長を描く」なんてサラリと書かれているわけですけれど、それは不誠実な欺瞞であって、おそらくおっこの身になってみれば、それは成長じゃなくて引きちぎられてバラバラにされてしまった自己の修復というサバイバルなわけです。失った何かから目を背けて、決定的な破綻をしないようにごまかしながら疾走するというのが、この物語の前半部分でした。
そういう意味で、おっこが若女将をやるというのは、児童労働とかそういうレイヤーの話ではないのです。両親を失って加護者も生活基盤も支えも失ってしまったおっこにとって「いまできるなにか」に必死に飛びついて自分を騙そうとしていたとも見ることができます。祖母である旅館の経営者(現女将)の後継者問題という、旅館側の都合があったにせよ、おっこが旅館の雑務に飛び込んで笑顔で充実していく背景にはそれがあるはずです。
事実おっこの若女将は雑誌に取り上げられて評判を呼ぶという広告的な価値はあったものの、従業員としてみたとき、お客さんに感情移入しすぎて夜闇の中に駆け出すなど(一般的な社会人の価値観からすれば)行き過ぎな面もありました。
でもそれも仕方がないと思うのです。両親という生活基盤を失ったおっこは、同時に目指すべき将来の自分像も失っています。「将来こういう自分になったらいいな」です。その空隙を、目の前に提出された安易な「若女将」で埋めてしまったわけですから、その意味では、おっこの若女将は労働としての若女将ではなく「若女将ごっこ」でもあって、つまりはある種の自分の居場所探しなわけです。
たとえおっこ自身がそれを言語化できるレベルで気づいてなかったとしても、まだ収入もなく住む場所も自分では決められない小学性にとって、他にできることなんて事実上ないじゃないですか。それはせめて居場所を獲得するという生存努力です。
おそらく祖母はそのおっこの悲痛に気がついていて、周囲が無責任に「若女将誕生!」とはしゃぐなかで、決して自分からは手伝え、継げとはいいませんでしたし、おっこの労働を危惧してた素振りも見えました。経営者として「子供に接客なんてさせられない!」と拒絶することもできたでしょうけれど、おっこから若女将をとりあげて、じゃあ不安定な彼女の精神に何をしてあげられるかと言えば何もない。だから黙認しかないわけです。
だいたい「自分自身と居場所を見つけるという話」なんてものは現代社会において、大学を卒業して就職して一年二年経った青年が、俺はどうやらこういう方面には我慢が効くがこういう方面は苦手だぞ、どうやらおれはこういう仕事とこういう人間関係の中でなら生きていけそうだ――みたいなのをやっとこさやるものなわけで。そんなものを、小学生が引きちぎられるような喪失を乗り越えるのと二正面作戦でやるのは無茶というものです。
そういう意味では、周囲の大人たちはもうちょいどうにかフォローしてやれなかったのかよ、とも感じるんですが、でも逆にそれこそ大人視点の傲慢な物言いであって、大人だろうが子供だろうがどんな人間でも自分自身の心の中の悲しみや未来とは、自分一人で向き合うしかないというのも一面の真実です。
おっこは画面上の軽やかさやおっちょこちょいさに隠されがちですが、実は誇り高い女の子です。特に自分が設定した自己目標に対しては愚直なまでに誠実です。だからこそ、宿泊客のために対立している真月に頭を下げて教えを請うこともします。その実直さが両親を失うという危地の中で彼女が孤立してしまった原因だし、それが巡って彼女の味方を増やす原因でもあったのは素敵だったと思います。
おっこは「喪失を乗り越えること」から逃避して、目の前のロールである若女将に飛びつき、そこで必死に働くことによって苦しかった過去をある意味塗りつぶそうとしたわけですが、その逃避が「自分自身と居場所を見つける」ことにつながってゆきます。
幾つかの出会いがあって、目指すべき未来のヒント、ロールモデルと出会います。たくさん登場人物がいるのですが特筆すべきなのは三人でしょう。
まずは旅館の女将である祖母。登場シーンは少ないのですが、彼女の個人人格と職業倫理が融合してしまったあの佇まいは、今は亡き母経由もふくめておっこの誠実さの根っこのように思います。職業倫理がついには人格化しちゃうって、昭和的な善人のあり方としてすごく共感できるんですけど、今の時代では流行らないのかもしれないと思ってちょっとホロリとしました。
二番目には、おっこの同級生、秋野真月(大旅館の跡取り娘、通称ピンフリ)でしょう。この娘は小学生女子なのですが、広い視野で旅館業と湯の花温泉京の未来を見つめていて、顧客に対して誠実であろうという、幼いながらある種の達人系キャラです(傲慢な物言いをする残念キャラでもあるのですが)。この娘と同年代として出会うことができた、ライバルとして対立したり和解したりできた、というのはおっこを取り巻く幸運の中でも格別のものでした。彼女との交友は、悲痛から逃げ出して飛びついた「若女将ごっこ」に、その内実の精神性を加えて「本当の若女将」へ進化させてくれたと思います。
(余談&劇中では語られませんが、温泉郷に住まう子供の中でも誰よりも本気で町の未来について抱え込んでしまってる真月の孤独にとって、その孤独の闇に現れて、自分の高さまで登ってくれると約束してくれたおっこの存在は、想像すると涙がこぼれるものが有ります。真月からみてもおっこは救いであったと思うし、そうだと良いなあ)
三番目は宿泊客である占い師・グローリー水領です。長い黒髪をたなびかせたこの宿泊客は、都心部に事務所を構える凄腕の女占い師なのですが、私生活での失意から「春の屋旅館」で飲んだくれ生活をしています。
抑制的な演出で描写される彼女の鬱屈をおっこはどうにかして励まそうと、浴衣を着たことのないという彼女の着付けを手伝います。浴衣初経験のそんな彼女の艶姿におっこが感嘆した感想が「格好いい!」でした。
ものすごくさり気ないシーンだったのですが、それはおっこが喪失していた「自立した憧れるべき大人の女性像」を見出した場面だったんじゃないでしょうか?
私生活で辛いことがあっても他者に当たらず、それどころか宿泊先の幼い従業員おっこに気を使っておどけてまで見せる。グローリー水領はおっこ視点では「素敵な大人のお姉さん」です。その素敵な年上のお姉さんに、「可愛い」でも「素敵」でも「綺麗」でもなく「格好いい!」と小さく叫んだおっこに、少し泣けました。お洒落で(←女子小学視点では重要です)、颯爽としてて、自立をしてて、視線を合わせて話してくれる。そんなお姉さんはおっこにとってどれほど輝いて見えたことでしょう。暗闇の中で我武者羅に迷走していた、それでも笑顔だけは守っていたおっこにとって、それは小さな灯火で「未来の自分」「目指すべき形」です。
祖母の言う「誰も拒まない花の湯」、同級生真月のいう「客を癒やすレストスペース」、女占い師が自分の仕事を「他人を励ます仕事」だと評したこと。それらは全て本作テーマに重なるパラフレーズです。そしてそういう人々の輪の中に、自分も入っていける。癒やしたり癒やされたりしながら前へ進んでいくコミュニティの一員になる。「若女将」という「自分自身と居場所を見つける話」は、おっこにとっては生存努力であり逃避だったわけですが、それを誠実に、ごっこから実体にしていくのならば、結局逃げていた「両親の喪失という苦しみを越えていく」につながっていくのだ、という脚本はすごく良かったです。
ここまで触れてませんでしたけれど、おっこには霊感があるという設定で「春の屋旅館」にきてから騒々しい幽霊の少年やおませな幽霊の少女と出会い、励まされています。両親が今でも生存していて日常は壊れていないという幻想に悩まされていた頃おっこを支えていたこの幽霊たちですが、物語終盤でおっこから見えなくなってしまうという形で別れが示唆されます。
でもそれは、おっこが人間社会のなかで居場所を確立した――七つまでは神のうちといういわばまだ神様たちの一員であり神楽の主役でもあったおっこたちが、社会の中で着地して、痛みも悲しみも乗り越えていく季節がやってきたのだというエピソードです(おそらく魔女の宅急便の黒猫ジジが喋れなくなる、も同様の構造ですよね)。
見終わってから気づいたのですが、この作品の幽霊や鬼たちは、幼いおっこが空想したイマジナリーフレンズだとしても物語が成立するように設計されています。
おっこは自分の中の勇気やかしこさと一緒に自分の悲しみと戦った。「春の屋旅館」はその舞台であり、若女将はおっこが戦うための姿だった。
すべてのフィクションはファンタジーなので現実視点を持ち込みすぎるのは野暮というものなわけですが、今後おっこは中学に入学卒業して、大学はともかく高校くらいは出るはずで、一人前になるまで十年近い時間があります。(このお話のおっこは絶対旅館業一筋だと思うのとは別に一般化するのならば)そのなかで、旅館業から離れるかもしれない。現実に寄せて考えるならその可能性は高い。
でもそんなことはおっこの戦いとそこで得たものとは関係がないわけです。おっこは若女将というコスチュームや身分を手に入れたわけではなく、戦いの中で手に入れた人間関係と自分自身がある。将来どこでなにをしようと、おっこの手に入れたものが曇ることは二度とない。それがこの映画の中心であって、それは児童労働とかそういうのではなく、もっとパーソナルで尊いものだったと思います。
「かくりよの宿飯」
面白かったです。葵ちゃんかわええ~気が付いたらすっかり気に入ってました
始めはよくある妖怪とのハートフルストリー(笑)かと思っていたんですが、すっかり葵に魅了されましたよ
しっかりしてるわこの子
自分の弱い立場を自覚してても物怖じしないで言うことは言うところとか、芯が強いって言うんですかね?
しかし謎だった仮面の正体があっさり明かされたのは拍子抜け。だけど大旦那と銀次との三角関係っぽくならずに良かったとも思う、ドロドロしたのはこの作品には似合わない
後半別の旅館に強引に舞台変更されて、鬼の旅館の面々が見れないのは残念でしたが、三角関係を避けるためでもあったんでしょう
今作に限らず妖怪がマスコットっぽいのはもうしょうがないのかも知れない、もっと訳の分からない存在でいてほしいけど(理想は蟲師的なやつ)ホラーは受けないしな…
おう。相変わらずよかったです。思ったんだけどこういう作品の先達って「月曜日のたわわ」とかでしょうか?
長かったような短かったような…ぶっちゃけ普通としか。面白いとは言わない
サラが捕らわれのお姫様状態だったり、主人公機のガンプラが正統派パワーアップしたり、良くも悪くも普通というか
…オタクっぽくない?
無論いままでのガンプラアニメにも両方あったけど、今作は特にバランスが仲間よりで、逆に個性が死んでるような気がする
主人公のリク自身がガンダムオタクというよりチャンプに憧れて始めたから余計そう感じるんだろう
前2作は生粋のガンダムオタクと格闘バカという、何らかにのめり込んでいるオタクに近いタイプ
しかし今作のリクくんは何だかちょっと違う。サッカーのエースであり親との約束も守る良い子…
だから今一ピンとこない
ガンプラアニメがだれに向けて作られた作品化によるが、ガンダムの裾野を広げるためにはそういう「ガンダムに執着は無いけど少しは好き」という層を取り込むべきだと思うし、それが正しい選択だと思う
が、そういう人達が今作を観てガンダムを好きになるとは思えない、もっとドハマりさせるような作品を作って欲しい
「深夜! 天才バカボン」
ん~思ったより面白くなかった
なんだかもっと風刺のきいたキレッキレのギャグを期待してたんですが
おそ松さんみたいなのを期待していた人多いと思うんだけどな~…それとも今作は原作に寄せた感じなんでしょうか?
ただ観ているうちにじんわりと面白くなるというか、緩い心地よさのようなのは感じました
「千銃士」
しかし意外と地下活動してましたね。協力者を得るためにあちこち駆けずり回ったりとか、そこら辺はけっこう面白かったです
ただブラウン他、主人公っぽいメンバーが活躍せず他の貴銃士の話ばかりだったので今一感情移入できなかった
出てたのかも知れないが、キャラ多くて見分けがつないし話の中心に居る訳でもないし、本当に居るだけだった?ってか居たか?記憶に御座いません!
終盤はカールが主人公かと見紛うばかりだし、ペース配分というか全体の構成を間違えてる気がする
面白いですが、今さらという感じもする…"今"じゃないとコレは出来なかったのかも知れないが
わかりまぁす…
出来は良いんだけど今一刺さらなかった
何ていったらいいか、学園での日常が現実離れしててレビューバトルの非日常感が薄まったのか?
あとキャラクターが作り物っぽく見えましたね、いやアニメなので全て作り物ですがそういう意味じゃなくて
逆に完成度が高いとも言えますが、生々しさが無いというか…日常でも非日常でもずっと舞台の上にいた感じというか…?
上手く言葉に表せないけど、惜しい感じ
う~ん…微妙
もっと泥臭い戦いを期待してたんですが演出がヒーロモノ的でチグハグに感じた。カッコよく描きすぎ
最後負け戦になることは確定してるし、苦い最後なんだから善悪の無い演出にすべきだったと思う
「天狼 Sirius the Jaeger」
メッチャ面白かったです!純粋過ぎるよお兄ちゃーん!兄弟そろって親父の後を追うとか…まさに継承の物語
共に生きよう(復讐を遂げてのセリフ)とかユウリ強い子すぎて逆に不安。ユウリ一人で本当に分かり合えるのか?教授達も居るしなんとかなる!
しかしこれ劇場企画が1クールに落ちてきた感が強い。妙にクオリティ高いし…あっ!劇場版で続きがあるとか?観たい!
実はすこしだけお嬢とのロマンスが欲しかった気がするが、結果的になくてよかったんだろう
「ハイスコアガール」
原作漫画の絵が独特で、キモかったら切ろうと思ってたんですが、なかなかどうして面白いじゃないですか!
対戦格闘ゲームを主に取り上げながら、スーパーに置いてあるようなゲームにも触れていて、原作者は本当にゲームが好きなんだなと思いました
しかしやはりアーケード対戦のことは理解できない。取っ組み合いになる程やるかね?
ゲーセンとは縁遠い田舎者としては、誇張してアーケード文化を大きく見せてるんだと思いますが
「ロード オブ ヴァーミリオン -紅蓮の王-」
何だったんだ一体…正直なんで戦ってるのかわからなかったです。設定に描写が追いついていない
力を使うと敵も味方も赤い衣装ばかりで差別化した方が良かったと思う
終盤の駆け足感も強くてヒロインとの因縁に尺を割けなかったのも微妙。思い出してみると全体的に主人公が躊躇っているのがグダグダの原因
決意を決めてからの終盤は逆に尺不足と、ペース配分を間違えた感がある
13話までの感想
私はアニメ一作目ゾイド世代ですが、アニメでは相棒はあくまでジークって感じでシールドライガーに友達感は感じてなかった
それに引き換え今作はワイルドライガーの保護者感が強いので、アホなアラシでも安心して観ていられる(笑)ワイルドライガーは"おかん"
ワイルドブラストは文句なくカッコイイんですが、戦闘がワイルドブラスト頼りというか…他はずっと体当たりか引っかきばかり
かと言って銃火器を出すと剥き出しのキャラクターにはオーバーキル過ぎてね…正直飽きが来る前に何とかして欲しいところ
今更ですが意外と信長の歴史を学ぶ上で細かくわかりやすくなってる
面白かったです。ナレーションに初めは違和感しか感じませんでしたが、今ではまぁ川平慈英もアリだなくらいには思います
立木文彦さんがベストなのは言うまでもありませんが、アレはアレでありだと思います
「オーバーロードⅢ」
面白かったけど、最後の最後にクオリティの低さが露呈してテンション下がりましたね~
このシリーズは初めから作画も構成も疑問に感じることが偶にあり、想定の範囲内ではあるんですが…頑張って欲しかった!
しかしそれでもⅢまでシリーズが作られるくらいには面白いですし、その面白さの大半はアニメではなく”原作の面白さ”からくるものだと思います
不思議ですね~アニメが原作よりつまらなかったり、アニメが原作を超える面白さだったり、作品によって多様です
それを考えると今作は比較的アニメ化で面白さを損なわなかった作品と言える
Ⅳを楽しみにしてます