はてなキーワード: 上品とは
私はブスだ。
顎から突き出てるので正常な口にするには手術で上下の顎を切り取るしかない。
目が上に付きすぎているのでAKBの柏木由紀みたいに目から下が長いのだ。
(柏木由紀は目が大きくて他のパーツが整っているので社会から許されている)
社会に出てみて思ったことはブス女への風当たりが厳しいということだ。
の扱いをしていると感じる。
最下層のブス女など人間扱いしてくれない。
私は学生時代、大人しい女の子たちのグループに入れてもらってひっそりと生きていた。
クラスの他グループの女子とも必要以上に会話しない、持ち物も無印良品のような無地で地味なものを持つようにする
変な動きや歩き方をしないといったように
目を付けられないようひっそりひっそりと生きていた。
物を隠される持ち物を捨てられる机から動けば実況付きでネタにされる新しい持ち物を持っていけば酷評されて全否定されるといったいじめを受けたが周りの人たちはスルーだった。
一挙一動が笑われるのでまともに話せなくなったし笑えなくなった。何をしてもネタにされるのでペンケースや消しゴムを新調することさえ心臓がバクバクだった。
毎朝吐いて登校して帰宅してまた吐いていた。
そんなある日のことだった。
男子生徒、男性教師が一丸となっていじめはやめよう!と躍起になりはじめた。
私のあれはいじめではなかったのか?と思ったがまあそういうことなのだろう。
ブスは人間扱いされない。
まとめサイトを見ているとこんなに女の容姿を気にしている若い男性が多いんだなと思う。
「このレベルの女は抱ける?」「この有名人が劣化した」「付き合えるギリギリの顔の女ってこれぐらい」といって画像を貼り付けて、
そうでもないだろう。彼らは一般人だ。
大学、社会に出てみて男性が特別容姿が優れているということはないことを知った。
女性の場合、性格や波長が合えばブス男でも付き合うが、男性の場合それは滅多にない。
「でもブスじゃん」という言葉がある。
この言葉を使われると、その場で対象の女性の評価はどん底まで落ちる。
その女性がどんなに性格がよくて、いい匂いがして、料理上手で頭がよかったとしても、
女性を否定するには「でもブスじゃん」の一言で十分なのである。
最後にくるのは「でもブスじゃん」という容姿への評価なのである。
容姿が悪ければオリンピックで活躍したとしても柔道の女性選手たちのように
クリーチャー扱いされる。
許される。
では、ブスでなければいいのか?
可愛くなろうと努力すればいいのだろうか。
そんなに辛いのならばもっと努力して容姿を磨けばいいと言って自己責任の烙印を押す。
上記のまとめサイトでも「すっぴんは詐欺」「化粧で誤魔化してる女は詐欺すぎて本当にムカつく水ぶっかけて顔こすってやりたい」とよく書かれている。
世間から虐げられないために化粧という盾を持って身を守ることも
罰せられるべきこと、法律を違反したり他人に迷惑をかけたかのようなレベルで叩く。
「自分の女が化粧落として顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」
この世のすべての女性とベッドを共にするわけでもなし、
この世のすべての女性を孕ませて子供を産ませるわけでもなしに、
『自分の女』がそうだったら嫌だからという理由で禁止しろと言うのだ。
それだけですべての女の化粧を禁止しろというのは暴論ではないだろうか。
人並みに結婚できるなんて考えてもいない。
身寄りもなくホームレスとして孤独死する未来が見えているのだから
ブスの化粧ぐらいは許してほしい。
私がこんなことを書くきっかけになったのは
昔のことを思い出したからだ。
今の私は顎を切らないまでも五十万以上かけて歯の矯正をして
目元の整形をして
パーソナルカラー診断をして骨格診断をして、
資生堂の一回につき一万円以上するビューティーレッスンに通って、
一万円の美白美容液やトマトジュースやビタミン剤を毎日飲んで美白して
それより劣っている。
先日、私のことを好きだと言った男性が
道端の女性を見て、
「許せないのはブスだよ。ほんとブスだけは無理」と言った。
彼は平凡の容姿の男だ。
どの口でブスなんて無理、と言うんだろう。
私は悲しくなった。
こんな男に少しでも心が傾いた自分にそんな男から好かれるような安い女である自分に。
はじめて人を愛してみようと思ったが
ブスには大それたことだったのだ。
ブス女に厳しい。
好きでこんな顔に生まれたわけじゃない。
私には何もない。
青春時代の甘さも酸っぱさも知らないまま生きてきた。
人生における喜びを甘受することもこの先できないだろう。
ブスはどうやって生きていけばいいのだろう。
世界各国、必ず名物料理の一つや二つあるものだが、カナダの名物料理と聞いてパッと思い浮かぶ人は少ないと思われる。
そんなカナダの、カナダ人自身も認める名物料理の筆頭が、プーティンである。
といってもフライドポテトのご当地バリエーションみたいなモンで、ポテトにグレービーソースをかけチーズを散らした料理である。
前々から興味があったのに食べる機会がなく、それが今日たまたま口にできる幸運にありつけたのだが、コレがメチャクチャ美味かった。
アメリカ流のケチャップやチリチーズ、或いは英国風のモルトビネガーで食べるのに比べてずっと繊細というか、優しい旨味に溢れていて、それこそコーラや黒ビールではなく、もう少し上品な飲み物が欲しくなる味だった。
見た目もっとワイルドな味を予想していたので、嬉しい思い違いでもあった。
というかこの味を知ってしまうと、もうフライドポテトを英米の流儀で食べることはできなくなる。
一般に、アングロサクソン系のメシは不味いと世界中から言われている。
「あいつらの舌は何枚もあるので詐欺師としては超一流だが味覚はお察し」
「あいつらは自分たちの味覚と引き換えに国の繁栄を手に入れたんだ」
なんてジョークもある。
しかしアングロサクソンでも、カナダはフランスの血がブレンドされているからだろうか、英連邦では唯一美味しい国と聞いたことがあり、今回そのエビデンスを彼の国の名物でしっかり認識できたわけだ。
なんとも良い一日だった。
カベルネ・ソーヴィニヨンは赤ワインの原料になる黒ブドウの品種の名前。
まあ、カタカナって覚えにくいよね。
麺をすする音が、西洋の文化では受け入れられない。これからの国際化には・・・
洋の東西、文化や価値観が違うのは当たり前で、他国のマナーが国際標準と思い込むのが如何に愚かな事か理解していない。
しかし他方、麺をすする時に音を出すのが、逆にマナーだとか言う誤解が広まっているのも、自国の文化に対する理解が少なすぎると思う。
日本でも、食事中に音を出すのは、相応に無作法である。当たり前である。
しかし食事中ぐらい気楽にと言う考えがある。これは仏教の修業に由来する。僧が音を立てずに修行するものがあり、会話も含め一切無音で生活する。その際、唯一許されるのが、食事の音である。
苦しい修行の最中の、唯一の楽しみぐらい気楽にっというものだ。
そして、もう一つが、そばなどの麺類が、江戸の大衆文化であるという事だ。
上品でない町衆の、文化なのである。品とか礼とか、作法などと言うのにこだわるのが、無粋なのである。
粋とかのカッコよさは、礼法、作法、フォーマルから、外したところにある。
麺をすする時に音を出すのはマナーではなく、粋である。その辺りの勘違いを正すべきである。
アメ公もハンバーガーを外で食べるのが、マナーだとは言わないはずだ。あれは粋と許容されているだけなのだ。
だから外国人はラーメン屋で、すする音が不快などと言う、無粋なことは控えるべきだし。
日本人も、麺をすする時にこれ見よがしに音を立てるのも、見っともない。
それは粋ではなく野暮である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00010004-abemav-soci
麺をすする音が、西洋の文化では受け入れられない。これからの国際化には・・・
洋の東西、文化や価値観が違うのは当たり前で、他国のマナーが国際標準と思い込むのが如何に愚かな事か理解していない。
しかし他方、麺をすする時に音を出すのが、逆にマナーだとか言う誤解が広まっているのも、自国の文化に対する理解が少なすぎると思う。
日本でも、食事中に音を出すのは、相応に無作法である。当たり前である。
しかし食事中ぐらい気楽にと言う考えがある。これは仏教の修業に由来する。僧が音を立てずに修行するものがあり、会話も含め一切無音で生活する。その際、唯一許されるのが、食事の音である。
苦しい修行の最中の、唯一の楽しみぐらい気楽にっというものだ。
そして、もう一つが、そばなどの麺類が、江戸の大衆文化であるという事だ。
上品でない町衆の、文化なのである。品とか礼とか、作法などと言うのにこだわるのが、無粋なのである。
粋とかのカッコよさは、礼法、作法、フォーマルから、外したところにある。
麺をすする時に音を出すのはマナーではなく、粋である。その辺りの勘違いを正すべきである。
アメ公もハンバーガーを外で食べるのが、マナーだとは言わないはずだ。あれは粋と許容されているだけなのだ。
だから外国人はラーメン屋で、すする音が不快などと言う、無粋なことは控えるべきだし。
日本人も、麺をすする時にこれ見よがしに音を立てるのも、見っともない。
それは粋ではなく野暮である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161121-00010004-abemav-soci
まあこの時期はもう募集終わってるところがほとんどだと思うが、お正月の巫女のアルバイト。
これは学生の応募がほとんどであり、さらに言えば、学生にとってはバイト先で痛い目見るのも社会勉強の一環とは思うんだが。
まあ神主様はとっても優しいので書いてあげよう。と思う。
<< 巫女バイト応募時の心得 >>
1:まず何で給料がクソ高いのかよく考えましょう
基本的に、巫女の正月バイトに出す給料というのはかなり高い。正月しか来ない一見さんに払う給与と考えるとさらに高い。
で。
お正月で。神社で。巫女の恰好して。ニコニコ笑って。参拝者にお札だのお守りだの渡すだけで。
一万もらえる。
常識的に考えてないわなあ。
そんな美味しい仕事をわざわざ学生に分け与えたりはしないわなあ。
無論、ひな壇芸人のような、並んでニコニコ笑っている若い女が境内の景色に欲しいからってわけでもない。
(正月にデカい神社の境内で巫女が大勢ニコニコしてるのがずっと伝わってきた伝統だからそうしているだけだろ、と言われれば確かにそうなんだが)
じゃあなんで給料がクソ高いのか。
皆が寝ている時間や年明けを祝ってパーリーしている時間に目ん玉おっぴろげて波打つ参拝者の群れと対峙し、朝が来るまでひたすら紙幣と神札類を交換し続ける過酷なお仕事だから給料クソ高いのです。
2:アルバイトに応募する時は連絡先を伏せず、ハンドルネームではなく本名を名乗りましょう
ここまでくるともう社会常識の話になってくるんだが、社会に出てない学生に社会常識持ってないのかよお前と言ってもしょうがない。
ちょっと話を聞いてみたい、詳しく話を聞いてみたい、そんな軽い気持ちで応募窓口に接触してくる方も大勢いらっしゃいます。それはいい。
話を訊いて大丈夫だと確信したら改めて個人情報を開示したい。そういう慎重さもこの現代社会をサバイバルする上で素晴らしい姿勢だと思います。
でも具体的な話を聞く段階なら連絡先くらいは伝えましょう。こちらから連絡できません。
ハンドルネームを名乗るのではなく本名でお話をしましょう。アナタのお名前呼べません。
だから別にいつも最後まで喋らなくても、周囲の人々はアナタの意向を察して先回りして対応してくれます。日本人はとっても親切。
でもお正月の神社にはいろいろな人が来ます。普段神社に来ない人も来ます。
要するに、上品で親切で敬意と謙譲を忘れない、普段神社に来るようなタイプの人々…それ“以外”の層も来るという事です。
参拝者相手に限らず、職員間においてでも、つまらない些細なコミュニケーション不足が致命傷となり得る状況があっさりと巡ってきます。
報告連絡相談はし過ぎるくらいで丁度よく、態度ははっきりしっかりと、言葉や台詞はちゃんと最後まで喋る。
バイトだから問題ないと思って責任感のない仕事をするのは別に構いませんが、もらう高い給料分くらいの責任感は持って働きましょう。
4:アナタがどれだけ巫女服が似合うか、どれだけ有能かに神社は一切興味ありませんが、アナタが時間通り出てきて求められた仕事をキッチリこなす事にはとても興味あります
巫女服風コスプレ画像。いりません。(←これから応募しようというバイト先の人間全員をコスプレと暗に切り捨てていくスタイル)
一般的な営利業務におけるアルバイトの募集に対してそれらのアピールは価値あるものなのかもしれませんが(…そうか?)、神社には必要ありません。
大昔から毎日毎日、決まった時間に決まった事を決められた通りに行い続ける神社において。求められる人材とは、まず決まりごとに従う人間です。
指示をよく聞き、決まりごとには従いましょう。
5:思い出ジャンキーにはならないでください
“このアルバイト経験はきっと、いい思い出になるはず”。 その志望理由だけを武器に正月という怪物と戦い抜こうとするのは、ちょっとつらいと思います。
“せっかくの珍しい経験だから、何かを持って帰らねば”。その意識高さが生かされるのは恐らく、もっとゆとりある忙しくない職場であるかと思われます。
業務に集中しきれない余念が渡し忘れや勘定ミスを生み、何よりもアナタの思い出をだいなしにしたり、意識高いアナタの自己評価に傷をつけたりします。
思い出はずっと後になって振り返った時に遠くから綺麗に見えるくらいでちょうどいいのです。目の前の業務に集中しましょう。
いや、本当に色んな人が来るもんだ。
まず、日本人女性の平均と比較して背が高すぎる。また、運動部時代の名残で脚は筋肉モリモリ。
既製のジャケットはたいがい袖が短いか肩幅が合わず、パンツは裾が足りず、スカートやワンピースは短すぎて不細工な脚が余計協調される。
筋肉は脂肪以上に恐ろしい。医者に止められるレベルで無茶なダイエットをしても絶対に取れなかった。
仕事用のスーツは何とか自分に合うブランドを見つけたが、時にはやっぱりかわいい服を着てみたい。
今まで何度、生まれ持った骨格とスポーツにいそしんだ10代を恨んだことか。
そんなある日、格安でオーダーメードができるサイトを見つけた。
スリーサイズと希望する着丈、袖丈、希望する生地を連絡し、金額を振り込めば仕立ててくれるという。
仮縫い等がなくてもサイズさえ伝えればピッタリに仕上げられる技術があるのだという。
(どういう仕組みなのかは知らないが)
ただ、よく見るとウェブサイトの作りが若干雑で、不安を覚えた。
サイトは全て日本語で、日本女性に向けて作られていることは明らかだが、
その他にも、可愛らしいワンピースの写真が写っていたかと思えば、ヨレヨレシワシワの服もあったり。
アジア系女性モデルが膝丈で履いているスカートが総丈80㎝ですと表示されていたり。
今思えば、怪しいと思った時点で止めておくべきだった。
「今度こそ自分の理想の服が手に入る!」と興奮した自分は早速コンタクトを取った。
店長とおぼしき方が非常に丁寧に日本語で返信してくれて、好感度が上がった。
早速、サイズを伝えて所定の金額を支払い、製作してもらうことにした。
自分の体形の特徴やサイズ、身長や体重まで細かく伝えたので、安心しきっていた。
…最悪だった。
写真のジャケットはもっとシンプルに落ちるタイプだったのに、届いたジャケットは
ウエスト部分が異様に絞られていて、そこから裾に向かって思いっきり広がっている。
袖には金ボタン。
これ、どっかで見たデザインだな…あ、バブルの時に従姉が同じようなの着てたな。
とにかく何とも言えない古臭い形だった。
次にサイズ。
バストはきっちり指定のサイズに仕上げてあったが、絞ったウエストの位置が悪く、肋骨に食い込む。
明らかにサイズ感がおかしい。これ着られるってどんな体形の人間だよ。
何となく予想はしてたけど、今回は失敗。
ただ、失敗のまま終わってしまっては悔しい。
縫製は海外でいいとして、デザインはやはり日本のファッションに精通している人でないとだめだ。
萌え絵がエロいかエロくないか、不快か不快じゃないか、見る人の感性がまともかまともでないか?みたいな話の先に決着点は絶対にない、ということをまず最初に宣言しておこうと思う。
歴史・文化、なんかの単語で置き換えたとしても、それは実は何にも説明していなくて、実は主観の多数決のようなものでしかない。
その辺の話は一旦置いておこうと思う。
ではここで何を論じたいか?というと、メインでは、なぜ不快と感じる人がいるのか、という問題かな?
絵画の裸婦像はエロくないとか、グラビア写真ならまだ許せる、でも萌え絵が不快でたまらない的な声も多い。
そのへんをちょっと掘り下げてみようと思う。
小学生くらいの頃、美術室で裸の絵とか像とかがあって、掃除の時間とか図工の時間とかにそういうのを見ると、なんとなく気恥ずかしいような、なんでこんな物があるんだろう?という感覚はあった。
親と一緒に入ったレストラン、というか居酒屋っぽいところで、ポスターの水着のお姉ちゃんがビールジョッキ持ってるのも、なんか意味がわからなくて不思議に思った。
地下街の看板に裸のお姉ちゃんの写真があるところがあって、まあ芸術的なんだろうけど、前を通る時にどうしていいかわからないような感覚があった。
これに近いような経験って、誰にでもあるんじゃないだろうか?
もう少し大きくなると、家族で見てた映画やテレビでのベッドシーン。
気まずくなる瞬間あったよね。
つまり、萌え絵か写真か像か、とかに関わらず発生する感情である。
この辺の感情って、まとめるとこうだと思う。
「写真であれ映像であれ絵であっても、今その場の人がしていい格好・振る舞いじゃないと違和感が生じる」
その違和感は、気恥ずかしさであることも、目のやり場に困るという気持ちや、または不快である人もいると思う。
ただ、萌え絵問題はこの原体験に加えて、もう少し別の要素も絡んできていると思う。
10年近く前だと思う。
しかし、用事で東京に行った時、ホームに入ってきた電車が、アッキーナのラッピングカーだったとき、なんだかすごい不快感を持った。
別にエロい格好でもなかったと思うし、宣伝の内容も見ていないし記憶にない。
あの宣伝のラッピングが、吉永小百合とか松嶋菜々子が上品に写ってる宣伝なら、特に何も思わなかったろう。
当時のアッキーナは、水着で毎週のようにグラビアを飾るほしのあきとかと違って、純正グラビアアイドルじゃなかったと記憶している。
あんまりテレビも出ないから素人っぽさがあって、そして当時18歳くらいだったと思う。
なのでなんとなく、東京の若者文化の象徴としてのエロさ、みたいなものを見出していたと思う。渋谷の援交女子高生みたいな?
だからこそ、グラビアアイドルの見せるための綺麗なエロさじゃない、クラスの女の子のエロさみたいなものがあった。
そもそもエロとは何か?
それは、自分の延長上で性的な行為が連想されるかどうか?じゃないだろうか。
洗練された女の子より、素人っぽいAKBが受けるのも、「そこにリアルなエロさ」があるから。
例えば、桐谷美玲がドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出てきたとしよう。
それともうひとつ、AKBのギリギリ成人くらいの子が、AKBコスチュームで、ドラマの打ち上げでお酒飲んでいる写真が出たとしよう。
なぜなら、AKBって枕やってんじゃないの?とか、俺もうまく仲良くなればやれるかも、的な欲望の対象になっているから。
それに対して桐谷美玲は、綺麗すぎてリアルな欲望を見出せない。大好きなんだけどね。
つまりだ。
あの辺の萌え絵が、女性の身体的特徴を誇張して描いていることに関しては反論はないと思う。
その誇張を、自分の身近なエロと結びつくのかどうか?が最大の焦点と思う。
女性が女性の身体的特徴を誇張表現された時、真っ先に結びつけるのは間違いなく自分の身体だと思う。
その自分の身体に関して、誇張された部分に周囲の人間が全員注目しているかのような気分になるのが、不快感の元と思われる。
自分の嫁が女性の身体的特徴を際立たせるような格好をした写真を、昼間仕事中にいきなり会社の壁に貼られたらものすごく不快になるに違いない。
グラビア写真や芸術的裸婦像は、たぶん自分のセックスを想起させないのが大きな違い。
そろそろまとめよう。
萌え絵に限らずなんだけど、女性の身体的表現を見て、不快に感じるかどうかは、チェックポイントがあるように思う。
1. その状況・ポーズ・構図等の意味を正しく理解できているか?理解できないと不快に感じるケースが多い。
2. 強調された特徴が、自分のセックスの延長上に結びつくのか結びつかないのか?結びつく人は不快。
3. その絵を見る状況が、セックスを受け入れられる状況か否か。2を満たしていてセックスしたいと思えない状況で見ると不快。
4. あと、身体的特徴を強調しすぎると不気味の谷に差し掛かって不快。
考察するに。
オタクが萌え絵をエロく感じないのは、その女性の絵を自らのセックスの延長上に結び付けられないからではないか。
または、自分のセックスパートナーとの身体的特徴があまりにもかけ離れている人。
あ、童貞は延長上に思えないってはなしじゃないよ!!
あと逆に。
過剰にエロさを感じる人は、強調されている部分にコンプレックスを持っている人。
周囲にそこを見られている、と思うくらいの自意識がある人。
自意識かはおいておいて、痴漢によくあったり、男性に不信感を持っているような女性なら、周囲の男性からは自分がこんな風に見えてるんだ的なショックと不安感があるんでしょうね。
そりゃ不快だ。
そして嫌いなオタクを攻撃しようと萌え絵批判をする、って構図もある。
これはヘイトスピーチというか、オタクを低く見たいコンプレックスの表れのような気もする。
こういうのはなんか、話す価値がない。
まあ、なんだ。
不快か不快じゃないか、おかしいかおかしくないか、を論じることに意味はない。
どっちが変とか正しいとか麻痺とかじゃない。
主催者としては、不快な層が一定数いるなら、やっぱりなんかしら必要じゃね?
と言って締めます。
「知的に怠惰だけど文句だけは言いたい人」という印象にしかならないよ。
赤ん坊がぐずってるようなレベルでブログ書いて恥ずかしくないのかな。
ブログどころかメディアの取材記事でやっちゃってる人もいるけど。
違和感を感じたら、そこで立ち止まらずにちゃんと考えてください。
頑張ってね。
追記:
コメント見てて思い直したんだけど、
確かに違和感の内容を短期間で安易に言語化しないのは大事な所作で、
考え続けることの意思表示として違和感の段階で言明しとくのはアリだと思う。
ただし「違和感を感じました」をいっぱしの価値判断みたいに扱ってて、
上品に否定してやったぜみたいな気分が透けて見える文章は良くないよ、
というのが私の意見です。
せっかくの違和感なんだからも少し発酵させていい記事書いてくれ。
こんなブログを発見して、ああなるほど外からはそう見えるのか、と思ったわけで。
http://voya.hatenablog.com/entry/2016/09/22/110841
この人の捉え方は
「自分がプロデューサーという立場で担当アイドルと恋人(とははっきり言わないけれども、かなりそれに近いような)関係になる」という奴
だ。そして超解釈すると、そういった職権乱用的な邪な振る舞いを、オタクは無邪気に受け入れているように映るのだろう。
現実にそういった邪な現象が多発していることを知ってると尚更、度し難い設定だというわけだ。
オタクというものは得てして、虚構と現実を上手に混同して楽しむのが上手い。
それと同時に、現実のクソな部分、ドロドロした部分は冷徹に無視するのも上手い。
現実のドロドロした業界を背景とした大衆アイドルに興味もなければ、ゴシップのような下世話なネタも嫌う。
だからそもそも現実のアイドルとプロデューサーがうんぬんという話自体、あずかり知らぬオタクが多いのだろう。
耳に入ったとして、そういう世界と、自分たちの愛する作品世界は別モノだと受け止めるはずだ。
仮にその疑念を拭えなかったら、エロ同人誌のネタにでもするところだろう。
そしてコンテンツの側も、オタクの感性に沿ってキレイな世界を演出する。
オタクの間ではシモの部分を描いたアイドルものは成功しないという共通認識すらあるくらいだ。
アイマスは題材的に、業界要素に触れざるをえないコンテンツではあるが、
アニメなどで触れたとしても、上層部とのビジネス方針の対立だとかポエムバトルだとかで、
あくまで「美しい世界」の範疇だ。性的な堕落・腐敗を描いてリアリティを出そうとすることはない。
こっち方面のオタクが求めるのは、社会派な問題提起を含むアニメではなく、
他にも、「プロデューサーとアイドルの恋愛」を問題としない理由がある。
そもそもアイマス作品の主目的が「プロデューサーの立場でアイドルと親密に」というものではないからだ。
ファンの多くは、「プロデューサーの立場で担当と親密に」という要素を楽しみながらも、
あくまでその要素、展開は「お約束」として流しているように思える。
実際にコンテンツに触れていると、プロデューサーという役柄は、
職権を利用して擬似恋愛的な「俺嫁」欲求を正当化させるためというよりは、
なぜなら、ゲームの中核となるのは、アイドルといかにイチャイチャするかではなく、
アイドルをいかに育てる(プロデュースする)か、という部分にあるからだ。
アイドルが、他のアイドルたちと切磋琢磨し、時に仲良く、時にぶつかり合ううちに、
アイドル同士の関係性も深まり、人間としても成長し、それがライブという結果に表れる。
それを見て「やったな」とプロデューサーが声をかける、そういう世界観を骨子とするコンテンツだからだ。
まあ実際にプレイヤーがすることは雑務的な作業なのだが、ストーリーとしてはそう描かれる。
そうやってアイドルとして成長していく様を見てきたプロデューサーとしては、
そのアイドルを幸せにしたい、輝いてほしい、もっと良さを伝えたい、そう思うのは自然なことだ。
言ってしまえば仮想的な子煩悩だが、その欲求はプロデュース精神に通じるところがある。
そう考えれば同作がファンのことを「プロデューサー」と呼ぶ理由が分かると思う。
そうやってプレイヤーが「父性」に導かれてプレイをするうち、諸々の課金をするファンになる。
そして、その思いがちょくちょく何かしらの形で反映される――
何かの実装だとか、現実のライブパフォーマンスだとかの形で。そういう循環で成り立つ世界だ。
アイマスの世界にいる人間の感覚としては、アイドル同士のエピソードは言うまでもなく、
プロデューサーとの関係性についても一線は越えない清く正しく美しい世界を見ている感覚だ。
精々おまけ程度のボイスなどで、アイドルがプロデューサーを慕って妄想・妄言を呟くくらいで、
基本的にプロデューサー側からアプローチをしたりするものではない。
ギャルゲー的な選択肢による会話でアドバイス等することはあるけれども、
その辺りのバランス感覚は、経験者なら暗黙的に了解するところなのだが、
そうでない人は下世話な方向に強く推定してしまいがちな所かもしれない。
感動を誘う演出や表現として、キャラと演者がシンクロしているような言い方がされることはあるけれども、
ほとんどのファンは声優をキャラそのものとしては見ていないし、声優さん個人の個性も尊重している。
キャラを現実に降臨させるためのパフォーマーとしての立ち位置を望んでいる。
非アイドルもののアニラジでもそうであるように、本来の個性を抑えてキャラに寄り添わせるような空気は一切ない。
むしろ逆に、中の人要素がキャラに反映される、ということがあるくらいだ。
また、最近のヒットしたアイドル作品、デレマスやラブライブに関しては、
キャラの純粋さ・いい子ぶりとは対照的に、中の人たちは非常に芸人力が高い。
これは親しみが持ちやすいのと同時に、中の人はアイドル的な上品さを気にしなくてよくなる効果がある。
乱暴に言えば、キャラと同一視して恋するようなキモい人をふるいにかけられる、とも言える。
くだけた言動や女子らしからぬ振る舞いが許されるというか歓迎される風潮は、良い傾向ではないかと思う。
「声優はオタクの幻想を受け止める」という言い方を否定はしないが、
君の名は観たけどクソでした。
ところどころファンタジーやスピリチュアルなのは良いんですが、それ解決策に使ったりすると覚めまちゃいます。
コナン観てて何が重要な鍵になって解決に導くんだろう…とか真剣に思ってたら殺された被害者の霊がコナンの枕元に立って事件の概要をペラペラ話して解決して終わり的な展開だったら萎えますよね。
しかも他の人に話すと「薬で子供になるって時点でフィクションなんだからリアリティとか求めるなよ笑」とか「最初ほうのシーンで霊感あるって言ってたし、ネクストコナンズヒントでも伏線はってるよね?」とか言われるわけです。
設定有る無いとかじゃなくて、解決するための設定自体もしくは展開が強引すぎない?ってことなんですけどね。
それもこれも「もう途中の流れとか関係ねぇ!」って割りきらずに中途半端にキチンとしようとしてるからだと思うんですよ。
だから、おっ!どういう理屈で解決するんだ?って期待が生まれちゃうんです。
だからいっそドラゴンボールとかで解決しちゃったほうがいいと思います。
宮水家には代々伝わる6個、瀧くんが1個持ってて…「いでよ!神龍!」
ほらっ、もう解決じゃないですか。
ほどける組紐を龍に見立てちゃったりして、そして瀧という字の中の龍、彗星の名前のティアマトって神様ってゲームとかでは龍の姿だし、流れる彗星は願いを叶えた後のドラゴンボールが地球に散らばる様子にそっくりです。
ここまで考えてきてやはりと確信しましたが新海誠さんはドラゴンボールをやりたかったのですね。
田舎者の孫悟空と都会に住むブルマ、三葉と瀧と同じですがまさに男女が逆です。わかりやすいオマージュです。
さらにパイパイに固執する瀧からも読み取れます。明らかに亀仙人のオマージュですね。
三葉に入れ替わった瀧がパンパンして「タ、タマがねぇ…!チンも…」というシーンは直接は描写されず匂わす程度の上品な演出になっています。やはりこれもオマージュです。
わかりにくいですがフカフカキンタマクラオマージュには不覚にも笑ってしまいました。
これ以上はネタバレになるので言えませんが映画をわかる人が深読みするとほぼドラゴンボールと同じ言って差し支えない内容になっています。
やはりドラゴンボールは偉大ですよね。
あっ、かたわれ時なので本題とはあまり関係のないドラゴンボールの愛を語ってしまいました。君の名前はオマージュです。
君の なんの映画の話してたのか思い出せないのでこれで失礼します。手のひらに「ぱふぱふ」と書いてあるのでとりあえずおっぱいパブに行ってみようと思います。ありがとうございました。
都内の高校に通う女子高生でありながら、フランス料理の老舗『なんとかかんとか』の総料理長を務める、天才女子高生である。
先日行われた『フランス料理の世界一を決める大会』で日本代表として準優勝を飾り、一躍国内で有名になる。
彼女の作る料理が美味しいのはもちろん、その端正な顔立ち(美人っちゃあ美人だけど、それほど「綺麗!」と云うような感じではなく、なんか佇まいや雰囲気が上品)も人気に火をつけた一因だろう。
なので、マスコミは総じて彼女に飛びかかるのだが、バラエティどころか、普通のテレビのニュースにすら露出を嫌っており、料理関係の雑誌の取材にしか応じない徹底ぶり。
しかもその雑誌に写ってる写真の彼女は、笑顔がほとんどなく、どこかキツイ目をしており、それがさらに日本全国のマゾ野郎に火がついて、ネット上では「エリアンヌ」とかいうダサい愛称まで付く始末。
彼女の動く映像を取ろうと、高校から出る彼女にたかるマスコミを颯爽と無視するその姿に、全国のマゾヒストは更に発狂しファンアートや「エリアンヌ罵声bot」なんてものも出来てしまう状態。
ここでおいちゃん目が覚める。
断っておくが、初恋人ではない。というか自慢じゃないが、結構モテる。高校生くらいから女性関係が絶えたことはなかった。約30人の友人女性と性的関係を持って、その中から何人もの女性と交際した。婚約までいった女性もいたが、どうにも自分自身に納得がいかず、結婚までにいたらなかった女性もいた。
ただ、どの女性にも共通して、心の底から好きじゃ無い、という感情を持っていたことだ。すごく相手の女性には失礼な事は重々理解している。たいていの場合、飲み会やイベントなんかで盛り上がって、そのまま肉体関係を持ってしまうことがほとんどだった。その場のノリであって、毎回事が済んだ後に、「あーやってしまった」と後悔することが多かった。もちろん女性側は恋愛感情を持っていることがほとんどで、そのまま交際という流れになった。ただ、自分自身がそこまで強い恋愛感情を持っていないので、どうにも世の中の恋愛観とかけ離れていて、「俺は世の中の一般人とは恋愛に対する姿勢が違うんだろうな」とよく感じていた。「彼女が可愛くてたまらない」とか、「彼女が浮気なんて絶対に許せない!男友達と連絡!?ありえない」とかそういう感情は一切持ち合わせてなかった。もちろん、交際をしているわけなので、誕生日やデート、Lineなどちゃんとやったし、たぶん世の中の男性以上にしっかりやっていた。つまり理想的な男性像を演じきっていた。当然、交際中の女性にも好かれていた。
交際していて別れるのは、たいてい決まって同じ理由だった。本気じゃないことがうすうすバレて(バレて良いんだけども)、「あなたと一緒にいても、結婚できる気がしない」という理由がほぼ全てだった。大正解。こちらにも、その気はなかったのだ。ある意味、デキ婚を望んでいた。だって、色々決まって楽だなぁと思っていた。といっても、ある程度期間が積もると、情ができて、別れるときは結構寂しい気持ちにもなっていたのも正直なところなのだ。
数ヶ月前、同様の理由で交際していた女性と別れた。もちろんショックを受けたが、この女性もその場の勢いで交際がスタートした相手だった。結構楽しく過ごしたし、色々思い出も作った。
別れた事は悲しかったが、それはどちらかというと友人を失ったような喪失感だったと思う。
ちょうど女性関係が極めてクリアな状況になったので、自分が好きな女性にアタックしてみよう。という気持ちになった。
相手は、年が一回り下で、すごく可愛い。おしとやかで、すごく上品な人だった。周囲からの評価も抜群な女性である。その人とは共通の趣味で知り合って、こちらの活動領域にわざわざ遠いにもかかわらず1年以上来てくれていた。周囲にも「おまえがいるからあの子来てるんだよ」と吹聴されていたが、正直なところ「俺とは不釣り合い」だと思っていた。それぐらい素晴らしい女性だった。こんな女性と交際できたらいいなと思うことはあったが、前述の女性と交際していたために、その気持ちは胸の奥にしまっていた。
先月、連絡がきて二人で遊びに行くことになった。もちろん手も繋がないような観光をして軽く食事をして、そのまま普通に帰宅した。でも、その3日後にまた、軽く食事をすることになった。連絡を頻繁にとるようになって、先月だけで7回も遊びに行った。最後には、交際を申し込んでいた。すぐにOKされた。
その後自分自身に、信じられないような変化が起きた。猛烈に彼女のことが「好き」なのだ。不思議な感情だった。こんな年をとって、まるで小学生で初めて恋をしたかのような感情を再び体験するとは思わなかった。連絡がとりたいと思うけど、「連絡取ったら迷惑かなぁ」なんて思ったり、無性に会いたくなったり。それで、会いに行ったら向こうからも大喜びされて、その日帰宅するのが惜しくなったり。世の中の普通の「恋愛」をしている事に大きな喜びを感じている。
この感情がいつまで続くかわからないが、人生観が大きく変わったことは間違いない。こんなに素晴らしいものだとは知らなかった。最初から興味の無い女性と関係を持つべきじゃ無かったと思うけれども、もし昔からそうだったら今の女性と関係を持つことはできなかったと複雑な想いでもある。
いやー参っちゃうよね。君の隣にもいない?顔がベラボーに可愛くて、何となく色んなことが周りから許されてきた結果、とんでもないモンスターに育っちゃった女の子?
一言アドバイスしよう!「彼女たちに出会ったら、逃げるが勝ちだゾッ★」
自分大好きモラハラ女には、こっち側の理屈は通用しません。なぜなら彼女たちはあっち側の世界で生きてるから!
2.人あたりが良く、第一印象は◎!世渡りが上手でそれなりの社会的地位を得てる
3.でも仲良くなるとあれって思うことが増えてくる
•例えばお金を借りてもこっちから言うまで返さない(2万円貸したら半年返ってこなかったよ!言いにくかったけど勇気を出して返してっていってみたの。そしたら次に私の家で会った時に返してくれたよ!!やったね!返し方がまたすごいからちょっと聞いてよ!なんかの用事で台所にいた私の名前を彼女がリビングから呼ぶから、なんだろうと振り返ったら彼女が!私に!背を向けたまま!2万円を指で挟んでピラピラしながら!!「これー」だって!ありがとうって言えない病気かな?レストランでもこんな下品なお会計しいよね?)
•そう、物も金も返す時もありがとうを言わない(水着を一年超貸した上に、返す時に「持ってきたのえらいでしょー」って言われたよ★)
•みんなからのプレゼントを誰かにあげるとき何故か自分1人からのような顔をして渡す(普通さ、これみんなからとか言って渡すじゃん?たとえ言わなくても受け取った側が勘違いしてる様子見せたら、違うよ!これみんなから!とか言うよね?言わないんだよねー名指しでありがとうって言われておいおい完全に誤解してるよって状況下で、平然とした顔して黙ってんだよねー)
•誕生日プレゼントなど、プレゼントを貰っても自分は決して返さない(もう付け加えることはないよ...そのままの意味だよ...)
•自分が損になることは一切しない(彼女はしょっちゅう私の家に泊まりにくるくせに、自分はどんなに状況下で頼まれても一切人を家に泊めないよ〜!)
などなどだよ〜怖いね〜何が怖いって全部ひとつひとつはそんなに大したことじゃないでしょ?だから最初はうーん、気のせいかな?むしろこんなこと考えちゃう自分が悪いのかな?って思っちゃうんだよねー。
!!そんなことないよ!逃げて!これが重なったらそいつは完全に自分大好きモラハラモンスターだよ!泣
つまり、彼女たちの特徴は「与えてもらうことが当たり前だから人に何かを与えてもらったことに感謝もできないし、自分が与えることも出来ない」って所にあるんだねー!成る程!やべえやつじゃん!
そんなモンスターと私は15から28までだらだらとなんとなく連れあってきたよ★まぁ、変な所もあるけど昔からの友達だし、共通の友人達とつるんでワイワイすんのも楽しいし....
でも、妊娠したことをきっかけで気づいちゃったの!「私の時間は有限で貴重だ、夫と生まれてくる子供、そして親や親戚、心から大切な友達のために使いたい。こんなモンスター相手に浪費してる場合じゃねぇ!」
今まだあなたが学生だったりしたら、つるまないとやってけないってとこが学生生活にはあるから(特に女子には)モンスターから完全に逃げることは難しいかもしんない。でも例えば、2人では会わない、とか私あなたとそんな仲良くしたくないっていうのを上品に態度で伝えることが有用だと思うよ。
そしてすでに社会人のこんなモンスターが身近にいるあなた!今すぐ逃げましょー!笑
結局世間は自分の鏡だから、上手くやってるつもりでも、モンスターにはどっかでモンスター的人生が訪れると思うよ。なかなかハードな人生だけど、君が選んだ道だぜ。なんとか最後まで楽しんで生きろよ!
私はただモテたいだけだった。
灰色の中学時代、イベントで売り子して友達とも遊ばずにオフ会を重ね、学校にもまともに行かずにTwitter見てpixivみて溜めてたアニメを消化して、それはそれで充実していた。学校に行かない私は嫌いだったけどオタクをしてる私は好きだった。
エスカレーター式に高校に入り、大学という単語がちらついてからというもの、勉強することを覚えた。中学時代をひきこもりで過ごしてきた私は特にオタクでなく、休みがちな子というのが周りの印象で、高校に入ってからはほぼ皆勤の“普通”になった。
私の学校にはオタクが多く、オタクに優しい環境でむしろリア充と呼ばれるキラキラ系がラブライブを試しにやってみたりするような学校だったが、オタクがバレるのが怖くて何も知らないフリをした。
そんな私に転機が訪れたのが、ある1人の男友達にオタクだと打ち明けた時だった。彼はゴテゴテのオタクで周りからいじられるタイプで彼の好きな人というのは一瞬で広まるような、そんな人だった。その彼の好きな人というのが、私だった。
勿論振った。全然好きじゃなかったから。しかし、友達だとおもってた人からの好意は、戸惑いと微かな優越感を私に与えた。
それから私は全ての優先順位をモテに置き、過ごしてきた。隠れオタクというのは、魅力的らしく、「実は私も…」と打ち明ければ一瞬で仲良くなれた。非オタクにはそれがバレなければ良いだけの話だった。
結論から言うと比較的私はモテたし仲良しの男友達も格段に増えた。
モテるのは簡単だった。恋しやすい女になればいいだけ。話しすぎるほど男好きでなく、全く話さない陰キャでもなく上品に笑い、適度に目立ち、太らず、髪の毛を巻く。ちょうどいい女に私はなった。
しかし手にいれたものは上辺だけのLINEとInstagramだけだ。
ちょうどいい女になっても、好きな人にだけは告白されなかった。好きな人の友達に告白されて結果的に失恋した。
前みたいに自分を好きになれなくなった。勉強を頑張るのも西野カナを聞くのも私が、私でないようなもので、心をからにして、行う。