えらく評判だったので見に行ったが、画竜点睛を欠くとはこのことかという感じでした。
背景は美麗だしキャラもいい。笑いも含めながらテンポよく進むので飽きない。皆言うようにおっこに感情移入しながら見ることができた。あのシーンまでは。
両親の幻想や「両親は生きてると思う」というセリフから、おっこが両親の死を全く受け入れられていないことを全編を通して描いている。
それから過呼吸やフラッシュバックの描写(やたらとリアルでエグかったが)から、早急にカウンセリングが必要なレベルのトラウマを負っていたことも示していた。
だからてっきり俺は、客がトラックの運転手とわかった時、すなわち両親の死と心の傷にいきなり直面させられたときには、感情の爆発や失感情といったかなり酷い精神状態が描かれるのかと思っていた。
しかし実際は、おっこは取り乱しはしたものの、水領の車で落ち着く。このあたりから違和感が出始めた。
そして例のシーンである。トラック運転手に対して「花の湯温泉は誰でも受け入れる」とおっこが言うシーンだ。おいおいちょっとまてと。
あれは両親を亡くしたばかりの小学生としてではなく、若おかみとしてのセリフだ。一体どれだけ自分を押し殺せば、あの状況で、あの年齢の子が、あの相手に、あのセリフを言える?両親を殺されたと感じてもおかしくない相手に、両親を殺したことは許す、かつ客人として自分にもてなさせて下さいと言うようなものである。しかも彼には家族がいる、さらに言うなら彼が去ろうとしているのは「自分が辛いから」だ。そんな相手にに対しておっこのようなセリフを言える人がいるだろうか?
百万歩譲って客がトラック運転手だとわかり宿を飛び出した後、水領の車で両親の死を受け入れていたとしても、それに加えて、トラック運転手が両親を殺したのではないこと、さらにその人間の家族まで含めて世話するという2つの心理的ハードルをこえる必要がある。
いやいやさすがに無理あるでしょー。周りのキャラは「立派だ・・・!」とか言ってて音楽もこれでまとめようとしてる感じだしマジかー。
と思ってしまい興ざめだった。ここまでの心理描写は良かったのになー。
あと、「おっこは一人じゃない」というセリフが印象的に描かれており、かつその他の描写からも、「一人じゃない」ことが作品のテーマの一つのように思える。だけど実際はおっこが一番誰かにいてほしい時、すなわちトラック運転手(=トラウマ)と対面した時には、幽霊たちは見えず、宿の人間も出てこず、やっと会えたのがスピリチュアルな理由で駆け付けた、他の登場人物たちに比べて交流の少ない水領だ。これじゃ「一人じゃない」の説得力も薄れる。
完成度が高いだけにほんと残念だった。そもそも冒頭で両親が死んで、90分できれいにまとめあげるなんて無理なんだと思う。テーマが重すぎる。