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はてなキーワード: 須恵とは

2024-03-17

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ふるさと納税、paypay商品券にしたわー

篠栗やら須恵やら田舎だと対応してる店すくねーからやめた

週末とかにちょっと遠出する感じで大宰府かなーと思ったけど、

北九州市対応店舗数みてそっちにかえたわ

選択肢が多すぎる

ポータルサイトの言を信じるなら5万はらって3万くらいかえってくるみてーだがほんとなんかなー

北九までいくのに往復5kくらいかかっちゃうんだけどね・・・

2022-10-21

最近邪馬台国ありがちなこと8選

ご機嫌はいかがでしょうか。今日はわたくしが思う最近邪馬台国ありがちなこと8選を書いていこうと思います

渡来人来がち!

渡来人がとっても来てます! すごいです! 漢国カラクニ)のまつりごとがずっと不安定で、昔から来てたみたいですけど最近ほんとに多いです。漢のような大きな国はもう興らないのでしょうか。

渡来人の人はいろいろな技を持っています。鍛冶だったり陶芸だったり機織りだったり。我が下女(はしため)たちの機織りも最新の技を学ばせています

漢ってほんとすごい国だったんですね。漢a.k.a.KAMIって感じです!

でも問題がいろいろあります移住者が多く、かつ彼らに頼る部分も多いですので、もともと我が国に由来のある者の中でネトウヨみたくなってる人がいます。また、早くから邪馬台国や他のクニにきた渡来人の子孫、すなわち在日漢国人の2世3世最近きた人とも文化に違いがあったりしてまつりごとの際には注意を払わねばなりません。基本的には皆さん仲良くやっているんですけどね。

漢字使いがち!

1と関連するんですけど、漢国では文字を用いてまつりごとの決め事や指示を伝えます。すごいです! 文字は残りますから遠くに伝えることができます我が国も相当大きくなりましたからね。

伊都国の一大率に命令を伝える時とか相当楽になりましたよ。私も論語や孝経を読んでいますちょっとずつわかるようになってきてます

このきっかけになったのってやっぱり卑弥呼おばさんが魏に使いを出したことだと思うんですよね。我が国にいた渡来人の人にかなり手伝ってもらって魏に送る手紙文章作ったんですけど。

卑弥呼ば様ったら気に入ってしまって外国言葉ばかり使うようになっちゃったんですよ! 占いの結果とかにも。稲作はソリューションとか、部民ファーストとか、狗奴国との戦はワイズスペンディングとか言ったそうです。

古墳デカすぎがち!

これも完全に卑弥呼ばのせいなんですけど、最近古墳デカすぎる! 完全に卑弥呼ばさんがアホみたいなデカさの古墳に祀られたせい! これが各地で流行っとる!

これって戰が少なくなったのが関係してると思う。戦わない分、でけえ古墳に労力を回せる。

特に大都会吉備はすごいって話だ。わたくしあんまりお部屋から出られない(出るとめっちゃ怒られる)のでよくわかんないこともあるんだけど、確かに吉備からの貢物のレヴェルはダンチで高い。

から大都会吉備古墳も相当なんだろうと思う。わたくしもそれなりの大きさの古墳に葬られるんだろうと思います

古墳に人型埴輪置きがち!

卑弥呼ばの時と明確にトレンド変わったなーと思うのがこれ。卑弥呼ばさんの頃ってまだ戦の名残がかなりあって、偉い人が死んだら、その墓に生きた人間を一緒に埋めてたんですよね。あ、殺してから埋めることもあったみたいです。あの世でお世話させるのですから当然と言えば当然です。でも最近働き方改革でこの考えもだいぶ変わってきました。生きてる間はコメ作りとかやってもらった方が生産的なんじゃないかって。んで、代わりにと言ってはなんなのですが、古墳には須恵器で作ったモノを置くんです。昔はシンプルデザインが多かったんですが、最近はこれを人型にできないか、つまり本当の人間じゃなくて須恵器で作った人間を置いてあの世で世話してもらう考えにしようじゃないかってソリューションが出たんですね。面白い話ですよね。それで、まだ現段階では実用化まで至っていないんですが人間とか犬とかの須恵器を作る研究が始まってますペッパーとかアイボみたいなもんでしょうかね! 漢国ではその昔、地面に土で作った人形をアホみたいに置きまくってマジカルな水で川を造って墓にした帝がいたらしくその辺りも参考にしてるらしい。温故知新ってやつ。

格差社会になりがち!

邪馬台国は長い時をかけて周りのクニを従えてきました。時には戰をして力で従えることもありましたが、最後は大戰をせずクニとクニとを束ねる中心として振る舞うことでここまで大きくなったのです。

平和外交ってやつですね。ま、やばくなったら戰をいくらでも仕掛けられるんですけどね〜。占いの結果で、男たちに戦うのが吉! と出せばいいわけです。

いずれにせよ平和が長く続くと身分が固まってきて格差社会になります。強い者の意図も汲みつつ、クニを支える弱き民にも優しく振る舞わねばなりません。漢国書物にもそんなこと、かいてあります

平和になってきたせいかそういう格差を感じることが多くなってきたようです。邪馬台国では偉い人が道を通るとき身分の卑しいものは退けて草むらでひざまずくんですが、その時の作法とか声かけかにかいルールを言い始めるマナー講師みたいな人が出てきてるようです。姫巫女の私がいうのもおかしいですがそもそも敬意を払いか効率よくすれ違えればいいのではないでしょうか?

職業差別起こりがち!

邪馬台国は長い年月をかけて稲作と交易でここまで大きくなり他を従えるようになりました。奈良盆地以外でここまで大きく灌漑して稲作できるところ日の本にありますか。ねーだろ。他の地域河川が大きすぎかつ交わりすぎなんですよね。排水良くなったら他の土地が都になるんでしょうけど。あと邪馬台国はい場所にあるっぽい。東にも西にもいきやすい。

んで、稲作って大勢人間連携とって一年かけてやっていきますので非常に指揮系統を複雑にかつ大規模に行うんですね。とった米を屯倉(ミヤケ)に収める税の計算市場で売る計算やそれに伴う運搬も複雑。人間をたくさん動かす。この仕組み、そっくりそのまま戦にも使えるんです。それで邪馬台国は戦にも強くなってここまできた。

ようやく本題で、稲作万歳! みたいな感じになってて、最近邪馬台国では稲作に携わらない人を下に見る風潮かなりあるんですよね。どんぐりとってる人とか、猪や鹿とってる人を卑しいって考える。みんな肉食べるのに。米と一緒に肉食ったら美味しいのに、そういう仕事馬鹿にする。これ2000年くらいしないと解決しないかもしれませんね。

7アズマに行きがち!

邪馬台国の男のトレンドはアズマ! 東にみんな行ってる。狗奴国との戰がひと段落して、東に邪馬台国人間が行きやすくなった。それ以前も貢物や商人の往来はあったんだけど、クニとして遣わしやすくなったってこと。サキタマってとこが熱いらしい。我がお兄様もサキタマ行って向こうで拠点を作っている。なんかすげえでかい川が何本もあって、下流は川と川が入り乱れて湿地になっているそーだ。これを全部水抜いてたんぼや畑にできたら、とんでもねえ。男のロマンってのがある。みんなサキタマサキタマ〜って言ってて、まだ奈良盆地で消耗してるの? とか煽る連中も出てきてる。そのうちサキタマでも古墳造ったりして。ベッドタウンってやつだ。

8 でかい神社つくって鏡置きがち!

今までは邪馬台国三輪山だけ拝んでればよかったんですが、邪馬台国もかなりでっかくなりましたからね、これからもっと大きい、この島全体の神社を作らねばならないという話になってきてます場所はどこがいいのでしょうか? 私も実は出張して調べることがあったのですが、邪馬台国南側にとんでもなくでかい森があるんです。ここは神域であの世につながっているという話がある。ここがいーんじゃないかって。こんな感じでとにかくでかい神社を建てようという話があちこちで起こってます。そしてそこには鏡を置く。昔はもっと違った神器もあったみたいなんですけど、卑弥呼おばさんが魏から鏡もらいまくったのが決定打になってほぼ今は鏡ですね。剣とかもいいと思うんだけど。あと銅鐸使ってた人たちは邪馬台国に負けたので忖度して今は鏡使ってるみたい。銅鐸はどうしたの? って聞いたんだけど、埋めちゃったらしい。いいんだろうかねこれで。仕方ないか

いかがでしたか? やっぱり卑弥呼ばの世って色々あって、そこから少し経つと世もだいぶ変わってきてると感じます。この国は一体どうなっていくんでしょうかね。それではまた。

2020-11-23

今日多々良川(昼)

水位低い

少し遠いところにカモ8

亀池に甲羅干しの亀1

今日須恵

水位低い

カモ10くらい

アオサギ

ここは鳥が集まりやすい地形をしている

2020-10-16

昨日の多々良川

水位低い

亀池に黒の鯉が10匹くらい群れてた

須恵

コサギが3羽いた

いつも歩いてるイメージだけど3羽ともしーん・・・としてた

水位低い

暗くて見えにくかったけどカモが20羽くらいいた

2020-09-21

今日多々良川須恵川(夕方

晴れ

風が強い

水位低い

コサギ

すいいひくいといっても、コサギにとっては歩くのに苦労するくらい

水をかき分けるように歩いてた

多々良川に向かう途中の家つぶした空き地キジシロネコ

帰りに須恵

カモっぽいの2

こげちゃのやつ

うそろそろまたカモがくる季節

夏だからカモいなくなったと思ったのにあっという間だった

2020-06-04

多々良川流域を散歩し続けたら

多々良川増田といつか会えるのかな

多々良川増田

須恵川にも言及してるのをみるに多々良川須恵川の間にすんでる人っぽい?

・鳥が好きらしい

・種類への言及ちゃんとしていて詳しそう

ひらがなが多い 

・しっかり変換しなくても自分がわかればOK的な考えが根底にあるのではなかろうか

・つまりはてな匿名ダイアリーを本当に日記として使ってるのだ 奇特な人だ

・年齢性別不明 定期的に鳥を見に川に行ってるってことはまあ健康なのだろう

・毎度鳥やカメの数を数えているので、ただ歩いてるだけではなさそう

・「今日の」というが毎日行ってるわけでは全然なく、数ヶ月空いたりもしている

 

不思議

2020-04-18

今日多々良川(16時頃)

水位低い

太陽でるけど風が少し冷たい

日陰は肌寒い

ダイサギ

カモ3

カラス

甲羅干しの亀2

ダイサギ橋の下近くにいたからけっこう至近距離で見れた

やっぱりダイサギ名前の通りでかくて迫力ある

あと珍しくカラスもいた

浅瀬を歩いてた

今日須恵

アオサギ

カモ2

2020-03-29

今日多々良川(昼)

晴れ

きもちいい風、温度

ダイサギ

コサギ

カワウ

甲羅干しの亀10

久しぶりに太陽たかワラワラいた

あとトンビミサゴが空に2

高度低かったかミサゴかなあ

多々良川の別の場所

オシドリっぽいやつ1

カワウ

カワウが泳ぎながら羽広げてかわかしてた

岩とかにとまって乾かしてるのしか見たことなかったかちょっと驚いた

今日須恵

ダイサギ

アオサギ

コサギ

天気よかったからいくつか川見て回った

鳥と亀たくさんいたからよかった

もうカモはいないのかなー

2018-09-08

今日多々良川(朝)

雨降りそう

水位中くらい

カワウ

から上だけ出してると思ったらスッともぐった

ちょっと離れたところからもう1羽も首から上だけ出しててすぐもぐった

今日須恵

行き

カワウが真ん中のコンクリ高台にとまって羽をひろげて乾かしてた

でも今日天気悪いから乾くの時間かかりそう

帰り

コンクリ高台アオサギが1羽

首をのばして北側を見つめて立ってた

2018-09-06

今日多々良川(昼前)

くもり

若干むしあつい

水位低い

アオサギ

亀池に亀2

亀は鼻先だけ水上に出してた

岸の木でカラスがうるさかった


今日須恵川(昼前)

ダイサギ


帰りの多々良川(昼前)

ダイサギ


おやつ時のイエのそば電線

カササギ

飛ぶ姿みたら、確かに七夕の国のあのシルエットしてた

2018-08-24

今日須恵川(夕方

かわのまんなかのコンクリの上にダイサギが首をちぢめて立ってた

コンクリ暑くないのかな

とりの足って管理用の名札みたいなピアスみたいなのつけられてることもあるし、

痛覚ないのかしら

2018-01-31

今日多々良川

くもり

水位中くらいと低いの間

池内ブロックは全部水没してるけど、サギは立てるくらいの水位

アオサギ

昨日とおとといと同じ場所(亀池を囲ってるブロックそば)にいた

首縮めてた

いつも同じ場所いるから同じアオサギだと思う

甲羅干し亀なし(甲羅干しブロック水没してるから仕方ない

カモは結構10羽くらい多分いた・・・んだと思う

状況説明

水面には何もいなくて、やたらたくさん波紋が見えた

最初は魚かな?と思った

でも魚にしてはあまりにも波紋の頻度と数が多すぎるってのと、

池内で波紋のすぐ後にカモが浮かんできたから、

多分あれはエサ探して潜水してるカモの波紋だと推定

須恵川にコサギ

コサギだと思うけど近くにいたか結構大きく見えた

あと昨日は多々良川上流(長谷ダム方面)を見る機会があったんだけど、

カモを間近でたくさん見れてめっちゃテンションあがった

カモが近くにいた理由は、

いつも見てる橋の上からよりも川との距離が近かったのと、

田舎から人もほとんど歩いてない・近くを走ってるのは車だけってのがあったからだと思う

でも人(自分)がきたら、あわてて距離とるような動きを少しはしてたけど

5メートルくらいの距離にいた

肉眼で観察できるくらい

地味なこげ茶色系のカモ

アオサギもいた

2016-12-17

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今日豊田市結構な車出ですこと。

豊田市郷土資料館に行ってきましたわ。

川上から寄贈された土蔵が敷地の対角に二つも移設されています

カマド跡の野外展示はプラスチックカバーに大量の水滴が付着して

砂漠で水を得る方法状態でした。

民俗資料館煙突付きアイロン(炭を入れます)が可愛らしいです。

変わったところでは戦艦の36cm砲弾が置いてありました。

常設展示はとても綺麗に展示されていて、

石器時代から江戸時代までよくまとまった展示物がありました。

酒呑ジュリン遺跡のお名前から同族匂いを感じてしまいました。

展示されている石棒が、火山岩の岩脈を首元に使ったもので、

はじめてみる形状でしたわ。

でも、わたくしのような淑女はじっくり見てはいけませんわ。

自慢の収蔵品らしき大塚古墳の装飾付須恵器は、

壷の上に四つの壷が寄生した形状で、丸みが連続する様子からは、

縄文時代土偶に通じるものを感じました。

同様に豊穣への祈りが込められていたのでしょうか?

江戸時代豊田市は小規模な大名旗本などに分割統治されていたそうです。

その中では大きな尾張藩家老の寺部渡辺家(徳川十六将の渡辺守綱が祖)が一万四千石で、

大名挙母内藤家が一万石(のちに一万五千石)と

地位石高が逆転した関係にあったようで、

近所づきあいが多少ぎくしゃくしたかもしれませんわね。

はてなのみなさんは好きそうですけど。

特別展には昔の輸送道具が置かれていました。

藁や柳、竹という素材から様々な道具を作り出す昔の人の手技には感心しきりです。

わたくしは鰭で箸より重いものを持ったことがありませんので・・・・・・おほほほ。

 
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