はてなキーワード: 区切りとは
主人公の男子は、修学旅行帰りの新幹線がトンネルに入ったとき、地震が起きてトンネルに閉じ込められる
かろうじて生きてた女子と一緒に、何が起きたのかの探究と、東京の家に帰るために、荒廃した世界を進む
その途中でいろんな人に襲われたり助けられたりしながら、恐怖と向き合っていく
ちょっとした動き、動きへの反応もぜんぶ丁寧に描写してるから、読んでてしつこいほど主人公と同調できる
あと前半のコミックスはあらすじがついてたけど、あらすじの書き方がテルマエロマエっぽかった
同じ編集者だったりするのかなあ
ラストはやっぱり物足りないなと思った
でも記憶違いしてて、ヘリで助けられて真っ暗な深淵を除いて終わりだと思ってたけど違った
どんどんズームアウトしていって終わった
うーんしかし憧子ちゃん(咲と同じだな今見ると)かわいい・・・
リトバスした後だと、あこちゃんの病気はナルコレプシーだなって今読むとわかる
しかしあこちゃんみたいにかわいいやつがいたら、最初のノブオみたいにやるのがふつうだろ・・・
主人公、その他仲間の男が理性保ちすぎててすごいと思った
でもこれもう主人公確実にあこちゃんとつきあう感じだよなあ・・畜生うらやましいぜ
もっと読みたいと思うけど、人間の心の弱さ、闇の正体、それと向き合うということ、というゴールまでたどり着いたから、
終わりなんだろうな
災害がメインじゃなくて、あくまでも災害を通したそういったものにスポットライトをあてた漫画なんだよっていうメッセージにもなってるんだと思う
映画はクソだとよく言われてるけど逆に興味あるなあ
どっか外国で廃墟のセット作ったらしーけど、ビジュアルを見るだけだとかなりセットのできはよかったように見えたんだが
あとタイトルなー
龍頭ってとこからきてるのはわかるけど、それをタイトルにしたのがいまいちしっくりこないというかよくわからないもやもやしたままだ
全角スペース区切りニキも死んじゃってかなC
○朝食:ハヤシライス
○昼食:なし
○調子
はややー。
お休みですので、掃除したり、ゲームしたり、散歩したりしていました。
これで、今月の中頃ぐらいからプレイしていた、ケムコADVのシリーズは一通りプレイし終えた。
シリーズ外の文章を読む作品もあるみたいだけど、アンドロイド端末は持ってないので、ここら辺で一旦区切りとしよう。
来週もお仕事頑張るぞいや。
今月は、東京出張とかがあるので、体を壊さないように気をつけないとなあ。
●スイッチ
暴露モード、エキストラシナリオ、家庭用追加シナリオ、全てクリア。
ケムコADVシリーズの中でも、なんならADVジャンルのオールタイムベスト、いや、ゲームとしてのオールタイムベスト級の超超超超面白い作品だった。
昨日も書いたけど、とにかくあのキャラの「狂気」が凄まじかった。
要所要所の「滾る!」展開は、過去作品も負けてないと思うけども、
この作品はこの滾りに「狂気」が味付けされていて、そこがもう、今まで味わったことがない、すごい面白さになってる。
「え? ここから踏ん張るの? がんばえー、まけるなー、がんばえー!」
と、キャラクタの頭の良さに滾ることが多いし、
それらと同じぐらい
「え? すごいけど、こいつ狂ってる…… こわい……」
と思わせられるのが、もうなんか途轍もなく面白かった。
何がすごいって、この「滾る展開」が合計で五回ぐらいあって、
毎回毎回、その狂気に底知れなさを感じるところ。
クリア終えた今でも、底が見えないあのキャラはとにかくすごかった。
ただ、5本目のエキストラシナリオと、暴露モードでのオチを、ネットのレビューで過去作品のキャラが出るぞ、と読んでいたので知っていたせいで、
いや、こんなのレビューを読む僕が悪いし、僕自身ネタバレをガンガンするタイプだから仕方ないんだけど、
という段階で、どの作品の誰が登場するかわかっちゃうし、中盤のあのキャラの異能の手続きが明らかになったところで、もう時系列含めてこの謎解きは一直線な感じだよなあ。
繰り返しになるけど、だからそこをばらすレビューはよくない、とかそういう話じゃなくて、
○ヒューマン・リソース・マシーン
面白いDLソフトはないかなーとストアを探して見つけた、パズルゲーム。
ノベルゲームが続いたのでゲームゲームしたのがプレイしたかったんだけど、
イメージ的には、Scratchをよりシンプルにした感じかな?
今、16面だけど、if文の判定式に否定を使えないのが非常に面倒臭い、けど中々ハマる。
さすがに、それなりにプログラミングの仕事をしているので、ただクリアするだけならそこまで悩まずにできるけど、
ステップ数を縮めたりするのはかんり苦労しそう。
い、いや、その、ほら、業務の世界は、その、なんていうの、読みやすさ? 大事やん? その、なんというか、ほら、ね? おれおれコードでおれおれしたロジック読むの嫌じゃん? だからそのシンプルにしか書かない的な?
ごめんなさい、言い訳だね、まずは普通にクリアすることを目指して頑張るぞいやー。
○ポッ拳
アミーボとデイリー。
●3DS
○ポケとる
9月も終わり、今期もまた完結までたどり着かず終わってる投げっぱなしアニメが多かったわけだが、
「恋と嘘」「実力至上主義」「ゲーマーズ」「ナナマルサンバツ」「異世界スマホ」「最遊記」この辺は特に酷かった。
「絶園のテンペスト」みたいに完結してから全部アニメ化しろとは言わんが、つまみ食いの度が過ぎてないかね。
10週で打ち切られるジャンプ漫画だってもう少し纏まりって物がある。
しかも打ち切りではなく「最初からそこまでしか作らない」予定なのがタチ悪い。
「実力至上主義」なんて、原作が6巻でまだ序盤の空気なのに、その半分までしかやらんとか、もう何考えてアニメ化しようと思ったのかすら判らん。
「ナイツ&マジック」にせよ「メイドインアビス」にせよ、悪役だしといて倒すとこまでやらないし。
物語ありきではなく、「3ヶ月で描ける所まで」という3ヶ月ありきのアニメ化だった。
13話で無理矢理アニオリエンドにするよりはマシだが、13話で描ききれないなら15話でも20話でも作るべきじゃないのか。本当にその作品をアニメ化したいなら。
映画と違って、「長くても3時間以上は無理」って縛りがあるわけでもないんだから。
どうしても13話でしか作れないなら、短編作品をアニメ化しろよ。
ラノベだって1冊ずつで区切りつけてる作品なんて普通にあるし、マンガだったらなおさら沢山あるだろ1~5冊程度で完結してるやつ。
だからそれは過程の話であってユーザーにとってはまるで関係ない話だって何度言わせればいいんだ
そういったゴタゴタが表に出ずに価値を下げず利益を得るという「結果」が重要で、
それをゴールにしないといけないって話をさっきからずっとしてるんだがお前はそれが不満なの?
「こうこう、こういった理由からできなかったからしょうがない!」
ってお前の主張はそれはユーザーサイドでもないし権利元にとっても全然嬉しくない
そうならないために製作委員会はさっき言ったゴールを全力で目指さないといけないし
そのお前のいう舵取りをする責任が角川にあるわけ
たつきがもし角川よりも力があるスタジオを持っていたとしたら逆にその非難はたつきに向かっていた
委員会として円満な進行をするという責任があったのは角川です、これはたつきじゃない
ユーザーサイドにとってはどうでもいい、どころかマイナスにしかなってない
だからブランドイメージを守ることに当事者全員が意識しなければならない
単純な話
だけどお前みたいな切り分けできない馬鹿が
よかったね~
書いている内にすごく長くなっちゃいました
2017年夏アニメで「小説家になろう」発でアニメ化された作品は下記のような作品がある
(※ 2017年夏アニメの一つである『ゲーマーズ!』も「なろう」ではないがWeb小説発とも言える作品。しかし継続してWebで執筆が続けられた作品ではないので、ここでは分かった上で除外してしましたと、一応ツッコまれない程度の知識を開陳しておく)
『異世界食堂』は連作短編作品なので、1クールアニメで構成する際に非常に楽な作品だっただろう。
原作ストックにも余裕があり、アニメにはなっていないエピソードもまだ多く残っていて、登場していないキャラクターもまだ多いです。
原作の方でも「常連」と言われるようなキャラはまだ他にもいて、アニメではその全員が登場したわけでもない。
この辺りの判断は監督が判断してエピソードを絞り、アニメで放送する上で必要最低限のキャラのエピソードをチョイスしたのだろう。
常連キャラには中堅・ベテランの声優を配して、複数話に登場するようにして、うまくバランスを取ったシリーズ構成で物語を仕上げたと思う。
ちなみにキチンとアニメを観ていた人は気付いたかと思うが、アニメ監督がシリーズ構成と脚本も兼ねて担当し、かつ全12話の脚本も執筆された作品でもある。
なので他の作品ではたまにあることだが、OPやEDには登場しているが、アニメでは登場しなかったみたいなキャラクターがなかった理由の一つにもなっているかと考えている。
『異世界食堂』はニコニコでは動画有料で一週間無料公開なく、無料はニコニコ生放送の配信となってしまったが、毎回アンケートでは90%以上の高いアベレージの高評価を保ち、最終回は97.0%の高評価で終りました。
高評価だったので円盤が売れるとは限りませんが、評価が売上にも繋がることは期待したいと思います。
『ナイツ&マジック』は長編作品ですが、今回のアニメ化に際して物語というか、小説的な描写にかなりの圧縮を施されたかと。
大原さやかによるナレーションにより、幻晶騎士(シルエットナイト)の細かい製作過程や、敵国との関係や動き、アニメで描くと面倒な色々なところが必要最低限に圧縮されて視聴者に情報として提供されたと思う。
原作とストーリーの違いが少しあったが、ほぼ大筋は変わらないし、1クール全13話で切りのよいところでまとめるとなると、こういう形になるかと思われる。
シリーズ構成であるベテランの横手美智子の手腕が大きく影響したのではないかと。
これを書いているのは最終回放映当日。最終話はかなりガンダムを意識したところが多く、オマージュ要素を読み解くのが楽しいエピソードでした。
幻晶騎士の3DCGによる戦闘シーンの描写は、マクロスやアクエリオンなどで慣れた「サテライト」(+オレンジ)によるものなので、迫力のある仕上がりだったと思う。
1クールのアニメ作品としては悪くなく、トータルで見れば良作以上の出来になっているので、これも円盤が売れて欲しい作品だと思っています。
……で問題の『異世界はスマートフォンとともに。』ですが、自分は放送前からこの作品は1クールにまとめるにはかなり難しい作品だと考えていました。
そもそも原作が大長編で、「なろう」の方の原作では大きな区切りとなるところはありますが、書籍版のHJノベルス最新10巻の方でもまだそこに達していません。
仮に今のアニメ放映のペースで区切りまで持っていくとなると、+1クールでも多分足りず、+2クールの全36話分ぐらいは必要になるんじゃないかと思っています。
なのでストーリー的には半端なところで終わると思われる作品ですが、そういう意味合いも込めて、出来として考えると余り上手な作品ではないと。
そもそもの問題として大長編の作品を1クールにまとめる困難さがあると思います。
とりあえずアニメ『異世界はスマートフォンとともに。』の出来を今、論ずるよりはこの問題を抱えている今後アニメ化される可能性のある作品に言及して思考した方が少しは建設的なのではないかと思い筆を走らせた次第。
今後「なろう」発の作品でアニメ化が予告されているものがあります。
自分が知らないだけで他にもアニメ化が公表されている作品があるかもしれませんが、知っている限りの四作品を並べました。
(※ 2017年末に何か発表予定のある『ありふれた職業で世界最強』もアニメ化されるのかも)
(※ 二期製作決定が発表されている『オーバーロード』は既にアニメ化されたということで除外)
『異世界居酒屋「のぶ」』は、同じ系統の『異世界食堂』が好評だっただけに、比べられる後発の苦しさのようなものがあるかもしれません。
ただ同系統、つまり連作短編なので、ストーリーを1クールにまとめるのであれば比較的楽な作品になるかと思います。
自分としては問題作だと考えているのは、『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』です。
正直言ってストーリー構成の面から考えると、『異世界はスマートフォンとともに。』と同じような問題を抱えていると思います。
つまり1クールにまとめる場合の着地点は中途半端。かと言って、2クールでも全く足りない。仮に4クールやっても終わらないんじゃないかとか思うほど、すごく長いし、区切りの難しい作品です。
明確な区切りという点では「なろう」の方のオリジナルを読んだ限り、『異世界はスマートフォンとともに。』よりも今のところはハッキリしてなく、大筋のストーリーをずっと継続している感じです。
主人公の目的の一つが「この異世界を観光したい」なので、ある意味で終わりのないロードムービーをずっと続けている作品という側面が。
その為、区切りという観点から考えると、主人公の行動や目的が明確な終着点のあるものではないので、それが区切りの邪魔をしていると思います。
『盾の勇者の成り上がり』はもしかすると1クールなら、そこそこまとまる可能性はあるような気がします。
書籍版の4巻〈ISBN:9784040663210〉、コミックスの8巻〈ISBN:9784040691541〉までを区切りと考えると、1クールの尺に収まるようにストーリー構成することは難しくないかも知れません。
俯瞰的にストーリーをなぞると要所要所で強敵が登場するので、うまく区切っていけば、1クールでも二期に繋げるようなストーリー展開も可能な物語だと思います。
そして変な意味でネット上ではネタ枠扱いもされている『賢者の孫』ですが、凄く強引にストーリーを圧縮してまとめれば1クールで完結しちゃう可能性があるような気がします(笑)。
自分が読んだ限りは「なろう」の方の原作はまだ完結していませんが、ラスボス戦は近いので、それさえ終わればストーリー的には完結してもおかしくはないかと思います。
作品的にキャラはそれほど多くなく、作中の(強くなる為の成長要素を加える為の旅のような)移動も多くないし、最初から強い無双系の主人公で、ストーリーもシンプルなので、もしかすると構成次第では1クールで強引に圧縮してまとめることも可能ではないかと思いますが、『賢者の孫』という作品を知っている方々はどう考えますか?とアンケートしたいところ。
良い意味で言えばあっさり、悪い意味で言えば薄っぺらい物語の作品……と言えちゃうかもしれないので、もしかしたらアニメオリジナルな大きな改変を入れたりして仕上がる可能性もあるかもしれないと書いておけば、もし当たらったら予想的中とちょっと自慢できるかもしれないので続く駄文。
……でここまでは書いたのは前提で、やっと本題に。
自分が問題視した大長編の『異世界はスマートフォンとともに。』と『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』がなぜ1クールアニメとしてまとめるのが難しいのか、その問題を考えたいと思います。
この二作品、主人公が最初から無双できるぐらいに異常に強いことが問題かと思っています。
なぜかと言うと登場する敵よりも主人公の方が圧倒的に強く、作中では一応中ボス級の敵はそこそこ出現しますが、主人公と相対的にみると強敵と言えるレベルでなく、簡単に倒してしまうので話の区切りにはならず、それがストーリーの構造的な弱点になっているのです。
主人公が敵とのバトルで多少の苦労する、てこずるシーンはありますが、命の危機に追い詰めらるほどの切迫感はなく、主人公の心身の成長を余り感じず、物語の区切りとなるピークに達しない状況です。
『異世界はスマートフォンとともに。』と『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』では、自分が読んだ範囲になりますが、自分と同格以上の強敵と相対するようなことがありません。
多少てこずることはありますが、ちょっと別の手札を使えばあっさり解決みたいなパターンが多いと思います。
「なろう」の異世界での無双パターンで、「無限収納(四次元ポケット系)」「レベルMAX(もしくはレベル上限なし)」「瞬間移動(転移・どこでもドア系)」「鑑定&スキル学習(能力と魔法)」「トンデモ錬金」あたりの能力が定番ですが(強さには直接は繋がらないが「和食ではなく日本での食知識による無双」もあったりします)、これらの能力を複数持っていると強さに限界がないので、ドンドン強くなっていきます。
特に『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』は今後発売される書籍版の12巻以降に主人公の強さ(というか正確には能力)も極まってくる設定になってしまい、『ドラゴンボール』で言えばパターン化した展開である、悟空は仲間が強敵と戦っている間は別のところにいるので遅れて登場するということが多々ありましたが、この作品でもそれを踏襲というはおかしいですが、そんなパターンを何回かやっています。
主人公は転移能力を持っているので、ある意味ではすぐに仲間のいる現場に来れるのだが、その状況が混迷し、もしくは登場が遅れるように物語が展開しています。
遅れる状況を作り出すのに苦労している描写が垣間見れ、穿った読み方をしたい方は、その辺りの描写を見つけて楽しむという変な方法があることを記しておきます。
話が飛びそうになったので閑話休題。
例を挙げて考えると、「なろう」発のアニメ作品である『Re:ゼロから始める異世界生活』は物語全体で考えると、中盤に「王選」という主軸となりそうなストーリーが提示されましたが、アニメのストーリーの終わり方を考えると、「王選」を考えた場合、結局のところ多少の同盟的な繋がりと、主人公の意思を味方と敵に認めさせるぐらいのことしか結果達していません。
ただしストーリーの抑揚というか、物語の浮き沈みから見ると、主人公は中盤に絶望のどん底に落ちるが、そこから這い上がって復活し、そして強大な敵を倒してヒロインを救ったことで、根幹のストーリーは余り進んでいないが、主人公の大きな成長をみせたところで終わったので、印象的には凄く区切りの良いところで終わった感じのアニメ作品になったかと思います。
まあ1クールではなく、2クールというそれなりの尺を使ったことも大きいと思いますが、物語にキチンとした起伏があるからこその区切りとなったと思います。
つまり自分と同格以上の強敵、手強い中ボス、ラスボスを倒すようなシチュエーションを作り出していない作品は、区切りがないように感じると思います。
ひと昔前だと、原作ありのアニメ化作品の中にはたまに、1クール枠の終盤に原作にはないアニメオリジナルの強敵が出現し、それを倒して終わりを飾る作品が結構あったかと。
しかし継続連載している「なろう」の作品だと、アニメオリジナルのラスボスキャラが登場するような事態は、話に齟齬が出来る為かそういう展開に持っていくことを避けている傾向を感じます。
その辺りが足枷になっているし、原作の物語の展開を兼ねて考えると、そういう展開にもできないジレンマかもしれません。
ここで視点を少し変えて、原作が既に完結している「なろう」系の作品ならアニメ化は可能か?という問題も提示したいと思います。
「なろう」発の作品で、アニメ化が発表されておらず、かつ書籍版が100万部以上売れている作品で自分が知っている範囲では二作品あります。
アニメ化した上でシリーズ累計100万部以上売れれば大ヒット作品と呼べる言われるこの業界(異論はあるかと思いますが、一つの分かりやすい基準として)。
書籍版の方はまだまだ出版が続いていますが、オリジナルであるなろう版はストーリーが完結している作品です。
二作品ともに文庫ではなく、単価の高いソフトカバーで出版されている作品で、まだアニメ化していないのにも関わらず、現時点でこれだけの売上を誇っています。
これだけの売上を記録していれば普通はアニメ化の噂も聞こえてくるかと思いますが、2017年秋の時点ではまだそれらしい話は入ってきません。
その理由は今までここで考察している通り、1クール枠では中途半端なところまでしか描けない問題を抱えているからではないかと思われます。
もしもの話ですが、仮に2クール枠を用意できたとしても、ラストまでアニメ化は不可能だと思われます(物語を凄く圧縮しても4クールぐらいには)。
これだけの売上を誇っているのならもしもアニメ化した場合、売上ブーストがかかり倍増し、ファンが増えラストまでのアニメ化を期待する方も多くなると思います。
ただこれら二作品はソフトカバーの書籍版で20巻ぐらいにはなるかと思われる大長編なので、ファンが多くなればなるほど、更にアニメ化した上での目指す先がかなり高い場所になっているジレンマがあるのかもしれません。
この二作品のストーリーを俯瞰すると、自分の考察になりますが、『転生したらスライムだった件』より『無職転生』の方がアニメ化のハードルが高い気がします。
ネタバレな感じになりますが、『無職転生』の締めはよくあるパターンのラスボス撃破してのエンディング……という感じではないからです。
もしかすると書籍化にあたり、大きく手を入れて修正する可能性は高いかもしれません。
それを別に考えても、前半はかなり波乱万丈なストーリーで、区切りの良いところはどこだろうと考えると意外と難しく、ストーリー構成が難しくアニメ化の際の高いハードルになっていると思います。
『転生したらスライムだった件』の方は書籍化に際して、オリジナルであるなろう版には登場していない新しい中ボス級の敵が登場し、大きな相違点があります。
それが影響しかなり設定が変わっているキャラもいて、その辺りのストーリー全体の構成の見通しが立たない限りは、アニメ化は難しいのではないかと思っています。
逆に言えば2クール枠が用意できるなら、そこそこ切りの良いところである、書籍版である6巻か7巻(もしかしたら10巻の可能性も)あたりまで、アニメ化するようなプロジェクトが動いていたりするかもしれません(いい加減な予想の上での期待を込めた想像です)。
編集の手が入らず自由に書かれた「なろう」の大長編作品は、アニメ化する上ではかなり難しいものが多いのかも。まだ文章あるが文字数限界?
現在、部活動が教員の正規の業務ではないということが世間に知れ、ボランティアでやっているということが問題になっている
私自身の話、昔20代から30代まで私立でサッカー部の顧問をやっていた。校庭が野球部と軟式テニス部に使われてしまっていたため、学校の外の空き地で部活動をやっていた。そのため遅くとも16:30にその場所につけるように仕事に区切りをつけていた。
また、どんなに仕事があるときでも(たとえどんなに重要な会議中でも)18:15に生徒を帰宅させ施設の門の施錠をするという最優先事項が会ったので、なにがあってもその時間にはそこにいっていた。
ただ現在、サッカー部顧問を外れ囲碁部の顧問になってからは、それらの練習指導、施錠がただ単になくなったので特に仕事がないときは以前通り16:20には帰ってしまっている
文化部は毎日あるわけではなく週に二度ほどでしかも顧問はどの部にも二人いるので週一回17:45に部室の鍵を締めに行くだけ
勿論土日にやるのは文化祭の前一回だけ
とにかく週に3回ははやく帰るので、囲碁部顧問になってから結婚した妻には「学校の教員ってなんて楽なのかしら」と思われているようだ
うちの学校では部活動顧問は一度なってしまえば自分からやめたいという以外、やめさせられることは基本ない、何しろボランティアだから
家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。
母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。
そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。
家庭では自然と自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。
小中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活の部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。
(同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)
そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。
大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。
次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。
もう無理だった。
当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。
カウンセラーの先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。
行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。
「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。
そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。
1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。
働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。
誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。
あるとき、学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。
精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。
大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。
今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。
大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。
一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本の学校制度であり、高校をドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。
希死念慮は自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。
カウンセラーの先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。
この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?
追記
「安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。
もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。
復学初日の自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。
クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。
女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。
1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。
母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。
何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。
逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的なもので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。
少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。
とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。
でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。
優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。
ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。
私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。
昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。
※ちょっと書き直しました。勢いで書いた上に直してるから読みにくいとは思います。気合いで間埋めながら読んでもらえたら助かります。
あまり詳しく書くと身バレするので書けないけど、ツイッターのフォロワー同士だ。
私が気分にむらのあるメンヘラで政治の話も好きなのもあるからか、今はフォローは外されていて、そのアカウントはうごいてないっぽい。ツイッターでの話題なんかは知ってるみたいだし、多分別垢があるんだろうけど別垢ではブロックされてると思う。そこらへんは別にいいかなあと思っている。
何度か会って、恋愛としてではなく側にいてくれたら助かるなと思ってルームシェアしようって私から誘った。
ルームシェアしてみるとまあなんか大切にしたい部分が違うからか結構すれ違いはあるけど、それなりに楽しい。相手がどう思ってるかはわかんないけど。
私が不美人だからか、相手からセックスを求められたりとかそういうこともまったくなく(多分そういうことをしたらルームシェア続けられないだろうなってお互いに言っている)、セーフティネットみたいな感じで、男性であることを利用させてもらったりしているし、相手が家にいることが多いので荷物の受け取りとかしてもらったりして助かっている。
じゃあ私が何してるかと言えば家賃払ってトイレ掃除とかしてるくらい。
結婚とかはどうでもよく、一緒にごはんとかも食べたりしないし、出かけたりもない。
最初は一緒になにか遊んでくれないのが寂しいなと思ったけど、今は慣れて近くに住んでる友達とよく遊んでいる。
付き合いたいとかはなく、結婚も別にしたいわけじゃない。でも好きかどうかと聞かれたら好きだ。ただ友人として。
とりあえず部屋が2年契約なので2年を区切りに、続けるかどうかとか考えたらいいかと考えてる。
対外的には同棲で彼氏ですと言ってるけど、セックスもしない、結婚するつもりもない、そもそも付き合ってないただの友人というとキチガイ扱いを受ける。
不動産屋で物件借りるときもルームシェアだと審査が通らない可能性が高いので、せめて同棲と建前だけでも言ったほうがいいと言われたし、世間ではそんなもんなんだろうなあ。
言っちゃ悪いけど、個人の掘り下げが中々進まないそこが、現実的な立ち位置ということ
前川みくや輿水幸子のようにシンデレラには届かないまでも、常に10位前後をキープしている訳でもない 十時愛梨や神崎蘭子のように、1度でも頂点を獲ったことがある訳でもない
それに対してのLiPPS、というかTulipの絶大な人気 これはもう、運営としてユニット推しになるのは仕方がない
そっちの方が売れるんだもの
まあここらでLiPPSは一区切りつけて、ソロ活動や新しいユニットなど、新規の可能性を開拓してほしい、という願いはあっても良いんだけど… LiPPSを嫌いになる必要までは、無いんじゃないかな
これはただ、この哀しみを、この虚しさを、どうにも消化できないから吐き出すだけだ。完全にチラシの裏だし、なんの建設性もない。
勝手に辞めればいいと自分でも思うし、なにより、そんな断筆宣言なぞ古今東西あらゆる作家がやっては反故にしてきたものだ。なんの意味もないと言われればその通りで、反論の余地もない。
だが、それでも、もう疲れてしまったのだ。
辞めようと思った理由は、すこぶるありがちで申し訳ないのだが、サークルメンバーとのモチベーションの差だ。
これを説明するためには、少々自分語りをしなければならない。突然の自分語り! なんともかまってちゃんの香りがしてくる展開である。まぁ概ね犯人の自供シーンと大差ないので、ぜひ船越英一郎氏の気持ちになって聞いていただきたい。
私はもともと、一次創作の小説をやっていた。書き始めてから、かれこれ十五年は経っていると思う。コミケの創作島に出すようになったのは、十年ほど前だろうか。
ここで初めて手に取ってもらって、対価と引き換えに本を渡した時の感動が、などと書けたら美しいことこの上ないのだが、残念なことに、私は自分の本が人の手に渡る瞬間を見たことは数えるほどしかない。なぜなら、どういうわけか知らないが、私がいるとみんな手に取ってくれないのだ。いないときに限って出るし、いないときに限って売り子に「〇〇さんですか?」などと声をかける。みんな、もっと本人がいるときに話しかけてくれていいのよ?
そんなこんなでのらりくらりと本を出し続けること約十年。ひょんな事から商業で本を出してみたり、ずっと書いていた物語が一区切りしたりで、コミケから足が遠のいていた私だったが、仲間内数名の酒の席で、とある二次創作で大盛り上がりをした。コミケで本を出そうという話になった。
ディレクションが一人、ライターが私含めて三人というメンバーだったが、私を除く二人は早々に脱落した。まぁそれは別に構わない。色々な理由があって書けないと判断するのは、それはそれで正しいことだ。
仕方ないねと思いながら書き上げてみれば、ディレクションしていた人物は、特に上がってきた話に対してのコメントはなかった。さらにいうのなら、その人物は何一つ、そう何ひとつ、サークルに益をもたらすような行動をしなかった。
今思えばディレクションとはなんだったのだろうか。商業で物作りをしているとかの人物は言っていたが、妄想のタネを配り歩くことを物作りであるというのかもしれない。それならそれで私の考えるものとは全く違う。
話を戻そう。その人物は、本のレイアウトまではかろうじてやっていた。だが、告知のための行動であるとかは一切せず、表紙に絵をつけようという話さえ黙殺し、空の写真を貼ってキレーとか言っていた。その空の写真と作中の物語には何か関係があるのだろうか。未だにわからない。
なんでそんなに消極的な行動しかしないのか、ちゃんと物を出す気はないのか、と問うたところ、かの人物は、趣味だからそこまでやる気はない、と宣った。
曰く。自分は物作りを仕事にしており、趣味である以上、仕事ほどの労力をかけたくはなく、趣味の範疇で物事を行いたい、だという。
まぁそれは否定はしない。各々のスタンスは違うだろう。ただそれでも、あの日、酔っ払いながら語った物語は、間違いなく面白かった。それを、必ず劣化するとはいえ、この世に存在するものとして送り出すことに、なぜ少しの手間さえ惜しむのか。だいたい、忙しいと言っているがドラクエXIやってんじゃねーかというツッコミは心の中でだけした。
そして迎えたコミケの日。私の前には、私が書いた物語があった。だがそれは、中身はともかくとして、外身はどう見ても他のものに負けている。もちろんそれが、物語を色褪せさせるものでないことは理解している。だが、そういうパッケージとは、タイトルのフォントひとつ、本文のインデントの1mmにまで拘ったパッケージとは、物語として完結してしまったモノに、我々が贈ることのできる最期の手向けなのだ。
会場には様々な本があり、彩りは様々だ。そのいずれもが、様々な制約の中、描き手が精一杯作り上げたものだろう。
翻って、自分の本はどうだろう。本文には妥協はない。少なくとも、自分が面白いと思うものを詰め込んだ。だが、例えるならばその本が纏うドレスは、妥協に妥協を重ねた、見すぼらしい、安っぽい既製品のようだった。
近くに、同じような内容の本があった。まぁネタ被りなどよくあることだ。内容は知らないが、そのパッケージは、とても良くできていた。これが愛だろうか、と思ってしまった。
そちらのサークルは、軽く数百部。翻って我々は三部。ディレクターは、あっちは印刷に百万ぐらい使ってるんだから仕方ないみたいなことを言っていたが、それがどうしたというのだろうか。
ああ、もういいかな、と。
そのあとは、逃げるように家に帰った。まさか自分の行動を逃げるように、だなんて表現する日が来るとは思いもよらなかったが、事実は小説より奇なりだ。
一眠りすればこの空虚な気持ちも回復するかと思ったが、どうにも戻らないところを見ると、本当に私は心の底から、創作にまつわる全てに失望しているらしい。
もっとも、自分が書かなくとも世の中にはごまんと物語が溢れているし、たかだか商業で本を何冊か書いたぐらいの弱小ライターだ。一人消えたところでなんの影響もない。というより、99%の人間は大なり小なりこういうエピソードで心折られて筆も折るのだろう。
別に彼らと自分が違っている、だなんて思ったことはない。だが、こういう風に筆を折るなんて、少しばかり、いや、だいぶ哀しい。
もう、私は彼らと創作の話をすることはないだろう。スタンスの違い、などでは許容できないほどに、私の物語は蔑ろにされた。それを笑って見過ごせるほど、私は大人ではない。
吐き出してみればすっきりするかと思ったが、存外そうでもないものだ。それどころか、自分の未練を知覚するまである。
だが、今はとにかく、創作というものに喪失感しか覚えていない。だから辞めようと思う。
今までありがとう。
ここまで長い(原稿用紙6枚もあるらしい) チラ裏を、全て読んでくれていたとしたら、ただただ感謝する。
あと、コミケで出展するたびにブースに足を運んでくれた人。本屋で私の小説を買ってくれた人。今まで本当にありがとうございました。
ずーっと昔から文章をスペース区切りで書く文化の起源が気になっていた。
増田でも知恵袋でもブログでもたまに見る気がしていて、個人がやっているにしては数が多いのに日本語でスペース区切りなんて明らかに一般的ではない。
まだ19歳。病死。中学でクラスが分かれて教室が1Fと3Fで分かれて部活も別で、塾に通いだしたせいで学校であった時に話すだけになって、高校は別の学校だったからほとんど疎遠と言えるくらいになって、入院したという話を同じ高校に行った友人から聞いて、一緒に見舞いに行って、それからすぐだった。
「人生6ありゃ9もあるさ」というセリフの書かれたペンケースを持ってて、ユーモアがあって、オカルトの話に詳しい子だった。
その子の家の仏間がいつもオレンジの薄明かりで子供心にめちゃくちゃ怖くて、遊び部屋が仏間の上の部屋だったもんだから、TVゲームしながらいつもビビってた。その部屋の、うっかり下に仏壇があるあたりを歩いてしまって、仏壇を踏んで霊的なものと通じてしまったから祟られると私たちが怖がっていると、その子は「目を閉じて三回取り消しっていうと許してくれるよ」と言って、みんなで必死で取り消し取り消し取り消しと呪文を唱えた。今思えば仏壇はご先祖様なのだから失礼でこそあれ怖がる必要はないのだが、当時はとにかく死者というものがこわかった。
形見分けに、ぬいぐるみをもらった。私は中学からあまり遊ばなくなってしまっていたので、もらっていいのか戸惑ったが、その子のお母さんが「◯◯だと思って」と渡してくれた。
そのお母さんが出棺のとき、悲痛な声で友達の名前を呼び続けて棺をおいかけて、そのお母さんを取り押さえる親族の方が、顔をぎゅっとしているのがたまたま見えて、それが本当に辛かった。
帰り道、友達と、やはり「取り消し」の呪文の話になった。万能の呪文だったので友人もやはり覚えていた。私は20になっても頭のどこかで幽霊を怖がっていて、夜の自宅マンションの長い廊下ながすごく怖くて(夜の病院のような雰囲気なので)、よく呪文に助けられていた。とりあえず恐怖を感じる気持ちに区切りをつけられるので。友人とはそのまま駅で分かれて、電車に乗りながら、目を閉じて、「取り消し」と三回心の中でつぶやいた。普通にさよならを言うより、こう言った方があの子らしいなと思った。人生6ありゃ、9もあるよね。
相手に迷惑ををかけたくないので身バレ防止にいろいろフェイクは入れるけれど、出来事や体験に関してはなるべく正直に気持ちを書こうと思う。
私はいま25歳だ。地方の田舎で育った。相手は幼稚園からの幼馴染だった。漫画みたいな幼馴染じゃないけれど、地元の友達で、幼稚園小学校中学校と一緒だったし、小学生のときにはよく一緒に公園とかで鬼ごっこやかくれんぼをした。中学に入ってからは、もともとお互いに漫画やアニメが好きで、本の貸し借りをしてライトノベル(時雨沢恵一の「アリソン」とか「涼宮ハルヒ」とか)というものを私が教えてもらったりもして、まだそういうオタ趣味が学校でおおっぴらにできない時代だったのもあって、よく話すようになった。それで、なんでか覚えてないけれど、気になりだして、気が付いたら好きになってた。中3の時にはがんばって同じく一緒に好きだったバンプのライブに誘って一緒に初ライブに行ったりもした。相手は異性の友達はどちらかといえば苦手そうにしていたけれど、その中でいちばん仲のいい異性になることができた。
中学を卒業したら高校が別になることはわかっていたから、とにかく気持ちを伝えたくて彼の受験が終わったタイミングで告白した。どうなるかも深く考えないまま、共通の友達にうまいこと呼び出してもらって、小さいころからよく遊んだ公園で気持ちを伝えた。ずいぶん長い沈黙があって、そのあとの断りのセリフは「ごめん、恋とか愛とかがよくわからない。人をうまく信頼できないんだ。増田がきらいとかじゃないんだけれど、そういうことがどうしてもできない」というものだった。彼は少し泣いていた。話そうか迷って、きちんと誠実に断るために探してくれた言葉だと、今ならわかる。その誠実さがすごく尊いもののように見えて、おおげさに言うならすごくきれいに思えて、区切りをつけるとかは吹き飛んで、余計に好きになってしまっていた。そのカミングアウトの内容そのものに惹かれてしまった部分もやはりあったと思う(今考えると業が深い……)。
「でも、そんな風に想ってくれる人がいると思うと、なんだかうれしい」という言葉が本心からのものか、それとも彼のやさしさだったのかは、いまだにわからない。
けれど、当時の私の思考回路はひどく短絡的で、「だったら、彼に信頼してもらえるようになればいいんだ」というものだった。そういうわけで、違う高校に進学したわけだけれど、中学時代のグループの集まりを定期的に企画したり、高校の部活や人間関係の悩みとかの相談に積極的に乗ったり、ガラケーでメールをぽちぽち打ったりした。今考えても涙ぐましいし、ムダに行動力がありすぎた。相手の性格を考えるとちょっとやりすぎな面もあったけれど、そんな重いエゴまで含めて本気の恋だった。彼のことを考えない日は嘘偽りなく一日だってなかった。それが空回りしている自覚もあったし、全然そういう目で見てくれている様子がないこともわかっていたけれど、思い続ければいつかは、なんて甘い幻想も同時に持っていた。
結局、高校3年の終わりに中学時代の地元グループで卒業旅行に行って(もちろん企画からすべて私が幹事をした)、そこでまた告白したけれど、まったく同じ断り方をされて撃沈した。今度こそもうダメだなって思って、おしまいにハグをしたらちょっとびっくりされたけれど、手を背中に回してポンポン、と叩きながら「ごめんね」と言ってくれた。 今にして思い出すと、これはすごく、彼にとってきつかったかもしれない。
大学は私が都会の大学に行ったので、地元のグループとも帰省したときくらいしか会わなくなった。大学では初めての恋人ができたり、他にも普通の大学生らしいことをいろいろ経験したし、様々な恋愛に関係する感情を味わった。彼のことはあきらめて気持ちを封印してはいたけれど、それでも常にずっと心の中では彼のことをいちばんのところに置いていた。このころになると、ずっと片思いをしているということが完璧に美化されていた。
そうして、アセクシャル(Aセクシャル)という言葉を初めて知ったのも大学時代だった。知った時、真っ先に彼のことを思い浮かべた。
大学を卒業して、Uターンで地元に帰ってきた。久しぶりに地元の特に仲のいい何人かと再び会うようになった。ある時、彼の親友的な人と話していたら「増田さん、中高のとき彼のこと好きだったでしょ」と真正面から指摘されて、封印していた気持ちが解けてしまった。4年間蓋をしていたものが、びっくりするくらいあふれてきた。その親友が「だんだんと結婚とかも皆考え始めるような歳になっているのに、そういう話題が彼にあまりにもないから増田さんをあてがってやろうかと思って」と言うのでこれに甘えて利用して、彼と遊んだりデートしたりした。お互いにいろいろ話すけれど、でもやっぱりこれまでと同じく恋愛的な意味での全然手ごたえは何もなかった。それと並行して。やはりAセクの件があったので、その親友に彼はAセクなのではないかと相談した。親友氏にも思うところはあったようで、何度かそれについて議論もした。
複数回デートらしきものをして、どちらにせよこの恋はだめだと思い知らされたので、結局過去と同じように自分の気持ちに区切りをつけるために告白をした。Aセクの件もあったから、一応相手の負担にならないようにというつもりで、その当時でできる限りの気遣いと自分の率直な気持ちとを文章化して手紙として渡した。後で読んでと言ったのに彼はその場できちんと読んでくれた。そして返事の代わりに、件の親友の名前を出して「こないだ、Aセクシャルっていうのを教えてもらって、自分でもいろいろ調べて読んでるうちに、読めば読むほど『そうだ、これだったんだ』とわかって涙が出てきた。他人を愛することができない自分は、どこか明らかにおかしい、欠けた人間だって思っていたから、すごく安心したんだ」と教えてくれた。
私にはそれを受け入れるしかなかったし、何よりも泣きそうな顔だけど解放されたみたいなすっきりした様子の彼を見てうれしかったのも事実だった。
私と親友氏とで「一応、Aセクであるとすぐに決めつけすぎないほうがいい」と伝えておいたものの、十中八九彼はそうなのだと思うし、少なくとも今現在彼の自覚はAセクということになっている。
ここからあとは、私一人の話。
私にとって、彼はまさに青春そのものだった。そう思い込んで美化してきたところや、一途な自分の片思いに酔っていたところ、そのエゴに時折死ぬほど自己嫌悪したところ、醜いとこや酸っぱいところも、些細なことでめちゃくちゃ幸せな瞬間も、ぜんぶぜんぶひっくるめて、いま大人になった私を作っている大切なものだ。詳しくは書かないけれど、彼を好きにならなければ私の人生はぜんぜんつまらない方に変わっていたはずだと思う。たとえ片思いでも、幸せだったし、幸せをくれたと思う。恋愛ってそういうところがあると、私は思う。
ただ、そんな恋愛を、彼はしない。そういう感覚を彼はおそらく持たない。今後一切、恋愛から何かを得ることはない。
このことを、私はどのように整理したらいいのだろうか。
恋愛はすばらしい。いろんなドラマや物語においても恋愛至上主義が圧倒的多数な世の中で、人々はそんなフィクションを見て、やはり恋愛はすばらしいものだと思う。誰しもが人に恋をして人を愛するのだと信じ込む。そう刷り込まれた?私の観念はとても硬い。
では、他人を愛さない人は、すばらしいものが欠けているのだろうか。人生のなにかしらを失っているのだろうか。彼はおかしいのだろうか。
断じて違うと、私は確信している。でも、それは私の中の固定観念と矛盾している気がする。
私にとって恋愛のない人生は、ずいぶんパサパサとした無味乾燥なもののように思えてしまう。彼がAセクである自覚を得た日以来、失恋による大きな胸の空洞がつらいし、今まできれいに思えたものがきれいに思えなかったりする(感覚がにぶっている感じがする)。彼を好きだったときの世界の見え方はとても色鮮やかだったのに。
気が付いたら私は25歳で、中学を卒業してから10年が経とうとしていて、10年前のあのころのキラキラした感覚がいろんな意味で信じられなくなってきている。恋愛でしか得られない感覚があると信じているくせに、彼のことがあって今の世の中における恋愛の絶対性について疑ってもいる。人間の幸せの形ってもっともっと多様だと思いたいのに、自分の経験がその価値観に異を唱えてくる。
こんなことを考えていると、結局彼と私とではとんでもない隔たりがあったのかなとか考えてしまって、今でも少し凹む。
自分の中でもいまだに結論がでていないせいで最後何を言いたかったかよくわからなくなってしまった。こんな深夜に書きなぐった読みづらい長文を読んでくださって、ありがとうございます。なんでもいいのでみなさんの意見を聞いてみたいです。ちなみに私がちょっとヤバいのは承知です。
「もう完結させる気はないんだろうけどせめて多少なりとも区切りのいいところまでは終わらせてくれよー」という声には応えた。
とても楽しませて貰った
神ゲーと言えるけど、何点か気になったところ
仕方ないとも思えるけど、すぎやんもう引退させてやれよ
一緒に仕事したこともあるし崎元仁さん辺りにまかせりゃいいだろ
よりによってラスボスの曲が使い回しだったのにびびったわ
FF14よりDQ10派だけどFF14はBGMに関してはダントツ勝ってるよなとは思う
落とし穴とかマウントにのってジャンプしたりとか岩壊す奴くらい
なんとか魔城はやや大変だった。MP的に。
買って速攻次の出たり作れたりでやたら入れ替わり激しい
多分ゲームがサクサク進むからかもしれない(110時間プレイした)
セーニャ目がデカすぎてきもちわりぃよ。通常のポリゴンだとまぁ可愛い。
グレイグとかあの辺はとてもいけてる。
PS4番は、1ターンの区切りはあるけど、従来の一度に全員分のコマンド入力するのではなく、
これ無駄行動防げる便利なところもあるけどターンの区切りがあいまいになってくるので
このターン中にどの敵と味方の行動残ってるかを念頭に置いとかないといけない
基本通常バトルはオートにしてるけどたまにボス戦でめいれいさせろすると慣れてないのでやばい
…話は戻って、これDQ10のUIそのままもってきてからだろうけど、
今どのキャラのコマンド回ってきたか判断めちゃくちゃしづらい。
右側のアイコンでちょっと左にでっぱってる奴が今コマンド来てる奴なんだけど分かりづらい
DQ10は自キャラしか操作できないからコマンド入力=自分の行動なんだけれども
オンラインだとそのモーション中にも他のキャラは動いてるからいいけど、
通常は平気なんだけど、○ターン内に敵を倒せ系のバトルの時めっちゃイライラした
シルビアだけ使い回しではなく独自のエレガントなモーションが作られているので
やみくもに使い回ししているのではないのはわかる。めちゃくちゃ素晴らしい
弱い。普通に殴れ。
あと某英雄とセーニャの最終装備がクソダサでつらかった