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はてなキーワード: 画集とは

2024-07-08

anond:20240708210328

アニメの背景画像画集をこの前買ったけど攻殻機動隊の背景なんかかなりよかったように思う

あとこれは個人的感想だけど初代バイファムの背景画像空気感は本当に大好きだった

2024-06-27

[]

ノールトンは、ありとあらゆる動物の陰茎をスケッチし、それを画集にまとめて出版しようと計画

そこへ米国国立芸術基金が飛び出す絵本出版に援助をすると聞き、直ちに応募。

ノールトンの申請は通ってしまった。

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-05-02

anond:20240421132347

美術に触れる経験子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り

画集教科書もあまり変わらん

西洋美術に開眼させてくれる豊富常設展を所蔵している美術館は、残念ながら日本にはない

特別展指導者に連れて行ってもらって説明を受ければ血肉になるが、そんな機会を持てる人は都会でも少ないだろう

画集テレビ番組でも、自分から主体的に興味を持って勉強する子はいるだろうけどね

anond:20240502045317

画集が家にいくらあっても芸術を語れる友が周囲にいなければ文化的とは言えない

かつて、地方の中核都市にも武士資本家コミュニティがあって、伝統文化工芸にもお金が回っていたころには、地方にも確かに文化があった

いまの地方を仕切っているのは、中学時代上下関係仕事を回し合う互助会とその親玉地方政治家

そうした人々に受けるのは文化ではなく娯楽

2024-05-01

anond:20240421132347

日本しか知らずに文化を語るとか笑止千万と心底思ったが、若い時分に何も分から美術館に通った結果、画集で十分と宣えるほどの程度のセンスのやつには何も響くまい。東京憎し東京羨まし東京disって溜飲下げるお前にはその今いる場所程度がお似合いだ。

anond:20240421132347

以下の所感になるってことは、増田の頭の作りが実務的で、感性領域に適性がないからだな

美術館博物館は何回も通って飽きた。お気に入り画集を家に置けば十分

画集と実物にどれだけの隔たりがあるか理解できない、画集なんて目録に毛が生えた程度情報量しかないのに「十分」だと思ってる

感性の高い子供が親ガチャでこのタイプの人に当たると、理解されず小さな蕾のまま腐り落ちるので可哀想なんだよな

 

東京凄さってハコモノイベントだけじゃなく、その辺の街の作りとその辺にいる人、社会のものでもある

転勤族育ちだから言えるが、それは30万ぽっちの地方都市にはできないこと

実家東京カードが最強なのは不動

2024-04-28

宝石の国は移行する年月の桁数がおかしくなってきた辺りから

あ、これもう真面目に読まなくて良い感じだな

と思って画集みたいな感覚になった

2024-04-21

東京は家の中に文化がない + 追記

東京住宅が狭すぎて家の中に文化がない。


まともな本棚を置けない。絵を飾るスペースがない。靴はひとり数足しか保管場所がない。

大きな冷蔵庫を置けないのでヨーロッパ東南アジア珍味を貯めておけない。

ホームベーカリーを置けない。ピアノを置く場所がない。食器一家20枚もない。

子供学校で作った紙粘土の鳩を飾れない。五月人形ひな人形を飾れない。

結婚式で作ったドライフラワークローゼットの奥にしか置き場がない。

ダブルベッドを2つ置ける部屋がない。もう使わないゴルフバッグを念のため置いておける物置部屋がない。


狭すぎて子供を作れない。それでも仕事のために東京にしがみついている。

生殖制限してまで働いているという意味で、本当の社畜だと思う。


それでいて地主バカ高い家賃を払い続ける。

夫婦練馬区に住んでおり上に書いた状況だった。心底気の毒だと思う。


プライベートのかなりの時間は自宅で過ごすのだから、家を文化的にすべきだ。

俺は人口30万人の地方都市に住んでいる。上に書いた程度のことはすべて実現できている。


東京は、家の外は文化的だ。俺も昔東京に住んでいた。

しか美術館博物館は何回も通って飽きた。お気に入り画集を家に置けば十分だ。

飲食店は多いが、どこもすし詰め状態で居心地が悪い。高い金を払って不健康ものを食べたくもない。

図書館の数や取り寄せサービスは素晴らしいが、借り出し・返却の時間が勿体ないのでネットで買えばいい。


文化都市東京にあって粗末な家に住む方々は本当に不思議存在だ。家の中と外とで文化水準が大きく異なることに疑問を抱かないのだろうか。

俺が思う最適解は、東京名古屋大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方事業所周辺に住むことだ。

俺が勤務する事業所は3000人以上働いている。近所には大手電機メーカーの1万人近い事業所もある。

こうした町は企業城下町様相を呈しており生活には困らない。しかも家が広くて安い。



共感するコメント共感しないコメントを予想外に多く頂けて嬉しい。

もう少し詳しい説明必要性を感じたため追記する。

共感しない旨のコメントに多いのは、モノを家に集めることは文化ではないという趣旨

しか文化基本的媒体としてモノを必要としていることを認識してほしい。

二、三例示すると、

たとえば節分豆まきには鬼の仮面大豆大豆をまけるスペース、掃除道具が必要だ。これらのモノ無しに「鬼は外、福は内」を口誦するだけの風習ならとうの昔に途絶えていると思う。現に口誦するだけの文化身の回りにどれだけあるだろうか? そうした文化は歌くらいだ。

次に、小説などの文学作品雑誌掲載されても単行本文庫にならない。芥川賞を受賞した作家でさえ、そのほとんどは、半分以上が雑誌掲載のみで終わる。その雑誌電子書籍で出ていなければKindleで読むことは出来ない。ましてや詩歌は99%は雑誌掲載のみ。Kindleで閲覧できる文学作品は実はごくわずかでしかない。

最後に、美術に触れる経験子供に与えるには画集のように家に置けるモノがあると都合がよい。いきなり美術館へ連れて行っても高い確率でほぼ全部素通り、帰りの外食の方をよほど楽しみにしている。画集が家にあれば日頃から絵画というもの存在認識するし、すごく暇なときに開いて読んでいることも稀にある。大人が楽しむにも、プロ解説付きの画集は何度も読み返して理解を深めることができる。


以上のように、個人として文化を深く楽しむにはモノが必要だし、それを子供に伝えるにもモノが必要。モノがいつでも目の前にある、手で触れることができる環境文化への距離を縮めてくれている。だから私は家にモノを置きたい。

東京文化を家の外に"外注"していることと出生率が低いことは関連していると思う。

2024-04-04

気に入った絵のコピーを手に入れるにはどうしたらいいの?

好きな絵が何点かあって、世界の誰もが知るような絵ではないのでカジュアルポスター画集で手にすることができないんだけどそれなりの高精細のコピーを家の壁に飾りたい。無理なら画集でもいいけど所蔵館のアブストラクトに収められているのかもミュージアムショップの該当ページを見てもわからない

どうしたら夢が叶うんです??アート増田さんのアドバイス待っております

2024-03-25

進路の関係倫理先生にすごいお世話になったから何かお礼したいなって思ってその倫理先生攻殻機動隊好きって言ってたかワンチャンlain好きなんじゃないかと思ってlain画集あげようかなって思ったんだけど「serial experiments lainって知ってますか?」って言ったら「知らない」って言われてじゃあ見てもあんまりかあと思ってやめた。

でも攻殻機動隊好きな人ってぜったいserial experiments lainのこともちょっと好きだよねなんかどっちも心と身体みたいなのが題材になってるからどの要素で好きを感じてるかによるんだけどでもやっぱり倫理先生からそういうのは興味あるのかなって思ったんだけどそうじゃなかったみたい。

2024-03-14

anond:20240314180044

絵だけ見てもしょうがなくね?

漫画って雑誌単行本の表紙で使うような一枚絵として描いたのだけじゃ漫画として成立せんだろ(表紙のカラー漫画絵というのは漫画というよりイラストレーター的な技術で描かれるので、サイレントマンガ、一コママンガとは描き方のレベルでも同列にはできない)

平たく言えばお前は絵ではなく漫画が見たいんだろうから雑誌の表紙は絵であってもグラビアであってもお前の欲求とは独立してるわけよ。

絵が見たいのなら漫画家やイラストレーターが出す画集でも存分にみてるがよい

2024-03-05

anond:20240305100729

著作権として保護し利用料を寄越せ

絵柄割れ厨という差別用語を生み出すことで自身神格化マネタイズしようという魂胆

まあカネカネ&カネだわな

絵柄のみが差別化要素である絵師クリエイターの中でも特に弱いんだなということ

弱いも糞も絵師クリエイターじゃねえから

クリエイターとして認められている連中はイラストレーター

自分クリエイターだと勘違いしている連中が絵師

漫画なりCG集なり画集なり商業的な価値のある作品を定期的に市場供給してようやくクリエイターなンだわ

ロクにコンテンツを作れない絵師の絵柄を保護?好きなもんだけ描いてワガママ言ってんじゃないよAIを駆使してでも商業価値のあるもん作れよって話

鈴木雅久氏はなんで亡くなったんだろう

死因が分からないというのは、なんらかの不慮の事故だったのだろうか…

しかし、ドラグナーデザイン大河原ではなく、氏によるものだったらしいという話はちょっと驚いた

大河原氏は初代ガンダムは安彦氏だし、初代ガンダムでの大河原氏のデカい成果ってザクなんだよなぁ

ドラグナーも顔は大河原だけど、体はどう考えても鈴木氏だよなぁ、足のカウルとか、腕とか

ブラスティーとかエリアルの印象があるだけで、画集買ったり熱狂的なファンではないのだけど、

改めてネットで眺めてみても、うまいなぁ、と思うのでした

航空機とかクルマとか、ほんとうまい

2024-03-04

anond:20240304070647

仕事を奪われる、って論点で言えば例えばフリー画像画集の類なんかいらすとやに奪われた人多いと思うんだけど、それにたいてして「お前の努力が足りない」って罵声を浴びせかけてきたのがインターネット絵師とかオタク様界隈だろ。

揶揄しようと思ったんだけど、罵声を浴びせかけられる側になりたくないから反対、ってことになるから筋は通ってるか

2024-02-25

閃光のマスダ

 本好きの高じた結果、その購入物によって汚染された室内は、積読現象によって室内の壁際を、二周ほど周回したこから、家主は、危機意識をいだいた。購入欲求から出発した恒常的な床不足と家計破壊は、室内に家主の生息をゆるす状況ではなくなり、電子化必然であった。

 だからといって、本当に床が抜けてからでは、家主は、裁断機運用し、自炊する力もなくなってしまうだろう。

 電子書籍リーダーの導入は、家主は部屋とともに死にむかうのではないかという認識が、本好きからひろがった時に生まれて、電子書籍の購入が開始された。

 電子化が開始されれば、すべての蔵書を均一に電子化させる、という家主の決意は、まちがいではない。

 しかし、特例事項があったことが、その後の過ちをうんだ。家主が必要と認めた書籍は、部屋に蔵書できるという規定である

 条件はあった。

 入手が困難な希少本と、画集のような今の形に意味がある書籍という規定である

 規定は、理想的にその理念行使するということはないし、一般的な人びとの視点からみれば、床が、抜けていると見えないことが、この規定拡大解釈して、運用されたのも当然である

 さらにいえば、本好きからまれビブリオマニアが、紙とインクフィーリングを忘れることができるものではないからこそ、そこに、無条件に規定無視したくなる思いがうまれた。

 その欲求は、正しい。

 しかし、ビブリオマニアもっとも深い罪業は、積読の増殖が、室内環境家計にとってもっと危機的なものであるという認識認知しないことにあった。

 しかし、電子化は、その代償を家主みずから支払わなければならない時代であり、電子書籍時代とは、技術革新時代でもなければ、祝福された時代でもないのである

 その認識からまれフラストレーションは、ますます本好きの人びと、ビブリオマニアたちに、物理回帰欲求に火をつけるのは、逆説的ではあるが、当然の帰結であった。

 増殖した積読という本が、たえず回帰する形は、物理本でしかないという欲求は、ビブリオマニアの二重の罪業である

 しかし、床を完全に再生させるためには、千冊以上は処理しなければならないだろうし、千冊処理するあいだに、積読は、さらに増殖するだろう。

 つまり家主は、すでに、蔵書全部が部屋におくことはできないと、覚悟をしなければならないのである

 これも、本好きには、容認できる認識ではないのだ。

 しかし、現代は、すべての例外規定排除されて、ビブリオマニアは、電子書籍リーダーに逼塞しなければならないのである

『……でなければ、版元が起こした反乱も、あの時、死んでいったストアたちの霊もなぐさめられない……』

 マスダは、そう思う。

2024-02-14

「オリアカ画集出す」っていうからオリジナルアカウントに投稿したオリジナル絵かとおもったらオリエントアルカディアというジャンルがあるそうです。へえ……。

2024-01-30

アイシールド21」読切に倒れ伏している

昨日のジャンプ買った?

20年ぶりの「アイシールド21」読切、どうだった?


・読めて感激、気分はお祭り文句なしに大喜びできている人

・ 「アイシールド21」という作品にはひとつ欠点もないと感じる信心深い人

ヒル魔好きな人

以下の文章を読むことはおすすめしない。

読切うれしい。21周年おめでとう。ありがとう

増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。


思ってはいるけど、漫画ファンとしては、

ぶっちゃけ全然手放しで喜べない、

看過できない仕上がりだったとも思っている。

なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。


・今回の読切に少しでも思うところがあった人

・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人


向けの内容である


・筆者について

・はじめに

・読切のストーリーについて

作画について

・かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか

・まとめ


の順で触れていく。

あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。

おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう


しかどうしてこうなった



筆者について(読み飛ばし可)

アラサー漫画オタク

・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムジャンプで読んでた

単行本画集も持ってる。アニメも見た。

・連載後半は2ちゃんアイシスレ見たりもしてた(本スレアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)

はじめに

かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。

完結して十何年もたった作品の続きが読める、

こんな奇跡はまたとない。

お祭り読切です」という言葉にいやおうなく期待は高まった。

発売日、即ジャンプ買って読んだ。



………………。



昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。

総じてネガティブ意見は言いづらい空気が漂っている。


昨今、批評批判混同され歓迎されない風潮だが、

いちファン作品真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。


読切のストーリーについて


まずあの話、どうでした?

過去キャラ総出演!」

セナVSヒル魔まさかの激突で激アツ展開!」

…とは思えなかった。

というか読切では当然のように「ヒル魔セナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、

そもそも大前提として、本作品はW主人公作品ではないだろう。

という確認がなされないまま作られている印象だった。


ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体異論はない。

人気投票では主人公を凌ぐレベルの票をあつめ、

ストーリー於いて重要役割を担い、

彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。

原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)

それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、

この物語主人公セナひとりであり、

この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。

……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。

連載半ばからヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。

そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。


思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。

セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。

デビルバッツ創立時のコアメンバー3人、

ヒル魔・栗田・武蔵がそれぞれ、

京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。

ここの3人が対等なライバルとなる結末は、

物語構造からしても納得感があるものだった。

にもかかわらず読切で披露されたのは

セナvsヒル魔NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、



三国志とはなんだったんだ?????

武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????



(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。

※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかたからでは」という擁護意見も目にしたが、

そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションはいてもいいはずである

それすらない以上、描き忘れ疑惑が晴れるものではないと思う)


読切の大筋を

「先輩とライバルになり、それを超えていく主人公セナ

という骨子にするのならせめて

セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム

…みたいな構図にはできなかったものだろうか。

さらに「AIをしのぐのは人間勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、

半端にセナ主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公ヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、

まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。


このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。


(※余談だが、アイシールドスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、

天才と凡人」というテーマ残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。

それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。

その意味においても、読切では

身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔

といったふうにセナとは別の視点ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。

原作者ヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし

本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。

後述するが、原作者編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)


あとこれも看過できないので言及するが、

セナvsヒル魔試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。

アニメアイシールドはあらゆる意味筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。


作画について

村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。

アイシールド完結から十数年、満を持しての読切、

すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生作画で、

令和のアイシールドが読めるのか!?!?


…というファンの期待は儚くも裏切られた。


今回の読切の作画

最終巻付近の、あのへんの絵柄………である


……そうか……。


初期からずっと絵がうまくて、

どんどん画力が凄みを増していって、

20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、

綿密な書き込みコミックスの隅々の描きおろし

強いこだわりや作品愛を感じられて、

だけどそんな村田先生が心身の調子を崩し、

あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊ラフな方向へ変わってしまった、

そんな、あの頃の絵柄…


遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、

防具や背景の作画もそこはかとない省エネで、

特徴的な造形のキャラ達もどことなく平均化されている、

そんな、あの頃の絵柄…


フィールドにいるはずのキャラがなぜか観客席にもいるとかい

キン肉マンもかくやの謎作画ミス連発のうえ

それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、

そんな、あの頃の絵柄………



…………そうか………。




掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、

読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、

作画時間、じゅうぶんとれていたはずでは…ないのだろうか。

武蔵はおらず、十文字の顔の傷は違う所にあり、

背番号服装の誤りも細かく発生しており、

そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。


もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。


憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしま作画がただただ悲しい。




かつてのアイシールド21の何が素晴らしかったのか



なぜこんなにも失望感が大きいのか。

失望感を覚えるということは、

そもそもアイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。


その正体は何か。



理由をたどると「原作作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。


そもそも原作者稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。

キャラクターにとんでもない退場のさせ方をしたり、

かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、

桜庭アイドルヘアや阿含ドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファン阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々

何にせよ相当ストーリー優位の作り方をしている作家と思う。

それはそれで一つのスタイルなので良い悪いの問題ではない。

事実アイシドクターストーントリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)



だが、作画を担う若き村田先生は、真逆タイプだった。


要人から端役に至るまで、

あらゆるキャラクターにかっこよさや愛嬌人間味、

バックボーン想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、

見るものに何らかの愛着を抱かせるような造形に仕上げ、

コマコマ情熱をこめて作画していた。


信じられない密度で、オマケページを埋め、

色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。


別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カット100人単位で書き起こし、

人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎしり楽しい一枚絵を用意し、


神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、

様々な光景を高解像度で補ってくれさえした。


かような作画者による手厚いキャラメイクによって、

アイシはただストーリー面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、

キャラクターを「推したくなる」作品に化けた。

そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。



これは原作作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。

原作者のつくったストーリーキャラに、

作画者の解釈が加わったことで魅力が倍増している。

まり村田先生がこの作品魔法をかけてくれていたのだ。

アイシ推しキャラがいるとしたら、

それは村田先生魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ



そして時を経て、魔法は解けていった。

何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。

読者にそれを知るすべはない。

ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、

原作ある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。


読切でも、魔法は解けたままだった。

そのことが残念でならない。



まとめ


長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。

プロ作家編集者ならなおさらのはずだ。


なのにお出しされてきたのは、

素人でもこれだけの問題点をあげつらうことができてしまう、

そういう出来栄えの読切だった。


逆に、なぜそんな出来栄えで世に出てしまったのか。

これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。



読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?

傾向と対策は、作品分析はしなかったのか?

この作品ファン層は? 

客観的に見て作品の愛されている点は? 

批判されている点は?

少しリサーチすれば情報感想玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。

作者の描きたいもの、興味関心のあるテーマは?

それを作品化するとして、最良の形とは?

プロットは、構成は? 今何をどのように描くべきなのか?

精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。

編集者作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。

にしても、あきらかな作画ミス校閲し指摘することはできるはずだ。

設定確認や、過去単行本と見比べるくらいしなかったのか?


「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」


と、作品知名度にあぐらをかい編集部によって読者全員がナメられていること、

それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。


期待は捨てているけれど、改めて言いたい。

ジャンプ編集部ちょっとはマトモに機能してくれ頼むから


そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。

すなわち、ファンアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21短期中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで

2024-01-08

九井諒子イラスト集を予約した。

電子版だが。

イラスト集を買うなんて何年ぶりだろう?

完結したダンジョン飯あんまりにも素晴らし過ぎて感動のあまりポチってしまった。

自分オタクけが少ないのかわからないがイラスト集のようなアイテムをうまく消費することが出来ない。

ただ若き頃はバリバリオタクだと自分のことを自認していた時期もあった。

から当時は、万円超えのオタクコレクター向けの画集なども購入することもあった。

でもコレクターアイテムって、いざ手に入れるとこれをいったいどうしたらいいのだろう?

と途方に暮れてしまう。

パラパラっと本をめくっても、ああうまいイラストだなあ、と思うだけだ。

集めたアイテムディスプレイするのもあまり好きでない。

というかどちらかというと物をあんまり置きたくない派だ。

そんな私が宣伝に乗せられてバカ高い初回限定生産画集なんて買ってどうするんだ?

ということに気づいてからめっきりとファンアイテムに手は出さなくなった。

これはデジタルに移行してからも変わらなかった。

デジタル目録とはいえ自分がうまく消化できない項目があるのはなぜか居心地が悪く感じるからだ。

から真逆の方向の話だが、デジタルセールで100円とかで投げ売りされるようなものでも買うのがすごく嫌だ。

なにか部屋が余計なもので満たされてしまうような感覚電子空間でも感じてしまうのだ。

とこんなふうに感じている自分がひさしぶりにイラスト集を買う。

発売日が楽しみだ。

2024-01-07

anond:20240107083340

エロ表現戦士性器露出していないかエロではない

エロ表現戦士女性自身身体露出したり強調する権利を奪っている

 ↓

楽しい

TPOって言葉を知らないフリをする人たちは、

なんでスラックスの上からパンツを履いたり、

股間を強調したプリントスラックス(GUで買える)を履いたり、

乳首や腹筋を強調したプリントシャツ(Amazonほかで買える)身に付けたりして、

学校会社へ行かないのかって思ってるよ

 

性器を見せてないし肌を見せてないし特殊な店で買ってもいませんよね?

でもこんなんで出歩く人おらんやん

 

これキズナナアイの時も宇崎ちゃんの時も言ったわ

 ↓

エロ表現戦士アツギタイツは、なんか性的に強調されてんのか?

 ↓

アクロバティック過ぎるんだが?長かったのか?

 

キャンペーンイラスト特に問題となった作品

 

😡「なんでこんなイラスト作ったの!!」
🥺「悪気は無かったの。一部イラストの監修が漏れてたの」(イラストレーターが勝手に描いた)

 

じゃけん嘘はいけませんね〜

イラストレーターと齟齬があったわけでもイラストレーターが暴走したわけでもないよ

企業のオーダー通りの作品提供しただけ

 

最初の『みるタイツ』のアニメコラボから女子高生の黒タイツ伝線パンツ見せでカッ飛ばしてたが、クレームが入らなかった

https://originalnews.nico/216814

フェチエロ画集(タイツマングリ返し・黒タイツM字開脚)を公式垢で画像RTで褒め称えても、クレームが入らなかった

https://twitter.com/atsugi_jp/status/1310797873752072193?s=21

 

この路線で行こう → この路線で行ったところ絵師の影響力でオタク女までフェチツイートが届く → オタク女怒りの引用RT → 一般人女もおこ → 炎上 だぞ

2023-12-28

anond:20231227165000

たぶん同じ作品ファンより

こちらはアニメも楽しみにしてるので観に行ったけど、80ページくらいの冊子のうち件の書き下ろし漫画は6ページで、内容もアニメ化の話題を受けての小話って感じだった

アニメも楽しみな人間からしたらすごく良い特典ではあったけど、そうでない人にはそこまで重要度は高くないかも?

これくらいもう調べて知ってるかもしれないし、どんな内容でも原作者書き下ろしは気になるのが人情だろうからまり気休めにもならないかもしれないけど、一応ご参考までに

来月の画集の他に再来月にはファンブックの完全版も出るらしいし、どっかには入ってほしいね

2023-12-27

anond:20231227165227

悲しいよね……

来月画集出るからそこに収録されるんじゃないかってちょっと期待してるんだけどどうかな

ダメももしょうがないわ

anond:20231227021620

お疲れさま

原作好きがみんなアニメ楽しみにしてると思わないでくれよってちょっと怒りたくなる非情な特典商法最近最終回を迎えためちゃくちゃ好きな作品であってさ、

ワイはアニメ全然解釈違いだからアニメ情報スルーで気にしてなかった

それが劇場公開になって、最初の一週間(その後一週ずつまた違う特典だった、なんかすごい嫌)だけつく特典に原作者の書きおろし漫画が載ってるってあとから知って大ショックだった

そういう原作の大ファンって人が血眼になって求めに劇場へ行くのはちょっと気持ちだけわかってあげてほしい

ワイはきっとあとから画集に入るだろうと思っていかなかったんだけどね

だって増田が書いてるとおり映画(ってかアニメの1~3話の先行上映だったんだけどね)見ないで特典だけ貰いにいくのってやっぱりちょっとと思うもんな

それができない以上もうあきらめようとおもって諦めた

追記

トラバつけた増田が消えてしまたからこっちにお返事貼っとこ

https://anond.hatelabo.jp/20231227165959

転売されたもの買うのすすめた増田はワイやないで

ほんまになんらかの救済あってほしいね……

2023-12-08

6年同棲しとった女が十数年ぶりに夢に出てきた

追記

ブクマですげー怒られててこわい。

もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。

あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。 

【再追記

なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw

どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミック最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨなっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国台湾アート市場に凄い可能性を感じてるんで。

特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展企画開催したり画集出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。

【再々追記

いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。

ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがいか

でも中学ときからたびたび女のイジメグループターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団絶対現実存在するとだけは強く言っておきたい。

 

hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想華僑的な 増田 男女

俺の家系一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本一般家庭とはたしかに違うかもね。

take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春

そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画全然わからん喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。

moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が

俺が中退してすぐ後にmixi元彼女日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョ彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいか幸せだと思うよ。

mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ

こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。

あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。

 

 

 

 

ので色々思い出したので独り言

 

大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。

 

マジで

「なにこれ?」

と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパート暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。

俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら

気持ち悪い」

とか言って一蹴される始末。

 

それ以来、女の

気持ち悪い」

発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草ホントマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎感情的ストレス耐性低い奴ホント無理。

 

俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザ後遺症気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。

その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初ガリガリ小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないか心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆どさないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。

付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。

 

ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。

 

で、その件以降同学年の女子殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。

 

「これ夫婦みたいやね」

 

って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。

ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。

 

でも、休日意味もなく近所の住宅街公園徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯写真撮りながら通りかかった喫茶店飲食店写真披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアック洋楽アルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間立ち読みしたり。

ある年にいとこがクリスマス新年彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。

 

家事一般は、いとこが同居中に2回喘息入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗い苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。

その後コーヒーメーカー炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。

んで年明けてからリサイクルショップナショナルの古いレンジビクターテレビデオとメーカー不明コタツ買って、ナショナルレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。

 

長いようで短い6年間、あのときはほんとに楽しかったな。

 

 

忘れもしない、草なぎ剛泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。

 

んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNS確認出来る。

 

一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。

後悔してもしょうがないけど。

2023-11-09

進撃の巨人最終回後の話の書き下ろしが出るって見たからググったら、2万2000円のキャラクターグッズ付きの画集のおまけにつくらしい。

好きな漫画だけどそんなの買うほどではないな。

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