はてなキーワード: 煙突とは
部屋の中でマフラーする人ってカッコいいよね。
中尾彬です!
かれこれここに書き続けている増田も
もう何回になったのかしら?
ここ、
噴水があって、
そこから円錐状に
先日その点灯式があったの。
賑わってたわよ。
山下達郎フェアーに向けて大忙し!
大変なんだろうけど、
もうこれは冬の風物詩として
仕方ないわね。
あいたたどんどんどん級だけど
サンタさんはやって来てくれるはずよ!
ノーラッドにサンタさんを見付けてもらいましょう~
うふふ。
もういったいハロウィーンはいつに終わったのよ的な感じだけど、
パンプキンには罪はないわ。
美味しいんだもの。
濃いめに作っておいた
ジャスミンティーをお湯で割る、
濃いめに作っておいて、
お湯で割るスタイルも
便利で良いわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張ろう~おー!
「OTOSAN」
筒型のろうそくみたいなものを燃やして耳にあてると、その煙が耳の内部に浸透して耳あかが軟らかくなり、煙突作用と熱でその筒の
「輸入の耳ケア用品を使ったら1週間後に異常なかゆみが生じて耳の中から異物が出た」「説明書通り使ったら耳が聞こえにくくなった」
「耳の中にろうが流れてしまい、鼓膜が破れてしまった」等と消費者からの苦情をもとにキャンドルタイプの耳ケア用品について、
テストを実施した結果、これらの耳ケア用品を使用した場合には、耳の中に燃えかすなどの異物が入りやすいことから事故が
起こりやすいことがうかがわれ、安全性に問題のある商品と考えられる。
『同志ウリヤノフ。思想、意思、自制、魅力、統率、扇動であります。』
『………。』
『私にはあと10点が足りなかった。私が革命をついに為し遂げられなかったならば、残り10点の欠落によるだろう。』
――同志アレクサンドロヴナ。風船を用いた飛行船によってルビッチとプペルが煙に突入。全て計画通りに進行中。
鼓膜を擦するような雑音混じりの伝令通信により、アレクサンドロヴナは甘い微睡から目覚めた。
即座に胸まで浸かりかけた追懐を殺す。感傷を潰す。
素早く一つ、いや二つ深呼吸する。
――了解。
憲兵どもの銃弾にこめかみを貫かれた同志ウリヤノフの胸をナイフで引き裂き、大動脈と大静脈を引きちぎって心臓を掻き抱きながら敗走したあの日から、私は私ではない。
埋葬もなく、墓標もなく、告別すらなく憲兵どもの放った犬の餌になり果てた同志ウリヤノフの手足であり、声であり、遺志だ。
故に自身に宿った同志の一粒種にも、父親役を演じる部下を通して同志の言葉を贈り続けた。
「信じぬくんだ。たとえひとりになっても。」
残党になり下がり、地下に潜った革命軍に残された希望は、少年に育った一粒種ルビッチと同志ウリヤノフの心臓、それのみであったが、心臓の所在が遂に憲兵どもに摑まれた。
当局がまだその存在を把握していないルビッチをアレクサンドロヴナが、同志ウリヤノフの心臓を父親役の部下が、それぞれ抱えて逃走した。
部下は心臓を8つ複製し、それぞれを異なる配達屋に預けたうえ、町の果てまで追走してきた憲兵どもの目の前で自刃した。見事な最期だったという。
何も知らぬ配達屋たちは全員、我々が仕組んだとおりに配達途中で心臓を取り落とした。
手間と賃金を換算し、配達屋たちは目論見通り誰一人捜索に一切着手せず、何事もなかったかのように配達業務に戻った。
憲兵どもに拉致された彼らは尋問され、拷問されながら、自分が何故かような仕置きを受けているのか全く理解できぬまま死ぬことになるだろう。彼らの屍を捧げることで、同志ウリヤノフの心臓の痕跡を消し去ることができる。危機はしかし、好機だったのだ。
私は私ではない。同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。
故に死後、地獄に落ちることも厭わない。
憲兵どもが配達屋たちを責めている間に同志の本物の心臓を回収し、ルビッチが父のものだと頑に信じている銀のペンダント、それは事実同志ウリヤノフ所有のペンダントで昔日に私に贈られたものだ、を脳核としてヒトガタを造る。
この町の99%を占める最底辺のプロレタリアートそのものである。
脳核たるペンダントから、父親役だった部下の写真を取り出し、代わりにプログラムを埋め込む。
ルビッチには、父親は漁のさなかに波にのまれて死んだと伝えた。
止むことなく流れる涙を見ながら、脳髄に刻むように言い聞かせる。
私は私ではない。私は同志ウリヤノフの遺志を継ぐ道具。機械。私は私ではない。私は私では、、、
――同志アレクサンドロヴナ!ルビッチとプペルが煙を突破しました! その先の何か、その先にある何か偉大なものに邂逅した模様!
この国では労働者は搾取され続け、資本家どもは肥え太り続ける。
労働者は朝も晩も、資本家どもの富の代償である煙に包まれ、煙によって目が冒され、肺が冒され、脳が冒され、死ぬ。
平均寿命は50に満たない。まっとうな状態でいられるのはせいぜい40までだ。残りの10年は苦しみしかない。
煙は資本家どもの贅肉そのものであり、この国を閉塞する蓋であり、持つものと持たざるものを隔てるイェリコの壁である。
しかし今宵、角笛は吹かれた。
壁が崩れる時が来た。
持たざるものが、煙を超えたのだ。
「諸君! 私は確信する! 遠くない未来、我々の矜持を、尊厳を、希望を、光を奪い続けた煙が晴れることを!」
「革命の父、イリヤ・ウリヤノフの息子ルビッチ! ルビッチ・ウリヤノフ! それが煙に突撃し、煙を払う者の名である!」
「同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 同志ルビッチ・ウリヤノフ!万歳! 」
「今宵この日は! お金の奴隷解放宣言が叶った日として永劫記憶されるだろう!」
「ギブ&ギブ! ギブ&ギブ! ギブ&ギブ!」
『伝説…』
『どれだけ資質を備えていても、どれほど有能であったとしても、人は不完全だ。しかし民衆は指導者に完全を求める。残念ながら人は人ゆえに、完全には成り得ない。ではどうする?』
『………。』
『理解に至りません。同志ウリヤノフ。』
『彼は選ばれた者なのだ。だから盲信するしかない。そんな諦めだ。
自身と比較し秀でているから信じるのではない。自身と比較できないから信じられるのだ。』
『………。』
『たとえばこの煙。どこまで続くか誰も知らぬこの絶望の煙を超えて、その先にあるものにまみえた。そんな、常人では発想することすら笑い話になるような伝説だ。』
『煙の、その先…』
『たとえばの話だがね。…しかし、見てみたいものだな。その先にあるものを。…きみとともに。』
10年に渡る激しい革命闘争の果てに「煙突のルビッチ」を最高指導者に戴く政治結社「赤い星」は、ついに世界史上初めての社会主義革命を成就させる。
ルビッチは言う。
『他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、
信じぬくんだ。たとえ一人になっても。
ドキドキしてる?』
あの物語の中で、「えんとつ町」というのはむしろ「狭い世界」です。
絵本程度のページ数で飽きてくる
このわずかなページ数の本を読むのがつらくなってくる、ということではなくて、
少ないページ数だからこそ、同じような絵柄のページが続くのがもったいないと思います。
作品には描かれていないことでも、作品の周辺情報(作者の考えや制作過程など)をもとに作品を読み解くのは、いたって普通の批評方法ですよ。ご存知ないですか?
「君の名は。」に対する「監督は高校時代に楽しい恋愛をしたことがない」の解釈が駄目なのは、それは事実と反するからです。
「ルビッチ=西野氏」と読み解いた根拠は、私は二つの「事実」(作者の好む服装、煙突掃除夫の制服)を挙げています。
もし、それが私の読み違いだというのなら、その根拠を提示してください。
そして、ルビッチはどのような人物なのか、あなたの解釈を示してください。
それもなしに私の評に対する評をしても、ただの難癖でしかなく、私の評は何らダメージを受けていません。
念のために言っておきますが、この物語に対する私の批評は、「私の解釈」の域をまだ出ていません。
ただし、あとがきで述べているような「作者自身の言説」、上記に挙げたような二つの客観的な事実などを根拠に、批評を組み立てています。
「私の好み」や「私の主観」を元に論じていません。
にしのあきひろ著、『えんとつ町のプペル』を読んだ感想を書く。
先に書いておくが、私は紙の本を購入していない。
作品を批評、特に批判的な批評する際、本来であればお金を払うべきだと思う。
でも、本人の意向で無料公開したのだから、私も好きなように書きたいことを書く。
最初にただしておきたいが、六七質さんの背景画が駄目だと言いたいのではない。
むしろ、ものすごい技量をお持ちのイラストレーターさんだと思う。
緻密な建物の描き込みはもちろんのこと、空間の奥行き感じさせるぼやかした遠くの景色、
夢の世界へいざなってくれるようなファンタジックさがありながらも、懐かしい記憶を刺激するようなノスタルジックさを併せ持つ独自の世界観、等々。
私が言うまでもなく、素晴らしい作品をたくさん創作されている方だと思う。
では、この絵本の絵の何が駄目なのか。
それは「構図」である。
一言で言えば、キャラクターが小さすぎ、背景が主張しすぎである。
文字だけ抽出して読むと分かりやすいが、この物語はプペルとルビッチの2人のやりとりをメインに話が進んでいく。
2人の間で育まれる友情や、ルビッチの父親の形見を2人で探しに行く冒険の描写がほとんどで、町の風景の美しさを語る叙景詩ではけっしてない。
もちろん、後述するようにこのえんとつ町自体が、物語全体のテーマに通ずる要素にはなっている。
しかし、町の風景描写はあくまでもサブ的な要素として、もう少し控えめに描くべきであった。
具体的には、キャラクターを大きく、背景のコントラストを落として、キャラクターを浮き立たせるように全体の色彩設計すべきであった。
では、なぜこのようになったのか。
それは推測でしかないが、要するに作者はこの町の風景、世界観を表現したかったのだろう。
最初から中盤まで、とにかく町の風景、風景、風景、風景・・・と同じようなページがずっと続く。
描かれている看板などはそれぞれ違うようにしてあるが、ひたすら同じようなトーンの町の風景ばかりだ。
この町の風景単体で作品としての価値があるかというと、私はそうは思わない。
「ブレードランナー」みたいな町を、「千と千尋の神隠し」みたいな色彩で味付けしただけと私は思った。
ブレラン自体が真似されまくっているので、これも世界中に数多あるブレランの50番煎じ、60番煎じの一つだと思う。
絵については、他にもある。
でも途中で、町は海に面していることが分かる。
ここで驚いたというか、ずっこけた読者も多いのではないだろうか。
「えんとつの町に住むひとは、くろい煙にとじこめられて、あおい空を知りません。かがやく星を知りません。」
とあるが、別にえんとつ町は外界から隔絶された町なのではないのだ。
それと、えんとつ町だけが高いところにあって、断崖絶壁の低地に囲まれているのか、
それとも、えんとつ町だけが低いところにあって、高い崖に囲まれているのか、海が出てくる場面まではっきりしない。
これだけ多くのページで町の風景を描いているのだから、町の置かれた地形が分かるように、町の風景を描くべきだった。
絵について、最後にもう一つ。
プペルは、醜い姿をしながらも、清くて純真な心を持った、他のさまざまな物語にも登場する典型的な怪物キャラクターである。
しかし、絵本の序盤ではプペルの姿ははっきり見えず、終盤に近づくにつれてプペルの姿が明るく映し出されて全容が分かるようになる。
あとがきで作者が 懇 切 丁 寧 に 説明してくれていたように、プペルが「ゴミ」から構成されているのは物語の重要な部分である。
それであるなら、プペルの姿の醜さは、序盤からはっきり分かるように描くべきであった。
あとがきには、この物語について次のように説明している。(※太字は筆者)
えんとつ町は煙突だらけで、そこかしこから煙が上がり、頭の上はモックモク。朝から晩までモックモク。えんとつ町に住む人は、青い空を知りやしない。輝く空を知りやしない。『空』という概念がないものですから、見上げることもしません。
そんな町に突如現れたゴミ人間と、その友達の煙突掃除屋が、それでも空を見上げるもんだから、町から袋叩きに遭ってしまいます。えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺。そして、「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。
あとがきで「現代社会の風刺」と説明する野暮さには目も当てられないが、ここではひとまず流しておく。
プペルは「『夢を見る』『夢を語る』『行動する』といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」、いわば「夢の残骸」である。
子供の頃は誰もが持っていた「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、プペルの心のように清くて純真なもので、
それはえんとつ町(大人の社会、大人の常識)の住民からすればゴミ、汚い、臭いものとして扱われる世界観なのである。
西野氏が、ルビッチのようなサスペンダーとハットを好むのを見れば、一目瞭然である。
http://news.mynavi.jp/news/2015/01/04/138/images/001.jpg
http://up.gc-img.net/post_img_web/2013/02/55cb8b02247b92662b9e0a71412ec0f3_0.jpeg
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Taishu/Taishu_21980_1.jpg
http://jgweb.jp/wp-content/uploads/2013/06/new_IMG_0039.jpg
http://img.u-note.me/note/uploadimage/1407827558970.jpg
http://s.eximg.jp/exnews/feed/Yoshimoto/Yoshimoto_201306_post-0995_1_s.jpg
駄目押しで書くと、煙突掃除夫にはこのような制服があるので、作者がルビッチに自分を投影していなかったのならば、ルビッチはこのような容姿になったはずである。
google:image:Chimney sweep uniform
つまり、この物語は、現実世界で「夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる」作者・西野氏自身が、清くて純真な「夢の残骸(プペル)」の尊さを自分だけが理解し、そして夢を叶えるという概念(空にはホシがあるということ)は自分だけしか知らず、自分だけが夢を叶えることができたという話なのである。
それでは、西野亮廣氏は「夢を語るから、行動するから」笑われたり、叩かれたりするのか。
もちろん、そうではない。
https://www.youtube.com/watch?v=asx0938br3E
現代の現実世界では「夢を見る」「夢を語る」「行動する」は、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」なのだろうか。
社会で生活している人々は皆「『空』という概念がないものですから、見上げることもしません」、つまり夢を見たり叶えたりする概念すら知らないのだろうか。
一部ではその通りかもしれないが、しかし、すべてがそうではないはずだ。
夢を見て、語って、行動し、実際に夢を叶える大人は、この社会にはたくさんいるからである。
しかし、作者・西野氏は「自分だけが『夢』という概念を知っている。自分だけが大人になっても夢を見て、語って、行動している。だから自分は笑われ、叩かれるのだ」という考えを、この物語のなかで自己正当化しているのだ。
川上家から寄贈された土蔵が敷地の対角に二つも移設されています。
カマド跡の野外展示はプラスチックのカバーに大量の水滴が付着して
民俗資料館の煙突付きアイロン(炭を入れます)が可愛らしいです。
常設展示はとても綺麗に展示されていて、
酒呑ジュリンナ遺跡のお名前から同族の匂いを感じてしまいました。
はじめてみる形状でしたわ。
でも、わたくしのような淑女はじっくり見てはいけませんわ。
壷の上に四つの壷が寄生した形状で、丸みが連続する様子からは、
同様に豊穣への祈りが込められていたのでしょうか?
江戸時代の豊田市は小規模な大名や旗本などに分割統治されていたそうです。
その中では大きな尾張藩家老の寺部渡辺家(徳川十六将の渡辺守綱が祖)が一万四千石で、
はてなのみなさんは好きそうですけど。
藁や柳、竹という素材から様々な道具を作り出す昔の人の手技には感心しきりです。
「を書を書!を書を書!」
「ハハハ、はしゃぐなコイツゥ」
「reddit!reddit!watch NFL live stream!」
「……」スッ
「ごめんなスパム……こうするしかなかったんだ……」(人間性プスー)
「記法が……記…法……が……」
■
明くる日、僕はタウンページに載っていた人間性センターに、冷たくなったスパムを連れていった。
僕が殺した。この手で。この人間性で。
焼き場の煙突から空に向かって、細い煙がまっすぐに昇っていく。
僕が褒めると調子に乗って連投して、そこらじゅうをURLだらけにしてしまう癖。
うっかり「ようこそxxxさん」なんて言って、idを漏らしてしまったこともあったっけ。
目を閉じて僕は呟いた。
僕のまぶたの裏には、スパムが得意げに張ったリンクの青色が焼き付いていた。
今日の空よりも、ずっと深い青だった。
https://twitter.com/0830yukkey/status/764047717567832066
ユキオ0830 @0830yukkey
@Fruskiy001 はじめまして。先生の記事やご本を買いまして勉強してます。ところで、先生の本のない言おうを内田弘樹という作家が盗作した疑惑がありますがご存知ですか。http://anond.hatelabo.jp/20160627202408 調べたほうがいいと思います。失礼します。#盗作
https://twitter.com/0830yukkey/status/764048377247961088
ユキオ0830
@0830yukkey
@Fruskiy001 先生の本は、見つからないのでもできる限り新刊で買いますので、がんばってください。盗作だったら悪いことなので許しちゃいけないと思います。
https://twitter.com/Fruskiy001/status/764073832046927873
敵国のご隠居 @Fruskiy001
@0830yukkey どうも拙書をお読みいただき、有り難うございます。その件は当方は存じ上げておりませんが、体調が回復したら、少し調べてみようかと思います。 本当にわざわざご連絡いただき、有り難うございました。
以下経緯
内田弘樹氏寄稿による雑誌「丸」掲載の記事に対し、2chにて当該文には、アイオワ級に関するWikipedia記事
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AF%E7%B4%9A%E6%88%A6%E8%89%A6)
からの引き写し、および当該Wikipedia記事の底文となっている、
『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』 学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2。
大塚好古 『【第6章・第1部】3万5000トン型新戦艦「ノース・カロライナ」級』。
上掲記事からの文章剽窃が認められるのではないかという疑義がなされたものである。
====
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
https://twitter.com/0830yukkey/status/764047717567832066
ユキオ0830 @0830yukkey
@Fruskiy001 はじめまして。先生の記事やご本を買いまして勉強してます。ところで、先生の本のない言おうを内田弘樹という作家が盗作した疑惑がありますがご存知ですか。http://anond.hatelabo.jp/20160627202408 調べたほうがいいと思います。失礼します。#盗作
https://twitter.com/0830yukkey/status/764048377247961088
ユキオ0830
@0830yukkey
@Fruskiy001 先生の本は、見つからないのでもできる限り新刊で買いますので、がんばってください。盗作だったら悪いことなので許しちゃいけないと思います。
https://twitter.com/Fruskiy001/status/764073832046927873
敵国のご隠居 @Fruskiy001
@0830yukkey どうも拙書をお読みいただき、有り難うございます。その件は当方は存じ上げておりませんが、体調が回復したら、少し調べてみようかと思います。 本当にわざわざご連絡いただき、有り難うございました。
以下経緯
内田弘樹氏寄稿による雑誌「丸」掲載の記事に対し、2chにて当該文には、アイオワ級に関するWikipedia記事
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AF%E7%B4%9A%E6%88%A6%E8%89%A6)
からの引き写し、および当該Wikipedia記事の底文となっている、
『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58「アメリカの戦艦」』 学研、2007年5月。ISBN 978-4-05-604692-2。
大塚好古 『【第6章・第1部】3万5000トン型新戦艦「ノース・カロライナ」級』。
上掲記事からの文章剽窃が認められるのではないかという疑義がなされたものである。
====
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
キャプテンうんこが宇宙漂着した時代の増田アースには大陸地殻がなかった。
代わりに同年代の海洋地殻同士がぶつかりあってできた陸地がわずかに存在した。
プレートテクトニクスの発達した惑星であれば、年老いた分重く厚くなった海洋地殻の方が沈み込むのだが、
若い増田アースでは同年代の厚さの似通った海洋地殻が多く存在した。
押し合いへし合うことを強制されていた。
ジャバラのごとき、黒い地殻衝突現場では山が陸地となり、谷に海水が進出し、入り組んだ地形を形作っていた。
地殻変動によってたくさんの割れ目が岩盤にはしり、海水と新鮮な岩石が反応して水素を生成した。
あるいはモリモリと熱水噴出口の煙突が成長する。
新しい栄養源をもとめていた宇宙漂流最近の一部は、海水に溶け込んでいた星屑のうんこをせっせと消費しながら、
そうして、うこん色の海が自分たちのおしっこで満たされる中、光合成を発明するまで細々と生きていくのである。
陸地によって複雑に分断されつづけるジャバラ地形は微生物の分化をうながし、
やがて起こる「正常な」プレートテクトニクスは微生物たちが偏った場所にひたすら排出した
うんちの重みではじまったとか、はじまらないとか。
今日もまたイワシの群れを掻き分けながら会社への道を歩いていた。
いつもより早い時間に家を出たおかげで電車の時間にはまだ余裕があったので、コンビニに寄って朝食を買うことにした。
コンビニは銭湯の煙突のてっぺんにあるので、螺旋状の外階段を50段ほど登らなければならなかった。
ようやく登りきって少し息を切らしながら店内に入ると、背中に大きく「海人」と書いてあるTシャツを着た店員が一人で暇そうにレジ番をしていた。
「国産の柔らか真珠を使用」と書かれているサンドイッチとトルマリン色のジュースを取ってレジに向かった。
私の前にはこのコンビニで時々見かける、犬くらいの大きさのキリンを連れたお婆さんが並んでいた。
店を出て階段を下りながら、私は単調な毎日を過ごすことにそろそろ限界がきていることを感じていた。
駅に向かって歩いていると、バス停にネコの形をしたバスが停まっているのが見えた。
私は反射的にそのバスへ乗り込んでいた。
しばらくすると、バスは駅とは反対の方向へ走り出した。
座席でコンビニで買ったサンドイッチを頬張りながら私は「もしかしたら今日はいつもと違う一日になるかもしれないな」と思った。
潮書房光人社、月刊「丸」2016年7月号掲載記事、筆者、内田弘樹氏
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/anime/1458575380/460-507
軍事趣味雑誌「丸」7月号に内田先生が「不動の高速戦艦チャンプ「アイオワ」級」なる記事を書いているが、わずか6ページの記事に、一読して「おや?」と思うような記述がどっさり。
以下に明らかにおかしい個所を列挙する。
「1938年」が「エスカレーター条項が」にかかるのなら、「……したため、1938年にエスカレーター条項が発動」と書かないといけないだろう。
国語的におかしい。「保有枠を戦艦、」のあとに脱文があるのではないか。
「最大統制口径」なる用語は初めて見た。「主砲口径制限」が普通だろう。
ここでの「条約」は、日本が1934年に不延長を宣言したワシントン条約のことである。
文中「ワシントン」が出てこないのはどういうことか。
ワシントン条約失効に伴い新戦艦を計画したのは米英も同じであり。日本だけの話ではない。
ここは「ワシントン条約失効により建造される日本の新戦艦の性能を」で文を始めるべきであった。
1940年予算建造の「イリノイ」「ケンタッキー」はどこへ行った。
船体が長くなり、機関が強化されるとなぜ重心が上がるのか?
船の用語で wet は「湿った」ではないだろう。意味をとれば「波をかぶる」ということである。
また、アイオワ級がウェットだと言われるのは、艦首寄りの船体を細く絞ったために艦首浮力が減り、水面下に突っ込んだ時に浮き上がる力が少なくなったからである。
このへんウィキペの丸写し。
「口径が延長」はおかしいだろう。「砲身長が延長されたため」だけでよく、カッコ内は不要。
ほぼウィキペの丸写し。
4機積めるはず。
矛盾してるだろう。
これはサウスダコタが狭すぎたということで、アイオワだって狭くて不評なのである。
「しかし居住設備は当初計画時1900名強だったのが、戦時の実際の運用では2800名~2900名と1000名近く増加し、極めて苦しい状態だったのは事実である。艦内スペースはかなり不足していたらしい(世界の艦船545集より)」
ローズヴェルト大統領を降ろしたのはカサブランカではなく、500km以上東のメルセルケビル(オラン)。
こう書くと、いかにも「ミズーリ」が仁川を砲撃したように感じられるが、実際に砲撃したのは東海岸の三陟である。
アメリカは古い巡洋艦を何隻もミサイル艦に改造している一方、1950年代に新造されたミサイル巡洋艦は1隻だけ。
いまウィキペをざっと見てみたら、「ミズーリ」に特攻機が突入したところの記述もウィキペの丸写しだった。ひどいもんだよ。
降伏調印式の日付、明らかにwikipedeiaの戦艦ミズーリの項内の
>ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワに移乗させた。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入った。
を早とちりしたままその後の
>日本政府および軍の降伏文書調印式は、9月2日に東京湾(中の瀬水道中央部千葉県よりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された一五・二センチ両用連装砲が搭載予定だったが、重量の問題と同砲の開発が遅れたとこで、サウスダコタ級と同じ
>三八口径五インチ連装高角砲が両舷中央部に各五基装備された。射撃指揮装置としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が合計四基搭載された。
>副砲は当初ウースター級軽巡洋艦に搭載された15.2cm47口径両用連装砲を採用予定だったが、重量問題と開発遅延のため、結局ノース・カロライナ級
>やサウスダコタ級と同じ12.7cm38口径両用連装砲が採用され、これらを両舷中央部に各5基搭載された。
>副砲の射撃指揮装置は、Mk4レーダーを装着したMk37 射撃指揮装置が艦橋全部に各1基、加えて一番煙突の両舷部に各1基の計4基が搭載された。
>当初、副砲はのちに「ウースター」級軽巡洋艦が搭載した六インチ四七口径連装両用砲の採用も検討されたが、重量の問題と同砲の開発遅延によって、前級と同型の
>五インチ三八口径連装高角砲が艦の中央部に各四基搭載されている。高角砲の射撃指揮用としては、Mk4レーダー付きのMk37射撃指揮装置が前後の艦橋部に各一基、
>一番煙突側部の両舷部に各一基の計四基搭載されていた。
丸パクリとは失礼な。wikiの参考文献をパクリつつwikiからは要約の仕方をパクってるだけだぞ
海外のサンタクロースも日本のサンタクロースも、衣装が一緒だ。(いしょうが、ほぼいっしょだ)
コカコーラのラベルの色が赤色なので、赤色なのだという。(民族伝承の時点では、他の色だったらしい)
だが、サンタマラソンなどの企画などでは、大勢がサンタクロースの格好をして、募金をするようなイベントがある。
その心にサンタはやどるともいえる。
一方で、商用の販促に利用されているが、姿のコンセプトは同じだ。
キャバクラや風俗でもサンタコスというエロイ格好をしたサンタが現れる。
煙突、靴下がなくてもハッピーな気分になれるし、トナカイのコスプレをする人だっている。
フィンランドのサンタに手紙を書くと返信がくるというサービスは風の噂で財政難になったために、廃止されるとか、どうとか。
これだけ、様々な形で、サンタが出てくるのだから、実在するのではないか。
何でも疑ってかかる疑りやさんになってしまっているのです。
おともだちはその小さな頭で理解できないことなどありえないと思ってしまっているのです。
大人であれ、子どもであれ、人間が考えたりできることは限られているのです。
あらゆる真実と知識を内包する広い宇宙に比べれば、人間は小さなアリのようなものなのです。
○○は、愛や人への思いやりや、献身が存在するのと同じくらい確実に存在します。
それらがちゃんとあって、あなたの人生をすばらしいものにしてくれているのは知っているでしょう。
ああ、もし○○がいなかったら、どんなにこの世はわびしく退屈なものでしょう!
バージニアのようなかわいらしい子どものいない世界が考えられないのと同じくらい○○のいない世界はさびしいことでしょう。
純真な信じる気持ちもなく、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょう。
私達は自分が感じられるものや目に見れるものの中にしか楽しみを見つけることができなくなってしまうでしょう。
子どものころに世界に満ちあふれている光も消えてしまうでしょう。
クリスマスイブにパパにたのんで、何人もの人に煙突という煙突を全部見張らせて、○○を捕まてもらったらどうですか。
でもその時○○が煙突からおりてくるのを見なかったとして、いったいそれが何の証拠になるのでしょうか。
○○を見た人はいません。
この世でもっとも確かな存在は子どもや大人の目に見えるものではないのです。
芝生の上で舞う妖精の姿を見たことがありますか?もちろんないでしょう。
目に見えないもの、見ることができないものがこの世に存在するという不思議を想像することができないだけなのです。
赤ちゃんが持つガラガラを分解すれば、どうして音が鳴るのかわかるでしょう。
でも、目に見えない世界を覆うベールは、どんなに力の強い人でも、それどころか、世界中の力持ちをみんな集めてきたとしても、引き裂くことはできません。
信じる気持ちと想像力、それに詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンを引き分けて、その向こうにある、この上なく美しく、輝かしいものを見せてくれるのです。
ねぇ、バージニア、それほど確かな、それほど変わらないものはこの世にはほかにないのですよ。
○○がいないですって!とんでもない!
それどころかいつまでも死なないでしょう。
1000年後までも、いえ、バージニア、100万年後までも、○○は子どもたちの心を喜ばせてくれるでしょう。
1:サンタクロース
2:STAP細胞
3:チョキ3枚を保有しているX
共感というのは、相手と自分とが同じように思う、という意味の事だ。
例えば満月を見て「美味しそう」と同時につぶやくことが、結婚のキッカケになることもある。
そう、今オマエさんが思った「あー、プラネテスね、良い漫画だったね」と思ったそれが共感だ。
そして、「何のことだ?なんか有名なエピソードか?」と思ったオマエさんとは、共感できていない。
このズレが、コミュニケーション能力の高低として語られるわけだ。
ズレの補正は、たゆまぬ蓄積で可能になる。
情報の伝達という意味で言うと、これほど無駄なものはないし、同じ「辞書」を持ってないと会話にならない。
「おはようさん」
「Buenas tardes!」
「たる?なに?」
みたいなのは特殊だとしても、結局のところ相手と同期もしくは共感できなければ、会話は成り立たない。
こういう会話ができるようにしてあげたいんです。今は
「暑いですね」「いやーホント最悪ですよね、さっき犬の糞ふんじゃったんですよ」
コミュニケーション能力の鍛え方を教えて欲しい
この場合、一つ目の会話は「暑い」という天候の話題で雑談としたいという「意思」があるわけだ。
しかし、二つ目の会話を「今日はなんとなく嫌な日」という「意思」だと捉えると、さほど違和感のある会話ではない。
つまり、こういう補足を入れると、だ。
という風になる。
後輩は、先輩からの「ネガティブな日だよなー」という雑談に共感し、正しく応答している。
ポイントは、先輩から見れば「俺はそんな話題は振ってねーよ」という所にある。
二葉亭四迷が、「Ваша」を「死んでも可いわ」と訳したのは有名な話だが、
結局のところ、相手に伝わるように「揃える作業」を会話の時には無意識に行っている。
コンピューターはそんな無意識を持っていないので、通信し応答するという手順を定め、プロトコルとして定義している。
空気を読む、というのが最たるもので、つまりその場におけるプロトコルを推定する能力なわけだ。
先ほどの「こういう会話」に「共感」した人達は、無意識に次のような手順を踏んでいると言える。
実は、「A(今日は通勤中暑かったな)」だったりすると、会話としてはズレがある。
「(今日は昨日に比べて外気温が)暑いですね」と「(部屋の中が)暑いですね」とでは、意味が違う。
でも、大抵「A(あれ?部屋のエアコンの話してる?)」みたいにズレは無視されたり、摺り合わせがなされる。
世の中には、雑談や指示の受け取り方、命令伝達から意思疎通に至るまで、あらゆる面で特化した人達がいる。
「貴方が森を歩いていると煙突が有ります。どんな煙突でしょう?」
みたいな性格診断がソコソコに流行ったり盛り上がる背景には、全員が同じ答えを返さない、
つまりは、「全員異なる辞書を持ち、全員違う思考回路を持ち、全員まちまちな経験を持つ」からだったりする。
ただし、大抵の場合は、おおまかに一致する部分がある。
例えば、「たまごっちが流行った」だとか「8時だよ全員集合は観ていた」だったりすると、世代間の差として判りやすい。
でも、「暑いですね」と話しかけたり、「A案とB案とどっちが良いと思う?」という問いかけに対しての返答が、
過去のその人物の経験則から、一般的でない回答が返ってくる可能性がある/そういうこともあり得るというのは、理解されにくい。
「8時だよ全員集合面白かったですよね」「そうですね、面白かったですよね」
こういう会話ができるようにしてあげたいんです。今は
ここまでで判る通り、会話というのはノイズが多い割に省略されがちだ。
だからこそ、推測混じりに会話を成り立たせる必要があるし、推測にミスが生じる理由は、ベースが異なるからだ。
雑談に関しては、そのズレを楽しむ余裕がほしい。
「暑いですねに対して、犬のうんこの話しされるとイライラする」ならちょっとカリカリしすぎだ。
そもそも「暑いですね」と話しかけて「そっすね」と返されて、何がしたいのだ。
だが、仕事となると話は別だ。
意思伝達にズレがあると、業務に支障がある。
(恐らく、注意や質問にずれた答えを返すという記述から、業務において支障があると推定して良いだろう)
「AとBのどっちが好き?」と聞くと
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~という理由で、Cのこと嫌いじゃないです」と返してくる。
辛抱強く最後まで聞いてから、「で、AとBのどっちが好きなの?」と聞くと
「あ!Aです、すいません」と答える。
これを、単なる雑談ではなく、業務担当者としてA案とB案のどちらが良いか、という質問だと考えてみよう。
ポイントは、先輩から見れば「俺が聞きたいのはAかBかどっちが良いかだよ」というところだ。
先ほどの雑談と同じく、「後輩側は正しく応答している」と仮定すると、これは「後輩の共感ミス」という事になる。
「(先輩は、グループでどれが嫌いか聞いてるのだな?そのグループで嫌いなのは無いけど、あえて言えばCで、でも嫌いってほどでも)」
という想像をしていると、仮定してみれば良いのだ。
ベースが異なる異文化と交流をする際には、相手に対する敬意と知識が必要になる。
しかし、世の中はさほど生きづらくは無く、「聞き方が悪い」と断じても意味は無い。
・コミュニケーション能力が絶望的に低いことを気付かせ、
・コミュニケーション能力を鍛える方法を教える
ことに決めた。決めたのです。
さて、さらっと「聞き方が悪い」と書いたのだが、
共感力が低い相手に「お前と俺と経験が違うし、職業上の文法も違うわ」と言ったところで、伝わらないだろう。
例えばだが、
という聞き方をすれば、聞く方からすれば必要な情報は得られる。
しかし、そういう聞き方をしない相手と、そういう遣り取りをする必要が有ることに気が付かせるのは、相当に難しい。
これは、「共感力のベースを鍛える必要がある」事に気が付かせ「共感力のベースの鍛え方」を教えるということだからだ。
本人はそんな必要があると思っていないのに、それと気が付かせるのは至難の業だ。
この中で出てくる「先輩」に対して、「オマエの聞き方が悪いんだよ」と「自分から気が付かせる」には、相当な技量が必要だ。
ハッキリ言おう。
「業務に支障があるレベルで、共感力というか、会話をする時の推測がミスってる」
「その推測ミスに、悪意がないことも判ってる。だけど、推測ミスは業務に支障が出る」
「相手が言葉にしないで当然わかって欲しいことが、知識として蓄積できていない」
相手はショックを受けるかもしれないし、意味がわからないという顔をするかもしれない。
何かズレがあるにも関わらず言葉が多いのは、意思疎通に不安があるからだ。
目と目で通じ合える間柄でないのならば、言葉にする必要がある。
質問の意図を咀嚼して、相手に確認を取ることで、共感力のベースが育つ。
教えたり質問したり注意したりする方は、何度も何度も変な理解をする相手に苛立つかもしれない。
しかし、その後輩は、そうやって聞き返さなければ、先輩には見えない頭のなかでそう理解しているわけだ。
この「相手の質問の意図を確認し、まず結果から返答する」というのは、ビジネスにおいてマイナスになることは無い。
メモにとれば、その相手はどういう聞き方をするかが、物理的に残る。
先輩は、後輩の育成具合をメモの数で把握できる。指摘もできる。
突然関係のないことを人に話しかけられてパニックに陥る人間もソコソコいる。
想像してみよう。
言葉の分からない空港で、突然現地人に親しげになにか話しかけられた時に、しどろもどろに英語で何かを返す自分を。
「なんだよ、今日は良い天気だなって話しかけただけなのに、変な旅行者だな」と相手は思っているかもしれない。
職場をそんなふうに捉える人間が存在する、ということをまず理解し、受け入れよう。
そして、「そういう時は、暑いですねって返すもんだよ。意味のない雑談なんだし」と言えば良いのだ。
「(なんだこいつ)」と頭のなかで思うだけでは、相手には決して伝わらないし相手の挙動は変わらない。
伝えても変わらないかもしれないが、伝えなければ絶対に変わらない。
健闘を祈る。
自分の推測にミスがある、あるのではないかということを、まずは認めよう。
キミのAPIには、致命的な欠陥がある。
相手がAやBを返してほしいことは分かってる。
が、それはワイドショーで
僕は本心を隠したまま、ウソを付いて相手に合わせることになる。
Gの方が核心に近いと考えたからだ。
考えすぎてコミュニケーション能力が低い人へ
日本では、職能と職責と職分とが、渾然一体と混ざり合って、なあなあになっている。
ソコソコに有名な話だが、外資なんかだと
「AとBと、技術者としてどちらが良いと判断するか?」と聞かれて
「Gの方が核心に近いのでは?」と返すと
「それを判断するのはオマエではない。で、AとBとどちらだ」とハッキリ言われる。
技術的な提言をする人間と、判断する人間、選択肢を選ぶ人間が、きちんとわかれている。
そもそも、「AかBか?」と聞かれて「本心ではAやBが問題ではなく、Gの方が核心に近いと考え」るのは、僭越なのだ。
なぜならば、上司が判断するよりもオレの判断が正しいという傲慢さの現れだからだ。
そして、「先輩が聞きたいのは、AかBかではなく、○○という問題の解決策なのだな」という推測にミスがあるのだ。
繰り返そう。
コミュニケーション能力が低いのは、相手のクロック数が低く、相手が自分の処理能力に達していないからでは無い。
プログラマーなら、「驚き最小の原則(Principle of least astonishment)」を思い出そう。
Excelでsum関数を使った結果、突如C列の出費だけを合計して出力されたら困るだろう。
繰越金や入金をも合計するのには、理由があるのだ。
勝手に推測されて(その推測にマシンパワーを使われて)は、困る。
ついやってしまうのであれば、先ほどのアクションを実行しよう。
精神論ではなく、難しい手順でもなく、聞き返すだけだ。
そして、大抵の場合は、
「いや、そうじゃなくて、AかBかは部長の判断で絞られてて、どっちかしか選べないから」
と言われて、「じゃあAですね。Gが核心だと思うんですけどね、部長も判ってないっすね」みたいに繋がるのだ。
もしくは、「そうだね、AかB以外でも解決策があるなら、それも教えて」と言われて初めて、Gの話をすれば良いのだ。
これが「会話」だ。
どうもコミュニケーションが上手くいかないと感じた時に、傲慢さを捨て、謙虚になり、内省する必要は「無い」。
上司が本質を理解せず、先輩は無能でレベルが低く、誰も自分の抽象化についてこれないと思ったままでも構わない。
情報量に差があり、推測にミスがあるのなら、補正をかければ良い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB
詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通の風景を描いているように見えて、実際にはその風景は現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである。
例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車の煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。
因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。
ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif
◇
ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである、麻枝准の曲が好きである。
特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである。
十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。
時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。
そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である。
日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。
平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。
先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。
iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。
すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。
僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。
どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。
楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた
僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。
自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。
そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。
つまり、360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである。
キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。
その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。
僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。
彼女は歌い続けていた。
僕は耳を澄ませていた。
僕はその歌詞にぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。
そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。
そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチをオフにしていた。
どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた
いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた
麻枝准 - 『恋心』
こういうこと腹括って離せる友達もいないしな。一応検索してみたんだけど、あんまりそれっぽい増田がなさそうなので書く。
前置き、キーノートは見てないから信者の人にはすまんって思う。だって、見る気すら起こらないよ。なんなんだよあの煙突はよ。
あれで性能アップっていうんだからそりゃ凄いとは思う。額面だけ見たら信者的には「shut up take my money!」なんだろうけど、Mac Proの一番の魅力ってあの無骨さなんじゃないの?iMacとかMac miniとかのラインナップで素人お断りな値段と性能。それでいてあのフォルム。。。見るものを圧倒するあの感じ。あれがもう見られないのかと思うと悲しくなる。
だいたい、Mac proの売りって拡張性とかあったよね。どうせあの筒をはがそうとしたら保障対象外にでもなるんだろうな。どうやってあそこにHDDの差し替えとかするんだろ。だから、おれが思うにAppleは据え置きを本当に絶滅に追いやりたいんだと思う。iMac然り、iPadみたく古いのは切り捨てられないだろうからね。だっておれのiPad1世代だけど、バリバリ現役なんだけど。2世代以降ってなんか信用ならない奴みたいな感じなんだよね。まあ、金がねえってのも本音なんだろうけど。WWWCだかトイレだかしらんけど、おれのiPadはもうアップデートされないから次期OSとかほんとどうでもよくなったよ。クソが
なんというか、ジョブズさんおらんとAppleはとたんにダメになるジンクスって本当なんだろうね。確かにMac Proだけじゃ「何ができるか」ってのが訴求できないんだろうけどさ。FCPXみたくGUI変えまくるのとはまた違うと思うのよ。少なからず、もう金貯めていつかMac Proが欲しいっていう夢はなくなったね。
ヴァージニア、それは友達の方が間違っているよ。きっと、何でも疑いたがる年頃で、見たことがないと、信じられないんだね。自分の分かることだけが、全部だと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子供でも、何もかも分かるわけじゃない。この広い宇宙では、人間って小さな小さなものなんだ。ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしか分からないし、本当のことをぜんぶ分かろうとするには、まだまだなんだ。
実はね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、そういうものが溢れているおかげで、人の毎日は、癒されたり潤ったりする。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごく寂しい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごく寂しいことなんだ。サンタクロースがいないってことは、子どもの素直な心も、つくりごとを楽しむ心も、人を好きって思う心も、みんな無いってことになる。見たり聞いたり触ったりすることでしか楽しめなくなるし、世界をいつも暖かくしてくれる子供たちの輝きも、消えてなくなってしまうだろう。
サンタクロースがいないだなんていうのなら、妖精もいないっていうんだろうね。だったら、パパに頼んで、クリスマスイブの日、煙突という煙突ぜんぶを見張らせて、サンタクロースを待ちぶせしてごらん。サンタクロースが入ってくるのが見られずに終わっても、なんにも変わらない。そもそもサンタクロースは人の目に見えないものだし、それでサンタクロースがいないってことにもならない。本当の本当っていうのは、子供にも大人にも、誰の目にも見えないものなんだよ。妖精が原っぱで遊んでいるところ、誰か見た人っているかな? うん、いないよね、でもそれで、無いって決まるわけじゃない。世界で誰も見たことがない、見ることができない不思議なことって、誰にもはっきりとは掴めないんだ。
あのガラガラっておもちゃ、中を開ければ、玉が音を鳴らしてるってことが分かるよね。でも、目に見えない世界には、どんなに力があっても、どれだけ束になってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものが掛かってるんだ。素直な心とか、あれこれ逞しくすること、したもの、それから、寄り添う気持ちや、誰かを好きになる心だけが、そのカーテンを開けることができて、その向こうのすごく綺麗で素敵なものを、見たり描いたりすることができる。嘘じゃないかって? ヴァージニア、いつでもどこでも、これだけは本当のことなんだよ。
サンタクロースはいない? いいや、今このときも、これからもずっといる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはいつまでも、子供たちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。
今日はクリスマスだ。増田の諸君。メリークリスマス。楽しんでるかい?
ただそんな諸君に悲しいお知らせをしなければならない。それは標題の通り。サンタクロースは世界平和と安定と秩序を脅かす重大なる脅威であると言うことだ。おそらく今、世界が滅びるとしたら、それはサンタクロースが原因になり得ると言う事実である。
今日は年に一度のサンタクロースの活動が活発化する日である。こんな日に、サンタクロースの脅威から世界を守るにはどうしたらいいかを考えてみたいと思う。
これには様々な意見がある。サンタクロースは1人ではなく多数だという意見がまず大多数を占める。一番多い説は、サンタクロースは我らの親であると言う説だがこれはナンセンスだ。なぜならば我らの親、あるいはそれに近しい人々がそんな禍々しい存在であるはずが無いからである。
その証拠に、日本の公共放送たる日本放送協会(NHK)が以下の様な記事を出している。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121224/k10014390971000.html
以下に一部引用させてもらう。
大きな袋を抱えたサンタクロースが北欧のフィンランドを出発しました。
(中略)
世界中を駆け巡ることになっているということで、地元のテレビ局は、サンタクロースがクリスマスの朝までに移動する総距離は地球1万周余りに当たる4億6000万キロに達する
Webニュースでは静止画だが、テレビ放映では動画付きで伝えている。これが何よりも証拠だ。
なによりサンタクロースを擁する……いや、違うな。世界の脅威たるサンタクロースを抑える事を世界中から押しつけられているフィンランドでこのように報道していることが、一人のサンタクロースが、4万6千万キロもの距離を渡り世界中を巡るという事を示している。(実はそれでもまだサンタクロースは複数人いると言う可能性が否定はできない。しかし許して欲しい。私も人間なのだ。こんな脅威のバランスブレイカーが何人も存在するなどという事は考えたくはないため、本文ではそうさせてもらった)
ではこう言い直そう。この数字は、約3天文単位。1天文単位は、地球と太陽の距離である…。
4億6千万キロメートルを24時間…。単純に計算してみると、その平均速度は53,240,740.7m/secである。時速に直すと、191,666,667km/h。つまり1時間に191万kmを駆け抜ける速度である。
人類が作り出した、あるいは、地球生命体が作り出した物体と比較してみよう。
物体 | 速度 | 備考 |
---|---|---|
人類最速のウサイン・ボルト氏の瞬間最大 | 44km | http://usainbolt.com/ |
地上最速の動物,チーターの瞬間最大 | 100km/h | http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC |
世界最速ジェット推進自動車(瞬間最大) | 1,229km/h | http://www.thrustssc.com/ |
最強の戦闘機と言われるF-22 ラプター 最大速度 | 2,450km/h | |
世界最速の航空機X-43A | 11,200km/h | http://www.nasa.gov/missions/research/x43-main.html |
人類が体験した最速,アポロ宇宙船瞬間最大速度 | 38,000km/h | |
人類が生み出した最速の物体、ボイジャー1号 | 61,416km/h | |
サンタクロース | 191,667km/h | (他は全て最大速度だが、これだけ平均速度) |
桁が違う事が分かるだろう。さらにサンタクロースの速度は平均値であり一番最小で見積もった値に過ぎない。実際はもっと早い速度で移動していると思われている。人類が長い時間をかけ到達し、知り得る最も遠い場所を飛んでいるボイジャー1号の場所ですら、彼は一週間もあれば楽に往復することができるのだ。
さらに、彼は、隠密行動を常としている。
彼の活動が観測できる様になったのは、北アメリカ航空宇宙防衛司令部が総力を挙げて観測しはじめてからだ。しかしそれでも、その巨大な観測網で荒く観測することがやっとであり、未だに彼の姿を目撃したという確かな証言は少ない。
さらに未確認情報であるが、彼は腰につけた鍵でどのような防衛システムすら無効化する能力を持っていると言う。これはサンタクロースは煙突のない家にはどうやって入るのか、と言う子供の無邪気な……そして、真実を知らない残酷な……質問に対する答えとして語られる事だが、これは大変な脅威…いや…その速度と、今まで誰にも見つかってないと言う事実を勘案するに、この程度は驚くに値しないのかも知れない。
いやいや、そんなことはない。これはアメリカ政府も認識しているし、おそらく間接的にだが世界中の国々は多かれ少なかれその脅威を意識しているはずだ。
これは北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が、この時期になると躍起になって、その世界的に張り巡らされた対空、対宇宙監視網、DSP衛星や、弾道ミサイル早期警戒システム、さらに宇宙軍とも言える空軍宇宙防衛軍団等を駆使し…もっと言えば、NATOや、日本、韓国台湾などの同盟国とも接続している巨大な情報網を駆使してまで、間接、直接にせよその年間数千億ドルもの金をつぎ込んで維持しているシステムをフル稼働させてまで追跡していることが示している。
さらに言えば、彼らの観測網はどうしても旧東側諸国、共産圏では弱い。しかし、この観測網ではそれらの国々ですら鮮明な情報がとれている。これ旧東側諸国の軍も全面的に協力しているという証拠では無いだろうか?
今の世界ならば、それほど驚くに値しないかも知れない。しかし、NORADが…いや、その前進で、東西冷戦の最中、核が積まれた大陸間弾道弾の発射を察知し、即座に反撃することを目的としたCONAD、中央防衛航空軍基地が、1955年……この年はNATOに対抗し、ワルシャワ条約機構が締結された年だ……から続いている。一触即発であったその時代からすでに、NORADが行うサンタクロース追跡に対し、東側諸国も協力を惜しんでいなかったことになるのである!(いや、その開始時期を考えると、CONADの設立目的は東西冷戦等と言う事は単な表向きの言い訳に過ぎず、実態は世界中が協力してサンタクロースの追跡技術を確立するために作られた組織だったのでは無いかと言う疑いすらある。しかし、これはいくらなんでも陰謀論が過ぎるだろうとは思うのでここでは採用しない。)
もし万が一、サンタクロースが鞭の代わりに機関銃を手に取ったらどうなるか。
もし万が一、サンタクロースがプレゼントの詰まった袋の代わりに、BC兵器や核弾頭、水爆を積んだらどうなるか。
いやそこまでいかなくとも、彼はその隠密能力から、情報を操作し自らと知られること無く歴史を操作することも可能名のでは無いか、いや、知られていないだけで既にそれは行われているのでは無いか。
故にこれは増田の妄想では無い。世界が感じている、今そこにある驚異なのだ。
そして残念ながら、我々は、奴に対抗する手段を今だ持つ事ができない。
話が大きくなりすぎた。
では身近な話をしよう。
キリスト教国ではない我が日本であっても、サンタクロースからプレゼントが枕元に届いたら、両親などから「早くあけて中身を確認するように」と促された経験はだれしもあるのではないか?
これは実は世界中の国々がその諜報能力のすべて……日本だと国家よりも広告代理店の諜報能力の方が高いので主に広告代理店が担当しているが……をつぎ込んで行っている防止策である。
つまりは、プレゼントの中身が無害なものであるかどうかの確認を急げと言うことだ。
万が中身が一見して無害なものであっても、一黒い粉…炭疽菌はこのような姿である……や、銀色の粉……パレスチナ解放機構のヤセル・アラファト氏の暗殺に用いられた可能性の高い放射性物質、ポロニウムはこのような姿である……を発見したら、まずは近づいてはならない。
(ただ実際には子供向けのものにはこれらが含まれる可能性はありえないであろうというのが私の持論だ。理由は後記)
我々はこのような脅威、サンタクロースに対抗する手段が無いとは先に述べた。では、もはや我らに残された手段は無いのか?否、そんなことはない。一つ手段がある。
それは
「子供達をしあわせにすること」
である。これは別にシャレで言っているわけではない。根拠もきちんとある。
彼はすでに世界を生かすも、殺すも、滅ぼすも、そして世界をこの手の中にいれることも簡単に行えるだけの力を持っている。
しかしなぜかれはそれを行わないか。その脅威の力をプレゼントを配って回るなどと言う事に使っているのか。
ここで一つの仮説を立てたいと思う。それは、彼が小児性愛者(ペドフィリア)であるからではないか。
子どもをかたどった雪像を見つけると、そりを止めてうれしそうに眺めていました。
これから世界中を回らねばならぬというのに、わざわざそりをとめて眺める…。これは明らかにそちらの趣味がある事をしめしている。また彼のストライクゾーンは、3歳から14歳程度であると考えられる。またその年齢に達して無くとも、早熟の子の所にはやってこなくなる。それより大きくなってくると彼はプレゼントを置いたりしなくなるからだ。そして、民間伝承には以下の様な事がまことしやかに言われている。
「良い子でいなければ、サンタさん来てくれないよ」
そう。サンタクロースは、自らの好みの子供がいるから、そこにやってくるのである。
以上から、サンタクロースは小児性愛者であることは明白である。そして、彼が世界を滅ぼさない事、それは世界中の子供が、良い子であるからではないか。
自らの寵愛するものを滅ぼそうと思わないのは、非常に人間に近い思考をしていると考えられているサンタクロースでも同じである。
つまり、子供達が、良い子であって常に笑顔を忘れなければ、そして大人が子供が常に子供達が笑顔でいられる、幸せでいられる環境を作り上げていさえいれば、彼は世界を滅ぼそうとは思わないのでは無いか。
これは世界中の政府が、これだけの脅威であるサンタクロースを、軍事的にすさまじい脅威であり、世界平和を脅かす存在であると言う事を公表しないまま、あくまでも善良なる存在として広報し、子供達に彼を慕うように仕向けていることからも感じ取ることができる。
これらを守らなければ、その鮮血のような色の衣服を翻し、白いひげが血に染まることもいとわず、奴は我々の世界を滅ぼしにやってくるだろう。