はてなキーワード: 気づきとは
次にお前は「いや、さすがに東京が1位だろ」と言う。
ではとくと御覧じろ。
都道府県 | 曲数 |
---|---|
北海道 | 161 |
青森県 | 4 |
岩手県 | 9 |
宮城県 | 11 |
秋田県 | 6 |
山形県 | 6 |
福島県 | 5 |
茨城県 | 6 |
栃木県 | 9 |
群馬県 | 5 |
埼玉県 | 11 |
千葉県 | 13 |
東京都 | 67 |
神奈川県 | 8 |
新潟県 | 6 |
富山県 | 4 |
石川県 | 5 |
福井県 | 8 |
山梨県 | 7 |
長野県 | 7 |
岐阜県 | 10 |
静岡県 | 19 |
愛知県 | 9 |
三重県 | 11 |
滋賀県 | 5 |
京都府 | 5 |
大阪府 | 11 |
兵庫県 | 5 |
奈良県 | 6 |
和歌山県 | 4 |
鳥取県 | 5 |
島根県 | 5 |
岡山県 | 5 |
広島県 | 7 |
山口県 | 5 |
徳島県 | 4 |
香川県 | 8 |
愛媛県 | 5 |
高知県 | 8 |
福岡県 | 7 |
佐賀県 | 13 |
長崎県 | 5 |
熊本県 | 5 |
大分県 | 6 |
宮崎県 | 7 |
鹿児島県 | 9 |
沖縄県 | 7 |
な?
ちなみに最下位が青森県、富山県、和歌山県、徳島県の4曲だが、
(気が付かないからと言って、=賢明ではないということではない、まだ大丈夫だ、きっと挽回できる)
ここで出てくるのは「あっぱれ!ジモトがイチバン!!」「47」「47都道府県☆言いまクルーズ」「日本列島 どっこいしょ」と、列挙ソングである。
https://www.uta-net.com/user/index_search/search2.html?frm=ichiran&kw=%E9%9D%92%E6%A3%AE%E7%9C%8C
じゃあ、5曲からが本番かというとそうでもなくて、
佐賀県だったり、宮崎だったり、敬称が揺れてるんだなぁ。なんたるトリックスターか。揺さぶってくれるじゃないの。
https://www.uta-net.com/user/index_search/search2.html?frm=ichiran&kw=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C
ちなみに、東京3931、大阪714、京都385、沖縄245、福岡72、宮城100(うち、竜宮城がおそらく49)、広島106(うち、北広島が0)、愛知57、兵庫29、静岡73、新潟74、埼玉57、神奈川66件、千葉104件、茨城33件。
この顛末は、性的弱者問題や非モテ問題の重大な本質を明らかにしたと思う。
3人ともそれぞれ驚くほど幼稚だし、欠けてるものがあるし、しかもその欠損を間違った(絶対に満たされることがない)やり方で補おうとして、失敗すべくして失敗してる。
もうこれ、非モテとか弱者男性とか男女格差とか性的承認とか、そういう次元の話じゃない。
こいつらはやっぱり、自分自身の承認をめぐってグルグル回ってる。
自己受容・自己承認のために他者を使おうとして、そのために都合の良い道具的な他者を求めて、でも相手は道具じゃないからそうはならなくて、そのことに勝手に裏切られて、そんな裏切りに遭うのは不当だ、不平等だ、不公正だと叫んでる。
3人とも、文章やトークでは深い理解や鋭い洞察を見せることもあるし、基本的にバカじゃない。
でも、自己との向き合い方が幼いし、浅い。
名前が思い出せねえ。
毎日かあさんの件でこのサイトの存在を思い出して検索してみた。
15分ほど探したが見つからない。
自分の夢じゃなかったはず。
ネチケットという概念が日本中を飛び交い、ディズニーやデジモンのキャラクターがネチケットについて解説する二次創作がネット中にあふれていた頃。
サイトにアクセスすると最初に出てくるのは子どもの成長を楽しげに描く両親の日記。
子どもが成長して中学か高校かに入ったところで「娘にも日記を書かせるようにしました」とリンクが貼られる。
当時のインターネットでは個人がHPを持ち、HPの中に隠しページを用意することが流行っていた。
一番多いパターンは単一色の背景と全く同じ色のフォントで文字が書かれているパターン。
Tabキーを連打するか、ドラッグで選択して色を変えるかで簡単に見つけられる。
存在を匂わせてはくるが入り口が分からないサイトはソースコードを見れば大抵はヒントが仕込まれていた。
隠しページの内容は、イラストサイトであれば18禁イラスト、日記サイトなら人には言いにくい趣味の話についての日記が載っているのが常であった。
その当時のネットで暮らす人達は本能的に、直感的に、画面の中の空白から隠しサイトの存在に気づきクリックする。
そこには「いじめられっ子の日記」のようなタイトルで両親に勝手に個人情報をばら撒かれ続けた子どもの悲惨な人生が描かれている。
自分が赤ん坊の頃の話を誰もが知っているだとか、家であった内緒にしておきたい話がすぐに学校中の噂になるだとか、そしてその特異な立場から虐めにあってきたと。
両親はネットにアップロードした子どもの姿にしか興味が無いので現実の子供を見ようとしてないのでイジメには気付いてないという吐露もあったと思う。
ネットにアップした情報は不特定多数に広がってしまうので気をつけようという警鐘としてこのサイトは語り継がれていた。
いつからか、インターネットで個人情報が廃れリンク集は消え、ジオシティーズやさくらインターネットの個人HPからTwitterに本拠を移す者たちが増え、カトゆー家も断絶。
バカッターや迷惑系Tuberの起訴に代表されるようなネットで本当に痛い目にあった話が無数に供給される時代において、たとえばの話でしかなかったこのサイトは忘れ去られたのだろう。
20年ぐらい前の話だしなあ
母から使われたくないならしまっておきなさいよと言われた記憶はあるがそれをそのとき受け取ったか受け取っていないかすら覚えていない
受け取っていないような気がするのだが母は渡したはずだと思うと言っている
自分の部屋以外ありそうな場所も探してくれたようだけど見つからないようだった
もともと自分はかなりの汚部屋住人でなんでもかんでもそこらへんに放置してしまう
床に服の山が積み重なっているしゴミが詰め込まれたコンビニの袋だらけ
最近そのゴミを集めて捨てたのでもしかしてそのなかに紛れていて捨ててしまったのではないかと思う
陶器製の食器でそれなりの重さがあるから気づきそうなものだけど考えてみればこの袋妙に重いなと感じた物があったような気がしなくもない
服の山を除去してみても何か入っていそうな袋を見ていても見つからない
亡くなってから現実が受け入れられなくて毎日泣き暮らしているほどショックなくせにそんなとても大事なはずの形見の品をなくすなんてとんでもないことをしてしまった自己嫌悪がひどい
なんで大事なはずのものをそんな雑な扱いをしてしまうのか自分でも自分がわからない
家族にも白い目で見られているけれど当然だと思う
なんでこんな最低なことをしたのかわからない
自分は無気力すぎて似たようなことを何度も繰り返してきたけど今回が一番ひどい
一番可能性があるゴミ袋は何日も前にゴミ収集車が持っていたのでどうにもならない
どこに置いたのか本当にわからない
何も思い出せない
取り返しのつかないことをしてしまった
先月のクレジットカードの支払総額は4万8000円だった。私はほとんどの支払いをクレカで済ませているため、これに家賃と奨学金の返済額を加えて9万9000円。先月はだいたい9万9000円が私の口座からおさらばしていった。月によって上下はすれど、だいたい毎月の出費額は同じぐらいだ。それでも貯金とは程遠い生活を送っている。何故か。私の労働意欲が低いからか。月に2、3回、私は仕事を休む。なんとなく、メンタル的に行きたくなくなる。ので休む。時給制なので休めば収入は減る。働けど働けど猶、というほど働いてもないし働く気もないが、お金に不自由するのはそれなりに応えたりもする。交通費抜きにすれば月8000円浮くのになぁといつも思う。いつもだ。今気がついたが毎日思っている。毎日思っていたのか私は。驚いた。元々お金を使う性格ではないのだが、やはりもう少しお金があればと思うことは多い。気になっているお店で一度食事をしてみたいだとか、ニンテンドースイッチがほしいだとか、昼食にサラダをつけたいだとか、小旅行したいだとか、新しい本棚が、掃除機が、布団が、服が欲しいだとか。欲しいものが多いな私は。書き出してみて驚いた。欲しいものが多かったのだな私は。書くと気づきがある。アウトプットは大事らしい。さて晩飯の支度をするか。
だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる
ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ
開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある
初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある
もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない
わかるのは葬儀中のことだけだ
私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした
真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した
鞄にはなんでも入っていた
絆創膏、裁縫セット、やけどの薬、頭痛薬や生理用品、新しいストッキング、安全ピン
数珠や袱紗、数珠が散らばった時に使うジップロック、お客様の靴の底が剥がれた(よくある)時のための黒い折りたたみスリッパ
夏には塩分タブレットや凍ったペットボトルも入れていたし、冬の通勤時に巻くストールは、どうしても寒がるお客様の膝にかけられるよう真っ黒な大判のものだった
とにかく「大丈夫ですよ」というためにあらゆるものを鞄に入れていた
普通の人は滅多に葬儀には行かないけど、その全てが忘れられない大事な日だと思う
そういう日に余計なノイズを入れてほしくないと思って、年々荷物は増えてしまった
導線がわからないとか焼香のマナーが心配とか忘れ物をしたと悶々としている時間とか、
またはお茶を入れたり片付けをしたりタクシーを呼んだりする手間とか、
短い別れの時にそんなことを考えている時間は無駄だと思ったし、その時間を少しでも削るために働いていると思った
「毎朝仕事に行く主人を見送る時、私は今まで靴を履いている主人の背中をただ見つめてたんですが、最近になって主人の鞄がそこに置かれてることに気付いたんです。
ずっと同じ景色を見てきたのに、その時初めて鞄に意識がいって、自然に「あ、持たなきゃ」と思いました。
靴を履き終わった主人に「がんばって」と手渡したら「ありがとう」と言われて、なんだかこの仕事を始めてよかったと思いました」
そんなこと、当たり前にできる人もたくさんいると思うけど、美しい気付きだと思った
誰の記憶の中にも私たちはいないけど、私たちの中にはそういう新しい気づきが生まれて、次の葬儀がよりよくなることは嬉しいことだと感じた
その少し後、私は家族の都合で地方に引っ越すことになり、派遣の仕事は辞めることになった
毎日早朝からとんでもなく重い荷物を持って2つの県を跨いで移動したりハードな仕事だったけど、葬儀の時間はいま思い返しても好きな時間だったと思う
たとえばこの増田
このアホみたいな結論の長文を書くために費やした時間と経験をマンガにするだけでもずっと面白いものができあがる
そう思い立ち身近のブスやババアを狙い定めるが、ブスは壁が厚いわスキがないわコミュ力も低くて会話も弾まんわでどうにもならない
それならとババアを探してみるが周りにいるババアは普通にいい奥さんやってたり、独り身でも芯の強いしっかり者で性根腐ってる増田じゃとても相手にされない
結局劣等感が強くて男に飢えてるのにありつけないブスやババアなんて一人もいないことに気づき、SNSで誰にでも優しく接してそうなババアにかまってもらってつかの間の安らぎを得るにいたる
どうしてうまくいかないんだろう…
4畳半の部屋で途方に暮れる増田
思い出すのは好きだった娘にストーカー扱いされたかつての思い出
かわいかった…
こんな俺に笑顔をふりまいてくれた…
「増田クン♡」クンづけで呼んでくれた
彼氏がいる様子はないし、なぜか俺の近くにいることが多い
きっと俺のことが好きなんだムフフフフ
彼女から告白してくれないかな…いやいや、男の俺がそんなことでどうする
ここは俺が男を見せなくては!
しかも断られたんだかなんだかよくわからんはぐらかし方をされた
はじめての恋に悩み、友人たちの恋バナにひたすら耳を傾ける
「真面目な男の方がモテる」「一人の女だけを大切にしなきゃ。それを女は望んでる」そんな話が耳に入ってくる
なるほど、彼女は俺が浮気者かも、ヤリステされるかもと信用できないんだな
増田は誤解を解くべく彼女に一途(笑)に向き合い、そして立派なストーカーへと成長していく
結局最後は彼女の男からの「困ってるからやめてやってくんない?」の一言によりようやく目を覚ます増田だった
そして増田は変わった
そして自分と同じブサイクを見つけては彼女を作る方法を観察したのだ
増田は思い出した
「真面目がモテる」とほざいてたのはイケメンばかりだったことを
人前で恥ずかしげもなく女の話ができるのはイケメンばかりだったのだ
n=1の経験よりピュアピュアで一途に恋する男からヤリチンへ生まれ変わることを誓う増田
「女遊びやヤリ捨てを推奨する風潮に変わるべき!」
そう自分に言い聞かせ、すきあらば手頃そうなブスに声をかけていく
何故なら、低評価のレビューを入れることを由としない連中が多すぎるからだ。
彼らの目を気にして仕方なく評価を上げる人間が増えるほど、そのレビューは信頼できなくなる。
結果としてマイノリティがテーマの作品はみかけ上レビューが高くなってきた。
だがそれが単に状況をハックしているだけだと気づかれて今では信頼を失った。
この作品はマイノリティが出てくるからレビューが信頼できないと皆が気づき始めた。
食べログと同じだ。
食べログで評価が高くてもそれは食べログにお金を払っているだけだと気づかれたのと変わらない。
今や創作の中のマイノリティを出すことは食べログにお金を払うことと同じなのだ。
この作者(店)は、自分の作ったものに自信がないからマイノリティを出しているのだ(食べログにお金を払っているのだ)という疑いの目で見られる。
悲しいことだ。
昨年は夫に勧められてファーストガンダム、ガンダムユニコーン、∀ガンダムを見た。
今年も勧められるままに、もっといろんなガンダムを見た。見ている途中の作品もいくつかある。
これにより、ガンダムは1979年という自分にとって大昔の時代に作られたアニメなのに、今日に至るまでガンダムの名を冠した作品が作られている理由を理解することができた。
ファーストから7年でこんなにも作画が進化するのか!?めっちゃ動くしめっちゃキレイじゃん!!すっげぇ!!!!という感動があった。
鬼滅の刃や新海誠作品などを金曜ロードショーで見て、はぇ〜最近のアニメは美麗だなーすごいなーと思うことは度々あったが、何故だかその時よりもZガンダムを見た時の方が強い感動をおぼえた。
まずお母さんが死ぬ。何あれ。見ててさすがに両手で口を押さえた。たった数話でママがこんな死に方するの?ぶっ飛ばすアニメだなぁ…と思いながらドキドキしつつ見た。お父さんが死ぬシーンはあんまり覚えていない。
次にカミーユを好いてくれた強化人間の女たちがかわいそうな目に遭う。戦争の道具として作られた女は以下略。
何より最終話。彗星がブーンとか言い始めたあたりから硬直した。普段通りエンディングが流れた瞬間「はあああっ!!?終わり!!?」と大声を出してしまった。夫は爆笑していた。
カミーユはあんなに頑張ったのにこんな結末なの?いくらなんでも救いがない、あんまりじゃないか。。。
でも後から振り返ると、カミーユが反抗しなくなるあたりから鬱病っぽい感じが確かにあったと思い返す。
見ているこっちも必死だったのでカミーユのその姿を見ても心配しなかった。視聴しているときにその異常に気付いてあげられなかった自分になんか嫌気が差してしまい、2日くらいは夫の前で(はあ…カミーユ…)とかぼやいた。
しかしながら実際、戦争によってに心の傷を負った兵士は本当にいるわけで、アニメだからこういう演出なんだよな〜とは見れなかった。そういった意味でも深く心に残る作品になった。
ちなみにZガンダムの視聴中、夫は「俺が一番好きなMSはメッサーラなんだよ。いつか上司に『好きなMSはなんだ?』と聞かれたときにも答えられるようにしてる。でもまだ聞かれたことはないんだよね」と言っていた。
もし夫の上司がこれを見ていたら、どこかでガンダムの話をしてあげてください。
Zガンダム放映終了後すぐに始まったんだよ!と言われたので、Zガンダムを見終わってからすぐにYoutubeの公式配信で見始めた。
Zガンダムは本当に素晴らしいアニメだったので一体どんな続編になるのかワクワクしていた。
第一話で「見るに耐えない」と思った。ほんとにZの続編なんだよね?と夫に何度か確認した。
特にヤザンがギャグキャラみたいになったショックが一番大きかった。もっとハードな役だと思っていたのに、肉をむしゃむしゃ食いながら機体を追いかけ回す様子を見て絶句した。
Youtubeの公式配信を、毎回がっかりしながら14話くらいまで見た。会社の同僚にZZつまんないって話をしたら「後半から面白くなるから頑張って!」と言われたのでとりあえず我慢している。
確かにOPからマシュマー様が消えたあたりからちょっと期待が持てそうな気がした。
コメントでもこれを見るようたくさんアドバイスをいただいた。教えてくれてありがとう。
ファーストを見終わった時期がちょうど去年の12月だったので夫からも「この時期にはこれを見よう。大丈夫6話で終わる」と言われて見た。
嘘だと言ってよバーニィはインターネットのどこかで見たことがあるフレーズだったが、意味や元ネタがようやく理解できた。
アルくんの演技がかなり上手いと思ったらあの有名声優の子役時代とのことで、息が長い声優の凄さを知ることになった。
戦争を楽しげに捉えていた子どもが残酷さを知るようになるまでのストーリーも、自分にとって好きなタイプの話だった。ある出来事がきっかけで周りと同じではなくなってしまう、あの感じにゾクゾクした。
この作品を見てようやく「ガンダムって反戦アニメなんだ」と理解できた。遅いくらいの理解だった。
そして戦争に巻き込まれる人間のやりとりのほうに興味がある自分は、MSおよび兵器にあまり興味が持てないという気づきも得た。夫から教えてもらう数多の機体名をちっとも覚えられないからだ。∀とメッサーラしか分からない。
「Zガンダムを見た後にこれを見るとカタルシスを覚える」などと訳の分からないことを言いながら勧めてきたので、シャアが出るなら見るか〜と思って見た。
シャアの演説のシーンに思わず引き込まれたり、ハサウェイがあんなことになる理由を知ったり、ガンダムユニコーンに出てきたサイコミュがどういうものであるかを理解するなど、勉強になる要素が多かった。
Zガンダムで一応仲良くしてたアムロとシャアがまた喧嘩していたので、あの仲の良さは奇跡だったんだなと感じる。
もちろんエンディングテーマは何度も繰り返し聴くほど気に入った。
米津玄師が作ったシン・ウルトラマンの主題歌のように、誰よりもこの作品を分かっているような歌だと感じた。
夫曰く「ガンダムを何十年も生き延びるコンテンツにしたすごい作品。バンクが多いとかで不評なポイントはあっても、アニメ自体の面白さは本物だと思う」とのことで見始めた。
付き合い始めた時の夫の家の壁にはダサい服を着たSEEDキャラクターたちのポスターが貼ってあったので、服がダサいアニメだと思っていた。事実ダサかった。
『舞い降りる剣』の回は、兵器及びMSにあまり関心がない自分でも(こりゃカッケェ…)と思った。
またエンディングの入りの凄さに毎回感動してしまい、瞬時に名作であることを悟った。バンクが多いとか、ニコルが何度死んでいるとか、そういったことは些細だった。
ところで夫はどうして続編視聴をあまり勧めてこないのだろう。
以前ここで記事を公開した際に「ぜひ見てください」というブコメがたくさんついたので、Youtube公式でも配信され始めたこともあって最近見始めた。今4~5話まで見た。
この作品を見始めたあたりから、ロシアがウクライナへ侵攻を開始したため、普通とは違う状態でガンダムを視聴することになった。
楽しげなオープニングだ!きっとワクワクする展開なんだろうな!と思ったら1話で焼死体が映る。ちょうどウクライナの首都近郊にたくさんの人間の死体が転がっているニュースを見ていた。
街が破壊される様子が映る。ちょうどウクライナの壊滅した都市がニュースに映される。
あまりに現実の世界と重なるし、ウッソくんは戻れない道を進むし、現実と微妙にリンクしたガンダム視聴はさすがに毎回しんどい。まさかこれよりしんどい展開があるんですか?
劇中でクリスティナ・シエラがフェルトに向かって「私たちが頑張るたびに物価が上がるんだから、今のうちに買い物しなきゃ!」と言うシーンがあった。
今ほんとに物価あがっちゃってるんですけど!!!!!!!!!!!!!!!!!すごいよこのアニメ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ガンダムすごい!!!!!!!!!!!!!!
一連の「雑誌『映画秘宝』の記憶」という記事を執筆した増田から、以下のとおりお伝え申し上げます。
1 謝罪
初めに、町山智浩の後輩男性(以下"X氏"と表記します)の元・妻である女性たちに対して、私の記事によって名誉を傷つけたこと、精神的な苦痛を与えたことを、心より謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。
次に、X氏に対して、事実とは異なる情報を事実であるかのように流布し、また、誤った人物評価を行い、名誉を傷つけたこと、精神的苦痛を与えたことを心より謝罪します。誠に申し訳ありませんでした。
私は、町山智浩を批判しているつもりでいながら、実際には町山の共犯者となっていました。これは、私の大きな過ちでした。X氏の元・妻の女性たち、X氏御本人に対して、お詫び申し上げます。誠に申し訳ありませんでした。
2 私は、どのようなことをしたのか
大きく分けて、次の二点になります。
(1) 町山智浩が雑誌のインタビュー記事で語った「X氏が町山に対してX氏の妻(※当時、現在は離婚成立済み)の身体を触ってよいと持ちかけてきた。自分(町山)はそれに乗って彼女の身体を触った」という主旨の話を、事実であると誤認した上に、その誤認情報を他者へ伝播した。
(2) その誤認情報に基づいて「X氏は配偶者を町山に献上するような人物である」という人物評価を行い、それをはてな匿名ダイアリーの記事として発信した。
(3) しかし先日、町山智浩が「インタビューの内容は盛って話していたことであり、事実ではない」とTwitter上で告白したこと、また、町山の告白を受けたX氏も「事実ではない」と証言したことから、私の事実誤認及びその誤認に基づいた誤った人物評価が明らかになったため、この度、上記1のとおり謝罪するに至ったものです。
3 過去に投稿した「雑誌『映画秘宝』の記憶」と題する記事について
一連の記事のうち問題の有る箇所(*)、すなわち「町山智浩が実際には行っていなかったセクシャルハラスメントについて言及した箇所」や「X氏に関する誤った人物評価を私が行った箇所」を含む記事について、この記事を投稿した後、はてな運営の担当者宛に削除依頼を申請する予定です。
私自身の手で削除しない(できない)理由ですが、一連の「雑誌『映画秘宝』の記憶」と題する記事に付記した番号で示しますと、これらのうちNo.60までについては、記事を執筆した当時のはてなアカウントの退会手続きを既に済ませていることから、私自身の手で削除作業を行うことができない状況にあります。
また、町山智浩の告白から削除に着手するまでにタイムラグが生じたのは、全記事を読み返して問題箇所(上記*印を参照)の有無を確認する作業に手間取ったことが原因です。本来は、町山智浩の告白及びX氏の証言を受けて、速やかに記事を削除するべきところを、それをしなかったことについても心よりお詫びいたします。
また、削除申請に対処していただく、はてな社の方々に対しても、御手数と御迷惑を心よりお詫びいたします。(2022/05/31の12:26、はてなサポート窓口 法務関連対応チームから、問題の記事の削除処理を済ませたとのご連絡をいただきました。担当者をはじめ、はてな社の方々には御手数を取らせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。)
なお、問題箇所(上記*印を参照)を含まない記事については、削除申請をしない方針ですが、問題箇所を含む記事を私が見落としている可能性もあります。もしも、それらについてお気づきの方があれば、コメントなどで通知していただければと思います。なにとぞ御協力をお願いいたします。
現在、問題箇所を執筆した動機や当時の心理についても、私の反省するべきところを考察して、別記事に分けて説明することを考えています。
anond:20220530213745に少しだけ、考えたことを書きました。
40歳おじさん
向こうからいいねがくるのは9割以上業者、残りはアラフィフかボサボサ髪でマスク付けたままドアップの自撮りがプロフィールの同年代、さすがに遠慮させていただきたい。
とりあえず勝手がわからんので適当に30代前半のかわいい子に2,3人いいねをつけるものの、40のおっさんが相手にされるわけないなと冷静になって35+でフィルターして取り掛かることにする。
10人くらいいいね→無視を繰り返したところで、いいねを送る段階で吟味しても時間の無駄だなということに気づき酔った勢いを借りてちょっとでも目に留まった30人くらいにいいねをばらまいたところ1人だけマッチング
「pairs 初回メッセージ」でググって出てきた例文を参考に当たり障りのない感じでメッセージを送ったところ半日くらいして返信あり
相手は自分についてちょっと書いてくれてるので定型の挨拶が返ってくるよりかは多少脈あり?相手の書いてきたことに反応、それに関連して自分について書く、さらに関連して相手への質問という無難な構成でメッセージを返す
あまりの空々しさに自分で背筋が寒くなるがマッチングアプリにおけるメッセージのやり取りの正解がわからない。ただでさえ文字のやり取りが苦手なので辛い
https://www.vogue.co.jp/change/article/international-womens-day-diane-danzebrink
「生物学的女性は人口の約半数を占め、そのほとんどが更年期を経験します。なのに更年期は、長い歴史の中でジョークのように扱われ、それによって多くの女性たちが沈黙を強いられてきたのです。調べていくうちに、ネット上には何千もの『助けてください』『気が狂いそうです』といった悲痛な声があることがわかりました。それなのに、なぜサポートがないのだろう? その気づきが私のターニングポイントになり、’15年に、まずは主に情報発信をする『Menopause Support』を立ち上げるに至りました」
「活動をするにあたってダイアンが掲げた3つの目標がある。1つ目は、医学部の必修授業の中に更年期障害を入れること。2つ目は、不当な解雇や不利益などをなくすために職場での理解を促すこと。そして3つ目が学校の性教育に導入することだった。そして#MakeMenopauseMatterキャンペーン開始からわずか9カ月のうちに、イギリスの教育大臣がイングランドにおける義務教育のカリキュラムに追加することに合意。実際に2020年から、人格的・社会的発達支援教育(PSHE)の授業の中で、更年期が取り扱われている。」
「また、治療方法に対する正しい理解促進も喫緊の課題だ。現在、ヨーロッパやアメリカでは更年期障害を抱える女性の4割がHRTを受けているが、日本は2%未満。ダイアンがそうだったように、HRTに対する誤った認識が恐怖心を招き、治療の選択肢を消してしまっているのだとしたら、大きな機会損失だ。」
https://anond.hatelabo.jp/20150616100638
に対する返答だ。
まず冒頭の部分だが、
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
ここまで来るのだ。
(中略)
それはゲーム自体の本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係がヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲームに転嫁しないでいただきたいものだ。
さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると
と根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲームは推理以上のものが求められる。
人狼は推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼の面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである。最近の幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーローを模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味でドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間に共通する楽しみでありエンタメである。人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼か占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。
ほかにも人狼が面白い要素がある。村人からの視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり、人狼や人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの「戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動や所作、発言の仕方などから、「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間は論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのときの所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲームの戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ。
また、これら以外にも村人の視点として「情報提供のジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達に投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼や投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼をゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間は正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。
このように、人狼がゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ勢人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。
また、「人狼はクソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能な存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ。
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。
また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼は本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ。
結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。
逆上がり出来ない、倒立できない、泳げない、50m9秒切れないなどなど身体能力は散々だったけど
団体球技は自分の出来ないことはしなくていいし、できることに徹すればチームに貢献できるし自分も楽しかった。
バスケではゴール斜め下に陣取ってシュート、サッカーは自陣側で待機して転がってきたボールを蹴り返すだけで授業レベルなら貢献できた。
それがきっかけで接点の無かった陽キャグループの子たちと少し仲良くなったりで思い出としては悪くない。
特に思い出に残ってるのが中三のハンドボールの授業で体育の成績順でチームを振り分けてのリーグ戦。
実技は並以下の成績だったが筆記は満点だった俺はあろうことかFグループのリーダーに選ばれる(A→Fの成績順、つまり一番雑魚チーム)
チームの振り分け方にも納得いかなかったが戦績が内申点にも響くので俺としては必死でやるしかなかった。
でいざ試合が始まると初戦第二戦と大惨敗。敵味方含めハンドボールが何たるかをほぼ全員が分かってなかったので運動神経の良いヤツが無双する純粋なフィジカル勝負に
持ち込まれていたのが敗因だった。当時内申点ジャンキーだった俺はなかば絶望しかけたが、当時宮崎大輔フィーバーもありテレビでハンドボール中継をやっていたので参考までに見てみることにした。
そこで俺は一つの気づきを得た。授業では誰も彼もよく分からないままマンツーマンでディフェンスしていたけどテレビで見た実業団の試合ではゾーンディフェンス(自陣ゴールを味方全員で囲んで守る)しかやってなかった。
で、試しに次の授業でFチームの皆を説明して守りはゴール前でシュートの妨害に全員で徹するようにしたところ、余裕で勝つことができた。
ゾーンディフェンスは完璧にはまった。ゴールを囲んで相手シュートを妨害するだけだから運動神経関係なく『全員』で効果的なディフェンスをすることができたのが大きな勝因だった。
痺れを切らしてキーパーまで攻撃に上がってきた相手チームのボールをゾーンディフェンスで奪いとって自陣から超ロングシュートで決勝点取ったときのFチームの一体感は10年以上たった今でも思い出せる。
結局ゾーンティフェンス戦法は他の全チームにも真似されてリーグ戦通しての戦績は6チーム中4位くらいで内申点的には残念だったが、俺は自分の工夫でチームが勝てたこととゾーンディフェンス戦法を他
の全チームに真似させたことが嬉しくてたまらなかった。教師の指導不足とハンドボール経験者いなかったからこそできた結果だが、就活でこの話そのまま話して内定取れた会社もあったし正に成功体験。
NHKでクラシック音楽(以下クラシック)の番組が放送されていたので、食事をしながらぼんやりと見ていた。私はクラシックをたまに聞くことはあるが、好みの曲はあるけどそれ以外の曲は皆同じに聞こえる、程度の浅さで楽しんでいる。つまりよくわかっていない。
NHKで放送されていたクラシックの番組は『クラシック音楽館「次世代の挑戦者たち」』で、次世代を担うであろう才能のある若手を特集していた。クラシック音痴の私は、若手が上手に演奏していてすごいのだろうなあとぼんやり見ていた。流れていた曲の良し悪しとか難易度とかはよくわからないけど、聞いていて不快ではないので食事をしたり薬を飲みながらなんとなく楽しんでいた。
ある若手ピアニストを紹介していたときだった。高校2年生のときにコンクールで挫折したが、その後大学で自分らしい表現を追求する楽しさを発見。翌年のコンクールで優勝した上で観客賞も受賞したという。
優勝したときの演奏のダイジェストが放送されたのだが、そのピアニストはノリノリで実に楽しそうに演奏していた。そのさまは終盤には顔にはっきりとした笑顔という形であらわれる。そして曲を終えた直後の満面の笑み。観衆が大喝采するなかで、礼をしながらやりきったという表情を浮かべるさま。
これはいい、とその時私は感じた。具体的に何がいいと感じたのかは、まだ言語化できないけれど。私にとって好ましく感じる何かが、今のこのシーンにありそうな気がする、と感じた。
それはもしかすると、自分らしさを追求して楽しくやり遂げることかもしれない。それはもしかすると、自分らしさを楽しく追求しながらどこかに向かっている人をサポートして一緒に喜びを分かち合いたいのかもしれない。それはもしかすると……なんだろうね。
ともかく、今回の気づきは迷宮に迷い込んでいる今の自分にとって、一筋の光になるのではないか、と思っている。まあ、脳が雰囲気に流されて勘違いをしただけかもしれないけれども。
うれしいです。
紹介してくれたものを参考にしながら、なんとなく同じような感覚の再来を探しつつ、一歩ずつ手探りで進んでみようと思う。無理のない程度で。
anond:20220520231545の記事を書いた者です。
この記事について、多くの反響をいただいてとても有り難かったです。
その後、議員が自らの正当性の説明に終始したことにより炎上が鎮火せず、空中戦が続いたままとなり、何とも言えない気分になっていましたが、
以下のtwitter発言で議員が矛を収めたので、ひとまずこの炎上は終了、ということで良いかと思っています。
https://twitter.com/Kenta_Fujimaki/status/1528339973971161088
https://twitter.com/Kenta_Fujimaki/status/1528362705395994624
この件で、色々気づきがあったので、羅列的に少しまとめてみます。
(本論の話はないです、念のため)
今後も、明らかに議論の前提が共有されておらず空中戦の様相を示している炎上例などあれば、可能な範囲で議論の整理(いわゆる交通整理)をしてみたいと思っています。
すごいニッチな話で吐き出す場所もないからここに書かせてくれ。
TikTokには短い数十秒の動画を上げること以外に、ライブをブロードキャストする機能もあるんだけど、ある休日の昼、ちょっとヤンチャめの女子高生(3年)が割と胸元の開いた私服でライブをやってたんだよ。まあ自分も見てしまったんだけど、本人なりに線引きはしっかり引きながらも、割とやらしめの要望にも応えてて、ライブは大盛り上がり、フォロワー数が爆発的に増えたんだな。
プロフィールを見るとその女子高生、結構前からTikTokで活動をしていて、ライブも動画も精力的にこなしてたんだけど、あまりフォロワー数が増えなかったみたいで、直近の何本かの動画が若干谷間を見せるような動画で、多少のお色気も出してフォロワー数を稼ごうと方針を変えたのが明らかな感じだった。
そういう流れでやってたのが自分が見た昼のライブだったんだけど、大幅にフォロワーが増えて数字的にキリのいいところまでその日に行ける雰囲気だったから、「夜もやる」と言って昼のライブを終えたんだわ。
それで満を持して始めた夜のライブ、その子は昼と同じ胸元の開いた服装で、ついつい自分もライブに参加してしまったんだが、昼の雰囲気とはうってかわったものになった。なぜかと言えば昼のライブにはいなかった古参のユーザーの何人かが(全員男)、ユーザーからのやらしめの要望があった時に、その要望に応えるのを止めるようコメント欄で逐一その子に言ってたからなんだな。「やらしめの要望」と書いたけど、ユーザーからの「立って」とか「目を近くで見せて」とかの少しでも胸元が見えてしまう可能性のある要望は無視するよう忠告する徹底ぶりだったんだよ。(普通の体の動きの中で見えそうになった際は「服装!!」と言う細やかさだった。)
で、その子はやはり古参ユーザーは大事にしたいのか、それらの忠告をしっかり聞き入れてたから、視聴者数は増えず、フォロワーは中々増えなかった。普通昼より夜の方がライブは盛り上がるのに全然盛り上がらない(正直彼女は昼と比べてライブがやりずらそうだった)。
そこでフォロワー数を増やしたい彼女は痺れを切らしたのか、事態を打開しようとライブを共有して他のライブホストと話せる「コラボ機能」を使ったんだよ。そしたら繋がった先のホストが若いピンク髪のチャラ男で、それを見るなり古参ユーザーは「コラボ相手には気をつけな、印象悪くなってフォロワー減るぞ」とまたご丁寧に忠告したんだけど、コラボ相手のその男との会話の中で胸元が何回か開いたことも影響したのか(彼女はコラボ中には胸元を手で抑えなかった)、古参ユーザーの予想に反してコラボ中にフォロワー数が一気に増えて目標の数値を達成したんだよ。
そしたらコラボ終了後、目標フォロワー数を達成したことに気づき、彼女が喜び始めた矢先、ある古参ユーザーが「純粋に応援していたのに、フォロー外すわ」とコメントを書き残してフォロー外したんよ。そのコメントを見た彼女テンションガタ落ち、「不快にさせてごめんなさい」と何度も謝って、それを残った視聴者がコメントで励ます始末で、すごく暗い雰囲気でライブ終えたんだわ。
はてなのジェンダー問題に詳しい有識者のみんなはこれについてどう思う?
自分としては彼女を思う気持ちはわかるものの、古参ユーザーの行動は少しパターナリスティックが過ぎる気がするし、彼女なりに決断してお色気路線を取ったのだし、もう高校も3年生で、昼のライブを見る限り線引きはしているようで彼女の考えを尊重したい気持ちが強いんだけど。そりゃあ自分の娘ならば止めるよう言うとは思うけどもさ。
15年くらい前
私とHは創作仲間
一緒に旅行したり本を作るくらいには仲良し
未来の夢を語り合う仲間だった
10年ほど前
HがSさんと仲良くなる
Sさんが別ジャンルで起こした騒動を信用してるRさんから聞き警戒する
5年ほど前
Hが会いに来てSさんとの関係を説明してくれる、SさんとHは同居しはじめた。
また会うようになる、Sさんを交えて出かけたり、ネームの感想を言い合ったり。
Sさんから発表前のネームを見せ合うのは盗作問題で揉めるからやめたほうがいいと言われる。
HはSさんに心酔してるように見えた
私はSさんを警戒しつつ見定めていた
3〜4年前
SさんがHのアカウントから私の鍵アカを見てもいいかといわれOKする。
SさんはHのアシスタントをしているがHは育てるのに苦労していると聞く
私がアシスタントを探しているとHが条件にあいそうだとSさんを紹介してくる
HにSさんとのSkypeのやりとりを見ていていいかと言われ過保護だな…と思いつつOKする。
『(顔の)デッサンを直したらいいですか?』と言われる。
SさんがHのところでその作業をしていたのは知っていたが、親しい仲ならいざ知らず初めての職場で作家にそんな事を言うなんて…とショックを受ける。
私が10年勤めたアシスタント業を馬鹿にされたように感じてしまった。
明らかなエアリプで私の態度に憤慨していた
理由はアシスタントへの愚痴が止まらなくなってしまい、鍵アカにいる元アシスタント業の友人達を傷つけるのが怖くなったからだ
私はこの時期仕事が限界で友人への不義理が多く、返事をしてないものもあった。
1〜2年前
Hがそこでアピールしたい趣味が偶然私のペンネームと同じだった
Hの仕事ツイートなどはRTしていて交流は続けているつもりだった
ある日、HからのRTがまったく無くなっている事に気づき私もRTをやめた。
『Sさんを傷つけたのは申し訳なかったが、Sさんとは今後関わりたくない。でもHとは友達でいたい』
という内容の手紙を出す。返事はもらえず
これから嫁は用事で少し出るとの事だったので、続きをやっておいて欲しいとの事で仰せつかった。
コーヒーを沸かしつつ、ハンガーやらいっぱい挟めるやつにぽちぽち挟み終わった段階で、外はポツポツと雨が。
あらあらと思って、でもこれは最近買ったがまだ使っていない衣類乾燥機のチャンスと思い、吊るしてしまった洗濯物のうちタオルなどの綿素材のものを乾燥機に突っ込んだ。
ここまでは良かった。ここまでは良かったんだが、その中にここ数日のうちに元タオルの雑巾が含まれていた事に気づかなかった。俺はそれが雑巾だとは露知らず、ちょっとボロくなってきたな、なんて思いながら乾燥機に投入したのを覚えている。
乾燥機で40分くらいだろうか、何事もなく乾燥は終わり、ホクホクとしたタオルやらの衣類(下着類など)が出現した。
普通ならこういう曇と雨が混じったような気分の重たい日は洗濯も億劫で、浴室乾燥でやってもイマイチ乾いたような乾いていないような状態にしかならなかった洗濯物が、たかが1時間足らずの時間と多少の電気代で、手触り良く乾燥しきった状態で現れることの感動に打ち震えていた。買ってよかった衣類乾燥機。
乾いた物を畳み、しばらくして嫁が帰ってきた。
「やっておいてくれた?」との問いかけに、「雨降ってきたから乾燥機使ってみたんだ。やっぱり買ってよかったね、あれ。」なんて話したら、全てのタオルが畳まれしまわれていることに気づき、冒頭の雑巾の件に行き着いた。
もちろん嫁は怒った、信じられないと。
とはいえ俺も用途を変えたとは知らないままだったし情状酌量の余地はあろうと口添えたものの、雑巾とタオルを(洗ったとはいえ)一緒にするのは許せない、もう1回洗濯し直すと言い放ち、嫁は怒りそのままにふわふわのタオルをまた洗濯機に投げ入れるかのように突っ込んだ。今は雑巾だけが部屋干しで、タオルについては乾燥機に投入され、乾くのを待っている。
めちゃくちゃ内心の話をすると、洗った後のものであれば別に一緒くたでもいいんじゃないかなのラインで独身時代は生活していたので、そこまで怒らんでも……と思わなくはないが、そういうことは言える訳もないのでこうしてここに書き込んでいる。
やっぱり嫌だったよな、次は気をつけないと。
皆さんどうなんでしょうか。