はてなキーワード: 感情移入とは
もう結構いい年。
最近何見ても新鮮味を感じない。
感動したりはするんだけど。それはキャラクターへの感情移入だとか
あーこれ、どっかで見たことあるなぁってぼんやりコンテンツを眺める。
しんどい。
年齢重ねたら誰でもこんなもん?
ヒプマイ見ててヒプマイ民の人らが公式について行けないなら離れろって言われている。つらいし可愛そうだ。
私も過去同じような、というか何らかのジャンルにはまったことのある人は誰だって経験があるんじゃないだろうか。
公式が出している情報が全て。それが正義だし正しいのはもちろんわかる。
公式にしてほしかったものをしてもらえなかったとか、自分の要望通りにならなかったとか。
でもそれは解釈が違うのではなく、要望通りにならなかったというのが正しい。
だって公式は矛盾や塗替えを簡単に行ってしまうことがあるから。
創作においては面白さが一番優先されるべきもので、矛盾ひとつないけれどあまり面白くないものよりはそちらのほうがいい。
多少の矛盾や辻褄合わせ程度なら気になることはないだろう。
ただそれがなんの意味もない変更だったらどうだろう。例えばとあるキャラがいつも身につけているネクタイの色に理由があったとする。
ネクタイの色について非常にシリアスな理由でキャラの設定に深みを出す過去があったとする。(誰かを偲ぶための喪服とか忘れないための色とか)
まるごと好きになったファンからしたら、その理由と過去こそキャラそのものだと感じる。ドラえもんとのび太はセットでいるように、この2つが合わさってそのキャラという存在があるのだ。
けれど公式からだしているもので、その設定がなかったものにされたらどうだろうか。
それまでずっとその設定のそのキャラだったものが変更される。スピンオフとかあまり公式からチェックが入ってないとか、そんなものだったらまだ救いだろう。でも作者とか編集とかその人達からこのキャラのその設定暗いしぱっとしないから無くしていこう。
そんな思惑があったのかわからないけど何もなかったようにその設定が無くなったら。
単なるネクタイの色でもその理由はシリアスで、キャラの成り立ちやら性格や過去やらそういうのを詰め込んだ設定がまるっとなかったことにされたら。
ドラえもんの相棒はのび太だけど、それじゃぱっとしないから出来杉にしよう。女受け良さそうだし。
もしそんな風に公式から直々に変更されたら、大多数の日本国民は受け入れるだろうか?公式の出しているものが正義なんだから納得しようって。
そんなことになってしまったとき、ファンにが出来ることといったらもう不満を吐くしかないわけで。離れるファンをやめるっているのはもう成りつつあるわけで。離れてファンを辞めながら怨嗟の声を上げているのが正しい。ドラえもんと出来杉を相棒にするなんて、それじゃのび太との今までの絆はなんだったの?のび太を捨ててユニットを組んだ二人をこれまでのようには応援できない。だってのび太が可愛そうだしドラえもんもそんな人じゃなかったでしょうに。出来杉だって本人が悪いわけでもなかったのにのび太の代役ってことでみんなから恨みを買うだろう。全員が不幸だ。
のび太とドラえもんの相棒交換なんてこれまでの認知度や実績を考えるとまず成されることはない。
しかしこれがそこまで有名でもない、とある作品の人気キャラだったらどうだろう。
一部の漫画アニメを見ている人たちからしたら人気があるけれど普段から漫画もアニメも見ない人たいは知らない。そんなキャラだ。
公式編集がこれまでのキャラの相棒や設定なんかを変更して新しい冒険をしよう、もしくはサービスのつもりで(ヒロイン交代とか)そういうことをやらかしたとき、だけど公式なのでやらかしとは言えないのだ。
これまでの過去を愛しているファンにとったらたまったもんじゃない。顧客が本当に欲しがっているものと重大な認知の歪みがある。
ヒプマイと並ぶ以上に私が同情するのは俺屍2だ。私はこのゲームのファンではないができる限り批判されていることの意味を調べ、ゲームも実際に見た。
あれは一言でいうなら、既存のゲームの世界と設定の上に自分のオリジナルキャラ総愛されを組み込んだようなものだった。
続編で出てきた全く知らない女キャラを過去のゲームの人気キャラたちが特に理由もなく絶賛し褒め称え、そのキャラが居なければ進められないようにシステムに組まれおり、かつ弱くて使いにくい。シナリオも破綻していると思える内容だった。なにせ諸悪の根源がその女キャラなのに、世界はその女キャラ中心に作られている。これでは感情移入とかも無理だろう。
公式から出された以上、どんなにひどくても公式と認めないといけない。ファンにとったらそれが一番つらい。全部なかったことにしてほしい。
そんなに耐えられないこと?ならそこまでのめり込まきゃいいじゃん。って思う人たちもいる。だいたいライト層だ。確かに公式のやったことは好きじゃないけど、そこまで怒るような内容でもなくない?
こういう人たちはそもそもガチハマりしているオタクとは永遠に分かり合えないので、無駄に議論する必要はない。
アイドル売りしている推しの公式から出している高価なグッズを買うこともない人たちだ。※(個人の見解です)お金をかけていることをマウントしたいわけじゃないが、公式はそういう層に狙いをつけてグッズを出している。そういう層を獲得するためにキャラを売り出している。(※個人の見解です)だから何万もする香水とか、指輪とか、ネックレスとか。買ってしまうのがドハマリしているオタクだろう。
そしてそんなのを売っているんだからキャラクターにマイナスなイメージをつけることもないだろうとか、暗黙の了解だと購入するファンは思っているわけだ。
今のオタクは安心して貢ぎたいなと思っている。※(個人の見解です)公式から引っくり返されるような設定の塗り替えや、後出しの矛盾。キャラのマイナスイメージを出されることが何より辛い。そして刀剣乱舞やヒプマイみたいな情報の少ないジャンルは、背景や設定だけあればいくらでも深読みや妄想ができるから、それも楽しいし好きで居続けることができる。
もちろん公式から出される設定の崩壊や矛盾なんかがないのが前提だが。
長々と語ったが公式様に求めることは一つだけ。設定や背景や価値観をコロコロ変えないで欲しいし、ガバガバな設定でもそれなりにまとめてほしい。
ジョジョの設定に矛盾があっても全く気にならないのは、キャラがブレていないから、というのをどこかで見たがほんとそのとおりだと思う。
キャラクターはその世界で生きているんだから、現実世界の思想や価値観を投影するならそれなりの説得力のあるエピソードを作って。
あとこのキャラは誰ともくっつかないって質問で答えたのに、読者の反応が見たかったってわざわざ他キャラとイチャイチャさせるとかサイコパスかよ。
平成期末の12月、さりとてただの西暦2018年末も暮れゆき。Evernoteを整理(という名目の現実逃避)していたら、去年の末に増田に投下しようとして書き上がらないまま放置されていた漫画レビューが転がっていたので、供養として投下してみようと思う。細かい表現ばかりが気になり頭をひねっていたら知恵熱を上げてしまって、結果として放り投げてしまったのだった。けど1年寝かすと、ほんとうどうでもよくなるもんだ。今年こそ、ちゃんと書こう。
以下、そのままコピペ。
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年の瀬ということで、あっちらこっちらで総括的なものが始められている模様。そういうところにブコメをして推しを布教していくのもいいが何せ100文字で多くを語ることができない、ので徒然に増田に投下してみるわ。あー、明後日の納会行きたくねー(社内ぼっちなので)
お題は表題の通り。コミックスとして発刊されてるものが対象。発表時期は昨年以前のものでも、今年私が買ったものなら対象(流行に疎いものでね)というどこまでもジャイアニズム全開のまとめだ。誰かのこころに刺さるものであれば幸い。
【1席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B077GQL19W/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ヤマシタトモコはモノローグのうまさが前からそれなりに好きではあったのだけど、話や画づらがガチャガチャしていてあまりハマり切れてなかったところがあって(「BUTTER!!!」とかね)。
だが今作は主人公(の片割れ)が小説家ということもあって純粋に持ち味である「語り」が活きてきたな、という感じ。(ベタなフィーヤン的おセンチメンタリズム…ではあるのだが)
気が付いたらハマっていて、「2巻ないの?」となった。
両親を亡くした思春期の子を叔母(母の妹)が引き取る…なんて話だったら往々にして、「世の中を斜に見ているひねくれもの」という設定が「思春期の子」役にあてがわれることが多いんだけど、本作の「田汲朝」ちゃんはとても素直な性格なうえ、人見知りしない(齢34を超えて未だに他人とまともに話が出来ないおばさんにちょっとコミュ力分けてくれよ)。この人物造詣がなにより良かった。
それと、読まないと絶対わからないような細かいポイントで恐縮だが、「乾いた寿司は殺す」。この一言でもう、やられてしまった。
【2席】
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B071J6PGN6/ref=series_rw_dp_sw
4月ごろに部屋探しをしていたので、結構感情移入しながら読んでた。
(割と長いシリーズなので、ご存知の人も多いだろう。ということで概要ははしょりまーす)
主人公・沼ちゃんはようやく「ここだ」という部屋に出会い、マンションの売買契約を結びました…ここまでが3巻のあらすじ。
で、それを受けた4巻だけど、平常運転です。相変わらず、沼ちゃんと周辺の人々のパートと、市井の人とその人の暮らす部屋にまつわるお話のパートとを行き来しながらお話は続いていきます。
いつもどおり続くけど。
例えば、娘に命かけたものは何か、と問われた母親が「出産」と答えるエピソード、それを受けた娘は「じゃあ、私、一生懸命生きなきゃだね」と応える。
「いつもどおり」は日々のなか暗渠のようにずっと流れ続けていて、ある時まれにそれが顔をだす。その輝きのなんと素晴らしいことか。
8年暮らした部屋を出る沼ちゃんのエピソードに、5月、10年暮らした部屋と街を出た自分自身を重ねて、少し泣いてしまった。
【3席】
https://www.amazon.co.jp/dp/B0721MBYT7/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ようやく「森・青木」以外の物語を書いてくれる気になったか…というところで、デビュー作「水と銀」以来ファン歴18年の私としては感無量です。
お話としては、相変わらずぶっ飛んでて良かった(吉田先生的には平常運転)。
ヘタレむっつりストーカー気質おじさん×ツンデレ狐目女子、萌え(何やら言語中枢がやられてしまってるようだ)
「淫らな青ちゃんは勉強ができない」①・②・③・④・⑤ カワハラ恋/講談社
「男はケダモノ」という世界観で生きている女子高生が、ピュアな男子高生に好きになられて…。
一人妄想を膨らまして、勝手に怒ってみたり悶えてみたり童貞にマウンティングしたりする主人公・青ちゃんを「一番ケダモノなのはお前やないかーい」と愛でるのが本作の趣旨です。
とはいえタイトルでわかる通り、「出オチ」系のマンガなので、そろそろマンネリがきつい。最新刊では青ちゃんに想いを寄せる女子高生も現れ、百合展開もあり…次の一手に期待。
「お前はまだグンマを知らない」①・②・③・④・⑤・⑥・⑦・⑧ 井田ヒロト/新潮社
これも出オチ系。マンネリが気になるかな。でも、グンマのこと、好きになれたよ。
ラブ焼きまんじゅう。
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(追記)
「違国日記」は3巻まで出たね。いいボルテージを維持しているので、引き続き期待しているけど、ヤマシタ先生の描こうとしているものの全容を想像するに、きちんと終わるまで何年かかるだろう、と思う。
巻末の「○○のそれぞれ」で脱線してる暇はないっすよ。
対照的に「官能先生」は2巻でもう物語の核心に触れつつある。次巻、起承転結の“転”となるエピソードがくるかな。「恋風」も「夏の前日」も5巻だしな、物語を転がすのが本当にうまいって思う。
ビジネス的にはどうなのかと思うが、「作品の質が全て」という信条なのでそれは無視。
(「おまグン」はWeb版くらげバンチで読んでるけど、単行本を買うには至らない)
日々は、進んでないようで、過ぎていく。たまに過去の自分が書き散らかしたものに出くわすたびにその少なくない変化を驚かされるばかりだ。
私は映画好きなんだけども、同じ映画好きでも一つの映画を短期間に何回も見る人の気持ちが分からない。(入場特典目的ではなく、作品そのものの目当てで)
私は基本的に一度見ればしばらく見なくていいという派なんだけど
理由としては「初見の感動を越える事は絶対にない」「先の展開を知っているので見てても冷静になって感情移入とか出来なくなる」という話のため。
一度、映画館で見た作品を一週間後に見にいったけど、上記の理由に気が付いた。
正直見てても、初見では気が付かなかった細かい部分に気が付くぐらいで、そんな間違い探しみたいな事に金と時間使ったのかと思ったらバカバカしくなった。作業感も出てくるしね。
少なくとも、一年以上期間を空けないと楽しめないな。
だからと言ってTVで放送されるジブリ作品は放送されすぎてて、TV見なくてもツイッターの盛り上がりでどのシーンか分かるぐらい見すぎてしまったけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/hamamari/n/nbbd358cc6cc4
『彼女は頭が悪いから』ブックトークに参加して見えた「東大」という記号の根深さ|はままり|note
ジャーナリズムや論文はともかく、小説の響く/響かないの感想というのは、読者の感受性に一任されるもの。
リアリティがなくてスッと世界観に没入できない、感情移入が難しいというのは、著者側の能力の問題のように思われる。
それが本件のようにジェンダー、人権、外国人問題のように、小説が道徳の教科書として活用されるようになった瞬間、描写が稚拙でも感情移入できなかった読者の側が悪い、道徳的反省心が足りないってことになるのか。
もはや小説家としての能力も不問とされ、あくまでテーマが全面に押し出されるのか。
それならもはや小説という表現形態と両立させることが無理矢理であって、最初からジャーナリストによる記事や当事者の手記、裁判記録などを使った方が、「誤読」を防ぐ意味でも遥かにマシなのでは?
転スラアニメをとりあえず見続けててすげえ面白いわけでもないけどすげえつまんないわけでもないのでダラダラ見られるくらいには刺激があるんだなあと
他の転生アニメと違って現代知識SUGEEEEではない分イライラは少ない気がする(とはいえチート能力で無双するノンストレス展開だから好みはわかれるだろうが)
あと意外とラッキースケベやら女性キャラを性的搾取してるところが少ないのが癇に障らないのかもしれないなにせ主人公はスライムだし人間化すると性別ないし(童貞だけど)
ここ最近の村づくりは文明築いていくのがわりと面白いというかどういう発展の仕方になるんだろうなあと思わせてくれる
ブクマがたくさんついてて驚いた。やはり気になる人も多いんだねえ。
私が食べ物を無駄にしても合理的に考えれば別にどうということはないのもわかってるけれども、
これは「悲しい」という気持ちの問題なのですね。だから人には言わないし強制しません。
職場の食品廃棄についてはルール化させてもらおうと思うけれども、あくまでも最後まで責任もってほしいというだけで、捨てるのはその人の自由だから。
そして呪いだとは思ってません。親や祖母に言われたことも特になくて、自然発生的な共感なんだよね。「スーパーの惣菜コーナーで割引シール貼られてても売れ残ってる唐揚げに自己投影してます」って言ってる方がいるけどそれもすごくわかる。感情移入してしまうのですね。
「お供え物の一種と思って、大漁とか五穀豊穣とかを祈りながら捨てたら多少は気が楽になるのでは」というブコメ。これかなりグッと来た。ありがとう~
ラブライブ、アイマス、バンドリ、ナナシス等の二次元女性アイドルが好きな女オタクです
二次元の女の子はとにかくかわいいし推せる、もう見た目がかわいい、動いてもかわいい、おまけに声もかわいい、ライブとか行っても、客観的に見たらそこまで顔面偏差値高くないであろう女性声優陣も声優補正?キャラ補正?でとてつもなく可愛く見えるしたまらん応援しちゃう推しちゃう
同性だからこその感情移入とか憧れとか、理屈はよくわからないけどとにかく二次元女性アイドルが好き、応援したくなる
二次元男性アイドル全般あれこれいろんな作品手を出してるけど女性アイドル作品には見向きもしない
たとえばMマスは好きだけど765もミリもデレも全く知らないとか
私もヘテロだし男性アイドルも全く興味がないわけではないし、この曲良いなとか思ったコンテンツはちょっと手を出したりもしているけど、異性だとどうも感情移入ができなくて?なのかはわからんけど基本的にやっぱり女の子の方がかわいい推せると感じちゃう
二次元男性アイドル好きな女オタクの皆様に純粋に問いたい(兼任は除く)
やはり異性が良いのですか?
ただ純粋に疑問なんです
「A×Bが好き」と言うと「BのファンでAは好きかどうかは分からない」と取られるのが普通だよ
Aも好きって人も多いけど、Aはただの竿役でどうでもいいって人もいるので
増田くらいでしか書けない、拗らせた若い頃の変態性の記録とを吐き出したいので読み流して欲しい。先に書くけど今ハッピーてオチだから自慢と感じる人は読まないほうがいい。
現実の他人にはほぼ関心を持たず、初恋はゲームのキャラだったのを覚えている。
思春期になるとBLにハマった。男女物の少女漫画は苦手だった。
何故なら、私は図書館でエンカウントするタイプの女で、ヒロインのような朗らかで素敵な少女にははれないので、読んでいると辛くなってくるからだ。
BLは男同士の世界なので私には関係がないため傍観者として好きに読むことができる。
BL以外には当時父親が買っていたジャンプをこっそり読んでいた。当時の月刊は過激でエロい漫画が掲載されていて、そこだけドキドキしながら読んでいた。このときも男性側に感情移入していたと思う。
次第に思春期の私は「男になりたい」と思うようになった。
女は与える側にしかなれないが、男なら与えるのも享受するのもどちら側も選べると思ったからだ…と思う(当時はモヤモヤしていて言葉にできなかった)
それを拗らせていき、フェミニンな物が全て苦手になっていった。スカート、フリル、化粧、恋愛など。
これはだいぶ長く続いて、どんな人に告白をされても二度と声をかける気がなくなるくらい、こっぴどく振っていた。そもそも性の拗らせ以前に、趣味の時間を取られるのが惜しかった。恋愛する時間や気力があったらネトゲをしたい。
当時すっかりネトゲにハマっていた。ネトゲでは男女両方のキャラを作って、男のときは女キャラの人にセクハラぽいことを言ったりもしていた。男とはそういうもので男キャラを動かすにはそうしたほうが良いと思っていたからだ。誤認識も甚だしい。
でも実際に男キャラ中身男という設定で動かしてみるとしんどくなってしまった。男なんだからと率先して戦闘をしたりしていたがネトゲ内ですら内向的な作業のほうが向いていた。男をやることに向いていない。そう思ったので結局女キャラばかり動かしていた。
女キャラで自称女でもネカマだろうと周りには言われていた。オフ会に行ったときは本当に女だったのかと驚かれた。
そしてドール趣味が始まってしまった。きっかけはアニメ顔をしたフィギュアのようなドールだった。
とても可愛いと思った。そして、これだ!と思った。
私は同性愛者ではないので現実の女性とお付き合いしたいとは思わない。女のままでは享受する側になれない。でもドール相手なら自分は享受する側になれるのだ。
ドールにセクシーなあられもないポーズをさせて安いデジカメで写真を取りまくった。
でも繊細なドール界隈、特に女性ドーラーの間ではそういうものは忌むべきものとして大変嫌われていた。匿名の場でセクシーなドールのスレッドが立っていた。レスで写真を公開していたが、スレッド自体の存在をドールの人権侵害くらいの勢いで罵倒された。スレッドは削除依頼を出されて、実際に何度も消された。
別の場所で、あのスレッドはドールの世界を壊すクソ男性ドーラーどもという扱いをされていた。でも私は女だった。女ドーラーだと弁明しても余計に荒れそうなので、私は匿名のままそういう表現にふさわしい場所に公開場所を移していった。
その当時はオリエントのダッチワイフが本当に欲しかった。でも大きいし高額だしと結局購入に至らなかった。男だったら即買っていたと思う。でも、ここでまず男じゃなくてよかった。男だったら田舎の100万くらいで買える中古のボロ家を買って中を人形別荘にしていたと思う。大変なホラーである。
そのあと社会人になって仕事に忙殺されているうちに今の夫と付き合うことになった。
夫もオタクだが漫画をたくさん読むというレベルのマイルドオタクだ。
付き合うことになったのは20半ばになって未だに恋愛経験がないのはヤバイのではないかという焦燥感があったからだ。喧嘩も沢山したが、こいつを逃したら自分は一生独身とお互いに思ったために結婚まで漕ぎ着けられた。
私は男性は大体えろいと思っていた。夫もオタクなのでケモナーの話をふったらドン引きされた。ふたなりもNGと言われた。それを見て、もう私のこういう話はリアルでは話せないので墓まで持っていこうと思った。結婚の引っ越しを機会にドールを全て処分した。人形用のエッチな服などが見つかったらドン引きされてしまう。
男性は大体えろいけど、変態濃度がみんな高いわけじゃないという当たり前のことがネットの知識しかないのでわかっていなかった。
子供が生まれたらホルモンのバランスなのか?憑き物が落ちたようにフェミニンなものに抵抗が無くなった。私は胸を張って女である。子供を生む性である。と自分で受け入れたからかもしれない。それを受け入れたので今は割と幸せだ。不思議とBLにも興味がなくなってしまった。ドールは持っていないながらまだ好きだけれども。
男に生まれなくて良かった。男に生まれていたら田舎のドール別荘と都内の家と職場の往復で人生が完結することになっていた。それはそれでめっちゃ幸せだったと思うけれども、子供がいる幸せはまた別ベクトルだ。
フロリダの海辺の街で、ボートの修理をして生計を立てている独り身のフランク。彼は、天才数学者だったが志半ばで自殺してしまった姉の一人娘、メアリーを養っている。彼女は、先天的な数学の天才児“ギフテッド”であり、周りは特別な教育を受けることを勧めるが、フランクは「メアリーを普通に育てる」という姉との約束を守っていた。しかし、天才児にはそれ相応の教育を望むフランクの母イブリンが現れ、フランクとメアリーの仲を裂く親権問題にまで発展していく――。
映画『ギフテッド』オフィシャルサイト| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント
ストーリーはあちこちで語られまくっているからここではもう書かない。
本作のもうひとつの魅力はキャラクターが魅力的なことだと思う。
ただし直接言葉で描写されるのではなく、会話の断片やちらりと映る写真からキャラクターの背景が浮かび上がってくるスタイルなので人によっては伝わりにくいかもしれない。語りたいので勝手に語る。以下全部ネタバレ。
彼の最初のイメージは、バーに入り浸り汚い家でいい加減な生活をしている駄目おやじだ。
軽口を言い合う娘との関係がなんともいえず良い。
主人公は娘を一人の人間として対等に扱い誠実に会話をする。その様子が心地よく暖かい。2人は強い信頼と愛情で結ばれている。
母親から娘を託された時点では彼はオックスフォードの准教授であったらしい。
仕事と育児が両立できずに辞職し、現在ではボートの修理工として不安定な生活を送る。
浮かび上がってくるのは、育児のためにキャリアも収入も捨てその苦労を娘にわからないように振る舞う気丈な男親の姿だ。
人生のほとんどを育児に捧げたその結果、家が汚いことと収入の不安定さを理由に娘を取り上げられてしまうのはあまりにも理不尽だ。つらい。
「五分でいいから自由な時間が欲しい」とうっかりこぼし、娘が激しく傷ついてしまうシーンがある。
彼は行政にも保育園にも頼らずたった1人で子供を育てて来た。娘が天才であることがバレたら取り上げられてしまうのではないか、という危惧からだ。彼の危惧は現実となった。小学校で天才であることがバレ、またトラブルを起こしたことからほぼ放校処分。英才教育校への転入するように言われる。英才教育を望むおばあちゃんにより養育権を巡る裁判が起こされるという事態になる。
ところで彼の言動は子供を育てる親の「あるある」が詰まっていてとてもよい。
『育て始めて最初の2週間で自分の手には負えないことがわかっていた。明日こそ児童相談所に行こうと毎日思った。でもその度にあの子は何かをしでかすんだ。思いもよらないことをね。』泣いたり笑ったり。あの子はいろんなことをするんだ。それでいつのまにか手放せなくなっていたと彼は続ける。
そうだろうなあ。わかる。わかるよ。
どこからどう見ても英才教育クソババアなんだけれども、物語が進むにつれ彼女の背景も明らかになる。
どうやら彼女自身も相当に優秀な数学の研究者であったらしい。はっきりとは描写されていないがミレニアム問題のひとつ、ナビエ・ストークス方程式の解について研究していたようだ。
結婚出産で研究の道を諦めたが彼女の魂は数学に囚われたままだ。出来た子供(母親)が数学の天才で自身の夢を託してしまったようだ。
英才教育の建前のもと子供の人生に介入しまくるクソ親で、子供がボーイフレンドと遊びに行くと誘拐だと言って通報する、裁判を起こすと別れるまで脅し続けるなどやっていることは無茶苦茶だ。
どうも彼女自身も男運がないようで「男はみんな駄目男」と思っているかもしれない。この辺りも子供のプライベートに介入しまくる理由のひとつなのだろう。
物語を通して2つの関係が描かれる。主人公と娘、そしておばあちゃんと母親の関係だ。
物語ラストシーン、母親に対する自身のこれまでの行いを後悔し泣く。子供である母親と向き合い、彼女の死に対して始めて涙を流す。
いつのまにか母親に感情移入して見ていたので救われる思いだった。ボロボロ泣いてしまった。
一切出てこないのにすごい存在感。
天才として生まれ英才教育を受け、娘を残して自殺してしまった母親。
『親に愛されたかった』『親は私を愛さなかった。数学の才能にしか興味はなかった』
母親の人生はおばあちゃんに完全にコントロールされてしまっている。
そのせいで母親は生活能力がなく男を見る目もない。それを見ておばあちゃんは「自分がなんとかしなければ」とますます母親を支配する。
妊娠して男に捨てられ親(おばあちゃん)に相談するも突き放され、弟である主人公に娘を託して自殺。
自分のようにしないで、普通に育ててと主人公に娘を託すが・・・
ませていて可愛くて、繊細で、言動が突拍子もなくて目が離せない。本当に魅力的。
見ていない人はぜひトレーラーだけでも見て欲しい。
ちょっとした子供の仕草が本当にリアル。すきあらば体をよじ登って来るとか、上に乗っかって寝始めるとか
あるあるある。
映画を観る前は「アイアムサム」みたいな内容かな?と思っていたのだけれども娘の立ち位置がこの映画をもう少し複雑にしている。
母親は普通に育てるようにと遺言を残したけれども娘自身は数学を望んでいる。
普通の小学校に通うことを拒否しおばあちゃんの持ってきたPCや数学書に純粋に喜ぶ。
母親はおばあちゃんの価値観を押し付けられ苦しんだ。母親は「自分と同じにしないように普通に育てて」というが
皮肉なことにそれが母親から娘への価値観の押し付けにも見て取れる。当然だけれども母親と娘も別の人間なわけで。
もちろん娘は主人公との暮らしを望んでいるし、明らかにおばあちゃんはダメすぎるのけれども。
この映画の感想に「天才には適した教育をすべき」という主張の人がかなりいることにちょっと驚いたのだけれども
おそらく彼らは娘に強く感情移入しながら見たひとたちなのだろう。
映画は素晴らしかった。たまに映るホワイトボードやノートの数式もいいかんじ。娘の成長具合がなんとなくわかる。この手の映画は数式が不自然にわざとらしくなりがちだけどそんなことない。よい。けれども1箇所だけちょっといいたい。
天才を試す問題にガウス積分はないでしょーー。しかも符号書き間違えるか??ぐちゃぐちゃ長い式書いていたけれどもいったい何を書いたんだ。式が長い方が絵的に映えるのかもしれないけれどー。筋の悪い人に見えちゃうよー。極座標にしようよ。
いや小学1年生がガウス積分はすごいけれども、彼女は少なくとも微分方程式までは勉強しているわけでとうに知っているでしょう。
最近長続きしないゲームが多いことに気づいたのだけど、なんというか、どのゲームもキャラクターの個性がしっかりしすぎてて逆に感情移入できないんだよね。
ゲームって自分が主人公になってプレイするものだと思ってるんだけど、なんで全然知らない人間のサクセスストーリーを見るために俺の時間つかわなきゃならんのだ。
それでも今まではそのキャラになりきって楽しむことができてたけど、最近のゲームってそれさえ許してくれないほどに主人公が一人の人間みたいな個性を持ってるんだよね。
「実は皆に秘密が、、、」って、それ俺(主人公になりきってる俺)も知らねーし!
冷める。ものすごく冷める。
見えている部分が少なければ想像の余地でなんとかカバーできるけど、情報量が増えれば増えるほど、気に入らないととことん気に入らなくなってしまう。
グラフィックの向上とか、フル音声とかいいんだけど、細かく作られれば作られるほど、こちらの想像の余地がどんどん奪われていく。
奪われていった結果、許容の範囲がどんどん狭まってしまって、そこから少しでも外れるともうゲームを続ける気になれないんだよね。
現実でさえ、よっぽど話があうかよっぽど好きになれないと、他人とそんなに長く一緒にいられないじゃない。それにすごい近い感覚だと思う。