はてなキーワード: 区切りとは
>集合論って人間の意識を扱うものじゃないと思うけど、どういうこと?
そもそも人間の意識は集合論でもフローチャートでも無い。人間においては、人間の意識が前提にあって、そこに集合論が載っている。
>「あり方の一つ」というのならどういうあり方なのか説明してほしい。
集合論的な、何と何が同じものである、というのにおける意識では、集中する状態と、気が散る状態があると考えている。ここでは気が散る状態を拡散と呼んでいる。
>空間ってなに? 話者が認識する現実世界の空間? それとも数学の話?
論理における空間は、フローチャートと集合論を合わせたものと考えている。動けなければ空間では無いし、また一体性が無ければ空間では無い。
>誰がなにを一つのものとみなすの? 話者が aud- によって表されるなにかを一つのものみなすということ? 例えば audio であれば具体的に一つふたつと数えられるものではないけどその場合は?
誰が、という事は考えていない。一人称かもしれないし二人称かもしれないし三人称かもしれない。a(意図の集中)u(区切り/終止)d(集合)のuの「終止」というニュアンスが強く働いているように思える。
>>「意図の集中」は集合論における人間の意識の在り方の一つ
>> 「区切り/終止」は空間において一つのものと見なす意識の在り方
残りの部分は疑問点が多すぎるのでとりあえずここまで答えてほしい。
疑問がその具体例と関係あるように見えない。
「意図の集中」は集合論における人間の意識の在り方の一つ、「区切り/終止」は空間において一つのものと見なす意識の在り方、「集合」は集合論の集合。
一つの単語に二つの解釈があり得る場合は、その両方が成立する。あと英語はそもそも少し音が低くなっている。発音記号とかもその音の低さに引っ張られている事がある。二種類の解釈があればその両方を適用して良い。
https://twitter.com/otoimi_gogen/status/940189427090915328?s=17
例えばこれ、aud- が「 音、音響、声」なのはいいとして、「意図の集中」、「区切り/終止」、「集合」ってそれぞれなんのことなのか。
意図とは何か。話者の意図のことか。集中とは意図が何に集中するのか。そもそも意図というのは集中するものなのか。
「区切り」と「終止」はたぶん同じことを別の言い方で言っているだけだろうけど、なんの区切りなのか。
「集合」とはなんの集合なのか。
こういうことが全くわからない。
また、根本的な問題として、「音と意味」について言ってるはずなのに、実際には音ではなく綴りとの対応関係を示しているようだ。ご存知の通り英語の綴りと音は一対一で対応しない。
師匠、ボイスおめでとう。今さっきTwitterのタイムラインで知った。かなり好きな子だったから嬉しい。
こうして素直な気持ちでボイス実装をお祝いできるのは久しぶりだ。
担当には、まだ声がない。
担当はキャラクター実装以来総選挙でもランキング内、ボイス確定を掴めるほどの順位ではないものの十分に圏内だとは思う。だからずっとどこかで期待していた。この子がどんな風に話すのか、ずっと楽しみだった。何度も期待した。デレマスにSSRで登場したと一報を聞いて、ついに声が付いたのかと思った。アニメ化してからは毎週毎週ドキドキしながら、いつ出るかもしれないと緊張しながら見ていた。
でもふと疲れてしまった。アニメは2クール目になったころから見ることができなくなった。毎週、アニメ放送の時間になると、自担に声が付いたと喜ぶPの声が、素直におめでとうと思えていたそれがいつからか妬ましかった。
ボイスが実装されていない子が未だにたくさんいることは知っている。ボイス実装確定枠があるときに担当を入れるためにたくさん票を投じたPの努力も理解しているつもりだ。
それでも、今はもうアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツの話をするのが辛い。
たとえ結果が出なくても、次への意欲とか、悔しさとか、リアルのアイドルみたいに彼女の気持ちが聞けたら(実際、それを喋るための声がないのが悩みなのだけれど)、また違ったのかもしれない。あるいは悲しいけれど、引退や卒業という形で区切りがつくこともあったかもしれないけれど、彼女はシンデレラガールズが続く限り、これからもずっと永遠にアイドルでい続ける。終わりがないこと、区切りがないこと、このまま生かされていくことがこんなに怖いと思ったアイドル作品はこれだけだ。
元プロのみんながライブに行くたび、素晴らしいパフォーマンスをしてくれる声優さんたちへの応援と感謝をツイートしている。デレステで初めてP業を始めた友達の担当はボイスが決まって初のイベントが始まったらしく、ここのところいつも嬉しそうにその話をしている。
でも自分は、もう担当に声が付くまでシンデレラガールズには関われない。これはそういう呪いだ。担当のことはずっと好きだけれど、いつからか、応援するたびにどこかで見返りを期待している自分がいた。それを自覚するのが辛かった。それでもどこかで、担当の声が白馬の王子さまみたいにいつか現れる日を期待している。シンデレラガールズの呪いとは、その実、自分が自分にかけた呪いなのだと思う。
話題にしたいのは「原因」だ
痴漢は男が女性を軽視しているから起きるのだという話がされることがある
これは間違ってると思う
だいたい毎日毎日「女なんて力でねじ伏せて痴漢してやりゃいいんだ」なんて思ってるやつはほとんどいないと思う
例えば、目の前に一億円がある。ネコババしてもバレそうにない
中には少しくらいならいいだろうと思い始める人も出てくる
そこでブレーキが効かなくなって、一万円だけ盗んだとする
そうすると「意外とイケるじゃないか」と思って、二万、三万
自信が出てきて十万とり百万とり・・・となっていく
ケーキは体に悪い、糖尿病になるとわかっていても「少しだけなら」と考え
誘惑に負ける人が出て来る
やっぱり満員電車が悪い
ところで、現状女性専用車両はよくない
男がギュウギュウ詰めなのに女性専用車両だけ余裕があるという状況は差別的だ
じゃあどうすればいいだろうか
一つは流動的な区切りを設けること(つまり、女性専用車両じゃなく女性専用エリアを作る)
もう一つは女性専用車両の利用率を把握してスペースを縮小/拡大すること
こうすれば不公平感はなくなる
ここのところ思い出したかのように時々リニューアルが行われてるはてなブックマークのデザインだけどさ。
少し前にリニューアルされたお気に入りページは、#left-container #center-container #right-container って、要するにdivタグにidを振り分けて3ペインのデザインを実現しているんだけれども、先日リニューアルされたユーザーのブックマーク一覧ページは .left-container .center-container .right-container って、divタグにclassを振り分けて3ペインのデザインを実現しているのね。
こういう全体で1度しか使わないデザイン上の区切りを指定するのにidを振るかclassを振るかってのは正直好みの問題でもあって、header,footer的なものはidだから3ペインもidだろとか、優先順位とか管理しやすいからclassでもいいだろとか宗教問題にもなりそうではあるんだけれど、同じ会社が作っている同じサービスのほとんど同じページ表示に別の形式での記述がされているのはデザイナー間での事前定義と言うか意思疎通がされていないってことでもあってかなりマズいことじゃないのかな。
何かリニューアルするたびに「まともに仕事できないのかはてなのデザイナーは」って揶揄されるけど、実際はてなのデザイナーチーム、チーム内で大変なことになってるんじゃないか。経営陣その辺ちゃんと把握してるか?
本日たった一杯の酒を飲んで帰ってきた。酔ってはいない、でもいつもよりは冷静ではない頭でふと思った。
「(ああ、鈴木拡樹が好きだな)」
同時にちょっと泣きそうだった。
私はジャニオタだった。だった。過去形である。自担がジャニーズ事務所を、芸能活動自体を辞めたのである。
やむなし。それ以外に言えることはない。ただ心はぼんやりしていた。とても長いこと。
私は自担が好きだった。とても好きだった。アイドルとして大好きだった。アイドルとただの一ファンであることが私の誇りだった。私がたった1人の私として精一杯生きる中で自担を自分の自担として声を大にして応援できることが幸せだった。彼に溺れずに彼を糧に頑張れることがあの頃の私を生かした。
詳しくは以下ブログを参照されたしなのだが、本当に好きだった。そして楽しく充実した日々だった。
http://d.hatena.ne.jp/mimakl/touch/20111014/1318571162
あの頃の自分の瞳を覗き込めばきっと星が見えるだろうと思う。キラキラと前向きに輝く星。
今日の日までしがみついてきたとは思わない。ただあの日々と比べて推せるか推せないかでその後出会った色々な人たちを推し量っていたとは思う。
昨日でも一昨日でもない、なんでもない今日だった。
長かった。私は6歳、歳をとった。
あの頃を閉じ込めたガラスケースはまだ心の中にある。少しホコリは積もったけど輝きはまだまだ色褪せない。楽しかった、あの日々。
同じように推す必要はない。
まったりいこうと思う。
別に号泣するとかじゃないけど、ただ彼女のことをぼーっと考えて時間だけが過ぎていく。
ていうかそんな親しかったわけでもない。中高一貫の女子高で同級だっただけだ。
私は自分で描いた拙い漫画をせっせと刷ってコピー本にして地元の小さなイベントの端っこで配ってるようなオタ女で、同じようなオタ女たちとよくつるんでたけど、彼女はとびきり美人で性格も社交的だったから、そういう子が集まる派手めなグループにいた。
高校になっても私は受験組、彼女は附属大推薦組で、選択授業が被ったことはほとんどない。
唯一の接点が管弦楽部。でもこれは学年の4分の1くらいの子が所属するような大所帯だったから、そのなかでもやっぱり仲良しグループはあって、そこでも私は彼女とつながりはなかった。
ただ、彼女は目立つ子だったけど、少し要領が悪いというか、世渡りが苦手というようなところがあって、一度だけ、見かねた私が半ば強引に手助けしたようなことがあった。助けっていうほど大げさなものではなくて、普通にクラスメイトが困っていたら皆するようなことだったけど、それでも彼女は恩義を感じたのか、たまに話しかけてくれるようになった。彼女は優しい。
それでも、そのころの私たちには中高生にありがちな、グループの体裁みたいなものがあったから、話すときはなんとなく二人きりになったときだけだった。彼女は私のしょうもない話によく笑ってくれた。その顔がすごくかわいいので、私はくだらない持ちネタを繰り返した。彼女が笑うと満足した。
一緒にどこかへ遊びにいったりしたことはついぞなかったけど、彼女は地元の楽団にも参加してて、あるとき私を誘ってくれた。
大きなコンサートがあるときは、人数確保のために楽団員が知人を紹介することができるシステムだった。チェロ(私の担当楽器)が足りなくて、よかったらきてくれない?なんて言われたら行ってしまう。ふたを開けてみれば私しか誘われていなかったので、ちょっとした優越感でニコニコしてしまった。たぶん本当にチェロの人員だけが足りなかったからだろうけど、彼女から選ばれることは得意な気分にさせた。
彼女はバイオリン(とても上手)なので練習は別々だったけど、最後の合わせでは一緒に帰った。電車で座って、それまででいちばん長くしゃべった。私はそのとき彼女に外部受験して地元を離れることを話し、彼女は私に子供が好きで音楽の先生を目指していることを教えてくれた。
そうして私たちはそれぞれ進学し、二年の冬に彼女は亡くなった。
葬儀はご家族だけで執り行われて、私たち卒業生は母校でお別れ会を開いた。
そこで区切りがついたつもりだったのに、その後しばらくして、飲み会で入ったお店で流れているBGMが、あの、彼女と参加したコンサートの演目だと気づいたとき、すごく動揺してしまった。お酒が入ってたからかもしれない。
それから度々、突然彼女のことが心に浮かんで、とても寂しくてやりきれない気持ちになってしまう。心が体の真ん中から徐々にずれていって、そのままどこかにいってしまう。誰かを亡くした人ってみんなこんな気持ちを抱えて日々生きてるの?こういうのどうやって乗り越えてるの?寂しくて仕方ない。
卒業式も寂しかったけれど、これからみんな別々の道でそれぞれ元気にやっていくんだという信頼や希望のようなものがあったから、こんなどうしようもない悲しみだけではなかった。こんな私でも日々をあれこれなんとか過ごしているのに、彼女はどこにもいなくて、なにもしない。働いたり遊んだりしないし、バイオリンを弾かないし、笑ったり泣いたりしない。もうなにも作らないし、生まないし、何にも干渉しない。そんなことがあるだなんて思いもしなかった。あの、音楽室で隣に座って笑っていた人間が、この地球のどこにもいない。頼むからみんな長生きしてくれ。
彼女との記憶なんてこれだけで、でもそれだけをずっと繰り返し思い出してしまう。彼女のご家族はお別れ会で初めて拝見したし、グループにいるときの彼女とは関わりがなかったので彼女と共通の友達はいないし、誰とも彼女の話をできなくて、ここに書いてしまった。文字にしてたら落ち着いてきたから、明日からまた静かに日々が過ごせそう。表現の自由はすごい。
ていうか読み返すと自分のことばっかりでめちゃくちゃ気持ち悪い。彼女のご家族のほうがずっとずっと寂しいでしょ。お風呂入って寝ます。
別に大きい病気はしてない、自殺願望はない、普通に正社員としてはたらいて、少ないながらも友達もいて、日々ほそぼそと暮らしてる。
趣味もあって、田舎暮らしだけど結構色んな所にも出かけて人生総合的に楽しんでる方だと思う。
ただ、たぶんいわゆるAセクシャルだから、好きな人がいたことがない。彼氏も作ったことはあるけど、全然好きなれなくて面倒が勝って結局別れた。別にきらいじゃなかったけど、気持ちはいつでもずっとフラットだった。
ちょっとでも好意を持ったり、ああこの人と付き合ってみたいなと思うことがあったらアクションかけようと思ってるけど、たぶん物心ついてから一度もそういうことを思った記憶がない。
だから老後は一人世帯なんだろうなと思うし、いまの収入で親を養ったり自分がそういう意味で一人になった時に自分の生活を支え切れる自信はない。
田舎の土建屋の経理職女の給料なんてたかが知れてて、上がる見込みもほぼほぼない。副業をはじめたけど、それだって焼け石に水で、将来の金策のことだけがいまの不安要素だ。
自分の母親がなくなったあとでいいから、どこか区切りのいいところで、楽に死ぬ制度ができたら、もっと生きるの楽になるのにな。
税金納めてるし、年金も納めてるし、あんまり病気してないから医療費そんなに無駄につかってもないだろうし、仮に60歳とかで人生を合法的にリタイアさせてくれたら、ほとんどだれにも迷惑かけずにすみそうなのに。
死体処理の前金とかも事前に納めて、なんとか死なせてもらえないもんだろうか。
更新終了のお知らせから1週間経ち、少しだけ落ち着いたので、今までの記録と今思っていることを少しだけ書き出す。
曲が自分の好みだと言うことに気が付き、TAシリーズを買い始め、4thのライブにも行き、そこからはミリオンのことばかり考えるような生活になった。
始めた当初、ゲームは潜在スキルが導入されかなりの人が消え去ったという話だけは聞いていた。
ゲームの感想としては営業はオートがあるものの、タップしたほうが速く、そもそもタップをさせる回数が多い。
それでもキャラの事を少しづつ知りたいということもあり、グリマスを遊んでいた。
毎日欠かさずやっていたわけでもないが、気がついた時にライブを開催し、青飴を交換し、ガチャを引き、営業し、イベントを報酬分だけ走ったり楽しんでいた。
当然デッキが弱いので当初は上位を狙えるイベントは皆無だったが、それでもチョコイベで1回、2回ほどガチャを天井付近まで回したので他の人からカードを借り、復刻の絆イベで1回入賞できた。
金で殴るのはクソと言いながら金で殴る楽しいクソゲーを少しだけ感じていた。
ここのところ復刻イベばかりだったので、新しいイベントやらないかな~なんて呑気に考えていたが、
サービス当初から触れてた人はもう覚悟ができてたのかなぁなんて思ったのだけど、
告知前日には友人と前回の感動イベは全く走れなかったけど次の感動イベは走れそうだから青飴貯める~なんて会話してて…。
ミリシタが出たってあと1年ぐらいは続くのかなとか思っていたのに、そんなことは無く終了のお知らせが来てしまった。
というかまだまだ俺はグリマスを遊んでる途中で、劇場で歌える曲はまだまだ全部解禁してないし、
担当のトップアイドルはまだ取っていないし、少しづつ強くなったデッキも、もう活躍する場がなくなってしまう。
CS版だったらトップアイドルを目指す物語に一区切りがついて終わるが、最後のイベで区切りがついてくれるのだろうか。
もう見えない世界で、アイドル達が、トップアイドルを目指す日々が続いていくなんて、そんなのは嫌だ…。
ミリシタもイベントが来たものの、曲を遊んでいると悲しく辛い気持ちになってしまいまともに遊べていない。
そんな悲しい気持ちにばっかり囚われていた一週間だったが、連休に少しだけミリオンから離れ、たくさん寝て遊んだら気持ちが落ち着いてきた。
グリマス自体は実際の所、もう人が増える要素も無く、消え行く存在ではあったので仕方ないが悲しいものは悲しい。
わけわかんないイベントを楽しんだり、わけわかんないガチャを楽しんだりすることはもうできないのは悲しい。
それでも、今後ミリオンライブというコンテンツが伸びていくにはグリマスはもう枷になってしまっていたのだろうと思いたい。
最後のイベントがどうなるのか、きちんと終わらせてくれるのかが少しだけ…少しだけ怖いが、この世界への決着を見届けたいと思う。
http://otoimi.net/ 罵倒でも何でも良いので感想が欲しい。
私が個人的に発見した「音と意味の関係の法則性」で英単語の語源をおぼえようという趣旨のサイトです。
法則として厳密かはともかく間違いなく関連性はありますし、その上で精度も相当に高く、英単語暗記に役立てるぐらいなら十分なものです。
ただ音の意味というのは、その音が使われる全ての単語にあてはまるくらいに広い意味なので、文字列から直接的にその単語の意味を弾き出したり、その単語の意味から直接的に文字列を弾き出す事はできません。
しかし英単語をおぼえる際の実感には繋がりますし、実感があれば英単語暗記も今よりは無味乾燥なものでは無くなるはずです。
以下の表が皆さんの英単語学習に彩りを添える事になれば嬉しいです。
音の意味一覧
d 集合
n 要素
h 要素を含むもの
m 条件
l 選択肢
z フローチャートにおける動き
y フローチャートにおける動き
k 地点/存在
b 場/路
s 動き
p 動き
w 動かされ得るもの
a 意図の集中
i 情報
o ポインティング
u 区切り/終止
E.「複合した音」
q (ku) :質/実態
v (bu) :強調された場/路
j (zy) :フローチャートにおける動き
twitterアカウント:https://twitter.com/otoimi_gogen 著者としてはこのアカウントをフォローして学習の参考にするぐらいがオススメです。
http://otoimi.net/theory 実際は画像メインなんで踏むのを推奨する。
まずdは集合論の集合、gは集合に含まれるもの、nは要素、hは要素を含むものを意味します。
※dとh、gとnは同一であるように見えますが、gとhは関係を表しているので違います。
要素を含まない集合があり得るという意味で「集合」と「要素を含むもの」は違いますし、集合に含まれない要素があり得るという意味で「要素」と「集合に含まれるもの」は違います。
例えば「男」という集合があったとして、その集合にはこの世界のあらゆる男が要素として含まれるはずです。
その内の一人がいなくなったとして、「男」という集合は「男」という集合のままです。
「男」という集合の定義は、この世界の男を全て集めたもののような、ゴチャゴチャしたものでは無いです。
その意味で「要素」と「集合に含まれるもの」はイコールではありませんし、だから「集合に含まれない要素」もあり得るという事になります。
そしてzとyが「フローチャートにおける動き」を意味していて、zが肯定・否定や呼びかけなど、yがORや呼びかけなどを意味したりします。
※私はこの図のようにzが前提寄り、yが結果寄りだと考えているんですが、肯定・否定を目的に適うかどうか、ORを条件から選択肢とすると、この逆だと考える人もいるかもしれません。
しかし前提から選択肢だからこそ目的に適うか問われるという考え方もありますし、ORは選択肢から結果だという気もしますし、何より逆だとj(zy)が分からなくなります。
ただどちらにせよ背中合わせの関係を持っていて、表記ではどちらも「フローチャートにおける動き」というだけなので、好きなように考えれば良いと思います。
※肯定・否定、OR、呼びかけなどは、例えば連続的でなくフローチャートなのでステップだったりして、動きと呼ぶべきかは分かりませんでしたが、それに当てはまる言葉が無かったので単純に「フローチャートにおける動き」としました。
Cでは動きに関する音を多く扱いますが、「動く何か」が成立するにはフローチャートの条件・選択肢、肯定否定・ORなどでは足りません。
また存在も集合論だけでは足りません。集合論は「〜だ」というだけで、空間における他との区別を持たないからです。
なので「動く何か」を考えるには集合論とフローチャートを合わせる必要があり、それがこのCだという事になります。
まずkが地点/存在、tが空間における集合的なもの、bが場/路を意味します。(tは唯一画像として用意できませんでした)
またフローチャートは神経の反射のようなものなので、「動く何か」を持ちませんし、だから地点もありません。地点も存在を必要とします。
つまり存在と地点は表裏であり、それを表す音がkという事になります。
空間におけるkの地点/存在に対して、tがそれらの集合的なもの、bが動きの場/路を表しています。
ちょうどt,k,w,b→d,g,n,hの関係を持っていると考えれば良いと思います。
※wの「動かされ得るもの」とはつまり、空間における普通の「もの」の事です。
対するkの「存在」は存在というより地点と紙一重の存在以前のようなもので、理論上それぞれただその座標一点にしか存在しないので、当然動かし得ません。
※「意図」とは何か。
そもそも我々の意識は集まったり広がったりするような性質を持っていて、集合論でもフローチャートでもありません。
ここでの「意図」とはつまり、「集合論やフローチャートにおける意識のあり方」を指します。
aが意図の集中、eが意図の拡散で、これらは集合論における意図を表しています。
iが情報(同一性)、oがポインティングで、これらはフローチャートにおける意図を表しています。
uが区切り/終止を意味していて、これはおそらく空間における意図を表しています。
※始まりには意図の集中であるa、真ん中の存在における動きには情報であるiやr(lu)が使われます。
E.複合した音
fがh(要素を含むもの)u(区切り/終止)で空間における「要素を含むもの」。
rがl(選択肢)u(区切り/終止)で空間におけるフローチャート(フロー)。
vがb(場/路)u(区切り/終止)で強調された場/路。
cがk(地点/存在)y(フローチャートにおける動き)で空間におけるフローチャート(地点/存在)。
cがkyというのは発音のルール(http://mymeet-up.com/?p=762)と英単語の意味から判断しました。
jがzyでフローチャートにおける動き。
https://anond.hatelabo.jp/20171026133336
https://anond.hatelabo.jp/20171026180918
これまでFBのタイムラインに流れてくる記事をたまに読むくらいで自分で書くには至らなかったけど、上二つ読んではてなアカウント作ってしまった。で、書いてる。
私は育休とって3年になる。一人目の子が三歳になる少し前に二人目が産まれた。
育休をさらに3年、ぶっ通しで6年とる予定。
なんでこんなに長く休職するのか?
本当に戻る気あるのか?
戻る気なければ辞めるのが筋じゃないか?
3年間自問自答してる。
仕事で徹夜する気力体力が衰えてきて、さらに自分はこれまで学歴なんかを背負って仕事できる気になってたけどどうやらあまり仕事が得意でないらしい、と気づいた頃に結婚出産した。それで子育てと家事にどっぷりはまってみたかった。
と、夫がちょうどキャリアのヤマを越えなきゃならない時期に差し掛かってて、冷静に夫が仕事、私が家事育児がんばるのが合理的だよねと夫婦間で暗黙裡に合意してるからだ。
結果、子供がかわいいのとブランクが長すぎて仕事に戻れる気がしなくなってる。
産後長くても一年ちょっとで復職するべく保活の波にのって、まだよちよち歩くか歩かないかのかわいいわが子と離れる辛さを乗り越えて、いろいろ割り切って仕事に戻らないと、復職が遠のくばかりだ。
なぜかって?
上の子が一歳を過ぎると子育てが一気に楽しくなった。歩けるようになり、言葉が少しずつ出てきたからだ。一緒にお出かけできる。意思疎通がはかれる。家事もはかどるようになる。
そのうち二人目を妊娠した。上の子と二歳差だ。また2年くらい育休とって、二人まとめて保育所に入れて復職するつもりだった。そしてその頃には夫の今後のキャリアパスがほぼ見えてるはずで、私が復職する前提で都内に家でも買おうかみたいな思惑も交ざってた。
だったんだけど、二人目を死産した。
辛かった。年取ってから子供に恵まれたので、一人でも十分幸せだと思っていたけど、二人目を喪ってみると、どうしても諦めきれなかった。
そして信じられないくらいすぐに、また妊娠した。三人目(実質二人目)が産まれた時には上の子が三歳になってた。
正直、育休を続けて取るとき「私これでもう2年か3年休んだら会社に戻れないんじゃないかな」と思った。
その時点で会社にはもう3年間足を踏み入れていなかったんだ。いつのまにかオフィスが移転し、社員数がどっと増え、自分の居場所なんてあるわけないだろうと思っていた。
上の子はたっぷり3年間一緒にいた。多くの保育所ママが「おむつなんて園に外してもらったようなものよ〜」と話す傍ら、家庭内でトイレトレーニングをやり切った。
夫は月の半分くらい出張でいない。さらに平常でも職場に泊まり込むことが多い。
ワンオペ育児は辛かった。子供の笑顔を間近で見られる幸せで乗り切ったけれど、
育児素人の私がやるより保育士さんに見てもらう方がいいんじゃない?
復職して多少なりとも稼ぐ方が短期的、長期的に経済合理性高い?
何より私が精神的に楽じゃない?子育てを一人で抱え込まなくていいもん。仕事して外の世界と関わりたいよ。。
ちょっといいコーヒーを一人で飲みに行きたい。仕事用にスーツ着たい。毎日自分のために化粧して、仕事にアタマを使いたい。
なんて悶々としていた。
だから次の子は一歳すぎた頃に復職しようと考えた。念のため3年間とって、それより早いタイミングをうかがおうかなと。
でも、下の子が産まれてみるとすんごくかわいい。授乳でも何でも、上の子の時はひたすら辛かったことが驚くほど楽になった。
もうすぐ4ヶ月になるけど、本当に天からの授かり物を育ててる思いだ。
上の子と同じだけ見てやりたいと思うと同時に、今度は上の子が赤ちゃん返りもあってだんだん難しくなり、これって発達障害じゃないの?といった性格が出始めた。
自治体を通じてカウンセラーに相談し、今度再検査することになってる。
「お母さんが復職されるまでに専門医や療育関係の機関を回られるといいかもしれませんね」とカウンセラーの言。
上の子はいつまでたっても初めてのことだらけだ。子供が成長すればするほど手がかかることを知った。
自分も会社の制度と女性が輝く社会を目指すスローガンにぶら下がってるように見えるんだろうなと思った。
と同時に、恵まれた環境の人は、仕事に対するモチベーションがそんなに強くなくても、復職後十分にやっていける、むしろそれくらいの方がうまくいくのは本当だろうと思う。
そして私のように、自力以外に頼れる人手がなく(親は地方在住)、仕事に対するモチベーションも立派なものではない、そんな働き手は誰が見てもお荷物だろうと。
念のため、育休中は無給だ。とはいえ一人目のときは雇用保険からの給付金を受け取り、二人目、三人目も健保から出産手当金をもらってる。
でも子供は手がかかる一方で、とくに上の子のことを考えると、会社より子供を優先させたい。復職してもパフォーマンス悪すぎだろう。
だらだら独り言を書き連ねたけれど、そうだね、ぶら下がってるように見えるよね。
雑誌のVERYってあるでしょ。VERYは去年かそれより前くらいから「リーマム」の造語を使ってる。週5オフィスに出勤する素敵なママのことらしい。
週5働けば、当然子供に割く時間が限られる。どんなに優れた外部の保育者を通しても
子供のことを全部把握するのは難しいと思う。
そのぶん自分の価値を高めることにエネルギー配分できる、というかせざるを得ない。
そして子供に還元するなら、自然とお金で買えるモノコトになる。洗練された服、上質なおもちゃ、英語やピアノの習い事に幼児教室。旅行かもしれない。
親がいいと思えて子供が十分に愛情を感じるならばそれでいいのではないか、と思う。
でも私はそれができずにいる。
割り切ってしまえばいい。育児を外注すればいい。夫婦の老後や子供の教育など備えはいくらでも必要だ。
それでも私は、毎朝3時に起きて家事をして、5時半に夫を送り出し、下の子の世話をしながら7時に起きる上の子の食事の支度をする。日中は公園と児童館をはしごする。
夕方5時にはお風呂に入れて、6時に夕食。7時半に寝かしつける。
子供が好きで会社に戻れないならいっそ辞めれば、との声を聞いた気がした。
子供への愛情と復職は違う話だろうとのツッコミが当然あると思うけど。
中途半端に戻っても育児を楽しみながら会社に貢献するなんて実現不可能な幻想かもしれない。
育児そして自分自身を充実させながら仕事を続けることで足を引っ張ってしまうならば。
休職前はたいして仕事力がないなりに、精いっぱいがんばってきたつもりで、自分にできることがあればどんな仕事でもいいからまた働かせてほしいと思っていたが、ふつっと糸が切れた気がした。
それでも何か糸口を探したいよ。別に自分が輝かなくてもいいけど、家族を満足させられて、社会貢献可能な道筋を。
大学出てるし(税金つかってる)社会人になってからはいろいろな人に世話になった。皆さん口を揃えて「別に自分に恩を感じることはない。後輩社員達に同じようにしてあげて」と言っていた。まだ私は何もできてない。育児の区切りがつけば会社で恩返ししたかったけど、区切りをつけられなければ外ですべきなのか。
何を取捨選択しても自由だけど自己満足にならないように、とあらためて思う記事だった。
追記)
コメントありがとうございます。恐縮してます。
夫ときちんと話し合っていないのではないのかのご指摘がありましたので追記します。
確かに書いた内容そのままを直接ぶつけたことはありません。また明日から出張なのでフライト中にでも読んどいてと言っとこうと思います。
ただ、子供のことこれからのことはわりとよく話してるかもしれません。
何がしかの隔たりを感じさせるとしたら、夫と私の働く業界が全く異なることが一因かと思います。
(夫は公務員で今は中央、全国転勤あり。男性の育休制度はあっても運用実態ほぼゼロ。同僚家庭の専業主婦率すごく高い。私は都内のIT関連企業)
自分に答えがないので話すのをためらっていましたがいい機会かもしれませんね。
わたしの近しい友人で男関係うまくいってるやつが一人としていない。
不毛なセフレにマジ惚れしたり、セフレに対して依存やメンヘラ発動をくりかえして泥沼化したり。
なんでなんだろう。
ちょっと離れて、そんなに近しくもないが数カ月に一回同窓会なんかで会う高校の友人らの話を聞くと、みんな順当に普通の男と恋をし、うまくいかなければ別れ、新しい彼氏を作り、うまくいけば結婚している。いずれにしても楽しそうにしているし幸せそうだった。「近しい友人ら」のように男に振り回され精神的に追い詰められている様子を感じることは全くない。
25歳社会人4年目。そんなわたしは高校は少し偏差値が低いがリア充が多い部活動が盛んな普通科共学に通っていた。わたしは当時からはてなーの素質を秘めたひねくれもののややオタクだったが、環境から浮かない程度に足並みをそろえる程度の社会性は持ちあわせていたし、なんとかかんとかだましだましキョロ充として人並みの青春を送るというミッションめいたものはコンプリートしたと思う。
その後大学進学するも異性関係で派手に失敗しキョロ充の皮がはがれ本来の卑屈ひねくれ陰キャが全力で本性を出したため大学を中退した。一年の夏だった。
その次の春に、専門学校に入る。
大学時代のトラウマを盛大に引きずり夏から春まで実家に引きこもっていた私は、一個下のやつらに混ざってお勉強する生活を2年も続けられるんだろうかという不安でいっぱいだったが、全ては杞憂だった。
入学したのはクリエイティブ系の専門学校で、そういうと聞こえはいいが要するにアニメーターや漫画家志望の学生向けの学科もそろっていた。
そこでわたしは過去のトラウマや人に絶対にバレてはならないオタク面やひねくれた人間性などを生まれて初めてすっかりオープンにしオタク達と楽しい学生時代を過ごした。
しつつも、一度男を知ってしまっていたので中高と完全なる喪女として過ごしてきたエリートオタク友人たちとは一線があった。わたしは元来の旺盛な繁殖本能とざっくばらんな性格に加え精神的にオープンになったことも相まって夜は奔放な生活を送った。
そして就職。友人らもそれぞれなんとか職につき、社会人となった。
学生期間が終わり、いままでは何もしなくても存在した進級や進学といった人生の区切りがなくなる。
会社や家庭で、周囲の大人達からも口うるさく言われはじめる結婚や孫。
男なんか全く興味がないといってはばからなかった友人らが、就職二年目あたりから〝彼氏〝を欲しがり始めたのだった。
しかし喪女たちには出会いもなければ積極性もないし男友達だって男を斡旋してくれる女友達だっていない。
チャットサイトやヤリモクアプリしか頼るものがなかったのか、一人また一人とネットの海で男漁りを開始した。
二十歳を超えて恋人がいたこともなければ夜の経験もない彼女らだが、わたしという奔放な友人がいたせいかもしくは焦りからか、チャットで知り合った遠方の男の元へ新幹線で安くない運賃を支払い出向いては初対面にもかかわらずあっさりと簡単に体を許し関係を持っていった。
そういった関係をうまく転がすのはおそらく百戦錬磨の恋の魔術師でも難しいのではないだろうか。
高齢喪女たちの問題点は処女膜の有無でなく恋愛への過度な期待度や異性への無理解などメンタル面だということをあらためて痛感した出来事だった。
セフレに依存しつつも結婚という目的のために別れたいと別れられないを繰り返す友人。
セフレにマジ惚れしすぎて結婚を諦め相手が飽きるまで関係を繰り返すことにした友人。
彼女らに足りないものは諦めで、彼女らが有り余るほどに持ち合わせているのは青さだろうか。
恋愛の酸い甘いを経験し学ぶには彼女らは老いすぎてしまっているだろうか。
失恋とすら呼ぶにはばかる失敗経験で初めての異性との接触をもってはもう彼女らは立ち直れないだろうか。
宅配業経験者だけど、普通は今日の何時くらいにいらっしゃいますかって具体的に聞いて自分が持っていけるならその時間帯に持っていく段取りするわ。
あとは増田の推測通り、翌日の荷物は大抵の場合トラックには入っていない(センター・営業所にある)ので明日の荷物を今日って言われたら一回取りに戻らにゃならん。
一日に何回もセンターには戻らないので15時とかいきなり言われたらまあ無理。18時まで、21時までみたいな区切りになる。
それをちゃんと伝えなかったのと電話出たドライバーが自動受付のシステムをわかってないっぽいのはそいつが悪いわ。
高1の秋頃、学校に行くのが嫌になった。
通学途中の駅のホームに立てば、ここから飛び降りたらどうなるのだろうと思っていたし、学校が近づくに連れて心臓が破裂しそうなくらい音を立てて速くなった。
頑張って通っていたけど回復の兆しは見えなくて、朝決まった時間に起きれなくなったり、学校のことを考えると吐くようになったりした
外に出れば誰か知っている人に会ってしまうかもしれないし、昼間家にいると近所の人に自分がいることが気づかれてしまうのが怖くて自分の部屋のカーテンを閉めきって、出来るだけ音を立てずに暮らしていた。
そのころの唯一の趣味といえば、イラク戦争から帰ってくる軍人がサプライズで家族を訪ねる動画をYouTubeで観ることだった。感動なのかわからないけどその動画を見てると泣けてきて、今思えば自分以外のことで泣く理由が欲しかったんだと思う。
何もしないで1日を過ごしてたから、学力も当然落ちていったし、友達もほとんどいなくなってた。
自分が荒んでいくのがわかってたけど止められなかった。現実が地獄なら地獄は何だ。どうせ今が地獄なら死んでも変わらないだろう。いや自分を地獄に引きずり込んだやつを殺してから死のうと思ってた。
そろそろ死ぬかと考えているときに学校から呼び出された。狭い教室に教頭と学年主任と担任と私の4人で、出席日数が足りないからこの場で退学か休学か選んでって言われたから退学を選んだ。どうせ死ぬつもりだったし。
その帰りの電車の中で1つの区切りがついたことだし死ぬための準備を始めようと思って、LINEの友達欄から死ぬ前に会いたい人だけを残して他を削除した。200人から40人ぐらいまで減らしたと思う。40人の中に消すか迷っている子がいて、中学の同級生で凄く仲が良かった子だった。その子のホーム画面がV6で、彼女の好きなものを見てから消すか判断しようと思った。今でも何でそう思ったのかは分からない。
退学が決まったその足でTSUTAYAに行ってV6のアルバムを買った。どれを買えばいいのか全く分からなかったから、Bestって書いてあるVeryBestを買った。
まぁ聞いたことある歌もあるなぐらいで飛ばし飛ばしで聞いてたけど、1つの歌で信じられないくらいに泣いていた。
「太陽のあたる場所」という歌だ。あれだけ自分はもう死ぬって決めてたのに、それを聞いたらやっぱりやめようと思ってた。図々しいけど、私のための歌だと思ったしこんな私でもV6は応援してくれるって思った。本当に図々しいね。
http://j-lyric.net/artist/a001a50/l00a954.html
それからずっとその歌を聞いてた。朝から晩まで延々と聞いてた。聞いても聞いても飽きなくて今度はV6の動画をネットで漁った。ライブが見たくてDVDを買いたかったけど、お金がなかったから飲食のバイトを始めた。朝に起きる理由ができた。車の免許は持っていなかったから歩きでバイト先まで行くようになった。健康的になった。稼いだお金を貯金しながら、過去に出てるV6の作品を買う日々を続けていた。
そんなときにV6のライブが行われることを知った。絶対に行こうと思って初めてファンクラブというものに入った。1人で行くのは寂しかったから、ホーム画面がV6の子を私から誘った。その子がOKしてくれて2人で行った。行きの電車から共通の好きなものの話題で盛り上がって凄く楽しかった。
ライブが始まった途端に私は号泣していた。私を救ってくれた人が目の前に存在している事実が嬉しくて泣いた。私を救ってくれた人たちが私を救ってくれた歌である太陽のあたる場所を歌っていて泣いた。MCで面白い話を聞いて自然に笑っている自分にびっくりして泣いた。ライブが終わる頃になると終わらないでほしいと思って泣いた。ライブからの帰り道にV6のライブの話をする人たちを見ていて、自分もその一部なんだと思えて嬉しくて泣いた。
2時間半ほぼ泣いていた。キラキラした会場の中で私を救ってくれた人たちが笑顔で私を救ってくれた歌を歌っていた。多幸感に溢れて泣いたのはあれが初めてだ。
V6が私を救ってくれた。私はV6をきっかけにいろんなことができるようになったし、いろんなことを知った。
朝決まった時間に起きれるようになった。部屋のカーテンを開けられるようになった。昔の友達に自分から連絡を取れるようになった。適度な労働は適度な疲労と充足感をもたらすことを知った。お金を稼ぐことが楽しいことだと知った。
V6が私を救ってくれた。私は高認をとった。周りから見れば凄く遠回りになったけど、高校も卒業した。カーテンを閉めきった部屋にいる高1の私には全部できなかったことだ。
相変わらず通学路だった道を歩くとドキドキするし、今度また同じようなことが起きたらどうしようと不安になる日もある。
だけど私は何度でも立ち上がり歩くことができることを私の人生をもって証明したい。だから私は今歩いていけるのか試している途中だ。太陽のあたる場所を目指して
チューリングは人を騙せる機械を知能と呼ぼうと定義したけれど、私はその考え方に疑問がある。
なぜならば”騙すのか騙せられないのか”という小さな区切りだけが人間の力の及ぶ範囲ではないからだ。
音楽や絵、または文学、芸能、お笑いというように知能とは直接関係ないものこそが人間らしさを発揮しているように見えるからだ。
もちろん上記のような芸術を機械が作るまたは模倣することは不可能ではないと思う。それは私が機械学習を専門とする学生だから不可能と言いたくないことも関係している。
機械が作った芸術かそれとも人間が作った芸術なのかという2択の問題にレベルを落とすとチューリングの問に定式化することはできる。
だからといってその2択に問を定式化して大事な何か(言葉では定義できないファジィなそれ)を削ぎ落とすことによって知能を定義することはできないと思う。
それには答えは無いかもしれないが、愛というのも重要な要素である。例えば人間は愛する人を騙したり、愛する人に騙されることがある。
では騙すことが知能と言い切ってしまうと、人間が人間に対して騙されたり騙されなかったりしたときに、「あなたが私を騙せなかったのであなたには知能がない」というようなおかしなことになってしまう。
それは私が騙すという要素に愛を追加したからだが、愛を持った行いに知能がどうとか知能がないとかそういうのは別の次元の話である。
このように2択の質問では愛という要素を追加しただけでチューリングの問は崩壊してしまうのだ。
そこで新たな定義が必要になる。愛がある嘘か愛がない嘘なのか、愛がある真実なのか愛がない真実なのか、その4択の問をするというのはどうだろうか。
改チューリングの部屋のような名前をつけて。でも、これでも疑問が残る。愛があるから知能とかそういうふうに定義してもまた別の要素を追加したくなるかもしれない。
知能を定義しようというのは生物の進化を考えていない。生物が進化すると知能も当然進化する。チューリングの部屋は無限時間と進化を考慮していない。どこまでいけば知能なのか結局は定義できないのではないだろうか...