はてなキーワード: ヴィレとは
面白くない、というか酷い出来というのが正しいと思う。
シンジが着替えの服にトウジの名前を見つけて察するシーンも、崩壊した世界を見てパニックになったのはなんだったんだ?
カヲル君が「贖えない罪はない」と慰めるシーンの意味も変わってこない?カヲル君ひょっとして第三村の存在を知らなかったの?
知らないと結論するしかないんだけど、ゲンドウに次いで世界を理解してる感じのカヲル君が人間の生き残り(それもシンジの友人たち)の存在を知らないってある?
第三村での描写は「絶望のシンジを立ち直らせるには自然の中で1時間くらい使えば納得するでしょ。」という演出の都合みたいなものしか感じられなかった。
黒綾波が死んだ時も「ああ死亡フラグ積み重ねてたから回収ね」って感情が動かなかった。
同じ1時間を使うなら、もっとシンジの内面を描いてほしかった。
第三村も生き残りも無しにして、3人が壊滅した街をずっと何日も移動する話にして良かった。
シンジが生きる気力は無いけど飢えでレーションに自分から手を出して「死にたいけど生きようとしてしまう」って流れで似たようなこと出来たと思う。
黒綾波の死がピンとこないのは一緒に過ごした時間が少ないからで、3人で寝食を共にするというエピソードがあったら心に響いたのではと思う。
シンエヴァは全編通してラストから逆算して作ってるからキャラの心情描写とか展開に粗が多い。
「エヴァを完結させるにはこうするしかない」って意図や計算が見える演出ばかりだった。
アスカがケンスケと付き合ってるという話も納得するところはあるけど、それより「制作の都合でそういうことにされてしまった」感がある。
最後のシンジとマリは「こうするしかないよね」と言われたら、はいそうですねと返すしかない。
最終決戦前に銃で撃たれるシンジとかばうミサトさんという下りは何のために?と思った。そもそもピンク髪のクルーはQでは「自己中な最近の若者」
って描かれ方だったのがシンで急に「家族のかたき!」って殺意向けるのが唐突に感じる。
トウジをニアサーで死んだことにして、桜に銃持たせて「命の恩人であると同時に兄のかたき」みたいにしたほうがすっきりしない?
シンジがエヴァに乗るための禊の儀式なんだろうけどそもそも必要ないと思う。
というかピンク髪の「超ヤバー」とか若者言葉のセリフもそうなんだけど、序破Qシン通して何?この世界観から浮ついたセリフって感じるのが多かった。
マヤの「これだから若い男は」もあとで回収するためだけのセリフだったし。しかも特に感動しない。
ぽかぽかって言う綾波もバズりたい!名台詞にしたい!って意図しか感じなかった。
アスカが「バカシンジ」「コネメガネ」とかマリが「姫」「ワンコくん」って呼び方も軽くイライラしてた。
ここぞ!ってときに本名で呼ぶだめの前フリなんだけどしつこい。
後半、ミサトさんの特攻はなんか変だと感じた。「これから特攻するので、総員退避だけど艦長だけ残ります」って事前アナウンスだとこれから死にます自殺します感が大きい。
「総員退避しました→あいつが居ない!→まさか…!?」みたいな流れが鉄板だけど効果的じゃなかったのか。
ゲンドウとの戦いで背景が撮影所になるシーンでぞっとした。そういう演出はTV後半があって旧劇もしつこいくらい精神内面描写があったから良かった。
新劇の演出でやると酷い違和感しか感じない。なんかどこかのタイミングでシンジが客席に向かって「映画を見てるみなさん!僕に力を貸してください!」
とか言いそうで怖かった。
シン詰まんなかったって書くと「じゃあどんなのが良かったんだよ」って返されるけどそれは俺の仕事じゃない、と思いつつ考えると、神様が出てくる話でよかったのでは。
エヴァ考察では使徒と人間を作った神的な存在があると指摘してるものもあったので、最初はネルフVSヴィレだったのが、人類VS神という展開になるって話。
ゲンドウとシンジの関係は共闘を通して修復される。Qで出てきた新クルーも活躍できる。というかそのためにあんなキャラ増やしたのでは。
最終決戦で話が全宇宙、全銀河レベルになって視聴者置いてけぼりなのはグレンラガンでもトップでもアベノ橋でも旧ガイナックスの18番だし。
シンは公開日初日に見て酷いという感想だったんだけど、今のところ評価する感想が多くて居心地が悪かった。これだけ書けて満足でした。
Qのときは、ヴンダーは超自然的な力を使ってるからゼロコストで運用できていて、
クルーは有志のボランティアだと解釈すれば、ギリギリボランティアの反乱軍と納得できたんだけど
シンではヴィレの下部組織が大規模な難民支援まで行ってることが判明した。
食糧支援だけでなく、自動手術機械みたいな精密機器まで支援していることから、
テレビシリーズや序、破では予算に関するセリフ(零号機修復の補正予算を承認するようゲンドウがゼーレに依頼する等)もあったので、
こういうところが余計気になるんだよな。
冬月「よく考えたら、ゲンドウのやつなんで重度のコミュ障なのにゼーレの面々をたぶらかしてこんな大それた計画実行できてるの?」
冬月「よく考えたら、ゲンドウのやつやりたいことをいうのはいいけど自分で全然動いてなくね?」
冬月「よく考えたら、ほとんどワシだけでやってね?あいつゼーレの始末とか美味しいところだけ持っていきすぎだろ」
冬月「よく考えたら、ヴィレとかいうヴンダー乗っ取った連中、あれだけ雁首揃えてワシ一人で指揮してるやつらに負けてるとか弱すぎるんだけどマジで!艦隊戦ってそういうゲームじゃねえからこれ!」
冬月「よく考えたら、なんで黒い月周辺のやつら全部わしの思い通りに動いてんの?」
冬月「よく考えたら、マイナス宇宙とかアディショナルインパクトって何それ?」
冬月「よく考えたら、わしユイくんのこと好きだけどゲンドウのこと好きじゃ無くね?」
冬月「ユイクン……ケテ・・・タスケテ……」
他の人の感想読んだりもした。
大前提として。
作家性が出るのはアニメだけじゃなく、絵画や音楽、小説、家具、庭、すべての創作物に当てはまることを声を大にして言っておきたい。
エヴァシリーズでこれほど考察や感想に「庵野」という男が出てくるのはその作家性の強さがとても強いからだ。彼が手掛けてきた作品の中でも、エヴァシリーズはより強く反映された作品だからだ。
作家性の強さは作品作りの良し悪しには特に影響を受けず、受け取り側の好みの問題であることを前提としたい。
・冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン」良かった。欲しいシーン全部乗ってた。
・トウジは死んだと思い込んでたので出てきた時びっくりした。
・「委員長や。」あら^〜
・限られた食料、自給自足していかないといけないような村で外部から来た人達を嫌わないの凄いな。
・ヨモコさんの絵本出てきてフフフてなった。
・アヤナミが目の前で消えても一人できちんと、自分の足で立ち続けたシンジくん。
・「もう一度エヴァに乗る。」
・↑もう一度作品を作って終わらせる庵野を彷彿とさせる。良い。
・「ここに居てもええんやで?」「僕は行くよ」
・所謂、イマドキデザインのミサトさん。(前髪が1房顔の真ん中に伸びてる)
・みんなはアクション、戦闘の絵作り最悪って言ってたけどそうかな…
・大量のインフィニティ。レンダリングどれくらいかかるんだろう…。圧倒的な数で不気味演出最高。
・脳みそ拾っとる。撃たれても死なないのにわざわざ拾っとる…。
・目が無い。不気味さと何かから目を背ける(直視できない、したくないみたいなニュアンス。)デザインとしては最高の出来。ブラボー。
・ゲンドウはネブカドネザルの鍵でアニメの人類補完計画、旧劇の人類補完計画を認知した。所謂ループもの。
・ミドリちゃんサクラちゃんブチギレ。ミサトさん撃たれて負傷する。
・シンジくんはこれから父親と向き合うのでまだ心身共に子供。大人として責任を取る姿勢のミサトさん。
・ゲンドウ、エヴァ(13号機)に乗れたのが嬉しすぎて量子テレポート(^ω^ ≡ ^ω^)
・マリ、冬月と再開。漫画版と同じ設定でエヴァの呪縛を受けた冬月研究室の一人。
・イスカリオテのマリア。研究室を裏切った、クローン技術の発端者。
・初号機から綾波。14年間、シンジがエヴァに乗らなくても良いようにそこにいた。
・先のシーン、アスカがマリに髪を切ってもらっているシーンと対比。
・人である証拠に髪は伸びていく。綾波は髪がモサモサに。かわいい…。何故か勝手に、綾波はクローンだから髪は伸びないと思い込んでいた。
・アスカもクローンだった。迎え撃つのはオリジナルのアスカ。(アニメ版?)
・ヴィレの槍を作るためにリツコに無茶振りをするミサトさん。さらに作業員へ無茶振りするリツコさん。怖い組織だ…。
・ヴィレをマイナス宇宙に突っ込ませる。ミサトさんはヘアゴムを解いて以前のヘアデザインに。
・人と目を合わせないようにかけていたゴーグルを外して、髪型を戻し、まっすぐ前を見るミサトさん。原点回帰。良い。
・槍でやり合う碇親子。
・モーションキャプチャ登場。初号機と13号機がヌルヌル動く。違和感あるけど人造人間なのでこんな動きしててもおかしくないよな…と思う。
・メタ的な現実とエヴァの背景を行き来しながら決着をつけようとする親子。このあたりから庵野からのメッセージがより強くなる。
・メタ的な現実の意味でもエヴァの世界観でも、エヴァンゲリオンを終わらせようと躍起になるシンジ(庵野)。
・個人的メモ(鬱々としてる時って実は気持ちがいい。居心地が良い。)
・大人になろうとするシンジを見てやり合うのをやめて対話する。
・自らの非を認めることで初号機に取り込まれていたユイとゲンドウが再開。
・乗っていた電車から降りる。庵野監督作品の電車って演出的に結構特殊。
・カオルくんがリアリティーで立ち直ったんだねと悟る。
・個人的メモ(立ち直ったと言うのは簡単でも実際根っから立ちなおるのは結構大変。)
・旧劇のラストシーンに出てくる海辺でアスカが横たわる。あの背景見たときヒュッってなった
・エヴァの呪縛から開放されて28歳。ちょっと色っぽくなる。好き。めっちゃ好き。
・好きだったことを告白される。キモチワルイとか言わなくて良かった…ほんと良かった…。
・一足先に精神的に大人になっていたアスカ。シンジのことは好きだったけど、ムカつくし嫌いになったしキモチワルイ。その間にケンスケが良いパートナーとしてアスカを支えた。
・自己愛のメタファー的存在カオルくんも還る。アァーーーッ司令服似合ってる似合ってる似合ってるありがとーーーーーー!!
・初号機で槍を自身に貫く時、ユイと再開。初めてユイと目が合う。
・Qまで、シンジくんはあまり人と目を合わせなかった。Qは合わせようと思ってもみんな目を合わせてくれなかった(ミサトさんのゴーグル然り)。シンは立ち直ってから色々なものと目を合わせた。
・アニメゲンドウは人と関わりたくないのでサングラスをして視線を反らしていた。シンでは現実逃避の末人間を辞めてしまったので目がなくなっていた。マジで最高のデザイン。
・エヴァは過去のものになった訳ではなく、イマジナリになったっぽい。無かったこと?
・なので海が青くなる。
・迎えに来たマリはシンジと共にマイナス宇宙から帰る。アスカは海辺で大人になってたけどマリはまだっぽい?
・また電車。実際、演出の話で言うと電車はすごく便利だし、思入れのある監督はとても多い。電車演出はどんな使われ方されていても私はかなり好きな演出方法だと思う。
・まさかの神木隆之介くんが大人シンジ。良かった。違和感ない。
・DSSチョーカーを外されて、本当にエヴァとはさようなら。DSSチョーカーは案外あっけなく外れる。
・シンジの手を引くマリ。マリは信じの匂いをいい匂いと感じていたのでシンジとすぐ打ち解けられた。
・個人的メモ(フェロモンに関係する。いい匂いだと感じる人の事を好きになる。)
・宇部新川駅。庵野監督のお地元。現実を駆けていくふたり。庵野監督とヨモコ先生。
思っていたよりゲンドウが喋ってくれて、ゲンドウはユイと共に居れて、シンジは現実でマリと共に過ごしていく。これ以上無いくらいきれいに終わった。すごく良かった。
あとエヴァの完結を(心のどこかで)待っていた私達。
シン・エヴァンゲリオンのタイトルに反復記号がついていて庵野監督的には誰かにやってほしかったんじゃないかと笑ってはいる。
委員長の「さようならはまた会うためのおまじない」っていうのは個人的にあまりキャラクター的にしっくり来なくてメタ的な信用はしてない(苦笑)
良いなーーーーー自分の苦境をこんなクソデカ作品にできるのはすごく羨ましい。
ヨモコ先生が庵野監督に付き添って尽力した結果も、それまでに培ってきた庵野監督の人望や行ないだからこそでしょ。
私はこの二人が大好きなので、見ず知らずの人が作り出した理解のある彼くんなんていい方絶対出来ない。
怒ってる。
最後に。
学生時代、アニメ・漫画や映画などで演出を教えてくださったぬまた先生に感謝します。
いやー、なんかすげえ映画だな~と思いました(こなみ
知っている情報はシンジとかアスカとかの主要人物の名前と使徒ってやつが人類を滅ぼしにくるんで何とかするみたいな雑なあらすじぐらいの情報、テレビシリーズ、旧劇場版未観賞、新劇場版はテレビやっていたのを少し見たぐらいで観賞。
なんかヴィレ?の人たち空気悪そうだなあ、アスカってやつシンジ君に当たりきついなあ、んなこといったってしょうがねえだろ、シンジ君死なせてえなら早くてめえで殺せや、なんて思いながらの序盤。
専門用語が多くて分からん!けどシンジ君前半より顔がシャキっとしてきたなあの中盤
なんかよくわからねえけど人類のピンチやべえ、みんなかましたれや!の後半、あ、そういう締めなの!の終盤となんやかんや楽しめました。砂の器やバキを思い出すシーンもあったりして面白かったです。
まあ、小学生みてえな感想しか出てません。ていうか出ません。これを読んでいる方でシリーズ見たことないけどこれから見ようって人がいましたら言っておきます。
まじで予習必要なやつです。シリーズ25年の積もり積もったものがあるんで作品に浸るのにそれなりの予習が必要なやつです。盛り上がるシーンもあるし、楽しめたけどいきなり見ると情報量の多さに訳分からんくなるし、しっかり作品の味噛み締めたいなら事前情報しっかり集めて観賞した方がもっと楽しめるかと思います。
もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。
見終わった感想は、「本当に終わった」だった。
すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。
それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。
きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画を象徴しているといっても良い部分。
復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。
忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。
だから、題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。
そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけもの」ときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。
NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。
冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレは侵略する側。
派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。
直接の描写が牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。
トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車のメンテはできない」。
食事は配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。
綾波型初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。
そしてそこにいるのは老婆が中心。
若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。
銭湯や図書館も牧歌的ではあるが、つまりは個別の風呂や嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。
でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から)
でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。
たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。
第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。
ひどい経験をしたシンジが家出をして、ケンスケとキャンプする。
TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分の意志では電車に乗らなかったと言う流れ。
ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。
「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。
今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。
あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。
あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。
で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリしたから家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。
その後の、ケンスケとの見回りと治水の管理で「基幹産業たる農作業を免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。
村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。
プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。
その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験に従事しているというのも、良かった。
ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。
あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。
シンジに好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。
シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。
最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分でレーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。
自分で食い、自分で泣き、自分で時間をかけて、最後に無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。
アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。
で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉や綾波型初期ロットとのやりとりでカバーされてる。
TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感の一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで。
落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。
時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。
でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。
親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存の価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。
で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。
それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。
アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリもアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。
シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。
あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリがアスカに言ってなかった?
そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。
シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから、綾波型初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。
たしかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失を経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。
あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手のパーソナルスペース内に入ってんだよね。
破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。
アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだって問いかける。
古今東西の書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのは、イメージとしては「魔女」だよな。
アスカが死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、
わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。
そういや、エヴァで誰を殺せば世界が平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。
Q以降、ほぼ単独で組織的な攻撃に対応してるのとか、そもそもの研究室の件と言い、このオッサンが元凶だろう。
舞台を整えるの全部やり切ってるしな。
セカンドの海の浄化、サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい。
あとゲンドウがきっちり葛城大佐、赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。
ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。
自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初の相手がミサトさんなのは結構グッと来た。
アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。
ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。
きっちり旧劇っぽく親子喧嘩をメタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。
よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。
息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。
聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。
やるべきことを完全にやり切って、マリの必要なものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生。
やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。
ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。
ゲンドウが大人の理解力と表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。
「ユイと出会い、楽しかった、ユイだけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリがちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える。
あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。
新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。
ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。
最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、
繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。
狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション。
旧劇の場所でアスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー
カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置にカヲルくんが居るんだよね。
シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー
加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。
時間も世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。
時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。
たしか、マリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。
てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。
あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力が大人で成長したなあと。
それを、アニメーションのセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。
マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、
いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間で時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。
そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。
最後、シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。
というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。
ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。
ああ、エヴァンゲリオンのアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。
一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。
この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。
鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。
加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。
シンエヴァ、めちゃくちゃちゃんと終わるアニメだったのでTVシリーズと旧劇の救いの少ない終わり方が好きだった十代の自分だったらめちゃくちゃ怒ったのではないか、という気がする。
旧劇のコピーの「だから みんな、死んでしまえばいいのに」というのは映画の内容にすごく合っていたと思ってて、今回はそういう、やさぐれたり自分に酔ったりする感じが全体にすごく少なく感じた。
Q~シン序盤だって普通あんなん誰だってへこむだろ、という感じで、「あんた観てるとイライラすんのよ」成分が足りないと感じた。
テレビで24話丹念にちょっと上がっては落ちてを繰り返して溜まった鬱屈みたいなものが映画は全体にない感じで、だからドラマの構造としても旧劇でやったような補完計画、というふうにいくのは無理があったんだろうなと思った。
いま気になって時間を調べたら映画は4作トータルで462分でテレビでいうとだいたい20話分の時間があるということになり、別に描写する時間が足りないのではなくて、志向する物語の方向の問題なのだな、と思う。
で、それはどうしてこうなったんだろうな、と思うと、割とみんな書いてる安野モヨコの影響はめちゃくちゃあると思うし(ヴィレの皆さんの描写とか働きマンみたいでしたもの)、旧エヴァチーム以外の人が増えてて、描写や設定の作り込みをちゃんとチームでやってるんじゃないかなと思ったんだけど、そういうのも関係ある気がする(変な単語の並べ方や心理世界の描写、旧劇の引用がやや過剰で、なんとなく庵野がやりたくてやってるというよりは周りのひとたちが旧劇等の感じを継承して発展させようとしてるんじゃないかな、と思ったりした。根拠ないけど。
あと、受け手側も当時のファンの感じと全然違うというのは関係あると思う。
当時のファンは全体的に抑圧を受けている意識は強めだった気がしてて、そのへんがシンジの受けてる抑圧に共感をしてるみたいのがあったと思うんだけど、旧来のファンも年をとり、新規のファンは当時のオタクほどはつらい人生を送ってない(と思われる)、という中で
そういう自傷みたいなことを主人公にさせても共感されないだろ、という風にファン側としても思うし、作り手側にもそういう相手の変化みたいなことは意識されてたんじゃないかな、と思った。
(あと、震災以降の状況下で「だから、みんな死んじゃえ」という主人公普通に厳しいだろ、とかそういうのもあると思う)
自分はなんもわからん子供がひたすら理不尽を受けながら人類のために戦う異常事態で普通にしんどいしうまくいくわけない、と思ってしまうので鬱屈して破綻してしまうほうに気持ちは寄ってしまうのだけど現代の娯楽大作としては厳しいし、今回、いろいろ自己模倣みたいなとこもありつつきっちり振り返らせて本当にきれいに着地したのはめちゃくちゃに偉いと思った。
とはいえ、自分が旧劇の好きだったポイントとして、ぜんぜん大団円感のない終わり方がめちゃくちゃ好きで、「こういう終わり方ってしてもいいんだ!」ってすごい感動したので、今回、めちゃくちゃきれいな着地を見せられたとき「めちゃくちゃきれいな着地ですね」以上の感想があまり出てこない、という気持ちもある。
たぶん次に時間とれたら旧劇もっかい観るし、そしたらその後映画館いけるときにまたシン・エヴァンゲリオン観に行くので、あんまりさようならしないのだけど、観れてよかったです。サンキューエヴァンゲリオン
Yahoo! 映画の評価は4.32点で、お役立ち度の高い感想は概ね5点満点。概ね好評のようだが、ぼくはあまり楽しめなかった。ここ数日、このことをずっと考えていて、気持ちを整理するために書くことにした。
エヴァンゲリオンは、使徒という人知を超えた存在との、生き残りをかけた戦いがテーマだと思っていた。生き残りのためにエヴァという力にも手を出し、本当にギリギリのところで危うく戦っていく物語だと、少なくとも新劇場版の序と破までは認識し、そこに魅力を感じていた。
登場人物の内面を丁寧に描きつつ、ときに人類存続の危機を前に、個人の思いが非情に潰されてしまう。破で3号機に閉じ込められたアスカを守ろうとするシンジや、使徒殲滅のためにダミーシステムを使う判断をするゲンドウの行動、そしてその後のシンジの怒りなど、そのあたりはとても心に響いた記憶がある。
しかし、Qから雲行きが怪しくなってくる。使途との生存をかけた戦いというテーマは影を潜め、人類のために戦っていたはずのシンジは、逆に人類を滅ぼしかけた張本人になってしまう。そして戦いは使徒対人間ではなく、ネルフ対ヴィレ、つまり人間同士の争いになっている。シンジとアスカがエヴァで戦う羽目になるが、そこには使徒との戦いにあったような心に響く要素はなかった。
Qで共感できたのは、「何でこんなことになったのか、ちっとも分からない」と叫ぶシンジの声だけだった。
あれだけ切羽詰まっていた使徒との戦いはどうなったのか。勝ったのか負けたのか。結局人類を滅ぼしたのは使徒ではなくシンジだったということなのか。それなら、あの序と破で描かれた必死の戦いはなんだったのか。生き物がほとんど消滅した地球で、ゲンドウは今更何をしようとしているのか。Qを観たあとは疑問ばかりが残り、釈然としなかった。
ぼくは結局、「破の予告の続き」をQで観たかったのだと思う。しかし、それはQには描かれていなかった。
そしてシン・エヴァンゲリオン。そこに描かれていたのはQの続きであり、TV版と旧劇場版の再構築だった。終わらせ方としては、本当にきっちりしっかり終わらせたと思う。しかし淡い期待は裏切られ、「破の予告の続き」は描かれなかった。
ぼくは使徒とのギリギリ、ボロボロの戦い、多大な犠牲を払う戦いのなかで、最後の最後で使徒に勝利し、やっとのことで人類の存続を勝ち取るという展開を観たかった。しかし、描かれていたのはシンジの救済、そして主要登場人物の救済であり、戦いはある意味で添え物のようなものだった。
ひとつ言いたいのはゲンドウ。あいつはどうしようもない。ネルフの長であるゲンドウは、死んだ(消滅した)嫁さんに再会するためにヴィレと敵対し、ラスボスをやっていたのか? エヴァを使った謎の儀式は嫁さんに会うためにやった? 人類が滅ぶかどうかという状況で、それはあまりにも話が小さすぎる。共感できない。そんなことだから部下が離反するんだよ!
最後のほうの劇中劇のような演出、登場人物の内面語りと救済の展開は、やっぱりエヴァならこうなるよねと思ったし、救われていく人たちを観るのは悪くなかった。でも、シンジ以外は軒並み非業の死を遂げて、最後にやっとのことで使徒に勝ち、使徒が襲来しない世界が実現するという話も、やっぱり観たかった。
エヴァンゲリオン新劇場版は、Q以降、方向性が大きく変容しているように感じる。変容する前の新劇場版に魅力を感じていた身としては、シン・エヴァンゲリオンは不満の残る内容だった。
もちろんこれは、ぼくの「チラシの裏」であり、ほかの方の感想を否定するものではありません。気に障るようなところがあったら許してください。
「行け!シンジくん!」って言ってニアサー起こしたのミサトやん!って言うQのモヤモヤも解決したし、
ヴンダーとか何であんな兵器持ってるんやって理由も分かったし、
なんでヴィレ側の人たちの結束が強いのかも加持というキーパーソンがいたことで理解できたし、
ヴィレみたいに人類存続のために頑張ってくれてる人がいたらそら第三村も結束強くなるだろうし、
第三村が長閑なのも最終決戦がもうすぐあることを知っていてある程度覚悟を決めていたからだろうし、
恋愛はタイミングだからまだガキのまんまだったシンジがアスカに選ばれるはずないし、
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 96 | 15276 | 159.1 | 58 |
01 | 39 | 3736 | 95.8 | 42 |
02 | 22 | 1901 | 86.4 | 42 |
03 | 7 | 1031 | 147.3 | 98 |
04 | 18 | 3273 | 181.8 | 110 |
05 | 8 | 992 | 124.0 | 93 |
06 | 19 | 2091 | 110.1 | 54 |
07 | 34 | 4835 | 142.2 | 40 |
08 | 54 | 9200 | 170.4 | 64 |
09 | 157 | 20941 | 133.4 | 51 |
10 | 148 | 12629 | 85.3 | 41 |
11 | 144 | 17796 | 123.6 | 54 |
12 | 178 | 17407 | 97.8 | 36 |
13 | 129 | 11143 | 86.4 | 44 |
14 | 111 | 15293 | 137.8 | 58 |
15 | 149 | 24124 | 161.9 | 53 |
16 | 212 | 15955 | 75.3 | 44 |
17 | 92 | 10400 | 113.0 | 78 |
18 | 97 | 12489 | 128.8 | 54 |
19 | 122 | 11668 | 95.6 | 54.5 |
20 | 105 | 12206 | 116.2 | 52 |
21 | 156 | 17702 | 113.5 | 54.5 |
22 | 119 | 19896 | 167.2 | 58 |
23 | 69 | 9325 | 135.1 | 66 |
1日 | 2285 | 271309 | 118.7 | 51 |
槓(17), 大明(13), メーガン(5), ニアサー(5), ヴィレ(7), 他家(8), seconds(4), ヴンダー(3), ケンスケ(8), モヨコ(10), チョーカー(3), エヴァ(126), ネタバレ(34), 有料化(10), 成熟(12), 考察(28), ウマ娘(13), 麻雀(14), 劇場版(10), 監督(19), ラスト(10), 映画館(15), Q(17), 点数(8), 産ま(12), 法学部(10), 誘わ(10), 物語(23), シーン(23), 救わ(15), 生理(15), メッセージ(14), 嫁(21), 大人(52), 描写(16), セリフ(10), ムカ(12)
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シン・エヴァンゲリオンは私にとって完璧なエンディングだった。
言うべき人が言うべきセリフを言い切って、みんなが解放されたと思う。ただ一人を除いて。
女子校に通いアニオタ声優オタ腐女子として目覚め、それらを順調にこじらせていた真っただ中だった。
そりゃドはまりするわ。謎めいた舞台装置は厨二病をこじらせた根暗な女子にはドストライクだった。
はまって、はまって、毎週ダッシュで学校から帰ってきて、18時だったか18時半だったか、録画もしつつ必ずリアタイしていた。
(今思えばウテナと前後した放映で、よくよく当時のテレビ東京の夕方アニメ枠は頭おかしかった)
前半は惰性で見ているところもあったが、物語が進むにつれてのめりこむようになった。放映時のことは今もよく覚えている。
MAGIにハックしかける使徒とその迎撃は、PCなんて持っていなかった私にこんぴゅーたーかっこええ!と思わせるに十分だった。
バルディエルのぐっちゃーのシーンが放映された日、夕飯は焼肉でさすがにちょっときつかった。
ミサトさんと加持さんの例のシーンはぴったり夕食時で(夕食時に食卓で親の前でエヴァ見るなよ、と今なら思う)、
母親から冷たい声で「あんた、いつもこんなん見てるの?」と言われたトラウマは今も忘れない。あれが私の冷や汗デビュー。
高校の声楽の授業でヘンデルのメサイヤ歌った時は22話のアスカのことを思い出して最高に興奮した。
でも私がひそかに熱狂していたのは、個性の強いメインキャラやストーリーそのものではなく、オペレータの日向マコトの存在だった。
上記イロウルによるMAGIハックの回ではやや出番は多かったが、基本的にセリフも少ない。
マヤちゃんほどキャラが立っているわけでもなく、人柄を掘り下げられることもない。
(が、ロン毛の青葉シゲルよりはやや目立つあたりがまたいい)
そんな彼に一瞬強いスポットライトが当たったのは、24話。いわゆるカヲル君の回。
カヲル君がセントラルドグマに降下していき、管制室に緊張が走る中で当初のプランどおり自爆を考えるミサトとのやりとり。
ーーーーー
ミサト:初号機の信号が消えて、もう一度変化があったときは・・・
マコト:分かってます。その時はここを自爆させるんですね。サードインパクトが起こされるよりはマシですから。
ミサト:すまないわね。
ーーーーー
日向くんはミサトが好きで、そのためなら死んでも構わないと、すこし掠れた声で決意を伝える。
が、そもそもミサトは加持さんと付き合っているのはネルフ内でも自明で、つまり日向くんの恋は叶わないことが前提だった。
劇中で恋心はちょいちょい漏れていたが(そしてEOEで彼のLCL化を導く使者はミサトの姿をしていた)、明確に伝えたのはこの時だけで、
盛り上がるストーリーと逆に一瞬だけ静寂が訪れるこのシーンが、ミサトと加持さんの例の直接的なシーンよりも大人の世界に見えて、
14歳のあの時から今に至るまで消えない記憶として残っている。
私は報われぬ恋をしている日向くんに、ミサトではなく正面を向いてひとりごとのようにそっと告白する彼に、恋をしたのだ。
そんな日向くんは新劇でも登場はしたものの、TV版や旧劇で見せたミサトへの恋心を表に出すことはせず、
新劇だからあの片思い設定もなくなったのか、ま、尺の問題もあるだろうししゃーないな、と思いつつ見ていたところの、今回のシン・エヴァンゲリオンだ。
物語終盤で特攻するためにヴンダーに残るミサト。彼女を一人残して脱出ポッドに乗るクルーたちが映る。画面右に日向くんもいた。
そのシーンで残ったミサトを思い、自分も残る、と言ったのは、日向くんではなくQから登場した新キャラの長門っちだった。
いやいやいやいやいやいや、ちがうだろ、いや、ちがうだろ。そこは日向くんでしょう。そのセリフを言うなら日向くんでしょう。
画面にいるじゃん、長門っちの右にいるじゃない。いや、長門っちも思わぬ感じでいいけど、
でもそこに日向くんがいるのよ、なぜ彼がそのセリフを言わないの?
いや、新劇はTV版とも旧劇とも関係ないから、この世界線なら日向くんはミサトのこと好きじゃないしそんなセリフ言わない、ってことかよと一旦は自分を納得させた。
が、その後私を待ち受けていたのはTV版も旧劇も貞本漫画版すらもすべて包含した、完全なるエンディング。
繋がってるのかよ!!!!TV版と!!!!旧劇と!!!!!お帰り惣流の方のアスカちゃん!!!!
だったら日向くんの恋心はどこいったの?なぜ、彼にこそミサトのもとに残りたいというセリフを言わせてくれなかったの?
日向くんはね、ミサトが加持さんとの間に子供生もうがなにしようが、もうそういうのに左右されないんですよ。
そんなことはとっくに受け入れて覚悟して、仕事に生きるミサトを部下として支えていこうって決めて、ネルフからヴィレまでずっとついてきているんですよ。
彼女も作らず結婚もせず、日々仕事(というには壮大だな)に忙殺されながらも、ずっとそっとミサトを見守ってきたんですよ。
あのバイザーをつけて髪形を変えて自分を捨てて頑なに艦長として生きざるを得なかった14年間のミサトにずっと寄り添ってきたんですよ。
加持さんが死んでミサトは一人になったけど、そこに付け入るとかじゃなくてただそっと寄り添ってきたんですよ、メイ見たもん!!!
もうおっさんになってプラグスーツ着るの恥ずかしいだろうに、がんばって着ちゃうくらい覚悟決まっているんですよ。
(完全に余談だけど予告編でプラグスーツ着るシーン見て鼻血出たよね)
なのに最後の最後にすら、日向くんに思いを語らせてあげないなんて。そのシーンが無いならともかくあるのに!なんで!
見終わった後、エヴァがこんなに見事に完結した余韻と、その中で唯一成仏しなかった日向くんの恋心を思い、私は虚脱状態になった。
そしてこのエントリーを書くことでやるせなさを供養しようと思っていたのだが、はたと気づいた。
叶わぬ恋だからかもしれないけど、決して自分の気持ちを押し付けることはなかった。
だから今回、ミサトの意思を尊重して脱出することこそが、彼の愛をそっと示す行為だったのではないか。
一緒にいたいとかそういう意思表明をするなんて表層的なことではなく、もっと深い部分で愛しているからこそ何も言わず、指示に従い下船したのではないか。
14年前からこの時までの長い時が、彼の恋を愛に変え、その最終的な結実があのシーンだったのではないか。
「日向くんが何も言わない」というシーンを見せるために、敢えて他のキャラにセリフを言わせたのではないか。
日向くんの恋心は消えてなんかいなくて、ちゃんと成就したんだ。
私が好きだった、他の人を好きな日向くんは、ちゃんといたんだ。
公開から三日、はてぶ見てるだけでも様々な感想が、アニメカテゴリからはみ出すぐらい飛び交っていて楽しく読ませてもらっている。
だけど、一つだけ誰もあまり気にしていないように見えて自分にはどうしても納得できない点がある。
それはシンジの復活具合、というか変貌ぶりだ。
冒頭からかつてないほどの壊れっぷりだった彼が、チョーカーを見ただけでロッパーしてしまう状態だった彼が、ゆっくりと第三村の生活の中で回復していく話なのはもちろん分かる。
だが、そのあとヴィレの面々の信頼を勝ち取り、初号機に乗りゲンドウと対峙し、各登場人物を救う碇シンジの変貌ぶりは、ちょっと心の傷が回復したなどという生易しいものではない。復活しすぎて別人格になってませんか?
少なくとも自分はかつて見たことがない碇シンジだ。とんでもない極限状態の中、落ち込むこともなく激昂することもなく自らの考えを伝え、どこまでも冷静に他人を思いやって適切な判断を下していく。
圧倒的に大人だ。控えめに言って悟ってる。これじゃまるで別人だろ。これは別人です。ストーリーとしてつながっていないのだ。いくら作劇の都合だからといってやりすぎだ。
そうぶつくさ思いながらインフィニティの如くホッテントリを埋め尽くしたエヴァの感想群を徘徊していて、突然気がついた。
日本?の物語の様式美としてひとつだけ、男子が一生のうち一回だけ、一日いや一瞬で全人格を換装できる儀式が存在することを。
やりやがった。
それともアスカとマリの寄り道のときか?どっちだよ?まさか両方か同時にか犬畜生!
劇中ではっきりと描写されていないのが悔やまれるが間違いない。庵野に聞いてみろ。あの手のアニメ主人公が人格変異を起こす理由はそれ以外にないのだから。
ユイ(故人)がーとか人類補完計画がーとかずっと現実を見ていなかった(エヴァの世界の中で生きていた)
一方ヴィレ側は守るべき人たちがいたり、第三村の人たちもニアサーを起こしたシンジに対して家族を返してとほぼ言わず(ピンク頭やトウジの妹も最後は受け入れた)、ニアサー後の世界で生きていくことを受け入れていた。
そして最後、現実を見ていないゲンドウは救われず(自分の弱さと向き合い、息子と向き合った=現実を見た結果ユイに少し会えたけど)、愚直に現実を受け入れ、人類を信じて生きた人達には新世紀という奇跡が起きた。
いぇ〜い👏
〜正体がわかった後もやっぱイケメンだった〜
正体はヴィレの司令だったのかな?
真の目的は人類補完計画で生命が死滅(統合)される前に、種を地球から逃すこと。
想像以上に規模のデカい男(そもそも使徒だけど)だった、でもシンジ君は変わらず好き❤️
なのに、それに気づきシンジの独り立ちを見た途端に切り替えられる余裕、素敵。
〜お子さん、素直に育っていますよ〜
暗躍するカヲル君を支え続けた右腕。
自分の命を賭してニアサードを止めたヴィレの精神的リーダー(ニアサードを止めたのってカヲル君の槍じゃなかったっけ?よくわからん)
なんかよくわからん奴が二位になれるのがエヴァのいいところって事でいいかな?(正直いちいち書くのがめんどい)
奇跡の起きた後の世界(新世紀)ではカヲル君と土いじりするっぽい。
〜ちゃんと服を着せなさい〜
シンジ、アスカと絶妙な距離感を取りつつ確実に支えになっていた。
一生懸命生きているのにあの余裕、あの距離の取り方、アスカも好きになるよ。
シンジのことをガキ呼ばわりしてたけど、素直になれなかったアスカもやっぱ子供だね、と再認識させてくれる存在。
〜お父さんは強い〜
赤ちゃんのほっぺた触りたい👶
〜もうウジウジなんてしないよ〜
エヴァファンを救ったと同時に現実という絶望へ叩き落としたこの物語の主人公。
ポストアポカリプスな集落(通称農村)で相変わらずウジウジしていたが、地獄のような世界で精一杯生きている人たち、かつての同級生、タイムリミットがあることを知っていながら懸命に生きて最後魂を手に入れたそっくりさんのおかげで成長し、大人になった、なってしまった。
(関係ないけど最後、アナザーインパクトの爆心地でアダムスの器にそっくりさんの魂がちゃんと宿っていることがわかる描写は良かったね)
20数年でようやく世界とみんなを救うことができて良かったね、と思いつつ、以下のように叫んでいる自分もいる。
「お前が大人になったら終わっちゃうじゃないか!」(カツマタ君状態のファン心の叫び)
あと、やっぱ最後はおっぱいの大きさだよね!わかる!わかるよ!
第六位 冬月コウゾウ
ゲンドウよりおじいちゃんだけど、実質ゲンドウのヘルパーさん役だった男。
みんなしょんべん臭いゲンドウから離れていった中、最後まで付き添ってあげた男。
ゲンドウはユイのことしか考えてなかったけど、冬月の愛というか憐れみの心もなかなかすごかったと思う。
当初はユイに会いたいという共通の目的があったと思うが、割と早い段階からこの惨めな男(ゲンドウ)に付き合ってやろうというヘルパー魂が冬月を突き動かしていたと思う。
〜ユイはずっと側にいたのに…〜
第七位 碇ゲンドウ
本作唯一の子供。みんなが成長して真面目に生きている中ずっと厨二ワードを並べまくったフォーエバー厨二。
厨二ワードで自分を守りながら、惨めで寂しい男だった自分を隠し続けていた。
でも、あんなに惨めな姿を最後によく観客の前で晒すことができました!
他にも委員長のお父さんとかヴンダーの操舵士?とか若い男三人衆とかいろいろいたけど省略!
庵野の分身としてのゲンドウとかそういう話もできると思うけど、とりあえずこのテンションで語るのがこの作品には正しい気がする。
できてるかな・・・
====
終劇
=====
シン・エヴァを観た。
自分はちょうど14歳のときにエヴァンゲリオンのTVシリーズを見た。エヴァ自体は存在とすごいらしいということは知っていて見るのが楽しみだった。実際すごかった。その後友達に旧劇を借りて見た。すごかった。全然意味わからなかったけど。でもすごかった。
そこからエヴァのゲームやったり二次創作創ったり読んだりとかは特にしなかった。貞本義行の漫画版は4巻まで買ってそこで止まった。
新劇序が公開されるときも偶々友達に誘われて初日に観ることになった。エンタメに寄った内容で好みだった。
破が公開されたときは初日に一人で、映画館近くの漫画喫茶に泊まって5時ころから並んだ。そこまでした理由は覚えてない。このときはまだエヴァンゲリオンというコンテンツにそこまで囚われていないと思う。破は結局劇場で3回、地上波で2回観た。
Qも一人で初日に観た。破が大好きだったのでQはどうにも刺さらなかった。乳の大きなマリはエッチだなと思う。
そこから約8年経ち公開されるかと思いきや延期され、さらに延期され、ついにシン・エヴァンゲリオンが公開された。ついに終わるということでやっぱり楽しみだった。すんんごく楽しみだった。
シン・エヴァはQの直後から始まり、Qには出てこなかったトウジケンスケ委員長が出てきた。えっ、死んでたんじゃ……?しかもトウジと委員長は結婚して子供まで?アスカはケンスケをケンケンって呼んでる。
…………。………………。
……え?え??まって?ケンケン呼び???何があったの????14年の間に何があったの??シンジくんに対するアスカは思春期を感じるのに、ケンケンの前じゃアスカはなんだか大人だし、14年の歳月を感じる関係性だ。村に居づらいっぽいアスカはなんでも屋をやっててちょっと離れたところに住んでるケンケンの家に居候している。ケンケンはアスカの裸を見ても一切動じない。父性すら感じられる。シンジくんは裸見て吐いたのに(語弊がある)。なんならアスカとケンケンはセックスしてるまである?いやケンケンの方に父性を感じたので個人的にはないかなぁと思ったけど。Twitterでそう言ってる人がいたので。あとアスカさんパンツ見せすぎですよ。えっちですね。
シンジくんたちが回収されたコア化してない村には1000人くらい住んでて他にもそんな感じの集落があるそうな。意外にしぶといな人間って思った。そこで綾波は猫を知ったり田植えしたり田植え中に転んで泥まみれになったり蕪を洗ったり絵本読んだり赤ちゃん背負ったりプラグスーツのままお風呂に入ろうとして止められたりおいしいを知ったりありがとうを言ったり握手したりして人間性を得ていくんだけど、2021年に綾波が田植えしたりする衝撃映像を観ることになるなんて思う????かわいい!!!!!!!!!!!!!!!ポカ波もかわいいけどこっちの田植え波もかわいい!!!!
凹み続けてるシンジくんを綾波が立ち上がらせてシンジくんはケンケンのお仕事を手伝うんだけど、コア化解消実験みたいなことしてるとこでミサトさんと加持さんの息子が出てくんの!!!息子の名前リョウジだってさ!14歳だって!!!!ミサトさん破のときには妊娠してんじゃん!!!!!!でも加持さんはニアサードインパクトを止めるために死亡確定だってさ!!つら!!!!!!
ネルフで調整しないと長生きできない綾波はシンジくんの目の前でLCLになって死ぬんだけど、シンジくんはこれまでのように激凹みをせず、ヴィレに戻ることを決意する。強くなったねえ。シンジくん強くなったよ。目元が赤くなってたからすごい泣いたんだろうにアスカとケンケンの前では気丈で本当に強くなった。おじさんその強さに泣いちゃったよ。代わりに泣いちゃったよ。
ヴィレに戻ってからは鈴原サクラにビンタされたり、艦隊戦やったり(燃えるぜ)、エヴァインフィニティと新(真?)弐号機と八号機が戦ったり、初号機の方から指先が2本くっついたようなキモい敵と戦ったりした後に、弐号機が十三号機に緊急停止プラグみたいのを刺そうとしたら弐号機自身が怯えてATフィールドでプラグを止められちゃったらアスカが自身を使徒化して結局プラグ刺せなくて、アスカの原型に魂持ってかれて、うんうんアスカと弐号機ってひどい目に合うのがいいよねニチャァってなった。
そんでまあミサトさんと対話したシンジくんのとこで隣の人が泣いてた。私も泣いた。色々あって十三号機にのったゲンドウと初号機のシンジくんが槍を持って特撮のセットみたいな感じの世界で戦った後にシンジくんが対話を選択するの。そこでゲンドウがどんな人間だったか、どれだけユイを好きだったか愛していたか、失ってから気付くユイによって色付けられた世界、シンジくんへの贖罪と後悔がラフな画面と共に語られる。そしてシンジくんの向こう側にどれだけ探しても見つけられなかったユイを見つけ、電車を降りるゲンドウ。ああ、彼の物語はここで終わりなのだなと思った。そしてこれまでのエヴァンゲリオンは母の物語であり、シン・エヴァンゲリオンとは父の物語なのだなとも思った。
電車を降りたゲンドウに代わり、カヲルくんが出てくる。世界を作り変える力を持つ新しい槍でシンジくん(ごめんここ適当に言ってる)はカヲルくんを救済し、アスカを救済し、レイを救済する。このときはTVシリーズ、旧劇などの要素を引っ張って本当にすべてのエヴァンゲリオンを終わらそうとする。私はこれを公式が出している旧シリーズ、新劇、漫画、ゲームだけでなく二次創作に対してもエヴァンゲリオンは終わりだよ、卒業しようって言われてるように思った。カヲルくんは加持さん(とレイ)、アスカはケンケンとカップリングだよって言われちゃった気がした。私はCP厨ではないのでみんなが笑顔だったらそれでよかった。うん、よかったんだよ。きっとみんな幸せになってくれると思う。
そして、シンジくん。シンジくんはニアサードインパクトを止めた加持さんや新しい槍を送り出してくれたミサトさんのように、自身を犠牲にして世界を作り変えようとするが、ユイが身代わりとなってシンジくんは現実へ送り出される。その後青くなった(青くなったんだよ!)海の前で座ってるシンジくんのところにマリがやってくる。10数年後、大人となったシンジくん(CV:神木隆之介)が駅のホームでマリと一緒に歩き出す。そこがカップリングになるの!?とびっくりしたところでエンドロール。
シン・エヴァンゲリオンを観て心がグチャグチャになって、観てからはふと涙が出そうになった。一度涙が出るとボロ泣きしそうだったから我慢した。そのときに思った。自分もエヴァの呪いに掛かっていたんだって。そしてそれが解呪されたこともわかった。それがわかったらグチャグチャになってた心がスーッと楽になった。エヴァンゲリオンは終わったんだって思った。そしたらなんか書きたくなった。これ書いたら自分の中のエヴァンゲリオンが終わる。終わらせられる。やっぱり呪い掛かってたんだな。そんなことないと思ってたんだけどな。
記憶が怪しいし途中で力尽きてるし文章下手でここまで読んだ人いないと思うけど駄文に時間使わせて申し訳ない。
以下思ったこと箇条書き
・ニアサードインパクトを劇中で殆どニアサーって略してて、フフッとなった
・予告に使われた映像が本編でも使われてたのがおもしろい。見たことあるやつだ!!ってなる。いや世の嘘予告いい加減にせーよw
・マリがイスカリオテのマリアって冬月先生に呼ばれてたけどなんて???
・破の「行きなさい!シンジ君!誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!」が劇中使われてて、いいシーンなのにちょっと笑っっちゃったの本当によくない。そしてそれは劇中で昇華されたのがよかった