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はてなキーワード: 考察とは

2019-11-25

骨太考察を読んだことがあると考察未満の妄想はどうも質が低くて見ていられない

中学生の考えたなろう小説を読んでいる気分になる

特に嫌なのが自分考察ってジャンルで興味を持ってもらっていると思っていそうなところ

探すうえで目に入ってしまうけど、もっとちゃんとした考察を探している

2019-11-24

チェンソーマン考察

いや考察ってほどでもないんだけど。

これって『銃の悪魔』VS『チェンソー悪魔』という図式なのだが、『銃』というもの現代社会において最大の恐怖の対象であるのに対して『チェンソー』は『悪魔のいけにえ』に代表されるようにフィクションにおける恐怖のメタファーとして存在するっていうのが対比されてるっぽいよね。そうすると現実VS虚構みたいな話になってくるしファイアパンチにも通じてくるなぁ。また映画館キープレイスなんだろうか。

藤本タツキって映画好きだし、こういうメタ構成ちゃんと考えてる気がするのでなんか仕掛けがあるだろうか。

2019-11-21

なぜ青識亜論は #これフェミアジテーションしたのか

はじめに

2019年11月16日に開催された「これからフェミニズムについて考える白熱討論会 石川優実VS青識亜論」(これフェミ)のくすぶりがいまだに落ち着かない。討論内容としては青識亜論の方がしっかりとしていたようだがとにかく無駄に感じ悪いせいもあって、イベント後になって石川優実が謎の被害者ムーブをしている。いまとなってしまえば、青識亜論の煽りアジテーションさえなければ状況も大分違っていたように思うので大変残念である

自分イベントには参加していないただの外野なので、以下のエントリーやいくつかのツイートをもとに、青識亜論はなぜアジってしまったのかを読み解いてみる。(このイベントに参加された方しかからないこともあるので、間違いがあればご指摘ください)

みやもと八朔)氏の非公式議事録(以下「議事録」)

議事録感想】これからフェミニズムについて考える白熱討論会に行ってきた https://note.mu/haruki839/n/n59830d64491b

司会 九月 小保内太紀氏の感想

青識vs石川イベント 感想殴り書き https://note.mu/noteobonai/n/n87e7c9ac557d

考察

単に討論に勝ちたかったのか?

ネット上の意見としては、元来の煽り体質や、マウントをとって討論に勝とうとした、という見方が多い。だが、自分としてはそれだけではないように感じた。勝つためならば最初からやってもおかしくない。

ここでの論点①~③は後述「補足1」参照


イベント企画者としての思い

青識は、普段からツイッターなどで物議をかもす言動をしていていろいろと信頼されていないところがあるが、今回自分企画たこイベントについては最初から最後までイベント成功を目指し、来場者の満足感を第一に考えていたように見える。準備段階では、一方的な吊るし上げショーにならないように細心の注意をしていたようだ。


以下の討論会後記からもやり込めるのではなく、彼なりに対話大事にしたかった思いが伝わってくる。ただ想定する対話スタイルがあまりにも違いすぎたのは不幸だった。

討論会後記:それでもなお、寛容と対話を(青識亜論) https://dokuninjin7.hatenadiary.jp/entry/2019/11/19/201706


いつ煽ったのか、そしてそれはなぜか?

「それ、正解」「まずはここに来た石川さんに拍手を」がどういう文脈でどういうニュアンス発言されたかについては、議事録からは読み取りにくい。(後述「補足2、3」)

とはいえ、これはあまり弁護の余地はなく、普通に煽りというかナチュラルに超絶上から目線がでちゃったのかなとは思う。

登壇中、石川の話を遮って発言したのは、質問意図が伝わってなかったり、言葉足らずの説明を(その瞬間だけ進行役となって)補うつもりだったのだと思う。しかしそれは討論相手がやるのは逆効果で感じの悪い行為だったようだ。


いつアジったのか、そしてそれはなぜか?

前述の青識のツイートにあるように、論点③「これからの「フェミニズム」」で強めにアジテーションをしたようだ。議事録文字で読むと声量や抑揚が伝わらないためそれほどアジっているように見えない。込められた意味をていねいにひもとくと、以下のようなことが言いたかった(言えばよかった)のではないかと思う。

・我々オタクも傷つけられたら世間に対して怒っていい

フェミの人たちだって最初は小さな声だったが、勇気を出して #MeToo で大きな力となった。

・これを見習って我々も立ち上がって行こう

そしてこれが、多くの来場者へ勇気を与える、このイベントからの最大のメッセージとしたかったのではないだろうか。


だが、そうはならなかった。伝え方とその時点までに醸成させた空気で、会場のみんな一丸となって石川糾弾しよう、フェミに反撃しよう、というアジテーションに見えてしまった。大変残念なことである

補足

長くなって制限を超えたので補足は別エントリーにした

anond:20191121224634

2019-11-20

女子高生制服が好き」という自分を認める

初めて投稿する。

かに読んでいただくことを意識しながら書こうとすると、どうもちぐはぐな文章になってしまう。

そこで、いつもの紙の日記に書くかのように、独り言を発するかのように、書いていくこととする。

いきなり自分本位宣言で、誠に恐縮である

***

私は女子高生制服が好きだ。

そんな自分を受け入れるのに、10年掛かった。

いや、今もまだ、受け入れ度合いは7割くらいで、

残り3割くらいは、「制服好きなんてキモい」「人に言えない趣味」「むっつりスケベ」なんて思ってしまう。

女子高生制服が好きであることを、受け入れるのは良い。

しかし、もしも将来、自分が娘を授かったら、これは懸念ではないか

まさか我が娘に対して、いやらしい目線を向けてしまうのではないか

まだ結婚もしていないというのに、杞憂に終わるかもしれないことを、気にしている自分がいる。



何を言いたいのかというと、

女子高生制服が好き」という性質のために、

私はごく自然人生を送ることを難しく感じるときがあるのである



好き好んで、女子高生制服が好きになったのではない。

これって結構、生きづらい人生である

外に出れば、制服を着た女子高生はたくさんいる。

私には、それが現実エロ動画に見えてしまう。

そんな目線を向けたくもないのだが、どうやら私の脳は、

女子高生制服が、性的興奮の起動スイッチになっているようなのだ

この10年の間に、ありとあらゆる角度から自分のこの性質について、

悩み、苦しみ、分析し、考察した。

私は、女子高生制服のもの性的興奮を覚える、ということが分かった。

から私服姿や体操着姿、ジャージ姿の女子高生では、あまり反応しない。

しろ高校制服を着た女子大生には興奮するし、

実は中身が男でも、高校女子制服を着ていれば、ドキドキする気持ちがあることを確認した。

でも、だからといって、イメクラに行くとか、ブルセラ買うとか、メルカリで注文するとか、

そういうことはしない。

そういう人生には、したくないのだ。

いそいそと夜中に、女子高生とかjkとかを検索ワードに入れて、

エッチ動画を見て楽しむことはしているのだが、

女子高生制服が好き」という自分を認められていないと、虚無感に襲われる。

エッチ動画といっても、

ハメ撮りやパンチラという直接的なエロも好きだが、

いわゆる街撮りという、女子高生制服のものに焦点を当てた画像サイトも好きだ。

ただ、盗撮系は好きではない。むしろ嫌いだ。

不覚にも見てしまうと同じく興奮するのは悔しいのだが、

もし実際に駅のエスカレーターなどで盗撮しようとしている輩を発見した時には、

発狂たかのようにその輩を取っちめる。



この性質はいったい、どこから来たのか。

私には大きく2つのフェチがあって、

女子高生制服フェチと、脚フェチ(靴フェチ、においフェチ含む)である

女子高生制服フェチは、おそらく私の生い立ちが関係している。

中高一貫男子校出身

兄弟女子がいない

大学予備校に通っていない

文化系部活動で過ごした

とにかく、青春時代に、同世代との女子との接点が無かった。

接点を作る努力を怠った、とも言えるが、

中高を共学で過ごした人は、女子との接点を作る努力など、そもそもする必要がない。

その事実に、私は大学時代、ものすごく苦しんだ。

なぜ私は、一度きりの人生の中で、共学高校生活を経験すらさせてもらえなかったのか、と。

もう1つ、脚フェチについて。

これは、「生まれつき」かな、という結論に達した。

脚は、幼稚園ときから、どうやら興味があったようだ。

女子の素足のにおいを嗅ぐのが好きだった。机の下に入って、女子の脚を見るのが好きだった。

小学校に上がってからも、女子ちょっと汚れた感じの上履きが好きだった。

ここに、女子高生制服フェチが重なると、紺ソとローファーに強烈な性的興奮を覚えるのは頷ける。

ユニクロで、紺ソを買って、ハルタローファーを買って、

紺ソ、ローファースタイルスーツを着て、普通に仕事をしているときもあった。

不思議と、そんな自分が好きになる時があった。



時間が来てしまったので、今日はここまでにする。

女子高生制服が好き」ということを、

ふざけ半分ではなく、真面目に捉えて、悩んでいる男性は、

おそらく一定数いるんじゃないか、と思った次第である

私の、10年間の考察結果を、この日記で(これ、増田って言うんですね!)、

共有していきたいと思っている。

以前にどこかで見た、「日本人議論ができないというのはディベート(討論)の形式しか知らないから」という考察はなるほどと思ったな。その点「私はこれから討論をします」と宣言するのはまだ良心的だという見方もあるだろう。

自分だって議論じゃなくて討論しかできず、頻繁にアジテートしてるくせに、他人がやってるところばっかり批判するのはフェアじゃないよね。

それは、自分だって感情論のくせに、他人意見ばっかり「それは感情論だろ!」って批判するのがフェアじゃないのと一緒。

2019-11-19

・続々・ゲートくんについての覚書

ゲートと違う身分証提示し、疑惑払拭したもの

自身トラブルを起こし消えたらっと、そして3人目の登場人物が現れる

立花の出現

陸自界隈に現れたゲート、米陸軍界隈に現れたらっと、先の2人とは違う空自(デジメ)界隈に

2019年春、立花という男が現れた。

ミシンを使って航空自衛隊で使われているベストを作るなど器用で

装備や知識収集に熱心かつ、人当たりも良いと好人物であったらしい。

そんな彼に何が起こったか知る由はないが、複数約束を違えて11月頃に音信不通となる。

この時取引相手提示した口座の名前はゲート、らっとの時とも異なる名前だった。

どうやら最後に参加した山陰地方での自衛隊イベントでの被害談が目立つので、そこで稼いだのだろうか?

1年以上活動したゲート、らっとと違い半年足らずでの結果であった。

考察ネット上で確認出来る事実

まず結論から言うとこの3人は同一人物で間違いない。

だがらっとの時点で出した身分証については揺るがないのでは?と思うだろう

そのあたりについては当時一緒に遊んでいた人物から証言があり、概要説明すると

・ゲートくん騒動時に本名まで暴かれた中の人(以下A)は今後名前を変えて生きる事を決意する

↓(この時裁判所正式手続きを踏んだかは不明)

・らっと騒動時に何らかの方法で別人、または改名した身分証をAが提示し、凸者にこれを認めさせる事に成功

↓(この時A周囲の近しい人物はらっとをゲートくんと認識していたが、ゲートくんと直接面識の無い者は別人と思っていた模様)

立花として復活したものの、上記騒動を知っていた被害グループから特定され炎上現在に至る。

なおゲートくんを庇う囲いは未だ存在する、過去自分がゲートくんが行った一連の詐欺行為で得られた金銭

食事代を出してもらった事など信じられないが恩に感じている様だ。類は友を呼ぶというがまさにその通りだろう。

被害者を煽る様な言動を取るなどまでしているが、あの様な人種と同レベル煽り合うのはやめて頂きたいものである

▪️現在

ゲートくんはこれから被害者に対し償いをする事になるだろう。現在はそういった動きがなされている様だ。

個人的情報の開示は止める事を求められるような事になるかもしれないが、これらの情報

「ゲートくん自身と周囲の人間が自ら開示した情報」をまとめただけのものである

彼は今後の活動のためにもこれらの事を忘れて欲しいだろうが、ミリタリー 界隈で起こった出来事の一つとして

こういった被害が発生したという記録を忘れてはいけない。騙した方が絶対的に悪いと是非深く反省して頂きたい物である

覚書

https://anond.hatelabo.jp/20191119173232

https://anond.hatelabo.jp/20191119191508

2019-11-18

ナイーブな人は大変だよね。どう対処しているの?

心が知覚過敏みたいになってすごく困っている。

先週、映画館映画を観てからこんなになってしまった。

これまでも、切ないとか悲しいとか感動とかでウルっとくることはあったんだけど、今回のは異質。

作品自体個人的トラウマをえぐるとか、全然そういうたぐいのものではなかった。

一人の空間では、ボロボロ泣けるし、嗚咽はするし、胸が締め付けられるようで苦しい。

他人がいればまだ取り繕うことはできる。仕事は集中できるのでまだ楽。

具体的に何かが悲しい訳ではなくて、何に泣いているのか自分でも不明

というか、悲しい、悔しい以外で泣いたことがないので本当に戸惑う。

ちなみに、いい歳した中年おっさんである

ちょっとこの敏感さは若い日の失恋のそれと似ている。

1週間もあったんで色々考察してみた。

作品の何かに触れているとその間は比較的落ち着く。

作品に関わる情報を手当たり次第に探してしまう。(上記理由から

かといって映画音楽はアウト。涙腺崩壊無限地獄がかえってつらい。

禁断症状に負けて二度目のスクリーンへ。

数日症状が軽くなる。

ブログ感想を吐き出す。

数日症状が軽くなる。

ツイッターで仲間を探すことを思いつく。(初ツイッター

意外に号泣仲間を発見

やや安心する。

→いまここ

ほんと、早く脱出して鑑賞前の平穏日常に戻りたい。

ただそれだけ。

10代みたいなナーバスさなんて本当苦しい。

2019-11-15

まだ見ぬ推し作家

 私はあなたに滅茶苦茶にされたい。

 私はあなたの雑じり気のない狂気でズタズタにされたい。

 私の心に一生消えない爪痕を残してほしいし、あなた作品に触れる度に情緒を乱されたい。

 あなた感性に触れたい。

“こんな風にキャラクターを作るといい”

“最低でもこういう風に作品を作れ”

キャラの口調はこういう風に設定するといい”

 近頃一時創作における「創作論」を目にすることが多くなった。“小説家になろう”みたいなサイト一般の人でもうまくいけば出版してもらえることが増えたからだと思う。得れる作品を作ってワンチャンwannabe。俗にいうワナビが増えたんだろう。

 前述のアドバイスは“売れるため”にこうしたらいい、というアドバイスであるらしい。売れたいけど売れていない作家向けの善意アドバイスなんだと思う。

 こんな風に作ったら皆に読んでもらえるよ、皆に愛される作品になるよ。売れるよ。

 本当にそうだったら素晴らしい。

 私自身、作品を作っているから「読んでもらいたい」という気持ちはわかる。作者としてはいろんな人に自分作品に触れてほしいし、愛されたい。作品を愛してほしい。「この話いいよね、刺さるよ」って言われたい。そういうものを作りたい。誰かの心に一生消えない爪痕を残したい。

 だから、“作者としての私”は、“作家としての私”はそのアドバイス積極的否定しようとは思わない。

 おそらく、作品を作る人なら誰だって自分作品に触れてもらいたい」からだ。

 その一方で読者としての私は「他人創作論にすがるくらいなら筆を折ってしまえよ」と思う。

 本当にそうなるか(売れるか、愛されるか)どうかわからない誰かのメソッド安易自分スタンスぶれるなら、筆を折ってしまえよと思う。

 私は作家が好きだ。

 作品を作る人が好きだ。

 自分の内側にある世界を、自分の外側に作り上げる人達が好きだ。

 だからこそ余計に筆を折ってほしい。

 自分ではない第三者の、“当たるかどうかわからない”メソッドスタンスがぶれて唯一無二のあなた世界が歪むくらいなら。だったら今すぐ筆を折って、そのままのあなたで私の永遠になってほしい。あなた世界を他の誰かのあやふやメソッドで薄めて欲しくない。

 これは持論だけれど、作品とは作家もつ狂気実体を得たものではないかと私は考えている。

 絵画などの実際に形をなした作品でも、音楽文章などの実際には形のないものでもそうだと思っている。

 作家の持つ人生観倫理観、何かに対する考察や愛、執着、すべてが入り交じって生み出されたもの。それが狂気であり、作品だと思っている。

 その人が持つ、その人だけの世界。唯一無二で換えがたいもの

 自分の内側にある世界自分の外側に生み出す行為。それに狂気がないなどとは思えない。

 作品を作ることは自分世界とを繋げる行為であって、いわば“呼吸”であって、第三者の目に触れることで作家作家としての自己を得ていく。作家として生きられる。

 作品とは作家のものの“概念”だと思う。作家が今まで経験してきたもの概念レベルにまで落としこんで表現したのが作品だと思う。だから、同じ作家作品には同じ匂いを感じる。共通する世界観がある。作家を感じられる。

 その“作品”を、美しい狂気を、麗しく鋭く研がれた爪を、誰かのメソッド一般化されたくはない。私はそう思ってしまう。

 作家の持つ“感性”という雑じり気のない狂気に私は触れたいし、“作品”という爪でズタズタにされたいから。

 まだ出会えていない作家の、まだ見ぬ推し作家の、本気の“狂気”を理論で塗りつぶされたくない。

 作品から垣間見える人間性人生観作品へのスタンス。そういうものを鋭く尖らせた“表現”という爪を丸く整えてほしくないのだ。

 作品として成立させるためにある程度の“理論”は必要だと思う。読みやす日本語、情景をより伝えやすくするためのレトリック。そういう意味での“理論”を伝えるというなら私は大賛成だ。より多くの作家の“狂気”をより効率的摂取できるから作家の構築した世界をより分かりやすく感じられるようになるから

 でも、作品本質にまで“理論”を出すのはやめてくれと思う。思ってしまった。キャラクターの“キャラ”の口調はこうした方がいい、こういう性格の方が取っつきやすい、世界観を作り上げるなら最低でもこれとこれとこれが必要だ──。

 全部しゃらくせえ。好きなように書いてくれ。好きなように書いて好きなように狂え。あなた狂気で私を満たしてくれ。あなたが考えた世界で私を狂わせてくれ。

 分かりやすキャラクター、分かりやすい話運び、そういうのは読みやすくて分かりやすくなるかもしれないが、結局“一般化”だ。誰が見ても何となくわかって、誰が触れてもまあ大丈夫もの。量産品。いつものやつ。

 でもそこに作家の持つ“色”はあるんだろうか。そこに作家個人の“感性”はあるんだろうか。

 “売れるように”量産されて一般化された作品に何を感じればいい?

 “どこかで見た”何かは誰かの心に爪痕を残せるか?刺せるか?

 前提として“売りたくて作る”作家と“作りたくて作る”作家がいることははっきり認識している。私は後者だ。作りたいから作る。

 でも前述のアドバイス自分に取り入れるのは前者だろう。売れる方法があるなら試さな道理はない。売りたいんだもの。だからそれを積極的否定しようとは思わない。合理的から目的に対する手段が一致しているから。

 でもそれ、“作家”なのかなあ。

 そんなことをずっと考えている。

2019-11-14

anond:20191114151320

登場人物ストーリーや設定について深い考察をする」や「監督脚本シリーズ構成制作会社を把握する」などは、素直にアニメを楽しめなくなった奴がやることで、そういうオタクはすごくもなんともないことを知ること。

2019-11-13

anond:20191113093632

そのコンテクストを調べろよ

死ぬほど出てくるぞ

関係考察

関係萌え

どっちか好きなの選べ

五等分の花嫁という残酷物語

・五つ子は、ほぼ同じ顔である。(慣れれば見分けはつくらしいが、慣れないと分からない程度にはみんな似ている)

・体型もほぼ変わらない。バスト合計が441cmだそうで、1人だけ89で残り4人が88なのか、もう少し幅があるのかは不明だが、とりあえず明確に貧乳キャラはいない。

この状態で、5人全員が主人公好意を抱いている。そして、その中から1人と結婚することがプロローグで明記されている。

逆に言えば、4人は振られるわけである。そしてその理由は、冒頭に書いたように顔や体の問題ではない以上、純粋人間性理由である

まり『五等分の花嫁』という作品は、「お前の人間性は○○と比べて魅力的ではない」ということを4人に突きつけるという残酷物語なのである

という考察を書こうと思って調べていたら、『5つ子に貧乳キャラがいないのは、僕は大きい方が好きだからです』という作者のツイートが出てきて悔しかった。

夢女の妄想レベルの垂れ流しを考察だといって考察厨だと思い込んでいる男マジできもい

頭のレベル恋愛脳の女と同じって気持ち悪すぎる

自分思い込み考察詐称して提示する考察という言葉辞書で引くこともできない知的障害持ちはマジでます自殺しないか

2019-11-12

anond:20191112100956

いや、乳袋巨乳性的に強調したもの、だよ。最初から

かつオタク馬鹿にされていた、ってのは何も矛盾しない。

オタクの中でも「性的に強調する目的で行われる現実にあり得ない描写馬鹿にする」勢力ってのは一定数いたからね。

記憶にある中では、綾波ボディスーツは初期の典型的乳袋扱いだったと思うんだが

公式絵はさほどでもないが、同人絵だと乳をもっと強調して乳袋状態になっている絵も沢山あった)

エヴァオタは綾波エロ同人誌喜んで読み書きしてるエロオタだけじゃなくて、

ボアニメオタとかストーリー深読みして長文考察したがるサブカルオタなんかも大量に食いついてたし、

そういう「エロにはさほど興味がないエヴァオタ」はあれは乳袋だと馬鹿にしてたよ。

そういうのは同じエヴァオタでも、綾波発情してるようなオタクの事は馬鹿にしてたので。

乳袋巨乳性的に強調したもの、という思い込みこそ間違いなんだがな。

からオタク乳袋馬鹿にしていたという数々の証拠提示されても

「そんなことは無いはずだ!エロいはずだ!」と差別的思い込みを捨てられない。

オタクと言うのが全員エロオタだと思ってなければこういう発想生まれないよな。

視野が狭くてそういうオタクしか見ないし興味ないような年中発情してるエロオタなんだろうな。

2019-11-11

すーぐ語呂合わせをこじつけ考察だとか言い張るんだから

anond:20191111121854

もう一年も経ってるんだから悼みも考察もさんざん出尽くした後やで

2019-11-07

[]2019新語・流行語大賞ノミネート解説

あな番(あなたの番です)日本テレビ系のテレビドラマ。「交換殺人ゲーム」を描くミステリーサスペンスネット上でも推理考察が盛んに行われた。
命を守る行動を災害時の「特別警報」において呼びかけられる文言。今年10月台風19号上陸に際して、首都圏を含む広い地域特別警報が発表されたことで、耳にする機会が多かった。
おむすびころりんクレーター小惑星探査機はやぶさ2」が小惑星リュウグウ」上に生成した人工クレーター呼称。「リュウグウ」にまつわる名称童話にちなむことになっている。
キャッシュレス/ポイント還元電子マネーを用いた決済のこと。消費税増税に伴い、キャッシュレス決済を用いるとポイント還元される制度が、経産省により実施された。
#KuTooTwitter上で広まった「女性へのパンプスハイヒール強制」に対する反対運動のこと。昨年の流行語大賞にもノミネートされた#MeTooのもじり。
計画運休災害に備えて計画的に電車運休を決めること。今年10月台風19号上陸に際しても計画運休話題となり二年連続ノミネート
軽減税率今年10月消費税増税に伴い導入された生活必需品の税負担を軽減する制度のこと。その曖昧基準への批判や「イートイン脱税」などが話題となった。
後悔などあろうはずがありません野球イチロー選手引退会見での発言。「思い残すことは?」との質問に対しての返答。
サブスクサブスクリプション本来新聞の購読などの意味だが、現在は単に「定額制」を表す言葉になった。雑誌音楽動画などの月定額サービスが普及している。
ジャッカルラグビーにおいて、タックルで倒された相手選手が持つボールを奪うプレーのこと。ラグビーワールドカップで活躍した姫野和樹選手の得意技として話題となった。
上級国民一般国民」の対義語として作られたネットスラングだが、池袋自動車暴走死傷事故加害者が「上級国民」だから優遇されているのではないか話題になった。
スマリングシンデレラ/しぶこゴルフの全英女子オープンで優勝し、日本人女子選手では42年ぶりの海外メジャー制覇ということで一躍知られることになった渋野日向子の愛称
タピるタピオカ入りミルクティーを飲むこと。2018年ごろから始まった「第三次タピオカブーム」が今年に入ってピークを迎えた。
ドラクエウォーク2016年流行語大賞ノミネートされた「ポケモンGO」のドラゴンクエスト版と言える位置情報ゲームドラゴンクエストウォーク」がリリースされて話題となった。
翔んで埼玉魔夜峰央ギャグ漫画。元は1986年刊行された作品だが、2015年ごろに再注目されたことで復刊されて大ヒット、今年公開された実写映画も異例の成功を収めた。
肉肉しい肉の味が濃い、食べごたえがある、などの意味。肉バルブームなどに伴い近年使われはじめたとされる。それ以前では「女性肉感である」というような意味での用法がまま見られる。
にわかファンラグビーワールドカップでは「にわかでいいじゃないか」がキャッチコピーとなるなど新しいファンが歓迎され、これまで注目度の低かったラグビーの「にわかファン」が急増した。
パプリカ東京五輪の機運醸成」を目標米津玄師作曲した「NHK2020応援ソング」。子供たちのあいだで人気となり大ヒットした。
ハンディファン携帯扇風機中国韓国流行していたものだが、今年の猛暑もあり若い女性を中心にヒットした。
ポエム/セクシー発言環境大臣に抜擢された小泉進次郎ののらりくらりとした答弁が「ポエム」と評された。また国連気候行動サミットに出席したときの「セクシーに取り組む」発言批判された。
ホワイト日本の輸出管理制度において優遇されている国のこと。「日韓間の信頼関係が著しく損なわれた」という理由韓国ホワイトから除外したこときっかけに日韓関係悪化した。
◯◯ペイLINE Pay」「楽天ペイ」「PayPay」など、QRコード決済の呼称によく使われたため、その代名詞的な単語となった。また「セブン・ペイ」の不正使用ニュースとなった。
MGCマラソングランドチャンピオンシップ東京五輪と同じコース日本代表を一発選考する、というコンセプトで開催されたマラソン大会。ただしマラソンコースは後に東京から札幌へ変更となった。
免許返納池袋自動車暴走死傷事故など、高齢ドライバーによる暴走事故が多く取り上げられたことで、高齢者が自主的免許を返納することが注目された。
営業お笑い芸人所属事務所を通さずに営業を受けること。吉本興業お笑い芸人が、闇営業振り込め詐欺グループパーティ仕事を受けていたことが報じられ、騒動となった。
4年に一度じゃない。一生に一度だ。ラグビーワールドカップ2019 日本大会」の公式キャッチコピー
令和新元号最初元号である「大化」以来初めて和書典拠とされ、万葉集の「于時初春令月 氣淑風和(時に初春の令月にして気淑く風和ぎ)」から字が取られた。
れい新選組/れいわ旋風政治家山本太郎が結成した新政党独自の主張・選挙戦略により、参議院選挙において存在感を示した。
笑わない男ラグビーワールドカップで活躍した日本代表の稲垣啓太選手のこと。プレー中はもちろん記念写真などでも無表情をつらぬき「笑わない男」と話題になった。
ONE TEAM(ワンチーム)つのチームとして結束するという意味で、ラグビーワールドカップの日本代表が掲げたスローガン。そこから東京五輪マラソン移転問題でも多用された。

2019-11-06

キングダムおもしろいね

絵柄がイマイチだなと思って敬遠していたが、つい最近読み始めた。

思っていたよりも人がスパスパ死ぬおもしろい。

さて、キングダムにはさまざまな魅力的な武将人物が出てくる。

キングダム史実をもとにアレンジしている。当然と言えば当然であるが、そのアレンジ歴史の流れを理解する能力がなければ魅力的な人物を描くというのは大変難しいと思う。

中国に伝わる物語アレンジした漫画といえば封神演義を思い出すが、あちらに関してはどうやって物語を着地させるのか、そっちが気になって仕方がなかったのを覚えている。ただしキングダムに関しては仙術のたぐいはほとんど出てこないので、超技術でどうこうという話にならないのが確定的な分、安心して読んでいられるのが救いと言えば救いか

さてそんなキングダムキャラ、読者はそれぞれお気に入り人物がいると思うが、私なりにいろいろ考察したことをつらつらと書いていこうと思う。ちなみに私は史書原作)を読んだことがないので悪しからず。


・信

三国志なんかでもそうだが、古代中国人物名前は概ね姓名各一文字の二文字名前が多く、稀に姓が二文字人物が出てくる、という感じだ。

その中でも漂や信は下僕であったので、姓がない・・・のかと思ったが、騰はまだしも貴族の出である壁など、意外と一文字人物が出てくる。

彼は最初、政を助けた後に将軍職を望むが、説得されて結局は戸籍と家をもらうことになる。あまり細かくは語られていないが、これはかなり重要なことだと思う。

物語が進んでいくとよくわかるが、各将軍には有能な副官、部下がいる。彼らの働きこそが将軍たちを支えているのであり、将軍単体でまともな仕事をする人物というのはなかなかいない。ヒョウコウはとくに優秀な副官らしい人物は出てこずヒョウ公自身がひっぱっている感じで描かれているが、その裏では岳雷をはじめ彼のことを理解し補佐する副官たちが存在したはずだということはわかる程度になっている。

仮にあの時点で信がポンと将軍職をもらっていたとすると、部下のいない将軍が出来上がる。それでは夢の大将軍にはなれないので、イチから始めなさいと言われたわけだ。

それと重要ポイントが、彼はバカである

当時は下僕に限らず、よっぽどの家に生まれない限りはまともな教育など受けられないはずだが、それを差し引いて考えてもおバカなのである

物語上、登場人物にとっては当然のこと、常識であっても読者にとってはそうでないことを説明させるのに便利なのだキングダム内に置いては、特に地理説明などに重宝していると言えるだろう。また、序盤はそうでもないが、それなりに話が進んでくると登場する人はたいていそれなりの役職にいる人=優秀な人であるので、説明せずとも理解しないで話が進んでしまうこともままある。それでは読者が置いてけぼりになってしまうので、主人公、あるいはそれに近い人物が物を知らないのは大事なのだ。他の作品で言うと、ワンピース主人公ルフィおバカなので、要所要所でナミやそのほかの人に解説を受けている。(その多くをルフィ理解していないが)


・昌文君

言わずと知れた秦国王の一の臣である

彼と王の出会い、心酔するに至るエピソードは明らかになっていない。あえて言うなら紫夏の回想のくだりで初対面を果たしているはずだが、その部分はあの話にとって重要ではないのでまったく語られていない。

彼は王騎が評した通り、物語を通していぶし銀な働きを続ける。

登場時点ですでに文官に転じているため、基本的戦闘シーンはない。時代的にも文官からといって剣は持たないというようなこともないので、ちょくちょく佩剣しているのを見かけるが、信のように一騎打ちするシーンは出てこない。

(元)武官らしい働きをするのはサイの防衛戦くらいか。彼が武官としてどの位置まで上がったかも今のところ語られていないが、風向き有利な西壁において抜かれている辺り、やはりそんなにでもないのかな・・・なんて思ってしまう。

文官としても、時折シシに諫められていたり、超一流ではないことを伺わせるシーンが折々に挟まれている。リシに頭を下げるシーンなど、彼が文官として(も)頂点に上り詰めるほどの才がないことを強く感じさせるが、そんな完璧超人でない部分が重要人物であるように感じる。完璧でないからこそ彼の脇を支える壁やシシの働きが際立つのであろう。

からも「オッサン」と呼ばれ侮られている感があるが(盟友である漂を殺される原因となった人物であり、諸手をあげて尊敬することはできないだろう)、その信も昌文君こそが政を支え、自分も手助けしてくれる存在であることを認知している。特に冒頭に述べた「一の臣」であることを信すらもが認めていることがわかるシーンがある。加冠の儀を終え、アイ国軍鎮圧したあとの「あんたの口から言ってくれよ」というセリフだ。あのシーンは呂不韋との政争勝利宣言であるが、勝利宣言というのは勝った側の、頂点に立つ人が行うものである。つまりあの場にいる一番は誰なのかという問題であった。殺されてはならない王族を救った信でもなく、実際に反乱軍鎮圧するのに必要不可欠であった将を打ち取った昌平君でもなく、政に長く寄り添い、支え続けた昌文君に託され(しかも信から)、彼の口から行われることに意味があった。バカな信でもそのことを理解していた。

長年の苦難を回顧し、その一部を共にしてきた読者にとって、勝利を実感している彼の姿はやはり感動的なものがある。映画版がどこまで話を追うことができるかわからないが、このシーンはぜひとも再現して欲しいと思っている。


・壁

昌文君を大王政の一の臣と評したが、その昌文君の一の臣である

文官となった昌文君に代わり、「武」を司る人物となるべく存在しているはずだが、実際のところそのあたりはだいたい信に取られてしまっている。王センに捨て駒にされたり、食料を焼かれたりと頼りないシーンが多く、出番の割に見せ場は少ない。合従軍戦でも当て馬にされている。

しかいぶし銀な働きで大王を支える昌文君を支えるだけあって、地味だが必要仕事をこなし続ける。合従軍戦においてはヒョウ公と信と共に南道に入り、ヒョウ公を討たれ激情に駆られた信を諫め王都に向かい、サイの守城戦では信の南壁に続く東壁を守り抜いた。また、アイ国戦においては本人の出番はないが、旧友に根回しして軍を率いる将を確保している。

今後の彼に見せ場はあるのだろうか。

・龐煖

ある意味において面白みのないキャラだな、という感じはする。個人的には最初から最強のキャラはかなり好きなのだが、非常に自分本位なキャラであり、どうしても強さ以外に魅力がない。

が、おもしろいなと思う部分はある。彼自身が信が説得され諦めた「ポンと手に入れた、部下もいない大将軍」なのである。幸いなことに李牧という強力な参謀の駒として動くことになるためついてくる部下がいるが、もし彼がいなければ本当に裸の大将だっただろう。

そういう対比という点においてはよいキャラだと思う。


あとは気が向いたら

2019-11-05

舞台チャージマン研考察チャー研リアタイするということ~

舞台チャージマン研に関する文章です。

※現地組やニコニコ有料会員じゃないと観れない後半部分のネタバレがちょっぴりあります

舞台上演開始前のナレーションにて「当時の子供たちが学校から帰ってきてから楽しみに見ていたであろうこの作品も、放送を終えて30年間省みられることはなかった……ネットネタにされるまでは」(要約)

と身も蓋もない紹介をされる屈指の怪作アニメチャージマン研!』

そしてそれを舞台化してしまった、いま話題の大問題作舞台LIVEミュージカル演劇チャージマン研

この演劇には「当時のちびっこ達の想いを現代人に追体験させてやろう」という狙いがあるんじゃないかな?と思い筆を取りました。

わずか2時間の上演時間の中で「いままでは前座、これからが本編開始だ!」という歌や口上が手を変え品を3回も繰り返される。

まりこのチャー研は、まだ終わっていない物語なのだ

物語最後、泉家はこれから始まるアニメにどんな超展開が待っているのかと期待に胸を膨らませてテレビを囲んでいる。

我々がチャー研を知ったときにはこの番組はとっくの昔に最終回を迎えていた。しかし泉家が見ているアニメ現在進行形で放映されている。

キャロンの「みんなで同じものを見ながら感想を言い合うのって楽しいわ」という台詞からも、泉家の見ているアニメがこの演劇のものメタファーになっている事がわかる。

●現地組はDVD会場予約申込書を見て欲しい。「チャージマン研!本編DVD VOL1」と書いてあるのがわかるだろう?

星くんという大人キャラを出し惜しんでいるあたり、きっと近いうちに次回作をやってくれるに違いないんDA☆ ネネ、いいだろう?

以上が考察というか、思ったことです。

学校から帰ってきてテレビの前で新たな物語を楽しんでいた当時の子供達のような気持ちチャー研を観れる日がくるなんて、すごい時代……ステキダワー!!

明日千秋楽からそれに間に合わせようと急いで書いた文章です。雑でごめんねー、僕のパパが、君を車で轢いちゃって)

Youtubeに見る狭い範囲での炎上

国民の0.2割しか知らないであろう炎上が起こっている。

ここに書いたところで大したことでは無い。

炎上しているのは、100万登録者数に近いyoutuberなのだが、このまま潰れてしまうんだろうか。

別にどちらでもいい。

ただもう視聴者間では物凄く燃え上がっているので、人気は保てないだろう。

狭い、狭い炎上だ。説明しても正直廃業するレベルのことはしていないはずなので、もし大きく取り上げられたらアンチが異常と言われるかもしれない。

しかyoutuberというのはSNSとしても芸能人としても異質で

視聴者を裏切れば最後なのだ

芸能人なら、不倫したとて、そのうち上沼恵美子がえみちゃんねるに呼んで説教してくれる。そのうち徳井もえみちゃんねるに出るだろう。

えみちゃんの何が凄いって個人事務所なところだ。

M-1騒動ときその辺を誤解され、吉本所属大御所先輩が激怒!みたいに言われていたが、あれは違和感がある。

吉本に守られた炎上芸人が、芸能界で生きることに長けた、マシンガントーク個人のおばちゃんに噛みついているという認識のほうが近い。

カジサックとかいキンコン梶原も、youtube炎上芸人を救う、恵美子と同じようなことをしているみたいだ。恩人が恵美子なだけある。

しかしカジサックで拾える範囲にも限界がある。まずカジサックが視聴者を伸ばすメリットが無ければならない。

youtuberというのは専門的に狭い範囲PR活動をしているため、ジャンルしか繋がりが無いのだ。

カジサックがメリットを見いだせる場合が少ないし、一ジャンル一人までだろう。

そのジャンルから爪弾きにされているyoutuberには救済の道は無いのと同然だ。

シビア世界かもしれない。

芸を肥やしてきた芸能人youtubeに目を付けたので、もうチューバ芸人は終わったようなものだ。

これから参戦する人は、それで食うために必死にやってきたプロと戦うわけだ。なんという無理ゲー

かといって芸能人でも成功するわけでは無い。

SMAPチャンネルは寂しすぎる視聴者数だ。ぷっすま圧力では無く低視聴率で終わったことが証明されてしまった。

1対1の商売だ。顧客が居なくなれば事務所の後押しも無い。

youtube事務所タレント認識が甘い素人に目をつけ、契約を結び、事務所を辞める際にチャンネルを乗っ取る(配信者の収入ストップし事務所がいただく)という事例も相次いでいる。

自由Youtubeはもう修羅道になったのだ。

それでもYoutbeはアベマ、ネトフリやアマプラ配信番組のように、民放テレビ後追いサイトはならないと思う。

何故ならやはり「個」で売る商売からだ。

から未来性がある、という話にはならない。「個」を見つけて貰うには、それ相応に活動しなければならない。

Youtube出資してくれる場合もあるが、その場合も他に実績がある人ばかりだ。

初期に始めた人は良い。開拓した実績がある。でも新規参入は、既にほぼ無理に近い。

Youtube一本で芸の無い素人が夢を掴む。その時代は、もう終わった。

逆に言えばなにか芸があり腕に自信がある人はどんどんやればいい。今なら稼げるだろう。素人を追いだすという形で。

次になにが来るのだろう、と思ったけど、しばらくはなにも来ないのかもしれない。

少なくとも日本には、波が来ないという考察が適切なのだろうか。

案外顔を出さずに作品を出してきたニコニコ動画制作者みたいなのはYoutubeでも、別の世界でも、残る気がする。

芸術職はある意味、安泰の時代突入したのではないか

anond:20191105010256

ふむ、ではひとつヒントをやろう。現代社会においてエロ忌避される背景には学歴社会の影響がある。次回の増田までに学歴社会エロ関係考察してまとめてきなさい。

2019-10-31

JOKER今週4回見た

月曜の会社帰りに見て、なんかドハマりしてしまった。

正直、4回見ても分からないところだらけだし、アーサーの笑えないジョークも、認知の歪みも見ててキツイ。でも、最後自分の血で笑顔を作るところが見たくてリピートしてしまう。

あと、階段ダンスが好き。

誰でもジョーカーになれるって聞いてたけど、一回もそうは思わなかった。むしろ理由(精神病とか環境とか)がなければジョーカーは生まれないって感じた。条件がそろえば誰でもジョーカーになる可能性ががあるって意味ならそうだけど、【なれる】って言い方がしっくりこない。

ジョーカー信者には誰でもなれると思う。でも、ジョーカーにはなれない。

ジョーカーは雲とか台風みたいに【生まれる】ものであって、【なる】ものではないと感じたよ。まあ、一個人の感想としてね。


色々と考察を見たりしたんだけど、

・一番はじめに入院していた理由(カウンセラーが「どうしてか分かる?」って聞いてた)

・アーサーがトイレで踊るシーン

冷蔵庫に入るシーン

理由が分からないというか、しっくりこない。

これはどういうことなんだろう?

主体性と客体化について。

https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 の補記の続き


主体性と客体化に関する言及が多く見られた。この観点重要なのではあるが、正直に告白すると、複雑すぎて細かい議論から逃げてしまった。

たとえば、以下のような2つのケースは、比較的論じるのが簡単である

前者は「女性の客体化」であり、認められない表現だという人もいるであろう。今回の宇崎ちゃんポスターは、ポスター批判派にとってはこれにあたる(露出度ではなく、乳袋だが)。

後者は「主体的」な露出であり、前者を認めない人も、こちらを認めるケースが多いであろう。下着広告の大半はこれにあたる。

では、以下のケースはどうであろうか。

これは言い換えると「主体的な客体化」であるが、このケースはどう判断されるのだろうか。

さらに次のケースはどうだろうか。

段々と即答が難しくなってくる。次の例はどうだろうか。

これはコメントでも多く言及されていたが、女性誌の一部などで発生しているケースである。宇崎ちゃんが認められない場合、男女を入れ替えただけのこのケースも認められるべきではないように思われる。

次のケースはどうだろうか。

ここでいう団体は、具体的には赤十字である赤十字には、恐らく女性を客体化する意思存在していなかった。今回のケースでは、たまたまコラボレーションをした作品に、女性を客体化した要素が含まれいたことになる。もう少し正確に表現するならば以下だろうか。

さら思考実験を勧めよう。

このケースからは、なんとなくまずそうな雰囲気が漂っている。情報によると、セーラームーンはこのパターンらしい(anod:20181007164838)。セーラームーン露出度の高い服装が、男性編集者による女性の客体化に由来しているという文脈考慮するのであれば、セーラームーン全面的に認められなくなるかもしれない。セーラームーンは認められると考えている方は、どう判断するだろうか。キズナアイも、もしかするとこのケースに入るという人もいるかもしれない。

このケースを、少しいじってみよう。

セーラームーンが認められやす理由は、セーラームーンキャラクターたちにはっきりとした自己が見られるから、という説は一定説得力がある。似たような例といて、次のケースはどうだろうか。

ナミや峰不二子はこのケースだろうか。自己がはっきりとしていると、多少の露出度の高さは認められる傾向があるように思われる。あるいは、露出度の高さは、「貞淑であるべし」というジェンダーロールからの開放と見なされることすら有り得る。ここで興味深いのは、これらのケースでは依然として、男性による女性の客体化がベースにあるということだ。

このケースの考察は、個人的には、非常にクリティカルであると考えている。もし、ナミや峰不二子、あるいはセーラームーンが認められるとすると、「客体化」や「主体性」は、実は判断基準としては重要ではないという可能性が出てくることになる。むしろ重要なのは、「自己をはっきりと持つキャラクター」と表現の外形であり、言い換えれば「異性に媚びてない」見た目であれば、その誕生経緯はどうであろうと、問題ないという判断になりえる。

「宇崎ちゃんは嫌だが、セーラームーンは許せる」という人は、「宇崎ちゃんは異性に媚びているが、セーラームーンは異性に媚びていないようにみえる」からという心理理由かもしれない(もちろん、違うかもしれない)。これが正しい仮説だとすると、表現の是非の判断が、外形が許せるか許せないか、という問題帰着してしまう。さらに、an・anの表紙にも違和感を覚えない人であれば、「同性が異性に媚びている表現は嫌だ」という結論になる可能性がある。

私自身は、このような表現判断基準の持ち方は、どちらにしても問題ないと考えている。なんらかの経緯により、このような判断基準に至ったとしても、それは個人自由である。一方で、客体化あるいは主体性表現の是非に影響を及ぼすという観点妥当性は、必ずしも明白ではない、とも考える必要があるのではないだろうか。

いずれにせよ、表現誕生経緯を勘案することは非常に難しい。セーラームーンの例にしても、男性編集者存在など、そもそも知らなかった人も多いだろう。これはつまり、外形のみでセーラームーン表現の是非を勝手判断していた人が、それなりに存在しているということだ。私自身は、このような理由もあり、客体化あるいは主体性といった要素を表現の是非に持ち込むことには慎重になるべきだと考えている。

もし、何らかの理由で客体化に触れたい場合は、例えば「過剰に異性に媚びた表現は、性的搾取セクハラ助長につながるのでNG」といったように、むしろ外形をベースとした基準にしてしまったほうが、理解も得られやすいし、運用が楽なのではないだろうか(もちろん、「過度に」とはどの程度か、とか、「異性に媚びた表現」が果たして本当に性的搾取セクハラ助長につながるかどうか、「異性に媚びることは悪いのか」などの別の議論必要である)。

2019-10-29

JOKER気づいたところメモ(完全ネタバレあり)

話題になってるJOKER、予告だけ観た状態で1回目観て色々圧倒され、いろんな方々の評論を読んだあとにもう1回観て気づいたとこを備忘録がてらメモ。核心に触れるネタバレ多数なので未見の方はこの先非推奨です。

 

 

 

 

 

 

 

物語構造について

  • まず、映画の中でアーサーが一番最初に語る言葉が「狂っているのは、僕か?世間か?」というセリフであり、これで大きな問題提起がなされている。
  • この答えすら人によって異なると思うが、個人的には、アーサーも世間も両方狂っていて、本編の事件きっかけにその歯車ががっちりと噛み合い高速回転し始めた、というところだと思う。
  • 物語の大枠としては、アーサーが母親を殺すこと、そして「俺の人生悲劇だ、いや違う喜劇だ」というセリフを軸にしてアーサーの行動が対称的に描かれている。
  • 前半では、悪ガキに看板を盗まれアーサーが追いかけているシーンで、車に轢かれそうになるが轢かれない。後半では、アーサーが刑事に追いかけられるシーンで、車に轢かれてしまう。アーサーが追いかける/追いかけられるという物理的な状況だけではなく、街にとって敵になったかどうかの暗喩も含まれている様に思う。
  • 前半では、アーサーは母が待つ自宅へ帰る途中うつむきながら階段を登る。後半では、ピエロの格好をして階段を楽しそうに踊りながら降りていく。まだ険しい道でも登ろうとしていた意思があったアーサーが、行く先(母親)や様々なものを失い、開き直って落ちていくという対比。
  • 前半では、地下鉄若い証券マンを殺した後に、アーサーは暗いトイレに閉じこもり、太極拳の様な舞いを静かにかに踊る。後半では、同僚を殺した後に、アーサーは光の差す階段の踊り場で明るく楽しそうに踊る。
  • 前半では、妄想ではあるがマレーに親愛の情を抱き父親を感じるが、後半ではマレーに恨みを抱き殺す。

 

ラストシーンについて

 

アーサーの行動原理について

 

とりとめもなくつらつらと書いてしまったが、あくま備忘録なので悪しからず。

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